娼婦

娼婦

幻想系掌編小説です。縦書きでお読みください。


 魔性の瞳、絶えず影を求め、日の光の中に黒い点となり、冷たい空洞をつくる。
 長い睫毛は「クレオパトラだって、かなうまい」と誰かが言うように、男の心をふるいにかけ、その一本が毒矢となり、闇の中に紫の尾を引く時、獲物の薄汚れた喉からは血が止めどもなく溢れ出す。闇の血は彼女の栄養となり、肉となり、からだを洗う聖水となる。
 濁った自分の血をあびて、転げ回り、奈落の底に逃げ出そうとする男を、彼女はカクテルナイフで突き刺す。マティニの中に浸された男は酒に苦味を、甘味を、酸っぱさを見つける。彼女はそのグラスをかかげ、目をつぶる。血の味で味蕾を殺して飲む。血は舌の上を跳ね回り、返り血を浴びた瞳は赤い磁石となる。

 恐れられる瞳、白い結晶がナメクジを振るいあがらせ、水分を奪い取るように、瞳からほとばしり出る黒い光は、男のうつろな目から、さらに輝きを吸い取り、頼れるものを失った男の目玉は溶け、流れだし、女にまといつき、ガウンとなる。ミンクのコートになり、シルクのドレスになる「黒い女になぜシルクのドレスが似合うのかしら」彼女はいつもそう思う。
 薄暗く、汚い路地の片隅で、マリファナをふかし、太ももを丸出しにし、男と愛撫する少女のミニスカート、彼女はそれがきれいだと思う、少女にぴったりだと思う。彼女には似あうドレスがない。彼女が身に纏うものは二つの瞳、仮縫いが終わり一本の銀の針を刺し忘れたままのドレス。男がそれを脱がそうとするとき、必ず、指の先に小さな血の泉をつくる。男は毒が回るのを恐れ、自分の指をしゃぶり、背広に血の染みが拡がるのを恐れる。
 享楽の瞳、大きな目は音を吸い込む。彼女の生れぬ昔の音も、世界をさげすむ電子の音も、コンクリートに踊る雨の粒の音も、彼女の瞳はワルツを踊り、作曲家となり、詩をつけ、指揮棒をふる。彼女の作った空間の演奏、男はこぞってオーケストラをつくる、ジャズのコンボをつくる。男は指揮する彼女の意のままに。
 暗く奏でるサックスの音に彼女の瞳は微笑む。サックスの男は黒い瞳のスポットライトに照らし出され、彼女の孤独を癒すメロディー吹く。彼女の瞳は時間に舞い。タクトに揺れる男の心はいつしか眠りの底を彷徨う。
 彼女は、男の手に、足に、耳に、隠れた部分に長い黒髪を結わえ付ける。瞳はゆれ、マリオネットは踊りだす。冷たい心の伴奏に合わせ、闇のステージに狂う。
 ふーっと遠い空に雷鳴が聞こえると、彼女の瞳は横を向き、黒髪をあえて切る。黒い片隅に男は崩れ落ちる。

 深く冷たい瞳。底知れぬ、透きとおる水、冷たく凍るはずの水は静かに揺れ動く。限りのない水底には、数さえ分からぬ凍った男の死体が藻に絡まっている。水に揺れ、ぶつかり合い、手足はもげ、水中に漂う。
 小指を水に浸しただけで全身凍ってしまう湖。微笑みながらその中に落ち込んでいった男たち、瞳の奥に眠る男の死体は引揚げられるのを望まない。一本の蜘蛛の糸なぞ欲しいとは思わない。静に、安らかに夢を見ていたいと思う。女の瞳の輝きは、この凍りついた男たちが跳ね返す光だ。瞳の中に湧く雫は、男が一人、湖の中に沈んでいく時のしぶき、何度となく湧き出した泉。
 彼女の瞳は冷たい水を一杯にたたえ、男たちの飛び込むのを待つ。凍りつかず、深い深い水底から、さざなみが光る水面まで、自由に泳ぎまわれる男が現れるのを。

 夢をみる瞳。円筒にしかすぎない一枚一枚の絵が、男の手で彼女の瞳に映しだされる。だが、どれもこれもが、うち合わせたように変わらない。最初の一枚にありとあらゆる色彩をつける。それも次第に色あせ、最後の一枚は白と黒の抽象画になってしまう。それも去り、灰色の吸い取り紙になる。厳冬を映し出す光の球(きゅう)も弱弱しいローソクの光となり、レンズだった男の心も単調な一枚の硝子と変わる。やがて、黒いカーテンが開かれ、男はそこに夢のかけらを落として去る。彼女の瞳は闇の中を彷徨。男の落としていった夢の鱗片を拾う。どんなに小さくてもいい、拾い集め、できるだけ長くつなぎ合わせる。歩道に落ちていた夢に、寝室に置忘れられた夢をつなぎ合わせ、新しい世界に住んでみる。最終電車の蒼白く瞬く蛍光灯の下で、夢の中に黒い瞳を輝かす。新しい夢の鎖の輪がまた増える。

 燃える瞳、石油だって植物の死骸、蒸留され、精製され、炎となる。彼女の瞳もすでに死んでいる。死骸、闇と反応し、人々の目に押し付けられ、暗い暗い夜にできた一つの黒い雫、闇で蒸留され、星明かりで精製される。
 ビーズのような小さな囁きで火のついた瞳は、思いがけない熱さに悲鳴をあげ、闇の冷たさで炎を消し去ろうとする。
 黒の中で、炎はスウィンギーなジャズにのって遠くまで飛び散る。燃える瞳は、不安な世界に、昼の世界に無理やり入り込もうとする。だが、闇の尾は果てしなく長くのび、赤い炎はメラメラとあがきのたうつ。
 炎はいつまでたっても消えはしない。数えられない時によって作り出された燃える水はつきることを知らない。マンドラゴラの根を粉にして振りかける他に、消し去る方法はないだろう。

 静かな瞳。輝く炎は果てしもなく遠い世界を照らしだしてしまった。
 マンドラゴラの根を引きちぎってきた彼女は、その悲鳴に血の匂いを嗅ぎ、根の皮をはぎ、ワインに浸す。それは赤い泡を放ち、黒い葡萄酒をつくりだす。紅の花がワイングラスの中に咲く。紅の花は瞳の底に沈む凍った男たちの死体から養分を吸い取り、冷たくも凍らぬ水を吸い上げ、根を張る。
 紅の流れは闇を貫き、ぬるぬると男の心にかぶさっていく。男たちは足をとられ、ひざまづき、顔一面に赤いしぶきを浴びる。
 赤い糸が首に撒きついた男たちは、息の詰まる苦しさを味わい。糸を断ち切ろうとする。だが、それをほどけるのは一つの瞳しかないことを知り、闇の中に咲く赤い花をもとめ、赤い糸をたぐる。
 男たちは赤い糸の、蜘蛛の巣の張った、黒い棺の周りに集まる。幾重にも、幾重にも集まる。
 棺の中には、白い菌糸に裸身を包まれ、開いた目の瞳からいずる冬虫夏草の花が咲く女が一人。

娼婦

娼婦

魔性の瞳を持つ女の散文

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-03-22

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