馬方

酒のみの大工の話。

酒飲みだった大工の話。

昔、 ある男がいた。 男の仕事は大工であった。 女房と子供がいたが、 めっぽう酒が好きで、 雨の日など 仕事のない日は、 朝から晩まで酒を飲んでいた。
腕が良かったので、 女房はそこに惚れ込み、 夫婦となったが、 こう酒ばかりを飲んでいる男を最近 だんだんと 疎ましく思うようになっていた。
ある朝、 味噌を借りに来た 長屋の隣人が、 いつものように仕事に出かける前に、 お銚子を一本空けた男を見て、 仕事前に一本空けるとはねー。と、 驚いていると、 男は平気な顔をして、 基本だよ。
などと、 嘯いている。
呆れた隣人は、 それでも味噌を借りる手前、 女房には、 稼ぎのいい旦那を持って、 あんた幸せ者だよ。 などと言うと、 女房は、 酒さえ飲まなきゃいい亭主なんだけどね。と、 返してきた。 そう言いながら、 だんだんと腹を立てている様子が窺えたので、 隣人は急いで、 ありがとねー。と 言い残して、 すぐさま出て行ってしまった。
酒を飲み終えた男も、 仕事に出かけた。 男も所帯を持って15年、 いい歳に なっていた。 だから、 朝から酒を飲んでしまうと、 さすがに、 足のふらつきを 感じるようになっていた。
ある日、 とうとうそれほど高くはないところではあったが、組み上げた建物の上から 落ちてしまい、 かろうじて 両足は着いたが、 体勢を崩してしまい、 尻餅をつこうかとした瞬間 右手で受け身をする形を取ったため、 右手をひねってしまった。
現場を仕切っていた棟梁に、 すぐに医者へ行けと言われ、 急いで医者に行ったが、 医者の言うところによれば、 ただの捻挫だということだった。
仕事場に戻ってきた男に棟梁は、カンナとノコギリ を使ってみろと、 右手の状態を 確かめようとしたが、 男にはどちらの道具もうまく使えなかった。
見かねた棟梁は、 半月暇をやるから、 養生していろ。と、言った。 そのため、 男は言われた通り、 家に帰った。
しかし、 男は家に帰ってきても、 おとなしくしているかと言うと、 そうではなく、 朝から晩まで酒を飲んでいた。 女房は、 それを咎めたが まるできかず、 右手の怪我は一向に治る気配を見せなかった。
やがて約束の半月が経ったので、 仕事場へやってきた 男に、 棟梁はまたカンナとノコギリ を使わせたが、 やはり以前のようには 使えなかった。 棟梁は 渋い顔をして、 もう半月休めと言い。 男はそれに従った。
だが、 酒浸りの生活を改めなかったせいか、 1月目が経っても男の右手は治って いなかった。
男の生活態度を薄々知っていた棟梁は、 とうとう男をクビにすることにした。 男は、 大工仕事はできなくとも、 何か下働きでもさせてくれと 棟梁に頼んだが、 棟梁はこれを許さず、 仕事を失った男はとぼとぼと家に帰っていった。
女房に事の次第を説明すると、 あんた酒をお止めよ、 そうすれば右手は治るかもしれないよ。と、 言われたが男はその忠告を聞かず、 朝から晩までやけ酒を飲んでいた。 その様子を見て、 呆れた女房は、 子供を連れて実家へ帰ってしまった。
そのためか、 男の生活はさらに荒れて、 家にある金を全て使い切るほど酒を飲んでしまった。 さすがに男も慌てて新しい 仕事を探したが、腕を怪我した男を雇うものはいなかった。
途方に暮れて、 夕方とぼとぼと町のはずれを歩いていると、 お寺の前に出た。 男はここの住職を頼ろうと訪ねてみると、 その寺の住職は、 話を聞くと同情してくれて、 仕事を探している間は、 朝晩飯を食べに来ても構わないと言ってくれた。
地獄に仏とはこのことか、 男は住職に礼を言い、 しばらく厄介になることにした。 1月ばかりお寺に厄介になりながら仕事を探したが、 一向に雇い主は現れなかった。
男は住職に困り果てていることを伝えると、 あんた馬方でもやったらどうかね。と、 言ってくれた。 馬方とは、 馬に荷車を引かせて荷物を運ぶ仕事であった。
やることと言ったら、 荷物の上げ下ろしと、 馬の手綱を握って馬と一緒に歩いて行くことだけだった。
これならできそうだと男は思ったが、 肝心の馬を持っていない。 これでは仕事を始めたくてもできない。 そのことを住職に言うと、 わしは、 ただで馬を譲ると言っている百姓の男を知っている。 そこを訪ねてみてはどうかと勧めてきた。 男はその話に飛びついた。
早速住職のいう農家を訪ねてみると、 一人の百姓が出てきた。 男はお寺の住職の口利きだと話すと、 その 百姓は、 馬はただで譲る、 もうあんたの物だから、 さっさとあの馬を連れて行ってくれよな、 約束したからな。と、 何ともぶっきらぼうに言う。
了解した男は、 それで、馬はどこにいるのかと、尋ねると、 廐だ、とだけ百姓は答えた。 男は急いで廐へ行ってみると、当の 馬は 横たわっていた。 つまり病気のようであった。
男は、 しまった。と、 騙されたことに気づいた。
要は 、 病気の馬を 厄介払いしたかっただけのことであった。
それでも、 男は前向きに考えた。 ならば病気を治せば良いだけのことだ。と思った。 とにかく俺にはこの馬が必要だ。 なんとしても治ってもらわねば、 俺も生活が成り立たぬ。 一緒に働いてもらわねば困るのだ。と、男は思い、まずは、馬医者を探さねば、 それも腕利きの名医を連れてこなければ。
