蛇の皮
蛇の皮を拾った女中の話
昔、 ある女がいた。 とある店で女中働きをしていた。 子供の頃から奉公に出されていたため、 40を過ぎても嫁にも行けず、 老後の蓄えとして瓶に小銭などを貯めたりしていた。
ある日、 女が店の洗濯物を取り込もうとしていた時、 急に風が吹いてきて、 店の奥様が大切にしていたお伊勢参りのお土産の刺繍入りの手ぬぐいが飛ばされてしまった。
垣根の向こう側の道に落ちたと思い、 女は急いで拾いに行った。 しかし、 またしても風が吹いてきて、 手ぬぐいはどんどん先へ飛ばされて行く。
女は走って追いつこうとしたが、 追いつけない。 とうとう 川の土手道まで来てしまい、 ようやく草むらに引っかかって止まったが、 時間は半時を過ぎていた。
すぐに手ぬぐいを拾いあげようとすると、 そこに蛇の抜け殻があった。 女は蛇の皮を財布に入れておくと、 お金が増えると聞いていたので、 それを少しちぎって、 帯から取り出したちり紙に包んで自分の財布の中に入れた。
行きが半時以上かかったので、 帰りも同じようにかかり、 店を一時ほど留守にしたことになった。
店に戻り、 女中頭に事情を説明すると、 怒られもしなかった。 女中頭はそのことを奥様に報告すると、 たいそう喜ばれ、 大した忠義ものと賛えたと後で聞かされた。
翌日、 奥様は寄合に出かけられた。 すると、 そこに集まった他の奥様の一人が、 自分の息子の嫁の実家の自慢話をこれでもかとするので、 いい加減腹を立て、 つい、 自分のところの女中が昨日、 自分が大切にしていた伊勢参り土産の刺繍入りの手ぬぐいを、 一時もかけて泥棒から取り返してきたなどと言ってしまった。
それを聞いた寄合衆は、一時も泥棒を追いかけまわし、 取り返してきたとはなんたる忠義ものか。と、 驚き、 その後はその話で持ちきりになった。 それを見ていた当の奥様はしたり顔をして、 清々したなどと思っていた。
ところが、 その翌日、 どういうわけかその話が瓦版にかかれ、 町中の噂話になっていた。 女は訪ねてくる人々に本当の事を言っても、 ご謙遜を。 などと言われ、 信じてもらえず、 1日で何十人もの人たちを相手にしたので、 いい加減閉口してしまった。
それから数日後、 女は奥様に呼ばれて部屋に入ると、 本日より、 あなたが女中頭ですよ。と、 言われた。 理由を聞くと元の女中頭が急に実家に帰ることになり、 その後釜になったとのことだった。
最後に、 これは私の推挙です。と、 奥様は言った。 女はたいそう驚いたが、 最も驚いたのは、 元の女中頭が自分より3倍の給金をもらっていたことだった。 大して働いていたとは思えないのに、 今まで自分の3倍も貰っていたとは、 女は少し不満に思えた。
そして翌日、 どこからこの話が漏れたのか、 またしても瓦版に、 今度は彼の女中が女中頭になったよ。 それも10人のごぼう抜きだよ。 などと、 でかでかと出てしまった。 女は、 またしても集まってくる人々に言い訳をする生活を送る羽目になり、 以前と同じく閉口した。
そんな折、 店に一人の女金貸しがやってきた。 女を見つけると、 あんたかい?。 今話題の女中頭さんてのは。と、 話しかけてきた。 女は頷くと、 女金貸しは妙な話を始めた。
私はね、 長いこと金貸しをしているけどね、 一番早くたくさんのお金を手に入れる方法を知ってるよ。と、言う。 その方法をあんたにこっそり教えてやるよ。 とも言った。
その方法とは、 自分が今持っているお金を全部人様のために使うんだということだった。 そうすると不思議なことに、 そのお金は何倍にも増えて帰ってくるという。
本当はこの女金貸しは、 女中頭の人気が妬ましくてウソを教えて散財させてやろうとしていたのだった。 だが、 根が正直な女中頭はそれを真に受けて、 そうなんですか。と、 信じ込んでしまった。
