耽溺ナルシシズム

耽溺ナルシシズム

 ナルシシズムの泉。其処は誰の手に汚されるでもなく清く澄んでおり、岸辺にて慎ましやかに咲く花々の香りと相俟ってか、水浴びをすれば蜜よりも甘い時間に身を浸していられる。
 泉は僕の胸中に湧いており、時折溺れかかってしまう事もあれど、新たに湧かせる方法は存外に何処へでも転がっており、折を見て水位の下がった泉に放り投げ、此の手で満たしてやれる。只でさえ僕の視界は狭い。更に視野の狭かった十代の僕では不可能であっただろう。
 薄紫色の水面を両手でひと掬い。発生する微かな波紋にて密接して跳ねる単語、掌の中に作った第二の泉の中にもまた、幾つかの単語が小魚の如く泳いでいる。此の小魚は如何に調理しようが食せた代物では無いが、捕まえてつがいを拵えさせる手順を踏めば、水中を旋回するのみであった其等には生命らしい生命が吹き込まれ、また、僕が好んで水浴びをしている在り処を知らぬ者に、此処で得られる事柄の裾分けが出来るのだ。
 然し此の様な水遊びに没頭していると、稀に、足を滑らせてナルシシズムへと頭から転倒し、呼吸も儘ならぬ時間へ落ちる羽目となる。自己愛へと沈み切らぬよう息を止め、単語の小魚に手を伸ばして助けを求め、とうにか沢山のつがいを拵えてやろうとはしてみる。薄紫色のナルシシズムを通して視る其等は、他評はどうあれ誰の造った世界よりも魅惑的に映る。我が腕で抱擁し、接吻の一つや二つ贈ってやりたいと望む程に。
 遅かれ早かれ、水面へと上る時刻は来る。そうすると岸辺に咲いた水仙は皆、此方を見てはひそひそと不穏な噂話を立てていたり、冷笑的、若しくは嘲笑的な面をしていたり。溺れかかった僕が小魚との群れで成したものの出来は、今此の瞬間に見たなら成程、抱擁なんて、接吻なんて、金銭を積まれたって渡したくはない。其処で俯いて恥じるような可愛気なんて持ち合わせちゃいない。そんなものを有していたなら、幾度となく此処で水遊びをするような真似は選択していないだろう。
 そうして僕は暫しの戯れに終止符を打ち、泉から陸へ。一頻りの悪い笑いには気が済んだのだろう、水仙は再び眠りに就いていた。全身をしっとりと自己愛に濡らした儘、僕はナルシシズムに満ちたセンテンスを抱えて街を目指す。水面に上がった際に出会った水仙の表情とよく似た其れを期待して。時には此の綴りを鼻で笑わずに居てくれる人と出会える事も密かに期待して。
 ナルシシズムの泉。其処は僕の存在意義をくれる場所。

耽溺ナルシシズム

耽溺ナルシシズム

ナルシシズムの泉。 其処は僕の存在意義をくれる場所。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-03-10

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