宗教間の相違? その3
この作品は『宗教上の理由』シリーズの続編です。何それ?という方が多数でしょうが、私が細々と書き連ねてきた一連のラノベもどき群です。
今回の物語は、その続編というか、同じ世界設定で描かれています。勿論シリーズの最初から読んでいただければ作者としてはこの上ない喜びですが、途中からでも楽しめるように書くことを心がけていますので、お初の方も気負わずお読みいただければ幸いです。
作品世界について
物語の主人公、嬬恋真耶は一族の仕来りに従い、両親と離れ山奥にある天狼神社で育った。彼女は「神使」としての使命を仰せつかって産まれてきたのである。神使とは通常、神道においてそれぞれの神社が神様の使いとして崇める動物なのだが、この天狼神社は日本で唯一、人間の少女が神使を務める習わしとなっている。
思春期を迎えるとともに、神使としての職務から解かれた真耶。少女としての美しさを持つ真耶だったが、実は仕来りのために「女子」として育てられた「男子」だった! これをきっかけに男子として生きていこうと決心した真耶だったが、女子生活に馴染みすぎていたため中学ではいったん断念。都内の両親の家に戻り、高校生活を続けながら男子になる努力を続けたが、大学生になった今でもなお、どこからどう見ても女子にしか見えない外見と言動を保ち続けている。
真耶の「女子大生」ライフと、ときに高校時代の思い出を交えながら物語は進む。
1
着ぐるみバイトに情熱をかける嬬恋真耶。大学が長い休みに入ったこの時期は、同時に子供たちに大人気のアニメである「パエリア」シリーズの新作が始まる時期でもある。着ぐるみキャラショーの運営会社はそれに合わせて準備にも余念が無い。
とは言え、こんなに長い休みなんて社会人になったら無いのだから、アルバイトにかかりっきりになるのも勿体ない話。今しかできないことをした方がいい、そう父に言われた真耶は早速それを実践に移した。幸いパエリアのショーも学生アルバイターがいて人員に余裕があるし、真耶の着ぐるみセンスをもってすればショーの台本はあっという間にマスターできる。しかも真耶は今十九歳、今しか出来ないことが、まさにある。
大きめのスノーボードケースに、スノボと短めのスキーを両方入れて、ウェアはスキーとスノボのどっちかを着て移動。足にはスキーウェアよりは伸縮性があって歩きやすいスノボシューズ。それ以外の荷物は徹底的に削るけど、お肌のケアグッズは外せない。そして、男女別のトイレには入れないという掟の名残りにより、やむなく外でしてしまう時のための、おむつも忘れてはいけない。
結構な重装備で、かれこれ半月近く雪国という雪国を飛び回っている真耶。確かにこれだけの長期間自由な時間が持てるのは大学生ならではだが、何故雪国にこだわるのか。
それは彼女が十九歳だからに他ならない。何しろ全国というか全雪国レベルでのキャンペーンにより、十九歳だとスキーのリフト券がタダになるスキー場が数多くある。それを狙って真耶は雪国放浪スキースノボ漬け旅をしている。真耶と同学年で同い年の幼なじみ仲良しグループ、苗、優香、ハンナの三人も彼女の呼びかけにノリノリ。それぞれがそれぞれのやり方で旅をしている。
「おはよう。どこ? みんなは今日」
目覚まし代わりの真耶のSNS書き込み。こうしてみんなが今どこにいるか、疲れてないか、怪我や病気をしていないかを確かめ合うのがみんなの決まりになっている。
「裏磐梯ー。山奥だから雪質いいよー。この時期客も少ないから民宿安い安い」
「偶然だねー、わたしは猪苗代。さすがに車中泊も疲れてきたから今日はどっか宿取ろうかと思って。よかったら合流しない? 私が行くからそっち」
「ありがとー、大歓迎」
「いいなー車あって。ウチはバイクにテントだぜ? ちなみに蔵王、今。超樹氷キレー」
と言った具合に、お気に入りのスタンプなんかも交換しながら、皆雪国での朝を楽しんでいる。そしてかようにバラバラに行動するのが基本だが、たまたま近い場所にいたらそれは神様の思し召しってことで合流し偶然の出会いを自分たちで作りだして楽しんでいる。だから予定は当日朝までのお楽しみというルールもあるのだ。
もっとも、滅多に起こらないから偶然なのである。なにせ木花村は上信越のスキー場密集地帯の中にある。自分の村にも村営スキー場があるし、バスやら家族の車やらでほんの一時間も走れば、いくつものスキー場にたどり着けるのだから、まるで庭みたいなもの。だから、行ったことのない遠くのスキー場を目指そうと、みんな自然に考える。
さすれば自ずと、標高という下駄を履かされているおかげで、比較的低い緯度にありながらパウダースノーに恵まれている少女たちは北を目指す。ときにはゲストハウス、ときにはマンガ喫茶といった具合に安い宿を駆使して。
優香に至っては車の免許を取ったのをいいことに軽自動車で車中泊。苗は民宿のオフシーズンとか値切り方のコツを心得ていて、さすがペンションの娘といったところである上に、バイクに冬用タイヤを履かせて積載量ギリギリまで冬野宿グッズを持ち、真冬の外寝も辞さない覚悟というかすでに何度もやっている。ハンナは得意の大道芸で日銭を稼いだり、旅館の宴会でそれを披露するかわりに泊まり賃をロハにするとか、決して楽でも贅沢でもないが、さまざまな方法で雪国を巡って楽しんでいる。
「ところで、真耶ちゃんどこにいるの?」
そういえば、肝心の真耶が、今いる場所を皆に教えていなかった。しかしその答えは、皆を驚愕させるには十分だった。
「えっとね、とまこまい」
2
