君の声は僕の声  第六章 2 ─陵墓の夜─

君の声は僕の声  第六章 2 ─陵墓の夜─

陵墓の夜

「やっと着いたあ」

 そう言うなり流芳と麻柊はぺたりと座り込んだ。

「まだ着いてないぞ」

 櫂が言うと「ええぇえええ」と、麻柊が天を仰ぐようにしてから、降ろしたリュックサックに大袈裟に倒れこんだ。
 無理もない。聡たちはここまで五時間ほど歩いて来た。秀蓮の家から寮までは二時間ほどかかるから、櫂たちは休憩の時間を入れないで、森の中とはいえ、真夏の暑いなか七時間ちかく歩いて来たことになる。

「少し休もうか」

 秀蓮が提案すると、

「ん?」

 櫂が秀蓮の後ろの木陰でしゃがみ込んでいる呼鷹に気づいた。

「ああ、失礼」

 呼鷹が立ち上がって服の土埃を払うと、櫂たちに向き直った。秀蓮は瑛仁からの手紙を見せて呼鷹を紹介した。櫂がいぶかしそうに見ていると、呼鷹は愛想良く笑ってみせた。おっさんの引き攣った笑顔をじっと見ながら櫂は軽く頭を下げたものの、秀蓮を茂みの方へと引っ張って行った。

「大丈夫なのか?」

 秀蓮はちょっと首をかしげ笑って見せた。秀蓮も完全には信用していないらしい。まあ、大人がいれば守衛に怪しまれずに入れる。こちらも利用させてもらおうという魂胆か。櫂は呼鷹に「よろしく」と手を差し出した。

「杏樹も来てたんだね」

 流芳が杏樹のすぐ隣で声を掛けた。杏樹は聞こえているはずなのに返事をしない。

「おい杏樹」

 麻柊がもう一度名前を呼ぶ。その表情は、こいつまた無視すんのか、と言いたげだ。  

「あっ、ああ、ごめん。考え事してた」

 このところ聡と秀蓮に『陽大』と呼ばれていたから、自分が呼ばれていると思わなかった。つい返事をするのを忘れた。

「なんでおまえいなくなったの?」 
「あ……その、秀蓮が森で暮らしてるっていうから、どんなところか興味あってさ」

 陽大は適当に応えた。

「そうそう、この間なんて、聡がさ……」

 陽大はさも思い出したように語り始めた。面白そうな話に、流芳も麻柊もあっという間に陽大に惹き込まれていた。
 声を上げて笑っている三人を見ていた聡と秀蓮はそっと顔を見合わせた。みんなの前では『杏樹』と呼ばなければ。ふたりは目でそう確認し合った。



 ※  ※  ※


「はあぁああ、今度こそやっと着いたねえ」

 守衛が見えなくなったところで、流芳はそう言って力尽きたように座り込んでしまった。
 無表情で完全武装した守衛に、少年たちは緊張した。帽子の陰からじろりと睨みつけるように見つめる目は、少年たちを、階段の上から偉そうに見下ろしていた。
 秀蓮がそんな守衛の眼差しを気にすることなく皇太后の印章のふされた手紙を差し出すと、守衛の態度は一変した。
 守衛は手紙と少年たちを交互に見つめると、手紙を広げ、緊張した面持ちで皇太后直筆の手紙を読みはじめた。そしてもう一度、印章を注意深く確認すると仰々しく門を開いた。

「あのおっさん、必要なかったんじゃないか?」

 櫂が秀蓮の耳もとに顔を寄せた。櫂が親指を突き出して指差した先では、リュックサックに腰掛けた呼鷹がうまそうにに煙草をふかしていた。



 陵墓は広大だ。歴代の帝とその妃の墓が、七つの山に点在している。載秦国初代の帝は一番奥の山に眠っている。遺跡の位置が正確に示された地図は残されていないが、呼鷹の大叔父が残した書物には、初代帝の墓から地下通路を抜けた先と記されていた。更にここから山を越えなくてはならない。

 とりあえずテントの張れそうな場所を探して明日に備え、今日のところはゆっくり休むことにした。
 呼鷹はテント暮らしに慣れているらしく、さっさと自分用のテントを張ると焚き木を拾いに山へ入って行った。その間に少年たちはテントを二つ張り、食事の準備にとりかかる。
 秀蓮が火を起こしている間に、聡は陽大とふたりで水を汲みに出かけた。陽大は草をかき分けながら、迷わず道なき道を進んで行く。聡は陽大の後をついて行った。

「この崖の向こうだな」 

 陽大が振り返る。

「なんでわかるんだい?」

 初めて来た場所なのに、案内するような口ぶりの陽大に聡は不思議に思った。

「おまえも地図を見ただろう?」

 何でそんなこと聞くんだとばかりに陽大は答えた。七つの山の広大な地図を、記憶力が良いとはいえ、陽大は湧き水の場所まで頭に入れているのだろうか? 一体、陽大の頭の中はどうなっているのだろう。聡は陽大の頭の中がまるで宇宙のようだと気が遠くなり、次の言葉が出なかった。

 陽大の言うとおり、崖を降りると水の湧き出る泉に出た。

「これ、飲めると思うか?」

 陽大が懐疑的な眼差しを聡に向けながら泉を指す。
 泉を見て聡は答えられなかった。泉の色は、杏樹が入っていた泉と同じような色をしていた。だが、周りの緑を映しているわけではない。泉の底は見えない。透明な泉ではないが淀んでいるわけではない。手ですくえば水は透明だった。

「とりあえず汲んでいこう」



 聡と陽大がテントに戻ると、煙が上がり、香ばしい匂いが漂っていた。

「どうしたのこれ?」

 ふたりは目を丸くした。少年たちの取り囲む炎の上で、獣の肉の塊がふたつ、こんがりと焼かれ油がしたたり落ちていた。

「呼鷹が捕ってきたんだよ」

 透馬が焚き木を折りながら笑って答える。
 聡と陽大は思わず声を上げて呼鷹に目をやった。陽大は思わず二度見した。その姿はとても大学教授には見えない。

「けっこう役に立つな、あのおっさん」

 呼鷹にもらった煙草をふかしながらそう言った櫂の横で、秀蓮が苦笑いした。その向こうでは、流芳と麻柊が顔を青くして座り込んでいる。彼らの後ろには、血で汚れた岩のそばに立って、呼鷹が肉をさばいたと思われる、血に染まったナイフを拭いていた。足もとには、焼かれた肉の主と思われる骨と毛皮。

「秀蓮、水、汲んではきたんだけど……」

 聡は鍋に汲んだ水を差し出して泉の様子を語った。秀蓮も腕を組んで考え込んだ。その肩越しから呼鷹がひょいとのぞき込む。

「ああ、大丈夫、大丈夫。この辺りの池や泉はみんなそんな色をしてるんだよ」

 そう言って自分のカップに水を汲むと、呼鷹は一気に飲み干した。陽大は声を上げそうになるのを抑えるように口に手を当てたまま、上下する呼鷹の喉元を凝視していた。

「うん、美味い」

 呼鷹は満足気に口を拭った。

「どうしてあんな色してるの? 何かいるんじゃないの? ほんとに平気なの?」
「大丈夫さ、俺が今飲んで見せただろう?」

 呼鷹は得意げになって応えたが、陽大はそれでも訝しんだ。

「おっさん、いろんな水飲んでそうだもんな。ちょっとやそっとじゃ腹、壊しそうにないな」

 櫂は煙草を一服するとゆっくり煙を吐いた。櫂の言葉に陽大だけでなく流芳や麻柊が何度もうなずいていた。

「俺の生まれ育った村では、わざわざ歩いてでも常磐色の水を汲みに行ったものだよ。この水を……」

 ──この水を飲むと子供は無病息災で育つと言われている。と言おうとして呼鷹は言葉を飲んだ。

「この水で穀物や野菜を育てると、その年は豊作だと言われてる」

 嘘ではなかったが、誤魔化したことが顔に出そうで、呼鷹は焚き火に向き直り、肉をひっくり返した。  
 肉が焼き上がり、みんなで火を囲んで食べ始める頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
 呼鷹は食事の前に手を合わせていた。みんなお腹をすかせていたので食べるのに夢中だったが、やがてお腹も満たされ、お喋りも尽きると、無言でぼんやりと炎を見つめた。
 時おり山の中から梟の声が聞こえ、風が出てきて木々をざわつかせ始めた。そんな中、麻柊が落ち着きなく身をかがめて目だけをキョロキョロさせて辺りを見回している。

「麻柊。大丈夫か?」

 隣に座っていた透馬が声をかけた。みんなの視線がなんとなく麻柊に向く。

「いる……何かいる」

 麻柊が声を低くした。隣りで流芳の眉がピクリと動いた。

「おい。ここは森の中なんだ、何かいるにきまってンだろ」

 櫂が焚き木を火に放り込みながら麻柊を横目に見た。

「違う、違うよ。生き物じゃない」

 麻柊の顔は固まっている。口だけを動かしている麻柊に、流芳が迷惑そうに言った。

「変なこと言わないでよ。ここお墓なんだからさあ」
「生贄にされた子供たちの霊か?」

 櫂が皮肉めいてそう言うと、麻柊の顔が目をむいたまま蒼白になった。

「やめてよお」

 流芳が両耳を押さえる。

「生贄の話は本当なの?」

 陽大が真顔で誰にともなく訊ねた。

君の声は僕の声  第六章 2 ─陵墓の夜─

君の声は僕の声  第六章 2 ─陵墓の夜─

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-02-27

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