世界観という話。

世界観という単語の意味を僕は理解できない。
辞書で調べるとその全体像をやんわりと見渡せる。
世界観とは、正確な情報を意味する事なのか?
 たとえば人はそれぞれに価値観を持つ、それを世界観の単語が意味するものだと、定義したばあいどうなるか?
きっと、正確な情報以外は世界観という言葉の範疇で呼ぶことのできない事になる。それは少し息苦しい世界観の定義。
 でも自分が感じるところの世界観の意味は少し意味と形式を変えているので安全地帯だ。
 世界観とは、漠然としたもの、たとえば有名な文筆家が歴史について記すときに、そこには多分にロマンや補正されたその人独自の観点を交えて話す。だからそれは正確ではない。けれど世にはびこるたくさんの偉人に関する意見や価値観は、正確ではない情報も多くまじっている。人が人に面白おかしく何かを話し伝えるとき、多少の誇張はあるものだから。
 だとすれば、世界観の意味する事それ自体が、それぞれの人間が考えうるだけの“世界の考え方・とらえ方”であって、それ以上でもそれ以下でもないと考えてみる。
 そう考えると、世界観という単語はもう少し優しい姿を見せる。そう考えると楽で、例えば自分が“世界観”だと何かしら定義するものと、自分と異なる他者が“世界観”だと定義するものが地盤からいって全く異なるものだと考えてもよくなる。だから僕は、世界観という単語を、僕自身の一人分の手前勝手なやり方で理解する。僕はそれを自分勝手だと感じないが、人と話すときに世界観が何かと考えると、多少思考を鈍らせる。

世界観という話。

世界観という話。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-03-12

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