スーソヤマヤマプッチャケトマト
スーソヤマヤマプッチャケトマト
☆愛すべき四年間に。
一、の書簡
綾瀬さんへ
お手紙ありがとうございます。八王子のお部屋、いつか行ってみたいです。元アナウンサーの方の講義、私も気になります。まさに教養ですね。面白い授業があるのは良い事です。私もこの大学に、学部に、入って良かったと思っています。日本語学の先生によると、正しい日本語というものは存在しないそうです。確かに、言葉と言葉で理解しあっていると思ってはいても、それはその言葉の持ついくつかの要素のうち何かを、たまたま同じく拾った(と思っている)だけですもんね。ううむ、少し寂しいな。ではまた二十三日に。楽しみです。
ユモト 2014.5.8
綾瀬さんへ
今日はお会いするの楽しみでした。来週も、お誘いいただいてありがとうございます。高校の時は、いや中学からか。こんなに親しく深くお話しさせてもらえるなんて思ってもいませんでした。ありがたいことです。葉書って、油断するとすぐ埋まっちゃいますね。続きは会った時に話させてください。色々と、面白いことありました。文字より電話、電話より対面。よく言いますよね。
ユモト 2014.7.3
真由美ちゃんへ
高校の友達と、島根に来ました! 二人なのにお互いこじらせているので、一人旅みたい。良い意味で。とても楽しいです。
そして前に風景印のお葉書頂いたので、真似して返します。真由美ちゃんとも何処か行きたいな。どうせならロシアが良いでしょうが、ちょっと難しいので青森とかどうでしょう。「津軽」でも読み直して(笑)。ではまた部室で。
湯本飛鳥 8・27
綾瀬さんへ
この間の島根・鳥取ありがとうございました。予約から運転までおんぶにだっこで……スミマセン。とても心地よい旅行でした。綾瀬さんの負担になっていなければ良いのですが。
歌詞も詩だし、文学として扱うべきよなあ、と思います。必修の授業で聞いたのですが、もともと詩歌は人と人との一対一のコミュニケーション=贈答歌、が多かったのに、近代以降は自分の気持ちを詠む独詠歌が多くなったそうで。歌詞はほとんどが後者だなと。でもそこから引用して書いてこうして送ってくださるのは、贈答に戻ってるよね。ありがたいです。夏休みも課題がたくさんとのことですがお身体を気を付けて。またお茶しましょう。
ユモト 2016.9.2
綾瀬さんへ
最近寒いですね。八王子はもっと寒そうです。教職の授業で本部のキャンパスへ行くと、銀杏が大量に踏みつぶされて、なんとも困ります。うちのキャンパスのように、メタセコイアにすれば良いのに。綾瀬さんの大学はどうですか?
先日もぐだぐだと語ってしまったことですが、人間結局、これまでの環境によって生きているのだから、それからは逃れられないんだなと思います。だからしかたない……こういう言い訳というか、ぐずっている感じというかは、甘ちゃんの思考だとも思うので恥ずかしい限りですが。
気づいたら直せるってわけじゃないんだよね。だからら気づかないほうが良かったんじゃないかとか。雨だからか、うだうだとすみません。あ、これも環境のせいに……。
ユモト 2016.10.26
綾瀬さんへ
寒いと人はひっつくとよく言いますが、周りがどんどんカップルだらけになり。すごい本当だ……。と思うこのごろです。ところで世の人は、自分の生活が、衣食住、経済、時間、精神、身体が、完全、万全でないのに恋人はいるということ、よくありますよね。私、できないなと思います。自分が不完全なのに、他人と共依存なんて絶対できないと思ってしまいます。生きるにあたって燃費が悪いとつくづく思います。またメールしますね。
ユモト 2017.11.28
まりりんへ
お誕生日おめでとう!
よい一年にしてください。
とりあえずいつも部屋が寒そうなので、これ使ってくれ(笑)
アスカ
綾瀬さんへ
すごい! 活版のカードだ。可愛い~!
最近、日本文学の専攻の子たちと仲良くなっています。皆それぞれがぶっ飛んでいて、おもしろい。前に話したかもしれませんが、飲み屋でのハッピーアワーで、それぞれが家のトラウマを語りだすアンハッピーアワー会になっちゃった、あのメンバーです。綾瀬さんはもちろん、周りに尊敬できる人がだくさん居てくれて、幸せ者だなと思います。次は年賀状かな? 良いお年を。メリークリスマス。あ、逆か(笑)
ユモト 2016・12・22
明けましておめでとうございます。
旧年は本当にお世話になりました。どうか愛想を尽かさず、今年もお付き合いくだされば幸いです。綾瀬さんにとって良い一年となりますように。
飛鳥
綾瀬さんへ
葉書とか手紙とか、なかなか遣りとりする相手がいないので、ついつい甘えて直ぐお返事しちゃいます。お忙しいと思うので、お返事気を遣わずにお願いします。今年はついにお互い実習ですね。文系でぬくぬくと三年間過ごしている私からしたら、あんなに勉強した上に実習が一カ月以上も……とびっくりです。どうか心身損なわない程度に、程々に頑張ってください。またメールします。
アスカ 2017.1.22
真由美ちゃんへ
前に言っていた本、置いておきます。また本の話でも日本語の話でもしましょう!
湯本飛鳥 2・6
「ながいことである。大マラソンである。いますぐいちどに、すべて問題を解決しようと思うな。ゆっくりかまえて、一日一日を、せめて悔いなく送りたまえ。幸福は、三年おくれて来る、とか。」 太宰治「答案落第」
いよいよ今秋からですね。自己満足で、実習中に定期便させていただきます。引用は、去年やった太宰芥川マラソンの後遺症です(笑)。お返事不要です。二か月後くらい? お会いするの楽しみにしています。心身お気をつけて。
ユモト 2017・3・2
綾瀬さんへ
この間ちょっとメールでもらしちゃいましたが、もう実習やら就活やらで気が狂いそうです。実習まで行くなら教職に就け、ってことなんでしょうが、もうムリ。なんていきなり愚痴でごめんなさい。朝、ポストからお葉書ひっつかんで、学校で昼過ぎにようやく読めて泣きそうになりました。アリガトウ。
実は祖母や父からはもう金は出すから院進しろなんて今責められていて、本当は一刻も早く自立をして出ていかなければと思うのだけれども、もう疲れちゃって進学するか、という気持ちです。もともと文学の勉強は好きだし、社会人やってから戻ろうかとも考えていたし。
私が勉強を好きなのは、単に知的好奇心を満たしてくれるっていう面白さも勿論あるけれど、やった分だけ応えてくれるっていうのもあるんだよね。なんだろう、理不尽じゃないっていうか。私しか感じた人がいないから、これは私が大げさにとらえて騒いでるだけかもしれないけれど、私はやっぱり家族の中での理不尽さ、例えばこうしろと言われてそうすると怒られ、しないでも怒られ、とか。自分にはどうしようもできない顔とか体とか器用さについて怒られたりとか。正座三時間とか冷たいシャワーを浴びせられるとか、かと思えば同じく過ごしているつもりなのに上機嫌でお弁当を作ってくれたりとか。ルールがその都度違って、曖昧で、攻略できない、「クソゲー」って感じ。これが苦痛だったんだ。
だから覚えれば、練習すれば、身につくっていう。勉強のそういうところがね、好きだったんだと思う。でも、そういう勉強できる環境を作ってくれたのもまた家族なんだ。幼稚園児の私にひらがなを教えて、本を与えて、学費も、塾代も、与えてくれた。もちろん衣食住で困ったことはなかった。
小学校でも、中学は怪しかったけど高校でも、そして大学でも成績は良い方。でも与えられた環境を鑑みたら、当たり前だ。私の実力なんかこれっぽっちもなくて、この家に生まれていなければこの学校だって絶対行けなかった。ってこれは母親から再三言われていることなんだけれども、その通りって思う。でも、やっぱり自分の努力の部分だってあるだろうと反発する時もある。なんとびっくり、私もクソゲーな人間だったんだ。
周りはさっさと家を出りゃ良いとかいうけどさ、それもできない。弱いだけなんだけどね。だからせめて形だけでも、もう世話になるのは嫌だわ、と経済的自立をすべきなのに、結局これでまた最低二年はこのままだ。いつだったか環境が何とか、とか言った気がしますが、仮にその環境論(笑)、にのっとるなら、出られないこの弱さも環境によるものなのだろうね。長々と本当すみません。途中で読むのをやめていてくれたら良いんですが……。燃やしてください。これ、私の教壇実習(実習生の授業ね)について先生たちが色々と厳しいこと言ってきた紙に、指導教諭が言ってくれた言葉です。楠本先生。覚えている?
