すくらんぶる交差点(7)

七 市職員 他方 優千 の場合

「リリリーン、リリリーン」
「はい、T市役所道路課の他方です」
 電話を取る他方。ベルが三回鳴るうちに、電話をとるのがこの市役所の決まりだ。道路課にかかってくる電話なんて、どこそこの道路に穴が開いているだとか、その穴にけつまずいて怪我をしたとか、怪我をしたから補償しろだ、とか、犬や猫の死体があるから何とかしろだ、とか、車が突っ込んでケヤキの木が倒れているとか、道路の植え込みにゴミが溢れているだとか、市民から感情もろ出しの苦情が多い。その度に、落ち着いて電話をとり、まずは、相手の内容をよく聞いて対応する、なんて、マニュアルどおりにはいかない。
「すぐに来い」とか、「税金泥棒め」とか、「お前じゃわからん、課長を出せ」とか、よくもまあ、他人に対して罵詈雑言が言えるものだと感心してしまうぐらいの言い方である。大人しく聞いていると、「お前、聞っきょんか」と怒鳴られるし、説明しようとしたら、「お前の説明なんか、聞きとうないわ」と怒られる始末だ。一体、どうすればいいんだ。そう、日々苦悩しながら、電話の対応をしている。だけど、毎日、苦情の電話(それが仕事とわかっていても、市民のためになるんだとわかっていても)だと精神的にもまいることもある。
 まだ、市役所に採用されて三年目の他方。小学校から中学校、高校、大学まで、ずっと地元のT市に住んでいる。かれこれ二十五年目だ。だが、それだけ住んでいても、T市の地理や状況を全て把握しているかと言えばそんなことはない。小学校の頃は、家が学校から一分も離れていなかった。始業のベルが鳴り始め、家を出ても間に合うくらいの距離だ。もちろん、そんなことはしない。と、言いながらも、不思議なことにと言うか、当たり前というか、家が近い人に限って、学校に来るのが遅い。近い分だけに余裕があるのか、送れない安心感があるのか、他方もいつも、クラスメイトでは、一番教室に入るのが遅かったことを思い出した。
 中学校になると、他の小学校とも一緒になるため、自宅からは、徒歩で十五分ぐらいの距離になった。学校行き帰りや、他の小学校の友だちの家に遊びに行くことも増え、生活圏は、小学生の頃に比べて、少しだけ広くなった。しかし、それで、地元に変わりはない。たまに、部活のバスケットボールの練習試合で、市内の他の中学校に行くことがあった。同じT市内だけど、他方にとっては、全く見知らぬ土地であり、自分以外の場所にも、同じように中学生が住んでいる、生きているということが驚きであり、新鮮でもあった。高校は市の中心部にあったが、他方の家からは通学に自転車を使えば十分もかからなかった。ただ、市の中心部に向かうことは、「街に行く」という気持ちが強く、少し、憧れめいた気持ちではあった。
 街、なんて楽しい響きだ、これまでも、親と一緒に街に行くことはあったけれど、自分一人で行くとなると、状況が変わる。少しわくわくするような期待感と、少し大人の世界に立ち入る不安な気持ちが交錯したものだ。ただし、たかが高校生。生活の環境は、小学生や中学生に比べて、大きく広がったものの、社会がコーンのソフトクリームならば、まだ、先っぽを舐めた程度だ。
 その後は、大学生。都会の大学への憧れはあったものの、残念ながら、合格発表板の前に番号が掲載されたのは、地元の大学だけであった。大学生活では、当然のことながら、高校生に比べて、生活状況は一変した。市外はもちろんこと、県外からも同級生や先輩が来ている。アルバイトも始めた。マスコミの報道関係のぼうやだ。記者からの電話で記事をとったり、気象台から決まった時間にかっかってくる天気予報を所定の用紙に記入し、お天気ボードに晴マークや雨マークのテロップを張り付けたり、また、夜の事件や事故に対応するため、記者やアナウンサーと一緒に報道室の簡易ベッドに泊まり込んだりもした。大人の社会の一端に触れた気がしたものだ。再びの例えで言えば、社会がコーンのソフトクリームだとしたら、舌先で三回以上は舐めたのと同じくらい、社会と関わりを持ったような気がした。
 卒業近くになり就職先を探したが、高校生の頃の夢をかなえることと、自分がマスコミ関係でアルバイトしていたこともあり、出版社や放送局など、マスコミ関係の仕事に挑戦してみたけれど、落ち続け、十二月になっても就職先は決まらなかった。留年も覚悟して、来年度の学費等を稼ぐために、お歳暮シーズンに地元の百貨店でアルバイトしていた時に、何の風の吹きまわしか、サンタクロースが年も押し詰まった暮れの二十五日に、T市役所の合格通知書をプレゼントとして運んでくれたのだ。今まで、サンタなんか信じていなかったくせに、このときほど、感謝の念を抱いたことはない。信じる者は拾われる。そんなことを考えていると、目の前の電話が鳴った。今日で五本目だ。
「駅前の交差点で人が立ち往生しているで」
「立ち往生?事故ですか?」思わず聞き返す。
「事故かなんか知らんけど、交差点の真ん中で人が動かんようになっとるで」
「わかりました」
 それだけ言うと相手の電話は切れた。匿名だった。冗談だろ?先輩から、声がかかる。
「なんか、苦情か、苦情にしては、短かかったな」「ええ。駅前の交差点の真ん中で、人が動かないそうです」「動かない?怪我か、それとも、病気か?」「わからないそうです」「まあ、とにかく、電話があったことだし、いっぺん、行ってみたらええわ。もし、何かあったら、連絡してくれ。近くに交番もあるし、怪我や病気だったら、救急車を呼んだらええわ」「はい、わかりました」
他方は、先輩からの指示を受け、現場に行くことにした。本庁舎から駅前まで自転車で十分。携帯電話をズボンのポケットに押し込め、作業着をひっかけ、事務室を出た。

すくらんぶる交差点(7)

すくらんぶる交差点(7)

交差点に取り残された人々が、取り残されたことを逆手に取って、独立運動を行う物語。七 市職員 他方 優千 の場合

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-10-08

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