女金貸しは、 長年金貸しをやっている自分が言うのだから本当のことだよ。 などといい、 プイッと奥へ行ってしまった。
女は老後のためにも少しでも増やさなければと思い、 さて、 何のためにお金を使うか。 などと考え始めてしまった。
ちょうどその頃、 奥様の娘であるお嬢様の嫁入りの準備が進められていた。 女は、 そうだ、 お嬢様の嫁入り道具の何かのためにお金を使おう。と、 思いついた。
店に出入りしている、 京都からの行商人から花嫁衣装の帯締めを買うことにした。 しかし、 貯めたお金はせいぜい1両にも満たなかったため、 大したものは買えなかった。
しかし、 それを奥様に差し出すと、 大変喜ばれ、 あなたもお嫁に行かなければね。 大丈夫、 私に任せておきなさい。 きっといい人を探してあげるから。 などと、 優しい言葉をかけてくれた。
女は嬉しかったが、 今更という気持ちがどこかにあって、 自分の心の中ではほとんど諦めていた。
その翌日、 どこからこの話が漏れたのか、 またしても瓦版に、 今度は彼の女中頭が、 お嬢様の婚礼の品に十両もするた帯締めを送ったよ。 それも上等な西陣織だよ。 などと書かれてしまった。
この話も、 たいそう町中の噂話になり、 女の知らぬところでもささやかれるようになっていることに、 当の本人はまだ気づかなかった。
こんなことばかりが続いて、 女はいい加減世間とは付き合わずに生きてゆけたらなどと思うようになっていた。
十両もする帯締めなど、 見たこともないし、 ましてや触ったことすらない。 私が差し上げたのは、 一両にも満たないものだったのに、 どこでどんな風に話が出来上がってゆくのか、 不思議でならなかった。
半月経ち、 お嬢様が里帰りをしに店にやって来ていた。 女を見かけると声をかけ、 帯締めの礼を言うとこんな話をした。
私の嫁ぎ先は、 大奥の御用も勤める老舗の和菓子屋なの。 それでこの間、 ご注文のお品をお届けにお城に上がったら、 大奥のお女中さんにあなたのことを詳しく聞かれたそうよ。 もしかしたら、 大奥からお呼びがあるかもね。 嘘、 嘘、 それはないと思うけど、 あなたのことを聞かれたのは本当よ。と、 言って 行ってしまった。
女は、 大奥とは格式の高い家のお嬢様達が集まるところだから、 私などにお声がかかるはずがないと思っていたので、 この話はすぐに忘れてしまった。
それから10日ほど経ってから、 店の前に黒の漆塗りの大きな駕籠が止まった。 果たして、 大奥からの使者が乗ってきたものだった。
奥様は驚いて、 急ぎ使者を奥へ招き入れると、 すぐに女を呼んだ。 用件は、 女を大奥へ遣わせるということだった。 女は、 使者の前に座っても顔を上げることが出来ず、 終始額を畳に擦り付けていた。 大奥に上がることに断る理由もなかったが、 使者の言葉は半ば強制的なものだった。
女が大奥に仕える事になって、 一番喜んだのは奥様だった。 この店から大奥に仕える者が出たことに、 奥様は大喜びだった。 女の方としては、 夢のような話であったためか、 いまいち実感の湧かないところであった。
半月後、 また使者が迎えに来ると言う。 奥様は、 女のために大急ぎで上等な着物やらを揃えてくださった。
そして、使者が来た当日黒の漆塗りの大きな駕籠が二つ店の前に止まった。 一つは女が乗るためのものだった。 女は上等な着物を身にまとい、 駕籠に乗り込んだ。
女は、 これから先自分はどうなってゆくのか、 これ以上の出世はあるのだろうかと思った時、 ふと、 これは全てあの手ぬぐいを追いかけて、 見つけた蛇の皮を財布に入れた時からだったことを思い出した。
使い古された財布は、 今も帯の中にあった。 それを、 そっと取り出すと、 強く握りしめ、 これからの自分の行く末に目を輝かせて駕籠に揺られてゆく女であった。
蛇の皮