お勉強頑張ってください。邪魔してごめんね。
指導教諭と生徒には、本当に恵まれました。 湯本飛鳥 2017.5.17
綾瀬さんへ
お返事、本当に心に助かりました。その上日曜にわざわざお会いくださって……。うう、本当にありがとう。救われました。今は実習も終わり、大学院へ行くと腹を決め日々修論計画と戦っています。でもこうして図書館の地下にこもったり、レポートを書いたりすること自体は好きだし、ここまで来たら、大学で粘り続けていたいなと思います。綾瀬さんや、専攻の友人たちのおかげで、なんとか心が復調してきました。
昨日も、本部と文学部の間に停まるトラックの、「トマトケチャップヤマヤソース」を逆から誤読してしまって、「スーソヤマヤマプッチャケトマト」と皆でゲラゲラ笑いました。思えば吹奏楽部でも、高校のクラスでも、こういう下らない共通の笑いってありましたね。同じところで育った、同じ過去の一片を持つ仲間がいるのは心強いことです。友人とは頭注の要らない人のこと、中島敦だっけな? 人間ってやっぱり群れの動物だものね、友達とわちゃわちゃすると元気が出ます。何が言いたいか、また分からない文を連ねてしまいました。
とにかく感謝しております。就活いち段落なさったら、優雅に目黒でアフタヌーンティーでもしましょう。綾瀬さんならすぐ決まる! 採らない病院、企業はアホです。またご連絡申し上げます。返信不要です。
湯本 2017.6.25
綾瀬さんへ
いつの間にか卒業を考える時期に……。国試、頑張ってください。何様って感じですが、四年間ちゃんとやっていらしたので大丈夫でしょう!
私も卒論ちゃんと書いて卒業します(笑)。去年、卒論の計画書を出したときはこんな進路になるとは夢にも思っていませんでした。
今年は色々とご心配をおかけしましたが……何卒来年も変わらずごひいきに。
ユモト 2017.12.30
綾瀬さんへ
サークルの後輩と青森に来ました。私は東北本線に乗りたかったので、まさかの現地集合。つくづくヤバい人です。わがままに付き合ってくれる後輩ちゃんに感謝。国試も終わったことだし、偕楽園の梅でも観に行きましょう。思えば高三、受験が終わってから二人で偕楽園に行ったのがこうやって深い? 話をさせて貰うきかけだったのだと思います。中一で吹奏楽部に入り、高校で逃げ、文理選択でも分かれ……。大学も、勿論違う。
ひとつだけ一階に取り残された八組の教室に、ちょくちょくと小さなお手紙を渡してくださったのがはじまりでしたね。どうして目をかけて下さったのか未だに謎ですが、本当に感謝しています。ありがとう。
千葉の新しいお部屋には、行きたい等申しません(笑)、個を尊重して、でもじわじわと、心の深い部分を話してゆけるる友達。ずけずけと入りはいたしませんわ。これで手紙は卒業かな、という気もしますし、すっとぼけてまた甘えることも大いにあり得ます。また下さるなら大喜びです。
四年間、いや潜在期間も入れて十年間、本当にありがとう。どうぞこれからも、変わると思います。変わってもどうか宜しくね。本質的にわかり合えたのなら、分かり合えたと、語る言葉の要素同士に公約数を見つけられたと互いに思っているならば、きっと間があいても変わってもまた深く話し合えるでしょう。
そしてお互い掛け合った言葉は消えませんし。自分が送ったものは見ずに忘れてしまえるのが手紙の良いところですね。逆に相手からもらったものは消えない。捨てがたく、とっておくから。
では、また。
湯本飛鳥 2018.2.25
二、のSNS投稿
(短文投稿サイトの更新)
・2年記念☆ディナー☆☆☆
2016.6.6.22:36
【お気に入り】@飛鳥浄御原、@miwa、@SUMEER、ほか6人
(中略)
・ああっ奨学金申請
2016.8.23.12:03
(中略)
・何だろう、何を求めているかってことなのかな。私は人に話すときはその人の意見が欲しくて話すからさ、だから私としても意見をすぐ返してあげようと思うんだけど。
【お気に入り】@陸ガメ、@麺麺、@SUMEER、ほか9人
2016.9.4.21:22
・あー、成程。感情の問題ね。
【お気に入り】@陸ガメ、@麺麺、@SUMEER、ほか9人
2016.9.4.21:22
・でもさ、分かっているならもうあとはそれに従って解決していくだけじゃん。
【お気に入り】@陸ガメ
2016.9.4.21:23
・【引用】@GIRLS NEWS:30分で完璧、時短でばっちりメイク:URL▼▼
2016.9.3.20:11
・【下書き】うーん、やっと(?) 同じような思考レベルで話せる人たちと会えたって思ったんだけどなあ
2016.9.4.21:25
・【下書き】結局さ、そうやってうだうだ悩んで居られるのも最低限の経済が保障されているからだよね。悪いとは言わないけどさ、時間の無駄。
・この世はバトルロワイアルだからなあ
【お気に入り】@miwa、@陸ガメ、@SUMEER、ほか21人
2016.9.4.21:29
・それそれ、本当にそう。最初に生まれついた所がさ、田舎だったりさ、貧乏だったりさ、両方だったり。それだけでかかる労力は何十倍、チャンスも激減
【お気に入り】@SUMEER、@2929、@百合、ほか33人
【引用】6人
2016.9.4.21:30
・やっぱこの世は理不尽よ
【お気に入り】@糸吉、@鞠、@飛鳥浄御原、ほか30人
【引用】2人
2016.9.4.21:30
・【引用】@陸ガメ:環さんお美しい……。もっと自撮りあげてほしい
2016.9.4.22:00
・うふふ☆
2016.9.4.22:02
・私は自分の力でのし上がってやるし、自分が欲しい称賛も自分で提示して自分でもぎ取るわよ。
2016.9.4.22:03
(中略)
・【引用】@まとめNEWS:悲報、某社入社式、全員同じ容姿でまるでクローンしめじ
2016.10.11.15:29
・別に、今はそれなりにハッピーだけどさ、たまに、この女子大生って言う大きな括りの中で、さらにこのマンモス大学の一生徒だっていう事実に、吐き気がする。
【引用】1人
【お気に入り】@糸吉、@SUMMER、@百合、ほか9人
2016.10.12.22:53
・人間、「個」に気づいた時点でそうありたいでしょ。
【お気に入り】@糸吉、@飛鳥浄御原
2016.10.12.22:54
・集団って、それまでの環境とかと同じくその人を縛るじゃん。脱さないと呑み込まれちゃう。
2016.10.12.22:55
・ゆうて、私も見た目は量産型ですが(笑)
2016.10.12.22:55
・わーん、彼氏と電話して落ち着いた
【お気に入り】@陸がめ、@2929
2016.10.12.22:56
(中略)
・肉食お、肉
2016.11.23.18:02
・水曜6限相変わらずきっついわ。今日から人肉の話か。
【お気に入り】@鞠、@miwa、@SUMMER、ほか8人
2016.11.23.18:16
・こないだの公害の奴でも思ったけどさ、やっぱ貧乏は人を殺すよ。正義が通じない。
【お気に入り】@SUMEER、@2929、@百合
2016.11.23.18:17
・人肉ビデオヤバかった……。もう今日は肉食べる気しないわ。
【お気に入り】@SUMMER、@糸吉、@madder09
2016.11.23.19:46
・なぜ人間は人間だけを食べずにいられるのか? ってそりゃ本能的に、生理的にムリ、だけど、じゃあどこまでOKなんだろう
【お気に入り】@madder09、@miwa、@糸吉ほか2人
2016.11.23.19:49
・どこまでっていうのは認識もそうだし、状況もそうだし。例えば知らなかったら? 今日見た映像のように、そうしなきゃ生き残れなかったら?
【お気に入り】@madder09、@飛鳥浄御原、@miwa
2016.11.23.19:50
・生き残るにそれが最善だったら、その選択以上の義ってあるのかな。
【お気に入り】@鞠、@糸吉
2016.11.23.19:50
・うまく言えないけど、人間だって家畜のように育てれば家畜になる筈。食われる筈。仕方がなかったら、食らい合う筈。悲しくもそういう体質に生まれついたら、食う筈。
【お気に入り】@madder09、@SUMEER、@鞠
2016.11.23.19:51
・そうやって自分ではどうしようもない決定事項にのって、行うことを。他の決定事項にのっている結果、運良く今の社会に沿っていられる人が裁くことはできないんじゃないか
【お気に入り】@madder09、@SUMEER、@鞠、ほか3人
2016.11.23.19:51
・【引用】セミオーダー☆刻印アクセ再販☆ハンドメイドです。通販下記リンクから▼▼……▼画像1 ▼画像2
2016.11.23.19:24
・かわいいーっ
2016.11.23.19:54
・【下書き】そうだね、たしかに。でもみんな物質的には恵まれていたじゃない
・そういうしがらみから、育ってしまった沼から、脱する為には己の才覚と努力と根性がさ、いるよね。
2016.11.23.19:59
・私が今、できているとかできていないとかじゃなく、そういうの関係なく。理想として。
2016.11.23.20:00
・【下書き】けど、絶対やってやるからな。
(中略)
・就活速攻で終わらせた!
【お気に入り】@飛鳥浄御原、@2929、@陸がめ、ほか29人
2017.6.29.19:46
・とういう訳で現世に帰ったよ。久々に大学行ったらメタセコイアが刈られてて、時の流れを感じた……
【お気に入り】@糸吉、@鞠
2017.6.29.19:47
・ありがとー! ありがとー! リクスー一択ほんと無理だった。私服面接最高。
【お気に入り】@糸吉、@SUMEER
2017.6.29.20:33
・【引用】@飛鳥浄御原 スーソヤマヤマプッチャケトマトめっちゃ笑った ▼画像
【お気に入り】@飛鳥浄御原、@SUMMER、@miwa、ほか6人
2017.6.23.13:45
・これなww 坂で笑い転げるヤバイ集団になったわ。
【お気に入り】@飛鳥浄御原、@madder09、@miwa、ほか6人
2017.6.29.19:49
・【下書き】まだまだ。これから勝ち続ける。
・【下書】そしてそれは飛鳥みたいな美和子みたいな空想上の勝利じゃない。きちんと実生活も伴って私は勝つ。
(中略)
・バイト変えてから皆がいる時間に浮上できてない……ここも仕様変ったし来る頻度減りそう。
2017.6.29.19:46
(中略)
・ヤバイ卒論終わらん、が飛びます。さらば本州! ▼写真
【お気に入り】@陸ガメ、@SUMMER、@鞠、ほか10人
2017.11.8.08:33
・3泊4日めっちゃ楽しかった! ▼写真1 ▼写真2 ▼写真3 ▼写真4
【お気に入り】@陸ガメ、@SUMMER、@鞠、ほか10人
2017.11.11.22:32
・必修も残り少ないし貴重なランチチャンス☆ ▼画像
【お気に入り】@飛鳥浄御原、@SUMMER、@miwa、ほか6人
2017.11.12.12:21
(中略)
・卒論提出! 8単位頂きます。
【お気に入り】@miwa、@SUMMER、@madder09、ほか21人
2017.12.8.16:31
・あーもう学生終わったって感じになってる
【お気に入り】@鞠、@糸吉、@飛鳥浄御原
2017.12.8.16:33
・研修も始まっちゃうしなあ
【お気に入り】@madder09、@SUMMER、@miwa、@百合
2017.12.8.16:34
・お久しぶりです。生きてます(笑)。ところでありえんお知らせですが、私、環は諸事情合ってこの春でこのアカウントをもう更新しないことにしました……。
【お気に入り】@SUMEER、@2929、@百合、ほか33人
【引用】13人
2018.2.9.21:19
・うう……みんな反応ありがとう……ッ
2018.2.9.21:25
・正直、ここは本当に居心地よくて、言いたいことも知りたいことも思考の整理も沢山できて、大事な生活の一部だったんだけど
2018.2.9.21:26
・でも不変ってないしね。
2018.2.9.21:27
・わーん! 自分で言ったけど寂しいよ~。でも今日で本当終わり。決めたことは変えないよ。
【お気に入り】@2929、@飛鳥浄御原、@鞠、ほか16人
2018.2.9.21:28
・あ、そっか飛鳥はまだ学生だ いやいや会おう会おう当たり前じゃん
【お気に入り】@飛鳥浄御原
2018.2.9.21:29
・!!! 消さないよ。削除されない限り(笑)
2018.2.9.21:31
・【下書き】でももう、見返すことは無いだろうな。
・いつでも打ちっぱなし、責任は、取らなくて良い。何か問題ある? ないよ。ただ、消すのは卑怯だもの。取っておくよ。
【お気に入り】@鞠、@miwa、@陸ガメ、ほか8人
2018.2.9.21:33
・【下書き】ペンは力だ、いや力の一つだ。
・自分から一度放たれた言葉は、もう自分が所有権を持っていないもの。好きに受け取れば良い。そうやって相手を縛り付けないことこそが、言葉を放った側の責任だ。
【お気に入り】@鞠、@糸吉、@飛鳥浄御原
2018.2.9.21:37
・学があれば理不尽な状況も打破できた。いや、そうしなきゃいけなかった。なぜなら生きなきゃいけないから。生きるってのは更新しないと意味が無いでしょ。
【お気に入り】@糸吉
2018.2.9.21:39
・あ、ここで投稿する「更新」じゃないよ(笑)
2018.2.9.21:39
・だから書くし、発言するし。消さないし。呑み込んだ言葉があったとしても、それはまだ出すときと場合じゃない……って私が判断したんだ。再構築して、きっといつか出す。
【お気に入り】@糸吉
2018.2.9.21:41
・いつか、いつか、いつかって言ってうだうだ引き延ばすのは嫌い。だけど黙るべき時もあれば考えるべき時もある。人は日々成長、じゃないとしても変わっていくし。
【お気に入り】@鞠
2018.2.9.21:42
・繰り返しになっちゃうけど、昨日正しいと思ったことは昨日では絶対に正しかった。でも今日それを否定しちゃいけない義理はない。
【お気に入り】@糸吉
2018.2.9.21:43
・いつでも正しくありたいし、いつでも強くありたいし、いつでもここから脱したい。常に、闘い続けなけりゃ、沈んでしまう。
【お気に入り】@飛鳥浄御原
2018.2.9.21:44
・それ以外に、私達が持つべき責任ってある? その責任って何に対して? じゃあ親は、血は、環境は、国は、地域は。私達の行動を導いてきたこれらは、私達に何か責任を取ってくれているか?
【お気に入り】@miwa、@糸吉
2018.2.9.21:45
・私たちがその導きから脱せないが故に起こしたことは、行ったことは、本当に私たちの責任なのか?
