老いる機械

 細胞が老いていき、やがて滅びる、その有機的生物の代謝がありがたいと、心から願う日が私にもついにきた。
私はかつて、子供の頃に、いや青年と子供のはざまで人間の肉体を失った。だからだろうか、それから私は、ある一点において私自身にそなわっていた感覚を失いつつある。
 それは心の動きだ。心の動きがとりもどせない。母親の母体から、友人の書け声から、知人の手紙から、それらをたぐりよせる記憶すべてがデータに置き換えられた、だから思い出せない。自分自信の純粋な言葉と感情を、思い出せない、本当の自分の態度を。私は老いた。そのせいで、しかし、本当の意味ではわたしのでいで、ただその一点において、私の私らしさが失われつつあるのを感じる。感動、それは何か、興味のそれが何か?関心のそれが何か?原初の躍動を忘れつつある。
 子供の時期、両親の理不尽なまでの甘やかしと、あるいは賞罰。若者の時期、友人たちとの競争、裏切り。やがて子供時代を覆い隠すほどの自我があらわれた。それはこれまでにない大きな力で私の心に力を与え、同時に私を弱くした。大人の時期、私は地位に飢えた。しかしすでに機械の体を手にしたあとだった。つまりすでにその時点で私は、その時点の私に後悔の念を抱いていた。
 しかし今では思いだせない、あの胸の治まりを、そして時に収まりがつかないほどの興奮を、それは何にむいていたのか、過去をくいつぶすほどに知性を発揮し、別のものに興味を抱く子供時代のあの関心。それは私がまだ、有機的な身体を持っていた時の感動、青年の時期に現れ、幼少期の私の過去を食いつぶすような勢い。それはまさに、幼少期に現れたまだ見ぬ世界への理想と憧れ、現実との衝突、それがそっくりそのまま現実に即し、転じて姿を変え私の理想として生み出された何か。それが時を経て現れ、飲み込む勢い、それそのものだったのだ。それが思い出せない、機械の体になった私では、絶対に思い出せない。あれは、細胞の老いとともにある何かだったのだろう。

老いる機械

老いる機械

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-02-27

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted