Karma -宿命-

SFホラー作品「Karma」は、独創的な世界観で描かれた一人の少女の純愛物語です。

この作品では、物語中に様々な謎がいくつも散りばめられています。その謎を解き明かすのは私であり、あなたでもある。

その眼で確かめてください。楽園の果てに待ち受ける真実の世界の姿を。―この世界のすべてを知りたいあなたへ―


Karma 


この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです



脚本 志空真


ストーリー紹介
人の命を自由に殺めることのできる“悪魔の力”を手にした、謎の天才科学者「弥露紅」によって国を支配された社会。世の中に法律は無くなり、代わりに弥露紅が世間に提示した“新たな規則”により、人々は自由を奪われることになる。

規則を破った者は“神罰執行収容所”へ連行される。そこでは、“死の罰”を受けることになる。

とある町の寮で暮らす主人公・澄川みゆきは、学園の友人と共に楽しい学園生活を送っていた。

世間では不自由な事ばかりで不満を抱えていたみゆきだったが、学園の仲間と楽しい時間を過ごしているうちに、不自由な事も克服するようになる。

みんなとずっと一緒なら、それで十分幸せ。そんなささやかな願い事をしていた。

…しかし。その願いは無残にも打ち壊される。

ある日、みゆきは規則を破り、罪に問われ神罰執行収容所へ連行されてしまう。脱出を試みるみゆき。

しかし逃げ場は無し。絶体絶命のピンチの中、クラスメイトの知久狩真の助けにより脱獄に成功する。

収容所の出口を探している最中、みゆきは不思議な実験室に入室する。

その実験室での出来事を境に、世界は大きく変化した。そこは正に、死の世界だった。

人は死に、魔物と化してみゆきたちを襲う。

唐突な世界の変化に狼狽するみゆき。何度も絶望するが狩真に助けもあり、再び立ち上がる。

そして、彼女は真実をつかみ取るために、この地獄の世界で生き延びることを決意する。

どうして世界は変わったの?どうして私たちだけは生きているの?あの明るい学園生活はどこへ消えたの?誰が世界をこんなことにしたの?そもそも国を支配する「弥露紅」ってのは何者なの?命を弄ぶ悪魔の力ってなに?どうしてそんな神のような力があるの!?弥露紅は生きているの!?それとも死んだの!?

この地獄の光景は本当に現実…!?それとも虚構…!?

謎は謎を呼び、真実を虚構へと変えていく。何が真実で何が虚構なのか。その答えは誰にもわからない。

世界を地獄と化したのは誰の仕業なのか。黒幕は誰なのか…!?様々な謎がみゆきを襲う“真実”とは一体何なのか。

そして…みゆきと狩真、二人が狩り獲る衝撃の真実とは―




WORNING この作品には暴力シーンや犯罪的な表現をした文章がちらほら見えます!グロテスクな表現を好まれない方、ホラーが嫌いな方は気をつけて読んでくださいね!!



宿命とは、絶対に変えることのできない運命―
定められた運命に、どう足掻こうとも決して結果は変えられない―
死ぬ―という宿命を背負ったら、その人はいつか、死ぬ。それは運命による、残酷な死―
美しい未来を築けるはずだった、愛と希望に満ち溢れた素敵な思い出をつくるはずだった輝かしい未来は唐突に消えて無くなってしまう―
定められた運命には抗えない。何をしても無駄。どうしようもない。

でも…もし。私に宿命を大きく変えられる力があるというのなら、その力を使って…助けてあげたい―
彼を助けてあげられるのなら、私はどうなっても構わない。どんなに悲しい結末になっても、彼さえ生きてくれれば…それで十分。だからどうか、私に…―
残酷な運命から回避さえられる力を、宿命を変える力を…私に―


これは定められた運命を変えるために、命を懸けて立ち向かう、一人の少女の物語――












第1章:神罰

「う~んっ!今日もいいお天気っ!」

外へ出ると、朝の日差しが眩しかった。それがとても気持ちよくて、嬉しい気持ちになる。太陽というのはとても偉大な存在だと改めて思う。私たちがこうやって生きていられるのは太陽さんの光のおかげでもあるんだ。太陽さんに感謝しなきゃね。

「さて、学園に行こ行こっ!」

こうして、また新しい一日が始まる。今日も充実した一日になりますように。と心の中で祈る。
季節は春。ポカポカ暖かくなってきた。寒くもなく、でも暑くもない。暖かくて過ごしやすいこの春という季節を私は一番好む。
学園へ向かう途中にある並木道は桜で満開だった。たまに桜の花びらが舞い散る。素敵な光景だ。

「あ、あそこにいるのは…」

桜の木下に見えたのは季節外れのロングマフラーを身につけた男子。風に吹かれて靡くマフラーはまるで、ドラマに出てくるカッコいい主役のように見える。もう春なんだからマフラーは暑苦しいだろうに…よくも懲りずに着用できるものだ。
私はそのちょっと変わった男子のもとへ走っていく。

「春冬君!おはよー」

「お、みゆきちゃんっ」

ポケットに手を突っ込んで桜の木を見上げていた男子は私に並んで歩き出す。

「おはようさん。それにしてもみゆきちゃん…今日も可愛いねー!」

「も、もう…それ言うのなしって言ってるのにぃ。」

彼は膠鳥春冬。ナルシスト…でカッコつけ男だけど、根はとってもいい人。辛い時、困った時はすぐに助けてくれる。とても優しい人でイケメンだから正に王子様…!私と結婚して!って言いたいところだけど、彼は女の子好きらしく、いろんな女の子に話しかけている。そのため、いろんな女の子から好かれていて人気者なのだ。

いわゆるプレイボーイ?ってやつかな。そういうの、嫌いじゃないけど…好みではないかな。春冬君とはあくまで友達として接したい。この先、友達以上の関係を築き上げようだなんて考えていない。彼とは友達という関係だけで十分だし。

「どうしても可愛いって言いたくなるんだ。それくらいに、君は可愛いいんだ。」

私も女の子だから、可愛いとか言われるとどうしてもドキってしてしまう。

「こらっ!このナンパ野朗!彼女から離れやがれッ!」

「おっと!」

その時、男子が春冬君の肩に手をかけてそのまま私たちの間に割り込む。

「澄川。何かされなかったか?」

「うん、大丈夫だよ。」

「あのねぇメガネきゅうちょ。僕が可愛い女の子を襲うような男の子に見えますか!?」

「見えます。」

「そ、即答!?悲しい!僕泣きますよ!?」

「勝手に泣いてろ。はぁ…相も変わらずナンパ師なんだなお前…。それと、そのメガネきゅうちょとかいうアホくさい名前で呼ばない。俺までアホになっちまうだろうが。」

この人は氷室瞬一。私のクラスの級長。成績優秀で正義感あふれるカッコいい人。彼とは1年生の時に知り合って2、3年も同じクラスになり結構長い付き合いだ。
付き合いが長いから人間関係もそれなりに深いはずなのだけど…実際そうでもない。

一度彼に名前で呼んでいい?って聞いた時に、苗字でいい。これからもずっとそのままで頼む。と即答されてしまい…結局苗字で君付けという少し他人行儀な感じで、もう3年経っている。
根はいい人なんだけど…ちょっと難しい人なんだよね。

それと、春冬君が氷室君のことを"メガネきゅうちょ"と呼ぶが、これも一応解説しよう。
春冬君いわく、メガネをかけた級長ということでメガネ級長。それがなまって"メガネきゅうちょ"という名前になったらしい。

「というか。いつも言ってるけど、そろそろそのマフラー取ったらどうよ?すごくダサく見えるんだけど。」

「そんなこと言っちゃって~じつはカッコいいって思ったでしょ!ねぇ、思ったでしょ!僕ってカッコいいよね!?」

「…。」
「…。」

春冬君は本当にイケメンだから…否定できない。でも、賛成するわけにもいかないし…本当に春冬君と付き合うのは難しい。そして苦労する。

「あの…おはよです。」

背後から蚊の鳴くような声が聞こえた。私たちは後ろを向いて声の主を確認する。

「亜澄ちゃんっ!」

「相楽か。おはよう。」

「はい…おはよです。」

この小柄な少女は相楽亜澄。大人しい子で引っ込み思案な性格。人と接することをあまり好まないらしいのだが、彼女自身も健気に努力している。こうして私たちに朝の挨拶をしてくるのも、彼女の努力だ。朝の挨拶はとても単純で簡単だけれど、彼女からしてみれば精一杯の努力なのだろう。その健気なところがとても魅力的で男子にも女子にも人気がある。

「亜澄ちゃん…!え、えっと…その、今日はいい天気ですね!」

「お前、さっきまでの勢いはどこへ飛んでったんだ?」

春冬君はなぜか亜澄ちゃんの前だけ、態度が変わる。なんというか、余裕がなくなっている感じがする。それに、すごく亜澄ちゃんに対する優しさが感じ取れる。
亜澄ちゃんも気の弱い子だから春冬流のやり方なのかもしれない。

「おはよ。亜澄ちゃん。」

「お、おはよです…。えっと…今日は皆さんおそろいで…」

「そういえば、こんなに集まって登校なんて珍しいよな。今日は何かあるかもしれないな。」

氷室君はメガネをいじりながら笑みを浮かべる。
いいこと…か。本当にあるといいな。もしあるとしたら………彼と、おしゃべりしたいな。

「さて、お嬢さん方。遅刻しまっせ、急ぎましょ!」

「うん。すっかりノンビリしちゃったから急ごう。」

みんなは歩く速度を少し速めながら学園へ向かった。
私たちが通う学園は、天明寺学園というお金持ちな学校で、校舎などは常にキレイ。
広いかつキレイな学園ということで、稀にドラマの撮影などで使われることもある。
学園内では全部で700人を超えるほどのたくさんの生徒がいる。ここはもともと男子校だったため、女子のほうが若干少ない。

女子を入れるようになったのは私たちが入学する時、つまり3年前だ。
あれからもう3年も経っている。入学したのがついこの前のような思えてしまう。

「わ!予鈴鳴ったぞ!みんな急げ!」

予鈴が鳴り、みんなは急ぎ足で教室へ向かう。

「はっ…ぁ、ま、待ってよ…!」

ああ、私は運動が大の苦手だ。走ったことなんてほとんどない。走ること意外なら勝てる!というわけでもない…。運動は全般的に苦手…。
みんなはさっさと走っていってしまう。亜澄ちゃんなんか小柄だからすごい速い。

「悪いな澄川。先に行ってるな!お前も早く来いよー!」

「あ…!」

氷室君まで私を捨てるの…!?あーん!みんな冷たいよー!
私も負けじと肺を押えながら走る。しかし無理をしたせいか、視界がぼやけてしまう。

「あ、あ…あれ~?」

私…今走ってるつもりだけど…なんかフラフラして…自分が何してるか分からない。
ドン!

「…。」

フラフラしてボートしている中、何かにぶつかった。壁ではない。人だ。誰かにぶつかってしまったようだ。

「ん~…あ、えっと…ごめんなさい…」

ぶつかった人を見てみると…黒いスーツを着てサングラスをかけたおっさんだった。

「お前、今何時だと思っている。」

「えっ…えっとですね…!」

意識が覚醒し、今はとてもピンチな状況に陥っているということを理解する。
このスーツのおじさんは…神罰執行人。教師でも主事でもなんでもない。
今、日本を支配している「弥露紅」が配属した人らしい。この人以外にも、もっとたくさんの神罰執行人はいる。また、この学校以外でも配属されているらしい。
神罰執行人の役目は…説教、育成、生徒正当化指導…など。
おっかない名前なだけあって…とても恐ろしい。この人たちの前で悪行、暴力、犯罪行為などをすると………「神罰執行収容所」という所へ連れて行かれる。

そこへ連行されると地獄のような罰を与えられるらしい。名前は伊達ではないらしい。
今までに連行された生徒を見たことはない。みんな、神罰執行収容所に畏怖の感情が芽生えているのだろう。この学校の生徒があまりにも礼儀正しすぎるのもそのせいだ。
そして今私が…この学校で神罰執行収容所へ連行される第1号となるか、否かというね…。

どうしようこれは本当にシャレにならない。ヘラヘラしたり笑ってごまかせたら苦労はしない。
冷静に…まずは謝罪をしよう…。

「ごめんなさい…。」

「…。」

しっかり頭を下げて反省していると思いっきりアピールする。おじさんは黙ったまま。果たして効果アリか…。どうなる…?

「顔を上げろ。生徒。」

「はい…。」

「現在の時刻は8時35分。HRが始まる時間は8時半だ。」

「は…はい…。」

「この学園で遅刻は許さないと、知れ。」

「…!」

ああ…ダメだ。どうしてよりによってこの人にぶつかっちゃったんだろ…!
この人に会わなかったら担任からの説教だけで終わってたのに…。
これじゃあ…あれをもらうことになる…

「ペナルティだ。来い。」

その言葉を聞いた瞬間、体が凍りついた。そう…ペナルティ。収容所の百倍は軽い罰と聞くが…私にとっては地獄のようなものだ。
私は黙って執行人の後を歩く。行き先は…生徒指導室。3階の一番奥、暗く、太陽も差さない所にその教室はある。
生徒指導室で行われる"ペナルティ"とは…様々だ。

私の友達から聞いた限りでは、その日はずっとその教室内で何もせずに立たされたらしい。無論、座っていいわけなどない。執行人の人も放課後になるまでずっと見ているらしい。昼食も取れない、しゃべれない…何もできないのだ。
少しでも妙な行動をとったり、逆らったりすると…本部へ連れて行かれることになる。
他にも、たくさんの噂がある。そのすべてに共通するものは…とても苦しく、残酷な罰だということ。

「入れ。」

コクって頷いて生徒指導室の中へ入る。入室した瞬間、空気が変わったのがわかった。とても、冷たく寒い。こんなところで…私は何をされるんだろう。

「そこへ座れ。」

「はぃ…」

よかった…一日中立たされるっていうヤツじゃなさそう!もしかして…一番軽いヤツかもしれないよ!
私は希望を膨らませながら待ち続けた。
奥のほうで30秒ほどゴソゴソと何か探しものをしていた。今のうちに逃げてしまおうかと考えたが、見つかった時のことを考えると…ちびってしまいそうになったので止めた。
戻ってきた執行人の手には…なにやら怪しげな大量の紙があった。
ドンとすごい音がして私自身、跳ね上がってしまう。この大量の紙で…何をするんだろ…
執行人は大量の紙の一番上の一枚を手に取り、私の前に出してくる。

「さぁて、これに書いてもらおうか。」

「な、なにを…ですか?」

「反省文だ。」

反省文…。楽…なんじゃないかな。反省文でしょ?ごめんなさいってのをちょっと長くして遠まわしに書けばそれで終わりじゃない?
でも…その推測を打ち消すのがこの大量の原稿用だ。反省文は一枚でいいはずなのに、どうしてこんなに持ってくるのだろう。

「私が認める文章を書けるまで、何度でも繰り返す。いいな。」

この人が良いか悪いか判断するの!?ちょっとー!こんなおっかない人が簡単にOKって言ってくれるわけないよー!

