甜圈づくり

『四月一日。新しい年度の始まり。都内は新宿区のはずれに位置する大学キャンパス。敷地を囲むように生える桜は、薄紅色の生え際にところどころ新緑をにじませる。未だその腰を低く構える太陽は、』
 ……やっぱり生え際はセンスないかな。
 「保存しますか」という画面の問いかけに「いいえ」を選択し、メモ帳機能を終了させる。黒く薄い携帯電話をパキリと折って、表面の小さな液晶を確認すれば時刻は午前八時二十六分。次の瞬間点滅する日付は四月一日。
「次は龍前、龍前。地下鉄東西線と西武線はお乗り換えです。ネクスト・ストップ・イズ……」
山手線の駅間は短い。運よく座ることの出来た座席を後に、人をかき分けホームへ降りる。ここ龍前駅は車内放送の通り、地下鉄、私鉄、そして俺が今乗ってきた山手線の乗換駅であり、また我が竜揚大学の第二の最寄り駅である。入学式、いや入試の時から思っているが、なんて小学生男子が喜びそうな名前なのだろう。
 竜揚方面の大きな改札を抜ければ、駅前ロータリーが右手に現れる。その一番手前に待ち構え、そして混雑を引き起こしているのが都バスの乗車場だ。スーツを来たぴかぴかの一年生が、群がっている。黄ばんだ「学02竜大前」というなんとも分かりやすい行先表示を掲げる都バスは、受験生や見学者、そして今日のような一年生に大人気なのだ。大学行きということで百七十円の特別料金、ちょっとお得かも。と思いがちだが、そんなことはない。すぐに気づく、バスは金持ちの乗り物だと。
 いいか、龍前から大学までの移動手段で一番高いのがこのバス、百七十円。次は地下鉄、竜揚駅までの一駅間百六十円。そして最後、一番安いのが徒歩二十分、俺が今から歩む道だ。通称龍前歩き。もちろん無料。
 たかが百七十円、六十円。されど大学三年生、この草野誠治には貴重な金だ。ロータリー中央に浮ぶ喫煙所の島を横断歩道で抜け、黄色がまぶしいディスカウントショップと学生ローンの看板をやりすごす。龍前駅から竜揚大学までは、この大通りを一直線だ。カフェや飲食チェーン店の嵐、中間地点となる大きな交差点、ラーメン屋とコンビニとまたラーメン屋とコンビニ。たまにカレー屋と古本屋。そしてはためく祝入学、祝入学、祝卒業、祝入学。どこだ貼り替え忘れているのは。
 二年強この道を歩いていて、夏は汗だくになって最悪だと思うけど、でもラーメン屋だらけでミニシアターもあったりする、この通りが俺は結構好きだよ。ちゃんと記憶に留めておこうと思う。例えば雨の日、アスファルトに落ちて溶けているトイレットペーパーのひとロールとか、今日みたいに春の肌寒さと明るい日差しが一緒になって鼻をくすぐるような空気とか。
 遠くに見えてきた大学新棟の頭を左に見て、一年中イルミネーションをほどこしている銭湯を曲がれば、もう八幡宮の下り坂。素行の悪い学生を監視するかのように構えるこの八幡宮とその隣の交番、この目の前が我らが竜揚大学、文学キャンパスだ。男子小学生が喜びそうな名前の、全学五万人のマンモス私立大学。
地下鉄竜揚駅をはさんで南北に、本部キャンパスと文学キャンパスとが分かれている。さらに西には理科、さらにさらに西へ、県も違ってしまうところにはスポーツキャンパスがあるが、俺に関わりがあるのは最初の二つだけだ。
 入学式は会堂を持つ文学キャンパスで行われる。だから正門前で降りちゃだめだよ皆、と思いつつ竜揚町バス停を見れば、黒や灰色の新入生たちはきちんとバスから降りていた。バスも俺と同じ大通りをたどる。街の乱雑さにびっくりしたのだろうか、満員の車内におびえたのだろうか、笑いかけなのに口角が下がっている、苦笑いの表情がたくさんだ。
 竜揚大学の入学式は、人数が多すぎて学部ごとに日にちと時間分けて行われる。会場となる会堂前には次の学部の生徒や保護者が待機していたり、早く友達を作ろうと携帯を片手に群れるグループとが散らばることになる。もっとも本日、初日の第一弾。今待っているのは看板の政治学部や法学部などと決まっているのだが。俺はそんなフレッシュな空間を無表情で通り抜け、喫煙所を通り、生協裏手の外階段を上って文学部三十二号館へと入り込む。もちろん今日は授業はなく、従って廊下は静まり返っている。しかしあと二時間ほど経てば、第二段の入学式を終えた文学部の新一年生たちが大挙して押し寄せ、学生証をもらっていくだろう。この三十二号館は、文学部系のメイン校舎だから。俺もかつて、この学生証交付の儀式に参加したなあ。だからちゃっちゃと終わらせないと。彼らが来る前に貼り終わらなければ、授業もないのに早く来た意味がない。
駅から歩く間、左手と右手とをいったりきたりさせてきたコピー用紙の束をドサリと床に置く。この重さが、最後の八幡宮の坂あたりから俺を無表情にしていた。階段を上り切ってすぐ見える掲示板前に陣取り、足元の紙束から一枚抜き出す。既にたくさんのサークルが新入生募集のビラを貼り、掲示板の緑の部分はぽつりぽつりと島のように残っているだけだ。しかしそんなことに怖気づく俺ではない。マンドリンだか琵琶だかのイラストやピラミッドの写真の上に、今しがた取り出した自分のポスターを重ね、右肩のトートバッグからホチキスを取り出し、百八十度開脚! 俺の脚じゃない。ホチキスだ。そして左右上下四か所をガシンガシンと穿つ。これぞ必殺、ホチキス直留め。バイト先の塾の事務さんから賜った秘伝の技だ。こうすれば、画鋲と違ってすぐには外れない。四月の熾烈な掲示争い、これで勝ったも同然だ。参ったか、昨日か一昨日か、人海戦術でめちゃくちゃにビラを貼り、今ごろ本部キャンパスで必死に同じものを配っているサークルリア充どもめ!
俺が宣伝したいのはサークルではない。サークルに汗を流し、バイト仲間ともバーベキュー、期末前は友達とカフェで勉強会、おまけに偶然同じ授業を履修した可愛い女の子に告白されて函館旅行、今度の夏は助手席に乗せてやるぜ☆ みたいな、受験生向けのパンフレットに載っている夢のキャンパスライフを俺は送っていないし送る気もない。俺は文学がやりたくてこの大学のこの学部に来た。日本文学を修め、実学じゃない役に立たないと見下される昨今の文学事情、これを嘆き、そして戦いに来た。いいか、文学っていうのはな、テレビでもてはやされている社会学や経済学、みんなが守られているか苦しめられているか分かんないがまあ世話にはなっているだろう法学の、その大事な大事な基礎研究なんだぜ。そんでもって日本文学、その中でも近代の日本文学ってのは、今の日本を創ろうとしていた時代、苦しんでいた時代の貴重な人間データであって、俺たちが日々喜んだり熱中したり、漠然と辛くなったりすることの元はきっとここにあるんだ。え、漠然と辛くならない? ぼんやりとした不安がない? うるせえ、そういう奴はどうぞその幸せを噛みしめて、一生気づかずのうのうと暮らしやがれ。と、こんなことを去年の日本文学コース合宿で酔って叫んだら、いやあ草野くん、こんなに熱いのおもしろいねえ、では君が古に滅んだ近代文学研究班を復活させたまえ、と自動日本酒摂取マシーンと化していた守屋教授に言われてしまった。という訳で、俺が今貼っているのは
「日本文学コース・近代文学研究班・始動(復活)於:三十三号館第五会議室 初回:四月七日火曜三限」
というポスターなのだ。
研究班というのは授業ではないが、学生が何人か集まって話し合ったり、発表し合ったり、教授を呼んで話を聞いたり、勉強会をしたりする、いわば自主ゼミだ。俺が合宿で吠えた通り、昨今の傾向は実学、つまり目に見えて人の、社会の役に立つものがもてはやされ、文学なんて言うこの世で最も飯の種にならない学問は不人気、というか社会的地位が低い。だから政治学部に落ちて次点、いや次次次次点くらいで文学部にきちゃいました、とか、とりあえず竜揚大学ならどこでも良いから入りたかった、とかいう人も多い。いやそんな、どこでもいいから入りたい、って言える大学なんて俺からすると東大か京大しかないと思うが、なんだかうちも、まあまあの人気を博しているらしい。とにかく、こうして本を読むのも苦手、という輩も存在することになる。なのでそんな中、俺みたいに熱く語ってしまう奴はマイナーだ。かつては盛んに活動していたらしい研究班の数々も今や風前の灯火、モンゴル文字だのパスパ文字だの、残っているものもあるが、どれも実働は二人か三人かの限界集落だ。ひと学年に二百人いるはずの巨大学部から選ばれしヤバイ奴らの集い、それが研究班という認識で良い。だから俺も、まさか教授がそこまで本気だとは思っていなかった。しかし
「大丈夫、あなたも十分変人の部類ですよ。類は友を呼ぶ。それにね、何のためにこの大学は毎年一万人も生徒をとっていると思っているんですか。別に全員が全員、研究の途に就くとは思っていませんし望んでもいませんよ。ただ、広く網を張れば、それだけ真珠が引っかかる可能性も高くなるということなのです。人間を獲る漁師です。よく見て、同士を見つけなさい」
 と真面目に諭されてしまえば、引くに引けない。
 じゃあお前が言う文学って何よ、というところだが、それは先ほど振り返った合宿での叫びにもある通り近代文学への愛……は確かにある。大いにあるが、本当は二の次で、というか正直言うと近代文学に俺は詳しくない。合宿で近代文学についても語ってしまったのはその付近数か月、課題やら何やらで少し集中的に大正と昭和初期のころの作品を読んで、ちょっと熱くなっていただけだし、文学部を志したのだって、突き詰めればちょっとかっこいいな、と中学生の俺が思ったから、それだけだ。手軽に自己表現できるツールがあふれる昨今、わざわざ紙とペンで頭をひねって、何か書くって格好良くないか。つまり俺が言う文学というのは、俺は小説家になりてえ! 
 グチャリ。心内語と共に力を込めてホチキスを撃ったら、芯が変につぶれてしまった。あーあ。煙草の吸殻を火鉢に押し込み、文机の周りに書き損じが散らばる感じの、文豪になりてえな、煙草吸わないけれども。
高校受験で通っていた学習塾、先生との二者面談で将来の夢を聞かれた。もちろん小学生の時からいつか偉くなってインタビューされるぞ、と風呂場で練習を重ねていた俺。候補はミュージシャンか、漫画家か、小説家。しかし文系担当の難波先生、噂では小説家を目指しているものの食べていかれず、ここでしがない塾講師をすること数十年という難波じい。小論文チェックの度に自宅に大量にあるから、となんだか小さい二百字詰め原稿用紙を配る彼に、小説家になりたいです、へへ。とは言えなかった。なんでか、言えなかった。ということは、この時からきっと、心の底では小説家が第一候補だったのだろう。そして面談で代わりに言ったのは、
「なんか、国語関連で……考えてます、はは、」
という意味の分からないセリフだった。難波じいは、草野は国語だけは得意だもんな、と笑ってくれた。俺は数学も理科も英語も絶望的だったが、国語だけは何も勉強せずとも寝ようとも、塾の誰よりも早く解けたし成績も良かったのだ。ちなみに社会も年号と公民の細かい数字以外はそこそこできた。
「だけど、国語関連って何だ、国語教師ってことか」
 難波じいの当然の追求に、あー、いや、そんな感じです。とまた曖昧に返しながら、そうか教師をやりながら小説家を目指すという手もあった、とひらめき、他人に言うのも教師志望の方が楽で良いや、と以後俺は国語教師になりたいことになり、今も教職課程をせっせととっている。
 竜揚大学を選んだのも、これら俺の密かな野望のためだ。人数が多いからという理由が大いにあるだろうが、ここ竜揚大学は数多くの小説家の出身校でもあるのだ。
「まあ、なりたいなりたい言っといて、まだ一作も完成してないんだけどな」
 階段を上ったり下りたり、芯を換えたり潰したりしながらすべてのポスターをキャンパス中に貼り終え、裏門のスロープを下りながらつぶやいた。

