ふしぎの世界の空飛ぶシロヒメなんだしっ⛅

「ぷんりゅんりゅん♪ うまがとぶ♪」
 白馬の白姫(しろひめ)の歌声が響く。
 アリス・クリーヴランドの耳に、それは元の世界に比べてより鮮明に〝歌〟として聞こえるような気がした。
「とーってもかわいい、シロヒメとんだよ♪」
「いや、白姫は飛ばないじゃないですか……」
 そこだけは元の世界と変わらずツッコんでしまう。
「飛んでもおかしくないし。そーゆー世界なんだから」
「まあ、確かにそういう世界ですけど」
 辺りを見渡す。
「ファンタジーだしー」
「そうですね……」
 彼女たちの周りには、丸いテントのようなものが隙間がないほど建ち並んでいた。
 テントの間には様々な品物の置かれた露台がひしめき、その前をこれまた多くの人々が行きかっていた。
 彼らのほとんどは個性的な帽子を頭に乗せ、毛織の衣服に身を包んでいる。
 草原地帯で生活する遊牧の人々がこのような格好をすることを、いまのアリスたちはよく知っていた。
 そんな中、明らかに〝異質〟と言うべき姿の者も散見できた。
 周りの人間たちよりはるかに巨大な体格を誇る者、全身を覆う古びたマントから機械を思わせる鈍い光沢の四肢を伸ばしている者、そもそもまったく人間からかけ離れてしまっているような姿をしている者――等々。
 卵土(ランド)。
 ここが自分たちの生まれ育った〝世界〟でないことをアリスはあらためて思い知る。
(葉太郎様……)
 思い浮かぶのは、自分たちと同じようにこの世界に来ているはずの少年の顔だ。
 花房葉太郎(はなぶさ・ようたろう)。
 見習いであるアリスの仕える騎士であり、白姫にとっては主人である。
 彼もいま――自分たちと同じようにこの未知の世界に戸惑っているだろうか。
 この世界に来たことが、自ら望んだことであっても。
(いえ、それは自分たちも……)
 表情が引き締まる。
 あの苛烈な〝大戦〟の最終局面で異世界への門が開いたとき、使命をもって旅立つ〝姫〟に騎士である葉太郎は付き従った。
 そして、アリスもまた従騎士として彼についていこうと〝門〟をくぐった。
 騎士の馬である白姫も気持ちは同じはずで――
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
 いきなり蹴り飛ばされたアリスは高々と宙に舞い、
「ぐふっ!」
 墜落して顔を地面にめりこませた。
「ぷはっ! ななっ、何をするんですか!」
「『何してんのか』はこっちのセリフだし。なに、ボーッとしてんだし」
「それは……いろいろ考え事を」
「えー、嘘だしー。アリスに考え事なんかできないしー。アホだからー」
「アホじゃないです」
 真剣な顔でそこは否定し、
「とにかく悪いことはやめてください。いきなり人を蹴るような」
「アリスのほうが悪いし」
「えっ」
 思わぬことを言われ、
「じ、自分が一体何を……」
「何もしてないからだし」
「ええっ!?」
「いつまでシロヒメを腹ペコにしておく気だしーーーっ!」
 パカーーーーン!
「きゃあっ」
 またも蹴り飛ばされ、情けなく倒れこむ。
「ぷりゅったく。歌ってハラペコをまぎらわせるのにも限界あるし」
「暴れるのはやめてください! 暴れ馬ですよ、それじゃ!」
「暴れるようなことをさせるアリスが悪いんだし! 白馬虐待だし!」
「してませんよ、虐待なんて!」
「してるし! ごはんを食べさせないなんて、とんでもない虐待なんだし!」
「人聞きの悪いことを言わないでください!」
「馬聞きが悪かったらいいんだし?」
「なんですか『馬聞き』って! そういうことではなくて……えーと」
 一瞬、話の本題を見失うも、
「ごはんを食べさせてないわけではなくて、食べさせられなかったんです!」
「ぷりゅー?」
「だって、そうじゃないですか!? こういう知らない世界で、そんな、お金だって持ってなくて」
 じわり。
 いままでこらえていたものがこみあげ、たまらず涙がにじむ。
「う……」
 ずっと不安だった。心細かった。
 知らない世界を自分たちだけでさ迷っている。
〝門〟をくぐったとき、葉太郎たちとタイミングがずれたせいか、一緒にいたのは白姫とそして――
「アリス」
「っ」
 肩に手を置かれ、顔を上げる。
「ユイフォン……」
 涙を見られないよう、とっさに目もとをぬぐう。
「大丈夫?」
「は、はい、大丈夫です。なんでもありませんから」
 笑顔を作ってそう答える。
 何玉鳳(ホー・ユイフォン)。アリスと歳の変わらない彼女も、同じように不安な気持ちでいるはずだ。
 それでもこちらをなぐさめてくれようという優しさに思わずまた涙が――
(っ……だめです、だめです)
 はっとなり、小さく頭をふる。
「もー、アリス、情けないしー。なに泣いてんだしー」
「し、白姫……」
 優しさの欠片もないその言葉に、さすがに憤りがこみ上げる。
「いいから早くごはんをちょーたつしてくるし。おいしそうなものがいっぱいあるんだし」
「だから、買いたくてもお金が……」
 あらためて暗澹とした気持ちになってくる。
(どうしましょう……)
 定期的に開かれるこのバザーのことを聞いたのは草原で暮らす家族たちからだった。
 素朴な遊牧生活を営む彼らは旅人に対して親切で、年若い少女だけで旅をするアリスたちのことを特に気にかけてくれた。疲労し切っていたところに宿と食事を提供してくれ、さらに探している人がいると言うと、多くの者が集まるバザーのことを教えてくれたのだ。
 その親切に感謝しつつ、彼らと別れてここまで来たものの――
(お金がないと……何も買えませんよね)
 これまでは優しい人たちのおかげでなんとか衣食をまかなうことができた。ほとんど奇跡と言ってよかった。
 異世界でありながら、とにかく言葉が通じたことが大きかった。
 正確には『意思が疎通できた』と言うべきだが。
〝卵土〟は、騎士の力――騎力(きりょく)の源である世界と言われている。
 馬である白姫との〝会話〟も騎力によるものだった。事実、こちらの世界に来てから、彼女の言いたいことを以前よりはっきりわかるようになっていた。
 そんな騎力を通して、アリスたちはこちらの世界の住人とコミュニケーションを取ることができた。
 それが一同をここまで生き延びさせたと言っても過言ではなかった。
(でも……)
 このバザーでも、人の親切にすがることは可能だろうか。
 そこかしこでくり広げられている熱気あふれる商売のやり取りを見ていると、とてもそんな甘いことが通じそうには思えなかった。
「うぅ……」
 ただうろたえることしかできない。
 すると、
「アリスはアホなんだしー」
「アホじゃないです!」
 あわてて言い返す。白姫はすました顔で、
「だってアホなんだし。お金がなかったら稼げばいいんだし」
「稼げばって……そんな簡単に」
「簡単なんだし」
 そう言うと、アリスとユイフォンを見て、
「シロヒメにアイデアがあるんだし」

「や、やっぱりやめましょう……」
 声がふるえる。
 一緒に身体もふるえそうになるが、アリスは懸命にそれをこらえる。
 下手にふるえたら――命にかかわる。
 と、そんな極限の緊張に耐えている一方で、
「ぷりゅぷりゅー」
 白姫は行き交う人々に向かって愛想よく、
「さー、ぷりゅってらっしゃい、見てらっしゃーい。これからとってもおもしろいショーが始まるんだしー」
 この世界に生きる者たちにとって、馬が意思を伝えてくるのは珍しいことではない。
 しかし、客引きをする馬はさすがに珍しいらしく、興味を引かれた者たちが次々と集まり始めた。
「ここにいるのはユイフォンなんだし。アホだけど刀を使わせたらそこそこなんだし」
「ア、アホじゃない……」
 ひどい言われように抗議の声をもらすユイフォン。
 その手には、向こうの世界にいたときからずっと持ち歩いている日本刀が握られていた。
「そして、こっちのアホはアリスだし」
 アホじゃない――と同じく抗議したかったが、
「ううぅ……」
 それどころではなかった。
 ユイフォンの手にした刀に視線が吸い寄せられる。
 ごくり。
 否応なく緊張感が高まっていく。
「さー、見事、ユイフォンがアリスの頭の上のリンゴを真っ二つにできたら、拍手喝采なんだしー」
(なんで、自分がこんなことをしないといけないんですか!)
 思わず叫びたくなる。もちろん叫べない。
 ここに至るまでになんとかするチャンスはいくらでもあったはずだが、結局こうして押し切られてしまった。
(だ、大丈夫ですよね、ユイフォン……)
 必死の願いをこめて彼女を見るアリスだったが、
「………………」
(ユイフォン……?)
 ぺこり。頭を下げて、
「ごめんなさい」
(えっ?)
「何かあったときのためにあやまっとく。何かあったらもうあやまれない」
(ユイフォーーーーン!!!)
 心の中で絶叫するも、そこへ無慈悲に、
「さー、お客さんが集まったところでさっそく始めるしー」
(いやぁーーーーーーっ!!!)
 またも届かない心の絶叫。
 反射的に逃げたくなるが下手に動くともはや危険ということに加え、ここで逃げればあとで白姫に何をされるか――
「う!」
 瞬間、
「!」
 白刃が――
「……い……」
 思考も何もかも吹き飛んで、
「やめてくださーーーい!」
「あっ、逃げんじゃねーし、アリス! コラーーーーーーッ!」


