星の床

星の床

 自己不信に悩む『僕』は、逆回りの南天の星を眺めていた時に、自称『古きゆかしきゲリラの兵士』に攫われて辛くも脱出する。しかし迷い込んだのは、謎の古代文明『オメガ』の最後のお城だった。そこでは、遠い昔に滅んだはずのオメガの最後の一日が延々と繰り返されているのだ。そこで『僕』は、誰より気丈なオメガの姫、カリーナ姫に恋するが、彼女を待ち受けていたのはあまりに残酷な運命だった。
 日付が変わる時に束の間邂逅する謎の男テンロウ、不可思議な魅力を備えた少女シャウラ、『僕』達を敵視しているらしい呪術の長カノープス、彼らが指し示す謎とは?果たして『僕』達は悪夢の城を脱出することができるのだろうか?

プロローグ

                                              
 僕はその晩浴びたのでした。故郷と違う星明り。
馴染みのはずの星でさえ、全く違う連なりに、故郷(くに)を離れたおぼつかぬ、解き放たれた心には、羅針の狂った別世界、放り出された心地でした。

僕は地球の裏側に、逆の廻りのただなかに、引力によって両足を、地表に付けて立っていた。

大犬は、北に右から昇りゆき、南十字は鮮やかに、荘厳な歌降らせます。
控えて光る偽十字、逆立ちをしたオリオン座、ケンタウルスの白い雲。
見慣れぬ形の天の川、薔薇色をした、爆発の跡。。

不思議な南の星座たち。

それは綺麗で圧倒的で、これは奇跡と感じたのです。しかし奇跡はこの身には、何も変化は起こしてくれず、僕は全くよそ者でした。星明りの中一人でした。
故郷の国で感じたように、いいえそれより明らかに、僕はたったの一人でした。

それから何が起こったか。それを語れば恨みが混じる。全くひどい災難でした。いいえこれこそ犯罪でした。
宿が襲撃されたのでした。背後の森に潜んでた、彼らの言葉を借りるなら、テロリストなんかではなくて、古きゆかしきゲリラの兵士に。
隣の部屋に泊まってた、旅回りする芸人と共、彼らのアジトに攫われたのです。

髭のゲリラのリーダーは、僕の大事なスマホを取り上げ、にっかり笑って言いました。外国人だ良くしたものだ、これでたんまり金がせびれる。
そうして僕らの動画を撮って、僕らの嘆願する様子、サイトにアップしたのです。
そうして暗い木の小屋に、僕らを閉じ込めその前で、僕の大事なスマホを賭けて、賭けトランプをしたのです。

きっと母国のニュースでは、派手な騒ぎになったでしょう。政治家だとか外交官、僕の命を救うため、焦って動いていたはずです。
家族の元にも記者らが行って、あれこれコメント求めたはずです。

それでもこんな騒ぎさえ、浮かぶ余白もないほどに、凄まじいその熱量で、魔法の日々が迫ってきました。

星の魔法にかかった日々が。

それでもそれはほんの束の間、今思ったなら瞬く長さ。
それでもそれは一瞬で、僕の生きてたその意味が、その前と後で違ってしまう、そういうような日々でした。

僕らがどうして危うくも、ゲリラのアジトを逃れたか、それは全く恵みの雨が、どしゃどしゃ降ったそのおかげ。
近くの川が氾濫し、鉄砲水が押し寄せて、野趣があるかというよりは、掘っ立て小屋に毛が生えた様(よ)な、それは粗末なゲリラのアジト、すっかり壊滅させたのでした。

僕らは必死に逃げました。これを好機と逃げました。小屋は流れに流される、そのすんでのとこ壊れたおかげ、僕らは脱出できたのです。
見張りのはずのゲリラたち、自分が助かることだけで、精いっぱいになってたか、誰も追っては来ませんでした。誰にとっても修羅場でした。

僕らは必死に逃げました、つまりは僕とその二人、旅芸人の男たち。
なにしろ三人足かせに、つながれたまま逃げるので、三人一緒ではなくちゃ、逃げれる道理もありません。
僕らはぬるい湯のような、大粒の雨にたたかれて、鬱蒼茂るやぶの中、荒らぶる河を避けるよう、耳を澄ませて這いました。
お互いおんなじ方角に、息を合わせて行けるよう、声を掛け合い逃げました。

木の根を洗う泥水に、大きく血を吸う昆虫に、得体のしれない声のけだもの。化鳥の声は辺りに響き、赤くて粘りのある泥に、髪までまみれて這うのです。
これが全体あの晩に、さんざめいてる星空を、木の葉のすれるさや音で、飾っていたあの森なのでしょう?
星の奇跡は手を返し、天は怒りを僕にぶつけて、奇跡と真逆の呪いの技を、高く示して見せたようです。

やがて辺りは薄ら明るく、雨のしずくは優しくなって、僕らの前に大きな城が、ぼんやり影を現しました。
僕らは歓喜に震えたのです。
屋根のある、乾いた場所があるでしょう。泥に汚れた水じゃなく、井戸もあったら尚いいと。保護してくれる住民が、乾いた衣服をくれたら素敵。
僕らは三人息合わせ、城の周りの石垣を、えっちらおっちら乗り越えて、柵をくぐったその時に、三人同時に気づいたのです、これが廃墟ということに。

旅芸人のその二人、おろおろおびえて言いました。
「坊主、ここならいけねえわ。ホウオウ城だ、よしとこう。俺たちみんな呪われる。」
「そうだ、今すぐ逃げないと。オメガの最後の砦であった、ここには出るんだ、亡霊が。今まで幾人呪われて、命をここに捕らえられたか。ここでは知らぬ者はない。」

オメガとは、ここで滅んだ古代の国です。僕もよく知る異国の兵に、侵略されて略奪されて、神も文化も奪われて、歴史の闇に消えた民族。
遺構は様々残っているが、文字が無いので細かな歴史は、考古学者でも推測するのみ、謎大き民であるはずでした。
元論僕が知り得ることも、歴史の授業で習った程度の、専門性に欠けたものです。受験の他にも役立つと、熱を込めては習わなかった。

「一体何の言い伝えです?幽霊なんているはずがない!ここで休んでいきましょう。観光客でも来るかもしれない、そしたら助けを呼べるはず。」
僕はそう言い反論しました。
「ここには客など来るはずないよ、ただ亡霊がいるだけだ!古い時代の亡霊が、生きてる人を呪う場所。」
「ここに迷った人間は、生きてこの城出たこと無いと、ばあさん達から教わった。
胆力強い奴が幾らか、肝を試しに入ったが、そいつら全員帰ってこないと。何十年も前の話だ。そいつらは、とっくに骨になってるだろう。ここで滅んだオメガとともに。」
「そんな迷信信じませんよ。第一…。」

しかし会話が終わる前、朽ちたお城の門からは、古い時代の装束の、鳥の尾羽を凛々しく飾る、現地の元の住人の、殺気漂う兵士が五人、槍をつがえて駆けて来て、僕らに切っ先向けたのでした。

1 オメガの世界がそこに在った

「お前ら誰だ!はてさては、カフの手先の者たちか!」
 自ら予測をした成り行きに、芸人たちは蒼くなり、こういうことを言いました。
 「滅相もない!俺とこいつは真っ当な、オメガの血筋の民ですよ。先祖代々ここの出ですとも!」
 「そうですそうです!べクルックスの、王の最後の民ですよ。だからお願い食べないで!」

 兵士らは、いぶかしそうに言いました。
 「しかしお前の服装は、カフの衣装によく似てる。寝返ってない保証はあるか?」
 旅芸人は言いました。
 「どうかどうか、お許しを!この服が、お嫌でしたらこの先は、裸で暮らす所存ですとも!」
 「食わんでください!食わんでください!」

 兵士らは、鼻を縮めて目を寄せて、お互い顔を見合わせました。
 「我々は、人を食らうというような、野蛮な趣味は持ち合わせない。例えばそれが敵であっても。」
 そうして僕に向き直り、敵意をあらわに言いました。
 「お前は一体どちらの民だ?この二人ならオメガに属し、敵意はないと言っている。
しかしお前は我らとは、異なる顔をしているし、カフによく似た衣装を着てる。言うのだ一体どの民だ!何の魂胆隠してる!」

僕は混乱してました。一体何の演劇ショーか?亡霊なんているはずがない。
彼らはそろって全員が、全く亡霊らしくない。鱗のような鎧の中に、みっちり肉が詰まっています。汗すら匂ってくるのです。しゃべる言葉に息がこもって、呼吸の音も聞こえます。心臓だって動いてるでしょう。
芸人たちの言うように、彼らは幽鬼であるのでしょうか?僕の思うに兵士らは、何かの芝居を演じてる、生身の人に見えました。

「さあ、言え言うのだ正直に!われらの兜は嘘を見抜くぞ!」
兵士は僕に切っ先を、きっと突きつけ言いました。僕はだいぶん焦りました。
「僕は確かにオメガじゃないが、だけどもカフでもありません。ここよりもっと北で東の、ベガという国の出なのです!」
兵士はなおもきりきりと、切っ先近づけ言いました。
「そんな国など聞かぬ名前だ。お前は嘘を言ってるな。」
「嘘ではないです!嘘ではないです!」

つき付けられた切っ先は、かすかに血錆の曇りがあって、彼らの必死の眼差しは、追い詰められた苛立ちに、血走っているようでした。
これば芝居じゃないのだと、僕は背筋も凍ったのです。
それでも彼らの鼻息を、僕は確かに感じてました。息をしている人間と、生身の人と確信しました。
しかし芝居じゃないのなら、彼らは一体何をしたいか?一文無しの僕らを脅して、どういう利益があるというか?

「隊長これを見てください。こ奴ら足を枷にはめてる。いったいどういうことでしょう?」
兵士の一人が言いました。
「お助けください!俺たちは、捕まったのです、悪党に。ここまで必死に逃げたのです!」
芸人たちは言いました。彼らに必死にへりくだり、受け入れられる言葉を選んで、必死に命を乞いました。
呪われる前にくし刺しなんて、全く何の洒落にもならない。僕も彼らに合わせました。打ち消す言葉を発さずに、彼らに従い言いました。
「そうですそうです、奴らは悪魔だ!ただ夜空の星見上げていたら、何のいわれもないままに、問答無用に攫われたのです!」

兵士の長は鼻を撫で、少し考え言ったのです。
「お前らの言う悪党は、カフの一味の者たちか?」
芸人たちは言いました。
「ああそうそうです、カフ共ですとも!」
「あなたの民をお助けください!」
二人に続いて睨まれた、僕も選べませんでした、彼らと違う返答を。
「僕らはカフに攫われたのです…。」

隊長は、僕らの様子を見つめました。
「全くひどい様子だな。あちこち傷もあるようだ。必死に逃げてきたのだろう。分かったそちらは味方としよう。我らはお前を保護しよう。
この城は、そなたの様に逃れ来た、民らを保護しているのだよ。この近隣の集落の、ほぼ全員がいるのだろうか。
ついて参れよ民たちよ。中でその枷外してやろう。身を清め、乾いた服に変えてやろう、薬も塗って進ぜよう。」
隊長は、僕らの前に先立って、廃墟の中に入るよう、強く促し言いました。
芸人たちは青ざめて、体を固くこわばらせ、逃げるその隙。うかがいました。しかし四人の兵士たち、僕らの後ろにぴったりついて、そんな隙など見せません。
五人の兵士に囲まれて、僕らは入城したのです。その上(かみ)の、オメガの最後の王様の、悲運名高きベクルックスの、最後のその地、ホウオウ城に。

その刹那、風の匂いが変わりました。光の色も同様に。
あれほど荒れた天候が、一瞬で晴れた夏空に、雨の名残もありません。
嗅いだこと無い匂いがします。人の言葉のざわめきが、僕らの国の雑踏同様、塩満ちるように響きます。
外では分らぬかいがしい、人の暮らしの営みの音、大勢の人がいるようでした。
そこを見上げて思わず僕は、この目を疑いしばたきました。

ここは確かに朽ち果てた、廃墟であったはずでした。
しかし見上げるこの城は、廃墟などではないのです。それは立派な城郭でした。大きな石でできた建物。赤い布地で飾られて、王の居城と示しています。
王城は三つの丘を抱いていました。見上げればそこは麗しい、庭園であるようでした。ここから見ること叶わない、複雑な様をしているようです。わずかに見える木々が豪華な、真夏の花を咲かせています。
見上げる楼の王城の、脇には石の神殿が、極彩色の着色に、化粧を受けて並びます。
門の前にはとりどりの、夏の野花が供えられ、信仰熱き信徒が額づき、這って祈りを捧げます。
神殿と城の間には、大きな広場がありました。井戸や花壇や植え込みに、囲まれたような小径があって、人々がそこを行き来してます。
広場の隅や道の脇には、掘っ立て小屋が建てられて、貧しいらしい人々が、肩を寄せ合いたむろして、不安な色を見せていました。
その間、あまたの兵士が詰めています。城からは、煙もたなびき煮炊きの匂い、ここまでほんわり漂ってきます。
女子供も忙しく、兵士の間を行き来して、それらの全てが濃密な、実体を持っているようでした。ゆめまぼろしというよりは、現(うつつ)のことと取れたのです。

それでも彼らの気配には、悲嘆の気分が漂って、その表情は思いつめ、死を覚悟している様に見えます。

湿った夏の青空に、雲が横切り、陽が陰る時、祈りの歌が起きました。誰が始める風でなく、見上げた皆は口々に、彼らの神をたたえるのです。

「偉大な日の神フォーマルハウト あなたの民に祝福を
永久なる勝利 横たわる あなたの寝床 大地に栄うその権限を
あなたの黒き血を受けた 千の脈持つ我王の 頭蓋の傷を守り給う
あなたの猛るその怒り 天に比類も無き力 愚かな敵に示されよ!
黒い螺旋のとぐろの蛇を どうか遣わし打ち破り給う
醸した酒を甕に詰め 黒い目玉の神殿の 屋根に破って川としましょう
銀の鎧の侵略者 その青き血を捧げましょう 百人の首を捧げましょう
乙女を贄に望むなら 千人だって捧げましょう 全てあなたの妻としましょう
日に羽を持つフォーマルハウト!地にも目のあるフォーマルハウト!」

自然に始まる神さびた、祈りの歌の旋律は、城をほとんど包み込む、大きな歌のうねりとなって、悲壮な彼らの眼差しは、やがて避け得ぬ敗北を、はっきり予言しているようです。

僕はこの目を見張ったのです。
これではまるで映画のセット、しかしそこには映っては、いけないものなど無いのです。
楽屋も無ければ張りぼてもない。衣装の汚れは本当に、着古し擦れて出来たもの。
鍋で薬を煎じてる、老呪い師のその皺は、この太陽の炎暑の下で、何十年も生きてきた、その年月のなせる業です。

一体何の魔法でしょうか!自分の視覚が信じられない。僕らは過去にいるようです。あの滅び去ったオメガの民の、最後の時にいるようなのです。
歴史の授業で教わった、無味乾燥な年号と、教師のたわいもない脱線と、ただの数行触れてるだけの、素気も無かった教科書の文字。
それらがすべて実態持って、匂いや音まで細やかに、僕らの前に再現されます。
オメガの世界がそこに在った!

ほかの二人は青ざめて、それこそゲリラの巣窟に、居た時よりもおびえてました。
僕はぼんやり思ってました。ここで自分は死ぬのかと。ひしひし迫る滅亡を、知識に裏付けされながら、肌で体で感じてました。
彼らの最後の時ととも、自分の命も尽きるのか。
それなのに、僕は何故だか解放された、開けた気持ちになったのです。しがらみの、くびきを逃れ身軽になった、そんな心地になったのです。

そのとき六人供連れた、美しい人が近づいて、僕らに声を掛けました。
「ハダル隊長、その方たちは?」
隊長は、彼らの礼儀のやり方で、その身かがめて敬礼しました。
「おおこれは四の姫様カリーナ姫よ。この者たちはカフ共に、囚われ縛められたのが、ここまで必死にに逃げてきたのです。」
カリーナ姫と呼ばれた人は、僕らに瞳を向けました。黒い湿った瞳には、いたわる気持ちが満ちていました。
それは誰より悲しげで、それでも彼女の眼差しに、諦めの風は吹いていません。
水を含んだ強い樹が、真っ直ぐ天を目指して立つ様、彼女はすっくと立っていました。強い力に満ちた足。
僕が今まで見た中で、誰より気丈な女性でした。心の芯の強さが見えた。

「まああなた方、こんなになって。たくさん怪我もしてますね。侍女たちよ、井戸で洗って差し上げて。私は薬を用意しますから。
ハダル隊長、早急に、この足の枷を外してあげて。」
隊長は、再び敬礼したのです。そして武骨な剣を抜き、僕らの枷を壊したのです。

侍女たちは、カリーナ姫の言いつけ通り、僕らを井戸で洗いました。
昔のオメガの平民が、着ているような貫胴着、僕らにあてがえられたのです
見た目だけなら全くに、オメガの民と変わりない。僕らは彼らに交じったのです。混じって僕らも役者になった。オメガの滅びを演じる役者に。
カリーナ姫は薬膏を僕らの傷に塗りました。それから苦い薬湯も僕らに飲ませてくれました。

それなのに、すぐさま僕は熱を出し、それから三日か四日の間、一体何が起きたのか、ほとんど記憶がないのです。
凄まじい数の悲鳴を聞いた。祈りの歌も聞きました。嘲るような笑いも聞いた。
炎の燃える煙の臭い、怒号や歓喜の雄叫びや、大砲はじける轟音や、悲嘆の歌も夢の中、悪夢とほとんどないまぜに、全ては過ぎていきました。


夢の中、僕は必死に問いかけました。同級生のあの少女。この僕のこと偽善者と、見抜いて見せた『あの子』の影に。

「一体何をする気なんだ!おかしなことはやめるんだ!」
あの時僕はようやくに、ようやく焦りを感じて叫んだ。

大きな大きな砲弾が、城の最も深いとこ、破壊し崩壊させました。

『それも偽善の言葉だろう!私がしようとしていることは、お前にとっては迷惑しかない。』
彼女は僕を凝視した。冷たい霙が降り積もる。
僕は反論出来なかった、『あの子』の言い切ることは全て、逃れようもない事実だったから。

紅蓮の炎はおおよそ燃える、物の全てを焼き尽くし、阿鼻叫喚の悲鳴とともに、大勢の人も燃やしていきます。

『そこで黙って見ているといい!』
最後の最後、『あの子』は笑った。何かを確認するように、僕の瞳を凝視したまま、さも満足げに微笑んだ。
僕は思わす目をそらす、視線を戻した時にはもはや、『あの子』の姿は消えていた。ただ何にもない闇があるだけ。

僕は壊れたように叫んだ、叫んで『あの子』の姿を求めた。もう取返しの無い過去を、書き替えたいと僕は叫んだ。

哭する声が辺りに満ちて、さらに全てが燃えゆきました。火の海に、侵略者たちの歓喜の声が、カラカラ響き歌います。僕も知ってる勝利の歌が。

やがて意識は遠のいて、夢も見えない深い眠りが、僕の体に訪れました。
一体どれほど眠ったか、気づいたときは朝でした。
倒れる前に通された、青い敷布の一室に、僕は転がり眠ってたのです。



起き上がり、あたりを見回し思います。確かに夢でこの城が、崩壊するのを見たはずが、あれはつまりは夢だった?滅びの歌は夢だった?

僕はすぐさま探します。一緒にここに保護された、旅芸人のあの二人。
彼らはそこには居ませんでした。僕は一人で寝ていたらしい。
僕はそろそろ立ち上がります。少し頭はくらくらするが、心底空腹それ以外、特に具合は悪くなく、熱はすっかり下がったようです。

ゆっくりと、ドアを開いてのぞきます。
大勢の人が歩いてました。いいえ仕事をしていたのです。籠城戦に、民が尽くして備える仕事。
暗い表情しながらも、彼らに活気はありました。怪我してる者も見えません。
城も無傷で大砲の、当たった後など見当たりません。倒れる前と同様に、豪華で華麗でありました。
やはり滅びは夢だったのか?

しかし雑多な人の中、旅芸人のあの二人、僕を見つけて泣きそうな、ひきつった顔見せたのです。
「坊主ようやく目を覚ましたか!熱はすっかり下がったか。ようやく起きたが最悪だ。俺たちゃ地獄に入っちまった!
 やっぱりここは悪夢の城だ!俺たちは、もう何回も死ぬとこだった!毎晩毎晩死ぬんだよ!ほんとに毎晩毎晩毎晩!」

「一体どうして死ぬのです?」
僕は二人に尋ねて言います。見たところ、あの日僕らが来た時と、それほど変わりは無いようですが。
二人はげんなり黙った後で、口々にこう言いました。
「いいや分かるよお前にも…。」
「日付が変わる頃に必ず。説明する気も失せちまう…。」
僕はぽかんとしてました。一体何が言いたいか、そしてその気も失せるのか、僕には全く知れません。

その時太鼓の音がとどろき、位の高い大将が、入城するのが見えました。
「ああ来たぞアケルナル様だ。今日もぴったりこの時刻。」
二人の一人が溜息つきます。

「大将軍の伝令だ!レクチルの谷間の決戦場の、勝負の行方を告げに来た!」
誰とは無しに民たちは、戦の結果を聞こうとし、将軍たちの畏(かしこ)まる、城の広場に集まりました。

特別な、太鼓のリズムが始まりました。見慣れぬ金の笛が鳴り、天守の中から堂々と、大勢の兵にかしずかれ、貴婦人たちも引き連れて、金の鎧を着た人が、厳しい顔で降りてきました。
人々は、大地に這って礼をしました。口々に、王をたたえる文言を、祈りのように唱えたことで、僕にもそれが彼らの王と、知らせることが出来ました。

「フォーマルハウトに聖別された、黒き血を持つ我らが王よ、黄泉に九人の母を持つ、ベクルックスの王様よ。」

旅芸人のあの二人、僕を無理やり大地に這わせ、頭を押して礼をさせます。僕もあわてて従います。郷に入っては郷に従え、疑われるのは命取り。

「申し上げます!」
外から入った将軍は、敬礼しながら落涙し、悲壮な声音で言いました。

「昨日午前に始まった、レクチル谷間の合戦は、我ら五千に敵二百、我が軍勢は谷の峯、チドリの陣を敷きました。常勝必至の構えです。
午後に始まる雨ととも、敵を囲んで総崩れ、狙うつもりがカフ共の、不思議な武器で味方の兵は、ばたばた倒れていったのです。
大きな火を噴く鉄球や、目には留まらぬ悪魔の針に、我らは殲滅されました。
総大将の王の御子、アクルックスの王太子、ガクルックスの二の王子、ともに討ち死にされました。せめてもの、形見にでもと、お二人の、御髪を切ってまいりました。」

将軍は、落涙しながら王様に、二筋束ねた髪の毛を、捧げて震えて泣きました。

王様の後に控えてた、貴婦人たちが声を上げ、崩れるように泣き伏しました。
大きな飾りを頭に乗せた、一番身分の高そうな、ふくよかな人が卒倒し、貴婦人たちが支えます、自分の方も泣きながら。
彼女は王妃であるのでしょうか。亡くなった、王子の母御であるのでしょうか。

その中に、僕は確かに見たのです、あの日僕らの手当てをなさった、カリーナ姫と呼ばれた人が、王妃を介抱しているを。
彼女が王の姫ならば、二人の王子は兄か弟。僕は心が痛みます。

将軍は、なおも続けて告げました。
「トモの峯なる七つの城は、敵の手に落ち燃え落ちました。今もって、我らの軍が守るのは、この城王城(おうき)、ホウオウのみです。この城は、孤立無援となりました。
 敵は尊大、降伏を、陛下に要求しております。陛下の持てる財宝を、全て渡せば家臣とすると、命ばかりは助けると。
 どうか王様、ベクルックスよ、あなたの最後の判断を。名誉ある死か、奴隷の生か、ハチドリの羽か、牛舎の蠅か。」

 べクルックスの王様は、悲壮な声で凛と立ち、自らの民の運命を、決める言葉を継げました。

 「奴隷の生など耐えられぬ!余が倒れても御神は、その正道を示すだろう。奴らに鉄槌下すだろう。
我ら冥府で報われん!武勇の名誉に称えられん!
さあ民たちよ、戦おう!我らを虻と侮った、敵に深手を与えよう。虻の一噛みそれは時に、決死の毒を注ぐもの!」

王の言葉に兵たちは、異様な士気の高ぶりに、大海原の大波の、うねりのような雄叫びを、皆口々に上げました。
それを囲んだ民たちも、必ずきっと訪れる、彼らの最後の時を前、祭りのように叫んだのです。それは誇りのなせる業です。

貴婦人たちも前を向き、涙を拭いて叫びます。
その中に、カリーナ姫が立っていました。
誇りにかられ叫ぶことなく、きっと真っすぐ居直して、強いその目を太陽に、向けて見つめて立っていました。
まるで祈りであるかの如く。
滅びに雪崩れる叫びの中で、祈りの熱のうねりの中で。
彼女が受ける荒波を、理解した上そうしているのか?彼女は黙って日を見てました。

それから受けたイメージは、僕の心を貫きました。
この国の、直射日光より強く、恋の刃が貫きました。
自分に起きた出来事を、僕は説明できません。
一体どういう心理でそれが、どういう意味を持って起こって、僕に一体何もたらすか、つまり運命そういうことを、僕は説明できません。
ただ僕に言えることがあるなら、彼女と一つになりたいと、一緒に生きていきたいと、そういう想いが生まれたことです。渇望する様(よ)な熱情でした。僕に説明させるとしたら、ただそれが起きた、それしか言えない。

僕と彼女の間には、大勢の民と貴婦人と、兵士の群れが横たわり、口々叫びをあげています。
近づくことはできません。ただただ黙って見つめるのみです。

この距離は、果たして地上の距離だけか?僕と彼女に横たわるのは。
果たして身分の差であるだけか?僕が卑しいそれだけか?

やがて太鼓がとどろいて、金の楽器の音に乗り、王と貴婦人たちはまた、城の上部に戻っていきます。
カリーナ姫も同様に、彼女の父に従います。
僕は呆けて立っていました。何にも言葉になりません。

人は何故、ふさわしい場でないときに、こういう情にかられるのでしょう?
僕は全く分かっていません、この城で何が起きてるか、この身に一体何が起きたか。帰るためにはどうするか、この先どうするべきなのか?

滅びたはずのこの民が、どうしてこの世にいるのかも、廃墟のはずのこの城が、どうして滅んでないのかも。
僕が昔に迷ってるのか、五百年もの時超えて、彼らがここに現れたのか、果たしてそれのどちらでも、ない出来事が起きているのか?
考えたなら考えるほど、全く訳が分からない!誰も教えてくれません!

ただ僕が、切実感じる現実は、この胸の炎だけでした。胸が苦しく熱くて苦い。口から炎が出るくらい。

僕はぼんやり立っていました。群衆たちの叫ぶ中、割れ鐘と鳴る歌の中。
旅芸人の一人が言います。
「どうした坊主?空腹で、目の焦点も定まらないか?」
僕は弱って言いました。
「ああそうそうです、そうかもしれない…。食事は摂らせてもらえるのです?」
「飯はきっかり七時に始まる。だがね、馳走は望めんよ。」
僕はぼんやり言いました。
「ああそう多分、そうでしょうとも。」

その時叫ぶ民の中、一人の老爺が行き過ぎました。頭に飾りを多く乗せ、瑠璃の髑髏の首飾り、しなびた首に重ねています。
多分呪術師それでなきゃ、神官職かも知れません。
彼が僕らのその前を、厳か歩いて過ぎるとき、彼は僕らを見たのです。

どうしてそれが印象的か、僕は後々思ったものです、彼はとにかく知っていた、僕らがよそ者そのことを。
でもそれは、当時は知り得ぬことでした。
僕はなんだか怖かった、冷たい悪意を感じたのです。そのくせに、僕は老爺に惹かれもしたのだ。とかく何だか心に残った。その時思うはそれだけでした。

老呪い師の後ろから、一人の少女が付いて来ました。多分弟子でもあるのでしょう。彼に倣った衣をつけて、瑠璃の髑髏を下げています。
年の頃なら十二三、真っ赤な髪を長く垂らして、クジャクの飾りの羽の様(よ)な、碧い瞳の子供です。
彼女はにこにこ笑ってました。この滅亡の歌の中、悲運名高きベクルックスの、最後の時のただなかに、無邪気に笑って行き過ぎました。

一人楽しい顔のまま、嘆いて歌う群衆に、鼻歌交じりで混ざっています。
彼女もやはり僕を見ました。認めてさらに、微笑みました。碧い緑の双眸は、深く激しく燃えていました。
瞳で吸い込み燃やし尽くす、それはそういう瞳です。

何とも言えない違和感を、僕はその時覚えたものです。何故か彼女はちぐはぐで、場違いな者に見えたのです。
説明しろと言われても、上手く説明できないが、場違いな者が場違いにある、そう印象を受けたのです。

2 最後の一日

「あたしの顔に何かついてる?」
その子は尋ねて聞きました。僕があんまりまじまじ見るから。
「いいや何にもついていないよ…。」
僕は思わず目をそらし、不躾だったと反省しながら、彼女に答えて言いました。
「お兄ちゃんたちどこから来たの?」
彼女は再び尋ねます。細く造りの派手な目と、肌の白さがどこかしら、周りの人とは違っているのが、僕の違和感、その原因か。
「この近辺から来たんだよ。カフらに攫われ捕らわれて。」
「ここまで必死に逃げたんだ。」
僕を除いた二人が言った。そういうことにしておくらしい。
「それはとっても災難ね!でも捕らわれて逃げるのは、何だかとってもわくわくするわね。逃げるゲームは好きなのよ。」
浮きたつ心を瞳に込めて、彼女は無邪気に言いました。

「早く来なさい、我が弟子よ。」
さっきの老爺が苛立って、弟子の少女に催促をした。
「はいお師匠様、今行きます。じゃあねまたね、お兄ちゃんたち。逃げるお話聞かせてね。」
彼女は言って、駆け出しました。つっかけ履いたサンダルが、赤土の砂利蹴り上げて、きな臭い匂い立ち上ります。
「あんな子も、ここには残っているのにな。」
二人の一人が言いました。


僕と一緒にオメガの民に、紛れてしまったこの二人、僕を炊き場へ連れてきました。
中年の、恰幅のいい女たち、皆にお粥を配ってました。僕らも列に並び付き、一杯の粥を手に入れました。薄くて塩の味の濃い、淡い甘みのお粥です。
「しっかり食っとけ、一日に、たった二回の食事だぞ。」
旅芸人のその二人、うんざりした様(よ)に言いました。
何でもいいからものを食べて、僕の胃の府は落ち着いて、頭もどうやら動き出します。


しかし僕らは選べません。その次起こす行動を。僕らは働かされたのです、籠城戦のその備え。
僕らは城のあちこちに、バリケードなどを立てつけました。大きな窓には目張りをしました。材料はすべて木材と、もろくて軽い石でした。
こんな備えで大砲に、対抗できると思えません。大きな分厚い鉄板を、重ねるぐらいはしなければ、到底防げるものじゃない。

それでも彼らは信じてたのです、最後の最後に彼らの神が、黒い螺旋のとぐろの蛇を、遣わし聖なる彼らの王を、救って敵をせん滅させると。
彼らは石を積みながら、彼らの神を讃えるのです、讃えて歌を歌うのです。

僕も一緒に歌いました。疑われることないように。彼らの流儀に倣います。
旅芸人の一人の方は、ずいぶん妙にいい声で、神を讃えて歌います。
僕は教えてもらったのです、彼の名前はカウスというと。彼は歌手だということでした。
後の一人はヌンキというと。彼は駆け出し曲芸師です。
ヌンキさんはこう言いました。
「こうしてずっとこいつらと、こういう歌を歌ってると、なんだか俺らも交じってしまう、これを信じてしまいそうだよ。亡霊に、心の方まで飲まれちまうよ。」

僕もなんだかそうでした。言う通りかもしれないと。
ついこの間飛行機で、空飛び大きな海を越え、遠い国から来たはずが、こんな古代のやり方で、奇跡を信じ祈るなど、おおよそ非合理極まりない。
それでも体に入ってきます、祈りの言葉、その熱気。血潮に毒を注がれるよう、問答無用で入ってきます。なぜか僕らも熱くなる。

解放されたはずの心は、新たなくびきを得たのです。新たなこだわり、欲望が、僕の心に湧いたのです。

カリーナ姫よ、カリーナ姫よ、彼女はどうしているのだろう。
自分の方よりあの方の、カリーナ姫の行く末が、僕の心に影を差す。
一体僕が何をしたとて、何の助けになるという?無力な僕に、非力な僕に。

僕が知ってる歴史の通り、ここが落城したのなら、彼女は一体どうなるか?
僕は促されるままに、石を隣に渡しながら、城の上部を見つめてました。彼女が住まうと思われる、立派なつくりの城郭を。
こういうことを考える、場合じゃないのは分かってる、僕は全く狂ってる!
しかしそれでもカリーナ姫が、手も触れられぬも解ってる、あの方こそが僕を縛った。縛って全てを支配する。

日が高くなってきたころに、斥候たちが戻ってきました。彼らの伝えるところには、ここから僅かの所にも、敵が迫っているという。
決戦は、夜のとばりが下りる頃。
皆は再び叫びをあげて、両の拳を突き上げました。
僕が知ってる歴史の通りに、ことが進んでゆくのなら、この王城の命運は、今宵尽きるということか。

城の立派な城郭の、石の窓辺に王が出て、皆の叫びを集めるのです。
その後ろには、数人の、王女とおぼしき人が見え、その姉妹たちの一人には、カリーナ姫がいたのです。民の一人が言いました。王妃はどうやら寝込んでおられる。

カリーナ姫はじっと立ち、姉妹達とは反対の、天の高くを見てました。彼らの神なる太陽を、じっと見つめていたのです。

それから少し経った頃、最後の食事が始まりました。今度は薄いお粥じゃなくて、どっしりとしたパンでした。干した肉まで振舞われ、酒も配られたのでした。
 民も兵士も酔っていました、酒にではなく、運命に。今宵滅んでゆくはずの、その運命に酔ったのです。

僕もこの晩死ぬのでしょうか?このままオメガの昔に迷って。生きている意味も見いだせないまま、何も成すことないままで。
誰にとっても特別な、意味などとりわけないでままで。
自分の価値を信じてなくても、信じないままで終るのは、どうにもこうにも納得できない。我儘すぎる理屈です。

ぼんやりそれを思いながら、僕は群れから離れたのです。
僕は受け止めきれません。僕は酔うほど運命と、親しくしてはいないのです。
この数日に起こったことは、僕の頭の処理する限界、全く遥かに超えています。心は受け止めきれません、こんな在り得ぬ現実なんて。時空を超えた、成り行きなんて。
 その上、この晩死ぬかもしれず、分不相応な恋まで加わり、意味を見出し策を練る、そんな芸など僕にはできない。

僕は一体どうなるか?カリーナ姫はどうなるか?
僕はぼんやり考えます、一番望む結末は、彼女を連れて帰ること。平和な僕のあの国に、彼女を無事に連れ帰ること。
それは一体可能でしょうか?訳の分からぬ成り行きに、非力な僕にできるでしょうか?彼女はそれを望むでしょうか?

ふっと虚空を見上げると、碧い塗装の神殿の、屋根とおぼしき隙間の中に、あの子の顔が見えたのです。あの呪術師の弟子らしき、違和感覚えるあの少女。

彼女は僕と目が合うと、くすりと笑って見せたのです。
この敗色の濃厚な、悲嘆の気分のただなかで、一人見学してるよう、まるで悲劇を解していない、そういうような笑いです。

僕はと言えば、引き込まれるよう、彼女の方へ歩み寄ります。強い磁力が発生し、彼女の廻りに渦を巻いてる。
この子は一体何者か?何故こんなにもお気楽か?

僕はこっそり神殿に、入っていってみたのです。もし仮に、この神殿が部外者の他、立ち入ることが自由じゃないなら、僕は罰でも受けるでしょうか?
しかし頭は停止して、無意識と言える磁力に引かれて、僕は扉を開けました。

極彩色の顔料で、派手派手しくも神聖な、神話の世界が描かれた、中はひっそりしてました。人の気配はありません。

僕は上下を見回して、彼女の姿を探します。しかしどういう訳なのか、彼女の見えた隙間など、いくら探せど見えません。
僕がうろうろしていると、彼女がどたんと落ちてきました。いいえ綺麗に着地して、僕の足元しゃがみ込み、強いその目で見上げます。

僕は一瞬気圧されて、息と言葉を呑みました。
彼女は無邪気に見上げます。瞳は星と燃えています、それも火球としての星。
戸惑ったままの表情で、僕は言葉を発します。
「君は一体何者だい?こんな所で何してる?」
彼女は答えて言いました。
「あたしはシャウラ、お兄ちゃん。カノープス様の弟子なのよ。」
「あのお爺さん?」
僕はこのよう尋ねました。
「ええそうよ。あなたは何にも知らないね。とっても偉い人なんだから!あたしも色教わって、星を生き返らせる術、ついこの間出来たとこなの!
このまま習えばもう明日にでも、天上にだって行けるのよ!」
彼女はほんとに嬉しそう、場違いなこと言ったのです。

こんな悲壮な状況で、滅亡にあえぐ城の中、彼女は一人、希望を語る。
僕はなんだか途方に暮れた。無いはずの明日の希望を語る、シャウラの言葉に僕の頭は、地軸の様に傾きだした。

「だけどもう、ここが滅んでしまったら、そんな術など意味がない。君も無事では済まないよ。」
僕は心の戸惑いを、自ら打ち消す言葉を言った。それは事実であるはずです。

するとシャウラと言う少女、けろりと笑って言ったのです。
「そしたらお星を戻せばいいの。星が戻れば何だって、全ては戻る、今日この時に。」

彼女はこういう僕にとり、理解の出来ない謎を掛け、一人で納得したのです。
僕の頭は渦を巻き、この南天の星空と、同じ周りに回り始める。

「シャウラは何を言っているんだ?」
「あたしはこれが仕事なの。生き残ることそのことが。だから秘密の空間に、こもって隠れているんだよ。」
無邪気な瞳のそのままで、年に似合わぬ威厳を持って、シャウラと名乗るその少女、薄い体を張りました。

僕なら少し、少しだけ、僅かに納得したのです。きっと外から分からない、秘密の小部屋があるのでしょう。
「お師匠様ってっそんなに偉いの?」
「すっごくすっごくとっても偉いの!オメガの最高呪術師よ。何百年も生きてるの。」
シャウラの使命がどういうものか、僕には想像できません。詮索なども出来ません。彼女はなんだか禁断の、鍵であるかのようでした。容易く触れてはならぬもの。
しかし最高呪術師の、命令なのだとしたのなら、きっと大事な役目のはずです。容易く触れてはならぬ使命。僕は半分納得しました。

「君の師匠の命令で?」
「うん、そう、そうよ、お師匠様の。夕のご飯が終わったら、必ずここに隠れるように。そして誰にも気づかれず、敵が完全居なくなるまで、ずっと隠れているようにって。」

僕ははたっと思い当って、焦りを込めて言いました。
「それじゃあ僕と目が合って、話したことがばれたなら、君は師匠に叱られる?」
「黙っていてよ、お兄ちゃん!お兄ちゃんなら大丈夫。きっと問題ないはずよ。黙っていれば大丈夫だわ。」

シャウラと名乗ったこの少女、細いその目を更に細くし、けろりと言って見せました。まるで使命と裏腹の、軽い態度であったのです。
それを破って見せてけろりと、悪びれもせずに言い切りました。そしてしゃがんだそのままで、ゆらゆら前後に揺れました。
僕の頭の渦巻きは、ますます酩酊していきます。頭が熱を持っている。本当(ほんと)に大地に立っているのか?
僕は彼女の両の瞳を戸惑う頭で見たのです。強い光を放った星を。

その時外で声がしました。民が歌って祈っています。シャウラはゴロンと後ろ向き、後転をして立ち上がります。
「あたし戻るね、お兄ちゃん。戦が始まるその前に、すっかり姿を隠さなきゃ。」
そうして柱の飾りを押すと、縄の梯子が下りてきました。こういう仕掛けになってたのです。

そうして彼女はするすると、それを登っていきました。
一番上で梯子を引き上げ、天井の下を逆さまに、顔だけ下げてシャウラは言います。
「じゃあね元気で、お兄ちゃん。きっと生きてて明日まで。」
そうして彼女はぱったりと、姿を隠してしまいます。
気配まですらぱったりと。

「シャウラ?」
僕は試しに聞いてみました。
答える者は誰もいません。神殿に、命の気配はありません。

僕は吐息をつきました。
混乱極まる頭のままで、心はぐるぐる左の廻りに。
まるで自分の足で歩いて、頭が上に付いているかも、解らなくなった心地のままで、僕はひっそり外へ出ました。

外は熱気の渦でした。民が地べたに額づいて、悲壮な声で歌っています。
僕は今このタイミング、神殿を出て正解でした。これから祈祷が始まるようです。怪しまれるのは危険です。こんな気の立つ民たちに、目を付けられるは危険です。

僕もみんなの輪に交じり、強くこの腕振りました、声を嗄らして歌いました。

「フォーマルハウト!フォーマルハウト!
黒き素顔を見せたもう 仮面の下の荒ぶれる 怒りの姿形を示したもう
怒りは悪に注がれん 慈悲は我らに注がれん 我らあなたを恐れまじ 
あなたの怒りは昼を葬り 黒き螺旋のとぐろの蛇を その憤相の正義の槌を敵にふるって我ら救わん!
我らは全てあなたの嬰児 我らは全てあなたの妻女 我らは全てあなたの兵士
億の血道の流れる赤を 永久(とわ)の誠の証とせんや
受け取り給え フォーマルハウト!味わい給え フォーマルハウト!」

神殿の前の祭壇に、位の高い神官が、ナイフを片手に立ちました。
その目の前に額づくは、一人の幼い少女です。きっとシャウラと同じ年頃。頭に華麗な花冠を乗せて、花嫁らしい装束を、つけて震えていたのです。

僕は瞬間はっとしました。
「生贄だ!」

3 カリーナ姫の死

民たちの歌は煮え立って、最高潮を示します。
まるで地鳴りが響くよう、空気がわんわん鳴りました。

銅のナイフが下ろされて、赤くて黒い血しぶきが、花嫁らしい装束を、じわじわ濡らしていきました。
少女はすでに息絶えて、民の化鳥のような声、天のフォーマルハウトの耳に、鋭く刺さっていくのだと、周りはみんな信じています。

僕は眩暈でくらくらします。吐き気も襲ってくるようです。
一体あんなあどけない、子供の命を奪ったとこで、何が救いになるという?現代人の僕ならば、そんな迷妄信じません。

太陽はすでに低くなり、僕の周りの人々が、固く信じている救い、日の神フォーマルハウトの蛇は、それでもひっそり黙ったままです。
赤茶の塵でくすんで煙る、太陽は赤い色となり、僕の頭をじりじり焼きます。
民らは必死に叫びます、フォーマルハウト!フォーマルハウト!
救いを!救いを!救いを!救いを!救いを!救いを!救いを!

