ただキミが

HR

  1. 窓の向こうに
  2. 傘の中に
  3. バレンタインに
  4. 雪降る夜は
  5. ホワイトデーに
  6. そこにいるだけで
  7. すずめ
  8. すきだから好き。
  9. 幸せならば

窓の向こうに

3階の教室、窓側の席。

退屈な授業に目を逸らし外を見ると、青空の下違うクラスが体育をやっていた。

その中に、アイツの姿。

どうやら今は休憩中のようで、タオルで汗を拭きながらクラスメートと笑い合っている。
頬杖をつき、その様子を眺めた。

しばらくしないうちに、アイツは ふ、とこちらを見上げる。
この3階から、ただぼんやり眺めていただけなのに気付いたことにも驚いたが

(…バカじゃねーの)

満面の笑顔で両手を思いっきり振ってきたことには、もはや呆れて小さく笑った。
そんな俺を見つけたのか、おじいちゃん先生は

「じゃあ次、清水くん読んでください」

俺を指名してきた。

(げぇ…アイツのせいじゃん…)

とか悪態をつきながら教科書を持って立ち上がる。


つまりは、手を振ってきたことに返すのなんてさらさら忘れていたわけで。

だから



「清水領一ぃぃい~ーっ!!!!」



とか大声で呼ばれた時も

「?!?!」

普通に驚いてしまった。


俺を含め窓側のヤツらは反射的に外を見る。先生すら窓に寄った。
それを知ってか知らずか、アイツは俺と目が合うと


「愛してるぞーっ!!!!」


両手をメガホン代わりに、盛大な告白をしてきた。

教室は午後の退屈な空気から一変、みんな笑い出すし、ノリの良い男は指笛とか鳴らしてくるし、いつも真面目な先生も

「良いですねぇ。清水くんは愛されてますね」

とか言うし、それでまた教室は沸くしで

「~~っ、ちょ、読みますから」

俺はガラにもなく赤くなってしまった。


冷やかされながら教科書を読み、座って窓を見ると、前の方2枚の窓が開いている。

聞こえるわけだ…とうなだれてから恨みを込めて外を見ると、アイツは体育の先生からこってり絞られていた。
そりゃそうだ、校舎側は授業中、外から大声を出したら迷惑に決まっている。

先生に下げている後ろ頭を見ながら

(…ま、いっか)

あとで怒るのはやめてやろうと思った。


ただし

(ちょっと冷たくしてやる)

恥かかせた罰だ、と口を尖らせる。

反面、さすがにニヤけは止められなかった。
口元を覆う。


ある晴れた午後だった。

傘の中に

びっくりした。

まさか、いや夢じゃないか。

きっとそうだ。さっきの古典の授業がまだ続いてて、俺はまだ寝てるんだ。


じゃなきゃ

「…入んねーのかよ?」
「わっ、入る!入ります!!」

清水領一が、こんな風に俺を同じ傘に入れてくれるわけがない。


でもせめて

「あ、俺持つよ」

清水の機嫌を損ねないようにする。

断られるかな?と思ったが

「あぁ、サンキュ」

なんとまぁ素直に傘を渡された。

驚きの連続。

なにかあったんだろうかとも思うが、それを聞いてこの良い感じの雰囲気が壊れるのも嫌だからやめておく。

傘を忘れて良かった、昇降口で途方に暮れてて良かった、とにかくこの偶然も偶然の機会をくれた何者かに大感謝をする。

すると

「…なぁ」

俯いて歩いていた清水が呼んだ。



相合い傘

触れ合う肩と肩

すぐそばで聞こえる声

俯く横顔と、神妙そうな呼び掛け

二人きりの世界


うわ、やっばい…すっげぇドキドキする


「おぉ、何?」

平常心を装って聞く。
単純な俺の思考は、もう良い想像しか出来ない。


もしかしてもしかしてもしかしたら…

告白されるかもしれない…!!


しかも清水は

「お前さ、俺のこと好きだっつったよな」

そんなことを言ってくる。

「お、うん。好きだよ」

脈拍数はますます急上昇。緊張しすぎて声も震える。


ど、どうしよう!

昔からプロポーズは自分からするって決めてたのに…!

あれ、これプロポーズじゃねーか?!

お?!つーか俺、今さりげなく告白してなかったか?!


そんな慌てふためく俺などつゆ知らず、清水は静かに

「…俺のどこが好きなわけ?」

聞いてきた。


……あ、あれ?なんか予想外の質問

どこが好きって…そんなの…


「言われてもなぁ…」

俺は首を捻る。


どことか無い

綺麗事でもカッコつけでもなくて

本当に全部好きだから


全部好きだけど、と答えようと清水を見る。
と、清水は前を見たまま足を止めた。
思わず慌てて立ち止まる。

視線の先を見ると、そこには

「……ぁ」

一組のカップルが相合い傘をしていた。
その女の子の方を見たことがある。

…清水の元カノだ。

男の方はいかにもチャラくて、二人ともこちらには気付かずにイチャイチャとくっついている。
そのまま向こうへ行ってしまった。


清水と彼女が別れたのは半年前。
俺が清水を好きになったのはその直後だからよく知ってる。

彼女への未練


消えた二人を見たまま動かない清水。

「…清水」

呼び掛ける。言おうとした。でも

「…わりぃ」

清水は一度嘲笑うと

「俺、サイテーだわ」

走って傘から出て行ってしまった。

「ちょっ、清水!!」

叫ぶ。届いたはずだ。でも止まってくれなかった。



俺は言いたいことも言えず

好きな人は雨に打たれて帰っていく


このままにしとけって?


……そんなこと、

「出来るかっつーの!」

傘を閉じて走って追い掛ける。


キミが泣いてるような気がしたんだ


“彼氏出来たんだ”

“だからもう、連絡取るのやめよ”


いつもの、明るい調子のメールだった。
だから少し理解するのに苦労した。

覚悟してたつもりだった。

でもどっかで、いや、たぶん当たり前のように
やり直せるような気がしてた。

だからそのショックは尋常じゃなくて
またフラれたんだと気付くまで、しばらく動けなかった。



大好きだった

大切だったのに

その人に好かれないことがこんなに苦しいなんて




昇降口。
変わらない身長。
肩から提げたスポーツバッグは見慣れたもので、後ろ姿だけで誰か分かる。

雨を見て途方に暮れる背中。


俺のことを好きだと言う人。


気付けば声をかけていた。
本当に驚いた顔をして、慌てたように傘に入ってくる。


俺のことを好きだと言った

一体どこを好きになった?

お前に好かれて、どうしてあいつは好きになってくれないんだよ

なぁ、俺のどこなら好きになってもらえる?


びっくりした。

今度は俺が驚く番だった。


こんな時に見てしまうなんて

しかもあんな、あんな男相手に負けたなんて



「…清水」

呼び掛けられた。

はっと気付いた。

俺は、最低だった。


逃げるしか、出来なかった。



雨は強くなる。

なんとか家に辿りついて、入ってドアを閉めてその場に座り込む。

家には誰もいない。静まり返ったそこが余計に寂しい。

すると突然


「しーみずーっ!!!!」


大声で呼ばれた。

「?!?!」

思わずドアに振り向く。もちろんそのままでは見えない。

でも、アイツだってことは分かった。

「おいっ!!聞こえるか清水!!」

近所迷惑も甚だしい。
いくら平日の雨の午後とはいえ、人が誰もいないわけじゃない。

「…あんなん気にすんなよ!!」

アイツの無責任な言葉が聞こえる。

「俺はさ!お前のこと好きだし!!」
「バッ…?!」


ありえねーだろ!
アイツこんなとこで何…


「お前が気持ちに整理つくまで、俺待ってるから!!」


ズキズキと痛む
たぶんそれは、良心とかいうやつ
こんなに、体裁を気にしないで好きだと言ってくれる人を

俺は…―


玄関を開ける。そこにはずぶ濡れになったヤツがいた。
少し前に出ると、屋根を抜けて雨の下。

「うわっ、おいおい風邪ひくって」

雨は強さを増す。
ヤツは慌てて傘を差すと、俯く俺をその中に入れた。

「……何で俺なんだよ…」


お前みたいなヤツ、いくらでも人に好かれるだろうに
何で俺なんか


「…俺…、お前の気持ち踏みにじって利用して…!」


安心したかったんだ
好きな人に好かれないから

自分を好きだと言ってくれる人と一緒にいたくなった


でも、そんなのは所詮ただの気まぐれで
お前の気持ちに応える気もないのに


「…清水に利用されんなら悪くねーけど」

顔を上げる。
やさしい、楽しそうな笑顔がそこにあって

「お前が嫌だって言ってもやめねーし」

そんなことを言う。

「な…んで…」
「え、まぁ好きだからな」

何でもなにも、と照れたように笑った。


そんなに好かれることを、俺がいつしただろうか
俺はこいつに好かれる資格があるのだろうか


「俺はさ、清水が清水だから好きなんだよ」

まぶしいくらいに、笑う。

「お前が誰を好きだろうとさ、それは変わんねーから」

な、と言うと、俺の濡れた髪をわしゃわしゃと撫でた。


なんだろう

なんだかものすごくくすぐったくて
なんだかとってもあったかくて

ひどく、嬉しくなって


「……ありがとな」

思わず笑って、ヤツの肩に額を載せた。

「!!」

ヤツの身体はびくっと反応する。そして

「…そんなことすると抱きしめちゃうぞ」

なんだか我慢しているように言ってきたから

「んなことしたら大声出すぞ」

やんわり拒否しといた。

「~~っ!ズルいぞお前!」
「そうだよ」

ふ、と離れる。目が合った。

ヤツは少し驚いた顔をしていた。

「俺はお前にはズルいんだ」

笑う。途端、ヤツは一気に赤くなる。

「…くっ…殺し文句だ…」

呟いて悶える姿も見ていて飽きない。
面白いヤツだと思った。


雨は、いつの間にか上がっていた。

バレンタインに

「しーみーずーっ!ちょちょちょちょ、教室にリターン!!」

ようやく帰れると思ったのに、廊下に出た瞬間一番めんどくさいヤツに捕まった。
がしっと掴まれるや否や、ずるずると教室に引きずり込まれる。

「なんだよお前…もう帰りたいんだけど」
「今日何の日か知ってる?!」

一番後ろ、窓側の席に座らせられる。
今日は2月14日。思わずため息が出た。

「…お前もそれかよ」

辺り一面、そんなんばっか。
義理という名のおこぼれをもらえるのはありがたいが、それにしてもはしゃぎすぎ。

(まぁ…去年の俺も変わんねぇけど)

だから気に入らない。
去年の自分がこんなに浮かれていたのだと思うと、恥ずかしさと惨めさとで嫌になる。

「そんな嫌な顔…ハッ、もしかして清水!?」

ガッと両肩を掴まれた。
相変わらず騒がしいヤツだ。

「…なんだよ」
「女子に…告られたりした?!」

青ざめた顔。どこまで焦ってんだコイツ。

「……してたら?」
「なっ…困る!!」

今度は泣きそうな顔。
百面相かよ。面白いヤツ。

「…されてねーよバーカ」

すぐそこに顔。デコピンをお見舞いした。

「ぃたっ!!」
「で、用は?」

俺が聞くと、額を押さえてしかめていた顔は途端に輝き

「そうそう!俺清水にお菓子作ってきた!」

持ってきた紙袋からタッパーを出す。

「作ってきたぁ?」
「おぅ!チョコレートタルトだぞ~」

カパッとタッパーを開けると、そこには確かに本格的なチョコレートタルト。
売ってるような様相。普通に美味そうだ。

「…なにお前、こーゆーの出来んの」
「おぅ!…あれ、知らなかった?」
「知らん」

へぇ…、とタルトをまじまじ見る。
素人っぽくない。売ってるものを切って入れたみたいだ。

ちょっとソンケイ。

「どーぞ!清水のために頑張って作ったんだからな!」
「…頼んでねーけど」

恩着せがましい言い方に少しの悪態をつき、それでも俺はタルトを受け取る。
一切れ取って、口の中へ。



「……うまっ」

思わず、無意識のうちに言葉が漏れた。


言うつもりなんかなかったのに。
“まぁ良いんじゃねーの”程度の感想を言うつもりだったのに。

これを…コイツが?


「だろー!」

やたらと嬉しそうな顔をする。

おぉうまいよ。
めちゃくちゃうまいよ。

別に格段甘いものが好きなわけじゃないが、これは相当自分の中でツボだったらしい。
作った本人は食べる俺を見ながらニコニコしている。

…すげー癪。
癪だけど

「…これまだあんの?」

とりあえず1つを食べ終えてから聞くと

「え?…あぁ、まぁホールで作ったから、食いたかったらまだ家にあるけど…」

驚いた顔。そこまで気に入るとは思ってなかったらしい。

「…じゃあ行く」

言うと、ヤツは口をぽかんと開けたまま呆けた顔をし、それからじわじわと赤くなり

「……マジでっ?!?!」

ガタンと机にぶつかりながら立ち上がった。
俺は残りの一切れを口に入れる。



やばい、これは

胃袋わしづかみにされたかも


この状況は…一体何なんでしょう


たぶん神様かなんかが俺を気に入ってくれたんだろうな、うん。

もしくは普通に、普段の努力が報われたか、
一番濃厚なのは


「んまいなー…」

このタルトがよっぽど清水の口に合ったか。


俺の家に、俺の部屋に、清水がいる。
こんな緊急事態、生まれて初めてで

「……おい?」

もはや思考停止。
清水も呆れた顔でこっちを見てる。
緊張もなにもかも通り越して、今やすべて遠い世界みたいだ。


…夢?あぁ、それが一番しっくりくる
だってさ、ほら

いつもの部屋に清水がいて
こっち向いて
何か言ってて


「…おい、……西岡」


俺の名前を、呼ぶなんて
そんなことが……



…え?


「西岡勇吾っ!お前いい加減しっかりしろっつーの!」

ぼふっ、と顔面に投げられたのは、俺のベッドの上にあった枕。
クリーンヒット。おかげで目が覚めた。

「ぅあっ、はいっ!」
「お前さっきから呼ばれてんぞ!」
「あ、はい!行ってきます!」

下の階から聞こえる母さんの呼ぶ声。
やっべ、ちょーイライラしてる…!
どうやらかなりの回数無視したらしい。

慌てて部屋を出て下に降りた。




西岡が出て行った部屋を見回す。
突然訪れたのに、特に変わったところはないらしい。
いわゆる普通の男子高校生の部屋だ。

癖がなくて、
イイヤツで、
お菓子が作れて。

なにより、
自分を誰よりも好きでいてくれる人。


これ以上望むものがあるのだろうか。
だとしたら何なのか。

自分が好きになることか?


…だってアイツは、

“男”で。



「…、やめよ」

思考を放棄する。

なんだか自分がちっぽけに思えて。
なんだか自分がつまらない人間みたいで。

まぁたぶんそうなんだけど、
その再確認が、イヤで。


なんとなく自分の鞄を開ける。
女子からもらったチョコが3つ。

全部出して、開けてみて。

その1つに

「……」

手紙が入ってた。




「清水ー、飲み物お茶でいー?」

コップを2つとペットボトルを持って部屋に入る。
何か紙を読んでいた清水は顔を上げて

「あ、うん。サンキュ」

至って普通の返事。


最近清水は素直だ。

いや、別に今までが素直じゃないと言い切れるわけでもないけど。

なんか違う。
丸くなったというか、大人しくなったというか。
触れても拒否られない感じ。

たぶん、あの雨の日以来。


「何読んでんの?」

コップにお茶を注ぎながら、結構上機嫌で聞く。
なんせ清水が素直で可愛い。
拒否られなくて嬉しい。


なのに

「…なんかもらったチョコの箱に入ってた」

いきなりペットボトルを落としそうなほどの衝撃をくらった。


「……ぇ…えっ、な、なぁぁ?!だってさっき告られてないって…!!」
「今見たんだからしょうがねーだろ」

呆れたようなため息。
否定しない。ってことは、


告られてる…!


「ちょ、な、誰?!誰から?!」
「うるせぇな…とりあえず落ち着け。お茶は置くか入れるかしろ。こぼす」

清水の冷静な意見。
俺は焦りながらもそれに従う。
お茶を二人分入れ、1つを清水に渡し、自分も一気に飲み干し

「…でっ?!」

のんびりお茶を飲む清水を急かした。
清水はまた呆れたように息をつくと

「里井さんだよ。最近やたら絡んでくると思ったらそーゆーことだったらしい」

付き合ってくれってさ、と紙をしまう。

「…ど…どうすんの…?」


相手は、女の子。

里井さんは結構可愛めの…イマドキの娘。
言うなれば、清水の元カノと同じタイプ。


敵う気が…しない



「…お前さ、はやとちりも過ぎるけど思い込みも激しいよな」

女の子が作ったお菓子を口に入れながら、清水は飄々と言った。

「え…?」
「あの人と付き合ったら前と同じ結果だろ」

あーこれ甘ぁー…と顔をしかめ、お茶で流し込む。
ヒドい食べ方だ。

「…え、じゃあ…付き合わないの?」
「……付き合ってほしいのかよ」

ス、と睨んでくる。


愚問が嫌い、それはよく知ってる。
思わず笑った。

「ううん、絶対ヤだ」


俺の気持ちを知ってくれている
それだけで期待してしまうよ


清水は、まったく、と息をついたあと

「なんかゲームとかねーの?」

お菓子を頬張りながら聞いてきた。
遊ぶ気満々らしい。

まったく、はこっちのセリフだ。

好きだって知ってるヤツの家で、ただゲームをして遊ぶ。
無防備にお菓子なんて食べながら。


…まぁ、そんなところも可愛く思える、俺が一番どうしようもねーんだけど。

雪降る夜は

ケンカした。

ケンカ?違うな
気まずくなった。

どっちが悪いってわけじゃない。
言ったらどっちも悪いし、どっちも悪くない。

ただ、いつもみたいにできなくなった。

(…すげー、雪)

顔を合わせてケンカしたわけでもないのに、なんとなくもやもやして外に出た。
今日の残り時間も2時間ぐらいだっていう今の時間、ただでさえ人なんかいないのに
外は大雪。

(めずらし…)

傘は重くなるから置いてきた。上着に付いているフードをかぶる。
別に遠出する気はない。ただなんとなく近くのコンビニまで行って、あったかいもんでも買って帰ろうとか、そこまでは考えた。外に出てからだけど。

空を仰いだら、雪は頬にあたって溶ける。
こんなに降るのも久しぶりだ。

あっという間に積もっていく路面。
歩くと足跡ができた。

(……静かだな)

視界はこんなにもうるさいのに、まるで無音。
周りには誰もいないのに、空気が詰まっている気がする。


息苦しい


(……、ど、しよ…)

真っ白な景色
音のない道
誰もいない通学路

降り積もる雪は
世界を覆ってすべてを奪う


体が重い
機能しない
目も耳も鼻も口も、
足も手もぜんぶ

(……この、まま…)


消えて、しまったら


ぽん、と

(…あ…)

浮かんだのは、あいつの顔だった。

「……」

もし、消えたら
ここで消えたら
雪と一緒に、消えてしまったら

きっと、あいつは悲しむ

もしくは必死になって俺を探して
消えたことなんか信じないで


泣くかな
怒んのかな

逆に俺は
お前が消えたら

(……お、れは)


「…ずっ……しみず…清水!!おい!」

ガッ、と両肩をつかまれ、目の前にあったのは

「な…んで…?」

たった今考えていたヤツの必死な顔だった。

「返信ねーし電話も出ねーから…!つかなんでこんな…っ!」

こんなところに、という言葉の前に、そいつは
西岡は

「…!」

ぎゅう、と
抱きしめてきた。

「、西岡…くるしい…」
「…うっせ」

あまりに力が強いから、背中に手を回して叩き抗議する。でも、西岡はめずらしく聞かなかった。
その代わり

「…にし…?」

声が、震えていた。

「…清水」
「…?」
「……ごめん」

また、ぎゅう、と力が入る。
お互い厚着で、感触もあたたかさも分からない。だけど声だけは、しっかり届いた。

その言葉に、驚く。

「……」
「…ごめんな」

西岡はまた言った。
こみ上げるなにか。俺まで、声が震える。

「なん、で…」

なんで、謝んの
なんで、ここにいんだよ
なんで、
なんで


お前の方が泣きそうなの



「…俺、バカだから。清水の気持ちとか、全然わかんねーけど…でも、傷つけた。ごめん」

後頭部に手がまわる。
冷え切った手。なのにあったかい気がした。

こいつは、西岡は
いつも、あったかい


「…いーよ」

服に吸い込まれる声。でも届いたらしい。
こちらに顔が向いて

「…いいの?」
「いい」

だけど、それは阻んで代わりに抱き付いた。
西岡の肩に顔を埋める。

「別に、お前悪くねーし」

驚いて力が抜けるのが分かって、でも気にせずにすり寄る。
しみず、と、少し慌てたような声がした。

「…来てくれただけでじゅーぶん」


会えた
声を聞けた
ここに来て、抱きしめてくれた

ここにいるって教えてくれた
ただ、それだけで


(俺は、大丈夫)

消えないでいられる



「…清水」
「んー?」
「…好きだよ」
「うん、知ってる」


消えないようにだきしめて

ホワイトデーに

卒業式は終わって、もうすぐ春休みで。

大した授業もなく最高学年はクラス替えもなく、試験も終わって一番グダグダする数週間。


その日は、ひどく暖かかった。



「西岡ぁ」

中庭で掃除をしていると、不意に後ろから呼ばれた。
振り向くが誰もいない。

「上」

声のする方へ顔を向ける。
2階の教室から清水がこちらを見ていた。

「おー!清水!」
「何してんの?大掃除木曜じゃね?」
「俺のクラス担任宮ちゃんだからさ、週一でここの掃除入ってんだよ」
「へー。大変だな」
「まぁその代わり木曜俺ら掃除めっちゃ楽なんだけど」
「は、ズリー」

清水は笑う。俺も笑った。


うわ、すげー幸せ


「なぁ西岡」

清水が呼ぶ。
今日は機嫌が良いのか、やたら笑顔だ。

「お?」
「今日何の日か知ってる?」


下から見る清水もカッコ良いし可愛いなぁとか、いやそんなことじゃなくて

…今日?


首を傾げる。
今日が何月何日か思い出す前に

「ホワイトデーだよ」

上から何かが投げられた。

「ぉわっ」

反射的に慌ててキャッチ。

両手に少し余るくらいのプレゼント袋。
中身は柔らかく軽い。言うなれば、ぬいぐるみみたいな感触。


…て、ゆーか…?

「…え、くれんの?」
「ホワイトデーだっつの」

少し照れ臭そうに口を尖らせる清水。


うわ、やばいやばいやばい

可愛い
嬉しすぎる
泣きそう
顔熱い
嬉しい
抱きしめたい


色んな感情が身体中をぐるぐる巡って、結局行き着く答えは一つで。

「…サンキュ」
「おぅ」

軽く笑う顔。それだけで愛おしい。


ダメだ、やっぱり

抑えられない
手放せるわけがない

この気持ちはいくら吐き出してもおさまらなくて


「…清水」
「ん?」

見上げる。
清水は、俺を見てる。


それだけで、前は十分だったのに

俺も随分わがままになった


「…好きです。付き合ってください!」

直立したまま清水を真っ直ぐ見据え、告白した。


清水は少し目を見開いて驚いた顔。

そのまましばらく見られる。
負けじと見返す。

まるで睨み合いのようなそれは、清水が吹き出してすぐに終わり

「いーよ」

笑いながら、応えられた。



……は、

「…え…、え?い、いいの?」

慌てる。冗談だろうか。嘘だろうか。


だけどそう捉えるには

あまりに清水は綺麗に笑っていて



「いいよ。幸せにしてくれんだろ?」


その言葉は、まるでプロポーズを受けた人のようで


「あ、当たり前だろ!」

カッコつかない返事。
だけど清水は笑って

「ならよし」

あたたかな風に、髪がなびいた。

「ちょ…今からそっち行くから!」
「は?なんで」
「なんでも!ちゃんと待ってろよ!」

掃除道具を投げ出し、清水のいる校舎に駆け込む。
階段を急いで上がる。


早く抱きしめたかった。

そこにいるだけで

今日は、初デートです。


「よー」
「お、おっす!」

清水はオシャレだ。
重ね着とかそんなにしてないし、小物もほとんど使わないのにオシャレ。

シンプル・イズ・ベスト。

そんな私服の清水とどっか行くなんてまず初体験。
そんな清水と、“恋人として”、歩くなんて

(ゆ、夢なのか…?)

少しぼうっとする。しかし

「おい」
「ぅはいっ!」

呼び掛けられて、すぐに現実へ。
清水の声、好き。

とか思ってると、清水は ぷはっと吹き出して

「お前キンチョーしすぎ」

けらけら笑いながら俺を指差した。

あ、笑顔、大好き。

「で?どこ行くわけ?」
「えっ、あぁ!とりあえず飯食う?」
「いーね、腹減った」
「よし行こう!」

待ち合わせ場所から張り切って歩き出す。すると

「声でけぇよ」

清水が笑った。

(し、幸せすぎるっ…!)
「ニヤけんなバカ」



昼飯はファストフード。
その後はゲーセン。

色気もなにも無いけれど、俺はとにかく清水がそこにいて、そこで笑ってくれていることが嬉しくて。

嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。


「ゲーセンってさぁ、遊んでる時めっちゃ楽しいけど帰り若干後悔するよな。遣いすぎて」
「あー分かる分かる」


夕方の公園を歩きながら他愛のない話。

こんな日が来ることを、俺自身も予想してなかった。
いくら想像しても、妄想しても、それは絶対に叶わないことなんだと、どこかで当たり前に諦めていた。


だから、本当に、

ただただ、清水のことが好きで。


好きだと何度も告白することで、
この気持ちは本当なんだと清水に分かってほしくて。


自分のことが嫌いな清水に
分かってほしくて


「どうした?」

顔を覗き込んでくる清水。
いつの間にか立ち止まっていたらしい。

「…清水」
「おぅ」

呼べば、応えてくれる。
笑えば、笑ってくれる。

響くように
伝わるように
うつるように


「…好きだよ」


泣きたくなるくらい
せつなくなるくらい

あなたが好きで仕方ない

どうしたら伝わるだろう
どうしたら分かってもらえるだろう

言葉では足りない、
この思いを


「…知ってるって」

驚いた顔をしていた清水は、照れたように笑って言った。
立ち止まる俺から少し歩き、こちらに振り返ると

「俺は、お前が俺のこと好きだから付き合ったんだよ」

卑怯者だから、と悲しく笑う。



そんな風に
自分を傷つけないでほしい

俺はこんなに好きなのに、
なんだかひとつも伝わってない気がして


知ってる、って
嘘じゃないだろうけど


そうじゃ、ない。
俺が望んでるのは、たぶん、
そうじゃなくて



「…俺、清水にも、清水を好きになってほしい」

伝える本音。こぼれる言葉。
歯止めの利かない想いを、清水はただただ驚いたように、戸惑うように、俺を見て聞く。

「だから、そんな寂しいこと言うな」

一歩、近づいて。

「俺はこんな好きなんだから、清水がそれを否定したら、俺は、すげー…さみしい」


涙が出そうになった。
清水が、泣きそうだったから。


「……バカ、じゃねーの…」

俯いて、それでもまた、顔を上げて。

「お前、マジでバカ」

目元を赤くしながら、くしゃっと笑った。


なんかもう、それで
全部どうでもよくなった。


「しみずぅ~っ!!」
「なんだよ」

抱き着くと笑われて、背中を叩かれる。



ずっと、ずっと
離れるまで

清水が自分のことを好きになるように
言い続けるよ


「好き!大好き!!」
「だから知ってるっつーの」

すずめ

春色なのに、ピンクではなく。
あたたかいのに、やさしくはない。

甘いけれど砂糖ではなく、
まるで、むしろ、


夢のような。




「……」
「あ、起きた?おはよ」

目を覚ますと、目の前に清水の笑顔があった。

「…へ?あ、…おはよう…」
「顔洗ってこいよ。飯すぐできるから」

ぽんぽん、と頭を軽く叩かれて、清水は寝室から出て行った。
体を起こすとそこはベッドの上。しかもキングサイズ。

「……」

ひとまず起き上がり、洗面所へ。
鏡の中の自分、いつも通り。

いつもの朝。なのに

「西岡ぁー。紅茶とコーヒーと牛乳どれがいいー?」

キッチンから清水の声。

「んー、紅茶!」
「はいりょーかーい」

フライパンで何かを焼く音。
食欲をそそるにおい。

お腹が空いて、急いで顔を洗う。
いつもの朝。

キッチンに行くと

「あ、ちょうどよかった。これ運んで」
「はいよー」

清水に皿を2枚渡された。
上には、おいしそうなベーコンエッグ。
食卓に運ぶ間に、パンが焼けたことを告げる音。

「ナイスタイミング」

清水は嬉しそうに笑い、トースターに向かう。
中から、少し焦げた食パンが出てきた。

「あ、やべ焦げた」
「いや、俺そんぐらいが好き」
「マジ?じゃーいいや」

楽しそうに軽く笑うと、清水はトースターからパンを取り出し、皿にのせて食卓に運ぶ。

ベーコンエッグに、トーストに紅茶。
前日の夕食の残りが無い時に並ぶ朝食。

いつもの朝。
でも、向かい側に座るのは

「じゃ、いただきますか」

大好きな、ひと。

「あ、うん」

いただきます、と手をあわせて。
食べ始める清水を、思わずじっと見つめた。

「……なんだよ」

照れくさそうに睨む清水。
可愛い。すごい可愛い。

「いや、好きだなーと思って」

まったくためらわずに言ったら、清水は一気に真っ赤になって


でも


(…え…?)

ふと微笑うと

「俺も好きだよ、勇吾」

そう言って

「…え、ちょ…し、みず?」
「勇吾のこと、好きだよ」

いつの間にか、目の前に顔。

「あ、の…?」
「聞いてる?勇吾。勇吾?」


近付いてくる顔。
何度も呼ばれる自分の名前。



勇吾、
勇吾、
ゆうご、




「……勇吾?!あんたいい加減遅刻するよ!」


気付いたら、いつものベッドの上。
いつもの朝だった。




(まぁそうだよなぁ…)

あまりに幸せすぎたもんだから、どんなにありえない設定と展開でも少しがっかりする。
思わずため息をこぼすと

「新学期から辛気くせー」

こぶしで背中を叩かれると同時に、左側から声と顔。
その近さに、夢がダブる。

「ぅおっ清水!」

驚きと緊張で反射的にのけ反ると、清水はそれでも笑って

「お前いちいち大袈裟なんだよ」

昇降口に向かいながら鞄を背負い直す。


仕種、笑顔、声、言葉。
いつもの清水。いつもの朝。

幸せな朝。



「あー…今日から3年かぁ。受験とかやべー」
「うわーやべー」


春色なのに、ピンクではなく。


「お前志望何?私文?」
「や、理系」
「マジ?!え、すげーじゃん何すんの」
「一応…建築とか、まぁそっち系」
「建築?!へぇー…。…意外とあんだな、そーゆーの」
「そーゆーの?」
「夢っつーか、目標みたいな」


あたたかいのに、やさしくはない。


「まぁねー…行けっかは分かんねーけどさ」
「行けんじゃん?」

即答。少し驚いて見ると

「お前なら行けるよ」

清水は涼しい顔をしていた。

「…そうかな」
「行ける行ける」

そう断言してから、清水はぼそっと

「俺がほだされたぐらいだし」

はにかんで笑った。



甘いけれど砂糖ではなく、

まるで、
むしろ、


「……あの、清水くん?」
「ん?」
「煽ってます?」
「…は、んなわけねーだろ」
「じゃーなんだよ今の!」
「何がだようるせーな…」



恋人たちのような。



「あ、そーだ。今日お前ん家行っていー?」
「へ?別にいーけど…なんで?」
「単行本発売したじゃん。読み行く」
「あーそっか。なんだ、言ってくれれば持ってきたのに」
「……バーカ」
「はっ?!なんで…って清水?!ちょ、早くないですか!」


キミがいる。
キミが笑う。
キミを追いかける。

そんな、いつもの朝。

すきだから好き。

ひとつだけ、分からないこと。


「あれ、清水帰んねーの?」

放課後。
試験前だからほとんどの部活は休みで、だから教室から人がはけるのも早くて。

俺のいる部活も例外じゃないから、ただ一人残っていることにクラスメートは疑問を抱いた。

「んーまぁ。勉強してから帰ろうと思って」
「え、なら図書室行けば?」
「…人多いじゃん。やだ」

ふい、と窓に顔を向ける。
それが照れ隠し、だなんて

「ふーん…まぁいーけど。じゃあな」
「おぅ」


あいつぐらいしか気付かない。



うちのサッカー部は結構強豪だ。部員数も学校内で一番多い。
実は西岡は、そこに所属している。

(しかもレギュラーとか…)

大してすごい選手がいるわけでもない、まぁ“普通に”頑張ってるぐらいのテニス部に所属する俺とは、ちょっと世界が違う。人種が違う。

窓の外に目をやった。
試合が近いため試験前の部活動も許されたサッカー部が練習していた。その中に

(…お、発見)

あいつの姿。見つけるのもずいぶん早くなった。
…なんて

(言ってやらないけど)

少し笑える。



初めて会ったのはいつだっけ
たぶん一年の体育ん時

俺らはお互い隣のクラスで、体育は合同だった。


…まぁ、それだけで
ほとんどしゃべったことなんかなかったけど。

顔見知り程度
名前知ってる程度



それが、ある日突然
あれはそうだ、俺が彼女にフラれた直後

部活をしていた俺のところに来て、いきなり

「清水領一!俺っ…お前のこと好きになったかもしんない…!」

テニスコートの周りを囲むフェンス越しに、フェンスを掴んで、真っ赤な顔して必死の形相で。



(あれは一生忘れねぇわ…)

くくっ、と笑いがこぼれる。
あんなに衝撃的なことはなかった。


そうか、あいつは最初から
常識はずれで
まっすぐで

…まっすぐに、伝えてくれて



部活をする姿を眺める。
実はひそかに人気があるらしいあいつ。なるほど確かにカッコいい。
性格もいいし運動もできるし目標も持ってる。バカだけど。

そんな、ヤツが


(……なんで俺?)



いきなりだった。
フラれて傷心の俺に、突然飛び込んで求愛してきた顔見知りの男。

それまでに何があったわけでもない。
話したことも、関わったこともない。部活でも委員会でもなにもかも。



人を好きになるって、きっと並大抵のことじゃない。

それが同性ならなおさら
それが俺ならなおさらだ。

簡単に受け入れられるもんじゃない。


じゃあ、どうして
何が
どこが

お前は





「あっれ……なんで…?」

部活終わりのくせに走ってきた様子がありありと見えるくらい、肩を上下させて教室のドアに来た西岡。

目を丸く見開いている。驚いた顔。

「なんだ、早かったな」
「下から見えて…。あれ、俺…」

今日は部活があるから先に帰っていいと言われていた。
部活終わりだと勉強会の時間でもないし、最近は一緒にいると長話をして時間が過ぎてしまう。試験前には痛手だ。

でも。

「ん、じゃあ帰るか」

立ち上がって、結局使わなかった勉強道具を片付ける。
西岡を見ると、ただア然としたままこちらを見て突っ立っていて

「荷物は?」

思わず笑う。
西岡はハッとして

「あっやべっ!ちょ、今部室…」
「いーよ」

一人で行こうとするのを遮った。
荷物を持って、西岡の立つ入口に行って

「一緒に行こーぜ」

ふと笑うと、面白いくらい一気に赤面した。



やっぱわかんねーな
何でお前がこんなに俺を好きなのか

たぶん何かに影響されて
騙されて
勘違いして流されてるだけなんじゃねーかと思うんだけど


ちらと、ニヤニヤしている横顔を見る。
すぐに気づいて

「ん?」

聞いてくる、その顔で。表情で。

「……なんでも」

恥ずかしくなった。



答えられた気がしたんだ。

幸せならば

「西岡ってさぁ」

昼休み終了間近。自動販売機でお茶を取り出す最中の背中に声を掛けてきたのは、今まで共に部活のミーティングをしていた矢畑だった。

「ん?」
「例の“清水くん”と付き合ってんの?」

流れるようにお金を入れて炭酸の缶ジュースを買う矢畑。その言葉を咀嚼して

「え?」

突然どうしたと驚いて見る。矢畑はプシュッと音を立てながら缶を開け

「や、告白の現場を目撃したってヤツと、デートしてんの見たってヤツがうちのクラスにいて。同じ部活だからって聞かれんだよね」

そこまで缶を見つめながら言うと、ごくごくと喉を鳴らしながら炭酸を流し込む。クールで飄々とした奴だが、こういうところは妙に豪快だ。

「お前、ずっと好きだっつってたじゃん。何回も告白してたし。でもうまくいったとかは聞いてないから知らねーなと思って」

缶から目を上げ、ばちりと合った。こちらの答えを待つかのような無言に、西岡は

「あ、そうそう。3月にさ、オッケーもらえたんだよ」

思わずにやける。あれからもう2ヶ月以上経っているが、未だにあの時の高揚感を思い出せる。
へらへらと笑う西岡に

「へぇ、よかったじゃん」

矢畑は大して表情も変えずにそう言うと、残りのジュースを一気に飲み干して

「でも、清水くんは大変だな」

空き缶を備え付けのゴミ箱に放り込むと、その一言だけ残して行ってしまった。

「……え?」

その後ろ姿を見送る西岡。
意味が分からなかった。


**



(大変……なんで…?清水が?…なんで……?)

放課後。
あれからずっと考えていたが、それらしい答えはまったく出てこなかった。本人に聞こうにも違うクラスで、今日は部活もないから話もできない。
うーん…と首を傾げていた西岡だったが、ふと見上げた先に

(あっ)

清水がいた。左手の階段からちょうど降りてきたところらしい。西岡もいるこの廊下の突き当たりには図書室がある。部活のない今日のような日は清水とそこで待ち合わせをして、下校時刻まで互いに勉強をし、一緒に帰ることにしていた。
清水も図書室に向かうところらしい。タイミングのよさに運命的なものを感じて、西岡が

「し……」
「清水!」

声を掛けようとした矢先、別のより大きな声が重なった。西岡の声は届かず、清水は自分が来た階段の方を向く。階段から降りてきた二人組が清水の前に立った。そのうちの一人は

(……矢畑…!)

ついさっきまで考えていた人間の登場に、西岡は思わず壁から突き出た柱の影に隠れる。そこからそっと窺うと、もう一人はどうやら清水と同じテニス部で、矢畑と同じクラスの男だった。矢畑や清水と比べても小柄な体格だが、ここからでも見えるその目がやけに力強く挑戦的で、見上げているのに見下ろしているような気迫さえあった。

「お前、あいつと付き合ってるってマジ?」

少し離れた西岡にまで聞こえる声。信じられない、といった言い方だ。表情もそうだった。冗談だよな?とでも言いたげな、少しの笑いを含んだ表情。
対する清水の顔は、こちらからは見えない。

「…いや、こいつに聞いてさ。サッカー部のあいつ、西岡。お前に何回もコクってきてたじゃん。あれまさか受けたのかよ?」

清水が短く何かを答える。その声はこちらには届かない。だが、肯定したのだろうということは、そいつの表情から見て分かった。

「は……マジ?いややめとけって!お前別に元から“そう”じゃねーじゃん、元カノも可愛かったしさぁ。気の迷いにも程があるって!もったいねーよ!」

焦りは感じられなかった。ただ彼は、“説得”しているだけだ。“おかしな方向へ行ってしまった”友人を“元に戻す”べく、正論で説得しているだけ。
西岡にも、それが伝わった。

「……もったいないって、なに」

少し張った声。清水のものだ。静かだが、怒気を含んでいるようにも聞こえた。案の定、言われた方が驚いている。

「いや…だってそうだろ?お前フツーにモテんだし、男に走ることねーじゃん。つか西岡もそうだろ。お前らモテんのに、もったいねーよ」

(もったい…ない……)

意味は、分かる。言わんとしていることも、分かる。だがその考え自体はどうでもよかった。自分が大事にしていることではないから。
だがこれで唐突に理解できた。矢畑の言っていた、「清水くんは大変だな」。
柱を背に座り込む。

(清水……)

清水のことが、好きだった。好きで好きで、どうしようもなくて告白した。最初は玉砕だった。でも諦めなかった。というか、諦められなかった。どうやったら好きじゃなくなるかなんて考えられないほどに、清水のことが好きだったから。駆け引きなんてできないし、気持ちを抑えるなんてもっとできない。ただただ、好きで、好きで、それを分かってほしくて。

それで、精一杯だったから。

付き合えることになったとき、天にも昇るとはこういうことなんだと本当に分かった。死んでもいいと思ったけど、絶対に死にたくないとも思った。
清水が、隣で笑って、自分のことを少しでも特別だと思ってくれて、必要としてくれて。それだけで、体中が満たされるくらい幸せだった。

そうだ。
俺は、自分のことしか考えてなかったんだ。


清水にとってはどうだった?
大して知りもしない奴から告白されて
何度も何度も何度も何度も。

周りに隠しもしなかったから俺の好意はみんな知ってたし、だから清水が告白を受けてくれたとき、俺は祝福されたけど

清水にとっては?
清水は祝福された?
されるはずない
むしろ


「何で受けたんだよ」
「え、清水くんってソッチだったの?」
「もったいなーい」
「優しすぎるだろ」



「清水くん“は”大変だな」
俺じゃなくて、清水だけが大変な理由。


理解されないんだ
俺の告白を、受けた側だから

俺よりもずっと、
俺のせいで、
バッシングを受けることになるんだ





「……それはさ」

清水は一度視線を足元に落とす。そして隠しもせずため息をつくと

「女の子にモテるのに、それを捨ててまで男を選ぶのはもったいないって意味?」

下から視線だけが上げられる。合ったそれはひどく鋭い。だが、怯むわけにはいかない。

「…そーだよ。もったいねーだろ?なんなら女のコ紹介するしさ!」



そうだ、どうせ一時の気の迷いだ。
だから戻ってこい、清水。
お前が周りから変な目で見られんのも、謂れのないことでひそひそされんのも耐えらんねぇ。

それを否定しないのも
言われっぱなしなのも
何でだよとは、思うけど

思わず受けちまって、引っ込みつかなくなってんなら助けるから
まだ間に合うから

だから、
戻ってこい、清水



「……はーあ」

大きな大きなため息。呆れたような、というか、それだけで「こいつバカじゃねぇの?」と言わんばかりのため息。さすがにカチンときたが

「とりあえず色々言いたいことあるけどさぁ」

今度は逆に、気だるげに天井を仰ぐ。そして真っ直ぐにこちらを見ると

「俺が誰と付き合おうが、小柴には関係ないよな?」

とんでもない正論が飛んできた。

「…っ、そ、うだけど!そういうこと言ってんじゃねぇだろ!」
「じゃあなに?俺が男と付き合うか女と付き合うか、お前に決められなきゃいけないわけ?」
「~~っ!」

涼しい顔をしているが分かる。同じ部活で2年ちょっと過ごしてきた。部内では仲もいい方だ。ダブルスだって組んだことある。だから分かる。
清水は本気でキレている。

「…っ、俺は!お前を心配して…!」
「心配?何の?間違ってんのは周りで、俺は何とも思ってない。お前が何を心配すんの?」

言葉が出てこない。何も言い返せない。それもそうだ。
清水は、何も、間違ってない。

「……いいのかよ、お前は、それで」

絞り出した声。苦々しくも発せられたその言葉に、清水はそれでも表情を変えないまま

「いいも何も、逆に何が悪いんだよ」

真っ直ぐ見据えると

「好きなヤツと付き合ってる。それだけだろ」

一番聞きたくなくて、最も説得力のある言葉が胸を刺した。
強すぎる視線に目を逸らす。苦し紛れに舌打ちして

「お前もホモじゃねーか。キモ」

思ってもない悪態が、口をついて出た。そんな最低な捨て台詞を吐いて、清水に背を向けて階段を降りる。後ろから静かに矢畑もついてきた。
背中に視線は刺さっていたが、意地でも振り向かなかった。




「清水くん、カッコいーな」

沈黙の帰り道、ふと口を開いた矢畑が吐いた言葉に小柴は思わず振り向く。

「ぁあ?」
「そして小柴は最高にダサかった」

噛みつこうとした矢先の不意打ち攻撃に、なす術なくダメージを食らう。今日はこんなことばかりらしい。

「まぁ小柴が素直になれないことなんて清水くんも知ってるだろうけどさ、あれはダメだろ。ちゃんと謝っとけよ。言っていいことと悪いことがある」
「……」

飄々とした矢畑の言い方は、不思議と人をイラつかせない。だがここでうんと素直に頷ける小柴ではなかった。黙って俯く小柴の横顔に反省の色が見えたところで

「そんで、俺も謝んなきゃだ」

矢畑は息をつく。小柴が不思議そうに見ると

「俺もあんなダサかったんだなって、小柴見て気付いたわ」

矢畑は清々しそうに笑っていた。


“大変”、だなんて
外野が決めることじゃない

むしろその“大変”だという意見だって、
周りの噂話をする奴らと同じ側の意見をもっているということだろう。「同性同士なんて大変だろう」という。
それを敢えて、しかも本人ではなく相手である西岡に伝えるのは、思慮に欠ける行動だった。

矢畑は、それに気付いた。


「ダサい者同士、明日ちゃんと謝りに行こーぜ」


あんなに真摯に恋愛している二人にケチをつけた。その落とし前は、きちんとつけなきゃいけない、つけたいと思った。


**



二人の背中が消えるまで見送って、清水はようやく息を吐き出す。
小柴が言ってきたことは、少なからず周りが自分に対して思っていることだろう。それを小柴は無遠慮に、惜しげもなくぶつけてきた。彼なりの思いやりでもあった。それも分かる。
全く気にならない、というわけではない。明らかに差別的な視線を送る奴も出てきたし、興味本位で近付いてくる奴らもいる。ニヤニヤと遠巻きに見てくる女子も鬱陶しい。ただ、どうでもいいのだ。清水にとって、周りの意見などどうでもよかった。大事なことは、もっと別のところにある。それを大事にしていたいから、周りなど気にしなくなった。

何となく辺りを見回す。ふと目に入った。柱の向こう側にちらりと見える、特徴的な色のスポーツバッグ。似ている。同じものを持っている人物を他に知らないから、ひとまず見に行く。こんなところにあるなんて忘れ物だろうか、と考える前に

「うお、いた」

柱を背に腰を下ろす、西岡本人が目に入った。

「……なにしてんの?」

至極当然の疑問をぶつける。がしかし

(あれ、もしかして……さっきの聞かれてたとか?)

位置的に、隠れるためにここにいたようにも見える。あれを本人に聞かれていたとなると……と思い返す前に

「……しみず……」

西岡が、ひどく不安そうな表情で呼んできた。珍しい顔だ。眉尻を下げ、弱々しい声で、どうしたらいいのかと自信なさげに清水を見上げている。
それで分かった。どうやら

「…全部聞いてたわけじゃねーんだな…」

中途半端に、しかも恐らく、小柴の言葉のみ聞こえていたのだろう。

(まぁ、あいつ声デケーからな)

位置的にも自分の声は聞こえにくいだろう。仕方ないか、と清水は息をつき、西岡の目の前にしゃがむ。
目線が合った。

「いいか、滅多に言わねーだろうから、ちゃんと聞いとけよ」

そうだ、こいつに伝えてないのに
先にあいつらに教えてしまった。
誰よりも先に伝えなきゃいけなかった。

一度、深呼吸。もう一度しっかり息を吸って

「俺は、お前が好きだ」

正面から見つめてはっきり言うと、西岡の表情がみるみる変わっていくのが分かった。
眉間の皺は伸び、下がっていた眉根が上がる。目が大きく見開かれ、口もぽかんと力なく開いた。驚いた、そんな顔。
思わず笑う。でも、もっと喜んで欲しかった。
だから

「西岡のことが、好き。好きだよ」

伝わるように。届くように。
丁寧に丁寧に。


本当だよ

やさしいところ
無邪気な笑顔
意外と字がきれいだとか
結構努力家なところとか

付き合ってからたくさん知った
西岡のいいところ

西岡の、好きなところ


今なら胸を張って言える
流されたんじゃない
絆されただけじゃない

同情でも、なんでもなくて


ただ、キミが好きだと


「……、」

間抜けに開いていた口がパクパクと動く。同時にじわじわと顔が赤くなっていく。目元は不自然に力が入って、瞳が潤いだす。
初めて見る顔。

(……あぁ、)

そうか

(泣きそうなんだ)


「お待たせ」

満面の笑顔。
西岡はこぼれる涙をごまかすように、清水を抱き締めた。


たくさんもらった言葉
ようやく返せるかな

好きだよ、西岡
大好きだ



***



「はよっす」

後輩たちが妙にざわざわしながら挨拶していたから何事かと思ったら、確かに驚くべき光景があった。

「……へ?!矢畑?!」

我がサッカー部は強豪だが、朝練は自由参加、自主練習だ。矢畑は家が遠く早朝に登校することが難しいため、朝練には滅多に来ない。というか、ほとんど見たことがない。

「いやー久々だわこんな早起きしたの。始発めっちゃ空いてた」

体育倉庫前でスパイクを履く西岡の横に鞄を置くと、矢畑は手に持っていたビニール袋を差し出す。

「え?なに?」
「どれが好き?俺西岡の好み知らなくてさ」

片っ端から買ってきたと言いながら、しゃがんで袋の中を見せてくる。コンビニのビニール袋だったそれの中には、甘いものからしょっぱいものまで、多種多様のお菓子が入っていた。

「……なにこれ?」
「ん?お詫び」
「お詫び?」

首を傾げる。詫びられる覚えなどない西岡。だがその反応も想定内のように、矢畑は焦らないし揺るがなかった。

「昨日さ、俺無神経なこと言ったなと思って」

きのう、と言われてすぐに西岡が思い出すのは、あの清水とのやり取りだ。だがその直前に矢畑がいたことも思い出す。だがその時矢畑は何も話していなかったはずだ。
ますます首を傾げようとした西岡に

「“清水くんは大変だ”って」

矢畑は自分から白状した。その言葉で西岡はすぐにピンとくる。だが、やはり謝るようなことではないような…と不思議そうに見ると

「俺が、……俺みたいな外野がさ、判断することでもなかったろ。何が大変で、何が障害かなんて人それぞれだし。…決めつけて、俺も差別してた。…ごめん」

その姿勢のまま、矢畑は頭を下げる。しばらく何の反応もなかったが

「……もしかして、そのために今日朝練来たの?」

笑いを含んだような言い方に顔を上げる。案の定、西岡はニヤニヤしていた。

「まぁ。謝罪は直接、早いうちにって言うだろ」

矢畑はばつが悪そうに肩をすくめる。西岡はそれを聞いて

「そっか。全然気にしてなかったけど、サンキューな」

清々しく破顔した。それからビニール袋を覗き込み

「あ、俺これ好き」
「ん。いくつでも持ってけ。あと清水くんの好きなやつも」
「清水?そうだなー…」

袋を漁る西岡を見て、矢畑は微笑む。

(ほんと、いいヤツだな)

それから対比的な友人を思い出す。

(あいつは謝れるかね…)

我が友人ながら、思わず苦笑が漏れた。



**



気が付けば、放課後だった。

いや、違うそうじゃない、と小柴は一人首を振る。今までチャンスはいくらでもあったのだ。
クラスは違えど階は同じだし、休み時間なんか使えばいくらでもできた。それが無理でも部活は同じだし、話しかける機会はいくらでもあった。

というのに

(なんでもう部活まで終わろうとしてんだ…!)

頼みの綱の部活も、すでに片付けの時間だった。

(くっそ……このままじゃマジでただのダセェ奴になっちまう……)

気持ちは焦るが、だからと言って引退間近の最高学年が片付けを蔑ろにするわけにはいかない。コートにブラシをかけながら、ボール拾いをする清水をちらりと見る。近くにいる後輩に話しかけられて、それに笑顔で応えているところだった。特に変わった様子はない。

(大体…矢畑のヤローがプレッシャーかけるようなこと言うから……)

ブラシをぎゅっと握りしめ、奥歯を噛み締める。


……


矢畑は朝教室に入ってくるなり、挨拶もそこそこに

「謝ってきたよ」

と宣言してきた。

「……は?」
「ついでに朝練もしてきた」

自席に鞄を置きながら言う矢畑。その家の遠さを知っている小柴は余計に驚く。同じ部活である西岡に謝るために、早起きして滅多に出ない朝練にまで出たと言うのだ。

「な、んで…そこまで…」

驚きを隠さず小柴が聞くと、矢畑はからりと笑って

「ダセェまんまは嫌だからな」

と言うと

「お前も今日中に謝んないと、卒業までずっとこのままだぞ」

飄々と脅してきた。

「は…大げさだろ」
「ほんとにそう思う?」

軽く笑い飛ばそうとする小柴に、矢畑はにこりともせずに見てくる。
感情の薄い、冷めたような視線。

「…、」
「ただでさえ素直になれないお前が、今日という日を逃して後々謝れると思う?時間は経てば経つほど謝りにくくなるし気まずくなるだろ。むしろ卒業まで、じゃ済まないかもな?一生このままかもしれない」

脅しでも、大げさでもない。事実だ。容易に想像できる。謝れない自分も、気まずくなる空気も。
部活だってあと少しで引退だ。そうなれば、クラスの違う自分たちに接点はなくなる。どれだけ仲良くしていても、簡単にそれが壊れてしまう。

そんなことを、言ってしまったのだ。自分は。

「……」
「ま、それでいいならいいけどさ。お前ら仲良かったのに、それこそ“もったいない”んじゃないの」

皮肉にも、昨日放った言葉が大きな弧を描いて

「……わかってるよ」

頭にガツンとぶつかった。


……



とは、言うものの。

「はぁー……」

部室に入るなり大きなため息。結局部活の間も、謝るどころか声すらかけられなかった。普段ペアでの打ち合いなんかでも自分から声をかけることが多いのに、それすら出来ず、その間に清水はさっさと後輩と組んでしまった。自分も後輩と組むしかなかった。

(情けねぇ…マジで)

よたよたと自分の鞄がある方へと寄っていく。着替えようとジャージのファスナーに手を掛けたその時

「お疲れーっす」

清水が部室に入ってきた。下ろそうとしたファスナーを思わず引き上げてしまう。

「お疲れー」
「わりーな、最後まで」
「いやいや」

清水の挨拶に応えたのは、すでに半分以上着替え終わっている同級生の2人。ボール拾いをしていた清水は、コート整備の小柴たちよりも時間がかかったらしい。
男子テニス部の同期はこの4人だけで、少ないからこそ仲良くやってきた。気も合ったし、実力も大差なかった。
部室にいるのは最高学年である4人だけ。外部活の部室棟は一部屋があまり広くなく、部員全員が使うには狭すぎる。そのため、この部では引退前の最高学年のみがコートに近い部室で着替えられることになっていた。下級生たちは校内にある更衣室で着替えてそのまま帰るため、部活後は部室に滅多に来ない。

と、いうことは

(最後の…チャンス…!)

ちらちらと清水を盗み見ながら、どうにかして話しかける機会を作れないかと様子を窺う。
すると

「……お前さ、何か言いたいことあんならさっさと言えよ」

清水から突然、核心をズドンと突かれた。

「…………はっ、はあ?」
「今日ずっと見てただろ…気になって仕方ねーよ」

呆れたように顔を歪ませため息をつく。その間にもジャージから制服へするすると着替えていく清水。
突然、何の用意もなく本人から不意打ちを食らった小柴は思わず

「は、見てなんか…!」
「見てたな」
「うん、めっちゃ見てた」

否定しようとしたが、残りの2人に即座に肯定された。ぐ、と言葉に詰まる。

「俺らが分かるんだから、清水なんか絶対分かるだろー」
「見てないは無理あるよ、こっしー」

ケラケラと笑いながら言う2人。多勢に無勢、そもそも3人も見ていると言うのにこれで否定することなどできない。小柴は恥ずかしさに唇を噛み締める。

「ま、俺らとしてはお前らがぎくしゃくしたまま引退ってのも後味わりーし、話すならちゃんと話せよ」
「卒業旅行も行きたいしね!じゃ、お先にーお疲れー」

2人はそう好き勝手に発言するなり、さっさと荷物をまとめて部室から出て行く。清水は着替えながらも「お疲れー」と覇気なく応え、2人を見送った。
2人は気付いていたのだ。それもそうだろう、いつもペアを組む清水と小柴が、今日は一言も喋らず関わりもせず、小柴が一方的に様子を窺うように見つめるだけ。そんな光景を見たら、3年間同じ部で活動してきた同期なら“何かあった”ことくらいは分かるのも頷けた。
清水とともに取り残され、小柴は所在無げに俯く。清水が着替える音だけが部室に響く。



(ま、昨日の今日だからな……)

清水はちらと小柴を見たが、俯いたままで表情は見えない。今日“こうなる”ことは、なんとなく予想できた。あんな風に悪態をついて去った後、小柴がいつも通りにできないことは容易に想像がつく。あとは、“これから小柴がどうしたいか”だ。

「……なんもねーなら帰るぞ」

着替えも終わり、荷物をまとめる。丁寧に着替えたせいでいつもより身なりが整った。鞄を持って一歩、ドアの方向へと足を踏み出したその時

「……帰るって、…あいつとかよ」

小柴が口を開いた。清水は振り向く。振り向くが、小柴はまだ顔を俯けていた。表情が見えない以上、言葉だけで受け取って考え、返すしかない。



少しの沈黙。それから

「…え、違うけど」

予想外の答えが返ってきた。小柴は思わず顔を上げる。

「……は?」
「いや違うっつーか…西岡とは帰らねーよ。普通に1人で帰る」

「あいつとか」と聞かれて「違う」と答えると、違う人間と帰るようにも捉えられる。だから清水は言い直したのだろう。だが小柴にとって重要なのはそこじゃない。そんなことはどうでもいい。
「普通に1人で帰る」、これだ。

「は…なんで?」
「何でって…部活あると片付けとかミーティングとかで終わる時間まちまちだろ。部活ある日は約束してねーの」

まぁたまに帰るときもあるけど、と肩をすくめる仕草をする清水。それは至極当然の理由だ。なるほど、と納得するに足る理由だ。だが小柴は頷けない。なぜなら

(だってお前……前は)

以前は。
清水に彼女がいた頃、小柴はよくその話を聞いていた。ノロケも相談も愚痴も聞いたし、彼女がいることを、恋していることを楽しんでいるように見えた。その話の中で、よく聞いていたこと。それは“なるべく一緒にいる”ことだ。

…ー付き合ってるんだから当然でしょってさ、まぁ分かるけど

気持ちは嬉しい、それでも困った、と言うように。そのときは、「おいノロケかよー」なんて流したし、実際そう思っていたけど。
他校の彼女と“なるべく一緒にいる”には、相応の努力が必要だった。もちろん互いにではあるが、端から見ているとどう考えても清水の方が割に合わないというか、清水の方がその割合が大きいような気がした。
部活が終われば他校まで迎えに行く、朝も彼女の最寄り駅で待ち合わせる、土日のどちらかは必ずデート。それでも「好きだから」と。「好きだから我慢できる」と言っていた。我慢するところなのか、とは、そのときの清水には言えなかった。

そんな清水を見てきた。話を聞いていた。
だから

「お互い引退近いしさ、部員と関われんのってあと少しだから、部活ある日はそっち優先しようってなって。俺らは会おうと思えば会えるし、そこまで無理して一緒に帰る必要もないだろ」

清水から、そんな言葉が出るなんて。


分かってた
知ってたんだ

あいつと付き合いだしてからの清水が、どれだけ楽しそうだったか

前よりもずっと
穏やかで
よく笑って
満たされていて

ああ、あれが
幸せな人間なんだって


(分かってた…分かってんだよ……)

こいつがどれだけ西岡を好きか
西岡に好かれていて嬉しいか

俺には分かった

だから、
的外れな噂ばかりを言う周りも
それを知っていてなお何も言わない清水も

無性にムカついて
許せなくて

(は、ガキかっつーの……)



うなだれる小柴。清水は戸惑う。帰ろうか、と再び動こうとした矢先

「……悪かった」

小柴が

「……え…」

顔を上げて

「……昨日言ったこと、…全部取り消す。ごめん」

まっすぐに見つめてから、深く頭を下げた。



「……ふ」

次に頭上から聞こえたのは、まさかの吹き出した声。顔を上げると

「おまえ、ちゃんと謝れんだな」

くすくすと笑いながら、それでも嬉しそうな清水の顔があった。

「…うるせーよ」

小柴もつられて吹き出す。
顔を見合わせ、2人して腹を抱えて笑った。



「でもさ、ほんとに平気なのかよ?」

帰り道。ついでだから何か食べて帰ろうと、2人は駅の方へ向かっていた。自転車を押して歩く清水の横で、小柴は心配そうに尋ねる。

「なにが?」
「周りの反応。結構エグいのもあんだろ」

思春期真っ盛りの高校生が、大々的に付き合っている男同士のカップルを、冷やかしたり下世話なことを聞き出そうとしたりする様子は、当事者でない小柴も見かけるほど珍しくなかった。清水はそれに対し、適当に流している風ではあったが

「あぁ…ほんとな。ほっとけって感じだよな」

思い出して苦い顔をするくらいには、苦痛に感じているようだった。

「これが男女のカップルだったらそんなこと聞かねーだろって思うんだけど。まぁ言わねーけどさ」

肩をすくめ、面倒臭そうに息をつく。小柴はそれを見て

「そういうのさ、しんどくね?」

清水を窺うように覗き込む。

「なにが?」
「…なんつーか…晒されてるっつーか、笑い者扱いってゆーかさ。気になんねーの?」

純粋な疑問。そして、憂慮。それが顔色から見て取れる。だから言葉が辛辣だろうとも、不思議と嫌な気はしない。清水は軽く吹き出した。

「おまえ、容赦ないね」
「えっ?…あぁいや!わりぃ…そういう意味じゃ…」
「いーよ、分かってる」

軽く笑って流すと、清水はひと息ついてから

「全然気になんないよ」

小柴の疑問に答えた。

「そりゃ、直接言われたらダルいし鬱陶しいけど、基本どうでもいい。誰に何言われようとなんも気にしてない」

その言葉は、話している素振りや表情から見ても至って普通、落ち着いて穏やかで、決して無理をしているようには見えない。

「……なんも?」
「なんも」
「全然?」
「まったく」

そのやり取りに軽く笑う清水。どうやら本当にそう思っているようだ。

「大事なとこは、そこじゃない」

静かに、それでもきっぱりと言った清水が印象的で、小柴は思わず

「…大事…」

反復して呟く。頷く清水。
周りの反応よりも、周りからの評価よりも大事なもの。清水にとって、大事なこと。

「なにが大事?」

純粋な興味で聞いた。清水は横目でちらりと見る。目が合って

「ノロケになるから言わねー」

頬を少し赤らめながら、それでも余裕そうにニヤリと笑って答えた。
小柴は驚いたが

「…は、そういうことかよ」

恥ずかしいヤツ、とぼやきながらもつられて笑う。何となく理解できた。

「にしてもすげーよ、やっぱ」
「ん?」

軽く空を仰ぎ、小柴は感嘆のため息をつく。

「気にしないって言ったって気になるときは気になるし、どうでもいいって言ってたってさ、周りの反応ってデカいだろ、学校では特にさ。それをホントに気になんないって、マジですごいと思う」

元々そういうタイプだというなら分かる。だが、清水はそうというわけでもない。明らかに変わった。だから小柴は感心してしまう。
すると

「つーか、ただの受け売りなんだよね」

前を見て少し悔しそうに清水が言った。小柴が不思議そうに見ると

「俺はあいつに告白された側だからさ。悩む時間も考える時間もあったし、躊躇う間もあった。でも、あいつはさ…」

思い出したように微笑む。
あれは、告白を受け入れる前。よく覚えている。バレンタインの後だ。


……


「おまえ、何で平気なの?」

軽い口調で差別され、冗談のように性的な話を持ちかけられ、それでも笑って流している西岡に、俺はとうとう切り出した。
だが当の本人は

「ん?」

まったく気にしていない様子。まぁ、気にしていたらこんな大っぴらに告白してくるなんて真似できないんだろうけど。
それにしたって無頓着すぎる。

「周りから色々言われてさ。さっきのなんか嫌がらせじゃねーか。そんな扱いされてまで……」

俺を好きでいることねーだろ、と
言うのは簡単だったが、口から出てこなかった。
黙り込んだ俺に、西岡は

「何で平気かと聞かれたら」

妙に芝居がかった口調で悩むような素振りをすると

「どうでもいいからかな」

途端にあっけらかんとして言った。その振り幅に付いていけず、俺の目はぱちくりと開く。

「周りのそういうの気にして、大事なものをおろそかにしたくないんだよね。噂とか悪口とか真に受けてさ、清水と楽しく話せなくなったら嫌じゃん?」

大事なもの
その言葉がやけに残って、胸がじわりと熱くなる。

俺と楽しく話すのが、
そんなに大事なこと?

俺の表情に気付いて、西岡は微笑む。
やさしく、やわらかく
照れたように頬を赤らめて

「俺にとって一番大事なのは、清水が笑顔でいること」

そっと手を重ねると

「俺が清水を好きなのは、俺が幸せでいるためであり、清水を幸せにしたいからなんだよ」


それを大事にしていたら、周りなんてどうでもいいでしょう?

好きでいることを、好きであることを周りにどれだけ否定されようとも
清水が、それを拒まない限りは
やめない。ぶれない。

自分のために。
清水の幸せのために。

「俺が好きでいることで、清水が幸せになってくれたら最高じゃない?」

その屈託のない笑顔を、俺はきっと、生涯忘れないだろう。

俺が
恋に負けた瞬間だった



……


「……あいつは、最初からカッコいいんだよ」

観念したように、それでも微笑んで言う清水。小柴はその横顔を見て

「…やっぱりノロケじゃねーか」

肩をすくめる。清水は吹き出して

「だな。わりぃ」
「でも」

遮るような逆説。清水が驚く間もなく

「いいんじゃん?」

ニヤリと笑った。清水は目をぱちくりして一瞬黙るが、ぷは、と吹き出し

「いいのかよ」

同じように笑った。



いいんだよ
前のノロケより全然

お前が楽しそうで
幸せそうだから

ただキミが

ただキミが

※BLご注意を

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted