親たち
幻想系掌編小説です。縦書きでお読みください。
朝
少年は七つくらいだろう。頭髪を前に垂らし、少し長めにしている。前髪が揺れると片目が隠れてしまうことがある。彼は家の庭に面したベランダに腰掛け、ヒイラギの葉を指の間にはさんで、息を吹きかけ、風車のようにくるくると回している。夢中になっているので、ヒイラギの葉のとげが自分の指に食い込み血がにじみ出ているのさえ気がつかない。
少年の母の声が台所から聞こえてくる。父親と話をしているのだろう。いつもより声が高い。母親は三十歳、父親は三十五歳になる。
「あなた、今日こそお願いしますね」
「うん」父親の自信無げな声が聞こえる。
「これで三日目よ、ビフテキや生卵ばっかり食べているんだから」
「うん」
「だいぶ調子が悪いのね、今まで、三日も空けるなんてことなかったでしょう、勘がにぶったのね、鼻が悪くなったのじゃない」
「ん、そうじゃないんだ、少し疲れているんだ」
「そうね、排気ガスが多いところの仕事ですものね」
母親は少し眼を伏せたが、急に目を光らせて父親に言い切った。
「でも、子どものためよ」
「うん」
紺のスーツに白っぽい粋なネクタイを締め、父親は玄関に向かう。靴を履き終えると、母親は大きな茶色の革鞄を渡した。父親がボソッと言う。「新しいのこぎりが欲しいな、だいぶ疲れるよ」母親はそれに答えず、庭にいるはずの少年に向かって声をかけた。
「お父さんがお出かけですよ」
少年はベランダから中に入り、居間を通って玄関に顔を出した。細く長い足が半ズボンから、まるで棒のように突き出ている。
少年は玄関の柱にもたれかかると、もっていたヒイラギの葉を回し始めた。父親がわざとらしい笑顔をつくって少年に声をかけた。
「今日は美味しいものをもってくるよ」
少年は大きな目を一杯に開けて、半ば期待と半ばあきらめの気持をもって父親を見た。父親はそのまま出ていった。
「さー、私たちもご飯にしましょう」
母親は少年を連れて行き、テーブルの前に腰掛けさせた。少年は皿の上のものを見てまたかと言う顔をした。
「冷めちゃったわね、ちょっと暖めましょう」
母親は厚いステーキを皿ごと電子レンジの中に放り込んだ。二分ほどの後、じゅうじゅう暴れまわるビフテキにバターをたっぷり塗って少年の前に置いた。
少年はナイフとホークをとると、痩せたからだからは想像できないほどにふっくらした丸い顔にぽちょっとついている口の中にステーキを押し込んだ。母親はほっとしたらしく、自分のステーキにナイフを入れた。
「お父さんは立派な人なんですよ、同じ職業の人でも、自分で食物を作ってしまう人もいるんですよ、でも、あなたのお父さんは、社会に迷惑がかからないように、不必要になったものを取ってくるのですからね、たまにはと思うこともあるけど、これでいいのね、だから、しばらくがまんしてね」
少年は大きな目を輝かせて、こくんとうなずいた。
「どう、大きくなったらお父さんのようになりたくない?」
少年はまたこくんとうなずいた。
「お父さんはずい分勉強したのですよ、温度、雲の割合、日の光の強さ、風、太陽の黒点の状態、過去のデーター、いろいろなものを頭の中にしまいこんであるのですよ、それを使って、お仕事にでかけるのです」
少年は食べ終わり、皿の上にナイフとホークを置いた。ミルクに玉子を混ぜ、呑むと、また庭に出た。
珍しく、モズノハヤニエが山吹の枝にぶらさがっていた。少年はしばらく見つめていると、にやにやと笑窪をよせた。
父親は家を出ると、バスに乗り、電車に乗り、地下鉄に乗った。目的地に着き、地下鉄の駅を出た。外は眩しいほど明るかった。
舗道に面した店のショウインドウを覗き込みながら、しばらく歩くと、6という標識のある十字路で立ち止まった。電信柱に寄りかかると、ポケットからガムを取り出して、口に放り込んだ。タクシーが黒い燃焼の悪いガスを吐きかけて遠ざかっていく。彼は鼻の周りに皺をよせた。
彼は腕時計を見た。呟きが聞こえてきた。
「十二時か、あと一時間だろう、今日は絶対に大丈夫だ」
通りにはひっきりなしに車が流れていく。信号で止まると、静けさが彼の回りを包みこむが、青になると、すぐに轟音が巻き起こる。彼は時々時計を見る。本人は意識しているかどうか分からないが、十分おきに腕時計を見ている。
また時計を見た。その時七十ほどの老人が自転車に乗って、彼に向かって走って来た。信号を気にした時、道の脇に吹き寄せられた砂に乗り上げ、自転車がスリップした。後から赤いワゴンが走って来た。それを見ていた少年の父親は、あわてて自転車を受け止めた。老人は助かった。ワゴンの運転手は老人に罵声をあびせて走っていった。老人は少年の父に深々とおじぎをし、礼を言うと去っていった。
一時は刻々と迫ってくる。一台のパトカーが一台の立派な車を先導して通り過ぎていく。
「さて、そろそろ時間だ」
少年の父はカバンのチャックを開けると、少し錆びの混じった片歯鋸とビニール袋を取り出した。
彼は時計を見て顔を上げた。一時、そこにはもうもうと煙をあげる一台の乗用車とタクシーがあった。赤く染まった硝子が飛び散り、乗用車は元の形をとどめていない。
少年の父はガムをくちゃくちゃ噛みながら、ぐにゃぐにゃの乗用車に近づき、運転席にいたらしい女の残骸を窓から引きずり出した。彼は鼻歌まじりに女の手と足と首を鋸で切り離し、ビニール袋にいれた。タクシーの男の乗客も同じように手足首をきりとり、ビニール袋にいれた。大きな革カバンは重たそうに膨らんだ。
ダイニングルームで父親が少年に話しかけていた。
「旨いかい」
少年は笑窪を寄せて、こくんとうなずいた。輪切りにしたもも肉をほおばっている。母親も嬉しそうに料理をしている
「今日は大ごちそうだわね」
「ああ、明日もだよ」
「そーそれは素敵ね、でも、これなかなか割れない」
母親は料理にてこずっている。
父親は見に行った。まな板の上には女と男の首が置いてあり、母親が一生懸命に叩いていた。
「よし、俺がやってやろう」
父親は一つの首をつかむと指で触っていき、一点を見つけると、包丁の柄でこつんと叩いた。頭の骨はぽかっと割れ、中から白い脳が顔をだした。
「あなた、巧いわね」
母親は感心して、父親がもう一つの頭を割るのを見ていた。
少年も後ろで見ていて、笑窪を寄せている。
あくる日、父親が出かけた後、少年に母親は言った。
「今日はお父さんの仕事を見に行きましょうね」
少年はこくんとうなずいた。
父親は十番街の角に立ってガムを噛んでいた。
「今日は確かだ、十二時には必ず起こる」
かがんで、カバンから道具を取り出した。
「もうすぐだ」
身を起こしながら時計を見た。
「十二時だ」
顔を上げると、道の反対側から黒い小さなものが飛び出すところだった。大型トラックが急ブレーキをかけた。小さな黒いものは撥ね飛ばされ、彼の目の前におちた。
少年だった。頭が割れ、脳みそは飛び出していた。彼は鋸を見てとまどった。母親が父親のそばに駆け寄った。父親は母親と目を合わせた。
母親はこくんとうなずいた。少年とよく似ているうなずき方だった。
父親はいつもの通り、手と足を切り離すとビニール袋に入れた。
親たち