平成処女/紅い刺繍

各作品は独立しており、どのような順番でも読めます。

空が沈下していくような
霧深い午後
生きるために
かたちを失ったものが
湿度計をくらりと揺らす
いつか来る終わりは
きっと あの雨音のように

口にするたび
やわらかに腐っていく
リアル
青春症の大人たちがゆっくりとちかづいて
わたしの輪郭をいとおしそうに
なでる
前に
スカートを翻して

心臓の音が
喧騒でかき消えていくように
感傷的な
わたしの頬をながれるもの
あらゆる雫が(ことば)であるなら
五月雨は とうめいな春の出血だ
降り注ぐ
那由多のなかのひとつぶが
ぬぐった指先で
甘く 熾烈に
しづかに 消えた

雨音を
わたしを憐れむものの全てを
過去へ置き去りにしたまま
前に
前に
スカートを翻して

砂の鳥籠

こぼれた涙からキャラメルマキアートの味がしないのは、きっとあなたが恋を啄んでいってしまったからなのだとだと思う。
『夜更け前の黄昏は私をどこへでも連れて行ってくれる』そんな空言を笑い飛ばした。春分の日、或いはわたしの初恋が終わった日。瑞々しく飢えた瞳からは絶えず砂粒が降りそそぎ、色あせた鏡に向き合いながら、わたしの体が埋もれていくのを俯瞰することしかできなかった。
「最近はあなたの夢を見なくなったんです。光も音もシトラスの香りもつないだ手も夜のとばりの中へしまい込まれていて、もうすぐあなたの愛したわたしはここに溶けてなくなるのでしょう。」
わたしは、砂の籠から飛び立ったあなたの影を追いかけて、空を仰ぐ。時間の濁流が全て呑み込んでくれるよう祈っている。

でも、本当に欲しかったのは翼です。
ざらつく砂を振り払って羽ばたく白い翼が欲しい。
あなたを傷つけてでも鷲掴みにできる爪が欲しい。
爛れた「おはよう」を反芻するための嘴が欲しい。
だって、
届かないことは分かっているけど、
くだらない理屈なんて後付けにして、
わたしはわたしのために恋をしている!

紅い刺繍

あかい糸は
すこし血の味がするね
くり返す日々のなかで
ほつれて
もつれて
それでも、あなたの夢を見るために
銀色の縫針を
もうひとつ呑みこんだ

慎ましさを刺繍した
心臓の奥底で
慰みと粘り気の
余韻につつまれ
くるんと
まるまる
せかいでいちばん
優しいかたち

わた/あめ

溶けゆく星雲のひとつを掬い上げて、きみとの記憶に攪拌した甘い甘い砂糖菓子。大さじ一杯の記憶を失ってしまわないように、膨張した感傷のかけらを千切っては口に運ぶ。透明になった日々の残滓を飲みこめず、舌の上で転がせるほど確かな感触もないまま、甘さと苦さは紙一重なんだということを知った。
わたあめはわたしを漠然とさせたまま溶けてなくなった。世界中の砂糖が消えてなくなるわけでもないのに、その喪失に気付いた瞬間わたあめが永遠のものになってしまう錯覚。わたしはこれから先、砂糖菓子を手に取るたびにわたあめの幻影を見るだろう。あるいは全てが破裂して、神様と巨大な回転釜のなかで踊りはじめるかもしれない。きっと、わたしを包み込むふわふわの虚構は、いつか嵐とともにこの繊細な心臓を貫くのだ。粗目の刃、もう覚めない夢のおわりとはじまり。
アルテミスの悲劇のように、わたしはきみを星空にできるだろうか。

明灯

カーテン、
空き缶、
壁紙の染み。
眠る
ぼくの目と鼻の先の
ゆらぎ
不意に ともしびのように
消えた
文字盤を追いかけて
親指が
なめらかな暗闇を
すべる

汗ばんだ夜更け
野良猫の発情期

ぼくを
ぼくと
認めてくれない
きみの
寝返りみたいな
バイブレーション

熱情とか
劣情より
もっと切実な理由で
さまよう
てのひらの
つきあかり

『今は昔』なんて言葉に
すっかり丸め込まれて
こどもも
おとなも
取り残されたわたしたちの
祈りの芽を摘んでいく
白黒のシンデレラ・ストーリーを
ぺらぺらとめくって
排煙をくゆらす
ためいき

きみはそれを
「死体みたいだ」と
ばかにしていた

いつだって嫌味ばかりな
きみの言葉は
まだ制服にしわもなかった
あの日のわたしを釘付けにしたままなのに
きみは
ガラスの靴を履きながら
ほんものの群れに溶けてしまった


 (ちく  ちく)


わたしたち             時計の針は
だけの秘密             ぐるぐると
だった毎日             回っている
ひとつずつ             だけなのに
増えていく             時間は前へ
小さな傷跡             進んでいる
きみの全身を            と思いこむ
カンバスにして           人々はもう
わたしのすべてを          新しい元号
刻みつけてしまおう         の話ばかり
そうすればきっと       間違っているのは
やさしさをもう        取り残されたのは
苦く感じない            ほんとうは
                  わたしだけ
   

 (ちく  ちく)


思い出して

あの日、きみの色鉛筆を
借りたまま返さなかったのは
わたし
あの日、きみの満点のテストを
破って捨ててしまったのは
わたし
あの日、きみの感傷を
吐息で握りつぶしてしまったのは
わたし

ほら
あの日、きみがふりあげた拳を
思いきりたたきつける時は
いまだ

わからないふりをしないで
死化粧のような笑顔をやめて
もう一度
この心臓をつらぬいて
あの日、きみが動かしてしまった
この心臓を


 (ちく   ちく)


筆箱を持たずに学校へ行ったときの
しずけさと、わずかな羞恥心が
秒針よりも少しだけするどい早さで
わたしの身体に
ずっと
鼓動を刻みつづけている


 (ちく  ちく)


 (ちく  ちく)

平成処女

うるさいのも息苦しいのも好きじゃないけれど、静かな人生こそが美しいと信じることもできなかった。それを『嫉妬』と呼ぶきみの黒髪はいつの間にかメッシュを帯びて、きょうも新宿の雑踏できらめきを放つ。
振り返らないその背中が愛しい。緩慢なやさしさに縋りつくくらいなら、わたしはきみに嫌われることを選ぶよ。潰れたピアスの穴、見知らぬパンプス、きっともう繋ぐことはない、白くこまやかな左手の指先。交わらない視線が、お互いの輪郭を執拗になぞっていく。
思い出になんてしたくない。ありったけの憎しみをちょうだい。泣きわめいて、「ごめんなさい」って、それでも世界中がわたしを見捨ててしまえるほどの理由をあげるから。
新しい季節を告げる日、きみを冒涜するための嘘に、少しだけほんとうを混ぜてみる遊び。
明日世界が滅びるのなら、わたしたち、きっと傷つけあえたのにね。

平成処女/紅い刺繍

平成処女/紅い刺繍

平成のおわりの現代百合詩集です。全七篇。

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-03-24

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  1. 砂の鳥籠
  2. 紅い刺繍
  3. わた/あめ
  4. 明灯
  5. 平成処女