おひとよし。ひとがすき。

HR

  1. カレー
  2. 親子丼
  3. コーヒー
  4. ビターチョコレート
  5. ハンバーガー

カレー

新しくはない、アパート。
自分の部屋は2階。奥から2番目。

仕事から帰ってきて階段を上がると

「……?!」

一番奥の部屋の前に、人が倒れていた。

「ちょっ…大丈夫ですか?!」

駆け寄って意識確認。
長めの明るい茶髪、意外とがっしりした図体に、気の抜けたような顔付き。

紛れもなくお隣りさん。

「…ぅ…ん……」

動くその人。とりあえずは、生きてる。

「あの、ここで寝てると絶対よくないんで、とりあえず部屋に入りませんか」

肩を揺さぶって言う。するとその人は

「…むりだよぉー…」

意外と高かった間の抜けたような声で言うと

「え?」
「おれ、部屋追い出されちゃったもーん…」

言うなり、また突っ伏してしまった。

「ちょ、ちょっと!」


いいにおい

あぁ、おなかすいたな

この前ご飯食べたの、いつだっけ


「……あ、気付きました?」

部屋の作りは一緒。
なのに全然違う家みたい。

生活感あふれる。
色がある。

その家主であろう人は、ジャケットを脱いだスーツ姿で台所からこちらに来る。
大皿を両手に。


あ、カレー


「大家さんに話は聞きました。聞きたいことは山ほどありますが、とりあえず食べてください。食べられますか?」

眼鏡をかけて、黒髪は短く、遊んだ様子もないいかにもマジメそーな人。年下っぽいのにしっかりした言葉。

頷いてベッドからおりて座る。


小さな机にギリギリあふれた、大きな皿。
カレー2人前。サラダ付き。

「おかわりあるので遠慮しないでください。あ、でもしばらく食べてないようならあまり一気に食べると危ないので、そこは身体と相談してください」

では、いただきます

律儀に手を合わせてカレーを食べ始める目の前の人。
自分も倣って食べる。



…おいしい



そこからしばらく、スプーンは止まらなかった。


「このアパートってお湯出るんだねぇ」

風呂から上がってその人の第一声は、そんな言葉だった。

「…はい?」
「俺ん家出なかったからなぁ。まぁガス代払ってなかったけど」
「そりゃ出ないですよ…」
「で、これ借りて良かったの?」

着ている服は自分の部屋着。しばらく洗濯してないであろう彼の着ていた服は、すべて洗濯機に放り込んだ。

「いいですよ。でも結構短いですね」
「あぁ、俺意外とデカいからね」

ふらふらと歩き、ベッドを背もたれにして座る。
自分も机を挟んで向かい側に座った。

カレーを食べた場所。

「キミは?お風呂。入んないの?」
「後で入ります。それより」

前にいるその人を見る。
その人もこちらを見たが、なんだか手応えが無かった。

映ってない感じ。

「…家賃滞納、荷物はボストンバッグ1つ、ガスも電気も水道も止まって部屋から追い出されたあげく部屋の前で行き倒れ。……あなたどれだけ生活力低いんですか」

少しイライラして言う。


こういう人は、正直好きじゃない。

生きる気力のない人。
テキトーにやって、働きもしないで、それで何となく生きてるような人。

動ける身体があるなら、自分で何とかしろよって思う。


すると

「うん…よく言われる。ごめんね」

その人は、ふにゃらと笑った。


反省…してんのか?


軽いため息が出た。

「…もういいです。次に住むところが決まるまで、しばらくここにいていいですから。金にも困ってないですし」

安定職に就き安アパートに住み、さらに無趣味の自分はさほど金の使い所がない。

なによりこの人、追い出したところでまたすぐに行き倒れそうだ。


「…やさしいね」

しばらく驚いてまるまると開いていた目はまたすぐになくなる。
にっこり笑った。

「放っとけない質なんです」

大きなため息が出た。
笑い声が聞こえた。

「面白いねぇ、キミ。名前は?」
「…早川です。早川駿一、24です」

よろしくお願いします、と頭を下げる。
相手はまたふにゃらと笑うと

「俺ね、ちはる。竹井千晴。29歳になるよ」

へへー、と言った。

だいぶ上でびっくり。というか、お隣りさんって竹井なんて苗字だったかなとか考えていたら

「ちなみにゲイでーす」

同じ笑顔のまま、とんでもないカミングアウトをされた。


そんな流れで始まった、同居生活。

親子丼

「はーやーかーわーっ。お疲れっ!今日呑み行こうぜっ!」

定時ぴったり。
同期が滑り込むようにしてやって来た。

「林田…悪い、しばらく夜の外食は…」

申し訳なく謝ると、まるでその答えを待っていたかのように

「それな、それ。最近話題になってんだよ。“早川がなぜか付き合いが悪くなった”」

林田は人差し指を立てる。

「いや、それは…」
「原因として考えられるのは、“趣味が出来た”、“彼女が出来た”、“借金を作った”、まぁそんぐらいだろうと。で、どれだ?お前にはどれも合わないんだけど」

一方的に喋り倒され、若干怯むが

「……どれでもないよ」

ため息をついて答えた。


「先週から家にさ、居候がいて」

スーパーで買い物をしながら、早川は林田に説明をする。
呑みに行けないのならば買い物を付き合うと林田が付いてきたのだ。

「居候?」
「まぁ居候より何にも出来ないけど。何にも出来ないから、成り行きで面倒見ることになって」

あ、卵安い、と手に取ってカゴに入れる。
林田は驚いた顔で

「…なに、じゃあ今お前、人飼ってんの?」

怪訝そうに聞いた。早川は顔をしかめ

「嫌な言い方だな…」
「だって何にも出来ねーのに食わして寝床与えてやってんだろ?もはやそれはペットじゃん」
「ペットほど癒しはくれないけどな」
「ペット以下かよ。お前マジお人好しすぎ」

引くわぁー、と言いながら、林田は缶ビールをカゴに入れた。

「え、これ俺が買うの?」
「ばっかちゃんと払うって」


「ただいまー」
「あ、おかえりぃ」

ひらひらと手を振る。生存確認。

「お風呂入りました?」
「んや、まだ。洗濯物は畳んどいたよ」
「あ、ありがとうございます」

窓際に並べられた洗濯物。
千晴は少しずつこの家に慣れてきたらしい。

「今日卵が安かったんで買ってきたんですけど、何食べたいですか?」
「タマゴ?んーとねー、親子丼が好き」
「親子丼…」

買ってきたものをしまいながら冷蔵庫の中身をチェック。
昨日買った鶏肉はあるし、玉ねぎもある。

うん、作れそう。

「じゃあ親子丼にしましょうか」

必要な材料を取り出し、冷蔵庫を閉めた。

「おっ、やったー」
「千晴さん先に風呂入ってください。ある程度まで作っちゃうんで」
「うん分かった」

千晴は下着と服を持ち風呂場へ向かう。
早川はそれを見送ってから、手を洗い作業を始めた。


「ちなみにゲイでーす」

というカミングアウトは、確かに早川にとって衝撃だった。
今まで出会ったことは無かったし、テレビでしかその世界を実感することもなかった。

ひどく驚く早川に対し、それを見た千晴は

「あ、もしかして初めて?」

俺みたいのに会うの、と聞いてきたので正直に頷くと

「そっか、でもだいじょーぶ。俺からは手ぇ出さないよ」

泊めてくれるんだもんね、と笑った。



それから一週間、確かに平和な共同生活が淡々と繰り広げられているが

(…お隣りさんの名前は…やっぱり“森山さん”だったはずだ)

大家さんも言っていた名前は、“竹井”なんて苗字ではなかった。
しかし

(でも俺が知ってるお隣りさんは、確かに千晴さんだった)

この部屋に住んでいて顔を合わせたことがあるのは、他ならぬ千晴だけ。
となると

(あの人は誰なんだろう…)

“森山”という名前、ボストンバッグ1つしかない荷物、空っぽの部屋。

一体隣の部屋は何のための部屋だったのか。
一体千晴は何者なのか。


“人飼ってんの?”


「…あながち間違いでもないのか…」

捨てネコを拾った感覚と相違ない。
早川はため息をつく。

風呂場から鼻歌が聞こえた。


「ごちそーさまっ!おいしかったぁー」

幸せそうに、満足そうに笑う千晴。

「ありがとうございます。食器洗うんで持ってきてもらえますか」

洗い物をしながら振り返って言う早川に千晴は

「洗い物くらいするのにぃ」

流し台に向かいながら少しいじけた顔。
早川は呆れて

「千晴さん、早々に皿2枚割ったじゃないですか。もったいないんでダメです」

千晴から皿を受け取る。

「あっ、じゃあ俺コーヒー淹れるね!」

パッと明るく笑顔になると、いつ見つけたのか歳暮でもらったインスタントコーヒーを出した。

「これ開いてないけど、駿ちゃんコーヒー飲まないの?」

ビンを持ったまま千晴は聞く。
早川は洗い物をしながら

「自分で淹れることはないですね。面倒ですし」

首を傾げて答える。
千晴は笑って

「駿ちゃんもめんどくさがるんだねぇ」

お湯を沸かし始めた。


「はいっ!おまたせー」

カップ2つにコーヒーをなみなみ入れて机に置く千晴。

「ありがとうございます」

テレビを見るためにベッド側にいた早川はいつもの場所に動こうとしたが

「あ、いいよぉ移動しなくて」

俺ここに座る、と、早川の隣に座った。

ベッドを背もたれに、二人は並んでコーヒーを飲む。

「…あの」

早川はカップを持ったまま口を開く。

「ん?」

千晴は顔を向けた。早川は俯いたまま

「…聞いても、いいですか」
「うん」

千晴の様子はいつも通り軽い。早川は少し気まずそうに

「…千晴さんは、隣で、どうやって暮らしてたんですか?」

核心を突いたようで、何にも触れないかもしれない曖昧な質問。
早川は千晴が許す限り聞こうと思っていた。

隠したいなら、隠せばいい
話してくれるなら、話してほしい

権限を相手に委ねた弱気な質問。
それに千晴は

「…うん、そうだね。隠すつもりは無かったんだけど」

軽く笑って

「ちょうどいい機会だし、話そうかな」

その横顔は、いつもと違ってなんだか、とても大人に見えた。

コーヒー

「家はね、高校の時に勘当されたの」

コーヒーをすする千晴は格別悲嘆の色もなく言う。
早川は隣で、カップを睨むように見たままそれを聞いた。

「高校2年の時かな、親にゲイなのがバレてさぁ。母親は大泣きして、父親はカンカンで。一日中話し合ったけど分かり合えなくて、結局、母親がショックで倒れたのをきっかけに勘当されたの」

10年以上前だしねぇ、と苦笑する。早川は笑えない。

「うん、で、そっからバイトとかしながら、最初は友達の家とか転々としてたんだけどね、ほら、俺ゲイだからさぁ」

千晴はコーヒーを飲む。

「勘当された理由を言うと、みんな俺から離れてっちゃった」

まぁ仕方ないんだけどね、と笑う。
その横顔は、言葉に反してかなり悲痛だ。

「それから、今度はゲイ仲間の家を転々として、そのうちバイトもね、仕事出来なさすぎて辞めさせられて」

そこで早川は初めて頷く。千晴は笑って、駿ちゃんひどいなーと言ってから

「仕事ないから、それからはもう完全ヒモ状態でね。セフレの家を転々としながら、お金返せない代わりに、相手になったり、気持ちよくしてあげたり」

貼り付いたような苦笑。
自己嫌悪、卑下、劣等感。

「このお隣りはね、森山さんって俺のセフレの家でさ。駿ちゃんも知ってるように、結構長いことお世話になってたの」

ようやく疑問が晴れていく。

ボストンバッグは千晴の荷物だった。
それだけだったのは、千晴には帰るべき場所もいるべき居場所も無かったから。

お隣さんの名前が“森山”だったのは当たり前だ。
そこは彼名義の家だから。

そこが、空っぽだったのは

「でもね、いきなり、出てっちゃった」

千晴はコーヒーを持ったまま、器用に膝に顔を埋める。

「朝起きたら何もなくてさ…元々物は少なかったんだけど、本当に何もなかったの。びっくりしてたら、森山さんはなんでもないようにさ…」


“俺、結婚するから”


早川はさすがに息をのむ。千晴は

「確かにセフレだったし、森山さんにとって俺は、ただの性処理道具だったかもしれないけどね。…けど俺は…俺はようやく…ここに落ち着いたと思った矢先…だったから…」

声が詰まる。



ずっと居場所がなくて
存在意義なんてなくて

なにもない俺を、
森山さんは必要としてくれてる気がしてた


それも
全部なにもかも
勘違いだったって気付いたら

どうしようもなく悲しくて
さみしくって



空っぽの部屋は無色だった。
誰かといて作られる俺のアイデンティティーは
この箱の中ではそれさえも無かった。


なにもなくなった

だからなにもしなかった

そのうち、

電気も
ガスも
水も出なくなって

大家さんは、家賃を滞納する“森山さん”を追い出しに来た。


「で、部屋を出た途端に、すごいめまいがして倒れてたところを、駿ちゃんに助けられたの」

ようやく繋がった、過去と現在。
この人の理由。

「気持ち悪くなったり、嫌になったりしたら追い出していいんだよ。俺、そういうの慣れてるし」

いつものようにふにゃりと笑う。

悲しい、かなしい笑顔だ。

「駿ちゃんはやさしいから、俺、傷つけたくないの」

コーヒーを口に含む千晴。
早川は

「…追い出さない、です」

カップを握ったまま、俯いて答えた。
驚いてこちらを見る千晴を一度ちらと見てまた戻ると

「…誰が誰を好きになろうと、それは自由ですし。千晴さんがここにいることで俺が傷つくことが、…まぁそんなこと無いとは思いますけど、例えあったとしても、…」

少し、恥ずかしそうに、立てた両膝に顎をのせて

「…ここから追い出して、千晴さんが死ぬ方が嫌です」

少し怒ったように言った。


「……駿ちゃん…」

驚いたような沈黙を破る千晴自身の声。
早川が見ると

「ホント、やさしいねぇ…」

泣いたような、だけど笑顔で言うから

「優しくは、ないです」

しっかり否定しといた。


だって、知り合いが死ぬのはやっぱり嫌だ。

何日かでも一緒に暮らしといて、いきなり追い出すなんてそんな非情なこと、俺には出来ないしする気もない。
むしろそれはすごい普通のことだと思う。

だから

「そんなにやさしくされると俺、好きになっちゃうよ?」

冗談めかして笑う千晴に

「それは…困ります」

一応牽制。
千晴は笑って

「あはは、そうだよねぇ~」

冷めきったコーヒーを飲み干す。
早川もカップを仰いだ。

ビターチョコレート

夕飯を食べ終わり、早川が食器を洗っている時。
テレビを見る千晴の近くにあった早川のケータイが震えた。

反射的に見ると、小窓に「宮崎真理子」の表示。


…あらま、女のヒト。


ちょっとびっくりして流し台の方を見るが、早川は水の音で聞こえないのか気付いていない。背中はいつも通りだ。

千晴はケータイを持ち、早川の元まで歩いて行って

「駿ちゃん、電話鳴ってるよ」

開いて見せた。
早川は驚いてこちらを見ると

「あ、すいません」

慌てて水を止める。
その間に呼び出し音が止まってしまうとマズいだろうと思い、千晴は通話ボタンを押して早川の耳元にケータイを寄せる。早川はそのまま耳と肩で挟んで

「はい、早川です」

会話を始めた。

「…あ、お疲れ様です。……はい、………はい」

手を拭きながら会話をする早川を見遣り、千晴は元いた場所に戻る。テレビの音量を小さくすると、話しながら手帳にメモをする早川を見ていた。

(仕事の人かぁ)

いつもの真面目な顔がもっと真剣味と緊張感を増す。

(駿ちゃんカッコいー)

何の話をしているのかは一切分からないけれど、書類を出したり難しそうに会話する早川の姿は、自分に皆無であるからこそカッコ良く見える。

「そうですか…。………あ、はい分かりました。すぐに林田にも伝えておきます。……はい」

家事も出来て仕事もこなせて、ホント駿ちゃんってモテそうだよなぁとかぼんやり思っていると

「……え?…あ、いや、……はい…」

早川は急に吃りだす。困ったような笑顔を浮かべていた。

(…おー?)

仕事の会話の時とはうって変わったその様子と

「……えっ、今からですか?それは…はい、すいません…。………いや、そういうわけではないですけど。……や、いない、です…はい」

その早川の言葉で、千晴は何となく読めた。

(はは、駿ちゃん口説かれてるなぁ)

会話の内容からしておそらく、今から来てほしいだの私のことが嫌いなのかだの彼女はいるのかだの、仕事の電話にかこつけて私用をぶつけているのだろう。
早川の断り方から見て、相手は女上司か。

何にしろ

(宮崎さんは肉食女子だね)

可哀相だなぁとか思いながら、何とかやんわり断る早川を眺めていた。


電話が終わり、早川はため息をつく。

「大変そうだねぇ」

千晴が言うと

「いや、まぁ…」

早川は苦い顔をした。

「好意は嬉しいですけど、応えられないので…申し訳ないというか、やっぱりツラいです」

書類をまとめ、手帳を見ながら千晴の横にある机に置く。そのまま座った。
いつもの位置。

「…え?ツラいの?駿ちゃんが?」
「え?はい」

千晴が驚いて聞くと、むしろそれに驚いたように早川はこちらを見る。

「だって……なんで?」

フる方なのに、とは言わないでおいた。嫌味みたいに聞こえそうだった。
早川は怪訝そうな顔をして

「好きな人に応えてもらえないのは…やっぱり悲しいじゃないですか」
「うん」

それは分かる。嫌ってほど経験してきた。

千晴が頷くと、早川は書類と手帳に何やら書き込みながら

「それを知ってて、相手に応えないわけですから」

ツラいですよ、と苦しそうに眉をひそめる。

「だからって、気もないのに応えたらそれこそ失礼ですし、余計悲しませることになりますし」

仕事用の鞄を引き寄せ、中から別の書類を出す。それから早川は

「恋愛って難しいですよね」

千晴を見て、困ったように笑った。



…なに、このこ

ちょっと待って、やばいかもしんない


笑った顔なんて初めてじゃないのに
駿ちゃんがやさしいことなんて知ってるのに

すごい、可愛い。


…抱きしめたい



「…千晴さん?」

呼ばれて、反射的に見た。目が合った。
不思議そうにこちらを見る早川。


まっすぐで、汚れなき、純真な


「…うん、難しいよねぇ」

千晴は、へら、と笑った。


本当、難しいね

利害が一致しても結ばれないし
思いが一致することはほとんどない

いくつになっても“愛”なんてわかんないし

こうして、
“いとおしい”と思っても、
触れることすら叶わない


「あ、そうだ。ちょっとすいません、電話してもいいですか?」

ケータイを取る早川。

「うん、いーよー」

千晴は笑顔で答える。それから

「あ、じゃあ俺、洗い物の続きしちゃっていい?」

洗剤を流し途中の食器を指して聞いた。早川は少し不安そうな顔になる。
千晴はそれに笑って

「割らないようにするからさぁ」

ひらひらと手を振り、洗い場に向かった。

「…じゃあ、お願いします」

背中に聞こえた声に振り返る。
早川はケータイを持ったまま

「ケガしないでくださいね」

呆れたように笑った。

(…~~っ、あーもぉー…これだから天然さんは…)

今日はよくない。何を言われてもときめいてしまいそうだ。

このままだとマズい。
間違いが起きる。

この家にいられなくなる。


千晴は普段ほとんど使用しない集中力というやつをこの上なく発揮し、食器を洗ってしまおうと考えた。
慣れないことをすればこの邪念も消えるはず。

恋心なんて、ほとんどが雰囲気に流された勘違いだ。

(…よしっ)

袖をまくり、水を流す。
皿を割らないように気をつけながら、洗剤を流し、水切り場に置く。


うん、いい感じ


このまま全部
面倒な感情も、不純な欲望も
全部全部、洗剤と一緒に流れていけばいい。

そう、思ってたのに。


「あ、夜遅く悪い、今平気?」


声が、届いてきて


「宮崎さんから連絡来てさ、この前の企画書のことなんだけど」


違和感に、すぐに気付いた。


「…、あ…」

ガチャン!!


「?!え、大丈夫ですか?!」

音に驚き、早川は慌てて千晴の元へ行く。

『どした?なんか音したけど』
「や、ちょっと…」

林田に説明しようとしたが、早川は洗い場を見て

「…あ、割れてない」

そのままの形を保った食器に安心をした。
千晴を見る。

「…千晴さん?」

千晴は固まっていた。
どこかを見ているようでどこも見ていないような、特定出来ない視線はそれでも固まったまま

「…大丈夫ですか?」

早川の声にも反応しない。
焦った。

「千晴さん!」

少し大きめの声を出し、千晴はようやくハッとしたように気付く。
目が合った。

「……、…お皿、割れてないですよ」

驚いたような顔のままの千晴に何を言えばいいのか分からず、早川はとりあえず言った。

「…大丈夫です」

その言葉に千晴は一瞬、本当に一瞬悲しげな顔をしたが

「……うん、ごめんね」

またいつもの、力のない笑顔を見せた。


あぁ、もうダメだね
どうしようか

俺が知らない駿ちゃんなんていっぱいいるのに
それを見た途端

悲しくて
寂しくて
怖くて、悔しくて

嫉妬すら覚えて



ねぇ、嫌だよ

あれだけ裏切られて、あれだけ傷ついたのに
性懲りもなくまた、人を好きになる

同じことを繰り返す


嫌だよ

全部欲しくなる
俺だけを見てほしいと思う
ずっとそばにいてほしいと思う


だけど同時に、

巻き込みたくない
傷つけたくない
幸せでいてほしい
笑っていてほしい


ずっとそばにいたいからこそ
俺は、ここから動けない



あぁ、恋って面倒だなぁ

苦しくて悲しくて切なくて
でも同時に


「…洗い物終わったよ」
「あ、ありがとうございます」


きみの笑顔だけで、こんなにも幸せな気持ちになれるんだ



千晴はいつもの位置に座り、早川の親しげな言葉を聞く。

ここにいるのに、遠い。

敬語ではない聞き慣れない話し方が、ズキズキと胸に響いた。

ハンバーガー

理由は、雨の日が続いたからだ。


(……参ったな)

ため息が出た。
タンスの中を見ても服がほとんどない。
部屋の中に干してある服は乾いてない。

着る服が、無い。


元々、休日は必需品の買い物以外ほとんど外出をしない無趣味であるため、普段なら服にそう困らないのだけれど、このところ続く雨と、何より

「駿ちゃーん。俺やっぱこのまま着ていー?」
「ダメですよ、風邪ひきます」

千晴と服を共用していることが大きな原因だった。

「でももう服ないよ?」
「…それはそうなんですけど」

むぅ、と悩む。
向こう一週間の天気予報も残念ながらスッキリしない。


……仕方ない。


「…よし、千晴さん」
「ん?」
「買い物に行きましょう」
「……へ?」

千晴は珍しく、心底驚いた顔を見せた。


その日の服はアイロンでなんとかごまかし、二人は初めて買い物に出かけた。

早川は始め、千晴は外に出ることを嫌がるかとも思ったが

「どこ行くの?」
「ショッピングモールです。バスで20分くらいなんですけど」
「バスかぁ~久々だなぁ」

傘を差して隣を歩く千晴は意外にも清々しく笑っていて、早川は少し拍子抜けし、安心した。


雨と、さらには休日のせいでバスは30分以上かかったが、二人は無事巨大ショッピングモールに到着した。

「おー、人がいっぱい」
「まぁ休日ですし。千晴さん、傘はビニールに入れてください」
「あ、ごめんごめん」
「まずは服から見ましょうか。ついでに日用品も買い足して、夕飯の材料も買っちゃいましょう。それとも食べて帰ります?」

振り向くと千晴は、なぜかとても嬉しそうな笑顔で早川を見ていて

「……千晴さん?」
「あぁ、ごめんごめん。なんか新婚さんみたいだなぁと思って」

呼び掛けると、千晴は笑って言った。
早川は呆れる。

「何言ってんですか。とりあえず服探しましょう。結構緊急の問題なんですから」

行きますよ、と歩きだすと、千晴は

「はぁーい」

相変わらず間延びした声で返事をし、早川の後を追った。



「駿ちゃんってさ、いつもどんな感じで服選んでんの?」

男性服が取り扱われているコーナーに着くと、千晴は聞いてきた。

「どんなって…別に普通ですけど」
「こだわりとかさ、こーゆーの好きーとか」

千晴に言われて、早川は首を傾げる。

「……特に、ないですかね…」
「ないの?え、じゃあ服っていつもどーやって選んでんの?」
「適当に…安くて、サイズと季節に合ったものを」
「あーなるほど…駿ちゃんらしい」

ふふ、と笑う。


(…?)

その表情に、感じた違和感。

いつもの千晴と、今までの千晴と、
なにか、違うような。



「しゅーんちゃん?そんなに見られると俺照れちゃうなー」

へらへらと笑う千晴。この表情はいつもの。
なんだか安心した。

「すみません、何でもありません」

行きましょうか、と歩き出す。
その時に見えた千晴の笑顔もやはり

(…何だろう…)

いつもと違う気がした。


「駿ちゃん駿ちゃん!これ絶対似合うよ!」
「そういうのはちょっと…派手すぎます」

「あ、駿ちゃんこれは?!」
「この紐って何用なんですか?」

「分かったこれなら!」
「今から暑くなりますし…」



「んもー!服決める気あるのっ?!」

珍しく千晴がご立腹。と言っても、口を尖らせハンバーガーを頬張りながらのため、まったくもって恐くない。
むしろ笑えた。

「ちょっと駿ちゃん?!」
「あ、すみません」

子どもみたいな怒り方に思わず出た笑いに、千晴は余計ぷんすかと怒る。
それがまた、なんというか。

(可愛い…ってのも、変か)

年上の男にはあまりにも似合わない形容詞が浮かんですぐに打ち消す。しかし、それより適した言葉も見つからなかった。

「結局フツーの買い物しか出来てないしぃー」
「でも服以外の買い物は済みましたよ」
「服がメインでしょーがっ!」

もー!と机を叩く千晴。
こんなやりとりは珍しい。いつもは千晴がボケボケでそれに早川が冷静に対処するのだが、服に関しては千晴がこだわり、早川が無頓着。早川が安さと機能性のみを見て買おうとした服も、すべて千晴に止められた。

「駿ちゃんは素材がいいんだからさー…もっと気にしよーよ」
「素材?」

首を傾げる。それに千晴は驚いたように目を見開き

「無自覚かっ!」

大袈裟な反応。何の話だかさっぱり分からない。

「あの、もう少し分かるように話してもらえませんか」

話が全然見えません、と言うと、驚愕の顔をしていた千晴は大きくため息をついて

「もーいいよ…駿ちゃんは天然さんってことで」

なぜか諦められた。

「え、俺天然じゃないですよ」
「はいはい」
「ちょ…それはさすがにムカつきます」
「ははっ、駿ちゃんもムカつくんだ」
「そりゃそうですよ」

どちらかといえば怒っているのに、千晴はなぜか嬉しそうに笑う。
早川は納得のいかない顔で

「なんですか」
「んー?別にぃ。あとでもっかい服探そーね」

しかし千晴は、やけに楽しそうに笑った。


「あっ、じゃあさ、お互いの服選ぶってどう?」
「…はい?」

再びやってきた服売場一帯。そこで千晴が言った内容が、早川には理解できなかった。

「俺が駿ちゃんの服選んで、駿ちゃんが俺の服選ぶの。似合いそうだなーっていうものを、選んだら合流。予算だけ駿ちゃんが決めてさ」
「…あぁ…なるほど」

説明を聞いて早川は頷く。
確かにそれなら自分も気をつかって選ぶし、千晴は好きなように選べる。ラクではないが、楽しいかもしれない。

「いいですね。じゃあ、予算は一人2万円まで。選び終わったらあそこのベンチに集合しましょう」
「2まんえん?!そんないいの?!」

提示した金額に驚く千晴。早川は肩をすくめて

「いいですよ。使い道のない余暇費ですから」
「よかひ…」
「遊ぶためのお金です。これといった趣味もないので、毎月貯まる一方でしたから。こういう時に使わないともったいないでしょう?」

言いながら財布から1万円札を2枚出し、最後には千晴に差し出す。
しかし千晴は戸惑うから

「…いいんです」

ふ、と。

「今日、楽しいですから」

早川は、穏やかに微笑んだ。

「…!あ、え…うん……」

それに千晴は驚いた顔をして頷く。そろそろとお札を受け取った。

「じゃあ、始めましょうか」
「あ、待って駿ちゃん。一応時間決めとこ?最低でもその時間には戻ってくるってゆーさ」

千晴が言って、早川は気づく。

千晴はケータイを持っていない。
確かにそうでもしないと、この広いショッピングモールでは再び出会えないかもしれない。


これだけ一緒にいるのに、
離れるだけでいつでも無関係になれる。


それは、二人の関係を考えればひどく当たり前のことなのだけれど。

「…そうですね…じゃあ、6時には一度、必ずあそこに」
「6時ね。おっけー」

早川には

「じゃ、またあとでねー」

ひらひらと手を振って笑う千晴が、
やけに遠く見えた。

おひとよし。ひとがすき。

おひとよし。ひとがすき。

※BLご注意を

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