晴れの日の瘡蓋【第十三話】

晴れの日の瘡蓋【第十三話】

走る

1

久しぶりにおじいちゃんの夢を見た。
私とおじいちゃんは中宮寺の菩薩像の前にいる。
おじいちゃんはあの時のままなんだけど、私は高校の制服姿だった。
おじいちゃんは悲しそうな顔をしながらも、時折笑顔で私に話しかける。
でもその話が難しくてよくわからない。
何も言わない私におじいちゃんは何かもう諦めたような表情をした。

「それじゃあ、もう行くよ。」

そう言って菩薩像の方に向き直った。

菩薩像から眩い光が放たれる。

おじいちゃんが「オイ!」と言うと、光の中から「はあい」と言うおばあちゃんの声がした。

おじいちゃんは光の方に向かって歩き出し、そのまま姿を消した。

光を失って、あたりは闇に包まれる。

頭の中で、おじいちゃんの「オイ!」と言う声がこだましている。

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「オイ!」
「オイ!起きろよ!」
「遅刻するぞ!」

目が覚める。

ニイが顔を覗き込んでいた。
その顔に腹が立った。

「お前いつまで寝てんだよ!」
「体調不良・・・」
「はあ?」
「体調不良!遅れて行く!」

ニイは一言「もう、知らね」と吐き捨てるように言うと思いっきり部屋のドアを閉めて出て行った。

私はさらに腹が立って、枕をドアに投げつけてやった。

生まれて初めて学校をサボってしまった。
特に体調を崩したとかもなくて、まあ、元気は元気だったんだけど、何だか凄く眠たくて学校に行けるような気分じゃなかった。

正直サクラに会うのが辛かった。
それが一番の理由だったのかも。
サクラはもう私から離れて行ってしまった。
彼女の心の中にあるのは真木瀬、アイツだけだろう。もう私が入る隙なんてないんだ。
どんな顔して見てればいいわけ?
彼女に会ったらまた自分を偽らなきゃならない。
そんな風に考えるとすべてが億劫になってしまった。
身体は元気でも心の方がすっかり疲れてしまったのだろう。
とにかく眠くて眠くて仕方がなかった。
こんなに眠たかった事って今までになかった気がする。
ニイに邪魔されて途切れてしまった夢の続きも見たかった。
おじいちゃんにまた会えるかも知れない。
そうすれば良い答えをくれそうな気がした。

結局その日は一日中寝ていた。
前日に眠りに落ちてから目覚めたのはニイが起こしに来た時だけ。本当に異常だと思った。
一体何時間寝たかわからない。
目が覚めたら部屋の中は真っ暗。
頭がボーっとするし、身体中が痛い。
お腹が空き過ぎて吐き気がする。

携帯を覗く。時刻は午後六時を回っていた。
画面にはニイからの着信が何件も表示されている。その数に彼の怒りを感じた。
その中に紛れ込んでいたサクラからの着信に気付いた。留守電になっていたのでとりあえず聞いてみた。

「あ、もしもし?マコト?今日学校来てないみたいだけど。笹之辺君から体調不良って聞いたんだけど、大丈夫?学校が終わったら会いに行くから。じゃあ、また後でね。」

すぐに掛け直そうかと思ったけど、時間的にもうすぐ来てしまうだろうと思ってそのまま放置した。

サクラと会って何を話せば良いのか。
本当のことを言ってしまえば楽になれるんだけど、一体何が本音なのか、自分がどうしたいのかさえわからない。
それでいて来てくれることが嬉しくて仕方がなかった。
何だか凄く情緒不安定だ。
自分が嫌になる。

部屋の外でアマナツが鳴きながら爪を研いでる。
部屋に入れて欲しいという合図だろう。
扉を少し開けてやり彼を招き入れた。
彼は部屋に入ると当たり前のようにベッドの上に寝転んで背伸びをした。
彼をギュッと抱きしめる。
ゴロゴロと喉を鳴らす。

午後八時を回っても彼女は来ない。
彼女が約束を破るなんて有り得ない。
ちょっとだけ心配になった。
何回も連絡しようとしたけど、携帯を手にした途端に気持ちが揺らいでしまい結局何も出来ずにいた。

