異世界にて、我、最強を目指す。最終章編

最終章  第1幕

ペットホテルに入ると、いつものお姉さんが少し赤い目をしていた。
 疲れてるのかな、そのくらいにしか思わなかった俺。
 ホームズを連れ帰る、と元気な声を出す俺に無理に笑いを作っているのがわかる。

 抱っこされてきたホームズは、なぜだか黒目の大きさが違っていた。
 右目は夜いつも真っ黒になるとおりで同じなのだが、左目が、朝から昼にかけての細い黒目で、電気を消してみても、何をしても治らない。
 お医者さんも出てきて、沈痛な表情をしている。
「これ、どうしたんですか」
「わかりやすくお教えするなら、片方の目が見えなくなったようです」
 俺はドキッとしてお医者さんに聞いた。
「大丈夫ですよね、治りますよね?」
 お医者さんは俺に対し何も言えなかったようで、口ごもり少し目に涙が溜まっている。
「今日は点滴をして過ごしました。もし具合が悪いようなら、また点滴をしますので連れてきてください」

 点滴か、お金かかるな・・・。
 でも、目が見えなくたって生きてる猫は多いはずだ。
 ホームズが大変そうなら点滴に行こう。
 絶対目だって治るし、元気になるよ、ホームズ。

 俺は預けていた猫バッグにホームズを入れると、ホームズは1回「ニャッ」と鳴いた。
 まるで、「遅かったじゃねーか」と言ってるように聞こえた。
「ごめんごめん、試合は時間通りに終わったけど、それから色々あってさ。部屋に着いたら教えてあげるから」
またタクシーを拾ってホームズと一緒に乗った。全然鳴かない。ホームズがタクシーに乗るのは初めてなのかも。きっとビビってるんだな。

 寮の前で車を降り、部屋に向かう。
 行きかう先輩たちや同級生がホームズを気にかけてくれた。中にはぷんぷん文句を言うやつもいるけど、そんなの気にしない。

 部屋に入り、猫バッグを開けると、ホームズは最初立ち上がれなかった。でも、俺に抱っこを求めて「ニャニャー」と鳴く。
 俺はバッグからホームズの腹を抱き上げそのまま抱っこして、30分程が経った。
ホームズ的にはとても気持ちがよかったようで、降りるとも言わない。そろそろ腕も疲れてきたな~と思った時、急にホームズの目がオッドアイになった。

「ホームズ!ダメだ!魔法を使うんじゃない!」

 俺の言うことも聞かず降りる仕草をして、ホームズは床に降りた。よろよろしながらも歩こうとする。ホームズも何日にもわたるペットホテルの生活で疲れているんだろうと思い、俺はまたホームズを抱き上げた。
そして俺は器用に左手でホームズを抱っこしながら右手でキャリーバッグを開けて、金色のメダルを2個取り出し、ホームズの前でぶらぶらさせた。
「ホームズに見せようって頑張ったんだ」
「おめでとう。金メダル2個なんてスゲーな」
「ホームズのお蔭だよー」
「そうか、俺様のお蔭か。ところで海斗」
「何?」
「俺様の予知力はお前に引き継ぐ」
「引き継ぐ?まあ、それっぽいことは何回かあるけど。なんで今よ」
「海斗、今までありがとな。少し眠らせてくれ」

 そういうと、ホームズは俺の左腕を枕にして、静かに目を閉じた。
 途端にホームズの身体が鉛のように重く感じられて、俺はすごく驚いた。てっきり寝たからかと思っていたのに・・・。
 お腹の辺りを見る。いつもここがスーハ―してるから。
 今日は何か変だった。お腹が動いてない。
変だな、と思い鼻の付近に顔を近づける。

もう、ホームズは息をしていなかった。

なんで?なんで?なんで?

 起きろよ、ホームズ!
 寝ただけなんだろ、起きてくれよ。
 予知力なんて要らない。ホームズが元気でいてくれれば、俺はそれでいい。
 だから起きてくれよ、目を覚ましてくれよ。
 お前ともっと話させてくれ、試合が終わってから何があったか話すって言ったじゃないか。
 
 ホームズ!俺を置いて逝かないでくれ!

 あまりのことに俺は泣くことも忘れ、部屋の真ん中にヒーターも点けず呆然と立ち尽くしていた。
 サトルもランドマークタワーから帰ってきて、ホームズのことを気にかけていたらしく、俺の部屋を訪ねてきた。
「ホームズと帰ってきたんでしょ。元気だった?」
 
 俺は何も答えることができなくて、言葉の代わりに涙がとめどなく出てきて。
 サトルは、ホームズを抱いた俺を見てすぐに何があったか理解したらしい。
「ごめん」
 そういって、部屋を出ていった。

 その後は誰も部屋に訪ねてくる人はいなかった。気を利かせたサトルが何かしらしてくれたのかもしれない。
 助かる、今は誰とも話したくない。

 何時間そうしていただろう。
俺はベッドに座ってホームズを抱いたまま、徐々に冷たくなっていくその身体を撫で続けていた。
 また涙があふれ出し、ホームズの身体に雫が落ちる。
「ごめん、冷たいだろ」
 そう言いながらタオルでホームズを拭いてあげた。
「ごめん、ごめん、ごめん、今まで迎えに行けなくて。寂しかったろ、ごめんな」
 言うたびに涙が出てきて言葉にならない。
 
 ホームズは、本当に眠っているかのようだった。今にも目を開けそうで、とても逝ってしまったなんて思えなかった。
 愛犬や愛猫との別れを悲しむ人たちは多いけれど、こんなに哀しいものだとは知らなかった。特に俺は動物と一緒に暮らしたことがなかったから。

 短い間だったが、ホームズは俺に色んなことを教えてくれて、俺の師匠でもあった。
 もう、あの毒舌も聞けないんだな、そう思うとまた涙が出て止らない。

 このあと、どうすればいいんだろう。
 時間が経ち、俺は少し冷静にというか、冷徹に物事を考えるようになった。

 よくペット火葬とか聞くけど、どこでやってんのかな。
 仙台には公のペット火葬場があるけど、横浜にはあるんだろうか。よく聞く民間のペット火葬は5万くらいかかるって。
 そんなお金、どっからも出て来やしない。
 またカンパしてもらうわけにもいかないし・・・。

 すると、また部屋のドアをノックする人物がいた。
 ホームズを抱いたまま、静かにドアを開ける。
「やあ」
 国分くんだった。
「ホームズが亡くなったって聞いて・・・」
「ごめん、せっかく預かったのに」
「そんなことないよ、ホームズ楽しそうだったもん」
 国分くんも明るくは言ってるけど、顔は辛そうだった。俺に預けたのが間違いだと思ってやしないか。俺はそれも心配だった。
 国分くんはしばらく下を向いていたが、何か決めたように顔を上げ俺に向き直る。
「今こういう話は不謹慎かもしれないけど・・・」
「何?」
「ペット火葬は横浜ではピンキリだけど、信用できるところだと5万くらいするんだ」
「実は・・・俺も考えてた。やっぱりそんなにかかるのか・・・」
「白薔薇高校や長崎の人達にもカンパしてもらうから。ホームズのことならみんな協力してくれると思う」
「ごめん、迷惑かけて」
「ところで、新人戦、総合優勝したんだって?すごいね、おめでとう」
「ホームズのことがあるから喜んでいいんだか微妙だけど」
「ホームズに金メダル見せたの?」
「うん」
「喜んでたでしょ」
「まあね、あいつツンデレだから素直に喜んでくれなくて」
「わかるわかる。みんなそういってる」
「長崎でも愛されてたのかな」
「うん、みんなから愛されてた。僕、これから向こうに帰ってカンパ集めてくる」

 国分くんは、そのまま瞬間移動でいなくなった。

 入れ替わりにサトルが部屋のドアをノックして入ってきた。
 たくさんの花を持っている。
「こっちは動物病院から届いた。こっちは長崎から。国分くんが一斉に長崎の人達に呼びかけてカンパも集まったって。さっきこっちに来たんだ」
「そうか、お礼言わなくちゃな」
「海斗、辛いところ失礼な話かもしれないけど、ホームズの火葬日を決めなくちゃ。ここいらでまともにペット火葬してくれる葬儀業者さんは探してある。あとは、君が火葬日を決めるだけだ」

 まだ眠っているようにしか見えないホームズを火葬してしまうなんて、俺には到底できない。でも、冷たい身体になったホームズが生き返るわけでもない。生き返ってくれるならいつまでも待つのに・・・。
 俺は悩みに悩んだ末に、明日の午後3時を火葬日と決めた。

 サトルはどこからか綺麗な白い箱を準備してくれていた。
「さ、ホームズをこの中に寝かせて、贈られてきた花を周りに飾ろう」
「金メダル入れたら大会事務局怒るかな」
「失くしたことにすればOKじゃない?」
 箱には下に何枚もの毛布を敷き、最後にホームズが大好きで一番大切にしていたベビー用毛布を掛けてあげた。顔の脇には世界選手権で採った2枚の金メダルをそっと置き、あとはいただいた花の中から綺麗な物をホームズが眠る箱の中に入れて、飾った。
ホームズがいつも寝ていたベッドは入りきらない。だから、火葬後に拾うらしい骨を入れる骨壺の置き場所にしようと決めた。
 なんか事務的だな、俺。
哀しいのに、なんでこういうことさっさと決められるんだ。
俺は本当にホームズを愛でていたのか?

そう思うとまた涙があふれ出る。

 その日は白い箱の中を頻繁に覗きこんで、もしかしたら起きやしないか、もしかしたら何か言葉を喋りやしないかと一晩中起きていた。
 途中、サトルが来て仮眠を取ったら、と言われたが、このままのホームズに会えるのは今晩だけだから、と断った。
 眠るように逝ったホームズ。
 最期まで俺に心配をかけることなく逝ったホームズ。
 
 あのまま病院に入院させておくべきだったのかと、それすらも後悔の対象となった。

 一晩が過ぎていくのは、人が思うほど長くない。ホームズとの今までの生活を思い出し考えている間に夜明けが来て、俺の胸は段々と痛んでくる。今日の午後を火葬日と決めていたからだ。
 俺は新人戦に出たこともあり、今日は公欠日だったのでゆっくりとホームズと過ごす時間ができたと喜んでいたのに。本当に、これが生きている時だったらよかったのに。

 一晩考えても、後悔の念は消えなかった。

 午後になると寮の界隈も騒々しくなってきた。
 ああ、今日は公開模擬テストの日だっけ。
 魔法科寮は関係ないのだけど、寮の前が騒々しい。
 普通科は一番忙しいだろうな。来年のクラス割が変わってくるから。
 紅薔薇の普通科は、少数精鋭で勉強を教える特進クラスがあると聞く。みな、そこに入りたくて勉強し、公開模擬テストを経てクラスが決まるという、摩訶不思議なクラス分けになっている。

 ま、魔法科に属する俺には何の関係もないんだが。

 午後2時半。
 サトルが部屋に来て、一緒にペット業者さんが来るのを待っていてくれた。
 逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さんも来やしない。
 冷たいなー。

 午後2時45分。
 業者さんが部屋に来た。
 ここでお焼香し、それから火葬場に行ってもう一度お焼香するという。
 すると、どこから湧いて来たのか、ホームズと最期の別れを、という学校帰りの生徒がわらわらと俺の部屋を訪れた。
 業者さんは優しい人で、この1件で今日は終わりだから、ご存分に、と許してくれた。
 なんで今日になってこんなに人が増えたのかはわからないが、紅薔薇でもホームズの人気があったことを知った。
 白薔薇からも魔法師の生徒たちが国分くんと一緒に何十人と来てくれた。皆ハンカチを手に当てて、沈痛な面持ちで冷たくなったホームズを撫でていく。

 あ、来た。
逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さん。生徒会の連中も一緒だった。
亜里沙と(とおる)は、昨日の併合争いのこともあって忙しかったんだろうし、ホームズは脱走猫だったので時間を割いてこちらに来ることができなかったのか、姿を現さなかった。
その代り、3時ジャストに2人から離話が来て、俺を慰めてくれた。
「海斗、ホームズはやっと幸せ掴んだの。だから、あんたが泣く必要はないのよ」
「そうだよ海斗。本当に幸せそうだった、ホームズは。だからお前は泣くな」

 最後の一人までお焼香が終わり、業者さんが車に俺を乗せて火葬場に向かい始めたのは午後3時50分。集まった皆が涕泣していた。
 火葬場にくる人はほとんどいなかったが、俺の後からサトルと逍遥(しょうよう)聖人(まさと)さん、国分くんがタクシーでついてきた。火葬場での焼香は俺たち5人で終わり、いよいよ、ホームズの火葬が始まった。
 白い箱を閉めて紙テープで貼って、ホームズは火葬炉の中に出棺される。時間は50分から1時間弱。あまり時間をかけると骨が砕け散ってしまうため、適切な時間があることを説明され、書類にサインをする。
 他に、自分で骨を拾うか全て業者さんに任せるかにも違いがあると言われた。俺は今までかなり時間が押したこともあり、全て業者さんに任せる方式に決めた。

