わたしとブッダと殺人犯
⒈ 心造界について
★わたしだけの世界
「わたし」が見ているこの世界は、わたしだけにしか見えていない。
「わたし」が感じているあらゆることは、わたしだけにしか感じられていない。
たとえば、こんなことを考えたことはないだろうか。
いま、わたしの眼前にある「赤色」。トマトの赤、信号機の赤、血液の赤。この「赤」という名の色調は、誰が見ても同じ赤色に見えているのだろうか。他の人の目には青色に見えている可能性はないのだろうか。科学や哲学の分野でよく話題に上がる「クオリア問題」と呼ばれる問いだ。
結論からいえば、誰の目にも赤色が赤に見えているかどうかを確かめるスベはないのである。
もし仮に、赤信号が青色に見えている人がいたとしても、その青を「赤」という呼び方で認識し、アカと呼ばれる電光が停止を意味していると理解しているかぎり、なんら支障をきたさない。この場合、青信号の方は別の色に見えているはずだから。
一般的に「赤」は感情を高ぶらせる色といわれるが、このような色彩心理は国や文化によって多少異なる。西洋では黒が死を象徴し、東洋では白が死を象徴するのが良い例だ。色に対する心理は必ずしも普遍的なものではない。もし血の色が青色に見えていたら、青によって感情は高ぶるかのもしれない。「赤」という名で呼ばれている色調が他の何色に見えていたとしても、その色を「アカ」という呼び方で認識しているかぎり、コミュニケーション上まったく問題は起こらないのだ。
光の波長を網膜が刺激として感じ取り、その刺激が脳に伝わることで様々な色が見えている。だが、わたしたちが見ている「色」は、外界に存在する色そのものではなく、視細胞が知覚する三種類の可視光線を組み合わせて作られたものなのであり、その作業は大脳皮質が担当している。つまりわたしたちが見ている「色」は、脳によって作り出されたものなのだ。わたしの脳が光からどのような色を作り出しているのか、それを知っているのは「わたし」だけなのであって、わたしが見ている赤色が他者にとっても同じ赤色なのか、確かめるスベは一つしかない。わたしが他者の体に入り込んで、他者の瞳と脳を通して世界を見てみるしかないのである。しかしそれは絶対に不可能なことなのだ。
これは色の知覚に限ったことではない。
わたしたちはよく「体感温度」という言葉を使う。体感温度指数というものもある。けれども、真冬に着膨れているわたしと、半ソデ半ズボンで登校している健康優良児が感じる寒さは同じだろうか。「体感」というものは人の数だけあるのであり、普遍的な体感温度など実際にはあり得ない。お灸の燃焼温度を熱いと感じる人もいれば、気持ちがいいと感じる人もいる。ゴーヤを美味いと感じる人もいれば、ニガイと感じる人もいる。バイクの排気音が心地よいと感じる人もいれば、雑音と感じる人もいる。万人普遍の基準というものはなく、各人各様の感じ方があるだけなのだ。
わたしが普段見ている世界、感じている世界というものは、わたしだけが見ている世界、わたしだけが感じている世界なのであって、他の誰も、わたしが知覚している世界を正確に知ることなどできないのである。
★バークリの哲学
哲学的思考というものは、普段あたりまえすぎて見落とされがちな身近な現実を、あらためて見直すことであるにちがいない。十八世紀の哲学者バークリは、「わたし」という存在が、わたしだけの世界を生きているというこの事実にまず着目した。彼の次の言葉は、多少難解ではあるけれど、「わたし」の世界の実相を端的に言い当てている。
〈家や山や川や、一言でいえばあらゆる可感的事物が、知性によって知覚されるのとは別個に自然的ないし真実の存在を有する、という説は、人々のあいだに奇妙に流布している説である。(中略)なぜなら上述の事物は、私たちが感覚によって知覚する事物でなくてなんであるのか。そして、私たち自身の観念ないし感覚の他に何を私たちは知覚するのか。〉『人知原理論』ジョージ・バークリ著 大槻春彦訳(岩波文庫)
だからすべての事物は観念(心の産物)なのだ、とバークリの論考は展開してゆくのであるが、いまは観念論を問題にしない。ここで取り上げたいのは、いま「わたし」が見ている町の風景も、傍らを通り過ぎてゆく人々も、春の風も、夏の日差しも、秋の夕暮も、冬の寒さも、すべて「自分」だけの感覚によって知覚している世界であるという点なのである。これは実に日常的な事実なのだ。
わたしの通帳には、もういくらも残金がない。ローンの支払も残っている。それなのに会社を解雇されそうだ。そんなわたしが街を歩いている。路の両側にはきらびやかな洋服店、おしゃれな雑貨店、評判の美容院などが立ち並んでいる。しかしお金のないわたしにとって、それらの風景はまったく自分に係わりがない。ショーウィンドの中の高級な品々は、博物館の展示品のように、ただ見るだけのものでしかない。傍らを通り過ぎてゆく楽しげな学生たちを見て、まだ苦労を知らないなと思う。晩秋の風がやけに冷たく感じる。ビルの隙間に沈んでゆく夕日が、まるでおまえなど死ねと言っているかのようだ・・。
さて、この街の風景のどこに、感覚によって知覚されていない事物があっただろう。
ショーウィンドの中の品々を博物館の展示品のようだと思っているのは誰なのか。秋の風がやけに冷たく、夕日が死ねと言っているように感じているのは、当然「わたし」以外の誰でもない。この同じ街を、先物取引で大儲けした人物が歩いていたとしたら、彼の心にも秋の風はやけに冷たく吹きつけるだろうか。
わたしたちはいつも、自分の心を経由して世界を見ているのであり、その意味では、「わたし」という呼び方に包括される対象は、わたしの「心身」ばかりでなく、わたしが感受しているこの「世界」すべてを含むのである。わたしの五感と脳を経由していない世界というものを、わたしたちは知らないし、知りようもない。
ちなみに、バークリの思考を突き詰めてゆくとどのような事態になるのか、冨田恭彦氏著『観念論ってなに?』(講談社現代新書)の対話から引用したい。
〈「でも、この花の色は、僕が見ていなくても、デイナさんが見ていれば、存在し続けているのがわかりますよね」
「そうよね。でも、それは、私が見ているからでしょ。マシューが見ていなければ、マシューにとっては、存在し続けているとは言えない。でも、私が見続けていれば、その間は、この花の色、いいえ、花そのものでもいいんだけど、それって存在することがわかるよね。だから、自分が知覚していないときにも、花や花の色って存在し続けていると、普通なら思うよね。でも、それが存在していることは、誰かが知覚しているから言えることなのであって、例えば全人類がマシューと私だけで、二人ともこの花を見てはいないとしたら、この花が存在しているってこと、どうしてわかるのかしら」〉
これがバークリの有名な素朴観念論「存在するとは知覚されることである」という定義の核心部分であるが、それよりも、いまここで問題にしたいのは、なぜこんな不思議な考え方が出てきてしまうのか、そちらの方なのだ。
わたしは「自分」だけの世界を生きており、それ以外のあり方を他に知らない。わたしが見ていないどこかの花の存在を、わたしは絶対に知らないし、知りようもない。実際にわたしがそれを見る以外に花の存在を確証するどんな方法もない。
世界地図を詳細に眺めていると、いままで知らなかった小さな国を発見することがある。わたしにとってその国は、知られる以前はこの地球上に存在していなかったのである。友達も恋人も、出会う以前は存在していなかったのだ。わたしが認識していない世界が存在しているということを、わたし自身はどうやって知り得るだろう。
絶対に知り得ないのである。
「わたし」は孤絶した一個の存在なのであり、他の誰にもなれないし、他の誰もわたしにはなれない。
★唯識論
観念論的なものの考え方は、西洋よりも東洋のほうが歴史が古い。紀元三世紀ごろにはすでに仏教の世界で萌芽していた。「すべての存在は心が生み出したもの」とする考え方で、「唯識」と呼ばれる。この説を支持する仏徒が唯識瑜伽行派で、現在のヨガの系譜にもつながっている。
バークリの場合、事物の存在は「わたし」が知覚しなければ存在しているとはいえないから、事物はわたしの外側に実在していなかった。けれども、そもそも「知覚」とは、感覚器官と外の世界が接触することなのだから、事物それ自体は観念などではなく、わたしの外側に実在しているはずだろう。ただ、そんなものは確かめようがないというのが人間の現実なのだ。唯識論に至っては、事物は知覚された存在ですらなく、人間の心が造り出したものにすぎないと主張する。すべての存在は、わたしが「ある」と思うからある。「わたし」というこの存在さえ、わたしが「ある」と思うからある。有名な「心頭滅却すれば火もまた涼し」という快川和尚の辞世を唯識風に意訳すれば、火が熱いのは熱いと思っているからにすぎない、ということになる。
いささか極論にすぎるきらいがあるけれども、唯識論の主張はおおよそ次のようなことなのだ。
たとえば「お金」というものは、紙切れと加工された金属にすぎない。それをわたしがお金だと思うからお金になる。もっといってその紙切れと金属もまた、それを紙切れと金属だと思うからそれになる。思わなければ何かぺらぺらしたものと硬いものでしかない。ぺらぺらしたものとも硬いものとも思わなければ、それはもう何ものでもなくなる。これを逆にたどってゆけば、そう思うからそれが「ある」ということになる。