まだ夜行列車が日本全国の鉄路を網羅していた頃、旅慣れた者の中にはそれらに乗ることで宿代と交通費を合体させる節約技の使い手も少なくなかった。時刻表を駆使して夜行列車を乗り継ぎ、それを何泊分の宿の代わりにする強者もいたらしい。
新幹線が鉄道移動の主役となった今ではそれも昔話となったが、別の手がまだ残っている。真耶は夜に八戸を出発し、翌朝北海道の苫小牧に到着するフェリーを利用した。二等の船室は男女混じっての雑魚寝なので性別も気にならない。移動代と宿泊代合わせて五千円ほどなので相当お得だ。
もっとも、この技は真耶の父、真人の入れ知恵である。彼も大学時代は貧乏旅行を趣味としていたのだが、年々夜行列車が使いづらくなってくることに一抹の寂しさを感じていた。真人が大学生の頃は、青森から札幌までの夜行急行や、函館から札幌までの夜行快速もあったので、自分の娘がこんなに苦労して安旅をしなければならなくなるとは思いもよらず、今しかできないことをしろと娘を諭したことを失敗したかと思ったりもした。
だが真耶から北海道に行きたいとSNSが届いたとき、真人の旅人本能がよみがえり、すぐ返事を返した。
「八戸へ行け!」
ともかく、真耶が北海道に上陸したということが残り三人のチャレンジ精神を大いに刺激したのは確かで、皆こぞって北を目指そうと腹に決めた。幸い三月に入れば、JRの普通と快速なら乗り放題の五日分のきっぷと共に、東日本と北海道の普通と快速を連続七日間乗り放題というきっぷも出る。優香と苗の自力移動組も、一旦乗り物を木花村に返してから北を目指してみようかと勘案していた。
さて。北海道はとにかく広い。道内の都市間を結ぶ夜行列車こそ無くなったが、夜行バスは健在だ。だから本州以南の人間がそれを知らずに、
「今度二泊三日で北海道行くんだー。一日目は札幌泊で決まってるからー、次の日は知床回ってから釧路に泊まってー、最終日は富良野も行きたいから市場で勝手丼食べた後に寄ってから帰ろうと思うんだー」
なんてことをうっかり言おうものなら、
「んなもん無理に決まってんだろ! 北海道の広さなめんな!」
と北海道出身者に怒られても仕方ない。
だが、それを意識し過ぎてもいけない。何故なら、
「へえー、石原くん北海道出身だったんだー。あ、小樽なの? そうそう小樽も行きたいんだけど、でも石原くんの話だと二泊三日の日程に組み込むのたぶん無理だよねー。ざんねんだなー。小樽も札幌から遠いんでしょ? てゆーか帰省大変でしょ? やっぱり千歳か札幌から長距離バスなの? 夜行とか? あ、北海道の中も飛行機で移動とかってあるんだよね。もしかしてそれ?」
などと言ってしまうと大変である。なぜなら、
「あのさ、俺の親父、札幌の会社に小樽から通勤してるんだけど…」
という言葉と共に、気まずい沈黙が場を支配することとなるから要注意。北海道の都市間移動は確かに膨大な道のりを要することが多いが、小樽は例外で札幌の通勤圏。電車で一時間もかからない。
苫小牧と札幌もけっこう近い。特急なら一時間かからないし、高速バスも本数が多い。北海道は都市間を移動する公共交通としてバスが発達しており、真耶も早朝に着いたフェリーから眠い目をこすりつつ苫小牧駅行きのバスに乗り、そこからバスターミナルに行って一路札幌を目指した。
スキーに来たのに何故札幌みたいな大都市へ? と北海道を知らない人は思うだろうが、そこはやはり北海道、道庁所在地である札幌市内から市電で行けるところにスキー場があったりする。だがこの日に限っては、真耶の目的はスキーではない。会いたい人が一人さみしく札幌に取り残されていることを知ったからだ。
札幌のバスターミナルは札幌駅からは少し離れたところにある。ターミナルには道内各地からバスがひっきりなしに到着し、北日本一の大都市としての風格を感じさせる。一方、昔からバス輸送が盛んだった分建物は古く、それが幸いして地下街はレトロな雰囲気を醸し出していたりもする。
そんなバスターミナルを出ると、一面の銀世界。にもかかわらず人通りが多いのはここが都会というだけが理由ではない。
雪まつり真っ最中なのだ。大通公園は平日にもかかわらず多くの客であふれ、たくさんの雪像が真耶の目を楽しませてくれる。夢中になってスマホカメラをパシャパシャやりながら歩いているうちに、細長い公園の端っこまでやってきて、それでもまだ物足りないので反射的に折り返してもまだ飽き足らずパシャパシャ。いつまでも飽きずに歩き続けられそうだ、と思った時にはすでに何往復もしていた。
「あ、お昼…」
ふと右手の手の甲側に文字盤が向いた腕時計を見て、真耶は我に返る。そしてあらゆる飲食店が混み始めるであろう正午の一時間前を知らせる十一回の鐘の音に誘われるように、ビル街へ吸い込まれていった。
「…きれいだなあ…なんでこんなに立派で素敵なのに、がっかりとか言われるんだろ」
時計台を真正面に見られるレストランで昼食をしながら、真耶は思った。雪が舞う中、凛としてそびえ立つ姿はため息が出るほどに美しいというのに。まあさすがに大学生ともなると天然で鳴らした真耶も冷静にスマホで調べてみることくらいは思いつく。
「…うーん、だからこそ良いんだと思うんだけどなあ…」
ネットでよくみられる意見は、ビル街の中に埋もれるように建っているのが北海道のイメージに合わないというものだったが、ビル街の中にあるにもかかわらず残ったところに価値があるのだし、この時計台を毎日眺めながら通勤通学ができるなんて、札幌市民は幸せじゃないか、というふうに真耶は思った。
「街中にあんなおっきな公園があるのもすごいと思うし、道庁とか知事公館とか、駅の向こう側の大学もロマンチックな建物いっぱい残ってて、札幌っていい街だなあ。東京にも公園はあるし、あたしの大学のキャンパスも素敵だけど、なんかせまっ苦しい感じが東京にはあるなあ」