 いよいよ、ホームズの出棺が始まった。
 俺たちは待合室にいたんだが、50分の間、誰も何も話そうとはしない。
 皆でじっと火葬炉の方を見るだけだった。
 外はもう暖かくなってきていて、俺は紅薔薇の制服にジャンパーを羽織っていただけで寒さは感じない。みんなそう思っているのか、暑いとも寒いとも声は出なかった。
 
 1時間後。
 業者さんが全て終わりましたと言いながら待合室に出てきた。
 ホームズは、小さい骨壺の中に収められていた。

 サトルが呟いた。
「ホームズは虹の橋を渡ったんだね」
 俺も真っ青な空に猫の顔の絵を描きながら答える。
「次に生まれ変わっても、また俺のところに来いよ、ホームズ」

最終章  第2幕

 高校は春休みに突入した。
 ホームズを失い、毎日ぼやっと過ごしてる俺。
 もうすぐ学年も切り替わるというのに、魔法はおろか、身体づくりさえもトンとご無沙汰している。
 数馬は何をしているのか知らないが、魔法科の寮に来ることはなかったし、離話さえ寄越していない。

 
 部屋の中を見て、俺、ここで1年近く過ごしてきたんだなあ、と感慨深いものがある。
 みんなと出会ってシンパシー感じて、アイデンティティー・クライシスの中でGPS過ごして。
 ホームズと出会い、別れて。

 色んなことがめくるめく万華鏡のように俺の心に残っている。

 そんな春休みのある日。
 珍しく亜里沙と(とおる)が部屋にやってきた。
 亜里沙が少し緊張した顔をしてたのが可笑しくて、俺は吹き出して笑ってしまった。
「なんだよ、亜里沙。いつもと違う」
 俺の額をメガホンでバコッと叩く亜里沙。
「いでっ。いでーよ」
「今日は、聞きに来たのよね」
「何を」
「あんた言ったじゃない、3月末に結論出す、って」

 あ。
 思い出した。
 試合試合であちこち飛び回ってたのも手伝って、すっかり頭の片隅から抜け落ちてた。
 
 もう3月末だもんな、そうだよ。
 でもあれって、俺がガラクタ判定された場合の話じゃないっけ。
「俺、やっぱりガラクタ判定されたのか」
「そういうわけじゃないけど」
「でも、こっちの世界には必要ないって判定されたんだろ」
「そういうネガティブな話じゃないよ、海斗」
「そうか?(とおる)。俺には亜里沙のいい口にはそういうネガティブモンスターを感じるんだけど」
「君の身体に関わることなんだ」
「身体?」

 亜里沙も深く頷いている。
「僕たちのように小さな頃から魔法に慣れ親しんでる人はいいんだけど、君のように急にこちらに来て魔法に晒され続けると、身体が持たず消えてしまうんだ」
「消える?」
「まるで消去魔法食らったようにね、何もかもが無くなってしまう」

 こいつら嘘ついてる。
「ふーん、こっちで生きたとしてあと何年持つわけ」
 (とおる)は上手に嘘がつけない。相変わらずだ。
「・・・あと・・・そうだな・・・」

 今度は亜里沙が話を引き取る。
「2,3年てとこかしら」
「俺、あと2,3年生きられればそれで構わないけど」
「何言ってんの、海斗」

 俺は常に直球しか投げない。
「で、要はどうしろと。リアル世界に戻れってことか」
 亜里沙が畳みかけるように迫ってくる。
「今戻らないと、リアル世界でも誰もあんたを覚えていないことになるし、こっちでは寿命が劇的に縮む」
「わかったわかった。少し時間くれ。ところで、リアル世界ったってどの部分に戻るんだ?」
「選択肢は2つ」

 亜里沙が語った2つの選択肢。
1つ目は、時間を遡って去年4月の入学式。泉沢学院に通い出すところから始まる。
 2つ目は、家出して半年後。父母が探し回っているところから始まる。嘉桜高校を受験し直すことができる。
 

 俺は机に頬杖を突きながら行儀悪く足を組んだ。
「ふーん。どれも微妙なラインだな。ところで、本当の理由って何さ」
「何言ってんのよ、さっき話したじゃない」
「お前たちさ、俺がホームズの未来予知継承したこと、知ってんだろ」
「え?そうだったの?」
「お前らんとこまで噂届いてなかったか」
「ホームズの遺言ってこと?」
「ああ」

 亜里沙は驚いたような顔を隠し毅然とした態度をとったつもりだろうが、おい、右手、震えてんぞ。
 (とおる)、お前よくこの意味わかってないな。顔がポカンとしたままだ。

 俺はどこまで力が伸びるかわかんないけど、ホームズが長けていた未来予知の出来る人間になるということで、それは折しも俺がホームズの後継者になることを示唆している。
 この情報がどこまで届いているのかわからんけど、もしリアル世界に戻そうという運気が高まっているとすれば、俺にそうなって欲しくない人間たちが依然として多いということなのかもしれない。

「俺を消したいやつがいるってことね」
「そんなこと、あるわけないでしょ」
「お前たちがそういう態度を取るってことは、魔法部隊絡みってとこか」

 こいつらは今、物凄く厚い壁を作ってて俺に真相を伝えようとしていない。それだけでも十分に怪しいじゃないのさ。
 うん。
魔法部隊で俺を心良く思ってない上司がいるんだな。

「お前たちにとっては上司だからNOとは言えないよな、あの上意下達の中じゃ」
 (とおる)はずっと指をもじもじさせていたが、まず最初に落ちた。
「俺たちの意見なんて言えるはずもない」
「ちょっと、(とおる)。理由話したのがばれたらそれこそどうなるか・・・」
 おう。2人とも簡単に落ちた。

 亜里沙はヤケになって真相を明らかにした。
「内緒の話よ。魔法部隊陸軍部隊の少将がね、こないだの併合戦争見てて、あんたが5月に魔法の無い世界からこっちに来たばかりなのに急に新人戦優勝するのはおかしい、って。どこからか命令されて来たスパイに違いないっていうのよ」
 (とおる)もやっと自分を取り戻した。
「俺たちが小さな頃から目を付けていて、紅薔薇生徒会長が直々にこの件に関わったと言っても信じないんだ」
「そうか。そりゃそうだわな。俺だって信じないな、そんな夢物語」

 俺は急いで聖人(まさと)さんやサトル、逍遥(しょうよう)に離話を送る。
「俺、魔法部隊の上層部からスパイだと思われてんすけど。誰かいい案知らない?」

「あんた今離話送ったようだけど、相手を巻き込むことになるわよ」
 亜里沙がとっても渋い顔をする。まだ目は三角になってないから、怒ってるわけでは無さそうだが。

 一番最初に俺の部屋に来たのは聖人(まさと)さん。部屋が隣だからね。
「なんだよ、お前色んなことに巻き込まれんのな、今度はスパイ疑惑だって?笑えるー」
サトルが次に俺の部屋のドアを叩いた。
「頼んでみようか、父に」
 サトルの父が魔法部隊の大将だと知っているのはサトルと俺と・・・とにかく亜里沙や(とおる)は知らなかったようで、2人はえらく(=とても)驚いた様子を見せていた。
 しかし、俺がスパイでないという証拠を出さなければ真実味にかけるし、サトルの父がスパイの手先になった、とその座を狙われかねない。

 最後に、かったるそうにノックもしないで部屋に入ってきたのが逍遥(しょうよう)
「帰るのは海斗が決めることだけど、そのまま姿消したらスパイだ、って認めるようなもんじゃない?ここは疑惑を晴らさないと」
 なるほど。
言われて見れば確かにそうだ。

 亜里沙はえらく俺のことを心配していて、スパイとしてつかまったらどんな刑に処されるかわかったもんじゃないと俺を脅す。それならば、スパイの汚名をきせられたままでも、こちらの世界と縁を切った方がいいと声を張り上げて主張している。
 (とおる)と聖人さん、そして逍遥(しょうよう)は、今後どうするかは俺自身が決めるとして、まずスパイ疑惑を晴らすべきだと言う。
 サトルは、自分の父から当該少将に事情を説明するのは簡単だが、どこで足元をすくわれるかわからないのが魔法部隊だとも話した。今はもう年に数回程度しか会わない父なので、なるべくそういった仕事上での駆け引きはして欲しくないのが心情だとも。

 サトルの思いは良くわかる。
 俺、サトルの父親なら偉いから何とかしてくれるんじゃないかと変な期待を持っていたのは確かだ。
 でも、そうだよな。
 俺がスパイ疑惑を晴らしてさえしまえば、誰にも迷惑をかけることが無くて済む。

 大きな声で叫んでる亜里沙を除いた俺たちは、頭を突き合わせてスパイ疑惑を晴らすいい方法はないかどうか、知恵を絞っていた。
「沢渡元会長からの書面なり証人尋問したら?」
「それは話しにならないと言われてる」
「海斗の魔法力見たって無理だよな」
「力を発揮すれば発揮するほどスパイ容疑が大きくなるだけだ」
 フーッと溜めこんでいた息を吐きだす聖人(まさと)さん。
「じゃあ、その少将とやらが、ここのスパイだと疑ってる国があんだろ?」
「そうですね、それを逆手に取る方法はあるわけだ」
「でも、芝居打ったとひねくれた考え持ってるかも」
 サトルの考えを聞き、皆一様に項垂れる。
「スゲー最悪の上司だな。今ってブラックー。俺がいた頃はまだマシだった気がする」
聖人(まさと)さん、考えてみればそんなもんです、今の魔法部隊は。みんな自分の昇任しか頭にない」
 (とおる)は真剣な表情で聖人(まさと)さんを見やった。

「とにかく俺、その人に会うわ。でも、お前たちが理由バラしたらお咎め受けるんだろ。それだけはないように心がける」
「どうするのよ、勝手に会いに行ってもアポないと会ってくれないわよ」
「尾行して近づく方法探すしかないわな。なんていうのさ、その人」
「魔法部隊陸軍部隊少将、宗像(むなかた)(さとし)

さて、どうやって会う機会をつくろうか。
 サトルが少しだけ前向きになった。
「僕や譲司の作ったNシステムを人間用に開発したJシステムというソフトがあるんだ。魔法部隊周辺にそのカメラを設置すれば、宗像(むなかた)少将の動きがわかるんじゃない?」 
「カメラの設置に時間と人件費発生するんじゃないの」
「大丈夫。魔法で設置できるから」
「瞬間移動も要らないの?」
「要らないよ、最新鋭の画期的発明だと自画自賛してるんだ」
「それならお願いしてみようかな」
「ところで亜里沙。向こうは俺の顔知ってんの?」
「ええ、こないだ呼ばれた時に写真を渡したから」

 俺たちの馬鹿さ加減に呆れたとでもいうように、亜里沙が(とおる)をせっついている。
 これ以上部隊から離れるとここに来ていることが少将にバレてしまうからだ。
「お前らは帰ってていいよ。心配すんな」
 (とおる)はもう少し計画を練り上げたそうだったが、亜里沙に引きずられるような格好で姿を消した。

 聖人(まさと)さんは最初こそ真剣に考えているようだったが、Jシステムと言えども誰が設置したか陸軍部隊に知れたら「ごめんなさい」では済まされないと言って、途中から考えを変えた。

 ではどうするか。

 亜里沙はアポが無ければ会えないといったが、陸軍部隊少将、宗像(むなかた)(さとし)は俺に会わざるを得ないというのだ。
 宗像(むなかた)少将が言い出したスパイ疑惑。
俺が“八朔(ほずみ)海斗はスパイでない”と証明するのと同様に、宗像(むなかた)少将だって、“八朔(ほずみ)海斗はスパイである”という確たる証拠を見つけなければならないだろうと。
いまどき、拷問にかけて自白させるという昔の警察のようなスタイルは採られていない。
 沢渡元会長が八神絢人(けんと)に使ったような「自白させる魔法」がスタンダードになっているという。
 
 もちろん軍の上層部にいけばいくほど使える魔法の種類も多くなるし、「自白させる魔法」で本当に罪を犯しているのか皆の前で判断するのは容易いはずで、何れ呼び出しがかかるに違いない。
そのためには絶対に俺が前面に出る必要がある。
 そうなったら、オーソドックスなスタイルを用いて、八朔(ほずみ)海斗はスパイではない、と皆の前で証明できればそれで済む。
 しかし、それでは宗像(むなかた)少将の顔を潰してしまうことになり、悪い印象どころか逆に恨まれさえする結果を招くことは必至だ。
 だから最初に宗像(むなかた)少将の前に出て、相手と渡り合えばよい。


 なるほど、よくできました。
 わかりやすい計画だ。
 皆が思わず拍手する。

 って、俺が宗像(むなかた)少将に会いに行くのかよ。
 げーっ。
 俺、大人の、それもリアル世界の父親くらいの男性は苦手なんだよねえ。すぐ言いくるめられて自分の思ったことが言えないし。

「そこは鍛錬次第だ、海斗」
 聖人(まさと)さんの言葉が部屋の中に響いて、皆が俺をじっと見つめる。
 もう、俺一人でカタつけろってことなのね・・・。
「大丈夫だ、こっちは沢渡に連絡して、「自白する魔法」を取り込むから」

