Fate/Last sin -23

「……何だ、あのサーヴァントは」
 白い壁、白い床に囲まれた、とある一室で、白衣の女がモニターに映る映像を見ながら呟いた。いくつも並べられたモニターには、御伽野家が所有し、ランサーとバーサーカーが対峙している温室の映像が、絶え間なく流れている。温室の隣に位置する研究棟、その中でも最上階に近い〈管理室〉が、四季七種の構えた居城だった。
 四季の呟きは管理室でせわしなく動いている人波に消えたかと思ったが、一人の男性職員がそれを捕まえたようだった。
「何って、バーサーカーでしょう」
「違う。いや、そうなんだが」
 四季は手を止め、モニターを食い入るように見つめた。
「バーサーカー。真名は獅子心王、リチャード一世。第三回十字軍を率いた、中世で最も名高い騎士王……あれが?」
「何がそんなに気になるんです?」
 男は苛立ったように聞く。だが四季は口元に指を添えて、モニターから目を離さない。
「バーサーカーは何をしている? おかしいと思わないか。魔術師でもないのに、あれほど大量の兵士を召喚している。影のようなモノだとしても無理があると思わないか。しかも、蕾徒の魔術でほとんどが無力化されたのに、まるで気にしない。それどころか、またその無理を通そうとしている……」
「それは狂戦士だからでしょう。ただのサーヴァントですら、何を考えているか分からない兵器みたいなものなのに、狂化された英霊のことなんか考えたって無駄ですよ。そんなことよりも、四季主治医にはやるべきことがあるのでは?」
 男が軽く顎で示した先は、部屋の中央に据えられた一つの医療用ベッドだった。
 部屋の壁や床と同じくらい清潔そうな、白いシーツの敷かれたマットレスの上に、か細い肉体がひとつ、横たわっている。四季はやや顔を強張らせて、その名前を口にした。
「……蕾徒の容体は?」
「今は安定しています。温室の〈同位体〉との接続も問題ありません。昨夜の錯乱状態の際に破損した部位も、仮修復は終わっています」
「数値から目を離すな、異常上昇が見られたらすぐに蕾徒の魔術刻印と〈同位体〉の接続を切るんだ。〈同位体〉にはバーサーカーの召喚する兵士を喰う役目があるが、あまり度を超すと今度はこちらが危険だから」
 分かりました、と数人の部下が返事をして、それきり室内は機器類の動く無機質な騒音だけになった。四季はベッドの上に横たわっている蕾徒を見る。薄い入院着のような衣服の下の、胸や腹、腕、脚の先まで広がる浅葱色の刻印は痛々しいほど輝いていた。
 ―――頼むから、もってくれよ。
 その言葉は喉の奥に呑み込んで、四季は蕾徒に背を向け、再び温室を写すモニターへと目を戻した。


 *


 重い一撃が、容赦なく戦線を退けていく。
 ランサーはバーサーカーの猛攻を受け止め、体勢を整えるので精一杯だった。自分の戦闘能力に過信を抱いていたわけではない。だがそれ以上に、バーサーカーの勢いというものは異常だった。
「何故だ……! あれほどの兵を召喚しておきながら、何故いまだにその肉体を保っていられる!? 普通ならとっくに魔力が枯渇するはずだろう!」
 振り絞るように声を上げたランサーに、バーサーカーは薄笑いを浮かべて答えた。
「知りたいのなら考えろ、槍兵。それがお前の本領だろう!」
「……ッ」
 振り下ろされた長剣の刃が、僅かに揺らいだ槍の柄を押し切ってランサーの頭蓋に迫る。それが額を叩き割るより先に、ランサーは身をよじるように体勢を変え、バーサーカーの腹に右脚を蹴り入れた。躱す術もなく、バーサーカーの身体が後ろに飛ぶ。その唇の隙間から鮮血が漏れたのがはっきりと見えた。
 隙はある。
 ランサーはそれを逃さず、折れた槍を捨て、新しい槍を握る。そのまま、穂先を躊躇なくバーサーカーの首をめがけて投擲した。
 黒い血が噴きあがる。
 ゴトリ、と重い音を立てて首がずり落ちたが、それはバーサーカーのものではない。バーサーカーを庇うようにして槍の刃の前に立ちはだかった影の兵士が、首を無くした胴体と成り果てて、すぐに黒い霧となって消え去った。
「隙がある、と、刹那でも思ったのなら」
 バーサーカーがその後ろから、ゆっくりと立ち上がる。
「俺は貴様を心底見損ってしまうな」
 翳りきった色の目を、ランサーは睨み返した。
「つくづく狂戦士らしからぬ英霊だな。クラス名を変えてはどうだ?」
「面白い。その提案は悪くない」
 口の端をつりあげたバーサーカーとは対照的に、ランサーは顔を険しくする。今にも槍を振り上げんばかりの形相に、狂戦士は一層笑みをこぼした。
「悪くない提案の褒章に、一つ教えてやろう」
 そう言って、バーサーカーは目だけで周囲を指し示した。ランサーは警戒しながらも、その視線を追って広場の周りを見る。そこでは相変わらず、影の十字軍が召喚され続け、温室の怪物と一進一退の攻防を繰り広げていた。十字軍が温室に張り巡らされた植物の全てを防ぎ、犠牲になっているせいで、怪物の手がバーサーカーに届くことが無いのだ。
「何故あれほど魔力を浪費しながら、俺がここに立っていられるのか、と言ったな」
「……ああ」
「簡単な事だ。魔力が無制限にあるから、に決まっているだろう」
「……」
 ランサーは獅子心王の表情に目を戻して、彼の言葉の続きを待つ。その視線に応えるようにバーサーカーは口を開いた。
「貴様なら薄々でも勘づいているはずだ。貴様は俺よりも遥かに神秘の濃い時代を生きた英雄だろう? 俺のマスターから汲み出され、俺を通してこの空間を彷徨っている兵士達になり、最終的に貴様らの眷属が喰らっている魔力の源が何なのか」
 それを聞いた瞬間、ランサーは目を見開いた。
「まさか」
「それ以上の事は知らん。どうでもいい。
 ―――ただ俺は、俺のマスターを殺せればそれでいいからな」

 ランサーは自分の耳を疑った。
「……今、何と?」
「マスターを、あの女を殺すと言ったのだ、槍兵」
 バーサーカーの声には徐々に不機嫌さが滲みはじめる。だがランサーは彼の機嫌など気にも留めず、畳みかけるように問いかけた。
「理解できん。なぜ自分の主を殺す必要がある。ならば今すぐ、ここを離れてマスターの首を斬り落としてくるべきではないのか」
「理解など求めていない。俺はただ、俺が満足するやり方で報復するだけだ」
 バーサーカーは昏い目でランサーを見た。ランサーはただ困惑半分、疑惑半分という顔でその視線を受ける。
「お前のマスターが特殊な体質であることは分かった。だがそれなら、いやそれこそ、『魔力を絞りつくす』などという方法より、すぐさまお前の剣でマスターを始末する方がよほど確実で簡単だ。どんな軍師でも、お前の計略には賛同しないだろう。俺もその一人だと名乗っておくがね」
「誰の賛同も要らん。俺は彼奴を『このように』殺さねば気が済まない。俺は俺自身の望みの為にマスターを殺す。裏切りでは駄目だ。叛逆では済まされない。マスターの自業自得で、自らの才と行いによって空閑灯は死ぬ!」
 王は吼えた。
 槍兵はもはや困惑すらなく、ただ呆れたように問う。
「……その為だけに、これを仕掛けたと?」
「そうだが、文句があるか?」
「―――愚策だ。無駄足にも程があるぞ」
 ランサーがそう言い放った瞬間、バーサーカーがそれまでの緩やかな不機嫌さの滲んだ表情を一変させ、怒号を上げた。
「王でない貴様に、何が分かる!」
 その声を皮切りに、周囲の空気ががらりと変わった。夥しい量の魔力がバーサーカーの肉体から溢れ出て、二人が対峙する広場を、温室を、木々の間を埋め尽くす。並の人間なら、それだけで逃げ出してしまう程の威圧だった。
 だがランサーは、その怒号に少しも表情を変えず、その場に踏みとどまっている。むしろ反駁さえしてみせた。
「お前こそ、随分と俺のことを知ったような口をきく。―――王でない、と言ったな」
 ざわり、と、今度はランサーによって空気が震えた。
「確かに俺は、王になったことはない。だが偉大なる友から、王である故に分かることを教えられた。そして俺も、王でないが故に分かることを教えたのだ。俺を王の器にあらずと糾弾することは、偉大なる友との月日を糾弾することに他ならない」
 静かな口調だったが、その下には明らかに激怒の情が隠れていた。
 一歩、バーサーカーに詰め寄って、ランサーが言い放った。
「もう一度問う。お前は、俺を王でない、と言うのだな」
 問われたバーサーカーは感情を隠しもせず、黒い長剣を握り、背後に五人の兵を従えて答えた。
「何度も、何度も、俺に無駄な口を叩かせる気か?」
 それはまさに獅子の形相であった。
「偉大なる友が何だと言う? 何を語ろうとお前は王ではない。王ではないモノに語り聞かせる己など無い。先に言ったはずだ、俺は理解など求めない。それが俺の狂気であるが故に!」
 二騎が跳躍したのは殆ど同時だった。一方は剣を、一方は槍を振りかぶり、中空で激しくぶつかり合う。温室の中の生温い空気が一瞬で冴えわたるように震え、ガラスの壁が音を立てて震動する。その波動の中心で、ランサーは黒い刃を防ぎながら叫んだ。
「俺の事はいくらでも蔑めばいい。だがオクタウィアヌス(偉大なる友)を侮辱した者が俺の前に再び立てると思わないことだ!」
「どうとでも言え! 俺は必ずマスターを殺す。あの女が自分自身の才によって潰れていく様を見ないうちは、この霊基を捨てるつもりなど毛頭ないわ!」
 バーサーカーの力が一瞬ランサーを上回った。その瞬間、ランサーの槍が弾き返される。彼の銅色の鎧の脚が広場のタイルを薄氷のように砕きながら着地し、体勢を立て直して再度バーサーカーを見据えた時には、もう遅かった。
「だが、お前たちは、俺の報復のための足場となって消えるがいい」
 何百、何千、温室にいる全ての十字軍騎士たちが、一斉にランサーを見た。その姿は影のように黒く、一人一人の顔立ちなど分かったものではないのに、ランサーは確かに自分に突き刺さる何千の視線を感じた。そしてそれに乗せられた敵意と、余すことのない憎悪を捉え、次の瞬間、バーサーカーが吼えた。
「―――俺は名乗る! これが、俺の姿であるが故に、
 『獅子心王(リチャード・オブ・レオンハート)』―――!」


 *


 頭の血管がぶつりと音を立てて切れるような感覚がして、灯は思わず身を屈めた。
「つ……ッ」
 切れた血管から血が溢れ出て頭蓋の中を満たしていくような感覚に、流石の灯もしゃがみ込み、両手で頭を抱える。嫌な予感があった。ランサーに腹を刺された時の方が余程ましだ。あまりの痛みに、吐き気すら催すようだった。
 灯は冷たい土の地面に倒れ込んで喘ぐように痛みをこらえながら、ふと、断崖の下に広がる植物園へと目を向ける。
 その煌々と輝く不夜の工房を見た瞬間、更に嫌な予感が畳みかけてきた。
 まさか。
 バーサーカーは、とっくに気づいていたというのか。
 その考えが頭をよぎった瞬間、喉の奥から何かがせりあがってくる感覚と共に、口の端から何かが流れ出る。冷たい土を濡らして黒く染めるそれは、血液に違いなかった。
「あ、あ、あ……!」
 初めて、焦りという感情を覚える。あるいは不安と言うかもしれない。灯は小刻みに震える指先で地面をかきむしって、こぼれた血液を土と混ぜて見なかったことにする。
 だが、そうしたところで、体の内側からバーサーカーが容赦なく小源(オド)を剥ぎ取っていく感覚は消えなかった。
「嘘だ。嘘だ。嘘だ!」
 それは()に刻まれた呪いだった。
 それは()に刻まれた才能だった。
 誰にも知られていないはずだった。父と母と親族の一部しか知らないはずだった。それらは既に自分の手で消したはずだった。なのに、なぜ、なぜ、なぜ!
「―――――」
 血と土に塗れた両方の指先に、青白い燐光を放つ魔術刻印が浮かび上がっている。心臓のように脈打つそれを目にしたのを最後に、灯の意識は暗闇へと放り込まれた。


  *


『きらきら光る 小さなお星さま
 あなたはいったい何者なの?
 世界の上でそんなに高く
 まるで空のダイアモンドのように
 きらきら光る 小さなお星様』

『あなたはいったい何者なの?』


  *


 私が他の誰とも違う人間だと気づいたのは、それほど昔の事ではない。
 違う人間、というのは、魔術師だからではない。魔術師の中にあって、それでも私は異端だった。
 魔術師は誰でも、マナとオドを魔力源として活動する。マナは自然界に存在する魔力、オドは体内に存在する魔力である。私もそれなりのオドを保有する人間だったが、誰よりも早く異変に気付いたのは父だった、そういう記憶がぼんやりとある。
 真エーテル。
 父と母はそう言った。私が体内に持っているのは、神代の地球にマナとして存在していた太古の魔力、真エーテルだと言うのだった。それは現代の全ての生物にとって毒であるはずで、そんなものを身に有しているのは非常識極まりなく、私は心底胡散臭いと思ったのだ。もちろん父と母もそう思ったはずである。だがどうやら、本当に信じがたいことに――それは真実であるらしかった。
 空閑には千年の歴史だけ、と評されてはや三百年、連綿と積み上げてきた魔術刻印は、ついぞ私の肉体に癒着することなく、ほとんどが剥がれ落ちて、そのまま消滅した。残ったのはせいぜい一割だ。回路も随分焼き切れた。
 けれど長い時間を経て、ようやく私は自分の真エーテルを制御する術を身に着けた。置換魔術に似た技術で体内の真エーテルを限りなく希薄させ、回路を通して目的の魔術を使役する。要するに、胃の中にある数滴の劇薬を薄めるために大量の水を飲み続けるのと同じことだ。
 払う代償は大きかったが、たった数グラムの金塊が何キロメートルにも及ぶ金箔に加工できるように、私の保有する魔力は絶大な量を誇った。
 私が他の誰とも違う魔術師だと気づいたのは、そのころ、十三歳を迎えた頃だった。


 *

 灯はうっすらと目を開いた。

 迂闊だったのだ。
 置換魔術を常時使っているとはいえ、それを上回る量の魔力が回路を通れば、その部分は焼け落ちる。そのため、一度に大量の魔力を使うことはできない。それも、特に瞬間的な増大に弱い。なんの準備もなしにバーサーカーの宝具を全力で使うだけの魔力を供給するのは危険だ。しかも、今は二騎同時に契約しているせいで、余計に魔力の消費が激しい。置換が間に合っていないのだ。体内に流れるエーテルの濃度が濃くなり、身体を内側から食い破っている。
 自分の弱点は見えにくいと自負していたが、一度知られれば確実に致命傷へと繋がる。そのことをもっと自覚するべきだった。
「一度反省したからには、もう次は失敗しない」
 灯は口元や鼻のまわりに付いた、大量の乾いた血を手の甲でこすって、氷のように冷たい地面から身を起こした。木々の隙間から見える空には星ひとつ見えないが、それほど時間は経っていないように感じる。頭痛は相変わらず悪夢のようだし、体の内側のあちこちが断末魔をあげそうなほど痛む。それでも灯は立ち上がって、光のない目で御伽野植物園を見下ろした。
「……あまりにも傲慢だったと認めるよ。気づかせてくれてありがとう、バーサーカー」
 灯はそう呟くと、踵を返して森の中へと入った。その足音は、植物園へ向かう下り坂の方へと消えていく。

 その背後を、白銀の針金細工のような奇妙な蛇がついて行くように滑っていった。

Fate/Last sin -23

Fate/Last sin -23

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-03-17

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