【お気に入り】@miwa、@madder09
2018.2.9.21:46
・そんな中で、もがいてるんだ。死なないために。ただそこにいちゃ、呑み込まれるから。きれいごとを並べて、自分に都合の良い事だけ言って、解釈して、理想を吠えて、何が悪い。言わなきゃ死ぬと、あの日、あの時、そして今、私がそう思ったんだ。大げさで何が悪い。正しいに決まってる。
【お気に入り】@飛鳥浄御原、@miwa、@SUMMER、@madder09、@鞠、@糸吉
2018.2.9.21:47
・以上、ちょっとどころじゃなくかっこつけちゃったな……寝よ。ばいばーい
2018.2.9.21:55
三、の講義録
第一回(出席票)
〔2016〕年〔9〕月〔28〕日〔水〕〔6〕時限目 〔文学〕部〔文〕学科〔日本語日本文学〕専修〔3〕年〔多賀美和子〕〔1R201492853〕
第二回(出席票・コメントシート)
〔2016〕年〔10〕月〔5〕日〔水〕〔6〕時限目 〔文学〕部〔文〕学科〔日本語日本文学〕専修〔3〕年〔多賀美和子〕〔1R201492853〕
ルポルタージュ、ノンフィクション作品には今までなじみがありませんでしたが、これからより多くの作品に触れる機会を頂けるということで、楽しみです。事実に基づいていながらも、作者の個性が出るということで只のニュースとは違い、メッセージ性が強いのかなと思います。
第三回(出席票・コメントシート)
〔2016〕年〔10〕月〔12〕日〔水〕〔6〕時限目 〔文学〕部〔文〕学科〔日本語日本文学〕専修〔3〕年〔多賀美和子〕〔1R201492853〕
公害については勿論、中学高校の社会科で学びました。しかし今日のように実際の映像や、それについて書かれた生々しい記録を見ると、より考えさせられます。特に文学にされると、それを読んで、自分の中で再生して読み取っていく訳ですから、より自身の問題として、感じられます。
第五回(出席票・コメントシート)
〔2016〕年〔10〕月〔26〕日〔水〕〔6〕時限目 〔文学〕部〔文〕学科〔日本語日本文学〕専修〔3〕年〔多賀美和子〕〔1R201492853〕
一体人間の尊厳とは何処にあるのか、考えさせられました。自由。身体においても精神においてもそれを犯されたとき、人は人であるのでしょうか。そのような状態で、命じられるがままに働き続け死に行く人生は一体何の意味があるのか。その意味をせめて一かけらでも残すためにここにこれを記す、と結ばれていますが、書いたから、読まれたから、知られたからといって何がその死んだ人に還元されるのか。確かに問題提起としてそれからの社会の改革へつながる、という意味では大いに意義があります。しかしそれはそれからの人の為です。一体この人自体には何の利があるのでしょうか。
第六回(出席票・コメントシート)
〔2016〕年〔11〕月〔2〕日〔水〕〔6〕時限目 〔文学〕部〔文〕学科〔日本語日本文学〕専修〔3〕年〔多賀美和子〕〔1R201492853〕
前回、ノンフィクション作品で扱われる人は一体書かれたからと言って何の良いことがあろうか、と考えました。今回、それは無いのだと改めて感じました。ではどうして書くのか。それはやはり書く者のためだと思います。自分の為に書くのです。読む我々が何かを思うのはその副産物で、おまけです。思想史や文学史に対して教養が薄いのでとりとめのないことしか言えませんが、これは文学とは何か、ということにつながる大きな問題だと思います。
第七回(出席票・コメントシート)
〔2016〕年〔11〕月〔9〕日〔水〕〔6〕時限目 〔文学〕部〔文〕学科〔日本語日本文学〕専修〔3〕年〔多賀美和子〕〔1R201492853〕
前回の感想を取り上げていただき、ありがとうございます。今回で開発と労働者、というテーマはひと区切りとのことですが、社会の為、人間の為の物事が個人をつぶす、ということとその潰された者を描くことでまた逆に書く者、読む者の為になる、という希望・絶望の表裏はとても興味深く、授業中教えていただいた他の文献も読んでみます。
第九回(出席票・コメントシート)
〔2016〕年〔11〕月〔23〕日〔水〕〔6〕時限目 〔文学〕部〔文〕学科〔日本語日本文学〕専修〔3〕年〔多賀美和子〕〔1R201492853〕
前回から戦争犯罪の問題について扱っているとのことで、そのはじめとしての人肉事件、非常にショッキングです。しかし自由を損なった状態での責任、その所在。郊外、開発と労働者……これまで触れてきたものから一貫して流れている、同一の問題だと思います。
第十回(出席票・コメントシート)
〔2016〕年〔12〕月〔30〕日〔水〕〔6〕時限目 〔文学〕部〔文〕学科〔日本語日本文学〕専修〔3〕年〔多賀美和子〕〔1R201492853〕
戦争犯罪において浮き彫りになる加害者と被害者の境界線の問題。他の犯罪、罪においても同様の問題は或るのでしょうが、やはり戦争というすべてが被害者とも言え、また加害者ともいえる異常状態だからこそ分かりやすく見えてくるのだと思います。人の罪というものを考えた時、その罪を犯そうという意図はあったのか、ということは大きなポイントです。やりたくないのに、脅されてやったのか。自身が生きる為に仕方なくやったのか。無意識のうちにやってしまったのか。どれも、明確な罪を犯そうという意図はありません。しかし犯した罪、行った跡は確かにある。記憶にもある。加害者も苦しみます。これが罪と罰ということかもしれませんが、罪を犯さざるを得ず、それが為に一生苦しむ者。彼らもある種の被害者に相違ありません。
(第十一回~十五回分)日本語日本文学専修必修研究講義6 期末レポート
文学部文学科 日本語日本文学専修3年 多賀美和子(1R201492853)
講義の時間を使って自身でノンフィクション文学をまたはノンフィクション文学についてのレポートを書くように、とのことで、まず何を題材にすべきか悩みました。しかし、学生の私が一番真面目に、現実を見つめ、考えをめぐらし書くことができるのはやはり私と私に関わる人たちのことだと思いました。
私達は幸いにも自身が公害、苦役、戦争の下で苦しんだことはありません。しかし文学が人間の本質を描くのならば、表出する具体例が異なっていても、描かれる人間、読んでいく感情は同じ筈です。個人としてバラバラに生きている私たちは、本来全く同じ経験をすることもなく、まったぃ同じ性質の人もいない。つまり苦しみも喜びも、感じるものも考えるものもすべてが人によって違う。人と人とはこの世において完全に分かり合うことはできないということです。ただ、自分に置き換えて考えてみたり、感情を慮ったりすることはできる。共感することはできる。自分に重ねて、考えてみること。例えば家庭の経済状況で苦しんだ友人がいます。一方で家庭内の人間関係に苦しんだ友人もいます。彼女たちはお互い、私の方が辛いと言いたげです。いえ、お互いがいないところではすでに言っています。それぞれが違う理由で、違う主体で苦しみを感じたから、分かり合えないのです。でも、自分が苦しかったことを思い出して、相手もこうだったのかな、と想像することは出来る。苦しいという感情を共に感じることはできる。感情は同じだから。文学を読んでいけるのだから、きっとできる。でもまだまだ、難しい。否定されたらムカつくし、プライドだけはチョモランマだし。だからたくさん、物語を摂取しなくては。
また私たちは自由を欲しています。自由というと大げさですが、それは自分の意思で物事を考え、実行できる状態だと考えます。そんなもの現代日本に生活していれば自然と得られると、そう考えられがちですが、よくよく考えると怪しい。私の意思とは何なのか。どこまでが他人からの、環境からの影響で、どこからが私と違う個人で、意志なのか。自由なのか。
環境のせいにしてはいけない。打ち勝つべく努力しろと、それこそが格好良いものだとそう私も思ってきました。普通に大学に通い、笑いあっている私たちが一体何と戦っているのか。思春期にありがちな妄想か、とお思いでしょう。確かに妄想かもしれません。けれど、常に完璧を目指す強迫観念を植え付けられたり、常に上位に立たなければと気を張ったり、母親のトラウマによって中年女性の前では委縮しかできなかったり、親に黙って改宗したり、整形したり、生活のすべてをお膳立てされるがゆえに洗濯機ひとつ回せなかったり。私の周りは苦しいと言う者ばかりです。私もこのどれかに属しています。
考えてみてください。私たちは二十年も、育まれた環境に影響され続けてきました。人は無限に関り合っていて、相互に影響を与えます。そんな影響だとか戦うだとか大げさな言葉を並べたって、洗濯機くらいインターネットで調べて回しなさい、そう思うでしょう。覚えても回させてくれないのなら家を出れば良い。その通りです。けれど何だか駄目なのです。洗濯機の子は私ではありません。けれど気持ちはわかります。分かっているなら抜け出せば良いなんて、そんな、簡単にはいきません。そもそも抜け出す主体は誰ですか。あるのですか。
この講義ではしばしばショッキングな映像資料や手記が扱われました。ある人は退室しましたし、苦言を呈するコメントシートもあったようです。私はそれを見た時、聞いた時、弱いなと思いました。彼等を見下しました。自分が出来る事、努力していることを他人が同じように出来ない時、人は人を見下すのですね。私もそういう辛いものを読んでショックを受けなかった訳ではありません。電車で「海と毒薬」の手術シーンを読んで吐きそうになったことも(「海と毒薬」はノンフィクションではありませんが)、「夜と霧」を読んで寝込んだこともあります。この講義でだって何度も、指の腹に八重歯をあてました。見るもの、読むものから影響を受けやすい人間です。けれどこのショックは私たちが生きているうえでは見ることの出来ない、むしろ避けているこの世の現実。それを見るための対価です。新しい情報を知るに、受け止めるに、得るに、何の代償も要らないなんてことがありますか? 何かを得るには、きっと何かが、損なわれるのではなく影響を受けるのです。何かを知ったとき。受け止めた時。それを受け容れて得るために、マイナスな意味を含まない、純粋な「衝撃」が自身に与えられるのです。そうして私達、どんどん更新されているのです。これを求めて私たち、文学部に入ったんじゃありませんか。だから甘っちょろい事を言ってないで、耐えるべきだ。その吐き気に、その痛みに、その苦しみに同化すべきだ。文学とは他人の影響を限りなく凝縮させて、心を溶かしてしまえるほどの劇物にまで煮詰めて、それをしみこませた麻袋を砲丸投げのように振り回して、ぶん投げて、まき散らしていくことです。またはその麻袋です。そうやって飛び散って来るものたちから逃げず、むしろこちらから両手を広げて走り回って、たくさん浴びて、溶かされないと。
私たち、影響からのがれられず、むしろそれを受ける主体が見えないほど全方位からの影響にさらされています。芥川は言いました。遺伝、境遇、偶然、この三つが我々の運命を司ると。じゃあ感じている私は何ですか。これら影響たちに操られているだけですか。虚しいです。何かを遺したい。そしたらもう、私に出来るのは、こうして走り回って溶かされて。誰かがぶん投げてべしゃりと落ちた麻袋を、手を溶かしながら拾い上げて。溶かした手と落ちた涙を加えて再びぶん投げることしかありません。影響から抜け出す主体なんて、無い。与えられた影響ごと、自分が誰かに影響を与えることで、主体の仮初を感じるしかない。
けれど見方を変えれば、それは一人じゃないってことです。みんなも同じだってことです。私達は、無数に積み重なった麻袋の上に立っている。今までの、今の、これからの、同じように泣きながらぶん投げる仲間と、ぶん投げられたものと共にいる。自分だけで一から始めなくて良い。自分だけで最後まで完成させなくて良い。そんな影響の共同体の中で、好き勝手ぶん投げて、走り回って、倒れて、また立ち上がって、良いんだ。自分の為に、影響を集めて選んで、好き勝手書いて良い。私もこのレポートを自分の為に書きます。単位の為、もありますが……。(後略)
四、なつこの写真展解説
みなさん、本日はT山大学写真部、春季展へ足をお運び頂き、誠にありがとうございます。今回から各々語りたい人は書こうということで、このような解説リーフレットを置かせて頂いております。学生って語りたがりです。写真について文字で語るなんてナンセンスかもしれませんが、内輪向けの部誌だと思って、ご容赦願います。
まずテーマ。今回は「楽しい時しか生きていない」。この考えを中心にしてまとめました。撮った場所は色々。大学、飲み屋、旅行先、緊縛バー、駅……。この四年間、私はできるだけ、自分の知らない場所、人、知識を求めて歩いてきました。ストリップの劇場も、SM倶楽部も、緊縛バーも、夜通し飲んで噛みちぎった煙草も、五年前の私に言ったら卒倒しそうです。どれも貴重な経験で、私の知的好奇心は満たされました。だから大学最後の春季展には、その楽しかった経験を残したいと思ったのです。楽しい時しか生きていない。こう言い切ると誤解が生じそうですが、人間そんなものではないですか?
生きるというのはきっと、日々大量に新しい情報を消費するということです。大量というのは何も、旅行や外出などに限ったことではありません。普通の、平日の日常もです。だって私が特別だ、と思った旅行やアンダーグランド界の入り口も。平々凡々、毎日毎日目を瞑ってでも上り下りできる高田馬場駅のエスカレーターも、情報としては同位だから。見方を少し変えればわかります。例えばもし私が本当は大学生のふりをしているエイリアンだったら。もしここが私にとって留学先だったら。どう感じるだろう、どう見えるのだろう。特別な刺激が伴うに違いありません。ほら本当は、そこにある情報量は同じなのです。
この大量の情報の中から何を選ぶか。何を撮るか。これからも続く人生に、何を遺して持っていくか。全部持っていければ一番良いのですが、それだと荷物が多すぎて歩くのに支障が出てしまいます。だから選ぶ。選んだものは、いつでも取り出せるように整理して、持ち運ぶ。旅行に行ったって、その数日後SNSで共有する写真は、エピソードは取捨選択されます。そうして非日常から折り合いをつけるのです。いわんや延々と続く日常では。
私はわがままですし、一応まだ若いですから、持っていくものは楽しいことだけにしたいのです。楽しい時しか残さなければ、楽しい時だけ生きていたことになる。それを他人に発表すれば、その「楽しい自分が」が固着する。写真が焼き付くように、人に見てもらうことで自分というものが焼き付くのです。どうせその瞬間、生きているときはつらいことが多い。ならば過去だけでも、持ち物だけでも楽しくしなければ。そうやって自分を騙していかなければ。どれだけその瞬間が苦しくても、次の瞬間から全て楽しかったことに塗り替えていけば、選んでいけば良いってことです。そしてそれを見て見て! と言って勝手に見せて、その楽しさが確かな者なんだと、安心していれば良いのです。さあみなさん、私を安心させてください。
と、いう訳で。ここからは写真をご覧ください。
T山大学写真部第98代幹事長
T山大学文学部部文学科
日本語日本文学専攻
植田なつこ
平成三十年三月吉日
〔AC部〕
(薄暗い店内、小さい丸テーブルとそれを囲む女子大生、顔を覆う者、つっぷす者……)
〔涙〕
(ぼやけたスマートフォン、SNS投稿画面)
〔講義〕
(T大学34号館105教室、後期水曜6時限目。ぼやけた大量の学生の中でふりむきピースサインをする友人)
〔非日常〕
(緊縛される女子大生。転がる酒瓶と缶チューハイ・白い便器が鎮座するSM倶楽部。抜ける青空と自由の女神。コラージュ)
〔ヴィクトル・シクロフスキー〕
(日暮里駅10番線、薄暗い乗り換え階段、裏から見た京浜東北線のホーム番号掲示、輝度の低い水色)
〔フォトブック:一四六〇〕
(ネガフィルムのように小さく並べられた一四六〇枚の写真。一ページ30枚×48ページ+20枚1ページ)
〔卒業〕
(製本された卒業論文七冊)
五、の通話
「もしもし、もしもし、うん、ごめんね突然。今大丈夫? あ、場所変える? 待つ待つ。ありがとう。
なんか久しぶりに今ダメだわーワーワーってなって、うう。特に何かあったわけじゃないんだけどね。環はさ、よく言うじゃん。言語化できればもう解決したも同然って。確かにさ、言語は理論だよ。そうやって整理できれば、解決策は見つかるだろうよ。原因が分かればあとは治していくだけ。なるほど道理だよ。でもさ、現実はそんなにうまくいかないじゃん。もっと曖昧な、直観的なもので出来ているよ世界は。
だから直観的に、唯一絶対と言える何かが欲しい。え? そうだね、まりりんには神だね、その理論賢いと思う。でも私には無理そう。代わりにずっとさ、美しいってことは強いことだなあと思ってきたんだよね。一目見て、ああ美しいって、見た人を黙らせる。圧倒させる。これって、その人はただそこに居るだけなのにさ、ものすごい力だよ。暴力だよ。言葉を発さずともその存在だけで。説明不要。単純で誰にでも通用する、絶対的な強さ。唯一の基準。ん? うんそうだね、ご存知の通り、私この美しさに対してこじらせてるよ。この唯一の力が欲しくて欲しくて、でも自分には具わっていないと絶望した時、生きている意味ないなって思ったの。だってそうじゃん、絶対的なものを持たないで、この曖昧模糊とした世界を生き抜けないよ。私、弱いもん。
そもそも、生きるのが辛いなって漠然と思って、じゃあ何でだろうって考えた結果、必要なものがこの「美」とか「絶対」だった訳。環が言うように私も言語化したさ。それができない程、馬鹿じゃない。けどさ、その解決法が不可能だったんだ。努力で近づけはするけど。自分が納得できないと唯一、絶対って認められないじゃない。だから一生無理。無いものねだりだ。
自分にないってことでイケメンにさ、美しい者たちにそれを求めたこともあったしまあ今も現在進行形でしているけどさ、それはやっぱり想像上のものなんだよね。いや、違う違うちゃんと生きてる生身の俳優だって。ただ、彼等が画面越しとか舞台越しに見せてくれるのは、彼らが用意した「役」または「俳優」というフィクション寄りの世界じゃん。そのフィクション、創造は私達にも半分担わされていて、それは彼らが用意してくれる素材を、私たち見る側が買って、どう消化するかってことだ。つまり私たち消費者は消費者それぞれの欲望に従って彼等をカスタマイズできる。彼らが提供するのは骨組みだけ。半分は、肉は、私の想像で、妄想で、自慰。むなしいな!
美和ちゃんはさ、プライドをこじらせてるってよく言ってるけどさ、あの前のAC飲みで言ってたことすごく納得した。そうそう、それ。ってまって、もう一年以上前か!? 恐ろしい。うん、自分が努力してやってることを他人が出来ないと見下しちゃうってやつ。彼氏は絶対うちの大学以上が良いってのもこの理屈で解決できる、って言われて確かにー! と思ったよ。そもそもさ、自分の自分に対する評価がマイナス値からのスタートな訳で、それを必死に努力して生き抜いて最低ラインまで引き上げてるって認識じゃん私たち。あ、一緒にしてごめんね。うん、あはは。だからさ、その最低ラインの自分より下だってことはさ、もう駄目にもほどがあるよ、ってことになる訳。何故生きていられるの? って感じ。不思議だよ。ま、手っ取り早い言い方すると、よくそんなにブスで生きていられるな。とか思っちゃう訳。でもそんなの最低な人間過ぎるでしょ。え? 大丈夫、生きてていいよ、生きてくれ。人それぞれ絶対があるしさ。だからそれを無視して私がこう思うのは最低な事なんだ。でも、例えばバイトでもさ、私だってほら注意欠損だし? ダメダメだけどさ、何とか気い張って人並みになるよう頑張ってる訳。ちょっとでもミスしたら死にたい、って思う訳。うん、だよねまりりんも絶対そうだよね。それ! 本当、私だったら自害する、って思うようなこともさ、ヘラヘラしていられるあの精神。どんだけ自己肯定感を育まれてきたんだ。もう怖いよ。なっちゃんとかもさ、私怖いもん。真人間っていうの? ものすごく、まっとうな自己認識をして生きている感じが。勝手に私が卑屈になってるだけだけどさ。もちろん。
え? そうだね、うん。よくしちゃう。不幸のマウント。経験を求めるとかじゃなくさ、死んじゃう! って思ってさまよい歩いて、あっちこっちで大事故起こした結果、手元に残ったものは体の傷だけでした、みたいな。そういう状況よこっちは。そんで永遠に見つからない薬を求めてさらに大暴れして再び重症、チーン。……いやこれずっと繰り返していくのか? 死んだ方が良くないか? う、ありがとう。そこで安易に死んじゃだめだよとか言ってこないのさすがだよ。弱者をよくわかったママだよ。そう、ママ(概念)。そうだね、私もまりりんが本当に死にたいなら止められないけど、死なずに生きて一緒に遊んでくれたら嬉しいよ。それに困る。教義で自殺できない? 良かった。めっちゃ面白いなそれ。私も死んだら悲しいって、わーい嬉しい! 人生辛いけど、ちゃんと得るもんもあったってことかな。うん、うん。確かに。うん。そうだね、直観的な苦しみがあって直観的な強さがあるなら、直観的な喜びもあって然るべきだ。今、嬉しいし。
結子? 結子もなあ。こじらせが過ぎるからなあ。この間も、気づいてしまった者の苦しみ、ってうわごとのように言ってたよ。言いたいことなんとなく分かるけどさ。それを卒論にしたいって言ってた。うん。うん。読みたい。先ず終わるかどうかだけど! みんなの読みたいね。絶対面白いよ。書いて、卒業しよう(笑)
うん、じゃそろそろ。長々とごめんね。うん本当、ありがとう。いやいや適当じゃなかったよ、いや適当でも良いよ。いつも世話になってます。いや、大丈夫。もう今日は飲まない。おとなしく寝る。……めっちゃ心配されてるな。酒と薬は一緒にダメ、オッケー次からちゃんとするって。寝る寝る。明日必修起きれっかな。じゃまた二限で。バイバーイ」
2017・10・13・01・7
通話時間:54分13秒
六、の手記
(2016年度手帳)
9月4日
銀座で焼肉の予定だったけどあまりにもこんでいたのでザギンでスーシー(笑) 皆次次と遅れて来て笑った。すしおいしい。次は山形プラザ行って、銀座から表参道、渋谷とブラブラお買いもの。吉祥寺をぶらぶらした時みたいで楽しい。普段は池袋とかで事足りちゃうもんなあ。
で、飲み屋でハッピーアワー。の筈が、メンツが飛鳥、環、なっちゃん、茜様ってことで環となっちゃん以外の私達三人が突然家族間トラウマを決壊させ、泣くわ泣くわのアンハッピーアワー。控えめに言って地獄。丁度丸テーブルだったから、即席自助サークルが出来上がった。あと結子と環のごたごた、私はこの数日、話聞いてる風でひっかきまわしちゃったのかも。環に嫌われたら嫌だなあ。でもみんな、面白い。雨でぐしょぐしょになった、ロータリーに転がるトイレットペーパーで泣いて、スーソヤマヤマプッチャケトマトで、笑ってくれる人たち。
