Look at me

maoria 作

  1. プロローグ
  2. 隣の家
  3. 絵画達の声
  4. トロイメライ
  5. かくれんぼと階段下の・・・
  6. メル
  7. Look at me
  8. エピローグ

主な登場人物
桜井リヒト・・・大学1年生の男の子。不健康的に見えるほどの白い肌の持ち主。

メル・・・リヒトの隣に住んでいる。年は同じくらいだろうと思われる。一度も家から出てきたところを見たことがない。

プロローグ

“これを読んでいるということは、もう気づいていると思う。
私の命もあとわずかだ。
私がもうこの病気が治らないことを、自分が一番よくわかっている。
だから、これを残した。
君がこれから一人で生きていくのに受け入れてなければならない。
○○はもういないんだ。
あの日が来た日、君がおかしくなった。
その日から私の旅は始まっていたのかもしれない。
○○のこと、どうか受け入れてほしい。
これを読んでも回復の見込みはないと思う。
医者だってっそう言っていた。
こんな形で済まないと思っている。
君のことは愛しているよ。
○○は、君の前からいなくなったわけじゃないんだ。
あの日に何があったのか、これを読んでほしい。
最後になるけど、ありがとう。あ・・・。”

そこから先の文字は読めなくなっていた。
ここまで書いてもう力が尽きてしまったのだろう。
私は何を受け入れろというのか・・・。

隣の家

今日はとても天気のいい日だった。
家の庭にある桜の木が見えて、なんとなくいい匂いがした。
いつものように学校に行くために玄関で靴を履いていた。
「忘れ物はない?リヒト」
「ないよ」
「お母さん忙しくて入学式いけなくてごめんね」その眼差しは真っ黒で、どこか違うところを見ているようにも見える。心配してくれているんだなと思う。
「大丈夫だよ、じゃあ行くね」
リヒトは玄関のドアを開ける。いつもいつも気になっている隣の家からは相変わらず、人の気配がない。
というか、一度も部屋の明かりも人が出てくる姿も見たことがない。
女性が住んでいることだけは知っている。彼が中学を卒業して、その日に家に帰ってきたとき引越センターが隣に来ていた。
その時だけ、黒い車から女の子が出ていき家の中に入った。それからずっとその子が出てくること、その子以外の子が出てきたことも出入りさえもない。
不思議だとは思っていた。
でも、関わったところで何があるわけでもない。自分の家から離れると、駅のほうに向かった。

大学生になったからといって何かが変わるわけじゃなかった。
退屈すぎるそう思うのは平和なのだろうか。
学校の入学式はすぐに終わって、家に帰る途中本屋に立ちよった。
美術に専門の書籍を探していたところ、妙な本を見つけた。
“天使と悪魔の本”というタイトル。
ざっくりいうと、天使の種類や悪魔の種類といった神話などに出てくる内容だった。
「こんなの誰が買うんだろうか」
リヒトはパラパラっと興味本位で見ただけですぐに棚に戻して、本屋を出た。
あまりお気に召すような本はなかったようだ。
そのまま駅向かって歩いていくと、誰かにつけられているようなそんな気配がした。
振り向いてみたが気のせいだったみたいだ。
ふと空を見上げると、白い雲がない快晴の空だった。
こんな日が毎日続いていくのか、空の色など変わらないものだ。
そんな風に思いながら前を向いて先に進んだ。

リヒトの家は二階建ての茶色っぽいデザインだった。レンガ色のような壁、桜以外の花も飾ってある。
この家の母親は花が大好きで、ガーデニングが趣味である。
父親は小説家であり、ぼちぼち有名な方でもある。
リヒトはこの家の二階が部屋で、学校から帰った後は部屋にこもる。
「絵でも描こうか」
そう、彼は絵を描くのが好きだった。クラシックをCDでかけながら、デッサンの準備を始める。
クラシックはいつもその時の気分で曲を変えて、悲しい時もあれば優しい音楽の時もある。
今日書くのは庭にある桜の木とガーデニングされた花たち。
窓の外からは隣の家が見える。
隣の家も二階建て、あそこにいるのだろうか。
全く気配のないかのようにカーテンも閉めてある。
一度だけ、引っ越してきた日に近くまで行ってインターホンを鳴らしたことがある。
でも、反応はなかった。
あの女性は思い出してみると、歳は同じくらいだった気がする。ただ、一瞬だったからそう見えたのかもしれない、背丈もそんなに高くはなかった。
「ちょうど今日の夜中だったかな」
そう、リヒトは覚えていた。
その不思議な隣の家に明かりがついたのを見たことがある。
最初は夢でも見ているのかとも思ったぐらいだった。
明かりがついたのは真夜中だったし、自分が寝ぼけていただけなのか。
それからその明かりがついたのは一度だけ、でも次の年の同じ日にはまた明かりがついた。
同じ時間に同じ日に明かりがついた。
今夜ももし見れたら・・・今度はそばまで行ってみようと思っている。
だってその光は、まるでリヒトを呼んでいるかのようだったから。

***

真夜中の2時頃になった。
リヒトは小さくアラームをセットしていたスマホの音で目が覚める。
起き上がって、窓のカーテンを開けてみるとやっぱり予想通りだった。
明かりが部屋全体についている、気のせいなんかじゃない。
僕を呼んでいるような気がしていたとリヒトは思った。だって、リヒトが起きた時間に丁度その明かりがついたのだから。
今日こそは行ってみよう。あの家へ。
リヒトはパジャマから私服に着替える。黒いチノパンにアイボリーのニット、少し冷える気がするから軽いコートをもっていこう。
そっと部屋のドアを開けて、階段を降りると今に着いた。多分、父も母も寝ているし、そっと出ていけば気づかれない。
玄関にそのまま向かうと靴を履いて、ドアを開けた。
鍵を閉めて、家から離れると隣の家に来た。
思った通り、その家のドアが少しだけ、ほんの少しだけ開いていた。
アンティークのフェンスには緑色のツルをまいた植物がたくさんある。
まるでそこは不思議の館のようだった。
リヒトは導かれるようにドアの近くまで来てみる。
いきなり赤の他人が勝手に家に入っていいものだろうか。不法侵入で訴えられるかもしれない。
でも、彼は気になっていた。
僕のことをずっと呼んでいた、明かりは僕の起きた時間に着いた。これは偶然かもしれない。
そんな偶然にとらわれたのかもしれない。
そして、ドアに手をかけるとリヒトは中に入っていった。
音もなくその扉は彼を招き入れると、意志を持ったかのように静かに扉は閉まった。

絵画達の声

長い廊下は奥まで続いている。
(割と片付いているし、広い。小さな展示会くらいはできそうだ)
明かりはオレンジ色、二階までの階段がすぐ近くにある。
でも、階段には錠前付きの柵が付いているし、立ち入り禁止という看板もある。
階段下のところに小さな扉がある。そこの扉まで来てみると、開けてみようとしたが暗号式の錠前が付いていて開かない。他の廊下にある部屋もドアを確かめてみたが、開いたのは一つの部屋だけだった。
その部屋は玄関から入って右側にある部屋、壁に何か張ってある。
“絵画コレクション”、ここの家は本当に展示会のために作られたみたいだ。
おや?よく耳をすますと話し声が聞こえてきた。リヒトは入る前にノックしてみた。
「誰か、いるんですか?」
ひそひそ、ひそひそと何やら話している。
『どうぞお入りになって』
たくさんの声が一斉にそう言ってきて、ドアを開けてみる。
中に入ってみると、誰もそこにはいなかった。たくさんの絵画だけが壁に飾ってある。
あれ?人の話し声が聞こえたのは、気のせいだったのだろうか。
他の部屋は入れないし、取りあえずはここから何があるか探してみよう。
絵画の数はざっと20枚、部屋の真ん中にはテーブルと花瓶が置かれている。
花瓶の花は枯れていて、中の水はドロッとしている。
まずは、端から順番に絵を見てみる。
「この絵・・・モナリザに似ているけど、どこか違う」
『その通りだ、少年。ここにあるものは全て“偽物”だからな』
絵の口が動いた?・・・もう一度、目を瞬きさせてこすってみる。
『何を驚くことはないさ。私達は君に話しかけているんだよ』
「本当に絵がしゃべっている」
信じられないとは思うけれど、確かにそのモナリザは口が動いていた。
『はじめまして。モナリザという名の・・・レプリカです』
すると、他の絵画達も同じように話しかけてきた。
そう言えば、ここに描かれている絵はほとんどが人物や天使といった人間の姿をしている。
偽物というのはどういうことなのだろうか・・・。
モナリザの隣の絵、四季の作品の一人がしゃべり始めた。
『私達はね、“あいつ“によって生み出された偽物なの。ちなみに私は、ミュシャ主の作品の春よ』
『著作権っていう言葉、知っているでしょ?奴は犯罪をしているの。最低だわ』
寒そうに白っぽい布を被った“冬の絵“の顔は怒っている。
偽物の絵を本物だと、信じ込ませて絵を展示してここに来たお客から金を取ろうとしているのか。
それは良くない。許可を得ていないに・・・同じ絵を描く者として、やってはいけない。
『仕方ないよ、彼にはぼく達の声が聞こえないんだもん』
『あーあほんと退屈』
四季の絵の隣、二人の天使は退屈そうな顔をしてそう言った。
『だけどね、一つだけここには本物がいるのよ』
女性が振り向いたような絵は耳飾りをしている。多分これは・・・フェルメールの絵画だったような。
「本物?それって、盗まれた絵画ってこと?」
『察しがいいね。そういうことさ、この中から“本物”を探すことができたら他の部屋のカギをあげよう』
ゴッホに似た麦わら帽子をかぶった絵がそう言った。
「ぼくにそんなことができるの?」
『できるとも。だって君は彼・・・いや、彼女なのかな見抜いただろう?』
ゴッホの視線はモナリザを向いている。確かにこの絵はすぐに見抜けた。
モナリザには“空気遠近法”が使われているのを本で読んだことがある。
だが、この絵には奥行きがない。
模写としてはうまいけれど、色合いも違う。
『さすがに20枚から一枚だけっていうのは厳しいからヒントをあげよう。それは女性である』
まわりをピンク色の背景、頬杖をついたような女性の絵画がそう言った。
女性の絵画といわれてもここにあるのは、ほぼ女性ばかり。男性の方が少ない。
『あ、そうそう。少なくとも左側の壁にはないよ』
四季の秋は自分たちのほうを表している。
本物を置くなら自分ならどこに置くだろうか・・・。
真ん中の花瓶を中心に、まっすぐ先の壁側の絵画に近づいて見た。
そこには傘を差した女性と牛乳を瓶から注いでいる絵画があった。
「僕ならこのあたりに本物を置くね。この二つのどちらかが本物だろう。よく見てもわかりにくいくらいうまく描かれているなぁ」
『隣の絵画、ずっと泣いているのよ。どうしたのかしらね』
すすり泣く声が聞こえる。
「君がたぶん、本物だよね」
『なんでそう思うの?』
天使の視線がこっちを向いている。
「この絵は他のタイプも見たことがある。ここにあるのは右向き・・・だけど左向きと散歩の絵もいるよね。泣いているのはそういうことだよね」
『・・・。そう。私が本物。仲間の二人から引き離されてしまったの。あなた、覚えているかしら絵画が盗まれた事件があったこと』
そう言えば、リヒトが中学二年生の頃に絵画が盗まれた事件があったような。
月日が経ってから美術館に来ていた鑑定士が「これは、偽物だ」と言ってから事件が発覚した。
結局、日が立ちすぎていて犯人もすぐには見つからなかった。
でも、監視カメラなどをどうやって避けたのだろうか。
『木を隠すなら森の中・・・彼は模写がうまいのよ。その模写で私とそっくりの絵を描いて偽物を美術館に飾って、本物の私と取り換えっこしたの。普通の人ならそうそう見わけがつかないわ』
絵を隠すなら・・・なるほど、よく考えたものだと思う。
『彼は頭いいんだよ。警備員に成りすまし、夜中の見回りに行って絵を取り換えたのさ。カメラ室には人がいたんだけど、なんか薬で気絶してたってさ』
『絵を取り換えた後、カメラ室に行って自分が写った部分だけ、メモリーに抜き取ったって』
「なぜそんなに知っているの?」
『自慢してた。彼はここに来る前の家で僕らに向かって、そう言っていた。当然、他の人には聞こえやしないけど、僕たちはちゃんと聞いているからね』
そうか、絵に話しかけても何も回答はない。だが、なぜこの声が聞こえるのだろうか。
これは夢を見ているのだろうか。それともこの家には魔法がかけられていて、悪魔のいたずらか・・・ばかばかしい。
『約束だよ、カギを渡すね。その傘の女性の絵をどかしてみなさい』
絵画の両端を手で持つと、すぐに動かすことができた。絵をそっと下の床に置いて、壁の中にある小さな穴に手を入れてみた。
カギの束にはどこの部屋の名前かが分かるように書いてある。
一つ目・・・この部屋の”絵画コレクション”
二つ目・・・ピアノの間
三つ目・・・人形部屋
四つ目・・・二階の部屋
次はこの部屋の向いのドアに行ってみよう。絵を元に戻すと、リヒトは出口へと歩き出す。
『真実を知りに行くのかい?』
振り返ると、全ての絵の目が表情もなしにこちらを向いている。モナリザは静かにそう言った。
『この先に待っているのが光なのか闇でも?』
傘の女性は自分の下にある影を見てそう言った。光があれば影(闇)がある、そう言っている。
『知らない方がいいと思うけどね。メルはきっと・・・』
「メル?」
この家の主だろうか。この絵画を盗んだにしてはまだ若すぎる。ということは、この家に越してきたあの日の女の子がメルで、他にも人が住んでいるということか。
黒い車はどんな人が運転していたのか・・・降りてきた顔は覚えてない。
もしかして、この家の主人は犯罪者だとしたら彼女は誘拐されてきたのか。
だとしたら、何か危ない目に合っているかもしれない。
「その子が危ないなら誰かが助けないと」
リヒトはドアに手をかけて出ていってしまった。
絵画達は再び、ひそひそと何か話し始める。
『あーあ、行っちゃったよ』
『余計なこと言うからこうなるんだよ。行くなって言うと行きたくなる』
『危険と書いてあると何故か気になってしまう。パンドラの箱は開けてみたいと思うのが人なのさ』
『私達は止めることはできないよ。常に“見ている“ことしかできない』
絵画が視線をこちらに向けて、訴えかけていたとしても何が答えなのか・・・それはわからない。“見ている“ことしかできない。
『私も主が亡くなったのを見てしまった。動くことさえもできなかった』
傘の女性はまた泣き始めた。
『それがね、“飾られている“ことの運命なのかもね』
一枚の白紙から描き始めたら終わりが描かれるまで、その作品は常に飾られている。
完成しても失敗してもそれが答えになる。
『彼女は禁忌(きんき)を犯したけどね』
ドアの向こうには聞こえないくらいの小さな声で、話していた“彼ら”は静かにただ静かに微笑の笑みと、真顔と退屈そうな顔とを浮かべながら・・・元の形に戻っていった。