「いい、なっ?」

「は、はひいぃぃ!」

さすがは生徒指導室…。誰もから恐れられるわけだ。
そして…始まった。地獄の指導時間。


「きゅー
「そ、そんなに…やばかったのか。」

「す、すごく怖いです…」

「絶対に関わりたくないな。奴らとは。」

現在、2時限目が終わったところ。
今ここにいるというのは正に奇跡に違いない。こんなに早く帰還するのは普通ではありえないのだ。

「もうほんっっとうに大変だったんだよ!白蝋病になるかと思ったよ!」

「澄川、白蝋病は大工さんがなるものだ。」

「それくらいに大変だったってこと!」

でも本当によかった。2時間ちょっとで限界なら、一日はどうなってしまうのか。想像するだけで振るえ上がってしまう。
とにかく、もう2度と同じ過ちは犯さないようにしないといけない。朝は早めに登校しよう。よく前を見て歩こう。
大丈夫。頑張ればきっと報われるはず。そうに決まってる。だから現にこうして今の私がいるわけでして!

「澄川、澄川、」

「はっ…!」

「お前…本当によくぼーっとするよな。まぁ、あんなことがあってからじゃ無理もないだろうけどさ。」

「女の子はぼーっとしても構わないと思うです。男の子はダサく見えてしまいますけど…」

「ああ!亜澄ちゃん!僕はぼーっとしてなんかないよ!ね!?」

「は、はい…そう思うです」

「よかったー!あ、そうだ!亜澄ちゃんもぼーっとしてみてよ!新たな萌えポインツを見つけられるかもしれないし…ギャ!」

「てめぇは少し黙ってろ…!」

女の子はぼーっとしても構わない…か。
確かに私は人一倍にぼーっとしてしまう時が多い。それによく考え事をする。
考え事というか…勝手な思い込み?妄想って言ったほうが正しいかもしれない。
子供の時、私は自分で勝手な想像をすることがとても好きで、それが現実になったらいいな。って思ってて、妄想する癖がついてしまった。それは無論、今も変わっていない。

私だって妄想をしたくてしてるわけじゃない。でも、勝手にそうなってしまうのだ。
直そうとは…思っていない。誰にも迷惑にならないと思うし、何の問題もないと思う。
でも……もしかしたら私のような子を嫌う人もいるかもしれない…。
もしかしたら…みんなから嫌われて青春も味わえないまま高校生活が終わっちゃう!?

「春冬君!私、ポカーンとしてても友達のままでいてくれる!?直したほうがいいのかな!いつかみんなに嫌われて一人ぼっちになっちゃったら私きっと…孤独死しちゃうよ!」

3人は目をパチクリさせ黙り込んでしまう。
え、ちょっと…黙らないでほしいんだけど…
え、え?なんでみんなで顔合わせてるの…?図星だったの!?
じゃあもしかして…。うんそうだ、きっとうそうだ!…じつはみんな…やっぱり……!!

「ぷっ……あはっ!なんで俺たちがみゆきちゃんを嫌いにならねばならんの。」

「そうだぞ澄川。お前がどういう奴でも、俺たちは構わない。気にしない。」

「みゆきちゃん。大丈夫です。私たちは今のみゆきちゃんが大好きですから、嫌いになったりしませんよ。」

みんなの元気が出る言葉を聞いて安堵する。
数秒前まで考えてたことがアホみたいに思えてくる。たまに私は悲観的になることがある。この悲観的な妄想を信じきって現実から逃げたら大変なことになるんだろうね…。
だから私は、どんなに嫌な現実でもそれを受け入れるようにしている。

「ま、ぼーっとしてないとみゆきちゃんじゃないからな。」

「え、なに~それ。」

「1年の時から頻繁にフリーズしてたよな。でもそういう澄川、結構いいと思うぞ。」

「ふ、フリーズって…私は人間!」

「みゆきちゃんは天然さんなんですねぇー」

「亜澄ちゃんまで…!もう!みんなして私をいじめないでよー!」

散々な言われようだ。でも不思議と嫌じゃない。だって、みんなとても嬉しそうなんだもん。
私、このままでもいいんだよね。私は、私でいよう。無理に自分を変えようとしなくてもいい。自分に自信を持とう。大丈夫。ここには私と共にいてくれる仲間がいるのだから。
彼もきっと…私を見てくれる。きっと…。

「あ…」

その時、教室に入ってきた"彼"と目が合った。でも、すぐに彼は目をそらし、自分の席に着く。
…信じよう。自分を。この想いはいつか届く…。
悲観的になるな私。自信を持つんだ!


終わって休み時間になる。
春冬君たちのところに向かうと、なにやら春冬君は嬉しそうに吠えている。その雄叫びに氷室君が口を挟んでいるようだ。亜澄ちゃんもなんか落ち着かない感じで二人の様子を見ている。

「おお!一時間目は理科だ!天使の授業じゃないか!」

「なにが天使だよ。あの人はいたって普通の顔だろ、なんとも思わん。」

「メガネきゅうちょ、あなたには可愛い女の子を目の前にしてなんとも思わないのか!?」

「全然。」

「ほわあぁぁあぁー!?なんという無関心さ!そんなんだから女の子にモテないのだよ!」

「俺はお前と違って何十と股をかけるような行為はしないのでな。」

「な、なにい?それはつまり、この僕がいけない奴だといいたいわけだな!?」

「ああ。」

「んな…!分かったよきゅうちょ、正々堂々、勝負しようじゃねえか!どっちが正しいかをな!」

「望むところだ…。」

「きゅーちょ君…落ち着いて下さい!喧嘩はダメですよ……バトルは駄目ですよ!」

たくさんの女の子に囲まれて喜びの雄たけびを上げる春冬君を、氷室君がそれは間違いだと反論する。それを喧嘩にならないように落ち着かせようと頑張る亜澄ちゃん。
似たようなことを毎日繰り返している。本当にワンパターンだ。でも、見ていてまったく飽きる感じがしない。

「性格がおっかなく、女の子にアピールできない場合は…他で勝負すればいい!この意味が分かるかねメガネきゅうちょ!!」

「何が言いたいんだドアホマフラー。」

「だから…その、バトルはいけませんと…」

二人は戦闘態勢になってにらみ合う。他のクラスメートも決闘だ決闘だと囃し立てる。

「つまり、アナタのソレにかけるしかないってことだああぁぁ!!」

「バッ!ここをどこだと思ってっ…!死ね、変体カスマフラーッ!!」

「ギャ!!」

「け、けん…バトルはダメです…!ダメですよー!春冬君、大丈夫ですか…!?」
氷室君の一回点蹴りで春冬君は一中を舞った。慌てて春冬に駆け寄る亜澄ちゃん。そう、いつもこんな感じ。
というか、なんで亜澄ちゃんは喧嘩をわざわざバトルと言い換えたのだろう…?なぜにそこまでバトルという言葉に執着するのだろう。彼女は所々不思議である。

「あ~、女子の皆さん、速やかにこの場から退散してください。ここに変体がいます。何されるか分かりませんよー?」

「もぅ、きゅーちょ君も自重してください。」

「相楽は本当にいい子だね。でもね、誰にでも優しければいいってものではないのだ。」

「俺はこいつには、天誅を下さなければならない義務がある!」

「でも…暴力は…バトルはいけません。春冬君…かわいそーです…!」

亜澄ちゃんは泣きそうになりながらも、氷室君の背中に張り付いてやめさせようとする。
ちゃんと気持ちが伝わったのか、氷室君は亜澄ちゃんの頭を優しくなでる。その光景を見て、まるで仲のよい兄妹のように見えた。

「膠鳥にはあとで謝っておく。大丈夫。もう暴力はしない。」

「ありがとう!きゅーちょ君…!」

亜澄ちゃんは満面の笑みで氷室君にありがとうという。泣きそうになってまでダメなものはダメだと健気に主張する亜澄ちゃんを尊敬したくなる。

「相楽は本当に膠鳥が好きなんだな。」

「えっ…!別に、そんなんじゃない、です…。」

そういえば、どうして亜澄ちゃんはこんなにも春冬君のことを守ろうとするのか、謎である。春冬君も彼女への接し方が少し変わる。あの二人は、一体どういう関係なのだろう。

「とにかく、相楽も女子なんだから、気をつけたほうがいい。」

「え…?な、なにをですか?」

「男というのはね、時と場合によっては獣に変身するんだ。女の子に対して、嫌らしいこととか、破廉恥なことを言ったり、したりすることがある。そういうのは絶対にそのままにしちゃダメだ。きっと君もいつかあの変体に何かされる。だから、気をつけるんだ。」

「いやらしいって…どんなことですか…?」

「女の子の体に触れたり、急に襲い掛かったりとか…」

なんか…すごい話題をすごくシリアスに語ってる氷室君…。ちょっと新鮮で面白いな。

「え…、きゅーちょ君。それ、間違ってますよ。男の人が女の人を襲うことは必要なことなんです。とても大切なことなんです。」

その時、亜澄ちゃんが急にどんでも発言をしだした。

「おい、相楽…!それ、誰から教わったんだ…?」

「女の子は中身がダメなら体で勝負だって、言ってました。それで、わたしはどうですかって言ったら…中身もいいけど、体のほうが知りたいって言ったから…今度、体の約束しました。だから、いい人なんです!いろんなこと教えてくれて、優しくていい人なんです!」

「いつつぅ…さっきのは結構食らったぜきゅーちょさんよぉ……死にそうだった。」

「ね、親切さんな春冬君っ」

「あいつ、殺す。」

「ま、待ってー!きゅーちょ君ー!!」

そして再び大乱闘が始まる。今度は私も止めに入る。しかし、氷室君の怒りは静まらなかった。


「ちょっとした冗談だったんだってば~…まさか本気にするとは思わなかったんだよ…」

「お前という奴は…!どこまで最低な奴なんだ!少しは反省しろ、このへんてこマフラー剥ぎ取るぞ!」

「ご、ごめんちゃい!マフラーは勘弁!」

亜澄ちゃんと私でなんとか暴力は止められたが…その分説教がとても長かった。

「まぁ…今回は春冬君が悪いと思う。次からは自重しようね。」

見ていただけの私も、今度はちゃんと意見を出す。私も女の子だから…あまりよくないことはよくないと言わないと。

「はいです…。自重しますであります…。」

春冬君は泣きながら土下座していた。完全に氷室君に屈服したようだ。

「ごめんね亜澄ちゃん…。もう触らないから。」

なにを…………?

4時間目の授業が始まった。教科は…数学。ハイ、寝るぅ。
お休みー。

「やればできるじゃないか知久。お前に足りないのは態度だ。授業中は寝るな。それさえ気をつければ普通に5がつくというものを。」

「俺は俺のやり方でやっているんで、口出ししないで下さい。」

「口が達者な奴だ。席につけ。」

「カッコイイ…。カッコよすぎるよ…。」

黒板の前に立たされ、問題を解いていたのは、知久君。
じつは彼…私の初恋の人。いつもは一人で行動していて、ムスっとしている。
愛想がないんだけど…そこがまた惚れポインツのひとつで…あ、春冬君っぽい言い方になっちゃったね。
とにかく、彼はカッコいいの。私の中で彼は王子様なの。
彼に何度も告白しようとしたけど…彼は常にムスっとしている人でして…あまり人とも接しないし、声をかけずらい。
だからずっと片想いのままで…止まってしまっている。

ずっと待ち焦がれてるんだ。彼と仲良くなって、楽しくお話できる日を…ね。


午前の授業が終わり、昼食の時間になる。

「さてと!そんでは中庭へれっつらご~でっせ!」

私たち4人はいつも中庭へ移動してお弁当を食べる。中庭のほうが空気がいいし、お日様の光を浴びながら食事できる。まるでピクニックにでもしているような気分を味わえる。
だから私たちは雨の日以外は外で食べることにしている。

「あ、あとお嬢さん方は先行ってて。僕、ちょっと用を済ませてからすぐ行くから!」

春冬君はそれだけ言い残して教室を出て行ってしまった。

「用ってなんだろう。」

「どうせくだらないことだろう。あいつは放っておいて行こう。」

用事ってなんだろう。私には関係ないことかな?そう思い、特に気に留めなかった。

中庭に着き、木陰の椅子に腰掛ける。春冬君はまだ来ないみたいだ。

「先に食べとく?」

「いぇ、待ちましょう。お食事はみんなそろうともっとおいしくなりますから。」

亜澄ちゃんはお利口さんだ。大人に近づくとそういうことは考えないと思う。そろわない方が普通だと考えるだろう。
でも亜澄ちゃんはそういうところの肝をしっかり弁えている。小さい頃から親に強くしつけられたのだろうか。きっといい大人になるだろう。
それを彼女に伝えると顔を真っ赤にして俯いてしまった。私が男の子だったら絶対に亜澄ちゃんを嫁にしたと思う。

しばらく待つこと…10分。
…。
…。
…。

「こない…ね。」

「あいつ…まだ反省してない…?」

「き、きっと用事が大変なことになってるんです!落ち着いてください!」

「そうだよ亜澄ちゃんの言うとおりだよ。氷室君も短気すぎ。」

「そ…そうだな。膠鳥がからかっていると決め付けるのは早計だ。さっきあれだけやったんだから。もう、俺を怒らせないと思うし。」

なんとか氷室君を落ち着かせもう少し待つことにする。でもやはり彼が来る様子もなく…。
その時、誰かの腹の虫が鳴いた。氷室君を見てみると手を左右に振る。
亜澄ちゃんを見てみると…
「…!」
恥ずかしそうにお腹を押さえていた。音を出した主が亜澄ちゃんだとすぐに分かった。

「亜澄ちゃん。春冬君には悪いけど、先に食べちゃおっか。」

「そうするか。時間もなくなっちゃうしな。」

「そ、そうですか…。了解です…。」

お弁当を開けていただきますと一言言って食べようとした矢先。

「この意地っ張り野労め!来いっての!」

「なんで俺が…!嫌だと言っている…!放せよ…!」

前方からなにやらもめている男子二人がこちらへ向かってきていた。よく見ると一人は春冬君だった。
そして、もう一人は……
その人を見て、すごく驚いた。こんなこと、あるわけないと思ったから本当に驚いた。

「…!?」

「みんな、ごめんな!遅くなった!」

春冬君に引っ張られている男子は…知久君!私の初恋の人だったのだ!
知久君は俯いたままこちらを見ない。彼の手にはお弁当があった。それにしても、春冬君はどうして彼をつれてきたのだろう。

「春冬君…。」

「ああ、えっと、こいつなぁ、いつも屋上で一人でひっそりと飯食ってるんだ。一人とかさびしいと思わないか?みんな思うはずさ。そんで、賑やかな僕たちの輪の中に溶け込ませようと思って、ここへ招待したわけ。」

「だから…誰も招待しろとは言ってない…!」

春冬君…とても友達想いで優しい人だと改めて実感する。そんな春冬君にぜひ協力して上げたいと思う。

「春冬君の言うとおりだよ。ご飯は一人で食べてもおいしくないよ。みんなで食べるからおいしく感じるんだ。」

その時、知久君と目が合った。でも彼はすぐに目を逸らす。
知久君はいつも、誰とも顔を合わせないようにする。多分、人とあまり関わりたくないのだろう。

「ほら、愛しのみゆきちゃんもこう言ってるわけだしさ…」

「「んなっ!?」」

突然の春冬君のドキっと発言にハモってしまったではないか。
春冬君は一体何ということを…!
あまりにも唐突だったため、赤面しているところを隠せなかった。

「ちょ、ちょっとちょっと春冬君…!!」

「膠鳥!お前はすぐにそういう適当なことを…!」

「まぁまぁ落ち着きなさいな。詳しい話はお食事しながらでも。な?」

「…。」

知久君は私の前の席にしぶしぶと座る。

「膠鳥、さっきのは撤回しろ。」

「ん?なんのことだい?」

「しらばっくれるな。この…ええと、」

「みゆきちゃん。」

「………」

知久君が私を見ている…!ああ、やっぱりカッコいい…。彼とこんなに至近距離でご飯が食べられるなんて、なんて幸せなのだろう。

「こ…こ、ここ、このヘンテコ面天然小動物が愛しいと言ったことを撤回しろ…!」
え…え、ええ、ええええっ!?私、知久君にな、なんか変なアダ名つけられちゃってるおー!?
「あっは!なんだよ~名前で呼べばいいじゃんかよ~!」
春冬君は面白おかしく笑っている。それを睨み付ける知久君。この二人、案外仲がいいのかもしれない。それよりも…私のあだ名…

「別に、関わりがないから…名前を覚える必要がない…。天然か小動物で十分だ。」

「そ、そんなぁ…」

小動物って…私、そんなに小さく見えるのかな…。

「確かに澄川は一昨年から全然背伸びてないし…小さいかもな。」

「きゅーちょ君、本人の前で言ったら傷つきますよ…」

そ、そんなに小さいの!みんなが高すぎるだけでしょ!やっぱり私は小さいのかな…。周りから見たらただの小動物なのかな…。
あまりにも悲しい彼の発言に私はそんぼりと俯いてしまう。そして理解する。
そっか…彼から見た私は…ただの天然アホ面小動物なわけね…。彼と結ばれるなんて淡い恋心を抱いてたけど…無理みたい。そんなことを考えていたら、とても悲しい気持ちになってきた。

「あ、ちょ、澄川ー…もしかして…泣いてる?」

「泣かないで下さい、挫けてはいけません!女の子は泣いてはいけませんよ!」

いけない…。泣いてるってバレちゃった。やだな、知久君の前で泣いちゃうなんて…。

「えっマジかよ!おい知久!みゆきちゃん泣いちゃったじゃんかっ!」

「…!?……えっと…」

彼は口をパクパクさせながら私に何かを言おうとしている。これからもっと罵倒されるのだろうか。次何か言われたら私、マジ泣きしちゃうよ…。

「わ、悪かった…」

「え……」

彼は罵倒しなかった。怒鳴り声を上げて怒ることもなかった。謝った、それだけだった。その言葉を聞けただけで…私は本当に嬉しかった。
さっきの言葉はきっと、本心でもなんでもない。ちょっとした冗談に過ぎなかったんだ。
ただの私の思い込みだったんだ!