 その時だった。
「面白そうなゲームやるのに呼んでくれないなんてあんまりじゃない?」
 どこのコスプレショップに行くんだというくらい、摩訶不思議な服装をした数馬が部屋の中に急に姿を現した。俺はかなりがっかりしている。数馬、今は明るく語ってる余裕は無い。
「お前にはこれがゲームに思えるのか?」
「とっても重要なことだよね。海斗が生きるか死ぬかの瀬戸際」
「だろ?なんで無駄に明るい服着てんだ?」
「趣味をとやかく言われるのは好きじゃないなあ。ところで海斗、未来予知の力をホームズから継承した、って聞いたけど」
「ああ、まだ春休みだし、君はホームズの通夜に来なかったから知らなかっただろうけど」
「随分トゲのある言い方だな」
「別に」

 途端に数馬はプロレス技を掛けてきた。
「い、いでーーーっ」
「僕には僕のストーリーってもんがあるんだよ。誰もが君中心に回ってるわけじゃない」
 俺はハッとした。
 みんなここで一生懸命考えてくれてるけど、それは俺のストーリーにわざわざ付き合っているからに他ならない。誰だって自分のストーリーがあるはずなのに。
「みんな、ごめん、さっきの計画で行こうと思う」

 数馬の予想に反し、サトルが心配している。
「いつ行くの」
「3月中、って明日か明後日になるか」
「そうだね、4月になったら新年度になってしまう」
「明後日にしようかな。今日午後から沢渡元会長に連絡つかないかな。「自白の魔法」がどんなものか見てみたい」
 
 サトルが手を上げる。
「生徒会関係なら任せて。沢渡元会長は推薦で薔薇大学への入学が決まってるから、今月末には寮を出るみたい。荷を大学の寮に移し替えるだけだ、って。それまで、確実に光里(みさと)会長への引き継ぎを行うとか言ってた。だから今日も紅薔薇生徒会室にいるはず」
 サトルは生徒会室にいる南園さんに離話を送り、沢渡元会長の日程を聞き、予約を入れた。
「今日の午後3時、生徒会室で良いなら空いているそうです」
 南園さんの返事が素早くきたのでみんな驚いていた。
「よし、今日やって様子見てから明後日は一緒に陸軍へ行こう」
 聖人(まさと)さんがOKすれば、逍遥(しょうよう)は断ってきた。
「僕は魔法部隊の人間だから止めておく。上意下達を破ったなんて知れたら、それだけで槍玉にあがりそうだ」
 サトルはしばらく考えていたが、OKしてくれた。
「生徒会での結果をビデオ撮影して、向こうに見てもらうことができるかも」
 数馬はみんなを観察していたが、人が多くいた方がいいだろうと不思議な点を判断材料にしてOKしてくれた。

 サトルだけは寮で昼食を食べ終えるとすぐに生徒会へ行ってしまったが、俺たちは午後3時まであーでもないこーでもないと議論を続け、午後3時になるとなだれ込むように生徒会室に瞬間移動した。
 生徒会の中では、もう新旧の生徒会長の本来の引き継ぎも一段落したようで、皆が雑談に花を咲かせている。
 南園さんが素直に俺のことを心配していた。
「大丈夫ですか?沢渡元会長の魔法は強いと聞きます。自分をしっかり持って、必ずこちらに戻ってきてくださいね」
「あ、うん。ありがとう、南園さん」

 誰も教えなかったな、魔法の強さ。間違えば精神をやられてしまうということか。
 沢渡元会長が出てきた。
「久しぶりだな、八朔(ほずみ)。ホームズのことは残念だった」
「折角よくして頂いたのに、申し訳ありません」
「お前のスパイ疑惑、別のセクションでも噂が流れているそうだ。ただ、噂の黒幕は宗像(むなかた)少将ただ一人だろう」
「知っておいでになったのですか」
「ああ。来月になったら俺は大学生だから、今のうちにどうにか時間を作りたかった。お前からの申し出はこちらにとってもラッキーだったのだ」
 
 俺が生徒会の椅子に座ると、なにやら呟きながら沢渡元会長が右手を顔の目の前に翳してきた。
 俺はすーっと魔法の世界に迷い込んだらしく、寝てしまった。魔法の世界にいた俺はまだ3~4歳で、教育ママもおらず怖い父もいなかった。全てが幸せだった。
 そこで、思わず目が覚めた。
「すみません、寝てしまいました」
「いや、正常な反応だった」
「問答は上手くいってましたか」
「まあ、な」
「俺、何て答えてました?」
「具体的には何も聞いていない。ただ、お前がスパイなら、俺たち全員同罪になってしまうだろう。いいか八朔(ほずみ)。自信を持って臨め」
「はい!お時間頂きありがとうございました!」

 生徒会室から出て、今度は歩いて寮まで帰る。
 もう夕暮れ時で、遠くの空が雲の合間からオレンジ色に光っていた。
道すがら、みんなが自称宗像(むなかた)少将になり、俺に質問したり上から目線で恫喝したりするのに対し俺が応対していく。色んなシチュエーションを試してみる。
『お前、本当はスパイだろ、本当のことを言え!』
「そのような事実はございません」
『どうして5月にこちらに来た者が新人戦で優勝できるというのだ』
「色々な方に魔法を教えてもらい、寝る間も惜しんで勉強しました」
『君はいつ、ワン・チャンホやキム・ボーファンと知り合った』
「世界選手権や新人戦の公開練習で初めて見ました。しかしながら話はしていません」
『キム・ボーファンはどこにいる』
「今は分りませんが、見つけたら皆と協力して倒します」
『おやおや、君は北京共和国のスパイだろう、芝居でも打って友人を助けるのか。今回のワンのように』
「小芝居など打ちはしません。今度は消去魔法でケリを付けます」
『僕はねえ、君の名字が気に入らないんだ。八の字が混じっている、北京国の富の象徴ではないか』
「・・・こればっかりは、両親からもらった名字ですので如何ともし難い状況です。って誰だよ、こんな質問したの」
「僕~」
 数馬は踊りながら、完全に浮かれてる。
「数馬、変な質問するなよ」
「いや、絶対聞かれると思うよ。八神も八繋がりで北京共和国のスパイになったくらいだから」
「向こうは向こう。俺の場合、これだけはないと思うけど。その他に何あるだろう」
 サトルがケタケタと笑う。
「まるで就活とかの面接みたいだね」
聖人(まさと)さん、入隊時の試験とか面接覚えてる?」
「覚えてるわけねーだろう。もう10年以上前なのに」
「そっか、年だもんね」
「嫌な言い方だなー」
 今度はサトルが宗像(むなかた)少将になりきる。
『新人戦で1位を取ったからと浮かれるな。お前は何かの間違いでその座をもらっただけだ』
「今後とも精進してまいります」
『逮捕されたワンが、君に会いたいと願い出ているそうだが』
「会いません。僕はワンに会う理由がないからです。何、これホントの話?」
 数馬がみんなの前に出て、丁寧ながらもおどけた様にお辞儀した。
「ホントだよ。まだ下には降りてない話。会いに行かなくていいの?」
「会う理由ないし。向こうがキムの本当の隠れ家教えてくれるなら未だしも。絶対嘘つくはずから」
 聖人(まさと)さんがしきりに首を捻る。
「お前に会いたい理由はなんだ?」
 俺の頭の中に、消去魔法で今にもサラサラになりそうな人骨が浮かんだ。
 落ち着いて、静かに言い放つ。
「どっちかが消去魔法使うんじゃないかな」
 聖人(まさと)さんが俺の予知に気付いた。
「見えたのか」
「たぶん」
「なら、行くべきじゃないな」

 俺たちは寮の前で数馬と別れ、寮で夕飯のカレーを2杯盛りで食べた後、俺の部屋に集まった。聖人(まさと)さんが逍遥(しょうよう)を呼びにいったが、もう寝ていたそうで、また逍遥(しょうよう)抜きで話が始まった。
聖人(まさと)さん、もしかしたら4月の異動で何処かに属するかもしれないのに今ここで俺のこと手伝ってても大丈夫なの?」
「俺は退職したから異動もへったくれもない」
「でも、再雇用とかの要請来たんじゃないの」
「来たけど・・・断った」
「なんでさ!!」
 俺はもちろんのこと、サトルも理由が聞きたいという顔をしている。
「色々あんのよ、大人には」
「げっ、でたな、大人星人」
「それよりお前、明後日陸軍部隊行くんだろ。頭の中でシミュレートしていけよ」
「あ、うん。今日の帰り道みんなから受けた質問が実際に出ること願ってるよ」

 その後、俺と聖人(まさと)さん、サトルの3人は雑談に走り宗像(むなかた)少将のことをすっかり忘れていた。
 

◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 遂にその日が来た。
 俺が魔法部隊陸軍部隊に行く日だ。
 朝6時に目を覚ました俺はそのままベッドから起き上がって軽くシャワーを浴び、髪をきちんと乾かしてから制服に着替えた。
 朝7時半、寮の食堂へ降りたものの食欲は無く、デザートのヨーグルトを取ってそれだけ腹に入れる。
 陸軍部隊の執務時間は朝8時半から夕方5時半まで。
 見事な8時間労働。
 中には残業する魔法師もいるだろうが、聖人(まさと)さんが言うには“鐘と共に去りぬ”魔法師が多いのだそうだ。

 朝の9時を目標に、俺は陸軍部隊の本部がある市内某所を目掛けて歩き出した。
 今日は金がない。歩くしかない。
 歩いて1時間ほどの高いビル群の中に陸軍部隊本部は設置されている。
 目指す場所に近づくにつれ、俺は周りの人々の中で異質な者となっていた。
 周囲は皆、黒かグレーのスーツに身を包み、女性はインに白いシャツかカットソーを合わせて、ヒールの音が辺りに響く。男性も皆白シャツ。これにネクタイさえもが地味で、ストライプ柄を合わせている人が多い。
 それだけ高校生である俺、そして紅薔薇の制服が目立つということだ。

 陸軍部隊本部の建物はどれだ。
 周りの連中は目指すビルに足早に入っていくので、うろうろしている俺はとてもじゃないが見ていて痛々しかったことだろう。
強いて言うなら、おのぼりさんというやつか。
 いや、俺は元々仙台育ちだし、仙台が田舎と言われることも知ってるしそれは全然構わないんだが、本部ビルならそれくらいの名前が出ているはずだ。
 一昨日の夜、聖人(まさと)さんに聞いたり地図でもしっかり確認したのだが、ビル群の高さと多さに圧倒されて耳がキーンとなり、俺の三半規管にまで影響している。
 こんな状態で宗像(むなかた)少将に会っても、その場でスパイ容疑で逮捕されるのがオチか・・・。
 仕方がない、今日のところは出直そう。そう思って後ろを振り返った時だった。
 『魔法部隊陸軍部隊本部』
 あ、あった。
 これだ、俺が一か八かの大勝負を掛ける場所だ。

 一度深く深呼吸して、俺は回れ右してビルの中に入っていく。
もちろん、宗像(むなかた)(さとし)少将に会うことが俺の今回の目的。
 受付案内嬢は、どちらもハッとするような美人なんだが、如何せん、自分達が他から見られているという意識が欠落しているのか、たまに互いの目を見ながら口元を緩めたり歪めたり。遠くから見てもあまり色よい光景ではない。
俺が思うに、好きな分野の話だと口が緩み、嫌いな分野とか人に対する悪口だと歪むのではないか。
 そういう観点で見れば、この2人は受付嬢としての仕事を成し得ていないわけだから、左遷あるいはアルバイトなら更新切の憂き目に遭っても仕方のない仕事の仕方だ。
 
 でも。この人たちに嫌われたら、俺の今回の目的はここ、受付でストップしてしまい、二度と成功することはないと思われる。

 午前8時50分。いくらなんでもこの時間なら執務室に入っているだろう。午前9時を過ぎると会議などで席を外しかねない。
 だから、俺は精一杯笑顔を作って受付案内嬢の前に立った。
 ああ、こんな時数馬が隣にいれば・・・。
 俺が一大決心をして、受付嬢のお姉さんに話しかけようとしたその一瞬。
宗像(むなかた)(さとし)少将にお会いしたいのですが」
 俺の真横から良くとおる済んだ声が聞こえた。

 あ、誰かに先越された。
 でも、どこかで聞いたような声に似ている。
 声の主を俺お得意の視野が広いイーグルアイで見ると、何とそれは数馬だった。
「失礼ですが、アポをお取りになられておりますか」
「いえ、“八朔(ほずみ)海斗が着た”とお伝えください。ご理解いただけると思います」
「アポなしの場合、どういったご理由でもお通しいたしかねますが・・・」
「では、こちらでお帰りの際までお待ちしますので、どうぞお気遣いなく」

 そういい放ち、数馬は受付嬢の真ん前に突っ立った。
 もちろん受付嬢は迷惑だろう。
 でも、高校生らしいこの二人組を追い返すためにどういう理由をつけようか、後ろを向いて二人で相談している。
 こっちも耳打ちしながら数馬に話しかけた。
「おい。少将の顔わかってんの?わかんないならここで9時間待っても無駄じゃないか?」
「顔なんて知らないよ。大丈夫、ここの二人は絶対に少将に連絡するから」