トロイメライ

絵画の部屋をでると、向かいのドアの前まで来てみる。“ピアノの間”と書かれた看板が着いている。
カギの束からピアノの間のカギを使って開けてみると、一台の黒いピアノと観客用の椅子がそこにあった。
ピアノは誰もいないのに音楽だけを奏でている。まるでそこで誰かが弾いているように。鍵盤は凹んでは戻る、凹んでは戻る。
本当にこの家は不思議なことだらけだ、これから何が起こっても逆に怖くはない。
でも、どこかこの曲は懐かしさを感じてきた。ピアノに近づいて、鍵盤に触れてみる。
「この曲は僕が聞いた中でも一番好きなクラシックだ」
ふと、頭の中に子供の頃の記憶が蘇ってきた。

***

昔、母親の部屋にある引き出しを勝手に開けて、リヒトがクラシックのCDを聞いていた。それが初めてのCDを聞いた曲だった。
丁度買い物から帰ってきた母親はその姿を見て、びっくりしていた。
「まぁ、リヒトったら」
怒られるのをちょっとわかっていたけれど、時々自分の部屋まで聞こえてくる音楽の正体を確かめたかったのだ。毎晩毎晩、この曲が流れてくる。
「ごめんなさい」
「なんで、謝るのよ。怒ってなんかいないわ」
母親はこちらに来て同じ視線に合わせてしゃがむと、優しく微笑んだ。
「これはね、私が大好きな曲なのよ。お母さんね、ちょっと不眠症なのよ」
「ふみんしょう?」
「難しいでしょうね。寝れない病気って簡単に言うのよ。お父さんと出会う前は薬で寝ていたんだけど、効果が薄くてね。そうしたら、お父さんが音楽を聴きながら寝るといいよって教えてくれたの。まぁ、完璧には治らないけど、いい気分では寝られたわ。これはね“トロイメライ”っていう曲よ」
「トロ?メラ?」
「夢とかそういう意味だったかしらね。今度は他のクラシックも教えてあげるわ」
それからは母親のコレクションとも言えるクラシックをたくさん聞いていた。母親の趣味はガーデニング以外にクラシックを聴く。それで、同じように絵を描きながらクラシックを聴くようになった。

***

「メル」
何気なくつぶやいてしまった名前・・・ぼくは"メル"を知っている?
そんなはずはない、だってさっき聞いたばかりの名前だから。
辺りを見回すと、また見慣れない花瓶が端っこに置いてある。相変わらず中の花は枯れていた。その少し離れた左隣には本棚があり、楽譜や音楽に関する本が置いてある。パラパラとめくってはしまう・・・一つだけ違う本があった。
表紙は白くて、黒い枠の模様と線の上に“NOTE”と書かれていた。これは誰が書いたものだろうか。
リヒトはそのノートをもって、観客用の椅子に座ると中を開こうとする。
「勝手に見ていいものだろうか」
他人のノートを見るのも抵抗があるけれど、この家のことについての情報が書かれているかもしれない。
あるいは、別のことか。
でも、先に進むには読んでおいた方がいいかもしれない。
「ごめんなさい」
表紙をめくってみた。
“このノートは私の思いを書いたもの。
吐き出したい愚痴や気持ちをここに記そう。
私の思いなど誰も聞いてはくれないし、共感さえしない。
だからこそここに記そうと思う。
私は天才だというのにまわりの奴らは馬鹿にするし、親と比べ物にされるのはごめんだ。
うるさいやつらだ。いつか思い知らせてやる。
私の作品、私の作品、私は天才だ。
【次のページへ】
ついについに、私の作品が完成した。
そっくりさん?ばかばかしい、私の物こそ本物だ。
実際に取り換えっこしてしまえば問題ない。
本物は私のものにしてしまおう。
【次のページへ】
出会えた数々の作品たちはここに飾るとしよう。
たくさんの人々が「すごい」「素晴らしい」と思ってくれるに違いない。
私は天才だ。

そこでノートは終わっていて、破られたような跡が残っている。
まるでそれはこの先の続きは誰にも読ませないかのように・・・。
これを書いたのはアヤメ以外の誰かであることはわかった。
ノートを静かに閉じると、リヒトは目を閉じて考え込んだ。
「ところで、アヤメはこの家のどこにいるのだろうか」
“監禁されている・・・“とまでは考えすぎかもしれない。でも、階段下の扉と二階は鍵がかかっていたし、このカギ束の中の物とも合わなかった。
(この部屋はもう出よう)
リヒトは出口に来ると、ドアを開けようとした。
しかし、開かなかった。
外から何か強い力で抑えられており、開けることができなかった。
『ここから出るには謎を解いたら出してあげよう』
後ろから声が聞こえてきて振り向くと、ピアノの近くにそいつは立っていた。
灰色の体に羽のような物も生えているように見える。
「誰だ?」
『あなたたちの世界で言うと・・・そうですねぇ、悪魔とでもいいましょうか。以後お見知りおきを』
悪魔は頭を下げてお辞儀をする。
「悪魔・・・まさか本当にいるんだな。この家はやっぱり、おかしいと思ったんだ」
絵画がしゃべるのも、明かりが勝手につくのも、人のいないピアノが奏でているのだって、こいつの仕業かもしれない。
『退屈だったんですよ。主も出張とやらから帰ってこないし・・・。家を見張っていろと言われてもねぇ』
そうか、この家の持ち主が悪魔を呼んでこの家を守ってもらっていたのか。
なら、本当にアヤメがどこかにいるかもしれない。
「あなたは敵なんですか?」
『敵?そうですねぇ、少なくとも手を出す気はないです。だって、家を見張れとは言われたけど、“殺せ”とは言われてないし・・・で、謎解きはする気がありますか?』
「わかったよ。で、その謎解きって?」
悪魔はピアノの椅子に座ると、『私がこれから引く曲を当ててください。ちゃんと正式名所で、誰の曲かっていうのまで』手をピアノに乗せた。
ピアノは音楽を奏で始めている。
(この曲・・・どこかで聞いたことがあるけど、どこだったかな)
この少し不気味な感じは・・・母のコレクションにはなかったけど、誰かが引いていたのは覚えている。
「曲名は“魔王”、作曲者はシューベルト」
『・・・正解。さすが詳しいね』
それはリヒトも絵を描くときに聞いたことがある曲でもあった。
小学校の時に出された課題“この曲のイメージにぴったりな絵を描いてください”、その時先生がCDで聞かせてくれた。
でも、この曲を聞いたのはそれが初めてではない。果たしてどこで聞いたのだろうか。
「正解できなかったらどうしていたの?」
『君を閉じ込めて、主に差し出すまでさ』
ガチャっと何かが開いたような音が聞こえた。どうやら、ドアが開いたようだ。
「僕はもう行くよ」
リヒトは取りあえず、このノートをもっていくことにした。どこかに続きがあるかもしれないからだ。
『あーあ、君は早くここを出たほうがいいのに・・・この家の主は魔王のような恐ろしい奴だよ』
「自分でこの家に呼んだのに?」
『私が読んだんじゃないよ。彼女が呼んだのさ』
彼女・・・“メル”がこの僕を呼んでいたのか。
でも、何のために呼んだのだろうか・・・ますます、気になってくる。
「アヤメのことを知っているの?」
『さぁね。私は悪魔だから親切にはできないよ』
そう言い残して、悪魔はどんどん体が薄くなっていき消えてしまった。
リヒトは部屋を出ようとしたその時、耳元で何かの声がささやいた。
『187どこの数字かな』
辺りを見回しても誰もいなかった。そのまま、リヒトは部屋を後にした。

かくれんぼと階段下の・・・

廊下の先まで歩いて、ふと大声で叫んでみた。
「メル、いるのかい?」
返事はなかった。きっと、声も出せない状態なのだろうか。
彼女がいるのはおそらく、階段下か二階・・・先ほどの悪魔が言っていた番号を階段下の暗号に入れてみた。
思った通り、すんなり開けることができた。扉を開けてみると暗く、階段が下へと続いている。ゆっくり降りていけば、下までたどり着けるかも。
壁に手をつきながら階段を降りていくと、なんだか変な臭いがしてきた。
(これは・・・ペンキやインクの独特の臭いだ)
自分も絵を描くからなんとなく、そんな臭いだろうと思った。
でも、こんなに大量の臭いは初めてだ。リヒトでも、絵を描くときは臭いがこもらないように窓を開ける。
よっぽどこの家の主人は手入れや換気すらもしないみたいだ。花瓶の中身もきたなかったし、出張に行ってから大分経っているのだろう。
手で口を押えながら下へと降りていくと、階段はそこで終わりドアが身の前にあった。
ドアを開けようとしてみたが、また鍵がかかっていた。
(ここから先に行くのは今はいけないみたいだ)
仕方なく階段をまた再び、上がることにした。
外にでると、大きく深呼吸をして体の中の変な臭いを外に吐き出した。
「人形のお部屋でカギがあるかな」
廊下の一番奥のドアまで来てはカギを開けてみる。
ドアのきしむ音がして、部屋に入ってみると、中にはアンティークドールやマネキンがたくさん飾ってあった。
本当に不気味な家だな。どんな奴が住んでいたのか。
人形をざっと見ていると、今にも動きそうなくらいリアルな目、マネキンは顔のパーツはないが見られている気がしてならない。
一番部屋の奥、この人形の中では最も古いアンティークドールが目をつぶってショウケースに入れられている。
]その首にはカギがアクセサリーのようについていた。
ショウケースを開けて、優しく人形を抱き上げる。
「カギはもらっていきます。後で、戻すからね」
そっと首のカギへと手を伸ばした。
カギをつかんだその瞬間、人形が目を開けた。
『ワタシト、アソンデクレナイ?』
口元は人間みたいに動いて、こっちを真っすぐ見ている。
「ここまで来たら、驚けなくなったな」
しゃべる絵画に悪魔の次はしゃべる人形か、悪魔は本当にリヒトで遊んでいるようだ。
「わかった。で、何をすればいいんだ?」
『カクレンボ。ワタシガ、イマカラ、ニンギョウノナカニカクレル、サガシテ。ソトニデテ、10カゾエテ』
リヒトは人形をそっと、ショウケースに戻すと、部屋から出てドアを閉めた。
数字を数えている間、悪魔がさっきピアノで弾いていた“魔王”をどこで聞いたのか、思い出した。
(そうだ、先生が授業で聞かせてくれた以外にあの曲は・・・廊下で聞いたんだ)
体育館に向かう途中で美術室から“魔王”を聞いた。
それが初めて聞いた曲で、二度目が美術の授業だった。
(この家・・・先生の家なのかな)
悪魔がピアノで“魔王”を引いていたのは偶然じゃないとしたら、ここは先生の家かもしれない。
先生・・・何て名前だったかな。顔は何となく覚えているけれど、名前が出てこない。
10まで数えて、ドアの向こうから声が聞こえた。
『モウイイヨ』
リヒトはドアを開けると、まずは何か一つでも変わっていればと、辺りを見渡してみる。
しかし、何一つ変わってすらいなかった。ショウケースだけが空いたままになり、中身は空っぽだった。
リヒトは一つ一つ、アンティークドールを抱き上げてみる。
先ほどの人形は隠れるのがうまいようだ。
どの人形も同じように見えてきて、見分けがつかなくなっていた。それどころか、どの人形を見たのかも覚えていないくらい、頭が追い付かなくなっていた。
リヒトは息が苦しくなり、膝をつく。はぁはぁと、息を切らしながら胸を抑えた。
『イイワスレテイタケド、ワタシヲサガスマデ・・・アト5フンダカラ。ソレマデニミツケラレナイト、コノヘヤデ、ワタシタチトイッショニナルノ』
この声すらもかすれて聞こえるくらい耳が遠くなってきた。
心臓が止まりそうなくらい、ゆっくりな鼓動になっている。
『アナタトテモ、キレイナカオネ。ニンギョウミタイニシロイ』
「・・・。そこにいるんだね」
声にならない声で、リヒトがショウケースを指さしてそう言った。
『ナニヲイッテイルノ?』
「君はこの中の人形に紛れ込んだと見せかけて、最初からそこにいたんだ。“姿を消してね”。姿さえ見えなければ、一生捜しまわる僕をあざ笑えるもの。この近距離で声を出したのも間違いだね」
『アタマノイイコネ。ソノトオリヨ。アーア、ミツカッチャッタ。ヤクソクドオリカギヲアゲル』
部屋の空気が変わったのか、息苦しさがなくなってきた。
徐々に息を整えると、ショウケースに向かう。下に落ちたカギを拾うと、ゆっくりした足取りでドアに向かう。
『マッテ』
人形が姿を現して呼び止めた。
『シタニイクノナラ、ソコニアルガスマスクモッテイキナサイ。ココノクウキヨリモ、サラニキツイトオモウカラ』
マネキンたちの後ろにガスマスクが壁にかかっている。
「どうしてそんなことを?」
『ココマデキタラ、サイゴマデ、ケンブツサセテモラウ』
高みの見物気分のようだ。リヒトはマスクを取って、部屋を出ていった。

