こども経済学
■廊下の片隅で
小学生の給食の時間、あまり面識のないヤツが、「その牛乳ビンのフタ、貰っていい?」と尋ねてきた。
「何に使うの?」と聞き返したら、「メンコ遊びをするんだよ」と彼は言ってきた。
どうやら、他に親しいヤツがもう一人いて、二人で始めた遊びらしい。
「フタはあげるけど、見てもいい?」と僕が尋ねたら、「うん、いいよー」という返事が戻ってきた。
彼らの後をついて行くと、どういう遊びをするのかと思ってみていたら、直ぐには遊びが始まるわけじゃなかった。
彼らは集めた牛乳ビンのフタを洗い始め、自分達が持っているハンカチでそれらを乾かし、縁のそり返った部分を丁寧に伸ばし、平らにする。
そして、家から持ってきたと思われる洗濯バサミでそれらを挟んだ後、洗濯バサミに紐を通して、一旦、自分達の机まで戻ると、その脇に洗ったフタをひっかけた。
それらの儀礼が済んだ後、ようやく彼らはカバンの中から、綺麗になった牛乳ビンのフタを取り出すと、廊下の隅へと移動する。
そして、ひっそりと始まった二人のメンコ遊びを僕は眺めていた。
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牛乳ビンのフタは的が小さく、なかなかひっくり返ることは無いのだけれど、苦労してひっくり返した勝者の勝ち誇った顔と、敗者の「まだ戦いは終わっちゃいねーぜ!」というような生き生きとした顔を見ていたら、なんとなく面白そうに感じた。
「ねぇ、僕もやっていいかな?」と尋ねたら、「やろう、やろう! 多い方が楽しいよね!」との返事が戻ってきた。
廊下の隅で始まった牛乳ビンのフタメンコバトルは、三人によるバトルロワイヤルになった。
廊下の隅で三人がメンコ遊びに興じるようになると戦いは白熱した。
二人の対戦だけではなかった駆け引きが生じるようになるのだ。
フタの位置取り、順番、相手の癖を分析し始める。
一撃で二人のフタを同時にひっくり返す荒業を披露して、戦いに勝った時の優越感はそれはもう最高だった。
悔しがる彼らの態度と、「もう、一回勝負してくれ!」と懇願する言葉が心地よいのだ。
そんな遊びをしながら、廊下の片隅で賑やかしくしていれば、ギャラリーは一人、また一人とやってくる。
そして、次第にギャラリーが参加者となってゆくのは自然な流れだった。
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「オイ、これだけ人数が増えたんだからさ、チーム分けしないか」
誰かがそのような提案をしたところ、皆が一様に「いいね。やろう、やろうよ」との声を挙げた。
常時五、六人が対戦するようになり、順番がなかなか回ってこなくなってきたという状況もあってか、一人の発案はすんなりと皆に受け入れられた。
チーム分けは不公平が無いようにくじ引きで決まり、メンバーは日毎によって変わるので、新鮮味が増した。
上位のチームが勝ったときには、フタの取り分がグッと増えるというルールを作ったことで、参加者のやる気は俄然上がった。
「おっ、アイツら、また勝ちやがった」
「くっそー、俺、未だに勝ったことないぜ。俺のチーム弱わすぎ」
「どうしよう。オレ、もう持ちフタがそんなにないよ……」
勝者と敗者との間に、有る程度の実力の差が明確に出始めるようになると、牛乳ビンのフタはあっという間に足りなくなってしまった。
負けが続いている連中は、どうも他の男子生徒からも牛乳ビンのフタを貰っては、なんとかしのいでいるというような状況が続いていた。
だが、皮肉にもそうした活動によって、新たに興味を持った参加者を呼ぶこととなり、参加人数は増加の一途を辿った。
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参加者が急激に増え、思うように勝てなくなった僕も、フタ集めに走り回ることが多くなった。
だが、先ほどのような状況が続いていたこともあって、余りにも牛乳ビンのフタを集めることが難しくなったとき、僕は"暴挙"に出た。
クラスの女子から牛乳ビンのフタを集めようと考えたのだ。
僕自らが同じクラスメートの女子とですら話をすることなんて普段から無かったのに、何故かその時は自然と行動することが出来た。
ただ、いきなり女子に話かけてきた男子の一言が、
「キミの牛乳ビンのフタを頂戴!」とは、随分と間抜けな話だと思うけど。
クラスの女子達には、「そんなもん集めてどうするのよー」と散々言われたが、僕がこういう遊びをしていて「フタが足りないんだー!」と一生懸命に話したことが功を奏したのか、女子達はフタを快くくれた。
しかも、その中の何人かは、親切にも綺麗に洗ってくれたりもした。
僕は流しで牛乳ビンのフタを洗ってくれる女子達のそんな後ろ姿を眺めながら、牛乳ビンのフタを頂戴する日々が続いた。
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ある日を境にして、僕を直接指名して挑戦してくる連中が現れ始めた。
僕はチーム戦で思うように結果が出ていなかったということもあり、空番でサシ勝負を受けることが多くなった。
その中で、やたらと執拗に勝負を迫る奴がいて、その余りのしつこさに嫌気が指していた僕は彼に詰問した。
「なんでオレばかりとやりたがるんだよ」と。
そしたら、彼はこう宣った。
「オマエが持っているフタの中に、好きなあの子のフタがあるんだよ!」
そんな日常が繰り広げられていた、牛乳ビンのフタを巡る争奪戦は一層白熱することとなり、戦いはこの時、クライマックスを迎えていた。
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そのような日々が続いていた、とある日の昼休み。
戦いの場に見慣れぬ柄のフタが現れた。
しかも数枚ではなく、大量に。
どうやら、かなり後から参加してきた"素人"が、給食センターのオバチャンから、
《未使用のフタ》を頂戴してきたということらしいのだ。
彼が言うには、大量入荷によって使われずに余っていた、他校の未使用品だという。
彼の手にはパンパンになっているポリ袋の中から取りだしたと思われる牛乳ビンのフタが握られていた。
そして、彼は言っちゃいけないことを言ってしまった!
「まだまだ、いっぱいあるよ。親に頼んでもらったから幾らでも」
―― その日の夕方に、ゴミ箱へと捨てられた大量の牛乳ビンのフタ。
市場は崩壊したのだ。
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