緑燃ゆる

斗有かずお

 昭和六年四月、長崎医科大生の永井隆は、草木豊かな浦上の町でカトリックを熱心に信仰する森山家の下宿人となり、やがて一人娘の緑と好意を持ち合うようになる。医科大を卒業後、レントゲン科の医局に入るも一年足らずで満州事変へ出征し、森山家に無事帰った後に浦上天主堂で洗礼を受け、緑と結婚する。二度目の中国出征からも生還したが、放射線過量照射による白血病を発症してしまい、昭和二十年六月に余命三年と自らを診断する。
 緑は、長男と次女の将来を託され、不治の病を患いながらも戦時の大学病院で激務をこなす夫に献身を誓ったが、昭和二十年八月九日、原子爆弾の炎に森山家もろとも燃えて命を奪われてしまう。原子雲の覆う空から早世した長女と三女が迎えに来るが、緑の霊魂は昇天を拒んで地獄絵の現世に留まり、隆のいる大学病院に向かう。大怪我を負いながらも負傷者の救護活動を行う夫に付き添い、励ましつつ見守る。隆は出血多量で昏倒して危篤に陥るが、緑の霊魂の行動と祈りの甲斐あって回復する。
 翌々日、隆は灰と化した森山家に帰り、黒い骨となった妻と再会する。緑の霊魂は自らの骨に吸い込まれて夫の両手に抱かれた後に、長女と三女が再び迎えに降りてきたのに従い、昇天する。

昭和二十年八月九日、永井緑は命を絶たれるも、夫の隆のために霊魂は現世に留まった。

 昭和二十年八月九日。
 午前十一時二分。
 永井緑は、自宅の台所に立っていた。向き直り、しゃがんで身構える。爆弾を落として飛び去る際に米軍機の放つ鋭い爆音が、頭上より聞こえてきたからだった。
 程なく、長崎浦上の中心に位置する松山町の上空約五百メートルで、プルトニウム型原子爆弾が炸裂した。ぴかっ、と鮮やかすぎた。白く青く赤く光って視界を塞ぐ。しゃがんだままで頭に両手をやりかけた緑は、全身に甚だしい高熱を感じた。爆心地から自宅である森山の屋敷まで、六百メートル強。すでにこの時点で、木造家屋を通り抜けたほぼ致死量の放射線と中性子線の照射を受けている。千度を超える熱線の直射による即死は免れたものの、鉄筋でない建物の屋内にいた緑は、助かりようがなかった。
 次の瞬間、どん、と耳を劈かんばかりの爆音とともに、居間のステンドガラスが割れ、床の間におかれている白磁の聖母マリア像が砕けながら倒れた。斜めに崩れ落ちてきた一階の天井の直撃を受け、緑は気を失った。
 燃えている飛散弾体片が、瓦のすっかり吹き飛ばされた二階の屋根にめり込む。緑が生まれ育ち、夫の隆と結婚して以降も住みつづけている森山の屋敷は、爆風で潰されて燃えはじめた。

