奴隷のふりをする能ある鷹たち。
ある日、僕は街中で不思議なものをみた。それは書店の帰り道、いつも仕事場へ通勤で使うバス停のすぐそば。彼は小さな子供だった、背丈はちょうど小学生ほど、中学生にみたないから、きっと小学生の平均かそれ以下の子だろう、顔をみると言葉はあれだが、それなりに貫禄をもつ。
(ああ、そうか)
僕は何を、ああ、そうか、何と何を見比べて、ああそうか、とおもったのか、一瞬時を止めて考える。けれど疑問は取り戻せず時間はもどれない、惚けたように、まるでバス停でバスを待つ乗車客のようなふりをしてそこにたたずんだ。
(あ、いってしまった)
そうだ、いつのまにか彼は歩きだしていた。段ボールで工夫してつくった彼の帽子は、貧乏学生だった僕のこれまでの歴史と似ている。だから“そうか”なんておもったんだ。
しかし、何でもない事だ、何でもない事をどうして、こんな風にとりあげる意味があるだろう?きっとそれは、彼の帽子をみたときに感じたものだろう、その帽子は、きっと野球チームか何かを模倣して出来上がったものであろう奇妙な船の碇のような模様を丁度正面に掲げていた、それが一瞬、僕は何かの鳥に見えた。
昨日までの疑問が解消された。“鳥”そうだ。昨日まで僕は鳥の絵を描く事をおそれていた。いつか、兄に馬鹿にされた事を根に持っていた。けれど昨日、僕はその絵を仕上げたぞ、コンビニから自宅へ戻るその瞬間に、それが思い出されてふとおもった。
「僕たちの勝利だ」
きっとこの一連の想像は、小さな頃の僕と、今の僕にしか触れる事のできない感動だったのだろう。けれど僕は休日のバス停、人でごった返す繁華街のすぐ傍で夕暮れ時、妖怪のように一人ほくそえんだんだ。
奴隷のふりをする能ある鷹たち。