僕の視界は眩みます。
彼らの王が鎧をつけて、確かに何かを叫んでいます。
僕には上手く聞き取れません。

救いを!救いを!救いを!救いを!
尚も民らが叫びます。

救いとは、一体何を示してるのか?
敵を破って生き残ること?死後に浄土に生まれ変わること?
祝福されれば死してもいいのか?生き残っても恥辱に落つのか?

僕は全く部外者です。オメガの民でもありません。彼らの敵でもありません。
彼らの考え価値観は、僕には理解できません。
僕に理由はありません、彼らと命(めい)を同じうす意味。
僕は死にたくありません。少女の死を見て初めて思う、僕の生への執着を。
まだまだ望んで出来ぬこと、様々あったはずでした。

家族、学校、将来の夢。友達、先生、好きな人。

そこで鋭く僕の心に、痛みが走って落ちました。

あの人のことはどうしよう?赤い天守におわすはず、カリーナ姫の運命は。

僕の習った歴史では、彼女のたどる運命を、詳しく把握はできません。
ただ今日ここが落城し、彼女の父が弑(しい)されて、大虐殺が行われ、城の財宝根こそぎに、簒奪される運命は、確かに習ったことでした。
このまま時が過ぎたなら、彼女がここで落命するか、もしくは虜囚の身に落ちて、敵に簒奪されるかは、避けられないよう思われます。

ただ生きていて欲しいだけか?それさえ叶えば満足か?
あの方を、僕が救って差し上げたいのだ、他でもなくも、僕のこの手で。
僕はそこまで考えて、自分で自分の欲と野心に、驚き戸惑うばかりでした。

カリーナ姫を救いたいと、そう思うのは驕りだろうか?手が届かないと分かっていても、無理な力を望むのは、あの時同様驕りだろうか?

『お前が私を救えると?驕った結果を見ているといい!』
『あの子』は僕にそう言った、言って挑戦する様笑った。

ああ僕は、確かに驕っていたのだった、僕の光が彼女を救うと。それがどういうことなのか、全く考えないままに。
勝ち誇り、不可思議に過ぎる笑みを浮かべた、あの子の最後の顔を浮かべる。
『あの子』の瞳は糾弾続ける、疑問の分だけ僕を苛む。

『お前に一体何が出来る?』

あの時と、望みの高さはまるで違う。思いあがっていたとして、まるで可能と思われぬほど、僕の無力は明らかだ。
僕は光りを失った、凡庸無力な男です。『あの子』に起きた結果こそ、僕の光を消していく。
それなのに、カリーナ姫に対する望みは、身の丈超えて要求するのだ。まるでそいつを成すことで、自分に光が取り戻せると、まるで不純なセンテンス。

「フォーマルハウト!フォーマルハウト!」
僕の周りに嵐が起きます。悪夢のような現実は、現実なのか夢なのか、僕を巻き込み飲み込みます。
僕はすぐさま死ぬんじゃないのか、それは悪夢の中だけか。
 夢なのだから真実(まこと)じゃないのか、夢の中では現実なのか。
周りの民は叫んでいます、フォーマルハウト!フォーマルハウト!そんな無謀な信仰を、固く信じていたのなら、僕にも救いはあったのか。

僕は半端に目が明いて、それから半端に目が見えず、半端に頭が起きていて、半端に眠ったままなのです。
目覚めなくてはならないか、深くに眠るべきなのか、目覚めるための方法も、眠るためにはどうすべきかも、全く分かっていないというのに。

 理性の眩んだ僕の頭上に、突如破裂の音がして、城の東の城壁が、ばふっと砂を吹きました。
 オメガの喇叭の音がして、兵隊たちが駆け寄ります。

 「敵襲!敵襲!」

 民らが悲鳴を上げながら、城の奥手に逃げ寄ります。
 オメガ最後の戦いが、とうとう幕を開けたのです。

 僕もばらばら散りながら、逃げては惑う民たちと、一緒になって駆けだします。言い表せぬ恐怖が僕を、捕え理性が消し飛びます。

 僕の右手の方向に、砲弾が一つ落ちました。十数人がそれを食らって、命を落としたようでした。
 子どもを亡くした母が泣き、母を亡くした子が泣きます。狂ったように悲鳴上げ、民らはバラバラ散って逃げます。
 どこへ逃げたらいいのか分からず、僕は途方に暮れました。どこへ行っても滅び去るのだ。どこへ行っても同じじゃないか?
 僕は流れに逆らいます。立ち止まったまま亡骸を、呆けたように見てました。

 砲弾が上の城郭を、轟音を立て襲います。これではまるで裸の城です。遠い昔の最新の、高性能の砲撃に、ここはあまりに無防備でした。

 僕は案じるあの人を。強く気高きカリーナ姫を。あの中心にいるはずの、彼女を思い見上げます。
 僕に無謀な衝動が、雷の様閃きました。

 カリーナ姫を助けなきゃ!

 僕は思考の渦巻きは、はっきり焦点結びます。カリーナ姫の気丈な瞳に、勢いこんで流れます。
僕は自分の衝動に、この行動を任せました。
 シャウラ、生贄、民の歌、戦の声が僕の血潮に、どうやら毒を仕込んだようです。
 僕は古代の人となり、理性と思考を捨てました。まるで呪術であるかのように、理屈をすべて捨てました。
 僕を眠りが捕らえます。深く深く、深く眠れ。眠って夢で考えよ。

 僕は天守に近づきました。天守を守る衛士が倒れ、その入り口が開いているのを、これ幸いと飛び込みました。

 僕に策などありません。ただ情熱の命じるままに。きっとお城の外側に、連れ出せたなら何とかなると、都合の良すぎる考えに、僕は支配をされていました。

 カリーナ姫を連れ帰ろう、僕の平和なあの国に。もしも彼女が嫌だと言っても。
これを愛とも呼べるのか、それともただの欲望なのか。僕には判断できません。その判断も投げました。ただ衝動に任せます。素直に体の動く方へと。

 僕は天守の中を行きます。それでもすぐに行き詰ります。
 下の階では混乱で、浮足立った兵士らも、階の上では士気高き、位の高い衛士らが、番犬の様侍ってて、この平民の服を着た、僕の踏み込むそんな隙、微塵もほころび見せません。

 僕は途方に暮れました。彼らに見とがめられぬよう、柱の陰に隠れたままで、この身をぴったり壁に寄せ、何かの拍子に偶然に、突き出た飾りに触れました。フォーマルハウトの顔模した、金の目玉に触ったのです。

 僕は自分の神様の、加護をはっきり感じました。天井の、その片隅に穴が開き、紐の梯子が下りてきました。

 運命は、僕に手招きして見せたのです。僕に迷いは生まれません。
 あの神殿の中で見た、シャウラが隠れた空間と、同じような空間が、ここにはきっとあるのだと、僕は確信したのです。
 王族の住まう天守なら、きっと秘密の逃げ道が、どこかにあるということは、僕の国でもおなじみです。

 僕はすぐさま盲信しました。この上にある空間と、姫の住まっている部屋が、つながっているということを。

 僕は一気に梯子を上り、素早くそれを引き上げました。
 衛士は誰も屋外の、音に心を砕いていたため、僕の妖しい行動に、気付いた者は居ませんでした。
 僕がしのんだ空間は、大分狭いものでした。体を縮め暗闇に、まずは瞳を凝らします。
 そこは灯りが届かずに、ただ真っ暗なだけでした。さっきシャウラが潜んでた、あの神殿の空間は、多分光を伝える穴が、開いていたようだったけれども。

 僕はむやみに手探りで、狭い通路を行きました、多分姫なら上の階、城の上部にいるはずです。上へと昇る道筋が、どこかへ通じていないかと、頭の上を探ります。

 そうして僕は長いこと、這いつくばったそのままで、ひたすら上を探ってました。それはとっても苦しく長い、僕の孤独な戦いでした。

それでもこのまま諦めること、それは選択外でした。カリーナ姫の元へ行くまで、僕は絶対投げないと、ただ闇雲に打ち込みました。

一体これで首尾よくも、彼女の所へ行けたとしても、何を一体どうするか、一体何をどう話すのか、それすら僕は思ってなかった。
それでも僕が現れて、彼女が驚き悲鳴を上げて、僕を無情に拒絶する、そんな悲しい想像も、ちらとも頭をかすめません。
一体何がやりたいか、解らないまま僕は行きます。

カリーナ姫へ、カリーナ姫へ。
 
やがて斜めに上向きの、通路の先を見つけ出し、僕は螺旋に上りました。ゆるゆる上に這いつくばって、上へ上へと行きました。
 僕はここでも時間をかけて、必死に前に進みます。塵と埃と蜘蛛の巣と、ネズミの糞にまみれながら、恋の翼と言うよりは、余りにのろい、亀の歩みで。
 情熱ゆえの忍耐で、それでも決して投げ出さず、逃げずに上を目指したのです。
 
 やがて上へと延びていた、狭い通路はお終いに。そこはひときわ狭くって、僕が何とか這ったまま、体を忍ばすぎりぎりの、低くて苦しい空間でした。

 僕はどうやら目当てをつけた、ここが最上階なのだ。もう上へ行く通路は無くて、きっと高価と思われる、香油と香炉のかぐわしい、香りがここまで立ち込めて、きっと高貴な人々が、住まう区域であるのだと、鼻を通じて知ったのです。

 僕は今度は下を探って、下から上がる入り口が、どこかに無いか調べたのです。

 その時激しい轟音と、振動ととも建物が、僕の背中に落ちてきました。どうやら敵の大砲で、天守の屋根が崩されたのです。
 
 僕はどうやら怪我をして、一瞬意識を失いました。しかしすぐさま目が覚めて、僕に命があることを、何とか確認したのです。
 それでも身動き取れません。呼吸はわずかに触れるだけ。声さえ強い圧迫で、全く出せない有様でした。鋭く苦しい痛みが背骨に、電気のように走ります。
息絶え絶えの犬の様、僕は舌だし浅く息して、自分の血の気が失せていくのを、まざまざはっきり感じました。

 崩れた屋根の隙間から、満天の星が見えました。色鮮やかな北の星空。
 故郷の国で見たものと、すっかり逆さの星空です。
 僕の南が北であり、僕の東が西である。星の巡りはまるで過去へと、僕をいざない迷わすようです。

 まるで見慣れぬ星空は、あの晩見た様歌っています。清かに歌を降らせます。
 これを見たまま死ぬのでしょうか?僕の最後の景色でしょうか?
 だとしたら、何て綺麗なものを見ながら、僕は最後を遂げるのか。
 時間がゆっくり戻っていきます。僕は赤子に帰ります。

 南十字の高さから、僕は時刻を察します。何時の間にだか夜が更けて、煙の臭いがしてました。
 砲弾の音と悲鳴とが、乱れ飛ぶのが聞こえます。狂ったような敵の笑いが、耳に障って突き刺さります。

 息がどんどん浅くなり、視界は光っていくようです。これが最後と覚悟しました。
 僕は少しはましにはなれたか?
 カリーナ姫のすぐそばで、姫を思って死ねるなら、少しはましになれたかと。僕の卑怯は減刑される。
 
 その時下の石床が、十センチほど崩れ落ち、辛うじて、何とか下が分かるだけ、小さな覗きの穴が開き、声が漏れ出てきたのです。

 そこに僕の案じてやまない、カリーナ姫の凛とした、気丈な声を聴いたのです。



 数人の、貴婦人たちと王様が、言い争ってるようでした。

 「お前は何を言っているのだ!落城し、敵に簒奪された乙女の、その行く末がどうなるか、まさかお前は知らぬのか!」

 「操に勝る誉はないわ、!この上で、我らが敗北したうえで、その王族の純潔が、汚されたのだとしたのなら、我らの名誉は地に落ちて、更なる恥辱を厚塗りするのだ!」

 「ああもうここも長く持たぬわ!潔く、黄泉の母なる土神様に、この身を抱いてもらわねば!」

 王と姫より年かさの、多分姉妹の王女達、焦りに溺れているようです。
僕の心は高鳴りました。あの方も、カリーナ姫もここに居るのか?最後に彼女の声が聞けるか?

 「たとえそれでも私(わたくし)は、生きたいのです!生きてみたいの!
 たとえこの身が汚れようと、自ら命を投げ出すことは、卑怯であるのと思うのです。
 もう十分だと思うまで、自分を誇れる時が来るまで、命の首にかじりつき、嫌になるまで生きてみたい。
 そうして世界を見てみたい。広い世界を見たいのです。
 私が習った世界から、外の世界に世界があった。この世は知らないことばかり、誰も教えてくれはしない。
 生きていたならきっと分かる、私の星の導きも、我らが滅んだその理由(わけ)も。
 恥辱を恐れて死を選ぶのは、私はかえって卑怯だと、私の星への裏切りと、あえて断言するのです!」

 僕の瞳に涙が湧いて、無上の曲を聴くように、妙なるその音(ね)を聞いたのです。
 カリーナ姫のひんやりと、わずかに霧を含んだ声を。

 「何をこの期に世迷言を!オメガの王家の女子(おみなご)が、敵の虜囚にされるなど、断じて許すことは出来ぬ!
 この父の、冥府の誉れを汚す気か!フォーマルハウトの御神に、汚泥の穢れを飲ます気か!」

 「フォーマルハウトの御神は、きっと分かってくださいます。
 私(わたくし)は、穂の一粒の種となり、海を渡ってゆきますわ!フォーマルハウトの御神の、祈りを胸に抱きながら。
 私(わたくし)は、どこにいようと忘れない、我らが誰であるのかを、我らがたどった道筋を。
 忘れ去られるそのことが、真の滅びじゃないのですか!歴史の闇に葬られ、神も言葉も物語さえ、砂絵のように消えてゆく、これこそ滅びじゃないのですか!
 私が生きている限り、フォーマルハウトの御神は、あの太陽におわすはず。これこそ私の信仰なのです!」

 姫の激しい胸の火が、僕の心に油を注ぎ、戦火の猛る城内の、煙のような黒煙が、僕の瞳を濡らします。

 ああこの様な人だったのだ、僕の想っている人は。
 強く激しい人なのだ。あの時見たのと同じよう、何にも屈さぬ人なのだ。
 あの時彼女が太陽を、まっすぐ見つめたその時と、全く同じイメージが、僕の体を貫きました。

 しかしその時終局は、間近に訪れ崩壊しました。

 「この恥知らずは生かしておけぬ!姫たちよ、この雌ザルの両腕を持て!」

 王は居並ぶ姫たちに、僕の心底想っている人、カリーナ姫の両腕を、抑え込むよう命じたのです。

 「ああお父様、何をなさるの!」

 カリーナ姫は叫びました。

 「恥知らずな女にはこうだ!」

 王は銅器の剣を抜き、姫の滾(たぎ)った心臓に、体重のまま突き刺しました。
 赤黒い血が飛び散りました。
 姫の衣の純白は、彼女の血潮の熱さの色に、その色彩を変えました。
 腕を抑えた姉妹の姫の、顔も衣も血に汚れ、その妹たるカリーナ姫は、床に崩れて落ちました。

 姉妹の姫は泣いていました。
 父なる王も同様に。

 「さあ私(わたくし)も急がねば。急ぎて後を追わねばな。」

 「先を行く子の、血が冷えぬ間に。」

 「共に一緒の小舟に乗って。」

 涙に暮れる姫たちに、控えた老婆が金属の、小さな瓶を差し出しました。僕は理解をしたのです、それには毒が入っていると。

 「ああ、我が愛しき娘らよ。冥府の神の心は厚い。冥府でそちらに相応しき、相手と婚礼執り行おう。」
 王は別れを告げました。

 「はい、これは決してお別れじゃない。冥府の姫となるのですもの。」
 嗚咽しながら姫らが言います。毒杯はすでに人数分、用意がされていたのです。
 最後に王の姫たちは、昼間のように叫びました。短く一瞬叫んだあとで、皆毒杯を開けました。

 姫らが崩れ落ちるのを、見届け王が出ていきます。
 彼は最後の戦いに、彼の誇りを賭けた戦に、命を散らしに行くのです。

 この部屋に、姫らのむごい亡骸だけが、取り残されていたのです。



 僕は言葉を失いました。
 この様な、この結末は予期していない。
 姫の生への情熱を、その志の高いこと、無上の言葉で語った後で、この結末は酷過ぎる。
 神様はなんて残酷か!
姫はあれほど信じていたのに、フォーマルハウトの御神を、その信仰の固きこと、綺麗な言葉にしていたのに!

 僕はただただ見ていたのです、見ていることしか出来なかったのです。
 僕の体は動かせず、声すら出すことできません。目をふさごうにも目を閉じて、目をそらすさえ出来なかった。

 僕はただただ焼き付けました、僕の恋するカリーナ姫の、最後の姿を焼き付けました。きれいに燃え落つその瞬間の、最後の炎を焼き付けました。
 
 死体の重なる部屋の上、僕は涙を流してました。ただ泣くことしか出来ません。石と石とに挟まれて、僕はただただ泣きました。

 そうして僕にあの子の呪いが、光を奪ったあの子の呪いが、石の重さを増していきます。

 僕は無力だ、どこに居たって、誰を想えど。どれだけ無謀になろうとも、どんなに危険を冒しても。
 このまま石に挟まれて、カリーナ姫の亡骸を、空しく眺めて死んでいくのだ。
 僕が無力なそのせいで、カリーナ姫は死んでしまった。
 この罰を、負ってこのまま死んでいくのだ、自分で自分を呪いながら。
 
 そこで怒りが弾けました。
 「こんな呪いは耐えられない!」
 詰まった肺でささやくように、気持ちの上では叫びとして、僕は空気を吐き出しました。
 両の目からは涙が落ちて、血と混じりあい口に入った。
 最後の最後で僕は突然、呪いに反発したのです。草が積もった雪を払って、再び空を見上げる様に、僕の心は突然に、自分に対する欲望を持つ。
 
違う自分になりたいと。
 全てを更新する力、理(ことわり)さえも曲げられる、そんな自分になれたなら…。
 自分が望んで何もかも、叶える力を持てたなら…。
 
この死の間際、僕の命が、消えゆくことを感じる時に、僕は突然その先を、強く渇望したのです。今更のよう思ったのです。

 石と石との間に僕が、押し込められてるその間にも、滅びの戦は続くのでした。
 轟音を立てて砲弾は、朱赤に塗られた城郭を、見るも無残にしていきます。あちらこちらで火の手が上がり、悲鳴と怒号と哭する声が、止まず響いていたのです。

 男の声が叫びました。
 「ああ陛下、ベクルックスの王様が、ついに倒れてお隠れに!」
 哭する声が響きます。生き残った者皆泣きました。兵は戦意を喪失し、抵抗するのを辞めたまま、ばらばら倒れていきました。

 敵らは歌を歌います、勝利を宣言する歌を。きれいな花を踏み荒らすよう、生き残っている民草を、虐殺しながら歌います。
 この歌は僕も知ってます、歌ったこともある歌です。こんなに悲しく悔しくて、腹立たしい曲だったとは、その時夢にも思わなかったが。

 僕は壊れた隙間から、宇宙をのぞき見上げます。
 ちょうど真夜中ごろでしょう、南十字が高くあります。
 北天に、ひときわ輝く青い星、僕の瞳を射抜きました。瞳を射抜き、その槍で、心臓すらも貫きました。

 僕の脳裏に浮かぶのは、ありとあらゆる悔しさでした。
 どうしてこの身は自由じゃないのか!何故これほどに縛られるのか!
 この肉体の重みはなんだ!この脳みその軽さはなんだ!
 どうして空を翔れない!どうして願いは天を焼かない!息は大地を揺さない!

全てを壊してしまいたい!運命、呪い、死ですらも!望まぬもののその全て!

この星の燃えるその力、僕の両手に宿らないか!
僕は何故だかどうしてか、この星が僕に宿ったら、全てを壊せる気がしたのです。果たしてそれが可能かは、考えたりもしませんでした。
そんな力があったなら、こんな非情な神なんか、天から引きずり降ろしてやるぞ!

僕を呪った怒りを僕は、神様の方に向けました。

あの青い星を睨みつけ、僕は突然不遜になって、ありったけなる怒りをぶつけ、歯噛みしながら泣いたのです。声も出せずに泣いたのです。

 如何に怒れど僕は無力で、何の効果もありません。フォーマルハウトは天に居て、相も変わらず黙っています。
 ただそれは、確かに無駄ではなかったのです。僕の怒りや不遜さは、確かに僕と彼のこと、一つの槍で繋いだのです。
 確証などは在りません、ただそうとしか説明できない。あいつもフォーマルハウトの神に、確かに挑戦してたのだから。

 僕の怒りをまったく知らず、滅びの戦は続きます。
 「真夜中の星が上がったぞ!ここに我らの旗を立てよう!」
 意気揚々と敵らが言って、僕の埋れるほど近く、ひときわ高い鐘楼に、紺碧の旗を立てようと、敵らが登ってきたときに、僕の耳にはそれらとは、異なる音が聞こえてきました。

 まるで時計の秒針の、歩みのようなカチコチと、規則正しく鳴る音です。

 それが十回ばかり程、鳴り終わったその時でした。見上げるむせる星空が、ぐるり回転したのです、正しい進みと真逆の方に。
 つまり僕らがよく見る廻り、右の廻りに回転しました。

 僕をつぶした石たちは、不意に重さを失いました。
 僕を支える石床も、まるで硬さを失って、僕は水だか空中に、投げ出された様(よ)な心地がしました。

 星空も、炎も煙も血の匂いも、全ては蒼い燐光に、不意に溢れる燐光に、かすれて消えていきました。

 この眼前に溢れます、瞳も眩んで塵とかすむ、強く激しい光の渦が。
 しかし光は僕を受け入れ、僕は静かに下りてきました、光の満ちるその底へ。

4 ベガのテンロウ

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 そこには多分中年の、男が一人座ってました。
 その人も僕を見上げました。
 その時僕ははっとしたのです、同郷人ではないのかと。。

 「あなたはもしや、ベガの人では?」
 僕は尋ねて聞きました。
 
 「如何にもそうだが、お前もか?」
 低めの声で彼が言います。
 彼が座った敷布には、オメガの神が描かれて、その下の床は真昼より、まばゆい光を放っています。
しかし光のその色は、太陽のように熱くなく、冷たく震える冬星の、燐の光の様でした。

 僕は答えて言いました。
 「その通りです、同郷です。」
はっきり彼は現代の、衣服をつけて座しています。顔のつくりも僕らと近く、なんだかほっとするようです。

 少しはほっとしたことで、僕は色々気付きます。彼はどうしてここにいるのか?遠い昔に滅んだはずの、オメガのお城に居るのは何故と。
 
更にまたもや思います、ここは一体どこなのかとも。
 あれほど悲惨な戦場は、そのかけらさえ見えません。城も炎も兵士も敵も、誰一人とて見えません、哭する声も聞こえません。
 そこは冷たく平和で軽い、静けさだけが満ちています。

 ここは果たしてホウオウ城か?この城に、こんな設備があったのか?
ありったけなるLED、敷き詰めたよな、これは何か?

更に今更気づきます、僕の体は浮いている!
彼の頭上の少しの所に、まるで重さも感じずに、ふわり浮かんでいるのです!

 僕は二の句が見つからず、かえって驚き彼を見ました。彼はニヒルににやりとしました。

 「分からないって、顔をしてるな。」
 彼の言葉に僕は言います、素直にうなずき答えます。

 「全く全体分かりません。」
 「そりゃまあそうか、そうだろう。」
 彼はそれだけ答えました。それだけ言って黙ります。
 少しばかりの沈黙ののち、抗議するよう僕は言います。
 「それを教えちゃくれないのです?」
 「俺にもいろいろ事情があるのさ。」
 彼はそう言い笑いました。

 「しかし待てよ、お前は俺にもいい手駒かな。よし小僧、お前のことを教えてくれよ。どうしてここに迷い込んだか。」
 隙無く瞳を光らせて、僕に事情を言うように、有無を言わせぬ口調で彼は、僕に質問始めました。

 「何だかずいぶんフェアじゃないです。僕から質問できないなんて。」
 僕は素直に言う気がせずに、説明を少し渋ります。
 「そう言うな。何しろ俺は賭けをしている。絶対落とせぬ勝負でな。ルール違反になることは、やっちゃいかんということさ。」

「賭け、ですか?」
あんまり意外な言葉が出たので、拍子抜けして返って僕は、素直に話すことにします。

自称ゲリラに攫われたこと、洪水の中逃げたこと、ここに迷ったその後のこと。カリーナ姫の最後のことも、はずみで話してしまったのです。

彼は厳しい目のままで、楽しく笑って言いました。
「お前は全く若いなあ。無謀な馬鹿は大好きだ。だがな、命は大事にしろよ。今日は寸止めだったかな。
お前に教えてやれること、一つ教えてやろうとも。これならきっと障りない。
今日一日を生き延びろ。延々続く一日を。一度死んだらお終いさ。毎晩前を忘れたままで、死に続けてることになる。
この城は、この一日を五百年、毎日のよう繰り返す。滅びの最後の一日を、延々反復するのだよ。エンドレスとかいうやつさ。
お前のように死なずに済めば、前の記憶は保たれて、繰り返してると認識できる。
しかし死んだらその途端、以前の記憶は失われ、オメガの民の一人となって、毎夜落命し続けるのだ。」

僕は茫然彼を見ます。一体何を言っているのか。
「それだけですか?」
「これ以上何を教えよう。」
彼はそれきり黙ります。

僕は必死に食い下がります。
「あなたの名前を教えてください。それから何を賭けているのか、それも教えてくれないと。」

彼は静かに言いました。
「俺の名前はテンロウと言う。北の小島の生まれだよ。」

彼がそう言うその途端、その空間に満ちていた、光が割れて回ります。
天上の星と逆廻り、眩暈がくらくら起きるほど、乗り物に酔った心地がし、僕は頭を抱えました。ぎゅっとこの目をつぶりました。

「ああだが小僧、タイムアップだ。」


再びこの目を開いたときは、眩い光は跡形もなく、あれほど傷んだ背骨の怪我も、全てはすっかり元に戻って、僕は目覚めたあの部屋に、青い敷布の敷かれた部屋に、ゴロンと転がりあおむけでした。

**************************************************************************

灯りがわずかにともっています。僕は周りを見回しました。
「坊主、どうやら無事だったか!」
カウスさんが横に座り、安堵した様言いました。灯りは彼が持っています。時刻はちょうど真夜中ごろか。
「俺も何とか逃げ延びた。」
ヌンキさんも脇に居て、全く心底おびえた様に、でもほっとした様言いました。

僕の頭は即座に彼の、テンロウと名乗る男の言葉、その忠告を思い出します。
「ヌンキさん、カウスさん、絶対死んではいけません!」

僕は勢い込んだまま、そのいきさつを話したのです。
彼のこと、圧倒的な光に満ちた、静謐極まる深淵と、テンロウと名乗る謎の男、賭けをしてると言っていた、謎の男の忠告を、僕は彼らに話したのです。

話を聞いたその二人、戦慄しながら言いました。
「それじゃ一回死んだなら、毎晩毎晩死ぬんだな。昔のオメガの人となり、親も子供も友達も、全部忘れてしまうのか!」
「どうやってここを脱出するか?そいつが何より問題だ。
俺も色々試みた。正面切って出ようとすると、何時も兵士に阻まれる。間者なのかと問い詰められて、色々まずいことになる。
かと言いこっそり出ようにも、高い城壁そびえ立ち、水も漏らさぬ造りとなってる。こっそり出るのもことだよ、ことだ。」

カウスさんが言いました。
「この城が、滅びる間際の一日を、延々順々繰り返すなら、この城の外は現代で、俺やお前が生まれた時と、同じ時代が広がってるのか?
つまり門から出たならば、家へとつながる道へ行けるか?」
僕は答えて言いました。
「それはどうだか分からない。あいつが言ったことはただ、この城が今日を繰り返すこと。それから色々聞こうとしたが、制限時間が来たのです。
何を一体賭けてるか、それを聞く間も無かったのです。」
僕は自信のない声色で、このよう彼に答えました。
僕にして、カウスさんが言うように、この城を出たら現代に、訳なく戻れるのであれば、どんな喜ばしいでしょう。

カウスさんは言いました。
「だがこれならば疑いようない。奴は必ず知っている、ここで起こっていることを。何がどうしてこうなったかも。
奴に聞いたら確かじゃないか?なるべく無傷で脱出できる、そういう抜け目のない道を、知り得ることが可能じゃないか?」
ヌンキさんも言い出しました。
「そうだそれだよ!テンロウが、俺らの知ってる以上のことを、知っているのは確実だ!そいつを探して聞くんだよ、一体どうすりゃ帰れるのかを!」

カウスさんは首ひねり、こういうことを言いました。
「そいつは一体どこに居るんだ?日付が変わる瞬間を、俺もヌンキも何度かは、しっかり体験しているが、そんなスカした輩など、現れたことはなかったよ。
コチコチ鳴った音とかも、眩い光を放った床も、俺もこいつも知らないよ。夜空がぐるり反転するのは、確かに体験しているが。」

「探そうそいつを!すぐにでも!こんなお城はもうたくさんだ!自称ゲリラに攫われて、行方も知れなくなったなんて、きっと故郷じゃおふくろが、俺を案じて泣いてるよ!」
ヌンキさんが言いました。彼のその目は望郷に、切羽詰まっているようです。

「俺も娘の入学式に、出席するはずだったんだ。最新式のデジカメで、晴れの姿を撮るはずだった。それが毎日明日をも知れず、死の運命と戦うなんて、運命の神は狂っているよ!」
カウスさんも嘆きます。
僕は自分のことだけじゃなく、彼らが一人の人間で、それぞれ家族がいることを、今更のように実感しました。
彼らの家族が心配する様、僕の家族も泣いているのか?両親のことを思い出し、僕は心が苦しくなった。

それなのに、僕は一人で逃げたくないのだ!一人無事でも嬉しくないのだ。
一日が、巻き戻されて、この城は、滅びの最後の一日の、ちょうど始めの時刻となった。
あの方は、さっき真っ赤な血の海に、沈んで無残にこと切れた、カリーナ姫はまだ生きている。
この時刻、この僕のいるお城の上に、清かに降り敷く星の光に、寝息を立ててまどろんでいる。
彼女はいまだ運命を、その無情さを知らないでいる。生きることへの情熱を、夢に燃やして眠っているのだ。
この時に、この隙のうちにどうにかし、彼女を連れて逃げれぬものか?
彼女を故国(くに)に誘ったら、一緒に付いて来るのだろうか?

「今のうちだよ、二人とも。行動するには今だ、今。この城は、深夜零時を過ぎた頃。朝に目覚めるその前だ。戦の声も届いていない。
夜にまどろむそのうちに、テンロウとやらを探しに行こう。」
カウスさんが言い出しました。厳しく瞳を光らせて、抑えた声で言いました。
彼は一番年かさで、一番思慮が深いこと、僕は自然と知りました。

「軽業の、ヌンキも行くよ、カウス兄、忍び足には覚えがあるよ。細い通路に高い所、俺しか行けない所もあるかも。」
カウスさんも言いました。彼は一番抜け目が無くて、俊敏性がありました。

「僕だけ逃げても仕方ない。」
僕はぽつりと言いました。僕の心の声でした。

二人は何かを察した様子、一瞬顔を見合わせました。
少し黙ったその後で、カウスさんが言いました。
「一体何に義理立てするか、それは俺には分からぬが、お前の家族がどんな気持ちか、そっちは分っているんだよ。俺がお前の年頃は、俺にも分っていなかったがね。」

「そうだよ、坊主、テンロウに、テンロウとやらに聞いたらいいさ。気がかりとなった事柄を。奴ならきっと知っているかも、解決できる方法を。」
ヌンキさんが言い出しました。

僕は瞳を上げました。希望の炎が再びそこに、立ち上がってきた様でした。
あの男なら知っている、カリーナ姫を救うその術!
恋の病に侵された、僕の理性の曇った頭は、その思い込みに燃えました。
僕の頭は盲目に、可能性達を組み立てて、自分の都合がいいように、信じたいよう信じたのです。

僕の瞳の色が変わって、希望がそこにあることを、見て取る二人は言いました。
「未(いま)だお城の住人は、きっかり一日経ったころ、ここが滅びることを知らない。未だ王子の敗戦も、敵の声だって届いていない。」
「内部じゃまだまだ警備が甘い。こっそり探りを入れに行こう。テンロウとやらを探すんだ。
夜になったら問答無用、死から逃れるそのために、逃げ隠れなきゃならないぜ。今のうちだよ、今のうち。」

僕は唇結んだままで、黙って二人にうなずきました。
僕らは静かに立ち上がり、そろりそろりとドアを開けます。
静かな廊下は誰もおらず、すべての部屋は寝静まり、彼らの最後の安息を、壁の壁画が見守ります。

カウスさんがひそひそ言います。
「城の上部の城郭は、きっと警備が厚いだろう。まず下の方を探そうか。」

僕らは彼が持った灯を、目当てに城の地下に行く、通路を探してうろつきました。風の凪いでる蒸し暑い、真夏の夜の暗闇に、まぎれるように歩きます。
僕らは音をたてぬよう、足に履いてたサンダルを、静かにそっと脱いで手に持ち、裸足で廊下を進みます。
石の造りの床からは、少し冷たい温度と湿気、ごつごつする様(よ)な感触が、皮膚を通じて伝わります。
下に通じる通路を求め、僕らはぐるぐる歩きました。ちょうど先ほど隠し通路を、上へ上へと探ったように、僕らは下へと探りを入れます。

一階を、彷徨い歩いた時でした。突然不意にカウスさん、息のみ灯りを消しました。
そのまま僕らを壁へと抑え、何かを察した僕らもぐっと、息をひそめて気配を消します。

その先に、二つの灯りが見えました。彼らは廊下の床に開いた、通路を開けて出てきたのです。
しなびて小さい影の方(ほ)が、扉に鍵をかけてるようです。後の一つの影の方(ほ)は、彼に従い見ています。

僕ははたりと気づきます。
「これはシャウラだ!神殿で、僕と話した女の子。」
彼女はどうやら儀礼のための、衣を着けてるようでした。紺のフードを目深にかぶり、昼とはまるで別人の、大人の顔をしています。

僕はしなびた影の方(ほ)を、瞳を凝らしてよく見ました。それはシャウラが師匠と言った、老呪い師でありました。
彼は不信の眼差しで、冷たく辺りを見回しました。しっかり錠をおろした後で、彼はシャウラに言いました。
「お前も随分上達したな。一人でやってもいい頃だ。」

「はいお師匠様。」
シャウラはそれだけそう言って、はしゃいで喜ぶことも無く、その場を立ち去るお師匠に、黙って従い去りました。
橙色の灯(ともしび)が、彼女の白い裾を照らし、青くて黒い影が彼女を、魔物のように見せました。
衣の擦れるさや音と、飾りの打ち鳴る音が段々、僕から遠くなっていき、二人は角を曲がった後で、姿が見えなくなりました。
漏れ出る灯りも足音も、段々かすれて消えてゆきます。

5 二巡目の最後の日

二人が去ったその後で、僕らは真っ暗暗闇の、中に残され途方に暮れて、手探り探って手近な部屋に、転がり込んで夜を明かしました。

僕らは朝の光を待って、昨夜の場所を探しました。
ヌンキさんが言いました。
「どの方向に何歩行ったか、俺がきっちり覚えているよ。
まず右側に十八歩、階段降りて左の方に、八十歩更に右側階段降りて、九十歩更に階段降りて、左に二十歩、右に五十歩、そして階段降りた後、左に二十歩行った所(とこ)」
彼は歩数を数えてたのです。僕らは彼の導きで、昨夜の場所へと行けたのでした。

僕らは昨晩あの老人が、確かに鍵をかけていた、床の扉を探しました。しかしそういう痕跡は、見つけることが出来ません。
そこは周りの床と同様、何の変哲無い場所で、ただ一面にオメガの模様が、規則正しくはめ込まれてます。

僕は必死に探りました。何か手掛かりないものか。しかし何にも見つからず、僕は途方に暮れました。

落胆隠せぬ僕に向け、カウスさんは言いました。
「坊主そんなに落ち込むな、まだあの二人がテンロウと、何か関わりあるとは限らん。全く別のことかもしれない。
まああいつらはあいつらで、秘密があるかもしれないけどね。」

ヌンキさんも言いました。
「お前はあの子と話せたんだろ。それならきっと取り付く島も、無いとは限らぬわけだろう?
話を聞いてくれなけりゃ、全く話にならないが、しゃべれりゃきっと夕べの秘密、教えてくれるかもしれないぜ。」

「そうかもしれない、そうですね…。」
僕は二人にそう言いました。しかし心の内側は、どういう訳だかテンロウと、シャウラと老爺が一緒くた、同じ秘密でつながって、何かを示しているのだと、そうとだけしか思えぬのです。

僕は一体どうしたでしょう?ついこの間まで、はっきりと、理性が全てをまとめていたのに。民らの祈りが、盲信が、苦しい恋が僕を狂わす。
僕の理性は破壊され、新たな古い呪(まじな)いじみた、強くて暗い信念が、僕の心を縛ります。
まるで故郷に居た時と、今ある僕の姿とは、同じ人とは思えないほど。
まるで古代の人のようです、神話の中の人のようです。神話と同じ節理が僕を、理性と代わって縛っているのか。
そうでもなけりゃやりきれない。きっとこの場を乗り切れない。
 つまりはそういうことでした、僕の曇った頭は僕に、僕なりに生きて永らえる、その方法を示してたのです。
 それは神話の摂理を呑んで、深くに眠ることでした。眠って夢で考えるのです。

それから昨日と同(おんな)じでした。
いいえ誤謬があるようです、延々今日であるのですから。
朝に昨日の合戦の、勝負の行方の伝令が、王子らの死を伝えます。こちらが大敗したことを、伝え聞いた後王様が、最後の戦を決断します。
王妃は卒倒、王女が支え、民らは高く叫びます。
貴婦人たちも叫ぶ中、カリーナ姫がただ一人、黙って神なる太陽を、真っ直ぐ見つめて立つのです。

 昨日のようにシャウラが行きます。彼女の師匠に従って、無邪気に微笑み行き過ぎます。

 僕は思わず声を掛けます。
 「おはようシャウラ、昨夜は何で…、」
 そこまで言ったその時に、彼女は不思議な顔をして、僕を遮り言いました。
 「あなたは誰(だあれ)?お兄ちゃん。どうしてあたしを知ってるの?」
 僕は言葉に詰まりました。そうです彼女もオメガの人です、ここが滅んだその時に、遠い昔に死んだはず。
僕の時代の人じゃない。昨日が終わって全てを忘れ、今日またここに繰り返す。彼女の命の燃える強さと、滅びへ向かう勢いと、希望が寂しく渦巻いてる。
カリーナ姫の最後の時と、全く種類の違う痛みが、僕に寂しく訪れました。
夏がとっくに終わっていること、朝の空気で初めて知った、秋の初めの朝のような。
僕は微笑みかけたまま、中途半端に悲しげに、間抜けに口を開けていました。

シャウラは黙ってそれを見た後、昨日のように笑いました。
「覚えてなくてごめんなさい。後で話そう、暇なとき。あたしこれから修行なの。」

「シャウラ来なさい。」
シャウラの師匠の老呪術師が、彼女を呼びよせ立ち去ります。冷たい視線を僕らに向けて、忌々しげに言いました。
「つながれてない犬共がいる。」
シャウラは全く気にせずに、にこにこ僕らに手を振って、彼女の師匠カノープス、確かそういう呪術師に、付き従って去りました。

「何だよ、あいつ、感じ悪い。」
ヌンキさんが言いました。
「あの子はシャウラと言うんだな。昨夜は妖しく見えたのに、なんだか素直でいい子じゃないか。」
カウスさんも言いました。

僕らは薄いお粥を食べて、これからのことを話し合います。
今日を一体どうして過ごすか。何しろ今日しか無いのですから。僕らの昨日と同じ日が、今日も明日も続くのです。
「全く同(おんな)じ運びなら、返って計画立て易い。今日は一体何を調べる?」
「まずはあの子と話してみよう。シャウラと言ったあの女の子。坊主あの子と話してみろよ。あの子の方から言っていただろ。自分が暇なときにって。」

「一体シャウラがいつ暇なのか、僕は全然知りません。今日が昨日の通りなら、僕らはこれから労働力に、城の守りを固めるために、動員される予定なのでは?」

僕の話した言葉の通り、そういう流れになりました。城を調べる隙も無く、全く昨日と同じよう、僕らは動員されました。
それでも二人は諦めず、あちこち目線を配っては、城の造りを見て取って、人の流れを見ています。

太陽が高くなった頃、不意に二人が耳打ちし、僕に小声でこう言いました。
「おい坊主、貧血起こした振りでもしろよ。あの子が暇そに座ってる。」
僕は二人の指す方を、神殿の方を見やります。神殿陰の階段の、中ほどの方にシャウラがいて、つまらなそうに石投げてます。

僕はふらふら倒れました。貧血の振りをしたのです。
監督官が言いました。
「誰かそいつを涼しいとこへ、担いで連れてやってくれ。」
心得た様ヌンキさん、僕に肩貸し言いました。
「神殿の陰に連れてってやる。」
僕はいかにも具合が悪いと、そういうような表情で、黙って彼にうなずきました。

僕はヌンキの兄さんに、肩を貸されて歩きます。
いかにも具合が悪そうに、よろよろ足をふらつかせ、風通し良くて日陰になった、神殿の陰の階段の、シャウラのそばに歩み寄り、ごろりとこの身を横たえました。

「やあシャウラ。元気そうだね。」
僕はいかにも元気無い、か弱い声で話しかけます。
「あなたとどこかで会ったっけ?ああでもね、あたしが忘れているだけね。色んなことを忘れた気がする。大事なことほど忘れた気がする。大事なことから順番に。」
何だか最後はつぶやく言葉で、シャウラは一人で納得しました。

シャウラはその後いつもの顔で、首をかしげて言ったのです。
「具合が悪いのお兄ちゃん?」
「僕はどうやら貧血だろう。」
「貧血は、土の魔物が血を喰って、体の精気を抜いているのよ。ちょっと祓ってあげようか?こういうことなら大得意なの。」
シャウラはそう言い心配そうに、僕の瞳をのぞきました。
僕はなんだか申し訳なく、黙って首を振りました。それは素直で無垢な瞳で、彼女の作る渦巻きと、まるで逆行するのです。
こうして見るとシャウラという子は、普通の無邪気な少女のようです。何が一体どうだというのだ?
「大丈夫だよ、すぐ治るから。それよりも、昨夜(ゆうべ)は一体何をしてたの?」
「昨夜(ゆうべ)って?」
「灯りをもって、下の方、床からいきなり出てきただろう?」

シャウラは一瞬考えて、こういうことを言いました。
「ああきっと、宇宙を正して直す儀式ね。
それなら昨夜(ゆうべ)に限らずに、毎晩毎晩やってるわ。それはあたしの日課なの。宇宙の星を正しく直すの。正しい位置に、正しい角度に。」
「それって大事な儀式なの?」
「もちろんとっても大事だわ。この城は、地下に土台を持っているの。星の儀礼の場があるの。その床の星を正しく直すの。
それをしなくちゃこの城は、支えを失い倒れると、何百年も昔から、延々続いた儀式なの。」
「それは全体本当かい?」
「本当よ!あたしがここを支えているの!」
まるで信じた様子になれない、僕の態度に苛立って、シャウラの顔に血が上り、むきになったと示します。

それは全く相応に、無邪気な少女の様でした。実現できぬことなど無いと、この頃までなら思うもの。
一丁前に自分が出来て、才能あるのと思うのも、確かに幼い心のせいです。僕が無心に自分も光ると、そう信じていたことのよう。

彼女はほんとに信じているのだ。自分がここを支えていると。今日この限りで終わりを告げた、そんな儀礼が意味持っていると。
滅ぶのその日に希望を持つのだ。

僕はなんだか寂しくて、そうであるのに一方で、優しい気持ちになったのでした。
「あの床下には儀場があるの?」
傍らにいるヌンキさん、シャウラに尋ねて言いました。
「うんそうよ。ほんとは秘密にしてるけど。悪いことならしてないわ、だったら言ってもいいかなあ?」
シャウラは急に不安そに、僕らの顔を見たのです。それは初めて見せる顔です、年相応の無邪気な顔です。
「他のみんなにゃ黙っているよ。」
ヌンキさんが笑って言います。僕も笑ってうなずきます。自分の笑顔の寂しいことに、僕は自覚を持ちました。
 
「君は一体幾つから、呪術の修行をしているの?」
僕はシャウラに尋ねてみました。

「覚えてないわ、ずいぶん昔。両親のことも知らないの。お師匠様が言うにはね、お母さんはね、高貴な人で、お父さんはね、よその人。
あたしはどうやら孤児だったのよ。お母さんは天に居て、お父さんは地下に居る、そう言い聞かされて育ったの。」
シャウラは空を見上げながら、右手で地面を撫でました。

「悲しいことを聞いてしまった?」
僕は確かに心を痛め、案ずるように言いました。こんなに熾烈な光の彼女も、影を背負っていたのです。

「うううん、全然、だってこれ、珍しくもない話だわ。親が生きてはいない子は、星の数ほどいるのだもの。
あたしが特異とされるのは、孤児だったからじゃなくってね、呪術の資質があったこと。だから弟子入り出来たんだもの。
だからあたしは幸運なのよ。こんなに毎日延々続く、暇つぶしなんて他にはないわ!修業はとっても楽しいし、将来だって安泰よ。
お空に星がある限り、地に太陽が眠る限り、このお役目は延々続く。これって永遠(とわ)ってことだよね!
あたしは毎晩宇宙を正して、世界を支えて伝えるの。」
シャウラはそう言い瞳(め)をきらめかせ、無邪気な顔で笑いました。

僕はなんだか複雑でした。こんな滅んだ民族の、最後の時にこんなにも、無邪気な子どもが一人いて、希望を無くしていないのですから。
僕はシャウラを悼んでました、今目の前の彼女のことを、とっくにいないはずの彼女を。

僕らは知っているのです、ここが今夜に滅びることを。いくら土台を固めても、集中砲火を浴びたお城は、無残に崩れてしまうのです。
シャウラが言ってるお役目は、昨夜限りで途絶えるのです。宇宙を正し、城を支える、それの今夜は来やしません。
シャウラに明日はありません。天上になんか行けないのです。

しかしふとこう思うのです、僕らにしたって同じじゃないかと。彼らの未来は知ってるが、自分の未来は分からない。
この先自分がどうなるか、世界がどのよう動くのか、知っている人はいないのです。予想であれば出来ますが、確実性はありません。

先が全く分からぬせいで、僕らは希望を抱くのだろうか?
僕はぼんやり思い出します、僕の昨日の僕のこと。カリーナ姫を救おうと、蛮勇になった時のこと。
あの結末を知らない、だから、僕は望みを持ったのです。未来のことが分かるなら、希望を抱くその結果、誰が努力をするのでしょうか?

