君の声は僕の声 第六章 6 ─二匹の蛇─
二匹の蛇
今日からいよいよ陵墓へと踏み込む。
皇族以外は入ることを許されない聖域だ。実際には皇族ですらやっては来ないのだろう。あたりは鬱蒼と茂った木々に囲まれた、手つかずの森だった。
朝から呼鷹はそわそわと落ち着きがない。さっさとテントを片づけて陵墓へ行きたそうだったが、瑛仁に何か言われ、少年たちのテントの片付けを手伝った。
「痛っ」
倒木に腰掛けながら、聡と陽大と一緒に干し肉を切っていた麻柊がナイフで指を切った。指の傷は深くはないが、パックリと割れて血が流れている。
「瑛仁に薬をもらってくるよ」
聡がナイフを置いて立ち上がった。
「大丈夫だよ」
陽大は聡を遮ると、麻柊の指に両手を添え、自分の胸に押し当て、目を閉じた。
「杏樹……?」
麻柊は、その不可解な行動に杏樹をのぞき込んだ。杏樹は黙って胸に手を押し当てたままだ。聡は麻柊の横に座り、そのまま杏樹の様子を見ていた。おそらく麻柊の手を握っているのは『心』だろう。杏樹に手を握られている麻柊は、だんだん落ち着かなくなってきたように見える。
「おい、杏樹」
杏樹と向かい合ったまま無言でいることに耐えられなくなった麻柊が声を掛けると
「もう少しだからじっとしててね」
はにかむように杏樹が笑った。
「はっ、はい……い?」
麻柊は思わず間の抜けた返事をした。ドキリとした。杏樹が気分屋なのは分かっているつもりだが、こうも素直に見つめられると何だか照れ臭い。麻柊はその杏樹の可愛らしい口調に、続く言葉もなく、目を丸くしたまま大人しくしていた。
しばらくして杏樹が胸から手を離し、握っていた麻柊の手を離した。
「どお? まだ痛む?」
杏樹がいじらしい目で、心配そうに首をかしげる。
聡も麻柊の傷を確かめようと覗き込んだ。傷口を見て思わず「あっ」と小さく声を上げた。
麻柊の人差し指から血は止まっている。傷口もくっついている。麻柊は傷口を親指でそっと触ってみた。それから首を右に左に傾けながら、険しい顔つきで傷口をじっくりと眺めた。そのままの顔を杏樹に向けて「痛くないよ」と指を曲げてみせた。
「よかったね」
杏樹の純粋な笑顔に、麻柊の顔が赤く染まる。杏樹は「ちょっと待ってて」と、その場を離れた。その後ろ姿を、麻柊はポカンと口を開けたまま見つめていた。
「あいつ、あんなに可愛かったっけ?」
「そう、だね……たまに、ね」
聡が苦笑いしながら肩をすくめた。
戻ってきた杏樹は、麻柊の手をとって水を湿らせた布で血を拭き取ると、麻柊に向かって天使の笑みを見せた。
※ ※ ※
干し肉とパンで簡単に食事をすませ、食糧と水をリュックに詰め込んだ。
「行くか」
櫂の一声に、少年たちの顔つきが変わった。
門を抜けると、森の木に覆われ、崩れかけた古い石塀が現われた。石塀を覆うように絡みついているのは、木の枝なのか根なのか、区別がつかないほどだ。
「まるで巨人の身体に張り巡らされた血管みたいだ」
聡が石塀に寄生するように生い茂る巨木を見上げてそう言うと、「上手いこと言うね」と秀蓮が笑った。
塀の向こう側は、木の枝が覆いかぶさり視界を遮っていた。石塀の正面には先ほどのものよりも小ぶりな門があり、所どころに朱色の塗装が残っていた。門は、細かく彫刻された観音開きの木戸で閉じられてる。
この木戸も新しく作り直されたものであろう。中央に閂が通され、南京錠がかけられていた。
秀蓮が皇太后から預かった鍵を取り出す。
ガチャリと重々しく鍵が外され、呼鷹と瑛仁が閂を外して木戸を開く。秀蓮が門をくぐった。
「どうだ、秀蓮?」
呼鷹の声は上ずっている。
答えを待ちきれずに門をくぐった呼鷹の後について聡も門をくぐる。ふたりはその場に立ちすくんだ。
