心の日
SF、幻想系掌編小説です。縦書きでお読みください。
火星と木星の中間点で、一艘の宇宙艇が太陽の光をきらりとはね返した。宇宙艇のハッチが静に開くと、一人の男が宇宙服を着せられ、押し出された。遺体は太陽を見ながら流れ出した。死の角度、タブーの座標と呼ばれている方向に。
誰もそれがどこ行き着くか知らない。ただその方向には生きた人間を乗せた宇宙艇は決して飛ばないのだ。
旅が始まってすぐの事故死だった。艦艇の外で具合の悪くなった通信機器を直しているときに一センチにも満たない小さな石粒が光速でヘルメットに当たったのだ。
宇宙艇の中では簡素であるが、心のこもった祈りがささげられていた。一人のがっしりした男が目に涙を浮かべている。
「あいつが死んじまうとは、運が悪すぎる、いいやつだった」
宇宙艇はしばらくの沈黙の後、宇宙の奥へ消えていった。
男の宇宙空間での死は、大きな反響をよんだ。何十年ぶりの宇宙での死者だったせいもあるだろう。それが九万九千九百九十九番目の犠牲者だったからかもしれない。地球の人々はあらためて宇宙の怖さを思い起こし、安心と考えすぎていた宇宙旅行を反省した。
宇宙に葬られたその男は、今、火星の近くを通り過ぎるところだった。火星の引力によって、ちょと進路を変えたように見えたが、錯覚だろうか。何か目的があるように一つの方向に流れていく。宇宙服に日の光があたり、銀の舟がさざなみを楽しむように進む。それはあまりにも平和な姿だった。そういえば、あんなに火星の近くを通ったのに、火星に吸い込まれなかったのはなぜであろう。自分の故郷は火星ではないよと言わんばかりに、するりと通り過ぎてしまった。
彼のヘルメットには大きな穴がいくつもあいていた。あんな小さなものでも、こんなに大きな傷を作る。だが、彼のお陰で宇宙艇のアンテナは無事に直った。彼の顔には目が少しとびだした以外に傷はつかなった。
また一つ小さな石が彼の死体の左手を打ち抜いた。胸の上に抱えていた小さな花束がいつの間にか、隕石にさらわれてしまい、今、彼の手は暗黒の中の星の光の束を抱えている。
火星の二つの月が彼の後姿を見送った。
故郷の地球が次第に大きくなっていく。生命のある星というのは光の反射の仕方がどこか違う。光に生命のエネルギーが含まれているからだろうか。暖かさが加わっているのだろうか。
彼の死体は地球の上にさしかかった。首が一瞬地球を眺めるかのように、コロンと傾いたようだ。だが、死体は死の座標目指して漂いながれていく。「娘のところから見ると今の月は満月だ」死んでしまった彼の意識が呼びさまされた。
彼の死体は冷たい意識にめざめたのである。広い宇宙に圧倒されていた肉体はすでにつぶれている。だが、この宇宙など小さい石ころに過ぎないほど大きな、決して肉体と妥協しない冷たい意識が彼にもどってきた。じわじわと寒気が肉体に忍び寄るように。
金星を過ぎ、水星をあおぎ見るようになった頃、彼は自分というものの意識をすてさるべきだということに気がついた。意識の集団が彼を呼ぶのをきいた。そこにいきつかなければならないと悟った。死の座標にいかなければ。
意識は彼一人のものであってはいけない。
彼の死体は死の座標にむかって何事もなかったように漂っていく、意識の広がりがはいりこんでいく。
太陽の炎が彼の顔の上までとどいた。だが、酸化という現象を引き起こすに過ぎない太陽の炎は、彼の役に立たなくなった宇宙服を溶かし、彼から解放しただけであった。
宇宙服を脱ぎ去った彼は太陽を通り過ぎ、スピードを増し、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、そして冥王星の軌道をやつぎばやに貫き、太陽系を飛び出し、暗黒部に達した。
死の角度の終点がそこに待ち受けていた。そこに到達した時、彼の意志は明瞭なものになっていた。死の座標、いうなれば、宇宙で死んだものの墓場、生者は決しておとずれることのない点、だから、そこは掘り返されることもなく、踏みつけられることもなく、静かな平和なところだった。
九万九千九百九十八の死体はその空間に漂っていた。宇宙服をまだまっとっている者もいれば、洋服すら着ていないものもいた。小さな子ども、赤子もいれば、しわくちゃの老婆もいた。棺おけに納められている者もあった。その死体たちには意識があった。死体個人の意識があったのではない。統合された、統一された、冷たい意識だった。もうすぐ十万に達しようとする、これらの死体は一つの点を中心として静かに回転していた。
太陽の役割をなしていたものは、誰からかこぼれ落ちた一つの目玉だった。腐りもせず、壊れもせず、絶えず地球の方向を見て静止していた。その回りを死体たちは意識の手をつないで回り続けている。
彼の死体はその死体の輪に仲間入りした。彼の死体は回りに浮かぶ死体を意識した。半分くずれがかった元宇宙船パイロットの死体。片手片足をもぎ取られている少年の骨、子どもをお腹に入れたままの若い女の死体、手をつなぎあっている女と男、首のない老人の胴、イヌを抱きかかえたままの少女、九万九千九百九十八の宇宙空間の死体はそれぞれの過去を物語っていた。
過去はどうあれ、死体たちは、冷たい意識を統一させ、一つの目的にむかって努力していた。九万九千九百九十九番目の彼の死体。十年ぶりに加わる仲間は、死体たちに感化され、意識の手をつないだ。彼らは意識の大きく膨れるのを感じた。目玉の回りを回りながら、彼らは最後の一つを待つ苦しさを味わっていた。あと一人で十万。十万に一つ欠けた死体たちは痺れをきらした。悪魔の夢を見た。首のない死体は目玉を睨み付けた。それはすべての死体の意志だった。中心の目玉はただ一方向、地球を見つめ、死体たちに落ちつくよう説得した。だが、死体たちはがまんができなかった。目玉の回りをすごいスピードで回りだし、アピールした。目玉もとうとうその意識を抑えることができなくなってしまった。目玉ははじき飛ばされた。目玉は一路、地球に向かって流れた。そのあとを、宇宙の死体たちは一列につらなり続いた。彼の死体も一番後についていった。
地球へ行くんだ。
太陽系に入り、六つの惑星をとばし、地球が見えてきた。十万に一人足りない死体は、地球を一周すると、あと一人を求めるように、地上に降った。冷たい死体たちの意識は故郷の匂いをかいだ。大気に突入した、だが、燃えはしなかった。
冷たく凍りついた死体たちはほんのりと暖まっただけだった。
仰ぎ見る人々の上に死体は次々とふりそそぎ、地に激突し、肉体と妥協を続ける人々の前でばらばらに飛び散った。
死体の冷たい意識は地球の土の中に吸い込まれ、中心のどろどろに煮え立つマグマによって暖められた。
この死体の降ってきた日を、人々は「心の日」と名付けた。
死せるアストロノーツに捧ぐ
心の日