「忿怒」

“気をせきたてて怒るな。怒りは愚かな者の胸に宿るからである。” -伝道の書7:9

 最早革命の波は誰にも止められなかった。封建的な王による圧政に、ついに市民が蜂起した。役所や王権を示すモニュメントは全て壊され、ついには一般市民の憩いの場であった王立公園にも火が放たれた。鎮圧のために派遣された一流の軍隊も市民たちの正義の前にあえなく半壊、撤退を余儀なくされた。
 初めは市民側が苦戦を強いられていた。戦力の不足、戦闘能力の未熟、統制された軍や役人の監視の目、どこをとっても市民に勝ち目などなかった。犠牲者が一人、また一人と増えるにつれ、この計画から逃れる者も出始めた。しかし、そんな絶望的な状況にある一人の女が現れた。女は戦意喪失した市民を鼓舞し、希望を取り戻させた。また女の打ち出す策は悉く成功を収め、その度に市民は歓喜し、女への信頼はますます厚くなっていった。
 ある日、レジスタンス付近が爆破され、大騒ぎになった。中には、そこで暮らしていた家族を全員失った男もいた。
「王国軍め、卑怯なまねを…。…おい、気をしっかり持てよ。ご家族のことは俺たちでしっかり弔ってやるから。」
「…思ったんだが、」
「なんだ?」
「…俺は妻も子どもも失った。軍がわざわざレジスタンスのそばの住宅街を爆破したのは、俺たちを殺すためだ。俺たちが国に刃向かったから。だったら、あいつらの命を奪ったのって本当は俺たちなんじゃないかって…」
「おい!お前、何を…」
すると女が言った。
「貴方の苦しみはよくわかります。私も数年前、夫を亡くしました。ですが夫は最期に、お前のせいじゃない、と…最後まで戦ってくれと、そう言いました。」そこで女は涙を流した。「私はその言葉を信じて、今も戦っています。貴方のご家族もきっと、我が夫と同じ気持ちでいると思います。どうか私と一緒に戦ってはくれませんか?」
男は女の話に感銘を受け、再び戦意を取り戻した。爆破事件で意気消沈していた皆も、それを聞いて再び活力を奮い立たせた。
 それからも市民と王国の抗争は続いた。犠牲者が出ると、その度に女は目を黒く潤ませ、口を固く結んだ。その横顔を見てはもう誰も諦めようとなどしなかった。いつしか、女のはためく長い黒髪は市民の革命の旗印となった。そして計画発足から実に一年後、昏い満月の夜_
 ついに、国王が捕らわれた。その死に顔を白日の下に晒すため、死刑執行は翌日の朝に執り行われることとなった。
 その晩の宴は狂喜に包まれた。肉、魚、ワインなど、今までの生活からは考えられないほどのご馳走を皆満腹になるまで食べ尽くした。女は控えめに振る舞おうとしたが、男たちに担ぎ上げられて結局宴の中心に座し、仲間たちと勝利の美酒に酔った。皆歌い、踊り、食べて飲んで勝利の喜びを分かち合った。
 そして朝がやってきた。かつての王は目隠しをされ、後ろ手に回されていたが、しかしこれから死ぬとは思えないほど、毅然とした態度で断頭台へ立った。市民は固唾を飲んだ。
「三分、時間を与えよう。何か最期に言うことはあるか」
ここで王は、涙を流したかのように見えた。
「…私は、…この国の長として生まれてから、この国のためだけに生きてきた。封建制は時代遅れと言われることもあったが…、あの隣国があるだろう。かの国はわが国に対して破壊工作を行なっている。この前の住宅街の爆発もそうだ。かの国はなんと卑怯なまねを…」
市民がざわつきだした。
「…あれに国を乱されないためには、支配力を強くする必要があったのだ。しかし結局、私はそれらの攻撃に対抗できなかった。お前たちを安心させ、国の力を一つにまとめることもできず、ただただお前たちを苦しめてしまった。本当に申し訳ない。」
ざわつきは大きくなった。
「しかし何よりも悔やまれるのは、かの国から送られてきたある工作員を一人、この手で裁いてやることができなかったことだ。彼は、私が昔死刑執行の命を下したかつてのわが臣下の夫だ。理由はその臣下がかの国と内通しているという報告があったからだったが、…後からそれは彼を陥れるための虚偽の報告だったとわかった。私は本当に愚かな王だった。そしてその夫は私への復讐心に駆られ…。彼は自ら志願して、かの国へと寝返った。今は様々な破壊工作や諜報活動に手を貸しているらしい。…鴉の濡れ羽のような黒髪と、奥底の見えない黒い瞳が印象的な青年だったな。あの髪も今では少し伸びているのだろうか…。未だ彼は生きている。この国に対して破壊を続けるつもりだ。いつか完全に、この国が崩壊してしまうまで…。」
 ここで刃は落とされた。王の首はころりと転がり、断頭台のふちで止まった。最早王の死を望む者など誰もいなかった。しかし、運命の歯車は止められなかった。人々の間に沈黙が広がった。
 また、慌てて女を探す者が現れた。しかし、女はもうどこにもいなかった。市民は途方にくれ、新たな指導者を待ちわびることにした。

「忿怒」

「忿怒」

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-02-03

CC BY-NC-ND
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