☆     ☆     ☆

 近代文学研究班活動記録
 第一回 四月七日 火曜三限 三十三号館第五会議室
 参加者:草野誠治(文・日文・三年)
     津田陽子(文・日文・三年)
「……二人か」
「そのようね。帰ろうかしら」
「待て待て待て。待ってくれ津田ちゃん。俺の言い方が悪かった。来てくださって光栄です! 津田ちゃんと二人、嬉しいなあ」
 俺は全力で、唯一の参加者である津田陽子こと津田ちゃんを引き留める。津田ちゃんは俺と同じ学部でコースで学年で、さらに俺たち文学部生の天敵、地味に遠い本部キャンパスで行われる教職課程を共に戦う同士でもある。教職課程って奴は生徒を正しく導こう、だの国語教育で道徳観を養おう、だのやれグループになって意見を交換しろ、だの胸糞悪い講義ばっかりなのだが、津田ちゃんはそんな教職課程で常に最後列に陣取り、可能な限り授業を無視して文学全集を読みふける猛者だ。ポスターは貼ったが一人も来なかったらどうしよう、あ、津田ちゃんがいる。何だか去年の文学演習でも太宰が好きって言いながら宮沢賢治で二万字越えの恐ろしいレジュメを配っていたし、きっと近代文学が好きに違いない、と昨日の必修講義でお誘いした。つまりサクラだ。津田ちゃんは、どうせ空いているコマだし、本を読んでいても良いなら行っても良いわ、と漢字検定のテキストから目も上げず、了承してくれた。コースの必修講義は全集じゃなくて漢検のお勉強をするのか津田ちゃん。
「もうそろそろ、守屋先生と水野先生が来る。悪いけどその時は本読むのやめてくれない?」
「うん」
 やはり目線を本に落としたまま応じる津田ちゃん。とりあえずあと十五分程はこの空間にいてくれそうだ。
 しかし、確かに研究班は限界集落だと思ってはいたが、二人とは。しかもマイナー言語や古代文字でもない、今でもなお墓参りの絶えない人気文豪を抱える日本近代文学だぞ。ぐにゃぐにゃした崩し字でなく、旧字はちょっと難しいかもしれないけどとにかく活字ではあって何の古典知識もなく読める日本語だというに、何故だ。
「うるさい」
 椅子の前脚を浮かせ、机の縁をつかんでじたばたと独りごちていたら、津田ちゃんに怒られた。
「どうも遅れました。みなさんこんにちは」
「わあ、草野くんだけかと思ったら津田さんもいる。良かったねえ草野くん」
 腰を低くして入ってきた、品の良い初老といった風采の水野教授と、日に焼けた顔で豪快に笑う守屋教授。二人が第五会議室へ入ってきた。
「今日は初回ということで水野先生にもご足労いただいて、何とも豪華なマンツーマン授業というところかね」
「恐縮です。私、今期は水野先生の演習を選択しました。よろしくお願いいたします」
 どかりと座った守屋教授に、本を閉じた津田ちゃんが応える。目線もきちんと先生方の方を向いて。津田ちゃん、やればできる子なんだね。
「ま、とりあえずこれからやっていくことと場所とを決めればよろしいでしょう。先ずは自己紹介。私はご存知と思いますが、近現代文学、まあ主に現代の方をやっています守屋です。エグいルポルタージュとか、追いかけてますよ。今年の必修講義でもあるので、どうぞよろしく。まあだから、近代っていうとね、水野先生の方が詳しいから連れてきちゃいましたよ。はい、では水野先生」
「はあ、ご紹介あずかりました、ええ、ええ、水野です。去年はちょっとサバティカルを頂きました、皆さんとお会いする機会はなかなかなかったのですが。今年からは、また津田さんとおっしゃるのですか、はい、津田さんが仰ってくれたように、演習なんかも担当します。シラバスにも書いたのですが、主に漱石の研究を、やっております、すみません」
 相変わらず余裕のある守屋教授と、始終謙虚な水野教授。対照的な二人だが、風邪の噂によるとこの二人同級生らしい。
「じゃあ草野くん」
 司会役を続ける守屋教授に促され、俺と津田ちゃんもありきたりな自己紹介を終える。所属と、名前と、好きな作家か何かを言うだけの簡単なもの。そしていよいよこれからやるテーマということになったが、これは調子のよい守屋教授が
「せっかく水野先生がいるんだし、漱石の何かにしたらどうです」
 と言ったことで夏目漱石の作品のどれかということになり、
「いや、そんなそんな、私には何も構わず……学生の皆さんの会ですから……」
「では『草枕』はどうですか」
 と、へこへこ顔をうつむける水野教授に宇多ちゃんがずばりと言った事で、すんなり決まった。ということは来週からもいてくれるのか。ありがとう。
 そして場所はねえ、いくら狭い会議室といってもここで二人は広すぎだよねえ、ええ、やはりどこか小教室か演習室の方がよろしいかと思います。など先生方がごにょごにょ言い合い、津田ちゃんは閉じた本のへりをいじりだし、俺は先生方のごにょごにょに、『草枕』読んだことない、やばい、と焦りながらなんとか割り込む。すると、視界の端にもっさりとした白いパーカーがうつりこんだ。
「えと、近代文学、研究班はここで合って言ますか。すみません、おくれました」
 白いパーカーは、部屋の奥で四人向かい合っていた俺たちに問いかける。右手の人差し指でこめかみのあたりをかきながら、もじもじと。
「おや、一人増えたみたいだ」
「すみません、良いですか」
 もちろんもちろん、という一同の答えに、白いパーカーは俺の隣、津田ちゃんの斜め左へ腰かける。
「あの、私、白浩然です。はくこうぜん。二年生で、あ、二十二歳ですけど、ちょっと日本語学校に行ってて。ハクで、良いです」
「ほう、二年生。えらいね!」
「あ、ありがとうございます」
 白いパーカーあらため白さんは、どうやら水野先生タイプらしい。ぐいぐいと話しかける守屋先生に押され気味だ。
「あの、白さん、さっきなんだけどこれからやるのは漱石、夏目漱石の『草枕』って決まったんだ。大丈夫?」
「ああ、はい。大丈夫です。ありがとうございます。よろしくお願いします」
「良かったねえ。じゃああとは底本、あ、分かるよね、みんなで共通にする本のことだよ。草枕っていったって初稿から初掲載、単行本まで色々とバージョンがあるんだから。これをやっぱり水野先生にアドバイスしていただいて、今日は解散ということで。私はちょっと用事があるのでお先に。じゃ、たまには顔出しますよ」
 教室決まったらメールよろしくね、と活動場所の件まで水野教授に押し付けて、守屋教授は部屋を後にした。底本は水野教授が申し訳なさそうに、感嘆詞を挟み挟みアドバイスしてくれた結果、手軽ということで文庫にしましょう、となり。再び二倍の感嘆詞や三点リーダーを入れて明かしてくれた、水野先生ご自身が注を入れた文庫がある、という新事実によって、そのかわいらしい表紙の文庫版に決定した。