 ――結局、
「ううう……」
「ぷりゅったく」
 白姫は不満いっぱいに鼻を鳴らし、
「アリスはマジ根性ねーし。台無しなんだし」
「だ、だって」
 アリスは助けを求めるように、
「ユイフォンだってイヤでしたよね?」
「う……」
 そこへ白姫が、
「アリス、ユイフォンを信用してなかったんだし。だから逃げたんだし」
「う?」
 たちまちユイフォンの目つきが険しくなり、
「アリス、ムカつく」
「そうだし。ムカつくんだし」
「やめてください、白姫!」
 必死に声を張り上げる。
「最初から無理だったんですよ、あんな危険なこと!」
「ほら『無理』って言ってるし」
「うー」
「いえ、その、ユイフォンには無理だったって言ってるわけじゃなくて、あんなことでお金を稼ぐのが無理だったということで」
「何を言っているし」
 ぷりゅぷん、とこちらをにらみ、
「他にもたくさんいたし。変わったことをしてみせてお金をもらってる人たちが」
「それは……」
 確かにいた。いわゆる大道芸人と呼ばれる人たちだ。多くの人間が集まるバザーは彼らにとって絶好の稼ぎ場所なのだろう。
「でも、あちらはプロですし……」
「しろーとっぽさがが逆に受けることだってあるし」
「素人がやるには危険すぎますよ」
 抗議するも白姫はひるまず、
「だって、ほら、猿に芸をしてもらってた人がいたし」
「いましたけど……」
「だから、シロヒメ、猿の代わりにユイフォンに芸をさせたし」
「う……!」
 ショックを受けるユイフォン。
「そ……そうだったの?」
「ちなみにアリスはアホの代わりだし」
「なんてことを言うんですか!」
「あ、間違えたし。『代わり』じゃなくてアホそのものなんだし」
「アホそのものじゃないです!」
「えー、そのほうがいいと思うしー。ただ立ってればいいからー。アホだから何もできないからー」
「やめてください、もう本当に!」
 ひどすぎることを立て続けに言われたアリスは目に涙をためつつ、
「とにかくお金を稼ぐには何かもっと地道な……」
「地道?」
「そうです」
「じゃあ、アリスを売るし?」
「なんでですか!」
「確かにアリスなんて誰も買わないし。意味わかんないし」
「白姫の言っていることが意味がわかりませんよ!」
 そんな不毛なやり取りを続けているところに、不意に行商人らしい人の好さそうな老人が声をかけてきた。
 そして「まだこのバザーにいるのか」と聞いてきた。
「えっ、どういうことです?」
 質問を返すと、老人は親切に教えてくれた。
 近々、この草原地帯に〝牙印(ガイン)〟の騎士部隊がやってくるらしいと。
「牙印……」
 声がかすかにふるえる。
 その噂は早くから聞いていた。
 ここ〝卵土〟では、長い戦乱の時代が続いている。中でも、特に軍事的な力を誇るのが〝機印(キーン)〟と〝牙印〟の二大国家とのことだった。
 彼らは世界の各地に自国の騎士団を派遣し、野望のために破壊をくり広げているという。
(そう言えば……)
 バザーについてからしばらくして、アリスは行きかう人々がどことなくそわそわしていることに気がついた。いま思えば、近づく戦いから逃れるべく一刻も早く商売を済ませようとしていたのだろう。
「でも、どうして牙印が……」
 思わずもらした疑問にも老商人は親切に答えてくれた。
 この草原を南にしばらく行った山岳地帯に、どうやらペガサスの群れが住み着いたらしいというのだ。
「ペガサスだし!?」
 白姫の耳がぴんと立つ。
「ぷりゅー。さすがファンタジーなんだしー。ペガサスいるんだしー」
「ペガサスって、やっぱり羽が生えている馬のことで」
「違うし!」
 厳しい口調で、
「羽が生えている〝白〟馬なんだし! そこ重要だし!」
「は、はあ」
 そして、うっとりと、
「やっぱり白馬は特別なんだしー。ファンタジーと愛称いいんだしー。ユニコーンも基本白馬なイメージだしー」
「あの……」
 延々続きそうになる自慢(?)をひとまず放置して、
「ペガサスがいると、どうして牙印の騎士たちが?」
 老商人はまたも親切に教えてくれた。
 牙印の騎士たちは、獣騎士と呼ばれる。その名の通り、馬に限らない様々な獣たちを駆り、その中にはアリスたちにとってファンタジー世界の動物たちも数多い。
 そんな彼らにとって、空を駆け回るペガサスは大きな戦力になるのだ。
「ぷりゅー」
 白姫の表情が険しくなる。
「許せないんだし……」
「えっ」
「だって、そうだし!」
 鼻息荒く、
「馬を無理やりつかまえて言うことを聞かせようとしてるんだし! 信じられないし!」
「それは……」
 そもそも自分たちの世界も最初はそうやって――
「違うし!」
 こちらの考えを察したように、
「向こうの騎士たちは初めから馬と仲良くしようとしてくれたんだし。無理やりじゃないんだし」
「そうなんですか」
「そうだし!」
 力いっぱいうなずく。確かに、現代に限れば、騎士たちが馬に無理やり何かをさせるようなことはなかったと思う。
「けど、牙印の騎士たちもそうやってペガサスと仲良くするつもりなんじゃ……」
「ほんとにそう思うし?」
「う……」
 牙印の獣騎士の噂は決して良いものではない。戦いに勝つためならどんな手を使うことも厭わないまさに野獣のような者たちであると。
「許せないんだし! 馬を大事にしない騎士たちにひどいことはさせられないんだし!」
 憤りの声をあげた直後、
「ぷりゅーーーっ!」
「ちょっ……」
 いきなり走り出され、
「白姫ーーーーーーーっ!」
 アリスとユイフォンはあわてて追いかけるしかなかった。

「やめてください、いきなり飛び出すのは」
「だって馬のピンチなんだし。じっとなんかしてられないし」
「それはそうかもしれませんけど」
 あれから――
 アリスたちはすぐ追いつくことができた。なぜなら走り出したその直後に白姫が足を止めてしまったからだ。
「ぷりゅぅ~……」
 力ない鳴き声をもらして膝をついた白姫。
 アリスはあわてて、
「ど、どうしたんですか?」
「……し……」
「えっ?」
「おなか……すいたし」
 空腹問題を抱えていたことを思い出した一同。
 その後、事情を察した老商人から手持ちの食料を分けてもらい、なんとか危機は乗り切ることができた。普段なら、仮にも商売人がただで何かを分けてくれるようなことはなかったのかもしれない。しかし、牙印が侵攻してくる前に身軽になりたいという思惑もあり、売れ残りの日持ちする食料や馬の飼い葉などを快くゆずってくれたのだ。
「けど……」
 アリスは、久しぶりのちゃんとした食べ物に夢中な白姫を見て、
「よく考えたらここは草原なんですから、馬が食べ物に困ることはなかったんじゃ」
「何を言うし。シロヒメにはバランスのいい食事が必要なんだし。じゃないと、美白とびぼーが保たれないんだし」
「はあ……」
 確かに白姫は騎士の馬であって、美貌はともかく他の馬より栄養が必要なところはあるのかもしれない。事実、バザーでそのような飼い葉が売られていたということは、需要があるということなのだろう。
「ぷりゅー❤」
 お腹いっぱいになったというように、満足げに目を細める白姫。
「さー、ごはんのあとはゆっくり睡眠……」
「ちょちょちょ……!」
 アリスは驚きあわてて、
「あの、ペガサスのことは……」
「ぷりゅ!」
 白姫の耳がぴんと立つ――もすぐにだらんとなり、
「けど、おなかいっぱいで眠いしー」
「そんな……」
 と言いつつ語気が弱まる。
 すでに日は暮れ、アリスたちはバザーの近くで野営しつつ食事をしていた。思わず声をあげたものの、確かにいまから出発するのは旅慣れない自分たちにとって危険なことではあった。
 それに――
 勢いで飛び出した白姫だったが、具体的にどうこうという考えまではなかったようだ。
 加えて、一国の騎士団を相手に自分たちだけでどうにかできるとは、アリスにはとても思えなかった。
「ぷりゅすー、ぷりゅすー」
 寝息を立て始めた白姫を、結局アリスはただ黙って見つめるばかりだった。


 翌朝――
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
 寝起きを蹴られ、抵抗すらできずにアリスは吹き飛んだ。
「なっ、何をするんですか!?」
「寝坊したからだし」
「ええっ!?」
「アリス、気合入ってねーーーーし!」
「きゃあっ」
 またも蹴られそうな勢いに、驚いて身をすくめる。
「や、やめてください、暴力は」
「だったら、さっさと起きるし! ペガサスたちにピンチが迫ってるんだし!」
「えっ」
 アリスは、
「あの……それはやっぱり」
「『やっぱり』ってなんだし! ひょっとして見捨てるつもりだったんだし?」
「そ、そんなことは」
 あわてて首をふるも、
「でも、どうやって……」
「注意を呼びかけるんだし」
「は?」
 思わず目が点になる。
「注意って」
「ピンチが迫ってるから早く逃げるようにって教えてあげるんだし」
「あ……」
 肩が落ちる。
 確かにそれが妥当な案だ。昨日の憤りぶりから本気で戦うつもりなのかと心配していたが、さすがにそこまで無謀ではなかったようだ。
「早く行くんだし。手遅れになったらどうすんだし」
「は、はいっ」
 アリスはあわてて身支度を整え始めた。


「うまのーゆくーみちはー、はてしーなくーとおい~♪」
 険しい峡谷に白姫の歌声が響く。
「だのにー、なーぜ~♪」
「ハァ、ハァ……」
「ううう……」
 直後、
「ぷりゅーっ」
 パカーン! パカーン!
「きゃあっ」
「あうっ」
 蹴り飛ばされるアリスとユイフォン。
「きゃあああっ!」
 そのまま谷間に落ちそうになったアリスは必死で岩にしがみついた。
「ななっ、なんてことをするんですか!」
「しないからだし」
「ええっ!?」
 不機嫌さをむき出しに、
「『なーぜ~』ときたらハモるのが当然だし。なんでハモんないんだし」
「そんな……」
 そんなことをしている場合か! と言い返しそうになるも、
「うぅぅ……」
 言えない。言ったらまた蹴られるかもしれず、そうなったら今度こそ命にかかわる。
 アリスたちは――
 とても人が通れなさそうな険しい岩場を懸命になって登っていた。
 登っても登ってもなかなか果ては見えず、アリスとユイフォンは息も絶え絶えという有様だった。
 一方で、
「じゃあ、もう一回行くし」
「あ、あの、歌はもういいですから」
 また蹴られてはたまらない。懸命に訴える。
 しかし、白姫は構わず、
「ぷりゅーにー、あこがれて~♪ ぷりゅーをー、かけてゆく~♪」
「って歌が変わってるじゃないですか! どうハモればいいんですか! それと『ぷりゅに憧れて』ってなんですか!」
「はくばのーきもちは~♪ ひこーきうーま~♪」
「なんですか『ひこうき馬』って!」
 立て続けにツッコむも、すぐに疲労感でへたりこむ。
「というか、なんでそんなに元気なんですか……」
「元気に決まってるし」
 白姫の目が輝く。
「これからペガサスに会えるんだしー。楽しみなんだしー」
「あの……」
 そのことについても疑問があり、
「……大丈夫なんですか」
「ぷりゅ?」
「だから、その」
 また蹴られることを警戒しつつ、
「本当にこの先にペガサスたちがいるんですか」
「いるし」
「ど、どうして」
 なぜそんなふうに断言できるのかと――
「シロヒメは白馬なんだし」
 誇らしげに胸を張る。
「しかも、ただの白馬じゃないんだし。ママもおばあちゃんもそのまたおばあちゃんもずーっと騎士の馬なエリート白馬なんだし。白馬というだけでもプレミア感あるのに、その上でエリートなんだし。すごいんだし」
「はあ……」
「だからだし!」
 いっそう得意げに、
「シロヒメとペガサスは引き合うんだし」
「そ、そうなんですか?」
「ペガサスは翼の生えた白馬なんだし。やっぱりプレミア感ハンパないんだし。シロヒメと同じなんだし。特別なもの同士、引き合って当然なんだし」
「当然……ですか」
「そうだし」
 ためらいなくうなずく。
「だから、シロヒメがこっちだと思ったら、こっちにペガサスはいるんだし」
「う……」
 何の根拠にもなっていない。がく然となる。
 いや、確かに、馬として人間にはない感覚があるのかもしれないが、もしそれが間違っていたら険しい山の中で途方に暮れるようなことに――
「ぷりゅ!」
 不意に白姫の耳がぴくぴくっと動いた。
「ど、どうしました」
「しっ!」
 静かにするよう目でうながしてくる。
「ぷりゅー……」
 そして、
「聞こえるし」
「えっ」
「助けを求めてるし! こっちだし!」
 言うなり、険しい岩場を軽やかなジャンプで飛び渡っていく。
「あっ、ちょっ……白姫!?」
 あわてて追いかけようとするがとても白姫のようにはいかない。身軽なユイフォンも長時間の登攀で体力を使い尽くしている。
「待ってください、白姫! 白姫ーーっ!」

「うわぁ」
 アリスの顔がほころぶ。
 見た目は、まるで小さな白姫。しかし、その背中には、控え目ながらもはっきりそれとわかる〝翼〟が生えていた。
「ペガサス……本当に……」
「って、なに見とれてるしーっ!」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
「まー、見とれる気持ちはわかるけど。かわいいから。シロヒメと同じで」
「はあ……」
「けど、いまはそんな場合じゃないんだし! 早く助けるんだし!」
「は、はいっ」
 我に返り、あわてて小さなペガサスの上にのしかかっている大きな岩のそばに近づいた。
「せーの……」
「ぷりゅーーっ!」
 ユイフォンも力を貸し、そこへとどめとばかりに白姫が強烈な蹴りを放って大岩を谷間へ突き落とした。
「大丈夫なんだし?」
「ぷりゅぅー」
 仔ペガサスが涙混じりの鳴き声をもらす。
「ちょっと失礼します」
 岩にはさまれていた後ろ脚を素早く確認する。もともと騎士は簡単な怪我の手当て等できるよう教育を受けており、見習いのアリスもそれは例外ではなかった。かつ、白姫の面倒を見ているため、馬の扱いにも慣れていた。
「ふぅ」
 安堵の息がこぼれる。
「どうなんだし?」
「大丈夫みたいです。岩と岩の隙間に脚が入りこんでいたらしくて骨も折れてないですし」
「本当に大丈夫なんだしー? 信用できないしー、アリスの言うことだからー」
「だ、大丈夫ですよ、本当に」
 かすかに口もとをひくつかせるも、いまは言い合っている場合ではないと、持ち合わせの布や手近の小枝などで簡易の手当てを始める。
「さっ、これでとりあえずは大丈夫なはずですよ」
「『とりあえず』ってなんだし! 完璧にちりょーするし!」
「無茶を言わないでください。こんな何もないところで」
 すると、
「っ」
 くすぐったい感覚にはっとなる。
「あ……」
 すりすり。
 手当てしたばかりの仔ペガサスがアリスの手に鼻をこすりつけていた。あふれんばかりの感謝と親愛の気持ちを示すように。
「うわぁ……」
 あらためて顔がほころぶ。
 と、そこへ、
「あんま調子のってんじゃねーし」
「ええっ!?」
 白姫は険悪な顔で、
「手なずけたとか思ってんじゃねーし」
「そんなこと、ぜんぜん」
「この子はペガサスなんだし! シロヒメと同じで高貴なんだし! アリスなんかに簡単になついちゃうような、そんな……」
「ぷりゅ。ぷりゅぷりゅ」
「ぷりゅ?」
 仔ペガサスに話しかけられ、白姫が顔を向ける。
「ぷりゅ? ぷりゅぷりゅ」
「ぷりゅぷりゅ。ぷりゅ」
「ぷりゅー」
「あ、あの」
 アリスはおそるおそる、
「何を話して……」
「ぷりゅー?」
 わからないのかというように見られる。
 ここは難しいところなのだが、この世界でも馬たちの言葉を理解できないことがある。こちらに伝えたいという意志がはっきりしていないとき、あるいは相手が幼すぎるときにそれはよくあるようなのだ。
「まー、仕方ないから教えてあげるし」
 おおげさに肩をすくめ、
「迷子になったみたいなんだし」
「迷子?」
「そうだし」
 うなずく。それから話してくれたところによると――
「この子はママたちとはぐれたんだし」
 稀少さゆえに狙われることの多いペガサス。追跡者の手から逃れるため、その群れはたびたび住処を変えていた。その多くはいまいるここのような、人間たちが簡単に踏みこむことのできない険しい場所だ。しかし、その険しさはペガサスたちにとっても同様で、空を飛べるとはいえ、慣れないところであるため事故に遭うことも多かった。
 目の前の仔ペガサスもそんな〝事故〟に巻きこまれたらしい。
 あらたな居所を求め、この山地にやってきたペガサスたち。
 そんな中、たまたま仲間たちと離れていた仔ペガサスは、山間に吹き荒れる不意の思わぬ突風に飲まれてしまった。
 なんとか風から逃れたとき、そこは見たこともない場所だった。
 仔ペガサスはあわてて仲間たちを探した。
 しかし、まだ見慣れない景色の中をどこに行っていいかわからず、たどるべきにおいも風によって飛ばされてしまっていた。
 疲れ果てて、岩場に降りた仔ペガサス。
 そこへさらなる不運で崖崩れが起き、動くことすらできないようになってしまったということなのだった。
「大変でしたね」
「大変だったんだし」
 うなずく白姫。そしてせつなげに目を細め、
「ママに会えないのは……つらいんだし」
(あ……)
 思い出す。白姫が幼いころに母親から離されたという話を。
 そして、自分たちもまたこうして異世界に来てしまい、家族や友だちと会うことのできない立場なのだ。
「……探しましょう」
「ぷりゅ」
「う」
 アリスのつぶやきに白姫、そしてユイフォンもうなずく。
「ぷりゅー」
 感謝を示すように、小さな鼻先がみんなにすり寄せられた。


「で、でも、やっぱり険しいですね、ここは……」
「うぅぅ……」
「がんばるんだし! この子のためなんだし!」
「ぷりゅ、ぷりゅ」
 アリスの背負った荷物の上に乗せられた仔ペガサスも「がんばって」というようにいななきをあげる。
 そんな声にも励まされ、アリスとユイフォンは懸命に険しい岩場を進んでいった。
 しかし、つらいことにはやはり変わりがなく、
「本当にこっちでいいんですか……」
「何度言わせるし! そんなにシロヒメを疑うし!?」
「だ、だって、白姫のただのカンじゃないですか」
「ただのカンじゃないし! シロヒメのカンなんだし!」
「けど、ペガサスのこの仔だってわからないのに」
 そのときだった。
「ぷりゅ!」
 不意に仔ペガサスがするどい声をあげた。
「えっ?」
「ぷりゅ?」
 アリス、そして白姫も疑問の息をもらす。
「どうしたんでしょうか、白姫?」
「シロヒメにもわかんないし」
 一方、
「ぷりゅりゅりゅりゅりゅりゅ……」
 何かにおびえるように小さな身体がふるえ始める。
 と、白姫もはっとなる。
「何か……イヤな感じのにおいがするんだし」
「イヤな感じのにおい?」
「そうだし。いままでかいだことがない……」
 すると、
「ぷりゅっ! ぷりゅっ!」
 仔ペガサスがあせったようにいななく。
「早く隠れてって言ってるし!」
「ええっ!?」
 とにかく緊急事態らしい。あわててそばにあった大きな岩の陰に身を隠す。
「!」
 やがて〝それ〟はアリスにもはっきりと感じ取れた。
 空をふるわせる無数の力強い羽ばたきの音が徐々にこちらへと近づいてくる。
「ぷりゅりゅりゅりゅりゅりゅ……」
 見れば、白姫も仔ペガサスと同じようにふるえ始めていた。
「大丈夫ですか? どうしたんですか?」
 小声の問いかけに、
「わ、わかんないんだし……でもすごくイヤな感じなんだし……」
 いつも強気な彼女のそんな発言に息をのむ。
 一体何が――
「!」
 空を黒い影がよぎった。
「あ……」
 巨躯。
 馬よりわずかに小さいものの、それが身体に相応の翼を羽ばたかせて空を行く姿は実寸以上の迫力を感じさせた。
「な、なんですか、あれは……」
 声がふるえる。
 怪物。そうとしか言いようがない。
 それはアリスの見たこともない生き物だった。
 太い爪を生やした筋骨隆々の四肢。下から見上げたその身体は地を駆ける狂暴な肉食獣のものだった。
 だが、その頭部は――
(鳥……?)
 シルエットは明らかにするどいくちばしを伴っていた。しかし、水鳥のような優しげなものでなく獲物をついばむことに特化した猛禽類のそれだ。
「なんなんですか……」
 怪物は一体だけでなく、後から次々と飛んできた。
 と、気づく。
「あれは……」
 人――
 空を舞う怪物の背に、武装した人間と思しき影がまたがっていた。
「……!」
 思い出す。
 そもそも自分たちが何のためにここに来たのかを。
「牙印の……獣騎士」
「ぷりゅ!」
 白姫の耳がピン! と立つ。
 すると、
「ぷりゅ。ぷりゅぷりゅ」
 仔ペガサスが何か語りかける。
 話を聞くうちに、白姫の顔がたちまち青ざめていく。
「なんていうことだし……」
「白姫……?」
「あれはグリフォン……馬の天敵なんだし」
「!」
 聞いたことがある。
 ペガサスと同じでやはり現実には存在しない架空の生き物。
 しかし、この世界では存在する。
 あえて言うなら、それは空舞う力強き肉食獣。
 普通の馬だけでなく、空を飛ぶ草食動物であるペガサスにとっても恐るべき存在であるのは当然だった。
「ど、どうしましょう……」
 いまさらながらにあわて始める。
「ここに白姫やこの子がいるってわかったら……」
「とりあえず大丈夫だし」
「えっ」
「こっちは風下だし。だからシロヒメたちが先に向こうのにおいがわかったんだし」
 なるほど。心の中でうなずく。
「じゃあ、見つからないようにちゃんと隠れて……」
 そこでまたもはっとなる。
 グリフォンを駆る牙印の獣騎士。それがここに現れた目的は、
「ペガサスたちをつかまえようと……」
「ぷりゅ!」
 仔ペガサスが大きくふるえる。
「ぷりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅ……」
 同じくふるえながらも、白姫は険しい顔で、
「……だめだし」
「!」
「このままでは……だめなんだし」
 声に静かな力がこもる。
「このまま行かせたら、ペガサスのみんなが大変なことになるんだし。行かせちゃだめなんだし」
「でも……」
 こちらもふるえる声で、
「あんなにたくさん……どうにもできませんよ」
「どうにかするんだし」
「そんな……」
「アリス」
 白姫は真剣な目で、
「ヨウタローだったら、こんなとき絶対に見捨てたりしないんだし」
「……!」
 そうだ。自分の仕えるべき騎士・葉太郎なら――
「ですけど……」
 それでも決心がつかず、
「ひょっとしたら、ペガサスのところに行くわけじゃないかもしれませんし」
 思わず視線を外した――そこに、
「ぷりゅぅ……」
「!」
 見ていた。
 せつなげな鳴き声をもらしながら、うるむ瞳で仔ペガサスがこちらを見ていた。
「あ……」
 胸がぎゅっとしめつけられる。この目を前にして自分は、無理だ、できないと、あきらめようとしていたのか。
「ユイフォン、やる」
「……っ」
 確かな想いをその表情ににじませ、
「やる。ペガサス、守る」
「で、でも」
「爸爸(パーパ)なら」
 白姫に負けない真剣な目で、
「爸爸なら、絶対守る。爸爸、ヒーローだから」
 ユイフォンの爸爸(ちち)――
 それは、ナイトランサー。白い仮面の正義の騎士だ。
 その正体が葉太郎であることをアリス、そしてユイフォン自身も知っている。
 だが、信頼がゆらぐことはない。
 彼女にとってナイトランサーは心から敬愛する絶対正義の象徴なのだ。
「………………」
 アリスは、
「……恥ずかしいです」
 そうつぶやき、唇を噛んだ。
「白姫も、ユイフォンも……。なのに自分は……」
 肌身離さず持ち歩いている〝槍〟をぎゅっと握る。
「ソニアさんに創っていただいたこの槍に……恥ずかしいです」
 騎士槍職人見習いソニア・オトタチバナ。
 彼女がアリスのために創ってくれたのがいま手にしている槍だった。
〝勇気の槍〟――
 本来、騎士見習いの従騎士が槍を持つことは許されない。そんなアリスのためにと創ってくれた槍には、なんと穂先がなかった。
 槍でありながら、槍ではない。
 ゆえに見習いの騎士でも持つことができるという、そんな言いわけにもならない理由のもとで託された槍だったが、
(持ち手次第では――その心が穂先となる)
 ソニアのその言葉が、アリスを支えてくれた。
 勇気なき者に手に取る資格はない。そんな思いからアリスはこの異世界でもずっと〝勇気の槍〟の使い手にふさわしい自分であろうとしてきた。
 ならば――迷う理由は何一つない。
「……やりましょう」
 まさに勇気を奮い起こし、
「やりましょう! 自分たちでペガサスのみんなを助けましょう!」
 大声を上げて立ち上がった瞬間、
「ぷりゅっ!?」
「あうっ!?」
「あ……!」
 白姫とユイフォンが悲鳴をあげ、アリスもはっとなる。
 思わず出してしまったその大きな声を聞きつけたのだろう。グリフォンに乗る騎士の一人がふり返り、それは他の騎士たちにも伝わっていった。
「アリス、アホなんだしーーっ!」
「す、すみませーーん!」
 あわててあやまるも当然のように遅すぎた。
「はわわわわ……」
 こちらが何者であるのかを確かめようとしてか数人の獣騎士がゆっくりと近づいてくる。
 じわじわ迫り来るそのプレッシャーに、
「こ……」
 アリスはたまらず、
「来ないでくださーーーい!」
 手にした〝勇気の槍〟を反射的にふるってしまう。
 瞬間、
「あっ……」
 スポンッ! 手から槍がすっぽ抜けた。
「ああっ!」
 飛んでいった槍が、後方に控えていた獣騎士の一人の顔をかすめた。
「あの、その、いまのはわざとではなく……」
 とっさにあたふたと言いわけをするが、
「っ!」
 敵意に満ちた視線をいっせいに向けられ、その場に凍りつく。
「はわわわわわわ……」
 ふるえる。そして気づく。
 衣装の違い、そして後方で全体を見渡しているその立ち位置から、どうやら自分が槍をぶつけかけた相手は一団のリーダーであるらしいと。
 奇襲を受けたとでも思ったのだろうか。
 その獣騎士は、まさに獣のような怒りをたぎらせ、
「!」
 吼えた。
 野獣のごとく。
 そして、リーダーは先頭を切って突っこんできた。他の獣騎士たちも次々と続く。
「きゃーーーーーっ!」
「逃げるんだしーーーーっ!」
 叫ぶと同時に白姫は駆け出していた。ユイフォンもそれに続く。
「……!」
 岩の上をはねるように跳んでいく白姫。ユイフォンもそれに負けない身軽さで岩から岩へ跳び渡っていく。
「う……」
 とても無理だ。
 登ってくるのにさえあれだけ苦労させられたた岩山だ。自分に白姫たちのような真似はとても――
「跳ぶんだし!」
「っ!」
 アリスの身体がふるえる。
 白姫はさらに、
「跳ぶんだし! アリス!」
「でも、でも……」
 白姫は――言った。
「アリスは馬なんだし!」
「!」
「馬だ! 馬になるんだし!」
「馬に……自分が……」
 無茶苦茶だ! という考えはなぜかそのとき浮かばなかった。
 それしかないと思った。
 できるできないの問題ではない。
 やるしかない。いまのこの危機を乗り切るためには。
「馬になる……」
 獣騎士たちはすぐ後ろにまで迫っている。
「馬に……白姫みたいに……」
 騎士になろうと志してから、ずっと白姫の世話をしてきた。
 誰より身近で彼女を見てきた。
 イメージできる。
 白姫の動き方、走り方。
 その通りに……自分だって――
「勇気……勇気……」
 何度も小さくつぶやき――アリスは、
「ぷりゅーーーーーーっ!」
 白姫を思わせるいななきをあげ岩を跳んだ。
「!」
「アリス……!」
 息をのむ白姫とユイフォン。
「ぷりゅーっ! ぷりゅぷりゅーーーーっ!」
 本当に馬になったかのように、そして恐怖を吹き飛ばそうとして、ひたすらいななきを上げて跳び続けた。
 獣騎士たちはすぐ後方にいる。
 白姫たちもいつまでも留まっているわけにはいかず、アリスがついてきてくれると信じるような視線を残し、再び岩場を駆け下り始めた。
「ぷりゅーーっ! ぷりゅぷりゅーーっ! ぷりゅぷりゅぷりゅぷりゅーーーっ!」

「ぷりゅぷりゅぷりゅーっ! ぷりゅーーっ!」
「『ぷりゅぷりゅ』うるせーし! ムカつくんだしーっ!」
 と、普段なら間違いなく言われていた。
 しかし、いまそんな余裕は白姫を始めとして誰にもなかった。
「ぷりゅぷりゅぷりゅぷりゅーーーっ!」
 いななきをあげ懸命に馬になったつもりで岩場を駆け下りていくアリス。一瞬であろうと我には返れない。ちょっとでも〝人間〟に戻った瞬間、奇跡のようないまの動きも共に消えてしまうだろう。
 馬だ。馬になるのだ。
「ぷりゅぷりゅぷりゅーっ! ぷりゅりゅりゅーーっ!」
 と、そのとき、
「止まるし!」
「!」
 我に返った。
「きゃあっ」
 情けない悲鳴と共に地面に突っこむ。たまたま倒木がクッション(?)になってくれなければ岩場にまともに顔をぶつけていた。
「な、なんで……」
 なんで止まるのか――
 という疑問の声は放たれる前に消えた。
「あ……」
 行けない。
 グリフォンを駆って飛んでくる獣騎士たちの追撃をすこしでもにぶらせようとしてか、白姫は狭い峡谷の奥へ奥へと駆け下りていった。
 その結果――
「ううぅ……」
 四方八方。
 アリスたちがいたのは、どこへ行くこともできない谷間の最下部であった。
「ど、どうしましょう……」
「………………」
 沈黙する白姫。「どうにかする」という強気の言葉も出てこない。
「!」
 不吉な羽ばたきの音が近づいてくる。
 おそるおそる。
 現実であってほしくないという思いでふり返る。
「はわっ!」
 いた。
 狭い谷間の中で、それはまさに空を埋め尽くすと言うべき光景だった。
「はわわわわ……」
「ううううう……」
 アリスだけでなくユイフォンも声をふるわせる。
 逃げ場は、なかった。
「ひっ……」
 前に出てきたリーダー獣騎士の威容にたまらず後ずさる。獅子は兎を狩るのにも全力を尽くす。そんな気迫をにじませながら、男は一歩一歩近づいてきた。
「きゃっ」
 不意に投げつけられた〝それ〟を反射的につかみとる。
「あ……」
 槍だった。
 誤って投げつけたはずの〝勇気の槍〟が自分の手に戻ってきたことに、アリスはしばし呆然となる。
「!」
 ビシッ!
 戦意に目をぎらつかせたリーダー獣騎士の槍先がこちらに向けられた。
「う……」
 もはや何を言われずともわかる。
 勝負――
 彼は騎士としてアリスとの勝負を望んでいるのだ。
 わずかとはいえ、部下の前で見せてしまった自分の醜態を払拭するために。
「そ、そんな……」
 がく然となる。
 自分はまだ見習いの従騎士なのだ。それが明らかに自分より格上と思える騎士に――
「アリス!」
 助太刀しようとユイフォンが飛び出してくる。
 しかし、
「う……!」
 けん制するように他の獣騎士たちが前に出る。
「ううう……」
 動けなくなるユイフォン。
「あぁ……」
 どうしようもない。絶望するより他になかった。
「っ」
 リーダー獣騎士がグリフォンの背から下りた。
 もう逃れようがない。
 アリスは、
「や……やああああああーーーーっ!」
 やぶれかぶれにリーダー獣騎士に立ち向かっていった。
「!」
 キィィィィィィィィィン!
 凪ぎ払われた。
 一閃。
 またも〝勇気の槍〟が手を離れ、高々と宙に舞った。
「あ……」
 肉食獣さながらの筋骨隆々とした巨躯。
 そんなリーダー獣騎士の槍は、まるで彼が駆るグリフォンの翼のような刃を槍身から生やしている異形の騎士槍だった。
〝烈羽(れっぱ)の槍〟――
 そんな名が、アリスの脳裏をかすめた。
「ぅ……あ……」
 ぺたり。全身の力が抜け、情けなくその場にへたりこむ。
 圧倒的だった。
 悔しいという気持ちも起こらない。
 それほどの力の差だった。
 しかし、
「く……」
 じわじわと――
 胸に怒りがこみ上げてくる。
(どうして……)
 どうして自分は二度も槍を手放してしまったのか。
 まだ騎士ではない。
 それでも騎士を目指す者として、槍を手放すなどというのはもっともあってはならないことなのだ。
〝勇気の槍〟――
 勇気を失った自分はその名前にあまりにも似つかわしくない。
(せめて……)
 四肢に力がこもる。がくがくとふるえる両手両足でかろうじて立ち上がる。
 相手の目が軽く見開かれるのがわかった。
(せめて……何もできなくても……)
 何もできなくても、まったくかなわない相手だとしても。
 応える。
 応えなくては。
〝勇気の槍〟を創ってくれたソニア。そして――
(葉太郎様……)
 初めは、従騎士であるアリスが槍を持って戦いに赴くことに反対した。これまで見たことがないというくらいの怒りを見せた。
 それでも最後は、気持ちをくみ取ってくれた彼に――
(……応えたい)
 応えないではいられなかった。
「………………」
 静かに――
 構えを取った。
 かすかにリーダー獣騎士の動揺する気配が伝わってくる。
 アリスが取ったのはレスリングの構えだった。槍のない身で戦いの意志を見せる方法は他になかった。
「ハァ……ハァ……」
 自然と呼吸が早くなっていく。
 勝てるとは思わない。それでもこのまま何もせずに引くことはできなかった。
 したくなかった。
「行きます!」
 自身を鼓舞するように声を張り上げ、
「やああああああーーーーっ!」
 走った。
「っ……」
 かわされた。
 あまりにもあっさりと。
 鼻で笑うその息が聞こえるようだった。
「くっ」
 無力感がこみ上げるも再び、
「てやあああああーーーーーっ!」
 かわされた。
「たああああああーーーーーっ!」
 またも。
「やあーーっ! たあーーーっ! はあああーーーっ!」
 かすりもしない。
 相手は大きな騎士槍を手にしたままで、こちらは両手が自由だというのに。
 谷間にはただむなしく雄たけびがこだまするばかりだった。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
 ついに足が止まってしまう。
 うつむきかけた顔を、それでも最後の意地でぐっと上げる。
 敵が笑っていた。
 それは明らかに侮蔑をにじませたものだった。
「くぅ……っ」
 あまりの悔しさ、そして自分の情けなさに涙がにじむ。それでも立ち続けていられたのは他にどうすることもできなかったからだ。
「うぅ……」
 あらためて畏怖の思いにとらわれる。
 自分よりはるかに体格で勝り、かつスピードすら上回る。獣騎士という名の通り全身の筋肉を躍動させたそれは獣のような俊敏さで――
「……!」
 獣の――
 脳裏に白姫の言葉がよみがえる。
(馬だ! 馬になるんだし!)
「馬に……」
 つぶやく。
 その様子の変化に気づいたのか、リーダー獣騎士がいぶかしげな顔になる。
「……ぷ……」
 アリスは、
「ぷ……ぷりゅーーーーっ!」
 腹の底からいななきを響かせた。
 突然のことに、あぜんと目を見開かれる。
 アリスはいななきと共にすでに飛び出していた。
 リーダー獣騎士の口もとがひくつく。
 ついにアリスの渾身のタックルが相手の脚を捕らえたのだ。
 たちまち怒りが彼の顔にみなぎり、
「きゃっ!」
 力任せに脚をふるわれそのまま岩にぶつけられそうになったアリスは、とっさに離れて後方に飛び退った。
「!」
 蹴りが岩を砕いた。
 頑丈そうな脚のプロテクターがあったとはいえ、とんでもない脚力だった。
(いや……)
 脚力なら負けるわけにいかない。
 自分は――馬なのだ!
「ぷりゅーーーっ!」
 跳ねた。
 必死に岩場を駆け渡った感覚を思い出す。
 馬だ! 馬になるのだ!
「ぷりゅぷりゅーっ! ぷりゅーーーっ!」
 いななきをあげながら、リーダー獣騎士の周りを円を描くように駆ける。
 いらだった顔でつかまえてこようとするその手をかわしながら、さらに走りを加速させていく。
「アリスーっ!」
 流れが変わってきたのを見て取り、ユイフォンが「負けるな」というように声援を送る。
 周りの獣騎士たちも、一方的に味方がいたぶるだけだと思っていた展開が変わり、にわかに見つめる目が熱を帯びてくる。
 そんな中、アリスは敵の追撃をかろうじて避け続けた。
 と、不意に狼のような吼え声をあげるやいなや、リーダー獣騎士が槍を後方の仲間に向かって乱暴に投げ渡した。
 そして、自由になった右手も加え、両方の手で捕らえようと迫り来る。
「くっ……」
 敵のスピードが格段に上がった。槍を持っていたときも十分に速かったが、それを手放したことでまさに四足の獣のごときしなやかさを見せた。
「ぷ……」
 動物ということなら、こちらも動物だ。
「ぷりゅぷりゅーーーっ!」
 負けじと高らかにいななき、岩場を蹴る足に力をこめた。
 野生の草食動物が肉食動物から逃げるのは日常のことだ。
 しかし、それは『逃げ』ではない。
 立場が違う者同士。
 正々堂々の勝負なのだ。
(負けません……!)
「ぷりゅぷりゅぷりゅぷりゅーーーーーーーっ!!!」
 もっと軽く。もっと自由に。
 服さえ脱ぎ捨てたい。荷物はもうとっくに――
「あ……!」
 足が止まった。
 その瞬間を当然のように敵は見逃さなかった。
「きゃあっ!」
 大きな手に両肩をつかまれる。
「く……」
 とっさに身をよじるも、力強く太い指はまったく離れる気配がなかった。
 獰猛な笑みを見せる獣騎士。
 しまった……! たちまち青ざめる。
 しかし、いまのこの危機に負けず劣らず、脳裏は〝あること〟への焦燥でいっぱいになっていた。
 荷物――
 ずっと背負っていたそれが、いま自分の背にはなかった。
 荷物などあったら、とても馬のように岩場を全力疾走などできなかった。
 いつの間にか……おそらく獣騎士たちから逃げるとき、無意識にふり捨ててしまったのだろう。
 そのことに思い至り、さらに血の気が引いた。
 荷物自体は問題ではない。
 荷物……その上に――
 脚を怪我したあの仔ペガサスが――
「っ……!」
 苦痛に目を見開く。
「あ……」
 歯をむき出し力をこめている獣騎士。
 つかまれた肩がみしみしと音を立ててきしんでいく。
「あ……ああ……」
 力なくもがく。
 獣騎士はまったくゆらがず、むしろこちらの身体からどんどん力が抜けていく。
(自分は……なんて……)
 なんてことをしてしまったのだろう。
 無我夢中とはいえ、あんな小さな子のことをいままで忘れていたなんて。
(ごめんなさい……ごめんなさい……)
 悔恨の涙が頬を伝う。
 もはや抵抗する体力も気力も残されていなかった。ただなすすべなく暴虐の力に破壊されるしか――
「ぷりゅ!」
「……!」
 空耳だと思った。
「ぷりゅ! ぷりゅぷりゅ!」
 聞こえた――はっきりと。
 白姫ではない。もちろん先ほどまで自分があげていたいななきでもない。
「よかった……」
 無事だった。
 なえかけていた力が戻ってくる。
 と、その瞬間、
「逃げるんだし!」
「!」
 今度は、白姫の声。
 アリスの反応は早かった。
「てやあぁぁーーーーーーーっ!」
 完全に戦意を喪失していたこちらが復活したことに不意をつかれたのだろう。胸板に強烈な蹴りをくらった獣騎士は、その衝撃に手を離した。
「こっちだし!」
 考えるよりも早く声の聞こえたほうに飛びこんだ。
 直後だった。
「!」
 ガラン……ガラン――
 不吉な音が頭上から伝わってきた。
 獣騎士たちの息を飲む気配が伝わってくる。
「これって……」
 ガラン、ガラン、ガラガラガランッ!!!
 いまやその音ははっきりとした脅威を伴って谷間に鳴り響いた。
 獣騎士、そしてグリフォンたちの悲鳴がこだまし、そしてすぐさまその轟音に飲みこまれていった。

「はわわわわ……」
 突然のことに思考が追いつかず、アリスはしゃがんだままふるえることしかできなかった。
 やがて――
 轟音が治まったことに気づき、おそるおそる顔を上げる。
「……!」
 信じられない光景が広がっていた。
 谷底を埋め尽くす無数の落石。その合間合間に苦痛にうめく獣騎士たちの姿があった。
 空を覆いつくすほどにいたと思われた獣騎士たちが、なんと崖崩れの直撃を受けて壊滅状態になっていたのだ。
 と、あわてて自分がいるところを見渡す。
 白姫、ユイフォン、そしてアリスがいたのは、巨大な岩がひさしのようになっているその陰だった。頑丈な岩盤の奥に逃げこんだおかげで、獣騎士たちのように落石の直撃を受けずに済んだのだ。
 それにしてもぎりぎりのタイミングだった。
「はわわ……」
 あらためて身体から力が抜けた。
 そこへ、
「ぷりゅー」
「っ!」
 あの声だ。
 戦いの際にも聞いた仔ペガサスの鳴き声に、あわてて岩陰から飛び出す。
「ああっ!」
 顔を上げたアリスは驚きの声をあげた。
「う!」
「ぷりゅぅ!」
 そのあとに続いたユイフォンと白姫も目を見開く。
 そこには――
「うわぁ……」
 ほんのわずか前に、こちらを絶望させた空を埋め尽くすグリフォンと獣騎士たち。
 しかし、いま空いっぱいにその翼をはためかせていたのは、
「きれいです……」
 思わずつぶやく。
 事実、太陽の光を受けたペガサスたちの白い翼は宝石のように輝いて見えた。
「ぷりゅぷりゅー」
「あっ」
 ぱたぱたと。小さな翼をはためかせて飛んできた仔ペガサスをあわてて抱きとめる。
「よかった! 無事だったんですね!」
「ぷりゅ、ぷりゅ」
 うれしそうにうなずく。
 そこへ、
「あ……」
 優雅に翼をはばたかせて舞い降りてきたのは気品を漂わせた大人のペガサスだった。その神秘的な姿を前に思わず緊張する。
「ぷりゅー」
 仔ペガサスが甘えるようにすり寄る。
「その子のママなんだし」
 隣に並んだ白姫がつぶやく。
 ペガサスは母親らしい優しい眼差しで、
「ぷる」
 しとやかに頭を下げた。
 お礼を言われているのだとわかったアリスはあわてて、
「そ、そんな……自分、その子のことを放っておいて……」
「ダメなアリスだしー」
「ううっ……」
 容赦ない指摘に縮こまるしかない。
 と、白姫は冗談だというように笑い、
「その子は逃げる前にシロヒメが隠したんだし」
「えっ……!」


 獣騎士たちに見つかってしまった直後――
 彼らがアリスに気を取られている隙に、白姫は素早く仔ペガサスを岩の合間に隠した。
 そして、言った。
「獣騎士たちの向かおうとしてたほうにきっとペガサスのみんなはいるんだし。だから伝えてほしいんだし」
「ぷ……!?」
「いますぐこの山から離れるようにって。シロヒメたちが獣騎士を引きつけてるうちに」
「ぷ、ぷりゅ……」
「迷ってる暇はないんだし。頼むんだし」
「ぷ……ぷ……」
「大丈夫だし。脚はケガしてても翼があるんだし。飛べるんだし」
 そして――
 アリスたちを追って獣騎士がいなくなったあと、仔ペガサスは隠れ場所を出て、懸命に小さな翼をはばたかせた。白姫の言った通り、さほど行かないところで仲間たちに合流することができた。彼らもいなくなった仔ペガサスのことを探していて、それがたまたま行き会った形だった。
 白姫の言葉を仲間たちに伝えた後、さらに仔ペガサスは言った。
 彼女たちを――助けてほしいと。


「それで、みなさんが来てくれたんですね……」
 白姫の説明に続いて語ってくれた母ペガサスの話に、アリスは深く感動していた。
「自分たちのために恐ろしい獣騎士と戦おうとしてくれたなんて……」
「ぷる。ぷるぷる」
 母ペガサスが首を横にふり、そして言う。
 むしろ、アリスたちのおかげで獣騎士を撃退することができた。
こうして狭い谷底にまで逃げたため、グリフォンを駆る獣騎士たちがまとまって動くしかなかったために。
「その前に、アリスがうまく怒らせたから獣騎士がみんなこっちに来たんだし。アリスがアホでよかったんだし」
「アホじゃないです」
 そう言いつつも、失態が結果としてこの幸運につながったこともあり、アリスはそれ以上何も言わなかった。
「あっ」
 気がつく。
 獣騎士に捕まって意識がうすれかけていたとき聞こえた仔ペガサスの鳴き声。
 あれはきっと「逃げて」と言っていたのだ。
 それを聞きつけ、かつ、ペガサスたちがやろうとしていることも察した白姫は、素早く避難できる場所を探し、アリスにも逃げるように言った。
 その直後、岩が蹴り落とされたのだ。
 仔ペガサスが巻きこまれたこともあって、わざわざ準備するまでもなくこの山に崩れやすい岩が多いことは予測できた。そして、白姫が仔ペガサスを助け出したときのように、蹄で力強くそれを蹴り飛ばしたのだろう。
「白姫……」
 アリスはまだ彼女にお礼を言っていなかったことを思い出し、
「ありがとうございました。この子のことも含めて、白姫がいなかったらどうなっていたことか」
「とーぜんなんだし。シロヒメ、賢いんだし」
 誇らしげに胸を張る。アリスは小さく頭をふり、
「それだけじゃありません」
「ぷりゅ?」
「白姫は……本当に勇気があります」
 つらそうに目が伏せられる。
「ペガサスたちを助けたいと言ったのは白姫です。自分は、自分たちだけでそんなことができるなんてとても思いませんでした」
「アリス……」
「自分は本当に勇気がないです。なのに、そんな自分が……」
 そのときだ。
「ぷりゅ」
 仔ペガサスの鳴き声に顔を上げる。
「あ……」
 あった。
 獣騎士に弾き飛ばされた〝勇気の槍〟をくわえた別のペガサスがそこに立っていた。
 とっさに手を伸ばしかけ――しかしその手を引く。
「資格……ありませんから」
「ぷりゅ?」
「自分は……二度もその槍を」
 そこへ、
「つまんねーこと言ってんじゃねーし!」
 白姫は鼻息荒く、
「せっかく持ってきてくれたんだし。ありがたく受け取るし」
「でも……」
「よけーなこと考えてんじゃねーし。アリスのくせに」
「え、ええぇ?」
「アリスがダメダメなのはいまに始まったことじゃないんだし。槍を落としちゃったらまた何度でも拾えばいいんだし。どうせアリスなんだから」
「っ……!」
 身体がふるえる。
「何度でも……」
 そうだ、何度でもだ。
 自分のちっぽけな勇気。あっさりなくなってしまうような勇気。
 けど、そこに勇気がある限り、またつかめばいい。
 手放しても、手放しても。
 つかめばいい。
 それが――自分の勇気なのだ。
「ぷりゅ」
 あらためて。仔ペガサスが「受け取って」というようにいななく。
「はい……!」
 ためらいをふり払うように〝勇気の槍〟を握った。
「……ありがとうございます」
 自然と笑みがこぼれた。
 とたんに張り詰めていたものが切れ、涙が一筋頬を伝った。
「う……うう……」
「また泣いてんだしー。アリスは泣き虫だしー」
「や、やめてください、そんなふうに言うのは……うう……」
「やーい、もっと泣いてんだしー」
「だから、やめてください! もうっ、ペガサスはみんないい子なのに白姫は……」
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
 情けなく倒れこむ。
「な、何をするんですか!」
「アリスが悪いし。シロヒメのこと悪い子みたいに言うから」
「いい子は人を問答無用で蹴り飛ばしたりしませんよ!」
「するし。相手がアリスだから」
「なんでですかーっ!」
 またいつものやり取りが始まってしまい、
「ぷっりゅっりゅっ……」
「ぷっるっるっるっるっ……」
 周りのペガサスたちから笑い声がこぼれた。
「さー、グズグズしてられないし! アリスはほっといてここから離れるし!」
「ほっとかないでください! 自分も……」
 あわてて立ち上がるも、
「きゃっ……」
 さすがにこれまでの無理がたたって足がふらつく。
「ぷる」
「あ……」
 そんなアリスを母ペガサスが支えた。
「あ、ありがとうございます」
 すると、
「ぷるぷる。ぷる」
「えっ」
 どうやら母ペガサスは自分の背に乗るようにと言っているらしい。
「で、でも」
 戸惑っていると、
「きゃっ」
 母ペガサスは首を回し、器用に自分の背に乗せてしまう。
「!」
 翼が優雅に、そして力強く羽ばたき出す。
「は、はわわっ!」
 あわてて母ペガサスの背に乗り直す。
 その直後、
「きゃっ……!」
 飛んだ。
 アリスを乗せていることを感じさせない軽やかさで母ペガサスは舞い上がった。
「はわわわわわわ……」
 突然のことに、驚き目を見開くことしかできない。
 決死の思いで駆け下りてきた岩壁が、見る見る下へと流れていく。
「――!」
 広がる。
 見えるものすべてが青空という体験に打ち震える。
 そこへ、ぽつぽつと白いものが混ざり出す。
 母ペガサスに続いて、他のペガサスも次々と飛んできたのだ。
 その中に、
「うー!」
 目を輝かせて興奮の息をもらしているユイフォン。彼女もまた同じようにペガサスの背に乗っていた。
 そして、なんと、
「ぷりゅー!」
「ええっ!?」
 白姫まで複数のペガサスの力を借りて空を飛んでいた。アリスたちが荷物として持っていたロープや寝具の類をうまく使ってその身体は支えられていた。
「わーい、シロヒメ、飛んでるんだしー。みんな、ぷりゅがとうだしー」
「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅ」
『どういたしまして』と言うようにペガサスたちが鳴く。
(まさか……)
 あってほしくないという考えが頭に浮かぶ。あれほど懸命にペガサスたちを助けたいと言っていたのは――まさかこのため!?
「ぷりゅぷりゅー❤」
 ごきげんな白姫にますます疑いは強くなるも、
「ぷりゅー」
「ぷりゅりゅー」
 彼女の周りでうれしそうに鳴いているペガサスたち。
 事実、群れからはぐれた子どもと再会でき、自分たちをつかまえようとしていた相手も撃退できたのはこの上なくよろこぶべきことなのだ。
 そして、それらは白姫がいなければ実現することはなかった。
(結果良し……ってことですよね)
 それに、同じ〝白馬〟であるペガサスを助けたいという気持ちは本物だったと、あらためて自分に言い聞かせ.。
「ぷーりゅーぷーりゅー、ひーかーる~♪ おーそーらーのーほーしーよ~♪」
「いや、まだ星出てませんけどね」
 苦笑しつつ、アリスもいまはこの空中旅行を楽しませてもらおうと思うのだった。

「白姫ちゃん、またねー」
「またねー」
 夕刻。
 別れを惜しむようにいななき、ペガサスが次々と空に舞い上がっていく。
 あれから――
 つかの間の空中旅行を堪能したアリスたちは人里に近い草原に下ろしてもらった。
 ペガサスたちは、これからまた旅に出る。
 なるべく人に知られないところに。
「がんばってくださいね」
 こちらの言葉に母ペガサスは優しい目でうなずき、別れを嫌がる仔ペガサスを連れていこうとする。
「ぷりゅー。ぷりゅー」
「っ……」
 悲しそうに鳴く仔ペガサスに、アリスの胸もきゅっとなる。
 そこに、
「仕方ないんだし」
「白姫……」
「この世界は平和じゃないんだし。ペガサスを狙うのは牙印だけじゃないんだし」
 アリスにそう言った後、
「よく聞くし」
 仔ペガサスに向かい、
「ママと離れてたときを思い出すし。ママと一緒にいられるのは幸せなんだし」
 はっと仔ペガサスがふるえる。
「ぷりゅ……」
 母親とこちらとを見比べる。そして、
「ぷりゅ」
 そっと母ペガサスに寄り添った。
「それでいいんだし」
 白姫は笑顔でうなずいた。
「ぷる。ぷるぷる」
「ぷりゅ?」
 母ペガサスに何かを言われた白姫が軽く目を見張る。
「どうしたんですか」
「シロヒメたち……」
 いま気づいたという顔でこちらを見て、
「この子の名前を知らないんだし」
「そう言えば……」
 ずっと行動を共にしてきた仔ペガサスだったが、確かにその名前をアリスたちは知らなかった。聞いている場合ではなかったということもあるが。
「ないんだし」
「はい?」
「名前」
「えー……と……」
 何を言われているのかを見失う。
「ない……ということはないんじゃないですか。誰にでも名前は……」
「ないんだし」
 ぷりゅぷりゅと首が横にふられる。
「この子、生まれてからそんなに経ってないんだし」
「はあ」
 確かにそれくらいの大きさに見える。
「生まれたときからずっといろいろあったんだし。落ち着いて名前を決めるような余裕がなかったんだし」
「そうだったんですか」
 納得する。
 ――と、
「ぷりゅ❤」
 白姫の顔がうれしそうにほころぶ。
「ソラヒメなんだし」
「えっ」
「この子の名前。ソラヒメなんだし」
「え、えーと」
 いま『名前がない』と言ったばかりでは――
「もー、にぶいんだしー」
 やれやれというように頭をふる。
「いまつけられたんだし。この子の名前」
 誇らしげに胸を張り、
「もちろんシロヒメから取ったんだし! 恩馬であるシロヒメの名前から! 空のシロヒメだからソラヒメなんだし!」
「空の白姫……」
 それで――〝空姫〟。
「ぷりゅー。ぷりゅぷりゅー」
 仔ペガサス――いや、空姫と名づけられたその子が、つけてもらったばかりの名前をよろこぶようにいななく。
「これからもがんばるんだし、ソラヒメ。空のシロヒメなんだし。きっと立派なペガサスになるんだし」
「ぷりゅ!」
 わかった! そう言いたそうに元気にうなずく。
「よかったですね」
 エールを送るように、アリスもそう口にする。
「空姫、いい名前」
 ユイフォンもそう言ってうなずく。
 そして、
「また会いましょうねーっ!」
「ぷりゅぷりゅーっ! ぷりゅぷりゅーっ!」
 群れを追いかけるように飛び立っていくペガサスの母子を、アリスたちは大きく手をふって見送った。
「……行ってしまいましたね」
「行ってしまったんだし」
 ぷりゅ。うなずく。
「う……うう……」
 はっとなる。
「ユイフォン?」
 うつむき肩をふるわせているのに気づき、あわててなぐさめようと、
「そ、そうですよね。ユイフォンもペガサスのみんなと仲良くなってましたもんね。行っちゃってさびしいですよね」
「……一緒」
「えっ」
「ペガサスたち……家族と一緒にいる」
 目をうるませ、
「爸爸と媽媽(マーマ)に……ユイフォンも会いたい……」
 胸を突かれる。
 そうだ。
 ユイフォンが〝父〟と慕うナイトランサー=葉太郎、そして同じく〝母〟と想う少女・鬼堂院真緒(きどういん・まきお)と出会うべく自分たちは旅をしているのだ。
「行きましょう」
 力強く。
「きっと会えますよ。ペガサスのあの子……空姫みたいに」
「う」
 鼻をすすり、うなずく。
「さっ、白姫も。葉太郎様たちを探しに……」
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
「なにリーダーみたいにまとめようとしてるし。ムカつくし」
「ムカつく」
「やめてください、ユイフォンまで!」
 理不尽に蹴り飛ばされたアリスはユイフォンとは別の意味の涙目で、
「どうしてひどいことばかりするんですか、白姫は!」
「ひどいことなんてしてないし。アリスの存在のほうがずっとひどいし」
「そんなことを言うのがもうひどいですよ!」
「なんてこと言うし、ペガサスの危機を救ったシロヒメに。そして、これからユニコーンの危機も救うのに」
「ユニコ……えっ!?」
 不意をつかれて一瞬絶句する。
「いや、あの……ユニコーン?」
「そうだし」
「いやいや、なんでそうなるんですか!」
「そうなるし。ユニコーンもペガサスと同じで基本白馬だし。白馬同士、引き合うんだし」
「引き合うって……」
「ぷりゅ!」
 白姫のしっぽがぴんと立ち、
「向こうでユニコーンがピンチな気がするし!」
「ピンチ〝な気〟ってなんですか!?」
「シロヒメ、わかるんだし。騎士の馬だから。騎士はレディの危機に必ず駆けつけるんだし」
「レディ……って、まあ、ユニコーンのレディもいるはずですけど」
「とにかく間違いないんだし! シロヒメのカンがそう告げているし!」
「やっぱりカンなんじゃないですかーっ!」
「ぷりゅーーーっ!」
「待ってください、白姫ーーーっ!」
 結局――
 またも引きずられるようにして、アリスたちは白姫を追いかけていくのだった。

ふしぎの世界の空飛ぶシロヒメなんだしっ⛅

ふしぎの世界の空飛ぶシロヒメなんだしっ⛅

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-02-05

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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