卒業

HR

  1. 卒業
  2. 同窓会
  3. ドリーム、ドリーム
  4. しあわせのぼくらで
  5. overture
  6. カチリ
  7. ミリセコンド
  8. ミルクティー
  9. ハッピーバレンタイン

卒業

深夜2時。

風呂から出ると、東は仰向けに倒れていた。

「あーずまー?大丈夫かー?」

Tシャツにスウェットで頭を拭きながら近寄ると、どうやら完全にご就寝。

「おいー風邪引くって」

ぐらぐら揺らすも、反応すらしない。ふぅ、と溜め息をついた。

俺はとっくに書き終わった、明日締切の卒業論文を書くため、俺のアパートに来ていた東。

資料を貸したり表現を提供したりして、日付が変わりながらもなんとか形になったところで俺は風呂に入った。

そうして出てきたら、東が大の字になって寝ていたのである。
どうやら論文が完成した達成感で一気に疲れが出たらしい。

俺は東の横にすとんと座る。


あっという間、とは言えない4年間だった。

いろんなことを知った、いろんなものを得た、バカみたいに一喜一憂した。

全部、ここに寝ている東のせいで。

(…のんきなもんだよなー…)

もうすぐ、卒業。
ずっと一緒にいた4年間は終わりを告げる。
たぶんもう、こっからはあっという間だ。

「…」

寝顔を見つめる。

もう、終わらせなければ。
この気持ちも、期待も、女々しい感情も、すべて手放さなければ。

だから、最後にせめて


俺は、東の唇に口付けを落とした。


数えて5秒。初めて触れる唇。

離れた途端、涙が流れた。

「…っ……じゃあな」

呟いて、足早に洗面所へ向かう。

東が目覚めた時、次に俺たちが顔を合わせた時、東はもう、ただの友人になる。

これからの俺にとって、この感情は無い方が良いんだ。
叶わない恋などいらない。俺たちは友人でいい。

この想いからも、卒業する。

嫌だと叫ぶ自分自身を無視して、感情の奥底にしまいこんだ。




慌てたように遠ざかっていく足音。
いないのを確認して、むくっと起き上がった。

寝たフリをしていたわけじゃない。
ぐらぐら揺らされたあと、静かになったころに頭は起きた。
ただ、椎名がやけに俺のことを見てるから、起きるタイミングを失っただけ。

そしたらまさか

「……マジかよ…」

キスされると思わなかった。

顔が熱い。親指で、唇にそっと触れる。
まだ残る感触。濡れた唇が触れた跡。

椎名が消えていった方を見やる。

次に会った時、椎名が帰ってきた時、俺はどんな顔をして迎えればいいのか。

赤い顔を手の平で冷やす。



二人が再び出会うまで、あと30秒。



スーツ姿が並ぶ。
桜は咲いてないけど、綺麗に晴れた。

今日は卒業式。

そこそこ仲の良かった奴らと写真を撮っていたら、親友の姿を見失った。

「なぁ、椎名知らねぇ?」
「椎名?さぁ」

浮かれた色んな奴らに聞いて探し回るも、この人込みの中見つけるのはなかなか至難で…

「ぐぁー…いねぇし…」

写真撮影に応じたり思い出話をしたりして探してたら、結局、人がまばらになっても見つからなかった。

入口近くの花壇の縁に座る。

何度もかけたケータイを開いても、着信無し、メールも無し。

「えぇー…シカトっすかぁ…」

ぱたんとケータイを閉じて、足を伸ばし天を仰ぐ。

(…最後なのに)

最後だから、確かめたかった


あの日の…キスの意味はなんだったのか


あれからずっと聞けなくて

椎名は普通だし

俺も普通に振る舞うしかないし

つーか…


もうあの日から椎名で頭いっぱいで


「…単純か」

ふぅ、と息を吐く。


俺はどうしたいんだろう

椎名の気持ちうんぬんの前に

俺は…あいつをどう思ってるんだろ


友達?
親友?

椎名のことは好きだけど…それは友達としてで…


……でも



「…東?」

声で、バッと頭を上げる。
そこには、不思議そうな顔をして立っている椎名がいた。

「し、椎名…帰ったんじゃなかったのか」

もう帰ったもんだと諦めてたのに…

椎名は笑って

「いや、それこっちのセリフ。もうほとんどいないから帰ったと思ってたよ。何してんの?」

様子からして、たぶん俺の着信には気付いてない。

「お前のこと探してたんだよ…」

はぁぁー…とうなだれた。
すると椎名は

「あ…マジで?ごめん、高岡先生に捕まってさ、延々長話聞いてた」

苦笑して寄ってくる。

「…え、あのオッサンいた?俺見なかったけど」
「なんかあっちの裏で散歩してた」
「裏?なんで裏なんか行ったんだよ」

普通に疑問に思ったから聞いたら、椎名は しまった、という顔をした。

え…なにその反応

「何だよ、答えろよ」

口を尖らせると、椎名は目を反らせて

「…呼び出されて…告白、された」

ぼそっと言った。


……は、え?

こくはく…?

…椎名が…え?


「誰に?」
「…林さんに」
「あぁ、あのコ…え、付き合ってって?」
「…まぁ、うん。ずっと好きだったって」
「へ、へぇ…」

林さんと言えば、俺らと同じ学部で、大人しくてのほほんとした感じの…女子に人気で可愛がられているコだ。


つーか…え、なにこの感じ

心臓がざわざわする


「…付き合うの?」

普通に聞いたつもりだった。でも椎名は

「…なに怒ってんだよ」

軽く笑ってきた。

「…怒ってねーよ」
「怒ってんじゃん」
「怒ってません」
「眉間にシワ寄ってますけど?」

くすくすと笑う。それを見てたら

あぁ…なんかハッキリしてきた


自分の気持ち


「なんかよく分かんねーけど、…」

ふ、と見上げると、目が合った。

「椎名を取られるのは嫌だ」

すると、椎名はゆっくり目を見開く。
驚いて動揺している。

「……なに言ってんだよ」

ようやく搾り出したような言葉は、少し震えていて。

少し可笑しい。俺は笑う。

「俺、椎名のこと好きかも」

笑顔で言うと、椎名は余計に目を見開いた。
瞳が揺れる。泣きそうな顔。

俺は立ち上がって、少し椎名に近付く。

「…かもってなんだよ」
「しょーがねーじゃん。俺男好きになったことなんか無いから分かんねーし」

俯く椎名。俺はいつもの距離に立つ。

「俺だって…」

友人の距離。それから半歩近付くと、椎名は顔を上げた。

真っ赤になったそれは、今にも泣きそうな表情で

「…俺だって、お前が初めてだよ」

そう言ってまた俯いてしまいそうな顔を、俺は掬い上げるように抱きしめた。

震える身体。急に愛おしくなる。

「林さんと付き合うの?」
「…付き合わねーよ、バカ」

おずおずと背中に手がまわる。

耳元で聞こえる声は、いつもよりずっとあったかくて、何だかくすぐったい。

「…お前ズルいよ」

椎名は呟く。

「せっかく…諦められると思ったのに」

ぎゅ、とスーツを握られる。

そっか、じゃああのキスは…

「…ははっ」

軽く笑う。

椎名にとって最後のつもりだったキスは、
俺にとっては始まりのキスになった。

「なに笑ってんだよ」

離れて目を合わせると、椎名は怪訝そうな顔。

それに俺は顔を近付けて、唇に軽く触れるキスをした。

「2回目」

驚く椎名に笑って言う。

「……は…、なっ…」

みるみる赤くなる椎名が可愛くて、また抱きしめた。


俺たちは、今日、友人を卒業する。

同窓会

同窓会ってのは、楽しいもんだ。

…普通は。


なのに、

「椎名おめー相変わらずちっちぇーな!」
「なっ、ちょっ…もーやめろよ」
「全然変わってねーし!」
「バカお前卒業してからそんな経ってねーだろ」
「あーなんかそのツッコミも久々!」