まちの縮尺が違う気がする。真耶はそんな感じに思い札幌への好感度が増していった。そしてそれは、同じく広大な高原にゆったりとした区分けで作られた村で彼女が育ったことによる、ふるさとに帰ってきたような気持ちも関係しているようだ。
「このあと、どうしよう。まだ夜まで時間あるし、市内をいろいろ回って来ようか…、あ」
どうやら雪まつりの会場は大通公園だけではないらしい。食休みを終えた真耶はシャトルバスで郊外の運動公園に設けられた会場に着いた。そこでは浮き輪を大きくしたような乗り物に乗って斜面を滑り降りるチューブスライダーや、ゴムボートをスノーモービルで引っ張って快走するスノーラフトなどのアトラクションがある。もっともこういった遊びは木花村に帰ればいくらでも出来るのだが、どうしても今すぐやりたくて身体がウズウズしてしまったのは雪国育ちの宿命というか本能というか中毒性というか。
で、真耶が遊んでいると何故か子どもが寄ってくる。普段から着ぐるみショーで子どもとのコミュニケーションに慣れているので、自然と所作が子どもを寄せ付けるようになっているのだろうか。まあ、十九歳のいい歳したおねーちゃんが無邪気に雪で遊んでいるのだから、感性が子どもに近いのかもしれないが…。
ともかく、チューブスライダーだのスノーラフトに子どもと同乗する羽目になった真耶であるが、肝心なことを自分で忘れていた。速いものや高いところから落ちていくものは基本的に苦手だということ。そんなわけで、
「え、え、もうスタートす…わ、わわわ、きゃーーーーー!」
と、子どもたちも顔負けの悲鳴を上げる。でもそうなると子どもたちはなおさら面白がって、より怖いものに真耶を乗せようとする。真耶も人の頼みは、特に子どもの頼みは断れない性格なので、足をブルブルさせながらも乗っては悲鳴を上げる。挙句、怖くて乗れないと愚図っていた子どもまでが、真耶の叫びを面白がって乗れるようになってしまい、親御さんに感謝されたりして、怪我の功名と言えばそうなのだが。
ことわざついでに言えば、男女共用トイレがなかった時に外で服を着たままする準備をしていたことと、スキーウェアを着ていたおかげで、身体の中から出た水もすべて布などに吸い込まれて外からは気づかれないことは、結果的に転ばぬ先の杖だった。
最終的に、真耶を雪の中に埋める遊びが始まった。ここはもともと子供たちが雪に埋まって記念撮影するというコーナーなのだが、なぜかみんな寄ってたかって真耶を埋め始めてしまった。そしてこういう時に限って知恵者の子どもというのが出てくるもので、サラサラの雪でも水をかけると凍るからなんて技を伝授したものだから、真耶はかろうじて顔が見える状態で雪に埋められてしまった。
もちろん子どもたちも自分が埋まることにやぶさかではないというか、楽しいので次々と雪に埋もれていく。そして真耶とのツーショット撮影を終えた子どもたちは手を振り、
「バイバーイ、ありがとうお姉ちゃん」
とくちぐちに言って親に連れられたり、友達同士だったりで去っていく。真耶も笑顔でバイバイと答える、というか手を振ることができないので声とゴーグルの奥に見える目で笑顔を表現するしかできないのだが、子どもたちにはちゃんと伝わっているようだ。
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「それで、そのまま終了時刻が過ぎても雪の中から出られなくて、見回りの職員さんに発見されて救い出されたんだ? よく凍え死なないで済んだよね。ていうか、トイレとか大丈夫だったの?」
「…なんとかなったよ」
「むむ、そのビミョウな言い回しは、まさか…」
「あのね、スキーウェア着てて漏らしちゃったときのコツは、ヒザから下と腰から上を絶対濡らさないことなの。だから身動きできなくても無理やりヒザを曲げて、腰を浮かして、おしりからもものあたりで全部吸収させるの。靴の中と背中が濡れると超冷たいから」
真耶は、他の人たちには聞こえないような小声で答えた。そして真耶の話し相手は半分あきれ顔で、
「…それで、椅子に座ってもつま先立ちしてるわけだ、ももを上げるために。しかし、その子たちもひどいねー。せっかく一緒に遊んでくれたお姉さんを放って帰っちゃうなんて」
「そんなことないよ。子どもはかわるがわる来たからずっとあたし埋めたままにしてても最後の子が助け出すと思ってただろうし、でも最後の子はお母さんが急いでたみたいで、引っ張られて行っちゃったから。だからあたしが埋められたままになってることも、その子が会場に電話してくれたんだって。他にも心配した子が何件か電話してきたみたいだし、いい子たちだよ、みんな」
「…く、く、くっくっく…」
真耶の話し相手の女の子、いやお酒を飲んでいるから女性といった方がいいのか、とにかく彼女は当然声を殺して笑い始めた。
「え、え、や、やっぱ、大学生でおもらしって、恥ずかしい?」
笑いをこらえつつ、女性の方は首を横に振る。それもかなり強い勢いで。
「そうじゃない、そうじゃないの。そこまでして子どもが楽しんで遊べるようにっていうか、一緒に遊ぶところがすごいって思ったの。ていうか、その時もう本当はおしりビショビショだったんでしょ? だって真耶ちゃん高いとことか速いものとか苦手なの知ってるもん。それに無理やり何度も何度も乗せられてて、子ども待たせるのがかわいそうだからトイレもずっとガマンしてたんでしょ?」
「す、すごい。どうしてそんなことわかるの? ゆずちゃん」
「分かるよ。だって真耶ちゃんのそういうところ見て、好きになったんだもん。アタシ」
ここは午前に真耶がついたバスターミナル。その地下のレトロな店たちの中の一軒、定食屋とおでん屋を足して二で割ったような店内に居座る客の多くがそこをお通し無しの居酒屋と心得ているような店。
「だいいちさあ、私の都合で真耶ちゃんを呼び出したようなもんじゃない? わざわざ北海道まで。どうせオフったっていつ終わるかわかんないんじゃ東京帰れないし。そしたら真耶ちゃんがぶらり旅してるっていうじゃない? ダメ元でSNS送ったら本当に来てくれるなんて、ホントにありがとうだよ」
「それはあたしもだよ。ゆずちゃんが誘ってくれたおかげで北海道行くきっかけになったんだもん。こっちこそありがとうだよ」
年上っぽいお姉さんは、もう参ったといった感じで、
「あーもうどこまでも謙虚だなあ、相手を立てるなあ。もうなんていうか、私の負け。うちの業界いないもん、ここまで自己犠牲出来る人。それよかスキーウェア大丈夫? ホテル取ってるからさ、早く帰ろう?」
「ダメだよ。やっとゆっくり飲める場所見つけたってSNSに書いてたじゃない。若い人が多いお店だとすぐ正体ばれちゃうから、って」
首をなかなか縦に振らない真耶。だから、ゆずと呼ばれた彼女は観念したように言う。
「分かった。存分に飲ませてもらうね」
真耶の他人を過剰なほどに思いやるところが、白瀬ゆずは大好きなのだ。
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今を時めく人気女優、白瀬ゆずは北海道でドラマの長期ロケを終え、そのまま北海道を舞台とした別のドラマに出演することになっていた。しかし脚本とか小道具とかブッキングとか色々な事がトラブって、なかなかクランクインできない。分かっているのは、少なくとも二日か三日ばかりは確実にロケが出来ないということ、そしてそんな中途半端な休みが次の日、また次の日と繰り延べられ、宙ぶらりん状態が続くということ。多忙なゆずにとって休みは有り難いものではあるが、その終わりがいつ来るか分からないのでは気が落ち着かない。
まして今回のロケでは、ゆずと同年代の役者がいない。一緒に遊ぼうにも、先輩役者の相手ばかりでは却って気疲れしてしまう。スタッフには同年代の仲が良い子もいるが、裏方の方は逆に一刻も早く撮影を再開すべく東奔西走中。遊ぶ暇などありやしない。
でも、暇を持て余したゆずの元に朗報がもたらされた。
「花耶ちゃんの合格決まったよ! これでフリー! お祝い終わったら明日早速出発だよ!」
真耶からのメッセージだ。真耶は妹の花耶が受験なので気をもんでいたが、無事に真耶と同じ都立戸西高等学校に推薦入学出来ることとなった。これで心おきなく真耶もスキー旅に出掛けられるわけである。
勿論内心では、花耶の卒業式が終わったらラブラブ二人春スキー旅をしたいと思っているのだが、妹は妹で交友関係が出来ているのでそれは難しいかもしれない。
ところで、アルバイトの着ぐるみアクターに過ぎない真耶と、白瀬ゆずが何故友達になったのか。話は真耶の高校時代にさかのぼる。
当時すでに人気若手女優の地位を確立していたゆずが、読モとして活躍していたファッション雑誌の取材に臨んだ時のこと。その日、写真の一連のストーリーは一緒にウサギの着ぐるみと戯れるというものだった。
もちろん、着ぐるみの中身は真耶。真耶の所属するキャラショー運営会社は、学生を採用する時には条件を出している。ひとつは高校生については学校の許可を得ること。これは自由な校風のお陰で柔軟に対応してもらえた。そしてもうひとつ、学業を優先させ、そのためにも充分な休暇を取ること。原則として高校生は隔週でしか働けないし、長期の休みでも日数は制限する。無理をさせないことで、その分長く続けて欲しい、着ぐるみショーの世界を嫌いにならないで欲しい、という判断からだ。
そんなわけで、高校生には単発のお仕事が振られることが比較的多くなる。幸い真耶のいる会社はメディアの仕事も請けているのでそれができる。撮影が行われている今も夏休みの真っ只中。しかも外での撮影。主役のゆずも相当暑いが、炎天下でふわふわもこもこの着ぐるみを着ているバイトさんは大変だろうな、ゆずはそう思っていた。
着ぐるみさんは撮影が始まってから一言も発しない。あいさつから何から何までしぐさで表現する。別に音を録っているわけでもないのに。それに気づいて、
(ああ、着ぐるみはしゃべらない、っていうルールを厳格に守ってるんだな)
ゆずは直感した。すごいプロ根性だな、と。作品作りの現場ではそういうオーラを感じることがたまにあるし、それが出来るゆずもかなりの素質を持っているということだ。
撮影は順調に進んでいた。着ぐるみさんもカメラマンの指示を忠実に再現し、ゆずとの絡みも難なくこなす。それでいてゆずが目立つように一歩引いているような感じもあって、とてもやりやすかった。
ところが。
「ストーップ!」
ゆずの頬に、ひとすじの汗が流れた。雑誌は秋発売だから季節に先行してちょっと厚着の服を撮影しないといけないのだけど、だからこそ写真に汗が写ってはまずい。ゆずの心に悔しい思いが一瞬でやってきた。汗をコントロールできるくらいのことはモデルとして出来なければ、という強いプロ意識を彼女も持っていたからだ。
と、その時。
「大丈夫、ですか? 暑く、ないですか?」
ゆずの耳元で、ウサギがささやいた。鈴のように綺麗な声で。着ぐるみはしゃべらない、という禁を破って。
「…大丈夫です」
暑いことと、自分のせいでNGを出してしまったことによって、不愛想に答えてしまったが、すぐ思い直して、
