鳩たちとの数日間

不波 流

鳩たちとの数日間

 他愛のない話である。
 私が彼らと初めて出会ったのは、低い雲が空を覆う寒い午後だった。私は買い物に出かけるため住んでいる古い賃貸マンションの階段を降りていた。療養生活に入ってかれこれ半年、生活するためには思うに任せぬ躰に鞭打ってでも外に出ないわけにはいかない。どうしても運動不足になりがちだったから、僅かでも補おうと私は自室から階下に降りるために階段を使うことが多かった。踊り場でくるりと向きを変えた途端、足元に何か灰色の塊があるのに気づいた。私はその横を通り過ぎたが、灰色の塊がもぞもぞと動いているのが視界の隅に入った。おやと思って振り返ってみると、目が合うではないか。あちらも目を見開いてこちらを見ている。鳩。はばたきもせず、うずくまったままじっとこちらを見つめる一羽の鳩。うひゃあ!……というのは昨年末に書いた『七羽の鳩』の主人公である女子高生の台詞だが、中年男性であるところの私は「おお……びっくりした!」と野太い声を上げた。鳩を登場させた作品を書いた後に鳩と出会うとは、なんだか奇妙な因縁を感じる。鳩はじっと動かず、びっくりした様子で目を泳がせている。うん、すまないね、君もびっくりしたろうが私もびっくりした。私たちはしばしにらみ合ったが、私はそのまま階下へと降りた。怪我をした個体だろうか、と一瞬考えたのだがどちらにしても素人に手出しはできない。その日はそれだけで終わった。
 翌朝、ゴミ出しのために階段を降りると既に鳩はいなかった。少なくとも怪我をしていたわけではないようだ。そのことに安堵している自分に気づく。私の悪い癖で、作品に登場させたものにはつい過剰なほどの感情移入をしてしまう。勝手な親近感というか、一方的な共感というか。そんなだから俺の作品はなかなか多くの人に読まれないのだぞ、と思いはするがなかなかやめることができない。その日の午後、やはり買い物に出ようと階段に向かうと、彼らがいた。昨日は一羽でうずくまっていたが、今日は二羽に増えているではないか。上から一段目と二段目の左端に一羽ずつ。鳩たちは私の気配にもぞもぞと縮こまったが、逃げる様子はない。私はなんだか嬉しくなってしまい、持っていたスマートフォンのカメラを向けた。彼らは私に背を向けてはいるものの一向に逃げようとしない。周囲には鳩のフンが散乱しているが、私は彼らを画像に収めて満足し、彼らを邪魔しないようにエレベーターで階下に降りた。
 二日後、さすがにもういないだろうと思いながら階段を降りると、下の階の踊り場に二羽でいる。私の姿を認めると慌てて防火扉の陰に身を隠した。私は少々無遠慮に防火扉の裏側を覗き込んだ。ふふ、いるいる。キィーキィーキィーというかなり高い声でしきりに鳴いている。鳩といえばくるくるというくぐもった声とでーでぽっぽーしか知らなかったが、日常ではこんな声で鳴いているのか。身近にありながら案外知らないことが多いものだ。防火扉と壁の間から鳩たちが迷惑そうに私を見るので、私は苦笑しながらその場を離れた。多分この二羽はつがいなのだろう。どうやら彼らはこの建物を新たにねぐらにすることを決めたようだ。そうなるとフン害が今よりも酷くなるに違いない。折角療養中で時間があるのだから、階段の掃除くらいボランティアで請け負おうかしらん。そんなことを半ば本気で考える。
 事態が動いたのはその翌日のことだった。大家さんが何やら業者と打ち合わせをしているのを目にした。業者は階段のことで大家さんに何か提案しているようだった。その間、二羽の鳩たちは郵便受箱の上に仲良く並んで例のとても高い声でしきりに鳴いていた。その声に不安の調子を聞いたのは、私の思い過ごしだったろうか。もしかすると、彼らに対して何らかの対策が取られるのではないか。悪い予感がよぎる。果たしてその予感は的中した。翌日、業者が階段に入って作業を行っている。何か機器を取り付けている模様だ。恐らく、鳥類忌避のための機器。奸智に長けた大家さんは悪化するフン害に憤慨し、遂に彼らを追い払うための策を巡らしたのだ。ああ、やはりか……と私は落胆した。彼らのキィーキィーキィーという鳴き声がよみがえる。しかし、賃貸マンションの店子に過ぎない私にはどうしようもない。おお、さらば鳩たちよ。ここを追い出されても、どうか強く生きてくれたまえ。私は本気で彼らの幸せを祈る程に彼らに感情移入するようになっていた。
 彼らのいなくなった階段を降りる。壁に新たに取り付けられた機器が光を明滅させる。動くものを検知すると作動するようだ。恐らくは同時に超音波でも発しているのだろう。彼らを寄せつけないために。まだ彼らのフンで汚れたままの階段は、なんだかがらんとしてしまってひどく寂しく感じられた。鳩たちよ、短い期間ではあったが患った私にとって君たちと会うのはとても楽しかったよ、ありがとう……なんてことを言いながら彼らのことを偲んだりして、この話はこれで終わり、と思ったのだが。
 今朝、外から聞きなれたあの高い声が聞こえるではないか。玄関を開けてみると、いたいた。二羽で並んで、外廊下の手すりの上に止まっている。私を認めると、例のキィーキィーキィーという高い声を発する。君ら、なかなかしぶといねえ。私は思わずにやりとした。

鳩たちとの数日間

鳩たちとの数日間

患った中年男と鳩の、ハートフル・ストーリィ(大嘘)

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
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