語レヤ語レ —語り部の語る怪奇譚—

以前投稿した「狐ノ嫁入リ」に加え、他方で掲載した短編小説をまとめています。(過去作だけではなく、書き下ろしたものも随時更新予定)
一部作品には気分を害するような表現が含まれている場合があります。閲覧の際はお気を付けください。

椿ノ鍵

 さあさあ皆様、ようこそお集まりいただきました。本日お話し致しますは、この辺りに伝わる少々奇妙なお話でございます。うん?ああ、そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。まあ、ただの噂話としてお聞きになってください。所詮私はただの語り部。耳にしたお話を面白おかしくお伝えするのが私の役目でございます。……ああ、前置きが長くなってしまいました。これは失敬。では、始めましょう。

 この辺りには、ひどく寂れた神社があることを、皆様はもうご存知かと思います。このお話の舞台となるのは、その神社の脇道を真っすぐ進んだところにあります、古びた一軒の日本家屋でございます。ええ、それはもう立派なお屋敷ですが、何せ周りには人っ子一人いません。加えて、建物の中からは生活音が響いてきません。稀にこの家屋まで迷い込んでしまった人は、音の一切しない空間に耐えかねてその扉を叩いてしまうほど、不気味な静けさを漂う場所でございます。おや、そちらのお嬢さん。この家屋の昔話をご存じのようで。ご存じない方のために、少し余談をいたしますね。なに、これは聞いて損はありませんよ。むしろ、このお話を最後まで覚えていてくださいね。

 昔、この家屋にはとある家族が住んでいました。深い夜のように美しい黒髪をもつ美しい妻と、街一番の美男子と称された旦那、そしてその二人の間に生まれたそれはそれは可愛らしい女の子です。この家族は、この奥まった地で大変幸せに暮らしていました。特別お金持ちという訳ではありませんでしたが、毎日が充実した生活だったのです。ところが、皆様もご存じのように、この辺りは一時期流行り病に侵されてしまいました。その影響はこの家族にも…。一人娘は病に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。旦那も妻も衰弱しきった一人娘の世話をするうちにやつれ、その美しさは見る影も無くなってしまいました。一人娘がこの世を去った数日後、後を追うように旦那が疲労からくる病によって天に召されてしまいました。妻は突然二人の愛するものを失ってしまい、ひどく絶望したことでしょう。それどころか、やつれきってしまった自身の姿を見て、言葉を失ってしまいました。家屋の一番奥の部屋、娘と夫と寄り添いながら眠りについた寝床にうずくまり、カタカタと震えながら数日過ごしていました。
 とある日、妻の妹が様子を見にこの家に訪れました。何日も連絡がつかない姉を心配し、わずかな食料を手土産に訪れた妹は、一番奥の部屋で倒れている姉の姿を見つけました。もう冷たくなってしまい、ひどくやつれた顔は血の気が失せてどこか気味悪くも見えます。そんな姉の身体を何度も揺すり、声の限りに妹は姉の名前を叫び続けました。…すると、後ろから「はあい」という声が響いたのです。それは間違いなく、今目の前で息絶えている姉の声で、妹は恐る恐る振り返りました。瞬間、妹は甲高い悲鳴を上げてその場に倒れ込み、しばらくするとむくりと体を起こしました。その後は何事もなかったかのように姉の身体を家の近くに埋葬し、そのままあの奥の部屋で暮らし続けたそうです。人々は、醜い姿で亡くなった姉の霊が美しい姿の妹を見て、その身体を乗っ取ってしまったのではないかと噂しています。
ふふ、恐ろしい話ですね。では本題に戻りましょう。

 ある日、一人の若い女がその家屋までやってきました。それはもう美しい黒色をした肩ほどの長さの御髪を風に揺らし、迷ったにしてはしっかりとした足取りでその家屋を訪ねたのです。若い女が着るにしては、鮮やかすぎる赤の着物を身に着けており、まるで人形のように美しい女でした。女は玄関の前で立ち止まり、トントン、と控えめに扉を叩きますと、中からは何の返事もありません。恐る恐る扉に手をかけてみますと、扉はガラガラと音を立てて横へと開いてしまいます。女はそろりと中へ入り込み、キョロキョロと何かを探すようにして家屋の中を歩き回りました。暫く歩き回りますと、家屋の中でも一際大きな部屋を、家屋の奥に見つけました。これまたそっと障子を開けてみますと、

「あら、お客様?」

 と、凛とした鈴のように美しい声が、静寂の中に響き渡りました。中に居りましたのは、白の髪を簪で一つにまとめた女。まるで喪服を連想させるような漆黒の着物を身に着け、両の目には包帯が巻かれ、何とも不思議な雰囲気を醸し出す女でございます。白髪の女は手招きをして、客人である若い女を迎え入れました。

「ああ、お客様なんて、いつぶりでしょうか。お出迎え出来なくて申し訳ありません。何せ、私の目はこんな状態ですから。この部屋から出ることが出来ないのです。ささ、私の側にお座りください。沢山お話しをしましょう。」

 若い女はそのまま静かに歩きだし、家主の側で腰を下ろしました。そして、それまで一切口を開かなかった若い女が、ぽつりと話し出したのです。それはそれはか細い声でしたが、何せこの静かな空間です。目の前にいる白髪の女がその声を聞き取るには十分でした。

「貴女には、記憶を消すという、不思議な力があると聞きました。」

「ええ、確かにございますよ?皆様その力を欲してこの屋敷においでになるのですが、貴女様もでしょうか?いえ、構わないのですよ。こうして私とお話ししてくださるのです。例え貴女様のお望みを叶えるためだけだとしても、私は嬉しいのですから。」

「…はい、私の中から、ある記憶を消してほしいのです。」

 若い女がそのように告げますと、クスリと白髪の女は微笑を洩らし、スッと自身の右側を指さしました。…ん?この女は目が見えてないのではないかって?ああ、言葉が足りませんでした。白髪の女は真っすぐと右腕を水平に上げ、そのまま指さしたのです。ふふ、ご指摘ありがとうございました。
さて、続きを話しましょう。若い女は不思議そうにその指さされた場所に目を向けました。するとそこには小さな箱がポツンと置かれています。真っ白な箱は、薄暗いその部屋で異様なまでに浮き出て見えました。

「そちらの箱の中に、木で作られた鍵がございます。持ち手の部分はひし形になっていまして、真っ白に塗られております。そちらの鍵をぎゅっと握りしめ、貴女様の手の上から私の手を覆ってくださいな。」

 言われたとおりにその箱を開けてみますと、そこには人差し指ほどの大きさの鍵が入っていました。若い女は片手で一先ずその鍵をぎゅっと握りしめ、白髪の女の手を取って自身の手を覆うようにしました。そしてもう片方の手も添え、それを感じ取ったのか白髪の女も空いた片手を添えました。

「では、貴女様が忘れたい記憶は何でしょう?」

「…先日言い合いになってしまった、恋仲の殿方との記憶です。彼に関する記憶を全て、私の中から消してしまいたいのです。」

「あらあら、随分と辛い経験をなさったのでしょうか…。分かりました、これから貴女様の中から、殿方に関する記憶を全て消し去ってしまいましょう。記憶は全てこの鍵の中に閉じ込め、二度と貴女様が思い出してしまわないように「鍵」をかけてしまいます。…代わりに、貴女様の中にある記憶の一部も頂ます。」

「記憶の…一部?」

「ご心配なさらず。とても些細なことを代償として頂くだけですから。そうですね…好きな物であったり、好きな場所であったり、無くなってしまっても支障のないものばかりですよ。」

「…それなら、構いません。お願いします。」

 若い女がグッと手に力を込めてそう言いますと、白髪の女はにっこりと笑いながら「かしこまりました。」と言い、何かを念じ始めました。すると、どうしたことでしょうか。屋内で風など吹かないはずですが、二人を取り巻くようにビュウビュウと風が吹き、若い女は自身の中から何かを引きずり出されるような、そんな感覚を覚えます。あまりの恐怖で目を閉じようとしましたが、何故か瞼は閉じてくれず、目の前でうっすらと笑みを浮かべながら念じ続ける白髪の女を見つめ続けました。若い女の中からズルリと、何かが抜け落ちたような感覚を感じますと、周囲を取り巻いていた風がぱたりとやみ、再び静寂が辺りを支配いたしました。若い女は脂汗を額に浮かべ、肩で深く呼吸を繰り返しました。その時、パッと白髪の女が手を放しました。

「お疲れさまでございます。では、手の中の鍵をご覧ください。」

 不思議そうにジッと白髪の女を眺めた後、そろりと自身の手を開いてみますと、そこには相変わらず木の鍵がありました。しかし、真っ白に塗られた部分の中央には、真っ赤な椿の花が描かれていたのです。

「その模様は貴女様の記憶でございます。この鍵に、忘れてしまいたかった記憶が閉じ込められたことを証明する「証」とお考えください。」

「忘れたかった…記憶…。何を忘れたかったのか分かりませんが、気分はとても良いです。ありがとうございました。こちらの鍵はどのようにすればよろしいのでしょうか?」

 これまで全く笑顔というものを見せなかった若い女は、人が変わったように明るい顔を見せ、声を弾ませて白髪の女に問いかけました。

「そちらの鍵は貴女様がお持ちください。何かあったとき、その鍵が貴女様をお助けするでしょう。」

 白髪の女の言葉を聞き、若い女は再度礼を述べて屋敷を後にしました。彼女の中からは辛かったであろう殿方との記憶はきれいさっぱりと無くなり、口元を綻ばせながら街中を歩いておりました。自分が何を忘れるためにあの屋敷に行ったのか、全く思い出せませんでしたが、若い女の気分は随分と軽やかになっていました。自宅近くまで歩いていた女は、偶然友人とすれ違いました。数日ぶりに再会した友人と他愛ない話を暫く繰り返しているうちに、友人が「そうだ!」と何かを思い出し、若い女の手をぐいぐい引っ張って何処かへ歩き出したのです。

「実はねとても素敵な場所を見つけたのよ!貴女にはぜひ見てほしいの!」

 カラコロと二人分の足音が辺りに響き、若い女は一体どこに連れて行かれるのかと期待しながら友人に手を引かれるままに歩き続けました。街を出て暫くしますと、ひっそりと静まり返った池に辿りつきました。その池をぐるりと囲むように深い緑と点々と咲いた赤が目につきます。
 
「…えっと、ここは?」

「貴女、昔から椿の花が好きだったでしょう?最近彼と喧嘩をしたって言ってたし、少し元気がないみたいだったから…。この前この近くをお散歩した時に偶然見つけたから、貴女が元気になるんじゃないかと思ってここに連れてきたのよ。どう、水面にも椿が写ってとてもきれいでしょう?」

 「彼…?一体誰の事?それに喧嘩って何のことを話しているの?それに、私、椿が好きだなんて言ったかしら…?」

 若い女が不思議そうに首をかしげて尋ねますと、友人はまるで可笑しなものを見たかのように眉をひそめてしまいました。ざわざわと風が辺りの椿を揺らし、数個の椿が水面にフワリと落ちてはゆらゆらと漂っています。友人は、少しの間を空けてから、一つずつ、丁寧に確認するようにゆっくりと口を開きました。

「誰の事って、貴女と恋仲になった彼に決まっているじゃない。この前はあんなに落ち込みながら話していたのに、本当に忘れちゃったの…?椿が好きなことも、彼と恋仲になったことも、…その彼も椿が好きだったってことも全部忘れてしまったの?」

 そこまで友人が話しますと、突然若い女の脳裏にフワリと真っ赤な花が落ちていく光景が映りました。それを持ち上げる誰かの手、カラコロと鳴り響く二つの足音、ふわりと笑う誰か。そこまで映像が流れますと、パチリ、と抜け落ちてしまった「何か」が女の中に戻る感覚がいたします。そして新たな光景が彼女の脳裏に流れました。

 何かを叫ぶ自分の声、驚いたようにこちらを見つめる乱れた着物を身に着けた女、そして真っ青な顔をした男が一人。

「あ、ああ、あああああああああああ!!!」

 若い女は突然叫び声をあげ、友人の制止の声も聞かずにその場から走り出してしまいました。すれ違う人々にぶつかったことも、何かに躓きそうになったことも気に留めずに走って走って、気がつけばそこは先程までいたあの屋敷でした。ガラガラと乱暴に扉を開けば、そのまま頭を抱えながら屋敷の中を走り、屋敷の一番奥、白髪の女がいる部屋を目指しました。相変わらず部屋の奥にゆったり座っていましたが、若い女はそれを見ると一目散に白髪の女の元まで駆け寄り、力任せにその肩を掴みました。

「あらあら、一体どうされたのですか?そんなに怖いお顔をされて、せっかくの綺麗なお顔が台無しですよ?」

 目が見えないはずなのに、白髪の女はまるで目の前の様子が見えているかのように語りました。不思議に思う方もいらっしゃると思います。ですが、若い女にとってそんなことを気にする余裕など、この時には微塵もありませんでした。ただただ、自分の中に流れ込んでくる得体のしれない映像を何とかしてほしい。その思いで一杯一杯だったのです。

「たす、たすけて…!!友人と話していると、私の知らない話が出てきて、でも、知らないはずなのに、頭の中で何かの光景が、ねえ、私は貴女に何の記憶を消してほしいと頼んだの?頭の中に浮かぶ、あの男は誰なの…!!?知らない、知らないのに、頭が痛くて、苦しくて、ねえ、助けてよ…!!貴女なら何とかできるでしょう…?」

 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら一息に若い女がそう言いますと、白髪の女はにっこりと笑いながら彼女に語り掛けます。

「ああ、可哀想に。ご友人とお話しをしてしまって、忘れてしまった記憶が蘇ってきて混乱していらっしゃるのね。大丈夫、私が、治してあげます。何を忘れたかも忘れ、もう何を話されても混乱なんてしないように…。」

「本当…?私、こんなにつらい思い、しなくてもよくなるの…?」

「ええ、ええ。私なら、それが出来ます。さあ、先ほどの鍵をお貸しください。…全て、私に委ねてしまいなさいな。」


…カラン、と鍵が落ち、続けてドサリと身体が倒れ込むような重い音がいたしました。落ちてしまった鍵には、椿の模様が綺麗に消えて元の白地に戻っています。そう、この鍵に描かれた模様は、依頼者の記憶をこじ開ける「鍵」だったのです。それも、一番消してしまいたいと願った、その記憶に直接触れることが出来るモノを浮かび上がらせるようになっていました。その「鍵」について見たり話をしたりすると、その絵から依頼者に抜き取った記憶が流れ込むようにしていたのです。流れ込んだ記憶によって依頼者が混乱し、何とかしてほしいと願えば、自然とあの怪しい女の元へと戻るようにも、この小さな鍵には小細工が施されていたのかもしれません。

 その日以来、若い女は街から姿を消してしまいました。友人がいくら人に聞きまわっても、彼女の消息を知るものは誰もいません。その代わりに、数十年前に行方不明となっていた白髪の娘の遺体が神社近くから掘り出されました。簪で髪を一つにまとめ上げた、真っ黒な着物を身に着けた娘です。神社近くを通った若い男が不自然に土が盛り上がった場所を見つけ、不思議に思いながら掘り返してみると、眠るように彼女が横たわっていたそうです。娘の遺体はそれなりの歳月が経っているにもかかわらず、行方不明になった当初と同じ、若々しい姿だったとも語られました。
それから数十年の歳月が過ぎ、とある噂が新たに広まりだしました。「街の近くにある神社の辺りには大きな屋敷がある。そこに住む者は女一人で、その女には記憶を消してしまう、奇怪な力があるようだ。」というものです。その噂を聞いた一人の少女は、興味本位でその屋敷へと赴きました。家に上がってようやく辿り着いたのは、静寂に包まれた屋敷の一番奥の部屋。そこには一人の女が座っておりました。その女は美しい黒色をした肩ほどの長さの御髪の持ち主で、鮮やかすぎるほどに真っ赤な着物を身に着け、まるで人形のように美しい容姿をしております。スッと開かれた両の目は深い黒色をして、見るもの全てを惹きつけるようなまなざしでした。

「あら、お客様?」

女はにっこりと笑い、目の前の少女を部屋の中に招き入れました。

 さて、少女は一体どうなってしまったのでしょうか。もしかしたら近いうちに、あの神社の近くで見つかるかもしれませんね。まあ、それは誰も分かるはずのない事でございます。それではこの話を終いにいたしましょう。ここまでのご清聴ありがとうございました。

狐ノ嫁入リ

おやおや、こんなところで遊んでいては危ないよ?こんな夕暮れに、村外れのお稲荷様の前、それに君みたいな若い男の子は特にね。
…もう16だって?へえ、それは失礼、もう立派な大人だね。だけど、危ないことには変わりない。さあ、今から歩けば村まではすぐだろう。僕が送って行ってあげよう。なに、お礼なんていらないさ。さあ、早く帰ろう。…なぜあの場所が危険か教えろ?そうだね、帰るまで無言っていうのも面白くないし、特別に教えてあげよう。手短く話せって?全く、君はせっかちだなぁ。まあ、安心したまえ。僕はこれでも語り部と呼ばれていてね、どんなに長い物語でも面白おかしく、誰もが釘付けになるように話すことが出来るんだ。さあ、それでは始めようか。



狐ノ嫁入リ



 今更だけど、君はここから東にある村の出身で間違いないね?ああ、ならよかった。それなら、こんな伝説は聞いたことがあるかい?「昔より、作物が育たなくなり、村が飢餓に陥ると、村の若い娘を山のふもとにおられるお稲荷様へお嫁に出し、豊作をもたらす儀式が行われていた。」って伝説さ。…ああ、そうか、今はもう行われてはいないんだね。今から話すお話は、まだその儀式が行われていた時代の事だ。
 ある時、東の村は日照りが続いてしまって、作物が育たなくなってしまった。村人たちは何とか飢餓から抜け出すために、お稲荷様に花嫁を差し出そうとしたのさ。それがこの村での伝統的な対処法であったし、誰も異論を唱える者などいなかったんだ。その年に花嫁として選ばれた娘は、真っ黒でふわふわとしたくせ毛がある短髪の少女だった。まだ13になったばかりの、親を2人とも亡くしてしまった、「厄介者」扱いを受けていた少女だ。病気で両親を亡くしてしまってからは、誰も少女を世話することもなかった。日々残飯をむさぼり、ボロボロの服を着て生活をしていた。そんな少女は、花嫁…いや、生贄として差し出す役割にはぴったりだと思われたんだろうね。生贄が決まってしまえば、その後は順調に準備が進んでいった。少女に合わせた白無垢が仕立てられ、お稲荷様の元へ向かう時に付ける狐の面もあっという間に揃った。生贄を差し出す当日は昼間から少女を綺麗におめかしさせて、夕暮れ…そう丁度今みたいな黄昏時に松明を灯して村の祭祀様や長老、数人の男たちと共に少女は籠に揺られていくだけ。少女は生贄だってことを知っていたのかって?そりゃ知っていたさ。なんせ、村中の誰もが知っていることなんだよ。…生贄を捧げて神様のご機嫌をとることしか、昔は天候不順を直す術がなかったのさ。今ではそんなことしたって無駄だと誰もが知っているけど、そんな呪術的な儀式が効果的だと信じられていた時代だったのさ。
 さて、お稲荷様の祠の前で少女は降ろされ、急ぎで作られた祈祷するための祭壇…。ああ、ちゃんと説明するよ。人が一人座れるだけの正方形の床に、四つ角から地面にまっすぐ伸びた柱。祭壇に座るものを取り囲むかのように、これまた四つ角には細い棒が立ち、縄が張られていた。縄には計8つの紙垂(しで)が等間隔に張られていた。そこに座ったことが確認されると、そのまま少女は一人取り残されてしまう。だって、少女は籠を下ろされたその瞬間からお稲荷様の妻になったんだ。それ以上村人が干渉するわけにはいかないだろう?村人からすれば、あとは少女が死に絶えるまで祈り続けてくれたらいいんだし。ただ、少女だけはこの現実を受け入れることが出来なかった。夜の真っ暗な中、ただ一人残されてどんなに心細かっただろう。散々無視され続けた村人を生かすため、自分が死ななければならないなんて、誰も受け入れられないに決まっている。それに加えて、少女にはどうしても果たしたい夢があったんだ。両親が他界して間もないころ、寒さで震えていた少女にそっと濃い緑色の着物を掛けてやった少年がいた。「これは僕の古着で、大きさが合わなくなったけど布地は上等だから、ちょうど都に売りに行こうと思っていたんだ。多少は寒さも防げるだろう。困ったら、これを売ってお金にすればいいさ。」そう言い残して少年は少女の前から姿を消してしまった。少女は、その少年にもう一度会ってお礼を言いたかったんだ。それまで、死ぬわけにはいかない。そんな強い気持ちが彼女の中には渦巻いていた。
 生贄に出されてからもう一カ月近く経った。もともと体力のなかった少女の意識は朦朧としていて、少しでも気を抜けばそのまま死んでしまうほどにまでなっていた。それも当り前さ。その間、一切食料も飲み物も与えられずに祈祷をし続けたんだ。むしろよく生き抜いたほうだと僕は思うよ。そして、少女はとうとうその場に倒れ込んでしまった。どんどん遠のく意識。同じ速さで近づく死の感覚。手足は次第に熱を失い、全身を巡る血液はもはや熱など感じることが出来なくなってしまった。少女の目からはっきりとした景色は既に消え失せ、申し訳程度にぼんやりとした色のみが残された。そんな状況になっても、少女はただあの願いを思い続けた。

「まだ…私、は…。死にた、くな、い…。あ、のお方…に、まだ…。」

 ジワリと少女の目には涙が浮かび、息も絶え絶えに呟く。だが、もう体を起こすような力は残されておらず、祭壇の上で少女はぐったりと倒れたまま、最期の時をただ迎えるしかなかった。瞼も重くなり、彼女の前には暗闇のみが広がる。心臓の音が、次第にゆっくりとなる。少女の頬には一筋、涙が流れていった。



 その数日後、村の男たちが少女の様子を見に来た。実は少女を生贄に出してからも日照りは続いていてね、相変わらず村は飢餓に襲われていたんだ。それで、「あの娘は何をしているんだ。」って怒った男たちが様子を見に来たわけだ。だが、祭壇の上に少女の遺体がない。彼らは「あの女、逃げやがったな!!」なんて口々に叫んでさ。そりゃあ、怒るとも。自分たちが助かるために、少女にたーくさんお金を費やしていたからね。白無垢に、お面、それに食べ物だって村を発つ間際に用意していたんだ。もう自分達が食べるものもないのに、そこまでした挙句逃げられてしまったなんて、腹が立つだろう?それで、彼らは必死になって少女を探し始めた。このままでは自分たちの命が危ない、そう考えてね。ところが、彼らは不思議な「音」を聞いて、ぴたりと動きを止めてしまったんだ。

≪チリン―――チリン―――≫

それは確かに鈴の音だった。だが、彼らは誰一人として鈴なんて持っていない。辺りに人がいるかを確認したけど、やはり自分たちだけしかいない。じゃあ、この鈴の音は何なんだ?男たちの頬に、ツウッと冷や汗が流れる。ザワザワと周辺の木々が風もないのに揺れ始め、鈴の音は次第に男たちに迫っていく。

≪ねえ、何を、しているの?≫

男たちの耳元で、女の声がした。全身が凍り付くような、冷たい声が。ふと辺りを見渡すと、そこは祠のあった山ではなかった。黄昏時の空、怪しく灯る石灯篭、そして目の前に連なる数多の鳥居…。その奥から、また鈴の音が聞こえる。まるで、こっちに来て、とでも言うように。男たちは、自然と鳥居へと足が進んでいた。ただ、本能的に、進まなければならないと感じたんだろうね。ゆっくりと鳥居の中を進むと、急に開けた場所が現れる。そこには、神社の神楽殿を思い出させるような舞台が用意されていた。そして、その中央に、何かが静かに座っていた。

≪あらあら、こんばんは。皆さん、ようこそ≫

ザクロの目に青銀の髪、同じ色の狐の耳に五本の尻尾…。狐が女に化けているのか?と男たちは考えた。が、一人の男があることに気がつく。

「おい、あの女…。お稲荷様の嫁に出した女じゃないか?」

わなわなと声を震わせ、目には涙を溜め込んだ男は、仲間にそう伝える。周りの男たちは、ジッとその女を見て、確かに自分達が探していた少女だと気づいた。でも、男たちは同時に混乱もしてしまった。だって、自分たちが生贄に出した少女は、確かに人間だったんだ。なぜ、あんな姿で、こんな訳の分からない場所にいるんだ?ってね。ああ、君もそう思ったのかい?ふふ、この答えはもう少し後になってから教えるよ。ははは、意地悪だなんて、ひどいなあ。まあ、話を聞いていれば君も分かるとは思うけどね?
 さて、話の続きだ。男たちはその場でガタガタと身体を震わしていたんだけど、女はにっこりと笑ったまま「そうだ」と一言呟いた。そして女がチョイチョイと手招きをすると、勝手に男たちの身体が女の近くまで歩き出したんだ。男たちは、意思に関係なく動く自分の身体にすら恐怖を覚えてしまってね。もう涙を流してしまったやつもいたよ。そんなことはお構いなしに、女は語りだす。