☆     ☆     ☆

 近代文学研究班活動記録
 第二回 四月十四日 火曜三限 三十二号館三〇四演習室
 参加者:草野誠治(文・日文・三年)
     津田陽子(文・日文・三年)
     白浩然(文・日文・二年)
「さて、と。メール、届いてたみたいで良かったよ。何せ二人とも返事がないもんだから。まあとりあえず、白さんも来たし。もう一回自己紹介しようよ」
 先週と場所は変わって、最大収容が十人ほどの小さい演習室。コの字型に並べられた机と椅子に、二つか三つとばしで座れば三人でもなんとなく丁度良い。
「じゃあ、まず津田ちゃん」
 先週の守屋教授の調子を少しまねて、津田ちゃんへ振る。どちらかというと、俺は守屋タイプなのだ。
「……津田陽子よ。三年。日文。最初はサクラとして草野に呼ばれたけど、今は普通に参加する気でいるわ。ちなみに私、漱石を読むと具合が悪くなるの。だから色々と不備があるかもしれない。よろしくね」
「待って津田ちゃん、漱石読むと具合悪くなるの、初耳だよ。水野演習とったんじゃないのか、それにそもそも津田ちゃんが言ったんだよ、草枕って!」
「うるさいわね、漱石縛りの中で何とか自分が読んだことがあって、且つちょっと興味が持てそうなのが草枕だったのよ。決まってラッキーだったわ。あと水野先生の演習はシラバスをよく読まずに近代文学ってだけで決めてしまったの。後悔しているわ」
 本日は文庫版全集をお持ちの津田ちゃん、図書館の所蔵印が押された小口を、指の腹で押さえつけながら一口で答える。
「具合が悪くなるの、わかります」
 おい白さん君もか。白さんは斜め四十五度下、机の手前三分の二ほどの位置を見つめながら、つぶやく。
「いえ、私は漱石を呼んでも具合が悪くならないです。でも、自分に合わない文の調子、雰囲気、の小説は、無理に読むとだめです。吐き気がしてきます。そもそも、文学……文字、言語による表現というものは、視覚でも聴覚でも入りえない、思考の、深いところに届くものです。何故なら、言語の再生媒体は思考であり、また思考の構成要素も言語だからです。人間が複雑感情・複雑思考を獲得する為に生み出した、思考技術の一つが言語であり文学なのです」
「そ、そうですか」
 びっくりした。先週も今日会った時も、始終おどおどとしていた白さん、津田ちゃんの言葉に何を触発されてか、難し気な事を一気に語り通した。熱い男だったんだな白さん。しかし俺には特に後半がさっぱりわからねえ。格好良い事を言っている気がするんだけど。助けを求めて、津田ちゃんを見つめてみる。
「ああ、それは私も良く考えていることだわ。つまり、今は映画ひとつ見ても、視覚・聴覚に訴えるリアルな表現が可能で、そしてあふれているでしょう。でも小説をきちんと自分の内で読み込めば、そういうパっと見てリアリティのあるものより、うんとリアルに感じられるってことよ。別に、私は映画も好きだしそれが文学に劣るは考えていないけど、感情・心情のリアルさという点では文学にまさる表現は無いと思っているの。そしてその中でもきっと小説っていうものは、より現実の作用をもたらすと思うわ。『私は、小説が書物の中で最上(或いは最強)のものであることを疑わない。読者にのりうつり、其の魂を奪い、其の血となり肉と化して完全に吸収されつくすのは、小説の他にない。』よ。それは例えば、主人公が、俺は川岸で黒い水面を見つめた、と語った時、読者が読んで思い浮かべる川は、川岸は、水面は、読者が今まで見たり知ったりしているそれになるということよ。私は月島から降りて見た隅田川を思い浮かべるし、草野は利根川かもしれない。白さんは黄河かもしれない。そういうことよ」
 なるほど。それなら俺も、考えたことがある。言葉というものは常に多義的で、集団や時代ごとの何となくの範囲、みたいなものはあるけれど、それも辞書や教育によってかろうじて保っているような緩い規定で。だから俺が読む川は俺にとっての川であって、つまり俺にとっては一番現実味を帯びている。だからどんなに映像技術が発達したって、写真の解像度が上がったって、この一点の長所がある限り文学が滅びることは無いんだろうな。なんて格好良いのだ。さすが、俺が見込んだ分野。しかし津田ちゃん、俺が利根川を越えて通学しているって、何で知ってるんだ。どこかの授業で言ったんだっけな。それに突然の引用。
 白さんは、黄河はちょっと違います。家からかなり遠いですし、とつぶやいたが、その後ハッと目を見開いて椅子ごと、足一つ分くらい後ずさった。
「あの、あの、すみません。べらべら、喋っていたみたいで。自己紹介も、途中なのに……」
「良いのよ白さん、とても面白かったわ。こういう話が出来るのなら、ここにきて良かった」
「……ありがとうございます津田さん。私も、楽しいです。草野さんも、ありがとうございます」
いえいえ、どうぞ続けてください。あとで、飲み会の席でだったか。白さんが言うところによると。彼は人との会話を反射的に返せないらしい。というか、できるけど、そうするとあとで一人になった時、歩いている時や寝る前やはたまたなんでもない時に、相手の言説を思い出し、また同時にその時の自分自身の反応を思い出す。すると相手の言説をじっくり考えている今の自分の感想や考えと、反射的に返したその時の自分の反応とに齟齬が生じて、反省が、後悔が押し寄せて来る。それを避けるために、その場では反射的にうかつなことを言わず、ちゃんと考えてから言葉少なに語るか、当たり障りのない感謝と同意しかしない、という自衛を実践しているらしい。だからそれを忘れて自分がベラベラと喋っていることに気づくと、自分で自分にびっくりするらしい。
「私の名前は、白浩然と申します。中国語だと、bei-haoran。ハクで良いです。北京出身です。先週、も言いましたが、二十二歳です。二人より多分年上。だけど学年は下だから、敬語は使わないでください。『草枕』は、画工が主人公だけど、なんだか小説を創ろうとしているようにも見えて、そこが好きです」
「私もそこは思うわ。何かを必死に創ろうと、見つけようとしている感じが熱いわよね」
「……はい、やっぱり、重ねられる方が、良いです」
 ん、重ねられる? 白さん、もしかして君は小説を書くのかね。思わず突っ込んだら、白さんは顔を真っ赤にして、いや、その、とか言いつつ、うつむいてしまった。
「あら。私も最近、書こうかと思っているの。白さんのも是非読みたいわ。もちろん無理にとは言わないけど。ちなみに草野もね、おととしの新入生ガイダンスで、小説家になりたくてここに来ました、とかなんとか吠えていたから、きっと書いているわよ」
 くう、津田ちゃんささすがの記憶力。ちょっと忘れていて欲しかった。恥ずかしい。けれど、
「真実だ。俺も津田ちゃんが何か書こうとしているとは初耳だが。でも好都合だ。皆で切磋琢磨し合える、火曜会にしようじゃないか! 新入生がいなくて正直がっかり、とか思っていたが、こうなりゃむしろ一年坊主なんて邪魔だ。さっきみたいな話を、どんどんしていこうじゃないか」
「あれ、一年生呼ぶ気あったの」
俺が高らかに宣言すると、津田ちゃんが聞き捨てならないことを言いだした。おいおい、俺はわざわざ四月一日の朝、キャンパス中にポスターを貼りまくったんだぜ。
「何それ、見てないわよ」
「ポスター、ですか。私が見たのは三十四号館のパソコン室前だけです」
見たのも先週の火曜日、ぎりぎりで。だから遅れてしまったんです。と遅れたときの恥ずかしさをフラッシュバックさせ震えている様子の白さんと、意地悪ではなく本当に知らない、という顔をする津田ちゃん。何だと、そんなアホな。俺はホチキスで四隅をしっかり留めてきたのに。と思って廊下絵へ出ると、およそA4サイズの四隅に沿ってホチキスとその周り一センチほどのちぎられた紙が、他のビラやポスータの上に残っていた。その後、教室移動の度に各所の掲示板を見て見たが、どこも同じくちぎられていて、白さんが見たというパソコン教室の前のものも既になかった。そうか。外せずとも、ちぎるという手があったか。

☆     ☆     ☆

近代文学研究班活動記録
第四回 四月二十八日 火曜三限 三十二号館三〇四演習室 参加者:同前
それから毎週火曜日、俺たちは集った。一応、常時新規参加者募集中、ということで新しいポスターも掲示してはみたが、四月末までの現在、一人も来ていない。
『つまりね、私がどうしてこんなに怒ったかというと、一回二回言葉を、しかも只の業務上の定型文を交わしただけで、私の心に踏み入らないで欲しいってことよ。「何で電話嫌いなの?」だあ? 何で他人も他人、しかも勝手に他人から連絡先を聞いて電話を連続でかけてくる破廉恥漢に私のパーソナルな問題を開示しなきゃならないんだよ。聞いて何がしたいんだ? 今一瞬、ちょっと気になったから聞いただけだろ。そっちの刹那的快楽の為に、私のセンシティブな心内へ土足で入って来るんじゃねえよこの自己中が。しかもその時私は、人生に必要な「楽しいこと」っていうシャブをやってハッピーにガンギマっているところだった訳。しょうもない現世で、生きる為にはこういう延命処置が不可欠なの。そして私は人よりもその燃費が悪い自覚があるの。命掛かってんのよ。そこにそんなことされて、怒りが治まる訳ないだろ。私の乱された精神、三十分間。どう償ってくれるんだよおめえはよ。』
「……すさまじいな」
「先日、バイト先の先輩からされて嫌だったことを正直に書いたわ」
「口語に振り切っていて素敵ですね」
「白さんよく褒めたね、俺には無理だよ。これを書いた津田陽子という女への恐怖が勝るよ」
 ひと月間、だんだんと毎回のリズムが出来てきた。一応、講義の一コマ分、つまり三限の九十分間というのを目安に活動しているのだが、そのうち冒頭の三十分ほどを各自の近況報告、残りの六十分ほどを本来の研究班活動である『草枕』の精読に充てる。近況報告というのは最近読んでいる本でも、考えていることでも、今みたいに書いている小説を発表しても、何でも良い。そして今日みたいに誰かが発表すると、どんどん近況報告時間が延びることも先週分かった。
「だって、分かりますよ。一人称で、口語で、語った方が感情がストレートに伝わります。長篇の、行動とか登場人物を複雑に動かすことで生れる壮大さは素晴らしいですけど。でも、津田さんはどうか分かりませんけど、私はまだそういうの、無理です」
「ありがとう白さん。確かに、本来の小説というのは、そういう操り方がうまいもののことを指すんだと思うわ。けれど、言ってくれた通り、私にはまだ無理。自分が見て、知って、感じたことを、心情を、感触を、増幅させるしかできないわ。『文芸の誕生はヒステリイにも負っているかもしれない』よ。」
白さんは津田ちゃんに応じて喋り、そして今度はうつむきながら津田ちゃんの語りに耳を傾けている。耳は真っ赤だ。内容のリズムだけでなく、この白さんの一気に語って、その自分に気づき顔を赤くしたり青くしたりするお決まりにも慣れた。津田ちゃんの引用攻撃にも。
「つまり、私が書くものなのだから、その中では私の意見が一番偉い、ということよ。だから私がすべてを語って、自分で自分の擁護をしなくてはならないの。一番の味方でなければならないのよ。例えば私は勝手に人の心理に踏み込んでくるような電話野郎とは……」
「分かった、そういうのが憎かったってことは良くわかったよ津田ちゃん! ちょっと涙目だし。情緒が不安的すぎるよ!」

