十五分小説 ベクトル

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「では最後に、この料理の名前はなんですか?」
「はい、マザー。これはステーキです」
 ディスプレイにはこんがりと焼けた分厚い肉の写真が表示されている。少年は、食い入るようにそれを見つめて、答えた。
「正解です」抑揚のない人工音声が部屋に響く。「以上で今日の勉強(インプット)は終了です。お疲れ様でした」
「ありがとうございました」
 空に向かって謝辞を投げ、少年はブルーライトに疲れた青い眼をこする。そして背後にあるソファへ飛び込んだ。顔を埋めて思い切り身体を伸ばす。「あーつかれた」と独り言ちてみても返事はない。少年はずっと一人だった。
 無機質な長方形の部屋。床も壁も天井も白く、家具さえもが漂白されたように真っ白だ。実験室のような内装を彩るものは、少年が頭に蓄えた金色の髪だけ。切ってくれる他者がいないので、ズルズルとウェディングドレスのように引きずって歩いていた。
「ねぇ、マザー。全問正解だったから、この前のようにご褒美をくれませんか」
 ソファに置かれたクッションを抱いて、少年が甘えるように言う。
「分かりました」姿なき同居者からの返事はすぐだった。「では特別に、夕食のデザートを一・六倍増量します」
「……ありがとうございます」少年は、声のトーンを低くしてお礼を述べた。
 夕食のデザート――どうせキャロット・ゼリーだ。もう十数年食べているので飽きている。
 ふと、少年は時計を見上げた。黒い短針がかっちり「5」を指している。
 彼はがばっと身を起こした。クッションを投げ捨て、白いので壁と見紛いそうなスライド式ドアへと駆けていく。前に立つと、ドアは音もなく壁へ吸い込まれていった。
 入ったのは、二つ目の部屋。十四歳の誕生日と共に入室を許可されたのだ。少年にとって世界とは、先程の部屋とこの大きな『面会室』のみである。
 反対側の壁から、一つの影が近づいてきた。少年はその影を目指して走りだす――が、結果は分かっていた。
 ガツン、と透明な壁に頭をぶつける。それより先へは行けない。『面会室』は、分厚い強化ガラスによって二分されているのだ。
 少年が口惜しそうにガラスへ両手をつけると、反対側から手を重ねる者がいた。
 それは美しい少女だった。服装は、少年と同じく真っ白なテーブルクロスをそのまま被ったようなデザインで、だぼっとしているため身体のラインは分からない。もう一枚の布の如く金色の髪が長く垂れており、その分け目からはエメラルドグリーンの瞳が覗く。そして、白くなめらかな肌についた小さな赤い唇から、ピンク色の舌が垣間見えると、少年は自らの喉が渇くのを感じた。
 手を握る。それは空を掴んだにすぎない。声すらも相手に伝わらないことを、お互い、とっくに分かっていた。終始無言のまま見つめ合い、手を重ねるフリをして、時間はスルスル過ぎていく。
「……」
 少年は困惑していた。初めて面会したときは、警戒しあってまともに近づけなかった。けれども今はこんなに近い。つまり喜ぶべきことなんだろうけど、苦しみは一層激しくなっている。これはどうして?
「アダム。夕食の準備が整いました。至急、部屋へ戻って下さい」
 機械の声が引導を渡す。アダムと呼ばれた少年は、名残惜しそうに最後まで少女を見つめてから、ドアへ走った。


(なんだか今日は、どっと疲れた)
 少年はソファに座っても尚、息が上がっていた。頬が紅潮して熱い。胸に手を当て、たっぷりとした深呼吸を繰り返す。少女との面会後はこのようにして興奮を冷ますのが常だった。
 チン、と頭上で鐘が鳴った。
 そして、結婚式場のゴンドラのように食事が降りてきた。そのままソファ前の机に置かれる。皿には、緑を中心とした食事が盛られていた。食物の加工は天井で行っているらしい。
「……いただきます」きちんと手を合わせ、少年は呟いた。
 今日のメニューも代わり映えしない。ローテーションで栽培されている人工作物を使った料理だ。緑や白のカラーをした葉っぱや、透明な茎なんか並んでいる。
「……」
 少年は憂鬱そうに口へ運ぶ。もそもそと咀嚼し、水で腹へ流し込む。
(塩すらも無駄遣いできないと、マザーは言っていたな……)
 なんでも生成が難しいそうだ。
「キャロット・ゼリーです。食後に召し上がってください」
 トン、とオレンジ色のぶよぶよしたゼリーが出てくる。
「ありがとうございます」少年はすぐに手を伸ばした。そして一気にスプーンでかきこむ。さっさと食事を終わらせたい一心だった。
 刺激。
 刺激が圧倒的に足りない。
「……ねぇ、マザー。お願いがあります」
 夕食を終えて、少年はソファに寝転がる。
「僕を、あの南側にいる人と会わせて下さい」
「明後日の午後五時になれば会えます」
「違くて! もっとこう、直接、触れるような……そんな風に」
「許可できません。あなたはまだ十四歳です。あと一年と五ヶ月待って下さい」
「どうして!」
「その質問は三十二回目です。適年齢が十六歳と定められているからです」
「……別にいいじゃないですか」
 その呟きに、返事はなかった。
 少年は膝を抱えて丸くなる。
「マザー。勉強(インプット)ではまだ教わっていないことですが、質問してもいいですか」
「十四歳フィルタがセーフであれば、どうぞ」
「僕は、あの南側の人が欲しいんです。欲しくてたまらない。これは、どうして?」
「それは愛です」人工音声は即答する。
「あい?」少年には理解できない。
「おめでとうアダム。あなたは、理想的なアダムとなりつつあります」
「ど、どういたしまして……」
 意味も分からず、空返事をする少年。
「……この感情の呼び名は分かりました。では僕は、どうすればいいのですか?」
「待つのです。十六歳を」
「何故、十四歳の今からあの人に会わせたのですか」
「分かりやすい言葉で表せば『慣れ』です」
「……ありがとうございました、マザー」
 少年は諦めた。自分にはまだ理解し難いことなのだ。
「最後に一つ、いいですか」
「どうぞ」
「いざあの人に会ったとき、僕はどうすればいいんですか?」
「それはあなたの『本能』のまま、したいことをして下さい」
「分かりました。おやすみなさい」
 ソファ横にある引き出しから毛布を取り出して、彼はそれにくるまった。すると部屋が暗闇に包まれる。
 彼は、あの人が横にいたらな、と想像して笑った。


「――つまり、欲しいものを手に入れたくて力を使うのですね?」
「今はその解釈で良いです」
「殺すほどに欲しいものとは?」
「第一に食料。そして領土。さらに、自身の信じる正義です」
「それの障害になるから殺す……」
「はい。『戦争』の詳しい勉強(インプット)は三年後にまたやりますので、今は大まかな理解で大丈夫です。……では、今日の勉強(インプット)は以上です」
 少年はソファへ倒れ込んだ。そして眼をこする。今日の予定は夕食と就寝しか残っていない。こういうときに読むらしい『ほん』とやらがあればな、と叶わぬ思いを馳せる。
 面会室へと入ってみた。
 薄暗く、あの人の姿はない。つい昨日面会したから当然だろう。連続して面会が行われた記憶はない。
(今ごろ、あの人はなんの勉強(インプット)をしているのだろう)
 そう考えたとき、ふと少年の内側にムラムラとした衝動が湧き上がった。
 ――そして彼は行動する。いつもの部屋に戻ると、勉強(インプット)のときに座っている白い椅子を持ち上げた。
「何をしているのですか」
 声が響く。しかし少年は動きを止めず、椅子を両手に抱えたまま面会室へと入った。
「答えなさい。何をしているのですか」
 人工音声が言い終えるのと同時に、少年はガラスの前で立ち止まる。
 そして、椅子を頭の上に持ち上げ、言った。
「戦争です」
 振り下ろす。強化ガラスは、椅子を容易に跳ね返した。傷一つついていない。少年は激昂し、力任せにガラスを殴る。手の甲が破れて血が垂れた。
 今度は蹴りを入れる。やはりガラスはびくともしない。彼は己の無力さを思い知り、目尻に涙を浮かべた。
「お止めなさい!」
 声が大きく響いた。そして両脇の壁から機械のアームが伸びてきて、少年の四肢を拘束した。黄色く着色されたガスがどこからか流れ込んできて、面会室の北側に充満する。少年は、意識の暗いところへ引きずり込まれていく――。


「何故、あんなことをしたのですか」
「南側のあの人が欲しいからです」少年は落ち着きを取り戻し、ソファに座っている。
「十六歳になればガラスを外すと伝えたはずです」
「我慢ができません」
「あなたは、あなた一人の命ではありません。勝手な行動は謹んで下さい。――夕食の時間ですよ」
「はい……」
 少年は大人しく従うことにした。
 いつもの、緑中心の食事が用意されていく。茹でられた葉っぱに、練り物と化した作物。味は質素で塩気も薄い。口の中の水分が持っていかれるため、横に置かれたキャロット・ジュースは、すぐにグラスの底をつきた。
 キャロット・ゼリーはなかった。
 少年は水を追加注文し、それで残りの食事を押し込んだ。ひどく作業的である。
「マザー、聞こえていますか」
「えぇ」
「やはり、今すぐにガラスを撤去して下さい」
「十六歳でないため、駄目です」
「ならば、僕は自ら命を絶ちます」
「……あなたは疲れているようです。明日は、勉強(インプット)をせずに好きなだけ寝ていて構いません。軽率な発言は控えるよう、今一度、落ち着きなさい」
「――落ち着く? 落ち着く、だって?」
 少年がゆらりと立ち上がる。そして手を振り上げて、机を思い切り叩いた。衝撃音と共にグラスが跳ねて、横倒しになる。
「落ち着いて……いられるか! こんな、こんな地獄が!」
 彼が地獄なんて形容を使ったのは初めてのことであった。しかし他に思い当たる言葉がなかったのである。
 少年が吠える。
「あの人を、あの人を僕に下さい! さもないと僕は、自ら命を絶ちます。ガスで眠らせたって無駄だ! 意味なんて無い! 時間は、無限にあるのでしょう!?」
 床からアームが伸びてくる。今度の拘束はかなり痛かった。
 しかし彼は言葉を止めなかった。
「いいですか、マザー。僕が死ねば、人類は本当に絶滅する。あなたにとって優先事項はなにか、よく考えて下さい!」
 倒れていたグラスが転がって、机から落ち、鋭く高い音を鳴らして割れた。
 破片が、白い部屋に傷をつけた。


「――ではガラスを外し終わりましたので、面会室へ向かって下さい」
「ありがとうございます。マザー」
 お昼どきだったので少年の腹が小さく鳴った。しかし、今の彼はそんな事を気にしない。
 なぜなら、あの人に会えるからだ!
 そう考えただけで、心臓の鼓動が早まる。こんな感覚は初めてだ。手が汗で湿っていたので服で拭った。待ちわびたこの瞬間をついに勝ち取ったのだ。少年は舌なめずりをして、笑う。
 面会室へ足を踏み入れる。あの鬱陶しいガラスはない。向こうに金色が見えた。
 少年は、たまらずに駆け出した。
 少女も、少年に気が付き歩き出した。
 そして小さな足音が二つ、部屋の中央でぶつかった。少年が少女を押し倒す。
 少女は、少年の背中へ両手を回す。
 少年は、少女の服に手をかけて力任せに引き裂いた。小ぶりの乳房が露わになる。それを見て、少年は生唾を飲み込んでから、思い切りしゃぶりついた。
 しゃぶりついて――噛みちぎった。
 口のなかで生暖かい肉の感触が踊る。ぬるりとした物体は、奥歯で潰すと具合よく小さくなった。気管の方に血が入りこんで、少しむせる。
 少年は、ごくりと満足気に喉を鳴らして、乳房を飲み込んだ。
 ──あぁ。
 期待ほどではないが、予想以上だ。
 少女が甲高い悲鳴をあげる。蹲り、血液が床に広がっていく。
 警報機がやかましく鳴りだした。照明が赤く染まる。人工音声がなにか喚いているが、少年の耳には届かない。再び少女に覆い被さり、今度は二の腕に噛み付いた。
 ──そうだ。僕はずっと、これを欲していたのだ。
 肉を!

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体験談です。
お読みいただきありがとうございました。

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15分で読み終わる短編です。通学•通勤時間にちょうど良いです。白い部屋にて一人きりで生きてきた少年が、南側の少女に会うため戦争を仕掛けます。

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更新日
登録日
2019-01-29

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