霊能者や占い師は決して嘘つきではないのだ。なぜなら彼らは幽霊が存在すると思っているし、予知できる未来があると思っている。思っている人にとってそれは存在するのである。ラップ現象が天井裏を走るネズミの足音だったとしても、それをゴーストの仕業と思う人にとってはゴーストの仕業なのだ。逆に、目の前に本物の幽霊が現れても、幽霊など存在しないと思っている人には目の錯覚なのである。
★心造界
ここまで話を進めてきて、どうやら一つの結論らしきものが出たような気がする。それは、「わたし」の生きているこの世界は、わたしの「思い」あるいは「考え」で造られているということだ。この事実は、わたしたちを戸惑わせるほど突拍子もないことではなさそうである。
ある人が「女はみんな陰険だ」と思っていたら、その人にとっては世界中の女性すべてが陰険という属性を持つことになる。「男はみんなスケベだ」と思えば、世界中の男すべてが慢性的に欲情して見えるだろう。
ところで、わたしたちの「思い」または「考え」というものは、心の中に「コトバ」としてある。だからコトバのもつ性質が「わたし」の世界を形成している当のものだと考えてもいいにちがいない。
〈ことばは外の世界に名前を与えることで外の世界を範疇化し、外の世界を理解する(知る)。「石」の例でも述べたように、混沌とした感覚表象を交通整理し、一つの名前「イシ」にくくることで、数多くの具体的で、かつかたちが少しずつ違う石ころをすべて、一つの概念表象「石」に収斂させることができる。客観世界の多様なる表象に一つの秩序をもたらすことができる。
外界に与えられる秩序は、すなわち、自己の心にもたらされる秩序である。なぜなら、混沌たる外界は実は外界ではなく、それを表象している心そのものだからである。〉『ヒトはなぜことばを使えるか』山鳥重著(講談社現代新書)
コトバによってもたらされる外界の秩序が心そのものであるというとき、もはやわたしたちに客観的世界などあり得ない。世界とわたしは一心同体であり、自分のあずかり知らぬ外界などこの宇宙のどこにもないのである。世界は、わたしが思ったとおりのものになる。世界は、わたしが思ったとおりのものである。
仏教の経文に『施餓鬼ー甘露門』というものがあって、その中に「宇宙一切の諸法の本性を唯心造なりと観ずべし」という一節がある。この宇宙のすべては「わたし」が造り出したものにすぎないという意味である。これを「一切唯心造」という。
わたしが自分のことを「ダメなやつだ」と思えば、わたしはダメなやつなのだ。まわりの誰が「そうじゃない」と口を極めて言ったところで、わたしはダメなやつなのだ。人類は愚かだから滅びるしかないと思えば、人類は滅びるしかないのである。ダメなやつという存在、愚かな人類という存在、これらの存在はそう思う人の心が造り出したものなのである。
以前、友人からこんな話を聞いたことがある。
どこかの国のあるところに、身体のとても大きな青年がいた。彼は身体が大きすぎるために身動きするにも不自由して、いつもリンゴの木の根方に座って過ごしていた。あるとき、小さな子供が彼のところに寄ってきて、「お兄ちゃんはどうしてそんなに大きいの」とたずねた。青年は立ち上がると、手を伸ばしてリンゴの実を採った。それを子供に差し出して、「君にリンゴを採ってあげるためだよ」と言ってほほ笑んだ。青年はそれからしばらくして亡くなった。
このお話のモデルは、おそらく米国イリノイ州に実在したロバート・ワドローであると思う。身長272センチ、世界一背の高い人間としてギネスブックに載っている人物である。成長ホルモンの過剰分泌による巨人病だった。あまりにも身体が大きいため、足に副木を添えないと歩行も困難だったという。サーカスの巡業に参加して人気を博したが、二十二歳という若さで世を去った。死後、彼の故郷に銅像が建ち、「優しい巨人」という愛称で今も人々に愛されている。
ワドローという人物はとても温厚な性格だったようで、苦しい境涯に屈することなく、短い人生を精一杯生きた。リンゴの実の話は、実話かどうかは別として、彼の人柄をよく後世に伝えている。
巨人病という病態は、彼が望んだ運命ではない。彼は自分の運命を呪い続けることもできただろう。にもかかわらず、彼が子供に向かって「君にリンゴを採ってあげるためだよ」と言ったとき、それが彼の存在理由になった。この世に生まれてきた意味になったである。
これが一切唯心造ということなのだ。
この世界も、この自分も、一切は自分の心が造り出している。わたしは否応なく自分が造り出した世界の中で生きているのである。世界と自分が一体となったこの世界のことを、筆者は「心造界」と呼んでみたい。
「わたし」とは心造界のことであり、「心造界」とはわたしのことである。
★共通の世界は存在するのか
もし、すべてのものは自分の心が造り出したものであるなら、地球がゴムボールだと思えば、地球はゴムボールになってしまうのだろうか。西から昇ったお日様が東に沈むと思ったら、そうなってしまうのだろうか。現実にそうなるなら、わたしたちの社会は大混乱に陥る。けれどもこの世には、わたしがどう思おうと思うまいと、わたしの考えではどうにも覆せない事実というものがある。三本の線分で囲まれた図形は三角形だし、素数は1とその数でしか割れない。わたしがどう考えたところでそうでしかないのだ。コトバが統辞規則に従っていなかったら会話もできないし、万有引力の法則がニュートンの思いつきにすぎなかったら落ちないリンゴもあるはずだ。もっとも、このような自明性を持ち出さずとも、わたしたちの現実が日々それを物語っている。左記の引用を、わたしたちは「常識」と呼ぶのである。
〈人間は、生きていくうえで、さまざまな障害にぶつかる。借金も大きな障害だ。
そのとき、あなたは借金があると「思う」だけだろうか?
「思う」だけなら、「思う」のをやめてしまえばいい。それで借金苦から即座に開放される。
しかし、借金はたしかに「ある」のである。あなたがいくら「思う」のをやめても、債権者は取り立てにやってくる。〉『ゼニの人間学』青木雄二著(KKベストセラーズ)
さて、わたしが床屋に行って、前髪を一センチ切ってくださいと頼んだとしよう。すると床屋さんは前髪を一センチ切ってくれる。このときわたしと床屋さんは、一つの約束事を共有している。革命期のフランスで作られた「メートル法」である。
メートルという基本単位では、地球の円周の四分の一を一万キロメートルと定義している。その一千万分の一が一メートルであり、さらにその百分の一がセンチメートルだ。これに従えば地球一周は四万キロという計算になる。
もし床屋さんが三センチも前髪を切ったら、わたしと床屋さんは別の世界を生きていることになる。けれどもカットされた頭髪がほぼ一センチなら、わたしにとっても床屋さんにとっても地球一周は四万キロである。ただし、円周四万キロの星を小さいと思うか大きいと思うかは、話してみないとわからない。
小さいと思うか、大きいと思うか、これは決定的な違いなのだ。
地球は小さいと思う人は、こう考えるかもしれない。「こんなに狭い星の上で、戦争だ紛争だといって人間同士が殺しあうなんておかしい」
逆に、大きいと思う人はこう考えるかもしれない。「こんなに広い地上の上だもの、宗教や文化の違いで殺しあう国があってもおかしくはない」
この考え方の違いは、とてつもなく大きいのだ。
両者の考えを突き詰めていけば、世界観、人間観、生命観、歴史観、倫理観など、あらゆる考えにくい違いが現れるはずである。地球が小さいか大きいかという、それだけの認識が、決定的な相違を生むのである。
「わたしとは心造界のことである」という言い方で問題にしたいのは、まさにこのことなのだ。
「わたし」は、わたしだけの世界を生きている。「世界」は、わたしが思ったとおりのものである。人間が世界それ自体を客観的に知覚するのは不可能なことであり、つねに絶対的主観しか知り得ない。これはしごく当たり前な事実のようであって、つねに見落とされている事実でもある。この事実をぬきにして、世界や人間の本質について論じることなどできないだろう。
⒉ 閉じられた心造界
★他者という存在
『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは「選ばれた非凡人は、社会道徳を踏み外す権利を持つ」と考えて、強欲な金貸しの老婆を殺害した。彼の心造界の中では、自分は非凡人であり、強欲な老婆は殺されてもいい存在だったということになる。かくて殺人が行われたわけであるが、ソーニャという一人の娼婦との出会いによって、ラスコーリニコフは自らの過ちを悟る。彼女の自己犠牲の精神とその生き方に心を打たれて悔悛するのである。
「心造界」というものは、まったく自分だけの世界なのだ。自分がどう思うか、どう考えるかで、思ったとおり、考えたとおりの世界が形成されてしまう。これを覆すには、別の心造界と接触するしかない。ラスコーリ二コフにおけるソーニャの存在がそれであった。
人が生きていくうえで、もっとも面倒なことの一つは、他人と付き合ってゆかざるを得ないことだろう。ちょっとした価値観や嗜好の相違で衝突することもしばしばある。それでも、他人と接することで得られる経験を自分の心に取り込んでいかないかぎり、心造界は独断と偏見の王国と化してしまうにちがいない。
★相関図
こここで、「自我」の確立について少し考えてみたい。人がこの世に生を得て、「わたし」という意識を獲得してゆく過程についてである。
一般的に、自我は三歳ごろまでに芽生えるといわれている。それまでは母親と一心同体であった幼児が、徐々に自分と親の存在を区別できるようになってくるからだ。幼児が「イヤ」という意思表示をみせる第一次反抗期が始まるのはこのためである。鏡に写る自分の姿を見ることで自我意識が発生すると考える説もある。いずれにしてもわたしたちは、そのころのことを記憶していない。覚えている記憶をたどって自我の発生について考えてみると、おおよそ次のような感じになるだろうか。
幼児の「わたし」は、いつも自分の傍らにいるオッパイのついた優しい人のことを母だと思い、自分を腕にぶら下げて遊んでくれるたくましい人のことを父だと思う。わたしは自分自身が何者なのかということを考える以前に、まず身近な人たちの存在を理解し始める。その身近な人たちとの関係性を通じて自分の存在を理解してゆく。「わたし」は、毎日ご飯を作ってくれる女の人の子供、叱ってくる男の人の子供、いつも一緒に遊んでいる少し大きな人の弟、肌がしわくちゃな人の孫、というようにだ。家系図や血縁という確固たる事実によって知るのではなく、この人が「親」、この人が「兄弟」、と思うのである。「思う」だけなのだ。だから「おまえはウチの子じゃないよ、橋の下で拾ってきたんだよ」などと冗談を言われると、それが事実だと思って泣くのである。父親と母親の血液型から自分の血液型が生まれてくるのかを調べたりもする。
よくテレビガイド誌に、新作ドラマの相関図というものが載っている。登場人物の人間関係を表した図である。自我の確立というものは、あの相関図を制作する過程と似ているかもしれない。他者の存在を「自分にとっての何か」として認識するため、「わたし」はつねに主人公として相関図の中心に位置することになる。中心に置かれたわたしに、親と思う人、兄弟と思う人、友達と思う人を結び付けてゆく。あるいは学校の先生のように、一方的に結び付いてくる他者もいる。これらの結び付きからわたしは、この世界に存在する自分が何者なのかを理解してゆく。いわば、身近な他者の存在によって自分が意味付けられてゆくのである。
ところが、やがてわたしは一つの事実に気づき始める。相関図の主人公と結び付く登場人物はいくらでも変化するのだ。友達という結び付きの他者は、クラス替えごとに大幅に変化する。親友という結び付きさえ、ちょっとした喧嘩で無くなりもする。無くならないのは主人公である「わたし」だけであり、この絶対的な主人公であるわたしが望めば、気に入らない登場人物を相関図から追い払うこともできるのだ。そのことがわかってくると、相関図の図式をできるだけ自分にとって快適なものにしたいという作意が出てくる。気に入らない他者を排除したくなるのだ。この段階がおそらく第二反抗期だろう。けれども、どんなに自分の相関図をいじったところで、結び付きを容易には解消できない他者というものが存在することもわかってくる。経済的に結びついた親や、部活の乱暴な先輩や、バイト先の嫌味な店長などだ。相関図には社会的制約がかかるのである。この現実を消極的にでも受けとめることで、反抗期は終息に向かうだろう。
しかし、相関図にどのような社会的制約がかかろうとも、これはあくまでも心造界の産物なのである。もしわたしの目の前に、肉親よりも自分のことを理解してくれて、しかも自分の生命や財産を守護してくれる神のごとき教祖様でも現れたら、親との結び付きを解消して、それまで親と結びついていた線を教祖様につなげることもできるのだ。わたしは自分にとってもっともふさわしいと思われる相関図を作ることができるし、意にそぐわない相関図を破壊するために自殺することさえできる。
★主人公の孤立
相関図は他者の存在があって始めて成立する。他者が不在なら相関図は意味を持たないし、中心に位置する「わたし」が主人公である理由もなくなる。人は一人では生きてゆけないばかりでなく、自分の存在の意味付けさえできなくなる。わたしたちは好意を寄せる相手に好かれようと努力をし、友達のために力を貸し、わが子のために働き、親に心配をかけないために真っ当な人生を生きようとする。他者との係わりが「わたし」の在り方を決めているのだ。
この事実に異常なほど敏感に反応したのが「秋葉原無差別殺傷事件」を起こした加藤智大だろう。次の引用は獄中で記した彼自身の言葉である。
〈掲示板と私の関係については、依存、と一言で片づけてしまうことはできません。一般に「たかが」と言われてしまう掲示板が私にとっては「たかが」とできなかった理由がそこにあるのであり、もっと丁寧に説明しなくてはいけないところでした。
では、依存でなくて、どのように説明するのかといえば、全ての空白を掲示板で埋めてしまうような使い方をしていた、と説明します。空白とは、孤立している時間です。孤立とは、社会との接点を失う、社会的な死のことです。社会の接点とは、自分の行動の理由になる相手のことです。私にとって孤立は恐怖であるため、それを埋めなくてはいけないところ、掲示板はとても楽だったので、手抜きをして、全て掲示板で埋めてしまっていた(下略)〉『解』加藤智大著(批評社)
このような手記を読むと、加藤智大には友達がいなくて、孤独な人物のように思えてくるが、実情はそうではない。地元には親しい友達が少なからずいて、普通の若者と同様、仲間とゲームをしたりドライブをしたり、朝まで遊ぶような青春時代を過ごしていたのである。加藤は学業優秀者で、県下一の進学校に通っていた。しかし、そこに至るまでに母親から受けたスパルタ教育は体罰も含む行き過ぎたものであった。当然の結果かもしれないが、後に母子関係は破綻し、加藤は家を出て、両親も離婚している。家族が崩壊したのである。
加藤は失われた家族の絆を友達に求めた。しかし、その求め方があまりにも強すぎた。
〈昔からの友人は、一緒にいても離れていても友人であることに変わりはありません。ただし、それは、私にとって、という条件がつきます。私の頭の中にいる人の頭の中には私がいない、と書きました。それはつまり、私が頭の中に友人を思い浮かべても、その友人は私のことは考えていない、と私は感じてしまうのだということです。〉
〈それで、この時思い浮かんできたのが、彼女がいれば、という考えでした。彼女をどう定義するのか知りませんが、私にとっては、24時間365日、ずっと一緒にいてくれる女性がそうです。私に彼女がいれば、私は常に「彼女のために」と生きることになりますから、孤立を完全に解消できるはずでした。〉
加藤が手記の中で頻繁に書いている「社会的な死、孤立の恐怖」とは、その文脈から察する限り、「孤独」といった感傷的なものともちがう。彼の場合それは、相関図の中から自分と結びつく他者の存在が無くなってしまったら、「わたし」の存在の意味も消滅するという、自己消失の恐怖なのであった。
厄介なことに、加藤は自分のことを〈私は人の無言の攻撃の意味がわかってしまう人〉であると自称しており、相手が自分を攻撃していると感じると〈相手の間違った考え方を改めさせるために痛みを与える必要が生じる〉『同右』のだという。加藤の手記を読んでいると、彼の対人トラブルは、客観的に見ればつねに自分が正しいことになっている。しかし「客観的」とは何なのか。
〈私には、100%相手が悪いか、100%自分が悪いかの二択しかありませんでした。私のこの考え方が原因で、例えば、客観的に見て6対4ぐらいで相手が悪いトラブルであっても、私が10対0にしてしまうために、私から見れば相手が「0」を「4」とし、相手から見れば「4」を「0」にされた、というように、お互いがお互いに人のせいにしていると感じることになっていました。〉
「6対4」も「10対0」も、この文脈の中では同じことだ。いつも自分の方が正しかったということを謙虚な言葉遣いで語っているにすぎない。
このような考え方でいれば対人関係に支障をきたすのは必然であり、衝突は不可避なことだ。加藤の対処はこうである。
〈たとえ10対0で相手が悪くても、私が我慢すれば全て丸く収まることを知り、実際にもそうすることで、トラブルが表面化せず、人から嫌われなくなり、見かけ上うまくいっていたために、問題に気づかなかったのかもしれません。また、我慢できないものは「まあいいや」と、トラブルをトラブル相手ごと自分から切り落としてきた〉(下略)〉
100%相手が悪いか自分が悪いかという判断基準の持ち主が、トラブルが起こるたびにトラブル相手ごと切り落としていけば、枝葉はみんな無くなって、やがて幹である自分一人しか残らないだろう。しかも加藤のいう「我慢」とは、〈相手の間違った考え方を改めさせるために痛みを与える必要が生じる〉という感情を抑えることなのだから、このような感情の鬱積がいつか爆発するのは目に見えている。その結果が秋葉原の事件なのだが、もう少し加藤の言葉を読み進めてみたい。
加藤の地元には親しい友人たちがいたが、派遣社員となって各地の工場を転々とするようになって関係は希薄になる。希薄になるとは彼にとって〈私が頭の中に友人を思い浮かべても、その友人は私のことは考えていない〉ということだから、地元の友人は相関図から姿を消す。こうなると孤立の恐怖から、加藤は職場の上司や同僚など、ともかく自分と係わりをもつ周囲の人間たちと自分とをあわてて結び付けようとする。そのためなら高額な出費さえも厭わなかった。