「それより、あなたこそ大丈夫なんですか? ものすごく、暑いんじゃないですか? その中」
優しく、心配する言葉をかけた。すると、
「中とか外とかないんです。あたしは今、ウサギですから。だからもう、しゃべりませんよ? さ、気を取り直して行きましょう?」
そのプロ根性をも超えたポジティブさ。ゆずはすぐ思い直した。この人、いや、このウサギさん、すごい…。
でもさすがにこの暑さでぶっ通しの作業は皆辛いので、休憩が取られた。しかしそれでも着ぐるみを脱ごうともせず、空気穴、もとい口からストローを差し込んで水分補給するウサギさん。
「気持ちはわかりますけど、頭くらいとってください。熱中症になられたら、こちらも困るんですから」
やはり真耶のプロ根性を察したカメラアシスタントの女性にうながされて、ようやくウサギの頭が自身の両手で持ち上げられた。
のだが。そこに現れたのは首から上をもすべて覆いつくす肌色タイツ。その後頭部のファスナーが下ろされることでようやくウサギさんの本当の顔が現れた。すると。
「…か、かわいい…」
ゆずは思わずつぶやいた。スイミングキャップで押さえてはいるが、その輝く金髪と、ふたつの蒼い瞳は強い印象をもたらす。大量にしたたる汗すら宝石のように光を放っているように見える。
「改めてご挨拶します。私は、嬬恋真耶と申します。後半も、よろしくお願い致します」
深々と頭を下げて礼をする真耶につられて、
「し、白瀬ゆずと申します。モデルとか、あと、女優とかやってます。こ、こちらこそよろしくお願い、ししししまっす!」
思わず最後に噛んでしまった。ゆずは緊張してしまったのだ、不意打ちのようにウサギさんの中から美少女が出てきたことに。だが自分とて、人気読モからスタートし今や映画で主役も張れる人気女優。堂々としなくては。そう思い直し、
「…嬬恋さんは、学生さんですか?」
無難な質問から切り込んで、落ち着いて会話できるところを見せようとゆずは考えた。真耶は答えた。
「はい。都立戸西高校一年年生です。白瀬さんは高二ですから後輩になりますね。ご指導よろしくお願いします」
「ええ勿論、って。と、戸西?」
戸西が都立トップレベルの進学校であることは、静岡県出身のゆずも知っている。
「べ、勉強、得意なんですね。将来はやっぱり大学行くんですか?」
「あ、敬語は使わなくていいです、私の方が年下ですから。そうですね、大学には行きたいです。まだまだ勉強し足りない気分ですから」
(す、すごいな、勉強なんて私は御免、大学には未練があるけど自分は演技の方が楽しいと思うから)
ゆずはそう思いながら真耶に訊いてみた。
「やっぱり大学行くんです…だね。そしたらどうするの? お仕事。やっぱモデルとか目指してるんでしょ? それとも、もうどっかの雑誌とかに出たことある?」
ゆずも噂でしか聞いたことがないので本当かどうかは分からないが、下積み時代のモデルとかアイドル歌手は、たまにこういう着ぐるみの仕事もやらされることがあると聞いた。ゆずはデビュー以来ずっと脚光を浴びてきたのでその真相はわからないが、目の前にいる美少女が、ウサギの着ぐるみで満足しているとは思えなかった。絶対に、モデルなり女優なり歌手なりを目指しているだろうと思った。
真耶の顔が一瞬曇った。だが、すぐいつもの穏やかな笑顔に戻ると、言い飽きた返事を繰り返した。
「私、顔を出す仕事はしたくないんです。それより、着ぐるみの方が好きだから。大学に行っても、この着ぐるみのアルバイトは続けるつもりです」
「ええーっ、もったいない! だってそんなにキレイで可愛いのに! それにハーフでしょ? 絶対デビューしたら人気出るって!」
ゆずにはゆずの考えがある。モデル業界で、そして芸能界で輝きたくてあがき続け、それでもなお表舞台に立てないスター予備軍が山ほどいることを。そしてその中には、不本意ながら動物の着ぐるみを着せられ、素顔も声も出すことは叶わず、汗だくになって帰っていく者が今日も日本のどこかにいるかもしれない。そう思うと、なんだか割り切れない感情がゆずの中に湧きだした。もったいないに決まってるじゃん、と。しかし。
「ハーフじゃなくて、正確には八分の五外国の血が入ってるんです。ややこしいからハーフみたいなものっていつも言ってますけど。それより、皆さん言うんですよねえ、もったいないって。私は着ぐるみで演技したいから、その気持ちをガマンするほうがよっぽどもったいないと思うんです」
「裏方さんが好きってこと?」
「うーん、それも違うかなあ。着ぐるみって、表情変わらないじゃないですか。それでうれしいとか、悲しいとか、いろんなこと表現するのが楽しいんです。あ、でも大学は行きますよ? せっかく戸西に入れたんだから、できるだけ難しい大学目指すつもりです。難しい大学の方が勉強も楽しいって父が言ってましたし、勉強についてはもったいないなんて誰にも言わせないです」
しっかりしている。ものすごくしっかりしている。一学年下なのに、自分のやりたいことをハッキリ見据えて。もちろんゆずだって、女優として頂点を目指す気持ちに揺らぎはないが、真耶が持つ、売れる素質のあるルックスをあっさり切り捨てるいさぎよさと、一方で学力に関しては妥協せず与えられた才能を使いたいと臆面もなく言う自信。ただのバイトじゃない、ゆずはそう思いながら真耶の話を聞いていた。
「それに、モデルって言っても、実は、私…」
「はい、撮影再開しまーす」
真耶が一番言っておかなければと思っていたことが言えないまま、後半戦が始まってしまった。
「もっと、スキンシップ多めにいこう。ゆずちゃんも、ウサギさんも、もっと近く、近く」