≪あなた方を、この場所に迎え入れたいの。だって、ここは私一人で、寂しいんですもの。少し、頼みごとを聞いてくださるだけで構わないわ。ここなら、飢えも身分も関係ないの。こんなに素敵な場所、他にあると思います?≫

「な、なんで、俺たちなんだ…!!?他にも、いくらでも、人はいただろう!!」

≪あら、寂しいこと言わないでくださいな。…そうですねえ、強いて言えば、私は人の世界では自由に動けないのです。人の世界でしかできない、私が果たしたい目的をお手伝いをしていただくため…。別に、誰でも構わないのです。ただ、あなた方が望んでくださるのであれば、ここで共に暮らしたい、それだけなんです。≫

 にっこりと、女は笑う。スウッと目が薄く開かれ、ザクロの様な、深い深い紅が男たちを射抜いた。その瞬間、ブツリと男たちの中で、何かがきれた音がした。それは、彼らの「意識」が切れた音だ。男たちは、もう自分の意思など抜け落ちてしまったように、ただ首を縦に振った。この女の、妖術にでもかかってしまったのだろうね。女は嬉しそうに目を細めて、早速頼みごとをした。

≪まあ、嬉しいわ。ありがとう。…それでは、早速お願いがあります。≫

「ああ、何なりと…。」

 もう男たちの目には、女しか映っていなかった。男たちは、彼女のための「人形」になってしまったように、頼みごとを待っている。

≪この着物に合う、帯などを探してほしいの。真っ白なのも飽きてしまって…。ああ、それから、以前お稲荷様のお嫁に出した娘の家から、ある物を取ってきてほしいの。…濃い緑色の、男物の着物をここに持ってきてくださいな?あれは、私の宝物なの…。≫

 寂し気に伏せられた目は、一瞬ザクロの色から深い黒に変化した。だが、男たちはそんなことに気が付かない。そそくさと鳥居をくぐり、各々の目的を果たしに出てしまった。そして、一日もたたないうちに男たちは薄い黄色の帯に紫の伊達締め、ザクロ色の帯紐を揃え、彼女はさっそくそれを身に着けた。そして、女が宝物だと言っていた濃い緑の着物は、肘の所まで袖を通して、そっと自身の身体ごと抱きしめた。まるで、愛しい人を包み込むようなしぐさであった。

≪ああ、皆さん、本当にありがとう。奥の御屋敷で休んでくださいな。私も、暫くしたら、向かいますから。≫

 うっとりとした顔で、女がそう伝えると、男たちは無表情のまま奥に広がる、貴族が住んでいそうな大きな屋敷に入っていった。そして、それを見届けた女はまた「ああ、そうだ」と何かを思いつく。

≪彼らだけでは、やはり不便だわ。きっと寂しいでしょうし、もう少し人をお呼びしなくては。…あの方の行方を知らないか、尋ねる時にお誘いいたしましょう。≫

 

 男たちは、少女の様子を見に行ったきり村には戻らなかった。そして、その日をきっかけに、お稲荷様の祠へ向かった者はほとんど帰ってこなかったんだ。帰ってきたのは女だけ。そして、ある時に運よく村に戻ってきた青年が、村の者に語ったんだ。

「あの祠には、女の姿をしたお狐様がいる。男は皆、お狐様の領域に神隠しされて、この世の者ではなくなってしまっている。そして、必ずお狐様は問いただすんだ、≪この緑の着物を、小さな少女にかけてやった少年を知ってはいませんか?≫って。そのあと、お狐様の領域に引きずり込まれるんだよ。それは決まって黄昏時だ。俺は、帰ろうとしたときにそれに出くわしたんだ。答える前に走って逃げたが、女の向こう側には、いなくなった奴らが経っているのが見えた。いいか、男どもは絶対に黄昏時にあの祠に行っちゃならねえ。神隠しされちまうからな。」

 それ以降、飢餓に襲われた村で行われていた「狐の嫁入りの儀式」は無くなった。だって、それを行うのは、黄昏時だろう?儀式をしてしまえば、携わる男たちがお狐様に奪われてしまうからね。だから、君があの祠の前で遊んでいた時に「危ない」って言ったんだ。君も、神隠しされてしまうかもしれなかったからね。ふふ、分かったならよろしい。ただまあ、その話を知らない旅人が、今でも神隠しにあっているって噂だ。君もこれから気を付けてくれ。
…ところで、君は覚えているかな?お嫁に出された生贄の少女が、何かを強く思いながら死んでいったことを。彼女にとって、何が生きる希望だたのかを思い出せば、このお狐様が誰なのか、すぐに分かるよね?…ああ、もうすぐ君の村だ。夜になる前に着いてよかった。…正解を教えろって?それは、もう君の中でこたえがでているだろう?だって、君、とても恐ろしいものを見たような目をしているよ?さあ、もうお帰り。この話は、これにてお終い。話を聞いてくれてありがとう、それでは、さようなら。

櫻ノ眠リ姫

「桜の下には屍体が埋まっている」と、かの文豪は自身の作品に遺しました。木の根からその屍体に向かって「糸」のようなものが伸び、そこから血や養分を抜き取ってしまう。だから、桜は美しく咲くに違いない。…そのような想像が生まれてしまうほど、桜は美しさと共に形容しがたいほどの妖しさを併せ持つ植物でございます。皆様も、この桜の魅力に惹かれているのではないでしょうか?ふふ、そんなに恥ずかしがらなくてもいいのですよ。昔からこの国に生まれた者は皆、桜に魅了されてしまうことが多いのです。何故そう言えるかですか?そうですねえ、例えばです。はるか昔のとある法師が、桜が咲く望月が浮かぶ季節に死にたい、と和歌に残しているのです。この他にも、桜について詠った家人は多くいますし、文字に残さず、感傷に浸る人も今までたくさん見てまいりました。儚げで、凛と咲き、世の無常を思わせるかの如く忽ち散ってしまう…。そんな姿に今も昔も、人々は心奪われてしまったのでしょうね。
さて、今回お集まり頂いた皆様には、この桜にまつわるお話を披露すると致しましょう。美しくも悲しい、とある姉妹のお話でございます。



 まだ武士が世を治めていた時代のことです。とある村に、平穏に暮らす姉妹がおりました。彼女たちの両親は既に病で先立ち、心優しい村人たちに支えられながら生きてきた二人でございます。やがて彼女たちは、自分たちで働いて生活できるほどに成長し、姉には婚姻を約束した恋人も出来ました。
 いつしか姉とその恋人、そして妹の三人で暮らすようになり、その頃から三人の間に笑顔が絶えることは決してありませんでした。…ええ、とても幸せな日々でございました。そんな三人が暮らす家の前には、一本の桜の木が生えていました。毎年春になると見事な花を咲かせ、彼女たちはその下で花見をすることをいつも楽しみにしておりました。それは恋人が出来てからも変わらず、いつの間にか三人の恒例行事となっていたのです。
 ある年の春。妹はチラリと桜に目をやりました。何故だか分かりますか?…ふむ、桜の咲き具合を確かめていた、と。そうですね、ほぼ正解です。答えは、桜が咲いたかを確かめていた、です。実は、二回り前の春から、何故かこの桜の花が咲かないようになってしまったのです。そう、今年こそは咲いてくれるだろうか、と妹は祈りながら桜を見たのです。しかし残念ながら、花はおろか蕾さえもついていませんでしたが。

「姉さん、この春もあの桜は咲かないかもしれないね。」

 妹は目線を動かさずに、とても寂しそうに語りかけました。洗濯物を畳んでいた姉は、チラリと妹の視線の先を見てため息を一つ吐きます。

「そうねえ。あの桜以外の場所でお花見してもいいけれど、なんだか味気ないものね。…また、咲いてくれるといいのだけど。」

「ええ、本当に…。」

 何故ここまで家の前の桜にこだわるか。それは、彼女たちにとってあの桜が両親との思い出の一つ、ということが大きな理由でございます。まだ両親が健在だった頃、彼女たちはあの桜の下で、両親に見守られながら遊んでいました。大人になってもその頃の記憶は色褪せる事は無く、満開の桜を見る度に両親の優しい笑みを思い出していたのです。数少ない両親との思い出を、年に一度だけ全身で噛み締めることが、彼女たちにとって何よりも大切なことだったのです。だからこそ、あの桜以外での花見など、何の味気もないと姉は断言しました。姉の恋人も、この姉妹の思いを知っていましたので、無理に他所の桜で花見をすることなど提案しませんでした。いくら花が咲かないことを嘆いていたとしても、彼女たちは次の春に期待と不安を抱えながら、過行く季節を楽しむことが出来ていたことも、一つの理由でございましたから。
…そう、まだこの時は、いずれ咲くであろう桜を気長に待つことが出来たのです。
 
桜が咲かなくなってから、九年の歳月が過ぎた年の瀬のこと。妹は、結核を患ってしまいました。今となっては、結核など恐れる病気ではないでしょう。ですが、当時は今ほど医療が発達していませんでした。様々な偉人達も、この病気に苛まれ、命を落としていった恐ろしい病気だったのです。妹を診察した村の医者からは、一年生きることが出来れば上出来、との診断を受けました。妹はもちろん、姉も、そして姉の恋人も酷く悲しみました。特に姉は、両親が死んでからずっと、唯一の肉親である妹と過ごしてきましたので、その衝撃はとてつもなく大きいものだったと容易に想像できます。ですが、病気に苦しみながら必死に日々を生きていく妹の姿を見て、「私は妹に何が出来るのだろうか」と、次第に考え込むようになりました。
 そして、弥生の月の中頃だったでしょうか。姉は、恋人を家の外へ連れ出してとある相談を持ち掛けました。これを聞いた恋人は大変驚き、その相談を一蹴いたしました。…どんな相談だったかって?ああ、話を聞いていればすぐに分かりますよ。ふふふ。そんなに残念そうにしなくても、最後まできちんと話を聞いてくだされば、誰だって分かりますから。
さて、本題に戻りましょうか。そうですね、姉はこの相談事に対して並々ならぬ決意をもって毎日恋人を説得していました。そして弥生の終わり頃。とうとう恋人は彼女の相談を受け入れてしまったのです。彼は酷く辛そうで、苦しそうな表情を浮かべていました。対して姉は、とても嬉しそうな笑顔をこぼし、そして寂しそうにそっと微笑みました。

 巡ってきた十度目の卯月。寝たきりだった妹は、ふと懐かしい匂いを感じて目を覚ましました。空気を入れ替えるためでしょうか。少しだけ開いた雨戸の隙間から、薄い紅色が風に揺れているのが見えます。ハッと目を見開き、思わず裸足のまま、妹は外へ駆けていきました。

「…桜、やっと、やっと咲いたのね。」

 その声は、歓喜のあまりに震えていました。もう、二度とこの桜の花を見ることが出来ないのだろうと、常々思っていたのですから。そして、ヒラヒラと落ちてきた花弁を一つ拾い上げ、これを姉にも知らせないといけない。そう思い立ちました。ヨロヨロと危ない足取りで家に戻り、か細い声で姉を呼びました。合間には、もう聞き慣れてしまった、酷い咳をはさみながら。ですが、一向に姉は出てきません。そういえば、数日前から姉の姿がなかったことに、今更になって妹は気がつきました。自身が病気を患う前から片時も離れたことが無かった姉は、一体どこへ行ってしまったのだろうか…。そのようなことを考えながら玄関先で立ちすくんでいると、後ろから声を掛けられました。振り返ってみれば、姉の恋人が驚いたようにこちらを見ているではありませんか。妹は、直感的に、彼なら姉の場所が分かると感じ、早速問いかけてみました。

