三連姫

小山田のさと 作

三連姫
  1. 目覚めると、そこは墨を流したような真っ暗闇だった。青年の身にいったい何が起きたのか。
  2. 悪夢の始まりは、帰郷したその日だった。
  3. 村の人々は変質した。十年前、女神が地上に降臨してから。
  4. かつて苔むした古社だったそこは、ハイテク技術を結集した近未来的様相と化していた。
  5. 儀式が始まった。若者たちが村の女神と対面する、かつてない儀式が。
  6. 儀式の後、昴の前に現れたのは、因縁の幼馴染であった。その彼の口から出てきたのは、謎めいた言葉。

目覚めると、そこは墨を流したような真っ暗闇だった。青年の身にいったい何が起きたのか。

 目覚めると、墨を流したような真っ暗闇だった。
 (すばる)は布団の上でうめいた。喉が乾いている。湿った衣が心地悪い。意識を失っている間にずいぶん汗をかいたらしい。
 寝汗をかくのも当然だった。真夏の熱帯夜だというのにこの部屋に空調機はない。湿気を含んだ空気は暑苦しくよどみ、かび臭い木のにおいがする。かすかに身じろぎするだけでもみしみしと音を立てる床。どうやらかなり古い建物と思しい。思しい、というのは、じつは(すばる)自身、自分が今どこにいるのかわかっていないのだ。薬を盛られて昏睡させられたから。
 さらに言えば、いつの間に着ていたものを脱がされ、浴衣に着替えさせられていたのかも知らない。
 ――こんなの下手したら警察沙汰だぞ。いや、下手をしなくても。
 今一度うめき、昴は身を起こした。生まれてこの方十六年、まさかこんな目に遭うとは思わなかった。
 自分を前後不覚に陥らせた犯人を昴は知っている。複数人いて、中にはあろうことか親族までいる。昴の故郷、鼓村(つづみむら)を実質牛耳る団体、「三連神社(みづらじんじゃ)を守る会」の会長である伯父の木花一雄(きばなかずお)も一味だ。
 一雄(かずお)おじさんは最初からこうして俺をはめるつもりで村に呼び戻したのだなと、昴は苦々しかった。どうりで妙な猫なで声で、頼りはきみだけだ、きみにしかこの役はつとまらないとおべっかを使ってきたわけだ。
 甘言につられてはるばる帰郷したわけではなかったが、用心が足らなかったと昴は思った。自分の生まれ故郷が、どれだけ異様で奇怪であるかを忘れたわけではあるまいに。
 あたりを探ると、幸い愛用の銀縁眼鏡は枕元にあった。のろのろ這い出すと、床から老婆の骨の折れるような音が立ち、土臭い埃が舞い上がった。
 と、ふいにくぐもったうめき声が聞こえたかと思うと、
 ――どん!
 と何かが思いきり壁に打ち当たった音がした。
 昴はぎょっとして、這いつくばったまま硬直した。
 再び、
 ――どん!
 とぶつかる音がして、またうめき声が聞こえた。
 どうやら隣にも部屋があって、壁の向こう側から何かが打ちつけられているらしい。その何かとは、もしや人間ではなかろうか。
 そして、
「ああ……」
 と声が尾を引き、何かが壁をこすり落ちていく音がした。
 床に着地したらしき衝撃。そして、静寂。
 暗闇の中、昴はごくっと喉を鳴らした。何だ。いったい何がどうなってどうなった。体も思うように動かないのに頭も大混乱だ。
 と、今度はすぐ近くで板戸の跳ね上がったような音が立った。
 一瞬にして肌にまとわりついていた蒸し暑さが、底冷えのする寒さに取って代わられた。
 昴は息をのんだ。
 ――三連姫(みづらひめ)だ。
 この冷気には十分すぎるほど覚えがあった。何せ先ほど行われた神事で感じたばかりなのだから。
 ここに三連姫(みづらひめ)がやって来たのだ。
 三連姫。太古の昔より昴の故郷、鼓村(つづみむら)を守護する女神。
 溢れいづるその霊力で、住民に多大なる富と幸運をもたらす恩寵の神。
 十年前、ある少女の身に三連姫の神霊が乗り移って以来、地上で生き神と成った三連姫は、奇跡の数々を惜しげもなくもたらし、鼓村の住民たちの運も富もうなぎのぼりに上向いた。結果、世間をして鼓村を「常世の楽土」「現代の桃源郷」と言わしめるまでになったのである。
 そんなご利益の大盤振る舞いをする女神の来訪を受け、今、昴の体は止めようもなく震え出した――恐怖のせいでだ。
 本当はふり返って声をかけたかった。やっと会えたと。実はこの機会が得られる可能性にかけて昴は帰郷したのである。今この部屋を訪れたのが鼓村の守護神三連姫であるならば、それは昴の幼馴染でもあるはずだからだ。六歳の頃、三連姫の神霊に乗り移られて生き神となり、神社に鎮まってから一切会えなくなってしまった同い年の少女。
 ――舞歌(まいか)ちゃん。
 昴の脳裏に幼い当時の彼女の姿が浮かぶ。笑う時すこし困ったように眉を寄せる、あの気弱な、愛らしい顔。どれだけあの笑顔との再会を望んできたことだろう。
 しかし昴はふり向いて見ることができなかった。なぜならば、この冷気のせいだ。なぜ村人に恩恵をもたらしてくれるありがたい神が、はにかみ屋で心優しい子だった彼女が、これほど悲憤に満ちた、ただならぬ冷気を放っているのだ? 彼女の姿を、変貌ぶりを確認するのが、昴は恐ろしい。
 と、突然古びた床の感触を失ったのは解せないことだった。
 自分が空中を漂っているようなおぼつかない感覚に、昴は一瞬ぽかんとした。だが浴衣の上から自分の胴ほどもある太く長い何かが絡みつき、蠕動しながらじわじわと自分の身を締め上げようとしているのを感じ、戦慄した。
 ――巻きつかれて持ち上げられている。巨大な、蛇みたいな化け物に。
 悪寒が足元から脳天を駈けぬけ、悲鳴を上げずにいられなかった。
 昴の叫び声に、巻きついていた何かがびくっと動きを止めた。昴は身をめちゃくちゃにくねらせた。どうと床に体が投げ出される。
 暗闇の中、昴はこけつまろびつ逃げた。前方にあった壁面にしたたか頭をぶつけたが、痛みを感じる余裕もない。よろけながら壁をまさぐると指がくぼみに触れた。しめた、戸の取っ手だ。が、開けようとしても、たてつけが悪いせいか戸はびくともしない。
 背後から冷気が迫りくる。悲憤と怨嗟を噴出しながら近づいてくる禍々しい気配。
 わめきながら昴は戸に体当たりした。何度目かで戸は向こう側へと落ちた。
 緑の匂いを含んだ新鮮な風が全身を撫でた。開かずの戸の向こうに広がっていたのは夜の帳が下りた外の世界だった。
 ――やった、逃げられる。
 枠に足をかけ、昴は飛び出した。
 が、そのまま空中で留まることになった。まさに神速で迫ってきた怪物は、昴にあっという間に巻きつくや、その身で彼を捕らえたのである。
 昴は恐怖と絶望にうめいた。それは半透明の巨躯をもった、まさしく大蛇であった。透けた体には鱗が夜光貝のようにびっしりと並び、ほのかに明滅を繰り返している。目はしたたる血の色合いを帯び、炎が内側で閃いている。巨大な口の隙間からも炎が漏れ出ており、昴をひと飲みして焼きつくすことなど造作もなさそうだ。
 昴は泣きながら懇願した。
「お願いだ。俺を離してくれ……」
 絶体絶命、死を覚悟したものの、いくら待っても大蛇は昴を丸呑みしようとしなかった。大蛇があまりにもじっと黙ったままでいるので、昴はほんの少しだけ落ち着きを取り戻した。そしてずれた眼鏡ごしに下方を見て――息をのんだ。
 黒々とした森が、はるか眼下に広がっていた。これでは夜空のほうが近いくらいだ。思いがけない高さを認識し、昴は肝が冷えた。
 視線をやれば、つい今しがた自分がいた建物は、切り立った断崖に横長にぺったりと張りついたような奇妙な木造建築だった。見慣れない景色ではあるが、木々や空気の匂いからここがわが故郷、鼓村だと察せられる。夜空と地上の中間で、昴は建物から長く身を伸ばした白き大蛇に抱きかかえられ、一命をとりとめているのだった。
 大蛇は、今では人を食らうような獰猛さは感じられなかった。先程まで放たれていた冷気も弱まっている。昴を無心に見つめてくるそのさまは子供のような無邪気ささえある。
 しばし輝く赤い瞳で昴を見ていた大蛇だったが、その瞳がふいに揺れたかと思うと――虹色の涙をこぼした。
 蛇って泣くのか。戸惑う昴の頭の中に、音なき声が響いた。
 ――助けて、昴くん。
「えっ」
 昴は目を見開いた。そして、震える唇でその名を――長年心の中で呼びかけたとて決して口にのぼせることのなかった、彼女の本当の名を発した。
舞歌(まいか)ちゃん……?」