***

暗い部屋の中、ただ一人何かを見つめる女性。
外にいる人の気配を感じながら、ただただ涙を流していた。
「あぁ、やっと迎えに来てくれたんだね。この時を何年待っていたんだろう。私が“完成”したあの日から・・・私たちは引き離された。会いたい、早くここのカギを開けて・・・リヒト」
女性はドアに手を当てては、また歩き回っている。
ずっと、この繰り返し・・・ただ、耳に残るのはトロイメライの音楽だけだった。

***

リヒトは階段下まで来ると、ガスマスクをしてカギを開けた。
中はひどいくらい視界が悪かった。臭いは何とか防げたものの、あまりこの部屋には長くはいたくない。
それに寒い気がするのは気のせいだろうか。
壁には人形標本?が何個か飾ってあり、どれも綺麗な顔立ちをしている。
まるで、生きていたかのようだ。
(これは、本物じゃないよな)
あまり触りたくはないが、その標本の女の子の手を触ってみる。
「・・・人の感触に似ている。作った人形にしてはよくできている」
胸にはナイフが刺さった後があり、そんな同じような標本ばかりが置かれている。
そして、他には標本に似たそっくりの絵が飾られている。
どれもこれも標本を真似して書いたのだろうか・・・この女性、どこかで見たことがある。
部屋の奥には絵を描くための机、そこには引き出しがある。
一つ一つ開けてみると、先ほどのノートと同じ紙質の束を見つけた。
悪魔が言っていた破られていたノートの続きにはこう書かれていた。
“私はついに見つけることができた。
誰にも負けないくらい最高の作品を。
この作品を見れば誰もが私を『君の絵は本物みたいだ』と言ってくれる。
当たり前じゃないか・・・「本物」を手本にしたのだから。”
(本物・・・ここにある標本はもしかして・・・)
リヒトは吐き気がしそうになった。この標本で一番きれいな顔立ちをした女性を見て、思い出したことがある。
テレビで17歳から20歳くらいの女の子が行方不明になった事件があったのを見たことがある。
その子の顔とこの標本の子・・・同じ顔立ちをしている。
嫌な予感が頭を遮ったので、リヒトは部屋から出ることにした。
駆け足で階段を上がると、ドアの鍵を閉めてガスマスクをはずした。
一気に吐き気がしてきて、トイレに向かう。
(ここの主人は・・・あの事件の犯人。ということは他の標本も多分)
顔立ちのいい子を集めては、殺して作品にしていたということだ。あの部屋が寒いのは、死体が腐らないようにするためだった。
ノートの続きはピアノの部屋で読もう。あそこにはもう行きたくない。
リヒトは呼吸を整えてから、トイレから出るとピアノの部屋に向かった。