 木の焼ける音と臭いで目を覚ますと、緑は竈が天井を支えているお陰で保たれた空間に収まり、尻餅をつかされていた。あたりは暗いが、頭から流れる血で滲んだ視界は、火の明かりで赤く照らされている。落ちた天井と台所の土間の隙間に、投げ出された家財道具や折れた障子などが散らばっていた。足もとに隆の弁当箱とフライパンが転がり、釜がひっくり返っている。夫婦茶碗が揃って割れていた。
(家が爆弾の直撃ば受けたとやろうか。ばってん、あの凄まじかった閃光は……まさか、広島ば壊滅させたていう、新型爆弾じゃなかろうか? そがんやったら、あの人のおらす大学病院もやられとる)
 緑は、生き埋めになった我が身より、白血病を患いつつも物理的療法科(レントゲン科)部長として、かつ一医者として任務に励んでいる夫を案ぜずにはいられない。
(マコトとカヤノは、三山木場の借家に疎開させとる。いくら新型爆弾ていうても、六キロも離れとれば、やられとりはせんに違いなか。おばあちゃんもついとるけん、子どもたちは大丈夫。まずは、あの人ばい。とにかく、ここから早く脱け出して、大学病院にいかんば)
 とはいえ、緑は台所の竈と流しの隙で尻餅をついたまま、身動きが取れない。頭は落ちた天井に押さえつけられている。その上で、原形を留めていない二階の部屋が燃えていた。首に、両の肩や手足に満身の力を込めてみても、どうにも動くことができない。濡れ羽色の髪と接している天井板に、火が燃え移ってくる。緑は、煙にむせはじめた。頭が熱い。すっかり倒壊した屋敷全体に、炎が広がりつつあった。
(うちは、このまま、焼け死ぬるとやろうか。警報の合間に、御堂で告白ばすませといてよかった)
 八月十五日の聖母被昇天の大祝日を控えてのことだった。「被昇天」とは、聖母マリアの死後に霊魂と肉体が天国に引き上げられたことをいう。
 緑は、もんぺの衣嚢からロザリオを取り出して祈った。
「天主の御母聖マリア、罪人なる我らのために、今も臨終の時も祈りたまえ」
 さらなる煙にむせて咳込む。
(うちは、生涯で犯した罪もろとも焼かれて、天国にいけるやろうか。うんにゃ、まだいかれん。大学病院にいかんば。あの人の無事ば確かめるまでは、死なれん)
 緑は、銃後髷の椿油が馴染んだ黒髪から燃えはじめた。
(熱か、痛か、息の苦しか、あなた、あなたあなたあなた……)
 黒絣の上衣と縦縞のもんぺに燃え広がる。全身を炎に包まれ、緑は再び気を失った。

     *

 日の光を浴びた金比羅山は、季節や時間ごとに色合いを変えつつ、繁茂した木々の緑が燃えているかのように美しい。その裾野に、甲羅から出た亀の頭によく似た形状の「ガメ山」と呼ばれる小高い丘がある。かつては潜伏キリシタンを見張る庄屋の屋敷があったガメ山の上に、高さ三十メートルの双塔の鐘楼を持つ天主堂が聳え、無数の小さな丘や谷に広がる浦上の町並に臨んでいた。
 赤煉瓦造りの東洋一の大聖堂から、石畳の小道を北西に上って下って、また上って計約五百メートル。南西に稲佐山を望む上野町の丘の上に、森山の屋敷はあった。眺めがよく、金比羅山を後景とした横向きの浦上天主堂も映える。
 永井隆は、桜の花咲く昭和六年の聖金曜日の夕方に、初めて森山の屋敷にやってきた。森山家は、江戸期二百五十年余の禁教令下に、七代にわたって戸主が浦上村の潜伏キリシタンの総頭である帳方を務めてきた。
 昭和二十年代半ばに、隆は「浦上の聖者永井博士」と呼ばれるまでに至るが、松江高等学校時代に唯物論の影響を受けたこともあり、未だカトリックには縁がない。森山の家柄など、知る由もなかった。在籍している長崎医科大学は、本尾川と道を隔てて天主堂の南隣にある。一万人余のカトリック信者が暮らす緑豊かで起伏の多い浦上の町並を、とりわけ小さな森とともにある帳方の末裔の屋敷――明治初期に仮天主堂を兼ねていたこともある――を、よく講堂の窓越しに眺めていた。
 二本の石柱のみが建つ森山家の門の前で仁王立ちになり、隆は石段の先にある木造二階建ての屋敷を見上げた。
(近くで見ると、なおさら立派ばい)
 森山緑は、母のツモが作った煮物を近所の叔母宅に届けにいこうとしていた。屋敷の玄関を出て門に向かいつつ、前庭から下った石畳の小道に学生服を着た大男がこちら向きに立っているのに気づいた。
 隆は、身長百七十一センチ、体重七十一キロと、昭和初期の成人男性としては堂々たる体格の持ち主である。
(今日も、浦上の町では桜の花の霞むごと草木の緑の輝いとるばってん、やっぱりこの小さかけどこんもりした森が一番、)
 森山家の一人娘は、大男に見つめられ、
「緑のきれいかあ」
 と言われて火が点いたように赤面して足を止めた。男からきれいだと言われたのは、二十三年の生涯で初めてである。が、程なく勘違いに気づいた。大男の目は、自分ではなく、背後の小さな森を捉えているらしい。屋敷の裏に立つ榎と楠の大木の枝葉は、競って二階の屋根を覆わんとしている。その脇で、椿や竹や樫も豊かな緑をなしていた。
(この太か男の人はなんね。人んちの前に突っ立って)
 緑は、不審に思いながらも、大男の力を帯びた双眸に、好感を持たずにはいられない。生まれて初めて芽生えつつある恋心には、まだ気づかなかった。石段の手前までやってきたが、大男は突っ立ったまま、こんもりした森を見つめつづけている。よほど集中しているのか、視野が狭まっているらしい。
(大学生ばいね。うちに用のあるとやろうか。なんかおかしかて思うたら、角帽の小さくて頭に合っとらんやなかね。うんにゃ、えらい大きくて長か頭ばい。御堂のガメ山ば起こしたごたる)
 ふふっ、と緑は笑い、頭と天主堂の建つ小高い丘を見比べつつ、大男に声をかけた。
「なにか、御用ですか?」
「ああ、失礼」と隆は瞬いて大きく頷くように頭を下げ、今度は緑の目に視点を定めて家主への取次を頼んだ。齢は緑と同じ。島根で生まれ育ち、松江中 学校、松江高等学校を優秀な成績で卒業した後、長崎医科大学に入って三年だが、話す言葉も抑揚もほぼ浦上弁である。
(ここの娘か。バスケットボールのごたる顔ばい。丸くて、小麦色に焼けて。働き者ばいね。顔つきも、大柄な体も、よく引きしまっとる)
 隆は、椿油の匂いにつられるように、束ねられた濡れ羽色の長い髪を追う。
(学生服の第一ボタンの取れかけとらす)
 緑は、長崎純心高等女学校の裁縫の先生で、大の針仕事好きであり、世話好きでもある。大男を玄関先まで案内すると、居間で祈りを唱えている父の貞吉を呼びにいった。
 隆は、屋敷に背を向けた。真緑に生え揃った麦畑と満開の桜の点在する町並の向こうに天主堂が、右手に医科大学校舎と大学病院が、夕日を浴びて鮮やかに見える。
(やっぱり、ここに住みたかばい。小さか森や緑に包まれた、この屋敷に)
 一人娘がきれいに掃除した前庭には、桜、通脱木、橙、柿、琵琶、薔薇、牡丹が植えられていた。柵の向こうには畜舎があり、牛と鶏の鳴き声が聞こえてくる。
(よし。今の下宿は引き払おう)
 隆は、心を決めた。
 最後の帳方の吉蔵――安政三年の浦上三番崩れと呼ばれるキリシタン検挙事件で捕らえられて獄死殉教した――の孫である貞吉は、「うちの生業は牛の仲買で、大学のお方ば下宿させるごと立派な家じゃなかですけん」と頑なに拒んだ。隆は、引き下がらざるをえず、緑にボタンを縫い直してもらった学生服を手に、再び門の前で仁王立ちになって屋敷を見上げた。絶対に諦めないと、重ねて心に決める。暮れかけた春の夕日が、小さな森の上空を赤紫に染めていた。
 明くる土曜日、隆は医科大学の講堂の窓越しに浦上の町並を改めて眺めた。小さな丘の上にある森山の屋敷と、午前の日の光を浴びて緑が鮮やかに燃えているかのように見えるこんもりした森が、いつにもまして目につく。
(美しか……ほんなこつ、美しか)
 通された屋敷の中を思い出す。一階の北東の六畳間の祭壇に、禁教令下に礼拝された青銅の十字架が飾られていた。隣の八畳の居間に、夕日を透したステンドガラスの窓があり、床の間に置かれた高さ一メートル程の白磁の聖母マリア像が目を閉じ合掌していた。
 青銅の聖イグナシオ像、金の指輪に彫り込まれたイエズス像、教会暦、かつての信者名簿、キリシタン古文書、マリア観音像、ロザリオ南蛮数珠なども保管されているという。
 隆は、浦上カトリックに密かな憧れを抱いている。森山家に下宿することを、いよいよ諦め切れなくなった。
 翌日曜日、イエズスが死者の中から復活したという大祝日の夕方に、隆は再び森山の屋敷にやってきた。押しかけてきた。蒲団や枕と身のまわりの品を積んだ大八車を引いて。
 浦上カトリックは、「御復活」を一番大きな祝日としている。運命的なものを感じた貞吉は、くしくも聖金曜日につづいてやってきた大学生に、天主堂と金比羅山が見わたせる屋敷二階の南東の六畳間を貸し与えた。森山家は、晩に祝いの浦上料理を隆に馳走した。この後、三年にわたって下宿人の改宗のために祈りつづけることになる。

 昭和七年三月、隆は溶血性連鎖状球菌による重篤な急性中耳炎と診断された。大学病院で緊急手術を受けた後に死線をさまよい、その間ずっと緑に付き添ってもらった。同年のクリスマスの大祝日の夜に、緑は腹膜炎を起こす可能性のある急性虫垂炎を患った。長崎医科大学で放射線医学専攻の助手となっていた隆に、緊急手術の手筈を整えてもらい、牡丹雪の降る中、背負われて大学病院に向かった。二人の距離は、徐々に縮まっていった。
 昭和八年二月、隆は満州事変に短期軍医として出征することになった。入営前夜に、緑と口づけを交わし、抱き合いながら帰還後の将来を固く約束した。この後に胃の持病を悪化させて亡くなる貞吉も、望んでいたことだった。
 昭和九年五月、隆は除隊となり、長崎医科大学の物理的療法科に復し、翌六月に公教要理の口述試問に及第して洗礼を受けた。同年八月、隆と緑は結婚し、浦上天主堂で誓いを交わした。
 緑が長子を身籠っていた昭和十年二月、隆は大学病院の耳鼻咽喉科において急性咽頭炎と診断された際に蛋白剤の注射を打ったことが原因で、アナフィラキシーを発してしまい、またも危篤に陥った。回復後に持病となった喘息の症状を押してカトリック信者の家に往診にいった夫を、緑は背負って牡丹雪の降る山道を帰ったこともあった。
 昭和十五年二月、隆は二年半にわたる両度の中国出征から帰還した。同年四月、長崎医科大学に復すると、助教授に任ぜられて物理的療法科部長となり、月給が百円に上ったことを喜んだ。妻の遣り繰りが楽になるからだった。緑は、昇給よりも、夫の出征前の研究が認められたと喜んだ。冊子に掲載された隆の医学論文を目にすることを、何より楽しみにしていた。
 昭和十六年十二月八日、聖母無原罪懐胎の祝日に、太平洋戦争が始まった。隆は、日本学術振興会議放射線委員会に属し、徴兵を免除されたが、結核予防のための集団レントゲン検診とその研究という新しい仕事を受け持つことになった。
 戦局が悪化するにつれて次々に物理的療法科の教室員を兵隊に取られ、隆は多忙を極めた。診察、ラジウム治療、医科大学および臨時医学専門部の講義、諸々の研究と、数人分の仕事を捌いた。集団検診においては、フィルムや現像薬は配給で賄えず、撮影でなく直接透視によらざるをえなくなり、レントゲンの直光を浴びて認容量より遥かに多い放射線を受けつづけた。長崎への空襲が始まると、負傷者の手当も加わり、さらに疲労疲弊していった。
 緑は、浦上地区連合婦人会の職務――戦時公債募集、貯蓄演説、共同防空壕の掘削、空襲時の消防や救護や炊き出しに老人や子どもの避難の世話、軍隊からの命令による要塞の陣地構築等々――を会長として果たした。銃後の守りを固めながら畑を耕しつつ、家族や親戚や隣人の防空服を縫い、毎日忙しく働いた。暇を見つけては、夫が博士号を取得するに至った主論文「尿石の微細構造」を解せぬままに読んだ。
 昭和二十年六月、痩せこけて腹だけが妊婦のように膨れていた隆は、散乱放射線過量照射による慢性骨髄性白血病および悪性貧血、余命三年、と自らを診断した。緑は、その事実を告げられた日、隆とマコトとカヤノが賑やかに五右衛門釜の風呂に入っていたときに、くべた薪の煙に巻かれるままに涙を流した。梅雨晴れの候の夕日を浴びた金比羅山の緑が、あらゆる暖色を帯びて燃えていた。
 緑は、三年あればまだ一つや二つは研究ができるはずだと、心をつくした愛情を注いで夫を労わった。努めて朗らかに働いた。隆は、流石に殉教者となった潜伏キリシタンの帳方の末裔の女だと感心し、寝た切りになるまで長崎医科大学において仕事ができると安心した。病勢は日を追い強まっていき、杖をついても歩行がままならず、妻に背負われて出勤する日も少なくなかった。緑は、浦上が空襲を受けるたびに、不治の病を患った夫の身を案じ、必ず大学病院まで駆けつけた。
 昭和二十年八月八日、隆は起床してからずっと考え事をしていた。うっかり靴と入れ替えに弁当を仕舞って出勤したので、昼飯を抜くはめになり、大学病院の防空当番であったために宿直室で夜を明かした。
 昭和二十年八月九日、空襲および警戒警報が解除されてしばらくたった午前十時半すぎに、緑は下駄箱の中に夫の弁当が忘れられているのに気づいた。従妹から北に三キロ程離れた水車小屋まで一緒に小麦を挽きにいこうと誘われたが、断った。昨日の午後はいつにもまして腹を空かせたに違いない隆のために、自分の昼飯も加えて二人前の分量の弁当を作り、昼休み時間までに必ず大学病院に持っていかねばならぬと、午前十一時二分、森山の屋敷の台所にいた。真夏の太陽が、浦上のあらゆる緑を力強く輝かせていた、その日その時に。

     *

 緑は、緑の霊魂は、気がつくと宙に浮いていた。
 焼けてちぎれた布切れや紙切れが、木枯らしに似た風に舞いながら牡丹雪のように落ちてくる。空は厚い原子雲に、あたりは土煙に覆われ、太陽の光が遮られて薄暗い。
 金比羅山は、緑の色を失っている。爆心地から五百メートル強の距離にある浦上天主堂は、二つの鐘楼を吹き飛ばされ、崩れている。見わたす限り、浦上の町は破壊されている。あらゆる夏の緑も消えている。代わりに、あちらこちらで赤い炎が盛り、眼下では森山の屋敷がごうごうと燃えている。裏の小さな森をなしていた木々は、枝葉もろとも幹をもがれ、火の手が上がっている。榎と楠の大木も、同じ高さで折れ、吹き飛ばされている。
 原子雲から幾筋もの光が射していた。カトリック信者の数多の霊魂が、天国へ召されていく。緑の叔母も、近くで昇天していた。
《おタケおばも、家の下敷きになったとばいね。ばってん、よかったね。天国にいけて。そがん手招きばするとは止めて。うちは、まだいかれんとよ》
 緑のもとにも光が降りてきた。早世した長女と三女とともに。
《ああ、イクコ、ササノ。ごめんね、ごめんね。お母さんは、まだこっちに残らんばとよ》
 可愛いらしい翼の生えている二人の娘を両手で優しく抱きしめた後に、緑は宙に浮いたまま、駆け出した。
《とにかく、あの人のもとにいかんば。大学病院にいかんば》
「お母さーん」、「お母ちゃーん」と緑の好物の郁李の実を手にしている長男が、緑手製の衣服を着せた人形を抱いている次女が、三山木場の借家の縁側から叫んでいるのがわかった。
《マコトも、カヤノも、無事でよかった。お母さんは、お父さんば助けにいくけんね》
 人家も、医科大学の校舎も、木造の建物はことごとく潰され、燃えている。横縞の煙突の一本が曲がっているものの、迷彩の施されている大学病院の鉄筋の建物はいずれも崩れていないようだった。
 緑は、一安心するも、燃え盛る炎に飲み込まれそうな無数の死体や負傷者が眼下に倒れていることに気づいた。裂かれた服を着ている者もいれば、裸の者もいる。髪が縮れている。顔が黒焦げになっている。眼球が飛び出ている。手足や胴体が赤く黒く膨れ、皮がずる剥けになっている。腹が裂かれ、腸が露出している。首がもがれた死体もある。血塗れの子どもの片方しかない手が引きつっている。
 助けて、水が欲しか、寒か……と微かな声が聞こえてくる。緑は、素通りするのに耐え難くなり、酸鼻の極みの原子野の地面に降りようとしたが、寸前のところで叶わない。負傷者にも触れられない。ごめんなさい、ごめんなさい……と謝ることしかできなかった。
 爆心地から六百メートル強の距離にある長崎医科大学付属病院は、鉄筋コンクリートの原型こそ留めてこそいたものの、爆風で窓ガラスがことごとく砕かれ、建物内部を掻きまわされていた。本館大玄関前広場に人体らしき物が立ち、座り、あるいは転がっている。緑は、目を背けて空を見上げた。なおも厚い原子雲で覆われている。
《よかった。生きとらした……》
 隆は、本館一階の大廊下にいた。二階のラジウム室で、教材として講義で使うレントゲン写真を整理していた最中に被爆し、造作なく窓ガラスを突き破った爆風に吹き上げられ、天井板、棚、机、椅子などの下敷きになり、一時的に生き埋めになったものの、なんとか自力で這い出て物理的療法科の教室員と合流していた。無数のガラス片切創が、白衣の右半分と右足のゲートルを血で染めている。
 久松婦長が隆の頭部に斜めに巻かれた真っ赤な三角巾を取り、台湾人で新米の施医師が傷口にヨーチンを塗って圧縮タンポンをつめた。二人がかりで新しい三角巾を固くしめなおすも、血は止まらない。白地に赤い同心円を描いていき、頬や顎から滴る。
《右のこめかみの大きく割れとらした……。ばってん、あなたは、この状況じゃ休んどりきらんよね》
 大廊下は、瓦礫と死体と負傷者で溢れている。外来診察時間中だったので、本館内に無数の人がいた。投げ出され、服を剥され、皮を裂かれ、肉を切られ、骨を絶たれ、血に塗れた上に土埃を被った負傷者が、至るところで呻いている。放心の態の看護婦が、泣きながら歩く。気の狂った医学生が、怒鳴りながら走る。他科の教授と助手が、揃って逃げていく。大学病院は、想像すらできなかった現実に対応しかねている。
 隆は、森山の家に急ぎ帰って緑の無事を確かめたいが、長崎医科大学の医療隊副官兼第十一救護班長に任ぜられているので、踏み止まって指揮を執らねばならなかった。炎が迫り、吹き抜けの窓から火の粉が入り込んでくる。動ける教室員は皆、隆の指示を待っていた。
《まずは、あなたが平常心ば取り戻さんと》
 隆は、妻の声を側で聞いたような気がし、勇気を得て開き直り、負傷者の応急手当を教室員とともにはじめた。緑は、出血多量でふらつく夫に付き添い、励ましの声をかけつづける。
《あなた、このまま大学病院の中におったら、危なかごたる。火の無かところに逃げんば》
 浦上の町は、大きな赤い森と化しつつあった。空を覆う原子雲も、燃えているかのように赤黒い。大学病院も、全館に火がまわりつつあり、多くの窓から煙や炎が噴き出ている。
 隆は、本館内にいる歩行困難な負傷者や入院患者をいったん大玄関前広場に集めた。大学病院から西に下った長与道付近で唸りを上げている火災旋風が、傾いてはあたりの空気中の酸素を奪い、火片を撒き散らす。東に聳える金比羅山は、幸い炎が立っていない。隆は、教室員に指示し、山腹の畑に負傷者等を担いで避難させることにした。
 隆は、瀕死の中年女を背負った。女の煤に塗れた髪に、椿油の匂いが微かに残っている。隆の胸が焦がれた。
「緑……」
《うちは、ここにおります……》
 夫の傍らで、緑は俯いた。
 負傷者等を集めている芋畑は、すっかり葉や茎を吹き飛ばされていた。視界に入ってくる山々も、その腹や麓にある畑も、緑の色を失っている。浦上の無数の小さな丘や谷に立つ木々は、ことごとく折れ、吹き飛ばされた枝葉や草もろとも燃えていた。
 森山の家がある丘の付近一帯も燃えていた。立派だった屋敷も、小さくもこんもりと美しかった森も、炎に飲み込まれて区別がつかない。
「緑も、たぶん駄目ばい……。今日に限っては、大学病院で見かけんやった」
《……》
 緑は、夫の丸まった背中を見つめながら沈黙せざるをえない。
 隆は、眩暈を覚えた。次なる負傷者等を、もう背負えそうにない。数度の応急手当の甲斐もなく、こめかみからの出血は止まらなかった。多量の放射線を浴びたため、宿酔に似た症状もある。
「なにもかも、終いばい……」
 大学病院も――これまでの研究の成果も、苦楽をともにしてきた器械等も――、炎に包まれてしまった。見わたせば、浦上の町は真っ赤だ。揺れていた視界が反転する。隆は、芋畑の隅で仰向けに倒れた。暗赤色の原子雲が目に映る。緑は、即座に寄り添ったが、夫に触れることを許されない。
《だれか、だれかきて!》
 近くにいた施医師が、隆の急変に気づいて駆け寄る。芋畑に登ってきた久松婦長も、担いでいる負傷者を寝かせた後に飛びつく。二人は、変色しきった三角巾を解くも、手の施しようがない。鮮血は、こめかみから溢れつづける。隆は、遠のいていく意識の中で妻を想っていた。緑の霊魂は側にきて久しいが、気づくことを許されない。
(御堂に告白にいって、赦しば頂いといたやろうか)
《頂きましたよ。今朝方、空襲警報の発令される前にいってきました。あなたは、今日の午後にいくはずだったとでしょう。だけん、まだ死んだらいかんとです》
 緑は、宙に浮き上がり、あたりを見まわした。二段上の芋畑で別の救護班を指揮している顔見知りの調外科教授を見つけ、飛んでいく。調教授は、血塗れで倒れている隆とその一同を目にし、駆けつける。緑は、傍らで祈った。側頭動脈を緊縛する手術が成功し、ようやく出血は止まった。
 別の負傷者の手当へと去っていく調教授に、緑は丁重にお礼の言葉を述べた。胸を撫で下ろし、頭部に包帯を幾重も巻かれて横になり昏睡している夫を見守りつづけた。

 明くる十日の早朝、原子雲は去っていた。真夏の青天が現れつつある。昏睡から目覚めた隆は、なんとか上体だけを起こし、金比羅山の腹から浦上の町を見下ろした。田畑や草木の緑も、家並も消えている。工場はひしゃげた鉄骨だけが残っていた。無数の小さな丘や谷は白い灰に覆われ、崩れた天主堂から昨夜半に上がった炎が紅一点をなしている。点在する鉄筋の建物が、段々の石垣が、かろうじて道が確認できた。森山の家は、中程で折れて焼けた二本の大木の幹しか残っていない。
(森山の家の緑も、すべて、燃えつきたごたる……。オイは、これから、どがんすればよかとやろうか)
 隆は、また意識を失った。崩れるように、上体は芋畑に臥した。
《……》
 緑は、深傷を負った夫のために、他の負傷者や死者のために、隆の側でただ祈りつづけることしかできなかった。
 昼下がりにいったん目覚めた隆は、米軍機が空から撒いたビラで、よもや完成に至っていまいと思っていた原子爆弾が浦上に投下されたことを知り、また昏睡に陥った。

 翌十一日、灼熱の太陽の下で、隆は教室員を指揮した。大学病院内に仮設された陸軍病院に負傷者等を運び、無数の死体を荼毘に付す。緑は、座っていてもふらつく夫に付き添い、皆に祈りを捧げつづけた。
 一段落ついた夕方に、隆は一面の焼け野原を森山の家へ向かってよぼよぼと歩いた。暗赤色の染みの目立つ包帯から覗いた顔は青白く、左手で杖代わりの木切れにすがっている。身につけている妻手製の防空服はいくつも裂け目があり、血や土で黒く汚れて刺さったままのガラス小片が橙の夕日を微かに反射していた。
 焼けた瓦や鉄屑や骨が目につく。焦げた南瓜が点在している。赤煉瓦の大聖堂も壁の一部だけを残して焼け、左塔の鐘楼が北の崖下に落ちて高尾川の流れを塞いでいた。隆は、灰の積もった石畳の小道を歩く。
《願わくは死せる信者の霊魂、神の御憐れみによりて安らかに憩わんことを》
 緑は、死者への祈りを唱えながら夫の後を追う。
 門の石柱は、二本とも吹き飛ばされている。こんもりした小さな森で二つの核をなし、枝葉が競い森山の屋敷の二階の屋根を覆っていた榎と楠の大木は、十メートル程の高さで揃って幹が折れ、焦げていた。均等な厚さの白い灰が、雪のように積もっている。壊れて焼けたタイル張りの風呂場と五右衛門釜、セメント製の流し。波佐見焼の夫婦茶碗の欠片が付着し合い、転がっている。崩れた竈の前に、釜がひっくり返っている。捻じれたフライパンとアルマイトの弁当箱の後ろに、積み重なるように黒い骨の塊があった。常に緑の身につけられていたロザリオの鎖が、すぐ側に転がっている。珠は、焼けて無くなっていた。
 緑は、初めて自分の骨を目にした。同時に緑の霊魂は黒い塊に吸い込まれた。
 隆は、がっくりと両膝をついた。木切れを放って骨を拾い上げる。緑は、夫の両手に抱かれた。隆は、その場に泣き伏した。さめざめと泣いた。
 焼けたバケツに骨を納め、左腕で抱く。妻のロザリオの鎖を首にかけた隆は、傷を負った右手で木切れをつき、墓地に向かってよろよろと歩き出した。
「緑……順番が逆やなかね。三年後に、オイが骨壷に入って、お前に抱かれるはずやったとに……」
《……》
 黒い骨の塊は、黙する。
 結婚して十一年の間、夫婦の諍いは滅多に起こらなかった。隆は、知人や同僚にしばしば妻自慢をしたものだった。
「お前は、家族と隣人のために働き抜いて、報われることもなく、原子爆弾の炎に燃えてしもうたね」
《うちは、当たり前のことばしよっただけです。好きな裁縫のできて、好きな医者の仕事や研究に打ち込むあなたと、子どもたちと、おばあちゃんと、カトリック信者の皆と、この美しかった浦上の町で暮らせれば、それだけで幸せやったとです》
 隆は、枯れたはずの涙を再び流し始めた。
《マコトとカヤノとおばあちゃんば残して死んでしもうて、ごめんね》
《もう服ば縫ってやれんで、ごめんね》
《もう身のまわりの世話ばしてやれんで、ごめんね》
《もう看病ばしてやれんで、ごめんね》
《もう弁当ば作ってやれんで、ごめんね》
 緑が謝るたびに、夫の腕の中で、焼け焦げた燐酸石灰は哀愁を帯びた音色を醸す。
 永井家の十字の墓石も、爆風で吹き飛ばされていた。隆は、その地面が窪んだ穴に妻の骨を納める。
「……緑、お前まで失ってしもうた。オイは、これから、どがんすればよかとね」
《私なりに考えてみたとですけど、あなたは、これからも医者として、医学博士として、なすべきことばすればよかて思います。原子爆弾で傷ば負うて苦しんどる人ば、一人でも多く救ってあげてください。症状と対処法ばまとめて、論文ば書いてください。この浦上の惨状も、記録に残してください。あなたなら、きっとできます。あなたでなければ、できんかもしれません》
 天から緑のもとに再び光が降りてきた。
《ああ……そろそろ、私はいかんばごたる》
 緑の霊魂は、骨の塊から抜け出た。洗礼名マリア、永井緑は、両手を胸の前で重ねて上方に視線を向け、桃色の雲に乗って赤と青と紫の混ざり合った天へ昇りはじめた。両脇には、今日もイクコとササノが迎えにきている――。

 隆は、明くる日から九月半ばまで三山木場の借家を拠点に、浦上から逃れてきた被爆負傷者の救護活動を教室員とともに行い、十月に「長崎の鐘」の原案にもなった「原子爆弾救護報告書」を長崎医科大学長に提出する。翌昭和二十一年一月に物理的療法科教授に昇進するも、やがて病床に親しむようになり、物を書くことによって二人の子と老義母を抱えた生活を再建しようと決意する。最愛の妻の命を無下に奪った原子爆弾の恐ろしさと平和の尊さを訴えつつ、カトリックおよび医学の見地も交えて「ロザリオの鎖」、「この子を残して」などの随筆集他を残し、浦上が再び緑燃ゆる町へと復興する様子を被爆後六年近くにわたって見守ることになる。(了)

 参考文献
『永井隆全集』 講談社
『長崎の鐘はほほえむ』 永井誠一著 女子パウロ
『娘よ、ここが長崎です』 筒井茅乃著 くもん出版
『永井隆の生涯』 片岡弥吉著 サンパウロ

緑燃ゆる

緑燃ゆる

後に浦上の聖者と呼ばれた永井隆博士と妻の緑の絆を、戦争や原爆に断ち切られていいはずがなかった。 (400字詰原稿用紙34枚) この作品は「エブリスタ」、「小説家になろう」にも投稿掲載しています。

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