悪夢の始まりは、帰郷したその日だった。

悪夢の始まりは、帰郷したその日だった。

 始まりは伯父に乞われて鼓村(つづみむら)に戻った、その日だった。
 一年半ぶりの帰郷だった。もう二度と戻ることはあるまいと思っていた。
 車から出たとたん、なじんだ夏の風が(すばる)の髪をなぶった。伯父の邸宅は村の中心から少し離れた見晴らしの良い高台にあり、玄関前から村を一望することができる。
 太陽の光を受けてぎらぎら光る高層建築の群れ。その足元を埋め尽くしているのは城か宮殿かと見まごうほど豪勢な建物の数々だ。異国風や純和風、古式ゆかしき建物から前衛的な巨大建築物まで、さながら豪華絢爛な建築物の見本市といったところ。四方が山に囲まれている中にあって、様々の豪奢な建物がごたまぜになっているその景色は、何とも下手な物語めいていて周囲の自然とちぐはぐな印象だ。
 ここ昴の生まれ故郷、鼓村は、「この世の楽土」とか「現代のリアル桃源郷」とかもてはやされるが、むしろ昴には「村民総成金集落」というえげつない言われ方のほうがしっくり来る。人々は働かずとも、金に困らなければ食うにも困らない。各自、趣向を凝らした御殿を築いて有閑階級の悠々自適生活なのだ。
「この世の楽土」にせよ「村民総成金」にせよ、その源となっているものは山の上の神社に鎮まる村の守護女神の力である。
 鼓村の守護神、三連姫(みづらひめ)。太古の昔よりこの地の村人を守ってきた慈愛深き女神。
 その女神の神霊が十年前、ある少女の身に降りて一体となり、生き神として神変不可思議の数々をもたらしてから、鼓村は劇的に変わった。うらぶれた一村落から幸運と奇跡に満ちた富裕と清福の地へと。
 女神の御業はそれに留まらない。村の人々は生老病死の輪廻から解き放たれ、人類が夢にまで見た永遠の若さまで手に入れたのである。「仙人の住むリアル桃源郷」とも称される所以だ。村内ではどんなに年長の人でも五十代前半の外見、彼らの実年齢は実に八十歳以上。高校生くらいの子を持つ大人達でもおおむね二十歳代の肉体だから、親子できょうだいに見える。人々は十年前から老化が止まり、老年だった人ほど若返っている。
 奇跡と福運、永遠の命を得たに等しい鼓村の住民が、神に特別愛された存在として他地域の人々からうらやましがられるのも、また鼓村住民自身がそう自負するのも、無理からぬことではある。
 ――まるで世界じゅうに割り当てられていた幸福がすべてこの村に注がれているみたいなんだもんな。
 眼鏡を押し上げ、昴はため息をついた。自身はこの奇異の村に住んでいる間、身の丈以上の幸運にかえって違和感を覚え、据わりの悪い思いをし続けてきた口である。
「やあ昴君、よく来たね。待っていたよ」
 後ろから陽気な声がかかった。
ふり向くと昴の伯父、木花(きばな)一雄(かずお)が玄関に立っていた。相変わらず色黒で筋肉隆々の偉丈夫だ。小さめのサイズのポロシャツに、白のパンツはぴったりスリム、盛り上がる筋肉を見せつけたい意図がむんむんだ。
 満面の笑みの伯父だったが、はっと顔色を変えるや、大声を張り上げた。
「なな、なぁんてことだ、昴君! ひょろ長くてもやしみたいではあったがそこそこ整った顔だちだったきみが、あろうことか眼鏡とは! 眼鏡をかけるだなんて、村民総健康優良児かつ不老不死の鼓村ではあり得んことだよ。あーあーあ、すっかり只人(ただびと)に成り下がったあかしだな、こりゃ!」
 一気にまくしたててから、伯父はため息交じりに昴の肩に手を回して家の中に誘いつつ、
「まったく気の毒にねえ。きみの親父には口酸っぱく忠告したんだよ。鼓村を出ていくものじゃない、慈愛深き女神の守護を自ら出ていくとは何たる不敬かとね。しかし正二のやつ、変なところで頑固なもんだから、聞く耳持ちゃしなかった。あいつのせいで私の可愛い甥っ子がこんなふうに落ちぶれたかと思うと……やるせないものだな」
 鏡のように磨かれた廊下を歩きつつ、伯父は濃いまつ毛に縁どられた目を潤ませる始末だ。昴ははは、と曖昧な笑顔でごまかした。この御仁、元来人の意見に聞く耳をもたない性格だった上、三連姫(みづらひめ)のおかげで運がついてからさらに唯我独尊になったものだから、適当に受け流すのが昴たち家族の定石なのだ。ちなみに昴の両親も村の浮かれ調子に違和感を覚えた口で、昴の父は三連姫の地上降臨後も変わらず隣町の会社で勤め続け、遠く離れた市へ異動を命じられた際は喜んで受諾した――おそらく勤め先は、誰もが羨む村に在住する父への嫌がらせのつもりだったのだろうが。
 昴はダイニングとリビングがひとつながりになった広間へと通された。壁一面がガラス張りになった見晴らしの良い空間で、芸術作品が配されており、まるで洗練された美術館のようだ。八十畳という話だから、昴の現在の家の延べ床面積より広い。
「昴君、久しぶりぃ」
 伯父の妻、木花(きばな)小夜子(さよこ)が台所から顔を見せた。伯父と同じく昴の眼鏡着用に気づいたが、小夜子の反応は伯父とは異なり、
只人(ただびと)になった昴君もかわいい。庇護欲をそそられる」
 と甘い声で白い太りじしの身体を揺すった。大判の花柄のワンピースが豊満な体の線にぴったり沿い、この伯母も伯父と同様、自身の若返った肉体を誇りたいのがよくわかる。ちなみに先程から一雄(かずお)や小夜子の言う「只人」とは、鼓村の人々が使う単語で、鼓村以外に住む普通の人々を指す。生老病死にとらわれた只の人間と自分たちは違うという自負の表れの言葉だ。
「お昼ご飯は軽めにおそうめんにしたわよ。夕方の神事が終わってから宴会があるから、そのお席でごちそうがたぁくさん出るから」
 と話す小夜子の後ろから、黒い頭巾で顔を被った「仕え(つかえびと)」達がワゴンで次々料理を運んできた。仕え人とは、他地域から通いで働く只人のハウスキーパーのことだ。鼓村の人々に奉仕することで三連姫の恩寵をわずかでも受けられるよう功徳を積むことを許された人達である。ちなみに昴を鼓村まで車を運転し送り届けてくれたのも仕え人だった。村民は仕え人の存在を極力無視する決まりなのだが、昴は村在住の間それも忍びなく感じ、今も慣れずにどうもと頭を下げてしまう。
 それにつけても、目の前の食卓に並べられた品数のなんと多いことか。ガラスの巨大な器には素麺が山となり、その山盛りの器はゆうに十以上ある。魚介や野菜、各種肉料理など付け合わせは数十人規模のパーティを開けそうなほど。他に客がいる様子もないし、仕え人は鼓村の人間と食事の同席は許されていないし、昴は内心首をひねった。
 が、すぐに判明した。くいとシャツの裾を後ろから引っ張られ、ふり向くと、金魚柄の巨大な大福が目の前にでんと立っていた。
 ひっと叫んだ昴に、大福はにっと目を糸のように細めた。いや、大福もとい、
「あら、梅子」
 と、伯母が声をかける。
「おはよう。起きたのね、ひとりで起きられたのね。偉いわね」
 それは昴にとって従姉にあたる木花(きばな)梅子(うめこ)であった。伯父と伯母が溺愛するひとり娘だ。二十歳になった彼女は福々しい大柄の体を金魚柄の浴衣で包んでいる。昴も身長は低いほうではないが、梅子の目の高さは昴の頭よりも高い。体格の良いこの梅子が人一倍、いや数倍喰らう大食漢であったのを昴は思い出した。
 梅子は無言のまま昴の腕をとった。何気ない動作なのに、ものすごく力が強い。わっと昴はよろめき、引っ張られるままになった。小夜子はそれを見て、
「相変わらず仲良しさんねえ」
 と笑った。
 梅子が昴を引き連れて行った先は、景色を一望できる一面ガラス張りの前であった。
「ん、ん」
 と、梅子が白いソーセージみたいな指で外を指すので、
「何?」
 と昴が見やると、村を見晴らせる絶景を背景に庭にいたのは小型の馬――ポニーであった。栗毛や白黒、まだら模様など数頭いて、平和そうに草を食んでいる。
 きょとんとして梅子を見上げる昴に、梅子はにかっと歯を見せ、
「お父ちゃまが昨日買ってくれたの。梅子、今度あれに乗ってみるの。いいでしょ」
 と、どうやら彼女はポニー自慢をしたかったようである。
「へー、そうなんだ……」
 と昴は返すにとどめたが、小さな馬達に待ち受ける試練が目に見えるようであった。
 昼食が始まった。まずは霊水で乾杯だ。霊水とは三連神社(みづらじんじゃ)の鎮まる御籠山(みこもりやま)の湧き水に三連姫が祈りを込めたもので、毎朝ボトルに詰められ、各戸に配達されるものである。この水によって人々は若返り、健康を維持できるのだ。昴も久々に飲み、独特の甘みのある味わいを思い出した。
 伯父は盛大に音を立てて素麺をすすり、
「今夕の神事についてだがね、むぐむぐ」
 と口を開いた。
「先日の電話でも話したように、今回の神事は『三連姫に元気になっていただく』ために行なわれる。お加減のすぐれない三連姫に、われら鼓村びとの、特に、同年代の若者の元気を分けて差し上げようという趣旨でね。いや、何、姫はそれほど深刻な状況ではないんだよ。少々夏バテ気味なだけでね。ただお勤め以外の時間は床に臥せりがちでいらっしゃる。御身のためにも、村のためにも、早く回復されるに越したことはない。そういうわけで見た目良し、心意気良し、イキ良しの若者を集めることになったわけ。若者のピチピチした生気を送れば、姫も栄養ドリンクもぶっちぎりの回復っぷりになること請け合いじゃないかと。そういうわけでな。うははは!」
「はあ」
 昴は曖昧にうなずいたが、釈然としてはいない。女神の不調は大事ないようですこしだけ安心したが、体調がすぐれないなら医者に診てもらうのが一番ではないのか。
 女神の神霊と一体化したとはいえ、彼女は女神である前にひとりの女の子なのだから。
 そう、十年前、三連姫の神霊に乗り移られて生き神となったのは他でもない、昴の幼馴染だった少女なのである。
 人であった頃の名を宇津(うづ)舞歌(まいか)という。
 今回、別の街に引っ越した昴がわざわざ呼び戻されたのは、かつて昴が舞歌(まいか)と一番懇意な間柄だったからというのが大きく、幼馴染の一番の仲良しが神事に加われば、三連姫も大いに励まされるだろうという意図なのである。
 しかし、どうも解せないのは伯父の態度であった。もともと伯父は自分の弟である昴の父、木花(きばな)礼二(れいじ)とそりが合わず、昴達一家を侮る向きがあったのだが、二年前、昴達一家が村を出ると知った時には、裏切り者だの冒涜者だのと積年の苛立ちを込めるかの如く怒り狂い、あげく二度と鼓村の敷居をまたぐなと絶縁状にサインまで書かせたのだ。だから昴達は故郷を捨て、親族とも縁を切る覚悟で村を出た。なのに先日、伯父は当時の激憤もまるでなかったことのようにしれっと電話をかけてきて、三連姫のために神事に参加するのは鼓村びとのつとめだよねと、さも当たり前のように昴に参加をうながしてきたのだ。
 今も一雄伯父は陽気に笑い、
「どうだい昴君。懐かしいだろう、燦然と輝くこの鼓村の景色。帰って来たくなったらいつでも帰って来ていいんだよ。わはは!」
 と言ってはばからない。いくら伯父が三連姫をまつる神社を支える組織、「三連神社を守る会」、通称「守る会」の会長で、個人的な遺恨よりもまずは三連姫の御身体を考えるべき立場とはいえ、この手のひら返しだ。伯父の腹は読みにくい。
「そうよ、そうよ……ワイン」
 と、黒子の仕え人に酌をさせながら伯母の小夜子も口を挟んできて、
「昴君だけ帰って来たらいいのよ。それでこのおうちで皆で暮らすの。楽しそうじゃない。うふん?」
 と、妙な流し目をくれてくる。
 甥っ子のざわつく胸の内も知らず、伯父は上機嫌のまま言った。
「私は神事の準備があるから一足先に神社に向かうよ。昴君はひと風呂浴びてから来るといい。後で神社から迎えが来ることになっているからね。それまでくつろいでいるといい」
 数十人分もありそうな山盛りの料理はほとんど伯父と梅子の腹におさまり、昴は喉に通りにくさを覚えながら最後のそうめんをすすった。

村の人々は変質した。十年前、女神が地上に降臨してから。

 真夏の炎天下、全速力で駆けてきた(すばる)は大きく息をついた。
 ――勘弁してくれ。
 せっかくひと風呂浴びて小ざっぱりしようとしたのに、この大汗だ。
 というのも、昴は伯父宅から逃げ出してきたのである。風呂に入っていたところ、伯母の小夜子の奇襲を受けたからだ。小夜子がバスタオルだけ巻いた姿で現れ、迫ってきたのだ。
 湯気の中、ほぼ裸の伯母は昴の前に仁王立ちし、上気した顔で言った。
「伯父さんね、もう神社に向かったわ。梅子もお昼寝で夢の中。だからね……ん?」
 昴は血の気が引き、水しぶきを立てた。旅館の大浴場並みに巨大な浴槽内でしばし追いかけっこし、伯母が足を滑らせたのを機に浴室から遁走、家からの脱出にどうにか成功した。
 伯母の熟れ過ぎて発酵しかけた欲望のにおいに胸焼けがして、昴はうぷっと吐き気をもよおした。世間では鼓村(つづみむら)の民は輪廻転生から解脱した心清き仙人などともてはやされたりもするのだが、どこがだと気が滅入ってくる。
 うなだれて歩く昴の目に入るのは、金銀宝玉の敷き詰められたきらびやかにして奢侈な歩道だ。うつむいた顔に涼風が当たると思ったら、道路に細い穴が空いていて、涼風のミストが吹き出していた。おかげで汗もひいてきたが。
 しかし、こんなに金も手間隙もかけた歩道を歩く村人などいない。皆、高級車で移動するからだ。今もほら、昴の横を黒光りの外車が通り、中から村人が何と酔狂なと言わんばかりの怪訝な視線をくれてくる。
 鼓村の人々は元来素朴だった。寂れゆく村で暮らしながら、多くは望まず、細々と生活できればまず十分と言う人たちが多かった。昴の伯父木花(きばな)一雄(かずお)も、横柄なのは変わらないが、当時の彼の野望は出世して外車を購入するという、今の鼓村住民が聞けば何ともつつましやかな程度でしかなかったのだ。今では伯父は不労所得で悠々自適、外車は何度も買い替えては乗り回している。
 三連姫(みづらひめ)の降臨後、素朴だった村の人々は途方もない幸運と豊かさを享受することになり、当初こそこんなに恵まれて罰が当たるのではないかと戸惑っていたものの、次第に自分達がその果報に見合う優れた人間なのだと信じるようになった。与えられるまま幸福を受け続け、深く考えることをやめた人々の表情は、だんだん熱に浮かされた夢見がちなものに変わっていった。そうして今のように、金を湯水のごとく使い、欲のままに行動してはばからない、常若の肉体と選民意識をもった「鼓村びと」達が出来上がったのである。
 生き神となった三連姫は、鼓村の外観とそこに住む人々を大きく変質させただけではない。昴の幼馴染に乗り移り、彼女の人生を乗っ取って、神社の奥深くに閉じ込めてしまった。
 ――やっぱり俺はとんでもない過ちをしでかしたんじゃないだろうか。
 顔を上げ見やれば、高台のこちらから贅を凝らし技術の粋を極めたビル群を見渡せる。金銀宝玉が散りばめられ、この世の人々の夢と欲望が結集した、浮世離れした集落。そんな景色を見て昴のうちに湧き起こるのは、幾度もよみがえっては胸を締めつける後悔の念である。
 じつは昴は、三連姫の地上降臨に最も関わった人間なのである。つまり、幼馴染の宇津舞歌(まいか)に女神が宿るあるきっかけを作ったのは、他でもない昴なのだ。
 今回、伯父に何らかのはかりごとがあるのを察しつつも、口車に乗った体で帰郷したのは、ひとえに鼓村を豊かにした女神と十年ぶりの再会を期待してのことだったのである。
 昴は目を閉じた。
 舞歌ちゃん。会いたい。会って話がしたい。そしてきみのあの、眉を寄せて困ったように笑う、可愛い笑顔をまた見たい……。
 と、ふと自分の名が呼ばれた気がして、昴はふり向いた。
 ピンク色の可愛らしいスクーターが近づいてくる。この村で原付とは珍しい。
 スクーターが昴の横で停車し、運転手がヘルメットをはずした。昴はあっと声をあげた。くるくるのくせっ毛、薔薇色の頬に長いまつ毛の天使顔。一つ年上の昔馴染、橘内(きつない)聡史(さとし)である。
「昴君、お久しぶり!」
 聡史は頬を光らせ、無邪気な子供のような笑顔を見せた。
「今ね、きみのおじさんの家にきみを迎えに行ったんだよ。そうしたらおばさんがおうちをもう出たっていうから」
「あ、ごめん」
 そういえば伯父が神社から迎えが来ると言っていたが、聡史のことだったようだ。伯母から襲われかけたことは伏せて、久しぶりの村だからつい出かけたくなっちゃってとごまかすと、聡史はこだわりなく、そっかー、と言い、
「ところで昴君、それってダテ眼鏡?」
 と首をかしげた。三連姫の霊水のおかげで視力平均1・5のこの村では度付きの眼鏡着用者は皆無だから、どうも眼鏡が異文化の道具に見えるらしい。昴はまあねとごまかし、急いで話題を変えた。
「ところで。免許、取ったんだね」
「あ、うん。十六になってからすぐにね。このスクーター、妹が選んだんだよ。これに乗りたいってせがまれてさ」
 聡史は五つ下の妹を猫可愛がりに可愛がっている。そして彼ほど三連姫を熱心に信仰している人間は鼓村に他にいない。聡史の妹は数年前病に侵されていたところ、三連姫の霊力によって命を救われたのだ。以来聡史は女神に生涯仕えることを誓い、三連神社(みづらじんじゃ)で手伝いをしながら神職を目指している。昴は聡史のその純粋な信仰を尊敬もし、また少々苦手にもしている。彼は昴のことを三連姫降臨の場に立ち会えた唯一の人間としてこちらの腰が引けるほど称賛のまなざしを向けてくるのだ。
 今も聡史は満面の笑顔で昴にヘルメットを渡してきて、
「さあ昴君。僭越ながら僕が神社までお送りしますよ。後ろへどうぞ。こんな小さい乗り物だけど、案外乗り心地は悪くないはずだよ」
 そして後部にまたがろうとする昴に、聡史は熱のこもった視線をあててきて、
「帰ってきてくれて、本当にありがとう。おこがましいけれど、僕からもお礼を言いたい。やっぱりきみ以外に三連姫を活気づけられる人はいないだろうから。だって、きみは……きみこそが、三連姫をこの地に降ろした特別の人間なんだから」

かつて苔むした古社だったそこは、ハイテク技術を結集した近未来的様相と化していた。

 かつては苔むした鳥居に古びたお社が神さびた風情を漂わせる、山の上の小さな神社だった三連神社(みづらじんじゃ)は、今ではハイテク技術を取り入れた近未来的様相と化していた。
 (すばる)はあ然となった。
 ――俺がいた頃よりさらにグレードアップしたんじゃないのか。
 山の中腹にある拝殿へ向かうためには、常ならばふもとから伸びる参拝者用のエスカレーターかリフトに乗るのだが、今回は聡史の案内があったので、関係者しか立ち入ることのできない通用口をのぞくことができたのだった。
 参拝者用の各種昇降機のある場所から少し離れた崖の前に待避所があり、聡史はそこで一旦スクーターを止めた。ごつごつした山肌には「関係者用出入口」という看板と小型カメラがついている。カメラに向かって聡史がヘルメットのシールドを上げると、認証を合図する電子音がして、山肌が上に動き出した。
 車両用エレベーターが現れた。聡史は昴を乗せたままスクーターごと中に入り、ドアの横にあるボタンを操作した。
 箱が上昇し、ややあってドアが開いた。鈍いメタリックゴールドの壁に囲まれた、広々した空間がひらけていた。そこは駐車場になっていた。高級外車が展示会さながらに整然と並んでいる。
 聡史は隅のほうにスクーターを走らせると、二輪車用の駐車スペースに止めた。聡史に促され、そばにあった自動ドアの向こうに出ると、同色のメタリックゴールドの無機質な廊下が伸びていた。空調も程よくきいている。
 前を行く聡史がふり向き、
「ここ通るとき、いつも宇宙船の内部みたいって思うんだ」
 と笑った。昴が呆気にとられつつ、
「よくこんな空間を作ったよね。山をくりぬくなんて。工事とか大変じゃなかったのかな」
 と言うと、
「それがね、この御籠山には元々洞窟がいくつもあるそうなんだよ。それを生かして、こういう通路とかをこしらえたんだってさ」
 言われてみれば幼い頃、神社の境内で遊んでいた時、山に洞穴がいくつもあったのを見た覚えがある。それらの穴はちょうどかくれんぼの時に絶好の隠れ場所だったのだ。
 ――だからこそ俺はあの時、舞歌(まいか)ちゃんを連れて御籠山に向かったんだ。
 と昴は思い、顔に苦みが差す。
「さあ、着いたよ」
 聡史が突き当たりのドアを開けた。
 夏の熱い湿った風が肌を撫でた。近未来的な廊下の出口の先は、拝殿のある高台へとつながっていた。緑の木々に囲まれた拝殿は、改築されておらず、古めかしいままだった。本殿、すなわち舞歌の居室は、この高台よりさらに高い山頂付近にある。拝殿と本殿とは数百段の急勾配の階段で繋がっているという、独特な神社の構造だ。
 拝殿が手直しされていない一方で、拝殿前に設置された大迫力の3Dホログラムの質の高さと、建て直したばかりという社務所の白木の白さが際立っていた。3Dホログラムは三連神社の由緒を映像で物語るものだった。内容はこうだ。そのかみ鼓村(つづみむら)のあたりに天から大蛇の怪物が落ちてきた。大蛇は大暴れして、逆巻く暴風と大雨、地割れを起こす地震や雷を起こし、村は壊滅状態に陥った。村人たちは一心に祈りを捧げた。そこに現れたのが少女神三連姫(みづらひめ)だ。三連姫が手で制すると、暴れ回っていた大蛇はあっという間におとなしくなった。三連姫は村人達に向かって言った。この大蛇は私が見張っていたが、一瞬監視を怠ったために地上へ逃がしてしまった。あなたがたの祈りが聞こえたので、大蛇を見つけることができた。自分はあなたがたにお詫びとお礼をしなければならない。私はこの大蛇とともにここに鎮まり、この地を永遠に守ろう。この地の民を災厄から守り、不運から遠ざけよう。そうしてこの御籠山に三連神社ができた、という話である。
 大型のホログラムで、うねり波打つ大蛇の動きや、地滑りや洪水の描き方などなかなかの躍動感と臨場感があり、昴はつい見入ってしまった。
 こっちだよと聡史に呼ばれ、昴はホログラムから目を外し、社務所の玄関を入った。神職の人間が出てきて、二間続きの畳の部屋に通された。
 部屋の青々した畳には白い着物の入った衣装盆がいくつも置いてあった。ここで昴達神事参加者は白装束に着替えることになっている。
 衣装盆の中に二、三メートルほどの細長い布があり、昴がつまんで首をひねっていると、
「それ、ふんどしだよ」
 と聡史が教えてくれた。
 昴はぎょっとして、指でつまんださらし布を見つめた。
「ふんどしまで締めるんだ。けっこう本格的な神事なんだな」
 と思わずつぶやくと、
「当たり前だよ。だって僕達の大切な女神のための神事だよ」
 と聡史はおかしそうに笑った。
「僕、ふんどし締めるの上手だよ、やってあげようか?」
 という聡史の申し出は丁重に断り、昴は衝立の陰に隠れてスマホで動画を見つつ、たどたどしく試みた。
 そこに三人連れの青年が部屋に入ってきた。昴の二年先輩の連中だ。先輩らは昴達には一瞥をくれただけで声もかけてこず、内輪話に花を咲かせたまま着替え出し、
「……でさー、こないだも俺、わざわざこのお社まで来て姫さんに手合わせたんだぜ。なのにまだ叶わねえんだよ、俺の願い。夏休みにイビサ島の泡パに行きてえから、諸々段取りつけてくれって心を込めて祈ってるってのに、まぁだ音沙汰ねえの。早く叶わねえと本格的な夏がもうやって来ちまうっての」
「それを言やあ、半年くらい前だったかな」
 と別のひとりも口を開き、
「月イチの『生み出し神事』の時、うちの母ちゃん、三連姫に最新の美顔器を所望したのに、届いたのが男用の電気シェーバーだったの。母ちゃん、『私の顔の産毛はこんな物で剃らなきゃいけないほど剛毛じゃないわよ!』ってエライ勢いで怒ってさ。すぐ神社からお詫びがあって正しい品物が送られてきたんだったけど、俺と父ちゃんゲラゲラ大笑い。姫さんもやっぱ完璧な神様じゃなく人の部分もあるんだなーって話してたんだけど」
「生み出し神事」とは月に一回の恒例行事で、欲しいものや願い事を絵馬に書いて神社に奉納すると、三連姫がすべてを叶えてくれるというものである。物品を求めるのももちろん可能で、ほとんどの人達が無料の通販よろしく利用している。
 けどさ、と再びひとりが口を開き、
「願い事を叶え間違えたり、叶えられなかったり。もしかしたら姫って前から調子悪かったのかね」
「姫の霊力って上限とかあんのかな」
「だったらやべえだろ。この村はどうなる。すべてが姫の肩にかかってるのに」
 あ、と昴が気づいた時には、聡史は彼らのそばに移動していた。聡史はすでに着替え終わっていて、白い着物の背中からは、何やら冷たく硬い気配が立ち上っている。
「先輩達。三連姫のお力に疑念をもつのはやめませんか。そういう乱れた想念を僕達が抱いていると、姫を汚してしまいかねない」
 唐突な聡史の物言いに、ふんどしの布を引っ張ってじゃれていた彼らは動きを止めた。
「何だよ、急に」
「盗み聞きかよ、たち悪りい」
 と三人は気色ばんだ。
「本当のことだから仕方ねえだろ。鼓村の人間は以前ほどツキに恵まれてない。お前だってそれは感じてるんだろ。こんな神事を行なわなきゃならねえほど姫は弱ってる。それは事実だ」
「どうして姫がお弱りになってしまったのか、本当にわからないんですかね」
 聡史は聞こえよがしに鼻息をもらし、
「あなた達のような人が多過ぎるからですよ。女神への感謝の心を忘れた、あなた達のような人間が。願いが叶ったらきちんとお礼参りをしていますか? 毎朝毎晩三連姫に感謝を込めて手を合わせていますか? していないでしょう。願うばかりで返さないから、三連姫は気力をそがれていくんだ。本当にお気の毒に。三連姫が調子を狂わされたのは、だからあなた達のせいでもあるんですよ。どうしてそのことに、そこまで無自覚でいられるんですかねえ」
 軽侮の口吻には聡史に似つかわしくない頑なな響きがあった。いや、信心ゆえに聡史は無邪気にも頑なにもなるのだろうか。
 聡史からの辛辣な物言いに、三人は頭に血を上らせ、
「言わせておけば、言いたい放題。てめえは三連姫の何だってんだよ!」
 と、ひとりが聡史の胸ぐらをぐいっとつかんだ。
 昴は呆然となった。まもなく神聖な儀式を一緒に行なう仲間だというのに、一触即発の危機だ。
 そこにからっと障子が開き、姿を見せた者があった。
 平安時代のような紺色の着物に身を包んだ若い男だ。背筋の伸びた、たたずまいの凛とした男である。
「外まで聞こえていたよ。全部筒抜けだ。喧嘩をしている暇はないだろうに」
 男の口調は穏やかなのに、なぜか相手を威圧する力が十分にあり、全員すぐにおとなしくなった。先輩連中は気まずそうにお互いをつつき合い、
「すみませんでした。貴矢(たかや)さん」
 と、ひとりが前に進み出て頭を下げ、
「高校の後輩がつっかかってきたもんで。ですが、これから大切な儀式。もめ事を起こす気なんかさらさらなかったですよ」
 部屋に入ってきたのは才気煥発、将来有望との聞こえ高い三連神社の御曹司、鐘乃井(かねのい)貴矢(たかや)であった。
 貴矢は微笑のまま、
「わかっているならいいけど」
 と言ったが、続けて、
「今日の神事は神の世界と通じる極めて厳格な儀式だからね。遊び半分だと本当に痛い目を見るから気を付けて。かの世界は真実清浄ゆえに穢れを一切寄せつけない。だから対面する人間に邪心や不信心があれば、鏡のように刃となってその者に返るんだ。それで命を落としても自分の責任だからね。今日あの世に行きたくないやつは、儀式の前の禊を本気で念入りに行なうように」
 と、爽やかな笑顔で不穏な脅しをかけてきた。先輩らのへらへらした顔は固まった。
 貴矢は聡史にも目を向け、
「揺るぎない信心は神にとって喜ばしいものだが、三連姫は人のくだらない想念で汚されるほど霊力の弱い御方ではない。見くびるな」
 貴矢の目が一瞬、氷の冷たさを閃かせた。
 聡史はびくっと硬直し、それからしゅんと肩を落とした。
「すみません。出過ぎた真似をしました」
 悄然とする聡史に、貴矢は一転穏やかな声色になり、
「きみもまだ成長途中の若者だ。何事もお互い様と思って人と接するように。私はきみに大いに期待しているんだよ。いいね」
 すると聡史はみるみる頬を上気させ、はいっ、と元気よく返事をした。
 貴矢は去り際、昴に一瞥をくれたが、何も言わずに出て行った。しかし昴は神社の御曹司が口の片端をにやっと上げたのを見逃さなかった。
 ――あの人、あとで何か仕掛けてくる気だな。
 幼い頃からの因縁の相手が見せた不敵な微笑に、昴はそう予感した。

儀式が始まった。若者たちが村の女神と対面する、かつてない儀式が。

儀式が始まった。若者たちが村の女神と対面する、かつてない儀式が。

 夕刻になった。儀式のために集められた若者は十名ほどだった。いずれも同年代の男ばかりだ。社人の先導で、彼らは境内の小さな滝までやって来た。そこでひとりひとり滝に打たれて水垢離をする。ふんどし一丁の姿になり、社人数人の視線を受けながら水に身をさらすのは、落ち着かない気分だった。滝も勢いが弱く、ぬめぬめと肌を滑っていく水の感覚に、(すばる)はかえって後味の悪い思いがした。
 全員禊を済ませ(念入りに水に打たれた者が三名いたのは言わずもがな)、拝殿に移動した。拝殿前に設置されていたホログラム装置は片付けられ、たいまつが灯されていた。昼間と打って変わって幻想的な雰囲気になっている。建物の前には、大人たちが並んでいた。中央に立つのは三連神社(みづらじんじゃ)の宮司で、貴矢の父である鐘乃井(かねのい)元矢(もとや)氏だ。恰幅のよい体に黒っぽい着物をまとい、冠をかぶっている。他は「三連神社を守る会」の面々だ。彼らは十年前の三連姫(みづらひめ)降臨前から三連神社に信仰を寄せ、資金的に支え続けてきた人々で、現在村の政治を担っている。会員として名を連ねる昴の伯父と伯母、木花(きばな)一雄(かずお)と小夜子の姿もある。
 そして、そこにある女がいることに昴は気が付き――顔をこわばらせた。
 真っ赤な口紅を引き、胸に大きくスリットの入ったドレスをまとっている。火明かりの中、堂々と立つ姿には華があり、目を引くたたずまいだ。宇津(うづ)美里(みさと)だ。舞歌(まいか)の母親であり、鼓村(つづみむら)の守護神三連姫の降りる「器」を生んだ、鼓村の「偉大なる」女性。
 昴の視線に気づいた美里は眉を上げ、口元をほころばせた。赤い花がこぼれ開くような艶やかな表情だった。だが昴には苦々しさしか浮かばなかった。きれいなアーモンド形をした美里の目は舞歌の面影と重なったが、いや全然似てなんかいないと苛立たしく思い直した。美里に対する感情は、自身の不甲斐なさと無力さと相まって、昴の心をざわめき揺らす。
「ほら、もっと早く歩きなさい。後ろがつかえているから」
 社人に注意された昴は、美里から目をそらし、歩を進めた。
 拝殿の中はひんやりして暗かった。内部に光源はなく、外のたいまつの炎を受けてほんの少し視界が明るいばかりである。向かって正面には本殿に続く入り口があり、そこから階段が上に向かって伸びているはずだが、今はただ暗闇がぽっかり穴を開けているように見える。
 本殿への入り口の脇に人影があった。暗くて最初は誰だか判然としなかったが、
「全員横一列に並ぶように」
 という声で、それが貴矢だとわかった。
 どん、と儀式の始まりを合図する太鼓の音が轟いた。
 どんどんと打ち鳴らされる太鼓の音にあわせ、鐘乃井元矢宮司の祝詞が朗々と響き渡る。若者たちは神妙に首を垂れた。と、若者たちひとりひとりの背後に気配があった。どうやら「守る会」の女性たちのようだ。彼女らは目を閉じるようそばの若者に言うと、若者たちの目を布で覆った。ただでさえ暗いのに、なぜわざわざ目隠しをするのか。さらにとまどうことには、彼女らは若者たちの上衣を剥き、彼らの上半身を裸にしたのである。動揺する青年たちを、社人が静まれと一喝する。
「お前らが穢れた目で女神を直視せぬよう布で覆ったのだ。そのままじっとしていろ」
 昴の耳元で、
「神様の前では、目隠ししても心身は裸が基本よ。むき出しの自分を見せるのよ」
 とささやき、つーっと長い爪で背中を撫でていったのは、伯母の小夜子に違いない。昴は全身鳥肌状態となり、鼓動もどんどん早まった。若者の元気を送る神事だというのに、今のところ三連姫に伝わっているのは不安心だけではないか……。
 太鼓の音が、どん、とひときわ高く鳴り響いた直後だった。
 何か――ぞろぞろと、底冷えしそうに冷たい空気のかたまりが、目の前の渡り階段から降りてきたのを、若者全員があらわになった肌で感じた。まるで凍てて噴き出す巨大な炎のような気配だ。ただならぬ冷気に、若者たちの口から低いうめきが漏れる。
「三連姫がお越しだ。そのまま頭を垂れていなさい」
 と厳かに言ったのは貴矢だ。じつは鼓村の住民でも今日ほど間近に女神と接した者はこれまでほとんどいなかった。三連姫は山の頂近くの本殿に鎮まり、平素そこから動くことも、姿を見せることもない。本殿への昇殿を許されているのは、神社につとめる人でもごく一部と、「三連神社を守る会」の人達だけだ。
 未知なる神気に触れ、若者たちの混乱は激しかった。昴も震えが止まらなくなった。寒い。恐い。これが村人に幸福と繁栄をもたらしてくれる女神の放つ気配なのか? はにかみ屋で心優しい子だった、あの舞歌の気配だというのか?
 とうとう青年のうちのひとりが、うわーっと叫び声を上げた。が、すぐにばたばたっと足音がした後、声は遠ざかった。どうやら取り乱した青年は社人達に取り押さえられ、外へと連れ出されたらしい。
 早く大きく打ち鳴らされる太鼓の音が青年達の鼓動に合わせて不穏に轟く。宮司の祝詞もいよいよ高く響き渡る。
 と、一閃。
 暗闇に包まれていた拝殿内が一瞬、ぱっと真昼のように明るくなった。
 目隠しされた状態でもはっきりとその光を感じ取った青年たちは、一様に驚きの声を上げた。
 それがまるで合図であったかのように、宮司が神事の終わりを告げた。
「光栄に思いなさい。お前達の精気はたしかに三連姫に受け取っていただけた」

儀式の後、昴の前に現れたのは、因縁の幼馴染であった。その彼の口から出てきたのは、謎めいた言葉。

 夜風に吹かれながら、(すばる)は景色をぼんやり眺めた。
 空は真夏の濃紺色で、眼下の森は黒雲と化し、芳香を放っている。
 生まれ育った鼓村(つづみむら)の自然はやはり馴染み深く感じられた。それで昴は、そう言えば自分が村に馴染めないと思うのは、人々の中にいる時だけだったなと気づき、なんだかやるせなくなった。今もそうなのだ。大盛り上がりの宴会を抜け出して、ここでひとりたたずんでいる。
 神事の後、三連姫(みづらひめ)に精気を分けた若者たちを労うためということで、境内の会館で宴会が催された。この宴会、まさに酒池肉林だった。会場のホールには焼き上がったばかりの牛の丸焼きが、どんと鎮座。そのまわりを取り囲んでいたのは、色とりどり、匂いとりどりの世界各国料理だ。舞台上ではプロのバンドマンによる生演奏。当初若者たちは気後れし、隅に固まりしゃっちょこばっていたが、「守る会」の大人たちが彼らの腕を引っ張り、お神酒と称した大吟醸を器に注いで、あっという間に全員を乱痴気騒ぎの渦に引き入れた。品行方正の聡史も、宮司手ずからの酌を拒めず、へべれけにされた。
 昴は場の盛り上がりについていけず、アルコールと煙草のにおいで頭がくらくらしてきて、ちょっとトイレへと、二階の屋外に面したこの回廊に逃げてきた次第である。
 宴会場を抜け出す時、「守る会」の何某が得意げにしゃべっているのが聞こえた。
 ――今日はむしろこっちのイベントがメインと言っていい。大いに騒ごう。
 若者たちも赤らんだ顔でへらへら笑い、じゃーお言葉に甘えて乾杯っ、とぐいっと杯をあおっていた。
 女神を元気にするための神事ではなく、宴会のほうが主たる目的とは。酒盛りがメインと言われ、すぐに納得する同年代の皆の態度もしっくり来ない。それになぜ皆、何事もなかったように平気で笑えるのだろう?
 ――三連姫の放つ、あの気配を感じたはずなのに。
 思い出し、昴はぞくっと身を震わせる。
 あの、エアコンの冷房とも氷の冷たさとも違う独特の冷たい空気。まだ肌にまとわりついているように感じられる。あの時、明らかに人とは異なる気配をもった存在が、昴たちの何倍もの大きさに膨らんで昴たちを見下ろしていた。恐ろしくて、よほどその場から去りたかった。皆もそうだったはずだ。だからこそ若者のひとりはたまらず悲鳴を上げ、逃げようとしたのである(それは聡史と喧嘩した先輩のひとりだった。彼は宴会に不参加だったが、誰もそのことに触れもせず、平気で騒いでいるのも、昴には解せない)。
 あれが本当に人々に恵みをもたらす女神の気配なのだろうか。他の若者たちは宮司のもっともらしい説明、すなわち「女神と対面した時にお前たちが抱いた感情はいわゆる『畏怖』というものだ」を、すんなり受け入れていたが。
 ひとつはっきりしているのは、永遠に鼓村を守り人々を幸せにすると約束した少女神のもつ空気としては、極めて意外で異様だったということ。
 ――いや、異様な雰囲気だったのはあの時だってそうだったか。舞歌(まいか)ちゃんの身に雷が落ちて、女神が降りてきたあの時……。
 昴の表情が曇る。三連姫の降臨後、ひそかに胸に残り続けるわだかまりは、先刻の儀式でますます冷たく凝り固まってしまった気がする。
 と、そこに、
「昴ってさ、感情を発散できなくて欲求不満に陥りやすいタイプだろ。宴会で羽目を外せないなら、他のことで無茶してみたらどう。俺が教えてやるから」
「ぎゃっ」
 いきなり耳元でしゃべりかけられて、昴は踏みつぶされた蛙のごとく変な叫び声を上げてしまった。
 いつの間にか三連神社(みづらじんじゃ)の御曹司、鐘乃井貴矢がすぐそばに立っていた。
 眼鏡がずり下がり、ぽかんと呆気にとられた昴に、貴矢はくっとおかしそうに笑いを漏らした。先程まで平安時代の貴公子のようないでたちだった貴矢は、今ではシャツブラウスに細身のパンツを合わせ、すっかり洒脱な今どきの若者に戻っている。
「きみの伯父さんに頼まれたんだよ。可愛い甥がなかなかトイレから戻って来ないから、様子を見てきてくれってさ」
「そ、そうですか……はは」
 奇襲とも思える貴矢の登場に、昴の心臓はどきどきが止まらない。一方の貴矢は余裕綽々でそばの欄干に腕をかけ、
「昴、眼鏡かけるようになったんだね。似合うよ。世間知らずで自信なさげな雰囲気がよく出ている」
「それは、どうも、はは」
「どうだい、久方ぶりの故郷は」
「どうって、ええと、そうですねえ」
「きみにとっては相変わらず馴染めない場所なんだろうな、ここは」
 と言って、貴矢は目をすぅ、と細める。
「この村にいる頃から違和感を覚え続けていたのに、決して声を上げて異を唱えることはしなかったよな、昴は。和を乱さない、聞き分けのいい、良い子の昴。けど、たまには周りに迷惑をかけてでもおのれの心のままに行動してみたらどうだい。胸がすっとして案外楽しいぜ」
 唐突に何を不穏めいた発言するんだ、この人は。昴は引きつった笑いを浮かべつつ警戒水準を引き上げる。
 ねえ考えてもみなよと、神社の御曹司はなおも鷹揚に語りかけてくる。
「あのイカれた大人たち、神事より宴会のほうに力を入れて、未成年に酒飲ませて、何企んでいるって話じゃないか。若者の気を送る神事で、どうして男だけ集められて、しかも裸にされなきゃならなかった。きみは感づいているんじゃないの。何かおかしいってさ」
「う、うん、まあ、やっぱりおかしい……ですよねえ」
 昴はおずおず応じる。
 貴矢は肩をすくめ、
「昴を見ていると歯がゆいんだよ。きみは他の連中のように、三連姫の与える夢にどっぷり浸かることには抵抗を覚えているのに、状況が変わってほしいと期待するだけで、自分じゃ何も行動しない。それじゃ事態は変わらないよ。運命の歯車を動かすには、まずは自分が動かなきゃ」
「俺が、何の事態を変えたいって思っていると言うんです」
「言っていいの、きみの本心」
 欄干にもたれていた身を起こし、貴矢はにやっと笑った。
木花(きばな)昴は、鼓村の転覆を望んでいる。だろ?」
「……はっ?」
 昴はぎょっと固まってから、あたふたあたりをうかがい、声をひそめた。
「貴矢さん。なんてことを。そんなとんでもないこと、大きな声で」
「えっ、違うの? 俺はてっきりきみがそう思い続けてきたのだとばかり」
 心底意外という顔つきで見返してくる貴矢に、昴はかぶりを振り、
「俺、そんな大それたこと考えていませんから。何なんですか、急にそんな突拍子もないことを言って。いったい何だって、三連姫を祀る神社のご子息であるあなたが、俺にたきつけるような物言いをするんです」
「だって昴、十年前の三連姫の降臨直後、俺に散々泣きついてきたじゃないか。一目でいいからあの子に会わせてくれって。その後も道で会うたび俺にもの言いたげな目を向けてきて、鼓村が豊かになって雨後の筍みたいにぼこぼこ御殿が建つのを見ては、これ見よがしにため息をついてみせるし。よほど事態に納得が行っていないのだろうと俺は見ていたんだけど」
 ふいに、貴矢の眼差しが冷ややかになった。
「何だ。そうじゃなかったんだ。俺は昴を、軟弱ながらももうすこし筋を通せる男だと思っていたよ。宇津舞歌をあんな目に遭わせておいて、後は知らないって? で、自分だけいけしゃあしゃあと青春を謳歌しようってわけ? ずいぶん厚かましいものだな」
 昴は青ざめた。そんなと言いかけたが、口が強張って言葉が出てこなかった。
 そう、目の前にいるのは、ただ昴が苦手とするだけではない、鐘乃井貴矢は、昴が舞歌に三連姫が降りるきっかけと作ったその「一部始終」を正しく知る、村で唯一の人物なのである。
 ふいに、貴矢の眼差しが冷ややかになった。
「俺は昴を、軟弱ながらももうすこし筋を通せる男だと思っていたよ。宇津舞歌をあんな目に遭わせておいて、後は知らないって? で、自分だけいけしゃあしゃあと青春を謳歌しようってわけ? ずいぶん厚かましいものだな」
 昴は青ざめた。そんなと言いかけたが、口が強張って言葉が出てこなかった。
 そう、目の前にいるのは、ただ昴が苦手とするだけではない、鐘乃井貴矢は、昴が舞歌に三連姫が降りるきっかけと作ったその「一部始終」を正しく知る、村で唯一の人物なのである。
 怯える昴の様子を貴矢は冷めた目で見ていたが、やがて嗜虐的な笑みを広げ、
「村の連中がきみのことを女神降臨の功労者だとどんなにもてはやそうと、俺は覚えているからね。きみが宇津舞歌にした仕打ちを」
 言いながら一歩近づいてきた貴矢に、昴は反射的に後ずさりした。神社の御曹司は笑い声をもらした。
「そんなに怯えるなよ。わかってる。きみだって良心の呵責を感じながら年月を過ごしてきたんだろ。だから俺は、きみのその長年にわたるわだかまりを解消できるかもしれない、とっておきの情報をお知らせしてあげたいだけなんだよ」
 そう言うや貴矢は昴の腕を掴み、ぐいっと引き寄せた。
 身を竦めた昴の耳元で、貴矢はそよ風のごとく囁いた。
「いいか。会場に戻ったら、宇津美里が必ず近づいてくる。あの女の酌を受けろ。そして、それを全部飲み干さないようにして、意識を保っておけ」
 ――そうすれば、きみが長年望んでいた幼馴染との再会のチャンスが訪れるから。

三連姫

三連姫

山の中にある集落、鼓村。そこには三連姫という生き神がいて、村民に尽きぬ富と永遠の命を与えている。その神秘の村に久しぶりに帰郷することになった木花昴。彼の身に災難が降りかかる……。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-03-16

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