「お義兄さん、姉さんは、一体どこへ行ってしまったのでしょうか?折角あの桜が見事に咲いてくれたのに、姉さんがどこにもいないのです。お義兄さん、何か知りませんか?」

 彼は、その問いかけに一瞬、言葉が詰まってしまいました。ですがすぐに微笑みかけて、静かに答えを返したのです。

「君のお姉さんはね、京の都へ結核にいい薬があると聞いて、つい何日か前から旅立ってしまったんだ。お姉さんにも、見せてやりたかったなぁ…。」

「まあ、お薬を…?でしたら、暫くは会えないのですね…。病気が治るお薬よりも、残りの一時を、一緒に過ごすだけで私は嬉しいのに…。」

「…まあまあ。彼女なりに考えての決断だ。あんまり責めてやらないでくれ。彼女が無事に早く戻ることをせめてこの桜に願おう。」

「ええ、そうですね。…私、姉さんが戻るまで、生きていなければなりませんね。」

 にっこりと、妹は笑ってそう言いました。恋人は、曖昧に笑い、「せっかくだから、一緒に近くまで見に行こう。」と妹の手を取りました。ゆったりとした足取りで、桜の元へたどり着くと、神様に祈るときのように妹は手を合わせました。静かに、姉の無事を祈る。その姿は、大変美しい姿でございました。
そんな妹の姿を見ながら、恋人は姉からの相談事を≪実行≫した時のことを思い出していました。
少し冷え込んだ、弥生の日の夜でした。月明かりがやけに明るく、青白く辺りを照らし、ザワザワと風が木々を揺らしています。もう何年も咲かない桜の木の側で、彼と姉は談笑していました。出会いから今までの、幸せな思い出話です。日を跨ぐ時間が近くなった頃でしょうか。姉は、ふと談笑をやめて、静かに彼に微笑みかけます。そしてただ一言、彼にある言葉を贈りました。…それは何かって?焦らずとも、きちんとお話ししますよ。そう、彼女はこう告げたのです。

「ありがとう。」

 月明かりに照らされた彼女の表情は、何とも儚げで、泣き出してしまいそうなほど弱弱しかった。ですが、決して自分の信念を曲げない、凛とした美しさも感じ取ることが出来ました。そんな姿を見て彼は、不意に「桜のような人だ」とぼんやりと感じておりました。続いて、これまた悲しそうに彼女に微笑みかけ、同じように「ありがとう」と口にしたのです。

 さて、話を元に戻しましょう。十年ぶりに桜を見た妹ですが、実はそれから一月も待たずに息を引き取りました。桜を見ることが出来て、心残りが消え去ってしまったのでしょう。それはそれは、安らかで、美しい死に顔だったと、妹をよく知る村人たちは口を揃えました。葬式は、妹と縁の深かった村人たちと彼が執り行い、遺体は早くに亡くなってしまった両親が眠る場所へ埋めることが決まりました。特に問題も起きず、式も埋葬も滞りなく済み、村人たちも次第に彼女の死を嘆かなくなっていました。ところがその年の師走の頃です。村の共同墓地に墓荒らしが入り、妹の遺体だけが忽然と姿を消してしまったのです。村人は、再び彼女のことで、嘆くようになりました。しかし、ある人物が消えてしまったことには、誰も気が付かなかったのです。そもそもこの村の誰もが、その存在など一切記憶に残してなどいなかったのかもしれません。
 結局、妹の遺体は見つけることが出来ませんでした。村人たちは何日も悲しんでいましたが、それも葬式の時同様、次第に誰も話さなくなってしまいました。ええ、日常が続けば、どんな出来事も遠い過去の記憶として埋没してしまうものです。例え、誰が死んだとしても。
…妹のことも、姉のことも、もう誰の記憶にも片隅程度にしか残されていませんでした。ですが、妹が死んでから、十年近く咲いてこなかったあの桜は、今でも立派に成長して、毎年美しい花を咲かしています。そうですね、まるで誰かの記憶を風化させないように、毎年妹の命日に咲いているそうです。この街からそう遠くない場所にあるので、気になる方はぜひお声掛けください。時間さえあれば、ご案内いたしましょう。それでは、このお話はここまで。



 …おや?結局姉は都から戻ってきたのか、ですか?ああ、そうですねえ。なんとお答えしましょう。…もったいぶらずに話せって、まったく。しょうがないお客様ですね。ですが、答えをそのまま言ってしまうのも面白くありません。ですから、特別に正解へつながる一つの手がかりを貴方に贈りましょう。一度しか言いませんから、よく、聞いてくださいね。


「桜は、なぜ美しく咲くことが出来るのでしょうか?」

面影ニ溺レル朝

 お盆の時期には、水辺に近づいてはいけない。このような言葉を聞いたことがあるでしょうか?
これは、昔からお盆に海や川に行くと、死者に引きずり込まれるという噂があるからだそうです。それに加えて、水辺には死者の魂が寄り付きやすいとも言われています。そして「お盆」はあの世からご先祖様の霊……つまり、死者がこの世へ帰ってくる期間。善良な霊だけが現世へ帰ってくるなら問題はありませんが、そういうわけにもいかないようです。お盆には地獄の蓋が開き、「餓鬼(がき)」と呼ばれる悪い魂も先祖たちと共に現世へ入り込んでくるというのです。そして、先程話したように死者の魂は水辺に寄り付きやすい。うっかり川や海に入ってしまえば、たちまち足を取られ、水底に引きずり込まれてしまうのです。
 そんな話は迷信、ですか。……ええ、確かにただの「言い伝え」です。実際にはお盆の時期には高波が起きやすくなっている、といった研究結果も出ていますし。しかしながら、このような迷信は大昔の日本では人々の間で強く信じられていました。中には、この迷信を信じて自ら命を絶った者もいるとかいないとか……。そんな馬鹿なやつがいるのか、とは随分と手厳しいですね。では、今日は特別にあなた方へこんなお話を贈りましょう。

 これは、日本が鎖国の真っただ中の時代のお話です。現代のように車も飛行機もなく、荷物を運ぶのは人力か木造の船に乗せて運ぶかといった時代です。ある港町に、一組の夫婦が住んでいました。夫は船に乗って酒を都まで運ぶ仕事のため、長い間家を空けることは珍しくなかったそうです。妻はそんな夫の仕事に理解があり、一人で留守番をすることも全く苦にならないといった様子でした。普段から明るく、近所からも人気のある人物であった様で、よく一人でいる彼女に対して何かと手助けをする人が多くいました。これには、彼女たち夫婦に子供がいないことも影響していました。先程から話しているように、夫は家にあまりいなかったので、そもそも子供が作れないではないかと近所の女性陣から指摘を受けていたのです。夫も流石に後継ぎがいないと困ると考え始め、ついに子作りについて妻に話しました。結婚して、二年が経とうとした夏の早朝でした。

「この仕事から帰ったら、ですか」

「ああ。周りから言われてるのもあるが、次の仕事が終わればまとまった時間が取れそうでな。子がいないのは、やはり都合が悪いだろうし。なにより、お前も家に一人では寂しいだろう」

「……ええ。貴方、きっとですよ?約束ですからね?」

「分かっている」

 夫は二ッと笑って、まだ夜明け前の海へと出発いたしました。妻はその背中を見ながら、これから訪れる未来に思いを馳せ、早くその日にならないものかと胸を躍らせていました。それからいつも以上に機嫌のいい妻を見て近所の人も察したようで、彼女を囲みながら井戸端会議をする様子がよく目撃されました。夫が帰ってくるのは、早くても一か月後。その間、彼女の胸には希望で満ち溢れていたと容易に想像できます。
 しかし、夫から帰ってくると聞かされていたその日。彼が帰ってくることはありませんでした。天候のこともあるので、予定通りに帰ってくるほうが珍しい、と彼女は何度も言い聞かせました。近所の者も同じような経験があると話をしていたので、彼女はただ無事に帰ってくることを信じ続けていました。それでも、彼女の中から胸騒ぎが消えません。今までこのような胸騒ぎを起こしたことがなかったこともあり、一人不安に駆られながら彼女は日々を過ごしました。しかし、予定日から十日ほど経った頃、その胸騒ぎが的中してしまったのです。

「船が、沈んだ……?」

「こちらへ帰る途中、突然荒波に巻き込まれたみたいで……」

「遺体はまだ見つかっていないそうよ……」

 夫と共に船に乗った一人が、はるか遠い町の宿から送った手紙に、彼女の住む町の者が言葉を失ってしまいました。この町の者はそのほとんどが船で荷物を運搬することが主な仕事で、彼女の夫と共に船に乗った船員のほとんどは近所の人であったのです。その大半が荒波の海へ投げ出され、船と共に沈んでしまったと、その紙には書かれていました。しばらくすると、町からはすすり泣きがあちこちから起こりました。彼女は、その話を聞いても何を言われているか理解できなかったようです。いえ、決して意味が分からないといったことではないのです。ただ、辛い現実を脳が受け入れようとしなかった。そういう意味で、「理解できなかった」のです。
 しばらく経ってもその船に乗っていた船員の遺体は見つからず、町の人々は仕方なく遺体のないまま合同の供養をすることになりました。彼女ももちろん参加し、粛々とその儀式をこなしていきました。しかし、ふと夫の名前が刻まれた札を見ると、じわじわと涙がにじみ、思わずその場に座り込んでしましました。泣きながらも思い出されるのは、夫と過ごした日々。例え、一緒に過ごせていたのはとても短い期間だとしても、彼女の中ではその思い出は眩しいほどに光り輝くものだったのでしょう。式中、ずっと座り込んで泣く彼女の周りには、いつも井戸端会議をしていた近所の者が寄り添うようにしてしゃがみ込んでいました。式が終わってしばらくすると、その場にいた者に支えられながら、彼女はその日一人ぼっちの自宅へと戻りました。

 船の沈没が伝えられてから数か月後のことです。突然の訃報に暗くなった町も、すっかりと元の元気を取り戻しました。彼女もまた例外ではなく、この頃になると持ち前の明るさが戻っていました。しかし、近所の者は彼女に対していつまでも心配をしているのです。何故だと思いますか?……残念、外れです。実は彼女、縁談の話をすべて断っていたのです。夫が亡くなってから気を使った親族が、再婚相手として紹介を続けていたのですがね。昔は年ごろの娘が結婚していないのは世間体が悪いとされる時代でしたから、両親も近所の人も再婚をすればいいのに、考えていました。ところが彼女は、ずっと夫のことが忘れられないのです。外では明るくふるまう彼女も、今でも自宅に戻れば夫の持ち物に目を落としてぼんやりとしているのですから。誰かがその様子を見れば、「消えてしまいそうだ」と言いそうなほど。その背中は哀愁が漂っていました。
 いつしか彼女は、度々海へと足を運ぶようになりました。海にくると、夫と会えると思ったのかもしれません。彼女はしばらく海を眺めると、そのまま自宅へ戻る。このような習慣がいつしか身についていました。この行動も周囲の人間を不安にさせ、より一層町の人々は彼女を気にするようになったそうです。もしかしたら、そのまま飛び込んでしまうのではないか、そういった声も密かに聞かれるようにもなりました。その話を聞いたのか、彼女はある日井戸端会議中にこんな話をしました。

「私、自分から命を絶つようなことはしませんよ。そんなことしたら、死んだあと地獄に落とされてしまいますもの。そうなったら、あの人に会えなくなってしまう」

 そう言って、彼女は笑いました。笑っているのに、今にも泣きだしそうだとそれを見た者は口をそろえていたとか……。それはともかく、このような会話もありましたから、町の人も一先ず安心していいだろうとようやく緊張の糸をほどきました。いつもと同じように会話はしていましたが、以前のように常に彼女に目を向ける、といったことは次第になくなっていったそうです。
 もしかしたら彼女は、こうなるように仕向けていたのかもしれませんね。
 
 ある日の早朝。船が沈んでからちょうど二年が経った頃です。この日はお盆の時期に差し掛かり、ましてや朝日が昇る前の海には人気がありません。このような静かな場所に、彼女は一人佇んでいました。その眼は虚ろで、泣き腫らしたような痕もあります。そして、ポツリと何かを呟きました。それはひどく小さな声で、その場に誰かがいても決して聞き取ることは出来なかったでしょう。これは私の想像ですが、こう言ったのではないでしょうか。

「今、行きます」

 彼女は呟いた途端に、そのまま海へと足を進めました。海は海でも、ここは少し高い崖のような場所です。ここまで言えばあなた達も分かりますね?そう、彼女はそのまま海へと落ちてしまったのです。ちょうどその時、朝日が昇りました。落ちながら彼女は、チラリと最期の太陽を見て、わずかに微笑みました。そして、高い水しぶきを上げながら、彼女は海の中へ消えました。どんどんと着物に水が吸われて重くなり、入水した際に受けた衝撃もあってか、力の入らない身体はゆっくりと海の底へと沈んでいきました。薄れゆく意識の中で、自身が落ちたことによって発生した無数の泡をぼんやりと見ていました。朝日が海中に差し込み、海面や泡にその光が反射しています。キラキラと輝きながら浮かんでいく泡に、彼女は夫との日々を重ねたのかもしれません。……そうですね、彼女にとっての走馬燈だったのでしょう。息が苦しくなって、思わず目を瞑って大量の泡が吐き出されたその時です。海の底から彼女は、確かにある声を聞きました。ゆっくりと瞼を上げると、彼女は一瞬驚いたような顔をして、そのまま静かに微笑みました。きっと涙を流したのでしょうが、泡と共に消えて無くなったようです。そうして、そのまま彼女は再び目を閉じました。次に目が開くことは、もうありません。


 最期に彼女は何を見たのでしょうね。もし彼女の夫だとしたら、現世に帰ってきた彼に引きずり込まれたのかもしれません。何故って?そんなの、当たり前じゃあないですか。彼女は笑いながらも、夫を亡くした悲しみをずっと抱えていたのです。そして、ある時限界が来てしまった。もしかしたら、自然と飛び降りた場所に行ったのかもしれません。そして、夫が亡くなった海に身を投げることで、その心の穴を埋めようとした。そうは考えられませんか?
 ……ああ、そもそもです。夫が亡くなったのも、夏の話でしたね。もしかすると、「餓鬼」に飲み込まれていたのかもしれませんよ。最初にお話ししたでしょう。お盆の時期には、地獄の蓋が開くのです。あなた方もこれから海を満喫しようとしていますが、気を付けてくださいね。なんせ、今日からお盆です。それと言い忘れていましたが、この海は先程のお話に出てきた船が沈んだ場所だそうですよ。……餓鬼に引きずり込まれないように、気を付けてくださいね。それでは、これにて失礼致します。

護リノ刀

「つくもがみ」という言葉を、ご存知でしょうか。ええ、そうです。長い年月を経ることで、道具に宿る神や霊魂…つまり、魂のことでございます。かつては長年使われた道具達が煤払いのために捨てられ、この道具に宿った魂が立春前の節分の日に妖怪となって人間達に襲いかかる、ということもあったそうです。なんです?ああ、この道具達の魂が「節分の鬼」なのか、ですか。大昔の事ですから、ハッキリとお答えすることは難しいですが……。全く関係がないとも言いきれない、と今はお答え致しましょう。はは、まあ、そう不機嫌にならないでくださいな。ご自分で調べることで、事実が分かることもありますから。それに、苦労して知った分面白さも増しますよ。
さて、前置きはこの程度に致しまして。本日お話し致しますのは、この「つくもがみ」に纏わるお話でございます。

かつてこの国では、「刀」が盛んに造られておりました。皆様もご存知のように、銃が伝えられる以前は、主な武器といえば「刀」でございました。長さも様々で、小さな刀から人が扱えないほど大きな刀まで、時代に合った形のものが打たれました。さて皆様、「刀」と言われれば、その持ち主は誰を思い浮かべますか?……ええ、そうですね。ほとんどの方が「武士」を思い浮かべるでしょう。しかし、実は刀を携えていたのは武士だけではありませんでした。「懐剣」……ああ、「懐刀」の呼び方が一般的でしょうか。その昔、懐に忍ばせることができる、小ぶりな刀を持つ人々が存在しました。それは、武家に生まれた娘達です。自らの身は自ら守る、という彼女たちの覚悟をそのまま表した一振でございました。護身用として、または、武家の誇りを守るために自害するため、彼女たちはこれを懐に忍ばせていたのです。
しかし、時代が進むにつれて、そのような習慣も次第に廃れていきました。理由は明白。刀を持つ時代では無くなったからでございます。そのような目まぐるしい変化が起こる中、懐剣の習慣だけは形を変えて現在まで伝えられました。そう、花嫁衣裳の一つとして、懐剣を携えるという習わしが生まれたのです。嫁いでいく娘が災いなく儀式に臨めるようにという親の願いや、武家の娘達の心構えへの憧れ。そういったものが込められ、式に向けて準備されていたと伝え聞いております。

さて、花嫁衣裳として使う懐剣ですが、その式のために用意することが一般的でございます。そもそも、刀を実用的なものとして携える時代は、近代化が進むにつれて廃れているのです。こういった儀式のために、あるいは後世に伝えるための模造品を作る、といった目的が無ければ刀を打つことはなくなってしまいました。
そんな中、一振の懐剣を代々受け継ぐ一族がいました。その家はかつて下級の武家として辺りを統治し、力を蓄えていました。武家の力が弱くなった時代に入ってからも、農業を生業に生計を立て、一族の血を絶やさないようにしておりました。その血筋の者は皆人当たりが良く、当主が変わっても統治していた土地の者から憎まれるようなことはなかったそうです。
さてこの一族、次期当主のもとへ嫁いでくる娘には、必ず自分達が先祖代々受け継いできた懐剣を持たせるようにしました。時代が変わってもその風習は変わらず、花嫁衣裳として使わせた後には必ず自室に飾るように言いつけました。武家の血筋ではあるものの、非常におおらかな一族でありましたが、この懐剣に関しては特段厳しく言いつけておりました。その言いつけは、次のような事柄です。

「一つ、次期当主となる者に嫁ぐ花嫁は、必ず一族に伝わる懐剣を携えること。」

「一つ、花嫁は式が終われば、必ずこの懐剣を自室の床の間に飾ること。」

「一つ、どのような事があろうとも、必ずこの懐剣を守ること。」

「一つ、懐剣を破棄しないこと。」

この言いつけを守らなければ、一族に災いがもたらされる。そのような一言を最後に付けられ、花嫁達は懐剣を手渡されました。そうして、また新たに当主が変わる頃には、同じように言いつけを守るように語り、懐剣を渡す。これが、この一族で代々伝わる「儀式」でもありました。しかしながら、なぜこのような言いつけが出来たのでしょうか。こういった「決まり」が生まれる時には、必ず理由があるものでございます。

武家の力が弱りだした、明治の初め。世の中の混乱も収まりだした、ある夏の頃でございました。この年に嫁いできた娘は、随分と負けん気の強い娘でした。この頃は例の言いつけはなく、婚礼の儀式を行なう直前。つまり、花嫁が衣装を整え終わる頃に懐剣が渡されました。まだ武家の習慣も残っていましたから、懐剣についての説明は次の通り事前に行われておりました。

「婚礼の儀を行なう日、この日より娘様は我々の一族と相成ります。つきましては、その証であるこの懐剣を花嫁衣裳の一つとしてお持ち頂きたく存じます」

「懐剣…。武家の娘様達がお使いになるという…?」

「ええ、左様でございます。我々の懐剣は、先祖代々受け継いでいるものでございます。世の中は徐々に落ち着いてまいりましたが、何かあれば御自身でその身を守る。武家の血筋に嫁ぐのであれば、その心構えをして頂きます。懐剣は、その象徴とお考え下さい」

花嫁はズッシリと重い衣装に身を包みながら、先日の説明を思い出しました。そして、ちょうど頃合いを見て先代当主の妻…義理の母となる者が懐剣を花嫁の家まで届けに参りました。鞘には傷も見られますが、何代にも渡って受け継がれたとは思えないような美しい刀でございます。
しばらく見蕩れたように懐剣を眺めた後、花嫁は指示された場所へ懐剣を収めました。

「それでは、我が家へ向かいましょうか。貴女を迎えられることを、嬉しく思います」

この頃は、「結婚式」と呼ばれる式は執り行われなかった時代でございます。花嫁は花婿の家に向かい、嫁入り道具を運び込み、お披露目と称した小さな宴を開く。これが結婚のために行われた儀式でした。この一族の習わしでは、花婿の母親が懐剣を受け渡すために花嫁宅に向かい、帰りは先頭に立って花嫁を案内することが決められていたようです。晴れ渡る空のもと、白無垢を纏った花嫁はゆったりと道を進んでいきました。そうして一連の儀式も無事に済み、花嫁の新たな生活がいよいよ始まります。

嫁いでからしばらく経ち、娘もようやく新しい生活に慣れ始めました。先程お話ししたように、この一族は幕府解体後に訪れた【武家が必要のない時代】により、武家としての力は弱まりました。しかし元より親しみやすい家柄であることが功を奏し、統治していた一帯の力を借りながら農業に精を出していました。もちろん、娘も家事だけでなく農作業を手伝いながら平和な毎日を過ごしていました。
ある日のことでございます。娘は買い出しのために町へ赴いていました。この頃は政府から廃刀令が布告され、一部の人間を除いて帯刀することは禁止されていました。このため、武家の娘が懐剣を持つことも許されなくなってしまったのです。ですがこの娘、元々そのような風習が無かった家庭で育ちました。懐剣無しで外出することには特に抵抗がなかったようです。ですから、懐剣は部屋の片隅に置かれるだけの存在となりました。この日も買い物に必要な物だけを持って、あちこち歩き回っておりました。そして、残る買い物もあと一つとなった時分のこと。町の人々が何やらザワザワと落ち着きなく話している姿が目に着きました。何があったのか気になった娘は、聞き耳を立ててみることに致しました。すると、どうやら町の近くで大きな事故があったということが分かりました。

「ほら、最近悪さをしてた、あの家の息子だよ」

「ああ、×××さんとこの……」

「道端に古い木があっただろう?あれが折れて倒れてきたらしい」

「ええ、あの大きな木かい?そりゃあ災難だね」

「当たり所が悪かったみたいだ。この辺りの医者じゃ助からないだろう」

娘は、ふと先日の出来事を思い出しました。娘の家の近くで、何やら畑を荒らされたり暴力を受けたりする事件が度々起こっていたのです。そしてその犯人は、先程事故にあったという男。ただの偶然だろうか、悪さをした罰が当たったのだろうか。そんなことを思いながら話を聞いていると、新たな事実を知ることになります。

「あの人、近々〇〇さんの畑に悪さをしようとしていたらしいよ」

「ええ、本当かい?」

「ああ、あちこちで言いふらしていたよ」

「そりゃあ、いけない。あそこの守神は本物だ。下手に手を出したら、天罰が下る」

「周りもそう言って止めたさ。まあ、若さってやつだろうね」

そう、事故にあった男は娘の家を狙っていたのです。その事を周りに知らせた後、彼は事故にあってしまった。町の人の話しぶりでは、どうやらこういったことは初めてではないようです。娘は、なんとも恐ろしい気持ちになりながら、その場を後にしました。

娘はその後、同じような話はないかと辺りの者や家の者に聞き回るようになりました。そこで分かったのは、この一族には不幸なことを退ける「守神」がいるということでした。詳しい時期は分かりませんが、どうやらあの懐剣が作られてしばらく経ってからそういった話が出てくるようになっていたのです。

「そういえば、この辺りはあまり戦とは縁がなかったねぇ」

「戦の火の粉が飛んでくる前に、敵さんが倒されたり。あとは、決着がついたり」

「これも〇〇さんの家の守神様のおかげだよ」

「守神?ああ、なんでも何百年も受け継がれている刀があるみたいなんです。きっと、その刀に神様が宿ったんですよ」

物に宿った神様。それは、娘も聞いたことがある話でした。長い間使われてきた物には、魂が宿るのだと。それは、付喪神と呼ばれるのだと。なら、己が持つ懐剣はどうだろう。あれは、何百年も当主の妻に使われ続けた物だ。ならば、神が宿っていてもおかしくはない。そこまで考えて、娘は息を吐きました。
どのような話があろうと、刀はあくまでも刀。そう、ただの【物】じゃあないか。神様が宿るというが、実際に目にした訳でもない。偶然がたくさん重なっただけに過ぎない。ゆるゆると頭を振り、深く、深く、息を整えながらそう思い直しました。

ところが、それからまた幾らか時間が過ぎた頃の事です。再び、一族に手を出そうとした者が謎の事故に遭うようになりました。畑荒らしに、家荒らし。はたまた一族の悪い噂を流した者。立て続けに1人、また1人と医者に運ばれては帰らぬ人となりました。
娘は、自室に置いている懐剣が恐ろしい物であるように感じました。夜になれば、心なしか何かの気配がするようにもなっています。一族の者は特に気にしてなどいませんでしたが、娘は日々恐怖心が募っていくばかり。ある夜、夫や他の者の目を盗んで、懐剣を庭の片隅に埋めてしまおうと、娘は1人顔を蒼くしながら作業を進めました。こんな物があるから、変な噂が立つのだと。こんな不気味なもの、早く処分しなくてはいけないと。娘の頭の中はそのようなことで一杯でございました。