「で、でも…お前も悪い!お前すぐに泣く。ず、ずるいぞ、泣いてばっかりいたら一人前の女になれないぞ…」

「え?」

「べ、別に今謝ったのは、膠鳥が謝れって言ったから謝ったんだ。俺がお前を泣かせてめちゃくちゃ後悔して嫌われたらまずいなとかそう思ったから謝ったわけじゃないし、お前と仲良くなれそうだからここで喧嘩しちゃまずいなとか思って反省したから謝ったとか、そういうのじゃないぞ。勘違いだけはするな、俺はお前のことをなんとも思ってない。今謝ったのは女の子を泣かせてはならないと昔習ったからだ。決してお前に気があるからとか、好きだとか、そういうんじゃないんだぞ!!いいな!?」

「「「………」」」

みんなは開いた口が塞がらない状態になっていた。

「ぷっ……あっはは!!」

しかしその沈黙はすぐに春冬君によって破られ、みんなはいっせいにつられて笑い出す。
知久君は赤面しながらみんなをにらみつける。しかし、不思議と嫌がっている感じはしなかった。
知久君かぁ。もっと純粋な人かと思ったけれど、結構面白い一面があるんだ。



昼休みが終わり、教室へ戻る。すぐに午後の授業がスタートする。
先生が黒板に字を書きながら何か喋っている。しかし、私はそんなことは完全に無視。
私の脳裏は知久君のことだらけだった。
-決してお前に気があるからとか、好きだとか、そういうんじゃないんだぞ!!

「あれって…どういう意味なんだろう…」

いろんなことを考えてみたけど…やっぱり完全には理解できない。
あの言葉の意味を知っているのは…彼だけなんだろう。
直接聞ければ苦労はしないんだけどな~…知久君、絶対に話してくれないよね…

「はぁ~…」

知久君を見てみると、彼は廊下側の一番前の端っこの席で寝ていた。彼が寝ているのは日常茶飯事だ。だからと言って成績が悪いわけではない。むしろ結構いいほうだ。どうしてそんなにできるんだろ。知久君って…天才なのかな…?
彼と…もう一度話したいな。そんで仲良くなって、一緒にお昼ご飯食べて…お勉強を教わったりして…一緒に登下校して…いつの間にか超仲良しコンビになってて、ある日彼から告白されたりして…!
知久君が私に告白…!?!?!?!?!?そんなことってありえるのかな!
だってさっき私に気があるなんちゃらって言ってたし、もしかしたら私のこと…!

ありゆるありゆる!
もし告られたら…られたら…!!!
もち、OKしちゃう!超OKだよ~!!
そんでそんで、その後私が、その言葉が本当だっていう証がほしいって頼んで、目を瞑って…!
そして………!!!

「きゃあああぁぁー!!私ったら何勝手に妄想しちゃってんのー!そんな都合よく証なんてくれないよ~!そんな簡単にもらえないよ証なんて~!そもそも証ってなによ!?きゃはは!私ってやっぱりバカよ、バカバカおバカ!あっははは!!!」

「ああ、お前はバカだ。バカはバカらしく廊下に出て寝てろ。」






…。

「ふみゅ~…廊下にいてもつまんないよ~…」

クラスの中心で思いっきりあんなこと言っちゃったんだから仕方ないよね。自業自得である。

「う~ん…」

私は壁に寄りかかって体育座りをしていた。床がひんやりしていて冷たかった。

「やっぱり…彼を狙うってのは…無理なのかな…」

彼はいつもムスってしていて、私のことを天然小動物とか言ってコケにした。それは…私が嫌いだから、だと思う。でも…彼のあの時の焦り様が引っかかる。
-決してお前に気があるからとか、好きだとか、そういうんじゃないんだぞ!!

「なんでわざわざそんなことを口に出していったんだろう。」

もしかしたら…これも彼の作戦なのかもしれない。俺のことは諦めろ。とわかりやすく言っているのかもしれない。じゃあやっぱり…!

その時、教室内からなにやら怒鳴り声が聞こえてきた。うまく聞き取れないが、さっきの先生の声だと思う。また誰かやらかしたのだろうか。

「まぁどうでもいいや…。まだ30分以上もあるし…寝よ。」

私は座ったまま、眠りにつくことにした。
その時、教室の扉が開き、誰かが出てきた。
誰だろうと顔を上げて見てみると…

「あ…!」

「よ、よぉ…。」

「知久君…!」

彼だった。私はとても嬉しくて興奮を隠しきれなかった。

「ど、どうして…!?も…も、も、ももももしかして私のこと…!!」

「寝てたら怒られた。だから廊下に出ろとさ。」

「あ…」

そういうことか…。そうだよね、考えすぎだ私。

「あ…いつつ…」

突然足が麻痺した。ずっと同じ姿勢をしていたからだろう。私は足をほぐして楽な姿勢になる。

「う、んんん…」

内股になり、足を刺激しないようにする。この体勢なら大丈夫だろう。しばらくこのままにしておくことにする。

「…!」

その時、知久君が分かりやすいくらいに顔を向こうへ向ける。

「ん?知久君?」

どうしたんだろ。向こうに何かあるのだろうか。私も見てみるが、視線の先には何もなかった。

「……、…!」

「…?」

彼はぎゅっと拳を握りながら立ち尽くす。懸命に向こうを見ているようだが…度々ちらちらとこちらを見てくる。こっちを見る度に顔を赤くしてあっちを見てしまう。

「う~ん?」

あ、もしかして…私に興味が出てきたりして!そんで恥ずかしいものだからちらちら見ながら観察してくれてるんだ。そう、きっとそう!

「そうなんでしょ!?」

「え……!?」

「観察してくれてるんでしょ?そうだよね、知久君、全然悪い人じゃないもん。そんなちらちらと見なくてもいいよ。もっとガンミしちゃって全然OKだから!」

「そ、そうなの…?」

「うんうん!もちもち!遠慮しないで見て。ほぅら、じっくりと、ね?」

私のことを見つめ続ければ必ず彼も覚醒するはず。そうだよ、彼はじつは私のことが好きなの。でも恥ずかしいから見ないようにしてるだけ。だから恋が実らない。もっと積極的になってくれればいい。でも彼自身から動かない。だから、私が動く!私が彼の分まで動いて両想いにする!

「…だ、ダメだって!それ、まずいんだって!」

「え…どうして?」

「お、お前は…そういう奴なのかよ。確かに、嬉しいかもしれないけど…で、でも俺はダメだと思う!」

「ん~?」

彼は何を言っているんだろう。でも、私のことを見て嬉しいって言ってくれた。もうちょっと押せばきっと…振り向いてくれるに違いない!

「いいからいいからっ。ね。こっち見てよ。」

「ほ、本当に女ってずるい…。そうやって色仕掛けして…男を落とすんだろ。お、俺は…お、お前の思い通りにならない。操られない。お、お前の…その、パンツを見たって、な…なにも思わないからな…!!こ、この痴女小動物…!」

え……?
刹那、私の頭の中が真っ白になった。
あれ…、えっと、彼は今なんて…
もう一度聞こうとして、彼を見てみると…彼は走ってどこかへ行ってしまっていた。

「あ…、ちょっとまっ…」

私、すんごい勘違いをしていた…?
今の体勢を見てみる。

「………ッ!!」

そして、すべてを理解する。なぜ彼が顔を赤くしながら必死に向こうを見ていたのか。どうしてダメだと強く主張したのか。
私の視点だから何の違和感もないかもしれないけど…彼から見たら…モロ見えていただろう。
「うおおおあああぁぁぁおおぉぉああぁおぉぉぉ!!やっちゃたああぁぁぁあぁぁー!!!」


「廊下で知久となにかあったの?」

「…。」

「みゆきちゃん、一人で考え込んじゃいけませんよ。私達にどーんと言っちゃってください!」

「…。」

「相当参ってるようだが…知久が何かした可能性があるな。」

「マジか!あいつ…!あれだけみゆきちゃんを罵倒してまだ懲りてないのか!」

「ち、違うの…!違う…私が、彼を…傷つけちゃったの…。」

休み時間になり、私は机に突っ伏していた。さっきのは…本当にマズかった。

「知久はどこへ行ったんだ。あいつ、軽くヤンキーだから途中で帰ることもある。もしかしたら帰ったのか。」

「いや、バッグがある。手ぶらで帰るってことはないだろう。」

知久君…。怒っちゃったよねきっと…。
私はただ、彼と仲良くなりたかっただけなのに…私の破廉恥な行為で、彼を傷つけてしまった。もう、私と口を利いてくれないかもしれない。もう、関われないかもしれない…。

「あ、知久君ですよー!」

「えっ…!?」

ちょうどその時、彼が教室に入ってきた。自分の席に着くのかと思っていたが、こっちに向かってくる。
しかも、私を見ている…?考えすぎだろうか…?
知久君は私の目の前まで来て、まっすぐ私を見る。そして、一礼する。

「さっきは…すまなかった。言葉を選ぶべきだった…」

「え…」

まったく想定外の言葉に私はわけがわからなくなる。
なぜ彼が謝る必要がある?彼を怒らせたのは私なのに…私が謝らなきゃいけないのに。

「よく考えてみたら…お前だってわざとやったわけじゃないんじゃないかと思ったんだ。あれはそう…偶然だったんだ。」

「う、うん…わざとじゃないよ。私、そんな子じゃないから…。その……見せちゃってごめんね…?」

「あ、ああ…気にしてない。」

「見せたって、何を?」

春冬君のその言葉を聞いた瞬間、背中に嫌な汗が流れる。

「えっ、えと…その、なんだろ…?ははは…」

「そ、そだな…はは、もう忘れたよ…はははは」

知久君も苦笑いで質問を流そうとする。ここで流さないと…大変なことになる!

「僕たちに言えない事?」

「「…!」」

私たちは同時にびくっと背筋を伸ばした。かなり敏感に反応したため、春冬君も感ずいてしまったようだ。

「なるほど~…きゅうちょ。これ、まずいんじゃないの~?」

「……んんん、なんとも言えないな。」

「よく考えてみてくださいよメガネきゅうちょ。見せちゃって。この単語単独では特に意味はない。しかし、それは誰にも言えないというもう一つの意味をもっている。」

「ここから導き出される推理は…ずばり…」

春冬君ってこんなにも敏感な人だったっけ…。どうする…。軽く流すという手は効かない!

「みゆきちゃんが知久に……不埒なことをした可能性がある!!!」

私と彼は…時間が止まったかのように動かなくなってしまった。春冬君は真相を暴いてやってぜと誇った顔をしてみせる。
どうしよう…春冬君を何とかしないと…もしかして全校生徒の前でこの恥ずかしい事実を晒さないといけなくなる!?
それはダメ!なんとかして彼を止めないと!

「は、春冬君…!あの…!」

「図星だったみたいだねみゆきちゃん。大丈夫安心して。この事実はこのメンバーだけの秘密だ。」

意外な春冬君の言葉に少し安堵する…が、春冬君の表情が変わった瞬間、とても嫌な感じがした。
春冬君のことだ。きっと、でもその代わり~…とか言ってくるはずだ。

「でもその代わり~」

予想の言葉が完璧に合っていたため、思わずため息を出してしまう。

「知久とデートだ。」

「「は?」」

あ、はもっちゃった。知久君とハモるとなんか嬉しくなっちゃうなー。じゃなくて!

「春冬君!?」

「今日の放課後、3時半からスタートし、夜の6時までデートをすること。いいね?」

「おい膠鳥!なんでお前はそういうことを…!」

「放棄するというのか?じゃ~みんなに言っちゃおうかな~」

「…!」

ダメ!そんなことされたら私…変態な子として知られてしまう!
私は必死に考えた。知久君とデートできる…これは私にとってとても嬉しくて幸せなことこの上ないことだ。でも、知久君からすれば、私とデートなんてまっぴらごめんなんだろうと思う。

彼の嫌がることは…したくない。彼に嫌われたくないからだ。デートはできなくても構わない。もっと時間をかけて彼に振り向いてもらって、それからでいい。
でも…春冬君の言ったことを無視したら……私は変体な子として学園の淫乱女子として君臨することになる…。

「さぁ…どうするのかな!?みゆきちゃん、知久。どちらでもいい、デートをするか、しないか!選んでくれ!」

「おい膠鳥…ちょっとやりすぎじゃないか?澄川もかなり悩んでるぞ…」

「春冬君、ほどほどに、ですよ~…」

「大丈夫。俺が選ぶわけじゃない。無理やりデートさせようとだなんて思ってない。選ぶのは…彼らなのだからな!ハハッ!」

こうなったら…私は変体女子になる覚悟を決めるしかない。知久君には迷惑をかけたくない。知久君に何も危害が加わらないのなら私、変体になっても構わない!