今にしたってこの僕は、この先の道が分からない、助かる術も、救う術も。だからあがいているのです、自分で自分に爪を立て。

アイデアが不意に沸き起こり、僕は尋ねてみたのです、悪あがきするそのついで。
 「昨夜(ゆうべ)にさ、こういう夢を見たんだよ。
蒼くて眩い燐光の、一面星屑みたいなさ、奇妙な床の夢なんだ。そこに男が一人座って、すかした顔で言ったんだ、絶対落とせぬ賭けをしてると。
これは何かのお告げかな、シャウラは夢解き出来ないかな?」

シャウラは少し考えて、目を丸くして言いました。
「不思議な夢ね、お兄ちゃん。光っているのは床なのね?」
僕は素直にうなずきました。

「床が光るということは、天上にいると同じなの。天では光は下にあるのよ。
あたしが行う儀礼の場でも、それを模してるものもあるのよ。だけどそういうおかしな人には、会ったことなどないけどね。
天にいるのと同じなら、そこに座ったその人は、神の一族そうなるのかな。賭けっていうのが分からないけど。一体何を賭けてるの?」

僕は答えて言いました。
「それは知らない、何を賭けたか。彼が答えるその前に、朝の光が僕を起こした。」
「ふううんすごい、面白い!何かの暗示がありそうよ。この城の、命運さえも左右する、すごいお告げであるのかも!お師匠様にも聞いてみようか?」

僕は何故だか悪寒がし、シャウラにこう言い断りました。
「出来ればさ、黙っていてよ、そのことは。なんだか悪い暗示かも。そしたらもっと絶望するよ。ここがこういう時なのに。」
怪しまれること無いように、必死に言葉を手繰ります。

シャウラは少し考えて、にっこり笑ってこう言いました。
「あたしが漏らした秘密のことを、お兄ちゃん達は黙ってて。そしたらあたしも黙ってあげる、お兄ちゃんが見た夢を。」

僕らは微笑み合いました。
彼女の生み出す渦巻きを、僕は忘れて微笑みました。流れは凪いで静まって、その中心でシャウラも微笑む。
時空を超えた共感が、僕らの間にあったのです。もうこの世にはいないはず、目の前にいるシャウラと僕は、秘密を共有したのです。

「ちょっと坊主、俺はそこらを測って来るよ。監督官が見てないうちに。」
ヌンキさんがそう言って、こっそり腰をあげました。
「一体何を測るんですって?」
「建物や部屋の間とか、角度や高さを測るんだ。何かの役には立つかもしれない。」
「昨夜みたいに歩幅を使い、頭で組み立てるんですか?」
ヌンキさんは言いました。
「ああそうそうだ、ちょっとした、俺の特技であるんだよ。」
一旦立ったヌンキさんは、くるりと振り向き言いました。
「お兄さんのしたことも、師匠や皆に黙っていてよ。」
彼はシャウラにそう言って、人差し指を立てました。
「城に向かって神殿が、どの星の方に建っているのか、教えてくれたら黙ってあげる。」
シャウラはそう言い笑いました。
「そいつもついでに測ってあげよう。秘密ってのはいいもんだ、間が近くなるからな。」
ヌンキさんがそう言って、僕らの所を後にしました。

僕はしばらくそこで休んで、おもむろ少しげんなりと、城の守りを固める作業に、しぶしぶ戻っていったのです。

6 テンロウの賭け

お昼の一休息までに、ヌンキさんは帰ってきました。何食わぬ顔で僕らの間に、混ざって働く振りをします。
待ちに待ってた休憩時、すかさず僕らは相談します、シャウラが言った内容を、一人知らないカウスさんに、教えてあげねばなりません。

「宇宙を正して直す儀式、毎晩それをしていると。別に怪しくないんだね。
それより俺が気になるものが、オメガの世界の天界だ。光が下にあるのが天と。だったら光の溢れる床は、何かの暗喩じゃないのかな?
坊主が昨日行ったのは、何かオメガの天界と、関連のある場所かもしれない。その子は神の一族と、関係あるかもしれないと、テンロウのこと言ったんだね。」
カウスさんはそう言いました。

「だけどあいつは、テンロウは、はっきりベガの人でした。自分でそうも言ってたし。服だって、僕らの普段着みたいでしたよ。僕らの時代の人ですよ。」
僕はこのよう返しました。

「テンロウが、現代人と言うことと、オメガの聖なる場所にいるのは、両立しちゃうことじゃない?俺たちだって現代人だ、だけど昔の時代に迷い、こんな衣服でここにいる。
奴が俺たち同様に、ここに迷って何かの賭けを、何かオメガの天界と、関係のある場所で張ってる、そう考えても無理はない。」
ヌンキさんは言いました。

僕はこう言い反論しました。
「テンロウは、何も迷っていませんでした。何もかも、分かっている様(よ)な口ぶりでした。
僕はこの様思うのです、彼は何かの目的で、自分の意志であそこにいると。何か目的遂げるため、落とせぬ賭けを張ってると。」

僕は心に浮かべてました、昨夜のあいつテンロウのこと。頬に涙をくっつけた、この僕のこと楽し気に、からかうように笑ったあいつ。

「そいつの賭けの内容と、ここが滅びの一日を、延々リピートすることと、関りなどはないのかな?」
カウスさんは言いました。

「彼は選んでここにいるんだろ、だったら元々知ってるはずだ、ここがこういう具合なことを。
知ってた上でここに居るなら、何か理由は知らないが、ここではないと張れない賭けを、張っているとは取れないか?
ここで張るしか張れない理由、そいつはここが延々と、この一日を繰り返す、こういう場所であることが、理由のような気がするよ。」
僕はなんだか腑に落ちたのです。テンロウの、意思が全てを凌駕した様(よ)な、静かで強い目の色を、説明できるとしたのなら、その理由しか無いかもしれない。

僕は二人に言いました。
「あいつは全部解っています。ここがこういう場所の理由も、光の床が何なのか皆。
今度会ったら白状させよう、助かるための方策を。きっとあいつはもったいつけて、賭けの障りとなると言うけど。今度は僕も引き下がらない。」

二人は驚き言いました。
「今度会ったらだってかい?会える保証はあるのかよ!」
「ありません。」
大きな声で僕は言います。
「だけど確信、そっちなら、どういう訳かあるのです。僕とあいつは必ず会える、その確信ならあるのです。」

二人は顔を見合わせました。
「そういうことなら期待したいが。だけどそれなら尚更に、死なないようにしなくては。今日一日を生き延びなくては、そいつに会える道理もないぜ。」
僕は黙ってうなずきました。

「無事に生き延びられたらね、今夜はあそこの神殿を、少しだけでも探ってみよう。光の床が天界と、つながっているものならば、神聖な場所を探るのが、理にかなってると取れないか?」
カウスさんが言いました。僕らもそれに同意して、ヒリヒリしながら待ちました。今夜必ず訪れる、滅びの戦を待ったのです。

最後の食事が配られます。最後と悟ったからなのか、メニューは昨日と全く一緒、五百年前であったなら、きっとかなりのご馳走です。

果たして今日も生贄に、僕の昨日と同じ少女が、犠牲に捧げて屠られます。
民らは祈りの歌うたい、地鳴りする様(よ)な熱気の中で、王が最後の演説を、悲壮な顔で行うのです。

今夜も最初の砲撃が、立派な塔を砂にします。昨日と同じ人々が、犠牲になって倒れています。
逃げ惑うのも同じ人々。銘々昨日と同じよう、同(おんな)じ方へ逃げていきます。

僕らも必死に逃げました。昼間こういうことにしていた、今まで僕らが助かった、夜と全く同じ行動、とって逃げるということを。
カウスさんは庭の奥手に、ヌンキさんは砦の奥に、銘銘駆けていきました。
僕は三日か四日の間、奇跡のように助かった、夜と全く同じよう、蒼い敷布の敷かれた部屋に、ゴロンと倒れて死んだふり、決め込むことしたのです。

僕らの誰にも言えますが、これは危険な賭けであるのだ。
敵は全く同じよう、襲ってくるとはいうものの、僕らは前と全く同じく、行動できるわけでは無いのだ。誤差というのが生じます。
僕は恐怖と戦いながら、じっと体を横たえて、出来れば走って逃げたい気持ちを、必死に押さえつけたのです。
カフの兵らは前と同様、僕を死体とったようです。ちらりと覗いてその途端、僕から興味を失うのです。
本当に僕は長い事、じっと死体の振りをしました。

夜が色濃くふける頃には、主な戦の舞台から反れ、僕の転がるその部屋は、遠い悲鳴や雄叫びが、切れ切れ聞こえてくる程度。
僕はわずかに安心し、それでも必死に死んだふり、決め込むこと止めません。

 しかし余裕が出てくると、僕の心に浮かぶのは、またもやカリーナ姫のことです。
 もしかして、今頃彼女が気高い心を、言葉にしている頃じゃないか、今頃彼女の父親に、無残に殺害される頃かと。
 それらの苦しい考えが、押し黙っている僕の中、むくむく太って暴れます。

 なにが現在起こってて、どんな無残な結末を、迎えるのかも知っています。
解決したいと願っているのに、結果を変えたいそう願うのに、そんな力は持っていません。

 だからこそ、僕は必死に念じてました。あの蒼い星を心に浮かべ。
テンロウに、ここの全てを知るはずの、奴に今夜は絶対問おう!
 今夜こそ、知ってることを話してもらう、こちらの知りたいこと全部。

 やがてどれほどそうしていたか、突然僕の両耳に、時計の針の音の様(よ)な、刻んだリズムが聞こえてきました。

 やがて十回ばかり程、音が繰り返された後、昨日と全く同(おんな)じように、世界は突然分解し、青い光があふれたのです。


**************************************************************************

 僕はやっぱり浮いていました、まるで光に押し上げられて、光の上に乗ってる様に。
 そこにあるのは昨日の通り、冷たく鋭い冬星の、燐の光に満ちた床、そうして歌う夏星の、遊んでいる様(よ)な光の渦です。
 そうしてそれの中心に、やはり居ました、奴が居ました。テンロウと、自ら名乗ったあの男、全てを知っているはずの、同国人の男です。

 「また会ったなあ、青二才、今日一日を、生き延びられたか。」
 彼はほとんど顔を変えずに、澄ました顔で言いました。
 「あなたに聞かなきゃならないことが、ずいぶん沢山あるんです。」
 僕は絶対退かぬこと、決意がこの目に宿るよう、なるべく力を入れて言います。
 「賭けの障りになることは、俺は絶対話さんぞ。」
 テンロウはそう言いました。
 「聞くだけ聞いてもらいます。聞きたいことなら山ほどあるんだ。どんな小さな情報も、僕らの役には立つかもしれない。」
テンロウは、黙って僕を見つめます。いいとも駄目とも言いません。黙ってそれを認めたのです。

「一体ここはどこなんですか!このきらきらした眩い床は!」
 僕は急いで聞きました、一番先に思いつくこと。
「『星の床』だよ、プロキオン(・・・・・)。星と時間の儀式の場だよ。」
彼はからかい遊んだように、僕にそのよう返しました。
「僕はそういう名前じゃないです。」
僕は苛立ち言いました。テンロウが、こうからかったということは、きちんと答えるつもりが無いと、大体察しがつきました。
そうして彼が答える前に、言葉を続けて言いました。
「そいつは一まず置いとこう、問いただしてたら時間が足りない。ここから出るにはどうすりゃいいです?」
僕は話題を変えました。タイムアップがあることは、昨日でしっかり経験済みです。
「そいつは簡単、敷地から、そうだな、柵を超えた後、麓が見えたらそれで出られる。実に単純極まりない。」
「それが易々上手くいかない。見張りをどうするつもりです?僕らが彼らの情報を、持って向こうへ渡らぬように、常に警戒しています。」
「そいつはここを使うことだな。」
テンロウは、にやりと笑って右指で、自分の頭をつつきました。
「男の武器は実用性だ。ここが冴えなきゃモテないぜ。」

僕は苛立ち憤怒しました。
「それなら今は関係ない!僕をからかい遊ぶんですか!」
「大いに関係あるだろう。助けたいんだろ、そのお姫様。」
僕の顔には血が上り、怒りと照れでくらくらしました。
「可能であると思いますか?その方法が欲しいのです!」
僕は必死にプライドと、照れをかなぐり捨てました。藁にも縋る気持ちです。

「そうさなあ。連れ出すことは可能だろうさ。その先は、俺にも予測できないが。方法は、お前の頭で考えろ。」
奴は結論付けないで、僕の問いから逃げました。
「これなら絶対うまくいく、そういうような方法を、教えることは障りですか!」

彼は哀しく笑った後で、ため息ついて言いました。
「俺にはそれは障りとなるさ。お前が思うそれ以上、賭けのルールは厳しいぜ。悪いがほとんど言えないんだ。駄々をこねずに堪忍してくれ。
それになあ、考えるのも、行動するのあくまでお前だ。お前が自分は坊主じゃなくて、大人の男と思うなら、それぐらいのことやってのけろよ。」
僕は言葉を呑みました。彼が言うのが正しいと、羞恥が一気にやってきました。

「俺は期待をしているんだ、お前と仲間の行動が、賭けの勝負も左右するはず。俺と家族の命運が、お前の肩に乗っている。」
テンロウは言い、遠い目で、闇に包まれ良く見えぬ、遥かな上を眺めたです。

「あなたは一体どうしてここで、一体何を賭けてるんです?ここではないと駄目なんですか?」
僕は新たな質問を、彼に問いかけ投げました。
テンロウは、一息空気を呑んだ後、鋭い目つきで言いました。
「俺が賭けてる事柄が、何であるかは教えられない。だがここでなくちゃならないことだ。はるばる旅してここへ来た。」
「あなたがここに居る時間、それは一体どれほどですか?長いのですか、短いですか?」
「六年だ。」
そうテンロウは言いました。
「六年も!」
僕は驚き叫びました。
「だがそろそろに時間切れ。賭けの期限は七年なんだ。七年間も進展しなけりゃ、勝負は俺の負けになる。」
まるで他人のことの様に、テンロウは軽く言いました。裏腹それに苛立つことが、出会って間もない僕にも分かった。

「あなたが賭けてる内容は、僕は聞かないことにします。だけどこっちはどうですか?何を求めて賭けてるか、あなたの勝利の目的は?」
僕が言葉を終えぬ間に、光が突然逆に回ります。すべて昨日と一緒です。
タイムアップが来たのです。

「俺の妻だよ、プロキオン、妻へと至る道筋だ。」
彼は最後に言いました。

僕は眩い光の渦に、まるで光の石炭(コール)袋(サック)に、飲みこまれたよう瞳を閉じます。
そうして再び気づいたときには、全く昨夜と同じよう、青い敷布の敷かれた部屋で、カウスさんとヌンキさん、二人の横で転がって、光の残滓を想ってたのです。

7 深夜の冒険

「会えたか、坊主!」
カウスさんとヌンキさん、二人の声に僕は二人が、無事であるのを知りました。
僕はガバリと起き上がり、二人に向かって言いました。
「会えましたとも!テンロウに。」

僕は二人に促されるまま、あいつと話した内容を、細かいことまで伝えました。
それなのに、僕は二人に話せなかった、カリーナ姫のそのことを。僕の心の気がかりを、その重さ分話せなかった。

おもむろに、カウスさんが言いました。
「なあ坊主、こちらに話しちゃくれないか?君が一体何を悩んで、誰を気にかけ捕らわれてるか。」
僕はようやく心決め、話したのです、そのことを。
カリーナ姫を想っていると。
彼女を想って隠し通路を、無理やり登って見たことを、彼女の最後の瞬間を、二人に話して聞かせました。

出来ることなら助け出し、その運命から救いたいこと。
彼女を連れて帰りたいこと。
二人は黙って聞いていました。僕の想いをおかしいと、批判したりはしませんでした。

しかしその後ヌンキさん、考えながら言いました。
「しかしそいつは可能かね?あの姫様は死んでいる、何百年も昔にね。死んだ娘を今更に、生きた世界に連れ帰れるか?」
「彼女は今も生きています!生きてお城の城郭に、僕らの上に眠っています!」
僕は躍起に言いました。

果たして僕は知ってたはずです、昼間シャウラと話した時に、今目の前にいるはずの、彼女がそこには居ないこと。
僕と彼らは住まう時空が、そもそも違っていることも、確かに知ってたはずでした。
己が心に目隠しをして、僕は自分を騙してました。信じたいよう歪めたのです。そうして歪めた世界の中に、ずっと籠っていたかった。

それなのに、僕が一番恐れることを、カウスさんは言ったのです。。
「俺たちと、あの姫様は同じ(おんなじ)場所で、ここにこうして過ごしていると、それは本当(ほんと)に真実だろか?
ここにボールがあるとする、一回まわった時の軌跡と、百回まわった後の軌跡は、果たして同じ(おんなじ)存在と、言い切ることが出来ると思うか?
空間にすれば数十メートル、本来は、お互い知り得ぬ距離のはず。」

「出会ったことこそ奇跡なんです!奇跡が起きて、僕は彼女を、救い出さねばならないんです!」

僕は必死に反論しました。まるで彼らが同意したなら、自分の願った通りになると、世界の全てが思い通りに、定まり決まってくれるというよう。

ああしかし、果たして僕は純粋だろう?ただ崇高な愛の為か?

『お前は偽善であるんだよ。』

僕は心に浮かぶ『あの子』の、言葉を強く拭き消しました。

「テンロウは、連れ出すことなら可能と言った。」
 僕の言葉にカウスさん、複雑そうに言いました。
 「それは君、願ったように自分の国へ、彼女を連れて帰れると、そういう意味ではないかもしれない。」
 
 「それだとしても何でもやります!彼女を救うためならば、僕は何でもやりますよ!」
 
 後ろめたさに後押しされて、僕は尚更躍起になります。
 僕は二人を欺きました。ヌンキさん彼は僕の言葉に、目を赤くして言いました。
 「協力しようぜ、カウス兄、こいつの言葉を聞いてると、昔の青い自分を見てる、そういう気持ちになっちゃうよ。
 一つ聞くがね、もし仮に、お前の望む結末と、違った結果になったとしても、お前は後悔しないよな?」
 
「彼女を救うその余地が、微かでもあるとしたならば、僕に行動しない道など、微塵もありっこありません!
 望む結果にならないことは、それは想像したくないけど、それでもここでくすぶってるより、遥かにましというものです。」
 僕はそのよう答えました。
これも本音であるのなら、もう一方は本音じゃないのか?果たして僕は卑怯なだけか、それとも愛が真実なのか?
後ろめたさに尚更に、カリーナ姫を救う方へと、ひたすら僕は邁進しました。

 カウスさんは言いました。
 「君に覚悟があるのなら、俺にも否定はできないな。こちらが助かること前提で、試みるなら、止めないよ。助かることが前提ならば。」

ヌンキさんは泣いて笑って、僕の背中をたたきました。
「小僧しっかりやるんだぞ、俺も力になるからな。」

「まず計画を立てなけりゃ。そのため聞くが、それぞれが、出来ることなら何だろう。
俺は平和な歌手だから、荒事などはからっきしだ。もし争いになったって、ここのお城の兵士にかかれば、子供を殺すも同然だ。ヌンキお前は心得あるかい?」
カウスさんがそう言って、ヌンキさんに水向けました。

「ロープ渡りやナイフ投げ、火吹き棒なら出来るけど、それが活かせる状況は、奇想天外摩訶不思議、全く力になりそうもない。
俺も武術はからきしで、商売道具のナイフと包丁、持ったことある刃物はそれだけ。
おまけにナイフも人に向け、投げてはいるが害するつもりで、投げたことなど一度も無いよ。誰かに当てると思ったら、恐怖で的も定まらないよ。
おまけに血を見りゃ気が遠くなる。争いごとには不向きだよ。坊主お前はどうなんだ?」
ヌンキさんはそう言って、僕に向かって問いかけました。

「僕は輪をかけいけません。体力だって人並み以下だし、体育の授業で投げと寝技を、何時間かだけやった程度で、それもさっぱり勝てないのです。」
僕は細々言いました。

一同しんと沈黙しました。
美声の歌手と芸人と、基礎体力のない僕と、三人一緒になったところで、一体何が出来るのか?
羊と羊と羊が三匹、兎と兎と兎が三羽、草食獣の寄せ集め。

「ええとまずだな、荒事は、極力避けろということか…。こっそり姫を連れ出して、こっそり逃げるそれしかないな。」
カウスさん、心細げに言いました。そうしてこのよう言い直します。
「とかく情報、それが欲しいか。とっかかりなどを見つけるために、あの神殿を探ってみようか。」

それからその後僕たちは、暗がりの中に紛れるように、人気のないその神殿に、忍んで探りに出かけました。
入口の、脇に置かれた松明が、赤い光を振りまきます。神殿は、警備の兵らも見えません。警備をわざわざしなくとも、ここを穢して狼藉する者、まるで無いかというように。
僕らは重い扉を開けて、こっそり中へと踏み入れました。
祭壇脇の松明が、赤い光を吐いています。炎の揺らぎに揺れる影、そのほか動くものは無く、そこには誰もいませんでした。

 金の目玉の大きな蛇の、滑稽なほどデフォルメされた、壁画が瞳に飛び込みます。
太陽の蛇、フォーマルハウト、オメガの主神の姿です。
 僕らにとっては滑稽でも、彼らにとっては神聖で、厳かなほどに重々しいのか。この感性は理解できない。だから尚更惹かれるのだろう。

 僕らはぐるっと一回り、その神殿の祭壇前の、広間を照らして歩きました。夕刻シャウラと言葉交した、あの聖堂であるのです。
 昼間の光で見るよりは、尚更得体の知れない神々、神話の世界の描かれた、壁画が灯りの揺らめきに、柱の影を濃く宿し、ほのぼの認められるだけです。
壁画の禍々しさを差し引き、闇がここでは正常なこと、それを加味したとしたなら、ひっそり静かで平和でした。明けた翌日滅ぶこと、誰も想像できないほどに。

暗闇の中に目を凝らし、僕は必死に探りました。テンロウが、あいつが座る光のかけらが、どこかから漏れてこないかと。
それなのに、いくら瞳を凝らしても、闇はただ闇どこまでも、曖昧なまま底を見せない。青い光はかけらさえ、僕の目は認められないのです。

焦りつつ闇に踏み出した時、僕は何かにつまずきました。
「何だこれ…?」
カウスさんが振り向いて、僕の足元照らします。
それは隙間の様でした。木で出来た床の敷板が、一枚僅かにずれています。
「これは何かの入り口か?」
カウスさんがつぶやきます。
「ちょっと入って見ようかな?」
ヌンキさんが緊張に、ピリピリしながら言いました。

「そこで何をしている!」
突如しわがれひび割れた、声が僕らをとがめました。僕らはぎくりと振り向いて、その声の主を認めました。
オメガの最高呪術師にして、シャウラの師匠であるとこの、僕らを嫌っているらしい、あの老人がそこにいた。

「ああこれはこれはカノープス様!祈祷に詣でてきたのです…、ベクルックスの王様の、御世が永久にと続くように、真夜中の星が昇るのを待ち…。」
咄嗟というようカウスさん、そう言い訳を言いました。僕らも彼に従って、焦りを飲み込み手を合せます、彼らの祈祷のやり方で。
「信じぬ神に祈ったとこで、どんな加護さえ得られぬぞ。信じる者さえ常に常に、救いが得られぬというのに。」
彼は冷たい声色で、僕らに向かって声を投げた。僕はどうしていいのか分からず、ただ馬鹿の様に祈りの仕草を、彼に向かってアピールした。
「まあ良い、全ての野良犬は、何時かは綱に結ばれようぞ。祈れるうちに祈るがよい、望めるうちに望むがよい。いつまで望みを保つかは、お前の神が握っているだろ。」

その言葉の後彼は無言で、僕らここをに出ることを、強く強制したのです。
僕らは有無を言わされず、すごすご外へと去りました。
オメガの最高呪術師は、僕らに代わって中へと入り、誠の祈祷をするのです。祈りの文句が細々と、外へも聞こえてそれを知らせる。

僕らは全くすごすごと、元居た部屋に戻って行きます。手掛かりさえも見つけられずに、大空振りとはこのことです。
「それらしき物は無かったね…。」
カウスさんが言いました。
「ああでもあそこの床の隙間が、どうにも俺には気にかかる。昼間は大方人目があるし、どうにか外から調べれないか…。」
ヌンキさんが悔しそうに、ぼやめく口調で言いました。
「角度と歩数が欲しいなあ…。」
彼は鋭い目の色で、何かを頭で組み立ててます。僕は全く消沈し、そのことを注意していなかった。

部屋に戻ったその後で、カウスさんが言いました。
「このやり方ではいかんねえ…。色々惑っていたようだ。」
「全く無駄とは限らんが、俺も兄いに同意だよ。」
ヌンキさんも言いました。
「一体どういうことですか?」
僕は二人に聞きました。

「仮にその光る『星の床』?それがお城にあるとして、怪しまれずに行けるとこには、これじゃ在りっこないだろう。」
カウスさんが言いました。ヌンキさんも揃えます。
「行けない可能性の高い、その床の謎を探るほど、俺らに余裕は無いってことだ。」
「諦めるっていうことですか?」
僕は言葉を荒げました。納得できないことでした。

ヌンキさんが言いました。
「原因を知って解決するのと、結果だけついてくればいいのと、どっちが楽かということさ。」
カウスさんはうなずきました。
「つまりだね、危険を冒してテンロウと、その床の謎を探るより、実際ここを脱出し、無事に帰れるそっちの方を、優先させるということさ。」
ヌンキさんも言いました。
「テンロウは、お城の敷地を脱出し、麓が見えたらそれで出られる、そうはっきりと言ったんだろう?」
僕はうなずき言いました。
「はいそうですが。」
「だったら脱出しちゃおうぜ!俺と兄いは帰りたい、お前は姫を連れ帰りたい、だったら力を注ぐのは、この四人だけ安全に、お城の敷地を一気に出られる、その方法に集中させる、その方が楽ということさ!」

カウスさんも言いました。
「新たな情報それならば、テンロウとかいう奴から得よう。日付が変わるその時に、お前が奴と会えるはず。今度も逢えたそれならば、次に日付が変わるときにも、それが起きると期待しよう。それまで絶対死ねないが。」

確かにそれはその通りです。謎を解くのと、外へ出るのと、どちらが大事ということでした。謎を解かずに外へと出ても、出られることには違いない。
青い光を放った床と、思わせぶりなテンロウに、僕はすっかり惑わされてた。思考を前に進めるの、危うく忘れるとこだった。

「一体どうすりゃ出られるか、その方法を考えるんだ。」
僕はにわかに悩みだします。
テンロウに、言われたことを思い出します。
「男の武器は実用性だ、ここが冴えなきゃモテないぜ。」
何だか腹が立つ言い方です。僕も少しは意地がある。
「お城の衛士の気をそらす、その方法はありませんか?」
 ヌンキさんが言いました。
 「俺もいろいろ考えてるが、どうにも保証はないんだよ。」
 「日が昇ったら無理だろう。未明のうちにスキを突き、一気にお城を出る方が、可能性なら高いだろう。」
 カウスさんも言いました。
 「それにお前のお姫様、一緒に連れていくために、同意は取り付けられるのか?あの人ならばもしかして、民らを捨てて出られぬと、言い出すのかもしれないぜ。」

 「それは…。」
 僕は詰まって口ごもります。その先は、考えてないことでした。
 
 僕と彼女が出会ったの、今の彼女は覚えてないはず。僕の時間の数日前で、彼女の過ごした時間には無い。

 カリーナ姫は僕を知らない。
 なんと苦しく残酷で、素気のないその答えでしょうか?
 今更僕は切迫します、彼女に会って話したい、少しでもそばに寄りたいと。
 姫は知らねばなりません、この僕がここに、ここにいて、彼女を想って念じることを。姫は知らねばならないのです!
自分の未来が僕とあり、離れて生きる道など無いと、姫は知らねばなりません。

 僕のはやった様相に、しかし二人は言いました。
 「坊主今夜は休もうぜ。俺にもお前も明日があるよ。この城の、他の奴らと違ってさ。明日のために休もうぜ。」
 そして二人はあくびをし、横にゴロンと転がりました。

 僕はと言えば立ち尽くし、二人の言うよう休むには、不向きと言える興奮に、思考は支配をされていました。

 「少し夜風にあたってきます。気が静まったら休みます。」
 僕はそれだけ言った後、二人を残して部屋を出ました。
 出るときに、カウスさんの持っていた、小さな灯りを借りました。僕は灯りを頼りにし、暗い廊下を抜けました。
 戸口から出てすぐ様に、灯りの用を忘れました。

8 星夜の語らい

 何という、果て無き世界を直観させる、圧倒的な星空か!まるでこの身に宇宙が全て、逆さに落ちて来るかのような。
 冷たい熱と尊厳に、その裏腹の自由さに、自分が一体どこに居て、何を望んでいるのかも、すぐには思い出せないぐらい。

 宇宙の隅の小さな星の、大気の底に僕がいて、何億光年昔の光、今更の様見上げるのです。
僕とはまるで微生物、地球にへばって付いた虫だ!増殖をして増え続け、地球の表皮に群れて溢れる、そういう小さな生物だ!
 この星空に重ねます、あの夜に、初めて見上げた南天の星。
 あの夜と、星の角度は変わっているか?見える星座は変わっているか?僕には判別付きません。

 僕の角度は変わったのです、カリーナ姫がそれを変えた。
たとえ狡くて偽善だろうが、この僕の今の中心は、彼女をおいて他にない。僕の星座の物語、カリーナ姫を中心に、紡がれ回っていくのです。
 まさかこういう運命が、自分に降ってくるなどと、想像することなかったが。

 僕は思わず手を伸ばし、手に触れようとしたのです。僕の右手は空をつかんで、予想の出来る落胆に、僕は微笑み息つきました。

 「ふふふっ。」
 突然後ろで声がしました。
 「私(わたくし)と、同(おんな)じことをなさってますね。」
 
 聞き覚えある声でした。
 澄んで気高く柔らかく、野の朝風の気配のように、霧をわずかに含む声。
 
 僕は驚き振りむいて、そこに彼女を見たのです、僕の全てを支配する、カリーナ姫の清い姿を。
 カリーナ姫は白い寝巻の、上に浅黄のマントをまとい、僕の為、僕だけのために微笑んで、確かにそこにいたのです。
 姫は確かにそこにいた。
 僕は驚き一瞬後に、昔のオメガのやり方で、首(こうべ)を垂れて敬礼しました。
 望外のこの幸運に、僕は心臓掴まれて、優しく撫でてもらってるよう。顔にはぱっと血が上り、だけど暗くて姫様に、それとはきっと分からない。
「あらまあ、そんな、よいのです。こっそり抜けてきたのですもの。無礼であるのは私(わたくし)の方。不躾に、不意にあなたに声をかけたは。」
僕は何にもしゃべれません。坂道よりも強い動悸が、息を乱して苦しいくらい。

「あなたもお星が好きなんですの?」
姫は質問したのです、この僕に、僕だけに向けて尋ねたのです。

「ええはい…。」
僕はそれしか言えません。
話さなくてはならぬこと、それこそ一つじゃありません。
僕が彼女を想っていること、一緒に逃げたいそのことと、後それからほか沢山あって、義務ではなくて話したいこと、語り合うのを夢見たことも、数えきれない星の数。
けどいざ姫に対峙して、口から出せるはこの程度。やはり自分はテンロウが、小馬鹿にするよう小僧でした。
自分の思いも言葉に出来ない、青くて苦い青二才。

「ところでお星は掴めまして?」
姫は尋ねて言いました。
「え、いいえ、掴めるはずもありません…。」
僕は答えて言いました。姫が意図することが何かを、僕は全く解すこと無く、ただそのままを言いました。
「まあ諦めて賭けたのですか?私(わたくし)ならば八割は、星を掴んで願い叶うと、半ば確信していましたよ。けれども私も同じです、星は掴めませんでした。」
どうやらオメガの迷信は、星を掴んで捕えたら、願いが叶うと説いているのか。

僕は必死の勇気を奮い、姫に尋ねてみたのです。
「一体何を願ったのです?」
僕の声音はひっくり返り、その緊張と情熱で、不自然なほど間が抜けてます。
姫はそれには拘泥しません。僕を笑いはしませんでした。

姫は一瞬沈黙し、失言だったか不安になって、僕が非礼を詫びようと、頭を下げるその時に、姫は微笑み言いました。
「笑いなさるな、私(わたくし)は、私(わたし)は死にたくないのです。」
僕の心に痛みが走り、あの晩この目で見たことが、姫の言葉がありありと、頭の中をめぐります。
今目の前のカリーナ姫と、絶命する日のこの姫が、頭の中で交錯します。
今目の前で樹木の様、すっくと立ったカリーナ姫と、血だまりに、崩れて伏した彼女とが、僕の頭で点滅します。
彼女は言葉を続けたのです。

「誤解を解くため言いますが、怖い訳ではないのです、死してのち、良き後の世に生まれ変わるよう、善行ばかりを積んでます。
永久に安くは暮らせるはずです。それよりも…。」
姫は言葉を止めました。思いの強いそのあまり、言葉にしにくいことなのか。

「やり残すことがあるのですね…。」
僕は思わず言葉を続け、自分の口に驚きました。自然について出てきたことです。姫の気持ちに寄り添って、僕は想いを同じくしていた。
言ってしまって、その後で、余りの非礼に真っ赤になって、僕は必死に頭を下げます。
姫がわずかに驚いて、真新しいもの見るように、僕のつむじを見つめてるのが、清かな気配で知れました。

姫は優しく言いました。
「あなたのおっしゃる通りです。やり残す、望みがここに燃えてるのです。頭を上げてくださいな。」
僕が頭を上げた時、姫は左の胸の上、手のひらを当て、空を見ました。
姫の気高い横顔の、後ろに星が瞬きます。高い鼻梁のその線に、白い光が映ります。

「私(わたくし)は、この城の外を知りません。生まれて一度も出たことが無い。出るときは、私がお嫁に行く時と、固く信じておりました。
 この外は、私の父なるオメガの王が、全てを所有していると、フォーマルハウトの御神が、それを確約していると、無心に信じておりました。」
姫はそう言い間をおきました。息をつきつつ痛む心を、鎮めようとする沈黙か。

「しかし半年ばかり前、カフらがやって来てからは、私の世界は揺れました。彼らは強い未知の兵器を、使い我らを圧倒します。
オメガの大地は世界の全て、フォーマルハウトは世界の根源、堅くそれらを信じていたのに、全てが覆されたのです。
正直彼らは好きにはなれない、オメガを軽んじ侮って、憎しみさえも思います。
しかし同時に知ったのです、我らは世界の全てではない。我らが価値は普遍ではなく、同時に多くの神がいること。
私は見たいと思いました。世界の全ての有様を。
何百日も航海し、それでも果てが見えぬという水、大海原の先の方には、遥かな多彩な国々が、無数に広がり続いているのに、私は生まれたこの城で、ただここだけしか知らぬのに、むなしく果てて終わるかと、考えただけで悔しくなって。」

姫はそう言い黙りました。
ああこの様に思っていたのだ、僕の大事な姫様は。あなたの気持ちは良く分かる。僕もこの前死にたくないと、そう思ったこと思い出し、心の底から共感します。
僕はあなたと同じ方を向き、同じ答えを見ているようです。僕らは同じ星座を目指し、そこへ歩いて行こうとしてる。

 僕も彼女に言いました。
「僕も死にたくありません。こんな半端な自分のままでは。」
姫は微笑み振り返り、僕に尋ねて言いました。
「あなたもそれを願ったのです?」

僕は答えて言いました。
「僕は願いを掛けたんじゃなく、ただ掴めそうと思ったからで。
なんて明るく清明で、果ての知れない星空だろうと。この地に来るまで見たこと無かった。それがただただ珍しく…。」
「星の降る夜を見たこと無いと?あなたはどこからいらしたの?遠っ国からの客人か?」
カリーナ姫は問いかけました。それに興味があることを、示した言葉の抑揚でした。

「ずっと北から来たのです。カフの国より遠い国です。」
カリーナ姫は目を丸くして、僕に二足近づきました。僕の体が熱くなります。
「カフの国より遠い国!大海を、大きな水を大きな船で、越えてここまで来たのですか?」
「いいえ、船ではありません。飛行機に乗って飛んできました。」
「飛んでですって!飛行機と言うはなんですか?」
僕は瞬間考えて、とっさにこのよう言いました。
「大きな鋼の鳥ですよ。」
「鋼の鳥で!」
姫はきょろきょろ見回して、僕に尋ねて言いました。
「それは一体どこにあるの?あなたはそれを操れるのか?」
「それはここにはありません。遠くまで、発着できる施設に行かなきゃ、それに乗るのは叶いません。」

姫はとっても残念そうに、本当(ほんと)に心底残念そうに、ため息ついて言いました。
「それはここには無いのですか?残念ですね、見てみたかった。乗って遠くに行きたかった。」
僕の胸にはむくむくと、希望が育っていったのです、彼女を連れて帰ることへの。希望というより邪心というのか、とにかく勝手な望みです。僕の気持ちははやります。
それならば、僕が故郷(くに)まで誘ったら、彼女はついてきてくれるのか?
いいやそれでは先走り!僕は必死に自分を抑え、姫に尋ねて言いました。

「あなたは自分が担がれて、僕がでたらめ言っていると、そういうことは思わないのか?」
姫は優しく僕を見て、明るい声で言いました。
「言葉に嘘は感じない、騙すのだったらもっと巧妙、洗練された言葉を使う。あなたにそれはありません。
それにあなた、たとえ嘘でもよいのです。この王城に押し込められて、ここしか知らない私に夢を、外の世界と繋がる夢を、聞かせてくれた、そうでしょう?」
姫はそう言い笑いました。僕は新たに知りました、彼女が気丈なだけでなく、優しい方だということを。
僕が恥じなどかかないように、おおらかな答え出して下さる。こういう遊びの心持も、きちんと備えているかただ。
僕の心に宿った炎は、ますます油を注がれて、手を付けられなくなるまでに、その勢いを強めます。

「北の方ではどうして空に、星がこれほど明るくないのか?」
姫は無邪気に尋ねました。
僕は必死に自分を抑え、聞かれたことに答えます。しっかり心を押し付けて、おなかの底につけてないと、僕は勝手に舞い上がり、分別無いこと言いだしそうです。

「それは地上が明るいからです。地上の光が強すぎて、星が光をそがれるからです。
かの地では、ただ広々と街が続いて、街路上にも明かりがあって、街と街とをつなぐ道にも、数珠つなぎの様灯りがあります。
街もなかなか眠らない。不夜城なんて言葉もあります。一晩中もやってる店や、自販機なんてものがある。それらすべてが明るいのです。
一方で、人家がまばらで少ないとこは、星の明かりが見えますが。」
しっかり押さえていたとても、僕の心は舞い上がり、五割り増しほど饒舌です。

僕の瞳は潤んでいるか、それが姫には見えるのか?気づかれるのは恥ずかしい、だけど分かって欲しいのだ!

姫はますます目を丸くして、僕の言葉を聞いていました。
「道の灯りは誰が灯すの?」
僕は必死に説明します、姫にも理解の出来る言葉を、必死に選んでしどろもどろに。
「雷と、同じ力で時間が来たら、一気に光を流すのです。」
「自販機と言う物は何?」
「水とかお茶など商品を、人を使わず売ってる箱です。」
「どのようにそれを買うのです?」
「お金を入れる穴があって、お金を入れてボタンを押して、するとごろんと出てくるのです、売り物の入る金属が。」
姫はますますのぞき込み、とっても不思議と言うように、僕に尋ねて言いました。
「お金を箱に入れるのですか?人も使わぬその箱に。泥棒などは来ませんか?」
僕は答えて言いました。
「たまにあります泥棒が。すごいのになると箱もろともに、車に積んで奪ってきます。」

姫は弾けて笑いました。僕が初めて見る顔です。この南天の夏星の、色合いの様眩い笑顔。
「あなたの国の神々は、地上があまり賑やかで、眩いばかりの『星の床に』、永久の栄えを感じるのでしょう。」

『星の床』、テンロウが言ったそれと彼女は、同じ言葉を言いました。
僕は驚き尋ねたのです、意外な時に聞くそれに。
「『星の床』って一体何です?」

姫は笑顔で答えました。
「『星の床』とは地上のことです。私(わたくし)たちの間では、人は星だと教えます。人は一つの星であるのです。
天上におわす神々は、地上に人の星明かり、眩いばかりに見ておいでです。
それはどんなに小さくたって、生まれたばかりであったって、その魂の燃える強さで、必ず神の眼には届く。老いさらばえた老人でも、悪人ですら星なのです。
神々の、目から見たなら地の上にこそ、星が光っているのです。」

僕はなんだか肩透かし、食らった気分になりました。テンロウは、思わせぶりに僕をからかい、適当なことを言ったのでしょう。
確かに地上が『星の床』なら、あいつがいるのも僕がいるのも、等しく『星の床』なのだから。

「僕もお星であるのでしょうか?何だかあまり光ってないが。」
僕は弱気な心持、自信のないこと言いました。「あの子」の呪いが奪ったものと、その言葉とがリンクしました。

姫は弱気な僕の言葉に、母のごとくに言いました。
「人の光もそれは自分で、感じることなど出来ぬと言います。
たとえあなたが分かってなくても、あなたの大事な人々は、きっと感じていることでしょう、あなたの命の星の輝き。」

カリーナ姫はそう言いました。僕の斜めの前に立ち、ほの白い星に照らされて、ぬるい夜風に髪およがせて、夢から切り取り出てきたように、確かに僕の前に居ました。
姫は確かにそこに居た…。

彼女は僕の光です、煌めく眩い一等星。
どんなに不純な想いでも、光に憧れ祈るなら、罪は減刑されないか?
光を無くしたこの僕が、自分の光を消してでも、彼女の光の続きを願う。
このままで、ここ僕の前にずっといて!
この星空が消えないように、朝日の永久に昇らぬように。
彼女が命を散らすはず、今日という日が始まらぬよう。

それなのに…。
姫が小声で言いました。
「あらいけないわ、カノープス様、彼があそこで見ているわ。」
僕の小さな楽園は、その終焉を迎えます。
楼閣の、一等上級王族の、住まう区画の窓からは、先ほど祈祷に来たはずの、あの呪術師の老人が、忌々しげに見ています。

「誤解をさせないそのうちに、私はお暇致しましょう。さよなら異国のご客人、機会があったらまた会いましょう。」
姫はそう言いマントのフード、目深にかぶって駆けだしました。そうして城の城郭の、入口の中に消えました。
上を見やればカノープス、その呪術師の姿も消えて、窓の明かりも消えました。

一人残ったこの僕は、姫の名残に酔ったまま、黙ってそこに立っていました。
相も変わらず星たちは、今にも降ってくるかのようです。
真夏の恋に生きている、虫は命を歌います、僕も同様歌います、声には出さず、反芻します。
ぬるい微風は姫の香りを、まるでそっくり写したように、花の香りを運びます。今までないほど芳しく、清楚で気高いその香り。
闇に沈んだ見えない花は、きっと真白に違いない、姫の花弁と同じよう、きっと混じりけない白だ。

僕は勝手にそう決めて、ただその場所に立っていました。
時が経ち、徐々に段々星が角度を、変えて朝日に薄れゆくまで、ただ黙ったまま立っていました。


翌日は、その分僕には地獄でしたとも。何しろ一睡してません。朝食を、かき込んだ後の労役は、寝ずの体に辛過ぎました。
昨日は演技で貧血を、起こしシャウラと話したが、今日はほんとに貧血で、休む運びとなったのでした。

外見だけなら昨日と同じく、ヌンキさんに肩を貸されて、僕は日陰に移動しました。神殿脇の木の陰に。
「坊主、お前は寝なかったのか、ちゃんと休めと言ったのに。」
ヌンキさんはそう言って、僕を木の葉で扇ぎました。

「面目ないですヌンキさん、でも本望です、幸せです。恋する人とひと時であれ、親しく口を利けたのですから。貧血ぐらい安いものです。百回だってなってやる!」
ヌンキさんは呆れたように、肩をすくめて見せました。

「誰が一体誰を好きなの?こういう話、あたし好き。」
突然少女の声がして、僕らに割って入って来ました。
真っ赤な髪をしたシャウラ、あおむけに寝た僕の頭の、真上に顔を突き出して、好奇の心に弾んだ瞳で、僕を見下ろし声掛けました。
 微笑み浮かべたその顔は、光を背負い逆光で、ちょうど昔の絵画のように、影に縁どられています。

9 暗転

 「いや、シャウラ…、それは勘弁してくれよ…。」
 僕はたじたじ言いました。
 「あたしの名前、知っている?あなたとどこかで会ったっけ?」
 シャウラはやっぱりそう言いました。僕の方では何回も、会って話しているせいで、知り合えている気になっているが。やはり彼女は僕を知らない。

 「ねえ教えてよ、教えてよ、教えてくれたらその貧血を、今すぐぱぱっとと治してあげる。」
 シャウラはそう言いにんまりと、口をつり上げたのでした。いとけのないその表情は、真夏の風に踊ります。
瞳は星と輝いて、頬は朱の赤艶めきました。彼女の好奇の感情が、つむじ風でも起こすという様、それは空気を動かす笑みです。
 考えたなら、無理ないことです。この年頃の少女なら、一番好きな話題です。恋に恋する年頃ならば。
 
僕はやんわり抵抗します。
 「駄目だよシャウラ、言えないよ。」
 ヌンキさんも言いました。
 「お嬢ちゃん、こいつを勘弁してやって。言わない方がこいつの為だ。」
 シャウラは胸に腕組みました。強い瞳を聡く光らせ、しばらく何かを考えて、やがて言葉を発しました。
 
 「分かった、きっと、高貴な方ね。お城におわす貴婦人の内、一体どなたであるかしら?
 ミアプラキドゥス、リゲル様、ピーコックの姫様にアトリア姫様、アンカ様、分かったあの方、四の姫、エータ・カリーナ姫様ね!」
 シャウラはまるで敵の首でも、獲ったかのよう勝ち誇り、高く宣言したのです。

 僕はあっけにとられました。上手く誤魔化し煙に巻き、言葉を濁せばよかったが、うっかり狼狽声無くし、ただただ詰まって青ざめました。ヌンキさんも同様です。
 
ああその時のシャウラといったら、なんと表現していいか、一種異様な凄みを持って、自分の推理が見事なまでに、図星をついたその結果、僕らを無言にしたことに、勝ち誇る笑みをころころと、天に向かって投げかけました。
それでもその目は全くに、笑っていなどしませんでした、僕らに見えない何物か、強く激しく捉えた瞳。
碧い瞳が僕の心臓、光の刃で貫きます。今まで騙したその刃、その鋭さに僕は命を、危うく差し出すとこだった。

僕の背筋は冷たくなります。
 光の中のその顔は、色濃い影に縁どられ、今まで光が勝っていたのに、陰りが反転するように、僕の瞳に突き刺さる。
 渦巻が、再び彼女を中心に、訳の分からぬ磁力を込めた、渦巻がそこに起こります。
 その渦巻きは頭曇らせ、訳分らぬまま当惑に、僕を巻き込み翻弄します。暗くて深い谷底が、僕の行く手に覗きます。
 
「どこで会ったのお兄ちゃん、そのなれそめを教えてよ。身分からして禁断の恋!戦の迫るこの城で、二人に何が起こったか!
 果たして二人の行く末は?明るい未来は訪れるのか?風雲告げるこの城で!
 ねえねえあたしに教えてよ、一体どこを好きになったの?そしてこの後どうするつもり?」
 明るい声とは裏腹に、得体の知れぬ謎を宿した、まるで人ではないかのような、碧い緑の瞳光らせ、シャウラは僕の腕の脇、頬杖ついてしゃがみます。

 僕は再び怖れます。一体何がどうというのか?ただ小娘の好奇心。
 先ほどまでと同様に、無邪気で明るい表情で、利発な物言い、弾む声、人によってはそう見えるのか?
 僕は訳なく怖れます。闇を怖がる子供のような、理由も道理もない怖れ。
 
「僕に一体何が出来ると…。」
 僕は言葉を濁します。僕らが企む計画は、誰にも知られちゃなりません。 しかしそもそも計画だとは、言えぬ計画なのですが。

 「一体どこを好きになったの。」
 有無を言わさぬ威厳をもって、シャウラが僕に問うたのです。
 シャウラの瞳は教師のように、はたまた姉であるかのように、僕に答えを強制しました。

 「あの方は、太陽の方を見ていたのだよ。滅びに雪崩れるこの城で、一人未来の方を見ていた…。その気丈さが心を射抜いた…。」
僕はぼそぼそ言いました。

一体何で彼女の問いを、退けることが出来ないか、今思っても解りません。
浮気を告白させられるよう、都合の悪い真実を、白状させる全ての女性が、行使する訳の分からぬ力、彼女は僕を屈服させます。

シャウラは答えに納得しました。満足そうに僕を見下ろし、唇の端を釣り上げて、瞳は大きく開いたままで、吐息のように言いました。
「一体何が力を持つか、何が場面を打開するのか、人の心は分からぬものね。」
「君は一体何を言ってる?」
傍らに座るヌンキさん、当惑しながら言いました。
僕も同様当惑し、シャウラの瞳をのぞき見ました。全ての磁力の中心が、そこに籠っていたのです。彼女が磁場を支配する。

シャウラは艶然笑ってました。熱し始めた空気の中で。ぬるい微風に髪そよがせて。齢に似合わぬ大人の微笑み。物寂しいすらあるほどに。
微笑み僕らを見つめた後で、シャウラはこのよう切り出しました。
 「そしてこれからどうするの?どういう道を選ぶのかしら?」
 「僕には何もできやしないよ、君も解っているだろう!」
 僕はどんどん怖くなり、振り切るように言ったのです。怖れる理由は思いつかない、ただ本能で怖れます。
 「お兄ちゃんには何でもできる。他の皆(みんな)に出来ないことを。」
 「一体どうしてそれを知ってる!君は何でも知ってるのか!」
 シャウラはそれには答えずに、こう質問を投げました。

 「姫をお連れし逃げるつもり?そうでもしなきゃ結ばれないわ。」
 シャウラは僕の核心を、そのままずばりと突いたのでした。

 僕は心で言いました、彼女を連れて逃げたいと。もちろん言葉にしませんでした。ただひきつって眉を寄せ、困った顔をしただけです。
 
 いかなる力を使ったか、何の呪術の効力か?僕の望みを読み取って、シャウラは僕を誘いました。
 「カリーナ姫をお連れして、逃げたい、それならこのあたし、協力をしてあげなくもない。」

 僕らは一瞬あっけにとられ、そのまましばらく固まりました。
 「冗談ならば、穏便に!君が関わることではないよ!」
 「嬢ちゃん、自分が何言っているか、分かって物を言っているか!」
 僕らは躍起に言いました。僕らが企む件からは、心をそらしてもらえるように、必死に言葉を尽くしました。
 
 理屈では、僕が彼女を怖れるなんて、全く非合理極まりない。体格、力、性別、年齢、全ての面で僕の方(ほ)が、力を持っているはずです。
 それなのに、シャウラのことが怖かった、ただ純粋に怖かった。こんな小さな小娘の、シャウラのことが怖かった。
彼女が何か、得体の知れぬ、力の手先であることに、僕は初めて思いが至った。
それがどういう結末を、良くない方に持っていくのか、僕は恐怖し望みます、彼女の目から逃れることを。

 「一から十まで分かっているわ。冗談なんて言ってない。それよりあなたよお兄ちゃん、心を決めるの?臆するの?
 もしもあなたが勇敢ならば、あたしは持てる呪力の限り、協力をしてあげるわよ。でももしあなたが臆病に、吹かれ彼女を投げ出すならば、その時ならば関わらない。
でも考えて、何もせず、流れに任せるそれならば、安全、だけど、結ばれないわ、お兄ちゃんと姫様は。」

シャウラはがばりと起き上がる、僕を上目でのぞき込み、訳の分からぬ威厳に満ちて、碧く輝く緑の瞳で、僕を誘惑したのです。

僕は判断できません。頭が全く痺れた様に、上手く回って働きません。
隣に座ったヌンキさん、やっぱり顔をこわばらせ、当惑しながらシャウラを見ます。

 「もし仮に、君が協力したのなら、何割ぐらいで成功するの?」
 僕はシャウラに問いました。自分の言葉に驚きました。僕の心に毒が効いて、予定と調和の世界から、足がずれそうだったのです。
 
「坊主あんまり危険だぜ!自分らのことも考えろ。俺と兄(あに)いも脱出すること、それも覚えておいてくれ!」
 ヌンキさんが諭します。僕は危うく踏みとどまって、言葉を引っ込め黙ります。
 
「お兄ちゃんたち、逃げたいの?戦の迫るこのお城から、あの優しそうなおじちゃんと、そろって脱出したいのね。」
 ヌンキさんが蒼くなり、自分の額をたたきます。
勝って誇った戦士のように、シャウラが胸を張りました。
その表情は先ほどと、ほとんど変わらぬ無邪気さでした。でも僕ならば間違わない、彼女は破壊をもたらすものです。僕らの無事を破壊して、城の秩序も破壊するのだ。

「君は密告するのかい?君の師匠の呪術師に。」
僕は茫然尋ねました。舌の付け根も痺れそうです。

「どうしてあたしがそんなこと?」
シャウラは明るく笑いました。
「四人そろって逃げればいいわ。あたしにかかれば簡単よ!」

ヌンキさんと目を合わせ、僕は当惑したのです。理由が全く知れません、彼女が協力する理由。
もしかして、ただの少女の気まぐれなのか?いいやそれならこの僕は、これほどまでに恐れない。裏側に、危険な意図を隠し持ち、シャウラは僕らを誘惑するのだ。

「君の師匠になんて言うのか?許可などもらえるはずもない!」
僕は再び慎重に、その誘惑に抵抗しました。
「お師匠様など知らないわ。あの方は、あたしの全てを縛る訳じゃない。未来を選ぶ権限は、あたしの方こそ持っているのよ。それを使って何が悪いの?」
シャウラは胸を張りました。四五キロも無さそな体。そこに暴力的なほど、強い力がみなぎって、シャウラの瞳は圧倒します。得体の知れない強い光で。
その光に、僕の瞳は眩んだようです。どうやら今度は確実に。

「カリーナ姫も連れて行くこと、それがあたしの条件よ。三人だけなら勝手にすれば。」

一体どういう了見か、シャウラはそのよう断言しました。

ヌンキさんは目をむいて、口を開けても声は出ません。
僕の心はふらつきました。自信も所在もありません。だが確実に傾きました。
危険であるのは百も承知。それなのに、シャウラの魔力を信じかけます。全てを依ってしまうくらいに。
シャウラが言った条件が、余りに僕に好都合だから?すっかり僕のサイズを測り、オーダーメードをしたように、うってつけという提案だからか?
しかし僕でもその場では、はっきり返答することは、度胸が湧かないことでした。
「兄(あに)いに相談しないことには…。」
「カウスさんにも聞いてもらおう…。」
僕らはこの場にいなかった、カウスさんに頼りました。彼なら一体何を言うか、もしかしたなら慎重に、誘いに乗るのをためらうか?

「あのおじちゃんがまとめ役なの?彼の意見が強いんだ。でも知っててね、お兄ちゃん、どう判断をしたとこで、取るべき道は一つだわ、そこは全く変わらない。」
シャウラは瞳を見開いて、僕らを見上げて念押しました。自信に満ちた物言いでした。

僕なら恐れと狼狽で、何にも言葉が出てこずにそれでも強いシャウラの瞳を、そらして見ることできません。
シャウラなら、確かにそれが分かったでしょう。彼女が獲物を見逃すはずない。とても満足した様に、僕の瞳を一度見た後、くるりと背中を向けました。

「じゃあ待ってるわ、お兄ちゃんたち。あたしはお昼になるまでは、この神殿にいるからね。」
シャウラはまるで友達と、約束事を交わすよう、全く気楽な言い方で、僕らにそういい促しました。
「面白い返事待っているから。」
そう言い彼女は悠然と、神殿の中に入りました。何も気にせぬご機嫌で。
その足取りは軽いもの、散歩ついでと言わんばかりに。全く迷いもないままに、全く恐れもないままに、太陽すらも落とせると、驕っているかのような気分で。

僕はショックで貧血が、どうやら治った様でした。
今まで猫だと思っていたのが、実は本当(ほんと)は豹だった、そういうような心地です。
太陽が、黒い陰りに覆われて、日食に欠けていくように、無邪気なシャウラはその裏の、得体の知れない正体を、僕に一転示したのです。
それなのに、訳も分からず引き付けられます、彼女の示す方向へ。
シャウラの指さす方向に、僕らの未来が依って立ち、成功破滅の如何を超えて、ただそこを目指し渦を巻くのだ。

傍ら歩くヌンキさんは、顔は真っ青青ざめて、頭を掻いて言いました。
「一体どんな悪魔の手先だ!魔女は魔女だよ小さくたって。俺らを破滅させる気か!」

ヌンキさんと同様に、ほとんど同じ意見を持って、僕はシャウラを怖れます。それなのに…、いや、だからなのか…。
僕の血の気の引いた頭に、暗くて深い淵をのぞいて、吸い込まれる様(よ)な誘惑に、傾く気持ちが湧いていました。
「ヌンキさんは臆病だ」
そうとすら僕は思います。
言葉の毒が効いてきて、僕は危うく屈しそうです、訳の分からぬ誘惑に。

勇敢なのか、臆するか。

シャウラの瞳は深く輝き、僕の心に毒を注いだ。
彼女は分かってそう言ったのか?あの方を想う想いの重さ、僕は傾きふらふら揺れると、毒に殺されたがっていると。
分かって僕を誘惑したのか?深い淵ほどのぞき込むのと。
僕の心に効く毒は、その効力を強めます。僕の頭はふらつきます。

「どう判断をしたとこで、取るべき道は一つだわ。」

そうです、彼女の言う通り、何もしなけりゃ何も起きない。昨日と同じ一日が、延々順々続くだけ。打開の道が欲しいなら、何かをしなくちゃいけないのです。

僕の頭はどんどんと、シャウラの誘いに乗る方へ、心を固めていったのです。確かに危険な賭けでした。しかし切なく心は急いて、いてもたってもいられぬほどです。
この一秒の間にも、僕と姫とを結ぶ絆は、引き離されていくかもしれない。早く早く、話を先に進めなくては、シャウラに返答しなくては。
労役の、一息つく間を待つのがつらく、僕は何度も空を見て、そしてシャウラが待つはずの、神殿の方を眺めます。
汗がじりじり落ちてきます、全く昨日と同じよう、強く太陽照り付けて、地表を焦がしていくのです。


一休息のそれを待ち、僕はカウスの兄さんに、この状況を報告しました。
「あの子は本気で言っているのか?本当(ほんと)に俺らを助けると、心の底から約束するのか?あの子はオメガの娘だろ?」
僕らの話を聞いた後、カウスさんが言いました。
「カリーナ姫を連れて行くこと、それがあの子の条件と?一体何の目的で?」
「兄い、俺にも分らない。とにかくあの子は封じた訳だ、俺たちだけで逃げること。
このままあの子の誘いに乗って、カリーナ姫を連れて逃げても、あの子の思惑やもしくは気分で、大きな危険にさらされる。
 とはいえ俺たち三人で、あの子の力を借りずに逃げる、それすら可能と思われない。どっちへ行っても危険が伴う。」
ヌンキさんは言いました。

「俺たちだけで逃げること、確かにそれこそ難しいが、あの子の力を借りたところで、一体どこまで何が可能か、それの保証はどこにも無いよ。」

カウスさんはため息つきます。
「大体彼女は知っているのか?知ってるはずもないだろう、俺たちが、五百年後の人間だって。
この魔の城の外側に、五百年も先の未来が、広がっているそのことも、彼女は知りっこないだろう。第一何で逃げたいのかも、正確な意味で解っていない。
そもそもあの子に可能なのか?安全に、俺たちみんなを脱出させる、そんな奇跡の方法が。」
 僕も同(おんな)じ疑問を持ってる。彼の疑問は僕の疑問だ。それなのに、僕は全く介しません。それを全く無視できます。
 確実性や保証など、僕は全く見ないのです。ただ盲目に信じるだけです。シャウラの訳の分からぬ力。僕らを圧倒するならば、運命だって屈服させる。
 だから僕なら反論しました。数で劣るを知っています。だから理論で固めます。眩んだ頭で理性の言葉を、必死に紡いで出しました。

「可能性ならあるはずです。何もしなけりゃ昨日と同じ。後数時間で姫を説得、そして脱出するために、シャウラの力は必要ですよ。」

 カウスさんも反論します。
「あの子の師匠の爺さんが、許す道理も無いだろう。なんだか彼は嫌な感じだ、どうしてだかは分からないけど。だからあの子も師匠に言わない、きっとそういうことだろう?俺らとあの子が手を結び、何か計画したとこで、あの爺さんが察知できない、その可能性など、あるはずもない!」

「僕らは既に眼を付けられた。昨夜の彼の言葉はどうだ?僕らを野良犬呼ばわりしていた。敵意があるのは明白だ。
もう後ろには進めませんよ。ひたすら前に進むだけ。彼が僕らを潰すなら、それこそ全くあっけない、オメガの最高呪術師ですよ!
祈りの折も、王の傍ら、左に親しく付き立って、儀礼をするのを見ましたよ。
だから僕らが生き残る、それを目指すとするのなら、攻めるべきではないのでしょうか?積極的に行動し、突き抜けてみるべきではないか?
第一このまま何日も、滅びの戦を体験すれば、どの道僕らも長くない。いずれは何かの方法で、命を落とすことでしょう。そう、カノープスの言う通り。」

僕は理論で武装して、二人を脅して言いました。
僕の言葉は一見し、冷静でかつ、勇敢でした。しかし中身の方はと言えば、滾(たぎ)った頭の蛮勇なのです。相も変わらず蛮勇なのです。
僕は必死にそれを出さずに、大胆不敵なふりをした。そうまるであの、テンロウの様。奴なら一体どう言うか、どういう思考を取るのかを、必死に頭で予想しました。

二人は僕の言葉を聞いて、黙って下を向きました。
僕らの意見はまとまりました。
盲目の僕が勝ったのです。

僕らはそうした合意の上で、様々なことを話しました。二人は大体慎重論、僕はシャウラを信用し、大胆なことを主張しました。
そうして僕が勝ったのです。蛮勇の、僕の意見は意外にも、一番理性が勝っていました。理知的に、考え度胸を持ったなら、一番未来がある道でした。

そうしてそれからきっかり二時間、僕らはシャウラと約束の、神殿の前にいたのです。

10 二日前へ

 カウスさんと戸を開けて、肩に重みのしなりを受けて、中をのぞくと祭壇の、ちょうど供物が捧げられる場所、まるで彼女が生贄と、屠られるように見える所に、シャウラがあおむけ横になり、瞳をつぶっていたのです。
 
 彼女は音に瞳開いて、ぼんやり起きて言いました。
 「遅かったわねお兄ちゃんたち。あたしお昼寝しちゃったわ。」
 「何て所にいるんだね!君がそうしてそこにいるのは、俺はとっても肝が冷えるよ。」
 カウスさんが言いました。
 「それはあたしの方じゃない、贄に捧げて屠られるのは。あたしはむしろ儀礼を仕切り、銅のナイフを振る側なのよ。」
 シャウラはけろりと言いました。

 「答えを持ってきたよシャウラ。僕らは君の協力を、仰ぐつもりでここへ来た。」
僕は即座に言いました。
「おじちゃん達も同じ意見?」
彼女は無邪気に聞きました。
「俺もヌンキも同じ意見だ。だがどれほどに分かっているかい?俺らがどうして逃げたいか、ここがこの晩どうなるか、俺らが一体どこから来たか!」
 カウスさんが問いかけました。
 神殿の外で王様が、民らを集め呼びかけるのが、ラッパの音で知れました。群衆たちのざわめきが、潮騒のように響いて来ます。

 「お兄ちゃんたちどこから来たの?近くの村から来たのじゃないの?」
 シャウラは瞳を丸くしました。
 「遠い未来の国から来たんだ。君の生きてる時代から、五百年もの未来から。」
 僕は彼女に言いました。
 五百年?シャウラは小さくつぶやいて、瞳を不穏に潤ませました。
 「この城が、今夜一体どうなるかって?」
 
 「ここはこの晩滅び去るんだ!すべてが殺戮されるんだ!王も王妃も王女達も、全て殺され自害する!あの豪勢な楼閣も、大砲の弾に破壊され、全ての飾りは燃やされて、人々さえも燃やし尽くす。」
 僕はあの晩見たことを、彼女に短く言いました。

 「名誉ある死を!」
 王の叫びが聞こえます。うねりのように民らが返し、外は熱気の渦のようです。

 「どうしてそれを知ってるの?」
 シャウラは静かに聞きました。何かを確認するように、踏みしめるように聞いたのです。。
 「この城は、何百年と繰り返してる、滅びの最後の一日を。僕らはすでに何回も、この一日を繰り返してる。滅び去るのを見てるんだ。」

 「そうか滅びが来るんだね。この晩ここは滅び去る。」
 シャウラはまるで独り言、つぶやく声でそう言いました。碧い瞳に浮かぶのは、寂しく人を超越した様(よ)な、そっけないほど強い光。
 
 「それなら決めた、お兄ちゃん、あたしも一緒に連れてって。ここでこの晩死ぬくらいなら、五百年後に行ってみたいな。それがあたしの条件よ。」
 達観した様(よ)な色を浮かべて、シャウラはあっさりいいました。
まるで自分の使命とか、お役目なのだと言っていた、あの彼女とは別の子の様。まるで手のひら返したように、早い諦めだったのです。

 僕らは顔を見合わせました。目の色で心やり取りし、カウスさんが言いました。
 「それは全く構わないが。それより君は一体どこまで、俺らに協力してくれる?」
 「あたしの持てる呪力の全て。さっきそう言った通りにね。」
 彼女は即座に返しました。祭壇の上に横座り、見上げる彼を威圧します。
 「それはどこまで可能なのか。たとえば俺らが一番に、欲しいのそれは、時間なんだよ。ここが今晩滅ぶのに、十二時間しかないんだよ!奴らが攻めて来るまでには、もっと短く六時間、六時間で何が出来る!すでに警備は厳重で、内から出ること叶わない、隙も様々伺ってるが、作るにしてもそれには時間の、余裕が無いこと明白だ。
 そのうえ君の言うように、姫をも連れてくならば、同意もつけなきゃいけないし。姫と接触する時間、そいつもこの後捻出するのは、不可能だとも言っていい。
 君には俺らにこの一日と、別の時間を得る方法を、与えることは可能なのか?」

 カウスさんは淀みなく、その質問を投げかけました。さっき額を突き合わせ、皆で案じた事柄です。
 シャウラはしばらく黙ったままで、僕らの顔を見てました。何かを計算するように、虚空に瞳をやった後、けろりと笑って言いました。
 「結論言うと可能だわ。」
 僕らは希望を付けられて、うなずきながら見合わせました。

 「ここがこの晩滅びるならば、その運命は変えられないけど、今日より別の時間が欲しけりゃ、過去に戻ればいいんだわ。
あたしは星を過去に戻して、お兄ちゃんたちを過去に送る。昨日だったらこんなにも、警備は厳しくないんだし。隙を探せば逃げられる。
姫と接触したいなら、一昨日に行けばいいはずよ。一昨日の晩あの方は、この裏手にある果樹園で、星を求めていたことを、侍女さんたちが言っていた。」
シャウラはそう言い訳ないと、自信に満ちた様子です。
彼女があんまり簡単に、言うので僕らも容易いと、そう思いながら言いました。

「過去に戻ったその後は、一体どうすりゃいいだろう?」

「それはそっちで考えて。これから決めればいいじゃない。」
シャウラは即座に言いました。僕らに丸投げしたのです。

「それでもそれじゃあ確実性が、全くあてにならないぜ!ただ丸二日うろうろと、城をさまよう羽目になる。具体の策をくれないか。」
ヌンキさんが言いました。

「過去のあたしに協力を、仰げるようにしてあげる。この首飾りを持って行って、今日のあたしの証のために。
未来のあたしがこう言ってたと、『この人たちの言う通り、脱出するのを手伝って、それもあたしのためになる』って、そう伝えればいいんだわ。
過去のあたしは未来を知らない、だけど同じあたしなら、きっと判断同じはず。同じ未来を選ぶはず。」

 シャウラはそう言い首から下げた、瑠璃の髑髏を渡しました。
 それはずっしり重たくて、シャウラの発する謎めく気配が、まるで熱でも込めた様、宿っているよう思われました。
言い換えるなら彼女の分身。それを僕らは受け取ったのです。もう後ろには進めない。僕は自分の約束の、重みを肌で感じたのです。

 「それじゃあ簡易で始めるわ。捧げる贄が無いせいで、一昨日よりは戻れないけど、そう日を増やす必要ないわね。お兄ちゃんたち、中央に。」
 そう言いシャウラは僕らを促し、祭壇の前に描かれた、床の模様の中央に、僕らを寄せて立たせました。

 民らの叫びがうねりのように、ここまで響いてきています。
 
彼女は丸いランタンに、壁に備えた灯りから、手早く炎を付けました。更に常備の明かりを消して、六つの隅に開いていた、採光窓を閉めました。
 外から漏れ来る明かりが絶えて、彼女の掲げるランタンが、天井に描く光はまるで、星空であるようでした。それは微風にそよがれて、ゆらりゆらりと揺れました。
 まるで本当(ほんと)の星空が、瞬くごとく揺れました。

 「九つ祭る星々よ 再びの時を与えたもう これなる三つの星々を 王の美星の中心を 十を五つで割りし周りに 血を一滴も損なわず 逆の回りに回転させん
 フォーマルハウトよ戻らせたもう 西に登りて東へ沈め
 贄には土の祝福を 受けたる美酒と我が髪を 大マゼランの指名を受けし 我が茶色なる歌声を
 三つの夜明けと三つの日暮れ 三つの正午を与えたもう」
 
 シャウラは唱えて舞いました。
 祭壇脇に置かれた酒の、土甕の中の酒を振りまき、髪を一筋千切り取り、裏声を出し歌います。それに合わせてくるくると、回転しながら舞いました。
 シャウラの舞と歌声は、原色に錆びた神殿を、爽やかな色に変えました。映る光はまるでさっきと、別の命を得た様に、異様なほどに輝きました。

 やがて輝き増した光の、天井の星は幾筋の、光にかすれて周りました。
 頭が持っていかれる様な、強い力のぶれを感じて、僕は体を固めました。
 これならまるであの時です、日付が変わる時の感覚、この一日が終わるとき、何度か感じた感覚です。

 やはり世界はひび割れて、その隙間から強い光が、熱を持たない青い光が、溢れて視界を覆いました。


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 「よう坊主、意外な時に来たもんだ。」
 奴は楽し気言いました。
 そうです彼です、テンロウです。僕をからかいけしかける、何を狙っているのかも、本心知れぬテンロウです。

 「益々混迷深い顔だな。瞳と額が渦を巻いてる。惑わす女が現れたのか?」
 彼はやっぱりからかうように、僕に軽口たたきます。
 「僕にはカリーナ姫しかいません。彼女が惑わすなんて無いです。」
 僕はぴしゃりと言いました。
 しかし半分当たってました。シャウラが僕を惑わせる、愛や恋とは言わないまでも。
あんなに小さな少女の魔力に、僕の理性が狂ったことを、テンロウにだけは見抜かれたくなく、僕は虚勢を張りました。
 迷いの深さに比例して、僕は冷静沈着な振り、全て覚悟を掛けた上、理性で決断した振りを、テンロウに見せてやろうとしたのだ。

 見せかけの、理性はしかし、本物の、理性のかけらを与えます。
 タイムアップが来る前に、今日こそ何か情報を、僕らに有利に働くことを、聞き出したりなどできないか?僕は頭を巡らせます。
テンロウは、賭けに障りがあることは、話さぬことを決めている。しかし障りのない事柄なら、話さぬわけでは無いかもしれない。
どんな些細な事柄も、僕らの力にならないか?僕は見下ろすテンロウに、こういうことを持ちかけました。

 「テンロウさん、あなたが賭けをしていることは、この前話してもらったが、僕もいろいろ考えた。あなたと取引しようと思う。
あなたの賭けに有利にことを、僕らが行うその代わり、もっと話を聞かせてほしい、情報が、ともかくそれが欲しいんです。どうか受けてはくれないか?」

テンロウは、困ったように笑いました。
そうして首を横に振り、こういうことを言いました。
「俺にはそれは障りとなるさ。この城は、いわば小さな箱庭だ、そこを動かす人形が、ここの住人、そういう訳だ。
俺は決して干渉できない、その住人の選択を、お前や仲間も含めてな。だからこういう所に一人、こうして座っているんだよ。」

僕は必死に食い下がります。ただではここから戻らない、きっと成果を得て見せる。
「それではあなたは求めるものを、ただ黙ったまま待っているのか?
男の武器は実用性だ、あなたは僕に言いました。そのテンロウがここで黙って、自ら何にもできないことを、どうして甘受するのです?」

テンロウは再び首を横に振り、苦く笑って言いました。
「それでも俺は賭けたのさ、うまい勝負じゃないと知り、確率低いの分かった上で。
それに俺なら知らないよ、ここに住まった住人たちが、一体どのよう動くのか、ここでは見ること叶わない。顔も名前も解らんよ。俺に聞くのは見当違い。」

僕は一瞬茫然と、言葉を失い黙りました。しかしすぐさま気がついて、彼に向って発しました。
「それではあなたは六年も、そう六年もここに黙って、ただ座っているだけなのですか?奥さんの、あなたの言ってた奥さんのため?」
「そうだとも。」
彼は短く言いました。そう言い溜息つきました。

「ここでは時間が圧縮される。反対に、俺の寿命は引き延ばされる。だがそれにしても長いもの。
そうだな障りにならぬ程度で、一つ教えてやろうとも。お前らの他、今生きている人間が、この城の中にいるということ。」
僕は希望に火がついて、瞳をパッと上げました。

「それは一体どういう人です?男性ですか?女性ですか?一体どういう立場の人です?」
「そこまで教えられないが、だけど用心するんだな。奴はお前を歓迎しない。消極的に消しにかかるよ。」
僕の頭に瞬間に、あの呪術師の顔が浮かんだ。
「その人の名は、カノープス?」
僕が叫んだその刹那、光はひび割れ砕けました。タイムアップが来たのです。今度は大分早いお別れ。
「また次にしよう、プロキオン。」
からかい半分テンロウが、僕に向かって手を振ります。

「僕はそういう名前じゃないです!」
僕は苛立ち叫びました。
聞きたいことはもっとずっと、大量にあるはずでした。上手く振舞うためだけじゃなく、彼とじっくり話したいとも、その時僕は思ったのです。
一体どういう情熱を、持ったら丸々六年も、一人で座っていられるのか。僕のカリーナ姫に対する、思いと比較をしたとこで、すごいことだと思います。
そういう強さを持った男と、心を割って話してみたい、憧れすらも思います。

僕は薄れる光の中で、こういうことを考えました。
もしもすべてが上手くいき、全員そろって脱出したら、テンロウが賭けた事柄も、きっと勝利になるのじゃないか。
彼が賭けてる内容は、案外僕に近いことだと、だから話せぬことが多いと、その時ぼんやり察したのです。
そうしたら、きっとじっくり話す日が来る、僕は楽観したのです。
 今思ったら甘い話で、大体僕らの計画が、上手くいくとも限らないのに。
 無謀な僕の悪い癖です。

11 強い雨

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眩んだ瞳が暗転し、僕は静かな闇の中、草の息吹を感じてました。
「カウスさん、ヌンキさん、そこにいますか?」
僕は小声でささやきました。
「ああいるよ。」
「俺もだ坊主。」
二人もやっぱりささやきました。

僕らは地面をごそごそと、探って場所を確認します。どうやらここは屋外で、星が半分見えてます。
徐々に目が闇に慣れてきて、僕らは厚い葉の草が、茂った城の中庭の、半分ひさしがかかったとこに、這いつくばるのを知りました。

「振り出しは、あの部屋の外になったかな。」
ヌンキさんが言いました。
「出来ればちゃんと屋根がある、所になればよかったけどね。」
「そう贅沢も言ってられない。ちゃんと二日は戻れたのかな?」
カウスさんが言いました。
「あの子の呪力も大したものだ。ここへ来るまで呪術など、ばあさん達の迷信と、頼りになんてしなかったがな。彼女が味方に付いたなら、もしかしたならもしかするかも。」

僕は二人に告げました。テンロウとまた会ったこと。彼の言葉に縛りをかける、賭けのルールと六年も、彼が黙って一人でいること。
この箱庭の城の中、僕らの他に生きている、今生きている人間が、潜み僕らを歓迎せぬこと。消極的に消しにかかると、警告をされたことを教えた。

「僕はそれなら彼だと思う。テンロウに答え聞く前に、タイムアップが来てしまったが。
カノープスという呪術師が、シャウラの師匠のあの老人が、僕らに確かにこう言った。『繋がれてない犬どもがいる』。」
僕は二人にこのように、自分の意見を言いました。
「確かに聞いたその言葉。俺らが迷い込んだこと、知ってる者のセリフと取れる。知ってて歓迎してないと。」
カウスさんも言いました。
「迷い込んだと知っているなら、無事に帰して欲しいもんだよ。俺らに邪魔をする気が起きず、ただうろうろしていたその内に。」
ヌンキさんが言いました。

「生きてる奴がカノープスなら、こういう説明だってつく。
この城が、テンロウ言うよう箱庭だったら、その箱庭を維持するために、この繰り返しを保つため、管理する者必要だ。
維持する術とはこの城におき、呪術以外に無いだろう。呪術に長けてる奴は誰だ?そうカノープスの師父様だ!彼が生きてる人間ならば、何もかもすっと収まりつくよ。」
カウスさんの推察に、僕ら二人は得心し、反射にきっと緊張します。
「彼に警戒しなくちゃいけない。僕らの企み計画を、決して彼には知られちゃならない。彼は僕らにとって最大、最強の敵となるやもしれない。」
背筋を伸ばして僕は言います。

「シャウラについても考え物だ。彼女が師匠に言わない保証、それがどれほどあるのかな?」
カウスさんが言いました。

「あの子は絶対言わないさ。何だかそれが俺には分る。
ここがあの日に滅びると、知ったあの子の顔で分かった。師匠の役割なんてあの子にゃ、飛んでる蚊でも落とす程、ためらい迷いなんて持たずに、叩きつぶしてしまうだろうさ。あの子はそういう娘だよ。」
ヌンキさんがそう言って、煙草が欲しいというように、寂しげ口をとがらせて、吸って吐く振りしたのです。

生ぬるい風が吹いています。虫が必死に叫んでいます。
「何だか風が湿ってきたよ。」
カウスさんが言いました。

「僕の意見を言わせてもらうと、シャウラは信用しない訳に行かない。僕らは彼女が協力しないと、全くアウェーの状態のはず。右も左も分かりませんよ。」
僕はそう言い首降って、カウスさんに信用を、シャウラの信用訴えました。

「あの子の放つ術に乗って、俺らはこの日に来たんだからな。彼女の他に協力を、仰げる人など居ようがないが…。
そうだまず、俺たちでこの二日、一体どういう方向で、計画を練るか考えようか?それにより、何でもいいから策が生まれて、危険なほどに頼らずに、済ませる術を得るかもしれない。」
カウスさんが言いました。

「僕も全くそう思う。一体二日で何をするかを、計画しなくちゃなりません。まず大まかに何か指針を、定めた方がいいと思う。」
僕は二人に言いました。
「一体何が出来るかな?」

「………。」

皆はそこで沈黙しました。どんなに逆さに振ったとて、どういう策も生まれません。
結局ことの頼みの綱は、大の男が三人でなく、小さな少女でありました。情けないことこの上なくも。
「こっそり姫を連れ出して、こっそり逃げるそのために、あの子に頼る道しかないか…。」

僕は思った、シャウラなら、きっと遂げるということを。

一方で、僕には何が出来るだろうか?全てを彼女に任せたら、自分の無力も否定できない。
少し考え僕は思った。シャウラの案には穴がある。カリーナ姫が自らに、僕らに付いて来るのでなくては、この計画は成功しない、攫って行くなど不可能だ。

姫の同意が必要なのです。

僕は思った、確実に、姫の心を手に入れる、この僕の手で手に入れるのだと。
僕の自分の実力で、姫を口説いて落として見せる。
僕は自分の心に誓った、カリーナ姫を手に入れるのだ!