男はすぐにそう判断すると、 元の馬の持ち主だった百姓の男に自分の事情を話し、 廐を後払いで賃貸ししてもらえるように頼んだ。
人を騙すような男であったが、 後から金が入るのならということで、 しぶしぶ許してくれた。
男はあちこち走り回り、 ようやく腕のいい馬医者を探し当てた。 ちょうど隣町に住んでいるとのことで、 早速訪ねてみることとした。
会ってみると、 相当な老人で、 急いで馬を見てもらうために、 駕籠は金がないので用意できなかったから、 代わりに荷車に馬医者を乗せ、 男が廐まで引いていった。
早速、 馬の容態を聞くと、 その馬医者は、 虫じゃなと、言った。 大事ない、 わしの言った通り看病しておれば、 数日後には元気を取り戻すであろう。 とのことであった。
男はその言葉を聞くと、ほっ、と 胸をなでおろし、馬医者に礼を言った。 そして、 診察料の後払いの件も男の事情をよく話して、 納得してもらった。
男は、馬医者に 教わった通りの看病をし、 それこそ三日三晩ほとんど眠らずにいた。 当然看病されている馬もその様子をじっと見ていた。
男の看病が報われたのか、 5日目には、 馬は起き上がれるようになり、 7日目にはとうとう立ち上がれるようになっていた。 借金は増えたが、 これで返す見込みが立った。
少し不自由になった右手で手綱を握り、 男の馬方の仕事は始まった。 初めは、 楽そうに思えた仕事ではあったが、 どうしてどうしてこれが大変な辛抱のいる仕事であった。
特に夏冬の暑さ寒さに耐えねばならず、 男の体はだいぶ痩せてしまった。 また、 当然馬も生き物であるため、 餌やら、 水やら、 薬やらで、 とても気を使うことも多かった。
男の方も、 そんな大変な仕事のためか、 いつしかほとんど酒を受け付けない体になっていた。
それから、 あっという間の1年の歳月は過ぎ、 息の合う相棒と順調に仕事をこなしていたが、 ある日仕事帰りの峠の道に差し掛かったところ、 道に陥没しているところがあり、 大きな穴が空いていた。
男は馬が穴に落ちないように、 ゆっくりと慎重に穴の脇を歩かせていたが、 運悪く荷車の車輪が穴に落ち込んでしまい、 繋がれていた馬も引きずられて中に落ちてしまった。
そして、 穴の中にあった岩に頭を打ち、 かわいそうなことにそのまま息絶えてしまった。
あれよあれよとの出来事ゆえに、 男はただ 呆然として見ているしかなかった。 男は突然死んでしまった相棒を憐れみ、 せめて落ちた穴を墓としてやろうと思い、 急いで近くの農家から鋤と鍬を借りてきた。
そこで、 馬の落ちた穴のすぐ脇の土を使おうと鋤を入れてみると、 カチンと何かに当たる。 大きな石でもあるのかと思っていたら、 大きな瓶が三つ出てきた。
口元には布で蓋が閉められていた。 何が入っているのか男は急いで縄を解いてみると、 中には 大判小判、 銭など山ほど詰まっていた。 驚いた男は、 人の来ないうちにこれまた急いで瓶の蓋を閉め直して、 山の中に隠した。
おそらく、 この金は盗賊か何かがここに隠しはしたが、 何らかの事情で忘れ去られてしまったものと男は思った。 なぜなら掘り返す前の土が若くはなかったからだった。
男は馬の墓穴に土をかぶせた後、 急いで自分の家に帰り、 女房に文を書いた。 内容は、 もう金の心配はいらなくなった。 すぐ帰れ。と、 言うものにした。 すると、 現金なもので女房は子供を連れてすぐに帰ってきた。
女房は、 1年ぶりに会った亭主の体が引き締まっていることにすぐに気づいた。 そして、 この人、 変わった。と、 思った。
男は、 事の次第を女房に包み隠さずに話した。 すると女房は、 あんた、 もう大金持ちなんだから遊んで暮らせるね。 これからどうするんだい。と、 尋ねると、 男は、 また元の大工に戻る。とだけ言った。 女房に3両の金を手渡すと、 これから棟梁の所へ行ってくる。と、言って出かけて行った。 女房は亭主を見送ると、 すぐに3両の金を神棚に上げ、 柏手を二度 パンパンと叩くとそのまま手を合わせた。
1年間の馬方の仕事は、 男にとって大変であった。 当然人格も少し変わっていた。 酒もほとんど飲まなくなり、 右手もすでに治っていた。
棟梁にも男と久しぶりに会った瞬間、 この男、 変わったな。と、 思わせた。 もちろん一緒に働くことも許され、 また大工としての生活が始まった。 そんな亭主の姿を見て、 女房も嬉しくもあり、 もう一度惚れ直した。
その後、 男は大きな家一軒も建てられるほどの金を持ちながら、 無駄に使うことはせず真面目に働いた。 そして、 相棒だった馬の墓穴の近くに立派な祠を建て、 その中に馬頭観音像を祀ったということです。

馬方

馬方

酒のみだった大工が、あるしくじりの果てに、幸運に巡り会うという話。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-03-02

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