☆     ☆     ☆

 近代文学活動記録
第六回 五月十九日 火曜三限 文学図書館横テラス席 参加者:同前
「ねえ、それいつもカリカリと書いているけれど、何かまとめているの」
「ああ、研究班の活動記録だ。話した事とか、出た議題とか、大体だけどまとめてる」
「……すごいですね、いつもノートにびっしり……」
 二人が俺の手元を覗き込む。普通の大学ノートを上開きに回転させて、縦書きにしただけのノートだけど、そこには今日までに二人や俺が発言してきたことが書き込まれている。もちろん、冒頭のお喋りタイムについても書かれている。
「せっかく研究班として集まったんだしさ、この豊かな共同体活動を無駄にしたく無いじゃん。もちろん毎回、その前はどこまで話したか、を確認するっていう意味もあるけど。日記と同じでさ、あとから役に立つことがありそうで。俺は、本気でここから文学研究の、また文学の、新しい一ページが切り開かれると信じているんだ!」
 そういうと、津田ちゃんは俺がかっこつけたように論じる時にいつもする呆れ顔をして、白さんはニコニコと目じりを下げた。俺は本気だぞ。いつか俺たちを研究する奴らが困らないように、ちゃんと活動記録を書き、日記も書き、ブログも書く。しかし手紙や日記と違って、こういうウェブ媒体ってきちんと未来に残るのだろうか。
「全ては、全ては積み重ねだし、無駄なことは無い」
「そうね。ところで昨日の貴方のブログ、読んだわ。共同体の理論、とても面白かった。貴方が良く使う共同体って言葉の意味を少し知った気がしたわ」
「私も、読みました」
「お、嬉しいな。あれ結構よく書けたと思ったんだけど、まだ五アクセスしかないんだよなあ。そのうち二つは二人だったってことか。ありがとな」
 ちょっと照れくさいけど、嬉しい。笑うと、白さんが実は、読んで居る途中で一回閉じてしまったから二回見たことになっているかも、と言い、津田ちゃんもアクセス数を増やしてあげようと三回開いて閉じてをした、なんて言ってきて、じゃあ結局五つ中五つがこいつらだったってことか。閲覧ありがとうございます! ちょっと騒いでみたが、二人はそんな俺には構わず、俺の書いた内容について話し始めている。
「近代は、共同体というより個人の時代ですよね」
「ええ、共同体やその影響などから脱しようとするのが近代的人間、だと思うわ。それと自立への成長過程として起きる思春期、中二病へ例えた草野の話は的を射ていると思う」
「我々大学生も未だその延長線上にいる、いやむしろその先の将来を未決定にしていることで、中二病はより悪化している、という結びも面白かったです」
 ありがとう、ありがとう、へへ、こっぱずかしいな
「私達、自分の名前を冠して何かを語りたい、ましてや創って発表したい、なんて近代人的欲求の塊よね」
「はい、現代は再び共同体路線に戻るのだと思ってはいますが、やっぱり、映画のエンドロールで監督名が最後に、一画面、まるまる使い続ける限りは近代だと思っています」
「そう、そこよ。映画って言うのは眼に見えて大人数での共同制作な訳じゃない。でも、結局「監督」という代表者、代表人格を規定しないと形を保てない。確かに監督が映画作品に与える影響は、他のスタッフより大きいかもしれない。指針を決めたりね。けれど、冷静に考えれば只のいちスタッフでしょう」
「そしてそれは一見共同制作とは認識しづらい、文学や、漫画なんかの「作者」にも言える事ですよね。その人がそれまで受けた影響や、その時に身を置いている環境なんか、それらが集まって形成されている「共同体」に属して、一緒に創っているともいえるわけですから。例えば草野さんが書いてくれている記録、これは草野さんが書こうと思い、書いてくださっている時点で草野さんが「筆者」だということが出来ますが、しかし草野さんが一人であっては書けない。私達が居て、一緒に話し合う共同体に依存しています」
 そうだ。俺はこれを書こうと思って書いている。二人は書こうと思わず、書いていない。俺のオリジナリティはこの行動した、ということに限定される。しかしそれこそが大事なんじゃないか?
「二人の言うことは分かる。分かるけど、やっぱり行動して、つまり書いて残す人は残さない人よりも優位になるんじゃないか? 偉いとかではなく、強者になるという意味だ。役割として。広く、長く続くだろう共同体と現実の中で、誰かは、何処かで一区切りつけて途中保存しなきゃいけないと思うんだ。もちろん、現実は一区切りなんかない。続いていく。けど、一区切りついたとみなして、まとめないと。後から入ってきた、生まれてきた奴らが困るよ。その点で、まとめる者は必要だ。そしてまとめるっていうのはやっぱり苦労もあるし、それにいくら共同体の中にいるといっても、まとめたもの、つまり作品にはそのまとめた者のバイアスがかなりかかって、純粋な共同体のものとは言えないような気がする。だから、自分の符牒をつけるのは権利であると同時にマナーというか、義務というか、責任だと思うな。それに大体、自分のために身勝手な編集をするものだよ」
「ふふん、贋金つくりね。『それを解決しようとするのが、あなた方小説家の仕事じゃない?』ってところか」
ちょっと反論してみたが、津田ちゃんこれはお気に召したらしい。白さんは、引用元を聞きたそうに津田ちゃんのA6ノートは目線をチラチラと送っている。しかし津田ちゃんはにやりと笑ってそれを開き、一向に顔を上げない、白さんは諦めて口を開く。
「現実と小説の乖離、という視点も興味深いです。お二人は、どんな小説が書きたいですか」
 ああっ、また余計な質問を、と手をパーカーの袖にひっこめて、目元を覆う白さん。ううむ、俺は、やっぱり熱くいきたいな。だからちょっと声を張り上げて言う。
「魂を懸けた一節が、見えるのじゃないと嫌だ。それだけでも、読後と同じくらい震えるもの」
「それじゃ詩で良いじゃない、と思ってしまうけれど。でもそういう単純なものも、嫌いじゃないわ」
 褒められているのか、分からない。思わず口をとがらせたが、次の瞬間びっくりした。
「自分を救おうとしていますか?」
 と白さんが問いかけてきたからだ。真っすぐ俺の目を見て。元々、人の顔を直視して話す人じゃない。ぎくりと身構えてしまった。しかし白さんは、好意的な意味で言ったらしい。心臓をバクバクさせながら腕を組んで唸る俺をよそに、今度はいつも通り机を見つめながら、続けた。
「それで、良いんだと思います。自分のついでに誰かが救われたら、素敵な事です。人間が作るものはきっとすべて良いもので、なぜかというとそれは全て誰かを慰める可能性を持っているからです」
「たとえ誰かを傷つけようとも?」
 被せるように、津田ちゃんが言う。
「はい。創った本人には慰めとなるからです」
「それじゃ、正義がないじゃない」
 正義。四月の電話男を筆頭に日々色々な事にブチ切れて怒りを書いている津田ちゃん、お前が言うか。と思ったが、黙る。怒るってことは自分の中に正義があって、それに反している物事に対する反応なんじゃないか、と思い直したからだ。白さんの言う「反射的」な反応と後で考えた時とのタイムラグ、という意味が少しわかった気がした。
「普遍的正義……という意味であれば、現実の人間にそれを知ることは不可能だと思います。あって欲しいですし、きっとあるのだとは思いますが、どんなに頑張っても人間には個人間の正義しか見つけられないからです」
「個人間の正義?」
「個人間の正義は、人それぞれ持つ、正義のルールのことです。だから、ある人にとっては正義だけど、逆にある人にとってそれは不正義だ、という事態も大いにあり得ます。ただ、私は。自分が苦しんだことで苦しんだ人に味方する、これが正義だと思っています。これが私の個人間の正義です。そして味方しない、出来ない人にも同じように他の味方がいれば、と思います。例えばある加害があったとして。それは例えばこの間津田さんが怒っていた電話の人について。私は津田さんに味方します。私も人に踏み入られるのが得意ではないから。だけど、逆に電話の人に味方する人もいる筈です。津田さんに不快を与えたという事実は確かにありますが、彼のその行為も彼一人で成し得たものではなく、それまでの環境、遺伝、外的要因が様々、複雑に絡んでいると思うからです」
「よくわかった。白さんありがとう。そんでもって、その個人の正義のうち、最も公約数の多いものが現状、社会の正義とされているんだな」
 俺は白さんの説明が良く分かったので、こう答えた。すると、白さんは目を丸くして、
「確かに、そうですね。現実も一応、最善は尽くしている。そうだ。そうですね、さすがです。やっぱりお二人と話すと、広がります」
 とぶつぶつ呟いた。何やら、白さんにとっては新鮮なことだったらしい。津田ちゃんはといえば、指を組んでひじをつき、何やら考え込んでいる。そしてそのまま、独り言のように言った。
「『四分の一は僕の遺伝、四分の一は僕の境遇、四分の一は僕の偶然』じゃあ残りの四分の一は何だと思う?」
「うーん、何がですか」
「ああ、責任の話よ。行為の責任。白さんが例の電話男の行為は彼だけの結果じゃない、と言ったから思い出したの」
 う、津田さんすみません、と青くなる白さん。いや全く、その通りだもの、と指をほどいて手を振る津田ちゃん。俺は答えが分かったぞ。
『僕の責任は、四分の一だけだ。』
「正解。草野、良くわかったわね」
「権利であり、義務であり、責任だ。「作者」であるそれと同じだ」
「素晴らしいです草野さん。もうそれで卒業論文も書けてしまいますね」
 ふふふん。まだ三年生だけどな。けど、もしこれを書いた場合、二人も連盟しなきゃいけないのかも。
「さて、うまくまとまったところでもう時間だ。最後に、津田ちゃんの目指す小説を聞いて終わりにしよう」
 携帯電話で時間を確認しつつ、言う。
「幻想即興曲みたいなのが書きたいわ」
「分かんねえよ!」
 津田ちゃんはショパンの超代表作よ、常識よ、と眉間にしわを寄せたが、
「り人形の、糸とそれを繋いでいる木、それを舞台の斜め上から俯瞰で見るようなものが書きたい。こう言えば分かるかしら」
 すぐにケロリと言い換え、軽やかに教室を後にした。ますます分からねえ。と白さんを見ると、白さんは埴輪の「踊る人々」のように左手を上に、右手を下におろして壁にびたりと張りつき、感動に潤んだ目で津田ちゃんを見送っていた。

