怪異ノ空
ザァザァと風で揺れる草、生い茂る木々は真っ暗な夜の中でまるで唸っている様な、泣いているような、そんな不気味な音をたてていた。
額から血を流し、片腕と片足は上がらず、今にも息絶えそうなボロボロの少年。
その少年の見据える先に、1人。
影になり夜の暗闇で姿の見えない、しかし存在しているという点においては間違いなくそこに佇んでいる何者か。
生暖かい風が吹き彼らはこの夜に対峙していた。
「お前を殺して俺が勝つ。これでさよならだ」
姿の見えないそれは何も言わない。
ずっと昔に既に始まっていた彼とナニカの殺し合い。
今ようやく始まっていく。
校舎内(前編)
山奥の更に奥、人里離れた場所に寂れた学校がある。その学校に名はなく、薄気味悪い噂ばかりが飛び交っている。化け物の巣窟だとか幽霊学校だとか、子供の声がするだとか、子供の姿を見ただとか、そんなものばかりが噂として人々の間で囁かれていた。
そもそもいつ頃からある物なのかも分からないし、学校自体使われてすらない。
「これが噂の学校?」
中肉中背、あどけない顔の少年は探していた場所を発見し少しながらの達成感を感じていた。
噂に聞いた名無しの学校、外側は中々思っているよりも綺麗で廃校にしては中も何だか整理されている、というか小綺麗な感じだった。しかも奥側に続く渡り廊下?のようなものが見える。ここからでは手前側にある校舎が邪魔して上手く見えないがきっと奥にももう1つ校舎があるんだろう。
「誠一郎よぉ歩くのが早いって、少し待ってくれよ」
既に学校の中に入り中を見渡している少年に声をかけるもう1人の男の子。
「村田は遅すぎだよ、日が暮れる」
村田と誠一郎と呼びあっていた2人は出ると噂されているこの廃校にやって来ていた。
噂の真相を確かめるため、という物好きな2人は兎に角幽霊やら何やらに会ってみたいと本気で思うような少年たちだった。
しかし怖いものは怖いし何分山奥にあるのでこうして、日が出てるうちに廃校探索をしに来たのである。
「俺は向こう側見てくるから、村田はここら辺探索しててくれ」
そう言って直ぐに駆け出して行った。3階まである校舎に、後はさっき見た旧校舎だろうか、1本の渡り廊下で繋がった別の校舎がやはりあった。
「こっち側はやけに古臭いな。うわ、床も抜けてボロボロだ」
木造で出来た旧校舎の廊下は歩く度に床が軋んで、音がでる。まだまだ暗くなるような時間じゃないのに山々に囲われているせいで周りは既に薄暗い。
カタカタカタと窓の揺れる音がする。分かっていても恐怖心が勝ってしょうがない。
「やっぱり雰囲気あるなぁ。旧校舎ってだけでこうも変わるもんか。」
順々に教室を覗きながら、不気味な廊下を進んでいく。しかし、何も起きないと何だか慣れてきた。さっきまでの恐怖はどんどん薄らいでいき、いつの間にか平常心で歩き続けていた。
「結局何も無し、戻るか…」
旧校舎内をある程度探索し何も無い事に少しだけ不満を覚えながら、さて戻ろうと振り返った時だった。
後ろからギシッギシッと床を踏んだ音がした。
ピタっと足を止める。
最初は自分の足音とも思った。でも違う。後ろから、自分のいる位置よりももう何歩ほど後ろから、こっちに近づく足音。心臓が急にうるさくなる。嫌な汗が徐々に体を伝っていく。
後ろを振り向けない。走って逃げろ。そう考えるより先に体は動いていた。
床が抜けるかも、なんて気にしていられなかった。頭の中は逃げる事だけで手一杯になっていた。
長い廊下を抜けてちょうど旧校舎と新校舎を繋ぐ渡り廊下に差し掛かった。
「ここを右にっ…!!!」
しかし、そこには、既に、何かが居た。
咄嗟に避けようとしたが、情けなくも自分の足につまづいてそのまま曲がろうとした勢いで壁と思い切り衝突した。
「ったぁ!!!……くそ!」
すぐさま立ち上がり逃げる。
薄暗く、影になっていたそれが何か分からなかったし、分かろうとさえするのも拒んで足を動かし逃げようとする。
「おい、まて!大丈夫か」
突然男の声がした。は?と思ったが体を止めてよくよくその影を見ると、人だ、男の人間だ。自分よりも少し大きめの若い男、少なくとも妖怪や幽霊の類じゃない。
「急に現れて盛大にすっ転んだものだからどうしたものかと思ったが、なんだ割かし大丈夫そうだな。」
男は誠一郎の体を心配してくれているようだった。
しかしこんな所で男が1人というのも如何なものか、とても怪しい。
「直ぐに帰った方がいいぞ。ここは良くない。ゴロツキが縄張りにしてるだとか、噂があるからな。」
男はそれだけ言うと旧校舎の奥へと消えてしまった。
「何だったんだ…?」
それよりさっさとここから出てしまおう。あの男の言ってた通りだとしたら、もしかしたら後ろのあの足音もゴロツキのものだったのかもしれない。
どちらにせよ、さっさと出てしまった方が身のためだろう。村田を探して帰った方がいい。
校舎内をうろつきながら何処にいるか分からない友人を探し歩く。旧校舎と比べると明るいしまだ新しさの残るこの校舎はさほど怖くはなかった。
「おーい村田ーどこいったー」
校舎内にいるであろう友人を探しながら歩いていくが中々見つからない。結局入り口まで来てしまった。
「どこにいったんだ、あいつ…」
ガチャガチャっ!!いきなり後ろの扉のノブが回った。が、回っただけで扉は開かずガチャガチャとノブを回し続けているだけで開きはしなかった。
「んだよ、そこにいるのか。開かなくなったのか。今開けてやるから待っとけ。」
未だにガチャガチャと回り続けるドアノブを抑え、今から開けるからまてよ、と合図し思い切り扉を押す。
「おい、大丈夫か…。あ?」
そこに居たのは、変わり果てた友人であろう村田昇の姿があった。
校舎内(後編)
「今日はお化けトンネルを探索だ!」
「またそういう所に行くのかよーよく飽きないな」
小さかった頃からよく村田昇と探検をしていた。
あいつとは長い付きあいで、生まれも学校も同じだった。もしかすると1番付き合いの長い友人だったかもしれない。
押し退けたドアの先で倒れ込んでいたのはそんな友人のボロボロになった死体だった。
顔は半分ほど削られていて、腹には大きな穴が空いている。右肩から先の腕は無くなっている。
「村っ…!ぅおぇぇぇ!おぇぇっ…」
初めて見た死体に吐き気が収まらず何度も吐き出す。大きな穴の空いた腹には物凄い量の赤黒い血、ちらちらと見え隠れする内蔵。半分程削れて中身の見える顔。
「なんで……うぇっ…うぅ」
吐き気とショックで頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。
そんな涙で滲む視界の隅に何かが動いた気がした。それにつられて垂れていた顔をあげる。
いつの間に動いていたのか分からない。分からないが、いつの間にか死体だった物がゆっくりと動き出していた。不安定な足取りで、しかし、確実に起き上がろうとしている。
削れた顔に、大きな穴の空いた腹、そこからずるりと垂れ下がる臓物、右肩から先のない腕、そんな状態で起き上がろうとする、目の前で何が起きているかを理解しよとするが、最早そんな余裕は何処にもなかった。
頭の中は真っ白だ。どうしていいか分からない。逃げたくても尻もちを着いたまま腰が引けて後ずさる事ぐらいしか出来ない。
ずりっずりっと1歩ずつ近づくそれに死の気配を感じながら、抜けた腰を無理やり起こそうとするが、いつの間にか死体との距離はほとんど無くなって誠一郎は見下ろされていた。
駄目だ、無理だ、ゆっくりと大きく口が開いてゆく。顎の限界を超え自らの皮膚が裂け、その破片がボトボトと床に落ちていく。
眼前に広がる光景に、目をつむる。喰われるんだ、そう思った。
ひゅんっ!!
後ろから凄まじい勢いで何かが飛んできた。それは的確に大きく開いた顎を砕き顔面に突き刺さり死体諸共後ろの壁に飛ばされていった。飛んできたのは黒い装飾の鞘の様な物。
「まだいたのか、さっさと帰れと言ったろうに。」
そこに居たのは旧校舎で出会った男だった。
男はそのまま死体に近づいて行く。黒い鞘を突き刺さった死体から抜き、そこからするりと刃を取り出す。
「まって、待ってくれよ。何する気なんだ?」
「首を切って殺す」
男はそれだけ言うと倒れた死体の両足を切断した。次に両腕を切断し、残るは胴体とそれに繋がった首、頭のみになってしまった。あまりの手際の良さとその速さに呆然と見ていることしか出来なかった。
「ま、待ってくれよ!」
誠一郎は咄嗟に男の腕を抑える。
「まだ動いてたんだ!生きてるかも知れないだろ!」
「ついさっきまで喰われそうになってた奴の言うことか?それにこれで生きてると思うか?こんな状態でも、お前はコレが生きていると思うのか」
男はこちらを見向きもせず淡々と言葉を並べていく。手に持った刀を死体の首に当てる。
「これはもう人じゃない、人に仇なす怪異だ。せめてこいつの最後はお前が見届けてやれ」
「怪異…?何言ってるのかわかんねぇよ!まだ生きてるかも知れないって俺は…」
「くどいな、そもそももう人じゃないと言っているだろう殺さなきゃ人にとっての仇になる。それにさっきも言ったがもう死んでる」
「……ついさっきまでは動いてたじゃないか!だったら!」
「あれで動けている方が異常だろう。頭の半分削られて、腹には大穴が空いていて、それでも動いたから生きているなんて言えるのか?もう死んでるんだよアレは。ああなったらもう助からない。殺すしかない」
男は冷静にただそこにある事実だけを語っている。
「それともお前が首を切るか」
「……俺が?」
男の眼光が鋭くこちらを向く。ひりつくような視線から逃げるように目を背ける。
「殺せないならせめてそこで見ていろ。」
男は刀を首にあて一瞬で死体の首を切り落とした。刃が綺麗に首を捉えて、そのまま頭がぼとりと床に落ちる。首と頭が離れた瞬間、死体は徐々にボロボロと崩れていった。
「……塵に、なった…」
そのまま跡形もなく塵になって消えてしまった。
呆然と、ただ呆然としている。友達の死がこんなにも間近で奇妙奇天烈で、突然で、涙も感情も現実味が無さすぎてちっとも感じない。
「お前はさっさと帰った方がいい。」
男の声ではっと我に返る。そうだ、家に、家に帰って伝えないと、謝らないと。自分がやってしまったことを自分の友達が自分のせいで死んでしまった事を知らせなければ。
必死に考える、ぼやける頭で、なんと伝えようか。フラフラと立ち上がり、足を動かし手を動かしてよろよろと走り出す。未だに心臓はバクバクと音を立てて息苦しい。それでもただただ走っていく。
「現実は残酷だ」
もう随分走った。木々が生い茂る山道を抜けて、平坦な野を超えて、ぽつんとある町に着いた頃にはすっかり夜になっていた。
「世界は悪意で満ちている」
男の独り言は少年の耳には届くはずはなく、男もまた少年と同じ町に足を運んでいた。
何でだろう、胸がざわつく。
あんなものを見た後だからだろうか、嫌な感覚が頭から離れない。
お願いだ、どうかどうか、無事であってくれ。
自分の家に急ぐ、大丈夫と言い聞かせながら足は徐々に早くなっている。
もうすぐ、もうすぐだ。
見えた。遠目からでも分かる。家の明かりが着いている。家の明かりに少しだけ安心したがそれでもまだ不安は残る。ゆっくりと祈るようにそのドアを開けた。
「ただい、ま…」
家の明かりに照らされていたのはただただ赤く、多分、人だったであろう肉の塊。
「これが、お前の運命ならば 」
何よりも先に絶望が。
「お前は前に進むしかない」
その次に怒りが。
その後に悲しみが
「何で、なんで…」
呆然としていた。この現実をただただ受け入れられないでいた。
「__られないのか」
不意に後ろから声がした。
「認められないのか」
まただ、またこの男だ。
「また、あんたか」
「何もかも失って諦めたか。随分な顔色だな」
男の言葉に熱は無い。平坦な起伏のない声がただ辺りに響きそれを黙って聞いている。
「……うるせぇ。」
最早声に出して言うのも億劫な程だった。壁際に座って家族だったものをただ見ているだけだった。
「あんたは、今起きてる事と関係してるのか」
もしこの男が何かしら知っているなら俺は知りたい。何が家族を友達を殺したのかを。
怪異ノ空