論文形式とかでまとめられたら面白そう。小説は書けないけど、レポートなら二万字くらい書いたことあるし……。
巻末メモページ
〔ACの小説〕
母はストレスがたまると花を買って来る。私は図書館から本を借りて来る。
ACにも治療(回復?)プロセスがある。これはいきなり戻ったりぶれたりもする。
真人間・クズは複層的で定義できない。想定して断じた時点でその人と分かり合う努力を放棄すると、表明しているようなものだ。
人と人とは分かり合えるか。分かり合う必要はあるのか。
ACのプロセス①にいるのに体・経済が大人になっているので④以上の行動へ暴走する結子。見捨てられ不安、絶対の何かが欲しい。二次元に求める飛鳥、美に求める茜様、男に求める結子、神に求める私。
真人間だ、とこちら側から拒否される環、その私たちの反射。
環「共感って必要なの?」
泣きじゃくる相手には先ず痛いね大丈夫だよって言った方が良い。信頼が生まれる。でも病院に連れて行く人も必要だ。それって損な役回り。どっちも相手を思っているのに。
私達は共感、自分の話を聞いてくれることに飢えていた。だから他人も皆、そうだと思っていた。他人に自分の辛い事を話すとき、話者は他人に何を期待しているのか。私は当然共感だと思っていた。環は助言だと思っていた。環は結子に対等に真剣に付き合おうとして、私は結子と一緒にそういう「真人間」よりも一歩いや十歩以上後ろから、並んで慰め合う気持だった。どっちが正しいのか。
「私たちの自由は限りなく少ない。しかし少なくとも、一粒だけはあるのです。ならば私達の責任も、その一粒に懸かります。一粒にのみかかる責任はむしろ限りなく重くなるでしょう。何かに苦しんだ者は、せめてその同じ何かに関わる事だけは、正しく理解するべきです。そしてそれを叫ぶべきです。」
見捨てられたくないから良い人で居ようとする。自分の幸福のために他人を見ているから他人の事を本質的には考えていない。
=やっぱりお母さんの言う通り私は冷淡で狡猾で性悪女だ。
結子は過干渉(気づくのが遅れる)、茜様は放置、飛鳥と私は人格否定。
お母さんお父さんが私たちにしてきたことを環ははっきり虐待だと言った。私たちは泣きながら否定した。茜様は耐えられず煙草を買いに地上へ出た。お母さんも頭がおかしかったけど、私たちもそれに負けないくらい頭がおかしかったのかもしれない。現に今は確実におかしい。反抗した。やられっぱなしじゃなかった。一方的な暴力ではなかった。そう信じたいのかも。反抗しなきゃ、死んじゃってた。ほら今、生きてるじゃない。
怒鳴られるよりも大きな声で叫びかえした。破かれるよりも早く本を漫画を読み切った。、深夜、とかげのようにはりつく足運びでリビングに行って、寒さで足の指が動かなくなるまでパソコンを開いた。誰かがトイレに起きる音を聴けば、風呂場へ隠れた。新聞が配達されるころ、そっとベランダへ出て深呼吸した。
私の中ですべての言葉が生きている。児童文学も少女漫画もアニメもドラマもニュースも小説も新聞もSNSのひとことも動画のコメントも辞書の詳説も歌詞もメールも映画も手紙も写真も電話も日記もレポートも論文も、全部、私の心に刺さったものは全て、私の中で生きている。全部、全部、抱え込んでやる。
私の苦しみが分かってたまるか! 渋谷の地下で絶叫した。
でも私って何だ? まぼろし? (美和子)
この場所に依存してしまう。けど皆は私よりもここに依存していないだろう。失った時、きっと私は皆よりとても傷つく。だから、保険を掛けよう。他にも楽しく、好きな場所を創ろう。たくさんつくろう。どこかから追い出されても良いように。そして知られてはいけない。こんなに依存しているだなんて。
月ごと一ページある空白に、その月にあった楽しい予定をリストアップする。幸福を確認する。(なつこ)
私が他人に与えた傷を私が確認するのは破廉恥だ。私がそれをしたからって相手の傷が癒える訳でもないし、傷つけたことが無かったことにもならない。言動に責任は持つべきだけど、その影響にまで干渉すべきじゃない(環)。他人のものは他人のもの。自分の罪悪感を減らしたり興味を充たしたりするために、他人のかさぶたを引き剝がすのはいけない。私にできるのは以後私が気を付けることだけだ。
この理論でいけば私もお母さんを許せるはずなんだけれども、でも出来ないのはそこに感情があるからだ(結子)。それも一時なんかじゃなくて、何回も何回もの蓄積だ。正しい解法が分かったからってすぐに問題は解けない。何度も間違った方法で解いてきた癖は抜けない。また、何度も練習しなおさなければ。大丈夫、人は変わることができる。いつか、練習が成功する日が来る。そのために、神と契約したんじゃないか。
「わたしは焼きつくすいけにをたずさえ、あなたの家に入り誓いを果たす。苦悩の中で立てた誓い。あなたと結んだやくそく。」(典礼聖歌四十五番)
全部抱えていなければ。大切な事、せめて記録しておかなければ。この友情も生意気さも自由への飢えも楽しさも苦しさも思い出も夢も全部、いずれ消えるのなら、いや本当は存在していないのなら、私が感じた幻なら、せめて残しておかなくちゃ。抱えて、重くなって、歩いていけないってなつこは言うけど、いやいや違うよ。そのまま地下に穴掘って埋めて、その上に立って、目指せバベルの塔。主よ、お怒りになるなら私ごと、バラバラにしてください。しかし許されるなら、どうかこのままで。
七、の卒業論文
「おわりに」
個人主義と共同体理論とで常に揺れ続ける近現代。しかし卒業論文として少しなりとも文学研究をするうちに、やはりこの世の文化は、文学は、全てそれまでの蓄積の上に立つ、共同体の中で創られ消費されるものだなと実感しました。
腐葉土のように、先行研究は積み重なって溶けています。そのふかふかした土の上に立って、踏み歩いて、また落ちて来る葉の隙間から空を見る。(赤文字:詩的すぎる。かっこつけすぎ。美和さんが言ってた麻袋に引きずられ過ぎ。)もちろん先行研究を引用したり、参考にするときはその筆者、論文名、雑誌名、出版社名、出版年、ページ数まで書いて添えます。けれど、それは便宜上であって、大切なのは中身です。そしてその中身は、読まれた瞬間読んだ人のバイアスをかけられ、吸収されます。ちぎられて、その人の論に利用される。別のものになってしまう。
人間もこれと同じです。みんな、いろんな面を持っている。けれどその一面だけを見つめて発狂する。他人だけでなく、自分で勝手に、自分の一面だけを見て、ちぎって、別のもっとおぞましいものへと変えてしまう。滑稽な自家受粉です。
たとえば。自由がないと言いながら、私たちは大学生になって沢山の自由を得てきました。不自由ばかり目についたけど、でも親に叱られたってもう成人しているのだから、コンビニで缶チューハイだって買えました。煙草だって、黙って吸って帰って歯磨きしてお風呂に入ればバレません。お金さえあれば電車に乗ってどこまでもいけました。定期圏内から遠く離れて、鈍行だけでも一日乗れば夕方には盛岡、神戸に着きます。もっとお金があれば、いや今は格安航空も多いですからむしろ国内より安いかも、海外にだってパスポートだけ持って消えていけます。勉強だって、好きなことが出来た。大学の中央図書館にある膨大な量の知識に接続して、その上に立って好き勝手暴れられるんです。幸せな事じゃありませんか。小さいころずっと欲しかった大きなぬいぐるみだって、埃になると文句を言われる前に、自分で勝手に買ってきてしまえば良い。三時間も働けば、買える額です。アメリカンドッグとアイスとポテチなんてふざけた組み合わせの昼食も、学校のコンビニで買って実行してしまえば良い。むしろ駅のホームで行儀悪く立って食べてしまえば良い。ゼミの準備が、サークルが、バイトが、と言って男とラブホテルにだって言ってしまえば良い。いきなりSM倶楽部に行って縛られてみたって良い。友達の家に泊まると言って、みんなとカラオケで一晩明かしてしまえば良い。地上波放送を待つだけだった映画も、高音響のど真ん中で見て、その帰りに新品のハードカバーの本を買っても良いし、それをもってカフェに入ってココアにホイップやチョコソースのかかった六百円もする美味しいものを飲んでも良い。お母さんに検閲されずに、読んで良い。変だと言われる洋服も、勝手に買って、店のトイレで着てしまえば良い。センスが無いと言われる化粧も、好きなようにやってしまえば良い。私たち、意外と自由だ。