ピアノは音楽を奏でていなかった。悪魔の演奏会は終わったようだ。
また別の場所へ移動したのか、どこかで身を隠して、リヒトが迷って苦しむ姿をひそかに笑っているのか。
まぁ、どうでもよいとも思える。
先ほどと同じく近くの椅子に腰かけると、ノートの切れ端を読んでみた。
“私が「本物」を使う理由になったのは、他でもなくあの子のおかげだった。
あの子は私の見たところ天才だ。小学生にしては絵がずば抜けてうまかった。
いや、うまいという表現はおかしい。あれは天才画家の才能を持っているのだ。
ダヴィンチやピカソ・・・そう言った天才のレベルに彼は近かった。
そう、あの授業で私は彼の才能に気づかされたのだ。“
そこまで読んで、リヒトは何かを思い出したかのように眉間にしわを寄せた。
目を閉じて考えている。
(この先生の授業で何かを書いた・・・あれは確かコンクール・・・そうだ、思い出した。家族の絵を描いてコンクールに出すという授業があった。僕も作品を書いたのは覚えている。・・・・あれ、どんな絵だったけ?)
小学校5年生くらいの時だろうか、リヒトが美術の授業課題で家族の絵を描いた。
「ほとんどの子が未完成のまま、家に持って帰って仕上げをした。僕もそうだった。その時、あの曲を聴きながら描いたんだ。その後、どうしたんだっけ?」
さらに続きを読んでみる。
“この提出された絵をコンクールに出さなきゃいけない。でも、これだけは出したくない。
この子の絵だけは・・・そうだ。私が真似してすり替えてしまおう。美しいこの絵は世に出してはいけない。
私が大事に持っていよう。そして、このまま私のものにしてしまおう。
本当はいけないことだってわかっている。
でも、私を認めないあいつらが悪いんだ。
【次のページ】
絵をすり替えたその夜、私の中で何かが生まれた。
あの子の絵を見つめるたびに囚われてしまった。
「本物を描きたい。まねっこじゃなく本物だ」
そうして、私は「本物」を集めることにした。”
「本物」を集める・・・そういえば、さっきの標本の子・・・テレビで話題になっていた「家出娘又は家出息子」の事件の子だった。
家出をした子たちが見つからず、そのまま帰ってこないという事件があった。
初めは一人二人くらいで少なかったけれど、その数が少し多くなり話題になっていた。
原因はわからない。生きているのかもわからない。
髪の毛や痕跡もなくて、捜す当てがなかった。
この男の「本物」を集めるということは、家出の子たちを集めてその子を返さぬまま、殺してしまったということだろうか。
でも、絵を描くだけなら殺さなくてもいい。モデルになってとでも言えばいいだけの話。
裸の絵を描かれるとでも思い、嫌がって抵抗したのだろうか。
でも、男の子の絵もある。それにみんな服を着ていた。
ならば、なぜ殺してしまったのか。
まだ、他にも書かれている続きを読む。
“ああ、最高傑作だ。素晴らしい。これだけ絵があれば展示会も開ける。
だが、何かが足りない。足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない・・・。
痛っ、紙で手を切ってしまった。赤く流れるそれは人差し指から落ちて地面へ。
「これだ。これが欲しかったんだ」
まだ家に帰していない子たちをもっと素敵な作品にしよう。
私の目標はあの子のようになることだ。”
そこで、文章は終わっていて最後のページに小さな鍵がセロテープで張り付けてあった。
このカギはきっと二階の策の鍵だろう。
「狂ってしまったということか・・・誰かの絵を見て、本物を描きたいと言っていた。僕が書いた家族絵・・・コンクールに出したあの絵は僕の絵じゃなかった」
ようやく思い出した。先生はリヒトの絵が欲しくて、自分の模写した絵とすり替えたんだ。
「僕が家出の子たちを殺すきっかけになってしまったのか」
そんなはずはないと信じたい。でも、それしかきっかけがない。
でも、まだ全部思い出せていない。
もしかしたら、全ての答えは二階にあるだろう、メルという子もおそらくそこにいる。
「僕が家族を描いた絵にメルとどういう関係があるのだろうか」
姉?妹?・・・いや、僕は生まれてからずっと一人っ子だし、隠し子とかそういう複雑なことはなかった気がする。
リヒトは立ち上がると、ピアノの部屋を出る。
もう一度、髪を読み返すと、最後のカギのあったページに名前が書いてあった。
糸出志文(いとでしもん)、それがこのノートの持ち主の名前だった。

メル

二階に上がって、錠前付き柵のカギを開けるとさらに階段がさらに階段が続いている。
彼女に会ったら何を話せばいいのだろう。聞きたいことはたくさんある。
自分の絵がこの向こうにあるのかもしれない。
どんな家族絵を描いたのか、覚えていない。その部分だけ記憶がすっぽりとなくなっているのだ。
二階に着くと、何もない廊下が左に続いていて、奥にドアがあった。
カギ束の中から二階のカギを選ぶとそこに差し込む。
ゆっくりと、回していると心臓の音だけが妙に大きく聞こえる。
ガチャっと鳴って、ドアが開いた。ドアノブをもって回すと、そこは少し今までより狭い部屋だった。
窓以外、何もない部屋に一枚の絵だけ壁に飾ってある。
素敵なドレスのような服を着た、女性と男性がダンスを踊るように描かれたその絵。
女性は深緑のドレスにパールのネックスをして、目線はこっちを向いている。
男性の顔は見えないがスーツのような格好にも見える服を着ている。
「舞踏会のメル」
誰に言われたわけでもなく、その言葉がふと出てきた。
『それが私の名前なんだね』
絵の中の女性がにっこり笑って、足が額縁を超えて、次には体が、そうして全てが出てきた。絵の中の女性が目の前に立っている。
これも悪魔の仕業なのか。
『リヒト、会いたかったわ』
そうして彼女はリヒトに近づくと手を握ってきた。
固い、本物の人間でないから肌の感触はザラザラとしている。画用紙を触っているみたいな感触だ。でも、立体感はある。
「僕を知っているの?」
『アナタが覚えていないのも無理ないわ。だって、私がその記憶を消したから。私はね、リヒトに会いたくて悪魔に頼んだの。その代償が記憶をもらうことだったの』
悪魔と契約・・・この家の主人もそうしたようにこの女性もそうしたのか。
『ただね、記憶を消しても思い出しちゃったら仕方がないって悪魔は言った。少しだけ思い出したみたいだね』
「この家の主人が僕の小学校の先生で、僕の絵を盗んだってことはわかった。それがきっかけで人殺しに・・・」
『違うの、アナタの絵がきっかけって訳じゃないの。あの人には顔が二つあったの』
顔が二つ・・・人格が変わったとでもいうのか。
『あの人はね、自分が変わったことに気づいてないの。まわりの人は気づいていたんだけどね。これを見たほうが早いかも』
そう言って、リヒトの手を引っ張ると、絵の中に入っていく。リヒトは自分の手が紙のような感触になっていくのを感じた。
このまま連れ去られてしまうのではないだろうか。でも、危ない子には見えない。
それどころか、どこか懐かしい気もする。
そうして、そのまま絵の中に入っていくと、どこかにたどり着いた。
そこには何台かの机が並んでいて、黒板があり、少し絵具の臭いがする。
ここは学校の美術室のようだ。
先生らしき大人が一人入ってきて、CDプレイヤーのスイッチを入れて音楽を流した。
“魔王”の曲が流れている。
『この光景覚えている?』
「僕がこの時、廊下を通った時のことだ」
『彼の顔をよく覚えていて、もう一つの光景を見たらわかるから』
それから教室からリヒトと女性が出ていくと、同じ教室がまた出てきた。
しかし今度は室内も明るく、人が何人か座っていて、黒板のほうを見つめている。
そこには先ほどの先生が立っていた。
どこか違うのはさっきの時よりも優しく話している。黒板には“家族絵”という文字が書かれている。
「この授業、覚えている。家族絵を描いた時だ。それにこの流れている曲は・・・トロイメライ」
『そう。あなたが小学校5年の時の光景。あの人の顔が違うでしょ?さっきまでは暗い部屋で口元だけが不気味に笑っていた。今は全然違う。彼はね二重人格だったの。特にそれは人前では出さない、もう一つの人格は怒っていたり、一人の時にそれは出るの』
「授業でも魔王を聞いたことがあるよ。確かその時も・・・怖い顔していた気がする」
ふと、耳を澄ますと話し声が聞こえてきた。
“「先生のうわさしっている?顔がねいつもと違ってコロコロ変わるんだよ」
「あの先生この前廊下で会った時、声かけたら無視されたの」
「わたしもそうだった。でも、昨日は普通だったよ」”
『今聞こえたのはね心の声よ。この子たちも気づいていたの』
小学生のリヒトは画用紙に絵を描きながら、何か考え事をしている。
「この後は未完成のまんま、絵を家に持って帰った。それで、家でもトロイメライを聴きながら続きを書いたよ。・・・メル、もしかして君は・・・」
そう言い終わる前に元の部屋に戻ってきた。
肌の感触も人間に戻っている。
メルは同じようにそこに立っていた。
『リヒト、あのね・・・ここから逃げなさい。下の階にあった本物の絵画をもって逃げて。彼女も帰りたがたっている』
「できないよ。君も持って帰らなきゃ」
『母さんの言うことを聞いて』
そこで初めて全てがつながった。あの時描いていた家族絵はメル=母親自身だった。
『悪魔に頼んで外に出してもらった、額縁の外を越えてはいけない。絵画として、禁忌を犯した。リヒトに会いたいそう願ったから。だって私を描いてくれたのはあなただから。私も帰りたかったの』
そう言い終わると、後ろのドアが開く音が聞こえた。
「これはこれはどういうことかな?人の家に勝手に上がり込むなんて」
聞き覚えのある声、振り向くとそこには男が一人立っていた。

「先生、糸出先生」
「君は・・・リヒト君じゃないか。久しぶりだね、顔も全然変わっていない。こんなところで何をしているだね」
表情は穏やかだが油断はできない。メルに教えてもらった通り、今の顔は二つ目のほうだ。
「先生、僕の絵を返してもらうよ」
「あぁ、そうだったね。君の作品は本当に素晴らしい。でもね」
糸出はこっちに近づいてきた。そして小型のナイフをポケットから出した。
「君の作品を見て、ほしいものが見つかった気がするんだよ」
強張った顔をしたリヒトが後ろに一歩下がる。
「悪く思わないで、大丈夫、安心したまえ。すぐにその子と一緒にしてあげるから」
向けられたそのナイフでリヒトを刺そうと振り上げた。リヒトはそのまま右によけて、部屋を出た。
階段を降りると、真っ先に玄関に向かうとドアを開けようとした。
しかしカギが壊れていてドアが開かなかった。
どこでもいいから部屋に隠れるしかない、そう思った時足は人形の部屋に向かっていた。
人形の部屋まで逃げてくると、ドアを閉めて耳を澄ました。階段を降りる音が聞こえる。
糸出はこっちに近づいてきた。しかし、違うところのドアが開く音がして静かになった。
きっと、地下に降りていったのだろうか。それなら、急いでこの小さいカギで閉じ込めてしまえば・・・。
『ソレハデキナカッタノヨ』
人形がこちらに話しかけてきた。
出来なかった?どうして過去形に話すんだ。
『コノヘヤデ、アナタハシンダノヨ』
死んだ?僕がどうして、今ここにいるじゃないか。なんだか、胸のあたりが苦しい。
『サッキ、アソンダトキ、ムネガクルシカッタデショ?アレハネ・・・』
「やめてくれ」
『アナタガ・・・』
「やめ・・ろ」
『ササレタトキノキオク』
あぁぁぁぁぁぁあぁぁ、とリヒトは叫んで耳をふさいだ。
そして、目の前が真っ暗になった。

***

「この絵はどういう意味だい?リヒト君」
小学5年生の美術の授業。コンクール一週間前、パラパラと提出された絵を見ていた先生がリヒトの絵で、ふと手を止めた。
「それは舞踏会で踊っている母と父の絵です。お母さんとお父さんが前に家でアルバムを見せてくれました。新婚旅行でフランスに行った時の写真でした」
その話によると、旅行先のダンスパーティーにリヒトの父が母を誘って、踊った時の写真だそうだ。ただ、写真では父親の写真ばかりで、母が後ろ向きばかりだった。
母親は顔映りが悪いし、写真嫌いだったので写さないでほしいと、言ったのだ。
そこで、リヒトはそのアルバムの時を思い出して母親を描いたと。
「素敵な絵だね」、その時は本当にそう思っただけだった。

***

人形の部屋に死体が転がっていた。胸にはナイフを刺された跡がある。
「あーあ、こんな顔は台無しじゃないか。しかたないか、眠るように殺すつもりだったのにね」
そして、先生の姿と死体はあとかたもなく消えてしまった。
『僕が今まで見てきた光景は・・・』
『そう。思い出したでしょ。あなたは死んだ魂で、死んだことの記憶をなくしたの。思い出した?』
思い出した。すべてがリヒトの身に起こったことだった。
あの日、生きていた時のリヒトは隣の家に行ったのだ。それからずっと戻ってこなかったという。
『この家に集まった家出の子供は、先生が連れてきたの。子供たちはどうやって来たと思う?・・・きっと、相談にのってあげるとか、そんなところでしょ』
悩みを抱え込んでいた時にその一言だけで、ついていってしまう。そして、殺された。
『あの花瓶、あれには毒の花、トリカブトが植えられていたの。彼はそれの根をすりつぶして子供たちを寝かしつけた後に飲ませたの』
だから、みんな眠った綺麗な顔のまま標本にされたのだ。
『この展示会の家はね、前の家から引っ越してきたの。そう、あなたに会えたその日、私は車から降りた』
運命のいたずらかしらねと彼女はそう言った。
『君の姿は彼には見えていないの?』
『悪魔がいたのは事実、でもあなたに手を出してはいないわ』
その日、糸出も出張していたからこそチャンスだったから、メルは電気をつけてリヒトを呼んだ。
けれど、糸出はたまたま出張から帰ったその夜にリヒトに出会ってしまった。
『この部屋に逃げた僕は、先生を閉じ込めようとしたけれどできなかった。考えている間に先生がこの部屋に入ってきたのだ。そして、僕は死んだ』
リヒトが死んだ日の数時間後の朝、すぐに警察がこの家に来たという。
糸出もこんなすぐに捕まるとは思ってもいなかった。
見つけたのは、退職した刑事さんがたまたまこの辺を散歩していて家出の子が不審に集められているというのを見た。
それで、この家をその不審に思った彼は張り込んでいた。
それでもずっと子供たちが出てこなかった。それでおかしく思って、通報をしたのだ。
『糸出はどこなの?』
『彼はもうこの世にはいないわ。悪魔の代償で魂を取られて死んだわ。警察も不審に思ったの。彼は急に心臓発作を起こしたの』
糸出の願い、それは天才になりたかったということか。もう1つの人格が天才の願いを叶えた。
人格は2つでも糸出にはかわりはない。
『お母さんはどうしている?』
メルはそっとリヒトの手をまた握って、涙を流していた。
『どうか、この事実を受け入れてほしい』
メルとはちがう別の声がどこからか聞こえたような、そうして僕たちの体は消えていった。