三人の目の前には、今くぐってきた石塀よりもさらに高い石塀が立ちふさがっていた。塀の高さは呼鷹の身長よりもずっと高い。塀の向こうは見えないが、塀の上からは草が顔を出している。石塀は左右に緩やかな弧を描きながら続いていて、数十メートル先で見えなくなっていた。
どうやらこの石塀は円形状になっているらしい。入り口らしいものは見当たらなかった。
突っ立っている三人の後ろから、少年たちが入ってきた。みんな石塀に圧倒されて声を上げている。
「さて、どっちへ行こうか?」
呼鷹が少年たちを振り返る。
「右だな」
杏樹が下を向いて答えた。
少年たちの足もとには、灰色の石畳に少し黒味がかった石が交互に埋め込まれ、右へと続いていた。まるで何かが引きずられた跡に見える。みんなは無言のままうなずくと、右へと歩を進めた。
塀に沿って左にカーブを描きながら歩いて行くと、黒色の石は途中でぷっつりと途切れていた。黒い石の終わった正面には入り口と思われる大人の背丈ほどの一枚岩を綺麗に削った扉が埋め込まれていた。
扉には大きな蛇が二匹絡まり合った姿が彫られている。蛇の力強さに圧倒されながら、聡が呼鷹を見上げた。
「こういう場面てさ、たいてい仕掛けがあるよね。盗掘を免れるために──岩が落ちてきたり、落とし穴があったり、毒矢が飛んで来たり……。大丈夫なの?」
呼鷹は扉を見つめたまま腕を組んだ。「やってみなくちゃ分からないな」
少年たちの濁りの無い瞳が呼鷹をじっと見つめた。その視線を感じた呼鷹が少年たちの顔を一通り見渡す。
少年たちの視線は動かない。呼鷹の額に汗が滲んだ。
呼鷹の片方の眉がゆっくりと吊り上がる。それから少年たちの無言の訴えを遮るように両方の手のひらを少年たちに向け、右の頬を引き攣らせながら、少年たちを見下ろして言った。
「わかった──。わかったよ。──俺がやる。俺がやるよ」
汗の流れる頬をひきつらせたまま、呼鷹はにっこり笑った。
心配そうに呼鷹を見つめる流芳の横で、櫂がニヤリと笑う。
呼鷹は恐る恐る扉に手を当て、確かめるように少しずつ力を入れて押した。瑛仁は、両手を広げて少年たちを後ろへ下がらせた。みんな固唾を呑んで見守った。扉はびくともしない。今度は横に押してみた。
やはり動かない。
呼鷹は腕を組んで大きくため息をついた。
「…………」
扉を睨みつけたまま長い沈黙が流れる。
「失礼」
瑛仁の腕を押しのけ、杏樹が前に出た。
杏樹は呼鷹の前に立ち、扉に手を当てる。杏樹の手が、彫られた蛇のうろこを掴んだ。少年たちは杏樹の動きを黙って目で追った。
そして、それは動いた。
杏樹はうろこを引き抜くと、足もとの石畳をじっくり見つめ、またいくつかのうろこを引き抜いた。
少年たちの口から声が漏れる。みんなの杏樹を見つめる目が驚きから期待に変わった。
ふと杏樹が手を止めた。
杏樹は隣で見ていた麻柊に「邪魔だ」と落ち着いた声で、顔を扉に向けたまま横目で言った。
慌てて避けた麻柊を杏樹がさらに鋭い目つきで睨みつける。
いきなり睨まれてきょとんとしている麻柊の足もとに、杏樹が冷ややかな目線を落とす。釣られて麻柊が足もとに目をやると、黒色の石の上に自分が立っていることに気づいた。慌てて麻柊が一歩後ずさる。
杏樹は嫌そうに大きくため息をつくと、すぐに向き直ってうろこをはめ直していった。
──感じ悪い
麻柊の眉間が少しずつ寄せられていった。
「朝言ったことは取り消しだ」
額に青筋を立て、杏樹の背中を恨めしそうに見つめながら、隣の聡につぶやいた。
麻柊を睨んだのは『玲』だ。
聡は苦笑いしながら麻柊の肩に手を置いた。
君の声は僕の声 第六章 6 ─二匹の蛇─