Fate/Last sin -20

 一月二十四日の朝、風見市は前代未聞の災害に見舞われていた。
 原因不明の集団催眠で、風見中央駅前を中心に一夜にして起こった暴動の被害の全容が徐々に明らかになっていくにつれ、警察や救急、市民たちはいよいよ混乱した。全く何の予兆もなく、およそ市民の半数以上が謎の集団ヒステリーに似た症状を起こし、最も被害のあったところでは一万人を越える負傷者が出た。全市民の二十分の一が負傷し、救急も警察も何も役に立たないような状態で、市の行政はパンクし、全ての学校や公的施設が避難所として使われた。
 しかし最も不可解なのは、全域で災害じみた被害が出ているにも関わらず、死者はほんの数名に留まったこと、
 そしてその死者すべてが、死後に体の一部を切り取られていることだった。

「……どう、始末をつけるのですか?」
 風見市の中心から外れた、喧騒から離れた坂の上の教会の、さらにひっそりとした北側の医務室でクララは尋ねた。
 だが問いを向けられた本人は何食わぬ顔で、清潔なシーツと毛布の敷かれたベッドのひとつに腰掛けている。その向かい側、同じように簡素なベッドの上には、全身を包帯で覆われた男が静かに横たわり、その傍らにクララが寄り添うようにして丸椅子に座っていた。もう早朝の空気が抜けた冬の部屋の窓は、音もなく降る霧雨でじっとりと濡れている。
「どう、とは? 全て君たちがやったことだ。私には関係がない」
「……それは、」
「分かってるよ、ああ、分かっている。不可抗力だろう。あのキャスターがここまでの力を持っているなら、捨て駒にせずとも、もっと有効活用する方法も考えただろうね。私の落ち度だ」
 神父は苛々したように、自分の右腕の手首に巻いた包帯を爪で引っ掻いた。クララは黙って神父を見ている。屋根から雫が垂れる音が数回聞こえる程の沈黙の後、アルパは手首に目をやったまま口を開く。
「おかげで君のワガママを聞く羽目になって、令呪を二画も抜くとはね。今回ばかりは計算外というしかない」
 クララは目を伏せ、しかしすぐに長いまつげに縁どられた瞼を上げた。
「キャスターを管轄できなかったのは私たちの落ち度です。ムロロナがこんな傷を負ったのも。ですがここまで暴走させてしまった以上、もう後始末は私の手には負えません。……神父、どうぞ判断を」
 アルパは神妙なクララの顔を見、横たわる彼女の夫を見た。そして薄い唇を開く。
「別に? 何もしない。その必要はない」
「え」
 面食らったクララをそのままに、神父はベッドから腰を上げて医務室の扉へ歩いていく。
「どうせ全部終われば、どこの記録にも誰の記憶にも残らないんだ。好きに騒がせておけばいい。……途中過程で何人死んだって構わない、結局私は成功するからね。そうでなくては私ではない」
 アルパは真鍮のドアノブに手を掛けながら、「ああ、でも」と付け足す。
「アーチャーのマスターには目をつけておこう。持って行った死体の破片のツケくらいは払ってもらうから」
「それは、」
 言いかけた声を跳ねのけるように、バタン、と音を立てて木製の扉が閉まる。
 クララは深く息を吐いて肩を落とした。すぐ傍らで昏睡している夫に目線を戻し、丸椅子の上で膝を抱える。
「……私……何も間違えていないわ。そうよね……」
 ムロロナの閉じられた瞼はぴくりとも動かない。ただ規則的に胸が上下し、呼吸をして、命を繋いでいるだけの身体だ。クララは彼の腕に巻かれた白い包帯にそっと触れて、目を伏せた。
「私はただ……あなたに、幸福を返したいだけなのに」
 伏せた目はそのまま閉じられ、彼女の意識は滑り落ちるように眠りへと転がっていった。



 体を覆うような寒気に体を震わせて、楓はゆっくりと瞼を開いた。
 白い漆喰でざらざらした壁、太く年季の入った梁がむき出しの部屋――窓はなく、消えかけた暖炉の白っぽい灰がくすぶっている、うすら寒い部屋。楓はしばらくぼんやりとソファーに横たわったままそれを眺めていたが、ハッと気が付いて上半身を勢いよく起こす。その瞬間、左の脇腹に鈍い痛みが走り、思わずうめいて手を当てた。
「……あ」
 その拍子に思い出した。―――昨夜の、神父との会話の記憶だ。
 あの時の激痛を体が今にも思い出すのではないかと心配になる。楓は部屋に誰もいないのを確認して、ゆっくり、慎重にブラウスのすそをまくり上げて脇腹を見た。さぞひどい傷が残っているだろうと薄目で恐る恐る目を向けたが、予想を大きく裏切られ、楓は目を見開いて自分の腹部を凝視した。
「あれ? ……あれ?」
 そこに傷は無かった。傷はおろか、少しの傷痕さえ残ってはいない。ゆっくりと指で痛む部分を触ってみても、痣を押した時のような鈍い痛みが跳ね返ってくるだけだ。とても、体の中を裂かれるほどの痛みを感じた傷を負ったとは思えない。鈍痛を除けば、楓の身体は健康そのものだった。
「……」
 あれはただの悪夢だったのか、と楓は首を傾げる。だが、
『――――わざとやったんだ。悪いね。君に恨みは無い、といえば嘘になるから』
 監督役の感情の薄い声が勝手に反芻されて、楓は思わずソファーから立ち上がった。薄暗い部屋には、相変わらず誰もいない。けれど、もう一秒だってここには居たくない、と、頭ではなく心が必死に訴えてくる。
『今、この場で、君を殺すことだって――――』
「!」
 その言葉を思い出した瞬間、楓は寒さではなく体を震わせた。狭く簡素な地下室が、突然牢獄のような威圧と不気味さをもって迫ってくる。……次、もし神父と顔を合わせたら?
 そう考えるだけで、ここから逃げ出すには十分な理由だった。たとえあれが単なる悪夢で、楓の妄想だったとしても、だ。
 楓は辺りを見まわし、暖炉と反対側に上り階段があるのを見つけると、ソファーに掛かっていた自分のコートを羽織り、埃の溜まった冷たい石造りの階段を、一段一段、登っていく。
 ――――でも、どこへ?
 その問いを、頭を振って考えないようにする。
 どこだっていい。もう、どうにでもなってしまえばいい。
 どうせ、セイバーはもう私のサーヴァントではないんだから――――
 楓は唇を噛んで、階段を登りきった。そして右手側に伸びる、暗く湿気の多い廊下を、壁に手をつきながら、ゆっくりと、よろめきながら進んでいった。




 キィ、と、古い扉の蝶番が軋む音で、クララは不意に浅い眠りから醒めた。神父が戻って来たのかと思い、抱えていた膝を下ろして扉の方を向く。だがそこにいたのは長身のアルパではなく、髪の長い、東洋人の少女だった。
「あっ……え、えっ、あ、すいません!」
 少女はクララに見つけられて慌てたように扉を閉めようとする。普段のクララだったら、何事も無かったように流していたかもしれない。だがその時だけは、魔が差したように、閉まろうとする扉の向こうに声をかけていた。
「待ちなさい」
「……」
 沈黙の後、訝しんでいるのか、それともただ単に怯えているのか、少女は扉を細く開けて、その陰からこちらを伺っている。その姿が、叱られた時の自分の娘にそっくりで、クララは思わず吹き出した。
「大丈夫、とって食べやしないわ。こっちに来なさい」
「……」
 少女はコートの襟を左手で握りしめ、するりと部屋に入ってきた。そのまま後ろ手に扉を閉めて、警戒するように少しずつベッドへ近づいてくる。彼女がすぐそばまで近づくと、クララは椅子を引いて、さっきまで神父が座っていた空きベッドを示した。
「座って。丁度良かった。あなたと話がしたかったの」
「え……でも私、」
 少女は右手をコートのポケットに入れたまま、ぎこちなくベッドに座った。濃い紫色の瞳に、腰まで届くほどの長い髪はよく手入れされている。あっさりとした目鼻立ちは東洋人そのものだ。クララは微笑みながら言う。
「右手の令呪は無理に隠さなくていいのよ、セイバーのマスター」
「!」
 立ち上がろうとした少女の腕を素早く掴んで押さえつけた。少し緩み始めていた彼女の顔に、一瞬で警戒心が張り詰める。
「怯えないでいい。本当に話がしたいだけなの。ね?」
 なだめるように言って聞かせると、少女は諦めたようにベッドにすとんと腰を下ろした。だが警戒の色を弱めない目でクララを見て、泣きそうな声で言う。
「あなたは……?」
「私はクララ・ルシオン。キャスターのマスターだったこの人の、妻よ」
 傍らで未だに眠ったまま横たわるムロロナを指してそう言うと、少女の顔色がすうっと青ざめた。
「キャスターの……?じゃあ、その怪我は、まさか……」
 少女は身震いして、令呪のある右手を左手で握る。クララは真っ直ぐに少女を見て頷いた。
「そう、セイバーにね」
「……!」
 息を呑み、唇を開いた少女は、震えながら言う。
「ご、ごめんなさ……」
「謝らないで!」
 クララは厳しく言い放った。そしてふっと肩から力を抜き、首を横に振る。その顔には怒りや叱責の表情はなく、穏やかな口元に微笑みすら浮かべていた。
「謝らないでいいの。謝ってほしくて呼び止めたんじゃない。これは彼と、私が決めた行動の結果。どんな結果でも、自分の責任よ。最終的にセイバーの逆鱗に触れたのは、この人の責任だもの」
 クララの言葉に、少女は戸惑ったような視線を向けた。
「……どうして……。っ、いえ、なんでもないです……」
「どうして? 何が?」
 少女はしばらく逡巡したように、口を開かなかった。クララはその間なにも問いたださず、じっと待った。やがて固い蕾がやっとほころぶように、少女の唇が開かれる。
「どうして、そんなふうに言うんですか? 大事な人を傷つけられて、私のこと、憎くないんですか……?」
 今度はクララが黙り込む番だった。だが答えが無くて迷っていたわけではない。出来るだけ簡潔に伝わるような表現を探して少し考えた後、きっぱりとこう言った。
「私は、彼のことを信じているもの」
「……」
 それを聞いた瞬間、少女はその言葉の意味を考え込んでいるように表情を変えなかった。だが数秒のあと、少女はなぜか泣き出しそうな顔になって、クララの言葉の続きを促す。クララは包帯に覆われたムロロナの腕に少し触れて、霧雨の降る窓の向こうを見た。