「春冬君…!私…!」

変体になっても構わない!だからデートはしない!…って言おうとした矢先、肩に手が置かれた。後ろを見ると、知久君だった。
彼は何も言うな。と一言だけ言って春冬君の前に出る。

「わかった…。こいつとデートするよ。」

「「「おおおおぉぉ!?」」」

「…!」

その言葉を聞いた瞬間、私は嬉しすぎて涙があふれてきた。

「お、おい…なんで泣くんだよ…。そんなに俺とデートしたくないのか…?」

どうやら私の涙は誤解されているみたいだ。私は知久君の問いかけを必死に否定する。

「すっごく…すんご~く嬉しいの…!知久君とデートできるなんて夢みたいだから…!泣くほど嬉しいの!」

「お前…」

今の自分の気持ちをすべて伝えた。私の嘘偽りなき気持ちが伝わったのか、彼の表情も自然と笑顔になった。
その時初めて、知久君の笑顔を見た。

「愛だね愛。」

「ここまでとは…」

「すごいです!愛の力は偉大なり!です!」

「そこ、勝手に愛とか言ってんじゃねぇよ。まずそんなんじゃないし。それより膠鳥、これでいいんだよな。」

「ああ。みゆきちゃん問題については不問とさせてもらおう!」

もしかして…知久君は私のことを思って…デートするという選択をしたのかな。

「よかったな。一応あのことは俺も悪かったと思ってる。だから、これでおあいこだ。」

「知久君…。」

ああ…なんて優しい人なんだろ…。ときめいちゃうな~…
ここで私がありがとう!って彼に抱きついて、そんで彼も抱きとめてくれて、俺、お前のことが好きだ。だから…お前とデートすることにした。なんて言ってきて私も私も…あなたのこと、ずっと好きでした!って言って、そんでそんで、両想い!ってことがわかって!そんでそんでそんで……!

「別にお前が気になるからデートするとかそういうのじゃないからな…!ただ、お前が変体呼ばわりされるところを見たくないから…だ。女ってのはもっと上品な生き物だろ…、だからはしたなかったら女失格ということになるし…と、とにかく!とにかくだ!お前のことは何も思ってない!勘違いだけはするな、俺はお前のような小動物は好みじゃないんだからな!勝手に妄想するんじゃないぞ…、いいな…!?」

そして、私のポジティブ妄想は一瞬で打ち砕かれた。

「わ~んんんん!!」

「ちょ、泣くなよ!本気にするなよ…。」

「え…本気にするなって…じゃ、嘘ってこと…?」

知久君は急に黙り込んで俯いてしまった。本当に彼はよくわからない人だから困ってしまう。

「休み時間終わりだ…あとは放課後だ。じゃあ…な。」

「さぁ、我々は邪魔しちゃいけませんな!きゅうちょ!亜澄ちゃん!ベースに戻るぞい!」

「どこにそんなんあるんだボケ。」

「行きましょう。後はみゆきちゃんたちに任せましょう。」

みんなは解散して自分の席に戻っていった。
彼が、じゃあ…な。と言った時に彼の顔が少し赤くなっていたのは気のせいなのかな。
多分…間違っていないと思う。私が思うに、彼はとても恥ずかしがり屋なんだ。男の子なのに意外な一面を持っているものだ。でも、私は彼のそんなところに惹かれたのだ。

「もう…ツンデレさんなんだから。」

私は突っ伏している彼を見ながら誰にも聞こえない小さな声でそうつぶやくのだった。


今日のすべての授業が終わり、放課後になる。いつもならやっと終わった~!って伸びをしてリラックスするところだが…今日は伸びもできない。とてもノンビリできる状態ではない。なぜなら…

「知久!さっさと来いや!」

「あ…うん。」

そう、この後すぐ……知久君とデートだから!!
超心臓バクバクなんですけど…もうヤバイ!なんだろ、本当にヤバイ!緊張しまくってるから変に口を滑らせないように気をつけないと。

「え、えっと…!」

「い…行くぞ。」

「ぁ…!」

彼に話しかけようとした矢先、彼の手が私の手をつかんできた。そしてそのまま彼に引っ張られていった。
彼の手は温かく、大きかった。彼は私を見ようとはせず、気恥ずかしそうに早歩きをするのだった。

「おお~あいつやりやがる!」

「お前は…何がしたいんだ?」

「きゅーちょ君、鈍感ですか?」

「メガネきゅーちょ。あなたには見えませぬか。彼女たちの恋が、愛が!」

「はぁ?」

「みゆきちゃんたち、なんだかんだいってデキそうなんです。だから、私たちが応援してあげよう!って思いまして、今現在絶賛作戦実行中です。」

「そういうことだ~!ということだから応援参加よろ~ノシ」

「…そういうことか。ま、見てるのも良い勉強になるかもな。」



彼は校門を出て同じ学校の生徒がいなくなったことを確認すると、ようやく私の手を放してくれた。

「今日は…そういうことだから、しばらく行動を共にする。」

「うん…。えっと…これ、デート…」

「違う!」

「ひゃ…!」

「あ…ご、ごめ…ん。違う…と思うんだ。」

彼もだいぶ落ち着きがないようだ。彼もまた、緊張しているのだろうか。

「そだよね…こんなの、デートって言わないよね…」

少しがっくりしてしまう。私の理想では知久君の口から、そうだよ。って優しく言ってほしかったのだが…彼、ちょっと変わった性格してるから、しょうがないよね。

「デートではないと思うが…お前としばらく一緒にいる、という点を見れば、デートみたいなものかもしれない。」

「大丈夫。逃げないから。安心…しろ。」

「あ…うんっ」

知久君が逃げ出してしまうこと…頭の片隅のほうで考えていた。少し不安だった。そんなことないだろうと思っていたが、実際に本人から断言してもらうと、すごく安心できる。信用してもいいんだなって思う。
私は嬉しくなってつい彼の手をとり、歩き出す。

「ちょ、どこへ…」

「あの坂を下ったとこ、自然公園があるんだよ。そこにいこ!」

「ったく…しょうがないな。逃げたりしないから、ゆっくり行こうよ。」

その時、また彼が笑った。彼の微笑は私に惚れさせる力がある。私はますます彼のことが好きになり、あれこれと考えてしまうのだった。

「えっと…その、知久君は…好きな人とかいるの?」

「は?なんだよ急に…」

「いや…!その…だって、知久君…カッコいいしモテそうだし…」

「俺がモテる?そんなバカな。俺はいつも一人で誰とも会話しないだろう。そんな根暗野朗がモテるわけないだろ?」

「私は…そんな知久君のことが…す、好き。」

「…!? お、お前…」

「知久君は……?私のこと、どう思う…?」

「お前…最低だよ。」

「え…!?」

「俺が最初にお前に言いたかったことを先に言いやがって。男として情けなくなっちまうだろ。」

「え…それって…つまり…」

「俺も、お前のことが好きだ。」

ああ…ずっと聞きたかった。彼の口からその言葉を―
言葉だけじゃ、物足りないし、信用できないな。ちょっとわがままになっちゃおうっと。

「じゃあ…私のことが好きだっていう証がほしいな…。」

「ったく、本当にわがままさんだな。」

そして彼の顔が近づいてくる。そして、彼と私の唇が…重なって…

「やったー!やった!やったよー!!?」

「うお、びくった。どうした…?」

「え…!?えっと…!?」

あれ…私、何してたんだっけ。
周りを見ると、ブランコやジャングルジムで遊ぶ子供たち、それを見守るお母さんたちがいた。
そして私はベンチに座っていて…その隣に知久君もいる。

「えと~…証は…」

「証?なんのことだ?お前、寝ぼけてんじゃないのか?」

あちゃー…また妄想してたみたい…。結構リアルだったんだけど…残念だな。そうだよ、現実は厳しいんだ。もっと時間をかけないといけないよね。

「お前急に黙り込んでぼーっとするもんだからしばらく見てたら、いきなり大声上げるからびっくりしたよ。」

「ご、ごめんね…つい…。」

「ま、別に気にしてないからいいけどさ。」

知久君は私から視線をそらす。彼が視線を移した先は、紙芝居をするおじさんの方だった。
紙芝居には結構多く子供たちが集まっており、みんな集中しておじさんの言葉に耳を傾けている。

「そして、家出をした拓海君はとぼとぼとした足取りでお家へ向かいました。」

「拓海君は、お母さんからこっぴどく叱られるだろうと考えながらお家のドアを開けました。」

「すると…ちょうどその時、お家の中からお母さんが出てきてこういうのです。たくちゃん…ごめんね…。ごめんなさい…!」

「拓海君はお母さんに抱きしめられて戸惑います。どうしてお母さんが謝るの?僕がいけないのに、と拓海君はお母さんに言いました。するとお母さんは、お母さんも言い過ぎたの。叩いてごめんね…。お母さんを許して…といいました。」

「拓海君は、僕も悪かった。心配させてごめんなさい。とお母さんに伝えました。お母さんは涙を流しながら、それじゃ、仲直りの証に指きりね。といいます。」

「拓海君はお母さんと、これからもう、悪戯はしないということを約束する仲直りの指切りをして、いい子になったのでした。パチパチパチ。」

紙芝居が終わったらしく、子供たちから盛大な拍手が送られる。途中から聞いてたからよくわからないけど、多分親子に関する物語だろう。

「親子の絆ってやつかぁ…。グッとくるな…」

知久君はそうつぶやくと私の方を見て、問いかけてくる。

「お前には、家族の絆とかあるか?」

「え…絆?」

急に難しい質問をされたものだから口篭ってしまう。どう、答えたらいいのだろう。
下手に嘘をついても仕方ないし、正直に分からないといったほうがいいのだろうか。

「う~ん…分かんないかな。私、そういうの鈍感だから。」

正直に答えることにした。もし嘘をついてその状態で話が盛り上がって、じつは嘘だったなんて、取り返しのつかないことになったら、彼に嫌われてしまうだろうし、何より私の気分が悪くなる。

「そっか。それが普通だと思う。親子の絆…。俺は、理解できないな…。」

「お母さんと、仲がよくないの?」

「いや、そういうわけじゃない。ただ、特に心に残るような思い出がないんだ。お母さんは…俺を生んだ後にすぐ死んじゃって…お父さんは自殺しちゃって…俺には親がいないんだ。」

「あ…ごめんなさい。」

私はとんでもないことを言わせてしまったと思い、慌てて謝る。でも知久君は笑っていいよと言ってくれた。彼のは話はまだ続くみたい。
知久君は少し考え込む仕草をした後、私に語りかけてくる。

「俺は家族とか、絆とかよくわからない。子供の頃に気づいていたはずなのに、俺は気づけなかった。時期を逃がして…親もいなくなって…。俺、正直漠然としてる。」

両親がいないなんて…なんて悲しいんだろう。私は彼の話に真剣に聞く。知久君のなにかを知ることができるかもしれない。

「もうダメだと思うんだ。俺には親がいない。俺は…家族の絆を理解できなかった。だから…だからさ、自分以外の誰かに、絆の大切さってものを知ってほしいと思うんだ。俺の分まで…さ。」

自分以外の誰かに…絆の大切さを知ってほしい…。
知久君は微笑んでいた。しかし…目は悲しそうだった。知久君は今、とても辛いんだ。彼のしたいこと…望むことを、させてあげたい。私が…彼の支えになってあげたい。

「ごめん、なんかシリアスな話しちゃって。さ、もう帰ろう。」

「その願いを…夢で終わらせちゃダメだよ。知久君がやりたいと思うことがあるのならそれを実現させるべきだと思う。私でよければ…お手伝いしてあげるから…」

私は今思っていることをすべて吐き出した。ちょっぴり恥ずかしかったが、彼にこの思いが伝わればそれだけで十分。

「お前…」

「お前、じゃなくて、みゆき。澄川みゆき。私の名前。」

「す、すみ…」

私と彼の関係は確実に進展している。これを機に、彼のことをもっと知りたい。彼を、支えてあげたい。これは、私の本心。
彼のパートナーになること。それが…私の今の願い。
少しずつでいい。知久君と仲良くなりたい。今日はその最初の大一歩。まずは、名前で呼ばせること。
これが成功したら今日は100点満点だ。大丈夫、きっといける。

「なに?ねね、お前なんて呼ばないで名前で呼んでよ。ほら、ほらっ」

ちょっと急かしてしまっている感があるが、私もドキドキしていた。早く名前で呼んでほしかった。初めて私のことを名前で……
「ぴ………ピーターラビットのくせにっ、な、生意気だぞ!」

「……………………………へ?」

「だ、大体お前は…すぐに真面目になる。すぐに、優しくしてくる。ず、ずるいぞ…俺は、男なのに…女であるお前に優しくされたら、か、かっこ悪いだろっ」

「そ、そもそもお前はウサギみたいな顔してて正にピーターラビットなんだからその辺の草原でもピョンピョンしてやがれってんだっ」

ええええぇぇぇええぇぇぇ!?
またまた変なアダナつけられちゃったおー!?

「と、とにかく。今話したことは全部本当の話だ。だ、だがお前に話すことではなかったはずだ。これは俺のミスと認める。だから、お、お前も俺がミスをするように甘えてこないでくれ。俺まで、お前に甘えたくなっちまうだろ…。だ、だれもお前に甘えたいなんて思ってない!これっぽっちもだ!いいな!勘違いだけはするんじゃないぞ!?」

知久君は赤面しながら、そっぽ向いてしまう。私はしばらく放心状態になっていたが、すぐに笑がこみ上げてきて我慢できずに笑ってしまう。
彼は恥ずかしそうに笑うな馬鹿。と力ない声で言いながら俯いてしまう。
本当にわかりやすいんだから。ツンデレさんっ

っと口に出すともっと怒られてしまうだろうと思ってたので、心の中でつぶやくことにする。
…今日の成功率は…0%だね…残念。
それにしても…ピーターラビットって…そこまで言われるとは思わなかったなぁ…。
私ってそんなに小動物面してるのかな…?


日が沈み、元来た道を歩いていると物陰から誰かが現れた。

「よっ、よく逃げなかったな、関心関心。」

「春冬君。」

「すまない二人とも。こいつがどうしてもついて来いってうるさくて…。」

「ごめんなさいです…。今回は許してくださいです…。」

春冬君と氷室君。それに亜澄ちゃんも一緒にいた。なんとなく予想はしてたけど…。

「別に気にしてない。な?」

「うん。春冬君が考えそうなことだもんね。気にしてないよ。」

「いやー、こやつが、逃げ出したら何もかもパーだろ?だから僕が監視しようって思ってつい、な。」

「じゃあなんで俺らまで巻き込んだんだ。」

「だってね~亜澄ちゃん。」

「きゅーちょ君にも愛というものを知ってほしいからです。」

「んなっ!?」

大げさなくらいに驚く氷室君。そういえば彼は恋愛とかに鈍感なんだっけ。

「相楽…直球すぎ…」

「え…私、何かミスりましたか?」

「ま、恋人生活ってのはこんな感じだーって伝えたかったわけ。亜澄ちゃんは結論を先にいっちゃったんだよ。」

って、それじゃ私たちが本当の恋人同士みたいじゃない!
あ~…知久君と恋人同士…

今日は日曜日。いつもなら私は部屋でゴロ寝をして薄い本…ゴホン。雑誌を読んでいるのだが、今日は特別過ぎる日なのだ。
何が特別かって?それはもち…
「愛しの知久君とのデートに決まってれー!!」
というわけで、いつもより可愛い服を着て出かけることにした。
この服なら彼もイチコロに決まってる。デート中に急に抱きついてきちゃったりして!
も、もしそんなことされたら私どうなっちゃうんだろ!?恥ずかしさと嬉しさと感動で気絶しちゃうかもしれないね!
おっと、そんなことを考えていたらもう待ち合わせの場所まで来ちゃったよ。
知久君はいるかなー?お、いたいた!時間を守る人って素敵よ!

「知久君~お待たせー!ね、ねねね、どう?この服似合うかな!今日は張りきって一番可愛らしい服着てきたんだー!」
思いっきり服を自慢してあげるんだから。メロメロにしてあげる!
「ああ、その毛皮が本当にうさぎみたいだ。3次元のピーターラビットだよホント。」


「だーかーらー!どうしてピーターラビットなのー!」

せっかくいい感じの展開だったのに…。どうして私はうさぎになっちゃうの…!?さっきの知久君の言葉、かなりキタみたい…。しばらく脳裏から離れないかも…。

「おおう…なんだよ急に…」

「出ました!みゆきちゃんの妄想爆裂タイム!!」

「がんばれ~がんばれ~!」

なぜか私の妄想を応援する春冬君と亜澄ちゃん。応援してくれるのは嬉しいのだけれど…なんかバカにされているようにも聞こえちゃうな。

「ピーターラビット…?ひょっとして…あのピーターラビットか?俺さ、ピーターラビット大好きでさっ、DVDとか全部持ってるし、あとデスクカバーとか壁紙とかぬいぐるみとか、その他たくさんのグッズを持っているわけで。もう本当にピータータンをはじめたくさんの仲間たちが超可愛いわけでして、抱き枕とかクンカクンカしながらもう毎日ペロペロせずにはいられないわけでして、ひゃっはー!今日もペロクンして………」

「え…?」
氷室君の予想外の言葉にみんなは一斉に視線を彼に向ける。
「はッ…!!!」
すべてを喋った後…氷室君はやっちまった!って顔をしながら両手で口を覆うが…もう遅い。ここにいる誰もが…氷室君の本当の姿を知ってしまった。

「あ…あのガリ勉の勉強大好きっ子の優等生キャラのクラスの級長が…」

「きゅーちょ君…そういう人だったんですね…。もっと大人びた真面目な人だと思ってました。」

「俺だって見てた時はあったさ…。だが、18になってそれはないんじゃないか?DVDとかぬいぐるみとか…女じゃあるまいし…引く。それにペロクンってなんだよ。」

冷や汗を流しながら後ずさりをする氷室君。

「氷室君…。終わったね…。」

私自身、頭の中で何も考えていなかったが、自然に零れ落ちた言葉がそれだった。彼にとってはこの言葉は…止めのような言葉だったろう。私はなんて事を言ってしまったのだと後悔する。
謝ろうとした矢先、彼は私たちに背中を向けて…

「うわああ~んんん!!」

すごい速さで泣きながら何処かへ行ってしまった。



「と、とにかく…知久は逃げなかった。ち、ちゃんと約束を守ったからあのことは言わないことにするよ。はは…」

「そうですそうです…。誰にも言いません。ははは…」

「よ、よかったね知久君。」

「ああ…。俺たちはよかったけどさ…」

さっきの氷室君の言葉があまりにも強烈過ぎて、彼がいなくなった今でも気まずくなってしまう。

「な、なあ…氷室のことは…俺たちの間だけの秘密にしとこうぜ…」

「知久…お前。」

知久君がその提案をするとは思わなかったもので、みんなは驚いてしまう。

「知久君…ありがとです。きゅーちょ君、きっと喜んでくれます。」

「喜んでくれるかどうかわからないけど…。と、とにかく、さっきの出来事はなかったことにしておきましょ?」

「そうだな。みゆきちゃんの言うとおりだ。メガネきゅーちょも明日にはいつも通りになってると思うし…絶対にあの単語を言ってはならんぞい。」

氷室君はあーゆう人ではあったけど、みんなは嫌いになってりしないし、貶したりもしない。これが、友情ってものなのかな。

「そもそも、なんでピーターラビットなんだ?みゆきちゃん。」

春冬君は私に問いかけてくる。
そっか…私がピーターラビットって言っちゃったから氷室君が反応しちゃったのか…。悪いのは、私のせいなのかも。

「俺が…こいつのことを、ピーターラビットって名づけた…」

「なんでピーターラビットなんですか?」

「似てるから。」

「ぷっ…!」

その時、春冬君が吹き出した。そ、そんなに私ピーターラビットみたいなんですかぁ!?

「ちょっ、ちょっと~!何で笑うのー!?」

「結構当たってるかも…!ハハ…!」

「も、もう…!私は人間です!」

春冬君につられてみんなも笑い出してしまう。そんな中、私は気まずくなって赤面しながら俯いてしまう。

「悪かった、悪かったって。もう笑わないから。」

「みゆきちゃん。大丈夫です。もうピーターラビットは無かったことになりますよ。」

亜澄ちゃんの言葉には不思議に思うことがあった。ピーターラビットが消えるってどういう意味だろう。

「そう、きゅーちょの前でピーターラビットって言うの禁止だから。そのうちみんな忘れるよ。知久、お前もみゆきちゃんのこと、ピーターラビットゆーなよ?」

「わかってるって。」

そういうことか。色々あったけど、知久君も私のこと、ピーターラビットって言わないみたい。よかった~。この先、ずっとその名前だったらどうしようかと思ってたけど、心配要らないみたい。これも氷室君のお陰なのかもしれないな。

「あ!もうすぐ7時過ぎちゃうぞ!早く家に戻らないと!」

「そうだな!それじゃ、ここで解散だな。じゃっ」

「バイバイです~!」

みんなは一斉に帰宅する。私も全力で走りながら家を目指す。
今のこの世界、7時までに家に入らないと規則を破ったこととなり、罰を与えられる。
弥露紅が提示した規則の一つ。「学生は、午後の7時までに必ず帰宅すること。また、7時以降の外出は許されない。」

ばれないのではないか。と思って外へ出て夜遊びをしている人もかつては、いた。
しかし…弥露紅にはすべてがお見通しらしく、誰が今どこにいるのかもすべて分かっているらしい。違反者を見つけたらすぐそこに執行人を送って連行させる。
私の友達にも…いた。その人は抵抗したせいで、死刑になってしまった。
今はもう…生きていない。

弥露紅は容赦なく、人を殺める。とても恐ろしい人間なのだ。
屈服してしまうのはとても悔しいが…自分の命も大切にしなくてはならない。だから、従うしかないのだ…。
私が帰宅したのは7時5分前。途中、神罰執行人らしき黒服の人もうろついていて睨まれた。
一体…どこまでお見通しなのだろう。
弥露紅の恐ろしき力は…この先、どんどん強くなっていくのだろうか。そう思うだけで鳥肌が立つ…。だれか…この縛られた世界を元の平和な世界に戻して…。



朝になった。今日はものすごく余裕を持って学園へ向かった。
同じ過ちは二度と繰り返すわけにはいかない。もうあんなことはごめんだからね…。
というわけで学園についたにはいいけど…

「まだ6時半で暗いんだよね…」

早すぎた…よね。遅すぎるのは困るけど、早すぎても困ってしまうのだと学ばされてしまった。
さて、HRまでたっぷり時間があるわけだけどどうやって時間を潰そっか。
教室には誰もいなく、話相手もいない。二度寝しようかと考えたが、あいにく完全に目が覚めてしまい、とても寝れる気分ではなかった。

「そうだ、空でも見てみよっか。きっと今頃はとてもキレイなはずだから。」

私はすぐに行動した。屋上の鍵は持っていない。天文部でもないので鍵を所持しているわけがない。でも、私は昔から結構機用で、針金で鍵を開けるスキルを持っていた。
そのスキルを使って扉の鍵を開けて屋上へ出る予定だった。

「いざ!参る!」

扉の前にまできた私は、針金を手に取りドアのノブをひねった。

「あ、あれ?」

一応確認のため、ドアノブをひねったみたところ、なんと鍵が開いていた。天文部かもしくは先生等が鍵を閉め忘れたのだろうか。
とにかく手間が省けたのでちょっぴり嬉しかった。
私はそのまま屋上へ出て空を眺めた。

「う~ん!太陽さん、今日も元気だねー!」

太陽は今日も輝きながら世界を照らしていた。
伸びをしてリラックスをした後、フェンスへ向かおうとした矢先。

「あれ…だれか、いる?」

少し距離が離れたところに、人影を見つけた。多分生徒だと思うけど一応見に行ってみよう。

「あ……!」

少し近づいたところですぐに誰なのか理解できた。

「知久君!」

「あ…小動物。」

「小動物じゃぬぁああぁいいい!」

彼がフェンスの前で空を眺めていた。なんでこんな朝早くにここにいるのだろう。色々な疑問が頭をよぎったが、なにより彼と会えることは嬉しくてたまらなかった。

「おはよっ」

「おはよう…」

「こんな朝早くにどうしたの?」

「それはこっちの台詞でもある。なんでお前がこんな時間にここにいるんだ。」

どうやらお互い、謎だらけのようなので私から説明することにした。

「私は…昨日みたいなことはもう繰り返さないために、早めに登校してきたの。」

「早過ぎないか…?」

「そこんとこは突っ込まないっ。んでんで、空でも眺めたいな~って思ってここへ来たら知久君に会っちゃった。ってところ。」

とりあえず一通り説明をした後知久君も順中に説明をしてくれた。

「俺は朝、いつもこの時間にここにいる。昔から早起きで家も近いし、この時間にここへ来ることは苦じゃない。鍵はないからそこにある窓から侵入。あそこの窓は鍵が脆いからちょっと強気で揺らせば勝手に開く。」

なるほど…。知久君ってこの近くに住んでいたんだ。今度…行ってみたいな~…
彼の家に行ったらね~う~ん。どんな感じになるんだろ~…

わ~帰宅途中、私は知久君の家に行きたい!と駄々をこねて彼にしがみついて彼の家に向かった。

「まぁ…その、入れよ。」

「いいの?」

「ここまで来といて帰らせるのは可愛そうだろ…?」

「ありがとっ。じゃ、おじゃましま~す!」

ついに私の大好きな知久君におうちに潜入!そしてそのまま彼の部屋まで案内されちゃった。

「あれ、あんまり散らかってないの。」

「俺は清潔だから…。自分で言うのもあれだけど…」

男の子の部屋って散らかっているのが普通って聞いたけど、知久君は例外みたい。もちろん、散らかっていない部屋は好きだけど、散らかってても私が掃除しに行くけどっ

「へぇ~ちょっと見直したかもっ」

「あんまじろじろ見るな…。もういいからその辺に座れ…」

彼はベッドを指差して座れといったので遠慮なく座らせてもらった。

「んで…何の用?」

「え~とね、その…ね。えへへ…」

「なんだよ…早く言えよ。」

「えーっ!れ、レディにそれを言わせるの!?」

「なんの話だよ…!」

「も、もう…知らん振りして…。」

「いや…本当に知らないのだが。」

すごくドキドキしてきてしまった。
彼と二人きりの空間。おうちには私たちだけ。この状況ですることは一つのみ!

「この間の続き…しよ?」

「きゃー!!続き!?!?!いつのまにそんなことしちゃってたのー!?それまずいまずいまずい~!」

「お前の頭がまずい。」

「…ッ!」

あ…れ…。あ、またやっちゃった。もう私のバカ!知久君の前でやらないようにしてたのに…。高感度減っちゃうよ~!

「ご、ごめんね。ごめんなさい…。」

「別にいいよ。お前がそういう奴だってことはもう知ってるし。」

一瞬、彼が笑ったように見えた。彼は、こんな私を嫌わないの?

「嫌がったりしないの…?私、変だと思わないの?」

思わず聞いてしまった。彼の口から直接聞きたかった。

「別にいいんじゃないか?俺は教室の隅で大人しくしてる奴よりお前みたいに元気溌剌な奴のほうが好みだぞ。」

「ほ、ほんと!?」

「ああ。ちょっと変に見えるかもしれないけど、お前だから問題ない。お前だから許される。それに見てて面白いし、そういうお前、結構好きだぞ。」

彼の言葉が、とても心に響いて、嬉しかった。それに好きって言われちゃった!
その“好き”ってどっちの意味なのか確認したほうがいいのかな…。今なら大丈夫。聞いちゃおう。

「好きって…どんな感じの好きなのかな…?」

「は!バカ!勘違いするな!好きってのは…その、ファン程度の意味だ!決してアッチの好きじゃないぞ!?よ、よぉく覚えときな…」

「そっか…。残念。」

まぁ予想はできてたけど。そこまで落ち込むほど残念ではなかった。

「知久君のそういうとこ、私好きだよ。」

「は?」

「ツンデレさんなところ。」

「!?」
彼は赤面して俯いてしまった。
私もさっきやられたから、お返し。結構効いたみたいでよかった。

その後、知久君としばらくお話をした。
二人きりになれる時間なんてこれからほとんどないと思う。だから今、時間があるうちにいろいろなことを話そうと思った。

「知久君って、将来なにか目標とかあったりする?」

「将来…か。」

将来の話題に入った途端、彼のテンションが下がったように見えた。
そして、とても真剣な顔で語り始める。

「俺は将来、シンガーソングライターになりたいって思ってる。とても難しいだろうと思ってる。でも、俺も本気なんだ。」

私は真剣に黙って聞いていた。彼の気持ちを理解するために真剣だった。
そういえば昨日も何か言っていたような気がする。
-自分以外の誰かに、絆の大切さってものを知ってほしいと思うんだ。俺の分まで…さ。-
そうだ、そういってた。これとシンガーソングライターと何か関係があるのだろうか。
知久君もとても難しいことを悩んでるんだ…。

「そのために、勉強もたくさんしてる。すべては、将来のためだから。」

もっともな意見だと思う。改めて彼を尊敬する。
私なんか勉強不熱心で将来のことも漠然としたままだ。
そんな私に比べたら知久君は優秀すぎる。

「でも最近は…夜遅くまで起きてて、睡眠とれなくて学校で居眠りとかしちゃってる…。結構まずいことになってたりする。音楽の勉強だけじゃなくて学校の勉強もやらなきゃいけないのに…。」

彼は悔しそうに拳を強く握りしめながら俯く。そんな彼の右腕を私は包み込む。

「あなたは十分すぎるくらいに頑張ってると思う。何事もすべてが上手くいくとは限らないよ。もし、本当にまずいな、って思ったなら…私でよければ…力になるよ。」

「お前…」

「私は勉強得意じゃないし、音楽関係のこともよく分からない。でも…知久君が元気になれるように励ますことはできる。支えることができる。だから、私でよければ…いつでも相談に乗るよ。」

私の言いたいこと…ぜんぶ言った。すっきりしたかも。あとは彼自身が判断するだけ。

「そ、その…」

「うん。」

「ありがとう…。お前は本当に言い奴だ。こんな素敵な子と友達になれて、嬉しい。」

「知久君…」

「お前の力を借りたい。俺に力と勇気を分けてくれ。」

知久君の本音が聞けた…。嬉しい返事をありがとう。
私は満面の笑顔で任せて。と言った。彼も笑って頷いた。
下を見ると、登校してくる生徒が増えてきた。そろそろ時間なので戻ろうとした矢先。

「あ…えっと…」

「うん?」

知久君が私を呼び止めた。彼を見てみると、何かを言いたそうにしていた。

「こ、これからもよろしく…澄川。」

「ぁ…」

彼が初めて、私を普通の名前で呼んでくれた。
また一歩、彼との仲が深まったんだ。私は嬉しくなって彼の目の前まで行って、彼の片手を両手で握る。

「うんっ。よろしくね、知久君っ」

これからも私たちの学園生活は続いていく。
世間では弥露紅によって不自由な生活をさせられているが、知久君と一緒なら、がんばれそうな気がする。
知久君だけじゃない。春冬君、亜澄ちゃん、氷室君もいる。みんながいるから、私は乗り越えられると思う。
友達と楽しい時間を過ごすこと、好きな人と二人きりでおしゃべりすること。それくらい望んでもいいと思うんだ。


「…。」

「「「…。」」」

ホームルームが終わって休憩時間となったわけだが…

「な、なんか話そうぜ…」

氷室君の席にみんな集まったわけだが…氷室君の鬱具合は想像を絶するものだった。
このクラスの級長である氷室君は毎朝ホームルームの時間になるとビシッとしてみんなに声をかけるのだが…今日の彼はず~っと、この突っ伏した体制のまま動かないのだ。
流石にみんなも心配になったらしく、みんな彼に話しかけるのだが…反応は無い。
しかし…完全に黙っているわけではないのだ。

「お、おぃ…まだなんか言ってるぞ…」

「膠鳥、氷室に耳くっつけて何言ってるか聞いてみろよ。」

知久君は無茶を言うし…。

「お、男に肌をくっつけろと…!なんて気持ちの悪い!どう考えても無理だろ…!まて…。もしかしたら、ここで頑張ればこのクラスのおにゃのこを完全性はできるのではないか…?ハハッ…!俺はやるときはやるんだ!や、やってやるぞー!?」

春冬君は無謀な挑戦をしようとしてるし…。

「春冬君…!落ち着いてください。もっと効率的な方法があります!だ、だからホモの道に進まないでください…お願いします!」

「ホモになるなんて言ってない!」

亜澄ちゃんの言う、効率的な方法とはなんだろう。気になったので問いかけてみると、亜澄ちゃんは自慢げに話し出した。

「えっへんです!じつはですね、これ一つをちょちょいと細工するだけで、どんな小さな声でも、どんなに距離が離れていても、人の声を聞くことができるのです!」

そういいながら亜澄ちゃんは側にあった教科書の一冊を手にして、それを丸め始めた。

「この丸めた状態で自分の耳に当てるとですね、なぜか!遠くの声が聞こえてしまうという摩訶不思議な技術が実現できるのです!」

「それ…本当なのか?」

知久君が疑うのも無理はない。常識的に考えてありえない。

「確かにですね、適当に丸めたんじゃ効果はゼロになってしまうということもありえるらしいです。でもですね、私はちゃんとマスターしたんで、カンペキにできますはい。」

「さ、さすが亜澄ちゃん!ホワあああぁぁ!亜澄ちゃん大好き!チュッチュッしたい!ヤバッ!萌えるうううぅ…!!!」

「勝手に燃えてろ。どアホマフラー。」

「わあああぁぁぁ!僕のマフラーが燃えてる!!!というか知久なんでお前ライターなんて持ち歩いてんのっ!?ぎゃ!火、火が火火火!!あと、ちなみに燃えるじゃなくて萌えるだからギャ!熱いおぉぉおおぉぉぉおおぅうおおぉぉぉっ!」

なぜか誰も気に留めようとも助けようともしないので私も気にしないことにする。

「相楽、やってみてくれ。」

氷室君は突っ伏したまま何かぶつぶつ言っている。でも、その声はとても小さく、もっと近づかないと聞こえないの音量だ。

「ん~」

亜澄ちゃんは丸めた教科書に耳をくっつけて真剣に聞き取ろうとしている。
はたして、何が聞こえたのだろうか。

「僕は…変体…です…ピーターラビット中毒の…ピーターたんしか見えない、変態です、僕の人生…終わりました…」

亜澄ちゃんは聞き取れた言葉を復唱して私たちに聞かせてくれた。
やっぱし…そうだよね、あのことだろうと思ってた。でも、このままじゃ氷室君もかわいそうだ。何とかしてあげたいけど、いい案が思い浮かばない。

「どうしましょう…。きゅーちょ君、かなり追い詰められてます…」

「「う~ん…」」

私と知久君は腕を組んで考え込んだが、まったく見当もつかない。いくら話しかけても無反応だし、叩いても揺さぶっても効果なし。
なにか妙案はないだろうか。氷室君が一発で目を醒ますような、何かが。

「よし、俺に任せろ。氷室の奴を一発で起こしてやる。」

「知久君…。」

「知久君!ファイトですー!」

知久君は言い考えを思いついたようで、実行に出るらしい。一体どうするつもりなのだろうか。すると彼はさっき、亜澄ちゃんが丸めた教科書を手に取り、それを口に当てて大きく息を吸う。
そして…

「起きろおおぉ!級長おおぉ!!」

「…。」

結構ボリュームがあったのに、氷室君はびくともしない。だが知久君は諦めない。

「起きろおおおぉ!氷室おおぉ!!」

「…。」

またしても結果は同じ。

「起きろおおおぉぉ!飯だぞおおぉぉ!!!」

またまたしても結果は同じ。もう彼を元に戻すことはできないのではないか?

「あ、あれぇ!?なんでピーターたんがこんなところに…!!」

「え!どこどこ!!」

起きた…。
知久君にどこかと詰め寄る氷室君。知久君は…指を刺した。―私を。

「ぴーたーたん……ぁ」

「…。」

私と目が合った。私はとても恥ずかしい気持ちになり、目を逸らす。
すると、氷室君は残念そうに俯きながらつぶやく。

「そうだよね…現実にいるはずが無い。もしかしたらって思ったけど…実際そんなことあるわけが無いんだ。ハハ…俺は何してるんだろ…。」

私がピーターラビットではないと理解したのか。氷室君はどんどん悲しそうな顔をしていく。

「ピーターたんと瓜二つの子を見つけても…それはピーターたんではない。…それじゃ意味が無いんだ。」

う、瓜二つ…!?失礼ね…!?

「氷室。現実を見ろ。お前の願いは叶わない。2次元から3次元に移動できる技術はないんだ。だから……」

知久君も必死に氷室君を慰める。あんなに友達を作るのを嫌がっていた知久君が…こんなにも仲間を大切にしている。これが…友情って奴なのかな。知久君…ますます好きになっちゃう…!

「…こいつで我慢しろ。」

「ちょっとっ!!」

「分かった。」

「そこ!納得しない!!」

「みゆきちゃんって…前世うさぎとかですか?」

「も~!亜澄ちゃんまで私のことうさぎ言わないでー!」

もう最後はいつも、みんなして私をからかうんだから。
からかわれるのはとてもいい気分はしないと思ったけど…不思議と嫌な感じはしないかも。
氷室君も元に戻ったし、知久君も私たちの輪の中に溶け込んだし。前に増してとても充実して楽しい生活になった気がする。

「はぁ…やっと火消えたよ…ってメガネきゅうちょ復活しとるし!」

「知久君のおかげです!」

「いや、こいつのおかげだ。」

すると知久君は私の頭に手をポンと置いて乱暴になでてくれる。
なんか…好きな人に頭をなでられるのって、いい気持ち。なにより嬉しい。

「こいつがピーターだったから、氷室は復活できたんだ。」

「だーかーらー!ピーター言わないでー!」

「これからもよろしくな、ピーター」

「もー!」

みんなで笑いあう。ちょっと納得できない部分もあるけど…でも、みんなとこうして笑いあえるのはとても気持ちがいい。
こんな素敵な時間を、いつまでもすごしていたいな。
規則がなによ。そんなのに縛られててもね、みんなと一緒にいれば苦痛に思わないんだから。
もちろん規則は守って生活をするつもり。だから、だから…私たちのこの友情の輪を打ち砕くようなことはしないで。弥露紅。それくらい望んでも、いいでしょう?

絆があれば、私はどこまでも頑張っていける。きっと―


すっかり元気を取り戻した氷室君をみんなは快く迎え入れた。結局のところ、ピーターラビットの単語を使っても問題はないことになってしまい、私がピーターって言われ続けることになった。なんと悲しい現実だこと…。
そして、知久君も自然と輪の中に入り、みんなでお話しするのがさらに楽しくなった。
今は何を話しているかと言うとね…

「本当なんだって!あれは絶対にUFOだった!!」

「ありえない。ここ日本だぞ。」

「いやいや、どこでもありえないだろうが…。天然かお前。」

「私は、いると思いますよっ」

春冬君が今朝、未確認飛行物体を見た。ということを話してくれたのだが、他に見た人もいなく証拠不十分なため、もめているところ。

「亜澄ちゃんはどうしてUFOの存在を認めるの?」

「だって、だって…ゆーれーが存在するんだからUFOも存在するに決まってます。」

ゆーれーとは、幽霊のことで間違いないだろうと思う。
そもそも、幽霊も存在しないと思う。いまだに科学的証明がされていないのだから。

「亜澄ちゃん!も、もも、もしかして…!その自身からわかることは…幽霊を見たことがあるということなのか!?」

「そです。」

亜澄ちゃんはえっへんと自慢げに頷く。そんなに嬉しそうに言われても…逆に怖いのだけれど…。

「シマリス。その冗談面白くない。」

「誰がシマリスですか誰が!」

そう、知久君はすぐにあだ名をつける性質なので、勿論亜澄ちゃんもあだ名で呼ぶ。
ぱっと見てすごく小さく、仕草がリスに似ているから“シマリス”でいいだろ?ってことで決まった。無論亜澄ちゃんはその名を嫌がっている。なぜシマが入るのかは不明。

「決して冗談ではありません。ホントです。信じてくださいっ」

みんはは内心信じていないだろう。それを見抜いたようで亜澄ちゃんは強気になって信じてもらおうと声を張り上げる。
こうなっちゃうと亜澄ちゃん、中々諦めが効かないからなぁ~。嘘でも亜澄ちゃんの言葉を信じてあげてもいいと思う。

「馬鹿馬鹿しい。相楽、幽霊なんてこの世に存在しない。無論、未確認飛行物体もな。御伽噺として伝えられてきた様々な妖怪や魔女等はすべて架空の存在なんだよ。」

その時、氷室君がまるで子供の夢を打ち砕くように冷たい一言を言い放った。

「きゅーちょ君…」

「俺はそういう確証もない不完全な存在を絶対に認めない。存在を許さない。絶対にな」

氷室君はさらに冷たい言葉を連鎖させる。そこまで言わなくてもいいと思うのだけれど…。

「いいか、UFOも幽霊も存在しない。絶対に。今まで発見できなかったのだから、いないんだ。そして、この先も証明されることは、無い。お前たちがオカルト家だっていうのなら俺は席を外させてもらう。ま、せいぜい幽霊探し、がんばってな。」

それだけ言い残して氷室君は自分の席へ戻っていってしまった。最後の最後まで幽霊を否定していたけど…一体どうしたのだろう。幽霊や魔物で昔何か嫌な思い出でもあったのだろうか。
何かトラウマになるようなことがあったのなら、彼があれだけ向きになって否定するのも無理はない。

「なんだあいつ。幽霊の一匹や二匹いてもおかしくないだろ。」

「メガネきゅーちょにもいろいろあるんだろうさ。そっとしとこうぜ。それより亜澄ちゃん!幽霊を見たって本当なの!?ねー教えてよ!」

春冬君の言葉にみんなは亜澄ちゃんに注目する。そして、彼女は少し深呼吸してから、とんでもないことを口にした。

「私ですね…視える力があるんです。」

春冬君は勿論、知久君までも目を見開いて固まってしまっている。亜澄ちゃんの目は…本物だ。誰がどう見ても彼女が嘘をついているようには見えないだろう。
その後、亜澄ちゃんは坦々と昔あった出来事を話し出した。

「あのときの事、今でも鮮明に覚えています。でも、決して嫌な気持ちにはならないんです…。」

嫌な気持ち…。幽霊と言うと普通は無駄に髪が長くてボロボロの白い服を着て俯いているイメージかな。私的にはそう思う。きっと彼女も同じ。そんなのを目撃したら…あんまり思い出したくはないだろう。
でも亜澄ちゃんは嫌な気持ちにはならないと言った。これは一体どういうことなのだろうか。私は彼女の言葉に真剣に耳を傾ける。

「あの時私が見た人たちは…とても嫌な印象ではなかったのです。なんというか…幻想的、というのでしょうか。そんな感じでした。」

人たちという形からして複数いるらしい。オバケは一人でも十分に怖いのに二人もいたら気絶しちゃうよ!

「最初はとても怖くて、逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。でも…私は勇気を振り絞って話しかけたのです。」

さすが亜澄ちゃん!って思わず春冬君が言いそうなことを言ってしまった。
そして、物語はどんどん怖くなっていく…。

「私は思い切って聞いてみました。私、亜澄。あなたたちのお名前は…?って。」

「すると…二人は顔を上げて…順番に答えてくれました。」

「ゆう」

「れい」

「ん…?」

思わず耳を疑ってしまった。なんか変じゃないかなって気がした。それは私だけではなく、知久君も春冬君も同じようだった。
アレ…?もしかして…

「二人の笑顔はとても素敵でした。名前を言うときの息もあっていてすごく感激しました。そして私は思いました。幽霊って…優麗だな~と。」

ちょ…やっぱり!?

「おいっ!!」

「きゃはは!!さっすが亜澄ちゃん!!最高だよー!!」

まさかの駄洒落オチとは…これは予想外の展開。知久君も完全に怒っちゃってるし…。

というわけで、結局亜澄ちゃんが霊感があるというには嘘だった。
亜澄ちゃんは、空気を和ませたかったからという、ただそれだけの理由でとっさに怖い話をしたらしい。
健気だな~…私も見習わないといけないね!
知久君に相応しい人間にならないとね!


放課後、誰もいなくなった教室で私は一人席に座らされていた。
数学の時間に寝すぎて何も話を聞いていなかった私は抜き打ちテストで0点をとってしまった。
なにか嫌なことでも言われたりするのではないか。何かされたりするのではないか…!?
悲観的になっていた私はいつもの楽観的な妄想でそれを打ち消したのだ。
0点だからって怒られない!居残りで補習とかもない!うんっ、絶対にないよ!
そう自分に言い聞かせていた矢先、数学の先生に宣告されてしまった。

「お前、放課後居残り。このプリントをすべて埋めて提出すること。」

あちゃ~…
妄想したことが現実になるわけないよね…。そんな人生甘くないよね…。
落胆しながらも私はこうして居残りをして勉強をしている。これさえ終われば、今日の0点のことは目を瞑ってくれるかもしれないのだから。
教科書を参考にしながらも懸命に頑張った。そして…

「できてぇああぁぁっ!!」

ついにできた。全部埋めたぞ!
ハイテンションになった私は即効で職員室へ行き、先生の机の上においておいた。

「はぁ~やっと帰れる…」

教室の窓から外の景色を眺めた。もう日が沈む時間だった。

「そんなに時間経ってたか~…ま、まだ7時まで十分に時間はあるし、寄り道でもしようかな。」

教室を後にして下駄箱へ向かった。
その時、まだ帰っていない生徒が私以外のももう一人いることに気づいた。
21番…。え~と…確か、あ…知久君だ!
彼の出席番号は21番だったはず。私の記憶が確かなら合っている。
それにしても、彼は放課後残って何をしているのだろうか。
その時、今朝のことを思い出した。
もしかしたら…また屋上にいるのかもしれない。
そう確信した私はすぐに屋上へ向かった。

「知久君!」

「ん…、あ…」

思ったとおりだった。知久君はフェンスの所で町の景色を眺めていた。

「お前、またなんで…」

「下駄箱見たら、知久君がまだ帰ってないってわかって、あなたが行きそうなところってここくらいだと思ったからここへ来てみたの。」

また呆れられるのかと思っていたけど…今日は違かった。

「よくわかったな。わざわざ来てくれたんだ、少し話さないか。」

「ぁ……」

知久君は笑ってそう言ってくれた。なんだろ…最近知久君が私に対してどんどん優しくなってきている気がする。

「う、うんっ!嬉しい!」

私は嬉しくなって彼のところまで駆けていった。
彼は最近のこと…私たちに関わってからの思い出話をしてくれた。
話している時の彼はとても嬉しそうな表情をしていた。こんなに嬉しそうにしている知久君…初めてだと思う。

前の時みたいに一人でムスっとしている時よりも絶対今のほうがいいと思う。
春冬君に感謝しなきゃいけないね。彼があの時、知久君を引っ張ってこなければ、今頃私は知久君に話しかけれなくて、もやもやした生活をしていた思う。
今はとても幸せ。彼と会話ができたこと。彼を私たちの輪に混ぜてあげられたこと。彼に笑ってもらえたこと。様々な思い出をつくれてとても幸せ。
そして、これからも幸せな思い出をつくって素敵な未来を築いていこう。

これから先のこと、そうね…将来のとかかな。
知久君は将来、シンガーソングライターになりたいって言っていた。
今、私には将来の夢はない。私はほら…おバカさんだから、未来とか全然想像出来ない。
将来の夢とかは全然わからないけれど、目標はある。
そう。今の私には目標がある。それは…知久君を支えること。

「知久君。音楽の勉強は、大変なのかな…」

また彼と話せるのは嬉しいが、何を話していいか思いつかなくて、思わず分かりきっていることを聞いてしまった。

「まぁね。学校でも音楽やってくれるといいんだけどね…。はぁ…この学園にはなんで音楽がないんだろ…」

そういえばこの学園は実技教科が無い。普通の学校なら美術、体育、音楽の3つくらいはあってもおかしくないのだが…なぜかこの学園は無い。

「まぁ自分でこの学校選択したから文句言えないけどな…」

彼はため息をつきながら再び空を見上げる。

「上手くやっていけるだろうか…すごく心配だ。」

彼の言葉には何か悲しいものを感じた。もしかしたら、願いがかなわないのではないか。彼はそう思っているんじゃないかと、私は思った。
だから、そんな彼を安心させたくて手を握ってあげる。

「大丈夫。きっと…きっと大物さんになれるよ。」

「澄川…」

「私が…知久君のそばにいて、応援してあげる。挫けそうな時は助けてあげる。だから、大丈夫。」

もちろん、絶対にとは言えない。でも、それくらいに頑張ろうという気持ちはある。

「ありがとう。」

彼は私に笑いかけてくれた。安心してくれただろうか。自信を持てたなら、それで満足。

「もし俺が将来、大物のシンガーソングライターになったら、お前に一曲プレゼントするよ。」

「え…?」

「約束だ。」

すると、知久君は小指を私に出してきた。私も自分の小指を出して、絡める。

「はい、指切った。」

「知久君…」

「俺、頑張るから。応援よろしくな。」

「うんっ」

彼の目は希望に満ち溢れていた。私は本気で彼を応援したいと思った。
私も何もしないわけにはいかないね。もっと勉強して優等生にならなくちゃ。
私たちの未来は、私たちでつくる。これからは全力でいくよー!

神さま。私、頑張れるよね。彼の役に立てるよね。
神さま…なれるよ。って言ってくれた気がする。私がポジティブすぎなのかもしれないけどね…。でも、見守っていてくれてるよね。うん、きっといる。信じ続ければ…いつか姿を見せてくれるよ。

絶対に保障なんていらない。人生は、最初から答えがわかっていたんじゃ面白くないもんね!
見ていて。私、知久君に認められるようなベストパートナーになるから。


いつの間に朝になったのだろう。知久君と屋上で喋っていたのが5分くらい前のように思える。
時間って、こんなに早かったっけ…。あ、きっとアレだ。物事に夢中になると時間が進むのが早く感じるっていうアレ。
う~ん、私はおバカだからわかんないけど、とにかく知久君に夢中になると、時間は風のように過ぎ去っていくようだ。
さてと~、今日も知久君と仲を深めちゃぞ~!
ってもうこんな時間!遅刻は絶対絶対絶対しちゃダメだ!急ごう!
到着時刻、8時25分。

ふぅ…なんとか遅刻は免れたみたい。危ない危ない。無理して走ったせいか、頭がくらくらする。少し休憩しよう…。
寝不足のせいか、気がついたら寝てしまっていた。亜澄ちゃんに起こされなかったらずっと寝たままだったかもしれない。
今日は寝過ごしてはいけないのだ!いや。今日から、だね!

今日からはいつもとは違うぞ。今日から知久君に追いつくようにお勉強をするのだ!
授業は50分間。いつもならその10分の1、5分でオネンネタイムに入るところだが、今日は寝ない予定。私だってやればできる子なはずよ。
そうだよ、昨日の数学のプリント、自力で全部解けたじゃないー!
あのプリントも全問正解してる!してなきゃおかしい!してるはず!絶対絶対してしてるっ!

「澄川、先生の仕事は○付けだ。どうしてお前はいつも私に○付けではなく、×付けをさせるのだ?」

「わあああぁぁんんん…!」

先生から昨日のプリントを渡されたが、なんとすべて間違えていた…。
残酷な現実を突きつけられ、さっきまでの勢いと自身は、一瞬で飛んでいってしまった。
萎え過ぎてしまい、数学の時間はまた寝過ごす羽目となってしまった。


いつの間にか放課後になっていた。
今日はなんとなく時間が過ぎるのが早い。春冬君たちとはいつものおバカトークをした記憶があるが、はっきりとは覚えていない。
う~ん…多分今日は比較的落ち着いたトークをしていたからだろう。
何話してたっけかな。
う~ん…記憶があいまいだな~…。あ…まさかっ…!
まさか私って…記憶喪失…!?!!?
記憶喪失ってドラマとかで使われる設定の一つだけど…とにかく痺れる設定だよね!
君は…誰だ?
私はだぁれ…?

こんな意味深な言葉をしれっと言ってしまうと超カッコいい!一度記憶喪失とかになってみたいな~。
あ、でもなれるかもしれない。
記憶喪失になるには、記憶を無くしたという設定にすればいいだけ。他の誰もがどんなに疑おうとも、自分さえ折れずに記憶を無くした設定を維持し続ければ…記憶喪失、成立だ。
つまり…自分さえ記憶を無くしたと言い張ればそれで記憶喪失になれる!
そうだ!これを使って知久君ともっと仲良くなってみよう!
例えば、例えば…う~ん…あん、また妄想しちゃうかも…

「狩真君。」

「ん…?どうした、急に名前で呼び出して。」

「私ね、思い出したの。狩真君、あなたと私は婚約者なの!そうよ、7年前のあの日、海岸で私にプロポーズしてくれたじゃない!」

「あの時のこと…ようやく思い出したの!どうして今まで忘れていたんだろう。でも、ちゃんと思い出したから!」

「澄川…いや、みゆき。待ってた。」

「え…?」

「俺だけ気づいていて…知らない振りをするの…本当に辛かったんだぞ。」

「知久く…」

「本当によかった…! 帰ってきてありがとう…みゆき!それで、お前の返事はどうなんだ?7年も待たせやがって…聞かせてくれよ。」

「私は…私は…」


「モチOKに決まってるぎゃ!!」

「どうした?ピーター。」

「はっ…!」

あれ…さっきまでのラブシーンはまるでガラスが砕けるように呆気なく消え去った。
そして現実に引き戻された私は、みんないなくなった教室で一人自分の席に座っていることを認識した。その隣には知久君もいた。
どうして彼がここにいるのだろう。てっきり先に帰ったのかと思ったけど、私のために…残っていてくれたのかもしれない。
一応理由も聞こうとして口を開いた矢先。

「ねぇ…」

「ん?」

まて…まてまて。
さっきのは妄想だったかもしれないけど…今ちょうど誰もいなくていいシチュエーションができている。
や…やってみようかな…。

私の脚本通りだと、これをやれば知久君と永遠に結ばれてハッピーエンドになる。
やるしかない!やろう!さぁやってしまおう!成りきるんだ!記憶喪失少女に!

「あ、あれええぇ!?」

「な、なんだ?」

「狩真君!」

「ん、どうした急に名前で呼んで。」

おお!脚本通り!きっとうまくいく。悲観的になるな~私!

「私ね、思い出したの。狩真君、あなたと私は婚約者なの!そうよ、7年前のあの日、海岸で私にプロポーズしてくれたじゃない!」

「は?」

決まった…!これで知久君は私の…

「なんで俺がお前の婚約者って設定になってんだよ。それに7年前ってなんだよ。そもそも海岸がイミフだしどうして海岸にした?バカなの?死ぬの?悪いが俺は耳の長い子供を生みたくない。他をわたってくれ。」

「ひ…」

「あ…しまっ…すみか―」

「酷いいいぃぃ…!!!」

猛烈な罵倒乱舞に耐えられなくなった私は教室を飛び出した。
あ~あ…やっちゃった。無理に記憶喪失なんて装うからこういうことになるんだ。きっと知久君も私のこと本当に嫌いになっちゃっただろうなぁ…。
他をわたってくれなんて言われたら…彼に一生プロポーズできないじゃん…!
終わった…。
DEAD END.


いや…!まだよっ!

「澄川…!」

私は屋上の柵のところで蹲っていた。だれも来ないだろうと思っていたが…なんと彼は来てくれた。

「ごめん!ちょっとした冗談だったんだよ…!まさか本気にするとは思わなかったっ」

彼は真剣な表情で謝ってくれた。悪いのは私なのに…どうして知久君が謝るの?

「私のほうこそ…急にごめんなさい。嫌いになっちゃったよね…」

「いや、そんなことない。俺はお前のこと嫌いにならない。絶対に。」

これは現実…?妄想じゃない?自分の頬をペチンと叩いてみた。

「痛っ…」

現実だ。彼の言葉はすべて本物だ。その事実を知って…私はとてもうれしい気持ちになった。
でも…どうして彼は絶対に私のことを嫌いにならないなんて言えるんだろう…。
そう問いかけてみると…

「お前は俺のベストパートナーだからだよ。」

「孤独な俺を引っ張って膠鳥たちの輪に溶け込ませてくれた。俺に仲間の大切さを教えてくれた。」

私は…そんな大したことはしていないと思う。私はただ、知久君が好きで、仲良くなりたかっただけ。

「知久君を引っ張ってきてくれたのは春冬君だよ…」

「それでもお前は俺に何度も接してきてくれた。俺と仲良くなろうと健気に努力した。」

彼も薄々わかっていたみたい。私、感情が表に出ちゃったりとかするからね…。

「だから…そんなお前を見てると…」

今日の知久君はなんか…優しい。嬉しいことばかり言ってくれる。

「いじめたくなるんだ…。」

「へ?」

「お、おぉまぇを見てると、どど、どどどうしてもその…いじめたくてたまらなくなるんだ…」

あ、あれあれあれ?
なんか知久君がどんどん変になっちゃってる!?

「ったく、なんでお前はそんなに小動物みたいな顔してるんだよ!そんな可愛い顔されたら…いじめたくなるに決まってんだろ…」

なんか嬉しいようで全然嬉しくない感じなんですけど…。

「と、とにかく!お前には俺だけのパートナーとしていてほしい。」

「知久君…。」

「いつまでも…その顔を見ていたいしな…。あ!別にそーいうことは全然思ってないし、お前が好きになったとか、そういうんじゃないぞ!?それ、絶対にありえないからっ…ぁ、いや、ありえなくはないが…そのなんだ…ある……かも…?」

「くすっ」

どんどん萎れていく彼を見て思わず私は笑ってしまった。知久君のツンデレは何度見ても面白い。
知久君は赤面しながら笑うのをやめろと言うが、私はやめなかった。正確に言えば、やめられなかった。
私の笑いにつられたのか、次第に彼も笑みを浮かべて、一緒に笑いあった。


「んで、どうして記憶喪失になろうとしたんだ?」

知久君がもう少しここにいようと言ったので私はもちろんOKし、今こうして昨日と同じシチュエーションとなっている。

「ええっと~…話すと長くなる…かも?」

「何分だよ。」

「その…3日くらい。」

「は?」

記憶喪失になろうというアホすぎることを実行した理由を、話したくなかった。
だから嘘をついて逃げようと思ったけど…

「大丈夫、笑わないから。」

知久君が笑わないと言ってくれたので、しぶしぶと話すことにした。

「というわけで…結論から言うと、記憶喪失の人はカッコいいというかなんというか…魅力的、かな?そーゆーとこに惹かれて惚れちゃうんじゃないかと思って…実行したまでで…」

「お前バッカ!?はは…!!」

大笑いされた。

「ひ、酷い…!!」

この場にいることがとても耐えられなかったのですぐに逃げ出そうとしたが、知久君が私の手をつかんで謝ってくれた。
彼はまだ少し笑っていた。私はそんな彼をムスっとした顔で睨みつけた。

「悪かった、悪かったって。まさかそこまで阿呆な話だと思わなかったんだ。」

「知久君…嫌い。」

「ごめんごめん。それより、その話が本当なら、お前は俺と恋人同士になりたかったってことで間違いない?」

知久君のさり気なく言った言葉に私はビクッとして背筋を伸ばしてしまう。
ここで嘘をついても何の意味もないだろう。私は彼から目をそらしながらコクっと頷いた。
とても…恥ずかしかった。だってこれって…告白してるのと同じようなものじゃない。

「そう…か。」

知久君も黙り込んでしまった。多分…考えているに違いない。
私が想像するに、「この妄想小動物と…恋人生活ぅ?そうだなー…デート中に妄想して変なこと言って大事なシーンも台無しにされたり………3日ともたないだろうな。」
ああぁぁ!!ダメダメダメ!オワタオワタオワタ!
一刻も早く逃げ出すべき!さぁいけ私!
逃げようとした刹那、彼が沈黙を破った。

「お前はそう考えていたのか。」

彼のその言葉が私に向けての言葉だったのか、それとも、独り言だったのかはわからない。
でも、振られたわけではない…みたいなので、もう少しこの場に留まることにした。
落ち着きを取り戻した私は…チャンスだと思い、一番重要なことを問いかけてみた。

「知久君は………私のことを……どう思って…るの?」

ゆっくりではあったが、彼にちゃんと質問した。彼は町の景色を眺めたまま、そうだね。と言った。

「やっぱり…私じゃ…イヤかな…」

ああダメだ…私こういうの本当に苦手だから…。いつもポジティブな妄想してるくせにこういう時ばっかり悲観的になっちゃう。

「知りたい?」

知久君は私の方を見てそう言った。私は思わずドキっとしてしまった。
知久君の本音を…聞けるの?今、この瞬間!?
鼓動が激しくなってきた。足も震えてきて、ガクガクしっぱなしだった。

「俺はお前のこと…」

彼の目だけを見て…彼の次の言葉を待った。短いようで、とても長い時間だった。
そして…

「やっぱ教えない。」

「へっ?」

「お前の顔見てたら、教えたくなくなってきた。そのうち話す。」

ええええー!?まさかのお預けですかー!?

「酷いー!酷いー!知久君の意地悪ー!」

私は彼の腕をブンブン振ってわめいた。彼は笑ってごめんと言う。ごめんで済むなら警察は要らないというのに…。

「今はそれを言う瞬間ではないと思う。だから分かってくれ。な?」

確かに、まだ早過ぎる感じは…しなくもない。
私だってちゃんとした告白はしていないのだから、無理を言えない。

「そうだね。その瞬間が来た時、私もちゃんと言うから。」

「ああ。」

その後、私たちは頷きあって、帰ることにした。
帰り道、知久君がまた明日。と言ったので私も答えようとしたのだが…

「あ、あの…」

「ん?なに。」

じつは…ずっと聞きたかったことがあった。最近色々バタバタしててとてもこんな真剣なこと言える時間がなかったから、今がチャンスだと思って思い切り言ってみることにした。

「そ、その…、知久君、今…ピアノひけたりするの?」

「え…?」

当然のごとく妙な空気になってしまった。あちゃ…なにやってるんだろ私。やっぱり今言うことでもないだろうにと後悔してしまう。

「うん。少しね。」

あ…でも意外といけそう。えと、言っていいのかな。言っちゃっていいのかな…。知久君、ひけるって言ってくれたし…なら、ちょっとお願いしても…。

「それがどうしたの?」

「え、えええっと…とと!」

「落ち着けって。」

あーもー!なに緊張しちゃってるんだ!別にヘンなことしましょ、なんて言うんじゃないし、普通の事を聞くだけなんだから!しっかりしなきゃ!

「あの、知久君のピアノ…聞きたいなって思って…!」

「…。」

言っちゃった。でも、これでいいんだ。私は言いたいことを言った。
知久君はしばらく黙り込んだが、すぐに笑みを浮かべて答えてくれる。

「うん。いいよ。」

「え…いいの?」

「うん。今日は無理だけど…そうだ、明日にでも聞かせてあげようか。」

嬉しい…。知久君がいいよって言ってくれた。本当に、嬉しいことこの上ない。
しかも!明日聞かせてくれるって!もう知久君大好き!
ん…?待って。どこで聞かせてくれるの?と思ったので聞いてみたら…

「学校しかないでしょ。」

「え、でも…あの学校音楽なんてないんじゃ…」

「大丈夫だって。俺に任せろ。」

知久君は胸を叩いて任せろと言ってくれる。本人がこんなに自信満々に言ってくれるのだから、絶対に大丈夫だろう。私は知久君に全部任せることにした。

「それじゃ、明日。」

「うん。またね。」

そして私たちはその場で別れて家に帰った。



次の日になり、支度をして学園に向かった。
今日は天気は曇り。太陽さんがいない日はやっぱり萎えてしまう。
なんか…気のせいかもしれない、私の思い込みかもしれないけど…なんか嫌な胸騒ぎがする。
今日、なにか起きる…?
私は灰色の空を見上げながら妙なことを考えていた。そしてすぐにいつもの妄想だと確信し、ポジティブに切り替える。

「今日、帰りに知久君があー傘ない。って言ったら私が貸してあげて、その代わり相合傘ねっとか言っちゃったりしてー!」

曇りだから元気になれない、というわけにもいかない。無理やりでも元気になって楽しい一日にしなくちゃ。

「あ!そうだ今日は…!!」

大事なことを忘れていた。今日は知久君との約束の日だ…!
彼のピアノをひいてる超イケててカッコいい姿を拝めると思うと、すごくわくわくしてしまう。
知久君のことを考えたら途端に元気になれた。これでいい。悲観的なのはいくないんだから、楽しいことだけを考えていこう。


今日は数学という邪魔な教科がない!よしっ!みなぎってきた!
しかし、ここで楽をしてはならない。私は、知久君に負けないくらいに勉強するって決めたんだから。
少しずつがんばっていこう。

4時間目が終わり、昼休みとなった。今日も外で食べようかと春冬君が提案したが、あいにくの天気でしかも降り出しそうだったから無しになった。

「あれ…?」

窓側の席を見ると、そこにいるはずの知久君がいなかった。トイレにでも行ったのかなと思い、しばらく待っていたのだが、帰ってくる様子はない。

「どったのみゆきちゃん。」

「知久君、どこへ行ったか知らない?」

「そーいえば、授業が終わった途端に教室を出て行ったのを見ましたけど。」

亜澄ちゃんがひょっこり現れて目撃証言をしてくれる。

「昼食べないのか?」

氷室君も来て、いつものメンバーは彼を抜いて全員そろった。
そろそろお腹もすいてきたころだ。知久君には悪いけど、先にお食事をしようとした矢先。
教室の扉が開いて、知久君が入ってきた。

「おお、知久。探してたぞ。」

「何かあったのですか!?事件ですか!?」

「相楽、落ち着け。こいつのことだ、大した用はないはずだ。」

「黙れ、ピー…」

「「「しーっ!!」」」

「…なんでもない。さあ、昼にしようか。」

かなり危ないところだったけど、みんなの凄まじい威力で知久君を黙らせた。
その後、みんなでいつものように昼食をとった。
結局、知久君が何をしていたのかは分からないままとなった。

放課後になって約束のことを聞こうとしところ、彼のほうから私のところまで来て手を引っ張って教室から連れ出してくれた。

「知久君?」

「ついて来て。昨日の約束だ。」

そのまま知久君についていく。目的地はどうやら、地下のようだ。
地下なんて今まで行ったことは一度もない。
まさか…地下に音楽室でもあると言うのだろうか。そんなことを考えていると、ある教室の前で彼は止まった。

「ここだよ。」

彼は扉を開けて中に入れてくれた。
そこは…ダンボールや、書類の山などがたくさんある倉庫みたいなところだった。
でも結構なスペースがあり、狭くはなく、息苦しくもない。
左のほうへ進んでいくと、そこには…あった。

「これ…」

「ピアノ。ちゃんと音も出るよ。ほら。」

そう言って鍵盤に指を乗せて静かに押した。ドの音が室内に響いた。

「それじゃ…ひくよ。」

「うん…。」

私はそばにあった椅子に腰掛けて耳を澄ました。
知久君は軽く深呼吸をした後、私を見て笑みを浮かべた。互いに頷いた後、彼は鍵盤に両手を乗せて…演奏し始めた。
とても…澄んでいてキレイなメロディだった。
演奏している時の彼はとても真剣だった。私は彼をいつも以上にカッコいいと思った。
何分くらい経っただろう。3分くらいだった気がするけど…1時間くらい経ったようにも思えた。それくらいに、集中して聞いていた。

曲の1番が終わったあたりで、彼は手を止めた。
私は立ち上がって大きな拍手を送った。

「ごめんな。まだこれで終わりじゃないんだ。まだ途中までしか弾けなくて…。」

「ううん、ううん!すっごく感動したよ!素敵な演奏をありがとうっ!」

まだ1番までだけど、それだけでも十分だった。私の大好きな知久君が私のために演奏してくれたということがなにより嬉しかった。

「この先、もっと腕を磨いてこの曲を完璧にする。そして次に聞かせる時こそ、君に本当の感動をプレゼントする。」

「知久君…」

嬉しくて…嬉しすぎて思わず泣いてしまいそうになった。
ああ、もう泣いちゃダメだぞ私。涙をこらえて、知久君を見つめた。

「澄川。」

「知久君…」

気がつけば、私たちの距離がとても近くなっていた。
こうやって見ると知久君って結構背高いよね…じゃなくて!えっと!ど、どうしたらいいんだろ…

「澄川。俺は…お前のこと…」

「うん…」

知久君は少し唇を震わせながら…懸命に何かを言おうとしている。
私は…黙って彼の言葉を待った。

「お前のことが…」

バンッ!
刹那、扉が勢いよく開き、その後黒服の男が5人入ってきたかと思えば、私たちを拘束した。

「な、なに…!」

「え…!?なにこれ!?一体なによ…!放して、放してよ!知久君…!」

必死にもがいてもビクともしなかった。黒服の男…神罰執行人は私たちを哀れみるような目つきで私たちを見た。

「弥露紅様より指令が届いた。天明寺学園の地下の侵入者を拘束し、直ちに連行せよと。」

「…!!」

また弥露紅だ…。どうして…なんでそんなことまでお見通しなの!?なんでいつも…私たちの自由を、幸福を奪うの!?

「大人しくしろ。今、車を用意している。すぐに連行する。対象者は、知久狩真。貴様だ。」

「…!」

「え…!?ど、どうして知久君なの!?」

「知久は午後に一度この部屋に侵入している。その時点では如何わしき行動は見られなかったため、流しておいた。弥露紅様は再びこの部屋に侵入した時に拘束を命じられた。」

昼になってすぐにいなくなったのは…ここへ来ていたのだ。
でもそれは扉の鍵とピアノのチェックをしただけのはず。何も悪さはしていないはず!

「今も知久君は何もしてないよ!私のために、素敵な演奏を聞かせてくれた…!それだけだよ!!」

知久君がなにをしたってのよ!彼は何も悪いことをしていない。私のためにピアノを弾いてくれた。これのどこが悪いことなの!

「この部屋には全校生徒のデータ等の書類が数多とある。生徒の個人情報を盗み出し、何らかの悪行を働く予定だった可能性がある。」

「ど、どうして知久君がそんなことしなくちゃいけないのよ!」

なんでそんな…彼を悪い人呼ばわりするの…!彼は何も悪くない…!

「もういい澄川…。ありがとう。そうだともおっさんたち。俺はこの部屋に用があって来た。しかし、澄川は関係ない。そいつは俺が呼び寄せたんだ。もちろん、それも俺の責任だ。だから…そいつは放してやれ。」

私を拘束していた二人の神罰執行人は放れた。
私は…助かった…?助かったの?私は助かったかもしれないけど…知久君は助からない。
どうする…?どうすればいい?どうすれば彼を救える!?

「さぁ、澄川は自由にさせて俺だけ連行しろよ。」

彼は…助からない?ダメだよ…絶対にダメ!

「大人しくしろよ。暴れるな。暴れたりした場合、気絶させてでも連行する。」

行っちゃダメ…!行かないで知久君!
知久君が神罰執行収容所へ連行されたら…!進路に大きく関わることになる。もしかしたら…退学処分だってあるかもしれない!も、もし弥露紅がもっと最低な人間だったら、彼をその場で殺してしまうかもしれない!
どっちだったとしてもダメ!彼と弥露紅を接触させちゃダメ!知久君は絶対にピアノを無くした人生を歩むことになってしまう…!

「言われなくても…分かってるさ…」

なんとかしなきゃ!私が…私が彼を助けなきゃ!!

「待って…!!」

頭の中が真っ白のままで、何も考えられないのに…。
でも、なんとかしなくちゃ。ここで、チャンスを逃したら…すべてが終わる。
確実に知久君を救う方法…。それは、誰も予想だにしなかった現実を生み出すこと。
嘘で真実を誤魔化す…!それしかない!!
さぁ、言え私!とんでも屁理屈で神罰執行人を…弥露紅を騙せ!!!

「神罰執行人のおじさんたち…まだ気づかないんですか?こんなのも見抜けないんじゃ弥露紅に首にされますよ?本当に罪を犯したのは私なのに。」

「なに?」

「おい、澄川!お前なに言って…!」

私は…悪魔の笑みを浮かべて知久君と5人の神罰執行人を睨みつけた。

「あれれ知久君。私昨日言ったよね。私、あなたのピアノの聞きたいって。あれさ、じつは嘘よ。」

「な、なに…?」

「私は、じつは結構前に遅刻して神罰執行人の人に指導室へ連行された時があったの。その時の、二時限目目あたりで場所を移した場所が、こ~こ。」

「…!?」

執行人は敏感に反応して私を睨む。私はなおも話し続ける。

「その時ね、この部屋の構造を理解したの。あと、ここに何があるかもね。執行人さんはずっと私を見ていたけれど、目だけは監視できていなかったみたい。女の前髪って長くて便利よね。ま、気づかないおじさんもどうかと思うけど。」

「貴様…!」

「私は横目で確かに見た。机の隣に置いてあった書類の山の一番上、だれだれの成績表の文字を。それで確信したの。この部屋には全校生徒の記録がある。私はただ一人の生徒の記録書をめちゃくちゃにしてやりたかった。その生徒は、膠鳥春冬。彼はうちのクラスでナンバーワンの成績を誇る優等生。女ばっかりちょっかいかけてるヤツがどうしてそんなにデキるのだろうか。私は彼を怨んだ。どうしてそんなにデキるんだよ。頭がいい上に女にモテまくる彼を…うざいむかつくいたぶってやりたい。彼の人生をめちゃくちゃにしてやりたい。そう 思ってこの作戦を決行したの。」

「まさか貴様…あの時から…」

「天下無双の神罰執行人さんも結構鈍感なのね。今頃お気づき?そう、あの遅刻して連行された日、あの時が作戦決行日!すべてはこの教室を見つけるためのね!でも、その時はミッションコンプリートにはならなかった。執行人もいたしね。でもこの部屋の詳細を把握できた。それだけで十分だった。また日を改めてくればいいのだから。それで2度目の決行が今日。知久君に演奏してもらいたいとホラを吹いて私はこの部屋に再び侵入した。演奏終了後、私は彼を気絶させて膠鳥の成績を書き換える予定だった。気絶って言うより失神かな?中学の時、よくクラスの子と失神ゲームってのをやったから。それを使おうと思ってたの。あなたならいくらでも隙を見せると思ってたから。」

「澄川…?」

「ふん、ごめんね知久君。あなたも結局は利用されてたのよ。あなたも結構鈍感なのね。」

「…。」

「貴様と言う人間はどこまで腐ってやがるんだ。」

「あら、腐ってるのはお互い様ではなくて?平気で人を殺めるくせにっ。人を殺すことを躊躇わない人間なんて人間じゃない。人間以下、ただの屑よ。」

「この女…!直ちに連行する!!」

「はいはい、行きますよ~。弥露紅ってヤツの顔を拝みたいもんだわ。私の真偽も見分けられなかったことを突いて遊んでやりたい。」

「知久はどうします?」

「そいつこそ、無関係だったんだ。だから、放してやれ。」

「そうよ、すべては私が仕組んだこと。私の責任。知久君は自由にしなさいよ。」

これで…いいんだ。
うん、なんかダークヒーローぽくてカッコよくなかったかな?
私、結構演劇とかに向いてるかもね!って…そんなこと言ってる場合じゃないか。もしかしたら…もう2度と戻ってこれないかもしれないんだから。あれだけ挑発したら…本当に弥露紅と対面して殺されるかも。

「ついて来い!」

いつの間に、両腕に手錠をかけられていた。まるで容疑者ね。
でも、これでいいの。私はやるべきことをした。これで…知久君は連行されない。
真っ直ぐ、何の不安もなく生きていける。
立派なシンガーソングライターになってね…。

もう2度と、知久君に会えなくなるんじゃないかと思うと…涙が出てきた。
涙が止まらなかった。そんな私を…彼は悲しそうな顔で見ていた。
どうしてそんな悲しい顔をするの?ああ、そうだ…私、彼にすごく酷いこと言っちゃったんだ。ごめんね…ごめんなさい。知久君…本当の本当は…とっても感動したんだよ。
これは本当。もし私が生きて帰ってこれたら…また聞きたいな。今度は歌も一緒に。

「さよなら…私の初恋の人…」

私は強引に連れて行かれた。静寂とした廊下で背後から声が聞こえる。私の名前を大きな声で呼んでくれる…愛しの人の声が。
でも私は振り返らない。彼はこの先頑張らなくてはならない。
約束…守れなかったね。ずっと支えるって言ったのに…。私、最低だ。
でも…さっきすごくがんばったからいいよね。それで…許してくれるかな?

無理だろうな…。約束は破っちゃったんだから。
とにかく、本当によかった。私が犠牲になれて、彼を救えて、本当によかった。
ありがとう知久君。そして、さようなら―

To be continued...

Karma -宿命-

第1章が終わりました。次の更新では2章突入です。

Karma -宿命-

その眼で確かめてください。楽園の果てに待ち受ける真実の世界の姿を。―この世界のすべてを知りたいあなたへ―

  • 小説
  • 中編
  • 冒険
  • ホラー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-10-09

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著作権法内での利用のみを許可します。

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