〈この時思い浮かんだのは、車の購入でした。車があれば、それを使って、工場の同僚と話をしたり、ドライブに誘ったりして、一緒にいてもらうこともできるからです。〉
こうした努力を試みながら、加藤は転職するたびに新しい人間関係を築いてゆこうとするのだが、しかしこのような関係性は地元の友人たちとの関係とはちがい、時間をかけて構築されたものではない。地元の友人たちとの関係性は、互いの良い部分も悪い部分も受け入れながら作られてきたはずだ。それが友情というものだろう。あわてて作った人間関係など基盤のもろいものであり、些細なトラブルが起こるたびにトラブルごと関係性を切り落としてゆく加藤の行動は、相関図の中の自分を孤立させるばかりでなく、職場さえも失う結果となる。失意のうちの加藤は、ネットの世界に「掲示板」の存在を見つけるのだ。
〈掲示板とは、現実の人間同士が交流する場です。(中略)メールや電話と決定的に異なるのは、「場」であるということです。メールや電話はツールでしかありませんが、掲示板は離れたところにいる人と通信するツールであり、同時に、離れたところにいる人が集まることができる場でもありました。(中略)「人と一緒にいる感覚」になれるのも、単なるツールではなく、「場」だからです。〉
確かに「掲示板」は「現実の人間同士が交流する場」であるにはちがいない。しかしここでの交流は、相手の顔さえ知らないぶん、実社会の希薄な人間関係よりもさらに希薄なのだ。複数の人間が係っているという意味では、なるほど「場」である。が、掲示板がなぜメールや電話とちがうツールなのだろうか。掲示板もメールや電話と同類の〈離れたところにいる人と通信するツール〉にすぎないのではないだろうか。あきらかに加藤は、ツールにすぎない掲示板という存在を過剰評価してしまった。
〈社会との接点は、量より質でも質より量でもなく、ピラミッド型になるイメージで、「自分」を頂点に、家族、友人、仲間、知り合い、顔見知り等と、下にいくほど広く確保しておくべきではないかと考えました。私のように「自分」が無い人や、さらに家族も無い人は、その分、友人以下を普通の人以上に確保しておかなくてはいけないように思います。私にとって掲示板上で親しい人は家族のようなもののようなものでしたが、そうして家族から顔見知りまで、掲示板ひとつで全てをカバーするなど、論外でした。〉
やがて掲示板は、「成りすまし」によって荒らされる。このとき加藤の心に沸き起こった〈相手の間違った考え方を改めさせるために痛みを与える必要が生じる〉といういつもの感情を抑えられなかったのは、掲示板という「場」が、結局のところ、加藤を孤立から救ってくれるほど親密なものでも友好的なものでもなかったからだ。しかも、〈掲示板で親しい人は家族のようなもの〉とさえ思っていただけに、「成りすまし」への敵意は尋常なものではない。
秋葉原事件の動機はこうだ。
〈喩えるなら、各種のメディアという弓で大事件という矢を放ち、成りすましらという的を射たようなものです。(中略)はるか遠くに的があるために、飛び道具を使うしかありませんでした。〉
〈こうして、2008年6月8日の12時10分には、成りすましらへの心理的な攻撃が開始されました。12時33分には、その手段である大事件、すなわち、秋葉原無差別殺傷事件も実行され、それを報道で知った成りすましらが、心理的な痛みから、自らの間違った考え方を改めようという気になったはずでした。〉
加藤は掲示板に事件を予告して犯行におよんだ。
卑近なたとえになってしまうが、犯行に至るまでの彼の精神状態は「恋の病」に似ている。自分の相関図に組み込んだ他者の存在を慕うあまり、まわりのことが全然見えなくなっているのである。自分の相関図に含まれない他者の存在は、まるで道端の石ころのように彼の目にはまったく入らない。だからこそ彼は、相関図から登場人物が消え去るたびに、石ころだらけの荒野を独り彷徨っているような孤立の恐怖に怯えたのだろう。相関図の中の他者を一方的に慕うだけならまだいいのだが、その他者が自分の考えと合わない「間違った考え方」をすると、可愛さあまって憎さ百倍になる。
こうして加藤は、レンタカーで借りたトラックに乗り込み、「加藤智大」という心造界を走り抜け、石ころにすぎない人々で賑わう歩行者天国へ突っ込んだ。
Ⅱ
★誰もいない相関図
「相関図」からすべての登場人物が消え去ったらどうなるのだろうか。しかしこのような事態はなかなか起こるものではないだろう。登場人物のいない相関図とは、たった一人で生きているということだからである。どこかの無人島に一人だけ取り残されでもしないかぎりあり得る事態ではないはずなのだ。けれども、ごく稀に、この社会の中で生活をしていながら、誰もいない相関図を生きてしまう者もいる。「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」を起こした宮崎勤などがそれだ。
宮崎も獄中で二冊の著書を書いているが、彼の著述の特徴は、徹底的な他者の不在である。もっとも身近な存在である両親のことを「父の人」「母の人」あるいは「形式的な父、にせ物の父」などと呼ぶ。妹たちのことにはほとんど触れてもいない。他人と係るのが苦手な性格だったため、友達もいなかった。宮崎が特撮やアニメビデオの収集家であったことは有名な話だが、ビデオ収集仲間のことも「ビデオ知人」などと呼んでいる。
宮崎は東京郊外の旧家に生まれ、祖父母を含む大家族の中で育っている。よく問題にされるのが宮崎の手の障害であり、先天性橈尺骨融合症のために手のひらを上に向けられず、幼少期からそのことでイジメを受けていたという。しかもその障害は手術をすれば治るにもかかわらず、親は放置していた。このことが、宮崎の性格を内向的なものにし、肉親との精神的なつながりを崩壊させた遠因になったといわれている。
しかし、この「手の障害」について、『「宮崎勤事件 冤罪説」を検証する』というホームページを制作した須藤純氏が非常に興味深い指摘をしている。(以下は須藤氏の検証を参考にして書かせていただいた)。橈尺骨融合症は、肘を直角に曲げて手を真横に向ければ、肩関節を代償的に動かすことで日常生活にほとんど支障をきたさないというのである。確かに、宮崎がタオルで顔を隠して警察署を出る際の画像を見ると、手は上を向いている。宮崎は手の障害のために「ちょうだい」のポーズや「バイバイ」の仕草もできなかったと自供しているのだが、それならばどうやって、犯行に使用した車のドアを開けたり、ハンドルを握ることができたのだろう。宮崎の父は息子の手が四十五度内側に傾くことから生活に支障はないと判断しており、しかも五年生のときに手術を勧めたものの当人が泣いて拒んだと証言している。宮崎にしてみたら、肩の動かし方次第で別段日常の動作に支障がないものを、わざわざ怖い思いをして手術などしたくないと思ったのだろう。ちなみに宮崎はマット運動が得意だったこともあり担任の教師ですら手の障害に気づいていなかった。橈尺骨融合症自体は事実だったとしても、きわめて軽度の障害だったのではないか。須藤氏の指摘どおり、宮崎も逮捕当初は罪が軽くなることを期待して「自分は手の障害でこんなに悩んでいた可哀想な者なんです」という心証を周囲に与えようとしていたのかもしれない。手の障害が宮崎の人格形成に決定的な影響を与えたのかどうか、疑問が残るところである。
宮崎の逮捕後、自宅に押し掛けたマスコミによって曝された彼の自室は、約六千本のビデオテープで四方の壁が埋め尽くされていた。幼い時分から他人と接することが苦手だった宮崎は、テレビ番組やアニメを観て過ごすことを好んだ。成人になっても彼の生活態度は変わらず、先行きを憂いた父親が就職やお見合いを勧めたこともあったが、まったく聞く耳をもたなかった。一家の問題児となりつつあった宮崎のことを暖かく見守り、一貫して良き理解者であり続けたのは「祖父」だった。祖父が味方でいてくれるかぎり、肉親の誰が自分の人生に干渉してこようとも、宮崎は安全地帯にいることができたのである。祖父の存在こそ、わずらわしい外界から自分を守ってくれる城壁だったのだ。
その祖父が、飼い犬と散歩中に脳卒中で倒れ、入院先で亡くなったとき、宮崎は愛犬の鳴き声を録音したテープレコーダーを持ってきて祖父の耳元で流したという。そうすれば祖父が目を覚ますと思ったのだ。このとき父親が「勤、何するんだ」と声をかけると、宮崎は「黙っていろ」と怒鳴った。
この瞬間、宮崎の相関図は壊れた。これ以後、彼は両親に暴力を振るうようになる。それまでの宮崎は、父親のことを「パパ」母親のことを「チャーチャン」と呼んでいたが、祖父の死を境に呼び捨てにしたり、父の人母の人、あるいはにせの親と呼ぶようになる。
宮崎の両親は自営業を営んでおり、夫婦共働きであったため、宮崎を育てたのはもっぱら祖父であった。祖父は長男の宮崎を特に可愛がった。両親よりも祖父との絆の方が強かったのである。しかも両親の夫婦仲は良好とはいえず、家の改築をきっかけに、それまで使われていた「ちゃぶ台」が捨てられ、四角いテーブルにとって代わる。家族は七人いたのに、椅子は四つしかなかった。家族がそろって食卓を囲むことがなくなったのである。この時点で宮崎の家族は事実上離散していた。それでも宮崎にとって家族がなお家族であり得たのは、相関図の中で祖父と強く結ばれていたからだ。祖父と自分の間に位置する男が父であり、祖父の息子の嫁が母であり、祖父の息子と嫁の子供が妹たちだったのだ。宮崎の相関図の中心は祖父だったのであり、祖父が家族の相関関係を意味付けていたのである。その祖父が相関図の中から消えたとき、宮崎にとっての家族はその意味を失ったのだ。