 この自信はいったいどこから生まれてくるんだろう。
 特に策も無いみたいだし。
 このことが知れたら、陸軍部隊本部出禁だってあり得る。
「大丈夫さ、少将は君をスパイだと周囲に言いふらしているだけで証拠はない。こういうところは絶対に反対派がいるからね、僕らがそっちに捕まって反対派に主導権を握られたらお終いなんだよ」
「そんなもんかな」
「それが政治さ」

 受付嬢の2人が、顔を引き攣らせながら宗像(むなかた)少将の部屋らしきところに内線電話しているのがイーグルアイで見える。
最初はアポなしの人間なんぞ会わん!と怒鳴られ、受付嬢は如何にも嫌だな、という顔付きで俺の名前を出した。
八朔(ほずみ)海斗さま、と仰るのですが、お帰り頂いてよろしいでしょうか」
八朔(ほずみ)海斗?」
 途端に電話の向こう側は静かになった。
 受付嬢とどんなやり取りをしたか、小さな声だったので俺には聞えなかったが、段々と受付嬢の顔が晴やかになってくる。
 ついに、内線電話は切れた。
「申し訳ございませんでした、多忙の中もございまして、15分程度であればお会いできるとのことです。宗像(むなかた)少将のお部屋は301になります」

 数馬は最後までアイドル顔を崩さない。
「ありがとう」
 俺も一応感謝の意を述べる。
「お手数おかけしました」

 たぶん受付嬢は、数馬が八朔(ほずみ)海斗だと勘違いしたような気がする。
 でもま、いいや。第一関門は思わぬ形でクリアしたのだから。
 階段を上がっていくと、301の部屋は直ぐに見つかった。

 静かに、コンコンコン、と3回、俺は部屋のドアをノックする。
「はいりたまえ」
 中から声が聞こえて、俺は中に入った。なぜか数馬まで同席するつもりのようでちゃっかり中に入っている。
 数馬が紋切り型の挨拶をする。
「失礼します。本日は、お忙しいところお時間頂戴し申し訳ございません」
 早速宗像(むなかた)(さとし)少将は、数馬を見ながら話題に入った。
「君が八朔(ほずみ)海斗くんか。座りなさい。今日はどうしたのかね」
数馬は、自分が間違われるだろうと予想していたのだが、本当にその通りになった。
「いえ、八朔(ほずみ)海斗はこちらです」
 俺は一歩前に出て挨拶する。
「お忙しいところ恐縮です」

俺と二人応接椅子に腰かけた数馬は、間髪入れずに宗像(むなかた)少将に向けて爆弾発言を食らわせた。
「近頃陸軍部隊内で根も葉もない噂が立っているのをご存じでしょうか」
 相手は乗ってこない。椅子にどっかりと腰をおろしたまま、煙草をくゆらせているだけ。数馬はもう一度念押しする。
「この八朔(ほずみ)海斗が北京共和国のスパイであるという噂です、本当にご存じなかった?」
 数馬の言葉に何かを感じたのだろう、白髪混じりで目が細く、いかにも人を疑ってかかるような顔つきの宗像(むなかた)少将が数馬から顔を逸らして俺を見る。
「ああ、スパイがどうのという話は聞いたが。君が疑われているのか」
 宗像(むなかた)少将が急に俺に話をふったので、緊張どころの騒ぎではない。だが、ここでまごついたのでは、練習の成果がフイになる。
「はい。なんでも、5月にこちらの世界に来たのに新人戦で優勝するのは有り得ない、と」
「そうだな、実際、どうやって魔法力をつけたのかは聞いておきたいところだ」
 
 数馬が“座ったまま失礼します”と前置きした。
「僕が出会った頃は本当に中途半端な魔法しか使えませんでしたが、僕が製作したデバイスを使い飛躍的に魔法力が伸びたのです。それに加え、下半身強化のトレーニングを毎日毎晩3時間熟してから就寝しておりました。朝は4~5キロ走ってから授業に出ておりましたし」
「それだけで魔法力が上がるとは思えないのだがね」
「教えた魔法を次々に習得できるのは彼の生まれ持った才能ですが、強靭な下半身を作ることでそれが可能になったのです」
「私は才能と言う言葉を信じていない。この際、はっきり言わせてもらおう。君は北京共和国のスパイではないのか?名字に八が付くのも北京人の好むところだ」
 練習通りの質問が出たのが可笑しかったが、笑うわけにはいかない。
「そのような事実はございません、名字の件は、両親からもらったものですので如何ともし難いところです」
「君はワン・チャンホやキム・ボーファンとも知り合いか」
「世界選手権や新人戦の公開練習で初めて見ました。しかしながら話はしていません」
「キム・ボーファンの現在の居場所は分るのかね」
「今は分りませんが、見つけたら皆と協力して倒します」
「君の言うことは芝居ではないのか。北京の友人を助けるために策を練っているんじゃないのか」
「芝居は苦手です。北京国の人間は、絶対に捕まえたいと思っています」
「もうひとつ、新人戦で1位を取ったからと浮かれないでいただきたい。君は運が良かっただけかもしれないのだから」
「今後とも上位を目指せるよう精進してまいります」
「逮捕されたワンが、君に会いたいと願い出ているそうだが。それと、なぜワンを殺さなかった。あの時の君はワンを殺せる位置にいたとの解析が出ている」
「キムの居場所を吐くなら別ですが、そういった話が無い限りワンには会いません。僕にはワンに会う理由がないからです。殺さなかったのは、人を殺すことが初めてだったので躊躇したのが本当の気持ちです。今になって、殺しておけば良かったと後悔しています」
「つまり、ワンの希望を叶えるつもりはない、友人でもない、そういうことか」
「はい。そうです」
「最後に、僕は未だに君を信用しているわけではないのだ。ただし、北京共和国のキム・ボーファンを亡き者にすれば、君を認めざるを得ないだろう。北京のホープである彼をね」
「必ずやキムを見つけます。ご安心ください」

 約束の15分は1時間ほどに長引き、午前10時過ぎに俺たちは陸軍部隊本部ビルから外に出た。
 数馬がにんまりと口角を上げ、笑いたいのを堪えている。俺は素直に感謝の意を表した。
「君が来てくれて助かった。俺一人じゃあそこまで話を持っていけなかったよ」
「嘘も方便というでしょ」
「どこかで嘘吐いたっけ」
「君が練習熱心だったというくだり」
「真面目にしてたでしょうが」
「僕にしてみれば、今一つ足りない部分はあったけどね、一般人としてはあんなもんだろう」


 『信用していない』
 宗像(むなかた)少将のその言葉は俺たちの間では想定内で、今日の訪問は、俺のスパイ容疑をこれ以上流布させないことが目的であり、その手段だったと言ってもいい。

 キム・ボーファンを探しだし、息の根を止める。それが俺に課せられた喫緊の課題になった。

最終章  第3幕

その日の午後からキム・ボーファンの隠れ家を探すことになった俺。
 でも、どこからどうやって手を付ければいいのかわからない。

 聖人(まさと)さんが、旧来の知人が魔法部隊にいるということで内々に情報をもらってくるといって寮を出た。
 サトルも同様に父親に連絡を取ったらしく、内々の情報がないかどうかアタックしてくると言って、制服に着替えて寮を出た。
 逍遥(しょうよう)は自分が何もできない苛立ちを俺にぶつけてくる。
「だいたい、君がワンを殺さないからこういうことになるんじゃないか」
「しょうがないだろ、今更言っても過去に時間が戻るわけじゃあるまいし」
 逍遥(しょうよう)の目がキラリンと光る。
「こないだ、亜里沙さんが選択肢の中で過去に戻る、って言ったよな。あの人たち、過去に戻る魔法知ってんじゃないの」
「まさか」
「聞いてみろ、もしかすると、もしかするぞ」

 過去に戻る魔法があるとするならば、それを一番欲しているのは俺じゃなく数馬のはずで。
 でも、過去に遡って数馬の父親を助けたら今の俺たちの関係性はない。根底から崩れ去る。生まれてないとかそういうことじゃなく、生活が一変しているということだ。
 数馬は日本に帰ることも無かっただろうし、俺は数馬と知り合うことも無かったと断言できる。
 そしたら俺は不出来な魔法科生として紅薔薇で勉強するだけで、普通科に落とされたかもしれないし、新人戦での優勝もなかった。となると、ワンが俺を狙うこともなくなったわけで。ワンとの争いは逍遥(しょうよう)が請け負うことになったはずだ。
 もう、俺を中心として回るかどうかなんて有り得ない。スパイ容疑もかかりっこない。

「過去に戻ったら、全てが壊れてしまう」
 逍遥(しょうよう)は俺の言う意味がわかってんのかわかってないのか、じっと俺を見つめたままでホームズの形見の猫ベッドに触っていた。
「ホームズとも会えないで終わったかな」
 俺の問いかけにも逍遥(しょうよう)は応じることはなかった。

 俺は今の俺、新人戦で優勝した俺を失いたくないという下衆な気持ちが働いていたんだと思う。亜里沙に離話して聞くことはしなかった。
あいつらも忙しいからと理由をつけて。
 

◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 4月になった。
 まだ学校は春休みだが新年度になり俺は魔法科の2年に進級した。
 いや、したはず、かな。

 沢渡元会長以下3年の人達は、バラバラの人生を歩み出した。
 薔薇大学に進学して長崎に居を構えた人も多いし、魔法大学に進学するひともいた。魔法部隊に入隊した人もいる一方で魔法から遠ざかり普通大学に進学した人もいる。
 世界選手権や新人戦に出た人は、3月1日に執り行われた3年の卒業式にも出ることができなかった。生徒会でささやかな卒業式を開いたと聞く。在校生では、光里(みさと)会長だけが出席したそうだ。

 聖人(まさと)さんは今年度から全ての魔法大会に出場できることになり、逍遥(しょうよう)のサポーターとしての役割を終えた。
 数馬は相も変わらず俺のサポーターとして動いてくれることになっているが、陸軍本部に行って以来、どこにいるのかもわからない。つかの間の休日、外国を旅しているのかもしれない。
 サトルは光里(みさと)会長の下、譲司や南園さんと組んで生徒会の柱となって動き始める予定だ。
 亜里沙と(とおる)は、俺が退学したら一緒に紅薔薇高校を退学して魔法部隊に専従することとなった。


 俺はと言えば、まだキム・ボーファンが見つからず、少々焦りを覚えていた。
 新学年の授業が始まる前に何としてでもキムを見つけたかったのだが。
 ベッドに座り、お守りのペンダントとして持っているホームズの髭と爪をぎゅっと掴み、予知しようと何回も念を入れるが上手くいかない。

 おい、ホームズ。
 ホントに俺を継承者としたのか?
 全然予知できてねーぞ。こんなんじゃ、誰の役にも立ちやしない。

 ふうっ、と溜息ともつかぬ息を吐きだし、俺はベッドから立ち上がった。
 ホームズの形見の猫ベッド、洗おうかどうしようか、考えている時だった。
 首にぶら下げていたホームズのペンダントが、チカチカと明るく光り出した。
 俺はどうしてか、そのペンダントのトップ部分を握りしめた。


◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 人物の後ろ姿が見える。
その人物の正面にフォーカスすると、目の細い北京系の顔立ちの男が見える。

キム・ボーファンだった。
 場所は・・・テーブルに中華料理がたくさん並んでいて他にも人がいる。
どこかの料理屋さんで飯でも食べているのか?