☆     ☆     ☆

 近代文学研究班活動記録
第七回 七月七日 火曜三限 三十二号館三〇四演習室 参加者:同前
教職課程のとある授業。二コマ続くその休み時間、津田陽子はいつものように一番後ろの席に座り、いつものように授業に無関係な本を広げ、目はその文字列を負いつつ、体を傾け鞄からチョコレートを取り出そうとしていた。すると突然、傾けていた左側、つまり通路側の視界が陰った。
「すみません、突然ナンパみたいで悪いんですが、良いですか」
 陰の原因となった男は、関西弁のイントネーションで、津田へ話しかける。まさか自分へ話しかけられると思っていなかった津田は、関節の可動域が狭いロボットのように、二段階ほどの方向転換を経て男の方を見遣った。
「あの、さっき。教授とちょっと戦ってたやないですか。あの雰囲気の中はっきり、「いいえ、文学はむしろ汚いもの、というか直視したくないものをこそ暴くものです」いうて、すごいな思って。惚れました。今度、お茶しませんか。デートしてください」
 男の言う「教授と戦っていた」とは、この休み時間の前に行われた、津田と教授とのやりとりのことだ。事の発端は、国語教科書の常連である「大造じいさんとガン」について、じいさんは鉄砲を使っているが、これでは不公平だ。ガンは鉄砲をつかえないのだからかわいそうだ、という小学生の意見、ここからどう“道徳的”な話し合いをさせるか、と教授が受講生へ問いかけた事にある。免許の教科も普段の専攻もバラバラの受講生たち二、三人が指名され、当たり障りのない意見をボソボソと述べていった。しかし最後に指名された津田だけは、怒りに震えた声できっぱりと言い放った。
「文学作品を“道徳”なんていう、あってないような、破廉恥な俗物に利用するのは許せません」
 まるで軍記物語の主人公のように、きっと目を吊り上げ座したまま教壇を睨む津田。相手は大将、白髪頭の爺教授。口をわななかせ、もちろん反撃する。しかし津田も負けない。最終的に
「いいえ、文学はむしろ汚いもの、というか直視したくないものをこそ暴くものです」
 という、男の再現していたセリフを言い放ち、授業終了。
「まあ、そういう意見もあるのかもしれませんね。しかし教育では違うと思いますが」
 という歯切れの悪い教授の返答が、終業の鐘と共にはみ出した。津田はこのストレスとエネルギー消費もあってチョコレートを取り出そうとしていたのだった。
「新たな人間関係が面倒です。ギリシャにお帰り下さい」
「ギリシャ? ああ、なるほど。僕が哲学なん覚えててくれたんですね。ありがとうございます。そこを何とか。確かに今の僕めっちゃ怪しいですけど、文学についてご教授頂きたいんですわ」
 男と津田は授業中のグループワークで何度か同じ班になり、互いに所属の専攻くらいは知っていた。また男も、津田のように戦いはしないものの一人で熱っぽく教育や哲学について語り倒すことがよくあった。彼は哲学と言ったが、詳しく言えば彼の所属は教育学部教育学科教育学専攻、の教育哲学ゼミである。
「学術的興味を持って頂けて、光栄ですわ」
 津田は先程の冷淡な断りを放った時から、既に男から目線を外し、チョコレートを口に運んでいた。目線はかろうじて空中をにあったが、それも手元の本へ戻ろうとしていた。しかしその矢先、
『そして徹底的に認識しあいますかな?』
 男が、首をかしげて、調子もまるで朗読劇のように言った。津田は細く折って縛ろうとしていたチョコレートの包み紙を取り落とした。そして再び、最初のように首をぎこちなく動かして男を見た。
『そう、徹底的に認識しあいましょう』
 次の土曜、津田と男は大学近くのカフェ「ロン」で二時間半、レモネードを囲った。
「読んでたの、『罪と罰』だったでしょう、分かって、あれ言って良かったわあ。お気に召していただけて」
「あんな痛い文学ごっこをする人は初めて見たので、興味がわきました」
 津田は、グラスの結露を爪でひっかき、その水面を見つめながら答える。うっわあ、相変わらず辛辣! と男は手のひらで額を叩きながら目をつぶる。
 男と津田が話したことと言えば、普段津田が近代文学研究班という、名前だけは一人前だがその実三人が只毎週お喋りをしているだけ、の中で話しているような内容がほとんどだった。言語は表現媒体としてどう優れているか、劣っているか。近代と現代、集団と個人、正義と幻想即興曲。男は授業中と同じく盛んに語って応じた。男は津田と違って、喋る相手の目を見る人間だった。津田は、確かにこのような話ができる男を面白いと感じたが、それは研究班も同じだし、それに男は草野や白と違い、自分としては納得できない理論や意見も言って来るので面倒だなと思った。特に、言語は他に最善の手段がないから情報伝達としての役割を担っているだけで、つまり政治における民主主義と同じ、と語られたときには、この男は私が言語に執着していると知っていながらなんと不躾なのだろう。本当にギリシャ、いや教育哲学であればイギリスかフランスか。に帰って頂きたい。と思い、怒りのあまり脳内で男の顔をジョン・ロックの痩せこけた肖像と合成した。しかし男の話をさえぎらなかったのは、新しい知識の臭いを感じたからである。津田は知に飢えていた。
「つまり、脳の大型化はそれを妊娠し、また育てるメスに膨大なエネルギーを要求します。だって胎児のまま、立てないまま生まれてくるんですから。それが立てるようになるまで、メスは防御も、狩りもできない。しかしそれではメスどころか子供も死んでしまいます。これは種としての損失です。繁殖とは今までは、オスはメスを妊娠させ、メスは無事にそれを生む。これだけで済みました。しかし今じゃ、そのあと放っておいて子供が死ねば、生まれないのと同じです。だからメスは子供を育てる能力が必要とされ、またオスもその母子を支援する能力が必要とされる。しかしこれは自分の繁殖と地続きな訳だから、オスは自分の子どもにこそ支援したい。だから、確かにこれは自分の子どもだと、自分の繁殖だと理解し、納得するためにの絆、というのは発達したんじゃないかと。そういう論ですわ」
 男が最後に語った番の論は、津田にとって新鮮だった。草野も白もロマンチックな、つまり妄想的な男女関係は稀に語るが、現実の問題や原理についてはあまり話さなかった。確かに精神的な疲労も少しはあるが、男との会合は得るものもあると思った。人と接するということは、いつだって得るものと失うものがある。草野と白とは、既に同じ共同体になりかけている。だから失うものも少ないが、得るものも少ないのかもしれない。
 以後、月に一度ほどまたお茶をしよう、と約して津田と男とは文学図書館と中央図書館とへ別れた。
 というのが代表として俺がまとめた、津田ちゃんと教育哲学男(仮称)のロマンスの概要だ。本日第十二回目の近代文学研究班、七月七日の七夕にふさわしいテーマ。俺は書きつつ、これはロマンスとは言えないんじゃないか、と思ったが、白さんは椅子に座ったまま空中で「踊る人々」のポーズをとって「ロマンスだ……」と顔を上気させ、津田ちゃんもまんざらでもなさそうにうなずいているので、そういうことにしておこう。

☆     ☆     ☆

 近代文学研究班活動記録
 第十五回 七月二十八日 火曜七限 龍前駅いずみ通り「海慶」
「はい、という訳で皆さん、お疲れ様!」
「今、一口でも飲んだ瞬間溶けそうよ」
「お疲れ様です」
 大学生にとっての戦、期末期間という名のレポート地獄を駆け抜けた俺たちは、茶色い料理と酒を囲んで、駅前の居酒屋に居る。各々締め切りに追われ、徹夜かそれに等しい限界態勢だ。チューハイジョッキにまるまる一つ入った冷凍ミカン、それにまとわりつく気泡が、メロドラマの夜景のように大きくきらきらと反射して見える。
「しかし、こうさ。夜通し一つの作品とかその一部とか、ちっちゃいと言っちゃなんだけど、ちまちまと考えてそれを何千字にも増やしているとさ、文学研究に意味はあるのか? と思ってこないか。そりゃ俺は、苦しくも楽しいと思ってるよ。知的好奇心が満たされるから。けど、やっぱり役には立たないなって。そもそも読み方なんて読んだ人の数だけあるんだし」
「草野、近代文学研究班なんてものを毎週主催して、いつも熱すぎるほど語っているじゃないの。本気で文学の新しい一ページを開くんじゃなかったの」
 乾杯後、津田ちゃんは宣言通り体制を崩し、肘をつき手首に顎を載せて半分目を閉じている。つまり溶けている。
「いやそうだけど。でもそれって俺が時代錯誤っぽいものに熱くなる自分に酔ってるだけなのかもしれないし。やっぱり、植物を使ったワクチンを作る研究、とかの方が役に立つじゃん。俺がカムパネルラが地獄に落ちたか天国に行ったかを考えるよりもさ」
「良いじゃないのカムパネルラ、どこが悪いの!」
 去年『銀河鉄道の夜』で発表していた津田ちゃんが抗議する。
「そういう、時は。映画や漫画を見ると良いのではないでしょうか」
いつもは強張った顔をして机や手元を見て語るか、黙るかしている白さんだが、今日はアルコールのおかげか表情もやわらかく目線も上だ。
「あらあ、白さん、漫画とか読むの。ちょっと意外だわ」
「そうですか。日本の、やっぱり好きですよ。よく読みます。なんか、応急処置っていうか、そんな感じがします」
「漫画とか映画が?」
「はい。あの、基本的に文学……小説とか詩とかって、心を慰めるものだと思うんです。でも、それに至るには、勿論読まなきゃいけないし、それに物語だと特に、苦しかったり見るのが辛い表現や場面もある。そして最初の方に津田さんとお話ししたと思うんですが、小説だとそれをよりリアルに、自分のものとして体験しなきゃいけないわけです。だからそれをちゃんと消化できれば、ものすごく効く、そして永遠に効く、漢方のようななものだと思います。けど、それを消化できないほど弱っているときは、注射を打たなきゃいけない。すぐ効くやつを。それが純粋なエンターテインメント、娯楽というものであり、見て、すぐわかる、たとえば漫画とかアニメだと思うんです。映画も、再生媒体が体の外にあるという点では、特に大衆映画では、消費する体力が少なくて済む。そう思います」
「へえ、まるで玉の御櫛ね。『濁りてきたなくはあれども、泥水を蓄ふるがごとし。』この泥水を蓄える時間と体力が無い時こそ、切り花ってね」
 津田ちゃん、溶けてはいるが引用脳は健在のようだ。でも確かに、文学部ってオタクが多い気がする……。
「ありがとう白さん。とりあえず今日は飲もうぜ、春学期お疲れ! 来てくれてありがとう!」
 おかわり自由のキャベツをポリポリと食べ、祭りの屋台で売っている蓄光ライトのように光る光る酒を飲み、津田ちゃんが眠り、白さんはにこにし、俺は記憶がないものの翌朝、大学前の竜田公園のベンチでのびていた。

☆     ☆     ☆

 大学生の長い長い夏休み。もちろん授業は無い。一年前、おもしろいねえ、と守屋教授に言われ研究班を立ち上げることになったコース合宿も、この夏休みにある。時期は夏休みの折り返し地点、九月の初めごろ。自主参加なので、三学年でのべ二百人以上になるはずなのに毎年参加者は三十人程度しかいない。俺は今年も行ったが、合宿所に着いたらびっくり、来ないと言っていた筈¥はずの津田ちゃんと白さんが仲良くバスを出迎えていた。そもそも参加者は皆、大学前からバスに乗って合宿所へ向かったのに、どうして既にいるんだ。相変わらず意味が分からない。
「私は新幹線でさっき着いたのよ。白さんは一週間前からいるらしいわ」
「ますます分からん……」
「草野さん、お久しぶりです」
 ぺこりと頭を下げる白さんの顔は満足げなので、まあいっか。
「でも津田ちゃん、新幹線って高くないか。駅からもタクシーだったんだろ」
 津田ちゃんは地元で学習塾の受付バイトをしていたが、先週、その塾長にブチ切れて辞めていた。俺たちは夏休みに入ってからも二週に一回くらいのペースで、大学近くの喫茶店だったり、本屋だったり、飲み屋だったりで顔を合わせていたのだ。先週は津田ちゃんのご希望で飲み屋だったのだが、
「いいか、お前ら。いまお前たちが一生懸命勉強しているのはな、いずれ何かに就職するためなんだぞ。それを忘れるな」
 お通しにも手を付けず、ウィスキーのロックを飲み干した津田ちゃんは、塾長の口真似であろう妙な節回しで、口をとがらせながら言った。塾長は、これを中学受験コースの小学生に向って言い、津田ちゃんにはどの大学に行けばどのような職に就けるのか、という図をラミネートするよう命じたらしい。
「何? 良いじゃない、勉強の為に勉強しても。頭空っぽの癖にサル山の大将で勘違いして、ふざけるんじゃないわよ。大体ね……」
 津田ちゃんの怒りの演説は割愛するが、ともかく彼女はこの件で怒り心頭、翌日辞表を出し晴れて無収入になった。だから新幹線はおろか、合宿費の一万円も無理、行かない、と言っていたのだが。
「ああ、それはね。とあるSMバーで知り合った善きMおじさんが出してくれたのよ」
「SMバー⁉」
「言ってなかったかしら。私、友達が女王様を目指しているのもあって、たまに行くのよ。そこで、こないだ寿司パーティがあって、そこで知り合ったの。とても教養深くて良いおじさんよ。まあ、おじいさんと言った方が良いのかもしれないけど」
 突っ込みが追いつかない。とりあえず、
「津田ちゃん、Sなのか」
 と確認すると、
「いいえ、試してみたけどおそらくノーマルよ。ただSMも文学にはつきものだし、とても興味深く関わらせていただいているわ」
 と否定された。SMや女王様、と聞いても俺が想像できるのは、黒くてピカピカした衣装に身を包んだ、ピンヒールが鋭い妖艶なお姉さん、と言った感じだが、ちょっと一人ではいけねえ。行きてえ。
「行きたいの? 良いけど、男は高いのよ」
 しかしこう言われてしまったので、日々のバス代すら惜しむ俺は当分行けそうもないが。その後も夕食の時間まで、他の参加者を完全に無視、SMひいては特殊な性的嗜好についてご教授頂いた。白さんも一緒だ。白さんは真剣にメモを取っていた。人見知りが過ぎるのできっと行けないが、草野さんはぜひ行ってみたらどうか、できれば話を聞きたい、とも言われ、
「草野さん、よかったらうちの工場、どうですか」
 と白さんの勤めるドーナツ工場の短期バイトまで紹介されてしまった。SMバーに行くかどうかはともかく、約ひと月残っている夏休みに丁度良いかもしれない。ぜひ紹介してくれ、と頼んでおいた。合宿は、津田ちゃんが酔って暴れたり、白さんが皆とのお喋りでキャパオーバーして森へ走り出したりしてしまった他は平和に終わった。

☆     ☆     ☆

 近代文学研究班活動記録
 第十七回 十月六日 火曜八限 SMバー「プリオシン海岸」
 参加者:津田陽子(文・日文・三年)
     草野誠治(文・日文・三年)
     緒方翔介(教育・教育・教育・三年)
 インターホンを、鳴らす。推したのは津田ちゃんだが。俺は津田ちゃんの後ろ、にいる七夕の教育哲学男改め緒方さん改めやっぱり教育哲学男でいいや、のさらに後ろで身を縮こませている。本日、白さんは棄権。津田ちゃんと、俺と、教育哲学男とでSMバーというところへ来ている。そもそも、濃き同好の士が集まる場所へ、興味本位の俺なんかが行くのは大変失礼なのではないだろうか。駅から狭い路地裏を通りこのインターホンへたどり着くまでの道中、俺は何度も津田ちゃんへ言った。
「今日は大丈夫。イベントデーだし。それに前から、言ってあるの。確かに冷やかすのは失礼よ。けれど草野、貴方が他人の為に自らの知的好奇心を諦めるような人じゃないことはよく知っているつもりなのだけれど。普段なら、言わないじゃない。びびってるんじゃあ、ないわよ」
「津田さん、さすがですわあ。なあ草野くん」
「いや、距離が近い。学部の中では人と関わるのに抵抗が無いほうだけど、俺も初対面でそこまで仲良くなれる人間ではないぞ」
 しかし津田ちゃんは、やっぱりどうなのか、と繰り返す俺を振り向きもせずつかつかと歩み、俺は呼んでもいない教育哲学男に絡まれつつ、ここまで来てしまった。もう腹をくくるしかない。
「はあい、あら陽子ちゃん。とこれが噂の彼ね、と後ろのも、これまた最初の噂の彼ね」
 アーティスティックなつけまつげをバシバシとしばたかせながら、短髪のお姉さま、否女王様が扉を開けた。俺や教育哲学男へ向けた呼称が気になるが、考える暇もなく中へ通される。バーというだけあって、入ってすぐにカウンターが見えた。カウンターの中には女王様たちが……と思いきや、サラリーマン然とした男と、存在感の薄いTシャツ姿の男とが酒を注いだり灰皿を用意したりしていた。初めに案内してくださった女王様は、そいつらを呼びつけ、津田ちゃんの靴を拭かせる。彼らの受け答えからすると、彼女がここのママらしい。俺と教育哲学男は、靴を脱ぐように指示された。
「プリオシンは、女王様とM男、というのが基本。だから女の私は靴のままだけど、貴方たちは脱いでもらう。良い?」
 と事前に津田ちゃんから言われていた通りだったので、素直に従う。
「わあ、陽子ちゃん。良く来たねえ。お友達も連れてきてくれて」
「こんばんは茨木さん。今日は楽しみだわ」
 とりあえずはカウンターに座って一杯、とメニューを睨んでいたところへ、本日の主役、そして津田ちゃんが言う「善きMおじさん」である茨木さんがやってくる。今日は彼の講演イベントなのだ。講演中はプレイは行われず、普段来ない、お客の友達もどうぞお誘いあわせください。というなんとも俺たちにもってこいのイベント。
「資料とかもないしね、ただ喋るだけだから。学生の皆さんには物足りないかもしれないけど」
 いえ、いえ、とぺこぺこ頭を下げる一同。イベントデーは月に一度毎月あれど、今回のようなものは初めての試みらしい。茨木さんが、常連中の常連だからこそできたことなのだろう。入ってすぐ疑問に思った、カウンターの男たちは口々に彼をほめたたえていた。どうやら彼らも客らしい。彼等から一人一杯ずつグラスをもらい、奥へ進むと既に三人の客と二人の女王様がいらっしゃった。男の背に座って足を組む、ボンテージがピカピカの、ザ・女王様という感じのロングヘアの女王様、とその足元で体育座りをして講演を待っていらっしゃるお客、ソファに沈む、本日は非番だが駆け付けたために私服だという女王様、とその傍で胡坐をかき雑談をするお客。その周りにはガラス製の机と、真白に輝く便器と、釣り下がった縄とが芸術的に配されていた。俺も彼らと両腕分くらいの距離を取りながら、腰を下ろす。教育哲学男は、灰皿もらっていいですか、と机の前へ陣取る。津田ちゃんは茨木さんと話し込んでいる。手持ちぶさたから酒が進み、一人二人と人が集まり、さあ開演、という時には既に一口分くらいしか残っていなかった。
「SMというのはですね、このように私一人の体験から言っても、一口には言えません。たくさんの要素があり、たくさんの楽しみ方があり、たくさんの感じ方があります。ただ、私が最近考えているものとしては、それは自由の制限による自由、ということです。一般的に制限があると、人は自由を求めます。例えば学生は、教師から、校則から、部活から、友人関係から、勉強から、家族から自由になりたい、そう思いがちです。けれど、いざその鎖を解き放たれ、社会に出てみるとあんなに求めていた自由はその魅力を失います。逆に、自由であることが生きづらくなるのです。もちろん、どこかに所属していたい、という欲求も関係しているでしょう。しかしそれとは別に、行動の指針が無い、選択肢があり過ぎるが故にどうしたら良いか分からない、という問題も大きい。例えば今日のお昼、何を食べるか。もし仕事をしていてその休憩時間にご飯を食べるのならば、休憩時間、休憩室や周りの飲食店、またお財布の事情、などさまざまな制限がかかって、選択肢が狭まります。狭まった選択肢、例えば私はたいてい、会社では菓子パンかおにぎりか食堂のラーメンでしたが、この中から選ぶ必要は生じます。しかしこれはむしろ、心地よいレクリエーション、程よい自由として認識されます。その前、このいくつかに絞る制限、今回の例で言えば仕事の都合、が存在しない場合が問題なのです。もちろん、生きていれば色々なものに制限を受けます。仕事がなくたって、住んでいる国、地域、その日の天気、体調、さまざまな環境が選択肢をせばめます。しかし、それは日々変わるものであり、もしかしたら明日には無いかもしれない。もっと、一生の制限が欲しい。それはある人にとっては信条であり、またある人にとっては生まれ持った嗜好です。私はまあ、ご存知の通りここの常連ですから。私の一生の制限はこのマゾヒズムという嗜好です。この制限によって、日々のすべてが制限され、私の一生は永遠に自由になることがありません。なんと頑丈な、転ばぬ先の杖でしょうか。
そして嗜好の世界は優しい。皆が同じようなものに惹かれ、愛し、直観的にその良さをわかっています。私が今、いろいろと婉曲表現をつけて、あくまで私の場合は、ですけど、なんて限定する言葉をちまちまとつけて、何とか分かってもらおうとしているあれこれ。これを、一つも発さないうちに、直観的にわかってくれるのです。けれどその優しい世界で、「だからこ嗜好は素晴らしいのです!」とただ礼賛しても、直観的に分かってくれない人にはそれが、つまりこの場合ではSMが。素敵で、そして特にこの方が、あの時のいちプレイが、とてつもなく素晴らしい、ということが伝わらないのです。すごいって言ってもそれはあなたの主観でしょ、となってしまう訳です。
 好き、とか素敵、とかは主観で、嗜好です。だからそれを証明するには、研究、科学をしなきゃいけないわけです。

「君たちは参観かね。」その大学士らしい人が、眼鏡をきらっとさせて、こっちを見て話しかけました。
「くるみが沢山あったろう。それはまあ、ざっと百二十万年ぐらい前のくるみだよ。ごく新らしい方さ。ここは百二十万年前、第三紀のあとのころは海岸でね、この下からは貝がらも出る。いま川の流れているとこに、そっくり塩水が寄せたり引いたりもしていたのだ。このけものかね、これはボスといってね、おいおい、そこつるはしはよしたまえ。ていねいに鑿でやってくれたまえ。ボスといってね、いまの牛の先祖で、昔はたくさん居たさ。」
「標本にするんですか。」
「いや、証明するに要るんだ。ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、百二十万年ぐらい前にできたという証拠もいろいろあがるけれども、ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ。わかったかい。けれども、おいおい。そこもスコープではいけない。そのすぐ下に肋骨が埋もれてる筈じゃないか。」大学士はあわてて走って行きました。

これは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」、有名なプリオシン海岸の場面です。そうです、このお店の由来ですね。ここで博士が言った、この「ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか」の証明。これこそが科学です。そのためには、好き、素敵ではいけない。いや、もちろん普段は楽しみましょう。けれど、普段のその蓄積から、記憶から、体験から、ちまちま証拠を発掘して、ていねいに鑿でけずって、きれいにならべて。ここに地層があります。こうして色々と発掘されました。これをこう並べて、こう考えると、これは百二十万年くらいにできたものだと分かります。私はそう考えます。とそう言わなくては。だからこれが好きなんです。素敵だと思うんです。と言うのはぐっとこらえて、その研究を行った、続けている自分の姿勢で表さなくちゃ。そう思う。そうしちゃうと楽しくないじゃないか! もっともです。だからこんなことを考えるのは一生に一回くらいで良いでしょう。けれど、誰かは、交代でも良いからやらなきゃいけない。じゃないと、守れないからです。直観的に良さが分かる人は、それが故にその良いものを守ろうとします。しかし分からない人も、それが故に排斥しようとする。だから、守るためには誰か一人くらい、こうして屁理屈をこね回す人も必要なんじゃないかと。そう思う訳ですね。長くなりましたが、これで終わりです。上手くしゃべれましたかね、わあ、ママが拍手をくださりました。今はお客であってお客じゃないような感じだから、褒めてくれるのかな。いやふつうは逆ですよね、あっはっは」
 茨木さんの講演は、まず自分自身のSMへの目覚め、追求、を実体験を以て丁寧に追ってくれた。そのおかげで、津田ちゃんから前もって聞いていた基礎知識と合わせて、なんとなくこの世界のことを、知った気になった。しかしその後、このとてつもなく素敵なたとえと共に皆の拍手によって幕を閉じた時、分かった気になったなんておこがましい、きっと茨木さんやはたまた他の人が証明してくれるまで、一生分からないままなのだろうな。と思い直した。教育哲学男にしても深く刺さるものがあったようで、後半はしきりにうなずいていた。津田ちゃんは前からこの話を聞いていたようで、ママや女王様と一緒に茨木さんを囲み、こないだよりも良くまとまって聞きやすかったわ、なんて声を掛けている。結局、俺たち以外は皆お店の馴染み客だったようだ。皆から褒められ照れる茨木さんは、なんとも気前が良い事に、津田ちゃんだけでなく俺たちの酒代までおごってくれた。善きMおじさんだ。
「こういう世界の証明は、きっと文学がするものだと思うのよ。そうでしょう。だって感情と、心情のリアリティ、という点では何にも負けないのが文学なのだから。けれど、やっぱりその感情と心情とを実感した人が書き起こさなければならないのだわ」
 帰り道、今度は三人並んで歩く。
「皆それができるようにするのが、本当の道徳教育。どうですか」
 教育哲学男が応える。目じりを下げ敬語くずれの言葉をしゃべり、ヘラヘラとしている印象の彼だが今は真顔だ。津田ちゃんは、本当にそう思っているの? と言いつつ、それならば教育というものにも希望が置けるわ。と定期入れをご機嫌に振り回す。そして、目をつぶって言う。
「私、辛いことが沢山あったから文学をやっているのよ」
男が返す。
「そんなん、当たり前ですよ」
 俺はちょっと、こいつを見直した。そして歩調を弛め、二人の後ろでこっそり、白さんのお得意「踊る人々」のポーズをとってみた。

☆     ☆     ☆

 近代文学研究班活動記録
 第十一回 十一月三日 祝日三限 三十二号館三〇四演習室 参加者:同前
「私立大学の宿命、祝日通常授業、という訳で俺たちも通常回だ」
「どうせ他の講義で来ているし、構わないわ」
 先月のSMバーの一件は、その次の週に活動記録として白さんにも報告した。「踊る埴輪」の件は白さんが気にするといけないので省いたが、教育哲学男をちょっと見直したあの一言は書いておいた。白さんは茨木さんの話にいたく感心しまた、誰しも計り知れない部分がある。それを踏まえていないといけませんね、と小声で言った。そして先週は、合宿前から継続して
「自分の身体に労働の臭いのつくのが耐えられない。朝起きて、見ていた夢が昨日の仕事の続きだったり、帰って布団に入ったら足がずうんと重かったり。眠りに入る前、ぐるぐると入り込む記憶の定着が仕事で起こしたミスだったり、手帳の予定が拘束時間で埋まっていたり。そういうのが、私にはどうにも耐え難いの」
 と言って図書館の地下書庫にこもっていた津田ちゃんの貯金が尽き、今週はそれが故に高校の友人の勧めでドーナツ販売のアルバイトを始めた、という報告が入った。偶然だが、白さんの働く会社と同じで、つまり白さんが作ったドーナツを売っているのかもしれない。俺も、結局週に一回ほど白さんの工場で働かせてもらっているので、図らずも研究班はドーナツに支配されることとなった。
 さて、本日の議題は、大衆小説と純文学についてである。
「そうやって分けるのって、ナンセンスだと思うけどなあ」
「でも、緩やかだけどジャンルの違い、みたいなものはあると思うのよ。例えば、一つの分け方として問題提起と問題解決、という視点があると思う。純文学と言われるものは、大抵答えが無い、つまり問題提起よ。作者にもその答えがよく分かっていない、場外ホームラン。読者も一緒に球を探して下さい、って感じ。『芸術の鑑賞は芸術家自身と鑑賞家との協力である』ってね。対して大衆小説は、上投げのキャッチボール。作者が、作者なりに問題とその答えを見つていて、それを読者に分からせ、安心させて、物語は終わる。「了」と書かなくても「了」だと分かる。「了」と書かなきゃいけないのは、そのあとを考えてほしい、ホームランタイプのもの、そう思うわ」
 いつも通りに語り切る津田ちゃんの横で、白さんは苦い顔をしている。二人は大抵話が合うのに、珍しい。
「……わかります。けれど、それじゃ、辛くはありませんか。あの、話がずれるかもしれないのですけど。神話は最古の文学ですよね。そして、一つの秩序です。神話とそれを擁する宗教システムの中では、ゆるぎないルールがあります。治め、裁く、多くは神と呼ばれる主人がいます。人は皆支配され、命じられ、思考の一部を制限され、それが故に肯定され、安らぎ、生きてゆけます。そうしないと、思考している、行動している自分というものが、一体どうしてここにいるか。いると、あると感じているかが分からずに気が狂ってしまいます。茨木さんの言っていたことと、同じです。人は、何が起きても揺るがない、確かな制限が欲しい。そして、この制限を選び、受けるものが「自分」という主体です。前に、お二人と「責任」について話しましたね。環境と遺伝と、偶然と。そこから引いたものが「自分」という責任であると。でも、その「自分」とは何なのでしょう。近代も現代も、津田さんが映画監督の例を使っておっしゃったことに則るならば現代も近代ですが、それはその「自分」を探す旅でした。現在完了形です。けれど、見つからない。当たり前です。。あるのは、環境、遺伝、偶然に振り回される、実体。器の肉体しかないのです。制限を選ぶ、自由さえない。神を選ぶ自由さえ、本当は無いのです。その空虚な苦しみを慰めるのが神話であって、文学であって、だから一緒に考えてくださいというのはそれは、一緒に苦しんでくださいと言っているだけで、ずるくはありませんか」
 白さんは、いつも熱っぽくしゃべった後にする、自分の行動に驚くような仕草もせず、ただ息を少し切らして、うつむいていた。
 その次の週から、白さんは現れなかった。

