ナルキッソスの最期
水仙の死骸が、エタノールと清潔感の香る〝虚無〟を思わせる空間に在するリノリウムの白い床上にて、声も発さずに無残な姿で横たわっていた。何処かに群れ咲いて仲間と談笑を交わしていたところを誰ぞに無邪気な動機で手折られ、持ち帰る途中でこれまた無邪気な飽き等の判断に因って造作も心も無く放り棄てられての現状なのであろう。
然し妙なのが、傍に屈んでよく見てみると、花弁の隙間や茎の折れ目と凡ゆる箇所から血液が流れ出ており、辺りに小さな紅の輪を、、あた、紅飛沫を散らかしている事。悪戯で注がれた赤インキとするには、流出している部分を取っても薄らとした鉄の匂いを取っても非常に手の込んだ悪戯だ。此れでは致命傷を負い、唯々死の刻を枚ばかりの生物さながらだ。摘み取ったのは僕ではないにしろ、其の断末魔への想像が容易に届くような心持ちさえ得られる。救ってやれる手段は有るものか。大怪我を治療して
やる方法は、施しようは幾ら思索せども得られやしないし、何より元々、眼前の問題と真剣に向き合ってもいない。何故なら今僕は、水仙に自己投影をしていたからだ。
紅に半ば染まった白に手を伸ばし、直ぐに引っ込める。どうか其の儘誰の手に救われるでも無く、ゴミ同然の亡骸として扱われていて欲しい。此れは遠くない過去に抱いた己の願望と同じ。野垂死めいた最期を願う程度、許される範疇だろう。
自身がそうされたいとの願い通り、其れ以上僕は碌に手も目もくれず、無残な姿と化しても未だ美しさをたおった水仙の死骸を置き去りに、其処を後にした。かつかつ、こつこつ。小さな血溜りの残った床の鳴りに、僕が手を差し伸べなかった真の理由に、あの水仙は気が付いてくれるだろうか。気付かないでいてくれるなら、こんな喜ばしい事は無い。
白で構成された場から僕は、隣接する〝死〟の象徴。黒で構成される空間に身を投じた。其処は暗くて苦しくて、恐らくは誰もが自身の苦痛に藻掻くに手一杯で、僕が水仙にそうしたと同様に態々近くに屈んでは救済処置の方法を考えるだなんて、殆ど有り得ないと断定してもよかろう。ならば、あの水仙も道連れに黒のセカイへ連れて行けば良かったか。ナルキッソスと心中、なんとロマンティックな最期だろう。然し僕は振り返らなかった。一度情の湧いたものの姿を前にしては、墓の一つでも拵えたりと死への急きの大きな休符となるであろうから。
さよなら、可哀想なナルキッソス。さよなら、自己を愛しきれなかった今世の僕。
ナルキッソスの最期