宮崎をわずかながらでも社会と結び付けていたのは父親だった。父親だけは引き籠りがちな息子の生活に干渉した。しかし祖父がいなくなってみれば、「父の人」は自分の自由を脅かす他人でしかなかった。しかも他人のくせに自分の世界に踏み込んでくる脅威だった。
宮崎が逮捕された後、父親は自殺した。父の死を伝え聞いた宮崎は「胸がスーッとした」という。
祖父の死によって、相関図の登場人物がすべて消え去ると、さすがに宮崎も孤独と寂寥感を覚えたにちがいない。連続幼女誘拐殺人事件を起こすのは、祖父の死から三か月後のことである。
コミュニケーションが苦手な宮崎は、手なずけやすい子供に接近する。子供といっても幼女に限定されていたのは、そこに彼の性的本能が介在していたからだろう。成人の男子が町でナンパでもするように、彼は一人で歩いている幼女に声をかけた。仲良くしてくれる相手を求める期待と、性的な欲求が入り混じっていた。
〈ーー(田鎖弁護士)これは原審でも出てきていることなので確認の意味で聞くんですけれども、ピクニック気分であなたとその子が一緒に山の斜面に行ったということでいいんですか。
宮崎 ええ。
ーーで、その後で、その子が泣いてしまったということがあったんですか。
宮崎 ええ。
ーー具体的に言うと、どんな感じになったの。
宮崎 人を平気で裏切ってきて、急に泣き出しました。〉
『夢のなか、いまも』宮崎勤著(創出版)
宮崎はコミュニケーション能力が不足していたというよりも、コミュニケーションというもの自体を知らなかった。彼は別のところで「ひとりぼっちの子と出会った瞬間からその子と一心同体」『同右』になったとも書いており、一方的に相関図の「主人公」であるわたしと幼女を結び付てしまうのである。ピクニック気分でいたのは自分一人だったにもかかわらず、幼女もそうだと思い込む。その結果、性的なイタズラをしようとする宮崎の行動に幼女が動揺して泣き出すと、「裏切られた」と逆上し、幼女を殺害してしまう。
宮崎は幼女の遺体を解体した。このような行為が宮崎という人間を不可解なものにしてしまうのだが、真相はいたって単純なものだろう。彼はわざわざ異性の子供に接近したのである。性交が目的だったわけではないが、異性の体に対する抑えがたい好奇心を抱いていたのはまちがいない。漫画やアニメのような二次元上の人間ではなく、生身の人間に対する過剰な興味であった。もし宮崎が性交を目的にしていたなら、彼の関心は肉体の局所的なところに向けられていただろう。しかし興味の対象が必ずしも特定の部位に限定されてはいなかったために、すべてが興味の対象だった。あたかも幼い子供が目覚まし時計やラジオを興味本位で分解してしまうように、宮崎も遺体を分解するまでいじったのだ。
宮崎は死刑が執行されるまで、ついに自責の念を起こすこともなく、被害者に謝罪することもなかった。なぜなら彼にとって連続幼女誘拐殺人事件は、自分の手による犯行ではなかったからである。
〈ーーもう一人の自分が、子供の体の上に覆いかぶさっていたというんですか。
宮崎 ええ。
ーーどんな格好でした。
宮崎 馬乗りのような格好です。
(中略)
ーーそういうのを見て、あなたは、もう一人の自分が何をしているんだと、そういうことは思いませんでしたか。
宮崎 ・・・力を入れている最中なんだなと思いました。
ーー力を入れて、何をしていたんでしょうか。
宮崎 上から下に押してました。
ーー何を。
宮崎 恐らくその子の口かのどか心臓を押していたと思います。〉
宮崎にとって一連の犯行は、「もう一人の自分」がやったものだったのだ。
もう一人の自分とは何なのか、精神科医による解説はこうである。
〈「自分が自分である」という、いわゆる自己同一性が様々なレベルで障害される「解離性障害」については、その完成形ともいえる解離性同一性障害(いわゆる多重人格)が司法の場でしばしば問題になることがある。鑑定医の意見が分かれたことが話題になった幼女連続殺人事件の宮崎勤死刑囚の精神鑑定のひとつにも、この診断名が記されていた。
(中略)人間の心は完全な崩壊という致命的事態を防ぐため、より軽度な障害を起こしてバリアを張ろうとするのだ。〉『創』07年11月号 香山リカ著「『こころの時代』の解体新書」
「もう一人の自分」が幼女を殺害したのだと宮崎は「思った」。もしそれが思うふりだったとしたら、「ふり」をするというそのことが、罪を自覚しているということなのだが、宮崎の場合はそうではない。もう一人の自分という存在が、解離性同一性障害というものが作り出したバリアにせよ何にせよ、やったのはそいつだ、自分は何も関係ないんだと本気で思っていたのである。だから最後まで、罪の意識を抱くことはなかった。
宮崎にとって「他者」とは、自由で平和な自分の世界に干渉してくる厄介な存在だった。自分の意思とは関係なく振る舞う理解不能なものでもあった。理解不能であるがゆえに、それは怖い存在でもあったのだ。彼は他者という不可解な存在と面倒な係わりを持たずとも、特撮映画やアニメを観ていれば十分楽しく生きてゆけた。自分の行動が異常なのかどうかを教えてくれる親しい他者を持たなかった彼にとって、残虐な殺人行為などテレビの中ではよくあることだった。しかも、自分の手によって殺害されたとする四人の幼女を殺したのは、自分ではなく、もう一人の自分なのだ。
晩年の彼は独居房の中で、心ゆくまで一人の時間を楽しんで過ごした。
〈外界が怖いから、一人でいたいんだ。ああ、ここが独居房で良かったあ。〉『ドキュメント死刑囚』篠田博之著(ちくま新書)
★「思う」ということ
凶悪な殺人事件が起こるたびに、わたしたちは逮捕された容疑者のことを「狂っている」と感じる。「頭がおかしいのだ」と思う。それを裏付けるように、彼らが精神鑑定にかけられると「反社会性人格障害」とか「統合失調症」などといった病名が公表される。わたしたちはそれを聞いて漠然と「ああそうか。やっぱり狂っていたのか」と納得する。しかし「狂っている」とはどんな状態のことをいうのだろうか。ナントカ障害やナニナニ症という説明で、わたしたちはどこまで「狂気」という世界を理解しているのだろうか。
1945年に起こった「九州大学生体解剖事件」を取り上げてみたい。
太平洋戦争の末期、日本軍の捕虜になったB29爆撃機の搭乗員八人を、九州帝国大学の医学部教授らが生体解剖実験のすえに死亡させた事件である。遠藤周作の小説『海と毒薬』の題材となったことでも知られる。
八人の捕虜は、軍部の判断で処刑されることが内定していた。これを知った九大医学部関係者が、どうせ殺すのなら臨床実験に使いたいと企図したのである。当時の日本人は、対戦国のことを「鬼畜米英」と呼んでおり、アメリカ人は人間ではなく鬼か畜生だった。その鬼畜の空爆によって全土が焦土と化しつつあった時期にこの事件は起きている。この時代背景を考慮すれば、加害者が捕虜の人権など考えもしなかったのは明らかである。だからわたしたちは、この事件の関係者が精神疾患を患っていたかどうかなどあえて問題にはしないだろう。大日本帝国の軍国主義的風潮が彼らを狂わせたのだと理解できるからだ。
生体解剖事件の加害者から人間性を奪い去ったのは当時の国家であり時代の空気である。この点が、誰にそそのかされたのでもなく殺人に手を染めた加藤や宮崎と決定的に異なるところである。けれども、人体実験による捕虜虐殺という行為それ自体は、責任の所在が国家にあろうと時代にあろうと、人間の狂気以外の何ものでもない。この「狂気」のみを問題にするなら、生体解剖事件の加害者も、加藤も宮崎も、同じ狂い方をしているように思える。
何度も繰り返すようだが、心造界は、「わたし」が「思う」世界なのである。わたしが「自分以外の人間はすべて敵だ」と思えば、わたしにとって人類はすべて敵になってしまう。これは心の性質なのであって、心の病ではない。心の性質とはつまり、コトバの性質であるといってもまちがいではない。
〈いったん生成し、心の記号と化したことばは、逆に心を統御し、心を支配する。すなわち、ことばは心に秩序を与えることによって心を支配する。〉『ヒトはなぜことばを使えるか』山鳥重著(講談社現代新書)
「わたし」が「アメリカ人は鬼か畜生であって人間ではない」と思えば、わたしはアメリカ人を実験用モルモットにすることもできる。ルソーの言葉を借りれば「精神は言語で作られる」のだ。平和な日本に革命を起こせると思った連合赤軍も、教祖が日本の王になれると思ったオーム真理教も、そう「思って」行動を起こしたのである。加藤や宮崎もまた、自分が「思う」世界を思ったままに生きた。しかし一部の凶悪犯だけがそのように生きているのではなく、わたしたちすべてがそのように生きているのである。問題は、何を「どう」思うかなのだ。
宮崎勤は自分の親のことを「にせの親」だと言い張っていた。精神疾患だからこのように「思う」のか、このように「思う」から精神疾患なのか、ここのところが判然としないかぎり、精神疾患を犯罪の動機として位置付けるのは無理がある。
★「家族」というもの
月並みな感慨だけれども、犯罪者の心造界を考察してみて思うことは、人間にとって「他者」の存在がいかに大切なものかということである。他者の中でも特に「家族」の存在だ。犯罪者の多くは、家族との関係が崩壊している。次の一節は、ジャーナリストとして宮崎勤や数々の殺人犯と接見しながら濃密な取材を続けている篠田博之氏のものである。
〈人間は社会的動物で、社会との関係を抜きにしてはありえない。そしてその個人の社会との関係は、家族との関係に凝縮して反映される。〉『ドキュメント死刑囚』篠田博之著(ちくま新書)
心造界は自分が思ったとおりに形成されてゆくのであるが、そこで形成される世界が独断と偏見に凝り固まってゆくことを「狂気」と呼ぶなら、何が独断で、何が偏見であるのかを教えてくれるのは他者なのだ。もしわたしの心造界が社会性を失っていれば、必然的に他者と衝突することになる。その衝突を通じて心造界は修正され、一般常識という不文律を取り込んでゆくのである。この衝突の過程において、他人との関係が壊れてしまうことはしばしばあるが、家族というものの結び付きは簡単にはなくならない。容易に変化もしない。それゆえに他者と共に生きるすべを学ぶ揺るぎない「場」となるのである。
江戸時代に官学として採用された「儒教」という学問は、家族関係をもっとも重視した倫理思想として、再び見直される価値があるように思う。
儒教はもともと祖先祭祀の必要から血族の結び付きを重視したのであるが、孔子によって「家族」こそが人格形成にとって必要不可欠な学びの場であると強調された。心造界という文脈でこれを言い換えると、正しい人格というものは、正しい相関図によって形成されるということである。子は親を敬い、親は子の手本となるように身を正す。このようなルールを徹底的に内面化することで、人は家族の外に出ても、年長者を敬い、年少者の良い先輩になることもできる。家族を大切にするように他者を大切にすることができたら、自ずから友は集まってくるだろう。正しい相関図の中に位置付けられたわたしは、社会の中で孤立することもないし、存在の意味を失うこともないのである。
が、無為自然を唱えた老子なら、こう反論するだろうか。わざわざ「家族」というものをたいそうな代物に祭り上げて神聖化しなければならないところに、「家族」というものの嘘がある。そんなものはいびつな作り物にすぎない、と。確かにこのような考え方も一理ある。家族など自分がどう思うかで形を変えるし、簡単に壊すこともできるのだ。絶対的でもなければ、神聖でもない。家族を偏愛することでモンスターペアレントなどという困った者も出てくる。家族愛から社会愛へ昇華してゆくはずの儒教が、本末転倒な結果を引き起こすこともあるのだ。
孔子から少し遅れて登場した墨子は、儒教に内在するこの危うさに気付いていた。近親重視の愛が、むしろ社会を混乱させていると考えたである。墨子は家族愛に代わって「兼愛」を説いた。いわば博愛主義である。けれども墨子は、人々をまとめるために鬼神信仰という宗教を持ち込んだり、武装して結束を強めたりしている。博愛によって不特定多数の他者を結び付るという試みの難しさと不自然さを証明してしまった。
やはり「家族」を愛するところから始めるのが自然なのではないだろうか。親と子と兄弟姉妹が理解し合うところから人と人の関係性と社会のルールを学ぶのが、もっとも堅実で、着実な道であるような気がする。
少子化によって子供を作ることが奨励されている現代であるが、子供を作るのは税収を増やして国庫をうるおすためではない。わたしたちは子供を作ることで、新たな心造界を生み出しているのだ。その心造界を放置して誰も責任を負わないのなら、子供など増やさないほうがいい。わたしたちは家族の在り方について、もう一度謙虚に考える必要に迫られている。
⒊ 心造界と自然界
★自甘他厳型の人間
心造界を考察するにあたってもう一人取り上げたい人物がいる。「付属池田小事件」を起こした宅間守である。刃物を持って小学校に乱入した宅間が、低学年生八人を殺傷、生徒十三名と教諭二名に障害を負わせた事件である。宅間は逮捕から死刑に至るまで罪の意識をまったく抱かなかったばかりか、むしろ自分の行動を自画自賛し続け、世間を震撼とさせた。宅間の発言を見てみたい。
〈今までさんざん、世の中で、通りすがりのやつらに、不愉快な思いをさせられて来たから、やり返してやったのです。無差別に不愉快な思いをさせてやったのです。交通事故を起こした女のドライバーが、信号が赤だったのに青だと言い張って、不起訴となった例が、いくらでもあるのです。私とそいつら、人間的にどちらが悪いですか。私は、死刑覚悟で、その場で、つかまったのですよ。
それを、ウソをついて、平然と暮らしているやつらが、くさるほどいるという事や、同じ目にあうと、ウソをつくやつがかなりいるし、ひょっとして、いや、ウソをつくやつが、大半なのかもしれない。そんな、ウソつき集団が、私をなぜ、そんなに批判出来るのですか。〉『ドキュメント死刑囚』篠田博之著(ちくま新書)
これを読んで、少なからぬ人が、殺人鬼のくせにもっともらしいことを言いやがってと思ったのではないか。しかし宅間は、もっともなことを言っているのである。不愉快な思いをさせられてきたからやり返したという部分は子供じみているが、それ以降の発言はしごくもっともだと言っていい。わたしたちは保身のためなら平然と嘘をつく。そして素知らぬ顔をして生きてゆく。宅間が突いたのはそこなのだ。
よく時代劇などに、典型的な悪者が出てくる。商人から賄賂を受け取り、酒色にふけり、平然と弱い立場の者を迫害する悪代官などである。あの典型的な悪行ぶりは、ときとしてわたしたちの笑いを誘う。賄賂を受け取るときの、あるいは芸者の帯をほどくときの、代官の腑抜けた表情や言動がおもしろいからである。なぜおもしろいのかというと、わたしたちは人間の本質的な部分を知り抜いているからだ。人が欲望に対していかに貪欲でもろいものかを知り尽くしているからである。それはつまり、悪代官の心理が手に取るようにわかってしまうということなのだ。権力や暴力を利用して欲望を満たしていけば、やがて歯止めがかからなくなる。わたしたちはお代官様でもないのに、それがわかる。なぜならわたしたちの心の中にも悪代官がいるからである。宅間の発言がもっともなのは、おまえらは悪代官のことを笑うが、おもえらだって悪代官じゃないかと言っているからなのだ。
わたしたちが悪代官の心理を心得ているのは、わたしたちの中にも同じ欲望があるからである。人は人であることによって、否応なく人間の内奥を熟知している。ただの一人も、煩悩の存在を知らない者はいない。なぜなら煩悩は「わが身」だからだ。わたしたちは宅間の発言を、「もっともらしい」などと言って賢者ぶる必要もなければ、恐れることない。もっともなことを確かに言っているのだから。「ごもっとも」である。問題はそこではない。
典型的な悪代官を見てわたしたちは笑うのに、悪代官と同じ所業で逮捕される人々が次から次へと後を絶たないのはなぜなのか。テレビドラマにも漫画にも典型的な嫌われキャラというものが出てくるが、これほど「嫌われキャラ」の特徴が端的に示されているにもかかわらず、なぜ実社会の中には典型的な嫌われキャラが多数実在しているのか。答えはひどく簡単で、単純なことなのだ。心造界で唯一「わたし」が見ることのできないもの、それは「わたし」自身の存在なのだ。「わたし」は心造界の盲点なのである。
悪代官を演じる役者は、いやらしい表情をする。あれと同じ表情を、わたしたちも日々折々しているはずだ。わたしはどんな顔をしてキャバクラの椅子に座っているのか。どんな目をして他人を見下しているのか。どんな態度で権力を振り回しているのか。もし自分の姿を客観的に見ることができたら、わたしたちは恥じ入って泣きたくなるはずだ。しかしわたしは自分の姿を見ることができない。見たことがないから、自分の表情や態度が悪代官ほどに醜いとは思わないし、思ってもみない。むしろ、見たことがないという必然的な無知から、自分はあんな人間ではないと思っている。宅間にしてもそうである。幼い子供たちを無差別に殺傷した男が、どの口で信号無視をしたドライバーを非難できるのだ。
心造界の視界に「わたし」自身の姿はない。あるのは「他者」の姿だけだ。わたしたちは他者の存在だけ客観的に見ることができる。醒めた目で見れる。自分の煩悩を通じて人間の愚かさを知っているがゆえに、他人の愚行はよく見えるのだ。他人のふりみて我ふり直せというコトバは真理である。悪代官の姿をわが身に重ねることでしか、わたしはわたし自身の姿を知るすべがないのだから。
宅間のような自分に甘く他人に厳しい人間のことを「自甘他厳型」とでも分類するなら、人の世は自甘他厳型の人間がもっとも多い。
★煩悩障
「煩悩」というものをつかみ出し、わたしたちに示してみせたのは仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ、すなわちブッダである。
煩悩は「渇愛」ともいう。欲望にもとづく執着心のことであり、ブッダはこれを人間の苦しみの原因であると考えた。欲しいものが手に入らないとき、愛するものを失ったとき、わたしたちは苦しみに悶え悲嘆にくれる。なぜならそれは、欲しいものや愛するものに執着しているからなのだ。執着を捨てれば苦しみから救われる。子供のころ欲しかったオモチャが手に入らなかったことの悲しみや、失恋の苦しみが、時間とともに忘却されてゆくことをわたしたちは経験的に知っている。忘れてしまえば「苦」は滅するのだ。これが苦しみの性質であるとブッダは見抜いた。しかしわたしたちは、次から次へと物事に執着してしまう。繰り返し苦の原因を作り出してしまうのだ。苦しみから完全に開放されるためには、物事に執着する「わたし」自身を滅する他にない。 ブッダの教えを簡潔にまとめればこのようなことなのだ。
わたしを滅するとは、自殺を意味するのだろうか。いや、いまは結論を急がずに、煩悩についてもう少し考えてみたいと思う。引き続き宅間守の発言を見てみたい。
〈幼稚園に突撃していたら30人以上は殺せた。それも私立を。なぜ私立かというと、公立より金持ちの師弟の可能性が高いから。なぜ金持ちかというと、貧乏人より金持ちの方が、幸せになる可能性が高いから。一概に言えぬ事は、百も承知の上だが。やはり、知能の高い奴や金持ちを殺す方が、雑民大衆を殺すより、価値があると思う。(中略)刺して刺して刺しまくって、人に止められるのではなく自分の息が切れるまで、へばって、地面にへたりこむまで、刺したかった。刺したかった。〉
知能の高い奴や金持ちを殺す方が雑民大衆を殺すより価値があるのは、宅間自身にとってである。いかに宅間が、金持ちやホワイトカラーのエリートに羨望の眼差しを向けて生きてきたのか、語るに落ちた感じである。手に入らないものを求めて得られない苦しみが、やがてもって行き場のない怒りとなり、やつあたりのような犯行におよんだわけである。膨張しきった煩悩の爆発だ。この手の発言の悲しいところは、金持ちを憎むことがあこがれの裏返しにすぎない文脈の中で、自分こそが雑民大衆の代表だと明かしてしまうことなのだ。言えば言うほど内心のみじめさをつのらせてゆくことになる。そのためか宅間は、自分の奔放な性の遍歴をことさら自慢し続けた。虚勢を張るための材料が、そんなところにしかなかったからだろう。
煩悩の分析にかけたら追随をゆるさない仏教の逸話の中から、もっともすぐれたものを一つ取り上げてみたい。江戸中期の高名な禅僧、白隠和尚の話だ。
〈白隠禅師はあるとき、一人の若侍から地獄の有無を問われます。白隠は若侍を一瞥して言います。「貴公は見たところ立派な武士だが、いい年をして、まだ、地獄が有るのか無いのかとはあきれたことだ!」とくそみそに罵倒し、あげくの果てには、不忠の臣、不孝の子よ!腰抜け侍!と口を極めて面罵します。初めは有名な高僧の言うことだと歯をくいしばって耐えていた若侍も、ついに我慢しきれなくなって、やにわに刀を抜いて白隠に切り掛かります。白隠和尚は巧みに逃げまわりますが、ついに追いつめられて一刀のもとに切り伏せられようとする刹那、白隠は、「そこが地獄だ!」と鋭い叱声を飛ばします。
その一語を聞いた若侍は正気を取り戻し、なるほどと合点します。さきほどの鬼面もどこへやら、思わずそこに平伏して、笑みさえ浮かべています。「わかりました。地獄の所在がしかとわかりました」と。すると白隠もにっこり笑って、「そこがまた極楽よ!」と事もなげに言い切ります。〉『白馬芦花に入る』細川景一著(柏樹社)
白隠の罵倒に激昂した若侍の心が「煩悩」である。心が「怒り」という曇った感情で覆い尽くされ、澄んだ心を失う。若侍の怒りは、「わたし」のわたしに対する執着心から発生したものだ。若侍は和尚に思いっきり「自分」の存在を足蹴にされてたよりなくどこかへ転がってゆく。それを慌てて追いかけた瞬間が、若侍の抜刀した瞬間なのだ。
煩悩は人間の心を支配する。若侍の怒りを仏教の世界では「煩悩障」という。宅間守の言動も煩悩障である。これは人間の心の病気なのだ。煩悩障が致命的に悪化した状態が「狂気」である。わたしたちは多かれ少なかれ、誰もが煩悩障を患って生きている。
★自然界
ブッダによれば、人間の存在は、眼・耳・鼻・舌と触覚器官の全体である肉体、これに加えて意(心)とによって作られている。この五つの感覚器官と心によって世界は、色・声・香・味・触・法(心の対象)として認識される。列挙された文字を見れば予想がつくとおり、世界は、わたしが感じ、わたしが思うものとして存在するのである。
たとえば眼前に花が見えているとする。仏教の世界では、花の存在は、形・色・香り・手触りなどの集合体として捉えられる。形や色を目が認識し、香りを鼻が認識し、手触りを肉体が認識しているからだ。花という存在は、これら認識の組み合わせによって存在している。花の「美しさ」というものに至っては、わたしの心がそう思っているにすぎない。つまり目の前の花は、形や色や香りといった、いわばレゴブロックで組み立てられたようなものであり、バラバラにすれば無くなってしまうのだ。そのようなものを「美しい」と思って愛してしまうから、枯れてしまうと悲しいのだ。花を美しいと思うことも煩悩なのである。この点、仏教の神髄は徹底している。
〈慈円(一一五五~一二二五、鎌倉初期の天台宗の僧、歌人、『愚管抄』の著者)の歌に、
柴の戸に匂はん花もさもあらばあれ
ながめにけりな恨めしの世や
というのがある。花は無心に匂っているのに、自分は花に心をとどめて眺めているのだなと、自分が花の匂いにとらわれたのが恨めしい、という意味である。〉『心と身体の鍛錬法』鎌田茂雄著(春秋社)
いったい、無心に匂っている花が存在する世界とは、どのようなものなのだろうか。わたしが自分の心のフィルターを通して見ている世界(つまり心造界)ではなく、世界「それ自体」の姿のことだ。まちがいなくブッダは、菩提樹の下でそれを見たのだろう。
世界、つまりはこの「宇宙」について考えるためには、思考をできるだけ簡潔にして、もっとも基本的な事実だけを手掛かりにして考えたほうがよさそうである。科学や天文学の知識を援用すると事態がややこしくなりすぎるからだ。
この宇宙には「有る(在る)」ものしかない。つまり「存在」しかない。なぜ存在しかないのかといえば、「無」が存在しないからだ。無は「ない」から無なのである。無いものを思うことができたら、それはもう無ではないだろう。わたしたちは「無」の存在を考えることが絶対にできないし、無を存在させることもできない。もし無を存在させることができたら、それはもう「ある」ことになるのだから。けれども、「ある」という概念は、「ない」という概念がなければ成り立たないのも事実なのだ。無を知っていなければ「有」を理解することはできないし、その逆も同じである。するとこの宇宙は、「存在=1」と「無=0」とでできていると考えてみることも可能だろう。実際、優秀な数学者であり哲学者でもあったライプニッツなどはそう考えたようである。
〈ライプニッツが新しい数学、たとえば、二進法を導き出したときまさに、信仰がその念頭にあった。どんな数も、0と1の連なりとして書き表せる。ライプニッツにとって、これは無からの創造、神/1と無/0のみからの宇宙の創造だった。〉『異端の数0』チャールズ・サイフェ著 林大訳(早川書房)
ライプニッツの信仰はキリスト教であり、聖書では「創造」という原語を、神を主語とする場合以外には使わない。天地は神が創造したとされているからだ。「0=無」が創造に参加したことで、神の御業に不可能はないと悟ったライプニッツは、きっと感動に打ち震えたことだろう。
しかし今は、「0」が「1」を存立させる概念であるとしてのみ捉えることにする。
この宇宙には「存在」しかない。つまり「1」だけだ。このような考え方は、『華厳経』というお経の中ですでに唱えられている。
〈一のなかに一から無限数までが全部含まれているから、つぎの二が出る、そして三が出る、四が出るのだ。だからこの一のなかには二以下の全部の無限数が含まれている(下略)〉『華厳の思想』鎌田茂雄著(講談社学術文庫)
仏教語として有名な「一即多・多即一」とはこのことを言っているにちがいない。
宇宙には存在しかなく、それがすべての無限数を含む「1」であるとすると、事態はこうなるだろう。すべての存在は無くならないのだ。
仮にこの宇宙という存在を1キログラムの粘土にたとえるなら、すべての星も、すべての鉱物も水も、あらゆる草木や人間一人一人も、そのすべてが一キログラムの粘土から作り出されているということになる。どれだけ粘土をちぎって丸めても、総量は増えもしないし減りもしない。けれどもこの宇宙には「真空」や「心」のような非物質も存在するのだから粘土のたとえはおかしいという反論も当然あるにちがいないが、それならば一定量の「気」という言い方にしてもいい。東洋の考え方によれば、物質も非物質も気によって作られるそうだから。
そして「死」は存在しない。人は死んだら無になるというが、「無」はないから「無」なのである。存在が増減せず、無くなりもしないのだとしたら、すべての存在は形を変えているだけなのだ。事実、科学の世界には質量保存の法則があり、エネルギー保存の法則があり、この二つはアインシュタインの方程式「E=mc2」で同じものとされている。
ここまで考えてくると、ブッダの説いたことの意味がわかってくるような気がする。わたしたちは愛する者の死や、自分が死ぬことを悲しむが、それはわたしたち人間が勝手に悲しんでいるだけであって、この宇宙、わたしたちの生きているこの自然界は、わたしたち人間のように万物流転を悲しんでなどいない。あらゆる存在と生命は、一から一へと還ってゆくだけなのだ。根源は永遠に一つであり、何も失われていないのである。
これがブッダの見た世界ではないだろうか。心造界ではない「自然界」の姿なのではないか。悲しみは人間だけのもの、つまり煩悩なのであって、それを捨て去れば悲しみのない世界が見えてくる。自然界の姿をただ虚心に眺めてみれば、誰の心眼にもブッダの見た世界が見えてくるはずなのだ。このことを二宮尊徳は次のような和歌で歌いあげている。
