『間違い電話』
『間違い電話』
「間違えた」
スマホの画面にまるで当たり前かのようにその名前が点滅した数秒後、彼は他人の声でそう言った。
幼稚な言い訳が気に入ったアタシは「そう」と返す。
「感じが変わった」
要らぬ詮索の混じった感想は納得に値した。
あの頃(記憶が確かなら三年前)アタシは人によって何かしら演技をする癖があったのだ。
彼は年上のごく普通の男に見え、アタシはそこから世間知らずのお嬢様という役を生み出した。
「癖は相変わらず?」
アタシの質問の意図が解らないのか、彼が困ったように沈黙した後小さく笑った。
「何のことかな」
興味は失せた。
一言二言挨拶らしきものをして電話を切る。
あの頃、アタシは彼のある癖が気になって仕方なかった。
その事に気を取られてうっかり交際にまで発展したのは予想外だったが。
彼はマフラーを巻くことが出来ない。
もちろんハイネックや手で首に触れる事すら拒否した。
そして決して裸体を見せない。
明かりを極端に嫌うのは羞恥の類ではないとアタシは勝手に納得していた。
理由は聞かなかった。
聞かずに空想ばかりしていた。
朝日の中、目覚めた彼の首にアタシの指が絡んでいたらどんな顔をするだろう。
食い込んでゆく指の感触を味わいながら、彼はどんな目でアタシを見ただろう。
空想は空想だった。
間違い電話が終わった後も、アタシはスマホの画面を見つめたまま動けずにいた。
躊躇ったことを少しだけ後悔した。
そして後悔した事を後悔した。
「出来ない癖に」
間違いだった。
あの愛もあの執着も。
間違いでなければならなかった。
この感情もこの電話も。
『間違い電話』