 あ・・・中華街。

 そうだよ、横浜と言えば中華街。
そして横浜中華街に北京共和国の料理を出す店は多い。
 恰好の潜伏場所じゃねーか。
やつは100パーセント、横浜中華街に潜んでる。
 あとはこの店の名前が判れば・・・。

 店の外の看板にフォーカスする。小さく看板が置かれていた。
『蜃気楼』?
 スゲー名前だな。

 周囲の景色は・・・と、ここで予知は終わってしまった。
 予知と言うより、俺の得意な遠隔透視かもしれない。

 とにかく、この店を探さなくちゃ。
 「蜃気楼」なんてふざけた名前の店があるかどうかわかんないけど。
 中華街は狭いようでいて広い。
 1軒1軒歩いて回ったのでは相当な時間がかかる。
 その間にキムが潜伏場所を移動しないとも限らない。

 この『蜃気楼』にいる間に、奴の身を確保しなければ。
本当は俺一人で片を付けるべき問題なのだろうけど、時間がない。
未だ北京共和国からスパイとして派遣されているだろうキム・ボーファンは、いつ故郷に戻ってしまうかわからない。

 このときほど、リアル世界のインターネットを欲したことはない。
 ほとんどの情報がインターネットを通じて手に入るのだから。
 今の俺は足で稼ぐしかなくて、1人では到底あの広い中華街を短期間で回れそうにはないように感じた。
 
俺は聖人(まさと)さんとサトル、数馬に離話を飛ばした。
「今、キム・ボーファン発見、場所は横浜中華街の“蜃気楼”。繰り返します・・・」

 数馬から返事が来る。
「今やんごとなき事情でそっちに行けない。透視だけはする、店の場所がわかったら亜里沙さんや(とおる)さんに繋ぐから」
「ありがとう、数馬」

 聖人(まさと)さんとサトルは、もつれ合ってノックの時間も惜しいとばかりに部屋に飛び込んできた。
「見つかったのか」
「予知か遠隔透視かはわからない。でも中華料理がテーブルに乗ってて他に客らしき人もいた。“蜃気楼”なんて店がホントにあるのかどうかわかんないけど」
「本国にも中華街はあると思うんだけど、どうして横浜中華街だと分ったの?」
 サトルの鋭い突っ込みに俺はタジタジとなった。
「それは・・・第六感でしかない」
 聖人(まさと)さんが落ち着き払って助け舟を出してくれた。
「サトル、本国には俺たちが読む“蜃気楼”の字は無いと思う。俺は北京語は全然できないからだけど」
「店の周囲の景色が判れば一番だったんだけどね」
 俺は手を振り謝った。
「ごめん。そこまでしようとしたら映像が切れたんだ」

 聖人(まさと)さんがサトルの肩を叩き、どうするかと聞く。
「海斗だけを横浜中華街に出して、俺たちはここで遠隔透視しながら“蜃気楼”を探す、あるいは3人で手分けして探す、どっちがいい?」
「僕はまさかのキム・ボーファンと対峙したら勝つ自信も互角に戦う自信もない。だから中華街へは行かない方がいいと思う。我が身可愛さに走って申し訳ないけど」
宗像(むなかた)少将には自分ひとりでやっつけますみたいなこと宣言してきたんだから、サトルにそこまで求めないよ。遠隔透視だけでも十分」
「俺はここで遠隔透視しながら、見つけたらその場所に行く。それでどうだ、海斗」
「ありがとう、聖人(まさと)さん」

 俺はジャージに着替えて上着を羽織り、二人を置いて部屋を出ようとした。一刻も早くキム・ボーファンを見つけ退治しなくては、また併合戦争に発展しかねない。
「おい、待て海斗。これ持ってけ」
 聖人(まさと)さんが俺に手渡したのは、数馬が作ってくれたバングルだった。
「お守りじゃねーぞ。こいつ手に嵌めてしっかり働け」
「おう!」

 俺はお気に入りのシューズではなくどちらかと言えば捨ててもいいようなジョギング用の靴を履いた。なぜか、手がそちらに伸びた。
 迷ってる暇はない。
 寮から横浜中華街まで約3~4キロといったところか。近頃ジョギングをサボってるから息が上がりそうな気もするけど、そんな弱気でどうする。

俺は全力でスタートした。


◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 走り始めて10分ほどで、サトルから連絡が入る。
「中華街東側にはそういう店はない。引き続き透視を続けるから」
「ありがとう、サトル」
 俺は店についてへばってしまっては大変、と走るペースを少し遅くした。
 20分ほどして、中華街の街並みがすぐそこに見えてきた。
 もう少しペースを下げ、体力温存に切り替える。

 今度は数馬から連絡が入った。
「見つけたぞ、“蜃気楼”。中華街北側の端にある。他に誰か見つけたか?」
「まだ、キムの居所も合わせて確認してもらう。サトル、聖人(まさと)さん、北の端界隈を見てもらえる?」
 2人とも“蜃気楼”の場所は掴んだ。北の端に看板が見えたらしい。聖人(まさと)さんの式神によると、キムは、店の賄場所に座っていたという。
 俺は中華街の中を人と人との間を縫うようにして北側に急いだ。
 
 やっとのことで俺が店の一歩手前に着いたころには、聖人(まさと)さんと亜里沙、(とおる)が店の前にいた。
「亜里沙、(とおる)、軍務は大丈夫なのか」
「この大一番で軍務も何もないでしょ、抜けてきたわよ」
「援護射撃は任せて」
 聖人(まさと)さんが2丁のショットガンを俺に渡した。
「そうだな、お前は店に入ってキムを呼べ」

 そういうと、3人は俺が見えないくらいまでふわっと浮き上がった。その日は太陽がさんさんと降り注いでいて、セオリー通りの攻撃体勢。
 俺は、店の中に入ると、店員さんに小さな声で聞いた。
「キム・ボーファンはどこ?」
「誰?それ?」
 またペンダントが光り、キムが立ち上がって厨房から店の中を覗きこむのがわかった。
「そっちか」
 俺はつかつかと厨房に近づくと、自分に防御魔法と鏡魔法を掛けた。
「キム」
 俺の声が聞こえたのか、キムは店の中に出てくると、すっと姿を消した。瞬間移動魔法か、逃がすか!!
 俺もすかさず移動魔法で店の外に出る。

 キムはどこにもいなかった。
「どこ行った」
 でも、あいつがこの中華街でトラブルを起こすわけがない。それが知れたら本国からお目玉をくらうだろう。店の邪魔すんじゃねえ、と。
 ということは、あいつは広くてそれでいて隠れやすい場所にいるはずだ。
 俺は当たりをつけて横浜山下公園に飛んだ。

 ここなら観光客やらでそれなりに人はいる。
 
 俺は少し高い状態の飛行魔法に切り替え、右手を地上に翳した。
 すると、地上ではなく、大きな樹の上がチカチカと輝いた。
 あそこか。

 バングルを嵌めた手が、ウィーンと響く。はて、こんな構造だったっけ。数馬が何かプラスしておいたのかな。
 そう思った瞬間、俺は心臓の辺りに杭を撃ち込まれたような痛みが走った。
 いっでえー。
 誰だよ、キムか?
 鏡魔法で食い止めたようなもので、魔法を掛けていなかったら即死状態だった。
 
 俺はもう一度鏡魔法を自分にかけて右手を翳す。また樹の上がチカチカと赤く光る。さきほどのチカチカ場所を拠点にキムは行動していると思われた。

 俺は人さし指で樹の上に狙いをつけ、シュッ、シュッと発射する。それには何も反応が無かった。
 ここは、相手の懐に入ってショットガンをぶっ放すしかないか。
 
 俺は移動魔法で樹の上に飛ぶ。
 その間に防御魔法と鏡魔法をかけたが、あまり重ね掛けはできない。動くスピードが落ちるから。
 樹の上では、キムがこちらを向いて立っていた。
「よくわかったな」
「うちらは優秀なんで」
「お前ひとりじゃ、どうかな」
 言い終わらないうちに2回目の杭が俺を襲う。さっきより威力が増していて、鏡魔法を破られるかと思ったほどだ。
 痛みに一瞬キムを見失いそうになったが、こちらがフラフラしているように見えたのだろう。キムは3発目の準備に取り掛かっていたようだった。
 俺も急いで鏡魔法を2回、防御魔法を2回重ね掛けする。これらの魔法も、10回が限度だ。
 早くこの戦いを終わらせなければ。
 
 キムが3発目の杭を俺に向けて発射した。痛みは残ったものの、鏡魔法自体は効いていて、キムの魔法はキム目掛けて飛んでいくのが見えた。
 それで自爆したらしい。

 樹の上からザザザーッと下に落ちていくキム。
 俺も鏡魔法と防御魔法を2回ずつ掛ける。もう、限度に近い。
 木の下に落ちたキムは、しばらく動かなかった。
 自分の魔法食らって死んだか?
 近づこうとする俺に、なぜかホームズの声が聞こえた。
「近寄るな!」
 どきっとして、そこで足を停めた俺に向け、キムは最大級の杭を撃とうとしていた。俺そのものが粉々になるようなデカい杭。
 今までは空中だから別に心配もしなかったのだが、地上では他にも人がいる。その人たちに当たったら、魔法そのものが違法性を問われることになりかねない。

 俺の心配などこいつはわかってないんだろう。
 キムが心配しているのは、自分だけ。
身の保身に走っているだけのヨワカス。

またバングルがウィーンと鳴く。
鏡魔法をまさかの10回オーバーで掛けた俺は、飛行魔法で飛ぶことができなくなった。
本当は空中で仕留めたかったが、仕方がない。

俺に向け杭を撃ちながらも動けないでいるキム。
その身体に焦点を合わせ、俺は両手を組み2本の人さしと中指を揃えた。
バングルの音が次第に大きくなる。
 そうか、消去魔法の発射に適した時刻を知らせる音だったか。

 バングルの音が最高潮になった一瞬を俺は捉えた。
バン!!
 
 バングルの音とともに、俺の手の先から消去魔法が発射された。
 物凄い風圧で、俺は思わず目を瞑ってしまった。

 大丈夫か?
 キムを倒したか?
 まさかの失敗なんてないよな。

 そおっと、キムのいた方に向けて目を開けると、なんと俺の目の前に風船のように膨らんだキムの顔があった。

 なにーっ、失敗したのか?
 それとも、俺ではまだまだ成功できない高等魔法なのか?

 俺は恐ろしくなったが、動じてパニックになっていてはチャンスを逃がす。すぐさまショットガンを発射しようとしたが、ショットガンを握ってる右手が動かない。自由に動くのは左手だけ。
 なんでだよ、こんなときに。
 しかし、手元を見ている暇はない。
 何もないとなれば・・・。

「クローズ」
 効くかどうかわからなかったが、もう必死な俺は左手をキムの顔の前に翳した。
 
 バチン!バチン!!

 突然キムの顔が破裂し、シューッとしぼんでいく。
 何が起きたのかわからないが、今度は目を逸らしちゃいけない。
 キムは顔しか残って無くて、身体はさっきの消去魔法で消えたようだった。
 俺はもう一度、消去魔法の型を作ると動かなくなったキムの頭部に向け発射した。
すると、頭部はピンクの砂のようになり、サラサラとした状態で風に流され飛んでいった。


 あー、終わった―、死ぬかと思ったー、90パーセントくらい、俺死んでたー。
 というか・・・心臓付近、未だに痛い・・・。
 太陽から3人が降りてきた。
「うっわー、冷や冷やしたわよー、海斗」
 亜里沙の言葉が全てを物語っているのだろう。
 俺は半分以上、負け戦に手を染めていた。
 なんで勝ったかはわからない。
 そう、わからない。

 でも、勝った。
 すごくない?
 北京のホープに1人で戦い挑んで勝っちゃった。

 と。
「周囲の人に魔法当たんなかった?」
 今頃思い出した。
「大丈夫よ、あたしたちがあらかじめ時間止めといたから」
「時間を止める?」
「そう、そしてこのエリアにいた人をどかしておいたの」
 周りを見ると、皆一様に止まっている。
 俺たちの周りには猫1匹として誰もいなかった。
「すげえ、こんなことまでできんのか、魔法で」
「だから大前(おおさき)数馬はあたしたちに連絡くれたのよ、聖人(まさと)さん1人じゃ大変だから、って」
「あらかじめ言っとくとお前に隙が生じそうでなあ、言わなかったんだ」
「いいよ、そんなの何でもない。周りに被害無くて良かった。被害あったら魔法そのものが異端視されるんじゃないかって思ってたから」
「そう言ってもらえると僕たちも来た甲斐がある」

「あ」
 亜里沙が淀んだ顔つきになる。
「帰らなきゃ」
「忙しいとこありがとな」
「見つかっちゃった」
「誰に」
宗像(むなかた)少将」

 俺はまたドキッとした。
 実のところをいえば、あの人は苦手だ。
 この間だって、数馬がいたから何とかなったようなものだ。

「苦手意識を持っていては、魔法は上達しないぞ」
 誰の声だ?
宗像(むなかた)だ」
 うっ、心を読まれてる。今更壁作ってもどうしようもない。
「君のような新参者が壁ばかり作ってはいけない。もっと心をオープンにしなさい」
「はい・・・」
「今日の戦いは、見事とは言えないまでも、スパイ疑惑を払拭するには充分な出来だった」
「じゃあ、スパイじゃないと信じてもらえるんですね?」
「ああ、認めよう。君の力を」
「ありがとうございます!」

 宗像(むなかた)少将の声は聞こえなくなり、亜里沙と(とおる)は時間を一般人に公開すると軍に戻った。聖人(まさと)さんと俺は、散歩がてら寮までの道を歩いた。
「正直、1人で大丈夫かなと心配してたけど、よくやったな」
「うん。自分でも信じられない。でもさ・・・」
「どうした?」
「キム・ボーファンが敵の中枢にいて、あいつが日本にいる限り併合戦争の火種になるのはわかってはいるんだけど」
「だけど?」
「やっぱり殺すとかそういうの、俺、嫌だな」
「お前さんは優しいね」
「うーん、何て言うんだろう、魔法以外でも毎日のように日本じゃ殺人事件起きててさ、今更魔法だけなんでモンスター扱いすんのかは別として、俺、キムも生かして取り調べるべきだと思ったんだよ」
「ワンのように、か」
「生き地獄らしいけどね、向こうの国は」

 帰りがけ、喉が渇いただろうと、聖人(まさと)さんはコンビニに寄りコーラを買ってくれた。
 あれ、俺が好きなの知ってたんだ?
「いや、俺が好きだからついでに」
 あら、そう。
 
 1時間以上かけて寮に戻ると、サトルや逍遥(しょうよう)が玄関で出迎えてくれた。
「よく頑張ったね、海斗」
「おう」
 逍遥(しょうよう)は目を大きくして俺を覗きこむ。
「最後に少将出てきたからビックリしたけど」
「俺、大人って苦手なんだよ」
 聖人(まさと)さんがみんなにあっかんべーしながら靴を脱いでいる。
「自分だってすぐにおじさんになるぞ」
聖人(まさと)の10年後くらいにね」
 俺と逍遥(しょうよう)が大笑いする中、サトルだけは聖人(まさと)さんに気を遣い口元に手で作ったグーを当てた。

「サトルだけだな、まともなおじさんになれそうなのは」
「いや、そんなこと・・・」
 そう言ったまま、サトルの笑いは止まらなくなり、腹を捩って笑ってる。
「こいつが一番先にオヤジになるな」
「うん、そう思う」
 そこにいたみんなの意見が一致した。
 

 今晩はプチ祝勝会と言うことで、寮母さんが腕を振るって色々な料理を作ってくれた。食材費は、卒業した先輩のカンパと、今も寮に住んでいる先輩、同級生が集めてくれたそうで、北京のホープに勝ったというニュースは寮中に広まっていた。
 ちゃっかり参加している数馬と譲司。
 本当は魔法技術科でも来たい生徒がいたらしいのだが、魔法科の食堂は広くないため、泣く泣くカンパだけくれたという。何という慈愛の精神。
 途中、俺に一言を求めるシーンが出たのだが、俺はえらく口下手なので数馬が代わってまるで物語を紡ぐかのように情緒たっぷりに、冒険小説であるかのような壮大な話でみんなを魅了した。
 数馬、君、作家になってもやっていけると思う。

 寮母さんが出してくれた料理の中に、「肉じゃが」があって、リアル世界で母さんが作ってくれた味にそっくりだった。
小学校勤めで冷食も多く俺は文句ばかり言ってたけど、女性が働いて家のことも全部する、というのには人知れぬ苦労があるんだろうな。父さんは休日ゴルフばかりで母さんを手伝おうともしなかったし。俺だってそうだ、勉強しないんだったら母さんを手伝えばよかった。
 ごめん、母さん。


 その日は夜遅くまで無礼講が続き、ジュース類やノンアルコールのカクテルやビールしか出していないと言うのに、酒をあおったかのように口癖が悪くなる人が続出。早々にアウトの判定を出され部屋に追いやられた。
そこに沢渡元会長や光里(みさと)会長、3年の卒業生たち5~6人程度がが突然現れ、寮内はある意味騒然となった。

 九十九(つくも)先輩や勅使河原(てしがわら)先輩が2度目の乾杯の音頭をとる。
沢渡元会長は挨拶を求められたが光里(みさと)会長に任せ、自分はもう大学1年のペーペーになるのだと皆に伝えた。
 沢渡元会長は俺の前に進み出ると、公衆の面前だというのに、何も言わず深々と頭を下げた。
 この行動に、後から来た卒業生は皆一様に倣い、お辞儀する。
 一番面喰ったのは俺で、まさか九十九(つくも)先輩や勅使河原(てしがわら)先輩が頭を下げるなどと思ってもいなかったので焦ってしまい、自分でも何を言っているかわからない。
 逍遥(しょうよう)が、「海斗、アウト―」と言いながら俺の両肩を後ろから掴み、皆から聞えないように囁いた。
「ここにいたくないなら、自分の部屋に戻ったらいい」
「いや、まだ大丈夫だと思う。主賓だし」
 そう言って俺が笑うと、OK、といってノンアルコールのビールを探しに厨房の方へと入っていった。

 後から合流した先輩たちは、寮にいる先輩方とはまた違った雰囲気で、「いかにも優等生」が似合う人たち。どちらかと言えばこの寮に住むような雰囲気ではない。
 紅薔薇高校にはエリートや金持ちが入る紅薔薇寮があり、冷暖房の完備など破格な対応で寮生を募っている。魔法を極めた逍遥(しょうよう)やサトルがここに入っているのが不思議なんだ。
サトルは分からなくもないが、逍遥(しょうよう)だったら絶対に入れたはずなのに。
「言ったじゃないか、僕は上意下達なんてものに興味もないし従う気もない。向こうから入寮の打診が来た時、即座に断ったよ」
「なんて言ったの、断る理由」
「イビキが凄いんです、っていったさ」
 俺は思わず吹き出した。
 逍遥(しょうよう)は飛行機搭乗など疲れている時たまに小さい音でイビキをかいたりするときもあるが、普段は静かに眠ってる。
 よほど逍遥(しょうよう)は紅薔薇寮に入るのを嫌がったと見える。
「言わないでくれよ、僕と君の心に壁作っておいた。絶対に内緒な」
「はいはい」
「はいは1回」
「君、段々亜里沙に似てきたね」


なんと、その晩は夜通しで祝勝会が続いた。
キム・ボーファンもそうだが、ワン・チャンホの両手を複雑骨折させ、再起不能にしたという情報も皆が掴んでいて、俺はそこでもヒーロー扱いされた。
現地で殺してしまえば良かったのに、という声もそれなりに挙がったが、沢渡元会長は命の大切さを説いて俺を援護してくれた。
キムの時も合わせ、どちらの方法が良かったのか、俺には未だにわかっていない。

明け方が近づき空が白んできた頃、紅薔薇寮組は自分たちの行くべき場所へと個別に戻っていった。
こちらで最後まで残ったのは、俺と聖人(まさと)さんと逍遥(しょうよう)、そして数馬。
譲司はアルコールなしでも酔った雰囲気を醸し出して、サトルの部屋に緊急避難することになった。その後、サトルはさすがに眠いと言って部屋に帰って寝ていた。 

「上意下達も、あの代で仕舞になるだろうな」
 聖人(まさと)さんの一言に、俺は深く頷いた。
「俺としては、そう願ってる」
 数馬は別の視点から上意下達を見ていた。
「僕は魔法科と魔法技術科の間に垣根が無くなることを切に願うね」
 
 逍遥(しょうよう)が俺の腕を突いてテーブルの方を指さす。
「さて、僕たちは食堂の片付けでもしますか、ねえ、海斗」
「主賓が片付けすんのもありじゃね」
「今年の金メダリストは行いも真面目だ」
「君が同じ立場になってもしただろ」
「まあね」

最終章  第4幕

始業式が明日に迫った。
 2年の制服を手にした俺は、早朝から機嫌の悪い顔をしている。
 亜里沙と(とおる)を離話で呼び出しているのに返事がないからだ。
 軍務で忙しいのはわかる。
 でも、俺の用はここ1年で一番と言ってもいいほど重要だ。ましてや今は朝の5時。
 朝から軍務なんて、ブラック以外の何物でもないっ!
 
 隣の部屋では、制服を見ながら考え込む聖人(まさと)さんがいた。
 サトルは、もう生徒会にこき使われているのか、姿が見えない。
 逍遥(しょうよう)も、聖人(まさと)さん同様にふさぎ込んでいた。

 おい、2人とも朝からそんな暗い顔してどうした。
「君と同じだよ」
「似たようなもんだな」

 おいこらっ、俺と同じような話が転がってるわけあるまいっ!
 亜里沙、(とおる)、どっちでもいいから早く来てくれ。

「おはよ、何よ、こんな朝っぱらから呼び出して」
 ようやく亜里沙の声が部屋に中に響く。
「今何時だ」
「6時」
「俺が連絡したの何時だ」
「5時」
「遅ーい」
「仕方ないでしょ、3勤シフト組んでるんだから。上がりが6時なの」
(とおる)は?」
「あっちもそろそろ来れるわ」
「そう」
 
「何?(とおる)が揃わないと言えないの?」
「まあ、そう考えてる」
「てなわけで、(とおる)―、急いでくれる?」
 亜里沙が言葉に出した10秒ほどあと、(とおる)が姿を見せた。
「おはよう、海斗。またこんな時間からどういったご用向きで」

「俺、お前らの出した選択肢に乗ろうと思うんだ」

 亜里沙も(とおる)も、何のことかわからないようだった。
「選択肢なんてあったっけ」
 でも(とおる)の目が泳いでる、気付いたな。
「いや、まさか、あの・・・2択・・・」

 亜里沙の目と(とおる)の目、どちらも瞳孔が開いてきた。
「なんでよ、もうスパイ疑惑は晴れたじゃない」
「そうだよ、君がこの世界で生きることを許さない人間はいない」

 俺はにこやかに、そして晴やかな顔で2人を見つめ、切りだした。
「ここに来て、色んなことを勉強した。魔法もそうだけど、人間としてどう生きるべきかを身をもって知った。孤独だと思ったこともあるけど、孤独だからこそ、見えるモノもたくさんあったし、何より、ホントは孤独じゃなかった。みんなが俺を助けてくれて俺は新人戦優勝までたどり着けたと思う」

 亜里沙が食い下がってくる。
「何が気に入らないの?宗像(むなかた)少将?あの人はもうすぐ退官するわ。言われたことは悔しかったかもしれないけど、忘れていいのよ」
「亜里沙、それは違うよ。彼の言ったことはスパイ疑惑を除いて本当のことだった。俺にはまだ優勝する力なんてなかった。皆が俺を助けてくれたからこそ、あの優勝はあったんだ」
「本気?どうしても戻るの?」
「みんなが助けてくれる間に戻りたいと思う。これがこっちの世界でもまるっきり1人になったら、俺、泣くわ」
 滅多に涙を見せない(とおる)が、顔を背けて涕泣どころか号泣している。
 俺は本当にいい友人を持った。
 こんな時に、こうして泣いてくれる。
 リアル世界では、もうこんなことはないだろう。

「それがわかってんのに、どうして戻るのよ」
 俺の心を読んだ亜里沙が半ば怒っているような顔を見せる。まだ目は三角になってない。
「三角にしたいくらいよ。意味がわかんない」
「親だよ」
「親?」
「こっちの世界に来て思ったんだ。大切な親を亡くしたり、親から悪意を持たれたり、親と会いたいときに直ぐ会えないシチュエーションを見ただろう。俺、親に甘えるばかりで親孝行もしてこなかった。親を大切にする気持ちが少しも無かった」
「あたしだってあんたんとこの親は知ってる。あんな親のためにこの世界で約束された、嘱望された未来を投げ出すっていうの?」
「あんな親だけど、親にはかわりないから」
「一度帰ったら、もう二度とこっちには来られないかもしれない。わかってる?今はまだその親孝行っていう感情に浸ってるだけよ、リアル世界に戻ったら絶対に後悔するわ」
「うん、後悔するだろうな」
「それがわかってんのにどうして・・・」
 亜里沙も泣きそうになっていて、言葉が出てこない様子で。(とおる)はもう、目を真っ赤にして泣き腫らしていて、何も話せる状態では無いようだった。

 そこに聖人(まさと)さんと逍遥(しょうよう)、数馬が連れだってやって来た。
「難しい問題だな」
 聖人(まさと)さんははっきりとは言わないけど、親との関係修復が為せるのであれば、リアル世界に帰るべきだと思っているようだった。
 自分があのような育ち方をして愛情の不平等を知っているから、なおさらそう考えたのだろう。

 それは数馬も同じで、自分のように親がいない状態ならまだしも、リアル世界には俺を待ってる親がいるなら帰るのも一つの考えだと、そう思っている。

 逍遥(しょうよう)は何も心に思い浮かべなかった。
 だから読心術を使えなかったのだが、逍遥(しょうよう)の家では父母の諍いが絶えず、小さな頃は虐待を受けたため施設で暮らすことが多かった。その流れで今は寮にいるが、働ける年になったら働いて家や施設での生活から抜け出たい、それが逍遥(しょうよう)の本音だったようだ。
遠隔透視が発動してしまい、誰にも知られたくなかった過去が明らかになってしまった。
 ごめん、逍遥(しょうよう)

 ただ、3人とも俺の魔法力だけは認めてくれた。
 もし、こちらに残って鍛練すれば、物凄い魔法師になるだろう、自分たちを軽く超える存在になるだろうと予想していた。

 みんな、ありがとう。
 みんながいたから俺は辛い時でも寂しい時でもこの世界で生きてこれた。
 向こうに帰っても、皆のことは忘れない。
 そこに亜里沙が茶々をいれる。
「無理よ、ここから出た瞬間にみんな忘れるようにインプットされるから」
「じゃあ、たまに挨拶に来るのも無理か」
「こっちの生活を思い出さない限り、渡る方法がない限りこっちの世界にはこれない」
「えー、そうなの?」
「だからこっちに残りなさいって」

 聖人(まさと)さんは紅薔薇2年の制服を持っていたが、ビニール袋に丁寧に入れて紙袋に仕舞った。
「俺さ、高校辞めて教師になろうと思ってる」
 驚いたのは俺だけだった。驚くだろ、こっちの方が。
「え?なんでまた、急に」
「ずっと考えてたんだ、2年になったら魔法大会出るだろ?優勝かっさらうのいつも俺じゃない。羨望の眼差しどころか嫉妬されるよなあ、って」
「そりゃそうだけど。署名活動までして退学処分からやっと1年になったからねえ」
「それを考えるとなあ、退学届出しづらくて」

「僕ももう1回休学しようと思ってる」
 数馬。
 そう言えば、俺のサポートするために戻ってきたんだっけ。
 俺がいなくなったらサポートするべき人間もいなくなるし。
「それもある。アメリカの研究施設で魔法工学に基づいたデバイスの研究をしていてね、お呼びがかかりそうなんだ」
「そりゃすげえ」

逍遥(しょうよう)も、学校の制服を畳んでいた。
「僕は君に還元するべく動いてたつもりだったけど、まだ半分も還元してない。それに僕自身が知らない魔法があることを今回の併合戦争で知ったんだ。魔法部隊に戻って訓練しようかどうか迷ってる」
「俺がリアル世界帰ったら、もう全てが宙に浮くな、ごめん、逍遥(しょうよう)
「気にすることはない。君と別れるとは限らないからね」

 サトルのことは気になっていたが、譲司と言う気の合った生徒を見つけ、生徒会と言うやりがいのある仕事を任されている。
 色々あったが、今が一番楽しい時だろう。

 亜里沙と(とおる)は魔法部隊に帰るし、もう、紅薔薇1年は未来に向け歩き出している人が多いなと、素直に俺は喜んだ。
 亜里沙だけが、未だに俺を引き留めようとしている。

「亜里沙、皆いなくなるのに、俺だけ残ってどうするよ。そんならリアル世界も同じことじゃねーか」

俺に向かっては何も言わず、涙声で(とおる)と話していた亜里沙だったが、ここに来て、思いは固まったようだった。
「選択肢の1と2、どっちにするの」
「過去に遡るのは俺の人生を変えるから止める。現在進行形の日に戻って構わない」
「わかった」
「明日の始業式には出ないから、なるべくなら明日の朝、事を完結させてくれないか」
「わかった」

 その日の夕食は、6人で数馬の知り合いが経営する居酒屋で酒を飲んだ。見た目はボロいが、酒のアテはとっても美味しかった。
 苦いけど、ビールは美味い。カクテルを爆飲みしようとしたら周囲が止める。
 暴れようとする俺に身体が動かなくなる魔法をかけて、皆が好き好きに魔法談義に花を咲かせた。
 ホームズ、ごめんな。
 未来予知の継承者にはなれなかったよ、俺。
 リアル世界に帰れば魔法も使えなくなるし、ホームズとの約束を破ることだけが気がかりだった。

 
 翌日、朝の5時。
 俺は起きて外出用ジャージとお気に入りの靴を履いて亜里沙と待ち合わせた紅薔薇の中庭に急いだ。
「ごめん、遅くなって」
「いいのよ、海斗。あんたにガーガー言うのもこれが最後ですもの」
俺は亜里沙にガーガー聞けないのは寂しいな、と漏らすと、亜里沙の目に涙が浮かぶ。
「いい、今からあなたに魔法をかける。気が付いたらリアル世界にいるはずだから。もう、こちらの世界のことは忘れてる」
「それでいい」
「じゃ、行くわよ」
 亜里沙と、一緒に来てた(とおる)が、北側と南側から何かつぶやきながら立ったままの俺に両側から右手を翳した。
  
 俺は、次第にフラフラしだして、ついには眠るようにがっくりと膝を落した。


◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 なんか寒気がする。
 なんでだ?
 ふっと目を開けると、そこは河原の真ん中で俺はジャージ姿で大の字になって寝ていたのだった。
 なんで俺、こんなとこで寝てんだろう。

 遊歩道まで上がり、どの辺にいるのか目を凝らす。
 ああ、家から然程遠くない場所だ。走れば15分くらい。
 良し。走って帰るか。姿勢を整えた、その時だった。
 川の方から何か聴こえる。

 なんだろうと、川縁まで行ってみると、段ボールに入れられた白黒のハチワレ子猫が鳴いていた。
 捨てられたのだろう。可哀想に。
 なんつっても、首輪が付いてる。鈴ではないが、ペンダントトップに、猫のヒゲらしきものと爪が入ってる。なんだろう、珍しい首輪。
 母さんは動物嫌いだけど、人慣れさせて里親探すだけなら文句も最小限で済むだろう。
 俺はやっとの思いでダンボールを手繰り寄せると、そのまま抱えて家路を急いだ。

 河原で起きてから20分ほどで家に着いた。
 玄関はいつも空けてある。
 なに・・・開かない。何度押しても引いても、開かない。どっかに長期で旅行にでも行ったか?
いや、あの人たちが旅行に行くわけもない。
 でもおかしい、2台あるはずの車が2台とも無い。やっぱり旅行か。
いや、絶対に母さんは仕事で父さんは接待ゴルフだ。
今何時だろう。上衣の中に手を突っ込むとスマホが出てきた。
 夕方5時半。今までならその時間帯までは帰ってきてたはずなのに。
 俺は玄関に座り込みダンボールに中に手を入れて、子猫とじゃれて遊んでいた。

 それから30分程、俺は玄関前で待っていた。
 段々腹は減ってくるし、猫にも何か食べさせないといけないし。
 少々腹が立って不機嫌になった俺。まったく、いつまで何やってんだ。

 夕方6時を回る頃、まず母さんの車が車庫に入るのを見かけた。
 あー、これでやっと飯にありつける。
 続けて父さんの車も車庫に入ってきた。
 少し元気が無いように、2人とも下を向いて父さんが母さんの肩を叩いている。
「2人とも、何してたんだよ。30分も待った」
 その時の父さんと母さんの顔、まるで幽霊でも見たかのような驚きように、俺の方がびっくりする。
「海斗、海斗なの?」
「いつ戻ったんだ?」
 何言ってんの、2人とも。
「5時半に戻ったら家閉まってるし。入れなくてずっとここにいた」
「そのダンボールは、何?」
「猫。捨てられてたんだ」
 父さんが何か言おうとする母さんを押さえ付けている。
「とにかく、中に入ろう」
 俺は2人に押されて家の中に入った。
「怪我はないか?」
 父さんが変なことを聞くけど、別にあの河原にいただけだし。
「怪我してるわけないじゃん。腹減った。なんかちょうだい」
 母さんが半べそかきながら寿司屋に電話していた。
 え。普段は何度言っても聞いてくれたかったのに、今日は寿司食えるの?ラッキー。
 忙しくて作る暇もないのかな、母さん、土日も仕事行くからなあ。
「猫に刺身とか上げてもいい?」
「良いわよ、赤身のところを切ってあげるから」
「牛乳飲ませてもいいかな」
 父さんが首を振る。
「猫には猫用ミルクがあるだろう。人間用のミルクじゃ猫には害になる」
「ねえ、この猫なんだけどさ。うちで人慣れとかトイレトレーニングすれば里親探せるよ。一旦家で面倒見ちゃダメ?」
「昼間にみないなくなるから、どうしようかしらね」
「俺の部屋に入れておくよ。トイレとご飯も」
 父さんが腰を上げた。
「近くのペットショップで猫トイレと猫餌を買ってこよう」
「俺も行く」
「お前は疲れてるだろうから、家にいなさい」

 ・・・疲れてないよ。
 なんで急に俺の心配してんの?
 てか、さっき灯りの下で見て思ったわ。自分たちの方がやつれてない?父さんも母さんも、いつの間にそんなに痩せたのさ?

 母さんが台所で泣いてる。
 なんだなんだ?
父さんと派手にやりあった?
いや、いつもの母さんなら、そのはけ口を俺にして、ダメダメダメのオンパレードで喧嘩になるはずなのに、今日は何も言ってこない。
 猫飼いたいって何度言ってもダメダメ星人だった母さんが、寿司の刺身を猫にあげることにOKするなんて、今までじゃ到底考えられないことだ。
「母さん、どうしたの」
 母さんは涙を拭いたけど、俺の方は向かずに“なんでもない”そう答えた。
 いや、これ、絶対になんかある。

 30分ほどで父さんが帰ってきて、猫用のトイレ、ご飯、爪とぎ、キャットタワーまで買って来てくれた。
 うわー、これだけでもかなりな出費。いつもケチな父さんなのに。

 そのうちにお寿司屋さんが来て、俺は2人前をぺろりと平らげた。
「そのお寿司屋さん、覚えてる?」
「もちろん、俺が何回言っても頼んでくれなかったのに。今日はご馳走どころの騒ぎじゃないよ」
 母さんが嬉しそうな顔してまた泣き出した。
「海斗、やっと帰ってきてくれたのね」
 は?どゆこと?
 俺は父さんを見る。こういう時の母さんは的を得た発言をしないことが多い。父さんの方がわかりやすく丁寧な説明をしてくれる。
「どういうこと?父さん」
 父さんも口が重いようで、直ぐにその答えをもらえず、俺はちょっと苛立った。
「お前はな、海斗、1年近く行方不明になってたんだ」

 え・・・?
 行方不明?俺が?

「どうしてなのか理由がわからないまま、1年間探し続けた。1度、半年くらい前にお前とそっくりの男の子を見つけたが、人違いだと言われその子は消えてしまった。その後もずっと探していたんだ」
「俺、家出したの?1年間も?家出の記憶なんて、全くないよ」
「記憶喪失になったんだろう。半年前のあの子もたぶんお前だったんだと思う。あの時引き留めておけば・・・」
「俺ここに来たの半年ぶりって?そんなわけないじゃん、半年もどうやって暮らすのさ」
「浅葱色の制服みたいな小ざっぱりとした服装だった。どこかで保護されていたんだろう」
「記憶喪失説ってあんまり現実的じゃないよね。今日はジャージのまま河原で寝てたよ」
「この家に住んでた時の記憶が戻って、保護施設から抜け出してきたのかもしれない。ここ1年間のこと、本当に覚えてないのか?」

 俺はうーん、と考えてみるが、何も思い出せない。

 ところで、今日は何月何日だ?
 リビングのカレンダーを探す。
 目につきやすいところに2019年全月が載った大きなカレンダーがぶら下がってた。
 4月5日の日まで、ずっと×印が書き込まれている。
 すると、今日は2019年4月6日だ。
何も覚えてないけど、学校に行きたくない感情だけは頭の隅にぐるぐる渦巻いてる。

「明日から学校か・・・」
「学校に行かなくなったことも覚えてないのか」
「それはなんとなく覚えてる」
「そうか。そのことで父さんと母さんが二人でお前を責めてから、お前はいなくなってしまった」
「行かなくなった直接の原因は俺も忘れたけど、あの学校、中等部から上がってきた生徒と高等部から入った生徒が睨みあっててさ、おまけに中等部からの入学組だと思うんだけど、マウンティングするんだ」
「マウンティング?」
「例えば父親の職業、年収、住んでる場所、とかかな。優劣つけて下の子はパシリみたいに下働きすんの」
「高校生でか?」
「高校にもなれば親の金目のことなんて判るからね。今じゃ小学生でもそうでしょ」
 父さんが俺の目を真っ直ぐ見て、何度も頷く。
「そういう理由もあったのかもしれないな」
「俺、入学したの2018だよね、じゃあこの1年間どうしたの」
「休学した。これから泉沢学院に行くなら、1学年下の子と一緒に通うことになる」
「そうなんだ・・・」
 母さんが珍しく口を挟んでくる。
「海斗、1年遅れても2年遅れても同じこと。嘉桜高校受験し直してもいいのよ」
「それでなければ、どこかのフリースクールに通って高等学校卒業程度認定試験を受けて、大学入学に備えることもできるぞ。今は色んな選択肢があるからな」
 父さんの口から“高等学校卒業程度認定試験”なるワードが出てくるとは思いもしなかった。
 俺、この1年の総決算と言うか、色んなこと一斉に決めなくちゃいけないんだ・・・。
「少し考えさせて」

 夕飯を食べ終わり、猫用のトイレや猫タワーを設置しようと父さんと一緒に2階の自分の部屋に行くと、ドアがまるで壊されでもしたかのようにバキバキに折られ、修理してあった。
もしかして俺が暴れてこんなことしたんだろうか。

 聞くこともできず、中に入る。
 普通の部屋。
 机にベッド、小さ目のクローゼット。
 誰かが暴れた形跡は見受けられない。
 外のあれは何だったんだろう。
 クローゼットを開けると、嘉桜高校の制服が用意してあった。2年遅れか。
 俺的にはパソコン部があれば気にしない。

今までパソコンはおろかスマホだって使えなかったからなー。
 ?
 なんで、今どきスマホが使えなかった?

頭の中で何か思い出そうとするのだが、何かに反射してこちらには見えてこない。反射、反射、鏡、反射。無理だ。全然思い出せない。

「ほら、できたぞ」
 父さんがトイレに猫砂を入れ猫タワーができあがり、ご飯と水も準備した。
 ダンボールの中に閉じ込めておいた子猫を出すと、一番最初にご飯にありつき、俺が傍らで様子を見ようとすると、「フーッ」と威嚇する。今まで食べるのに苦労したんだろうか。心なしか痩せてるし。
「大丈夫だよ、もうお前はご飯に苦労しなくて済むから」
父さんが部屋を出て俺はベッドに座り、猫の様子をじっと見ていた。
名前つけなくちゃ。

・・・ホームズ・・・。

瞬間的に浮かんだ名前。
どこかで聞いたことがある名前なのに、思い出せない。シャーロック・ホームズの本を読んでたこともあるから、それで思いついたのかな。
「よし、これからお前はホームズだ、いいな?」
 子猫が「ニャーン」と鳴く。気に言ったのかな。
その晩はホームズの鳴き声をBGMにして、俺はベッドに入りぐっすりと寝た。

翌朝、俺は5時に目覚めた。
ジョギング行かなくちゃ。

・・・あれ、今まで朝に走ったことなんてないのに。

でも、身体がそれを望んでるような気がして、俺はジャージに着替えると1階に降りた。
母さんが起きて、昼の弁当やら朝の支度をしている。
こんなに朝早くに起きて毎日毎日、やってたのか。そして7時には家を出てたんだ。
俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになり、母さんに声を掛けた。
「母さん、俺の昼飯は自分でなんとかするから。それ、俺の弁当だろ」
 はっとして母さんが振り向いた。
「どうしたの、こんな朝早くに起きて」
「河原辺りまで走ってこようかなと思ってさ」
「ダメ!またいなくなったらどうするの」
「いなくなるわけないじゃん」
「とにかく、しばらくは身体休めてちょうだい。今日はお父さんが病院に連れていってくれるから」
「平日に休めるの、父さん」
「お休みいただいたのよ」

 真面目な話、父さんが俺“ごとき”のことで会社休むなんて、今まで15年間生きてきて一回もなかったと記憶してる。
 少なくとも、物心ついてから父さんと一緒に病院に行ったことはない。
 
 その日、父さんはいつもゴルフに行くとき着る服を着て、ジョギングに行き損ねジャージ姿のままの俺を車に乗せ走りだした。
 着いた先は、大きな総合病院だった。
 まず、内科に行って身体が何ともないか調べてもらい、俺の身体が健康体そのものであることが証明された。1年間何をしていたのかわかんないけど、飢餓状態にはなってなかったということだ。
 次に、精神科に回り俺の記憶状態の根源を探すという。カウンセリングを行うために、心療内科を紹介され、俺は週に一度、カウンセリングに通うことになった。
ちょっと面倒に感じたが、医者とのやり取りを聞く限りでは、父さんはどうやら俺が新興宗教に入って洗脳されたのではないかと考えているようだった。
そんなこと無いさー、でも、それを証明するためにも俺はカウンセリングに行く必要がありそうだった。

 帰り道、俺は父さんに聞いてみた。
「俺が新興宗教に拉致されたって思ってんの?」
「可能性は高いと思う」
「じゃあ朝のジョギングはダメか。また拉致されっかもしんないし」
「父さんが一緒に走るか」
 俺は思わず吹き出した。
「ダメだよ、今度は父さんが倒れそうだ。俺、かなり早く走るから」
 
 ・・・ジョギング、したこともないのに自分が何で早く走るってわかるんだ?

 これには父さんも興味を示した。
「そういう運動をしていたんだろうな、この1年」

 それからは世間話程度の会話で、午後に家に戻った。2人分の弁当がリビングに用意してあり、俺と父さんはテレビを見ながらそれを食べた。
母さんは仕事。今日は始業式で明日から授業が始まるから忙しくなるだろう。
 父さんは午後から書斎でスカイプを使い、会社とやりとりしていた。やっぱり忙しいんだよな。悪かったな、病院ごときでつきあわせて。

 俺はと言えば、何もすることが無く、2階でテレビを見ながらホームズと遊んでいた。
 何もすることが無いわけじゃないんだよな。
 これからどうするか決めないと。

 まず、泉沢学院ルート。
 これはたぶん、通い出してもまた休学する恐れあり。1人が嫌なわけじゃないけど、あそこは貧富の差が激しいっていうか、何となく馴染めない。
 俺がマウンティングに巻き込まれることはないだろうが。
高校生くらいだと、同学年でも1歳上だったりすると皆が恐れおののくのは確かだから。
馴染めないのがわかってるんだから、早々に退学するのが良いと思う。

 次に、嘉桜高校ルート。
 これは、今年度の入試を経て入学するから周りよりも2歳年上と言うことになる。
 嘉桜高校なら俺の偏差値からして在宅で勉強しても受かると思うが、何せ受験は現役生の方が断然有利だ。そうなると、家庭教師かマンツーマンで教えてくれる塾に通う必要がある。月に3~5万ほどの出費になりそうだ。
やはり、2歳下の中学生と机を並べるのに違和感がないと言ったら嘘になる。
 でも、今度どこかに入学することがあったら、孤独に負けない気持ちは持ち合わせてる。
 

 次に、高等学校卒業程度認定試験ルート。
 これは自分でガイドブック買って過去問解けば、簡単に合格できるだろう。年に2回試験があるみたいだからそこで合格できるよう調整すればいい。
 ただ、人の輪に入ってみたいとなれば話は別だ。
 フリースクールに通って、皆と一緒に授業を受けたり何かしたり。高校生活と変わらない。
 高校生活と変わらない割には、履歴書の最終学歴は中学卒業かな。それとも高校中退?どちらにせよ、金も年間100万~150万要ると聞く。


 それなら話は早い。
 一番俺に合ってるのは、嘉桜高校だと思う。
 入学したらパソコン部に入ればいい。スマホで調べたら嘉桜高校には今もパソコン部があった。合格したら、お祝いに家に置くパソコンを買ってもらおうかな。
 
 俺はもう、別に人とベタベタ仲良くして密な高校生活を送りたいわけじゃない。
 向こうでもそうだったし。

 ・・・向こう?
 向こうって、どこだ?

 俺、ちょっと混乱してる。どこか他のところにいたのは確かかもしれない。新興宗教と父さんが言ったのも、強ち間違いではないのか。

 ふっ、と頭が揺れる。
 目眩?
 いや、そんな感覚ではない。
 ベッドの下に何かある、本?
 その不思議な感覚はすぐに収まった。

 俺はスマホの電灯機能を使って、ベッドの下を見た。
 やはり、本のようなものがある。

 一旦顔を上げ部屋の中を見まわすと、ちょうどよく孫の手があった。孫の手を使って、必死に本を手繰り寄せた。

『異世界にて、我、最強を目指す。』
 ああ、あの学園モノ。
 少し読んで止めたけど、どうせ暇だし外に出ると親がうるさいし。
 また読み返してみるか。

 俺はベッドに寝転がってページを捲った。

 ん?
 んん?
 1人の男子高校生が今の世界から異世界に転移し、魔法の練習を重ね色んな事件に巻き込まれながらも最後にはビッグタイトルで優勝する青春学園モノ。

 その主人公は、なんと俺そのものだった。
 
 こんなことって、そうだよ、俺が感情移入し過ぎただけで、そんなこと実際にあるわけない。
 なあ、ホームズ。

 ホームズ・・・そうだ、寮で飼っていた猫の名はホームズ。
 最後の最後で亡くなり、髭と爪を切ってお守り代わりにペンダントトップに入れた・・・。

 俺はカーテンを引っ掻いて遊んでいるホームズを抱き上げ、首輪を見た。
 ペンダントトップに、髭と爪が入れてある・・・。
 偶然にしちゃ、偶然すぎないか?

 「ニャンニャン」
 ホームズが降ろせと鳴いているので、俺は床にホームズを降ろした。
 そこで見たモノは・・・。

 黄色系の瞳のはずのホームズが、オッドアイに変化したのだった。
「ニャニャーン」
 お前、ホントにホームズなのか。


生まれ変わっても俺のところに来いよ、ってあの約束、お前は忘れてなかったんだな。忘れてたのが俺だなんて、恥ずかしい話だよ、全く。
里親なんてとんでもない。俺はずっとお前と一緒にいるよ。


◇・・・・・・・・・・◇・・・・・・・・・・◇

 俺は本を読み進め、全てを思い出した。
 亜里沙や(とおる)の存在。今の世界では二人はいないことになってる。
 そして、逍遥(しょうよう)を初めとした1年の友人、沢渡会長を初めとした上意下達の先輩方、一番に近くにいて欲しかったのに願いが叶わなかった聖人(まさと)さん、俺をビッグタイトル優勝に導いてくれたアイドル顔の数馬。
 おっかなびっくりだった全日本魔法大会、ずっこけたGリーグ、薔薇6、GPS~GPF、世界選手権や新人戦。
 紅薔薇の生徒会がいつもいつも仕切らされ、俺はたびたび手伝った。

 この1年、本当に俺、頑張ってたんだな。
 だから今朝もジョギングに行きそうになったんだ。いつも数馬と一緒に走ったから、運動神経マイナスのこの俺でも、早く走れたんだ。

 時に笑い、ときに涙ぐみながら、俺は何回も本を読み続けた。

 そんとき、父さんが俺の部屋をノックした。俺は思わず本をベッドの中に隠す。
「何?」
「自分の進路、決めたか」
「入って、それから話すよ」
 父さんは部屋に入ってきて、ホームズを抱っこする。
「で、どうする」
「泉沢学院は退学して、嘉桜高校を受験しなおそうと思う。塾の費用とか、申し訳ないけど出してもらえれば・・・」
「泉沢に行っても月5万以上かかるから、トントンだ。心配するな。みんなより2歳上でも構わないのか。もしかしたら孤立するかもしれない」
「1人で暮らすことには慣れてるよ」
「慣れてる?」
「いや、その、ほら、小さな頃からほとんど1人だし」
「そうだったのか、気付いてやれなくて済まなかった」

 父さんに異世界の話をしても通じるわけない。
 だから、異世界のことは俺の胸の中だけにしまっておこう。
 
 
 次の週から、俺は塾に通うことになった。
 家庭教師を付けた方がいいのでは、という母さんの心配はあったんだが、家の中に閉じこもってばかりでは高校生活を乗り切るのに大変ではないかという俺の意見に父さんが賛同しOKを出してくれた。
朝のジョギングもOKが出た。体力をつける、と言う意味合いもあってのことだ。
 俺は毎朝3キロ~4キロくらい走って、昼は自炊することにした。簡単におにぎりとか昨夜の残り物を食べる生活だけど、母さんの負担は明らかに違ったと思う。

 健康的な生活をしながら、塾でマンツーマンの指導を受ける日々。
 勉強は得意だから辛いことは無かったけど、時折、向こうの世界を思い出す。


 みんな今頃なにやってるかな。
 4,5月は何も大会が無いから生徒会は年で一番暇な時かもしれない。
 サトル、譲司、南園さん、鷹司さん、生徒会を盛り上げて頑張ってほしい。
 沢渡元会長は大学生かあ。あの勇姿が見られなくなるのは寂しいと思ってる人も多いだろうな。でも、大学で勉強したことを生かして卒業後は魔法部隊に入隊するのかもしれない。
 沢渡元会長の魔法はあの年代では天下一と言っても過言ではないから。
 亜里沙と(とおる)は退学して、ようやく俺のお目付け役を免除されてせいせいしているかもしれない。(とおる)はまだしも、間違っても亜里沙が泣くことなどないだろう。

 聖人(まさと)さんは教師になったのかな。口は悪いけど優しい人だから、すぐ人気者になるだろう。

 逍遥(しょうよう)は辞めるとまでは言ってなかったけど、魔法部隊での訓練とか増やしたのかな。去年の亜里沙や(とおる)のように。

 数馬は元がああいう性格だから、学校生活に向いてない。企業からオファーきて、そっちで働いてる方が似合うな。本当は旅人が一番似合ってるんだけど、先だつモノがなけりゃ、旅もおちおちしてられやしない。

 俺、みんなのこと、絶対に忘れないから。


 また『異世界にて、我、最強を目指す。』の最後のページを捲ってみる。
 なんだ、また俺がこっちに戻ってきた次点までの出来事しか書いてない。
 そうか。全ては俺次第で、自分次第で変わっていく、ってことなんだろう。
 自分の可能性を否定しないように。
 自分が自分であるために。

 別に1人でも構わないけど、喧嘩しながら2人で生きるよりも、1人で生きるのは何倍も何倍も辛い思いをする、ってことがわかっただけだ。
 そうだよな、自分を貫くことだけが正義じゃない。
 父さんや母さんに対しても、突っぱねることだけが正義じゃない。
 俺という個を理解してもらうべきなんだ。

 でも、俺はもう1人じゃない。
 ホームズが一緒にいてくれるから。


 亜里沙、(とおる)
 俺の我儘を聞いてくれてありがとう。
 せっかく13年もの間こんな俺と一緒にいてくれたのに、約束を反故にするような真似して済まなかった。
 俺はもうそっちの世界に行くことはないだろうけど、お前たちのことは忘れない。


 俺、嘉桜高校受験することに決めた。
 塾とか通って現役生との穴埋めるわ。
 こっちの世界でも最強目指すよ。


 みんな、元気で。
 本当に、本当にありがとう。

異世界にて、我、最強を目指す。最終章編

異世界にて、我、最強を目指す。最終章編

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-02-22

Copyrighted
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  1. 最終章  第1幕
  2. 最終章  第2幕
  3. 最終章  第3幕
  4. 最終章  第4幕