延々と待ちぼうけをくっていた。
何度も時計に目をやる。
もうすぐ日を跨ぎそうだ。

意を決して電話を掛けてみた。
何回かコールしたのち、留守電に変わった。
何かメッセージを残そうと思ったけど、何だかバカらしく思えて止めた。

結局この日は夕食も取らずに眠ってしまった。
あれだけ寝たのに、まだ眠れる自分に正直かなり驚いた。

目が覚めたのは午前四時。外はまだ暗い。
ちょうど新聞が配達される音が聞こえた。
このまま起きていないと、また学校に行けなくてなるような気がしたので、とりあえずベッドから出て、そのまま机に向かって一時間程ボーっとしていた。

結局あれからもサクラと会うことはなかった。
連絡もしてない。
家と教室との往復で、パソコン室にも行かなかった。
真木瀬とも一切会話していない。目も合わせなかった。
奴は時々友達と二、三会話をする程度で、それ以外は机に突っ伏しているか、頬杖をついて俯いているかのどちらかだった。

どうせパソコン室に行ったところで、サクラの邪魔になるだけだろうし、そこに必ずいる真木瀬の存在が目障りで、一分もいられないだろう。
とにかくあの時奴に言いたかったのはサクラの邪魔だけはするなということ。
彼女はある意味文化祭のポスターデザインに命を掛けている。
自分を表現する謂わば彼女の居場所なんだ。
みんな気を使ってんのに、何でアイツはそれに気付かないんだろう。
空気読めないヤツって本当に嫌い。

2

一限と二限の間にトイレに行こうと廊下を歩いていたら、たまたまコミュニティルームの掲示板に貼られた文化祭のポスターに目が止まった。

「なんだ、もう出来てんじゃん。」

思わず首を傾げる。全くらしくないと思った。
毎年見せてくれていたものと雰囲気がまるで違っていた。
彼女の作風は力強い線の中に、柔らかな色彩を乗せて行く技法で、印象的なんだけど、不思議とそれが周りと調和して行く感じだった。
使われる写真も色彩の一部となって、全体を通して見ると、まるで映画のワンシーンを切り取ったようなストーリー性溢れるもので、どこに貼ってあっても必ず目を惹いた。

その新しく貼られた平凡なポスターを、多分何回も見ていたはずなのに全く覚えがない。
何でこんなにも彼女らしくない作品を作ってしまったのか不思議でならなかった。

これも諸悪の根源が真木瀬のような気がして仕方がなかった。
幼気な少女は真木瀬という悪魔に心を奪われて、とうとう自分を見失ってしまったのではないか。
そんなしようもない事を考えてしまった。

本当、しようもないことばかり考えている。
今もそう。

しようもない考えが、どうしようもない人生を作っているような気がする。
本当にどうしようもないことばかりが毎日繰り返されて行く。
そんなことに囚われている自分が一番損していることぐらい解っていた。
人生の大半はしようもないことで成り立っている。
このことをしっかり理解してさえいれば、あとは流れに身を任せるだけで残りの人生何にも囚われることなくやり過ごせるんだろうなって思う。もっと楽に生きられる気がする。
やり過ごす人生って素敵だと思う。
本気で憧れている。
ただ私の場合それが一番苦手なんだ。
それが出来ればこんな私にならずに済んだのに。
よく言えば見過ごして置けないタチというか、これは良くも悪くも笹之辺家のお家芸みたいなもので、おじいちゃんが正にそう言う人だった。
自分が損をすることは明らかなんだけど、黙って見過ごすことが出来ない。
おじいちゃんの場合自分が損をしても、それを笑ってやり過ごせるような潔さがあった。
ニイもおじいちゃんのそう言った性格を受け継いでいる。
私は二人とは違って自分が損をしてとことん自己嫌悪に陥ってしまい、それがシコリとなってずっと残っていることが多かった。

授業中にニイからメールが入った。
何やらUSBを忘れたので貸して欲しいとの事だった。
正直、中のファイルをあまり見られたくなかったので断わろうと思ったけど、生徒会で使う資料を編集するため緊急を要するということで、懇願されてしまったのでフォルダの中を開けない事を条件に渋々貸してやる事にした。