「私は、この人が何を成し遂げたいか知ってる。そして最後にはそれを成しえるだろう、と信じている。誰が敵でも、誰に傷つけられても、きっとこの人は立ち向かっていけるだろうから、って。キャスターというサーヴァントこそ失ったけど、それでもこの人はきっと何も諦めないって分かってるの。だから誰に邪魔されても、憎くなんてないわ。私は、私の務めを果たすだけ」

 不意に窓の景色がぼやけて滲んだ。
 あれ、と不思議に思って、目の淵に指を当てる。温い雫が一滴つめたい指先に付いて、クララは顔をくしゃりと崩して、笑いながら少女を振り返った。
「いやだわ、いい歳して……って、どうしたの」
 振り返って見た少女も、呆然とした顔のまま涙をポロポロと零している。少女は言われて初めて涙に気づいたようで、震えている手で目元を拭って言葉を漏らした。
「……どうして、私はあなたみたいになれなかったんだろう」
「何が……?」
「私、何も聞かなかった……自分のことばっかりで、どうしてセイバーがそうしたいのかも、何も……! セイバーは必ず戻るって言ってくれたのに、信じなかった……どうして信じられなかったんだろう、あなたのように……」
 それからあとは言葉にならなかった。クララは一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに少女の細い肩に手を伸ばし、自分の子が泣いた時にそうするように、しばらくさすってやった。
「何があったのかは分からないし、聞かないけれど」
「……」
「きっと、あのセイバーは私と同じよ。だって、あの英霊は、この人に言っていたわ。『お前に、楓の何が分かるのか』って」
 少女―――楓は、驚いたように目を見開いてクララを見た。
「あの騎士は、あなたが何をしたいかちゃんと分かっている。そして騎士として、あなたを傷つけるものは許せないのよ。あなたは信頼され、守られているの。……きっとね。だから……あなたは、あなたの務めを果たせばいいわ」
「私の、務め……」
 楓はそう呟いて、赤くなった目を伏せる。そうやってしばらく、何かを思い出そうとするように遠い目で自分の足元を見ていた。
 だが彼女は、伏せていた視線を跳ね上げて、真っ直ぐにクララを見ると、不意に立ち上がった。
「……私、行かなきゃ。セイバーの所に。伝えないといけないことがあるんです」
 クララはわずかに微笑んで、目だけで頷いた。楓は深く息を吸って、まだ少し震えている膝をしゃんと立てる。
「クララさん、ありがとう。……でも、どうして、私たちは敵なのに……」
 顔を曇らせた少女に、クララは目を細めた。
「これは、ムロロナが聞いたら怒るかもしれないけれど……私たちは、別に敵なんかじゃないわ。
 ただ、違う道をたどっているだけで、目的は同じでしょう? 私たちはそれぞれに大切な存在がいて、それぞれに成し遂げたいことがある。手助けはしても、道を阻んで意地悪をする理由なんてないわ。魔術師である前に、私たちは人間なんだから」
「魔術師である前に、人間……」
 楓はその言葉を反芻して、小さく頷いた。その顔にもう迷いはなかった。
「ありがとうございました。あなたと話せてよかった、短い時間だったけど……本当に、そう思います」
「そうね。私もそう思うわ。もう迷っている時間は無いもの」
 クララはそう言ったきり、楓から目を逸らして窓の向こうを見た。
 楓は一度クララに向かって頭を下げて、窓とは反対の方向、扉の方へ近づき、古い蝶番が軋む音と共に部屋の外へと出て行った。



 窓も扉も閉め切っているせいで、明るい部屋に血の匂いが充満している。
「……おい、きつくないのか」
 アーチャーが掛けた声は、無情にも無視という形で受け止められた。
「……」
 やれやれ、と彼は肩をすくめる。香月は自室に広げたブルーシートの上で、つい先ほど“回収”してきた人間の左腕をメスで切り開きながら、小さく呟いた。
「余計なお世話です。……私がいくつの死体を捌いてきたと思ってるんですか?」
「ああ、悪い、だけど気になってな。そんな魔術師でもない人間の腕をどうする気だ? あんたが死霊魔術を修めてるってのは知っているが」
 香月は解体した腕に目を戻して、すぐにはその問いに応えなかった。ハサミで死体の腕の筋繊維を切り出すと、臆することもなく、それをずるりと死体から引き抜き、あらかじめ敷いておいた和紙のような紙の上にそれを置いた。詰めていた息を吐いて、やっとアーチャーの方を見る。
「魔術師でもない、と言いましたが、本来あらゆる人間に魔術回路は備わっています。ただそれを開くかどうかの話です。私はこうして、死体の細胞を切り出して、そこから魔術回路を復元し、呪符に埋め込む。それを私自身に取り込むことで、魔術回路を増やします」
 アーチャーは理解できない、というふうに首を傾げた。珍しく言葉数が多いな、という発言は喉の奥に仕舞いこみ、かわりの台詞を引っ張り出す。
「俺はもともと魔術に詳しくないんだが、そんなに簡単に回路とやらを増やせるなら、なぜ他の魔術師たちはこぞってネクロマンサーに転職しない?回路の数は才能の有無をかなり左右するんだろ?そんなことが可能なら、ネクロマンサーが最強になってしまえるじゃないか」
 香月は、説明が面倒くさい、と言わんばかりにアーチャーから目を逸らし、再び死体の解剖に取り掛かった。
 だが彼女は律儀にも、耳を塞ぎたくなるような、肉がかき分けられる生々しい音の途中に、ぼそぼそと小さい声で言う。
「この魔術には問題も多いのです。……まず、これは正確には死霊魔術でなく呪術発祥の技ですから、伝統的な魔術師が多くいる西洋ではこの類の研究は遅れています……それに取り出した回路は二、三度の使用が限界です。それ以上は保たず、焼き切れてしまう……さらに後天的に付加した回路は大儀式には使えません。私は武術を体得しているから、単純な強化と体術を組み合わせて活用できますが……それ以外の用途にはほとんど意味が無いんです」
「……つまり?」
「……つまり、私しかこの魔術を使える人間はいないということです」
 カチャン、と不機嫌そうな音を立てて、血の拭き取られたハサミが銀色のトレイの上に放り投げられた。
 少し首を回してから、香月は再び回収してきた死体の断片たちと向き合う。血を抜かれ、青ざめ、粘土の彫刻のようになりつつある誰かの四肢たちは、黙してそこに佇んでいる。
「しかし予想以上に死人が少なかった……これでは足りるかどうか」
 香月のその言葉に、アーチャーはわずかに目を伏せた。その顔を見てもいないはずなのに、
「まだ反対ですか?」
 嘲るような言葉に、銀髪の弓兵は眉根を寄せる。
「……主人の命令は絶対だ。俺は命令されたら太陽を九個落とせる人間だからな。……だから、気は進まねえ」
「へえ。あの男を殺すことが?」
「あいつは魔術師でも何でもねえ、ただの不運な男だ。セイバー達のしていたように、聖堂教会に連れて行って修正処理をしてもらう方がいいんじゃねえのか、とは思うがなァ。……あのマスターからは、えげつない不幸の匂いがする」
 その言葉に、香月は笑い声をあげた。
 不審げにマスターを見るアーチャーに、香月は「いえ」と、口元を歪めたまま返した。
「言い得て妙じゃないですか。確かに奴は死ぬほど不運な人間だ。……選ばれたことに気づかず、ただ犬死するなど、これ以上の不幸はないでしょうから。いや……何も知らないまま死ねるなら、それはある意味幸せかもしれませんが」
「選ばれた? 何に」
 的を得ないアーチャーに、香月は笑いを消し、心臓を凍らせるような冷たい声で言い放った。

「聖杯の器に、ですよ。アーチャー」



 
 
 
 

Fate/Last sin -20

Fate/Last sin -20

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-02-08

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work