懐剣を埋めて、数日後のことでございます。一族に仕える者が、蔵の前で倒れているのが発見されました。その者は、よくこの家に出入りしていた商店との仲介人でございます。左胸を一突き。そして首筋に一筋、刀傷が残されていたそうです。辺りは錆の様な臭いが漂い、地面には鮮やかな紅が水溜まりのように広がっていました。そして、近くには台所にしまっていたはずの包丁が転がっていました。
また別の日には、一族と血縁のある家の当主が。またある日には本家の先代の片腕として仕えた者が。次々と、一族と関係を持つ者が、真っ赤な華を咲かせながら息絶えた姿が発見されました。この話は、たちまち周辺にも広がりました。

「近頃、〇〇さんの所なんだか悪い話が続くわね」

「何か悪いものが憑かれてんじゃあないか?」

「でも、守神様がおわすのよ?」

「もしかしたら、その守り神を誰かが怒らせたのかも知れないぞ」

「嫌ねぇ、早く収まれば良いのだけれど」

この騒ぎの中、娘は顔を真っ青にしながらあの夜に埋めた懐剣を探しておりました。この騒ぎが起きたのは、土に埋めた後からでしたので、流石に娘も「守神」の祟りだと信じざるを得なかったのでしょう。けれども、いくら探しても、あの懐剣が見つからないのです。

「なんで、確かに、ここに……!!!」

誰かが見つけて、持ち去ったのだろうか。しかし、ここは庭の中でも人目につかない場所です。一体誰がこんな所までわざわざ足を運ぶのか。それに、あの夜は誰も彼も寝静まってから行動していたはず。何もかもが、彼女を怯えさせました。早く何とかしなければ、いつか自分も同じ目に遭う。だから、急がなければ。そのように念じながら毎夜探索に出ますが、一向に懐剣は姿を現しません。あれからしばらく人は亡くなっていませんが、嫌な空気は家中に立ち込めたままでした。

ある夜。娘は例のように庭中を探し回り、酷く疲れきっておりました。連日、遅くまで探しているのですから、体力も限界を迎えようとしていたのです。このところ当主である夫は、この騒ぎが関係した挨拶回りで家には戻っていませんでした。1人自室に戻り、早めに休もうと布団に潜り込んだ時でございます。娘は、何か、気配を感じました。それは以前も感じたことがある、鋭い視線のような気配。慌てて身体を起こすと、彼女はひゅ、と息をつまらせました。何故って?そりやぁ、散々探した物が目の前に置かれていれば、誰でも驚くでしょう?そうして、娘は直感的にこう思いました。

ああ、自分の番が来たのだ。

浅く息を吐き、涙や汗が止まらず、また酷く震えて声すら出せません。すると、どうしたことだか、自分の右手が、一人出に持ち上がったのです。ゆったりと目の前に置かれた懐剣に伸ばされ、しっかりと掴みました。庭へ埋めた時以来に持った懐剣はズッシリと重く、瞬時に婚礼の時の事が思い出されました。あの時は、このような事が起こるなど、考えもしなかったでしょう。
ガチガチと刃がぶつかる音が、月明かりに照らされた部屋に響き渡ります。次は左手がゆったりと持ち上がり、鞘の部分に添えられます。左右の手が柄と鞘をそれぞれしっかりと握り込み、ぐぐ、と力が加わりました。キン、と鞘が抜かれ、そのすき間から鈍い鉛が覗きます。少しずつ引き抜かれていけば、やがて鉛は月明かりに照らされて美しい輝きを放ちました。これが、何百年も伝わってきた武家の刀なのか。身体中に支配された恐怖心の隙間で、彼女はそう思いました。きっと、この刀は一度も使われていないのだ。そうでなければ考えられない程、この刃は美しかったのです。
そして完全に鞘から刃が引き抜かれ、左手が鞘を静かに離しました。左右の手は刃が娘に向くように持ち替えられ、刃の先端が彼女の左胸の下にピタリと付けられました。

「ごめ、ごめん、なさい……!!」

荒々しく肩で呼吸を繰り返しながら、彼女は何度も叫びます。しかし、何も声は返ってきませんし、何かが出てくる気配もありませんでした。そして、刃が下ろされることもありません。それからどれだけの時間が経ったでしょうか。彼女にとっては、何時間にも渡るような、それだけの時間が経ちました。
彼女の背後から、何かがいるような気配が。娘はいよいよ息が止まり、ゆっくりと目線を背後へ向けました。しかし、そこに誰かがいる訳ではありません。ただ、耳元で、声が。

【 】



翌日。
朝食を準備する時刻になっても、若妻が現れないことを義母は不思議に思いました。いつもならば朝早くから支度を始めているのに、どうしたのか。家族の朝食を作り、準備を済ませてしまってから、義母は若夫婦の部屋へと向かいました。連日の騒ぎからの気苦労と、しまっていたはずの懐剣がどこにも無いと必死に探していた疲れが出たのだろう。だから、珍しく寝坊してしまったに違いない。嫁いでから毎日、一生懸命に働いてくれているのだから、今日くらいはゆっくり休んでもらおう。だから、様子だけを見てすぐに戻ろうと義母は考えておりました。
部屋の前まで訪れても、部屋からは物音一つ致しません。よほど寝入っているのだろう。そう思って、義母は静かに障子を開けました。

「……あら?」

障子を開けた途端に感じたのは、錆のような、生臭い、臭い。恐る恐る、義母はさらに障子を開けました。部屋の中に日光が差し込むにつれて、次第に臭いの正体が目の当たりとなりました。点々と散るその紅は、義母も見覚えがあります。よく見れば、それは部屋の奥に向かって次第に数が増えているではありませんか。視線をそちらへ沿わせると、あの若妻が持ち込んだ布団にたどり着きました。僅かに膨らみ、中には人がいることが分かります。意を決して、義母は部屋の中に足を踏み入れました。そして、その部屋の有り様に、思わず短い悲鳴が喉から飛び出ました。天井まで紅い斑点は飛び散り、布団の周囲は茶色が混ざったような紅いシミが大きく拡がっていたのです。そして、そのシミの出処は。そう考え、一歩、また一歩と彼女の布団に近づきます。頭まですっぽり被せられた布団に、義母は手をかけました。嘘であって欲しい、きっと、自分の予想は外れる、外れていて欲しい。そんな期待を込めて、手にした布団を引き剥がしました。
まず目に入ったのは、真っ赤な斑点が飛び散った顔。目は閉ざされ、口元も縫い付けられたようにピッタリと上下の唇が合わさっていました。そして、真っ赤に染められた首筋。そこにはぱっくりと開いた、一筋の刀傷が残されています。そして、左胸。首と同じように紅いシミが広がり、その中心には刀で刺したような傷が破れた着物の隙間から覗いています。そして、先日まで無くなったと聞いていた、あの懐剣。今は彼女が、腹の上に置いた両手で、しっかりと握りしめている。それはまるで、故人を送る時のような、そんな姿であった。しばらくの後に義母の様子を見に来た家族は、口を揃えてそう話しておりました。

この一族に受け継がれてきた懐剣には、恐らく付喪神が本当に宿っていたのでしょう。元々は「守るため」に打たれた刀。一族の周りで起こった事故は、その役割を全うしていただけにすぎません。それを恐ろしがり、娘は懐剣を……神を打ち捨ててしまったのです。神の怒りほど、恐ろしいものはありません。家の外に向けられていた刃が、一転して家の内に向けられてしまったのですから。一族に関係する死者も、きっとこの刀を良くは思っていなかったのでしょうね。
さて、これ以降はすっかり事件も無くなり、一族は平穏を取り戻しました。この一件で懐剣はどんな理由があっても手放してはいけない、と一族は認識致しました。そのため、懐剣は一度お清めを済ませた後に、これまで通り当主の妻が受け継ぐように取り決められました。そして、初めにお話し致しました、あの言いつけが生まれたのです。これさえ守れば、懐剣に宿った付喪神が、守神として一族を守ってくれる。しかし、破れば恐ろしい天罰が下る。そのように、語り継がれました。今でもきっと、このしきたりは守られているのでしょう。これ以来、そのような事件は耳にしませんから。……刀に限らず、物には魂が宿ると言います。皆様も、どうか物の取り扱いにはご注意を。
さあ、丁度よいお時間となりました。ここまで私めの話を聴いていただき、誠にありがとうございます。……おや、私としたことが。申し訳ない、一つお話ししていなかったことを思い出しました。
懐剣は元々、「守るための刀」。それは命や武家の誇りなど、様々なことを守る刀でございます。つまり、「実践」を想定して作られている訳です。刀について、このような話がございます。戦いなどを想定して打たれた刀は、血を求めるのだ、と。この懐剣は、いざと言う時の「実践」を想定して作られ、この娘の一件で初めて血をその刃に浴びました。そして、時代は刀を不要とする時代に入っております。このまま、血の味を覚えた刀を飾っていれば、どうなるのでしょうか。皆様、よくよくお考えください。
それでは、本日はここまで。

言ノ葉ノ神サマ


《八百万の神》なんて言いますが、この国にはありとあらゆる場所に神様が祀られています。それは目に見えない存在であったり、自然であったり、形は様々なんですがね。ただ、海の向こうの御国とは少々異なる神の在り方がありましてね。それは、「人が、人から神をつくる」ということ。神の生まれ変わりでも、その身に神を降ろしたのでもない。元々人間であった誰かを神として祀る、なんてことが遥か昔には行われていたのだとか。
そういえば、この辺りにはある神様についての言い伝えが残っているそうです。もっとも、本当かどうかは分かりませんがね。なんせ、書物にも残っていない、人々の間でもひっそりと伝えられてきたお話です。それも、まだ神と人との繋がりが密接だった、1000年以上前のお話。

はじまりは、ある村で産まれた1人の子どもでした。真っ白い髪に、紅い目。他とはまったく異なる容姿をしたその子は、「鬼子」と呼ばれ、両親からも村人からも疎ましく思われていました。
ですが、言葉が話せるようになってから、転機が訪れたのです。日照りが続いて生活に困窮した折に、かの鬼子がふと呟きました。

「あ、め」

幼子が話す、特に意味の無い言葉だろうと、誰もが思っておりました。ですが、あくる日のこと。何か、パチパチと弾けるような、そんな音を聞いて村人達は一斉に家の外を確認しました。そう、彼らが待ち望んでいた雨が降っていたのです。1度や2度ではありません。村人達が何かに困っていると、鬼子はポツリと呟き、翌日には問題が解消する。そんな奇跡のような出来事が、何度も、何度も繰り返されてきたのです。
いつしか、「鬼子は神様なんじゃないか」という考えが、村中で囁かれるようになりました。今にして思えば、真っ白い髪なんて神様にふさわしい神聖な色じゃないか、だとか。周りと容姿が違うのは、神様だからだ、だとか。そんな話をするうちに、村人達は、ある事に気が付きました。神様であるかもしれない幼子に、自分達は何をしたのかと。鬼子と忌み嫌い、浴びせた言葉の大半は蔑みを含んだものばかり。今はまだ幼い子どもの姿だから何もしてこないが、大人になってからこれまでのことを覚えていたとしたら……?
なんて罰当たりなことをしてしまったのか。血相を変えた村人達は、慌てて鬼子……いえ、小さな神様を祀ることにしました。
まずは、住む場所。神様を自分達と同じ場所き住まわせるなんてことは失礼だ、と思い立ちって村の近くにある神聖な山の中に神様の住まいを作りました。
次に衣服。自分達と同じものは着せられない、と上等な素材を使って、できる限りの装飾を施した衣服を贈りました。
そして、食べ物。できる限り上等なものを。神様が食べるのだから、清らかなものを。可能な限り、神聖なものを。
そうして、かつて鬼子として忌み嫌われた赤子は、5歳になる頃には神様として崇め祀られるようになったのです。もちろん、神様の力は衰えることを知りませんでした。むしろ、その力は成長するにつれて強大になりました。
一言、たった一言告げるだけで、その言葉は現実のものになる。例えば、ある者が豊作を願えば豊作に。ある者が子宝を望めば子に恵まれる。どれもこれも、願いを聞き入れた神様が、一言言葉を発するだけ。そんな事が繰り返し起これば、村人達はみなこの神様を信仰します。そうすれば、神様の力は強くなる。何故って?そりゃあ、神様の力は信仰する者の数に比例するものですから。信じる者が増えるほど、神様の力も大きくなるものです。天地創造、森羅万象の理をねじ曲げるくらい、造作もない程に。

「なんで、神様はあんな広いお家でひとりぼっちなの?」

ある時、村の子どもがこのように問いました。この頃、神様は20歳を迎えており、両親は既に亡くなっていたのです。つまり、神様のために造られた大きな家に、神様は1人で暮らしていました。初めの頃は、神様の身の回りをお世話するために働く者もおりました。12歳となって成人を迎えた際には、村人達は神様の婿を用意しました。
ですが、強大な力を持った神様と暮らすことは、普通の人間にとって難しいことなのです。神様は、言葉を告げるだけで不可能を可能にできます。それは、日常生活でも同じでした。神様が何か話せば、意図せずその力が共に暮らす者達に影響が及んでいたのです。その力を恐れ、次第に働いていた者は村に帰り、婿は何も話さぬ神様と過ごすうちに精神が壊れてしまいました。こうして、神様は1人で暮らすようになりました。何年も、何年も。神様はこの頃から村人がお供えに来る時ですら姿を現さず、家の奥でひっそりと暮らしたのです。
それからまた年月が流れ、大きな事件が起こりました。日照りが何日も続き、作物も水も枯れ果ててしまったのです。もちろん、村人は神様に祈りを捧げました。ですが、何日経っても日照りは解消されない。そんな状況を打開しようと、村1番の狩人が動きました。これまでの貢ぎ物よりも、さらに善いものを。そして、いつもの如く天災を鎮めてもらう。ただその一心で、彼は普段足を踏み入れてはならない山道を進んでいきました。村人達が、神様を信仰するよりもずっと前から、その場所はありました。その土地に踏み入れてはならない。そこには太古からの神々がいる。踏み入れたら最後、神々に祟られる。先祖代々、そう言い伝えられた場所でした。ですが、彼にはここしかなかった。いつもの狩場は、もう動物も植物も全て捧げたのです。良質な貢ぎ物があるとすれば、もうこの場所しかない。村のため、狩人は必死だったのです。満足な食事もできず、狩人の体力は限界だったはずです。意識が朦朧とする中、必死に山道をかき分け、とうとう彼は見つけました。普段見るものよりも、ずっと大きく、真っ白い鹿。じっとこちらを見つめる姿は、正に神そのものでした。気付けば、狩人は手に持っていた弓を引いておりました。ヒュン、と風を斬る音。続いて、ドサリと重たいものが落ちる音。真っ白だったはずの身体には、ジワジワと紅が広がっていきました。
こうして狩人は上等な献上品を携えて、神様の元へ急ぎました。すぐに神様が食べられるように、肉は切り分けてしっかりと火を通しました。一刻でも早く、雨を降らせてほしい。そのために必要な用意は、どんなに面倒でも全て行いました。そうしてやっと準備出来た狩人は、神様の家にたどり着きます。神様がいる部屋の前まで進み、祭壇に肉を捧げて、語りかけます。

「神様、もう何日も雨が降らず、村は壊滅寸前です。毎日誰かが死んでいきます。これは、神域で採ってきた白い鹿の肉です。今まで捧げたものよりも、ずっと上等なものです。お願いします、これで私たちを、村をお助け下さい」

神様からの返答は、もちろんありません。しばらくの静寂の後、狩人はその場を去ろうと立ち上がりました。

【雨募り、雨続け】

鈴の転がるような、美しい声。部屋の奥から、小さく、されどはっきりと聞こえてきました。狩人は言葉の意味をあまり理解できませんでしたが、「雨」にまつわることを神様が告げたことは分かりました。しばらく何が起きたのか分からず、呆然としていましたが、次第に嬉しさが湧き上がって慌てて彼は村へと戻りました。途中すれ違った者には「神様が、雨を降らしてくださるぞ!」と告げながら。
狩人の言う通り、翌日から村には雨が降り続きました。久しぶりの雨に村中で歓喜の声が湧き上がりました。これで作物も育つ。また元の暮らしに戻る、そう信じて疑わなかったのです。
ところが、1度降り始めた雨は、止む気配がありません。かれこれ、ひと月。今度は水が引かず、作物がすべてダメになってしまうと村人達は頭を抱えました。しかも、日に日に雨の勢いは強くなります。村の近くを流れる川の勢いも増し、山から様々なものを流していました。

「神様に雨乞いをしたが、ここまでとは言っていない」

「もう一度お願いするしかあるまい」

「もう供えるものはないぞ」

「今朝、都から戻った者が水菓子をいくらか持ち帰っていただろう。あれを捧げよう」

狩人は、託された水菓子を手にして、再び神様の部屋の前まで歩み寄りました。雨を降らしたことへの感謝とともに、雨は十分だから晴らして欲しい旨を告げました。雨音が響く中、また神様は黙っております。そして、雨音に混ざって、何かの音が小さく聞こえてきました。

クスクス…….

よく聞けば、それは笑い声です。狩人は驚きました。神様は、これまで1度も感情を顕にすることなどなかったのです。笑うことはもちろん、泣くことも、声を荒らげることもありません。そんな神様が、今、扉を隔てた向こうで笑っている。狩人は、ジワジワと背筋に寒気が広がっていくのを感じました。

【雨あられ、雨傷み、山崩れる】

以前聞いたものとは、似ても似つかぬ声。地を這うような、あらゆるものを呪うような、禍々しい声でした。狩人がいつの間にか止めていた呼吸を、ようやく再開させた時です。バラバラバラッ、と屋根を何かが激しく打ち付ける音が響き渡りました。慌てて外の様子を見に行けば、あまりの光景に狩人は絶句しました。先程よりも雨足が激しくなっただけではなく、大きな霰までが降り注いでいたのです。そして、止まっていた思考の中で、狩人は唯一理解してしまった言葉を思い出しました。

「山、崩れる……まさか、今から……?」

たらりと冷や汗が額を流れたその瞬間、彼の鼻が、より強くなった土の匂いを捉えました。続いて、地響きのような鈍い音。次第に音は大きくなり、狩人の足元を大きく揺らしました。

「……っ、ああ、大変だ、神様が、怒っちまった……!!村が、村が……!!」

立つこともままならない大きな揺れの中、狩人は急いで山を下りました。もはや転がり落ちる、と言った方が良かったのかもしれません。あちこちに傷をこしらえながら、彼は必死に元来た道を戻ります。その最中に、ふと見えた村の景色。それを見て、彼は息を飲みました。つい数刻前まで、あの日照りから生き残った村人達と話していたその家屋が、無惨に崩れ落ちていたのです。よく見れば、周りの家もすべて崩れ、土や木の中から必死に誰かを助けようと動く人の姿も見られました。そこで狩人は、神様が告げた【あめいたみ】の意味を理解しました。神様は、自分の意思で村人達の家を崩したのです。

「あ、ああ……、神様、なんで」

狩人は膝から崩れ落ち、木々の隙間から見える、崩壊した村から目が離せないまま静かに涙を流しました。揺れは大きくなるばかり。遠くから聞こえていた、バキバキと木が折れる音は、いつの間にかすぐ側で鳴り響いていました。

「なんで、こんな事を……!!」

そう叫んだ瞬間、山は崩れ落ちました。神様の家ごと、土は雪崩のように勢いよく滑り落ちていきます。無論、狩人はそのまま土に埋もれ、流されていきました。

考えてもみてください。神様は、物心着いた頃から「神様」と崇められ、両親以外とは関わらずに過ごしてきたのです。自分に付けられたはずの名前さえ、誰からも呼ばれぬまま、彼女は「神様」となってしまいました。そもそも、両親は何処に行ったのか。老衰したのだろう?いえ、実は神様が何気なく発した言葉が原因で亡くなっていたのです。例えば、「どこかに消えて!」とかね。子供ならよく、ついつい口に出してしまう、そんな言葉です。それは従者も同じで、幼い頃に出入りしていた者は次々と消えました。そんな経験をした神様は、村人から捧げられた夫は消してしまわないようにと、一切の言葉を話さぬようにしました。ですが、そんな生活を続けた結果、夫の精神が壊れてしまいました。
こうして、神様はひとりぼっちになったのです。1人、山の中、言葉を発することなく、ただ毎日を生きました。幼い頃は捧げられた食べ物を食べなければ毎日を過ごせなかったのに、今では何も食べなくても大丈夫な身体になっていました。当時の寿命を遥かに越えてもなお生き続けた。そして、たまに訪れる村人達の願いを叶える日々。その中には、誰かを呪ってほしいという内容もありました。他人の願いばかりを聞き入れていくうちに、次第に神様の心には黒い靄が溜まるようになりました。
そして、ある時思い立ったのです。自分達の利益ばかりを求め、互いを呪いあう彼らを、助ける必要はあるのか?もう、自分の気持ちを優先してもいいのではないか?

【日照り、続け】

自然と、口に出た言葉。赤子の頃に「あめ」と言った、あの時以来の、自然な言葉でした。告げた瞬間に感じた、胸がすく気分。神様は初めて嬉しくなりました。
村人がどれだけ雨乞いをしようと、神様は耳を傾けませんでした。村人が帰れば、再び日照りが続くように願う。自分勝手な村人達が困ることは、これしか知らなかったのです。
ところが、ある日神域の動物を献上品として持参した男が現れた。神域の動物や植物は、神様と同じように大事にしていたはず。しかし、自分のためなら、神と同じように崇めていた生き物まで手にかける。それが、この者達の本性か。そう考えた神様は、村人が困ることをもう1つ思い出しました。そして同時に、この者達を生かしてはならないと、そう強く思ったのです。
男の願い通り、雨をふらせた。しかし、それは雨足が強くなるように念を込めたのです。できるだけ長く、再び村人が自分を頼るまで。毎日、雨が降るように言葉を紡ぎました。そうして、ひと月程経って、ようやく男がやって来ました。思った通り、雨を止ませてほしいと願うために。
神様は、ようやく終わらせることができると、嬉しくなりました。自分達のために、手段を選ばずに行動する彼らとの決別。かつて、鬼子と忌み嫌ったにも関わらず、都合が良いと気付いた途端に手のひらを返した彼らとの決別。自然と、笑いが込み上げたのです。そして、息を整えて、告げました。より強く、自分の念を込める。そう考えながら告げた結果、その言葉は、これまでとは比べ物がならない程強大な力を持った呪詛となりました。そうして、神様は笑いながら土に紛れたのです。

崩れ落ちた山は、私たちの正面に見えているあの場所にありました。神様はその後どうなったのか、誰も分かりません。何故って?そりゃあ、村は壊滅しましたからね。家が崩れ、土砂崩れが起き、長雨の影響で川まで氾濫したのです。1夜のうちに、その村は消えました。誰も、この辺りにあった村で起きたことの詳細は知らないのですよ。
先程話したことは、あくまでも噂話。……ですが、私は思うのです。人間ほど、恐ろしい存在はいない、と。
さて、貴方はどのように考えますか?