「おやおや何だかお湿りが来た、気付けば空も真っ黒だ。」
ヌンキさんが言いました。

粒の大きい雨が来ました。あの洪水の日の雨と、比較にならないものですが。通り雨より本格的で、この国の夏特有の、ぬるくて強い雨でした。

誰かがこちらへ駆け寄りました。どうやら女性の様でした。少し手前で立ち止まり、僕らに声をかけたのです。
「何をなさっておいでです?お部屋にお戻りならないの?」
霧の冷たい水の粒、微かに含んだ声でした。
カリーナ姫の声でした!

「あいにくここへ来たばかり、部屋が決まっていないのですよ。」
驚きながらもカウスさん、姫に言葉を返しました。
「まあそれならばいけません、お部屋に通してあげましょうとも。私についてきてください。」
姫は微笑み感じる声で、僕らに厚く接したのです。暗くて顔は見えないが、彼女が穏やか微笑んでること、それは声音で分かります。
窓から漏れる灯りを頼りに、僕らは姫へと従って、建物の中に入りました。
ヌンキさんがにやにやと、左の肘で僕を突き、こっそり耳打ちしたのです。
「これって一種の運命か?案外何とかなるかもしれない。」
先ほどからの決意を胸に、僕は必死に胸張って、深く深く息整えました。
今夜の機会はまたとなく、今夜の雨は二度とない雨。
僕は心に言い聞かす、僕は強くて頼れる男、頭賢く勇敢で、女性に上手にその価値を、会話の端で表現できる、そういう男であるのだと。

僕らは姫に従って、黒い敷布の敷かれた部屋に、三人そろって通されました。部屋の明かりに火を灯し、お互いの顔が見えたところで、姫は驚き言いました。
「あなたもしや、オメガの民ではないのですか?」
ヌンキさんが慌てた様子、姫に向かって言いました。
「こいつは確かにオメガじゃないが、だが敵対するわけじゃない。カフの国とも遠く離れた、ベガと言う国の出なんです。それにとってもいい奴ですよ、ちょっとひ弱でありますが。」

「そうですカフとは関係ないです、遠っ国からの客人です。学問学ぶ身分でね、ここまで見分広げに来たのだ。」
カウスさんも付け足しました。

僕は内心焦りましたが、僕が演じる男の設定、それを忠実なぞった笑みで、落ち着き払ってうなずきました。

「まあ大変な時にいらしたのねえ。学びは前に進みまして?」
姫は優しく言って下さり、僕に害意が無いことを、察してくれた様でした。

姫は真っ直ぐ向かいから、少し見上げて僕を見ました。
僕の心は弾みあがって、口から心臓出そうです。その心臓をのどの奥底、はらわたの底に飲み込みます。僕は沈着、僕は冷静、何度も心に言い聞かせます。
ああしかし、そうです初めて真向かいに、姫は見つめてくださいます。
あの晩二人で話した時も、暗くて顔は見えなくて、距離を保って横にいただけ。この距離近くは初めてです。
 「大変学ぶところが多く、毎日とても興味深いです。いくら学べど尽きない国です。」
 僕は必死の笑顔を作り、目に強い意志を込めたまま、姫の瞳を見つめました。

 「まあそうですの、喜ばしいです。」
 姫の笑顔と声色は、微かに戸惑い感じさせ、瞳が不安に揺れました。僕は瞳をそらさずに、会話が途切れて沈黙が、横たわらぬようこう言った。

 「あなたは星を掴もうと、あの中庭に出ておいでだった?」
 「はいそうです。是非とも遂げたい望みがあって。」
 姫の望みは知っています。僕の昨日に聞いたのだ。
それでも露ともにじませません。あえてそのこと尋ねません。
 「先ほど僕も掴もうとした、それでも結局掴めなかったが。あなたは一体どうでした?」
 僕はそう嘘をついたのです。
姫は半歩は下がる態度で、僕に向かって言いました。
 「私も、何も掴めませんでした。自信はあったはずですが。」
 瞳に全ての力を込めて、全ての覚悟と欲望込めて、僕は彼女を見るのです。
僕は庇護する民ではなくて、あなたを愛する男です!

 「あなたは何を望まれました?」
 僕は彼女に聞きました。笑顔を強く保ったままで。
 「お答えするのもお恥ずかしいです…。」
 彼女は言葉を濁しました。恥じらってるのか、戸惑ってるのか。
 渾身の笑顔作り上げ、僕は言葉を尽くします。
「僕の願いは思う女性と、結ばれたいと言うものです。一体ここがこういう時に、軽薄すぎる望みです。いやあ全くお恥ずかしい。あなたは僕を軽蔑しますか?」
 「いいえ全く、違います。きっと素直な方なのですね。」
 姫は僕から揺らぎを染めた、瞳をそっとそらしつつ、少し赤らみ言いました。

 カウスさんとヌンキさん、二人はひっそり気を使い、毛織の布団にくるまって、隅っこの方横になります。

 「とてもとても強い雨だ、僕の国では珍しいほど。」
 僕は彼女に言いました。
 「あなたの国では雨はどんな?」
 カリーナ姫は問いかけました。おのずからという様子です。
 僕には自信があったのです、カリーナ姫が異国のことに、強い興味を示すこと。知ってて卑怯に振りました、こういう会話の糸口を。
 いいや語弊があるようです、卑怯と言うのは当たりません、僕の性根は真っ直ぐで、カリーナ姫の未来のために、それを思って言ったのだから。

 「たまにはこういう土砂降りも、降ります、だけどもたいていは、もっと優しく細かい雨です。
 冬に降る雨は冷たくて、まるで氷の一歩手前で、心の底から憂鬱になります。
春に降る雨は細かくて、花弁のように優しくて、まるで生糸のようなのです。そういう時は濡れたくなります、我が国じゃ、雨も鑑賞物なのですよ。」

僕はそう言い指さしました、黒い敷布の敷かれた部屋の、外壁の外に作られた、小さな露台を指しました。
「この国の雨もいいものだ、少しあそこで雨を見ましょう。」
カリーナ姫はおびえた様に、わずかに眉根を寄せました。しかし僕から目をそらさずに、黙って僕に従いました。

ばらばら雨が鳴っています。露台の向かいの建物の、窓から漏れる灯りがにじみ、暗い雨夜のなかでぽつり、一つ震えて消えました。

「ベガと言うのはどこにあるの?」
 カリーナ姫は聞きました。
冷たい霧を含んだ声が、雨音の中に染み入ります。
「大きな海の向こうです、ここよりもっと北で東の。カフの国とも離れています。彼らの国へは行ったこと無い。」
「大きなお船に乗って来たの?」
「いいえ鋼でできた大きな、鳥の翼に乗って来ました。」
 姫はくすりと笑いました。
「まあ御冗談。」
「冗談などではないですよ。ほんとに空を飛んできました。星と太陽よりは低くて、雲の海より高い所を。
雲海下のこの国の、峻厳な峯は美しく、とても幻想的でした。
夕日が当たるところなど、涙が出るほど素晴らしく、写真に撮ったが機械ごと、丸々盗られてしまったな、あれはほんとに惜しかった。」
僕は真面目に言いました。全て見てきたことでした。
僕の語った現代の、物事はどう聞こえたか、姫の耳にはどう響いたか?

姫は不思議におびえた様で、それでも瞳をそらさずに、僕とは距離をとろうとしました。
問いかける様な笑顔を作り、僕はお願いしたのです。
「あなたは信じてくださいますね。」
姫は戸惑い息震わせて、僕の瞳をのぞきました。
「はい信じます。」
囁くように彼女は言って、そうして瞳を伏せました。
雨音に、そのささやきは消えそうです。
しかししっかり耳に届き、僕の鼓膜は震えるのです。

「私(わたくし)も、鋼の鳥に乗ってみたいです、見上げる神住む山々を、下にこの目で見てみたい。」
「できますよ。あなたであれば必ずや。」
僕は優しく言いました。けれども決意を裏に込め、今殺されるとしたとして、この笑顔だけは崩さぬ覚悟。
姫は瞳を伏せたまま、横にそらして微笑みました。
「それでは私(わたくし)戻ります。おやすみなさい、お客人。」
そうしてぱっと駆け出しかけて、露台から出る間際のところ、吐息を呑んで立ち止まります。

「一つ教えてくださいまし、あなたの名前をお聞かせください!」
姫は小さく叫びました。
「プロキオンです、カリーナ姫様。僕の本当(ほんと)の名前なら、国を出る時教えます。」
僕は笑顔で言いました。

カリーナ姫はおびえた様子、マントの襟をぎゅっと掴んで、それでも瞳をそらさずに、僕を見た後駆け出しました。

雨の勢いますます強く、僕の襟足削ぐようです。跳ねた雫は首筋に、汗と混じってまとわりつきます。
後に残った僕は一人、姫の名残をかぎました。姫のちじれた髪にまとった、花の香油の残り香が、雨の匂いと混じりあい、薄れていくのをかぎました。
ああ彼女は居た、ここに居た、今の今までここに居たのだ!

彼女は見ていた、僕のこと!まぎれもなくこの目を覗き、瞳の色を探りあった!
僕は何でかどうしてか、彼女におびえに満足を、達成感を感じたのです。
彼女は僕を労わらず、彼女は僕を哀れまないのだ!
僕が救って差し上げるのだ、他でもないあの姫様のこと!

部屋に入るとヌンキさん、布団に頭だけ、ひょいと浮かせて言いました。
「坊主今夜はちゃんと寝とけよ。また貧血じゃ話にならぬ。この一日は棒に振れぬ。今日と明日しかないんだぜ。」
「何を一体話せたか?雨がばらばらうるさくて、こっちまでには聞こえなかったが。」
カウスさんも言いました。

「とても言葉じゃ言えません…。」
僕はそう言い横になり、一つ残った布団にくるまり、ヌンキさんのその横に、憂(うれ)いた顔で転がりました。
とても満足それなのに、何だか心が重くて憂(う)いのだ。僕が演じたそのせいか?素の僕ではない僕を演じて、嘘の自分を見せたから?
多分そうではないのでしょう。罪悪感など持ってはいない。僕は満たされ幸せなのです。
満たされた分物憂いのです。幸せな分心苦しい。僕が初めて知る感情だ。

昨夜全く眠らないのに、今日も疲れているはずなのに、なかなか眠気は訪れず、頭は暴走気味でした。
この胸も、頭もすべて彼女のことで、いずれ訪れるであろう、望む未来の事柄で、呆れるほどにに膨れています。
僕は意図して考えなかった。望んだ結果にならないことを。
確率で行けばどう見ても、五分それよりも少ないか、しかし上手くはいかないことを、僕の頭は拒否したのです。

全て思いのままになり、自由になったカリーナ姫と、僕とが手に手を取り合って、ふもとの街を眺めます。
姫は優しく微笑んで、僕も応えて微笑んで、僕のはかない幻想は、そこで途切れてしまうのです。
その先を、僕の頭は予想できない。
シンデレラのハッピーエンド、白雪姫のハッピーエンド、話はそこで終わってしまう。

その先を、すらすら考えようとして、僕は何度も試みて、結果そこに至る過程を、ぐるぐる幾度も繰り返すのです。何度も何度も繰り返し…。

僕の頭の興奮は、なかなか去ってはくれなかったのです。それでもやっと明け方のころ、僕に眠りが訪れて、ぎりぎり遅くになった頃、カウスさんに起こされました。

12 少年シャウラ

「坊主起きろよ、朝飯だ。ぐずぐずしてると喰いっぱぐれるぞ。」
「ここじゃあ大分朝が早いね。俺なんかでも怠け者だ。」
ヌンキさんの声もします。
僕はぼんやり起き上がり、眠い目こすって二人を見ました。逆光に、二人の影が浮かびます。
昨日二人で話した露台の、カーテンのような厚布が、上にあげられ朝の光が、一雨降ったその後の、晴れがましいそのお天気で、僕の瞳を焼きました。

「お早いですね、二人とも。僕はちょっとは寝れたみたいです。」
とても疲れて眠いのに、それでもかなり上機嫌、それでいて僕は一丁前に、憂いた顔で言いました。
「だがもう寝てるわけにいかない。粥が配られ始めたよ。」
「分かりましたよ、すぐ行きます。」
僕は即座に立ち上がり、二人についていきました。

僕の昨日でこの二日後の、朝にお粥を配った場所で、やはり同じ恰幅の、大分よろしい女から、僕らは粥を受け取りました。
「もう一杯、もう一杯だけくれないか!」
若い男がごねています。
「一人きっちり一杯までだよ!みんな我慢をしてるんだ!」
太った女がはねつけます。
「この分だったら昼も夜も、全く馳走は望めんよ。」
「昼があったらまだいい所、夕飯だけしかないかもしれない。」
「その夕飯もこのお粥かも。」
僕らは三人囁き合って、ため息ついて黙ります。

「おふくろの、豆の煮込みが食べたいよ。一日じっくり煮込まれた、ソースの味がたまらないんだ。」
ヌンキさんがぼやきます。
「俺は焼肉喰いたいな。入学式のお祝いに、お店でご馳走するはずだった。あの金も、自称ゲリラに丸々盗られた。」
カウスさんも溜息つきます。
「さすがに毎日これではきつい。何とかするには逃げるしかない。」
僕もお粥は沢山でした。まったくに、故郷の味が恋しいものです。

胃の中に少し物を入れた後、僕らはそこらをぶらつきました。
僕らの昨日の様子より、そこは少しくゆったりで、緊迫感は薄いです。まだみんな、何とかなると思ってるよう。
明日の午後に始まるはずの、二人の王子が率いる戦、それに希望を懸けているのです。
わやわやと、人々はそれを話題に載せて、数で圧倒するはずの、自軍の勝利を信じています。

それでもあちらこちらでは、籠城戦に備えるための、労役などが始まって、尽くす気持ちのある者が、進んでそれに参加してます。
「今のうち、まだこいつらが呑気なうちに、あの子、シャウラを探そうぜ。」
ヌンキさんが言いました。
「確かにそうだな、ぐずぐずしてりゃ、僕らも作業に駆り出され、それどころではなくなるだろう。」
僕はあの時彼女にもらった、瑠璃の髑髏を撫でました。今まで大事に衣服の下に、隠して持っていたのです。

僕らは過去へと戻る呪術の、舞台となった神殿へ、自然と足を向かわせました。
彼女といつも話をしたのは、あの神殿の近くです。そこにいたなら自然と会える、僕らはそのよう踏みました。

 神殿へ、続く並木の石の道、一人の老爺が行き過ぎました。
 あの僕を憎くねめつけた、彼だと思って目をそらし、彼が何にも僕らに怒りも、関心さえも示さずに、黙って行くのをいぶかしみ、ちらり横目で見た時に、僕は言葉を失いました。

 「彼じゃない!」
 そうです彼ではありません。同(おんな)じぐらい年取って、同じ衣装も着ているが、それでもそれは別の人間、見まがうはずもありません。

 僕らは慌てて彼に従う、十二、三歳の少年を、思わず引き留め聞きました。
 「彼の呪術師のカノープス様、あの方こそがそうなのですか?それとも他に高位の呪術の、師父であられる呪術師が、ここには一人いらっしゃるのか?」
 彼はけろりと言いました。
 「カノープスの師父様ですよ。もちろんそうです彼の他、これほど高位の法衣をまとう、権限持つ者いませんよ。」

 僕らはぎょっと青ざめて、思わず顔を見合わせました。
 「それではシャウラは、彼の師の弟子の、シャウラはどこに居るのです?」
 カウスさんとヌンキさん、僕をとどめにかかりましたが、それは間に合いませんでした。

 「シャウラは僕です、お兄さん。」
 彼はけげんな顔をして、首をかしげて見たのです。

 僕らは唖然呆然と、この異常時に絶句して、ただ立ち尽くすだけでした。

 「シャウラよ私は先を急ぐ。その方たちの相手をなさい。」
 僕らに関心示さない、カノープスだという老人は、一声残して去りました。

 二人は僕より先にこの場を、収める努力を行いました。
 「人違いです、すみません。」
 二人は青ざめ立ち尽くす、僕の右手をとって即座に、立ち去ることにしたのです。
 しかしそんなの手遅れでした。

 「お兄さん、オメガの人じゃないんだね。」
 シャウラと名乗る少年は、短く何かを唱えました。それからしばらく僕の意識は、ぷっつり途切れていたようです。
 気づいた時にはどこかの小部屋で、呆けたように座ってました。周りを見ればカウスさん、ヌンキさんも同様に、間抜けに口を開けています。

 僕らの前にはあの少年、シャウラと名乗った少年が、納得いかない表情で、腕組みしながらにらんでました。
 「本当(ほんと)にさ、お前ら未来の人間かい?五百年後の人間なんて、本気で信じているのかい?いやだから…、自白させてもそう言うんだよな…。しかも明後日滅び去るって、兵力ならば勝ってるはずが…。」
 どうやら彼は術を使って、僕らに全てを吐かせたようです。でもそれは、当の彼には一番に、信じがたいことだったよう。

 「仕方ないだろ本当に、五百年後から来たんだからな。信じないならまず最初、自分の腕を疑うといい。」
 目覚めたらしいヌンキさん、やけくその様に言いました。
 「一つ聞くがね、シャウラというのは、君と同(おんな)じ年頃の、女の子ではなかったか?君と同様カノープス様、オメガの最高呪術師の、弟子の少女じゃなかったか?」
 カウスさんはやっとのことで、そういう言葉を投げかけました。

 シャウラと名乗る少年は、口をへの字に言いました。
 「シャウラは僕だよ、間違いなくね。お師匠様の弟子ならば、もっと高位の兄弟子は、王子の戦に同行してるし、第一僕と同じ名前の、女がいるって聞いたこと無い。」

 「だったらあの子は誰なんだ!僕らを過去に送り込み、カリーナ姫を連れ出すように、僕らを誘ったあの子はさ、シャウラじゃないなら誰なんだ!」
 血が泡立った心地がしました。僕は疑問を吐き出して、僕はシャウラと名乗る子供に、後生大事に持っていた、瑠璃の髑髏を見せました。

 「これは僕のだ、間違いなくね。込もる呪力も同じもの。本当に、そいつはシャウラと名乗ったのかい?」
 「間違いなくもシャウラと言った。君と同様呪術を使い、俺らを過去へと送ったんだよ。確かに俺らは二日戻った。だから彼女も本物の、術師というのは疑いない。」
 
シャウラと名乗る少年の、眉根は尚更寄っていきます。何が一体起こっているか、僕らも理解が出来ないが、彼も同様理解できない。
 
「カウスさん、これも疑問であることです。僕らが戻るその前の、つまりは二日後(あと)の日の、カノープスの師父様と、先ほど君が付き従って、小径を行った師父様は、同じぐらい年経って、同じ衣装も着ていたが、全く別人だったんだ。君にはこのこと説明できるか?」
 シャウラと名乗る少年は、頭をぐじゃぐじゃかきむしり、苛立つように言いました。  
「今確かめてやるからな!生まれの年を当てる術!」

 そう言うや否や、少女シャウラと、同じように灯りを点けて、採光窓を閉めました。彼も右手に明かりを持ってくるくる回って唱えました。
 「彼の者の星を蒼き塗料の 天の模型に示したもう
 この日の外の星ならば 天の廻りし余分の時を 白と青との光線に 軌跡を走らせ回したもう
我が言が 時の紡ぎに逆らうならば 大マゼランに祝福されし 茶色なる我が血を持って その贖いに納めんや」

 彼の手に持つ灯りの星が、キラキラきらめき回転します。その星は、二回りだけ戻った後で、いきなり白い軌跡を描いて、凄まじいまでの勢いで、数えきれなくまわったのです。南天の正しい星の方向へ。
少年の、シャウラはぽかんと口明けて、走る光を見てました。その顔で、僕にも知れた、術の結果が、僕らの言葉を裏付けしたと。

「本当に、お前ら未来の人間だ…。ここが滅びるそのことも、全て定まり決まっているのか…。」
  
少年の、シャウラは急にシュンとして、大分ショックを受けたようです。
「ベクルックスの王様が、オメガの最後の王となるのか…。
アクルックスの王太子、ベクルックスの二の王子、お二人ならばもう戻られない。ずいぶん良くしていただいたのに。
姫様方も酷い最期を、遂げる定めとなっているのか。僕にお菓子をくださった、笑顔を向けて下さったのに…。
兄弟子の、あの二人にももう会えない。僕にしたって長くはないが。
星を操る術を知れば、永久の栄えを得られると、お師匠様は言っていたが、オメガが滅べばそれも虚しい。永遠なんてないんだな。」

僕らも急に悲しみが、彼から伝播してきたようです。
彼の世界がこの二日後に、もろくも滅びるその悲しみが、彼を励ます方向へ、僕らを躍起にさせました。」

「小僧そんなに落ち込むな。お前も死ぬって決まってないよ。上手くすりゃ、生き延びられるかもしれないよ。」
カウスさんが言いました。
「そうだ、お前も逃げようぜ!俺らに協力するのなら、お前も一緒に逃げられるかも!」
ヌンキさんが言い出しました。
カウスさんとこの僕は、驚き慌てて彼を見ました。ヌンキさんはもののはずみ、こういうことを言ったことに、自分で明らか慌ててました。

僕らは次にシャウラを見ました。
はずみで出てきた言葉でも、その返答の如何では、僕らの有利になるかもしれぬ。
僕らは息をのみ込んで、シャウラの様子を見守りました。

彼はとっても悲し気に、大事なものを憶えるように、彼の居室であるらしい、小部屋の様子を眺めた後で、僕らの顔を順に見ました。

「お兄さんたちに協力するよ、僕もここから脱出するよ。」

「ほんとにそれでいいのかい?」
僕はシャウラに言いました。
彼は黙ってうなずいて、静かな瞳で言ったのです。
「やるべきことを思いついたよ。」
「良ければ聞かせてもらえるか?」
カウスさんが言いました。

「オメガがほんとに滅ぶなら、その後始末が必要だ。各地に残る神殿や、神の図像や聖地から、その魂を黄泉に返す、『神返し』という厳しい儀礼が、必要になってくるだろう。」
シャウラは静かに言いました。

「『神返し』って一体何だい?」
僕はシャウラに問いました。
「最初に言った通りだよ、神様を黄泉に返すんだ。もし仮にそれがなされなきゃ、この地に残るオメガの血筋に、連なり生まれる者たちは、災厄の日に見舞われるだろう。」

「そんなに大事なことなのか?」
ヌンキさんが驚いて、瞳を丸くしています。
カウスさんにヌンキさん、二人もオメガの血筋に連なる、その末裔でありました。他人事ではありません。

「神々は、強い力を持っている、そのご威光で僕たちは、恵みを受けて生きるのだ。
だがもしも、祭って崇める者たちを、神が失い落ちぶれれば、その魂は邪神となって、元の信徒を襲うだろう。
その怒り、元の信徒の末裔が、最後の一人になるまでは、何百年でも続くというよ。
僕はそいつを防ぎたい。僕の最後の使命にしたい。
もうここに、残っていたとて出世など、出来ぬと分かっているのなら、僕だけにしか出来ないことを、修行の仕上げにやってみたいんだ。
僕は習った呪術の全て、注いでそいつをしようと思う。僕だけにしか出来ないことを。
その後のことはその後で、ゆっくり考え決めてみようか。」

シャウラの言葉にカウスさん、眉根を寄せて言いました。
「しかしだね、俺らはこの様言われているんだ、お城の敷地を脱出し、麓が見えたらそれで出られる、それはつまりは脱出したら、五百年後ということだろう?俺らの時代に行くわけだ。」
「あなたは未来の人間だから、未来に帰る、それが正しい。僕が脱出したのなら、今の時代のお城の外に、出れるというのが正しいのかも。」
シャウラの言葉に僕は冷や水、浴びせられた様(よ)な気がしたのだった。
もし仮姫を連れ出せたとて、彼女は自分の時代の中に、そのまま留まるかも知れぬ。僕の描いた未来図が、都合の良過ぎる思い込みだと、急に自覚をしたのです。

「一つ聞きたい、五百年、僕らの国に何か災厄、災い深い出来事は、何か起きてはいなかった?」
シャウラはそのよう聞きました。
カウスさんが言いました。

「いいや起きてはいなかった。
五百年間全くに、平和というでもないにして、全てが破滅する様な、破壊をもたらす出来事は、起きていたとは思えない。」

少年シャウラは鼻を撫で、ちょっと不思議な顔をしました。
「それは一体どうとりゃいいかな?ここから脱出するにして、僕が行くのが今なのか、それとも未来になるのかで、見方が違ってくるかなあ。
僕が行くのが今ならば、僕が行う『神返し』、それが効果を発揮している。
ところが行くのが未来なら、この五百年もの間の時に、何故災厄が起こらないのか、それが疑問を呈しているが。僕の他にも誰かがやるのか?
 いいやそれなら考えにくい。兄弟子たちは帰ってこないし、お師匠様が行う予定か?」
 シャウラはぶつぶつ言いました。そうしてしばし思案したのち、彼ははっきり言いきりました。

「どっちにしたってまずは脱出、それが出来なきゃ話にならない。その後の、判断それは、その後決めよう、つまりは脱出した後で。」
彼は真っ直ぐ僕を見ました。
真っ青な、真夏の海が浮かびます。ああ彼も星だ、オメガの星だ、一つの星がここにある。カリーナ姫の言ったよう、命がここで燃えている。

「そいつは全くその通り。俺らはあいにく全員が、荒事などは苦手でね、君の呪術の才覚に、期待をしなきゃならないんだが…。」
カウスさんが言いました。

「何だよ見掛け倒しだな!大の男が三人で、こんな子供に頼るだなんて。これまでは、一体どうするつもりだった?どうして逃げるつもりだった?」
シャウラが小馬鹿にしたように、腕組み僕らを眺めます。小猿のような憎らしさ。それでも不思議と小気味がいいのだ。

「こっそり姫を連れ出して、こっそり逃げるつもりだったよ。」
僕はしょんぼり言いました。
少年シャウラは笑いました、ゲラゲラ笑って言いました。

「方向性なら間違いないけど。」
「君もそいつに同意するのか?」
カウスさんが言いました。
「もちろんだとも、髭のおじさん。それが一番現実的だ。この城は、明後日滅びる運びでも、いまだ兵らは屈強で、お城の壁は頑丈だ。
全てを敵に回したうえで、正面切って逃げるなど、命が幾つあっても足りない。」
 シャウラがそれに返しました。

 「こっそりお城の城壁を、抜け出て安全逃げる方策、それを練らなきゃならないが、俺らの持ってる情報は、ほんとに少ない、参ったことに。」
 カウスさんが言いました。

 モワンと何かを思い出しかけ、僕はそいつを思い出そうと、必死に頭を手繰りました。

 「あるいは…。」
 僕はぼそぼそ言いかけました。
 「この城外まで続いてる、抜け道などは無いですか?
 僕が最初に滅びを見た日、あの時僕は城郭の、一番上の階の上まで、抜道を這って行ったのです、そしてあの方カリーナ姫の、最後の様子を目にしたのです。
 あの先に、この王城の外まで続く、秘密の通路は無いですか?」

「ナイスアイデア、お兄さん!存在だけなら聞いたことある。この城に、張り巡らされた抜け道のこと。王族住まう城郭や、あの神殿にも通るその道。」
シャウラの笑顔が弾けます。

「それでも僕には分りません、一体どこをどう行ったなら、カリーナ姫を連れ出して、無事に外まで出られるか。
この前たまたま入った時は、ただ闇雲に這いつくばって、ただたまたまに行けただけ。そもそも外には出られなかったし。も一度試して同(おんな)じ場所に、行ける保証もありません。」
僕は自信を示せずに、弱気なことを言いました。

「図面があれば文句はないな。一つそいつを手に入れよう。」
少年シャウラが言いました。

13 脱出に向けての作戦

「図面ですって!そんなもの、一体どこにあるんです?」
僕は驚き言いました。そんな手段があるというのか?
「この城の、補強を務める設計官の、事務所にだったらきっとあるよ。
何しろここを作ったの、彼の先祖であるからね。城の補修をするときも、先祖代々伝わった、図面をもとに行うはずだ。抜道だとかのメンテナンスも、きっと彼ならやってるよ。」

僕らの頭に希望が湧いて、未来が開けた気になって、思わず顔を見合わせました。
「それならそいつはぜひとも欲しい。しかし一体どうするね?どうしてそいつを持ちだすか。」
カウスさんが言いました。
「そいつをこれから考えなきゃね。」
少年シャウラは言いました。い
僕らはシャウラの口ぶりで、それが曖昧模糊とした、ぼんやりとした案ではなくて、実現可能で具体的、そういうあてがある方法と、何となく察し付けました。

「僕が彼に術かけてやろう。設計技師が自らに、図面を持ってくるように、意識を乗っ取る術を掛けよう。
それが一番確実で、リスクの少ない方法だろう。シンプルなのが一番だ。」

 僕らはそれを呑みました。大の男が三人で、こんな子供の言いなりです。僕らは全く選べません。
 でも不思議なほど腹は立たない。彼の笑顔が真っすぐで、彼の自信が小気味いいのだ。この先も、この子の笑顔が続くよう、未来を開いてあげたくなります。

 「僕ならきっとうまくやるけど、けど問題はお兄さんだよ。ほんとに今晩それだけで、カリーナ姫を手に入れられる?そっちの方こそ難しいかも。」
 シャウラは笑って言いました。
 
シャウラのそう言う通りです。シャウラが彼しか出来なことを、確実遂げるというのなら、僕は僕しか出来ないことを成し遂げないといけません。
カリーナ姫の同意を付ける、僕の他には、出来ないことであるのです。
いいえそうではありません、僕の他には誰一人、それを成しては欲しくないのだ。

僕は心を集中しました、カリーナ姫のそのことに。今夜で一緒に逃げること、心を決めてもらおうと。
 僕の願いは叶うのだ、僕の願いはきっと叶う、全て思って描いた通り。
 僕は無理やり思い込み、辛い過程をすっ飛ばし、恋の至福のイメージだけを、何度も心に再生しました。
 その成功のイメージだけで、心に麻酔をかけたのです。

 しかしその後事態は急に、計画している方向に、不都合な方に動いたのです。

 お昼に朝と同じよう、薄いお粥が配られた後、お城の補強の工事の方で、石が崩れる事故が起きて、シャウラが呪い掛けるはずの、あの設計官の技師が大怪我、負ってしまったそうなのです。起きて動けぬほどの怪我です。

 僕らは再びシャウラの居室の、小部屋の中に集まりました。僕らもだいぶん焦っていたが、一番焦っていた人は、誰でもなくてシャウラでした。

 「あの人の、腰ひもの中の鍵の一つに、件の図面の引き出しの、鍵があるのは分かったんだよ。
 だから動けるほかの誰かが、その鍵をそっと抜き出して、図面を出さなきゃいけないが、そいつは誰がやるんだろ。
 僕ならちょっと都合が悪い。これから夜通し祈祷を行い、戦勝祈願をしなくちゃならない。それの準備もあることだしね。どうせそれでも滅ぶんだけど。
 動けるとしたらお兄さんたちだよ。三人だけで何とかできない?」

 僕らは顔を見合わせました。
 「やろう!」
 ヌンキさんが言いました。
 「やれることなら何でもやるさ。要するに、誰にも気づかれないように、図面を持ちだしゃいいんだろ?」

 「ヌンキ一体どうする気だよ?」
 カウスさんが尋ねます。
 「みんなの気持ちをそらすんだ。俺と兄いは芸人だ、歌を歌って軽業をして、その注目を集めるんだよ。
その隙に,坊主がこっそり忍び込み、鍵を抜き取り図面を持ち出す。これをするしかないだろう!」

注目が僕に集まります。僕に一体どうしろと!
僕は一瞬息呑んで、弱気にくよくよした後で、即座に心を決めました。やるしかないのだ、取りも直さず。
それでも自信は湧いて来ず、まずい事態になることだけが、幾つも頭に浮かびます。
「だけど僕には大丈夫かい?そういう技芸が出来るほど、僕は器用で運が良くない。逆に自信があるんだよ…。この僕のせいで失敗したら、生まれたことを呪うだろう。」

「僕が呪いかけてあげるよ。感冴えわたり強運に、何度も何度も見舞われる、そういう術をかけてあげよう。」
強い瞳でシャウラはそう言い、僕の頭のてっぺんと額を瞬間触ったのです。

「フォーマルハウトの鱗の光。」

シャウラは一言唱えます。
頭の中で光が閃き、指先足先隅々に、意識が届く心地がしました。頭の廻りと心とが、しっかり有機につながって、体が大きくなったよう。
全ての支配がこの胸に有り、運命さえも支配できると、僕に正体解らない、謎の自信が湧きました。

「これでこの後二日間、強運奇運に恵まれる。カリーナ姫を口説く時も、逃げる時でもまだ効いているよ。自信を持って行うといい。」

僕は無言で受けました。訳の分からぬ閃き落ちて、僕の心は膨れます。
もし仮に、自分のせいで失敗したら、全てを呪って終わろうが、自分の手柄で成功すれば、全てを返す力を得ると。
自分の力でカリーナ姫を、助けこの手に掴むのだ、他でもなくも僕の手に!

必ずここで決めてしまおう、必ずこれを成功させよう。
自分はきっと上手くやれる、昨日の雨の露台での、自分の様子を思い返して、僕はひたすら時を待った。


やがて太陽落ちる頃、薄いお粥が配られました。今日は木の実も付いています。
ある者は道に腰かけて、ある者は粥を持ったまま、部屋に帰ってめいめいに、思い思いに休んでいます。

僕らは件の事務所の前の、樹で囲まれた小さな広場に、それに交じって座りました。なんてことない顔をして、ひそかに瞳でやり取りします。
僕らは木の実を薄いお粥で、胃袋の中に流しました。
やるべき時は今でした。
僕はひっそり離れます。

最初に僕らで動いたの、それはカウスの兄さんでした。彼は手拍子たたきながら、朗々いい声歌いました。

「娘さん ラマの綱引く娘さん 今は夏だよ日も遅い
 泉の水は冷たいよ きれいな足のその泥を 一日歩いたそのほてり
 私の畑の脇にある 藻草も青い泉の水で 洗い清めて行かないか
 なあにお日様ゆっくりだ お父さんでもうるさく言わない
 夕闇時は長く続くよ お母さんでも目くじら立てない
 泉の脇で歌でも歌おう 御祖母さんから教わった 夏の夜空の恋の小唄を」

 カウスさんは明らかに、昔のオメガの民に受ける、そういう曲を選曲しました。
 民の暗くて疲れた顔は、束の間明るい歌声に、慰められてるようでした。皆表情を明るくし、彼を囲んでその周り、ぐるりと輪になり聞き惚れました。
 夕闇時は長く伸びて、紫紺の空に星々が、一つそれからまた一つ、瞳を開いて瞬きました。

 カウスさんの歌声は、警備していた兵士でさえも、魅了しつかの間安らぎを、与え慰めたのでした。
 彼らも歌に聞き惚れて、持ち場に立ったそのままで、意識を傾けその他を、明らか忘れた様でした。

 僕はこっそり民らの後ろに、不自然なように見えないように、何食わぬ顔で移動します。
 頭はこれからやることを、必死に何度も繰り返し、割れ鐘のような心臓に、ミュートをかけて音を消します。
僕は沈着迅速に、気配を消して回り込みます。僕に関心払う者など、ここには居ないと見えました。

ヌンキさんが進み出ます。
彼は夕餉の木の実の外(そと)の、握りこぶしの大きさの、大きな殻を何個も持って、ジャグリングを始めたのです。
堅い木の実を何個も回し、難易度の高い体勢で、器用に実に楽し気に、自由自在に操ります。

その間にもカウスさん、朗々いい声歌います。今度は楽しい旅の歌、ヌンキさんと息を合わせて、歌と芸とが調和する様、楽しい時を演出します。
僕の他なら皆心、すっかり彼らに奪われました。先ほどまでの暗い顔、すっかり明るくほてらせて、思いもかけない久方ぶりの、楽しい余興に酔っています。

僕にとってはそれは機です。やるべきことを成す機です。
僕は一息大きく吸って、足を忍ばせ設計技師の、休んだ小屋に忍び込みます。
シャウラが一計案じたおかげ、眠る薬で彼ならぐっすり、寝床で眠りこけていました。

僕はこっそり毛布をよけます。彼は右手と右足に、添え木を添えて固定してます。どうやら骨折したようでした。
目当ての鍵の束ならば、容易く確認できました。ベルトの穴に十個ほど、古びた鍵が下げてあります。

さあそこからが問題です。一体どれであるのでしょう?僕は意識を集中します。僕はくすんだ鍵束を、瞳細めて睨みます。
さっきシャウラが言ったよう、今この僕に強運が、全てを寄せる引力が、働いてるというのなら、僕に力はあるのです、正解を、選ぶ力はあるのです。

僕はくすんだ鍵束に、順番順番目をやりました。全く持って分かりません。
僕は焦りを押し殺し、ぎゅっと瞳をつぶりました。
「どうとでもなれ!」
そうして頭で唱えます、さっきシャウラが言った呪文を。
「フォーマルハウトの光の鱗、フォーマルハウトの光の鱗!」

僕は最初に手に付いた、一つの鍵を選びました。
それは古びて飾りも摩耗し、手垢の染みた鍵でした。
僕はナイフでひもを切り、その古鍵を盗りました。
僕はどうにかしています、僕が僕だと思えない。これは一体誰でしょう?
熱い血潮と対照的に、頭はまるで冷酷なほど、必ず成すという意思が、絶対何にも動じぬ覚悟で、まるで鋼の岩の様、キリリと立っていたのです。

手に入れた鍵を持ったまま、僕は静々振り向きました。
これからだって問題です。この鍵が、一体どこの引き出しと、戸棚の鍵であるというのか、そもそもこれは正しい鍵か、その保証さえもありません。

僕は戸棚の方を見て、作業台かと思われる、机の方を見たのです。僕は机に近寄りました。そうして一番右下の、引き出しに眼を付けたのです。
僕は手にした古鍵を、その鍵穴に挿しました。
それはかっちり音立てて、僕の見立てが正しいと、首縦に振ってくれたのです。
しかしそいつは正しい判断?引き出しに、その設計書が無かったら、やり直さなくちゃいけません。
答え合わせの緊張に、僕の血潮は圧を上げます。

そろそろそれを開けた時、自然と笑みが湧きました。
お城の図面が出てきたのです、ずいぶん古びた皮に描かれた。
僕は即座に確認します、問題の、抜道の位置を示した図面か。
僕の頭は踊ります、なんて強運冴えている!シャウラの言った通りだった!
僕は自分が正しい判断、選択したということに、万能感すら持ちました。

それからは、僕はこっそり鍵をかけ、こっそり鍵を戻したのです。
もちろん図面は持っていきます。衣服の帯に隠していきます。
そうしてこっそり小屋を出て、こっそり人に交じりました。
表の方ではまだあの二人、楽しいショーをやっていました。
僕に興味を払う人、誰一人とていませんでした。

僕は夜空を見上げます。もう大分に暗い空。
まるであの晩見た様に、落ちそうなほどの星空が、その片鱗を見せ始めてます。
カウスさんが歌います。

「夕べに旅をするならば 満月の晩が最高だ
夕べに恋を語るには それには星の晩がいい
熱い想いを語るなら 顔が朧な方がいい 
声に想いを乗せるなら 歌を歌った方がいい
愛してますよ わたしのあなた
わたしなら 光の神に焼かれようとも 地下なる黄泉に囚われようとも
あなたの歌う歌声に 春の野花を挿していくのだ」

それは古びた恋歌でした。オメガの時から続く歌。
民らも声を合わせました。兵士も持ち場に立ったまま、声を合わせて歌いました。
歌の発する熱の渦が、華麗に始まる夜空に昇り、まるで祈りであるように、深く切なく響きます。何時しか僕も声合わせ、皆と一緒に歌いました。

この僕と皆は同じ様、未来があると信じたいのです。
この先の、人生や夢を成す機会、続いているのと思いたい!
祈っているのは僕と同じく、血潮の通った人間です。
彼らは決して影じゃない!
今ここに、今ここに生きているのです。

ここが明後日滅びること、希望を語る人々が、空しく果てるということを、こんな滅びがあったこと、僕は激しく悼みました。
彼ら全てを救えないこと、見捨てるのだということを、僕は激しく悼みました。

やがて夜空はゆっくり回り、僕らは三人部屋にいて、密かに勝利の気勢を上げて、肩たたきながら笑いました。

「明日の朝、シャウラに相談した後で、一体どういうルートを使い、脱出するのか決めましょう。」
僕の士気ならいや増して、自分が成せたことに対して、天狗になっているほどでした。
怖いものなんて無いという様(よ)な、調子に乗った僕に対して、何だか少し言いにくそうに、カウスさんが言いました。

「そのことだがね、時に坊主、シャウラという子のことにつき、少し用心無さ過ぎないか?
確かに彼は協力をした。彼のおかげで図面も得られた。
だがしかし、昨日のシャウラと今日のシャウラ、全く別人そのことや、性別さえも反対なこと、少女の妖しいシャウラの言動、彼女の目的不明なことも、考え併せて見なければ。一体それが何意味するか、俺らのあずかり知らぬところで、誰がどのよう動いているか、少し用心してみよう。」

僕は尋ねて聞きました。
「一体どのよう用心すると?」
「彼にはすべてを話さない。少し秘密の逃げ道も、こちらに用意をしておこう。」
 カウスさんは言いました。

 「具体的にはどうするんです?」
 僕は再び尋ねます。
 「彼の誠意の如何では、彼だけ置いてく道だってある。それだけじゃない、場合によって、あのお姫様もあきらめる、そういう道も捨てないでおこう。」

 僕は激しく反発しました。
 「僕は嫌です、カリーナ姫を、こんな所に置いていくのは!僕と彼女の運命は、一個の鎖でつながって、決して違う所へは、行けぬ道理になっているのです!」
 「それはお前の勝手な意見だ。あの姫様はどう思うか、それの保証もないんだぞ。」
 ヌンキさんもうなだれて、含めるように言いました。

 「彼女が一体どう思うかは、それはこの際関係ないんだ。僕が望んでそうしたいから、それは肯定されるのです!」
 僕は激しく言ったのでした。
カウスさんは落ち着いて、僕に言葉を返します。
「時と場合によってだよ。俺らも基本協力するさ。基本的にはそれを目指して、でも柔らかく構えておこう。
俺たちは、無事帰らなきゃいけないんだよ、皆に家族がいるんだからね。この城の、幻達とは違うんだ。」

僕はますます反発しました。
「カリーナ姫は幻じゃない!あの人達も幻じゃない!全て生きてる人間ですよ!ここで呼吸をしているんです!皆に未来があるんです!」

カウスさんは哀し気に、僕を見た後息つきました。
ヌンキさんも言いました。
「これからも、お前に協力していくけどな、一番に、重きを置くのは自分の命だ。自分の命の重いこと、お前は知らなきゃいけないよ。
カリーナ姫にこだわることで、お前が助からなくなれば、俺も兄いもやるせない。お前の家族はもっとそう。
俺はお前の味方だからさ、だからここでは厳しく言うよ。俺たち家に帰るんだ!」

僕は怒りで真っ赤になって、激しい言葉を投げました。
「僕が故郷に帰るとしたら、必ず姫も一緒です!一緒の未来を行くのです!きっと今晩説得するぞ!もう臆病には吹かれない!
それにシャウラに不誠実です、こんなに尽くしてくれたのに!彼だけ連れて行かないなんて、それは全く卑怯です!」

僕は怒りに任せたままで、黒い敷布の敷かれた部屋を、勢いのまま飛び出しました。そのまま外へと駆け抜けます。

広場では、祈祷が厳か執り行われて、昨日と違うカノープスの、助手をシャウラが勤めてました。
居並ぶ民は皆一心に、祈りの顔で見つめています。彼らが全て幻なんて、僕には到底思えない。
息遣いさえ間近に感じ、髪や衣服に着いた匂いや、身から発する熱でさえ、肌で感じているというのに。
それぞれが、未来を夢見ているのです、自分の明日を信じています。

僕の心にカリーナ姫の、語った言葉がよぎったのです。

『人は星です。』

そうです人は星でした。命と希望を胸に灯し、それぞれ大事な人たちを、照らし合ってる星なのです。
何と多くの人々が、ここには光っているでしょう!
ここだけじゃない、山の向こうに、海の向こうに、地球の裏に、何と多くの星々が、地上を照らしているでしょう!

