インターネット評価会議
ある地下室に大きな会合の場が設けられていた。それらは全国。全世界からえりすぐりの評論家たちが集まる特別な会議だった。彼らの議題はパーソナルコンピューター・インターネットの台頭についてだった。
「まったくもって、面白いことです、我々目の肥えたものたちよりも、もっと別の角度から、変わったものに爆発的な注目が集まる事があるのですから」
逆向きに左右の両端がそそりたつ髭をもつ腹の肥えた紳士はこういった。もちろんその言葉には、昨夜味わった美味な何百年もののワインがとてもうまかったが、その変わった名前のワインが世間一般にあまり評価されていないという事実をくんで、さらに一度ひとばん休止をいれ考えを踏まえての意味合いが含まれていた。
「かしこまって、とりわけことさらに重大に、そして厳かに取り上げる必要はないかもしれないが、これによって我らの評価の重要度が妨げられ、あるいは批判されることになればそれにいくつかの問題がつきまとい、起こりうる」
またもや年長者にみえる白髭の老紳士がつぶやく、彼がこの会合のリーダーであるらしく中央から少し左側に位置する大きな室内の小さな扉を背後にひとことひとこと身長に、悪く言えばのろのろと言葉をつないだ。
「そうですねえ、いまから数十年ほどまえには、感情的な言葉で記事を煽り立てる記者、煽情的な印象を与える雑誌などは品位をかくとして、批判されてきたものですが」
一流ジャーナリストを名乗る眼鏡の機敏なスーツ姿の美女があとをつないだ。
その後もこの会議は延々と続き、いかにこのインターネットメディアの台頭による、それが与える自分たちの評価への信頼度の昇降、あるいは失墜など恐れを踏まえああでもない、こうでもない古今東西のさまざまな意見が集まっていった。しかし、それぞれの論者が与えるこの議論への所感、その答えはやはり“未知なるもの”への恐怖であった。
この会合はこの後12カ月に及び続いていくことになるが、最終的にはプリン評論家のエスタメ・エスタロー氏のこんな評価に落ち着いてしまった。
【私は、あらゆる食材、ほかの欲求や好奇心よりも、なによりも幼いころからプリンのみを愛好し、食してきた。しかしそれを人に伝えるという意味では、別の段階の工夫を要し、ただ愛好してきたときのその愛情と興味とは別の特色、技能を必要とした。そこで私は一度、そのふたつの技能の共通点を見出したのだ、それは幼いころ、あれが嫌い、これが嫌い、それを振り分ける事によってうまれた自分自身の趣向、それを際の際まできりつめてみたときの私という人格、そのつまらなさと面白さ、私はその共通点を理解し、その技能を言葉と感想で発揮したからこその今があり、私への評価がある、私は幾度か不倫によって世間に批判されもしたが、やはり私の腕は確かだった、私は私の腕を信じる】
これにはこの会合に集った、名のある評論家たちもうなづき、呼応せざるをえなく、とらぬ狸の皮算用といった感じで、不安を不安のままにしないで、共通の課題として、評論家同士の集まりと連携によって、インターネットの台頭といった恐怖に立ち向かおう、そうときまった。
時はインターネットが急速に発展しつつあった2000年代、人々は新しい時代、新しい感覚をもとめ、非日常、非現実の時代へ没頭していった。
(しかし、この場所に集まったもの全員が、まだ黎明期であったインターネット文化の活用、そしてその影響に対して、過大な評価をしていたという事を、この時はまだしらない)
こんな風なインターネットへの恐れは、巷のあちこち、名のある人間を巻き込み、大きな論争になっていたが、時を同じくして、ソーシャルメディア、ホームページ、ブログ、それらの文化は速やかに個別の現象に着目するようになり、“感情的”な反応は世間一般の人々の間から薄れていく事になった。
インターネット評価会議