桃の実

千葉しげる

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子供のいないお百姓夫婦の物語

この冬のさなかに、まるで自分を待っていてくれたかのように、桃の実は生っていた。不思議なことに
腐っている様子もなく、まさに今が食べ頃の実となっていた。
女は、あの夢枕に立った老人に感謝しっっも、両手で大事に実をもいで、落とさぬように懐にいれた。
この実を食べさえすれば、子供が授かると思うと、
めおとになってもうすぐ八年のあれやこれやの苦労
が思い出され、涙が止まらなかった。
そうこうしている間に、日は天上を指していた。女はそろそろ降りることとした。
下り坂も注意が必要だった。懐にいれた桃の実を落とさぬように、坂を下っていった。時折、足を滑らせて、懐の桃の実が飛び出しそうになったが、何とか山の中腹くらいまで降りて来られた。
女は嬉しさのあまり、駆け出しそうになる自分を抑えた。当然のことながら、この実さえあれば、念願の子供が授かる、この実さえあれば、人並みの幸せな暮らしができると、女は強く思った。さあ、急いで帰らねば、亭主の喜ぶ顔が浮かんできた。
注意深く山を降りて来た女は、斜面に足をとられそうになると、麓までもう少し、もう少しと念じた。しかしながら、行きは、一気に登っては来たものの、帰りは少々くたびれてしまい、どこぞに休める所はないものかと、しばし立ち止まった。
それ程高い山ではなかったが、下界を見下ろす崖がないわけでもなかった。崖の近くには、一息いれるのに調度よいむきだしの岩など幾つか目に入った。
女は、日没までにはまだ時間があるとみて、腰掛ける岩を探した。と、その時、女は思いもよらぬものを目にしてしまった。
それは、ボロボロの上着に裸足のままの老人が、岩の側でうずくまっている。様子から見て、男であることはわかった。髪の毛は抜け落ち、体は痩せ衰えているのが遠目からもはっきりとわかった。
女は見てしまった以上、声をかけてやらねばならぬと思い、足早に近づいた。そして、どうなされました。そこで何をされているのですか。と、やさしく話しかけた。
すると痩せこけた老人は、ゆっくりと顔を上げると、歯もないのか、もごもごと掠れるような声で、話しはじめた。
何でも、隣村からやって来たようで、歳を取りすぎてもはや働けぬようになったので、息子夫婦に残忍にも家を追い出されたという。もう死ぬしかないと思い、この山に辿り着いたが死にきれず、あとはここで餓死するのを待っているのだという。さらに、憐れなことに、三日間も飲まず食わずとのことであった。
女はこの老人に深く同情し、うずくまる老人のもとに、さらに近づいた。そして、その肩に手を添え、さらにもう片方の手を懐に入れ、桃の実を握った。
その瞬間、女の心に迷いが生じた。この大切な桃の実をこの老人にあげてしまって良いものかどうか。女の心にこの桃の実を手に入れるまでの苦労がよぎった。
しかし、女はそんな自分を強く戒めた。死にかけている人間を見過ごせるわけがないではないか。女は心を改め、ただ素直な自分の心に従った。そして、握り出した桃の実を老人の口元に近づけ、お食べなさい。精がつきますよ。といった。すると老人は、にわかに、パッ、と目を見開き、両手で桃の実を掴むと、勢いよく食べはじめた。いや、むしろ飲み込むといった具合であった。
女はその様子を見ながら、心のなかで、これで良かったのだ。これで良かったのだ。と、つぶやいた。老人があっという間に桃の実をたいらげてしまった後、女は、せめて種だけでも残してくれたらよかったのに。と、ほんの少し残念に思った。
老人は食べ終わった後、女に顔を向け、微笑みながら、そして涙を流しながら、ありがとう。と、いった。女はその言葉を受け、いいんですよ。と、いった。と、その直後から老人に異変が起こりはじめていた。徐々にではあるが、頭に黒い髪の毛が生えはじめ、抜け落ちたはずの歯も生え出し、たるんだ皮膚も張りを持ち、くすんだ色は白くなりだした。
みるみるうちに若返り、いつしか一人の青年になっていた。
さらに、その変化は止まらず、体も小さくなりだした。そして、青年は少年になり、今度はあっという間に、ボロボロの着物の中で男の赤ん坊となってしまい、その変化は止まった。
女は、あっけにとられて見ていたが、ボロボロの着物の中で、オギャア、オギャア。と、泣く赤ん坊の姿を見て、慌てて着物にくるんで抱き上げた。その時はじめて、女は子供を授かったのだと理解した。そして、これまでの自分の行いの全てが正しかったのだと悟った。
もし、桃の実を手に入れてから、老人に食べさせることをしなかったとしたら、今頃どうなってしまっていたことか。仮に亭主と半分ずつ食べたとしても、子供を授かるどころか、お互い子供くらいにはなってしまっていたかもしれない。そうなれば、頼るべき親ももはやいない我が身は、飢え死にしているかもしれない。
あの夢枕に立った白髪の老人は、桃の実を食べよとはいっていたが、自分で食べよとまではいっていなかった。ただ同情の心をもって、憐れな老人に桃の実を与えたことにより、子供が授かった。それによって自分達は救われたのだ。
だが、もし自分達で食べていたとしたら、恐ろしい結果になっていた。慈悲なき心の恐ろしさを、まざまざと思い知らされた女であった。
その後、家に戻った女は、亭主に山であったことを全て話し、連れ帰った男の赤ん坊を自分達の子供として育てることとした。ただ、この子には、仮に将来自分に子供ができたとしても、その子に、自分の親を大切にする心を植え付けねばならぬことを、教えてやらねばならぬと思う女であった。

昔、ある山間の村に、一組の百姓の夫婦がいた。めおとになって、七年もたつというのに、子供は授からなかった。亭主も女房も昼間は野良で働き、夜は草鞋を作り、機を織りして、生活していた。
隣の家の夫婦には、もう五人目が生まれたというのに、その事を思うと、女はひどく焦りを感じていた亭主に隣の家の話をすると、あーそうかと言うばかりで、その頃から夜になると、草鞋も作らず、酒ばかりを飲むようになり、いつもそのまま寝てしまった。
何とか子を授からんものか、親元や親戚に尋ねたいところであったが、女は早くに両親と死に別れ、頼るべき親戚も、どこにいるのかもわからず、亭主も同じような境遇であった。
こうなっては、神にすがるしかないと思った。田んぼばかりの土地であったが、近くに神社はあった。白髭神社という古びた神社であった。由来はわからない。
女は、夜中になって、亭主が寝入ったところを確かめてから、両手に松明を持ち神社へ向かった。あらかじめ、神社の参道の端に掘っておいた穴に松明を差し、灯りとした。
願い事はただ一つ、子宝を授かるということであった。女は裸足になり、小石を百個集め、御百度参りをはじめた。集めた百個の小石は、一回お参りするたびに、一個お賽銭箱の脇に置かせてもらうこととした。
夏にはじめた御百度参りは、秋を過ぎ、冬になっても続いた。雨の降る日、冷たい風の吹く日、雪の降る日もあった。雪の日など、擦りきれた足の裏の血が滲み、翌朝血の足跡となり、それを見つけた村人が、何事ぞと、ちょっとした小さな騒ぎになったこともあった。
そんな正月を過ぎた頃、女は不思議な夢を見た。白髪の老人が、雲一つない青空と、地面にはただ白い玉石が一面に広がるばかりのなんの景色もないところに立っており、女にこう語りかけて来た。
お前の住んでおる村の一番近くの山に登り、頂上にある桃の木の実を取ってきて、食べるがよろしい。そうすれば、子は授かるであろう。と、いうものだった。
女は目を醒まし、今見た夢は神様の御告げではなかろうかと思った。夜が明け、朝になると女は、亭主に今朝見た夢の話をし、老人の語った近くの山へ登ってみようと思うと話した。
季節は冬である。当然山には、三日前に降り積もった雪もまだ残っていた。女は自分の家から一番近い山に登ることに決め、亭主に日暮れ迄には戻るからと告げて、出掛けていった。
この時期本当に、桃など生っている木などあるのだろうかと、不信に思いっっ、残雪に足をとられないように、慎重に山を登って行くことにした。五時間程かかったが、ようやく 頂上に 辿り着いた。
早速桃の木を探しはじめたのだが、どの木も冬枯れで、葉っぱは茶色く、既に落ちてしまっている木が多かった。しかし、そのなかでひと際大きな古木に目が止まった。
葉は全部落ちてしまっていたが、何やら実がぶら下がっているのを見つけ、これに違いないと近づいていった。はたしてそれは、確かに桃の実であった。

桃の実

誠実な人は報われるということ

桃の実

子供のいない夫婦は、その誠実さから神様から子供を授かるという物語。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日 2019-02-06

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