カメラマンの指示を忠実にこなすのも一流モデルの条件。再びウサギに変身した真耶に寄り添ったり、ハグしたり。最初は躊躇する感じのあった真耶だったが、こちらもやはりプロ根性を発揮。ゆずのラブラブ攻撃を受け止め、ハグし返したり、ごろんとヒザに寝転んだり。ゆずもさらに負けじと、しまいには真耶ウサギの頬にキスをしたりで、二人のプロ根性という名のスキンシップはエスカレートしていった。
「お疲れ様でしたー。いやー、今日のゆずちゃんバツグンに良かったねー」
カメラマンが上機嫌にそう呼びかけると、スタッフ全員がそれに応じて、
「お疲れ様でしたー!」
撮影は大成功のうちに終わった。カメラマンにとっても会心の作品が撮れたし、ゆずも良い仕事ができたという満足感に酔っていた。しかし、
「じゃあ白瀬さん、ロケバスで着替えちゃってください。いつまでも秋物じゃ暑いでしょう? あとウサギさんも。着ぐるみはもっと暑いですから」
ふたりはスタッフに背中を押され、ワゴン車の中にカーテンで囲って作られた即席の更衣室に入れられようとした。しかし突然真耶が押される力に抗するように入口で立ち止まり、ウサギさんの頭を取ると、
「ごめんなさい!」
突然のことに、みんな驚いた。
「ど、どうしたの? どういうこと?」
「私、ここでは着替えられません! というか、着替えるわけにいかないんです! あ、あの、ホントはあたし、じゃなかった、僕、男子なんですっ!」
しばしの沈黙。どこからどう見ても彼女は女の子。みんなそう思い込んでいたから。だがその凍った空気をゆずが破る。
「女の子、じゃないんだ。えっと、男の子なのに女の子によく間違えられるってこと?」
「…いえ、違うんです。家の決まりで、男の子で産まれたけど女の子として育てられて、それが未だに抜けないんです。男の子に見えるように頑張ってるんですけど、なかなか上手くいかなくて…。だから、さっき抱きついたりしたのも、ごめんなさい! 男にそんなことされるなんて嫌ですよね、さっき言えば良かったのに、あた…僕、ずっとそれ後回しにしちゃって…」
真耶の目が、罪悪感でウルウルし始めたその時、
「だから?」
ゆずが、キョトンとした顔をして言った。
「私がハグしたりされたり、キスしたりしたのはウサギさんだよ? さっき自分で言ってたじゃない、私は今ウサギだからって。それに」
ゆずは、真耶に顔を急に近付けた。
「私には、あなたが男の子には全然見えないんだけど。つか、本当に男の子になりたいって思ってる? どうしても男の子らしくなりたい理由は、あるの?」
少しの沈黙が走った。すかさず、ゆずが言葉を続けた。
「本当は、女の子のままでいたいんじゃない? だいいち、私にはあなたが女の子にしか見えないもん。だから、あなたは女の子」
「な、なんでそんなこと言えるの…あたしの心の中、のぞいたわけでもないのに…」」
「わかるよ。さっきからずっと見てるけど、ウサギさんの時も休憩の時も、ずっと女の子っぽいまんまだったし。それに今だって、僕って言ってたのが、あたし、に戻ってる」
「そ、そうかも…でもそれは、あたし、じゃなかった、僕の努力が足りないんです」
「うそつき」
すかさずゆずが言った。
「もう一回言うよ。本当は、女の子のままでいたいんでしょ?」
と言うと、真耶の着ぐるみに包まれた手をつかみ、更衣スペースに引っ張り込んで、
「さ、脱いで脱いで。熱中症なっちゃうよ?」
と言いながら真耶の背中のファスナーを下げる。
「私も暑いから脱ぐね。うわー、汗くさ。でも真耶ちゃんもっと暑かったんだよねー、真耶ちゃんすごいねー」
なんのためらいもなく下着になるゆず。腰の下まで着ぐるみを着た状態で立ち尽く真耶。その青い瞳から涙がこぼれだし、あっという間に滝のようになった。
「ど、どうしたの? なんか私、悪いことした? 自分で脱ぎたかった? 恥ずかしかった?」
下着姿のまま真耶の両肩をつかみ、心配する言葉をかけるゆず。真耶は、しゃくり上げながら答えた。
「う、うれしかった…うれしかったの。…学校でも、おうちでも、あたしを女の子だって言ってくれるけど、ぐすん、お仕事で、ここまで認めてくれる人、ううっ、初めてで、きょうみ、ぐすっ、半分の人ばっかだったのに、あたしのこと、こんなに受け入れてくれるなんて…うえええん」
最後は大泣きして言葉にならなかった。
真耶より少し身長の高いゆずが、突然真耶を抱きしめて言った。全身タイツをびしょびしょにしている汗も気にせずに。
「うん、わかるよ。私も、私のお姉ちゃんもちっちゃい頃から読モやってるでしょ。そうすると興味本位ってやつ? それで寄ってくる大人いっぱいいるし、私とじゃなくて、モデルと友達になりたいってのが見え見えで近付いてくる同級生もいるし。逆にねたまれて、上ばきにゴミ入れられたこともあったしさ。真耶ちゃんも、色々苦労してきたんでしょ?」
しばらく泣き続けた真耶は、落ち着くと少しずつ話しはじめた。
「だからあたし、村にいたときには、周りの人はみんな女の子として受け入れてくれてたの。でも、それは神社の決まりで…」
真耶は、少しずつ自分の生い立ちを話し始めた。ゆずは座ることをうながし、スポーツドリンクを飲ませながら話を聞いた。
「…だから、高校生になったら男の子として生きなきゃ、って思って。だって神様に女の子として認められてきたんだから、あたし」
「それって、その神使ってやつをやめたら、男の子になんなきゃならない決まりなの?」
「そんなことないけど…やっぱ女の子でいたことでさんざん得して来たし、男の子は男の子として生きるのがふつうかなって」
「ばか」
突然、空気が凍りついた。
「ばかじゃないの? 人がどうとかこうとか関係ないでしょ。真耶ちゃんさ、あなたの人生なんだから、あなたがしたいようにすればいいだけでしょ。それに、芸能界いるとね、男なのに女として生きている人いっぱいいるよ。それって大変なんだよ、美容とかボディメイクとか、少しでも男っぽくならないように努力して。それなのに、それなのによ? そんな簡単に女の子に見えちゃう素質持ってて、男の子になりたいって? いや、それが本気なら応援するよ。でも違うじゃない。ぜんっぜん、男の子になろうって努力してる感じが見られない。必死になってる感じが全然ない。それなのに、男の子になりたいのなんのって、口ばっか。世の中に流されてるだけにしか見えない。自分で選んだとは思えない」
ゆずは、ひときわお腹に力を込めて叫んだ。
「ふざけんな!」
たちまち真耶の目から大粒の涙が再び噴き出す、かと思えばそうではなかった。
「そっか」
叫んだ直後、さすがに言い過ぎたと思ったゆずだったが、真耶がキョトンとしてそう言ったことでさらにあわててしまった。
「ご、ごめん。ちょっと、言い過ぎたと思って、な、泣かないでよ、ね?」
「なんで?」
「…え? だ、だって、あなたのこと、ばかだとか、ふざけるな、とか、言っちゃったから…」
「でも本当にそう思ったんでしょ? だったら、きっとそうなんだよ。あたし、直さなきゃいけないトコ、いっぱいあるんだよ」
「いやだから、なんていうか…その…」
ゆずがけげんそうな顔つきで尋ねた。
「私、今あなたのこと、ばかだのふざけるなだの、散々罵ったのよ? なのに、なんでそんな平然としてるの? さっきはあんなに泣きじゃくったくせに」
「え? だって、うれしかったから」
…唖然とした。あまりに予想外の答えに、ゆずは唖然とした。それに構わず、真耶は言う。
「あたし、そういえば、なんで男の子になりたかったんだろうって思って。そしたらね、何も考えてなかったことに気づいたの。何となく、周りがそういう雰囲気だったというか、男の子になるのが当たり前だって思い込んでるだけだったんだって。あたし、誰も強制してるわけじゃないのに無理やり男の子になろうとしてた。思考停止してた。それに白瀬さんが気付かせてくれた。怒られて気付くなんて、やっぱばかだよね、あたし」
「うん」
今度は、ゆずの方が平然と答えた。
「あなた、ばかだと思う。それに、そういうところがなんかムカつく。でもね」
ゆずは、映画でもテレビでも見せないような、心底からわき出るような笑顔で言った。
「自分でばかだって言える人は、本当はばかじゃないの。自分の欠点を知らずに賢いと思っている人が、本当のばか。裸の王様ってやつ」
ゆずは、語りを続けた。
「芸能界いるとね、分かるの。オネエとか言われている人たちも、それ以外の人たちも、みんなすっごく努力してるって。あ、これはさっき言ったか。でもね、それは芸能界で生き残るために必要だからやってるわけ。それでその基本にあるのは、どんなに頑張ってでも、自分の好きな自分をキープしたいから。だから、もし真耶ちゃんが男の子の自分が好きだっていうなら賛成。でも、そうじゃないんでしょ? 行動に女の子のままでいたいって気持ちが現れちゃってるし。だいいち、そっちの方が楽なんでしょ? そう見えるもん。話聞いてると周りの人もそれでいいって思ってるみたいだし。じゃなけりゃとっくに男の子に強引にならされてるよ。だから、真耶ちゃんは、今のままでいい。でも」
ゆずは改めて顔を上げ、
「それって、やっぱちょっとムカつく。みんなが逆立ちしてもなれないようなものに簡単になれちゃって、それをまわりの人も認めてくれるなんて。超恵まれてる。ついでに言うと、そんなに美人なのに顔出さない仕事したがるのも、もったいないからムカつく」
話を聞いているうちに、真耶が笑顔になっていく。ゆずの話を、うんうん、とうなづきながら聞いている。
「…はあ、なんか調子狂う。こんなにけなしけるのに、ずっとニコニコしてるどころか、ニコニコがどんどん可愛くなってく。なんていうか」
ゆずは疲れたように言った。
「あんたの勝ち」
「なんのこと?」
真耶が首をかしげる。
「勝負なんか、してたっけ?」
ついにゆずが、頭を抱えてしまった。今までたくさん同世代の子と仕事をしてきたが、モデル同士、役者同士、お互い仲は良くても負けないというライバル意識がある。だがこの子は一切そんな欲が無い。もちろん生身の女優と着ぐるみという違いこそあるものの、この世界に身を置いていれば自然と前に出たくなるもの、そうゆずは思っていた。
ところが、目の前にいるこの少女は、一切そんな欲を見せないどころか、その美貌を使えばいくらでもこの世界でのし上がれるだろうにその武器を使おうとしない。そのくせ、男の子になりたいとかいう、ゆずから見たらどうでもいいことにはこだわっている。今や芸能界ではルックスに恵まれてさえいれば男か女かなんて関係ない。進学したいという希望はあるようだが、学業と仕事を両立している人は業界にいくらでもいる。
天は与えてしかるべき者には遠慮なく二物を与える。その天から授かったもののうちの一つをマンガみたいな顔をしたウサギで隠してカメラの前に立ち、それに喜びとやり甲斐を感じている真耶。最初は、他のモデル仲間が努力に努力を重ねて獲得している「カワイイ」を無駄にしている真耶に対し、ゆずは不快感を感じていた。腕によりをかけて作られた料理を平気で残す子供に腹を立てる母親の気分に似ていた。しかしゆずの気持ちは次第に変わってきていた。与えられたものを使わないことは本当にもったいないのか? 女子としてのかわいらしさと男子としての身体を授かった真耶がそれを両立するのは難しいけど、本人にとって前者を取る方が幸せそうだし向いてそうだ。だったら今のままでいけばいいんじゃないの。そう思っていた。
「可愛くて、勉強できて、って最強だよ、真耶ちゃん。でも、もっとすごい武器持ってるんだよね、私、見つけちゃった」
「え、何?」
真耶は、全然見当がつかない。
「やさしさ」
「やさし、さ? そんなの誰でも持ってるんじゃないの?」
ほら来た。この子のイラっとするところ。ゆずはそう思っていた。天然。根っからの天然。きっと、ドロドロした人の心とか世の中とかに触れずに育ってきたんだろう。よく言えば純真無垢。でも客観的に見れば、世間知らず。
でも、そんな真耶に対してゆずは不思議と不快感を抱かなくなっていた。むしろ、そんな天然を貫き通しているところに興味を持ったし、貫き通せるのはこの子が本当に良い子で頑張り屋さんなんだろう、そう思った。だから。
「そうだ、私たち友達になろうよ。良かったら、メアドかSNS教えてもらっていい?」
しかし、真耶からは予想通りの答えが返ってきた。
「そ、それはダメです。だってあたし芸能人じゃないし、初対面だし、高校生のバイトだし。そんな人間に、超人気女優がSNSを簡単に教えちゃうっていけないと思う! だってあたし、ほかの人に教えちゃうかもだよ? あたし、そういう悪い人かもしんないよ?」
しばらく無言のゆずだったが、突然、
「…くす、くすくす、く…あ、あはははっ!」
腹を抱えて笑うゆず。何が起きたのかが呑み込めない真耶。ひとしきり笑うと、ゆずは言う。
「あー腹筋痛い。いや、そんな感じで答えるとは思ってたけど、あなたが私のSNS誰かにばらす? んなわけないない、ぜーったい無い」
「…でも、だって、まずいですよ。万に一つとか、あるじゃないですか」
「…あのねえ、あなた私と共演したんだよ。だから嬬恋真耶さん、あなたも私の仲間。あとさ」
ゆずがにやりとして言う。
「今、自分が男子だってこと、忘れてたでしょ。だって本当に男子が女子のSNSのID交換を断るなら、女子が男子に安易に教えるな、って言うはずでしょ?」
はっ! 不覚を取ったと慌てる真耶。
「それから、真耶ちゃんさっき、敬語使うの忘れてるの気づいてた? もうさ、それくらい心開いてるわけ、あなた」
ゆずは自分のスマホを取り出し、
「というわけで、嬬恋真耶と白瀬ゆずは友達。決定! あ、学年が違うとかそういうの気にするのナシ! 読モとかだと学年とかあんま関係ないから友達でオッケー、タメ口オッケー! あと、私なんてかたっ苦しい言い回しもやーめた。アタシ、でいいや」
そして、自分のスマホの画面を真耶の顔に押し付けるように見せ、
「はーい、これでもう忘れないでしょ? 戸西入るくらいだから記憶力はバツグンだよね? つかさっさと自分のスマホ出して登録登録! 自分でするのが嫌なら私がやっちゃうよ? ねえねえ、誕生日いつ? わークリスマスイブなんだー、って誕生日パスコードにしてる人初めて見た。まさかキャッシュカードとかも暗証番号…あ、それはしてない? でもスマホならいいと思った? うわー、天然きたー!」
というわけで、あっという間にSNS友達となってしまった真耶とゆずなのであった。
5
「それで結局、あたしたち友達になっちゃったんだよね。でもよく続いてるよねあたしたち。なんだかんだで、あたし生物としてはオスじゃない? だからあたし、遠慮して引いちゃうこともあるし、それなのにゆずちゃんはいつもあたしを受け入れてくれて」
ゆずの宿泊しているホテルは、テレビ局が出演者やスタッフのためにワンフロア借り上げている。真耶が宿をまだ押さえていないと聞いたゆずは、マネージャーの了承を得て二人で同じ部屋に泊まることにした。
「いやそれ、ダブルのベッドに一緒に寝転がりながら言うことじゃないでしょ。だいたい、中学で女子の更衣室使ってたんなら今も同じじゃんって思って一緒に着替えたあの時点で、アタシの中で真耶ちゃんは女の子なんだから。もう、シングルベッドで二人で寝ても平気なくらいだよ」
「シングルに二人はちょっと窮屈かなあ、じゃなくて!」
最近、無意識のうちに真耶はノリ突っ込みを会得していた。それはともかく、
「でもさすがに、同じベッドは初めてだよね、そう言えば。苗ちゃんとかとはよく一緒のお布団で寝てたけど、中学までの話だし」
「苗ちゃんって、真耶ちゃんの親友だよね、おうちがペンションやってる」
「そうそう。あたしと違って運動が得意で、スポーツとか、バイクが大好きな子なんだけど、不思議と気が合うの。一度、紹介したいなあ。今は東北のスキー場回ってるみたいだけど」
「バイクかあ。それだと北海道まで来るのは厳しいかな」
「うん、そうかも。でも今回じゃなくてもいいし」
「そうなんだけど、できれば早く見てみたいな。真耶ちゃんとずっと仲良くしてる変わり者のお友達の顔を」
「ゆずちゃん、ほら」
真耶は手鏡をゆずに向けた。
「ここに、変わり者がいるよ」
「あっホントだ。くっそー、真耶ちゃんに一本取られたー」
なんてふざけっこをしながら、札幌の夜は更けていった。明日はいよいよ今回の旅で北海道のスキー場四人中一番乗り。真耶はもちろんのこと、ゆずも面白そうだからと付いていくことになった。さて、どうなることやら。
宗教間の相違? その3
今の若い子はいいなー、タダでリフトに乗れて、っておぢさんは思うのでした。
まーそれはともかく、あてどなく旅をするってのも学生の特権ですよね。本当は大人も長い休みが楽に取れるようになればいいのに、というのも思います。そうすれば経済も活性化するのになー、とか思ったり、なんか今回はおぢさんの愚痴ばかりになってしまうので、この辺にしておきましょう。