君の声は僕の声  第四章 9 ─想い出─

君の声は僕の声  第四章 9 ─想い出─

想い出

「君は?」

 いきなり名前を呼ばれ、少しむっとして秀蓮は訊ねる。

「ごめんなさい。私は紅蘭。ここで父を待っているの」

 牡丹の花に負けないような桃色のくちびるの両端を上げて少女は言った。
 高級官僚の娘だろうか。気位が高く大人ぶって、自分に自信があるような口ぶりだ。

「貴方は? 秀蓮ではないの?」
「そうだけど」
「やっぱり」

紅蘭はにっこり笑った。年相応の無邪気な顔になった。

「貴方とは同い年よ、よろしくね。貴方のことは父からよく聞かされているの。お父様は大変腕の良いお医者様で、その息子の秀蓮は利発だって。そのうちに父親より良い医者になるぞ。お前も秀蓮のような息子だったらよかったのにな。というのが私の父の口癖なの」

 紅蘭は父親の口を真似て、短いため息をついた。

「椅子に座ってお話しない?」

 そう言って池のほとりの東屋に秀蓮を誘った。

 池の水面に吹く風が、少女の髪から微かな伽羅の香りを運ぶ。口ぶりはこましゃくれているが、指先まで神経の行き届いた仕草から、それなりの躾を受けた良家の子女であることがうかがわれた。

 池のほとりは花をつけた草木が生い茂り、池にはハスが大輪の花を咲かせ、中央に架けられた橋の向こうでは着飾った男女が舟遊びをしていた。

「あなたはお父様の後を継いでお医者様になるの?」
「そのつもりだけど」
「そう。男の人はいいわね。私も父の後を継ぎたいって言ったら、女の子は駄目だと言われたの。悔しいから私、たくさん勉強しているの。父のお友達からも色々なお話を聞いたわ。父と政治の話だってするのよ。私が父のやり方に不満を言うと、父は決まって、お前は子供だからって言うのよ。大人には大人の事情があるんだって。だから私も言うの。大人の事情が無くなれば素晴らしい国になるわってね」

 はっきりした物言いに秀蓮は笑った。

「あら、どうして笑うの? 私は真剣なの。だって、父の話を聞いていると、とても無駄が多すぎるのですもの。このままでは載秦国は諸外国から遅れをとってしまうわ。だから、私は父の後を継ぎたいの。でも女というだけで駄目だと言うのよ。だから私、帝の妃になるの。妃になってこの国を変えるの」

 あまりにも大それた発言に秀蓮は目を丸くした。いかに妃とはいえ、女が政治に口を出すのは許されない。

「父と同じ顔をするのね。無理だと思っているのでしょう」
「いや、そうじゃないよ。君のようにはっきりとものを言う女の子に会ったのは初めてだ。夢が叶うといいね」
 
 口ではそう言ったが、あまりにも非現実的な夢だと思った秀蓮は、少女の気の強さに感心しながらも、苦笑いしたいところを押さえて微笑んだ。

「夢じゃないわ。目標よ」
 
 紅蘭は、そうきっぱりと言い切ると、自信に満ちた強い瞳で微笑んだ。世間知らずの女の子の言葉と聞いていた秀蓮だったが、ただの気の強い少女ではなさそうだ……そう思って目を細めた。

 それからふたりはそれぞれの父親を待つあいだ、この場所で会うようになった。
 紅蘭は政治や外交の話になると迷わずに自分の意見を述べ、秀蓮の考えを訊ねた。人の話をじっくりと聞き、わからないことははっきりと質問してきた。とても女の子との会話ではなかった。時には口論になることもあったが、そんなとき紅蘭は一歩も引かなかった。

 ある日、秀蓮の父親の話が話題になったとき、紅蘭が何気なく言ったひと言は秀蓮を青ざめさせた。

「お医者様は帝より偉いのね」

 秀蓮は慌てて辺りをうかがった。
 誰もいない。
 秀蓮はほっと息をついた。

「紅蘭。なんてことを言うんだい。いくら子供でもそんなことを口にするのは許されないよ」

 秀蓮が珍しく声を上げた。さすがの紅蘭も言いすぎたと反省したのか、うつむいて唇を少しかみしめた。が「でも、帝にも治せない病気を治すんですもの……」と、口に手を当てながら小さく言ってくる。

「医者が病気を治すんじゃない。治すのは本人なんだよ。その手助けをするのが医者の仕事なんだ。わかるかい? 負けず嫌いのお嬢さん」

 秀蓮は険しい顔でそう言うと、腕を組んで椅子の背にもたれ短い息を漏らした。

「だって、本人に治せないからお医者様に治してもらうのでしょう?」

「本人にも治せないものは医者にも治せないんだ。人間の体は自分の意識していないところで、必死に元に戻ろうと働いているんだ。でも本人が治そうとしなければ、それは上手く働かないんだよ。それを手助けするのが医者なんだ。わかるね?」

 いくら言っても言い返してくる紅蘭に、秀蓮は椅子から腰を上げ、顔を近づけてきっぱり言った。

「わ、わかったわ」

 目の前に秀蓮の顔が迫り、紅蘭は慌てて首を引いた。なぜかわからないが、胸が高鳴りほおが赤く染まるのを感じた。

「私にも教えてくれる? 医学のこと」

 紅蘭が上目遣いに遠慮がちに聞く。

「ああ。でも僕は……父もそうだけど、薬草の研究が専門なんだ」
「薬草?」
「そう。あちこちの森へ行って父に教わっているところなんだ」
「私も行ってみたい。そうだわ。明日は森へ行きましょう」
「無理だよ。時間までに戻ってこられない」
「お城の西の森なら近いわ。私が何とかする」

 強引な紅蘭に、秀蓮は軽いため息をつくしかなかった。

 紅蘭は次の日、従者に一頭の馬を引かせてやってきた。あきれて馬を見つめる秀蓮に「これなら森まで走れば間に合うわ。一頭しか連れてこられなかったけど、鞍と鐙は二人分よ」と得意気に秀蓮を横目でみた。

 困っている秀蓮に「大丈夫よ。私はひとりでも乗れるから」そう言って後ろに乗ろうとする紅蘭を「おいおい。いくらなんでも僕が後ろに乗る」と秀蓮は引きとめた。そして先に馬に跨ると、紅蘭の手を引いた。

「馬を走らせてもいいのかい?」
「平気よ。この馬は私の馬なの」


 紅蘭が馬の首すじを撫でると馬は気持ちよさそうに紅蘭に甘えてきた。

 秀蓮が馬をゆっくり走らせていると、「もっと速く、間に合わなくなるわ」と紅蘭が怒鳴った。初めは女の子を乗せて走るのに躊躇していた秀蓮も、紅蘭が馬を乗りこなせるとわかると、徐々に速度を上げた。

「昨日言っていた、本人が治すというお話。もっと詳しく聞かせてくれる?」

 馬をつないで森の中を歩きながら紅蘭が訊ねてきた。何にでも興味を持ち、秀蓮の話を黙って聞いている。秀蓮が薬草を見つけると、どんな効果があってどう使うのか教えてとせがんだ。

「こんな話面白いのかい?」
「面白いわよ。どうしてそんなこと聞くの?」
「友達とだってこんな話はしないから。退屈がられるだけだよ」
「ふうん。男のお友達?」
「ああ」
「どんな話をするの? 男の子って」

 紅蘭が大きな目をさらに大きく開いて秀蓮をのぞき込むように聞いてくる。秀蓮は答えに窮した。思春期の男が集まれば話すことは決まっている。

「君は警戒心がなさすぎるよ。知り合って間もない男と森へ来てそんなこと聞くなよ」

 真顔で言った秀蓮に紅蘭は立ち止まり、みるみる真っ赤になって言い返した。

「まあ、そんなことって……私は、ただどんな話をするのか聞いただけよ。秀蓮こそ。そんな変なこと考える人だとは思わなかったわ」

 赤くなった頬を隠すように手で押さえながら紅蘭は体ごと顔をそむけた。

「僕はただ気をつけろと言っただけだ」
「誰とでも来たりしないわ。父に話をしてきちんと許しをもらって馬を連れてきたのよ。侮辱だわ」

 紅蘭は唇をきつく噛みしめ、目には涙がうるんでいた。

「侮辱なんてしてない。ただ、君は自分が年頃の女の子だという自覚がないようだから言ったんだよ」
 それはいつも父や母に言われていることだったので紅蘭は反論できずに押し黙った。秀蓮は泣きそうな紅蘭を通り過ぎ、後ろの木の枝から赤い小さな実を摘み取り始めた。

「あなた変わってるわ」紅蘭も一緒に木の実を摘み取りながら「私のまわりは、いつも父の顔色をうかがって、私のご機嫌をとる人たちばかりよ。あなたはそうしないのね」と、秀蓮を責める口ぶりではなく、むしろ嬉しそうに言った。

「これは何の実?」

 紅蘭が平然と聞いてきた。気持ちの切り替えが早い。紅蘭の興味はこの赤い木の実に移ってしまっていた。

「ねえ、教えてちょうだい。何の実なの? 何の薬になるの?」

 秀蓮は答えるかわりに、紅蘭のよく動く口の中に実をほうりこんだ。とたんに紅蘭の桃色の唇がぴたりと止まり、大きな目を丸くしたまま黙ってしまった。徐々に眉間にしわを寄せ、怪訝そうに舌のうえで赤い実を転がした。

「噛んでごらん」

 秀蓮が悪戯っぽく笑って言う。紅蘭は何か言いたげに上目づかいに秀蓮を見ながら、おそるおそる真っ赤な実に白い歯を立てた。紅欄の唇が赤く染まる。紅欄は唇に流れた赤い果汁を舐めた。

君の声は僕の声  第四章 9 ─想い出─

君の声は僕の声  第四章 9 ─想い出─

池の水面に吹く風が、少女の髪から微かな伽羅の香りを運ぶ。口ぶりはこましゃくれているが、指先まで神経の行き届いた仕草から、それなりの躾を受けた良家の子女であることがうかがわれた

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-01-29

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