教室移動のついでにニイの教室へ立ち寄る。
彼は教室の前で誰かと話をしていた。
話に夢中で私の事に気付いていない様子だったので、彼の頭に向かってUSBを放り投げてやった。
軽く頭で跳ねて、彼は慌ててそれをキャッチする。
驚いたようにこちらを見ると、私はイタズラな笑みを浮かべてやった。

「ちょっと、投げんなよ!」
「これで一つ貸しだからね。帰りおごってよ。」
「わかってるよ。絶対そう言ってくると思った。」
「ファイル絶対開けないでよ!いい?」
「見ねえって。」

こんな感じで兄妹仲睦まじい会話をしていたら、ニイの目線が私の背後に移動したことに気がついた。

ニイの目線を追った先にサクラがいた。

サクラもこちらを見ていたけど、彼女の目が泳いでいるのを見逃さなかった。
サクラの顔を見たら、何か色々な感情が湧き上がってきた。
何も言わないでこの場を去るか。
それともこのあいだのことを問いただすか。
この状況をどう対処するのが適当なんだろうか。
彼女が私に対して何も出来ないのは判った。
とにかく先制は私から打たないとダメな気がした。

「サクラ!なんか久しぶり!」

私はめいっぱいの作り笑顔を決めた。
彼女はぎこちなく笑い返した。
彼女の中に後ろめたい何かがあることを察した。

「この前はごめんね。電話くれてたのに出られなくて。」
その声は少し明るかったけど、明らかに私の出方を窺っている様子だった。
どこか恐る恐るな感じで、気分が悪くなった。
本当は違う事が言いたかったけど、私は彼女より大人であることを示してやりたくなって、とことん普通を装った。
その場から逃げ出したかった。彼女も多分同じだっただろう。
余計な気遣いでその場をやり過ごす。
でもその気遣いをした自分に腹が立ってしまった。
約束を破って、その事に対して理由を言おうとしない彼女のことを、何で私が気遣わなきゃならないのか。

「本当は待ってたんだけどね。」

私は少しイジワルな感じで言った。
サクラの顔が曇って行く。
そして何も言わなくなった。
はっきり言ってこれ以上は無意味な気がした。

「じゃあ、授業あるから。」

私は彼女にそれだけ言って、彼女から背を向けた。
彼女がまだこちらを見ていることはわかっていた。
何かすべてが腑に落ちなかった。
その場から立ち去る前に同級生と話していたニイの腕を強く掴み、そっと耳打ちした。

「ファイル見たら兄妹の縁切るから。」

完全に八つ当たりだった。

3

文化祭まであと少し。
クラスの出し物が英語でヘミングウェイの『老人と海』を朗読してそれを解説するという超が付くほどつまらなそうな内容だったので、私は演劇部の手伝いをするという事で何とか逃げることが出来た。

休み時間になると皆こぞって朗読の練習を始めるんだけど、誰かが練習を促すのではなくて、それぞれの意思で自然に行われていたのには本当に驚いた。
そんな中、輪に入っていないのは私と真木瀬だけ。完全にハミダシモノだった。
真木瀬はただやる気がなかっただけだろう。食うか寝るかのどちらかだった。
真木瀬と同類に思われるのが嫌だったので、手伝いという大義を掲げ、何かにつけて軽音部と演劇部に入り浸っていた。
もうデザイン研究会とは名ばかりの雑談サークルを辞めて、演劇部にクラ替えして、ゆくゆくは女優になろうかななんて馬鹿げた事も考え始めていた。
とにかく私には新しい何かを始める必要があった。
でないと残りの学園生活を乗り越えられない気がしいていた。

暇潰しに余念がない妹(わたし)とは違って、兄(ニイ)は本当に忙しそうにしていた。
この時、ニイは次の年の生徒会長候補に推薦されていたこともあって、学校のありとあらゆるところに顔を出しては色々手を貸していた。
何だかもう政治家みたいだった。
でもそれは多分ご機嫌取りなんかじゃなくて、皆んなが彼の人柄や勤勉さというものに絶対的な信頼を置いていたからからで、ニイはただ単にその気持ちに応えようとしていただけなんだと思う。
どんなに忙しくても頼まれれば必ず手を貸す。それはおじいちゃんも同じだった。
私とは違って律儀な性格だ。

その日も放送でニイが呼び出されるのを何回も聞いた。休む暇もなく、お昼を食べる時間すらなさそうだった。
その様相はまさにナポレオンの如く勇ましく私の目には映っていた。
そんな多忙を極めた兄上殿が束の間の休息を返上して私めの元へ、前に貸したUSBを返しにやってきた。

「真ー!」

私を呼ぶとニイは教室の扉越しからUSBを投げる仕草をした。

「ちょっと、投げんな!」

私がそういうと、彼は勇ましく映った姿には程遠い無邪気な笑顔を見せながら、机の前にやってきてそっと手渡しした。

「ありがとう。助かった。」
「中見てないよね?」
「見てないよ。」
「本当に?怪しいな。」
「そんな暇ねえよ。」
「それは解る。」
「ところでさ、」
そう言いながら彼は話を本題に移した。
「サクラどうしてるかわかる?」
「サクラ?知らない。どうかしたの?」
「最近全然見かけなくて。そもそも学校に来てないみたい。携帯も出ないし、何か聞いてる?」
「いや、最近忙しくて連絡してない。」
「そうか。どうしちゃったんだろ?」
そんな話をしていたらチャイムが鳴ってしまった。
ニイは「何かわかったら連絡な!」と言いながら慌てて教室を飛び出した。

サクラが学校を休むなんて今までなかった気がする。
彼女は超が付くほど真面目だ。
無断で休むなんて何もないはずがなかった。

無意識に自分の目線が真木瀬の方へ行った。
何だかその原因が真木瀬にあるような気がしてならなかった。

それからずっと彼女のことを考えていた。
良くない考えばかりが頭の中で次々と湧き出て溢れそうだった。

放課後、無意識にサクラの家の方に足が向かっていた。
気がつけば彼女の自宅マンションの前にいてひとり佇んでいた。
そのままエントランスに入り、オートロックのインターフォンの前に立った途端に我に返り、急に怖気付いてしまった。
三十分くらいエントランスでどうしようか悩んでいた。
意を決してオートロックの呼び出しボタンを押した。
何も反応がなかった。
三回ほど同じことを試してみたけど結果は同じ。
これで最後だとダメ押しで呼び出してみたけど、やっぱり応答はなかった。

諦めて帰ろうとしたとき、スピーカーから「どうぞ」という声が聞こえて、自動ドアが開いた。

二一〇号室。
サクラの部屋の前に着くと同時にドアが開いた。

「マコト?」

家の中は真っ暗だった。サクラはうつむいたまま、私を部屋に招き入れた。

あまりに真っ暗だったので部屋の電気を点けようとスイッチに手を当てた。

「電気は点けないで。」

サクラは私の行動を見透かしていたかのように言った。
何も言わずにベッドに二人並んで座る。
目が慣れてくると彼女の姿がぼんやりわかり始めてきた。
着ている服は制服のブラウスで、スカートは穿いていないみたいだ。
学校から帰ってきてそのまま脱ぎ散らかしている。
彼女らしからぬ行動だった。

お互い顔を合わせないまま時が過ぎる。
サクラはずっとうつむいたまま。
私はずっと部屋の一点を見つめていた。

時折サクラが鼻をすする。

彼女が何かを堪えているのがわかる。
頻繁に鼻をすするようになって、彼女が泣いている事に気がついた。

「サクラ。」

私は彼女を見ないまま言った。
その声に感情が爆発したみたいだった。

彼女は私の膝に顔を埋めるように倒れ込むと、そのまま身体を震わせながら泣いた。
私は彼女の背中に触れた。

「何があったの?」

涙で声にならないようだった。

4

時刻は午前六時前。
何時間寝られたかな。多分二時間も寝てないと思う。
ベッドではサクラがまだ眠っていた。
散々泣いて疲れたのか、私の身支度の音にも全く反応しなかった。
鞄の中から歯ブラシセットを取り出すと、そのまま洗面所へ向かった。
鏡に映る自分の姿は酷いものだった。