……すげームカムカします。


「うわ腰ほっそ!ちゃんと食ってんの?」
「食ってる食ってる。つかお前ら酔いすぎ。触んな」


ホントだよ触んな。
そいつに触っていいのは俺だけなんだよ。


「ほら食え食え!ちゃんと成長しろよ!」
「あ、向こうの取ってやろうか?」
「おぉ、悪ぃ」


いや俺としてはね?せっかくの同窓会だし?昔の友達と仲良くしたいだろうなーとか思って気を利かせて遠くに座ったわけだよ。

でも


「しーなー。俺もう酔ったぁ~」
「ちょっ、お前どけよ。俺食いたいの」
「俺はお前を食いたい」
「……はぁっ?!」
「はははっ!!お前ふざけすぎ!」
「いやぁ~意外と椎名ならいけんじゃね?」
「細いし?女みてーだもんな。俺はいけねーけど」
「そー?いや、お前も椎名のここ見たらいけるかもよ」
「っ!ちょ、バカお前変なとこ触んな!」


……もう限界です



ガッ、と立ち上がる。全員がこちらを見る。

元同級生を掻き分け無理矢理に椎名の元へ行き、二の腕を引っ張って立ち上がらせた。

「あ、東?」

驚いて見る椎名。
椎名の周りにいた野郎共も呆けた顔をして見上げている。

俺は全員を見回して

「俺、こいつと付き合ってっから」

自分でも驚くくらい大きな声で言った。


一瞬静まり返る同窓会。
ア然とした空気。

しかしそこは酒の場らしく

「…おいおい東ぁ~!お前飲みすぎだろ!」
「いいぞーっ!!」

冗談として捉えられた。

「お、おい東…」

あからさまにうろたえる椎名。俺は聞こえないフリをして

「とゆーわけなんで、俺らふけさせてもらいまーす」
「ぇえ~?帰んの~?」
「これ以上ここにいたら大事な恋人を野郎共に汚されそうなんで」
「バーカしねぇっつーの!」
「じゃ、幹事さんお疲れさんした。あとよろしくー」
「ぅおお?!マジ帰んの?!」

椎名を引っ張り、じゃーねーというみんなの別れの挨拶を背に店を出た。




手首を引っ張られながら進む。
店を出てからだいぶ経ったのに、東はまだ黙ったまま。

「…東ぁ」

呼び掛ける。
酒には俺よりずっと強いから、そんなに酔ってはいないはずなのだが

「…」

東はこちらを向かない。

人気の無い、線路の高架下。
時折電車が通ると、辺りを明るく照らす。


不意に、東が振り向いた。
そして目も合わないまま抱きしめられる。

「……東?」

少しびっくり。しばらくそのままでいると東は

「…お前は俺のもんなの」

小さい声で言った。

「……え?」
「誰にも渡さねー」

ぎゅう、ときつく抱きしめられる。


まるで駄々っ子だ


「どうしたんだよ」

思わず苦笑すると、東はふてくされたように

「椎名が自覚ねーから」

ぐりぐりと額を肩に押し付けられる。

「自覚?」
「さっきの」

東にさっきまで一緒に呑んでいた友達の名前を言われ、そこでようやく

「…なに、妬いてんの?」

気付いた。

「ふざけてただけじゃんか。酒も入ってたしさ」
「…ふざけててもイヤ」

後頭部に手がまわり頭ごと抱きしめられる。
そして

「ふざけてても、冗談でも、お前を触らすのはイヤなの」



「…ぷっ」

なぜか、笑われた。俺は椎名を離して顔を見る。

「…なんだよ」
「お前、そんな理由であんなに楽しみにしてた同窓会、一次会で抜けたのかよ」

くすくす笑う、その顔を見てると理性が保てなくなりそうなので

「うるせーな、マジでムカついたんだよ」

そっぽを向いてふてくされると

「安心しろ酔っ払い」

突然ぐいっ、と襟元を引っ張られ


唇が重なった。


「俺はお前しか見えてねーから」

目の前の顔は不敵に笑う。

それはいつもの椎名とは少し違って

「…お前も酔ってんじゃん」
「ははっ、そうだな」

椎名は笑うと俺の手を引っ張って歩き出す。

「飲み直すか!」
「…そーだな」

繋がる手。

夜は更けていく。

ドリーム、ドリーム

「で、ほら、あの二人をくっつけよう大作戦みたいな」

その言葉で見た東は、なんだかものすごく遠い人みたいに思えた。



夜の海、暗い砂浜。
明かりは後ろの海の家からのみ。

夏休みのゼミの課題で、合宿と称した海の家の経営は一週間上手く行き、この調子でもう一週間、という中打ち上げ。

それから抜けてきた。
砂浜に座り、真っ黒い海を眺める。



ゼミの1年女子に、東のことを好きなコがいて。
それをくっつけるために周りが協力する、なんてよくある青春話。
東と一番仲良くて一緒にいるとして、俺にもその作戦に参加してほしいと、まぁ妥当だなとは思いながら。

ごまかせないくらい、もやもやする自分が存在した。


(も…どーすんだよこれ…わけ分かんね…)

膝を抱えて突っ伏す。
周りには酔った体で抜けてきたから大丈夫だろう、ともすればあふれそうな涙を拭う。


なんとなく、分かってる。
底では分かってる、本当の気持ち。

ただ認めたくないだけ。

(…だって気持ち悪い…こんなの)

友達だと思ってた。
自分とは少し違うから、憧れみたいなのもあった。
劣等感を感じなかったのは確かに不思議だったけど。

それでもこんな

(こんな……嫉妬みたいな)


知ってる、これは欲だ。

独占欲。

これを含む感情を、人は大抵


「……、っ」
「しーいなー?」
「!?!?」

心臓がありえないほど脈打った。
身体も反射的に飛びのいて、砂浜に腕を打ちつける。

東がすぐそこにいた。

「うわ、お前驚きすぎ」

けらけら笑う。笑いながらさりげなく手を差し出して起こしてくれる。

無駄にやさしい。

「なに…お前、何で来たんだよ」
「えーひでーな、心配して来たんじゃん」

椎名酒弱いからなーと笑い、隣に座る。


バカ、戻れよ

今は俺なんかに構ってる場合じゃないだろ


後ろを見る。
こちらを見ていた女子と目が合った。すぐに逸らされる。


…ああ、はいはい


「…東」
「ん?」
「戻れよ、お前」
「…は?」

怪訝そうな声でこちらを向く。


やば、なんか不自然だったかな


「俺もう大丈夫だし、みんな待ってるよ」

後ろを指す。東は振り向く。
俺は振り向かない。

それが一番、望まれたこと



しかし

「えー、いいよ別に」

ふぅ、とため息をついて東は首を戻す。


……は?

「な、何で?」
「えー?だってなんかやたら絡まれて疲れんだもん」

足を投げ出して口を尖らせる。

「疲れるってお前…」
「女子めんどくせーし。椎名といた方が100倍ラク」

なー、と頭をぐしゃぐしゃされる。


こいつ…悪気も後先も何も無いな


本気で呆れて、軽いため息。
すると東は

「あ、こらため息とかすんなよ。結構寂しかったんだからな、俺」

むぅ、とふてくされた顔。

「はぁ?何がだよ」
「だってこの合宿中全然喋れてねーし。部屋もグループも違うじゃん?俺ら。だからお前が抜けたの見て俺こっち来たんだよ」

向こう戻ったら意味ねーの、と睨む東。



あぁ…もうダメだこいつ

人の気も知らないで、殺し文句だけ吐いて

心臓わしづかみにしといて、
無邪気に笑って“大事な友達だ”とほざく


離れられるわけない

無視できないくらい、この感情はデカくなってしまった

他ならぬこいつのせいで



「…俺と喋りたくて来たってこと?」
「そうそう。うわそう言われると照れんな」
「……」
「あ、今舌打ちした?」
「してない。ただムカついただけ」
「はぁ?!ちょ、なんでだよ!」

空を見る。

星がよく見えた。
気付かなかった、今まで。

「…東には一生分かんないよ」

呟いた言葉。
夜の闇に乗って溶けた。


東が、好き。

東に、恋している。


もう、認めざるを得なかった。



「…椎名?」

目を覚ますと、そこに東が立っていた。
帰りを待つ間に俺はソファで寝てしまっていたらしい。

両手を伸ばす。
顔を寄せてくる東の首に回した。引き寄せると

「ん、なにどーした」

抵抗なく身体を折ってくれる。

「……ゆめ」
「夢?なに見た?」

耳元で聞こえる東の声。


昔の夢。現実にあった夢。

あの頃夢にまで見た、今の現実。



夢を見た。
あれが大学生活のすべてだった。

目を覚ました。
夢みたいな生活を送る自分がいた。



「…あずま」
「ん?」
「好きだよ」

きゅ、と抱きしめた。

東はびくっと少し動いて

「おま…不意打ち」

手をほどかれ、顔を見合わせられる。
すぐに唇が触れた。

甘い、やわらかいキス。
ゆっくり離れて、目が合って。

「…俺も好きだよ」

東は笑った。

俺は、涙が出た。

しあわせのぼくらで

ともすれば忘れてしまいかねない記念日や誕生日と違って、嫌でも意識する特別な日。




付き合って初めてのクリスマス。
休日なのに二人とも運悪く仕事が入り、それが終わってケータイを開くとメールが1通。見ると

“今家着いた。ケーキだけ買ってきて。好きなのでいーから。”

と簡素な内容だった。
頼まれなくともそのつもりだった俺はとりあえず了解の返信をし、カップルで賑わう街中に踏み込む。

マフラーを巻き直した。


早々にケーキを買い、夜なのに眩しい商店街を歩く。
プレゼントをまだ買ってなかった。

(何がいいんだろ…)

思い浮かべて、考えて。

何が欲しいか、何が必要か。
何が似合うか、何を喜ぶか。

誰より、きみには笑顔になってほしいから。


(……お)

ふと見つけたお店。見かけたもの。
いいかも、と思った。





「ただいまー」
「あ、やば。おかえりー」
「え?」

やばってなんだ、と思いながら居間へ。
あったかい。いいにおいがする。

「なんだよどーした」
「や、帰ってくる前に出来てる予定だったんだけどさ」

間に合わなかった、と苦笑する声。
キッチンにいた、大切な人。

「いーよ、一緒に作ろ。はいこれケーキ」
「お、さんきゅー。あ、これ駅前のじゃん。よく買えたね」
「ふっふっふー。先週ちゃんと予約しといたのだよ」
「マジ?!さっすが、出来る男は違うな」

明るく笑う。
シャンシャンと、鈴の音が聞こえそうだ。

「手ぇ洗ってくるわ。何すればいい?」
「えっとね、サラダ作って。簡単なのでいいから」
「おっけー」

洗面台に行く際、オーブンを覗いた。中ではメインディッシュが回っていた。




「いっただっきまーすっ!」
「いただきます」

向かい合って乾杯。
シャンパン、チキン、パスタ、サラダ、スープ。
少し多いくらいの量も、男二人では平らげてしまうだろうクリスマスディナー。

「なんか…クリスマスだな」

パスタを食べながらふと思って言うと、向かい合うひとは笑って

「クリスマスだよ」

何言ってんの、とサラダを口に運ぶ。それから

「あ、じゃあさらにそれっぽくしよっか」

イスから立ち上がり、テレビの方へ。袋を持って戻ってくると

「メリークリスマス」

照れたような笑顔で渡された。

「え…マジ?」
「うん。よければ使って」
「うっわぁサンキュ…あっ、じゃあ俺も!」
「ん?」

自分の座るイスの後ろ、鞄から出す、小さな包み。

「メリー、クリスマス」

差し出すと、さっきよりもずっと恥ずかしそうに、だけど嬉しそうに

「絶対用意してないと思った」

笑いながら受け取られた。

「まぁ買ったの今日だけどさ」
「だろうね。でもめっちゃ嬉しい」

ありがと、と笑顔。


そうそう、これが見たかったんだ


「どういたしまして」
「ね、開けていい?」
「えっ、先食わねー?冷めんじゃん」
「あそっか。え、何入ってんの?」
「それは見てからのお楽しみだろー」
「うっわ気になるー」




あったかい部屋
おいしいご飯
大好きなひと、大切なひと

プレゼントにはありったけの愛を

愛するひとには


「しーいな」
「ん?」
「メリークリスマス」


やさしい口づけを


「……あずま」
「ん?」
「不意打ちはズルい」
「ははっ」

overture

キリスト教系のこの大学には、古い礼拝堂がある。


(…これか)

いわゆる教会で、休日には結婚式が開かれたりもする正式なチャペル。
古く小さいけれど、綺麗な上に落ち着いた雰囲気で学生にも人気があるらしい。

そこでは毎週朝に礼拝が行われていて、1年間の中で必ず2回はそれに出席しなければならない。怠ると問答無用で留年になる。

今日は、大学に入って初めての朝礼拝。

(…入りづらー…)

重そうな扉。一瞬怯んで、でも取っ手に手をかけた。
ぐ、と力を入れる。

春の風が吹いた気がした。


(へぇ…本格的)

教会は初めて入った。本格的もなにも本物なのだが、とにかくそう思った。

天井は高くて屋根の形をしていて、ステンドグラスから注ぐ光はやわらかくて
静かなのに、空気が満たされている。

すでに数名の学生が来ていたが、席はかなり空いていた。板張りの端の通路を歩き、後ろから2列目の一番外側に腰を下ろす。
あまり目立ちたくなかったのと、そこまでこの宗教に興味がないのと、終わったあと混むであろう出口からすぐに出られるようにするためだ。
椅子が横長に繋がっている上に前後の間隔が狭いため、おそらく中に詰めて座った方が良心的なのだろうが

(…内側から入ればいい)

遅れて来る方が悪い、と納得させた。



10分も経つと、席はかなり埋まってきた。
来なきゃいけない日は指定されていないが、学生の数は多い。自分のように必修のために来るだけでなく、ただ趣味や信仰で来ている学生もいるようだ。

少し、騒がしい。

(うるさいな…)

せっかくの雰囲気が台無しになる。
これだから嫌なんだ。勉強をするための大学で授業中に喋っている奴らなんかを見ると特に思う。邪魔だけはしないでほしい。

ため息をついて時計を見た。
あと5分で始まるらしかった。



友達という友達はいない。
昼食は一人でとるし、授業も一人で受ける。空き時間も一人で図書館にいる。

特に不都合はない。特に不便もない。
部活にもサークルにも入っていないが、それは必要性を感じなかったからだ。
勉強をしに来る大学で、あんなにチャラチャラした奴らと仲良くする必要なんかないはずだ。

授業だって前の方に座れば人はいないし、講義もよく聞ける。目的さえ達成できればいい。
大学なんてそんなものだろう。そもそもキャンパスライフなんてものに何の希望も抱いてない。

(……さっさと)

過ぎればいい。
全部、諦めているから。


ほぼ、時間。
少し早い俺の時計では、もう過ぎているぐらい。
席はかなり埋まっていて、でも唯一隣だけは空いていた。
しかしまぁ、入ることもないだろう。席の構造上、間の席にはかなり入りづらいのだ。

オルガン奏者が椅子に座って、譜面台に楽譜を並べた。騒がしかった周りも雰囲気に流され、少し静かになる。

開始直前。
始まる、数秒前。


「ちょ、ごめん…!詰めてくんね!?」

ものすごい慌てた様子で、外側の通路から走って来たらしい雰囲気を全身で表現しながら、小声で叫んでくる初対面の男子。

その慌てた様子につられ、思わず内側の席にズレると

「わり、さんきゅ…!」

流れるようにそいつはそこに座った。
若干、周りに振り向かれる。冷ややかな目線。

(…もっと余裕もって来いよ)

荒い息を整えるそいつに周りと同じ目線を送る。
授業妨害も気に入らないが、遅刻は論外だ。意味が分からない。全面的に悪い奴が、周りに迷惑をかける道理が分からない。
ムカつく。
しかも今隣にいるこいつは、礼拝の神聖な雰囲気をぶち壊すほどの荒い息と

「…はー……あ、ねぇ、出席ってもうとった?」

空気の読めなさ。
しつこく聞かれても困るので、一瞥して首を横に振る。するとそいつは安心したようにため息をついた。


まぁ当たり前だが、
それからは話しかけてこなかった。



「あ、なーなー!」

礼拝が終わって教会から出ると、後ろから。
振り向くと

「さっきはありがとな!マジ助かった!」

教会を背景にして、さわやかに笑う。
どこの少女マンガだよ、と笑いそうになったが

「どういたしまして」

愛想笑いで軽く会釈だけして、すぐに授業に向かった。


どうせもう、会うことなんてない


「おいあずまぁーお前なに遅刻してんだよー」
「ギリだろギリ!ギリ遅刻じゃねーから!」



話すことなんて、二度と。




それはかすかなはじまりのおと

カチリ

大学に入って2ヶ月くらい。

最近、気になるヤツがいます。



(おー、またおんなじとこにいる)

