超越超音波少女。

 私は人生でたった三度だけ、拳をにぎった。心配には及ばない、人をなぐったわけではないのだ。
私は人生でこれまでたった三度だけ、その拳をまるくかため、丁度腰のあたりで力をいれてにぎりしめた。その“音”
は、骨の軋みさえももっていて、私のただ単純なる機能をもつ耳によって空気の振動となってつたわったとき、すでに
それは私との距離を測るまでもなく単純な私の脊髄反射的作用として“痛み”を感じた、そしてそれは決意になった。
 これまで、三度も、いや、ただ三度だけ、そんなわけもない行動を、まるで舞台上の役者、それも基本的配役の一人で
あるかのように演じてみせたのは、私の心が本当に、目の前の出来事に耐え切れなくなった、そんなときだけ。私の中では
それほど意味のあることだ。たとえ、他の人にそれほど、まったくと言っていいくらい、興味さえそそらない話だとしても。

 物陰にかくれ、私は三度拳をにぎって痛みを感じ、痛みによって反射的に肘ははねあがり、しかしそんな痛みにもなれて
それでも悔しくて、それに飽きるとそこへのパルス派によるエコー的作用によって、自分と拳との距離感と拳の形状とをさとった。
 ことわっておくが私は、何か能力を失っているわけではない。むしろ、いや完全に人より優れた能力を持っている。それを自負する。
もっとも、この自負というのは、後悔によるもので、そもそもがこの能力が誰より劣るものだと考えた過去の自分、自分のそうした決心
あってのものだ。

 一度目はこんなだった。
 母の叱責によって、普段の母との違いをみいだした。母は浮気性で、そのくせいつもびくびくしていた。たった一度、母を殺してやりたい
ほど憎んだ事があった。それは母が、私をあまくみたときだ。私はかねてから母にそれなりの気を使っていたが、家庭内カーストにおいて
父よりも上の存在であるとは思わなかったし、その程度の人物であると思っていた。それに他意はなかった。
 しかし一度だけ、たった一度、母に心を許した事がある。それは小学4年夏の祭りで的屋の用意した低い背丈のブループールの中から、私の
手のひらにすくいいれたその金魚、金魚をうちで飼っていいと許可を与えてくれたときだった。私は父にねだり、飼育のためのセットを、ショッ
ピングセンターの入口あたりで購入してもらった。だから金魚は長生きしたのだ。
 それから秋がきた。私は金魚の餌をいつも与えていた。母も金魚をかわいがっていた。しかしその金魚、三匹の内の一匹、それもまるまると
こえたやつではなく、やせて骨のずれた子でもなく、真ん中の、難なく暮している金魚を一匹、水槽の中に見いだせなくなってから、私は
母の豹変ぶりにおびえ始めた。そして夜な夜な、家族の眠った台所の片隅で膝を抱えて、先に話したように、拳をにぎっていた。煮えたぎる
そのときの気持ちは本物だった。
 母は、たった一度、こういって、金魚の死について間接的に明言した。
 「ユーコちゃん、だってあなた、だめじゃない、わたしにやさしくしたなら、いつだってお父さんより私の味方をしなくては」
 そうだ。父の威圧には、恐ろしいものがある、鬼気迫るものがある。家族の誰しもがその威圧には逆らえなかった。古き悪しき習慣による
ものだった。文化だった。

 二度目はこんなものだった。
 それは大学生の頃、バイト先の同世代への敬いが生まれたときだった。その子はとても賢かった。しかし賢過ぎたのが玉にきずだった。
友達から相談をうけていた思い人は、同じくその人が好意を持っている人だった。しかしその人は、相談に乗ってしまった、つまり、すべては
望まぬ方向に歯車が回った。しかし彼女は、私にたいして、こういってみせた。
 「見えない所にある愛情を、尊敬するべきよ」
 その意味を、私は知る事ができない、なぜなら私は、それまで、まったく誰も愛した事などなかったのだから。

 三度目の拳はこうだった。
 私は、かつてたった一度だけ、友情を恨んだ事があった。小学生から中学生にあがる春休み。それまで私の能力を喜んでたよりにしていた少女が
ただつるむ地元の友達が、小学生のなじみから、習い事のなじみに移り変わったそれだけで、態度をかえてしまった。
 そして私はいじめをうけた。

 それからもう10年はたつ。それなのに、私は拳をにぎった。その意味を考えてみる。
 「そういえば、察していたんだ、あの能力が嫌がられる事を」
 けれど、私はたまに能力を使うのだ。人と自分との距離間から、私は自分の超能力の長所を見出した。心音、息遣い、言葉の起伏。そして
人と違う耳の発達によって、自分の抑揚のついたパルス派的な、超音波言語。ものに跳ね返った音を、私は私の耳で解読できる。つまり私は
ときたま一人でぱくぱくと言葉をつかわず、口ずさむ。
 「あの人こわいわ」
 そういう人は、めっきりへった。私は趣味で、腹話術師をしているからだ。だから今は幸福だ。しかし時折握られる拳は、あの頃を想いだす。
 「私は、誰よりも早く、空気を察していたわ、きっと、あの子は裏切るのだと、それを知っていて私は、金魚のように……」

 パク、パク、パク。最後の拳は、まるで水槽の水面に口をちかづける、あの、餌を与えるときのわたしたちの金魚のように、私が口をひらくとき
ごくたまに、響き渡る超音波とともに、にぎられる。

超越超音波少女。

超越超音波少女。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-03-04

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