夜の入り口
空が、夕焼け色に染まる頃、家路を急ぐひとびとの波を、縫うように歩くぼくは、図書館で借りた大昔の、重厚で、ほこりっぽく、ぼくのおじいさん、おばあさんが生まれるよりも前に書かれた、見たこともない文章の羅列、呪文にも思えるそれが、とてもいいな、と思ったので借りた、本を、赤ん坊を抱っこするようにやさしく、たいせつに抱えていた。十八時は、きみが、踏切にいる時間で、踏切の前で、じっと、通過する電車を、踏切を渡るひとを、車を、見つめているきみが一体、なにを想っているのか、わからないから、この時間のきみのことは、あまり、好きではない。しずかに、けれど、かくじつに、夜に向かっている今を、ぼくは、本を落とさないようにしっかり抱えて、やりすごしてゆく。きょうの夕飯は、ホットケーキがいいと言えば、きみは、それは夕飯じゃないと、ぴしゃりと言い放って、きっと、野菜炒めを作ってくれる。うでのなかの本が、はたして何の本なのか、どういった内容なのかは、返すまで、いや、返しても、謎のままかもしれないけれど、かまわなかった。町は、そろそろ、はしっこの方から、朽ちて、いずれはなかったものに、なるかもしれないけれど、ぼくたちはだいじょうぶ、ちゃんと、いる。
夜の入り口