「音もなく臭もなく常に天地は書かざる経を繰返しつつ」
★悟りとは何か
『禅 ZEN』という邦画を観たことがある。曹洞宗を開いた道元禅師の生涯を描いたもので、出演者の演技が繊細ですばらしく、映像も抒情的で美しかった。けれども残念なことに、道元が到達した「悟り」というものの内容が、まったく描けていなかった。ここを描けなかったら、仏教を題材にする意味がなくなってしまう。
映画の中で、道元もその高弟たちも、人の死に接すると泣いてしまうのだ。しかしこれでは話がちがう。
なぜ人は出家して坐禅を組むのか。この世の無常と死の悲しみを乗り越えるためだろう。そのために世俗を捨てて、人里離れた寺に籠り、薄暗い禅堂に座り続けているのだ。暑い日も寒い日も、足が痺れようがやぶ蚊が飛ぼうが、ただひたすら神経を集中して無心になるように努める。何ものにも心が動かされないようにするためだ。心造界を造り出す自意識を消し去り、自然界そのものへ至ること、これが道元の言う「心身脱落」である。煩悩という色眼鏡を通して見ている世界を、もし裸眼で見ることができたなら、それがブッダの見た世界なのだ。不増不減の存在が流転する宇宙。悲しみも苦しみもない自然の姿そのもの。道元もまた確かにそれを見たのである。
「春は花夏ほとゝきす秋は月冬雪さえて冷しかりけり」
道元が詠んだこの和歌を見れば明らかだろう。ここで詠われているのは移ろいゆく四季の情景のみであり、煩悩を滅した者だけが見る、とらわれのない素の世界である。
映画の中で道元が大悟する場面は、蓮の花に乗った道元が宙に舞い上がるという演出で表現されていた。しかし悟りを開くとは、そんな神秘的な体験ではないのである。
臨済宗の僧、夢想疎石の大悟の瞬間を見てみたい。
来る日も来る日も坐禅に打ち込んでいた疎石は、ある晩、疲労して睡魔におそわれた。しかし彼は横になって休むことをよしとせず、坐禅をしながら仮眠をとろうとした。そこで背後の壁に背をもたせかけようとしたところ、背中と壁の間に若干の距離があり、疎石は仰向けにひっくり返ってしまった。思わず大笑いした疎石。その瞬間、悟りを開いたのである。
あると思っていた壁がなかったのだ。このとき疎石は、悲しみも苦しみも、自分の心が「ある」と思っているだけにすぎないという仏教の教えを瞬時に自分の体験に重ねたのだ。人は救いがあると思うから救いにもたれかかろうとする。何かがあると思うからそれに寄りかかろうとする。しかし寄りかかってみれば、そこには何もなかった。だから自分は無様にひっくり返ったのだ。
これが疎石の悟りであり、悟りとは、これ以上のものではないのである。他人の説法の受け売りではなく、書物から得た知識でもなく、自力でつかんだ真実のことを悟りというのだ。
悟りの真の姿は、悟った内容を生きることだ。覚者なら他人の吐瀉物だって食べれるはずである。なぜなら吐瀉物が汚いのは、汚いと思っているにすぎないのだから。実際に、幕末の剣豪であり高名な禅師でもあった山岡鉄舟は、浮浪者の吐瀉物を食べたことがある。仏飯を頂戴すると言って平然と飲み込んでしまった。本物の覚者とはこのようなものなのだ。理の当然である。
悲しみなどはない、苦しみもないなどといくら言っていても、身内の死で泣いたり、自分の余命を知って苦しむようなら何もわかっていないことに等しい。少なくとも、禅僧の場合はそうなのである。
けれどもわたしたちは、そこまで到達しなくてもいいのだろう。自分の過剰な煩悩を薄めてゆくことができたら、それだけでも、わたしたちの心は少しだけ、今よりは楽になるはずだから。
★わたしとブッダと殺人犯
煩悩障を患っている「わたし」のことを「エゴ」と言い換えてみたい。エゴイズム、またはエゴイストの略としての「エゴ」である。
心造界を支配しているのは、まさにこのエゴなのである。
人は何かに心をうばわれると、何かが確実におろそかになる。たとえば武士が真剣勝負をするにあたって、勝つことばかりに執着すると、太刀さばきがおろそかになって本来の実力を発揮できなくなる。剣士として名高い柳生宗矩の師匠だった禅僧沢庵は、執着心というものは致命的な「病気」なのだと説き続けた。千手観音が千本の手を自在に動かすことができるのは、どれか一本の手に心をとどめていないからである。どれか一本の手に心をとどめてしまったら、残りの手は思うように動かなくなる。剣士が先手必勝に心をとらわれたら後手がおろそかになる。その逆も同じである。勝ちたいというエゴが強すぎると、結果的にそのエゴがもとで打ち負かされるはめになるのだ。
犯罪者に共通する心性は、自分の欲求に過剰なほど心をうばわれて、その他の思考が完全におろそかになってしまうところだろう。人は誰しもそうであるが、自己愛の増長と反比例して、他者の痛みや悲しみをおもんぱかる気持ちは減少してゆく。この逆をたどったのがマザー・テレサのような人たちなのだ。
「エゴ」を音楽機材の音量にたとえるなら、ブッダの到達した境地は、ボリュームを最小にしたときの静寂である。凶悪犯の言動は、ボリュームを最大にしたときの騒音公害だ。ブッダが聖者で凶悪犯が鬼畜なのでは決してない。ボリュームのしぼりぐあいと上げぐあいが両者を分かつ決定的な要因なのであって、どちらも同じ人間であることに変わりはない。「一切衆生悉有仏性」とはこのことであり、わたしたちはブッダにもなれるし、殺人犯にもなれる。すべては自分の心がけひとつなのだ。
心造界は「わたし」が「思う」世界であるが、自分が思う世界を揺るぎなく正しいと思いなしたとき、「思う」は「信じる」に代わる。「わたしは正しい」と信じてしまったら、もはや誰の言葉も耳に入らない。自甘他厳型の人間の特徴は、自分の心造界は正しいと信じている点にある。自分が人に嫌われるのは周りの人間の性格が悪いからだと信じる。そこから飛躍してすべての人間は醜いと思い込む。こうなってしまうと、自分の人間性を内省することはなくなる。心造界は「わたしだけの世界」であるがゆえに、誰もわたしの心造界を変えることはできないのだ。わたしたちが楽観的に考えているほど、人と人とが理解し合うのは簡単なことではないだろう。
わたしがわたし自身の意思で確実に変えられるのは、自分の心造界だけなのである。エゴのボリュームを上げるのも、下げるのも、わたしの意思以外ではない。わたしの意思一つで社会や人類を変えることは容易にできないが、わたし自身は変えられる。わたしが変わろうと思えば、世界のすべてが変わるのだ。美しいものにも、醜いものにも変えられる。ブッダにもなれるし、殺人犯にもなれる。
すべては、わたし次第なのだ。
結び
本論の中で必要にかられて三人の殺人犯を取り上げたが、なかでも宮崎勤の存在は、その言動があまりにも不可解だったことで、今でも多くの人の記憶に強烈に残っているにちがいない。
宮崎の発言で有名なのは「ネズミ人間」だろう。宮崎は犯行現場でネズミ人間に取り囲まれたと証言している。しかし彼自身の発言を下心なく見つめれば、それがなんだったのかおおよその察しがつく。
宮崎は幼女が泣き出したとき、あきらかにパニックを起こしていた。幼女が泣き出したのは「大勢のえたいの知れないものを呼び寄せて、私を襲わせ」ようとしているのだと宮崎は思った。彼には幼女が泣き出した理由がわからなかったから、自分なりの解釈でそのように思ったのである。そのとき現れた「大勢のえたいの知れないもの」がネズミ人間だったという。
宮崎はネズミ人間のことを「ネズミ人間と後で名前を付けたやつです。」と証言しており、そのイラストまで描いているのだが、もしわたしたちが実際に人間の姿をしたネズミを見たら何と呼ぶだろう。わざわざ後で名前を付ける必要があるだろうか。
このような揚げ足取りをせずとも、後に宮崎は鑑定人から(ネズミ人間を)「見た訳じゃないね?」と聞かれて「うん」と素直に答えている。ようするに宮崎は、女の子に泣かれてなにがなんだかわからなくなって怖かったと述懐しているだけで、そのとき感じた怖さを比喩的に表現したものがネズミ人間だったのだ。
心造界が「わたし」の「脳」を経由して感受している世界である以上、精神の疾患や、脳の障害を否定することはできない。けれども現代の風潮は、あまりにも精神医学や最先端脳科学に依存しすぎているような気がしてならないのだ。人間の愚行がすべて精神や脳の疾患によるものなら、論理的に考えれば犯罪者はすべて責任能力なしである。自己責任を問えるわけがない。
宮崎の著書の中に、彼の子供のころの写真が載っている。海水浴に行ったときのもので、波と戯れながら浮き輪で遊んでいる少年時代の姿だ。不謹慎な感慨だけれど、その笑顔がとてもかわいらしい。後年の彼の言動からは考えられないぐらい、純粋な笑顔がそこにある。
人は生まれたばかりのときは白紙なのだと哲学者ロックは言った。その白紙に何を書き込んでゆくかで、人間の人格は形成されてゆく。何を書き込むかは当人次第であり、それを訂正できるのも当人だけなのだ。「一切唯心造」という人間の心の性質は、場合によっては非常に危険なものとなり得る。少なくとも、この事実だけは、精神医学や脳科学の影に押しやられてはならないだろう。
人間は絶対的な主観の中で生きている。わたしたちはこの事実に対して、もっと注意を払う必要に迫られているのではないか。
わたしとブッダと殺人犯