夜啼キ梟

 《座敷童》を皆様ご存知でしょうか。ええ、そうです。見たものには幸せが訪れるという、童の姿をした妖怪でございます。棲みついた家のものに悪戯をすることもあるそうですが、まあそれはご愛敬。誰だって、たまには自分の存在を認めてほしくなるものです。…今日は座敷童の話か、ですか。いいえ、座敷童についてはお話致しません。本日お話しする内容は、座敷童とよく似た、それでいて非なる存在が関わる不思議な事件でございます。


 かつて日本では、《遊女》と呼ばれる職業の女性がいました。皆様も、ご存知の方が多いかと思います。遊女の多くは身売りによって遊郭に引き渡され、多くの人々を魅了させるために人生を捧げていった者がほとんどであったそうです。
ある小さな遊女屋も、このような人生をたどった遊女が数多く住んでおりました。この遊女屋には、少し変わった「禿」と呼ばれる、「遊女になるための修行中の子供」がいました。その禿は八歳にしては背丈が高く、ほかの禿達よりも頭一つ分飛び出ておりました。また気性は男勝りで、遊女としての作法は一切身につけようとも致しません。ついに客や商売仲間からも、その禿について嫌味を言われるまでになっていたのです。
ある日、その禿は客の男と口論をいたしました。しばらく口論していたかと思うと、とうとう客は怒ってそのまま店を後にしてしまい、この禿は付いていた遊女にも店にも大きな迷惑をかけてしまったのです。当然禿に対しては厳重な注意と共に仕置きをしなければなりませんでした。
女将からしてみれば、これほど都合のいいことはありません。何故って?日頃自身の言うことを聞かない、生意気な娘に誰からも咎められることなく仕置きができると考えたからです。「仕置き」では少々優しい言い方になってしまいますね。…ああ、そうです。「嫌がらせ」をしたかったのです。その禿が女将の店に売られてきてからというものの、先ほどお話ししたようにこの禿は人の話は聞かずに生意気な文句ばかり投げかけていたのです。初めのうちは耐えることができたとしても、次第に怒りや心労が募り、いつしか禿に対して「報復」したいと女将は思うようになっていました。周囲の遊女や商売仲間も禿と女将の様子を毎日のように見ていましたから、「仕置き」と称して「嫌がらせ」をすることに対して特に止めようともしません。むしろ、一度痛い目にあえばいいとさえ思う者が多かったのです。

「いいかい。あんたは自分の姐さんの客を帰してしまったんだ」

 「仕置き」を行う日。女将は店の一番奥、日の当たらない薄暗い部屋に禿を引き連れて話し出しました。

「それがどういうことか、あんた分かるかい?」

「知ったこっちゃないね。大体、あの客が悪いんだ。細かいことでいちいち指図しやがって…」

「はぁ、あんたは本当に自分本位にしか考えられないんだねぇ。いいかい、あんたは姐さんの抱えてる借金の返済を邪魔したんだよ。あのお客さんは羽振りがいいことで有名なんだ。あんたが怒らせて帰らせたことで、姐さんが自由になる道を遠ざけたんだよ」

「…それは」

 珍しく禿は弱弱しく呟き、表情からはひどく狼狽えた様子が窺えました。これだけでも、女将は内心日ごろの仕返しができたと嬉々としていました。もちろん、顔には一切出さずに。ですが、これだけでは腹の虫は落ち着きません。この日のためにうんうんと考えた「嫌がらせ」を、とうとう話したのです。

「あんたには、仕置きとしてこれから私が許可を出すまで、この部屋を出ることを禁ずるよ。安心しな、食事は持ってこさせる。しっかり反省するんだよ」

 グッと悔しそうに歪められた顔。女将はにやりと不敵に笑ってみせ、そのまま何も言えないままの禿のもとを去りました。その足で別の禿のもとへ行き、食事の配膳について指示を行い、自室へ戻る頃には足取りも非常に軽くなっておりました。
 それから数日。密かに例の禿の様子を覗いては日に日にやつれていく姿に気分を良くしました。商売もようやく依然と同じく順調に進んだこともあり、これ以上ないほど彼女は幸せを噛み締める日々。それはそれは楽しい一時でございました。
 けれど、そんな幸せな時間はある日を境に徐々に崩れたのです。そう、ジワリ、ジワリ、と。


「お、女将さん…!」

 朝早くに、例の禿の給仕を頼んでいた娘に呼び止められました。その顔はひどく血の気が引いていて、額には脂汗が浮かんでおります。随分と走ったようで、肩で大きく呼吸を行い、パクパクと口を動かしました。

「どうしたんだい、そんなに慌てて」

「大変、なんです…!あ、あの子が…!」

 その尋常でない怯え方と、例の禿が関わっていると知り女将も慌てて彼女を閉じ込めている部屋へと向かいました。スパン、と勢いよく襖を開ければ、思いもよらぬ光景が広がっていました。
 ある冬の早朝。その部屋は日当たりが元々悪く、ずいぶんと薄暗い状態です。そして、部屋の片隅には、例の禿がぐったりと横たわっています。どこからか香る、鉄の臭いに思わず顔を顰めました。恐る恐る近寄って見てみれば、青白く痩せこけた頬に赤黒い液体が散らされています。開かれた眼は虚ろで、深い暗闇しか映しておりません。ふと部屋を見渡してみれば、夕食の時に渡したであろう薄い皿が割られているのが目に入りました。畳や天井には、やはり赤黒い模様が至る所に付き、彼女の喉元のあたりにもそれが水溜りのごとく広がっていることをようやく確認いたしました。

「こ、れは…」

「き、昨日、夕食の食器を取りにこちらへ赴いたのですが、食欲がないから明日の朝食代わりに残すと言われまして…!体調や、食器の確認をしに今朝方参りましたところ、既に…!」

 泣きながら話す禿に、女将は呆然とすることしかできませんでした。しかし、このことを外に漏らしてはまずい、と密かにこの禿を店からほど近い小さな山へ運ぶことを計画いたしました。口の堅い商売仲間を数名集め、女将は禿の亡骸を店から運び出しました。ずっと部屋に置いておけばもちろん腐敗し、お客様にバレてしまいますからね。もちろん、この事は店の者以外には話さないように指示いたしました。例の部屋には近づかないようにもしましたし、それからしばらく何事もなかったかのように商売を続けることができました。
 例の禿が姿を消してから、一月ほど経った頃。彼女の亡骸を運んだ者が数名、謎の病魔によって息を引き取りました。最初は一人。ですが、日を追うごとに、次々と、彼らは急に命を落とし、ついには女将に関わっていた商売仲間の男たちは皆、帰らぬ者となってしまったのです。異変は、それだけでは終わりませんでした。配膳係を命じていた禿が、稽古の途中で突然倒れたのです。そのまま看病をするも、次の日には眠るように息を引き取りました。そして、次は店で働く遊女達。稽古・接待の途中で急に泡を吹いて倒れた者。突然苦しみだし、首から血が出るほど掻き毟った末に意識を無くす者。次々と遊女や禿が謎の死を遂げるようになったのです。この噂は町中に広がり、女将は仕方なく店を畳むこととなりました。わずかに残った遊女・禿と共に、できる限り遠くの町へ逃げるように出ていくはずでした。
 道中でも遊女たちはやはり不審な死を迎えていきました。ある者は一晩寝た間にそのまま。ある者は山道が突然崩れて転落。そしてある者は、何かに食われて…。そしてとうとう、女将はたった一人になってしまったのです。逃げる道中に次々と娘たちが亡くなったこと、そして食事などする余裕もなく日々を過ごしてしまったせいで、美しい身体は随分と痩せこけてしまいました。
 
 ある夜、突然の雨と強い風に襲われ、女将は必死に建物がないかと探しました。運が良いことに、だれも使っていない小さなボロ小屋を見つけ、女将は一晩そこで過ごすことに致しました。風が吹くたびにガタガタと壁が揺らされ、雨音もバチバチと鳴り響きました。座り込んでぼんやりとしているうちに、ふと遠くから、梟の鳴き声が聞こえてきたのです。そういえば、と女将はこれまで身近な者が亡くなった時のことを思い出しました。

「あの時も、梟が鳴いていた」

 ぽつりと呟くと、途端に女将はこれまでの不審な死について、何やら思い至りました。稽古中に倒れた禿の時も、商売中に倒れた遊女も、道中で命を落とした娘たちも、彼女たちが死ぬときは、必ず夜中に梟が鳴いていた。当時店は街中にあったため、あまり近くまで梟が来たことがなかったにもかかわらず。そういえば、商売仲間たちが死んだときも、遺族からは「珍しく梟が鳴いてたんですよ」なんて話されていたではないか。

「まさか…そんな、馬鹿な話…!」

そう叫んだところで、さらに女将は何かに気づきました。先程よりも、梟の鳴き声が、大きくなっているのです。雨風の音が鳴り響く中、その合間を縫って、規則正しく聞こえて…。そして、心なしか、徐々に近づいているようでした。

「い、嫌だ、来るな、なんでこんな…!」

ホー、ホー、という声は、やはり近づいてきます。次第にその鳴き声は大きくなる間隔が早まり、雨風よりも間近に感じるほどです。女将は恐怖のあまり、歯をガチガチと鳴らして、必死に耳をふさぎました。恐怖の根源である、鳴き声が聞こえないようにと。しかし、その塞いだ手すらすり抜けて、全身を振動させるように声は響き渡ります。ギュッと体を小さく畳み、同じように力いっぱい目を閉じました。
すると、先程まで五月蠅いくらいに響いていた梟の鳴き声が、ピタリとやんだのです。雨風も気づけばすっかり収まったようで、ボロ小屋の中は夜の静寂に包まれていました。恐る恐る女将は目を開け、何もいないことを確認するとゆっくりと身体から力を抜きます。ホッとため息をつき、もう眠り込んでしまおうと、そのままゴロリと床に寝転びました。

「……っ」


 翌朝、とある猟師が大慌てで町の奉行所へ駈け込んできました。血相を変えながら猟師は、山小屋で女が死んでいる、と必死に訴えています。この猟師に案内された奉行所の者は、その悲惨な光景に思わず息をのんだと言います。
 山小屋にいたのは、妙齢の女。着ている着物は随分と質が良さそうではあるものの、長旅でもしていたのか、随分とボロボロになっている。しかも着物から伸びた手足は異様に細く、骨と皮しかないような状態であった。何より目についたのは、細い首にこびりついた赤茶色だ。部屋には鉄の臭いが充満していて、どうやら首から血が噴き出したらしい。天井や壁、床だけではなく全身にベットリと血がこびり付いていた。首筋は鋭利な何かで見事に裂かれ、パックリと穴が開いている。そして、女の顔はひどく恐怖に怯えているようで、目が飛び出そうなほど大きく開かれ、苦しそうに口元は歪んでいた。そこで、遺体の上に何かが落ちていることに気が付いた。ひょいと拾い上げれば、それは何かの羽のようだ。

「ああ、そいつは梟の羽だ」

 不思議そうに首を傾げた役人に、猟師は得意げに説明した。最近この辺りでは見なくなったのに、とも。
 その後女について調べてみると、先日隣町で店を畳んだ遊女屋の女将であることが分かった。町の者に話を聞いてみれば、ここ最近店の者やかかわりを持った業者が次々と死んでいったらしい。それで店を畳んだ女将は、生き残った遊女たちと遠い町を目指すのだと言って町を去ったようだ。さらに梟について聞いてみると、興味深い証言が取れた。

「ええ、確かによく鳴いていた時期がありましたよ。ちょうど、あの遊女屋の方が亡くなりだしたころかしらねぇ…。あと、これは人から聞いた話なんですけどね。梟が鳴きだしたのは、あの遊女屋にいた禿が死んだからじゃないかって。」

「禿が?」

「その人によりますとね、あの遊女屋さんでお稽古していた禿さんがぱったり姿を見せなくなったんですって。それとなく遊女の方に聞いても知らぬ存ぜぬで…。それで、梟が鳴きだした途端に、お店の方が亡くなったでしょう?そしたらその人、あの禿が死んで、怨霊になったんだって仰って。子供の怨霊は、普段梟の姿になるとかなんとか。とにかく、あのお店の方々が亡くなったのは、その禿の祟りじゃあないか、ってことらしいですよ」

 この「梟に化けた子供の怨霊」。これこそが、座敷童と似て非なる存在。名は「タタリモッケ」と言います。タタリモッケは、生まれてすぐに間引かれたり親に殺されたりした子供の霊なのです。今回のように、少々成長を遂げた者もこうやって怨霊化した例もあるようです。
 タタリモッケは、一族を滅亡させるほどの災いを呼びます。この遊女屋の話では、殺された禿に関わった人間が「一族」として扱われたのです。そして、普段は梟の姿で人間たちの動向を探り、夜な夜な呪い殺したのでしょうねぇ。皆さんも、他人に恨まれるようなことをしてはいけませんよ。こんな風に、返り討ちに会うことだってあるのですから。
 おや、女将がどうやって殺されたか、ですか。ふむ、ここで話してしまっても良いのですが、いささか刺激が強いもので。皆さんにお話ししてしまうと、気絶してしまう方もいらっしゃるでしょうから。後で気になる方はこの場に残ってくださいな。できるだけ、密やかに、お話致しますね。
 それでは、ご清聴ありがとうございました。

語レヤ語レ —語り部の語る怪奇譚—

語レヤ語レ —語り部の語る怪奇譚—

ある日フラリと現れた男。袴姿に、顔は黒子がかぶるような布で覆い隠されている。 そんな彼は自身を「語り部」と称し、不可思議な話を語りだす。 その話は、嘘か真か…。真実を知る者は彼以外誰もいない。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2019-01-29

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著作権法内での利用のみを許可します。

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