君の声は僕の声 第六章 3 ─癒しの手を持つ少女─
癒しの手を持つ少女
「…………」
誰も応えない。短い沈黙の後、呼鷹がぽつりと応えた。
「本当だ」
少年たちの視線が呼鷹に集まる。
「山の上ではもちろん。ここへ来てからも、しばらく生贄の風習は続いていたらしいよ。俺の生まれた村ではそんな風習はなかったけどね」
「…………」
その時、薪がバチッと大きな音を上げた。少年たちが肩を小さく震わせた中で、聡が静かに言った。
「それじゃあ、生贄にされた子供たちが、この山の中で眠っているのは本当なんだね」
麻柊と流芳の顔がひきつった。櫂がじろりとふたりに目を向ける。
「生贄にされた子供たちの霊が陵墓の周りを彷徨っていて、見つかったら子供の姿のままにされちまうってか? 安心しろ、麻柊。俺たちはもう憑りつかれてる」
櫂が皮肉を込めてそう言うと、
「それなら、その子供の霊を捕まえて呪いを解いてもらえば、僕たちは大人になれるかもしれないな」
透馬がそれに応えた。「遺跡を探すより早いかもしれないぞ」
麻柊の肩に手を置いて透馬がそう言うと、みんなは笑った。秀蓮はひとり神妙な顔で炎を見つめている。そんな秀蓮に聡が声をかけた。
「秀蓮?」
「あ、ああ」
顔を上げた秀蓮に櫂が言う。
「なんだ? 遺跡探しをやめて幽霊狩りをしようってんじゃあねえよな?」
「いや、生贄の子供たちと小人伝説が何か繫がらないかと思って」
「…………」
「──なるほどね」
呼鷹は秀蓮の聡明な横顔を見つめた。
「呼鷹はその生贄の儀式や、古い文明に詳しいの?」
聡の問いかけに、呼鷹は軽いため息をついて首を横に振った。
「そこまで古い話となると、国でまとめた歴史書にも、言い伝えられた事しか書かれてはいないんだよ。近年になって遺跡に入ることが出来たのは、大叔父たちが調査を許された一度だけなんだ。だから、彼らの書き残した書物でしか知ることは出来ないね」
「──そうなんだ」
聡は小さく笑った。
会話が途切れた。
櫂が薪をくべると、火の粉が散り、薪がはぜる音が大きく響き渡った。みんなはまた無言で炎を見つめていた。時折聞こえてくる鳥や獣の声が、より一層森の静寂を深める。
炎の向こうでは、呼鷹が先ほどから眉間にしわを寄せて杏樹をじっと見ていた。首をかしげては深いため息をついている。そんな呼鷹に、隣で流芳が声をかけた。
「呼鷹って変わった名前だね」
「あ、ああ。トヨミシカ独特の名前でね。今は村でもこんな名前をつけるのは珍しいんだ。俺は気に入っているがね」
満足げな顔で呼鷹があごに手を当てた。その手首に、細かい細工の掘られた腕輪が流芳の目にとまった。流芳はその細工をじっと見つめると、眉を寄せた。
「これ蛇?」
「ああ、これは俺のお守り。村を出る時にお袋がくれたんだ」
「ふうん」
薄気味悪い蛇をお守りに身につけるなんて……そんな思いが顔に表れていたのだろう。
「これを見るとみんなそんな顔するんだよな」
呼鷹にそう言われて流芳は「ごめんなさい」と咄嗟に口に手を当てた。
「蛇は悪魔の使いだからな──でも、俺の生まれた村では、蛇は神の使いなんだよ。蛇は豊穣を約束する大地の神として……」
呼鷹はそこで言葉を切り、突然、大声で叫びながら立ち上がった。
「そうか! そうだ!!」
揺らめく炎にまどろんでいた空気が一気に吹き飛んだ。一斉にみんなの視線が呼鷹に向いた。煙草をのんでいた櫂は、思いっきり咳込んだ。
「おい、おっさん! 急に大声だすな……」
櫂が胸に手を当てながら呼鷹に向かって顔を上げると、呼鷹は杏樹を指さし、
「杜雪!杜雪!」と叫んでいた。
陽大は訝しげに呼鷹を見上げていた。陽大の口が何か言いたそうに微かに動いている。
「杜雪(とゆき)だ。そうだろう?」
少年たちは何のことかわからずに口を開けたまま。
「何言ってるの? 心当たりあるの?」
陽大の隣で聡が訊ねた。
「……母親だ」
陽大が呼鷹を見つめたままつぶやいた。
「えっ?」
「杏樹の母親の名前だよ」
陽大が聡に聞こえるように小さな声で言った。思わず聡は陽大と呼鷹を交互に見た。
「杜雪……のわけはないな。──娘、か?」
呼鷹の問いに陽大がむっとする。
「僕は、息子だ──杜雪は、杏……僕の母親の名前だよ」
「そうか! やっぱりな。いや、失礼したね。あんまり似ていたから、つい」
嬉しそうに声を上げると呼鷹は焚き火の横を通り、陽大の左隣に座っていた麻柊に、軽く手を上げ、ふたりの間に割り込んできて座った。
「杜雪とは同じ村の生まれでね。世話になったんだ」
意外な成り行きに少年たちはふたりに目をやる。陽大は呼鷹から目を反らすように炎をじっと見ていた。
「お母さんは元気か?」
呼鷹が懐かしさに目を細めた。陽大は黙ったまま呼鷹とは目を合わせない。見かねた櫂が声を落として口を挟んだ。
「おい、おっさん。急にそんな話されてもさ。杏樹はおっさんのこと知らないんだし、だいたい俺たちは母親とは何年も会ってないんだよ」
呼鷹は炎を見つめたままの陽大を見て、気まずそうに頭をかいた。陽大の目がぼんやりとしている。
「そうか……すまなかったね。いや、悪かったよ」
呼鷹はしょんぼりと肩を落とした。
先ほどまでの静かな時間とは違った沈黙が流れた。
沈黙に耐えられなくなった流芳が眠そうな目でみんなを見回し、透馬と目が合った。
「僕はもう寝るよ」
透馬があくびをしながら立ち上がると「僕も」と、流芳と麻柊もテントに入っていた。
櫂が煙草を焚き火の中に放り投げ、腰を上げようとしたとき、秀蓮が立ち上がり、麻柊が座っていた場所に腰をおろした。
「トヨミシカの話、聞かせてくれる?」
それを聞いた櫂はもう一本煙草に火をつけた。
炎から顔を上げた陽大の瞳が涼しい目つきで呼鷹を見つめた。
「ああ、そうだったね」
呼鷹は思い出したように語り始めた。
「トヨミシカは王朝が山から下りてくるずっと前からこの辺りに暮らしていた先住民の村で、小さな集落ごとに狩猟しながら暮らしてきたんだ。今では載秦国の一部になってはいるけどね、今でも昔からの生活を続けている。まあ、農耕をしたり、多少の文明は取り入れているがね。現在載秦国で使われている文字は、トヨミシカのものが変化したものだ。二千年のあいにずいぶん変わってしまったが……」
呼鷹が薪をくべると、月の浮かぶ夜空に火の粉が舞った。
「もともとの王朝の文字は、君たちが持っている書物に記されている、あの象形文字だよ」
呼鷹が薪をくべながら秀蓮をちらりと見た。
「君はトヨミシカがこの国の町や村ではないのか、と聞いたね」
呼鷹が静かに視線を聡へと移した。
聡がこくりとうなずく。
「載秦国では、トヨミシカを載秦国の『村』としているけど、トヨミシカの人たちは認めていないんだ。まあ、俺は十代で村を出て都へ行ったから、俺もそうよくは知らないんだがね。俺の大叔父と君のお父さんが同じトヨミシカの出身だというのも、最近になってから知ったことだよ」
「ふうん」
聡が首を傾げて曖昧な返事をすると、杏樹が唐突に言った。
「僕の母親があなたの幼馴染だという話を聞かせてもらえますか」
この物言いは陽大ではない。聡と秀蓮は気づいた。呼鷹にそう質問したのは玲だった。先ほどとは違い、ずいぶんと落ち着いた態度の杏樹に、呼鷹は少し違和感を感じたようだったが、気にせずにそのまま続けた。
「彼女は俺より三つ歳上でね。家が近かったから、よく遊んでもらったんだ。──いや、遊んでもらったというよりは、面倒見てもらったと言う方が近いね。大人は仕事で忙しいから、子どもたちはいつもまとまって遊んでいてね。だから小さな子供たちの面倒を見るのは、年上の女の子の役目だったんだ。杜雪はみんなのお姉さんだったよ」
呼鷹は懐かしそうに目を細めながら話した。玲は表情を変えずにじっと聞いている。
「小さい頃から器量良しでね。彼女を嫁に欲しいって奴が沢山いたんだけどね」
そこで呼鷹は口をつぐんだ。
「それで?」
櫂が煙草の煙を吐きながら催促した。
「杜雪は『癒しの手を持つ少女』だったんだな」
「癒しの手?」
聡が思わず声にした。
「トヨミシカには昔から不思議な能力を持つものが現われる。──『癒しの手』は手で触れると傷や痛みを鎮めてくれる。病気を治すほどの力はないがね」
聡と秀蓮は顔を見合わせた。
心がそうだ。
君の声は僕の声 第六章 3 ─癒しの手を持つ少女─