苦しみばかり気づいて、言語化してしまったけれど。なまじ言葉で表すことができたが故に、その中でだけ答えを見つけようとしてしまったけれど。でもそんな、不幸な文学ごっこじゃいけません。生きているのは、現実だから。
現実の日本国憲法はありがたいことに個人を最小の単位としていて、その個人の権利は公共の福祉を侵さない限り守られる。それは家、家族のルールより上にあるものだ。だから私たちが勝手に忖度しているだけで、本当は転居の自由も、経済活動の自由も、思想・宗教の自由も認められている。学費が人質のようにとられていたって、今迄いくら金と時間をかけてもらったんだと文句を言われたって、全部全部どうでも良いと、そう思ったらもう脱出して良いんだ。教育とはそれを受け止めた者が、得たと思ったものに限られる。誰の言葉だっけな? 自分が一生懸命やったって、その一生懸命で相手が死にかけたら、その相手はありがたいなんて思わない。殺されかけたと思うだけだ。
百円ショップに行って原稿用紙を買って、盗作かと問い詰められて三時間正座させられた読書感想文のトラウマなんか忘れて、好き勝手、いままで辛かった事、悲しかったこと、怒っていたこと、嬉しかったこと。これからやりたい楽しい事、あり得ない理想、気づいたこと、格好良い事。全部、何でも、書き殴って良い。心でもやもやしていたものを、頭でうだうだ建てていたものを、吐き出して、確かなものにして良いんだ。言葉で全ては言い表せないけど、円周率によって限りなく円に近い多角形を導き出せるように、限りなく感情に近いものを描くこときっとできるだろう。誰も、止められない! もうこれは卒論じゃないな。ボツ。でも、ある意味どうしようもなく卒論だ。
どんなに生きるのが辛くても、私達は生きていたことしか無いのだから、生きていることに関しての先行研究しかないのだから、生きているしか仕方ない。だから人から言われることも、自分が他人に言うことも、とりあえずはこの世で生きていくことを前提に話されている。
私は小説を実用書だと思って読んできました。知らない事を知ったり、まとまらない考えを代弁してくれたり、笑わせてくれたり、一緒に泣いたりしてくれる実用書。たとえファンタジーでも、そこに描かれる人間は現実で、魔法を使ってドラゴンを倒そうと、殺人事件が起ころうと、陰湿ないじめが起ころうと、特に大きな出来事が起こらず主人公がつらつらと語り倒そうと、結局そこに描かれるのは現実の絶望か、虚構だからこそ成せる希望か、そのどちらか。終着の違いしかない。もちろん、どちらが正しいなんてことは無い。絶望を代弁して欲しい時もあれば、希望を見て一瞬でもさわやかな気持ちになりたい時もある。けれど今私は、希望が見たい。まだ若いからか。希望を見せる、ものが書きたい。ああ、泣きたいほどなりたいものには、きっとなるべきだ。夢を持て。二百円の万年筆のキャップを開けろ。
「青年は机上の空論を喜々として振りかざし、現実の地味さを理想で覆う。自らの能力を過信し、失敗は隠蔽する。美しい事だけを呟き、不満と怒りを叫び、楽しいことで延々と自慰をする。不幸の量でマウントを取り、絶望したと言いながら夢を語る。見苦しい。
けれど、無視してください。笑ってください。分かっているんだ、いつかは終わると。
現実は小説のように一段落つくなんてこと、ありえない。だから私が今「終わる」と書いたのもまた非現実的だ。けれど良いじゃありませんか、逆に小説から、虚構からそのシステムを借りて来ても。
私たち卒業にあたって、就職先を決めました。進学先を決めました。足りない単位数を満たしました。卒業論文も書きました。卒業旅行と称して遊びまわりました。卒業コンパと称して酒をたらふく飲みました。引退だと言って後輩から記念品をもらいました。それが当然だと思いました。もう来ることも少ないだろうと、大学近隣の飲食店を回りました。最後の学生料金だと、映画館や美術館をはしごしました。学生生活という日常を失うにあたって、非日常を詰め込みました。そうして、一区切りつけようとしました。思えば、法要と似ています。
だんだん、終わっていく。べそべそ泣いたり、きれいごとを誇らしげに語ったり、理想を吠えたり、そうやってぐるぐる馬鹿騒ぎしていられる期間が終わっていく。風化して、綺麗な思い出だけが残る。あとには粉っぽい埃が、日光に透かされて白く瞬く。それで良い。」
これで終わる、小説を書こう。
八、第一章「卒業式」
「あ、いたいたよかった」
美和子が、黒い袴と紙袋を揺らしながらこちらへ向かって来る。講堂前は卒業生であふれかえり、落ち合うのすら一苦労だ。同期が一万人もいるって難儀だなあ。マンモス校、ここに極まれり。
「写真撮らなきゃね、ってか着崩れしてないか心配すぎる」
スマートフォンの黒い液晶に向って前髪をなでつけながら、環が言う。茶髪は綺麗に巻かれて、濃い紅色の二尺袖と、深緑の袴がよく似合っている。
「どこで? やっぱ銅像前? でも銅像前なら、あと一時間は絶対人が空かないよ。いったん文学部戻る?」
私は大振袖をもたつかせながら、環に応える。すると植え込みのそばでふらふらと袖をゆらしていた真理が勢いよく振り向く。
「待った。ごめんなんだけど私、みんなと撮るのとは別にさ、中央図書館前で一枚とってほしいんだよね。あの知恵の何たるかを読むことによって学べ、の前で! 頼む!」
「よし、任せろ真理ちゃん」
一眼レフカメラを首から下げたなつこが、親指を突き出してそれに応える。茜は、ワーイ私も私も、ピン写! と、両手をひろげたり、くるくる回ったり、飛び出し注意のポーズをとったり、真理と二人でふざけ始めた。なつこはそれを連写する。美和子と環は、このあとの謝恩会がしょぼすぎる、と文句を言い合い、飛鳥はサークルの同期を見つけ出さなきゃいけない、と講堂内へ逆走して行った。私はさっきまで一緒に居た両親に、かなり時間がかかりそう、とメールを送る。
「結子、結子もどこかで撮っときなよ、またお母さんとお父さんうるさいよきっと」
その通り。みんな、よく分かってる。全てじゃないけど、苦しいっていうそのことくらいは。何に悩んでいるか、その多角形の一辺くらいは。
「ありがとう。そうだな、メタセコイアが良いな」
あ、それ良いね、やっぱり我らが城に帰らなきゃね。真理がうなずく。
文学部のメタセコイア。工事で丸刈りにされてもすぐ、緑の葉を茂らせた強い古代の樹。四年間、門から伸びるスロープを上りながら見上げ、廊下の窓から見下げてきた。まっすぐ伸びて、伸びた頭は決して隣と葉を交えない。けれど隣に立っている。
抜ける青空、降り注ぐ陽光、絶え間ない会話の重なり合い。私達、自分のことばっかり話したくて、結局周りの話なんて聞いているようで聞いていなかった。けれどたしかに一緒に居た。しばらく隣に、生きていた。
スーソヤマヤマプッチャケトマト