Look at me

喪服姿の女性は棺の前で、うつろな目をしている。どこを見ているのかわからないその目からは、初めて涙をだした。
「あなた、教えてくれたのよね」
手元には真っ白い表紙の文庫本をもっている。中を開くと、中には大きく“Look at me 舞踏会のメル”と書かれている。
「最後に書こうとしたのは“愛しているよ、メル”。ちゃんと、受け入れるわ。あの子とあなたのためにも」

***

メルこと桜井メルは、リヒトの母親。リヒトが死んだその日からメルの様子はおかしくなった。
葬式も終えて私(父)と二人で家に帰ってくると、メルは真っ黒な瞳でこう言った。
「あなた、リヒトの帰りが遅いわね。学校の入学式は早いはずよ」
それで私は「何を言っているんだ、リヒトはもう・・・」と言いかけると、メルは自分の部屋にいって服を着替えて、夕飯の支度をし始めた。
「あ、玄関で音がしたから行ってくるわ」
あの日からメルは戻ってこなくなった。彼女の中で時間は止まってしまった。
リヒトの葬式が終わった数日後、私は仕事先で倒れてしまった。
丁度、小説の打ち合わせをしていた時にそうなった。病院にはメルは来なかった。
連絡はしておいてくれたけど、本人はリヒトと一緒に行くねと言ったのだ。
病院でその夜に私は夢を見た。
「父さん、もう気づいているだろう。病気のこと・・・治らないんだね」
そう言われたのをはっきり覚えている。メルが一人になってしまう。
頼れる親戚は皆、近くにはいない。むしろ、人付き合いが僕も少なかった。
メル自身もおとなしいほうなので人付き合いがない。
「僕の最後の仕事をしなきゃね。教えてくれるかい?」
とても長い長い、信じられないような夢、リヒトが教えてくれた真実。私は病院で看護婦さんに頼んで、原稿用紙とペンを用意してもらい小説を書くことにした。
遺書付きの小説“Look at me 舞踏会のメル”、彼女をもとに戻すため、メルがこれから一人で生きていくために。

私とメルは高校時代の図書室で出会った。私は作家を目指していて、毎日放課後には図書室に引きこもっていた。メルは図書委員、よく来る僕が気になって声をかけてきたのがきっかけだった。
こんなところで古い話もなんだけど、幸せだった。リヒトが生まれた後も、三人で行ったフランスのルーヴル美術館、リヒトはそこで絵描きになりたいと言った。
まだ小さくて5歳のあの子が、本当に美大まで行ってしまったのにはびっくりだよ。
やっと、その夢が叶うと思っていた矢先に起きた事件。
リヒトは昔描いた君と僕の家族絵、それを取り戻しに行った。リヒトはね、不思議な子だったんだよ。
絵を描く人はその絵の声が聞こえるという。私は小説で悪魔の仕業と言っているが、リヒトには聞こえていたみたいなんだ。
どちらにせよ悪魔の仕業だとは僕は思う。
でも、私は君が一人になってしまうと思い“これ“を残すことを考えた。
私たちは今でも愛しているよ、メル。一人になってしまうけど、受け入れておくれ。
私の旅はそこから始まった。

エピローグ

その日、スーツケースの準備をしていた。
この家で独りぼっちになってしまった私には大事な仕事が残っている。
リヒトの描いた絵は大事に彼の部屋に飾ってある。
「フランスに行ってくるね」
私は旦那の小説をもってあの日の旅に出かける。
リヒトと旦那と過ごした思い出の一人旅に出ていこうと・・・。
もちろん帰ってきたら一人だけど、もう大丈夫。
隣の家は売地になっていた。
手を合わせて、花を添えると私は空港に向かうため歩き出した。

Look at me

【解説】
前の霊子さんを書いてから次はどうしようかなと、思って思いつくがままに書いてしまいました。
私はゲームはフリーゲームの実況をよく見ます。そこから、不思議な世界を書くのをふと思いついたことがあります。
何を言っているのかよくわかりませんが、不思議な世界が好きってことです。

この作品はちょっとよくわからないところが多いので、解説をします。霊子さんの時とは違ってこの作品は考察タイプではないからです。
メル=リヒトの母親が主人公でもあります。花瓶の中に枯れた花、あれでリヒトの霊がさまよっていて時間がたったという風に読み取るようにしました。
悪魔もメルの夫の工夫です。夫はファンタジー小説作家になるのを目指していました。
それで半分の真実と半分のフィクションという小説で”Look at me”を書きました。それから、『隣の家』の章ではメルはうつろな瞳になっています。
あれは現在のメルの姿、それからこれから過去(リヒト)に向かうという風に現代と過去を混ぜています。
キャラクターの名前も適当に考えていたけれど、あとで意味を調べるとリヒトはドイツ語で”光”という意味が出ていきました。
それでこのまま他のキャラもドイツ語が隠れた名前にしました。
メルは舞踏会のメル・・・舞踏会をダンスパーティーともいいます。
この中から舞踏会のブ、のばしのー、それからメル・・・ブルーメ・・・これは花という意味です。
メルの趣味がガーデニングに。
それから糸出志文(いとでしもん)・・・デーモンという単語をもじりました。これは悪魔という意味です。
わかりにくい小説だなあと自分でも思います。

次回作はしばらく考え中になります。いつ書くかもわかりませんまたお知らせはツイートします。
では、おしまい

Look at me

僕の家の隣には不思議な人が住んでいる。 部屋から明かりもない、音もしない、インターホン鳴らしても反応がない・・・居留守を使っている様子もない。 見たのは引っ越してきた女の子が家の中に入る姿だけ。でも、その子も見たことがない。 でも、ある真夜中のこと、その家の明かりがパッと光ったのを偶然目にした。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-03-23

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted