グリーンボーイズ
青春とかいうやつ
走る
走る
走る
全速力で走る。
気を抜いたら足がもつれそうなほど速く
空気すら重い抵抗を感じるほど急いで
「廊下を走るな!」
なんて生活指導の先生の声も、今はしないから。
誰もいない校舎。
走る、
走る、
走る。
バン!!
立入禁止のはずの屋上の扉が意外にも簡単に勢いよく開く。
「正門からここまで1分半…さすが野球部一の俊足」
校庭を見渡せるフェンスのそばで、一也は時計を見ながら相変わらず飄々と言う。
4階建ての屋上まで全力疾走した俺は、まだ喋れるような状況じゃない。
「加えてあそこからここに立つ俺が見える視力のよさと、ここに着くまで走り続けるという持久力。反射神経もあるかな」
膝に手をつき肩で息をする俺に
「で、そんな急いでどうしたの?」
まるで答え合わせをする先生のように余裕の声で、一也は聞いてきた。
「…はぁ…はぁっ、…お前がっ…」
屋上は静かで、俺の声しかしない。
一也も俺の答えを待つように静かだ。
「…っ、なんか、遠くに…行っちゃいそうだったから」
顔を見上げると、一也は少し驚いたように目を見開き、それでも
「…なにそれ」
バカにしたように笑った。
「当たり前でしょ、卒業すんだから」
俺の胸元にも、また一也の胸元にも卒業生を示す造花。加えて手には申し訳程度の花束。
ただし、俺が持つ花束はさっきの全力疾走により折れて萎びてしまった。
「同じ進路ってわけでもないし。何言ってんの?」
くくっ、と笑う。
その笑顔すら、なんかもう、遠いから
整ってくる息。
俺は一度、大きく深呼吸して
「…じゃあ、俺も質問する」
姿勢を正し
「なんで…こんなとこいんの」
一也を真っすぐ見た。
目が合う。見つめ合う。
その、一也の表情が
真顔のような
泣いてるような
笑ってるような
妙に、やさしい、
捕え所のない、表情で
「…答える必要は?」
突然、一也は言う。
「…え、は、いや…」
「ははっ、冗談だよ」
バカだなー相変わらず、と笑われた。
いつもこんなんだ。
「立入禁止の屋上に、卒業式の日だけ入れるって噂は本当なのか確かめに来たんだよ」
一也はフェンスに寄り掛かる。
そういえばそんな噂もあったなと思い出し
「てことは、ホントだったんだ」
開けてきた扉を振り返った。一也は
「みたいだね」
ふ、と笑う。
本当にその理由でここに来たのだろうか。
一也はいつも飄々としていて本心が見えにくい。
俺はバカだからいつもそれに翻弄されて、バカにされて、でも
一緒にいて楽しいし、たまに優しいし、大事な友達。大好きな友達。
だから、
正門から校舎を振り返って、屋上に一也を見つけた時
一也がそこで、こっちを見て悲しそうに笑ってた時
タダゴトじゃないと、思って
「…なに?」
余裕の笑みで聞いてくる一也。思わず見つめていたらしい。
俺は
「……、俺、は」
相談とか、してくれたことはない。
いつも俺ばっかダダ漏れで、相談だって俺ばっかで。
だから、
「なんかあった?」とか
「どうした?」とか
カッコつけて聞いたところで
優しさ見せようとしたところで
どうせ丸め込まれる。
躱される。
すぐ、手に届かないところに隠されて
「何にもないけど」、なんて笑われる。
いつもいつも、一枚上手で
俺に頼ってくれないなんて、もう知ってるから。
だから
「…俺は、一也と離れたくないよ」
ただ、まっすぐ、嘘のない言葉を、
なるべくシンプルに、思ったままを、
一也にぶつけるだけ。
それが一番、一也自身に届くんだって、実は最近知ったんだけど。
それまでは結構、追いつこうとばっかりしてたし。無理だったけど。
だから、こうやってまっすぐ言った時が一番
「……」
反応がいい。
饒舌な一也が黙る。驚いた顔をする。
目が、泳ぐ。
「……あんた、なに言ってんの?」
目を逸らして、一也はうろたえる。表情から余裕が無くなった。
俺は一歩ずつ一也に近づいていく。
「無理に決まってんじゃん、大学も決まってさ。俺ら今日卒業したんだよ?なに離れたくないって。無理じゃんそんなの。バカじゃないの?」
声を張って矢継ぎ早に、それでも視線は俯いたまま言う一也。
あぁ、もう俺でも分かる
泣き虫の強がり
気配薄く ふ、と近づくと、一也の許可も待たずに抱きしめた。
「………なにしてんの」
肩に埋もれる声。
驚いたような呆れたようなその声に、俺は
「泣くかなーと思って」
「は、泣かねーし」
吹き出して笑う一也の声。
でも少しだけ、震えてる声。
なのに、俺は
一也をきつく抱きしめることしか出来なかった。
言葉にならないいとおしさを
伝えたくて、でも。
気のない告白
「はっぴーばれんたいーんっ!!!!」
どっから出てんだってくらいデカい声が、教室中に響いた。
見ないでも分かる。むしろ見たくない。
どうせアイツだし、ビビるくらいのデカいその声が向けられてる先はどうせ俺だ。
シカトしたって、やってくる。
「いーちーなーりーくんっ。いっちー!ちょ、かずや?!かずなり!いちやってば!!」
とりあえず教室から避難。それでもどうせついて来る。
なによりこれ、この名前呼び。
どれが俺の名前か分からないでしょ。
…ホントはどう読むか知らないんじゃないの?
「なぁーんで無視すんのさっ!ちょっと?!」
ぐいっと引っ張られる腕。
立ち止まったそこは、渡り廊下。
「……なに」
「なにじゃないよ!さっきからシカトしてくれちゃってさ!」
ぷんすかと怒る、その様子にも真剣さは見られない。
どんなに酷い扱いをしても、俺に対してこいつは本気でキレたことがない。
「…怒ってんの?」
むしろこうして、俺のため息にビビる。様子を窺う。
犬みてぇ
「…怒ってない。用件は?」
呆れてまたため息が出たけど気にしないで聞くと、犬はそれでもぱあっと表情を明るくして
「はいこれ!ハッピーバレンタイン!」
可愛らしい包みの小さな箱を両手で差し出してきた。
「……は?」
「いや“は?”じゃなくて。チョコだよチョコ。今日バレンタインだよ?」
もしかして気付いてなかった?と得意顔。
いや気付いてたっつーか知ってるっつーの。ムカつく顔だな
そうじゃなくて
「…何で?」
「へ?なにが?」
けれど伝わらなかった。
いやなにがじゃねーよ
「バレンタインなんでしょ?」
「そうだよ?だからはい」
「いやだから…おかしいと思わないの?」
「なにが?」
「普通はさ、あげないでしょ。男の子なんだから」
「ん?でも“大切な人にありがとうを伝えよう”って、いろんなとこに書いてあったよ?」
「いや、だからそれはさ……」
説明しようとして、固まる。
あれ?こいつ帰国子女とかじゃないよね?
じゃあ何でこんなこと説明しなきゃいけないんだよ
分かるでしょ、フツーに考えて
「…何なの、ふざけてんの?」
結構いらつきながら聞いたら、それでも大まじめなこいつは慌てて首を振って
「ふざけてないよ!だってほら、最近“友チョコ”とか“逆チョコ”とかあるじゃん!CMでもさ、“バレンタインにありがとうを伝えよう”とか言ってるし」
…まぁね、言ってるよ確かに
でもそれってやっぱり女の子があげる前提なんじゃないの?
だから“逆”なんだろうし
……何なのバカなの?
「だからさ、はい。いつもありがとう」
俺の悪態とか苛つきとか全部無視して、こいつは満面の笑顔でチョコを渡してくる。
……あ、そうか分かった。
この人、みんなにこうやって渡してんだな。
みんなに「ありがとう」って。
みんな大切な人だっつって。
そういうことね。
そういうことなら遠慮なくもらおうじゃないの。
「…はぁ、どーも。仕方ないからもらってやりますよ」
「へへー。ここのチョコね、めっちゃおいしいから!」
「へぇ、まぁ確かに高そうだけど。あんたこれ何人に配ってんの?」
「え?一也だけだよ?」
何てことなく聞いたら、何てことなく答えられた。
……は、いやいやいや……
「………は?」
「一也だけ。なんで?」
「なんでってあんた…」
何言ってんのこの人
え、本気でこの人何言ってんの?
「……大切な人にありがとうを伝えるんでしょ?」
「うん。だから一也だけ」
「……」
いつもの笑顔で、特段、ふざけた様子もなく。
「“大切な人”って、そんな何人もいないっしょ」
なに言ってんだよー、と、まるで俺の方が間違ってるみたいに。
え、なに、俺変なこと言ってる?
俺の常識ではこれは、
これ、は、
「……どうしたらいいわけ?」
「え?食べればいーんだよ」
他にどーすんの、なんて笑われた。
…そうじゃねーよバカ
バカ、バカ
…けど
こんなバカに振り回されて
一喜一憂しちゃってる俺が
(くっそ…ムカつく)
一番バカだ。
単純と書いてバカと読むあんたへ
例えば俺が「ありがとう」って言ったら、
あんたは嬉しそうに笑って「どーいたしまして」って言うんだろうけど。
じゃあ、
例えば俺が「好きだよ」って言ったら、
あんたはどんな反応するんだろうな
「ちょっと」
廊下側、一番後ろの席。
名前を呼ばない。でも振り向いた。
「おぉ、一也!」
明るい表情。俺には出来ない顔。
「どしたの?」
「これ」
席に寄り、手渡す袋。
中身は1ヶ月近く前に借りた、ゲームのソフト。
「…おー!あ、どーだった?良かったっしょ?」
「ベタすぎ。展開読めすぎて3、4回クリアした」
「マジ?!さっすがぁ」
楽しそうに笑い、でもそれから不思議そうな顔をして
「あれ?にしては遅かったね。2週間ぐらいで返されるかと思った」
…げ。
「…別に。返すの忘れてただけだよ」
じゃ、と軽く手を挙げて、俺は教室を後にする。
廊下を歩いて、すぐに騒がしい音。
イスが倒れる音
ドアにぶつかる音
ものすごい速さの足音
それから、衝撃。
「バカ一也!なにお前そのツンデレ!」
「いってぇなバカ…」
後ろから勢いよく突進され、肩を組まれて頭に手をのせられる。
「ありがとなー!すっかり忘れてた!」
「別に。もらったから返しただけだし」
全力で喜ぶこいつがあまりに予想通りで、つい恥ずかしさに顔を逸らす。
しかし髪をぐしゃぐしゃされて
「素直じゃないなぁ~。俺マジお前のそーゆーとこ好き!」
……ホントこいつ、
ムカつく。
「…はいはい」
「ね、開けていっ?なに入ってんの?」
「開けんなバカ」
「えー?!いーじゃんいーじゃん!」
不器用なラブレター
もう、寝るだけ。
布団に入って、目覚ましセットして。
あとはもう寝るだけ、って、時。
たまに襲う、この感じ。
「……っ、」
ひたすらの寂しさ。
心臓がざわついて
空っぽの中を冷たい風が通る
呼吸をすると空気ががさついて
肺を傷つけるみたいに痛い
思い出すのは嫌なことばっかで
浮かぶのは嫌な考えばっかで
涙が、止まらない
寂しい
寂しいよ
なんでいねーの
いつもいるくせに
呼んでもないのに来るくせに
こんな時なんでいねーの
好き、とか
意味も分かってないみたいに安売りして
それで俺がどんだけ傷ついてるか知ってんの?
バカすぎる
マジでウザい
人の気も知らないで
俺がどんだけ好きか知らないで…!
マナーモード、震えるケータイ。
流れる涙も拭わないまま、本当に鬱陶しく思いながら開く。
新着メール1件。
差出人、
「……!」
涙が引っ込む。心臓が逸る。
震える指でメールを開いた。
内容は
“テスト範囲聞きたいんだけど!今電話していい?!”
現在0時過ぎ。
まぁ、あいつらしい。
思わず笑った。家族に聞こえたら不審すぎるから必死でこらえる。
こらえなきゃいけないくらい、笑いが止まらない。
(…はー…俺、なんで泣いてたんだろ)
我ながら単純。我ながら勝手。
さっきまでウザくて泣いてたのに、なぜかそのウザい相手によって笑わされる。
ひとりに、不幸にも、幸福にもされる。
それが好きってことなんだろうか
それが恋ってやつなんだろうか
だとしたらなんてめんどくさい
なんて厄介な
返信。
すぐに着信。
笑えた。
「…はい?」
『あ、もしもし?いや俺もそうだと思ったんだけどさ』
「じゃあ電話してくんなよ…」
『え?俺あのメールはOKサインとして受け取ったけど』
「……」
あんな文面でも、伝わったら、それは
『一也が断らないってことはそういうことでしょ』
からからと笑って、
いつもみたいに笑って、
やっぱり、あんたを好きになる。
「…まぁいいけど。何の範囲?」
『英語!ワークの範囲さぁ、なんかバラけてたじゃん』
「テスト範囲表に載ってんだろ」
『あれなくした』
「………はぁー…」
『うっわあからさま!ちょっと!ため息はもっと遠慮気味に!』
あんただけに、
届いた。
件名 Re:
本文 非常識。
正反対の嘘
「ねぇ」
「ん?」
「…あのさ」
「うん」
「……」
「なに?」
「……なんでもない」
「ぇえっ?!」
今日だから言えると思ったけど
案外無理。というか、絶対無理。
嘘でも言えない。嘘なんかじゃ言えない。
つーかそれって
(俺どんだけ本気なんだよ…)
なんかムカつく。
「ね、一也」
「なに」
呼ばれて、けどムカついてるからけだるげに向く。
すると
「俺ね、一也のことすっごい嫌い!」
口を尖らせて、まるでふてくされたみたいな顔をして、怒ったような口調で。
嘘。
分かりやすい嘘。
けど、結構、響いた。
あんたからの「嫌い」って言葉。
「…へぇ?じゃ、俺帰るわ」
開いてただけのマンガを閉じて、立ち上がり遊びに来ていたその部屋から出ようとする。
するとすぐに
「うわ嘘嘘嘘!!違うって今日エイプリルフールです!ごめんて帰んないで!」
手に縋られて
「俺一也のこと大好きだし!」
なんかほざかれた。
「……いやそれはそれでキモい」
「えっひどっ!」
麦わら帽子の似合う君
蝉の声と、強すぎる日差しに紛れて降った
「なにしてんの?」
その声に
「……」
顔を上げて見えたのは、光を透かす大きな麦わら帽子だった。
自室の荷ほどきもほとんど終わり、手伝おうかと声をかけると
「そこら辺歩いてきたら?」
と母に言われて。
大方予想はしていたけれど、案の定というか、想像以上に
「……なにも……ない……」
立ち尽くした。
8月の太陽は容赦なく、切ったばかりの襟足に照りつける。とりあえず何か飲もう、とようやく見つけた自動販売機。すぐ横には小屋のような、取って付けたような壁と屋根とベンチ。バス停だった。
ちょうどいい、ここで少し休もう。イベントもそろそろ始まる。
ケータイを取り出し、スポーツドリンク系を目で探しながらいつもの要領で翳そうとして
「……うわ…」
電子マネーなど使えないことにようやく気が付いた。となると、財布が必要だ。当然、持ってきてない。
(…マジか……その発想はなかった…)
大きく肩を落とし、ひとまず日陰を求めてバス停のベンチに座る。まぁいい。とりあえずイベントだ。それやったら帰ろう。
そう思って画面を見ると
「…………」
圏外だった。
もはや言葉も出ない。出るのは大きなため息だけだ。
しばらく何も考えられず画面を見つめる。
そこに、声を掛けられた。
まず目に入ったのは、大きな麦わら帽子。逆光で顔は見えない。
白いTシャツに膝下のハーフパンツとサンダル、脇には自転車、そのカゴには大きなスイカ。
夏を体現したような男が、こちらを覗き込んでいた。
「大丈夫?なんか顔白いけど…あ、お茶!お茶飲む?」
右肩に提げていた大きなクーラーバッグ。こちらの返事も聞かずに、そいつはその中から慣れた様子で大きな水筒と小さなプラスチックコップを出した。
用意周到…いや、当たり前だが、自分のために用意をしたものではない。
「や、大丈夫…」
「いやいや、マジで顔色悪いし飲んで。あ、中身はただの麦茶だから」
俺もついでに飲もー、と、1つを自分に無理やり押し付けると、もう1つコップを出してお茶を注ぎ、一気に飲み干した。
清々しいまでの、夏感。
目の前で同じ水筒から出したお茶を飲み干すことで、安心してほしい、という意味なのだろう。そこを疑っているわけじゃないけど…と男の顔をちらりと見ると
「あぁ~うまっ!今日もあっついね!」
こちらの様子など特に気にしていないように、弾けんばかりの笑顔を向けてきた。
逆光に目が慣れて、ようやく顔が見える。
(…お、…?)
ふ、と
涼しい風が吹いたような
錯覚を覚えた。
「あー、電波ね。入らないんだよねこの辺」
困るよなー、と笑いながら、2つの空のコップを元の保冷バッグにしまう。一口飲んだだけで、確かに生き返るような感覚がした。夏の冷えた麦茶、最強。
「あ!じゃあちょっと一緒に行かない?あそこ確か電波入るってコータローが言ってて」
大きな麦わら帽子のつばをくいっと上げて目を合わせてくる。涼しげな目元、よく焼けた肌。
あ、また
風が吹いたような感覚。
気付くと、そこがどこかも分からないのに
「じゃあ行こっか。こっからすぐだからさ」
頷いていたらしい。
なぜか、一緒に行くことになった。
「そういえば、観光?帰省?この辺にいるなんて珍しいね」
なんもないでしょ、と、自転車を押しながらそいつは横で笑う。それは、自分の地元を卑下しているようで、でも愛に溢れた言い方だった。だから好感がもてたし、嘘を言う気にはならなかった。
「いや、引っ越し…。通り沿いの、古民家改装したとこの近く」
「……ああ!え?!じゃあ、あのオシャレなお菓子?!」
「?オシャレなお菓子…?」
何の話だ、と首を傾げる。そいつは勢い込んで早口に
「いやきのうさ、うちにやたらオシャレな見慣れないお菓子が置いてあって。何これって聞いたら引っ越しの挨拶ってさ。この辺に引っ越しなんて珍しいなーって思ってたから。しかもお菓子めっちゃおいしかった!ありがとう!」
最後は唐突にお礼を言われ、驚きながらも納得する。確かに母が買っていたのを見た。
「あぁいや…買ったのも選んだのも俺じゃないし」
「じゃあ伝えといて。おいしかったですって」
礼への返しとしては微妙な返事をした自覚はあったが、それでもそいつは怯まずに返すし笑う。
さっきから、会話が滞らない。初対面なのに弾んでいるような気さえする。
(圧倒的な陽の力……)
なのに、嫌じゃない。苦しくない。
自分はひどく人見知りで、誰かと会話するよりもゲームが好きで。できるなら1日の大半を画面上で過ごしていたい人間だ。
そんな自分が、“楽しい”、とすら、思っている。
(……すごい…)
真夏の息苦しさも、いつの間にかどこかへ消えていた。
どれくらい歩いただろうか。それでも話していたらあっという間だった。
道の延長線上に古めの石橋のようなものが見えて、それを渡ると
「…ぅわ……」
体感できるほど温度が一気に下がる。日陰と、橋の下にある沢の所為だった。
そしてその沢から
「そーまぁあー!おっそぉぉい!!」
甲高い大声。驚いてそちらを見ると
「あ、そーまだ!」
「そーまー!」
「おーいっ!!」
小学生ほどの子どもたちが5、6人、沢の中からこちらを見て大きく手を振っていた。
「わりー!お待たせ!スイカあるぞ!」
「やったぁー!!」
「スイカ割りしよー!」
そいつは自転車を石橋の端に停めると、かごの中からスイカを持とうとする。それに気付いて
「あ、俺持つよ」
「え?」
「そのバッグ重そうだし、俺何も持ってないから」
肩から提げたクーラーバッグに、大きい水筒やら何やらが入っているのを知っている。この沢を降りていくのであれば、荷物は軽い方がいいだろう。
丸ごとの立派なスイカを両手で抱える。予想以上の重さに少しよろめくが、持てないこともない。
「…おぉ、いいの?」
「まぁ、これぐらいは」
思いの外驚いた顔をしたそいつは、それでもすぐに破顔して
「さんきゅ。じゃあ先降りるから、気を付けてついてきて」
足場悪いから、と下を指す。舗装されていないそこは、石や岩が積み重なっているだけの下り斜面。そいつは慣れた様子で、だがこちらを気遣いながらゆっくりと降りていく。
その間にも、先ほどの小学生たちはキャッキャとはしゃぎながら水から上がり、こちらへ向かってきていた。
「スイカスイカ!」
「待て待て!まずはお茶飲んでから!ほら、コップ配って」
一際声の大きい坊主頭の男の子に、そいつはたくさん重なったプラスチックのコップを渡す。男の子は受け取ると、手慣れた様子で寄ってきた他の子たちにそれを配っていった。
よく見ると、男の子も女の子もいる。年齢もバラバラに見えた。水着の子もそうでない子もいるが、みんなよく日に焼けて楽しそうに笑っている。
「はい、おにーさんも」
坊主頭の男の子がいつの間にか近くに来ていた。怯むことなく自分にコップを渡している。慌てて
「あ、ありがとう」
「そーま、スイカ冷やす?」
受け取ると同時に、自分の持つスイカに興味が注がれたその子は、“そーま”と呼ばれるそいつに聞いた。そいつは子どもたちにお茶を注ぎながら
「あーそうだな、ちょっと冷やした方がうまいかも。ケータ連れてってやって」
「オッケー。こっち来て」
ちょいちょい、と手招きして、沢の下流まで案内される。そこは石橋の近くよりもさらに木々が覆い被さって、真夏なのにひんやりとさえしていた。
ケータと呼ばれた男の子は躊躇わずに水の中に入ると、慣れた様子で大きめの石を拾って組み上げる。
「…?何してんの?」
「スイカ置き場。そのまま置くと流されちゃうから。……できた。ここ置いて」
指した先は、確かに“スイカ置き場”。スイカを置くと、上から流れてきた水を受けはするが、積まれた石に阻まれてスイカは留まり、水だけが流れていく。
「すごい……」
「こんなんフツーだよ。昔からやってるし」
少し得意気ではあるが、本当に普通のことなのだとケータは肩を竦める。そして
「コータロー!スイカ見張っといて!」
突然の大きな声。思わずびくつく。ケータの視線の先を見ると、先ほどの子どもたちよりは少し大きい、中学生くらいの男の子が、大きな岩に腰かけていた。手にはポータブルゲーム機。最新機種だ。
その子は顔を上げると
「…やりながらでよければ」
それまでに出会った子どもたちとは一線を画すテンションの低さで応えた。ケータは特に意に介さず、てってけとその子に寄っていく。
「クリアできた?」
「まだ。マジむずいコイツ…今日も無理かも」
コータローと呼ばれたその子も、ケータが画面を覗き込んできても特に気にしていない様子。何をやっているのか気になって覗くと
「……あぁ、コイツか」
すぐに分かった。同じゲームを、つい最近クリアしたばかりだった。
ケータが振り向く。
「知ってんの?」
「うん、同じの持ってて。コイツは確かになかなか強かった」
「クリアした?」
「したよ。30分くらいかかったけど」
その言葉に、コータローはぎょっとした顔をする。
「30分……これを?」
「うん」
「……おれ今日でコイツ3日目なんだけど…」
画面を一時停止して唖然とした顔を向けてくる。思わず笑ってしまった。
「強いよね、ネットでも話題になってた。弱点は分かってる?」
「ここでしょ?頭の後ろ」
「そう。まず殻破って…」
ふと、自分が連れてきた客人がいないことを思い出す。見回すと、恵太と宏太郎と一緒にいるのを見つけた。宏太郎のゲーム機を共に覗き込んでいるのが遠くからでも分かる。
時折笑顔が見えて、なんとなく安心した。
「そーまぁ、お茶ちょーだい」
「おっ、おっけーおっけー。ちゃんと持ってろよー」
声を掛けられて、水筒から麦茶を注ぐ。
反射して、キラキラ輝いていた。
「ただいまぁ」
「おかえりー。遅かったねぇ」
あれから。
中学生の宏太郎に頼まれてボスを倒すのを手伝ったり、自分がスマホゲームのイベントをこなすのを宏太郎と恵太が見て歓声をあげたり。みんなでスイカ割りをして食べたり遊んだりしているうちに、気付くと夕方になっていた。
小学生が多いこともあり、日が傾きかけたところで解散となる。麦わら帽子のあいつに近くまで送ってもらって、今ようやく帰ってきた。
「どこまで行ってたの?」
「どこまでっていうか…」
母に聞かれて首を傾げる。あれがどこか、説明する地理的感覚はまだない。
だから
「スイカ割りしてきた」
「スイカ?」
何をしてきたか答えたら、当然のように怪訝な顔。
「あとゲーム」
「あ、なんだゲームね。外でもやるのねあんたは…」
ため息混じりの納得を受ける。補足じゃなくて追加なんだけど…と少しの不満はあるが、詳しく説明するのも面倒だ。まぁいいか、と息をついて洗面所へ。手洗いとうがいをしてリビングへ行くと、出たときよりもだいぶ片付いていた。
「おぉ、頑張ったね」
「でっしょー。もうダメ。母さんはへとへとです」
「お疲れ。父さんは?」
「店の方行ってる。さっき牧さん来てね、今後の相談しに行ったよ」
古民家を改装したレストランカフェ。長年の両親の夢で、今回“牧さん”のツテでこのいなか町に越してきた。牧さんは父の高校からの友人で、この地で代々農家を営んでいる。ここら一体の農地は見渡す限り牧さんのものらしい。大農家だ。
その牧さんから直接仕入れた野菜やら果物やらを、レストランカフェのメニューに使用する。言わば、共同経営だ。
「そういえば、牧さんまだ会ってないや」
ここ最近毎日のように名前を聞く“牧さん”だが、実際に会ったことがない。すると母は
「そっか、あとで挨拶しときなよ。そこの野菜も持ってきてくれたし、我が家はほんと牧さまさまだから」
「牧さまさまって」
その言い回しに吹き出す。机の上の段ボールに目を遣ると、中にはどっさりと夏野菜。そして、大振りのスイカ。
「……スイカ」
「ん?あぁそう、大きいよねぇ。それも採れたんだって」
ついさっき持って、食べたサイズと同じ。見た目も似ている。まぁスイカなんてどれも同じだろうが、なんとなく引っ掛かる。
「……牧さんってどんな人?」
スイカを見ながら聞くと、母はちょうどいい表現を探して首を傾げ
「THE・夏男!って感じかな」
爽やかで色黒で体格よくて…など、細かい説明をされるが、あまり耳に入らない。
そういえば
「……名前聞かなかった」
ぽつり呟いた脳裏には、眩しい麦わら帽子。
新学期。
騒がしい教室内に、まず担任が入る。
「お待たせー。HRすんぞー」
イスの音をガタガタと鳴らしながら、それでも数秒後には静かになり、誰かの合図で挨拶が交わされる。またイスがガタガタ鳴り、全員が席に着いたことが分かった。
「はい、始業式お疲れさん。気になってる奴も多いと思うから、先紹介しちゃうな。どーぞ入って」
合図を受けて、開いているドアから一歩ずつ踏み出す。教室内の視線が一気に注がれるのが分かる。中央に立つまでに、担任が黒板に自分の名前を書いてくれていた。
教卓横に立つ。正面を向く。色々な目がこちらを向いていた。
「はい、じゃあ自己紹介」
新しい制服、初めての教室。息を吸う。
「東京から来ました、神城一也です。よろしくお願いします」
軽く礼をして、パラパラとした拍手の中、顔を上げると同時に
「ぁああーっ!!?」
ガタガタン!と派手な音を立ててイスが倒れる。そちらを見ると
「……!麦わら…!」
あの、麦わら帽子のあいつが、驚いた顔をしてこちらを指差していた。
「おー、なんだ牧、お前いつの間に海賊王になったんだ?」
「せんせー、ルフィはまだ海賊王になってませーん」
グリーンボーイズ