「うわあ、酷い顔・・・。」

完全に寝不足が祟っていた。
顔を洗い髪をとかして歯を磨く。
昨日のサクラからの告白に私は精一杯普通を装っていた。
彼女はすべて洗いざらい話してくれた。
それでも私が真木瀬のことを責める理由はないんだ。
これは二人の問題で、私には関係ないし、そこに介入する理由もない。
まるで自分に言い聞かせるようだった。

リビングに行くと、そこはもう何日も人が立ち入ってない様子だった。

カレンダーには月の後半全部に赤い線が引かれて、そこに「お父さん九州出張」と書かれていた。

二週間サクラはひとりきりだった。
少しだけ不憫に思った。

身支度を整え終えて家を出ようとしたところで、思い出したようにサクラの部屋を覗いた。何か言おうとしたんだけど、彼女の寝顔を見たら忘れてしまった。

その綺麗な寝顔をしばらくの間眺めていた。
色々な想いが込み上げてきた。
なぜか涙が溢れそうになった。
自分の頰を一発引っ叩いて、グッと飲み込んだ。

学校へ行くのが嫌になってしまった。
だんだん怒りに似た感情が込み上げてくる。
この気持ちは真木瀬に対してか、それともサクラに対してなのか。
気を落ち着かせるためにコーヒーショップに入ってアイスティーとベーグルサンドを注文する。
一番奥の席に座ってベーグルサンドを一口齧ったけど、それがオニオンベーグルだったので、すぐにナプキンの中に吐き出してアイスティーで口の中を洗浄した。

結局その後一口も食べずに捨てた。
何だか一日の出だしから挫いてしまったような気分だった。

時刻は午前九時前。既にホームルームは始まっている。
完全に遅刻だった。
私は教室へは行かずにそのまま屋上に向かった。屋上にはソーラーシステムとその隣に小さなビオトープがあった。
ビオトープの花壇の端に腰を下ろしてそのまま景色を眺めていた。
雲一つない空だった。
太陽が少し眩しくて、そっと目を閉じた。
空はこんなに晴れているのに、私の心は雨雲で覆われている。
込み上げてくる感情を一つ一つ消していく。
その作業は無限ループのように思えた。

一限の終わりを知らせるチャイムが鳴り響いた。
私はまた自分の頰を引っ叩いて、立ち上がった。

教室へ向かう途中の廊下で真木瀬に出会す。
彼はこちらを見ると、そのまま顔を伏せてどこかへ行こうとした。
私は不意に「待って!」と叫んだ。

真木瀬は私を見た。
その顔は飄々としていて、掴み所がない感じだった。

「何?」

その表情が堪らなく憎たらしく映った。
一言言ってやらなきゃ気が済まなくなってしまった。

「ちょっといい?」
そう言って私は階段の方に目をやった。
真木瀬は「何だよ。」と言いながら私に近づいて来た。
何も言わずに階段の方へ足を進める。
真木瀬が何も言わずについて来ているのが、気配でわかった。

踊り場に着くと真木瀬の方に振り向いて彼の目をジッと見つめた。

彼は目を伏せた。
それでも私の目は彼を掴んだまま離さなかった。
「何なんだよ。」
そう言う真木瀬の声は少し震えていた。
私が何を言おうとしてるかわかった様子だった。
私は熱くならないよう少し声のトーンを下げて言った。

「あのさ、サクラのこと。」
「は?」
「自分のしたこと解ってんの?」
「何だよ。」

目が泳ぎだした。やっぱりどこか後ろめたかったんだろう。

「私、あんたのしたこと忘れない。これから何年経とうが許すことは出来ないと思う。」

私が言うことじゃないことは解っていた。
冷静な振りをしながら、実はかなり動揺していたんだと思う。
真木瀬は急に慌てだした。

「はあ?お前に関係ないじゃん!何でお前にそんなこと言われなきゃなんねえんだよ!」

少し声を荒げて言った。

「俺らの問題だろ?関係ねえお前が割り込んで来んなよ!」

そう言うと真木瀬はその場から逃げるように立ち去った。
私は重い溜息をひとつ吐いた。
冷静を装うのに必死だったんだと思う。
あまりにも感情と行動が掛け離れてたものだから涙がまた溢れそうになった。

二限の開始を知らせるチャイムがなった。
私は教室には行かずにそのままトイレで顔を洗った。

鏡を見ると自分の顔が怒りに満ちているのがありありとわかった。

関係ない。

確かにその通りだ。
二人の事に私が入る理由なんて微塵もない。
わかってる。
それはホント解ってるんだけど、納得行かない。

サクラに起こることって私には関係ないの?

彼女が傷ついても私とは一切関係ないの?

悲しんでる彼女のことを知っても、それは私とは無関係なことなの?

子供の頃からサクラを知っている。

彼女の温かくて柔らかな胸の香りを私は知っている。

サクラはいつも私の隣にいた。

私が苦しんでいる時も、サクラは私の側にいてくれた。

それに私はサクラのことを誰よりも・・・・・

アンタなんかに何がわかるって言うの!

私はトイレから出ると、全力で走りだした。

とにかく夢中だった。

無我夢中で走っていた。

周りが霞んで行く。

やがて頭ん中が真っ白になって行った。

廊下を全力疾走する。

理性を失くしていたのかも知れない。

教室の扉を開ける。

数学の先生が驚いた様子で何か言ってたけど、何を言ってたかまでは理解出来なかった。

何も言わずに真木瀬の席の方へ進む。

教室内がザワつき始める。

呼吸が静まる。

私は真木瀬の前で仁王立ちになると、彼が私の目を見た瞬間に右ストレートをお見舞いした。

それはキレイに彼の鼻筋にクリーンヒットした。

間髪入れずにもう一発鼻にお見舞いする。

彼は思わず椅子から転げ落ちた。

倒れ込んだ彼にもう一発喰わせようと、上から右手を振りかざしたところで、先生に後ろから羽交い締めにされた。

真木瀬の来ていたシャツに鼻血が飛び散っていた。

真木瀬は完全に怯え切っていた。

情けない。

怯え切っているその目を見ていると、段々憐れに思えて来た。

辺りが静まり返る。
みんな驚きで言葉にならないようだった。

少しだけ頭の中が軽くなったような気がした。

「アンタなんかいなくなっちゃえばいいのに。」

思わず言葉が溢れた。

私は羽交い締めにされたまま廊下に出された。
先生が何やら声を上げていたけど、まったく耳に入って来なかった。

一気に教室内が騒がしくなった。

その様子を聞いて他のクラスで授業をしていた先生たちがこちらに顔を覗かせる。

その中の一人に先生は声を掛けた。

「星川先生!中で生徒が怪我してます。保健室連れて行ってもらっていいですか!」

私は先生に腕を掴まれたまま生徒相談室へ連れて行かれた。

そこにいる間中私はただひたすらダンマリを決め込んでいた。
まだ興奮が冷め止まない。
一部始終を見ていた先生が指導教員に事の顛末を説明する。
その話を聞いて自分が何をしたか客観的に理解出来た。

そこから事情聴取が始まった。

私はずっと何も言わずに俯いていた。

人が入れ替わり立ち替わり出入りする。
担任の先生はもちろんのこと、学年主任、校長先生まで来る始末だった。

二限の授業が終わって、しばらくしてからニイが現れた。

ニイの顔は青ざめていて、何が起きたのか理解しきれていない様子だった。

ニイの顔を見た途端に右手が痛くなった。
腫れていたので折れていることは明らかだった。

ニイは私の前の席に座ると、深く息を吐き出して静かに口を開いた。

「真・・・一体どうしたんだよ・・・。」

私はニイの目が見られなかった。
指導教員が事の顛末を説明する。

「笹之辺君から妹さんに何があったか聞いてくれますか?暴力を振るった妹さんに非があるのは当たり前で、それよりも私達が知りたいのはなぜそうなってしまったかと言う事です。これまでに今回の様な問題行動はありましたか?」

問題行動という言葉が引っかかったのだろう。
ニイは少し荒っぽい口調で言った。

「妹はそんなことする様な人間じゃありませんよ!」

ニイのその言葉に涙が溢れてしまった。

「ちょっと妹と二人きりにして貰えませんか?」

部屋の中でニイと二人きりになった。

ただ黙って泣いている私に、ニイは何も言わなかった。

怒っていたのか、失望していたのか、どちらも当てはまっていた様に思う。

晴れの日の瘡蓋【第十三話】

晴れの日の瘡蓋【第十三話】

走る

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-02-26

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