オナニストの憂鬱

1

「草食系」と、よく美佳に言われる。おれがセックスにガツガツしていないからだ。でもさ、美佳だってまだ忘れてはいないはずだ。付き合い始めて三年になるけど、最初の半年ぐらいはしょっちゅうしていたんだから。たぶん美佳は内心、おれが本当のところは草食系などではないことを知っている。知っていて知らないふりをしている。おれのことを草食系だと思い込もうとしているんだと思う。
 セックスが嫌いになったのかって? そうじゃない。セックスは嫌いじゃないんだ。だけどセックスって、相手が必要だろう。セックスという言葉を辞書で引けば「性交」と出てくる。男の性器を女の性器に入れて射精する、内容はそれだけのことだ。性交には少なくとも男女一人ずつの参加が不可欠で、男と女でさえあれば、解剖学的に誰とでも性交できるようになっている。誰とでもだ! そう考えるとなんだか興奮するよな。でもさ、人が一生のうちで肉体関係をもつ異性の数なんて実際たかがしれている。結婚すれば相手は一人に限定される。だが、その一人とのセックスで得られる興奮なんて長続きしない。確実に、あきるときがくる。同じエロ本で一生オナニーする男なんていないだろう。
 思い出してみてくれ。おれたちは恋をするとき、まっさきに相手の服の中身を想像するよな。想像力をフル稼働させて毎日想像にふける。そして、お目当ての相手とめでたく付き合うことになれば、ついに服を脱がせるときがくる。あの瞬間の興奮ときたら、あれにまさるものが他にあるか? ところがだ、カノジョのおっぱいだって年がら年中見ていれば、ただの脂肪のかたまりにすぎないと思えてくる。恋人が裸で部屋の中を歩いていても、なんとも感じなくなる。だけどおれの性欲自体が、それで無くなるわけじゃない。解脱するわけでもない。ただの脂肪にすぎないのは見慣れたカノジョのおっぱいだけで、他の女のおっぱいは永遠においしそうなマシュマロのままなんだよ。
 考えてみれば、この世は喜劇かもしれないな。若いうちはハメをはずして遊ぶことがゆるされている。いまじゃフリーセックスなどとたいそうな思想を持ち出す必要もなく、誰もが公然と楽しんでいるよ。何人の女とヤったとか、ナンパされたのされないの、そんな話題で盛り上がっていた連中が、子供ができちゃった、だから結婚したとたん一夫一妻制を厳守することを厳かに誓い合い、どんな敬虔なクリスチャンよりも禁欲的な人生を送ることになる。まぁ、実際に送れているのかどうか知らないけどさ。
 だけど、救いが一つある。オナニーだよ。オナニーがあるからこの世の秩序は保たれているんだ。性欲を抑制するのは理性でもなければ良心でもない。オナニーだ。
 オナニーってセックスの代償行為じゃないとおれは思うんだよ。オナニーはいまや、一つのジャンルを確立しつつある。一昔前なら、オナニーってのは、カノジョのいないさみしい男がするものといったイメージがあったかもしれないが、いまはそうじゃない。モテる男だってオナニーは大好きだろう。これはひとえにオナニー環境が充実してきたからに他ならない。インターネット、すごいことになってるよな。無修正の動画が無料で見放題。こんな時代の到来を、おれたちの親父や爺さんは想像しただろうか。
 おれはね、こんな想像をしてみることがあるんだ。宗教的独裁者に支配されて禁欲的な生活を強制されている国がどこかにあるとする。その国の若者が、あるとき思いがけずネットのエロ動画を見てしまう。そのときその若者は、「エロ」と「自由」を同じものとして理解すると思うんだよね。よその国ではこんなに大らかにセックスが是認されている、自由ってなんてすばらしいんだ、ってね。セックスへの渇望が、やがて独裁者を倒す原動力になる。性欲が革命を起こす。おれはようするに、性欲のエネルギーって、それぐらい大きなものだと言いたいんだよ。
 どこかの精神分析家が、すべての心の病は社会が人間の性欲を抑圧していることに原因があると言っていた。なかなか勇気のある学説だよな。誰が見てもモテないヤツって、どっか壊れているようなのが多いと思わないか? モテないからヒガミやすくなっているとか、モテないから被害者妄想が強いとか、性格が悪いとか、ふだんおれたちだってこのぐらいの精神分析はできているんだ。そう考えると、性欲を重視するフロイト先生の学説って、やっぱり学祖の貫禄があるよな。性欲は巨大だ。これはマグマのようなものだ。噴火しなければ地面を落ち着きなく揺らし続ける。やがて地を突き破って大爆発を起こす。そうならないために、日々プスプスと小規模な噴火を繰り返すのが望ましい。これがオナニーだ。
 おれはさっき、オナニー環境が充実していると言ったけど、本当にとんでもないほど充実していると思う。AV女優って何人ぐらいいるのか知らないけど、あんまりたくさんいすぎて誰のエロ動画でヌクか即決できないぐらいだ。おれにも当然、女の好みがある。その好みをくわしく語ってみろと言われたら、かなり細部にわたって語ることができる。おかしな話、陰毛の生え方にだって好みがあるぐらいだ。顔のパーツの一つ一つ、おっぱいの形、背中を反ったときの反りぐあい、骨盤の大きさ、声の出し方、イクときの表情。まぁ、いろいろありすぎるぐらいだ。でもさ、無際限に広がるエロ動画の世界を探索していると、この細か過ぎる好みにほぼ合致するような女がけっこういるんだから、この宇宙のどこかに地球と同じような星が存在していたって不思議じゃないと思うよ。一度でいいから、こんな女としてみたい、もう切ないような憧憬を抱いてオナニーをする。そんなときの射精は、これは、もう・・。
 ちょっと恥ずかしい話しをしようか。ここまできたらすべてを語ってしまおう。オナホールって知ってる? アソコを差し込む穴があいたコンニャクみたいなやつ。女性性器の感触を擬似で味わう、いわゆる「大人のおもちゃ」。おれね、使ってるんだよ。あれを使ってしまうと、もうふつうのオナニーなんかできなくなるよ。穴の中にローションを入れるんだけど、それが愛液と同じ効果を発揮するわけ。めちゃめちゃ気持ちがいい。でもね、オナホールが女性器の擬似物なのかというと、そうでもない。穴の中はギザギザしていたり、ボコボコしたりしていて、摩擦による刺激が強く伝わるような構造になっているんだ。そんな形状の膣壁なんて実際にはないからね。名器の代名詞といわれるミミズ千匹とかカズノコ天井とか、たぶんそれよりもずっと気持ちがいいはずだ。だってそうだろう。オナホールはムスコを気持ちよくするためにのみ作られているんだから。実際の膣がギザギザボコボコだったら、産まれてくる赤ん坊がひどい目にあうよ。でもね、オナホールの中には実際の女性器を正確に再現しているものもある。かなり高額だけどさ。桐の箱に入って売っていたりして。でも、おれはそういうの好きじゃない。だって、男のアソコって指先ほどには触覚が敏感じゃないから。ムスコで感じ取る膣壁の感触はどちらかといえばスベスベしたものだ。だからノーマルなオナホールの構造のほうが断然気持ちいいよ。それにね、オナホールは自分の握力で締め具合を調節できる。強く握れば強い刺激、弱く握ればなめらかな刺激。これこそが実際の女性器に勝るところ。女性器の締め具合のことを膣圧というけれど、膣圧ってそれほど強いものじゃないだろ。むしろ、弱すぎるぐらいだ。
 さて、オナホールと見放題のエロ動画。これ以上何がいる?射精の快感だけを追及するなら、これでオツリが来るよ。おれはほぼ毎日オナニーをしている。しかも長い時間をかけて。じらしてじらしてもうどうにもガマンできなくなったとき、最後の激しい刺激をかけるんだ。思わず声が出てしまう瞬間だよ。我に返って時計を見ると、一時間ぐらいオナニーをしていたことだってざらにある。そんなときは、しばらくはマグマを出し切った死火山のような状態になる。でも、爽快なぐらい性欲は解消されている。
 おれの友達にさ、こいつはもう結婚して子供が二人もいるんだけど、毎朝早起きしてオナニーしてるやつがいるんだ。なぜかというと、通勤で満員電車に乗るから。そこで女の体に接触して変な気を起こさないように、予防としてオナニーをしていくんだと。おれね、そいつの気持ちがわかるんだよな。誤解をおそれずに言えば、痴漢の気持ちもある程度想像できる。だってさ、結婚して家族を養っている男たちには、風俗通いできるほどの余裕なんてないだろう。でも、一歩外の世界に出れば、おっぱいをゆさゆささせて歩く若いギャル、むちむちの素足をさらけ出している女の子、いくらなんでも胸元開きすぎだろうと言いたくなるような服装の女が右を見ても左を見ても歩いている。つねに性欲を刺激され続けている我ら男子が、満員電車の中で女と密着したら、思わず理性が吹き飛んでしまうことだってあり得るよ。よく痴漢で捕まった男が、「魔が差した」とか言うけど、なるほど魔が差すって表現は言い得ているような気がする。痴漢がすべて確信犯というわけじゃないだろう。中には家族思いで誠実な男だってたくさんいるだろう。でもさ、わからなくなっちゃうんだろうね。自分の体に女のお尻や胸が当たってきたら。だからおれはさっき、性欲を抑制するのは理性でもなければ良心でもないと言ったんだよ。