僕の心に湧きおこる、理由も道理もない感動に、僕はただただ立ち尽くし、祈る民らを見たのです。
僕と彼らの境は無くて、僕は彼らに交じります。
彼らの位置に降りていきます。
彼らと同様見上げます。
彼らと同様祈ります。

これさえも、この共感も幻か?生まれた時代が違うなら、生まれた国が違うなら、決して理解はできないなんて、僕は絶対信じない。

それなのに、少し心が落ち着くと、自信も薄れていくのです。
果たして僕はそれに見合った、高い意識と広い心を、持ち合わせている人間か?

僕は『あの子』が理解できない、生まれた年が一緒でも、生まれた国が一緒でも、彼女の意識は理解の外です。
『あの子』が最後に笑った理由、どう考えても分からない。
恐らくは、ある種の憎しみなのでしょう。『あの子』は僕を、憎んだはずだ、他でもなくも僕の行為で。

この葛藤に急速に、僕の光は薄れゆく。こんな自分が星であるとは、思うことなどできません。
自分の光が薄れると、星の奇跡は遠のいて、その燐光を消しました。

あの日彼女が行ったこと、それが呪いと変容し、僕の心を縛るのです。
あの雪の晩屋上からの、雪雲は白く発光し、霙交じりの冷たい雪は、彼女のまつ毛に降りかかっていた。

あの時に、初めて理解をしたのです、僕は彼女が看破した、そういう卑劣な人間だったと。
はじめて僕は理解した。
理解し絶望したのです。

今まで光った僕の星は、その時光を消しました。
青く光ったあの星は、雪落とす雲のそれよりも、暗い光となったのでした。
いいえそれまで光っていたと?思い上がりじゃなかったろうか?
光っているのと思っていたのは、僕だけだったのではないか?

僕はなんだかいたたまれずに、祈りの輪から離れます。
僕の沈んだ眼差しは、足元に花を見つけます。
小さな小さな赤い花。
『あの子』の花弁と同じよう、血潮のように赤い花。

僕はしゃがんで花に触れ、苦悩に肩を震わせました。
 
『偽善者め!』

 『あの子』は僕に言いました。
僕は偽善であるのだろうか?カリーナ姫を助けることも、純粋な愛の仕業じゃないのか?
果たしてこれを行うことは、正しいことになるのだろうか?

 頼りを無くした顔色で、僕は夜空を見上げます。
 自分の心を信じないなら、一体何を信じりゃいいか?
 僕の意気地は本当(ほんと)に弱い、風でそよいでぽっきりいくほど。
 六年も、そう六年も待っているのと、ただただ黙って座っていると、そう言い切ったあいつが浮かぶ。
 テンロウと、僕の違いは何だろう?年齢?遺伝子?育ち方?それらのどれも今の僕には、克服できない差があるか?
 僕を小馬鹿にするような、テンロウの顔が浮かびます。
 彼は一体何を思って、僕をけしかけ楽し気に、軽口なんぞをたたくのか?
 この僕を、半人前と、意気地が無いと、決して俺にはかなわぬと、見下し余興に楽しんでるか!

 そう思った時、むらむらと、悔しい気持ちが湧きました。腹の底から悔しくて、僕はぎりぎり噛みました。
 悪魔にだってなってやる!嘘を演じて何が悪い!結果彼女が救われるなら、何を気に病むことがある!
 一人前の男になるんだ!望んだものを手に入れる、手段と嘘に耐えられる、強い心を手に入れろ!
 
 僕は星空睨んだままで、草を掴んで立ちました。
 そのまま一気に歩き出し、中庭の、オレンジ色の芳香を、放つ木花の下に行きます。
今夜真夜中、ここにカリーナ姫が来るのと、少女シャウラに聞いた場所です。
虫の羽音と星降る庭に、青いマントが見えました。ぼんやり光に照らされて、心細げに見えるあの方、カリーナ姫の姿です。

僕の心に芯が立ち、背筋がすくっと伸びました。
肩は倍ほど広げる様に、瞳は明るく力持つ様、僕の体に力が生まれ、その熱を姫に向けました。

14 成就

「今晩は。今宵もここで星を求めて?」
僕は笑顔で言いました。
「また会いましたわ…。」
姫はそのよう言いかけて、しばらく口を開けたまま、何かを逡巡する様に、瞳を揺らして僕を見ました。
「あのう、そのう、…プロキオン…。」
かすれるような声でした。
「今宵こそ星掴めましたか?きっと大事な願いでしょうね。」
姫は黙ってうなずいて、しばらく迷ったその後に、小さな声で言いました。
「ええ本当に大事なのです。けれども昨日と違う望みが、私の願いに加わりました…。」
「本当ですか?それはそれこそ、必ず星を掴まなくては!」
大袈裟なほどに驚いて、僕は微笑みかけました。
姫は視線を合わさずに、指でマントの襟元を、手繰って寄せてまた寄せて、動きの止むことありません。

僕らはしばらく黙りました。黙って星を掴もうと、夜空に右手を伸ばしました。
僕はこういう迷信は、信じているはずありません。僕が掴んで手に入れたいのは、傍らに立つ姫様です。
彼女の瞳が濡れているのを、星の灯が白く教える。カリーナ姫は濡れた目を、夜空に向けて震える様に、何度も浅く息をしました。

「あのう、あの…、あなたはお国に誰…、あの、いいえ、…、あなたの国での学問は、一体どういう分野なのです?私の国の学問と、何か違いはありますか?」
カリーナ姫は尋ねました。

「総合的に学んでいます。語学や社会や歴史はもちろん、科学というのもありますよ。それはあなたの国とは全く、異なっている分野です。
反対に、数学などはこの国と、違いはほとんどありません。数の世界は絶対ですよ。まず絶対の真理です。」
僕はすました顔をして、姫にこのよう言いました。
僕が自分に要求する、素敵な男の笑顔を作り、話しながらも星を掴んで、願いを叶えるふりをしました。

「天文なども学ぶのですか?」
姫は再び尋ねました。
「それも科学の分野で学んだ。星と宇宙の力学は、好きな学びの分野です。
面白いこと教えましょうか、僕が故郷で見る星と、ここであなたと見る星は、逆さまになっているのです。太陽や星の廻りさえ、反対廻りであるのです。」
「本当ですの?」
姫は明るい声を出し、ほのかな灯りで瞳の色が、潤んで熱く色づくの、白く光って見えました。
「星の廻りが反対だなんて、まるで過去へと戻っていくよう。年月が若くなっていき、今日から昨日へ戻っていくよう。
世界とは、そこまで不思議に満ちているのね。鋼の鳥に乗ったなら、私にもそれが見れるでしょうか?」
「必ず見れます、あなたであれば。あなたほど強い人であれば。」
僕は答えて言いました。

それから僕らはまた黙り、星を掴んで捕えようと、夜空に腕を伸ばしたのです。

「あのうあなた…、あなたの国のじょせ…、いいえ…、鋼の鳥に乗るのには、どういう資格がいるのです?あなたはそれを操れるのか?」
口ごもりながら姫様は、僕に尋ねて言いました。聞きたいことが他にあるのに、それを聞けない、そういう問いです。
僕は彼女が何を言いかけ、何を本当は聞きたいか、それをはっきり意識しました。その意味は、僕の望んでいることでした。

僕はすまして答えます。
「僕にはそれは操れません。長い修業が必要なのです。
それでもそういう技能を持った、操縦士という人々が、そういうの技能を持たない人を、空の旅へと連れて行くのです。」
姫は瞳を明るくしました。
「でしたなら、私(わたくし)であれ乗れるのですか?あなたの国へと行ったなら、空飛ぶ修業が出来るのかしら…。」
「是非ともいらして欲しいもの!そういう夢を叶えるために、僕もあなたに星を掴もう。あなたの分まで掴みましょう!」
僕は固めた笑顔を作り、爽やか装い呼びかけます。

カリーナ姫は息つめて、小さく震えた様でした。右頬と耳に手を当てて、浅い呼吸を繰り返します。
「まあ、すみません…、不躾に…。あなたはあなたの望みがあるのに。
私(わたくし)は…、少し軽率過ぎました。ここがこういう時であるのに…、少し浮かれているんですわ…。」
そういう言葉は溜息に、なおさら霧を含んでかすれ、冷たい霧と裏腹に、熱っぽくさえ聞こえます。

「浮かれていたっていいでしょう?無事な明日を信じましょう。鋼の鳥に乗り込んで、望む修行をするような、明るい未来を信じましょう。
あなたが国に来るならば、僕は何時でも大歓迎です。」
僕は勤めて明るい様子で、姫に答えて言いました。
「その夢も、合わせて是非とも星を掴もう!」
力を込めて僕は言います。自分にこんな声が出せると、今まで気づきもしなかった。
姫は黙って頷いてて、再び僕らは空見上げ、星に向かって手を伸ばします。
僕は後ろに横顔に、何度も視線を感じます。分らぬように、見つからぬよう、姫が視線を投げかける。
何度か振り向き微笑んで、そのたび姫はうつむいて、沈黙が横に伸びるのです。

しばしの沈黙その後で、意を決したのというように、姫は尋ねて聞きました。
「ねえあなた、昨夜あなたは言っていた、思う女性と結ばれたいと…。それはあなたの故郷の人なの?決まった相手が待っているのか?それともオメガの民のなか、心を捕らえた方がいるのか?」
僕は答えて言いました。
「僕の心を捕らえた人は、この城の中に住まっています。誰より気丈で優しい方です。強い心を持った方です。心の底から崇拝します。」
姫は小さく息呑んで、眉根をきゅっと寄せました。
「私(わたくし)の、存じ上げてる方なのですか?」
僕は笑顔で言いました。
「知らぬ道理は無いですよ。必ず知っておられます。」
カリーナ姫は深く息、吐いてうつむき言いました。
「そのお方なら、幸せですわ…。」

僕は果実が甘く熟して、枝を離れるその機を見ました。
僕の勝ちです、僕は勝った!幼い自分に勝利した!
僕はすくっと跪き、カリーナ姫に告げました。

「愛しているのはあなたですとも!あなたの他には誰も見えない!故郷の国にもオメガにも、これほど心を打った方は、生まれてこの方ありません!」

姫のほのかな顔色に、朱の赤がぱっと咲きました。僅かに瞳を潤ませて、おびえの色を残したままで、姫の瞳は微笑みました。

「一体どうしてそのことが、これほどまでに嬉しいか!
私の生きた道筋に、比べるものがありません、一体どうしてしまったの!あなたは私に何をしたのか?」
「ただ恋をした、それだけです…。」
熱のこもった姫の言葉に、僕は何だか苦しくて、そっけないこと言ったのでした。

姫はそれにはこだわらず、震える声で熱く語った。
「昨日まで、細り続ける運命に、どんどん光が消えゆくことに、落日を待つ心地だったに。
あなたは何をなさったの?昨日の日までの私とは、別人になった心地です。
あれからずっと考えていた、昨夜私に起こったことを。
雨の音聞き、朝日を臨み、雲のかなたに流れるを、黙って見ながら考えていた。
法則が、昨日と全く逆なのです!果実が腐って落ちることも、時が若さを奪うことも、あなた一人が変えてしまった!」
僕は黙って愛し気に、カリーナ姫の瞳をのぞいた。
そこには愛が、燃える様な、愛が炎と灯っていた。僕の中にも同じもの、確かに燃えているはずでした。
僕らはしばらく黙ったままで、同じ炎があることを、お互いの目で認め合った。

しばしの沈黙その後で、姫は優しく言いました。
「あなたは一体誰ですの?言葉にならない星の魔力が、両の瞳に輝いてます。」
「僕はしがない学生ですよ。珍しくもない身分です。」
僕はなんだか後ろめたさに、自分を落とすこと言いました。
しかし言葉は裏腹に、姫の心に熱を注いだ。

「きっとあなた、我が神様から遣わされた人!私が命を賭していく、たった一人の人ですの!」
カリーナ姫は涙して、僕の両手を包みました。彼女の震える白い手は、真夏であるのにひんやりしていた。

心は震え、涙が出そう。言葉に出来ないほどの喜び。
それなのに、なんだかとても悲しくて、僕は泣きたくなりました。
一体どういうことだろう?とうとう思いが通じたはずが。締め上げるような悲しみが、僕の腸千切るのです。

「明日の夜も、ここへ来たなら会えますの?」
姫は素直に聞きました。僕の心の悲しみを、カリーナ姫は知りません。
知るはずがない、カリーナ姫の、瞳は満たされ幸せに、星のきらめき宿します。

姫の言葉は悲しみに、なお一層火を注ぎます。
しかし機でした、これを逃せば次が無いほど、絶好の機会だったのです。僕は心を決します。言うべき時は今でした。
「今宵限りのことなのです。明後日(みょうごにち)、この王城は陥落します。」

姫は驚き青ざめて、僕に向かって言いました。
「まああなた、予言者ですの?」

僕はうつむき言いました。必死に頭で組み立てます。
「そういう訳ではないのです。この城の、明後日の後は知りません。僕は未来の人なのです。
明後日の、この王城の外側は、五百年後の未来の世界が、だだ広く伸びているのです。
僕は少しく前の明後日(あさって)、この城に迷い込んだのです。そうして何度も見たのです、ここが無残に滅びるさまを。何度も何度も、もう何回も。」

姫は気色を失いました。
 「私の兄なる王子たちが、敵を迎えて討つはずです。」
 「その方たちは帰られません。」
 「それでは私も死ぬのですか?父なる王も、母なる王妃も、姉さま方もみなすべて…。」

姫はおびえた表情で、僕の重ねた手を握り、震える口で言いました。
「ではあなた、今宵限りでもう会えませんの?この城が滅びるよりも、自分の命が尽きるより、あなたに会えなくなることが、奈落のように恐ろしい。」

僕は必死に言いました。僕の言葉に嘘はあっても、心に嘘はありません。
「あなたを死なせるわけにはいかない!もうむざむざと負けてはいない!僕はあなたを逃すため、その約束を頂きたく、今日はここまで参ったのです。
僕と仲間が計画してます、ここから脱出する企てを。あなたを迎えに来たいのです!
あなたさえ『はい』とおっしゃれば、僕は一生あなたの犬です!どうか一緒に逃げてください!」

姫の面に迷いが落ちて、逡巡するのが知れました。やはりそうそう簡単に、はいと言ってはくれないのだろう。
だが僕はもう決めたのだ、必ず姫を連れて逃げると。
姫が思って決めるのでなく、僕が望んでそうしたいから、この試みは肯定される。
喜びの裏の悲しみを、噛んで潰して滅ぼす覚悟で、僕は彼女を見つめたのです。
姫の瞳にどう映ったか、この僕の目はどう映ったか?

姫は迷いの表情で、僕を見上げて言いました。
「仮にも私は王女です。王家を守る兵たちや、この王城に逃れ来た、民らを見捨てて逃げるのは、千代のそしりを受けることと、固く習ってきたのです。
プロキオン、あなたは王女の私(わたくし)に、王女を捨てろとおっしゃるの?」

「僕はあなたの心と体、それ以外ならば何もいらない!僕もすべてを捨てますとも!あなたが望めば何であれ。家族も友も学歴も、何でも捨てて見せますよ!」

姫は何かに打たれたように、震えもやがて収まって、真顔で僕に言いました。
「分かりましたわ、私(わたくし)は、あなたに付いてゆきますわ…。」

その言葉、何より聞きたいその言葉、求め続けたその言葉!
自分の力を示せた自負が、僕の背骨を強くします。
もう僕は、あいつが言うよう青二才じゃない、しっかりと、自分の足で立った男だ!
それなのに、喜びの裏の悲しみは、ますます怒涛の勢いで、僕の心を飲み込むのです。
一人前の男とは、こんなに悲しいものだったのか!あいつもこんなに悲しいか?

「プロキオン、一体どういう方法で、ここを脱出するのです?」
姫が尋ねて聞くことが、僕の心を現実に、引いて戻してくれました。
「抜道を、この城にある抜道を、利用し逃げる計画です。図面も既に手にあります。」
僕は答えて言いました。
「どういうルートを使うのですか?」
「それはまだ、詳しく決まっていないのです。多分明日の午前中、協力者とも話し合い、はっきり決める予定です。」

姫はわずかに不安げに、僕を見上げて言いました。
「私(わたくし)に、そのはっきりと決めることを、その内容を知らせる術はありますか?」
僕は一瞬考えました。手紙は書けないそれは知れてる。オメガの文字は知らないし、そもそもオメガに文字は無いし。
僕はしばらく考えて、姫にこのよう伝えました。

「図面とルートを写し取り、落ち合い場所を示します。赤い印をつけたところに、明日の真夜中落ち合いましょう。
明日の正午、何食わぬ顔で東の井戸に、足を洗いに来てください。僕らはそこで葉っぱに包んだ、花束の中に図面の写しを、隠して渡して差し上げます。」

姫は瞳を決意に染めて、こうきっぱりと言いました。
「分かりましたわプロキオン。必ず井戸に参ります。太陽と、地下の太母に誓います。」

僕らはしばらく寄り添って、手を取りあったそのままで、不安と希望に酔ったまま、黙って夜空を見上げました。
互いの息を聞きました。髪の香りをかぎました。手に触れた手の中の血潮が、強い鼓動に押し出され、体を巡っていく音さえも、確かに聞いた気がします。

僕らは不幸で満ち足りて、世界で一番幸せでした。明日をも知れない身の上で、夢だけは万里駆けるのです。

星がしんしん降っています。羽音を立てて虫が行きます。
白い蛾が、灯りを求めてさまよいます。お互いに、求めてやまない半身を、僕らのように探すのです。
そのことが、今更の様悲しいのです。悲しく悲しい、悲しい悲しい。
全てを包んで見下ろすように、銀河は冷たくそびえます。
僕が泣こうが笑おうが、あれには全く関係ない。僕や彼女の一生は、些末なことだというように。

誰かが姫を呼ぶ声が、夜風の中に聞こえ出し、今夜の祈祷の輪の中に、彼女がいないそのことを、王が立腹なさっている由を、姫に向かって訴えてます。

カリーナ姫は言いました。
「ああ私(わたくし)は行かなくては…。たとえわずかの別れでも、引きちぎられる心地です。もっとずっと、あなたのそばにいたいのに…。
明日の正午、東の井戸に参ります。必ずあなたに付いていきます。それからは、ずっと一緒よ、プロキオン!」

姫はそう言い駆け出しました。まるで辛いというように、後ろも見ずに駆け去りました。
僕は彼女の残り香を、昨夜のようにかぎました。純白の、姫の大輪花の香。僕の視線は落ちました。

震えるような寂しさが、僕の両肩怒らせます。
全てが有限は無常なことが、急に背中に落ちてきて、重みで膝が割れそうでした。
僕の瞳は泣きました。ただ子供のよう泣きました。
これを一体どのように、説明すればよいのやら、理解の出来ぬ孤独な心、僕は一人で泣きました。
『あの子』の呪いに勝ったはず、それすら思いもしませんでした。
今までこだわり拘泥してた、ものはどうでもよくなって、ただ一人いる悲しみが、僕の体に満ちました。
僕は一人で泣いたのです。

部屋に戻った僕は二人に、このいきさつを告げました。労わるような眼差しで、二人は話を聞いていました。

「ずいぶん男を上げたもんだ。お前にしてみりゃよくやった。」
カウスさんが言いました。
「この分じゃ、あの姫様を連れて行くこと、無理と断言できないよ。大分期待が持てそうだ。俺らにしてもその方が、ずいぶん寝覚めはいいはずだ。」
ヌンキさんも言いました。気遣うように優しげでした。

僕は疲労が段々と、体に積もっていたようです。あの興奮が去り行くと、睡魔が瞼を重くします。僕はこっくり始めたようです。座っているさえ辛いです。
「僕はどうすりゃいいのでしょう…?これからすぐに考えて…、お城の上の太陽が、三回落ちないそのうちに…、沢山挨拶しなくては…。」
何を自分が話しているのか、それも統制できなくなります。

カウスさんが言いました。
「坊主いいからもう休め。明日に備えて寝てしまえ。明日だけしかないんだから。後の準備はやっておくから。図面を写しておくからさ。」

僕は言葉に甘えました。彼の言葉が消えないうちに、僕は眠りに落ちました。深く深く眠りました。体は解けて僕の形を、作った心も解けるほど。
眠りの中で僕の意識は、湿った森にいたのです。苔と雫と灌木の、鬱蒼けぶる太古の森に。返ってきたのと思いました。僕の故郷に帰ったと。
ただ漫然と満ち足りて、ただ漫然と寂しいのです。とても寂しく安心でした。
確かに帰ってきたというのに。

15 予兆

僕が目覚めたその時は、やはり朝食前でした。今日も二人に起こされます。
大分眠ったそのせいで、頭ははっきりしていました。くっきり晴れた夏空の、山との境と同じよう。
すっきり明るく眩いくせに、まるで冷たい秋の香が、忍び寄ってくる気配です。

朝食はやはりお粥です。昨日と同じ薄い粥。それをお腹に流し込み、僕らは活動始めます。つまりは少年シャウラの部屋を、僕らは尋ねて行ったのです。
「上手くいったね、お兄さん。おじさんたちの余興のことも、大分噂になってるよ。」
彼は揚々言いました。
「これから一体どういうルートで、ここを脱出するのかを、相談し合って決めようか。」

僕らは額を突き合わせ、一体どういう道を行ったら、安全でかつ確実に、ここを脱出できるかを、こそこそ相談したのです。
僕は心の悲しみを、誤魔化すように熱入れました。熱心に、今後の計を練ったのです。
やがて僕らは決めました。北側の庭に落ち合って、土台の穴が入り口の、隠し通路を伝いながら、崖の下に出る抜道を、通って逃げることにしたのです。
僕らは何度も確認し、細かい所をすり合わせ、それからもっと慎重に、昨夜二人が写してくれた、図面の写しにルートをかき込み、赤い印をつけました。
これをこれから姫にこっそり、渡す手はずとなっています。

シャウラは僕に言いました。
「それにしたってすごいねえ、お兄さんってやるもんだ!たった二度目で姫様を、口説き落としてしまうんだから。僕にも教えて欲しいもの、口八丁のテクニック。」
僕は苦しく言いました。
「そんな技巧は僕には無いよ。ただこれは、ただ運命であっただけ。その他は、見るべきとこなど無いはずだ。」
シャウラはふうんと言いました。
「僕があなたに掛けた呪も、少しは役に立ったかな?」

ヌンキさんが言いました。
「俺は様子を見て来るよ。神殿床のずれたところが、俺にはどうにも気にかかる。ちょっと測ってみようかな。」
「俺も行くよ、今日限り、このお城だって見納めだ。こんな悪夢の成り行きも、過ぎると思えば思い出になる。物見遊山に見て来るよ。」
カウスさんも言いました。
二人は連れ立ち出ていきました。

シャウラが僕に言いました。
「お兄さん、いいものを見せてあげようか。ちょっとだけ僕に付いて来な。」
シャウラは僕に促して、神殿の方に向かいます。丁度あの日に少女シャウラが、僕と初めて話したところ、あの大広間に彼は招いた。

少年の、シャウラは彼女がしたように、柱の飾りを押しました。梯子がするする降りてきます。彼は梯子に足をかけ、僕に向かって言いました。
「この上に、とっても素敵なポイントがある。僕に続いて登って来てよ。」

僕はシャウラに従って、紐の梯子を上りました。
上はやっぱり隠し部屋です。屋根と天井その隙間、秘密の部屋になっています。
上は低くて立つことは、出来ないですがあの日に僕が、無理やり這った通路と違い、ゆったりできる余裕はあります。
「こっちだよ。」
シャウラが僕を促します。彼に続いて光挿す、方へ移動をしてみると、わずかに隙間が開いています。のぞき見の窓の様でした。
「お兄さん、こっから外を見てみなよ。」

彼に従い覗き見て、僕は言葉を失いました。
すっかりと、城の様子が見えました。
神殿は、少し土台が高いので、お城の三階ほどの高さで、こちらに面した楼閣と、広場と門が見えました。人々が、生き生きそこを動いています。
城を守った夏の森、木々の湿気を吸ったさま、葉が風にそよぎ裏側の、白い緑を見せるさま、粘着質の顔料を、一気に塗って乾かしたよう。
その彼方には峻厳な、神住む山がそびえます。
全てを見据えて見越したように、ただただ見守るとでもいうよう、ただ厳然とそこに在ります。
その様は、僕の時代と変わりない、全く揺るがずそこに在る。

「素晴らしい、眺めじゃないか、お兄さん。」
シャウラは僕に言いました。
「この場所が、僕は一番気に入ってるんだ。ああそうか、明日から過去形なるんだな。」
シャウラはそう言い息つきました。

「本当(ほんと)に素敵な眺めだね。君の特等席なんだ。」
僕はそう言い気付きます。この場所は少女シャウラが僕を見て、微笑みかけたところだったと。
今更ながら僕は彼女の、存在が謎に包まれること、怖れの気持ちで確認しました。
一体何をしたいのか、一体何をさせたいのかを。彼女は一体何者か?

僕の隣の少年シャウラは、しばらく何だか心細げに、黙って外を見ています。
「お兄さん、あなたの時代はどんな風?呪術の需要なんてある?」
少ししてから不安げに、シャウラは尋ねて言いました。
僕はおずおず答えました。
「いいや、呪術は聞いたこと無い。そういうような学問や、技術は僕の時代に無かった。」

少年シャウラは黙りました。そしてしばらくした後で、再び口を開いたのです。
「そうしたら、僕がこれから脱出するのが、五百年後の未来なら、それからどうして生きてゆけるか?
物心、付いて後より呪術の他に、学問なんてしたこと無いよ。これから一体どうしよう?急に不安になってきたんだ。」

僕もしばらく黙りました。しばらく黙ってやがて言います。
「そうしたら、僕を頼ってきたらいい。ちょっとの間なら何とかなるよ。」
あの二人も、と、言いかけ口をつぐみます、シャウラを完全信用しない、二人については何も言えない。
「お兄さん…。」
すがるような眼で彼は見ました。
「君ならどこでも生きて行けるさ。強い力を感じるよ。命の燃える炎が強い。そういう子なら、どこででも、どの時代でも生きて行けるさ。」
シャウラはあっさり微笑みました。あの夏空のような笑顔。
「そうだね、きっとそうだろう。僕は覚えが早いんだ。どの時代でも乗り切れるだろう。お兄さん、そうなるときは本当(ほんと)に頼むよ、住むとこだけでもいいからさ。」
シャウラはそう言い笑いました。白い歯見せて笑いました。
僕はなんだか悟ります。このシャウラにも身寄りが無いと。体一つで生きてきたのと。頼むのは、自分の頭と手と足なのだと。

「僕が一番やってみたいこと、それは恋だよお兄さん。お兄さんがしたように、可愛い娘を口説いてみたい。そしてやがては妻をめとって、自分の家族を持ちたいな。
呪術の師父に慣れないのなら、それが一番望ましいんだ。血のつながった、家族がどういう存在か、僕はあんまり知らないからね。だから憧れ強いんだ。」

僕はシャウラを見下ろして、穏やかな声で言いました。
「君ならきっとモテるだろうさ。大胆で知恵が回るから。僕なんかよりずっともっと。」
そう言いながら僕は気付いた。シャウラの瞳の色味について。

「シャウラの目、何だか少し赤いんだねえ。夕日の光が映ったみたいだ。」
彼は答えて言いました。
「僕の母、よそから流れてきた人だった。そういうように聞いている。あんまり記憶はないけどね。母親に似た結果だろうって。
若しも同(おんな)じ時代に出れたら、僕はたどってみようと思う、母の故郷とその道筋を。もしかして、僕とよく似た人々が、沢山暮らしているかもしれない。」
シャウラは胸を張りました。

僕にとり、それは聞きたくないことでした。都合の悪い可能性です。逃げるよう、僕は一言言いました。
「そうだねえ。」
シャウラは何かを察したようです。黙って口をつぐみます。

「そろそろ降りよう、お兄さん。」
シャウラはやがて言いました。
僕たちは、黙って小部屋を後にしました。

部屋へ戻って見ましたが、カウスさんもヌンキさんも、二人はそこには居ませんでした。
しばらくそこらをぶらついて、民らが祈祷を捧げたり、兵隊たちが忙しく、行ったり来たりするさまを、僕はぼんやり見ていました。

昼前に、二人は戻ってきたのです。手にはオレンジ黄色とりどり、きれいな花束用意して、すっかり準備を整えた様。
「坊主すっかり用意しといた。後はこいつを渡すだけだよ。もちろんお前がやるだろう?」
僕はすぐさまうなずきました。

正午ごろ、僕は東の井戸で待ちます。太陽は、全ての影を短く色濃く、圧縮してる様子です。
やがて二人の次女を従え、カリーナ姫が現れました。僕に約束したように、ぴったり正午に現れました。
姫は井戸端かがみながら、茶のサンダルを脱ぎました。僕は彼女に跪き、何食わぬ顔で差し出します、運命を、二人を結ぶ花束を。
姫様は、いつも通りの笑顔を作り、思いがけないという様で、けれども瞳に熱を隠して、短く優しく言いました。
「まあありがとう。」
そうしてそれを受け取りました。決して侍女には渡さずに、自分の手に持ち立ち去ります。
後ろの僕を振り返りません。彼女が意図してそうすることを、僕は確信してました。

それからは、時間が長く、でも駆け足で、何をするでも手に付かず、ただただ時が過ぎるを待ちます。
太陽は、ゆっくり天を横切って、縮んだ影は伸びゆきます。
風は吹き付け木の葉を散らし、ペンキ絵のような夏雲を、形を歪め飛ばします。
人々は、不安にざわめき誰となく、祈祷に心をかけてます。祈ったのなら何とかなると、ここでは誰もが思っています。

僕も祈って捧げたら、この運命は開けるだろうか?望みの未来は待ってるだろうか?願えば願うそのほどに、段々希望が先細り、ついえる様な気がします。
風に飛ばされなすすべもなく、消えゆく雲を眺めつつ、僕は願いを掛けました。あの雲が、東の地平へ着いたなら、僕の願いは叶うはず。
しかし願いも虚しいままに、雲はちぎれて消えました。霞のような名残が空を、ぼんやり白くするのを残し。

やがて夕日が空を染め、晩の篝が焚かれます。お粥の夕餉を食べた後、僕らは部屋で休むふりして、外の様子を見張りました。
このまま夜更けに抜け出して、姫とシャウラと合流し、それから脱出するのです。
じりじりする様(よ)な緊張で、心拍数だけ上げながら、外見は一見呑気な風に、ただただ時を待ちました。

おそらくは、夜半の時刻となった頃、僕を知らない呪術師の、師父とシャウラが連れ立って、王族たちの住まう区画へ、登っていくのが見えました。
師匠の面は深刻で、シャウラはぼんやり不安げでした。
「見ろ坊主、小僧が登っていくともさ。計画通りにいけばいいがな。」
僕は高さを増していく、月を見上げて願いました。シャウラが間に合うそのことを。
僕らは深くは考えなかった、彼が抱えた難題が、如何に度を越し困難か。

彼らが戻らぬそのうちに、どんどん夜更けがやってきます。
ここから見える区域の明かりも、一つ消え、また一つ消え、闇が版図を広げます。
人々は、月と星との明かりで眠る。常夜灯など無いのだから。
僕らは不安に身を寄せて、ただ黙ったまま時を待ちます。

月の角度で時を見て、真夜中近く僕らは動く、約束の、合流地点を目指します。
ひっそり静まる廊下を抜けて、人気の見えない庭に降り、灌木の中に潜むよう、静かに足を速めます。
僕の希望の通りなら、この先にはあの姫様と、シャウラがそこで待っていて、冷や冷やしたが間に合ったぞと、無事を確認することになる。
我ながら、甘い考えなのだろうか?だが願わずにはいられない。願うことすら幼いのだろう?
目的地近くなった時、僕の頭に響きました、まるで時計の秒針の音。
あれが来る、日付が変わる刹那の邂逅。
僕をくさして笑うあいつ、テンロウという男と会うこと。

その音が、十回ばかり繰り返す後、たちまち世界はひび割れて、割れ目に光があふれます。

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目を覆う様(よ)な青い光、中心に、いつものように奴が居た、テンロウが、僕を見上げて笑いました。


「よう小僧、一人前に錆が下りたな。」
 「一人前なら、小僧と言うのはやめてください。」
 僕は答えて言いました。
 「俺に比べりゃ小僧だよ。」
 相も変わらず腹立たしい。

 「それより僕はやりました、あの方を連れて逃げること、自分の力で決めました。これで本当(ほんと)に一人前です。」
 僕は沈んで言いました。そして二日で起こったことを、彼に話して聞かせました。
 「何か他、教えておくべきことはあるのか?」

 僕の沈んだ声音に彼は、微笑みの色を哀し気に、歪めて答えて言いました。
 「一人前とは哀しいだろう。」
 僕は黙ってうつむきました。彼の言うのが良く分かった、なんて悲しいことなのか。
テンロウは、何時一人前になったのか、それからずっと耐えてきたのか、大人の男の悲しみに。

 「だがね、小僧よ慢心するな、ご馳走は、最後の一口飲み込むまでに、安心してはいけないぜ。
上等の、酒も最後の一滴空くまで、決してこぼしちゃいけないぜ。
 終わり良ければ全ては良いが、経過がよくても結果がまずけりゃ、全てはまずいことになる。
 お前が過去に戻ったことで、この時間軸も変化した。思いもかけない助けもあるが、思いもかけない敵もできる。
別の世界と思って当たらにゃ、全てはまずいことになる。
奴にして、見逃したりはしないはず。俺にして、勝負を分けるときとなろうさ。諦めるのか、賭けに勝つのか、お前次第となるだろう。」
 テンロウは、最初は僕に語り掛け、最後は自らつぶやくように、内側に向けて言いました。

 僕は最後の言葉の方に、引っ掛かり持ち言いました。
 「奴っていったい誰のことです?」
 テンロウは、ため息ついて言いました。
 「奴とは賭けの相手だよ。俺の勝負の相手だよ。」
 
テンロウは、再び息をつきました。
「例えば大きな建物に、二本の柱が有るとする。一つは齢経る大柱、一つは若い強い材木。」
「あなたは何を言っているんだ?」
僕は思わず聞きました。彼が一体何言いたいか、その意図するのが分かりません。
「たとえの話、材木は。古い柱と若い柱は、両方同じサイズだとして、負荷に対する耐性も、ほとんど一緒としておこう。
古い柱を外したら、その建物は崩れるだろう。若い柱を外しても、建物自体はほとんど変わらん。耐久性を考えるなら、若い柱の方が持つ。
そして建物保つため、古い柱を外すしか、無いとするならお前はどうする?」
意図するところをいぶかしみ、僕は素直に答えました。
「古い柱を外した後に、若い柱を取り外し、古い柱の代わりにします。」
「そうだろう。誰に聞いてもそう答えるな。」
テンロウは、そう面白くもなさそうに、僕に肯定して見せました。
「一体それがどうしたんです?僕らの勝負の行く末と、何の関係あるというのか?」

耳鳴りの様流星の、数多に走る音がします。
たちまち光はひび割れて、今度は正しい方向に、光は幾重に回りました。
タイムアップが来たのです。

「よく考えろ、お前なら、一人前の男だろ!」
そして初めて頼るよう、僕に願いを託しました。
「出来たらスピカを助けてくれ!」

 たちまち瞳は眩みだし、意識の全てを覆います。

16 星の床

 スピカというのは一体誰か?考えながら我に返る。僕の体はたった今、落ち合い場所に到着しました。

「待合場所はここだったかな。」

予想も出来ない声がしました。冷たい敵意を宿した声です。
僕らに声かけたのは、姫でもシャウラでもなくて、古枝を、冷たく揺らす風の様、齢経るかすれ、しわがれた声。

少年シャウラを伴って、楼上へ行った彼とは別の、僕らを憎んだカノープス。確かに何かを知っていそうな、少女シャウラの師匠です。
落ち合い場所の灌木の中、静かに獲物を待つ蛇が、鎌首もたげて忍ぶ様、待ち伏せをしていたのです。
その彼が、あの日以上に憎しみに、僕らに眦(まなじり)向けました。はっきりと、僕らを敵と認識しました。
僕らも知ったこの彼が、これから僕らを阻もうとする。計画を、水泡に帰すつもりなのだと。
僕らの廻りにいつの間にか、影の様でありまた水の様な、海の深淵思わせる、暗いブルーの人影が、ごそごそうごめき迫ります。
それはどんどん増殖し、その量(かさ)を増しそり立ちます。視界の全てを覆います。
冷たい水の感触に、僕らの体は押し込まれ、全く抵抗できないままに、僕らは流されどこか暗くて、低い所へ運ばれました。
急な流れに流されたよう、きりもみされて回転します。あの洪水の勢いを、結局僕らが流されなかった、鉄砲水の黒い怒涛を、僕は脳裏に浮かべました。

結局僕は飲まれたのだ、日にちの違いはあったとて。
冷たい水にもまれつつ、魚の様に泡を吐き、全く光の差さない闇で、カリーナ姫の泣く顔を、僕はぼんやり思いました。

一体どれほど経ったのか、僕の体は冷たい床に、うつぶせになって転がっていた。衣服もきれいに乾いています。
目を開けて、体の下の底を見ます。そこはすっかり一面に、燐の光をまぶした床です。
LEDの人口光。僕が知るのにたとえたのなら。しかしそれより眩いが。
テンロウがいた『星の床』。本当(ほんと)の名前は分からぬが、とにかく奴がそう呼んだそこ。

呪術師の、カノープスとか言う彼が、その中心に立っていました。
僕はとっさにテンロウの、姿を探してみたのです。
彼はどこにもいませんでした。
確かにあれはここのはず、見紛うはずもありません。でもテンロウはどこにも見えず、僕の不安は高まります。
もし彼が、ここに居たなら手助けを、悔しいけれど何か援助を、期待できるというものを。

代わりに僕は眼を止めました。彼女の真っ赤な髪の毛に。
「君はシャウラか!」

少女の方のシャウラが立って、まるで蕾が閉じた様、薄い瞼を閉じていました。輝きが、曇りガラスの向こうから、雪明りでも見ている様に、ぼんやり不穏に漏れ出ます。

「瞳を開けよ、我が弟子よ。」
カノープス師父が言いました。シャウラはぼんやり瞳明け、夢見るように言いました。
「あなた誰?」
「お前の師匠のカノープス、オメガの呪術の長である。お前は弟子のシャウラであるよ。」
「ここは一体どこかしら?」
「『星の床』だよ我が弟子よ。お前はここで儀礼を行う、毎晩毎晩執り行う。」
「私も呪術を行える?」
「無論だシャウラ、何年も、もう何年もお前は習った。独り立ちしていいくらい。」

一言答えるそのごとに、蕾の皮がはがれ落ち、花弁が色を現すように、曇りガラスの輝きは、熾烈な星の光となった。

「この人たちは一体誰なの?」
「カリーナ姫を惑わせて、連れ去ろうとするよそ者だ。」
「カリーナ姫って一体誰なの?」
「オメガの四の姫様だ。幼い頃よりお前に目をかけ、とても良くして下さった。そんなお方を惑わす輩は、お前はきっと許せぬな。」
「それは確かに許せないわね。」
シャウラは強く敵意を込めて、それでも浮き浮き言いました。
「どういう儀式を執り行うの?」
「よそ者を、贄に捧げて星回し、世界の時を、元通り、正しい流れに修復するのだ。」
「そうねお星を戻すのね。もう何回もやってたわ。」

それは前から知っている、以前の通りのシャウラです。花瓶の水を変えた様、色鮮やかに蘇り、怒りの増したそれの分、いっそう艶を増していきます。
ああこの子、やっぱり棘のある薔薇です。

柄の先に、大きな鈴の付いた杖、とんと鳴らしてカノープス、彼が呪文をうなります。
「シャウラお前も始めなさい。」
シャウラは足下に光浴び、夢見て呪文を唱えます。低く、艶めく唇を、動かさぬようなうなりの呪文、燃える瞳で唱えます。
足元に、夢幻の光が躍ります。それは冷たく美しく、畏怖さえ感じる光景でした。

僕の頭は混乱で、その活動を止めそうです。今ここで見たシャウラの変化、事態が極めてまずいこと、カリーナ姫の泣く顔と、乱切りになって点滅します。

「一体何が起こったんだ…?」
カウスさんとヌンキさん、二人もやっと目覚めました。
「一体どうすりゃいいんでしょう?彼は僕らを生贄に、星を回して世界の時を、元通りにする儀礼をすると!でも何で彼が知っている?僕らが今晩逃げること!」
僕の頭は泡立って、顔から血の気が引きました。全ての毛穴は引き締まり、髪すら逆立つ心地です。胃が空中にあるようです。

「坊主事態がまずいこと、分っただから落ち着いて、ここは一体何処なんだ?」
カウスさんが言いました。
「『星の床』です、『星の床』!」
僕はわめいて言いました。
「落ち着け!落ち着け!」
彼はなだめて言いました。
「落ち着いてなんかいられますか!」
「坊主、あいつは『世界の時を元に戻す』、確かにその様言ったんだな?俺らを贄に『星を回す』と。」
ヌンキさんが言いました。
「はいそうです…、確かに彼はそう言った…。」
「ここは確かに『星の床』だな!」
「彼もそうだと言いました…。」
「考えがある…。」
ヌンキさんが獲物を狙う、イヌワシの様鋭い目、初めて僕に見せました。必死に頭を巡らせて、この空間を見渡してるのが、僕にも理解できました。

「あの子は確か言ったよな、『毎晩宇宙を正して直す、そういう儀式を行っている』。そうしてこうも言ったよな、『宇宙の星を正しく直す、そうしなければこの城は、支えを失い倒れる』と。」
「はいそのように言いました…。」
「そうして廊下の床に隠した、扉の中から出てきたな…。」
「はいそうです…。」
「テンロウは、この『星の床』を儀式の場だと、『星と時間の儀式の場』だと、確かにお前に言ったんだよな。」
ヌンキさんは確認しました。これまで得てきた情報を、頭の中で繋げます。
「左へ走れ、左の壁に、うっすら扉が見えるだろう?あそこは確かに神殿の、あの床下につながっている!」
ヌンキさんが言いました。
「この繰り返しを支えるものは、きっとこの場で行われてる。毎晩毎晩それは成される。そうして毎晩あの子と爺(じじい)は、床の中から現れる。それが一体何意味するか、この『星の床』が床のその下!
そうして俺は測ったんだよ、城中行ける所の距離を。あの日あの子が出てきた床と、いろんな建物通路の距離も。
この儀礼場の右側は、あの床下につながっている、そして左の扉の方は、あの神殿につながっている!」
そういう間にも儀式は続き、僕らの周りの床の明かりが、段々白く泡立ちます。
どうにも時間の無いことが、誰の目にでも明らかでした。

「走れ!」
信じられないボリュームで、カウスさんが叫びました。廻り続ける二人は一瞬、気をそがれ隙が出来ました。
それを合図に僕らは一斉、左に向かって駆け出しました。一目散という言葉、それすりゃ足りない勢いで、命からがら走ります。

「うわっ!」
一番後ろを走った僕は、白い光の輪につまずいて、派手に転んで転げました。
刹那重みが背に昇り、彼の吐息が首にかかった。
何かに吊り下げられたように、カノープス師父の体がふわり、跳躍をして僕の背に、枯れ木の体でのしかかったのだ。
その手には、銅のナイフが握られていた。

「坊主!」
年かさのあの二人が叫ぶ。もう抜道の入り口にいる。
僕は初めて間近に見ました、カノープス師父のその顔を。赤茶の皺の深い肌、ばさばさ乱れた銀の髪、造りの割には細い鼻梁に、前歯のすべてそろっていること。
そして目を、目を見た時に悟りました。その事実、可能性など飛び越えて、事実であると悟ったのです……。

「色事師には、鼻削ぎの刑。大昔から決まっているのだ。命で贖いする前に、まず習わしを踏もうかのう…。」

僕はとっさに叫びました。
「テンロウさん!」
その名がもたらす効力を、僕は分からず叫びました。助けを呼べるとしたならば、彼の名前しか思いつかない。

突如視界が朱に染まり、炎の柱と気づきます。彼の体に火が着いて、僕は振り切ることが叶って、這いまわるよう逃れます。
「坊主、こっちだ早く来い!あの子が足止めしてる間に!」
扉のとこまで駆け去って、ようやく後ろを振り向くと、炎の柱を向けたのは、少女シャウラでありました。
彼女はまるで今までと、別人のような顔でした。当たり前だという様に、自分の師匠に歯向かいました。
「彼女はどんな怪物だ…。」
つぶやき僕らは命からがら、扉をこじ開け飛び込みました。細い通路を無理やりに、くぐって這って抜けました。
そこはヌンキの兄さんが、言った通りに神殿でした。あの日ずれてた床の板、外して僕らは這いあがる。
祭壇脇の松明を見て、僕らはぜいぜい息吐きました。
「何とか三人無事だったかな。」
カウスさんが言いました。
「一体あの子はどうして僕の、命を助けてくれたでしょうか?」
「詮索している暇はない。すぐ姫様と合流しなきゃ。きっとお前を待っている。」
僕ははたりと気づきました。
落ち合い場所に、あの方は、カリーナ姫はいなかった、いたのはあいつ、カノープスだけ。
僕の脳裏に最悪の、事態がはっきり浮かびました。
「カリーナ姫は一体何処か?」
カウスさんが温かく、僕に微笑み言いました。
「俺らが一計案じたよ。別の所で待っている。」
「こっちだ坊主、南の庭だ。あいつが追って来ないうち、とっととここをずらかろう。」

僕らはすぐさま走りました。兵士の見張りの届かぬところ、届かぬところを選びつつ、闇に浸って流れる様に、灌木と、下草の中を流れるように。
呪術師は、何だか不安になるほどに、僕らを追っては来ませんでした。見張りの兵士も知らない様子で、ぼんやり外を警戒してます。

月と星とを頼りにしつつ、だいぶ走って茂みを抜けて、開けた丘に僕は見た、深々ふける夜の中に、一本の木が立っているのを。

星がさんさん降っています。その木はまるで細工師が、技術の粋をふるって彫った、工芸品のように見え、星の明かりはそれを愛しく、慈しむよう照らします。
その下に、お伽の夢から切り取った様、全ての詩歌の美しい、愛を象徴したように、カリーナ姫はそこにいた、僕の愛しい姫様は、僕のこと待っていたのです!

姫は僕らに気がついて、小さく僕に呼びかけました。
「あなたを待っていましたわ!」
「遅くなってしまいすみません…。」
僕らは彼女に駆け寄って、確かに誰であるのかを、声と影とで確認しました。
「さあ逃げよう!追手が来るかもしれないんだよ。こんなとこには長居は無用だ!」
カウスさんが言いました。
「一寸待ってはいただけません?」
カリーナ姫は言いました。
彼女は丘の上に立ち、闇に沈んだ楼閣に、愛おしむようひとしきり、瞳を配っていきました。
最後に最も高い所を、姫が今まで生きてきた、ひときわ高い楼閣を、震える瞳で見た後に、小さく一つ息ついて、カリーナ姫は言いました。
「さよなら古い私の世界。これよりは、私は姫ではありません。」


僕らは二人が示した穴に、東屋の床に隠した穴に、一人ずつ身を忍ばせました。
ヌンキさんの言うことに、ここは南の丘のふもとに、続いている穴らしいとのこと。
「恐らくは、今の時代のつくりから見りゃ、ふもとの町が見えるはず。」
灯りの全く射さない穴を、僕らは這って進みます。お互いが、別のルートにはぐれぬように、一塊に連なって、前にいる者の衣服を掴み、声を掛け合い進みます。
先頭行くのは灯りを持った、距離感に強いヌンキさんです。彼はこういう時の為、城をくまなく足で測って、入念に、逃げるルートも確認していた。

「一体どうしてカリーナ姫が、僕らが示した場所ではなくて、あの木の下にいたのです?それのおかげで一緒に行けたが…。」
僕は二人に尋ねました。
「抜道の、写しを二枚用意したんだ。お前が疲れて寝ている間に。
どうにもあの子の存在が、悩ましいものに見えたため、最後の最後は確実に、姫も一緒に逃げられるよう、待ち合わせ場所を二つにしたんだ。
お前はどうやらあの子のことに、ずいぶん肩入れしていたからね、だからお前に話さなかった。二人の秘密にしていたんだよ。」
カウスさんが言いました。
「だけど結局それが当たって、こうして上手くいったんだ。俺らに感謝しなくちゃな。」
ヌンキさんも言いました。

僕のこれまで弾んだ心は、少しひんやり哀しみに、痛みを感じ沈みました。
一体何が起こったか、その半分が分かったのです。どうして一体そうなったかは、依然分らぬままですが。

「何だか少し明るくなった…。」
ヌンキさんが言いました。
「光が向こうに射してるようだ。」
僕らは足を速めました。誰に言われるでもなくに、人の本能そういうように、川の流れが低い所へ、低い所へ流れる様に、灯りに虫が群がるように、僕らは光を目指しました。

突如空気が変わりました。
草の匂いがしています。額に風が当たります。遠くで空が鳴っています。
わんわん虫が鳴いています。獣の声が聞こえます。頭上に光るものがあります。
僕の前行くカリーナ姫が、あっと小さく叫びました。

天には星がありました。オメガの昔と変わることなく、何も変わらず超然と、ただその歌を降らせています。
横切るようにごおっと、強い光が流れました。清かな星の明かりでなくて、もっと強くて色付けされた、ぴかぴか光る人工光です。

「まあ鋼の鳥!」
カリーナ姫は叫びました。

「あれは政府の軍用機だよ!どうやら政府は俺たちを、見殺しにするつもりはないぜ!」
「助かった!」

僕らは崖の切り立った、小広い場所に出たのです。背後は黒い夜の森。機体は何かを探すよう、低い所を飛んでいます。
カリーナ姫は駆け出します。僕も彼女についていきます。
僕らは丘の先端の、崖の迫っているところに、ふもとの灯りを見たのです。

それは僕には久方ぶりの、現代の、懐かしい野卑な光でした。
ビルのネオンの派手な灯り、街頭の、気取った灯りに高速の、無味乾燥な白い灯り、家庭のぬくもり感じる灯り、車の赤いテールランプ、あの夜彼女に話したような、自販機もそこに在るのでしょうか?
とにかく多様な灯りがあって、それら全てに人がいること、人の暮らしがそこにあること、それらが明日へと続くことを、朝日を待っていることを、今更ながら思い出し、僕は心が熱くなった。
僕らは仲間だ、そう思った。

「ああ地上にも星がある!あの全て、誰かの命の灯りなのね!
ああ早くそこに行ってみたい、私もそれの一つになりたい。鋼の鳥にも乗ってみたいわ!」
カリーナ姫は涙して、僕を振り向き言いました。
街の灯りの逆光に、姫の姿がくりぬかれ、頬の涙が白く光り、彼女が嬉しく笑んでいること、強く浮かんで焼き付きました。

「プロキオン、あなたの名前を教えてください!」

姫がそう言いその刹那、彼女の姿は消えました。
まるで光にあたった影が、文字通り影がなくなるように、すうっと解けてかき消えました。
美しい笑みを残したままで。声の響きの消え去らぬうち。
彼女の残した声だけが、こだまするよう名残を残し、しばし残ってそのうちに、それすら解けて消えました。


僕の体は火を噴きました。体中、熾烈な炎で燃えました。

「あああああああああああああああああああ!」

僕は夢中で叫んだのです。彼女の消えた虚空を抱いて、滂沱と涙を流しました。

ああ僕は分かっていたのだろうか?こうなる結果を知っていたのか?
まるで意外な心地がせずに、僕は分かっていたように、涙を惜しまず泣きました。
彼女が地上の星と呼んだ、街の灯りは泥臭く、てかてか煌々光っています。
一緒にそこに行くはずだった、降りて案内するはずだった。そう思い込んでいたというのに、何故かはなから可能なことと、僕は思っていなかった。
全てが有限無常なことが、僕の心に突き刺さり、血がどくどくと流れます。
ここまで激しい悲しみを、これまで知らずに生きてきたのに。
自分が無力であるだとか、偽善をかざしているだとか、そういう否定の心も忘れ、ただ純粋な悲しみが、僕を突き刺し燃やします。
ああカリーナ姫、カリーナ姫よ、僕の大事な姫様よ…。
解っていても信じたかった、あなたと未来を行くことを、信じたいよう信じたかった。

嘆き悲しむ僕を見て、二人は僕に言いました。
「さあ俺たちはここを降りよう。助けを呼ばなきゃなんないぜ。俺たちは、生きているんだ、生きてる人だ。霞を喰っては生きられない。」
「助けはきっとそこまで来てる。軍が動いているんだからな。お前の家族を安心させよう。」


その時暗い背後の森に、青い光の柱が立って、それは幾重に重なって、まるで心が乱れた様に、ぐるぐる角度を迷走させます。
「あの城があったあたりだな。」
「一体何が起こってる?」
二人は警戒したように、声を潜めて言いました。

僕の頭に突如として、少女シャウラの顔が浮かんだ。
彼女が一体何かしたのか?

次に頭に浮かんだのは、少年シャウラの顔でした。

彼が一体どうなったのか、いかなる意味を隠しているか。僕は半分知りました。どういう理由でそうなったのか、まったく事情は知らないが。

その時不意にテンロウの、たとえ話が浮かびました。
「古い柱がなくなったなら、若い柱を取り外し、古い柱の代わりに付ける。」

とてつもないほど悪い予感に、僕はこの身を震わせました。

17 スピカ

「カウスさん、仮の話でいいのです。もしあの城の繰り返しが、微妙な均衡その上に、土台を任せて立っているなら、一人が抜けていなくなること、それは自壊をもたらしますか?」
僕は尋ねて聞きました。
「大体何を言いたいか、そいつは分かる、俺だって。もし姫様が居なくなりゃ、今から今日の一日は、五百年前と異なるよ。違う流れになるはずだ。
確かにそれは自壊をもたらす。繰り返し、それそのものが成立しない。」
カウスさんは言いました。僕も全く同じこと、頭に登ってきたとこでした。

ああ彼は、城の平和を保つつもりだ。きっと彼ならそうするだろう。五百年もの時の重みを、裏切ることなどできないだろう。
そしてそれには新しい、命の贄が必要なのだ。

「古い柱がなくなったなら、若い柱を取り外し、古い柱の代わりに付ける。」
僕はぼそぼそつぶやきました。

「一体どういう意味なんだ?早くここから逃げないと。とっとと助け求めよう。」
カウスさんは言いました。
「僕はいったん戻ります。二人は助けを呼んでてください。やらなきゃいけないことがあるんだ。」
僕は短く言いました。ヌンキさんから灯りを奪い、そうしてくるりと振り返り、今抜け出てきた穴に向かって、必死の思いで駆け出しました。

「坊主一体どうするつもりだ!」
二人が口々叫んでいます。僕は後ろも振り向かず、その穴の中に飛び込みました。再びに、濃密な闇が僕をくるんで、体感温度を下げました。
だが僕はもう恐れずに、いいや怖れを感じていても、それすらしのぐ危機感で、はやる体を制御しました。

あの繰り返しの日々の中、民らは全く同じ行動、同じ流れに乗っていた。
同じセリフを繰り返し、逃げることでも死ぬことですら、全く同じ繰り返し。

だがあの子、少女シャウラはどうだったのか?
全く同じに見えてても、微妙なところが違かった。行うことも口にするのも、繰り返しにはなっていない。よくよく考え思い当った。
綿密に、同じ流れになるように、コントロールはされていたが、それを行うことが出来る、その人間も限られている。

一昨日の、世界に彼女がいなかったこと、少年シャウラの身に起きたこと。
あの呪術師のカノープス、彼が別人なったこと、すべて合わせて考えて、僕は一つの仮定に達した。
そのことは、途方もないほど最悪の、危機が彼女に迫っていること、僕に理解をさせたのです。

「助けなきゃ…、シャウラだけでも助けなきゃ…。」
僕はぶつぶつつぶやいて、そうすることで、闇の中でも、必死に自分を確かめて、ただ闇雲に行きました。
先ほどは、ヌンキさんが先だって、ルートを示してくれていたが、今頼りなのは自分の勘だけ。
僕の頭は神がかり、その回転を速めました。説明できない確信が、僕に力を与えました。まるでルートを間違えること、ちらりとすらもよぎりません。
僕は頭で唱えます。
「フォーマルハウトの光の鱗!フォーマルハウトの光の鱗!」
一昨日効いたあの呪文、まだ僕に力与えるならば、どうかどうか、正しいルートを選ばせ給う!

やがてどうやら出口が前に、現れてきた様でした。
頭上に星のきらめきが、清かに丸く見えました。そこはさっきと別の入り口、少年シャウラと待ち合わせ、するはずだった抜道でした。

僕の頭は興奮を、その回転を止めません。僕はすぐさま駆け出します。さっき危うく脱出をした、あの神殿を目指します。
必死に駆けて汗だくで、僕はようやく到着し、その床の中へ飛び込みました。

狭い通路を無理やり抜けて、弾丸の様飛び出しました。その儀礼場、『星の床』に。
超然と、冷たく眩く壮麗に、その床は光放っています。
ちりちり、きらきら、さやさや、ちかちか。おおよそ星に形容される、全ての擬態語尽くした光。

その中心、二つの影が見えました。
カノープス、あの呪術師の老人が、両ひざをついて首(こうべ)たれ、老いたる首をさらしています。その前に、少女シャウラがぼんやりと、瞳を落として立っていました。
その手には、銅のナイフが握られて、彼女の瞳は漫然と、彼の首筋とらえていました。

「いけないシャウラ、やめるんだ!」

カノープス師父は僕を認め、焦ったようにせかしました。
「さあさあやるのだ、一思いに!それが修行の最後の仕上げだ!」
シャウラは両手を振り上げました。銅のナイフを握ったままで。その目は焦点結ばずに、うつろに光を無くしています。

僕の体は泡立ちました。
こっから駆けて行ったとて、この距離だったら間に合わない。シャウラがあれを振り下ろす、そっちの方が早いだろう。
想定される最悪の、事態に僕はこの頭、必死に回転させました。

走れ!
僕は心が命ずるままに、一散にそこへ駆けました。一瞬走ったそのうちに、間に合わぬことを悟りました。
僕の頭にたった一言、一言だけの言葉が浮かんだ。

あいつが言ったその言葉。もうそれに賭けるより外に無い!
僕は大きく息吸って、ありったけの声叫びました。

「スピカ!」

彼女の振るう手が止まり、何かを確かに思い出し、その目に光が戻ったことを、僕は確かに見て取りました。

突如空気がぶれました。振動が、空気を揺らし、重力を揺らしそのまま止まった。

「どうやら賭けは俺の勝ち。」
皮肉に響く声がして、テンロウが、勝ち誇った様笑みながら、二人の後ろに立っていました。

「お父さん!」
少女シャウラが言いました。いいえそれなら違います、彼女は正しくスピカであるから。

 「ちっとも大きくならないな、寿命が引きのばされるからか。」
 テンロウが、スピカの頭に手を置きました。彼女は満面笑み浮かべ、白い歯見せて言いました。
 「お父さんこそ変わらない。一体どれほど経っていたの?」
 「六年かかった、六年も。」

 「この子があなたの娘ですって!」
 「そうよあたしはテンロウと、アンタレスの子、スピカだわ!今はっきりと思いだした。」
 スピカは薄い胸を張り、体が大きく見えるほど、力に満ちて言いました。
 「今まで一体あなたはどこに、どこに潜んでいたんです?」
 僕は尋ねて聞きました。
 「ずっとこの場にいたともさ。俺の時間とこの時間軸、ずれが解消されたため、同じ時空に転移したんだ。」
 テンロウはそう言いながら、スピカの頭を小突きました。

 二人の脇にうずくまり、敗北の味に打ちひしがれて、カノープス師父は言いました。
 「わしの差配は間違いなかった、お前が一心術に打ち込み、滅びることを忘れる様に、その様導き仕向けたはずが…。
 そうだ全てはお前のせいだ!お前がここに来たことで、運命の輪が狂ったのだ!」
 カノープス師父は言葉の途中、スピカから僕に目を向けて、恨みに燃えた眼差しで、噛みつくように言いました。
 いいえ、それなら違います。彼はその名じゃありません。カノープスではないのです。
 僕は言葉に悲しみと、痛む気持ちを込めながら、優しく微笑み言いました。

 「もう君はここを解放された。五百年間よく頑張ったもの。一人でずいぶん寂しかったろう。あとは自由に生きるんだ。
 カノープス師父はここに死んだ、真実彼は死んだんだ!後は本当(ほんと)の君、シャウラ、君が再びよみがえる!」
 怒りに燃えてそれなのに、どこかすがって頼るような、途方に暮れた眼差しで、シャウラは僕を睨みました。
彼の瞳は夕日に染まり、涙がそこにたまっています。白目は濁って瞳の色も、大分白濁しているが、それはシャウラの瞳でした、確かに赤い夕陽の目でした!

 「よくぞお前は気がついた。小僧と侮りからかってたが、俺の勝負を上手くした。スピカを助けてくれたしな。」
 テンロウが、驚いたよう言いました。
 「材木の、喩えが僕を手助けしたんだ。
まず始め、この繰り返しが成立するため、本当(ほんと)のシャウラが彼の師匠の、カノープス師父を贄に捧げて、その為空いた空位の中に、本当(ほんと)のシャウラが繰り上がる。シャウラが師父となったんだ。
 五百年間経った頃、お前とスピカがやって来る。お前が何を賭けたのか、その内容は知らないが、賭けのルールでその間、お前はここにとじこめられる。
スピカの方は一つ空いてた、シャウラの分の空位の中に、そっくりそのままはめこんで、仮のシャウラと呼ぶことにした。
そうして僕らがやって来る。僕らが姫を連れ出して、この均衡がもろくも崩れ、それを無理やり戻すため、自らの命代償に、スピカに自分を捧げるよう、屠って犠牲にするように、そう命じたと推察できる。
そうなった後はカノープスの、空位にスピカが繰り上がるよう、苦し紛れに考えたんだ。多分そういうことだろう?」
僕はこの様解き明かす。言いながら僕は悲しくて、自分の声が遠くに聞こえた。数時間前想像したのと、別の未来がそこに在った。

うずくまったままシャウラは黙り、苦く輝く床を掴んで、固く拳を握ります。
その両の手は筋張って、圧を上げ行く血管が、青く浮くのが見えました。血走る瞳、乱れた白髪、敗れた人のむなしさを、体現した様(よ)な老爺です。

僕の心に浮かぶのは、外を旅してみたいと言った、希望に燃えたシャウラです。何があっても自分の頭、手と足を武器に進んでいける、そう信じていた彼でした。
シャウラは苦しく微笑んで、うなだれながらこう言った。
「お前の推理はほぼ違いない。全ては王の命令だ。自ら死んでもその御世が、永久永世に続くよう、この『星の床』の星をこの日の、星の並びに調整し続け、今日が延々続くよう、贄を捧げて儀式をしろと、そういう命を受けたのだ。」

僕はシャウラに尋ねます。。
「一体なんで生贄が、カノープスの師父様なんだ?彼が儀礼を執り行って、ここを守ればよかっただろう?」
シャウラは苦く微笑んで、力ない声言いました。
「贄にも格というものがある。ここまで大きな術を成すには、格高い贄が必要なのだ。聖別された魂が。それにはオメガの最高呪術師の、命の重さが最適なのだ。
そしてお前が言うように、今日この狂いを戻すため、カノープスとして研鑽積んだ、わしの命を贄とせよと、この弟子少女のシャウラに命を、授けて術を掛けたのだ。わしの師匠が行ったよう…。」

「苦し紛れの策略は、小僧のおかげで泡となったな。賭けも勝利に終わったし、もう障りなど無いから話そう、俺たちの賭けの内容を。
俺たちがここで賭けたのは、スピカがどちらに傾くか。
七年間、自分を無くしたスピカがもしも、オメガの世界がこの城に、このまま永久に保存され、ここが存続することを、選んだならば奴の勝ち。
逆に滅んで無くなることを、きれいさっぱり何も残さず、すっかり滅んでしまうこと、選んだならば俺の勝ち。
俺はここから動けない。奴は一体どういう手段、スピカを丸め込んだのか、丸六年間勝敗は、奴に有利に運んでいたのだ。」
テンロウが僕に言いました。先ほどまでの顔とは違い、賭けに勝利をしたことで、気持ち皮肉が和らいで、晴れやかな色を見せました。

「あたしは呪術を習っていたの。毎日毎日術を覚えて、滅びの戦が始まる前に、神殿の屋根と天井の、隙間に体を隠していたの。
そうして日付が変わった刹那、この『星の床』に呼び出され、ここで毎晩星を直すの、この滅びの日の星空と、この床が呼応するように、この床の星を直していたの。それがあたしの暮らしの全部。その他に、興味を引いてわき見する様(よ)な、刺激はここに無かったわ。
あたしは外の全てを忘れ、毎日記憶も書き換えられる。修業は楽しいものだった。
だけど退屈してたのね、お兄ちゃんたちが来た時に、ぱっと光が差したのよ。だから協力したのかな?
まだあの時は心から、オメガの娘になり切って、全てを忘れていたけれど、本当(ほんと)の名前を呼ばれたときに、あたしがどこから来たのかを、やるべきことが一体何かを、はっきり思い出したのよ。
あたしは滅びるべきだと思う。ここがこうあることは不自然、摂理に反しているはずよ。オメガの血筋を半分引いて、オメガの呪術を習ったあたしが、こうはっきりと断言できる。ここは滅んでしかるべき!」
輝かしい顔、声色で、スピカははっきり言いきりました。
本当(ほんと)の彼女の姿でした。これが本当(ほんと)の姿です。
「そういう暗示をかけたのか。スピカをオメガの娘としたか。それで六年経ったのか。全く本当(ほんと)に待ったもの。
だけど永久など無いんだよ。お前にしたってもうじきに、長い寿命も尽きるだろう。そうなる前に終わりが来たが。」
そうテンロウが言いました。

寿命が尽きる、そうでした、引き伸ばされた寿命でも、シャウラの時間は流れたのです。少年が老いて老爺となるまで、五百年間流れたのです。
一体ここで外に出たとて、やりたかったことやるほどに、時間は残っていないはず。
僕のさっきに見た彼が、まだ紅顔の少年だった、シャウラが師匠に従って、行き過ぎた時の不安げな、あの表情を思います。
全く彼に降りかかる、困難は度を越していました。

「そうか、日付が今日になり、そこでシャウラの時間が過ぎた。五百年間経ったのだ。君は僕らを待ち伏せた。何しろこの日この場所に、僕らが姫を連れ出すことを、五百年間知っていたから。」
恐らくスピカが日付を戻し、二日前の日に行った時、世界は設定変えたのです。
シャウラと僕らに縁が出来、この時間軸のシャウラが僕を、あらかじめ知っていたのです。

「それじゃあどうしてあなたは僕を、今日になっても覚えていたのか?」
「この『星の床』の作用によって、俺とスピカは全ての過去から切り離されて自由なんだ。だからスピカは少ない呪力で、お前らを過去へ送り込めた。」
テンロウがそう言いました。

「しかしこいつはどう説明する?最初に僕らがこの城に、迷い込んでから数日間、君は僕らを毛嫌いしていた。憎しみに燃えねめつけた。
今の推理によるならば、あの時君は僕を知らない。会ったことも無いはずだけど?」
僕は新たな質問を、シャウラに向けて問いました。しかしシャウラは何も答えず、うずくまったままうつむいて、僕に面を見せません。

「それなら俺が説明してやる。こいつは生きていたからな、生きてるやつが分かるんだ。生きてるやつは秩序を乱す、この城の調和乱すんだ。
お前と仲間が生きているから、こいつはお前を憎んだはずだ。早く死ねよと願ったはずだ。五百年間そうだったよう。」
テンロウが、シャウラに代わってそう言った。あれはそういうことだったのです。

シャウラは黙って砂をかむよう、苦い気配を漂わせ、僕らに懇願したのです。
「お願いだから、滅ぼすな!わしの時間をかけたここを。ここを出(い)でては外にはほかに、生きてける道理なんてない!わしの世界を奪わんでくれ!
最後のオメガを滅ぼさんでくれ!」

僕はふらふら振れました。シャウラが言うのはもっともで、無理ないことと思われました。ここで無理やり強引に、オメガが滅んで何になるか?
「決して約束たがえぬと、あの時お前はそう言った。俺の権利を要求しよう、この『星の床』を使わせろ!!」
「一体どういうことですか?話が僕には見えません。」
僕は尋ねてみたのです。

「お前に言ったなプロキオン、俺が求めているものを。妻へと至る道筋だと。それにはこれが要るんだよ、この繰り返しを支えてる、この『星の床』が要るんだよ!」
テンロウはそう言いました。言って右足たんと踏み、床を示して言いました。

「奥さんは、一体どこに居るんです?」
僕は尋ねて聞きました。
「ああ天上だよ、天の上、神住む世界にいるんだよ。」
テンロウはそう言いました。
「それはこの世に亡いことと、何か違いがあるのですか?」
「はっきり違う、生きたまま、オメガの神に嫁いだのだよ。」
テンロウは、目を血走らせ言いました。彼の初めて見せる顔。彼は激しく憤り、その眦(まなじり)を上げました。
僕の頭にスピカが言った、こういうセリフが浮かんで消えた。

「お母さんは天にいて、お父さんは地下に居る。」

あれはこういう真実だった。すべて真実だったのです。

「しかしこれではあんまりだ!シャウラの気持ちになったなら。
オメガの世界がひっそりと、ここに存続することを、今更変える必要もない。
僕らのように迷い込み、巻き込まれるのを防いだら、ここは実害無いはずです。
どうせシャウラの寿命が尽きたら、この繰り返しも無くなるはずです。そうして静かに終わればその後、あなたがここを使えばいい。」
僕は懇願したのです。僕の気持ちの振れるまま、勢いのまま言いました。

「いいやそれではいけないぜ。」
テンロウが低く言いました。
「オメガが滅べば、『星の床』も、その生命を終えるはず。それでは俺は間に合わぬ。
それに実害無いとして、これが正しい選択だ。荒ぶる神を根本に、黄泉へ堕としてしまうんだ。」

『神返し』、そういう言葉を思い出します。あの時シャウラが言ったこと。

「奉じる者を無くした神は、その魂を恨みに変えて、自分のもとを去った信徒を、最後の一人になるまでに、祟りつくして苦しめる。災厄が、この国全土を覆うはず。
只今は、お母さんの一族が、天に嫁いで行ったおかげ、フォーマルハウトは矛を収めて、ひとまず鎮められている。
お母さん達はその為に、天へ嫁いで行ったのよ。神の怒りをなだめるために。そしてここから肝心よ、お母さんが亡くなれば、神に嫁げるオメガの女は、もうこの世には残っていない。
お母さんは純血なのよ、オメガの民の最後の純血。フォーマルハウトの花嫁は、純血でなきゃいけないの。あたしじゃ神に嫁げない。」

スピカは僕に言いました。最後はなんだか悔しそうに、顔を歪めて言いました。

「血はすでに、煮詰まれるだけ煮詰まって、お母さんが子孫を残す、相手はここに残ってなかった。だからあたしは資格が無いの、フォーマルハウトの花嫁となる。」

「そう言えば、あれが渋々俺を選んで、渋々スピカを生んだよう、そう聞こえるがそうじゃない。
俺は見込まれ選ばれた。この繰り返しに頼らない、血を煮詰め行く必要もない、正しく神を降ろす道を、あれは託して賭けたんだ。」
テンロウが、スピカに捕捉を付け足しました。

僕の頭によぎるのは、あの日シャウラが言ったこと。
「災い深い出来事は、五百年間起こらなかった?」
あれはこういうことでした。スピカの母の一族の、犠牲でそれを保ってたのです。

「さあ約束を果たしてもらおう。この場を俺に明け渡せ。この『星の床』は俺のもの、正しい権利を主張しよう。」
テンロウが、老いたシャウラに迫ります。彼はますます枯れ衰えて、命の炎が今にもついえて、燃えさしにでもなり果てそうです。
それでも彼は何も答えず、ただ黙ることで抵抗しました。どうしても、受け入れられないことなのか。

「それならあたしが術を放つわ。天上に、行く方法なら教わった。実際使うは初めてだけど、でも大丈夫出来るはず。あたしは出来がいいんだよ!」
スピカが高らか言い放ちます。
「シャウラよ止めろ、止めるんだ!師匠の命が聞けないか!」
シャウラがすがって懇願しました。
「あたしの名前はシャウラじゃないわ。あたしは誰の指図も受けない、ただやりたいようやるだけよ!」
勝ち誇るようスピカが言います。全ての支配を断ち切って、枯れ衰えた師匠と対極、若草の伸びる勢いに、命を愉しく誇りながら、強い力の宿った体で、すっくと背筋を伸ばしました。

スピカは軽い履物を、脱いでぼんぼん投げました。衣の裾をたくし上げ、背筋を伸ばし中腰になり、膝を伸ばしてまた曲げて、腕を左右と上下に振って、手にした鈴の付いた杖を、しゃんしゃん鳴らして舞いました。

「回れよ天盤 回れよ星 コチニールのこの歌声に 宵の煌めく紫紺の余白に
我が足りなきは翼の骨よ 鷲の王者の羽ばたきよ 雲泳ぎたる風の力よ 肉に逆らう力与えよ
星は螺旋に登りゆく 垂直に 日に引き合う 地に逆らいて重さを捨てん
理に よりて我が歌希(こいねが)う 愛しき神の御前に 翼無き身をを届けたまえよ 
流星の昇る如きの速さ この『星の床』は船となり 翼無き身で漕ぎ出さん
この足で行く 天の赤土 その天の土 天の赤土 その天の土」

スピカは舞って歌います。歌うそのごと力を増して、若い命は暴虐に、激しい光を振りまきました。
両の目は星と輝いて、命の荒さその証、血潮が激しく流れることを頬の赤みが示します。
誰にも彼女は邪魔できず、誰の命にも従わず、ただやりたいようそうするだけだ。
それが分かった見て取った。彼女は野獣であったのだ。魔物でなくて、野獣なのだ。

反対に、シャウラは命も潰えるほどに、枯れる手前の木の様でした。
自分の時が去ったこと、行く末知れていることを、成し遂げたはずのことがみな、若い命の台頭で、水泡に帰してしまったことを、それの全てを噛みしめる。

スピカは回って歌います。その回るごとに床の光は、青い光を白く変え、次々星と回りました。まわって白く軌跡を描いて、螺旋の力で飛びました。
そうです僕らは飛び上がり、天へ天へと舞い上がり、流星の昇る如きの速さ、星の歩みで飛翔しました。

スピカが高く宣言しました。
「いざ天上へ!」

18 フォーマルハウトの墜落

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「ここは一体どこでしょう?」
僕はぼんやり聞きました。
そこは一面赤土で、白い光と霧とでかすみ、まるで昼間か夜なのか、それの区別がつきません。
「もちろんオメガの天上よ。フォーマルハウトの住処の世界。」

僕らの前に池があります。透明な水のその底に、無数の光がありました。水の揺らぎにゆらゆら滲み、そうまるで星の光の様な、清かに輝くその光り。
清かであるのにどこか激しく、哀しみ背負って煌めく光。
そうまるで星が燃えて光るよう、この輝きも燃えていた。
「お兄ちゃんあれが『星の床』、天から見下ろす地上の命。」
スピカが指さしそう言います。
そうなのか!これが『星の床』、僕らが乗ってここまで登った、レプリカのようなものではなくて、これこそ本当(ほんと)『の星の床』。
まるで幻想的なほど、あの『星の床』が見劣りするほど、心に刺さる光じゃないか!僕は思わず身を震わせた。

「ここにあたしのお母さん、オメガの最後の純血がいる。」
テンロウも、スピカも次に成すべきことを、元々知っているようでした。彼らに迷いはありません。
淀みなく、足を進めて瞳を定める。緊張に、彼らはピリピリしたのです。

「一体これからどうするんです?」
僕は聞くしかありません。彼らがどうするつもりかを、全く僕は知らないのです。
「フォーマルハウトを殺すんだ。その信仰を失った、神を殺して捨てるんだ。」
テンロウが、当たり前のよう言いました。

「やはりお前の狙いはそうか…。だがむざむざと負けてはいない。わしが偉大な御神の、手助けをして奉ろう。」
枯れて砕けたシャウラが最後の、最後の抵抗示しました。
彼が衣のひだから出すのは、小さな丸い鐘でした。それを若い木のばちで、オメガのリズムでたたきました。

「さあ俺たちも始めよう。」
テンロウは、深く息吸い大声を、大音声に吐き出しました。
「フォーマルハウトよ聞こえるか!俺はベガなるテンロウだ。俺の権利を返してもらおう。俺の伴侶を返してもらおう。
もしもお前が拒むなら、そのの黒き面(つら)を叩き割り、角を十本へし折って、はらわたを出してその中身、雨の如地にふりまこう。お前の糞は良き肥やし、牛や馬やら人糞も、お前の臭さにゃ叶わない!」

僕は冷や冷やしたものです。彼はケンカを売っています。仮にもオメガの最高神に、わざと腹立ち煮えくり返る、そういう言葉を選んで言うのだ。
いくら僕らが信仰を、異にしているとしたとして、これは全く罰当たり。オメガの人が聞いたなら、石を投げつけ怒るでしょう。

天の大地に地鳴りが響き、大きく黒く丸いもの、地平の果てから登りました。
それは黒くて青い火の、皆既日食起こしたような、大輪の日の光です。その中心の暗黒が、とぐろを巻いて伸びました。金の目玉が開きました。
「フォーマルハウトの黒い蛇!」
僕は思わず叫んだのです。
巨大な頭を持った蛇!僕が使える一番近い、言葉はきっとそれでしょう。

顔の造りはまるで異国の、儀礼に使う面の様、瞳は金で口は裂け、真っ赤な舌がのぞいています。
つむじの上から尾の先までに、青くとがった角が一列、ずらりとぎざぎざ並んでいます。
緑青のよう毒含む、緑の鱗が隙間なく、その胴と尾に張り付いて、その身をくねらすそのたびに、金属製の頭に触る、不気味で冷たい音がします。

奴はゆったり登り切り、天の一番高い所で、僕らに鎌首もたげました。ぎとぎと光る金の目で、僕らを睨んで口開き、シャーっという声立てました。その口からはきな臭く、まるで火山の灰の様(よ)な、火の気を含んだ匂いがします。
僕は知ります奴は僕らを、敵と認識したということ!
どうしていいか分からずに、僕はただただ突っ立って、ただただ黙って見てました。

「いいかい小僧、これを使え。この小太鼓をたたくんだ。リズムはお前に任せよう。」
テンロウが、背負ったザックの中からそれを、小ぶりで赤い絵の付いた、太鼓を放ってよこしました。
彼が意図するところが分からず、僕は思わず拾ったものの、それをおろおろ眺めます。
「一体僕にどうしろと?」
「太鼓を何に使うかは、太古の昔に決まっているさ。これを料理に使うのか?叩け、叩いて、適当歌え!俺とスピカの舞に合わせろ。
舞であいつと戦うんだよ。それが正しいやり方だ、有史前からの決め事だ。それにはリズムが大事だろ。」
テンロウがそう叫びます。駄洒落についてはこの際言わない。僕はこの口ぱくぱくさせて、戸惑う言葉を述べました。
「太鼓など、生まれてこの方経験ないです…。」
「いいかお前は居合わせたんだ、オメガの神の最後の時に。居合わせたのだということは、成すべき責を負ったんだよ。居合わせたものの責任なんだ。
だからお前が知らないだとか、経験無いということは、何の理由になりはしない。お前はやるんだ、今すぐに、やって世界を変えて見ろ!」

僕の頭は真っ白で、心は怖れにおののきます。しかしこの手はてんてこと、慣れ親しんだリズムをたたく。そうですこれは僕の故郷の、夏の祭りのリズムです。
「なかなかいいわ、お兄ちゃん。」
何時の間にやらスピカが猿の、仮面をつけて舞っています。手に小さめの刀を持って、体のばねの許すまま、軽快に跳ねて踊ります。
それは全く子ザルの様に、賢く小ずるく明朗でした。
テンロウも、狼の面をつけています。手には先ほどスピカが術を、放った時に持っていた、鈴付きの杖をかざしています。
猛々しくて、沈着で、雨にも風にも陽の光にも、動じること無い狼です。
 二人は僕のリズムに合わせ、二人の個性を保ったままで、きれいに調和し高め合い、その勢いを増していきます。

 対するオメガの大神は、シャウラが必死に打ち鳴らす、鐘のリズムに合わせます。
 きしきし音を立てながら、スピカにはたまたテンロウに、口から吐き出す毒気を当てて、燃え尽きろよというように、黒い炎を吐きました。
「歌え!」
 テンロウがそう命じます。短く一言有無を言わさず。
 僕は適当歌いだします。やけくそで意味の通じない、いかれた言葉の羅列です。

 「三回周ってご町内 爺(じじい)のくしゃみは聞き飽きた 
どうせ聞くなら可愛い娘の 小さなくしゃみを聞くために俺は散歩をするんだよ 
ご主人様よ聞いてくれ こっちの草は臭いから、こっちへ行きたい
この道は 舗装され陽が痛いから 俺のあんよの肉球が 火傷するから行きたくないよ」

「いいぞいいぞ!その調子!」
テンロウはやけに楽し気に、僕にはやして笑いました。
僕の頭は真っ白で、一体自分が何を歌って、何を鳴らしているのかが、真空の中に浮いたみたいに、何にも把握できません。
ただ分かるのは、テンロウと、スピカが生き生き舞うことです。二人の舞は力を増して、その輝きを伸び伸びと、古く老いたる神と術師に、ただ傲然と見せつけます。
全ての若く新しい、可能性ある者たちが、周りに示すやり方で、躍動しては見せつけます。

シャウラは彼に残された、力の限りに叩きます。叩いて叩いて叩きます。
しかし残酷音が持つ、勢い響きの大きさは、二人の舞の躍動に、決定的に敵わない。とうに盛りの過ぎ去って、敗北定まる者の苦しく、空しい音に聞こえます。

フォーマルハウトの御神は、シャウラの鐘に乗りながら、身をくねらせて、首もたげ、対する二人に迫ります。
しかしスピカとテンロウの、命の盛る勢いに、くすんでさえもいる鐘に、リズムを任せたそいつは徐々に、徐々に勢い削がれます。
スピカがたんと前に出ます。フォーマルハウトはのけぞります。
テンロウががっと振り上げます。フォーマルハウトは一歩下がって、苦しく毒を吐きました。

「叩け、叩け、叩いて歌え!」
テンロウはこう命じます。僕は全く逆らえず、ただ成り行きに加勢します。
叩いて歌い徐々に気付いた、これが必然節理であること。
盛者必衰、諸行無常、言葉は習っていたはずが、僕は初めて得心をした。
古びたものは、老いたるものは、道を譲って退いて、滅びることで更新するのだ。例外などは在り得ない。
神ですら、その定めからは逃れられない。フォーマルハウトの御神の、これが最後の務めであるのだ。

若きは新たに座に座り、更新された世界を築く。だがそれすらも永久じゃない。
何百年か、何千年か、時間の長く経った後、彼らは今度は挑戦される、また新しい若いものに。
それにはすべて真剣で、全力でなきゃいけないのです。老いたるものは本気であがき、若きは全身全霊で、当たっていかなきゃならないのです。

僕もどうやら本気なります。本気で太鼓をたたいて歌い、世界の必然理の、その一端を負いました。
それはどうやら光栄で、誇るべきもののようですが、それは後から考えたこと、ただその時は一心に、叩いて歌う、それだけです。
僕は必死に叩いて歌った。そして見ているだけでした、僕のリズムと出鱈目の、歌に二人が乗って舞うのを。
ただそれだけでちっぽけな、この僕は何か大きくて、永久なるものの一部になった。
何かそう、宇宙の広がり持った何かの。

星空の星の一つになった。

池からのぞく『星の床』は、三者の舞に呼応する様、激しく光を増しました。
地上の人の全ての命が、火力を高めて燃えている。今宵オメガの天界が、入れ替わることを知っている様、まるで祭りであるかのように。
『人は星だと教えます』、あの方の言った言葉がよぎる。
 老いたる人も幼子も、善人いわんや悪人でさえ、等しく人は星なのです。

 この星は、オメガの昔の星たちの、末裔(すえ)の星らであるのでしょう。同じよう、僕に連なる星たちが、僕らの昔に確かにあった、地球の裏に北に南に。
 この先も、僕から連なり生まれ出る、星が確かにあるはずだ。枝分かれしつ、交わる星が。
 永く、永く、星は連なる。 地球が膨れた日に飲まれ、巨大な火球となったとて、別の天地に、宇宙の隅に、僕から生まれて連なる星は、そのきらめきを映すのだ!
 永く、永く、星は生まれる。いつか僕らが変化して、違ったものになるその日まで。
 螺旋の道を上りゆき、宇宙が変わる時が経つまで。
 
 その星の中の一つであると、世界の一部であることを、ひしひし、ひしひし体感しました。
 心の底から生きていると、確かに生きていると感じた。もっと生きたいそう思った。 

フォーマルハウトは苦し気に、身をくねらせて揺れだしました。細かく摺り足するように、小刻みにその場旋回し、シャウラの鳴らす鐘のばちが、無残にぽきりと折れた時、パンという間の抜けた音、放って地上に落下しました。まっ逆さまに墜落し、高い火山の峯にあたって、火山はボンと火を噴きました。

「ついにやった!」
「勝ったんだ!」
二人が口々言いました。付けていた面を手で外し、汗の浮き出るその顔を、腕で拭って笑みを見せます。

シャウラは黙ってうずくまり、ただ茫然とするばかり。すっかり力を使い切り、放つ言葉もありません。
だか彼にだって分かってたはず、負けが最後の使命であること。彼は堂々果たして見せた、老いたるもののその使命。

フォーマルハウトの居た日輪が、赤く明るく輝きました。まるで窓でも開くよう、赤く燃えつつその中心が、光の瞳を開きました。

中からは、真っ赤な長いうねる髪の、燃え上がるような美しい、女性が微笑み現れました。
「お母さん!」
「アンタレス!」
二人が同時に叫びました。
「わが背の君と、娘よ来たか、この天の座を勝ち取ったのか。」
威圧する様(よ)な気配とともに、彼女は艶然微笑みました。
「これがあなたの奥さんで、スピカの母親なんですか?」
僕はなんだか意外な気がした。老いたる神の花嫁に、犠牲に嫁いだのにしては、随分激しく気位高い。もっと清楚で可憐な人を、僕は浮かべていたのです。

「如何にもそうじゃ。これなるは、我が夫であるテンロウと、愛しき娘のスピカである。」
彼女は堂々そう言って、駆け寄ってきたスピカを抱き寄せ、優しく頭を撫でました。
「お母さん、八年ぶりだわ!会いたかった、ずっとずっと会いたかった!」
「正確に言えば十三年振り。お前は十二になる歳で、六年足踏みしていたのだよ。」
アンタレスというその女性(ひと)は、スピカに優しく言いました。
二人を並べ見納得をした、彼女は確かにスピカの母と。二人はとても良く似ている、炎の苛烈と暴虐を、その心の中隠している。
大きくなったらきっとスピカも、こういう女性になるのでしょう。目を離せぬほど激しく強い、このアンタレスのような女性に。

その傍らでは万感の、思いを込めてテンロウが、満足そうに立っていました。静かに二人に歩み寄り、両手を広げ二人の肩に、右と左の手を置いた。
「これからは、ずっと一緒よお母さん。」
スピカは母に言いました。

僕は尋ねて聞きました。
「どうやって、地上の国に帰るのですか?奥さんを、地上に連れて帰るのでしょう?」
テンロウは、少し額を曇らせました。
「俺と二人は帰らない。このままオメガの天に残り、三人一緒で一柱の、神の座に座るはずとなってる。」

僕の周りの温度が急に、冷たくなってきたようです。この三人は地上に帰らず、このまま永久に近い月日を、ここで過ごすということか!
「お前とあいつは帰してやるとも。心配なんてしなくていいさ。」

スピカが無邪気に言いました。
「あたしお星さまになるの!」

「それは絶対そうでなきゃ、いけない決まりなのですか!それではあなたとスピカも加えて、犠牲になるということと、何の違いがあるのです!」
僕は激しく言いました。
テンロウは、苦渋といった顔つきで、滑りも悪く言いました。
彼にしたってこれが一番、望みの結果じゃないということ、僕にも察しはついたのです。

「新たな神の座に就いて、この天界を治める者が、必ず必要なるんだよ。
仮に俺らがやらぬとし、このことにもっと関り薄く、覚悟の薄い他の誰かに、責任だけを押し付けて、三人一緒に幸せに、暮らしましたとしならば、それはあまりに無責任。」

「わが一族の負った責は、わが一族が完結しよう。それが時の輪つなぐこと。次はほかなる誰ぞやが、新しい輪を作るだろう。しかしそれなら別のお話。
私は自分の責務を果たす。私は私の輪を閉じる。」
アンタレスがそう言いました。確信に満ちた言葉でした。
それは正しいことなのでしょう。テンロウが言った責任も、アンタレスが言う時の輪も、確かに真実なのでしょう。
この物語は終わるべき。新しいことを始めるために。古い輪を閉じてしまうのは、きっと必然そう違いない。

それなのに、僕は納得できないのです。どうしても、収めきれない異議があるのだ。二人だけでは済まないことだ。
「どうしてスピカも残らなきゃ、いけない理屈があるんです!彼女はまだまだ幼くて、いろんな未来を秘めているはず。
あなた二人にしてみたら、自分で選んだ道であるから、悔いなど残りようがない。
だけどスピカにしてみたら、自分で選んで生まれたのじゃない、親の都合で未来を断って、ここで無限に近い月日を、ただ漫然と送ることとなる!
それは僕には許せません!」
僕は必死に言いました。言って解ってくれるかどうか、だけども僕は食い下がります。

「お前は何も分かっていない。ここで偉大な神として、送る月日は漫然と、過ぎゆくものではあるはずがない。
神には神の使命があるのだ。地上の尺度で考えて、地上の物の見方をするは、見当違いというものだ。
スピカも我の、血脈の子なら、使命を投げて安穏と、地上にとどまる道は選ばぬ。大きな流れに身をゆだね、外側にある道を行くのだ。」

アンタレスがそう言いました。彼女の瞳は超然と、僕の視界の外側の、大きく偉大な流れの方を、凝視しているようでした。
「新たな神に昇る決まりは、人が三人一組で、留まることとなっているんだ。他の誰かは巻き込めない。解ってくれよ、プロキオン。」
テンロウが、含めるように言いました。僕をなだめてすかそうとして、情に訴え言うのです。

「解りません!解りませんよ!」
僕は叫んで言いました。
「お兄ちゃん、あたしちっとも嫌じゃないのよ。このままずっと三人で、一緒にいられるものならば。
小さい時からそれ以来、三人一緒は無かったんだもの。あたしちっとも嫌じゃないのよ。
フォーマルハウトの花嫁は、なれる資格が無かったけどね、新しい神になれるのならば、この血脈に生まれた意味は、きっと果たせる、そう思うの。」
スピカはそう言い僕の腕、触れて優しくなだめました。

この肺が、苦く鋭く締め付けられて、僕の呼吸は一瞬止まった。

「君はそのよう言うけどさ、嫌じゃないって言うけどさ、君は全然生きていない!全然生きてはいないじゃないか!」

止まった息の全てを込めて、僕は鋭く叫びました。僕の叫びはこだまして、天の大地に長く残った。

その場がしんと静かになって、その場の誰もが黙りました。
スピカは笑った顔のままで、口の端(は)をきゅっと上げたままで、目だけ何だか泣きそうに、悲し気な色を見せました。

「どうしても、残る人数三人ならば、僕がこの場に残ります!僕が残って神になります!これで文句はないでしょう!
僕は生きたし恋もした、喜び悲しみ味わった、だから悔いなど残しません。僕がこの場に残ります!」
僕は叫んで言いました。
頭がおかしいそう思う、僕の頭は狂っている!
ついさっきもっと生きたいと、生きたいのだと願ったはずが。
だけど吐き出すその言葉、全く迷いはなかったのです。
スピカを残すくらいなら、自分が残る、心から、心の底からそう思ったのです。

二人も僕の宣言に、息呑みながら目を見張ります。
テンロウは、僕を労わるように見て、アンタレスはただ以外そうに、見損なってたそういうように、僕を憮然と見つめます。

「お若いの、ここに生きてる人間が、もう一人いるを忘れでないか?」
かすれて割れた声がして、僕らははっと思い出します。シャウラがそこにうずくまり、このやり取りを聞いていたこと。
「もう一人人が必要ならば、このわしがここに残ろうか。どうせほとんど捨てた人生、地に戻ってもやっては行けぬよ。
この世は大分変わっただろう。わしの余命を受け入れる、そういう隙間も余地もないほど。
お若いの、お前は悔いが無いと言ったが、生きてないのはお前も同じ。生きたと思うは若さのせいだ。尺度が短いそのせいだ。
長い月日を棒に振った、このわしが言うで間違いないよ、生きるほど、人生なるは短くなるのだ、五百年などあっという間だ。
本当に、全ては空しく過ぎて行った…。」
シャウラは僕に言い聞かせ、遠くを見つめる目をしました。

「しかしシャウラは少しでも、生きたいのではないのかい?やってみたくて果たせなかった、それを行う時間がせめて、少しでもあるとしたのなら、生きるべきではないのかい?」
僕は心が痛んだのです。不安げに、だけども生き生きこの先の、まだ見ぬ人生その希望、語ったシャウラを見たのはたった、僕の時間の昨日です。
僕の昨日とシャウラの今日に、何と大きな年月が、断絶をしているのでしょう?
この断絶を解消する、術はここには無いのでしょうか?

シャウラは浅く微笑みました。憑きものが落ちて本当(ほんと)の彼が、雲間から出てくるように、それは自然な笑みでした。
「お兄さんはもう少し、自分のことを考えるんだ。故郷(くに)には家族がいるんだろ?可愛い伴侶も欲しいだろ?
こんなつかの間関わった、僕らにかまけて犠牲になるなど、人生をどぶに捨てること。実際捨てた僕が言うなら、これは絶対間違いないよ。
おじさんたちも待っているよ、あなたが無事に帰ってくること。家族もきっと待っているよ。僕を待ってる人はいない。」
僕は苦しく黙りました。待っててくれる人がいること、それは確かなことでした。シャウラに待つ人いないことも。

「お兄さんは覚えているかい、『神返し』するを大きな使命に、したいと僕が言ったこと。」
シャウラは僕に問いました。
「もちろん覚えているともさ。僕にとっては昨日だからね。」
僕は答えて言いました。

「外の世界を旅しつつ、『神返し』成すことは出来ずに、この一生を終えようが、だけど形を違えど僕は、フォーマルハウトを葬った。黄泉の世界に返して捨てた、オメガの世界を完結させた。僕は使命を果たせたんだよ。
そうしてここに残ること、新たな神の一柱に、任ぜられるは悪くない。悪くない僕の結末だ。何にも無駄にはならないのだから。
枯れた木だって、一つの柱、命がまだまだあって良かった。あなたやこの子を犠牲にせずに、ここから下界を見守りながら、続く世を見て永らえるなら、それは悪くはない結末だ。」
シャウラは噛んで含める様に、僕に語って聞かせました。
少年のまま老爺になって、老爺であって少年でした。
僕は納得するしかなかった。とても悔しいことでもあるのに、それでも正直ほっとして、腑に落ちた様な心地がしました。
転がるところに転がった、ボールがことりと止まったところ。

「スピカ、一体どうするの?彼はそのよう申し出た。お前はここに残るのか?それとも地に降り生きたいか?」
威圧する様彼女が言った、スピカの母のアンタレスが。娘の姿を強い目で、凝視しながら言ったのだ。
スピカはもじもじ黙りました。彼女にしては特異な反応。言いたいことが言えぬのか。
テンロウが、決意を込めて言いました。
「お前が選んでいいんだよ。やりたい方を選ぶんだ。やりたくなけりゃ、やらなくていい。心の底からそう思う。
おまえの命はお前のものだ。他の誰かのものじゃない。だからお前が決めるんだ。」
アンタレスは反論を、しかけて息呑み黙りました。
テンロウの、顔は威厳に輝いて、誰かに口を挟ませる、そういうことを許さなかった。

スピカの顔に朱が上り、まるで泣きだす寸前で、激しく言葉を紡ぎます。
「あたし生きたい、生きてみたい!色んなことをしてみたい!色んな国に行ってみたい!お父さんたちの生まれた国にも、絶対行ってみたいのよ!
だけどあなたと一緒にいたい、ようやく会えたばかりなのに…。
三人一緒に暮らすこと、ずっと夢見てきたはずが、ようやく叶うその時に、あたしの心は晴れないの!
あたし一体どうしたらいい?どっちを信じていったらいいの?」
スピカの言葉は最後叫びに、切なくとがって落ちました。

「お前は生きた方がいい。生きて未来を紡ぐんだ。娘は親と別れるものだ。何にも気にすることはない。その時が来た、それだけだ。
なあそうだろう、アンタレス。お前も親の言うことを、聞かずに俺と一緒になった。」
テンロウがそう言いながら、スピカの頭を撫でました。
アンタレスなら地よりも深く、深くため息つきました。
「そういう昔もあったのだなあ。母の嘆きが胸に迫る。」
そうして燃える碧い目に、深く哀しい色を浮かべて、スピカを優しく抱き寄せました。

「愛しきスピカ、我が娘、お前が私の今の心を、理解が出来るようになるには、お前も子供を持たねばな。
確かに娘は親と別れて、自らの家族持つものだ。残った親は、見送るのみだ、今この私がする様に。
だがね、心を千切る想いは、普通の母には分るまいて。この十余年に失った、お前との時の重さ分、更に心を引き裂くのだよ!共に居れると信じていたのに…。
お前は強く成長をして、今目の前に現れた、この先も、お前は大きく育つだろう、その横に、ずっと私はいないのだ!微笑むことも叱ることも、励ますことさえ出来ぬのだ!それの痛さは今のお前に、到底想像できまいて…。」
アンタレスは涙をこぼして、スピカの髪を撫でました。
「命を紡げよ我が娘、私が得られぬ幸せを、お前はきっと叶えて見せろ。幸せに、そう、幸せになれ、誰より深く幸せに。
母は黙って祝福を、お前の上に投げかけよう、お前の伴侶に成した子に、夏の朝露よりも細やかで、輝かしいその祝福を、ここに私は約束するよ。
お前は誰より幸せになる、そう誰よりも幸せに!」

「お母さん!」
スピカが母に抱き着きました。嗚咽しながらこう言います。
「本当に本当に大好きよ!心の底から愛してる!一緒にいたいと思うのよ!離れたくない、そう思うのに…。」
テンロウも、スピカの背中を包みました。
父と母とその一人娘は、泣いて別れを惜しんだのです。それは悲しい別れでしたが、明るい希望を伴って、晴れやかですらありました。

「プロキオン、これをお前に渡しとく、マイナンバーのカードだよ。俺の実家の住所がここに、記して書いてあるはずだ。スピカを送ってやってくれ。」
テンロウがそう言いながら、背負ったザックの中から財布と、カードを僕に渡します。
「お財布なんかいりません。あなたがとっておいて下さい。もちろんスピカは送って行くが、僕は何にも取らないですよ。」
「天界で、金を持ってて何になる?お前にやるとは言っていないし。スピカの身の振り考える、足しなどにしてやってくれ。旅費にも色々かかるだろう。」
「そういうことなら分かりましたが。心配なんてしないで下さい。きっときちんと果たしますから。」
「子の心配せぬ親がいるか?するなと言ってもするもんだ。」
テンロウは、相も変わらず口が減らない。僕はくすっと微笑みました。
テンロウも、初めて皮肉を生まない笑みを、いたずらに僕に向けました。
「よろしく頼むよ、プロキオン。」
「僕はそういう名前じゃないです。」

「『お兄さん』、この子のことを、きっと頼むよ。
この子はどういう成り行きで、どんなに偽りだったとしても、たった一人の弟子であったよ。わしの光であったのだ。
シャウラよ、愛しい我が光、遠くに行っても輝き続けろ。
ただどうか、我らのことを忘れんでくれ。こういう滅びがあったこと、暗い歴史があったこと、この僕がここで生きてきたこと、どうか覚えておいてくれ。」
シャウラの言葉は子供と老爺を、行ったり来たりしたのです。

スピカは笑って言いました。輝くような笑みでした。
「そんなの絶対忘れないわ!お師匠様を忘れるなんて!
お師匠様に教わった、大切なこと、オメガのしきたり、そうして呪術の数々は、時が経っても忘れない。たとえ役には立たなくっても。
あたしは全て忘れないわ。お師匠様がここに一人で、五百年間この城を、守り続けてきたこと全部。
だけど最後にお願いあるの、あたしはそういう名前じゃないわ。名前を呼んで欲しいんだ、あたしの本当(ほんと)の名前を呼んで!」
シャウラは笑顔を見せました。子どもの昔に帰ったような、素直で明るい笑みでした。
「スピカ!」

19 帰還

僕らはゆっくり下降しました。この『星の床』に乗ったまま。
天に残った三人の、顔がはっきり見えるほど、それは静かに下りました。
スピカは必死に見上げます、上に残った三人を、目に焼き付けと言うように、細いその目をじっと凝らして、涙のたまった瞳を大きく、大きくしながら見上げます。
三人は、優しい顔をしてました。見守る、そう言う言葉を全て、現したような笑顔です。それはどんどん遠のきます。

やがてとうとう三人の、姿は豆と小さくなって、やがて芥子粒小さな点に、いいえ小さな星の光に、どんどん遠くなっていきます。
三つの命の輝きは、天を彩る他の星と、見分けがつかなくなりました。

スピカは嗚咽を漏らしました。さっきの涙が乾いた後で、また大粒の雫が頬を、伝ってそれを濡らします。
僕は背中をさすります。黙って背中をさすります。
しかし涙の雨雲は、すぐに切れ間をのぞかせて、後には前よりもっと明るく、光り輝くスピカがそこに、僕の傍ら立っていたのです。

「お兄ちゃん、カリーナ姫にはなんて口説いて、どう説得して連れ出したの?」
スピカはだしぬけ聞きました。僕は言葉に詰まります。

「大きい嘘をついたんだ。僕は強くて頼りがい有り、誠実でまめな男だと、そういう嘘をついたんだ。」
それは真実だったのです。僕は演じていたのですから。

スピカはふふんと鼻鳴らし、生意気そうに言いました。
 「そんなの誰でもやってるわ。そうでもしなけりゃ振りむいて、好きになってはくれないんだわ。
 お兄ちゃんならもうちょっと、図太くなる方いいかもしれない。哀しい嘘に耐えてこそ、大人の男になるんだと、お父さんが言っていた。」

「嘘とは哀しいものなんだ。僕もあの時初めて知った。だから大人の男になんか、もうなりたくない、そう思うんだ。
 それに大人になったって、結局人は無力だよ。僕より完全一人前の、テンロウにしろ、カウスさんにも、出来ないことが多くある、出来ないことの方が多い。
 君ら家族がそろって地上に、降り立つことが叶わなかったり…。
 同じ無力であるのなら、僕は嘘などつかないまんま、ただ迷ってた方がいい。迷ってうろうろおろおろしながら、誰かの心に寄り添いたい。たとえ未熟と呼ばれても。」

 僕の言葉にスピカは笑って、弾けるように笑って言った。
 「お兄ちゃんって、おせっかいよね。そうしてとっても強引だわね。何でもかんでも我儘に、目に留まる人を救おうとする。神様が、見習ったっていい位に。」

 僕の心に痛みが走った。触れられたくないことだった。
僕は詰まって口ごもり、悲しく口を開きました。
「たった今、君から言われた同様のこと、みんなから僕は言われていたのだ。だから調子に乗ったんだ…。僕が彼女を救って見せると…。」
僕は思わずこぼしてしまった、心に刺さる鋭い棘を。
「彼女というのは一体誰なの?お兄ちゃんの好きだった人?」  
 僕は一瞬考えて、その一瞬で観念しました。スピカに嘘は付けないのです。
付いたとしてもどうせ見抜かれ、より都合悪い真実を、語ることになる、それが分かった。

「同級生の女の子…。イジメにあっていたんだよ。だから寂しくないかと思い、声をかけたら拒まれた…。そう、偽善者だと言われたよ…。
僕は不快になったんだ。せっかく親切したはずが、情けをかけた相手の方が、はねつけるなんて生意気だって。
そう思うことがそもそもに、優越感の現れなのに。
僕がそいつに気がついたのは、『あの子』が飛び降りした後だった。わざわざ僕を呼び出してから、そうした上で飛び降りたんだ…。彼女はきっと僕を憎んで…。

本当に、僕は偽善であったんだ。自らの為に、声をかけ、自らあげるその為に、彼女を救うふりをした。
それを自分で気づいてからは、僕は自分が信じられない、救いたいことが本心なのか、それとも自惚れ糊塗するためか、良く分からなくなったんだ。
カリーナ姫に恋したことも、果たして本心だったかなあ?もしや『あの子』の呪縛を解きたい、そういう狡い心があったか、僕は自分を疑うんだ。」

僕は初めて葛藤を、他の誰かに話しました。
スピカの瞳は深く凪ぎ、僕の全てを吸い込むように、内へ内へと広がりました。
 「あなたもそういう一面を、確かに持っていたのねえ。あなたはいつも情熱のまま、本気で生きてるみたいに見えた。」
 
「僕はちっとも完璧じゃない。そういう卑怯な男なんだ。神様はこの僕のことなど、見習ったりはしてはいけない。
 それでもどこを間違えて、こういう悲劇になったのか、僕は何時でも分からなくなる…、」
 苦くて乾いた砂を噛むよう、僕は苦しくこう述べた。
スピカの瞳は大人びた、哀し気な色を宿して光った。
 
「オメガでは、人は星だと教えるの。」
カリーナ姫と同じこと、スピカは僕に語りだした。
「あたし思うの、真実だって、国や時代が違ったって、人は一つの星であるのよ、命の炎を燃やす星。
多分あなたは受け取り損ねた、彼女の星の輝きを、彼女はきっとそれを感じた、そうしてあなたを拒んだんだわ。」
スピカの言葉に僕は脳天、勝ち割られた様(よ)な心地となった。
そうだ、『あの子』も星だった。命の燃える一つの星だ、その星が、僕に訴えかけていた…、そうして目の前消えたのだ!

「もしも、もし、『あの子』に星を感じていたら、違う結果になったかい?」
責められるのを覚悟して、僕はスピカに問いかけた。
「それは確実伝わったはず。あなたの善意やそういうことは。
本当に、あなたが自分に興味を持って、声をかけたとしたのなら、彼女は自分に自信を持って、あなたの善意を受け入れたはず。」

「ああそうか…、そうだったのか…。でも何で、どうしてだろう?君やカリーナ姫様に、出来た様には何故できなかった…?」
うつむく僕にスピカが言った。
「きっと巡りが悪かった。彼女の星とあなたの星と。
星は自分の引力の他、いろんな力を受けて動くの。あなた一人の意志の力で、操り切れないものであるのよ。

だけど聞くけどお兄ちゃん、あなたは怖くはなかったの?彼女に関わるそのことで、自分の方もはじかれるとか。
自分のためにそうしたと、あなたはそのよう言うけどさ、ただそれだけのそのことで、それだけ危険を冒す気よ!あなたはやっぱり無謀だわ。
女性なら、無視の出来ない無謀さよ。
あなたの無謀な偽善の中に、何割だかは素直な善意が、きっと混じっていたんでしょう。それは彼女に届いたはずよ。
きっと彼女はあなたのことが、他より少しは好きだった。。嘘でも優しくされたなら、少しだけでも嬉しいじゃない。」

「そんな訳など無いだろう!わざわざ僕を呼び出してから、『あの子』は飛び降りしたんだぜ。そいつは一体どう説明する?僕に対するあて付けだろう?」
戸惑う僕にスピカは言った。
「あなたの心に残ろうとした。忘れないよう憶えて欲しい、きっと彼女はそう思ったはず。ただ居なくなるよりあなたの心に、くさびを打ちたい、そう思ったの。
やっぱり彼女はあなたに対して、何らかの好意持ってたはずよ。彼女に声をかけたのは、お兄ちゃんだけだったんでしょう?
あなただけには自分のことを、ずっと憶えていて欲しかった。
彼女は確かに勝利した。最後の最後に命と引き換え。
あなたが彼女のこと話した時に、痛みに曇る顔を見て、てっきりあたしはお兄ちゃんが、好いてた人かと思ったの。それほど強く心に棲んで、頭に離れぬ存在だって。
それは確かに彼女の勝利よ。あなたは一生忘れられない、彼女の言葉、星の輝き。」

僕の頭に超新星が、激しくきらめくさまが浮かんだ。
『あの子』の笑みは『あの子』の最後の、星の輝き、爆発だった。
自分の命と引き換えに、『あの子』の命は輝いた、輝きそして燃え尽きた。
この網膜に激しく焼き付き、その残像はつきまとい、僕の中での永久となった。
自分の命と引き換えに…。

僕の手足が冷たくなって、悲しみが、あの日溢れぬ熱い涙が、瞳の奥に迫りました。
「僕は一体どうしたら、『あの子』を救ってあげられた?」
「お兄ちゃんなら、おせっかい。そして自分がしたいことの、他に何にも見ていない。
 学校に、同じクラスに級友は、一体何人いたはずよ?あなたは彼女に声かけた。彼女の孤独を認めても、ただ何もせず黙殺したのは、一体何人いたはずよ?
 一人で成すべきことの他、みんなでやるべきこともある。あなた一人じゃなかったら、きっと結果は違ってたはず。」
スピカはまるで姉である様(よ)に僕を労わりそう言った。
 「だけど彼女はもういない、憶えていたって帰ってこない!僕に家族がいる様に、彼女にだって家族がいたんだ!その人たちになんて言うのか!」
 絞り出す声にスピカは言った。
 「完璧な人はいないもの。最善の道は常には取れない。きっと巡りが悪かった、あなたの星と彼女の星と。」
 「僕など星であるはずがない!光っていると思っていたのは、きっと単なる思い込みで…。でも星であると思いたくて、カリーナ姫を誘惑したのだ…。」
 僕は一番暗くて深い、心の影を吐き出した。

 「あなたも星よ!絶対に!あたしを助けてくれたじゃない!お師匠様も助けてくれた、あの時に、駆けて戻ってくれなかったら、あたしの名前を呼ばなかったら、あたしはお師匠様を殺して、城に永遠囚われてたわ。
 カリーナ姫も救ったわ、残酷極まる時の轍を、確かに破って差し上げた、あなたの光がそうしたの、あなたの星の輝きで!」
 スピカは必死にそう叫び、僕の両手に手を載せた。

 「何より大事なカリーナ姫を、僕は騙して手に入れたんだ…。今になり悔やみわいてくる、本当の、僕を愛してほしかった、こういう結末なら尚更に…。」
 スピカは僕に激しく叫んだ。
 「『全然生きていない』って、叫んだ時も本気じゃなかった?あたしはとっても嬉しかったの。あの一言で本心を、お母さんにだって告げられた。
あなたの星があたしを救った!だから絶対あなたも星よ!光を知るのは光りであるのよ、あたしの星があなたの星を、確かに感じて教えるの!」
 
確信に満ち、彼女は言った。スピカの星が僕を照らす。眩く激しく光るその星。
光を知るのは光りであるのだ、僕の心に温かい、痛みがジワリ広がった。
 痛みに伴い魂の、深いとこから輝きが、僕の体を満たしていった。
 再びに、僕の命は光りであふれた、無邪気に光を信じた頃より、深く切なく輝く光。哀しみ知ったその分に、重みを増して輝く光。
僕の光は戻って来たのだ、カリーナ姫に導かれ、スピカの光に照らされて、僕の光はとうとう戻った!
 僕の光は戻って来たのに、『あの子』は永久に帰らない、僕の光は戻って来たのに…。
今となり僕は初めて悼んだ、戻った光の重さ分、ようやく僕は初めて悼んだ、『あの子』の生き様それについて…。

 つぶやくように僕は言った。
 「今となっても出来る事、彼女のためにどうしたらいい?僕は一体どう償いを、受け止め生きたらいいだろう?」

 スピカは強い目をして僕を、僕の瞳をのぞきました。
 「お兄ちゃんが今出来ること、今となっても出来ること、それは忘れぬことだけよ。決して決して忘れないこと。
 彼女の心を察したのなら、それを尊重したいなら、お墓の中まで憶えてること。それだけが、ただの一つの償いよ。」
 
僕は滂沱と涙を流し、『あの子』を悼んで泣きました。彼女の勝利が悲しくて、彼女の想いが可愛くて、ただただ涙を流しました。
 
僕の脳裏にカリーナ姫の、微笑む姿が浮かびます。語る言葉がこだまする。
失くしたものほど永遠となる、手の届かない永遠となる。
もう取返しの付かないことで、『あの子』が僕の永久となった様、、運命がそこで途切れたままの、カリーナ姫も永遠なのだ。
彼女の言葉は僕が死ぬまで、行く手を照らして導くだろう。

『人とは星です、誰であっても。』

 『あの子』の涙とカリーナ姫の、微笑む姿が混じりあい、まるで慰霊の碑のように、一つの強い詩となった。
 『あの子』を決して忘れない、彼女の苦しい心を抱いて、それを悼んで生きるのだ。
 カリーナ姫を忘れない、誰と未来を語ろうが、誰を愛して誰を想えど、その僕の中に必ずや、カリーナ姫が生きている。

 天の底、沈み続ける「星の床」は、雲海の中突き抜けて、夢に沈んだ大地へと、静かに落ちていくのです。
 街の灯りはもうだいぶ、間近に迫ってきたようです。もう天上より大地の方が、ずっと間近くなりました。大きな建物だったなら、肉眼だって見えるくらいに。
 
僕の心は待ってる人の、待ちわびている地上へと、翼を生やし飛んでいきます。
 それでもスピカは見上げるのです。今降りていく地上より。見守る人の居る天上を。

 彼女は再び叫びます。
 「お父さーん!お母さーん!お師匠様ー!」
 それは涙の影のない、晴れて明るい笑顔でした。

エピローグ

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 軍の車両は悪路に揺れて、横たわる人を転がします。僕は黙って座ったまんま、星の消えゆく空を見上げた。

 僕らが地上に着いたとき、あの『星の床』は役目を終えて、永久に光を失って、大きな古びた石板に、静かに命を消しました。
 スピカはそれを手で撫でて、廃墟に咲いた白い花を、そっと供えて言いました。
「五百年間お疲れ様ね。あなたの上で儀礼をするのは、とっても素敵でわくわくしたわ。」

 それからすぐに政府の軍の、兵士が数人やって来て、僕らを保護してくれたのです。
 やっぱり僕の思った通り、故郷の国では大騒ぎ、この国の偉い人たちも、躍起に僕らを探そうと、手立てを尽くしていたらしい。
 自称ゲリラの戦士については、この地をとうに逃げ出して、別の拠点に移ったとのこと。奴らなら、懲りることなど無いのでしょう。

 カウスさんとヌンキさん、僕が一人で戻った後に、政府の軍に助けを求めて、一足先に保護されました。その後政府の兵士らが、僕らを探しに来てくれたのです。
 
ほろをかぶらぬ軍用車両に、カウスさんとヌンキさん、スピカが薄い毛布にくるまり、すやすや寝息を立てています。
 二人とも、僕とスピカが連れられて、保護されてきた時はずいぶん、心の底から驚いたよう。
 僕が語った説明に、それでも何故か得心したと、そういうような表情で、耳を傾け言いました。
 「それでこの子は何故だか特別、そういう印象だったんだ。現代の、俺らの時代の子供だったか。」
 そのほかの、詳しい話は次にしました。スピカの両親シャウラの運命、フォーマルハウトの最後のことを、落ち着いてから話そうか。僕はそのよう思いました。
 何しろ二人は疲れ切り、車に乗って安心すると、途端にいびきをかいたのでした。
 スピカもすやすや眠っています。あんなに悲しい別れの後に、満たされないものなんて無い、全てに充足しきったような、幸せ過ぎる寝顔です。
 
 僕らの他に兵士が三人、荷台に乗り込み警備します。それでも敵の心配も無く、任務を果たした安心感に、朗らかそうな様子でした。

僕はと言えば、寝付かれず、薄い毛布をぐるっと纏い、消えゆく星を見てました。
科学では、この空の上に宇宙があって、生命の無い真空に、数多く星が廻っている。
星は小さなものではなくて、巨大な火球であるのです。そこでは上も下もなく、落ちることすら上ることすら、当てはまらないことになる。
別の銀河が外に在り、昔の人が考えた様、神様なんてそこには居ない。天に赤土なんてなく、太陽は蛇じゃないのです。

それでも彼らは居るのです、オメガの天に、この天上に。
神となり人の命を超えて。ここから昇って行ったのです。
見えないものを信じることを、無いはずのものを感じることを、僕は肯定して見せます。
それは確かに必要なのです。フォーマルハウトの鉄槌を、最後の時まで信じ続けた、オメガの昔の人々と、同(おんな)じように僕らにとっても。

ぼん、と一吐き高い山が、火の気の多い煙を吐いて、辺りの地面が揺れました。
「今日の未明に火を噴いたんだ。火山灰なら降るかもしれぬが、火砕流などは起こらんよ。」
兵士の一人が言いました。
「フォーマルハウトが落ちたんですよ。」
僕は答えて言いました。
「おおそれはベガのジョークかい?」
兵士はそろって笑いました。
いいえジョークじゃないのです。全てこの目で見たことです。僕だけわかっていればいいのか。

地平が明るく輝いて、紫色の雲の向こうに、朝日が眩く顔出しました。
長い長い夜が明ける。長い長い長い夜が。
オメガの城でも一回は、朝日が昇るを見たはずです。だけどもこれは特別で、この身に余る奇跡が僕に、降って注いだその印。そう思われるくらい眩しくて、晴れやかに過ぎる朝日です。

天が明るくなっていき、星の姿は見えなくなります。太陽が、オメガの昔と全く変わらず、その無尽蔵の光量で、僕らを圧倒するのです。

朝が来る、昼が来る、星の姿は見えなくなる。

それでもここに僕は見るのだ、朝日が差しても消えない光、まぎれもなくも星の光を。
 「人は星だと教えます。」
 ああ全くにその通り!人とは星だ、誰であっても。

 ほっとしたまま眠ってる、カウスさんの額の上に、ヌンキさんの額の上に、星がきらきら輝いている。
 雑談している兵士の瞳に、星が瞬き光っている。

 この僕の中に星がある。自分で自分の光は見えずに、道に迷ってさまよったって。僕も誰かを照らし得るのだ。迷っていたって照らし得るのだ。

 僕は傍ら眠ってる、スピカの額に手を置きました。
 辛い別れのその後に、幸せそうに眠る子供が、ただそれだけのそのことで、どんなに周りを照らすのだろう?
 
 ああ星がここに光っていると、確かにここには光があると!


                                                                                                                          完  

星の床

 この作品は最初に構想されてから二十年以上温めていたものです。その間に、当初考えていたものとは全く違うお話になってしまいました。特に『星の床』の言葉が持つ意味合いは、とある先生の講演を聞いてから全く様相を変えました。その内容というのはここでは詳しくは触れませんが、「人は子供であっても大人であっても、等しく光である」というものでした。この内容が元からあったお話と結びついたときに、この物語は形作られました。私にとっては特別な物語でもあります。
 『星の床』という言葉は、多分ブラジルかどこかの歌の名前からとっています。元々の構想はその歌を聞いているときに思いつきました。南米の歌だったので南半球の古代文明をイメージして作りました。登場人物の名前や地名は、みな星の名前からとっています。全て南半球で見られる星だと調べました。
 何時か書かなければならない作品だと考えていたので、形にできてうれしいです。少しでも皆様の心に残ればと考えています。お読みいただいてありがとうございました。

星の床

謎の古代文明『オメガ』の最後の一日に迷い込んだ『僕』が、城からの脱出とともに自己回復に挑む時空を超えたファンタジー。七五調の文体で書かれています。 完全に何もかもうまくいくハッピーエンドではありませんが、とても晴れやかな希望を伴ったラストとなる作品です。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-03-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. プロローグ
  2. 1 オメガの世界がそこに在った
  3. 2 最後の一日
  4. 3 カリーナ姫の死
  5. 4 ベガのテンロウ
  6. 5 二巡目の最後の日
  7. 6 テンロウの賭け
  8. 7 深夜の冒険
  9. 8 星夜の語らい
  10. 9 暗転
  11. 10 二日前へ
  12. 11 強い雨
  13. 12 少年シャウラ
  14. 13 脱出に向けての作戦
  15. 14 成就
  16. 15 予兆
  17. 16 星の床
  18. 17 スピカ
  19. 18 フォーマルハウトの墜落
  20. 19 帰還
  21. エピローグ