君の声は僕の声  第六章 10 ─麻柊の我慢─

加賀谷樹里

君の声は僕の声  第六章 10 ─麻柊の我慢─

麻柊の我慢


 先ほどからハラハラしながら成り行きを見ていた流芳の体がピクリと動いた。その流芳の肩に秀蓮の手が置かれた。流芳が心配そうな顔を秀蓮に向けると、秀蓮は微笑みながら軽くうなずくだけ。その向こうでは、聡も黙って見ていた。
 流芳は小さくため息を吐きながら、ふたりに視線を戻した。

「そうだろう? 僕がいなかったら、君たちだけであの扉を開けることはできたか?」

 杏樹がいつものようにあごを突き出すようにして横目で麻柊に言う。麻柊の眉間が寄せられた。麻柊の反応を気にすることなく、杏樹は話し続ける。

「僕はこの古代文字の解読をしたいんだ。君にできるか? 頭を使えないなら、君は体を使う。──それでいいだろう」

 杏樹はあっさりとした口調でそう言ってのけた。麻柊は歯を食いしばり、拳を握りしめた。おそらく『玲』には麻柊を挑発するつもりはない。口のきき方を知らないだけなのだ。自分の口にしていることが相手を怒らせていることに玲は気づいていない。
 玲の言いたいことはわかる。「お互いに得意分野で協力しよう」と言えば済むことだ。『玲』を知らない麻柊はそうとう頭にきている。聡は、今にも杏樹に飛びかかりそうな麻柊を引っ張っていき、肩を組んで耳もとで、なだめるように囁いた。

「麻柊の気持ちはよーくわかるよ。聞いていた僕だって、杏樹を殴り倒してやりたいくらいさ。だけど、今の杏樹には何を言っても無駄だ。わかるだろう?」

「…………」

 麻柊はイライラをぶつけるように聡を睨みつけた。麻柊の視線から逃れようとした聡の目が、今朝、『心』に治してもらった跡がうっすらと残る、麻柊の指の傷を捉えた。聡の視線に気づいた麻柊も、傷に目を落とした。

[よかったね」そう言って可愛らしく笑った杏樹の顔が甦る。

 麻柊は大きく肩を落としながら「はあー」とわざとらしく声を出してため息をつくと、聡に背を向け、怒りをぶつけるように地面に杭を打ちつけた。
 聡が玲に目をやると、玲はテントから離れた岩に腰掛け、真剣な顔で本を読んでいた。周りのことなど全く気にならないらしい。本を読むことだけに集中していた。

 もう少し上手くやってくれたらいいのに……。

 玲を見ながら思ったが、玲の知らないところで『心』を寮から連れ出し、『陽大』をキャンプへ誘ったのは自分たちだ。文句も言わずに、こうして協力してくれているだけでもありがたいことだっだ。玲の言ったように、彼の頭脳は自分たちにとって必要なのだ。聡は何も言わずに食事の準備に戻った。

 火の傍では、ひと足先に戻った瑛仁が、秀蓮と何やら話をしていた。秀蓮の手には瑛仁が摘んできたのか、野草が握られていた。
 少年たちは、夕食の準備をしながらチラチラと一点を気にしていた。視線の先には、ひとり呼鷹から借りた懐中電灯を照らしながら本を読むことに没頭している杏樹がいた。近寄るな、というオーラを感じて誰も「手伝え」とは言えずにいた。

 聡が杏樹へと足を向けた。呼びに行こうとする聡のシャツを流芳が引っ張り、その行為を遮った。心配そうな顔で首を横に振っている。

「大丈夫だよ」

 聡は笑って言った。

 玲と過ごすうちに徐々に彼の性格が理解できるようになっていた。
 玲は悪い奴ではない。ただ常に理性的なだけだ。感情をおいて行動することができる。そして他人の怒りや痛みを理解することはない。その部分は、きっと心がすべて引き受けているのだろう。小さな心が引き受けるにはあまりにも大きな痛み。そして他人の痛みまで感じとってしまう。それを思うと聡の心も痛んだ。
 だがそれは、『杏樹』が生きていくために必要なことだったのかもしれない……。

「玲」

 聡が声をかけると、顔を上げてキョロキョロと辺りを伺った。

「えっと……」

 聡が呼びに来たことに気づいた玲は、瞬時に引っ込んでしまったようだ。
 突然のことで状況が理解できないらしい。目の前に立つ聡を見上げると、突然指名されて答えられずに、先生の顔色を伺う生徒のような顔をした。
 陽大だ。
 以前なら、適当な嘘をついて取り繕っていた陽大だったが、今では嘘は言わなくなった。すっかり気を許してくれるようになった陽大の様子に、聡は自然と顔を綻ばせた。

「食事だよ」

 聡がそう言うと、陽大はお腹に手を当てて子どものように喜んだ。

 火のそばでパンを切り分けていた流芳は思わずパンを落としそうになった。笑い声を上げながらふたりが歩いてくる。杏樹は先ほどとは打って変わり、目を細め、大袈裟な身振り手振りを交えた砕けた調子で、聡に話しかけていた。
 杏樹の機嫌が良くなったのはいいが、あまりの変わりように、流芳は焚き火の前に腰を降ろしている麻柊をチラリと見た。そして麻柊にパンを渡すと、杏樹に背を向けながら、何も言わずにその隣に座った。
 麻柊を無視して通り過ぎて欲しいと願っていた流芳だったが、杏樹は麻柊の後ろで立ち止まると、麻柊をのぞき込んだ。 

「指の傷どうだ?」

 玲が麻柊と言い合ったことを知らない陽大は、上機嫌で麻柊の隣に腰をおろした。

 流芳の顔が固まる。

 陽大の笑顔は、収まりかけていた麻柊の怒りを甦らせた。麻柊の眉間がヒクヒクと動く。そして思いっきり不機嫌な顔を陽大に向けた。

「な、なんだよ」

 麻柊のすこぶる機嫌の悪い態度に、陽大は思わず体を引いた。麻柊は無言で陽大から顔をそらす。

 麻柊はなぜこんなに怒っているんだろう?

 訳が分からずに、陽大は隣の聡に首をかしげると、聡は口をきつく結んで首を横に振った。聡は「放っておけ」と言ったつもりだったが、何も知らない陽大は、麻柊の肩に肘をのせ笑いながら口にした。

「そんなしけたツラすんなよ。メシがまずくなるだろう」

 これを聞いた麻柊の顔が限界までひきつった。
 麻柊の隣では、流芳が顔を青くした。麻柊は陽大を睨みながらも無理に笑顔を作ろうとしているのか、頬をひきつらせ、肩に乗せられた陽大の腕を麻柊は震える手でそっと振り払った。
 麻柊は彼なりに気持ちを抑えようと努力しているようだった。
 陽大は、こちらを見ていた聡に、肩をすくめてみせた。聡は小さくため息を吐きながら苦笑いをすると、玲の解読の進み具合を尋ね、陽大の気をそらした。

 炎の上では湯気の立ったスープが美味しそうな匂いを漂わせている。
 流芳は麻柊の器にスープを盛りつけた。麻柊は笑顔を返そうとするが、その顔はヒクヒクと引き攣るばかり。その顔に向かって流芳は何度も笑顔でうなずいていた。

 食事が始まると、陽大は、玲が本を読んで得た遺跡に関する情報を、面白おかしく脚色しながら喋りはじめた。さっきまでとはまるで雰囲気の違う杏樹に、初めは懐疑的だったみんなも、すっかり杏樹の話に引き込まれていた。麻柊でさえ、杏樹と顔を見合わせて笑い転げていた。ずっと気をもんでいた流芳も、ようやく心穏やかに食事を楽しむことができた。

 たき火を中心に、みんなの笑い声が煙の立ち昇る夜空に響く中、瑛仁だけが炎の向こうから杏樹を静かに見つめていた。

君の声は僕の声  第六章 10 ─麻柊の我慢─

君の声は僕の声  第六章 10 ─麻柊の我慢─

「僕はこの古代文字の解読をしたいんだ。君にできるか? 頭を使えないなら、君は体を使う。──それでいいだろう」 杏樹はあっさりとした口調でそう言ってのけた。麻柊は歯を食いしばり、拳を握りしめた。おそらく『玲』には麻柊を挑発するつもりはない。

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