 少なくとも、性行為に理性が関与することなんてありえない。ためしにセックスの最中に理性的であるように努めてみればわかるよ。よく「気持ちいい」って言うじゃない? でもそれって、くすぐったいのとどこがちがうんだ? そんなことを考えていたらくすぐったいだけになる。理屈じゃないんだよ。歯磨きをしても口の中にはたくさんバイ菌がいるらしいが、そのバイ菌を喜んで交換しあって、肌の垢を舐めあって、大腸菌まで飲み込んじゃうんだぜ? スーパー銭湯でアカスリをすると、消しゴムのカスみたいな垢がぼろぼろ出てくるだろ。あれが人間の体の現実なんだぜ。なんか汚いよなぁ。冷静になればセックスなんてよくわからないものだよ。明らかに野蛮で動物的なものだよね。
 昔の人間は後背位でしか性交しなかったらしくて、だから原始の男は女の尻のみに発情したらしい。ところが人類は、いつからか他の哺乳類がしない正常位をするようになったから、それで女の胸が男を興奮させるために尻のようにふくらんだという学説をどっかで聞いたことがある。俗説かもしれないけどさ。ようするに、性的興奮に理性なんて関与しないんだよ。魚が鱗の模様に発情するみたいに、人間の男は女の尻を見て興奮していた。でもバックだけじゃ密着感が足りないと感じた情熱的な原始人が正常位を発明したものの、尻が見えないんじゃいまいち興奮が高まらないなぁと悲嘆し、その悲嘆が人類の雄の総意となって何千年という時を経た結果、女の胸がお尻の形を彷彿とさせる二つのふくらみに進化した。奇跡のような進化論だよね。進化論と、崇高なる創世記は相容れないんだよ。だからセックスは理性じゃないんだ。本能なんだよ。その本能が刺激されて痴漢をしてしまう。わからない話じゃない。
 じゃあ、痴漢をされる女のほうが悪いのか。スケベな格好をしている女の子が悪いのか。そう言ってしまったらこれはまた暴論だ。野暮すぎるよね。だって女にとって時間は敵なんだぜ。女が綺麗でいられる時間は限られているんだ。おっぱいを見てみろよ、あれだけの脂肪のかたまりが重力にさからっているんだぜ。あんなの若いうちだけだ。肌だって弱いからすぐシミになるし、筋肉量が少ないからすぐにたるんでくる。いちばん綺麗な年頃に、胸を強調したり、肌を露出したいのは当然じゃないか。与謝野晶子の歌じゃないが、おごりの春のうつくしきかな、だよ。
 太古の女は間違いなく男に守られている存在だった。女はいまでも男に守られる存在でありたいんだ。そのためには男の気を引かなきゃならない。女であることを強調しなきゃならない。オシャレだってアンチエイジングだって本能だ。ウーマンリブの時代を経たって本能はそう簡単に消えやしないよ。消したと自負したいヤツはすればいい。それが自由意志ってやつだから。
 でもさ、本能は自然なもので根強いから、満員電車で魔が差すということもあり得る悲劇なんだ。だからおれの友達は毎朝オナニーをしていく。貴重な朝の時間、女房や子供たちが起きてくる前にオナニーをする。社会性のある行為だと思うよ。立派なもんだ。でもさ、やっぱり女の子も服装にはもっと注意を払ったほうがいいかもしれないよな。宗教によっては女の全身を布で隠すことを義務付けている教えがあるけれど、あれは実際、高度な教養かもしれないよな。

2

 世の中に溢れる性的な刺激に飲み込まれないために、おれはオナニーをしている。性欲を溜め過ぎないように。でもさ、だんだんとそれだけが目的ではなくなってきてしまった。いつしかオナニーの快感それ自体を求めるようになってしまった。正直に言うよ。おれはこれでもデリケートなほうなんだ。社会の中で他人と接して生きていると、本当に気を使うんだよ。すごく疲れる。一日に一度でいいから、頭をカラッポにしたくなる。そんなとき、オナニーをすると、少なくともアソコに神経が集中している間は、日常のささいな出来事をすっかり忘れることができるんだ。おれがオナニーにはまったのは、オナニーがくれる亡我感、そう、それなんだよ。なんでかわからないけど、女の裸って本当にいいよな。見ていて飽きない。しかも、セックスの最中の女の表情って本当にかわいい。あのかわいらしさはずっと見ていられるものだ。すごく癒されるんだよ。だからおれは、テレビでお笑い番組を見るよりも、話題の映画を観るよりも、どうしてもエロ動画を見てしまうんだよ。
 女の裸に癒されるのなら、美佳とセックスすればいいじゃないかと思うか? もちろん、始めのうちはしたさ。喜んでした。でも、興奮しなくなってしまった。美佳のことが嫌いになったわけでも、愛情が醒めたわけでもない。おれはいまでも美佳のことが大好きだよ。
 美佳と出会ったのはバイト先のファミレスだった。ひと目惚れだった。
 美佳は大学の三年生で、おれはその店のバイトリーダーみたいな立場だったから、後から入った美佳の教育係になった。嬉しかったねぇ。こんなにかわいい子とこれから一緒に働けるのかって思ったら。
 当然おれは、美佳の服の中身を想像した。セックスしたいと思った。おれは美佳に好かれたくって爽やかな年上の男であろうと努めたよ。でも、その爽やかな笑顔の裏で性欲がもんもんとしていた。美佳は接客が得意でさ、天然の明るさがあるんだよな。ほんとに愛想がいいもんだから、美佳が男の客と話しているのを見るだけで嫉妬してしまったもんだよ。嫉妬ばかりしてた。
 美佳が額に汗をかくと、妙に生々しく見えたっけ。花粉症で鼻をかんでいる姿も生々しくて良かったな。ようするにおれは、美佳を生身の人間として意識していたんだ。テレビの中のアイドルを好きになるのとはちがってさ。ここのところがわからないと、アニメのキャラとかに夢中になってしまうんだ。つまりおれは、美佳に健全な欲情を抱いたわけさ。これが恋というものだ。ようするにおれは美佳とセックスしたかった。
 美佳のほうも最初からおれのことが好きだったらしい。だから美佳がおれの部屋に遊びに来たその夜に、おれたちはセックスしてしまった。ごく自然な流れで、ベッドの上で髪を撫でていたら、もう、あとは無我夢中。興奮したよ。すごい興奮だった。オナニーじゃ絶対に味わえないよな、あの快感は。セックスの射精は夢精みたいに強烈だ。永遠の思春期のような快感。「セックス」が「愛」だと思える幸せ。でも、それは別のものなんだけどね。おれもそのあたりのことがだんだんわかってきたよ。
 バイト時代の美佳は、ほんとに接客がうまかった。だから美佳が若い男の客と親しく話しているのを見ると激しく嫉妬した。つまりおれは、いちいちこう思ってしまったわけだ。美佳のやつ、あの男に気があるんじゃないかって。ところがさ、仕事の合間に二人で話すと、美佳のやつ案外毒舌なんだよ。「さっきあたしにしつこく話しかけてきてた客、ああゆうチャラチャラしたヤツってほんと嫌い」そう言って顔をしかめたりする。おれもチャラチャラしたヤツって嫌いだからさ、へぇーおれたちって気が合うんだみたいに盛り上がって、そしてますます美佳のことが好きになる。恋が愛に変わるときってさ、お互いの価値観が一致したときとか、笑うタイミングが一緒だとか、老後は一戸建てに住んで犬を飼って暮らしたいとか、ようするに精神的なものに対する共感が芽生えてきたときなんじゃないかな。この子と死ぬまで一緒にいたい、そう思えたとき、もうセックスなんてたいしたことではなくなっている。セックスなんてものは、ロケットみたいなものだ。目的地に行くための推進力でしかないんだよ。
 ちょっとかっこいいことを言い過ぎたかもしれない。付き合ってから半年ぐらいの間、おれは発情したオスだった。美佳の気分が乗らないときも一方的に押し倒していたし、生理でできないときなんか、露骨に不服そうな顔をしていたと思う。一晩に二回も三回もすることもあった。それが、しかし、だんだんと興奮しなくなってきたんだ。まったく勃たないことさえあった。
 美佳とセックスしてもなかなかいかなくなりつつあった時期、あれは美佳の部屋でしていたときなんだけど、美佳の部屋に等身大の鏡があったんだよ。そこにおれたちがセックスをしている姿が写っていたんだ。自分がセックスしている姿をおれはそのとき初めて客観的に見た。まるでAV男優みたいに腰を振っている自分。そしてAV女優のようにもだえている美佳。するとおれは急に興奮してきたんだ。
 それ以来やみつきになってしまった。鏡を見ながらすることに。上手く鏡に自分たちの姿が納まらないときは、わざわざ鏡の正面に体をもっていったり、行為を中断して鏡の角度をかえることまでした。とにかくおれは鏡のほうばかり見ていたし、鏡から目をそらすとたちまちアソコが萎えてしまう。美佳がときどき「こっち見て」とおれの顔を両手で挟んだりしたっけ。そりゃそうだよな。全然美佳の顔を直に見ていないんだから。そりゃ釈然としないよな。いや、この話は鏡を使ったプレイが好きとかそうゆうことじゃない。まぁ、もうしばらくおれの話しに付き合ってくれ。おれはようするに、エロ動画を見るように鏡の中のセックスを見ていたんだ。当り前な話だけど、セックスしているとき眼前にあるものって、相手の姿だけだろう。だけどさ、エロ動画だといろんな方向から映すし、男優の姿も当然映す。実際のセックスでは女の姿を一つのアングルからしか見ることができない。エロ動画を見ててさ、いつまでも同じアングルが続くと早送りしちゃうだろう。なんで早送りするのかといえば、飽きて萎えてきちゃうからだ。あれと同じ感覚が、おれの場合、実際のセックスの最中にも起こってしまうようになったんだ。実際のセックスではバックされている女の姿を正面から見ることもできなければ、騎乗位を横や後ろから見ることもできない。でも自分のセックスを鏡に写すとエロ動画に近い視覚を得られる。おれはエロ動画を見すぎてきたのかもしれないな。エロ動画の世界がおれの性欲をいちばん満たしてくれる。そんなふうになっちゃったんだよ。
 しかも、これがいちばんの問題だが、おれには膣圧が物足りないんだ。オナニーのとき、おれは自分のアソコを強く握っている。そして激しく擦る。それが当り前になっているから、女性器の圧迫ぐらいじゃもう気持ちよくならないんだよ。それにおれは、特定のAV女優に執着したことがない。毎日ちがう女優を見ている。よく気に入った女優の動画を「お気に入りフォルダ」に入れるんだけど、あとで見返すことなんてほとんどない。次から次へと好みの女優を探す。そのことに夢中になっている。だからおれは、美佳の裸にすぐあきてしまった。美佳はかわいいけど、美佳よりももっと好みのタイプのAV女優がいくらでもいる。限りなく自分の好みに合致する女たちが惜しげもなく裸体と媚態をさらしてくれているんだぜ? それにおれは、ヨダレをだらだら垂らす女が好きで、正常位のときじっと男の顔を見る女が好きだ。そんな女なんてなかなかいないだろう?でも、AV女優にはいっぱいいる。そんな演技を上手にしてくれる女が。
 さあ、もう理解してくれたと思う。おれは草食系なんかじゃない。美佳の肉体では興奮を得られなくなり、ある時期からセックスレスになり、その言い訳として、「おれ、本当は、セックスってあまり好きじゃないんだ。セックスが目的でおまえと付き合っているわけじゃない。愛しているからだ」などと、歯の浮くようなことを言う。すると美佳も「あたしもセックスって、そんなに好きじゃないよ」と答えるんだ。
 この美佳の言葉は本音だと思うな。女は男ほど欲情なんてしないだろう。女が男ほど欲情する生き物だったら、妊娠し過ぎて死んでしまうよ。だから女に性の本能があるとすれば、自分をいちばん愛してくれる男とのセックスを求める欲求だ。セックスそれ自体が好きな女なんてそんなにいないと思うし、もしいるのだとしたら、自分をいちばん愛してくれる男を探す旅の途中なんだろう。美佳がセックスそれ自体が好きではなかったとしても不思議なことじゃない。だけど美佳は、おれとするセックスは好きなんだ。なぜならおれのことを愛してくれているから。だからおれはその気持ちに応えたくって、ほとんど義務的に美佳を抱く。でも勃たない。愛撫しながらコソコソと自分で自分のアソコを擦る。そしてなんとか勃たせる。勃たせなきゃ絶対に膣に挿入できないから。美佳がその時点でまだ十分に濡れていなくても、おれは勃っているうちにあわてて挿入しようとする。かわいそうに美佳は、痛いのをガマンして受け入れるんだ。それなのに勃起が持続しない。膣圧がおれには弱すぎるからだ。おれは目をつぶって必死に想像する。AV女優と自分がしている姿を。だけどセックスの最中に思考力を働かせれば働かせるほど、興奮は遠退いてゆくものだ。やがて中折れする。そんなことを繰り返しているうちに、おれは美佳とセックスするのを避けるようになってしまった。
 「草食系だね」と、いつからか美佳が言うようになった。そう言うことで、自分とおれを傷つけないようにしているんだろう。美佳は男のようにセックスに貪欲なわけじゃない。でも、恋人が求めてこなくなったことに不安を感じないわけがない。自分の女としての魅力を疑うだろうし、なにより愛情が醒めたのではないかと考えてしまうだろう。そこで「草食系」という言葉が救いになるんだ。欲情しなくなっても美佳のことを愛しているということなら、実際、いまのおれは草食系なのかもしれない。だけどね、おれは毎日、美佳のあずかり知らぬところでオナホールを使ってオナニーしてるんだよ。なんなんだろう、この事実は。
 おれがオナニーをするのは、本当にストレスからなんだ。ニコチンやアルコールの中毒と同じものかもしれない。オナニーの忘我感に依存している。毎日のオナニーがなくなったら、おれは心を病んでしまうかもしれない。おれだって本当はセックスが好きじゃないかもしれないんだ。セックスって、自分一人で好きなようにできるもんじゃないから。おれが好きなのは自分のアソコに与える刺激だけなのかもしれない。その刺激が頭をボーっとさせる、おれが好きなのはそれだけなのかもしれない。もしセックスが好きなのだとしたら、いろんな女とやりまくるしかないだろう。初めての相手とするセックスは興奮するから。だけどおれはそこまでモテる男じゃない。いろんな女としたくたってできるものじゃない。風俗に通いつめるほど金持ちでもない。こんな悲嘆もストレスなわけだ。そしてオナニーにふけるわけだ。
 笑い話みたいだけど、こんなことを考えたことはないか。手軽にエロ動画を3Dで見られるようになったり、バーチャルリアリティで擬似セックスを体験できるようになったら、おれたちはもう実際のセックスなんかしなくなるんじゃないか。もともとセックスって生殖行為なわけだけど、すでにおれたちは、生殖という目的をセックスから切り離して、手段のほうを目的としつつある。目的と化した手段の病的な需要に対して、性産業は科学技術とコラボした新手の商品をいくらでも開発してゆくだろう。AV女優とバーチャルリアリティでセックスできるようになったとしたら、だれもが性欲はそれで解消するようになるだろう。そうなったらおれは、毎日AV女優とセックスするだろう。そして、美佳とは完全にセックスできなくなるだろう。そのうちさ、少子化担当大臣なんかが、男の精子をスポイトに入れて膣に挿入する受精方法を推奨するようになるんじゃないか。男がパートナーの肉体に欲情しなくなる前に妊娠させることが奨励されて、できちゃった婚のカップルに国から助成金が出たりしてさ。笑っちゃうけど、そんな事態がそこまできているんじゃないかって思ったりするんだよ。おれ自身の胸に手を当ててみれば。
 わかってる。どうしたらいいのか。簡単なことだよな。禁欲すればいい。美佳のことを愛しているなら、エロ動画を見るのをやめて、オナニーするのもやめるしかない。そうすれば思春期の子供みたいに夢精したり、ちょっとの性的興奮で射精するようになる。また美佳の肉体で興奮するようになるだろう。だけどさ、美佳との性生活に捧げる禁欲的な日々を、おれは何事もなく過ごしていけるんだろうか。いつか満員電車の中でワイセツなことを仕出かしてしまわないだろうか。魔が差して。
 いったいおれは、どうすればいい?

オナニストの憂鬱

オナニストの憂鬱

だけど、救いが一つある。オナニーだよ。

  • 小説
  • 短編
  • コメディ
  • 成人向け
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2019-02-23

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1
  2. 2