☆     ☆     ☆

 白さんが来ないまま、冬休みが始まり、年が明け、学年末になった。一緒に履修しているはずの講義にも先月から一向姿を見せない、と津田ちゃんが言う。いくらなんでも、大学に来なさすぎる。連絡を取ろうにも、メールの返事は全くない。他に電話番号も、共通の知り合いもいない。ドーナツ工場にはすでにひと月前に辞表を出していた。残った従業員から何か聞けるかもしれない、と思ったが、白さんの性格だ。俺が入る前も入った後も、誰かと雑談をするなんてことは一切なく、誰も、白さんの下の名前さえも知らなかった。唯一連絡先を知っているだろう監督社員へ詰め寄ったが、従業員同士のトラブル防止のため教えられないの一点張りだった。
 津田ちゃんもさすがに気になるらしく、授業中や休み時間に目を光らせるだけでなく、狂った交友関係、これは彼女の自称である、を駆使して、白さんだと思われるSNSアカウントの特定をしてくれた。そこには、龍前駅の山手線ホームで、日がな一日ホームドアに手をかけたり、離したりをしている、というとんでもない投稿だった。
 四月に白さんが、生き残った最後のポスターを見て来てくれたという掲示板、その廊下にある三十四号館のコンピューター室で、俺と津田ちゃんはしばらく黙り込んだ。すると津田ちゃんがポツリと言った。
「日暮里駅の京浜東北線は、ホームドアもないし日中通過だし、死にたいのならそっちの方が良いのに」
「んなこと言ってる場合じゃないだろ!」
 新棟のコンピューターラウンジに人をとられ、無人の室内に俺の怒声がよく響いた。
「そうよ、私、冷たいの」
 二拍ほど置いて聞こえてきた声は震えていた。恐る恐る視線を横へずらすと、津田陽子は目元を真っ赤にして泣いている。白さんに続いて、津田ちゃんまで。ちくしょう、俺も泣きたいぜ。
「しっかりしろ津田ちゃん、大声出したのは謝るよ、今は一緒に、そうだ次は白さんがどこに住んでるか、探さないと」
 投稿日時は昨日、いいや今日の深夜。はやく捕まえないと、取り返しのつかないことになる。えぐえぐと鳴き続ける津田ちゃんの手を引いて、研究棟へ向かう。道中、出会う人皆が不審者を見る目で俺を見るが構っている暇はない。エレベーターへ乗り込み、守屋教授の研究室がある五階へと急ぐ。去年と時間割が同じであれば、次の四限は二年生の必修講義だ。三限が終わろうとしている今、まだ研究室にいる可能性が高い。
 バームクーヘンを三等分したくらいに湾曲する廊下を、早足で歩く。津田ちゃんの手はエレベーターに乗り込んで以降離しているが、一応三歩ほど遅れてついてきてくれている。
「失礼します、草野です」
 ノックと同時に名乗り、重い鉄扉を開ける。果たして守屋教授は、山と積まれた本とコピー用紙と酒瓶のバリケードの奥に、いらっしゃった。
 手短に白さんの騒動を話し、どこに住んでいるかを聞き込む。途中で扉を開けて、廊下にうずくまっていた津田ちゃんも引っ張り込んだ。教授は泣いている津田ちゃんに一瞬びっくりし、でもそういうこともありますよねえ、と言いながらミニ冷蔵庫を開け紙パックの野菜ジュースを三つ取り出して津田ちゃんに抱えさせた。肝心の白さんの居場所については教務課に聞かないと分からないが、以前教会がどうとか言っていた気がするので、もしかしたら竜揚教会の留学生寮にいるのではないか、ということだった。
 野菜ジュースを両手に抱えた津田ちゃんと、キャンパスを駆け抜ける。竜揚教会は文学キャンパスの正門から魔反対、通用口から短い坂を上ったところにある。大学自体は関係ないが、確かに小規模の学生寮が併設されていた。
 吐く息は白く、朝から曇っていた空から冷たい雨が降り始めた。肩で息をしながら寮棟らしきところへ着いてみると、結露したガラスに「日本人学生入室禁止」という張り紙がふやけていた。ふざけるな、何でだ!
「……以前、日本人学生が飲酒騒ぎを起こしたからって、聞いたことがあるわ」
「何て奴らだ、迷惑だ、俺は今から日本人学生を辞める! いいか津田ちゃん、お前も今から辞めろ」
 赤くかじかんだ手で冷たい紙パックを持ち続けていた津田ちゃんからそれを奪い、扉を押して室内へ入る。
「白さん! 白さんは何処だ、津田ちゃんも呼べ。何でも良い!」
「うう……白さん、貴方の実態は本当にあるかどうか、私には分からないけど。でも確かにこの一年弱、私は貴方の言葉を知覚していたわ……」
「何でもいいとは言ったが何だそれは! だったら詩でも朗唱しててくれ、得意だろ!」
「だって、だってそうよ草野! 貴方もさっき言ったわ。俺は今から日本人学生を辞める、お前も辞めろと。そうよ、どうして私達、自分が日本人だと、日本人の学生だと、いいえ日本という枠組み、人という枠組みが確かだと、信じて生きていられるの。それは私の錯覚かもしれない。私の夢か、妄想かもしれない。貴方は本当に白浩然? 戸籍が、パスポートが、そう証明するから? お母さまが、私の子だとそう言うから? それは確かな証明にはならないわ。本当は無いのだから、と白さん貴方そういったわよね。その通りよ、無いわよ、気づいてしまえば、無いの。馬鹿! 死にたい人は、死ねば良い。当然の権利じゃない? もともと無いものを、あると勘違いしている異常な状態が今よ。だからそれを終わらせる、元に戻すことに異論を唱えられて? もう一度問うわ。白浩然、貴方は本当に白浩然?」
 津田ちゃんは、喪服の裾を引きずって崩れ落ちる未亡人のように金切声で絶叫した。俺は、床へ吸い込まれようとするその腕をつかみ、この騒ぎを聞きつけ集まってきた寮生の皆さんと無言の挨拶を交わしていた。
「あの、白さんのお友達、ですか」
 この一人を皮切りに、おお、とか良かった、などのつぶやきが続く。失神したようになっている津田ちゃんを床に座らせ、彼等と話す。なんと白さんは、あの十一月の研究班のあった日以降、まる二月間。部屋に引きこもって病人のようになっていたらしい。というか真実病人だった。ベッドから起き上がれず、たまに上半身を起こしたかと思えば目の焦点は合わず虚空を見つめ。誰かが無理矢理スプーンで押し込むスープやゼリーなどしか摂らない。また風呂も、見かねた誰かが三日に一度ほどシャワー室へ連行する。もともとの無口は限度を超え、今では皆、白さんの声を思い出せないほどらしい。ただひたすら、臥せている。
 こっちです、と案内されるがまま、津田ちゃんを引きずって白さんの部屋へ向かう。常時ならば明るく清潔感のあふれるだろう人る部屋は、ただでさえ曇った日光がカーテンで閉ざされ、薄暗い。そして何よりもベッドに沈む白さんから、ただ事ではない雰囲気が漂い、充満していた。
 ぞろぞろと案内し、またついて来ていた他の寮生たちはいつの間にか姿を消し、部屋には痩せこけ、黒ずみ、無精ひげと長くなってしまった前髪とを散らした白さんだけが横たわる。津田ちゃんは、なんとか部屋までは連れてきたものの、白さんのベッド、その腰あたりに手をかけ再び崩れ落ちた。俺はその隣、白さんの頭のあたりで直立する。
「……えていました」
 白さんは本当に久々、声を発したのだろう。最初の声がかすれて聞こえず、後に続く言葉も耳を澄ませなければ聞こえないか細い声だ。俺も津田ちゃんも黙っていると、再度
「津田さんの、叫び声、聞こえていました」
 と、はじめよりは明瞭に、言った。そして身を起こそうとしたのでで、肩を持って起こしてやる。室内に興奮はあったが、酷く寒かった。起こした身体の奥に、黒い表紙の聖書が見えた。表紙には漢字で、確かに聖書と箔が押されていた。
「私が、悪かったのかしら。私、いつも酷いのよ。いつでもそう。心底、思い遣りというものが無いの。自分の事しか考えていないの。本当は、立っているのもやっとの癖に。根拠のないプライドの高さだけで、どうにか人間らしく歩いてきたのよ。呼吸だって、発話だって、意識しなきゃ出来ないわ。摂取したものでしか、語れない。そしていつだって、その苦しみにぐずってきたの。逃げてきたの。『お君さんはその実生活の迫害を逃れるために、この芸術的感激の涙の中へ身を隠した。』まさにその通りよ。逃げているだけなの」
 津田ちゃん、いいや津田陽子は白浩然の上掛け布団に顔をうずめる。
「私は、白浩然か。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。津田さんの、先ほどの指摘は正しい。大丈夫、貴女はいつだって、今だって、自分の言葉で語っていますよ。「自分」というものは何か、あるのか、無いのか。この世界は夢か、現実か。考えました。考えて、一つの仮説にたどり着きました。そしてそう至ることが出来たのは、やはりお二人のおかげです。草野さん、良かったら、その持っているジュース、くれませんか」
 草野誠治の記憶にある白浩然の二倍ほど遅く、四分の一ほどの声量で喋った男は喉を抑えながら苦しそうに目をつぶった。草野誠治は、あまりに細くなってしまった男の手指では難しかろうと、持っていた紙パックからストローを外し、刺して、男の指を開きまた閉じ、握らせてやった。伏せたままの津田陽子にも、同様にしてやった。自身は一つ余ったそれを床に置き、再び男の枕頭へ直立した。目線は男の頭頂に注がれていた。全ての動作の間、草野誠治は一言も言葉を発さなかった。男は再び語りだした。
「環境と、遺伝と、偶然と。これらが「自分」という実体を支配していることは確実です。しかし、これらは並列ではありません。一つだけ、突出しているものがあります。それは偶然です。偶然は、環境をも、遺伝をも支配します。そして実体があること、あると感じることもまた偶然によるものです。言い換えましょう。そうですね、今、私の右に置いてある聖書の中では、偶然とは創造主であり、その意志であり、働きかけ、つまり神の恩寵です。神が光あれと言い、良しとされ、最後は自分のかたちに人を想像する。これは神の意思であり、人間にとっては思いがけない偶然です。恩寵です。進化論に則っても、同じです。科学によってその法則が、歴史が、解明されたとしても。そのはじまりがどうして起きたのか。宇宙はどうして生まれたのか。そこには人智を越えた、謎があります。人間が分からない法則、それが偶然です。運命です。そして恩寵であり、奇跡です。津田さん、貴女が私は白浩然かと叫んだことも、また偶然です。私が、三十四号館のポスターを見て来ました、留学生の白浩然です、と「言った」のもまた偶然です。草野さん、貴方が草野誠治として見、聞き、語るのも偶然です。ですから、その偶然に従って、語ってください」
 、の抑揚のないかすれ声再び見、聞き、語り始めた。肺に空気を吸い込み、口を開き、興奮の為に心拍数を挙げた。
「そうだ、白さん。それは正しい。俺が保障する。そして大切なことは、あんたが途中で例えた恩寵って奴だ。そうだ、偶然は恩寵だ。たとえ俺たちが空っぽの実体だとしても、その実体がないとそれを感じることも考えることも出来ないんだ。だから大いに笑って、泣いて、語り合おうじゃないか。ええい、泣くな津田ちゃん、いや泣け! 泣きながら語れ、お前が言わないのならば、俺が言う。カーテンを開けろ!」
 俺は、普段の一・五倍ほどの声量でまくしたて、ヘッドボードの奥にあるカーテンを勢いよく開ける。そして続ける。
「いいか、良く聞け。『東京の空が見えた。置き忘れてきた私の影が、東京の雑踏に揉まれ、踏みしだかれ、粉砕されて喘へいでゐた。限りないその傷に、無言の影がふくれ面をした。私は其処へ戻らうと思つた。無言の影に言葉を与へ、無数の傷に血を与へやうと思つた。夜着の泪を流す暇はもう私には与へられない。全てが切実に切迫してゐた。私は生き生きと悲しもう。私は塋墳へ帰らなければならない。』どうして夜が来るのか、明けるのか。人はいるのか、喋るのか。死ぬのか、生きるのか。偶然の法則が恐いのならば、俺たちで創っていこう。引用だって、構わない。公開しなくたって、構わない。昔から神話だって民話だって、パクリあってきたんだし。禁書も秘伝もたくさんあった。俺たちだって、そうで良い。白さんは一緒に病院に行こう。津田ちゃんは一緒に旅に出よう。哲学の、あの男もなんなら誘って良いんだよ。もちろん、白さんも体力をつけて一緒にだ。知っているか? 旅って、現実が悲しいからするものなんだぜ。俺、言ってなかったけど鉄道旅行が好きなんだ。新幹線じゃなくて、中距離列車を乗り継いでさ。皆で行こう。途中、いや現地集合だってかまわない。静かにどこかへ運ばれてさ。遠くに行こう。結構いいものだよ。そうしてさ、一人だけど一人じゃないって、体に教え込むんだ。それから一緒に、創っていいこうぜ」
 俺が語る間ずっと、野菜ジュースを飲んでいた津田ちゃんはズズとストローを鳴らしてそれを飲み干し、よろよろと立ち上がった。
「ええ、ええ。『ニイチエは宗教を「衛生学」と呼んだ』わ。衛生は必要よ。自分に合ったものが。そして『私は物語の洪水の中に住んでいる』わ。そしてその洪水で生き残った勝者が言葉を紡ぐ。『人各々。おのれひとりの業務にのみ、努めること第一であるが、たまには隣人の、かなしくも不抜の自尊心を、そ知らぬふりして、あたためてやりたまえ。』よ」
 白さんは、ストローを軽く食んでから言う。
「行きましょう。行きましょう。主の平和のうちに。ちょっと、冒頭の愉快さを、思い出さなければなりませんね。『予は笑い顔の見えないところには、独り真面目さのみならず、人間性の存在をも想像できない。真面目さに憧れる小説家、評論家、戯曲家等に敬意を持たないのは、当たり前である。』さあ、愉快に行きましょう」
 すると草野誠治、と呼ばれていた、これまでの男の理論と観察と理想とが組み合わさったものは、手の平を顔にあてて笑い出した。黒く硬いロングコートが、裾を鋭利に揺らす。
「あっはっは、いや白井くん。これが、今の状態が真面目とは恐れ入ったね。嘘仰い。彼女にもご丁寧に、ヴィクトリア朝も顔負けの喪服を着せて。おまけに紙パックの野菜ジュースときた。ドーナツの箱はどうしました。そしていつからです、いつから、そのレースの手袋を着けさせるんですか。私は入り口で、赤くかじかんだ手から三本、ジュースを奪い取りましたよ」
 ベッドに座っている、白浩然と呼ばれていた男は苦笑し首をかしげる。男は只一人、この世界の偶然だった。かしげた首は、あるかどうか分からない。津田陽子と呼ばれていた、これまでの男の記憶と感情と希望とが組み合わさったものが居る筈の場所には、ドレスでもない只の黒いごみ袋が落ち、重し代わりに男の読書記録が置かれていた。草野誠治と呼ばれたものの居た場所も、今は只百円ショップで売られている縦書き原稿用紙が置かれていた。男、白浩然と呼ばれていた、が座る場所には、只一つ思考があり、視点があり、これら神と、それに染み込んだインクとを感知していた。そして天気はみぞれになり、風が吹き、あるかどうかもはや誰にも分からぬ窓を叩いた。薄暗い部屋に灰色の光が差し込み、ざらざらとした浅い陰影が描かれる。一個の思考は、それらを知覚し、そしてやはりこれではつまらなかろうと、新しい物語を作り始めた。
『空想に、遊んだことはありますか。私は長く、といっても鎖骨の下あたりまで伸ばした黒髪を、マフラーの中から引きずり出す。海老田誠治に誘われた、近代文学研究会というサークルの、新歓イベントへ行くのだ。鶴前駅の鶴田改札を出て、人の波に乗り地下鉄へもぐる……』
 草野誠治と、津田陽子と、白浩然とをつないでいた偶然は解かれ、三者は溶かされ、また何者かへ鋳造された。白井浩然は、再び自身を知覚した。そこは彼以外誰もいない、中距離列車の車内で終点だった。彼はホームの売店で野菜ジュースを買い、ストローを剥がし、刺し、ゆっくりと左手の五指を開き、紙パックを握り、閉じ、それを右手で撫でた
「知っているか、旅って、現実が悲しいからするものなんだぜ。幻想即興曲みたいなものが、書きたいわ」
 二人の顔は見えず、声だけが言葉として再生された。そこに自分の、目障りな反射は存在しなかった。全ては河原の石のように、まろやかに調和していた。
(了)

甜圈づくり

甜圈づくり

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-01-29

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted