キス×スキ
招待状
その日は本当によく晴れた日だった。
何時も通りたくさんの花に囲まれて仕事をして、訪れるお客様の素敵な話を聞いて私まで幸せになれる時間。
そんな素敵な時間を過ごしていた。
「ありがとうございました!」
今度彼女にプロポーズをするんだと嬉しそうに話していた男の人は笑顔で花を買っていった。
そんな人の嬉しそうな顔を見れるだけで私も嬉しくなる。
私はこの国で生まれた訳ではない。
私の母国は日本で、名前は松長水姫。
大学を卒業してからこの国、フィルチ王国へ住む事を決めた。
ここへは大学生の時に留学に来ていた。
人はいい人ばかりだし、治安はいいし、空気は美味しいし。
いいとこばかりだったので、もっと知りたくなったのだ。それに、知り合いも何人か出来たし。
「あいたた…」
花屋の入り口からそんな声が聞えて慌てて入り口へ行く。
そこには腰を押さえてうずくまっているおじいさん。
「大丈夫ですか!?エドワードさん!!」
エドワードさんは私に顔を向けると困ったように笑った。
「ごめんね…水姫…。ちょっと手を貸してもらえると…」
「もちろんです!立てますか?」
エドワードさんに手を貸してゆっくり立ち上がらせる。
そして中に入れて椅子に座ってもらった。
「すまないね、水姫」
「いえ。大切なお友達が困っていたら手を差し出すのは当然です」
そう言って中からお茶を持ってきてエドワードさんに手渡す。
この人は私が留学中に知り合ったおじいさん。
優しくてとてもいい人。
しんどそうにしていたエドワードさんを助けたのがきっかけで仲良くなった。
私が花屋を開きたいと相談して資金を援助してくれたのもこの人だ。
何の仕事をしていたのか聞いても教えてもらえないけど…。
「もう歳だなとは自分でも本当に実感するよ」
「無理しないでくださいね?この間も咳き込んでいましたし、心配ですから」
「こんなに可愛い水姫に心配されるなら本望だよ」
「もう、冗談ばっかり。エドワードさんが姿を見せてくれなくなったら私泣きますからね」
「水姫の顔を見れなくなるのは嫌だな。体調管理をしっかりしてできるだけ長生きしないと」
「そうですよ。お孫さんの婚約者の方も見れなくなりますよ。お孫さんのお子さんも見ないとって言っていたじゃありませんか」
そう言って笑うとエドワードさんが私の顔を見た。
「そのことなんだけどね、水姫。少し考えてみたんだけど、水姫が孫の婚約者になってくれればいいなと思って居るんだけど、どうかな?」
「え?」
ニコニコしてそう言ってくるエドワードさん。
私の資金援助をしてくれるくらいお金を持ったおじいさんなんだから、きっと凄い豪邸の人なんだろうとは薄々感じている。
そんな人のお孫さんの婚約者になんて私がなれるわけがない。
「嬉しいけど、ダメですよ。言っていたじゃありませんか。孫には本当にスキになった人と結婚してもらいたいって。勝手に決めたら怒られちゃいますよ、大好きなお孫さんに」
「でもね、孫も水姫を…」
エドワードさんが何かを言おうとしたときだった。
何時ものように黒塗りの高級な車が花屋の前に止まった。
「あ、お迎えが来ましたよ。立てますか?」
「相変わらずタイミングが悪い…」
エドワードさんが溜息をついて立ち上がる。
それから私に笑いかけた。
そして私に綺麗な封筒を差し出した。
「これは?」
「ボクの誕生日のパーティーの招待状だよ。水姫は大切な友達だからね、是非来てほしいんだ」
「私が行ってもいいんですか?私、お金持ちでもないし…」
「そんなのは関係無いよ。来てもらいたい人をボクは招待してる。来てもらえるかな?」
「…大切なお友達のお誘いを断るなんて失礼なこと出来ないです。私が行ってもいいのなら」
「もちろん」
エドワードさんは笑顔で花屋を出て行った。
私に頭を下げる燕尾服の男の人。
毎回あの人迎えに来てるけど、エドワードさんの執事さんなのかな。
執事の人がいるなんて、やっぱり凄いお金持ちの人なんだ。
そう思いながら黒塗りの車を見送る。
あれ?なんか、もう一人乗ってる?
中の様子は見えなくなってるけど、中に人がいるのは分かった。
家族の人とかかな。
私なんかと付き合いがあるって知られたらエドワードさん怒られないかな。
少し心配になりながら入り口に立ち尽くす。それから手の中にある招待状を見た。
♡
今日も一日仕事を終えて花屋の二階にある自宅へ行く。
一通り家事を終わらせて招待状を開く。
そこには綺麗な字でエドワードさんの誕生日を祝う時間と場所が書かれている。
その場所を見て固まる。
え?ちょっと待って……ここって…。
この国にいて知らない人はいないだろう。
だってここは……。
「フィルチ城って…どうして…」
そう思ったけど、もしかしたらエドワードさんは国王様達とも何か交流があるのかもしれないと思った。
国王様じゃないことは分かっている。
この国にいて国王様や王妃様、そして王子様の顔を知らない人は旅行者ぐらいだから。
そのとき丁度テレビから歓声が聞えた。
『ご覧下さい!王子様の乗った車が通るだけでこの歓声です!大人気の王子様が婚約者としてどんな女性を選ばれるか、今から注目を集めています!』
そっか。もうすぐ王子様の婚約者が選ばれるんだっけ。
世界各国から美人な人が集められるって報道されてた。
やっぱり王子様ってすごいんだな。
でも、自分の好きになった人とじゃなくて集められた人の中から選んで結婚ってなんだか寂しい気がする。
私も恋なんて偉そうに説明できるようなものしてきた記憶ないけど、結婚するなら自分が好きになった人としたいなって思うから。
王子様は、恋愛を知らないまま結婚されるのかな。
それとも、好きな人がいるのに他の人と結婚しないといけないのかな。
そう思ってふとエドワードさんの言っていた言葉を思い出した。
お孫さんには本当にスキになった人と結婚してもらいたいって。
そうだよね。それがきっと周りの人の願いでもあるんだよね。そんな事を考えながら私は招待状を見た。
・
煌びやかな場所
パーティーの当日。
私はお城の前で立ち尽くしていた。
ここまで来ちゃったけど、どうしよう…。
本当に私のような庶民が入っても良いんだろうか。
もっと言えば、私のような外国人がここに入っても…。
でも招待状はもらったし、今更帰るわけにもいかない。
エドワードさんにお祝いもしたいし、私なりに考えて小さなブーケをお祝いの品として持ってきた。
こんなもの渡しても大丈夫かな。
不安になりながらも私はお城の入り口に立つ人に声をかけた。
「す、すみません」
「はい?」
その人は私を頭から足の先まで見てから怪訝そうな顔をした。
私なりに正装してきたつもりなんだけど…。
通り過ぎていく人達をちらっと見ると、私なんかとは比べものにならないくらい綺麗なドレスを身に纏っていた。
…本当に来て良かったんだよね?
「その…エドワードさんから招待状をいただいて…」
「エドワード様から?」
招待状を渡すとその人は近くにいた人と小さな声で何か言っていた。
周りの人達も私の事を見てひそひそ何か言いながら入っていく。
なんだか、居心地が悪い…。
「本当にこれはエドワード様からいただいたものですか?」
「え?」
「どこかで拾って持ってきたわけではなく?」
え…?どうして…。
固まっていると何も言わない私を見て何かを確信したのかその招待状を破り捨てた。
「あ、あの……」
「申し訳ございませんがお通しするわけにはまいりません。招待状には必ず招待される方のお名前が記入されています。この招待状には名前が書いてありません。どこでこれを入手されたのかは分かりませんが、お引き取りください」
「でも私…」
本当にもらいました。
その言葉を言う前に目の前に強面の男の人二人がやってきた。
どうしよう…。
困っていると中からいつもエドワードさんを迎えに来ていた男の人が出てきた。
「その方をお通しください」
「アルバートさん!!」
「その方は正式にエドワード様からご招待をお受けしたエドワード様のご友人ですよ。その方に無礼な行いをすればエドワード様からお叱りを受けますが…それでも追い返しますか?」
その言葉に青ざめる男の人達。
その人達を無視するかのようにアルバートさんと呼ばれた男の人は私へ頭を下げた。
「ご無礼をお許し下さい」
「い、いえ!私みたいな庶民がこんな場所に来たら疑うのも分かります。許してあげてほしいのは私のほうです」
「お話を伺っていたとおりお優しい方なのですね」
アルバートさんは私に笑いかけると中を手でさした。
「中をご案内いたします。どうぞ」
「ありがとうございます」
中に入るとそこはもう別世界だった。
煌びやかな装飾、高そうな置物、広い廊下…。
生きている内に入れて良かった…。
「私はエドワード様の執事のアルバートと申します。お困りのことがあれば何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます。私は…」
「存じ上げております。松永水姫様ですね。エドワード様を助けて下さったとお聞きしました」
「困っているなら助けないと。特別なことは何もしていませんよ」
「その綺麗な心にエドワード様は惹かれたのでしょう。どうぞ、こちらへ」
通されたホールにはたくさんの綺麗な人達。
モデルさんや女優さん、俳優さんなど、テレビで見るような人達もいる。
エドワードさんって一体何者なんだろう。
「式が始まるまでこちらでお待ち下さい。私はエドワード様のところへ行ってまいります」
「あ!ここまでありがとうございます!」
アルバートさんは優しく微笑むとホールを出て行った。
・
誕生日パーティー
式が始まると辺りは暗くなり、壇上にエドワードさんが立った。
「忙しい中集まってくれてありがとう。こんなじじいを前で見るのも嫌だろうから話は短くするね」
その言葉に周りから笑いがおきる。
エドワードさんは笑顔で続けた。
「ボクは今までたくさんの人から親切にされてきた。それはボクが国王だったからという理由もあるのかもしれない」
「え……」
思わず声が出てしまう。
ちょっと待って、今『国王』って…。
「でも最近、ボクの本当の姿を知らずに親切にしてくれた人がいた。その人は本当に優しくて素敵な人。ボクはこれからもその人とのつながりを大切にしたいと思っている。孫にもそんな人と結婚してもらいたいと思っているんだ。だから今日はみんなに楽しく過ごしてもらいたいけど、今まで自分が関わったことのない人とも交流してもらいたい」
エドワードさんの言葉が終わると周りから拍手が起きた。
私も拍手をしながら呆然としていた。
まさかエドワードさんが前の国王様だったなんて…。
パーティーをこの場所でするということにも納得出来る。
周りから楽しそうな声が聞える中、私はどうすればいいか分からずに端の方で立っていた。
完全に場違いな気がしていたたまれない。
豪華なドレスを着ている人達の中で、私の格好は完全に浮いている。
今だって私を見てクスクス笑ってる人もいるくらいだ。
なんだか恥ずかしくなって私はホールを出た。
エドワードさんにお祝いを言いたいけど、たぶん私が行くとエドワードさんが周りの人に何を言われるか分からない。
…このブーケはアルバートさんに渡しといてもらおうかな。
そう考えてアルバートさんを探しにお城の中を歩いた。
本当に広いな。
真っ直ぐ歩いているだけなのに終わりが見えないよ。
たくさんの部屋、歩きながら私に頭を下げる人達。
そんな人達に私も頭を下げながらアルバートさんを探す。
どこにいるんだろう。
エドワードさんの隣にいなかったからきっと別の所にいるんだろうけど…。
周りをキョロキョロしながら歩いていると大きな庭が目に入った。
・
始まりの合図の『キス』
なんとなくその庭に出る。
風が頬を撫でる感覚が気持ちいい。
ちょっとだけ歩いてみようかな。それからアルバートさんを探せば良い。
私はゆっくり庭を歩き出した。
綺麗に咲き誇っているたくさんの花。
とっても綺麗……。
花を眺めながら歩いていると大きな噴水が目に入った。
「わあ!凄い!」
公園でしか見たことがないくらい大きな噴水。
やっぱりお城の中って噴水とか花園とか普通にあるんだ。
物語に出てくるお城の中はいつも噴水と花園であふれていた。
想像かと思ってたけど、本当なんだな。
噴水の囲いに腰を下ろしてしばらく水の流れを見詰める。
…どうして私はここにいるんだろう。
エドワードさんを助けたって言っても、店の前で腰を痛めていたから助けただけ。
当たり前のことをしただけなのに、こんな場所に招待されるなんて。
生きてると思いもよらない事が起きるんだな。
「あ、この花ってエドワードさんが好きって言ってた花だ」
囲いに咲いている花を触って思わず笑みが浮かぶ。
本当に綺麗だな、この花。
この王国でしか咲いていない希少な花。
結婚するときに奥様に送った花なんだって嬉しそうに話してたな。
この国の人は結婚を申し込む際に必ずこの花を入れてブーケを作る。
エドワードさんが発祥なのかな。
そんな事を考えていると突然声をかけられた。
「ねえ」
「っ!!」
驚いて振り返るとそこにはテレビでしか見たことのない王子様が立っていた。
本物めちゃくちゃ美形なんですけど…。
「何してるの?」
「あ…。ごめんなさい。勝手に庭に入って」
「別に怒ってない。お祖父様と話に行かないの?」
「…私が行くと迷惑かなって思って。アルバートさんにエドワードさんに渡してもらいたいものがあったので探していたんですけど、見つからなくて。そのときこの庭が見えて」
そう言うと王子様、リアム様が私の隣に座った。
月明かりに照らされたリアム様は天使のように美しく、思わず目を奪われてしまう。
本当に…綺麗…。
「君のこと知ってる。お祖父様を助けてくれたって」
「助けたってほどの事は何もしてません。むしろ私の方が助けられているくらいです。花屋の支援をしてくださっているのもエドワードさんなので」
「…本当に綺麗な人だな。君」
「そんな……っ。私のような人はたくさんいます。たまたま私の前で困っていたから助けただけで…」
「でも君はお祖父様が前国王だと知らなかった。それなのに助けたって、それが凄いんだよ」
「そうでしょうか…」
リアム様に褒められるとなんだか心がこそばゆくなってくる。
笑うこともなくただ無表情で私に話しかけるリアム様。
世間が言っているように本当にクールな人なんだな。
「水姫」
突然名前を呼ばれてビクッとする。
エドワードさんに聞いていたって言ってたから名前を知っていても不思議じゃないけど、名前で呼ばれるとドキッとするな。
「君を知っているのは、何もお祖父様の友達だからという理由だけじゃない。俺は君と話してみたかった」
「え?どうしてですか?私なんてただの庶民で…」
「お祖父様の話で君に興味を持った。本当はすぐに君と話したかった。でも、俺はお祖父様と楽しそうに話す君に目を奪われたんだ」
「何を…」
「分からない?俺は君に一目惚れしたんだって事」
何を言われているのか一瞬理解出来なかった。
一目惚れって…何…。
「今日話してみて確信した。俺は水姫がほしいって」
「!?」
「俺は君が好きだ。俺の婚約者になってほしい」
リアム様に手を掴まれて真っ直ぐ目を見詰められる。
何を言われているのか分からなくて一瞬固まったあと、急に顔が熱くなった。
この人は一国の王子様で…普通ならこんなふうに関わることはなくて…。
「水姫」
名前を呼ばれて王子を見ると腕を引かれて唇が重なった。
な…に…っ。
唇が離れて呆然としていると庭の入り口から歩いてくる人達が見えた。
「こちらにおられましたか、松長様」
「!!アルバートさん!」
アルバートさんとエドワードさんがゆっくり歩いてくる。
私はどうしたらいいのか分からずにそのまま立ち尽くした。
リアム様もその場に立って二人を無表情で見ていた。
「お祖父様。会場におられなくてもいいんですか?」
「そんな寂しいことを言うな、リアム。僕は水姫と話したくてここへ来たんだから」
「私…?」
エドワードさんは私に微笑むとリアム様と私を交互に見た。
「やっぱり、お似合いだ」
「えっと…」
「水姫、老い先短い老いぼれの頼みを聞いてくれる?」
「そんな…っ!エドワードさんはまだお若いです!」
「ははっ。そう言ってくれるのは水姫だけだよ。…水姫。リアムの婚約者になってほしい」
私に頭を下げるエドワードさんとアルバートさん。
慌てて二人の顔を上げるとエドワードさんが私に微笑んだ。
「突然こんなこと言ってごめんね。でも本当に水姫がいいんだ」
「どうして私なんて…。私、本当にただの庶民ですよ?しかもこの国で生まれたわけでもありません。そんな私が王子様の婚約者なんて…国民はどう思いますか?」
「そうだね…。おそらく水姫にとって辛い日々を過ごすこともあるだろう。でも、それでも僕は水姫がいい。君のような綺麗な心を持った人はそういない。君のような人にこそ、この国のプリンセスは相応しい」
「だけど…」
「リアムは君が好きだ」
「!」
「僕のお願い、聞いてくれる?」
恩人であるエドワードさんのお願い。
聞いてあげたいけど、こればかりは簡単な話ではない。
でも…。
私は深呼吸をしてから頷いた。
「水姫…!」
「わかりました。私でいいのか、まだ分かりませんが…」
「それでいいんだよ。リアムがきっと君をすぐに好きにさせるから」
その言葉に真っ赤になる。
そうだ、私告白されて…。
俯くとリアム様が私の手を握った。
「水姫、離さないから」
「っ!!」
彼氏が居たことのない私の初めての彼氏が、一国の王子様なんて…。
私はドキドキしながらリアム様の手を握り返した。
・
婚約者
昨日のパーティーから一夜が明けた。
私の周りは特に何も変わりがなく近所の人達は普段と変わらず私に挨拶をしていく。
幸せそうに花を買っていく人達も何も変わりがない。
変なのは、私だけ…。
息をついて昨日の事を思い出す。
昨日エドワードさんが前国王陛下だったと知り、そのお孫さんであるリアム王子に求婚され、さらにキスまで…。
そう考えて真っ赤になる。
会ったばかりなのに、どうしてリアム様は私にキスをしたんだろう。
告白…されたけど…。
そんなことを考えていると入り口からニコニコしながらエドワードさんが入ってきた。
「水姫」
「エドワードさん!!」
エドワードさんの後ろにはアルバートさんが私に頭を下げた。
私も頭を下げるとエドワードさんは笑顔のまま私の隣に立った。
「待って下さいね。今椅子を…」
「大丈夫だよ、ありがとう。今日は水姫に話があって来たんだ」
「お話ですか?」
首を傾げるとアルバートさんが私に分厚い紙の束を渡した。
「こちらをごらんください」
「こ、これは…?」
「これから水姫様にはこの国のプリンセスとしての勉強をしていただくこととなります。そのスケジュールと簡単な内容でございます」
「簡単な…」
とても簡単なようにはみえない。
これからのことを考えると溜息をつきそうだった。
「それでね、水姫の予定を聞きに来たんだよ。水姫からこの店を取り上げる気はないから、水姫が無理をしない程度で予定を立てたくてね」
「エドワードさん…」
「だから、二人で話しあってもらいたくて」
「二人?」
そう言うとリアム様がやってきた。
その綺麗な顔立ちは昨日月明かりで見た時も見とれてしまったけど、昼間に見ても見とれてしまうほどだった。
「水姫」
いつもクールな顔が私を見た瞬間に崩れる。
優しく微笑まれて心臓がドキッと跳ねた。
この人が、私の婚約者なんだ…。
未だに実感出来ないけど、きっとこれから実感出来るんだろうか。
リアム様は私の前に来ると手をとって口づけた。
「!?」
「挨拶だよ、水姫。まだ手にしてるのは婚約の儀式がまだ終わってないからだよ」
エドワードさんが笑いながらそういう。
リアム様は少し首を傾げながら私を見ていた。
そんな綺麗な顔で見られると緊張してしまう。
「二人の邪魔をしてはいけない。店は僕らがなんとかするから、二人で話し合っておいで」
「え?なんとかって…」
「お任せ下さい。花の知識があるものを呼んでおります。ご安心ください」
そう言われては何も言えない。
私はリアム様を連れて奥へ移動した。
・
プリンセスレッスン
リアム様と一緒に部屋を移動して息をつく。
これからの事を話しあうと言っても、私はまだこの王子様の婚約者として隣に立ってもいいのか自信がなかった。
「あの……リアム様」
「何?」
「どうして私なんでしょうか……」
「何が?」
「その……。どうして私のような庶民を、好きだと言ってくれるのでしょう……?」
そう言うとリアム様は私の手を握った。
それだけの事なのに胸がギュッと締め付けられる。
それに、なんだか甘く疼いて顔が赤くなってしまう。
「昨日も言ったけど、俺が水姫を好きになったのは一目惚れ。お祖父様と楽しそうに話す君はとても綺麗で可愛かったから」
「っ!!」
「性格も優しくて、声だって心地いい。水姫みたいな女の子が俺の傍にいてくれたら幸せだろうなって思ってた。だから正直、昨日俺の婚約者になってくれるって言ってくれて嬉しかった。絶対に離さないし、誰にも渡さないから」
そんな求婚されると戸惑ってしまう。
何せ私には恋愛経験がないのだから。
それなのに、初めての恋人がこの綺麗な王子様だなんて……。
家族が知ったら皆卒倒してしまうんじゃないかと心配になる。
「わかりました……。私を好きだと言ってくださるのはとても嬉しいです。だけど私はリアム様の事を何も知りません。テレビでしか拝見したことがなくて、本当に申し訳ないのですが……」
「そんなの、いくらでも教えてあげる。俺の事知って、俺の事好きになってくれたら嬉しいから。でもその代わり、俺にもちゃんと教えてね。水姫の好きな事、好きなもの、全部」
優しい微笑みは本当に毒のよう。
私は赤くなりながら頷いて、たくさんの資料に目を戻した。
「あの……、プリンセスレッスンというのは毎日のようにしなければならないのですか?」
「そういうわけじゃない。水姫にはこの店もあるし、お祖父様が言っていたように無理をしないようにしてほしいから」
「この大量の資料は全てプリンセスレッスンのものですよね?流石に毎日でないと、何年もかかってしまいそうですが……」
「そうだね……。それなら、水姫が嫌でなければ店を城の誰かに任せて少しずつ時間を見つけて城に来るっていうのはどう?」
「それではお城の方の負担になりませんか?私がやらなければならないことを押し付けるのは流石に気が引けます」
「押し付けるわけじゃないよ。水姫がいない間のフォローだ。水姫の助けになるだけで、負担ではない」
「そうですか……?」
リアム様の提案はとても嬉しい。
私もプリンセスレッスンを早く終わらせたい気持ちはあるから。
あれ……?どうして早く終わらせたいんだろう?
「今からでも城に来る?」
「え?」
「プリンセスレッスンってどんなことするのか、気になってるんでしょ?」
そう言われて私は頷いた。
お店に戻ってエドワードさん達に伝えると、二人は笑顔で了承してくれた。
お花の知識がある人として連れてこられた人も笑顔で私とリアム様を送り出してくれた。
2人きりの車内はとてもドキドキして、私は何も話せなかった。
だって、こんなにも綺麗なお顔の男の人が隣にいるんだもの。
緊張しないほうがどうかしている。
車がお城に着くと、私はリアム様に手を引かれてお城の中に入った。
昨日とは雰囲気が変わって、煌びやかではあるけど落ち着いて見れた。
「ここでちょっと待ってて」
リアム様に案内された部屋で椅子に座って待つ。
ドキドキしていると部屋の扉が開いた。
入ってきたのは綺麗な女性の方。
厳しく私を上から下まで見るとため息をこぼした。
「全く……。私にこんな小娘の教育をしろと言うの?」
その言葉に胸に何かがグサッと刺さった気がした。
お店の格好でそのまま来てしまったし、庶民であるから仕方ないけど……。
「松長水姫様とお見受け致します」
「は、はい」
「私は王室の教育係をしております、アルマ・リーチと申します。これから水姫様を立派なプリンセスにするべく私が担当につくこととなりましたので、以後お見知りおきを」
綺麗に頭を下げられて私も下げる。
そんな私を冷たくアルマさんは見た。
「失礼ですが、水姫様は今まで上級階級の教育を受けたことはございますか?」
「いえ……」
「でしょうね。お辞儀の仕方も綺麗じゃありませんし、動きがスマートではありません。そのような方をリアム様の婚約者として認めるだなんて……。エドワード様は一体何をお考えになっているのか」
頭を抱えるアルマさんに私は委縮してしまった。
怖いと、思ってしまったのだ。
「こちらに来られたということは、プリンセスレッスンを受けたいと思われたということでお間違いございませんか?」
「はい……」
「さようでございますか。でしたら、少々厳しくいたしますがお覚悟を。厳しくしなければ、今の状態で婚約者だと公言されてはこの国の恥となります。ああ、いつでも逃げ出して結構ですからね。リアム様の婚約者になりたくないのであれば、大歓迎です」
正直泣いてしまいそうだった。
ここに来ただけでこれだけの事を言われるだなんて思っていなかったから。
エドワードさんやリアム様のように優しい人ばかりだと勝手に思っていた私が馬鹿だった。
「それではまず教養から勉強していきましょう。この国の歴史もまともに言えないようであれば、パーティーなどで話されても恥をさらすだけ。この国の恥をさらすのだけはご勘弁ください」
歴史は勉強したし、この国が好きだから知っている。
それでも私は怖くて何も答えられなかった。
質問されても何も言えなくて俯いてしまって、怒られて……。
『こんなバカで世間知らずの庶民を婚約者にしたいだなんて、リアム様はどうかしている』
そうやってリアム様の事まで馬鹿にされてしまって、申し訳なくて苦しくなってしまった。
何も答えられないまま今日のレッスンは終わった。
アルマさんが部屋を出た瞬間に、我慢していた涙が一気に零れ落ちた。
・
言葉を封じるキス
私がどうかしていたんだ。
庶民の私が王子の婚約者になるだなんて、そんなの無理に決まっている。
ましてや私はこの国の人じゃないんだから。
ただ花が好きで、ただこの国が好きで、それだけでここに来ただけなのに。
最初から最後まで馬鹿にされて、私だけじゃなくてエドワードさんやリアム様の事まで言われて。
私はそれを止める事が出来なかった。
大量に積まれた本を見て息が詰まりそうになる。
今はこの国の文字を見るだけでも恐怖が襲ってきた。
「ここから出ないと……」
出来る限り早くこの場を去りたい。
出来ればリアム様に見つからないようにしないと。
あの人は私がこんな状態だって知ったらきっとアルマさんに何かするだろう。
怒ってくれるだろう。
でも、アルマさんが言っていたことは間違ってないし、私がこの場にいる事が不釣り合いなのは私だって分かっている事だ。
怒られるアルマさんが可哀そうだ。
私はこっそり扉を開けて周りを見渡した。
大丈夫、今は誰も近くにいない。
これだけ広いお城の中なのだ、私が一人で歩いていても気づかれたりしないだろう。
私は足音を出来るだけさせないようにして歩き出した。
♡
しばらく歩いてから後悔した。
私、ここまでの道のりを覚えていない。
出口が一体どこにあるのか、そして私は今どこを歩いているのか全く分からない。
人に見つかりそうになれば近くの物陰に隠れてやり過ごし、空いている部屋があれば人が過ぎ去るのを待つために少しだけお邪魔させてもらう。
なんだかいけないことをしている気分……。
人が過ぎ去るのを待って部屋から出ると
「あんた、誰?」
後ろからそう声をかけられた。
驚いて振り返ると、不審そうに私を見ている男の子が立っていた。
フィルチ王国第二王子、ノア・フィルチ様。
ど、どうしようっ。
見つかってしまったことと、なんだか罪悪感にかられて後ずさりをしてしまう。
するとノア様が首を傾げた。
「あれ?あんた、どこかで……」
そう言って私の格好を見ると目を見開いた。
「あ!!お祖父様の友達!?」
「っ!!」
「その花屋って、お祖父様が毎日のように通っているとこだよな?どうしたんだよ、お祖父様に何か用事でもあった?」
そう聞かれて首を横に振る。
ノア様は不思議そうにしながら興味がなさそうに「ふーん」と言った。
「あ、それともお兄様?婚約者ってあんたの事だろ?」
今リアム様に見つかるわけにはいかない!
私は必死に首を横に振る。
するとノア様は眉を寄せた。
「何?あんた何がしたいの?もしかしてお兄様の事傷つけた?俺の大事なお兄様を傷つけたら容赦しないからな」
噂には聞いていたが、本当にノア様はリアム様が大好きなんだな。
基本的に素っ気ない態度で、ちょっとツンツンしているノア様。
だけどノア様にはなんだか安心して話せるような気がした。
「す、すみません。実は迷ってしまって……。リアム様のお手を煩わせたくなくて帰り道を探していたのですが……」
「は?あんたドジだな。そんなの、この廊下を突き当たりまで行けば使用人室があるんだから、そこで聞けば済む話だろ?」
「で、出来れば誰にも会わずに帰りたいのです……っ」
「はぁ?益々変な奴だな」
「その……、私、こんな格好ですし……。恥ずかしくて……」
「確かにあんた、庶民丸出しの格好してるな。そんなに自分の格好に自信が無いなら着替えればいいだろ」
「え?着替え?そんなの持ってきて……」
「ちょっとこっち来い。母様の着なくなった服があるはずだ」
「お、王妃様の服!?そ、そんなの恐れ多くて着れません!!」
「着なくなったって言っただろ。どうせ処分されるだけなんだから気にする必要ない」
ノア様はスタスタと歩いて行く。
私もどうしようか悩んだが、ノア様の後についていくことにした。
♡
着いた部屋に入ると、とても大きな部屋の中に大量の服が詰め込まれていた。
こ、これは一体……。
「ここから好きなものを選べ」
「え!?で、でも……」
「気にするな。この服は身寄りのない奴や施設に寄付されるもの。ボランティアで持っていくのと、今あんたにやるの、どっちも変わらないだろ」
「そう……でしょうか……?」
「つべこべ言うな。さっさと選んで着ろ。着たら俺が特別に出口に連れて行ってやる」
「あ、ありがとうございます!」
「人に会いたくないんだろ?おかしな奴だが、お祖父様の事を助けてくれたいいやつなのは知っている。だから俺も助けてやる」
ノア様の優しさに感謝しながら、一番派手でなくてシンプルなデザインのワンピースを選んで着る。
王妃様がスタイル抜群なのは知っているが、なんだかこのワンピース、ぴったりしすぎて体のラインが出るような……。
「お待たせ致しました、ノア様」
「馬子にも衣裳だな」
「う……っ」
「ほら、早く行くぞ。俺もそんなに暇じゃないんだ」
「す、すみません」
ノア様の後を歩いて出口に向かう。
ノア様は人に会わない道を選んでくれているようだった。
ツンツンしているけど優しい人。
エドワードさんの孫でリアム様の弟だなって分かるな。
「あんた、名前なんて言ったっけ?」
「松長水姫です」
「水姫か。お兄様と結婚するんだろ?」
そう聞かれて俯く。
正直自信がなくなってしまったのだ。
あの怖いレッスンをこれから先も受けないといけないことに恐怖が蘇る。
私はまだリアム様を好きなのかも分からないのだ。
素敵な人だとは思うけど、それが好きなのかと聞かれると答えにくい。
「俺の自慢のお兄様があんたを好きになった。それはあんたが良い奴だからだ。俺もこのちょっとの時間で分かった。話しやすくて楽しい」
「ありがとうございます」
「水姫が俺の姉になるのが楽しみだ」
そう言ってもらえるのはなんて幸せなことなんだろうか。
だけど、頑張れる自信がもう私には……。
そんな事を考えていると前からリアム様が走ってくるのが見えた。
「あれ?お兄様だ」
「!!」
「水姫、お兄様に用事があるんじゃ……」
ノア様の言葉を最後まで聞かずに私は反対方向に逃げ出した。
ダメだ、どんな顔でリアム様に会えばいい?
逃げ出そうとしている、こんな弱虫を好きだと言ってくれた優しい王子様に、私はどんな顔で会えばいいの?
あの人に失望されたくない、嫌われたくない。
私を、好きでいてもらいたい。
そう考えてハッとする。
私は一体何を……。
足がもつれて廊下に派手にコケる。
「いた……っ」
足をひねったのか、右足に激痛が走った。
泣きそうになっていると、座り込む私をそのままリアム様が抱きしめた。
「見つけた……、水姫……」
「リアム様……っ」
「部屋から出てこないから心配で中を見たけど、そしたら水姫がいなくて……。心臓が止まるかと……」
息切れと、激しい心臓の音。
それだけでどれだけ探してくれていたか分かる。
どうして私なんかにそこまで……。
「何かあった?」
そんな優しい声で聞かれたら、我慢が出来なくなる。
この人にだけは絶対に言わないでおこうって思っていたのに、言いたくなってしまう。
引っ込んだはずの涙がまた溢れてきて零れ落ちてしまった。
「ごめん…なさい…っ。私、やっぱり不釣り合いです…っ」
「そんな事ない。水姫はとても素敵な人で、俺が見つけた最高の女性だ」
「だけど私には、リアム様が受けられてきた教養も知識もございません。他国の庶民で、リアム様のお側にいる事が許されない…」
「それ、誰に言われた?」
「え…?」
「水姫は一度俺の事を受け入れてくれた。俺にとって水姫はもう彼女だ。その大切な彼女に対してそのような無礼なことを言ったのは誰って聞いてるんだけど」
怒っているリアム様。
私はビクッとして離れようとした。
これ以上余計なことを言わないほうがいい。
そうしないと、アルマさんが怒られるばかりか、お城の中が険悪になってしまう。
「わ、私ではリアム様のお側に立つことが出来ません」
「そんな事ない」
「リアム様にはもっと相応しい方がいらっしゃるはずです」
「水姫以上の女性を見たことが無い」
「私みたいな庶民、相手にされていてはリアム様の人を見る目が…」
「水姫。それ以上は黙って」
リアム様はそれ以上の会話を拒むように私に口づけた。
二度目の口づけ。
それはとても甘くて、頭の中が真っ白になっていく感覚。
ダメ…なのに。
どうして私はリアム様を突き飛ばせないんだろうか。
嫌なら引き離せばいい、それなのに体が動かない。
違う。
私は、このままを望んでいるんだ。
それがどうしてなのかは、もう分かっていた。
そうか、私はこの人を好きになっていたんだ。
「水姫、俺は君を離せそうにない。だから観念して俺に捕まえられといて」
「…はい」
「これからは俺が君に教えよう。レッスンなんて誰が教えてもいいだろ」
「でも、リアム様のお仕事の邪魔になるのでは…」
「ならないよ、むしろ励みになる。だって水姫に毎日会えるんだから」
そんな風に笑顔で言われると胸がギュッと切なく締め付けられる。
私は小さく頷いて立ち上がった。
「お兄様、水姫、もう話終わった?」
ノア様にそう声をかけられてハッとする。
それから赤くなって俯いた。
「帰りたいんじゃなかったの?水姫。出口案内してる途中だけど」
「そ、そうですね。帰ります」
「ノア、俺が案内する。お前は父上から頼まれた仕事があるだろう?」
「お兄様、なんて優しい…っ!はい!こちらはお任せいたします!!」
ノア様のこの態度の変化はなんだろう。
驚いているとノア様はあっという間に私達の前から立ち去って行った。
「さあ水姫、帰ろう。足を怪我しているからゆっくりでいいからね」
「ありがとうございます…」
リアム様の手を掴んでゆっくり歩き出す。
リアム様は私の服を見て微笑んだ。
「その服、どうしたの?」
「ノア様に案内されて、王妃様の着られなくなった洋服をいただきました。…あまりにも自分の格好がみすぼらしかったもので」
「前の洋服の何がみすぼらしいの?充分可愛かったけど」
「っ!!そ、それはリアム様のご冗談ですか?」
「まさか。本心だよ」
優しく微笑む王子に、私は翻弄されてばかりだった。
・
キス×スキ