教室に入ってすぐに見つかる。前から3列目の、少し左側。
たった一人で座る、同じ学科の同学年。ちなみに男。椎名クン。

ためらわず向かう。1つ空けて隣の机に鞄を置いて

「おっはよー」

笑顔で挨拶。
本に向かっていた視線はこちらに向いて

「あ、ひどい」

あからさまに迷惑そうな顔。
でも逸らしながらも

「…おはよう」

挨拶はくれる。
座った。

「相変わらず早いよなー。何時に着いてんの?」

授業で使う教科書やらルーズリーフやらを用意しながら聞く。
今は授業開始15分前。俺にしては早い。いつもギリギリか早くても5分前だ。
それでも来てるから聞いたら、椎名は少し悩んでから

「半には着いてる…今日はちょっと遅れたけど」
「半?!はやっ!」

開始30分前とは見くびっていた。こいつ、かなりの真面目クン。

「すげー…俺さすがに無理だわ。今日めっちゃ早いと思ってたもん」
「まぁ…いつもよりは早いんじゃない?」

時計を見て軽く笑われる。

お、笑った。

「でしょ?俺ここまで1時間半かかるからさ、1限とかめっちゃキツくて……ってなにそれ。今日の課題?」

目に入った、椎名の机に置いてあったレポート用紙。様式もホチキス止めも俺のと変わらないけれど、厚みが違う。全然違う。
椎名は不安そうに

「まぁ一応…」
「えっ、これマジ?!俺これだよ?!」

自分のレポートを出して見せる。
相当頑張って書いたつもりの3枚が、申し訳程度にホチキスで止められている。しかも3枚のうち1枚は表紙だ。
俺の努力も、椎名のレポートの前ではふざけているようにしか見えない。

「…あー…まぁ、レポートは数じゃないし。中身だし」
「……あ、ですよねー…じゃあちょっと拝見させてもらってもー…」
「まぁ…どうぞ」

椎名にフォローを受け、その分厚いレポートを見せてもらう。
熟読はしなかったが

「………」
「や、まぁ…俺も書きすぎたと思ってるよ…」

机に突っ伏すくらいには完敗だった。ボコボコにされた。

「…え、俺ヤバいかなぁ?!全然書いてない?!」
「いやっ、みんなそんなもんだって!俺が書きすぎなんだよ」
「ホント?!」
「ホント」
「……」
「…ホント」

くす、と。

あ、また、
笑った。

「気持ち悪いだろ、こんなに書いてんの。みんな2、3枚だよ」


あれ、でもなんか
ちょっと


「あれーめずらしくはえーな東!」

今つるんでいる奴ら。ということは、もうすぐ始まる時間。

「おーおはよう」
「あっ、お前なに課題やってきてんだよー」
「はぁ?いややるだろー」
「終わんねーって!昨日オールだし!」
「こいつマジバカだよなー!」

ギャハハハ、と大声で笑う。

朝からそんな声出さなくても聞こえるけどなーと思いながら曖昧に笑っておいた。
同じ笑顔でも椎名の方がよっぽど嬉しい、そう思って、そういえば椎名、と左側を見ると

(…あれ)

朝来た時と同じ格好で本を読んでいた。
まるでさっき話していたことなんてなかったみたいに、ただ、こちらの存在を無視するように。

(うーん…)
「なぁ東、ちょっと課題見してよ」
「え?あぁ、いいけど」

適当にあしらって机に突っ伏す。そこから椎名を見る。
視界の端には入ってるはずだ。でも無視だった。

完全無視。

(……つまんね)

諦めて前を見る。軽いため息が出た。

どうしたらもっと話せるだろう。
どうしたらもっと分かるだろう。
さっきの寂しそうな笑顔の意味も、この距離じゃ全然分からなくて。


…そうだ。
今度からは授業以外でも話しかけてみよう。
昼飯一緒に食べたり、駅まで帰ってみたり。
空き時間を一緒に潰してもいいかもしれない。



そうだ、

友達になろう。


(ん、決めた)

少し笑う。
これからが楽しくなりそうだったから。


一人で笑ったからか、左側から視線を感じた。
でも振り向いてやらなかった。

軽いため息が聞こえた。

ミリセコンド

さて、運命の話でもしようか。



「…入るぞー」

扉を開けると、少し向こう。

背中。
振り向いた。
笑われた。

「なんつー顔」

なんてことなく立ち上がり、こちらに来て向かい合う。
自分の方が少し高い身長。

「え、そんな変な顔してる?」
「変っつーか…」

下から覗き込まれて、ぷっ、と吹き出された。それから俺の手を取って

「泣きそう」

綺麗に笑う。
そのままくるりと反転。引っ張られた。



「うっわー懐かしい。ここゼミでよく使ったよな」


変わらない校舎。卒業してもうすぐ5年。
ここにいた時間よりも、離れてからの方が長くなる。

もうすぐ。


「あー覚えてる覚えてる。冬めっちゃ寒くてさぁ」
「そーそー。さみぃさみぃ言いながらずっとここにいてな」

今考えるとバカだわー、と笑う。

それでもその日々が、今の俺たちを形作っていることを知っている。二人とも分かってる。

だから、こんな場所もいとおしい。


「……行くか」
「だな」


思い出にサヨナラ。
俺たちをめぐりあわせてくれたこの場所に、
ただ、感謝を。



ぐ、と。
二人して重たい扉を開ける。

ふわり、香った。
気がした。


「うっわー懐かしい…」

在学中もめったに来なかったこの場所。他の校舎よりもずっと懐かしい。

学内のチャペル。通称“教会”。

「何回来たかな…」
「俺あれでしか来てない。朝の…」
「礼拝」
「それ」
「俺もだ」

はは、と向けられる笑顔。


あぁ
ホント、俺こいつの笑顔好きだなぁ


「行く?」

指差す、中央の台。
無人の祭壇。

「行くけど…どっちから行く?」

聞き返されると同時に、かすかな苦笑。
確かにこういう儀式は普通手順が決まっていて、それ通りに進めないとマナー違反になったりして。


…でも。

「いいよ。一緒に行こーぜ」

手を取った。自然に指を絡めた。
見ると驚いた顔。

笑って、今度は俺が引っ張る。


「だって別に、俺らどっちも新婦じゃねーし」

歩幅を合わせてゆっくり歩くと、すぐに並んだ。二人で手を繋いで進む。

申し訳程度の正装。
男同士。
客も牧師もいない教会。

端から見たら、かなり奇妙なバージンロードだろう。

でも

「…確かに」

隣は笑いながら頷く。

「誓う相手も、別に神じゃないしな」

そう言って、手を握りなおして。

目を伏せた横顔。
大人っぽくて綺麗だった。

俺は、お前に見合う相手になれてんのかな


たどり着く。一番明るい場所。
向かい合う。手を離した。

「…で、どうする?」

聞くと、案の定笑って

「どうしよっか」

結局決めてないね、なんて。


まぁ、なんでもいいか

お前さえいれば



「…私、東悠志は」
「!」

驚いた顔。
同時に、真っ赤になる頬。

「椎名大槻を、一生、愛し、守り、大切にすることを誓います」

自らの心臓に右の拳をあてる。


例えどんなことがあっても
どんな姿になろうとも

お前が、別れを望まない限りは



「……私、椎名大槻は」

震える声。
俯いていて顔が見えない。

「東悠志を、…死ぬまで、愛し、支え、大切にすることを…」

顔が上がる。
目にいっぱい涙をためて、それでも笑顔で

「誓います」

同じように、心臓に拳。
自らの命に誓う、自らの愛。

見つめ合って、笑った。
こぼれた。


俺はポケットから小さな箱を取り出す。
二人で買ったペアリングだ。

俺が、小さい方を。
椎名が、大きい方を。

ともに取って、順番に

「うわ、なんか緊張する」
「なんかね」

俺から、椎名へ。
椎名から

「…はは、震えてる」
「うるせ」

俺へ。
目を合わせると笑っていたから

「…んだよ」
「んーん、なんでも」

けど、ただ幸せそうに首を振るから。

俺はその手を引いて

「…!」

予告なくキス。
ゆっくり離れると

「…ずるい」
「へへっ」

ふてくされた真っ赤な顔に笑う。


ごめんな

ほら
今度はちゃんと


額をこつん。
笑い合って、目を閉じて。

きみと、
誓いのキスを。





1000分の1秒なにかが違っても
きっときみには出逢えなかった

ミルクティー

「……お」

椎名が、カレンダーを見てぽつり。
風呂から出たばかりの東は

「どした?」

頭をガシガシ拭きながら傍らに立つ。

「来週オフかぶったんだね」

嬉しそうな顔で、恋人を少し見上げて。
二人の予定が書かれた居間のカレンダーによると、確かに来週はお互いに休日で。

「おー、ほんとだ」
「めずらしい。最近なかったもんね」
「確かになー。どうする?どっか行く?」

東が見ると、椎名は首をかしげて

「んー…や、いいかな」

首を振る。それから

「久々に家でゆっくりしたい」

外寒いし、と笑った。


付き合ってから、4年と10ヶ月ちょい。
出会ってからはもう8年以上経つ。

大学を卒業して、
二人でこの部屋を借りて住みだして、

小さいケンカ、大きいケンカ、
笑って、泣いて、怒って、愛し合って

別れの危機も何回かあったけど、それでも

いろんなことを一緒に経験しながら、
気がつけばもうそれだけ長い時間が過ぎていた。




「…」

朝。
去年買ったダブルのベッド。先に目を覚ましたのは椎名。

隣を見ると

「……」

こちらを向く、間の抜けた寝顔。思わず笑う。

その目元に軽くキスをして、椎名はそっとベッドから出た。



「……ん…ー…」

脳が起きる。目を覚ます。
無意識に隣を見ると

「おはよう」

布団の中で、椎名が笑っていた。

「んー…はよぉ…」

ぎゅー、と抱きしめる。
朝からここにこうして椎名がいるなんて、何ヶ月ぶりの休日だろうか。

「はは、なになに」

笑いながらもすり寄ってくる。
本当に可愛い。いとおしい恋人。

「何時ぃ…?」
「んーとね、もうすぐ10時」

意外と時間が経っていてびっくり。今日は本当にぐっすり寝ていたらしい。

「10時かぁ…」
「どうする?ご飯食べる?」

お腹すいた?と腕の中。お腹は確かに

「すいた…」
「ん、じゃあ作ってくる」

顎に軽くキスをして、椎名は布団を出る。

「準備してあるからすぐできるよ」

顔洗ってきな、と。
優秀な恋人は笑った。


ホットサンドにミルクティー。
朝の最強コンボ。

「いつの間に…」
「さっき。東が起きる前ね」

いただきます、と手をあわせる。
東も同じく手をあわせて挨拶する。椎名は嬉しそうに笑った。

「フレンチトーストと迷ったんだけどさ、ほぼお昼だしと思って」
「やー、大正解でしょ。うまい」
「へへ」

やったね、と照れて、湯気のたつミルクティーを一口。牛乳で淹れたダージリンが香る。

あたたかい。
しあわせ。

「あー…時に今日は、どうする?椎名さん」

ふにゃふにゃと幸せそうに笑う椎名に、東は照れを隠しながら聞く。
すると

「今日は天気がよいので布団を干したいですねぇ。あと掃除も。部屋洗濯したいなぁと」
「あぁ、確かに」
「あとは特に。東さんは?」

ふふ、と笑ってホットサンドを取る。東は

「俺は別に…あ、晩飯一緒に作りたい」

カップを持って、思い出したように。
椎名は少し驚いた顔をして

「いいけど…なんで?」

軽く笑う。
するとむしろ東が意外そうな顔で

「え?だって最近作れてねーし」
「いや、そうだけど…」
「俺 椎名と料理すんの好きだからさ」

今日ならバッチリ時間とれんじゃん、とミルクティーを飲む。
少し驚いた顔をしたまま固まっていた椎名は

「……東って」
「ん?」

改めて

「結構恥ずかしいこと言うよね」
「なっ!お前に言われたくねぇ!」



去年買った念願のダブルベッドは、布団のみを取り外して洗濯も可能の、ちょっとお高いやつ。
それを今日は天日干し。太陽で殺菌消毒。

「よい…しょっ」

東は一人、その布団をベランダに干した。
ぽかぽか暖かい光が注ぐ。

「マジでいー天気…」

布団叩きで埃を払い、あまりの暖かさに目を細める。
と、気付いた。

「……あれ?」

洗濯物が干してある。

「いつの間に…」

触ってみるとまだまだ乾くにはほど遠くて、昨日の取り込み忘れではなくどうやら今朝干したようだった。
ということは、どう考えても

「しーなー」

東は掃除機をかける椎名のもとへ行く。

「はい?」
「お前何時に起きたの?」

掃除機を止め、少し間があって

「あぁ、8時すぎくらいかな。洗濯機回して、干して、そのあとご飯作って」

それでも起きないからもう一回布団入ったの、と笑う。
質問の意図を汲み取ったらしい。聞き直さずとも欲しい答えをくれる。
東は何とも言えない気持ちになって

「わ、ちょっ?」

ぎゅう、と抱きしめた。

「…東?」

掃除機片手に、もう片方の手でぽんぽんと東の背中を叩く椎名。
その体勢のまま東は

「…俺あと何やればいい?」

少し沈んだような声。
椎名は軽く笑って

「洗面所掃除よろしく」

すり、と寄り添った。



洗濯、布団干し、掃除機かけ、洗面所掃除、トイレ掃除、洋服箪笥整理。

一通りの掃除を終え、最後は

「よし。ではただいまから、我が家の部屋洗濯を行います。準備はよろしいですかー?」
「毛布、ゲーム、飲み物、おやつ、すべて準備完了です!」
「よっしゃー、じゃあ行きます!オーーープン!」

家中のすべての窓を全開放。
いわゆる換気である。

「ぅおっ、さみー!」

北側の窓から冷たい風。晴れているとはいえ、2月はまだまだ極寒の日が続く。
寝室、リビングダイニング、トイレ、風呂、キッチンと、すべての窓を開けたらすぐに

「もーふー!」

リビングのソファ前に用意した毛布にくるまる。東の方が一足早かった。

「あ、早いズルい!」

東は毛布を肩からかけてソファに寄り掛かり、椎名はその両足の間に座って前から肩まで別の毛布をかぶる。
二人を覆った毛布の塊が出来上がった。

「今から30分くらいかなー」
「椎名コントローラー取って」
「はいよ」

東は椎名の腹に手を回し、椎名は東に寄り掛かり、二人して毛布の中でテレビゲームのコントローラーを握る。すでに電源は入っていた。

「やっぱ東はあったかいなー」
「え、そう?」
「うん」

オープニングを待つ間、椎名は遠慮せず寄り掛かり頭を寄せる。

「あったかいひとだよね」

ふふ、と笑うと

「……そんな甘えても負けねーぞ」

東は椎名の目尻にキスをした。



30分経って窓を閉め、しばらくは対戦ゲームを続ける。

おやつを食べながら、対戦に飽きたらやめて、東が一人進めるアクションゲームを同じ態勢のまま椎名も見る。

ツッコんだり驚いたり、感心したり笑ったりしながら、ただ東に寄り添って

「……なぁ」
「ん?」

ここにいてくれる椎名が、東には不思議で。

「…楽しい?」

ただそれだけ聞くと、椎名は笑って

「楽しいよ」

見えなかった?と、菓子を口元に差し出す。東はそれを食べた。

甘かった。


不安を、感じたことがないと言ったら嘘になる。

もう20代も後半になってきて、そろそろ親の目が痛い。彼女の一人でも連れて来いとでも思っているんだろう。
高校以来、彼女なんかいないから。いらないんだから仕方ない。


椎名を離す気なんかこれっぽっちもない。
椎名と離れようなんて考えたこともない。

だけど、もし

椎名が離れたいって思ったり
椎名が“普通の”幸せな家庭を夢見たり
それを願ったりしたら

俺は


(……離れられんのかな…)


そんな自信、微塵もないんだけど。



「…おわ、もうこんな時間か」

椎名の言葉で時計を見る。4時になろうとしていた。

「そろそろ夕飯の準備かねー」

椎名は立ち上がり、かけていた毛布を東にかけてキッチンに向かう。
ずいぶん前にゲームはやめていて、今まではテレビを見てのんびりしていた。

「なに食べたい?」

キッチンに入る前に聞くと、東は首を傾げ

「うーん………あ、中華」
「あぁ、いいね」

食事前にリクエストを聞くと、東は必ず答えてくれる。
「何でもいい」、と言われない。これが、椎名にとっては意外と重要だったりする。

東もそこそこ料理はできるが、やはり長年一人暮らしをしてきた椎名の方が手際もいいし上手い。
時折交代もするし、今日のように一緒に作ったりもするけれど、家計も含めて食材や料理器具の管理なんかも、椎名の方がやはり慣れている。

椎名は冷蔵庫を開けた。

「…あらま」

ほとんど何もなかった。

「あーずまー。やっぱり買い物行かないと…」

キッチンから顔を出し、ソファ前に座る東を見る。

「…?」

東は、どこか遠く、ボーッとして
テレビでもなく外でもなく
なにか、物思いにふけるような


椎名は微笑む。
そして

「ゆーうじっ」

その場から少し大きな声で、名前を呼んだ。
案の定

「?!」

真っ赤なびっくり顔。
また笑う。

「材料何にもないからさ、買い物行こ」

すると、固まっていた驚き顔は、安堵したようにへなへなと力が抜け

「不意打ちはずりーって…」

何回もさぁ、とぼやいた。


「何品くらい作ろうか」
「俺ね、あれは外せない。麻婆豆腐」
「好きだもんねー。俺は回鍋肉かチンジャオロースか…」
「あ、エビチリ!」
「じゃあ東エビ係ね」
「任せろっ」

玄関で靴を履きながら、今日のメニューに話を弾ませる二人。
と、椎名が

「あ、チャリの鍵忘れた」

ポケットを探って気付く。

「どこに?」
「会社用のコートん中…かな。取ってくる」
「あ、いいよ」

東は靴を脱ごうとする椎名の頭に手をのせて止める。
驚く椎名に

「せっかくだから歩いてこーぜ」

大した距離じゃねーしさ、と額にキス。
ドアを開けて外に出ようとする後ろ姿に椎名は

「…人のこと言えないって…」

真っ赤な顔でぼやいた。


もし、きみが
これから先

誰か他の人を好きになって
誰か他の人を愛して
幸せな家庭をもちたいと思ったら

俺は喜んできみから離れるよ


それがきっと“普通”で
それがきっと“最善”なんだ


だってもう俺たちは
いつの間にか26になっていて

友人が結婚したり
親になったりを見ていると

ああ、横にいるきみは
本当はこんな人生が似合ってるんじゃないかって

それを邪魔してるんじゃないかって


(思うんだよ…本気で)


だから、きみが
幸せになるために
俺から離れようとするならば



「…椎名?どした?」


こんな幸せな買い物も


「…ん?なんでも?」



手放してみせるよ


「ただいまー」
「帰りましたよーっと」

米や飲み物など、重い荷物の買いだめをしたので袋が多い。靴を脱いでリビングに行って、机にのせるとドサッと音がした。

「さぁーて、じゃあ手ぇ洗ってうがいしたら早速始めよっか」
「らじゃー!」

東は早速洗面所に向かう。椎名はとりあえず買ってきたものの整理を始めて

「……、」

よぎった。

(……まったく)

ため息をついて掻き消す。


買ってきたものが重すぎたんだ。



結局並んだ料理は、麻婆豆腐にチンジャオロースにエビチリに餃子。

「うっっまい!」
「やっぱ生姜入れて正解だったね」
「これマジで飯がすすむ」

東が2回目のおかわりに立って椎名は笑う。
二人で作って二人で食べると、それだけで料理は何倍もおいしい。

「…東?」
「ん?」
「……ありがと」

小さい声で、ぽつり。
だけどあまりに小さいから

「なに?」

届かなかった。



食後の休憩をしたあと、風呂に入るのは椎名が先。その間に東が食器を洗う。
椎名が出てから東は風呂に入り、その間に椎名は洗われた食器を拭いて棚にしまう。
それがいつもの役割分担。二人で食事をした時の日課。

椎名は食器をすべてしまい終わって、バスタオルを頭から下げたままソファに座った。膝を抱える。



いつもは仕事が忙しくて目をつぶっていること。
こうして家でのんびり東と一日を過ごすと、嫌でも浮かぶ。嫌でも考える。一度考えると止まらない。

東と別れること。

(…さっきっから…)

こればっかりが頭を占める。


いつかは別れる。きっと別れる。
でなければ、東は幸せになれない。

こんな形は、誰からも認めてもらえないのだから。

(東には…幸せになってほしい)

それは心からの願いだ。
そして、それを叶えられるのは自分ではないことを

(俺は…女じゃない)

知っている。分かっている。
もう、この関係を始めてから幾度となく考えてきたことだ。


別れる。
それはもう、決まった未来だ。
だけどそれを言い出すことは

(…俺には…できない)


だって、
俺は離れたくなんかないんだ



「まーた余計なこと考えてんだろ」

バスタオル越しに、ガシッと頭を掴まれた。東が風呂から出てきた。

顔を上げると

「…ほら、髪乾かすぞ」

仕方ねーなと言うように、
東はドライヤー片手に微笑んだ。



東の手は大きい
東の手はあったかい
東の手はやさしい

全部、ぜんぶ
東だから、いとおしい


なんで?
どうして?
わかんないよ

気づいた時には
認めた時には
もう、誰にもとられたくないくらい東が好きだった


なんでかなんて
どうしてかなんて

(…そんなの)


わかんないよ


「…俺ね」

交代。二人してソファにのって、今度は椎名が東の髪を乾かす。
椎名が横を向いて。東がそれに背を向けて。
東はその態勢のまま

「風呂に入ってる時、考えてたんだけど」

ドライヤーにも消されない声で話す。

「うん」
「椎名の将来について」


途端、ドクンと
波打つ心臓。


「言っても俺ら、26だしさ。同い年もどんどん結婚して、子どもできたヤツとかいて、親にもちょっと言われたりしてさ」


早鐘
冷や汗

いやだ
こわい


「だから、ちょっと考えてみたんだよ。椎名が将来結婚する奥さんとか、その間の子どもとかさ」

火傷だけはしないように手は動かす。
ドライヤーの音、もっと大きくなればいいのに。

「……、も、っ…」
「でも、浮かばなかった」

もういい、そう言いかけたのに
東は笑って遮った。

「……へ…?」
「全っ然浮かばねーの。びっくりした」

東は笑う。

「椎名が誰か女と結婚するのも、椎名が父親になってるのも、家買って親子で暮らして、ってそういう当たり前の姿がさ、なんか全然想像できなくて」



悲しい、とか
寂しい、とか
そんなのは嫌だ、とか
そういう次元じゃなくて

想像すらできない
浮かびもしない

椎名が俺から離れて、別の人生を歩むことそのものに
まったくリアリティがない


「そんだけ、一緒にいたんだなぁって」

一緒にいることが当たり前になったんだなぁって



カチ、とドライヤーを止めたのは、椎名ではなく東。
いつの間にか下ろされていた右手からそれを取り、机に置いて向かい合った。

目を見開いて、泣きそうに固まる椎名の顔。
思わず笑った。

「、な…っ」
「や、だってすげぇ顔してんだもん」

椎名の両頬を包む。まぶたにキスを落とした。

「聞いて、椎名」


やさしく、あたたかい。
手、眼差し、声
東のすべてが


「俺、椎名が好き。椎名と、ずっと一緒にいたい。誰にも渡したくない。離れたくもない」

頬を包んでいた両手が離れる。でも視線はそのまま、東は椎名の手をとって

「俺と、結婚してください」


綺麗に、微笑んで。


「…っ…、」
「はは、泣くなよたいきぃー」

ぬぐってもぬぐっても流れる涙。
ぽろぽろと流れるそれは、ひどく綺麗であたたかい。

「っ、ゆ、じっ…」
「はい」
「っ…ばかっ…」
「え、ひどっ」

すべての感情を含んだ悪態。それすら愛おしくて、東は椎名を抱きしめる。

「たーいき」
「…っ、く…」
「結婚しよ?」
「…、…」
「事実婚だけどさ。指輪買って、結婚式挙げて」


二人で、ずっと
ずっと一緒に


「俺ね、大槻の作る飯が好きなの。大槻と作る飯が好きなの」


ゆっくりゆっくり
少しずつあたためた愛が


「…たいき、」

急に離れる。
顔が見えた。と思えば

「…!」

飛びつくようなキス。
すぐに離れて

「…飯ばっかじゃん」

くしゃ、と
真っ赤になって笑うもんだから

「……、うっせ」


なんか、俺まで泣けた。


(結婚、しよ)
(…うん)
(幸せにする)
(……ふふっ)
(?)
(もう十分幸せだよ)



甘く香る、

ハッピーバレンタイン


「あ、いたっ。東さん!」

ようやく見つけた。袋を抱えて小走りする。
このまま見つけられなかったら、お昼休みを逃すところだった。

「おぉ若狭」

すらりとした長身、スーツが似合う。笑顔が爽やかで仕事ができる、同じ部署の先輩。

「どうした、緊急?」
「あ、いや…大した用じゃないんですけど」

抱えた紙袋の中から、残っていた箱を1つ渡す。他の先輩たちに渡したものと同じ、大量生産品だ。

「これ、いつもお世話になってますので」

甘いものは苦手じゃないはず、女の気配はしないから彼女や奥さんもいないはず、だからこれくらいなら受け取ってくれるはず、と、用意したときから何度も頭の中でした言い訳のシミュレーションを、もう一度ここでもする。
なるべく自然に、気取られぬように、表情と態度に全神経を注いだ。
すると相手は

「おぉ、悪いなわざわざ」

サンキュ、と、こちらの思惑通り、何てことないように箱を受け取る。

「来年から無くなるんだって?職場でのバレンタイン」

そう、そうなのだ。
渡したい相手のいない女性社員たちが、社交辞令的に扱うバレンタインの反対に声を上げた。男性陣からは少しだけ残念そうな声も出たが、お返しやらなんやらを考えれば、まぁ無くなっても支障ない、という話になった。

だから、今年が最後のチャンスだった。
みんなと一緒でなければ、義理に紛れさせなければ、渡せるはずもないから。

「そうみたいですね。なのでこれは、最後のチョコです」

最後の。そうじゃなければいい、とは思うけど。
それを実行するだけの勇気は、自分にはまったくない。

「そっかー。じゃあ家で大事に食うかな」

これらもそうかな、と、受け取った方の反対の手に持った紙袋をかざす。他の女性社員にもらったものらしい。さすが、できる男はモテる。

と、思った、そのとき。

「……え……」

気付いた。
気付いてしまった。

まさか、そんなはずは。

「ん?」
「……東さん…結婚してたんですか…?」

左手の薬指。シンプルな指輪。
去年は絶対していなかった。
今年…いや、最近…?

「……あぁ、」

これか、と、質問の意図に気付く。
ふ、と笑って

「まぁね」

左手の人差し指を、口元に立てた。


その、笑顔で。



「…………」


あぁ、叶わない
敵わない

絶対に


そう、理解してしまった。


「…おめでとう、ございます」

かろうじて声を出す。
幸せそうな顔をしたその人は

「お、サンキュ」

嬉しそうに笑った。



***



「あれ、椎名くんは?」

机を見ると、すでにきれいに片付いていた。周りの同僚に聞くと

「退勤しましたよ」
「え、はやっ!」
「いや、彼いつもこんなもんですよ。仕事できるんで」

大袈裟に肩をすくめて答える同僚A 。時計を見ると、退勤時刻経過後30分。まぁ、退勤していても確かに問題はない。むしろ優秀だ。

「なんだー。チョコ渡そうと思ったのに」

右手に提げていた紙袋を人差し指に掛けてプラプラする。後ろから同僚Bが

「え、斉木さんって椎名狙いだったんすか?」

驚いたように声を掛けてくる。斉木は近くの空席に腰かけて

「まぁねー、椎名くんって可愛いじゃん?」
「いや、斉木さん彼氏いるじゃないですか」

せっかく乗ってボケたのに、同僚Aがすかさず訂正。
ちぇ、つまらん。

「あ、やっぱそうなんだ。噂は本当なんすね」
「なに噂って」
「斉木さんは独り身オーラを出してるだけで実は外部に超絶イケメンの彼氏がいるっていう」
「なにその噂!うける!」

彼氏が外部にいるのは本当だが、別にイケメンではない。ひいき目に見ても、残念ながら“超絶”なんて枕詞は付かない。あと別に、独り身オーラを出しているつもりもない。
噂とはつくづく宛にならないものだな、と思う。

「このチョコは、この前椎名くんに結構ムチャな依頼したから、そのお詫びも兼ねてさ。あの時期、彼あんまり家帰れてなかったでしょ?」
「あー…例の案件…」
「あれマジ…斉木さん鬼畜だと思いましたよ。椎名じゃなかったら死んでた」
「椎名さんもなかなか死んでましたけどね」
「あーもう悪かったって!チョコ以外でちゃんとお詫びする予定だから!」

渡せなかったチョコは仕方ない、同僚AとBにくれてやる。代わりに何がいいか…と考えていると

「噂といえば、知ってます?椎名の噂」

斉木から受け取ったチョコを同僚Aからもぎ取りながらBが言う。そちらを見ると

「椎名、同棲してる人がいるんじゃないかって」

さっそく1つ頬張りながら言った。それを聞いた同僚Aも

「あ、それ俺も聞きました。結構長い彼女いるらしいって」

同じくチョコをつまみながら頷く。斉木は へぇ、と驚いた。

「っていうか、同僚の割りに噂頼みなの?本人から聞かないんだ」
「いや聞けないっしょー」

同僚Bが苦い顔をして言う。

「なんでよ」
「椎名ってなんかちょっと…仕事出来すぎて近寄りがたいっつーか、かわいい顔してちょっと恐いっつーか」
「そうですか?話しかけたら結構気さくですよ、あの人」
「いやそうなんだけど、だからようやく軽口叩けるくらいにはなったんだけど……でもさすがにプライベートのことまでは聞く勇気ないっすわ」

そう言うと、同僚Bはもう1つチョコを口に放り込む。同僚Aはそれを聞いて、ふーん…と頷いたあと

「まぁ俺は後輩なんで、そういうことは聞きにくいってだけですけど。でもどうなんすかね。ガセじゃないんですかね」

あんまそういうの興味なさそうだし、と言いながら、テキパキと帰り支度をする。ものの十数秒でそれを終えると

「じゃ、お先失礼しまーす」
「ぅえっ、はやっ!」
「あ、斉木さん、チョコごちそうさまでした」
「はいはい、お疲れー」
「あーもう!俺の後輩は仕事ができるやつが多いな!」

同僚Aがすたこらと帰る様を見て、同僚Bもようやく慌てて残りの仕事に取りかかる。
それから

「斉木さんはどう思います?」
「ん?」
「椎名の噂。マジだと思います?」

目が合う。斉木は一瞬考えて

「どうかなぁ。椎名くんのことだから、私たちの予想なんて遥かに超えてくるかもよ」
「えぇ?たとえば?」
「例えば…既に結婚してたりとか」
「マジっすか!そりゃすげぇ!」

大袈裟に驚き、けらけらと笑う同僚B。斉木もそれに軽く笑ってから

「まぁ、噂なんて宛にならないもんだからねぇ」

にやりとほくそ笑んだ。



「あれ、椎名くん?お疲れさま」

自動販売機のある休憩スペース。そこのベンチにいる姿に声を掛けると、当人は顔を上げた。こちらの姿に気付くと、薄い笑顔と会釈を寄越す。その目元には、隠しきれない隈が見えた。

「お疲れさまです」
「ほんとごめんね。負担偏りすぎてるね」

缶コーヒーを2本買って、1本を手渡す。椎名は礼を言って受け取った。
斉木の所属する営業部のミスによって、技術部の椎名にほとんどの皺寄せがきた。その結果、椎名はここ数日会社に泊まり込み、締め切りに間に合わせようと必死で働いている。

「いや、仕方ないですよ。あとはうちがやるしかないですし、他のみんなも別の依頼で手一杯なんで」

そう笑う椎名だが、やはり疲労が顔に色濃く出ている。斉木は頭を下げた。

「それでも申し訳ない。手当ては弾ませるし、有給も取れるようにする」
「はは、ありがとうございます」

その苦笑を見ながら斉木は思う。
彼はこれまでもこうして、損な役回りを請け負ってきたのではないだろうか。仕方ないこと、誰かがやらなければならないことなのだと割り切って、能力があるが故にこうして身を削ってきたのではないだろうか。出来るが故に誰にも手伝われず、孤軍奮闘して。だとしたらあまりにも、彼は“可哀想”だ。
しかし

「あーでも、休みもらえるのはありがたいですね」

疲れた顔ながら、少し和らいだ表情で言った。それは、純粋に休日を休むために欲しいというよりも(もちろんそれもあるだろうが、それよりも)

「……椎名くん、彼女できた?」

“誰か”を、思い描いているような言い方だった。
しかしその言葉に椎名は

「……はい?」

非常に怪訝そうな顔。
あれ、この反応は違う。嘘はついてない。

「いや、なんか最近、雰囲気やわらかくなったなぁって。不安がない、というか、余裕があるというか。なんだろ、うまく言えないけど……」

思い浮かべる。初めて会ったときの椎名と、最近の椎名。大きい違いではないけれど、確かな変化。
そうだ、これは、自分にも覚えがある。

「愛されてる人の安心感、かな。それを感じる」

そう言った途端、椎名は少し固まり、それから

(…あらま)

じわじわと顔を赤らめた。それを隠すように慌てて口元を手の甲で押さえる。
斉木は笑った。

「正直だなぁ。そっか、そりゃ休み欲しいよね」
「いや、その…違うんです。いや、休みが欲しいのはそうですけど」

顔の前で手を振って必死の弁明。いつも余裕のある椎名には珍しい反応だった。まさかこんなところで、こんなタイミングで話されるとは思わなかったのだろう。
斉木は笑う。よかった。ちゃんと人間らしい。

「彼女ができたってわけじゃ、ない、です」
「なんでよ、別に隠すことないのに」
「いやほんとに……」

そこまで言って、ばつが悪そうな顔をする椎名。そして軽く周りを見回してから

「……あの、あんまり他言しないでほしいんですけど」
「うん」

そう言うと、自分のワイシャツの襟に手を入れた。突然何を…と思った矢先、そこから出てきたのは

「……」

チェーンのネックレス。え、意外。と思ったのも束の間、そのトップにつけられていたものを確認するのと

「……僕、実は結婚したんです」

椎名の告白が同時だった。

「…………え、えぇ?!そうなの?!おめでとう!!」
「あ、ありがとうございます」

手に握られているのは、チェーンにつけられたシンプルな指輪。恐らくこれが結婚指輪なのだろう。でも一体なぜ、指につけないのか。他言無用な理由もそこにあるのだろうか。
そんなことを考える間に

「と言っても、事実婚なんですけど」

椎名の方から答えをくれた。

「事実婚……」
「はい」
「えっと……てことは、籍は入れずに?」
「そうです。事実上、婚姻関係にある、という感じで」

そう言うと椎名は座り直し、指輪を再びシャツの中にしまいこむ。チェーンの姿すら見えなくなった。

「ずっと一緒には住んでたんですけど、この前指輪買って、結婚式も小さく挙げて。まぁ生活は変わらないんで、まさか態度に出てるとは思いませんでした」

照れくさそうに笑う。それを見て、斉木はまた疑問が浮かぶ。
指輪を買って、挙式して。そんな面倒なことはするのに、なぜ入籍はしないのか。入籍すれば、うちの会社なら扶養手当も出るし、子どもが生まれたときの出産祝い金や育休の取得だってできる。子育てに寛容な職場、だからこそ自分もここを選び、長く働いているのだ。
なのに、なぜ……

と、そこまで考えて

「……あ」

はた、と
思い当たった。

椎名を見ると

「……」

穏やかに、けれど少しだけ哀しそうに、こちらを見て微笑んでいた。


なぜ、指につけないのか。
なぜ、他言無用なのか。
なぜ、入籍しないのか。


ひとつだけ、しっくりくる答え。
彼は、笑う。寂しそうに、哀しそうに。

「まだまだ、認めてもらうには時間が必要なので」

がんばります、と
それだけで、大方理解できた。

「……でもさ」

でも。
先程の、椎名の顔を思い出す。

「いま、幸せでしょう?」

その、斉木の言葉に。

「……まぁ、はい」

椎名は、はにかむように笑った。



***


いま、幸せでしょう?


(…あ、いた)

窓際のカウンター席。仕事帰りのスーツ姿で、少しだけ首もとのネクタイを緩めてコーヒーを啜る。その姿は、三十路手前とはいえまだまだカッコいい、と、ひいき目ではあるがいつも思う。
というか、むしろ学生時代よりも垢抜けてきているような気がする。気のせいだろうか。
そんなことを考えながら、外から窓に寄った。ぼんやりと外を見ていた視線は、近付いた自分に気付いて注がれる。すぐに破顔して、コーヒーを持つ手を挙げた。



「ごめん、結構待った?」
「いや、そんなに。いつも待たせる側だし、新鮮だったわ」

コーヒーを飲み干してすぐに出てきた東は、椎名の謝罪に笑って応じる。その姿を見て、椎名はすぐに気付いた。

「さすが、モテるねぇ」

からかうように笑うと、東はその視線の先にある自分の手元を見る。合点がいったように苦笑して歩き出した。

「あぁこれ?なんかね。今年最後だからって、いつもより多かった」
「義理に見せかけた本命」
「どうだか」

紙袋の中身を覗いて、今日渡してきた女性たちの姿を浮かべる。
本命、らしいのは1人。入社2年目の若いコ。唯一、今日着けてった指輪に気付いた。

「ま、言わなきゃ義理だろ」
「…ドライだねぇ」

軽く息をついて笑う椎名。
相手の女のコには申し訳ないが、東に本気になったのが間違いだ。こいつはモテるが、もう何年も女性に対してはこんな感じだ。今日だってわざわざ指輪を着けて、本命の女性たちを無言で玉砕させている。これに気付いてもなお寄ってくる女はろくでもない、だから遠慮せずにばっさり切れるだろ?と、この前さらっと言っていた。なるほど、と思うと同時に、モテるってのもなかなか大変なんだな、と他人事のように思ったのを覚えている。

「で?今日はどうすんの?ケーキ買って帰る?」
「いや、実は19時から予約してあって」
「え?マジ?なにを?」

最近のバレンタインは、交互に担当を変えながら楽しんでいる。去年は椎名が手作りチョコレートケーキをプレゼントして、ホワイトデーに東がクッキーを手作りした。その前は東が人気のケーキを女性たちに混じって並んで買ってきて、椎名が驚いた。
今年は平日。昨日、めずらしく待ち合わせをして帰ろうと予告をされていた。
だからてっきりどこかに買い物でも行って帰るんだと思っていた椎名は驚く。東は にっ、と笑って

「この前言ってた、スイーツビュッフェのあるディナー」

右手でピースをかました。

「……えっ?!マジで?!」
「マジでーす。ほらはよ行こ」

思わず立ち止まる椎名を促して、東はすたすたと歩く。椎名も慌てて追い付く。

「いつの間に……」
「テレビで見たときめっちゃ食いついてたし、おいしそうだったし。うちの女性陣に聞いたら、本当においしいってお墨付きもらったからさ。そんな遠くないし、明日休みだし」

飄々と言う東に呆気にとられながら、椎名は

「いやほんと……すごいね。いつもサプライズされる」

はー、と大きく息をつくと、東は笑って

「大槻を幸せにするのが俺の役目だからね」

とてもさりげなく、椎名の頭をくしゃっと撫でた。
あまりにも自然で一瞬のことで、椎名は呆然としたが

「……なにカッコつけてんの」

思わず笑った。



斉木さん、
その通りです。

俺はいま、
本当に幸せです。

卒業

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