花とバーコード

「花とバーコード」

「もう離婚しようと思う。本当はまりちゃんが大学を卒業するまで待っているつもりだったのだけど……。もう疲れちゃった」
そんなこととっくのとうに知っている。母はずっと疲れていた。どうして耐えられるのだろうと不思議に思っていた。いつも、離婚しようかしまいかと揺れる母。もう離婚しようと思う。このセリフはよく聞くものだった。でも今度こそ、本当になる気がした。じとじとと、湿度計が振り切れる梅雨。乾かない洗濯物に囲まれた私と母。静かに響いた、今度こそは。
嬉しい。私はずっと、離婚してほしかった。それでこの家族、ゆがんだ共同体が今よりも良い状態になるのなら。あぁ、今まさに長い長い我が家の病がついに終ろうとしているのだ。
人は人の数だけ性格がある。背負った環境がある。もとからの血もある。だから他人と生活することが苦痛というのはごく当たり前のことで、そして、もう嫌だと思ったらどうしたってダメなのだ。バイト先で、今月末で辞めますと明るく清々しくきっぱりと言った社員さんも、ある日もうここで働きたくないと思って、そしたらもうダメだったと言っていた。なのに私たちはぐだぐだと引きずって、もう家族ってなんだっけ? となり、中学生の私はGoogleで検索をかけて、とある学校の校長先生の講話を暗い部屋の隅で読んだりする。「思いやりは共感」そうか、そうなのか。いつも母から「思いやりがない」と言われ、改善したいと思っていたところだった。良い情報を得たと思った。思いやりを持つには他人の気持ちを想像する。これなら私にもできそうだ。以後、これは良い指針になった。
我が家は、母は病気だし、父も病気だし、私も病気だし、妹も病気だし、挙げ句の果てには犬まで、ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんヒステリックにほえ騒ぐ。みんなに共通しているのは、突発的なヒステリーとまれに出る身体的暴力、そして人の心を的確にえぐる言葉の暴力だ。父は母を疎み馬鹿にしてこき使い、母も父を疎み馬鹿にし、無視をする。母は誰も信じず、でも信じて欲しくて、完璧な母親になりたくて無理している。それがたたって、手近な娘二人の人格を貶め、つきとばす。かとおもえば、異常なほど親切にする。
私も、同じことをした。家でしか威張れない父を馬鹿にしたし、私にしかあたれない母を馬鹿にしたし、私と同じようでまた違う妹を、憐れに思いつつも私が耐えたんだから耐えろよと思って、放っておいた。放っておくだけでは飽き足らず、私が母にされたようにした。これが環境的遺伝というものなのね。血が繋がっているので本当の遺伝かもしれないが。ただ幸なことに、妹は父がいる。父は妹を可愛がる。私が彼の側につかなかった代わりに、妹が行ったのだ。
幼稚園生の時、母と父どちらにも良い顔をしていた私はコウモリだと母から謗られた。以来、私は母の側についたのだ。父のことは母に習って疎んじた。母の前では、父におかえりという言葉さえかけなかった。なぜ母か。それはもちろん、日中家にいるのが彼女だからだ。おとなしく従っている限り、受ける攻撃は減る。私は母の配下で居続けた。そうして、たまに美味しい思いもしたし、嫌な思いも腐るほどした。だけど母を信じきってはいない。そんなはずはない。どうしたって、最初に私を刺したのは彼女だったし、今も今までもずっと、何度も、深く刺されているから。
人はみな、どこかで戦っている。闘っている場所が異なるだけで、これは平等だ。私たちはその場所が家で、そして家というのは不幸にも、最初に、訓練として戦い方を学ぶべき場所だった。そして私たちはそこでいきなり実戦だった。つまり何も持たないまま、何も知らないまま、物心ついたらいきなり戦場で、もちろん負傷した。だから、その先を生きていく、闘っていく上でその傷跡をかばう癖が出来たし、古傷として、しょっちゅう痛む。
それに人にとって最初の世界って、母親と自分、それだけしかないと思う。その二人だけの世界で、つまり創造主と被造物の一対一の世界で、創造主から存在を否定されてしまったら…もうそのあと、どんなに理屈を重ねて立ち上がったって、永遠に自分を肯定できない。この傷は致命傷で、むしろ本当は負った時点で死んでいて、その後生きづらく生きているのは、あるべきでないものがぼんやりと残ってしまっているからじゃないのか。目に焼きついた影おくりのように、一瞬のうちに蒸発して壁にこびりついた人影の石のように。だから私も、底意地の悪い地縛霊のように、信じたり信じなかったりする。潔く悪魔となるわけでもなく、改心して神の世界に居続けるわけでもなく。結局私はコウモリだ。
母は特に言葉の暴力が得意だ。母は言葉と知識に愛されている。ただ、それを優しく使ったところは見たことがない。愛しているのかな。いつも、傷つけることに使っていた。しかし私は、母と同じく言葉の徒だった。私も、母と同じだった。私は言葉と知識を愛していたし愛している。でも、私も言葉を武器にしてしまう。それは言い方、言い淀み方、黙り方。ちょっとの変化ですぐにできる。
母と同じことを妹にしていると気づいた時は吐き気がした。でも、それと同じことを他人にもしていると気づいた時は、さらに進んで絶望だった。
この絶望の気づき。私は大学の友人、他人である霧子に、同じことをしていると気づいてしまったのだ。私は霧子に直裁にものを言う。そうやって、たまにだけれど、わざと、少し傷つける。反応を見て楽しむ。イライラはちょっぴり収まる。最低だ。最悪だ。まともな人間には戻れないのか。いや、そもそもまともだったことがあったのか? 私がまともじゃないから、母も、まともじゃなくなったのではないか。妹は、どうだろう。
妹が帰ってこない。二十一時になる。帰ってこなくてもいいかと思う。妹が悪者になっている間は、安心できる。この世は全て、相対評価。姉が妹をかばう、そんな美談は本当にあるのだろうか。姉は妹を、妹は姉を、あちらの方が良い思いをしていると、ずっと思い続けるものではないのか。姉妹は同じ血が流れているわけで、同じ環境で育っているはずで、同じ性なわけで。だから私が耐えられたことが妹には無理という道理はない。だってそうじゃなきゃずるいじゃないか。そして他人の苦しみというのは、見れば見るほど自分より軽く見えてくる。自分と同じ苦しみを耐えられないはずはないのに、同じ苦しみを味わってしかるべきなのに、なんで彼女はそれを免れるのか。
理屈ではこれが間違っていると分かっている。人の苦しみはそれぞれ違うのだし、そもそも自分が嫌だったことを他人にも望むというのはいけないことだ。でも望んでしまう。見てみたくもあるのだ。同じく育ったはずのものが、果たして私よりひねくれないで済むのかを。どんな結果になるのかを。
だから私は霧子に甘えるのだろう。霧子は母と似ているから。現実的すぎるところも、異性にモテるところも、いろいろやってくれるところも、賢いけど賢さに飢えていないところも、これといった趣味がないところも。似ている。だから私は母に出来ないこと、出来なかったことを霧子にやってしまう。妹を見るよりも確実で、現実だから。私は母に文句を言いたかったし、だるい時はだるいと言いたかった。自慢もしたかったし、ひどいことも言ってみたかった。言いくるめてみたかったし、なにより馬鹿にしたかった。私は霧子を馬鹿にしている。馬鹿にせずにはいられない。馬鹿にするってことはつまり、そうでもしなきゃ自分が立っていられないってことだ。違うものとして認めないで、同じ土俵で相手を否定する。よくないことだ。わかっている。けどダメなのだ。そうしなきゃ立っていられない。
◆◆◆
母は、ストレスがたまると花を買う。庭のない我が家の廊下に並ぶ鉢植えは、母の我慢のバロメーターだ。
花は確かに綺麗だなあと思うけれど、あまり興味がわかない。名前だってほとんど知らない。でも、強いていうなら、つつじが好きだ。庭に綺麗に植わっているものではなく、団地の合間にあるものが。
母が花を買うように、私は本を読む。一人称の小説が好い。語り手の目を通して、別の世界を見る。廊下の鉢植えが増えるように、白い学習机の脚元に本が積まれていく。どれも図書館か古本で、端がよれたハードカバーに、ラミネートがけを施された裏表紙、黄ばんだ小口、市民図書館のOPACバーコード。この世には、まだ読むべき物語がたくさんある。そう思うと、死ねない、と思う。
本なんて、消費するものだ。美味しければもう一度読んだり、続きを読んだり、同じ作家の違うものを読む。文字を覚えて直ぐに活字を友とした。なんて言うとかっこつけだが、間違ってはいない。ずっと、現実じゃないものを考えて、そこで生きている時間の方が多かった。ずっと毎晩、布団に入って、目をつぶって、好き勝手できる世界を創っていた。日中は、目をつぶらない代わりに本を読んだ。夜も、目を凝らして読むことも多かった。本は一番手に入りやすくて、再生しやすい媒体だった。
一定以上読むと、自分の好きそうなものが自然とわかるようになった。五冊読んだら読むことが楽しくなって、十冊読んだら自分が好むものを選り分けるのがうまくなった。読みさしは耐えられない。ただひたすらに文字を追って、現実の活動を停止する。読んで、見て、体験してきたものはその後もずっと自分の中に積み重なって、やがて溶けて他の色々と混ざって再構築される。
最近は本以外の媒体も簡単に手に入るようになったけれど、言葉によって脳内で再現される物語は、漫画よりも映画よりも何よりもリアルだと思う。本当は体験できないもの、考えつかな いもの、言葉にできないものを、疑似体験させて、そして代弁してくれるもの。知識と、娯楽と、共感と。感じる主体は自分しかいないから。自分の中で再生するものは一番リアルに決まっている。そして世界は言葉でできているから、言葉は自分の中で再生できるのだ。それが文学、なんじゃないか。
◆◆◆
夢を見る。
「貴女は、私と仲良くする気があるの」
仲良くしたいの? したくないの? 嫌いなの? 興味がないの? する気がないなら、
「嫌いなら、なんでお金と労力を注ぐの」
それは往来のない赤信号でも守ってしまうのと同じ理由なの? それとも、勝つ見込みの無いオセロを最後まで続けてしまうのと同じ?
「貴女が私を責める言葉、全部貴女にもあてはまるわ」
だって、貴女が育てたのだから。だって、私が育てたのだから。どっちも同じだ。気づいてはいる。でも、でも嫌い、嫌いよ。文句は腐るほどあるわ。泣きなさいよ、私が泣いたように! 謝りなさいよ、私がされたように! 責めなさいよ、私がしたように! どうして黙ったままなのだろう。それに表情も陰ってよく見えない。
「あ!」
窓から飛び降りて逃げる気なのね。ずるい。あれ、この窓はこんなに小さかったかしら。なんで壁に浮くようになっているのかしら。ベランダへ続く一面窓のはずなのに。途端、狭い四畳間はみるみる暗く、炎に包まれる。でも熱くはない。彼女が足をかけた窓枠、それを彼女の肩越しに覗けば、見たことがあるような無いようなトタン屋根が見える。道路があるはずなのに。
彼女が逃げていく。泣きながら。ざまあみやがれ。私も泣いている。全く熱くない炎の中で。
あぁそうか、これは炎じゃなくて夕暮れか。
けたたましく、尖ったカノンが鳴る。アラームをとめたスマートフォンの黒いガラスに、気だるい自分が写っていた。
◆◆◆
「これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血である。」
アーメン。
宗教は、人が人のために創ったものだ。紙を切るためにハサミを作り、そのハサミを各々使いやすいように右利き用、左利き用とまた分化させる。体毛を剃るために剃刀を作り、安全剃刀を開発する。でも安全剃刀が好みじゃない人もいる。宗教の本質もこれと全く同じ。だから宗教の違いなんていうのは、地域や家族などの環境、自分の性質性格や思考、あとは偶然によって、どれを買ってもらったか、買ったか、買い換えたか、ということにすぎない。何のための道具か? それは人間が生きて行くためだ、生きやすくするための道具だ。
でも、無宗教だとか言われる日本ではアレルギーが起きやすい。これも安全カミソリしか見たことの無い現代っ子が、包丁のような長い直刃を見て気後れするようなものだろう。誰でも、見たことがないものは恐ろしい。実際に、危険もたくさんあるのでその恐怖は正しくもある。伝統宗教だって何だって一歩間違えれば危険だし、もともとが生きやすくする以外の邪悪な目的で運営されているものもある。でもカッターだって刺せば人は死ぬのだ。要は危険な者の見分け方と、使い方。これを踏まえて、安全に使えればそれで良い。
そしてこれらハサミは際立った不自由がない限り、家で使っていたものを正しいと思い、安全と思い、使い続ける。無宗教は、爪で紙を切る、といったところか。けれども私は、自分の意思で自分のハサミを、剃刀を決めたかった。自分が生きやすくなるために従うべき、主人を決めたかった。母や父や祖母、生まれついたまま受けていた支配、不健康の連鎖はもう嫌だった。だって結局、母の母も、母の母の母も、私が見る限りずっと母娘の不健康が遺伝している。
でも、この世に果たして健全な母娘などいるのだろうか。姉妹は同じ血で同じ環境で、だから相手を見るにも自分を見て、冷酷になってしまう。それはとりもなおさず母娘にもあてはまるのではないか? 自分が整えた環境で、自分が良いと思う育て方をし、自分と同じ血を持った女が、自分より劣るはずはない。自分を肯定しないはずがない。そんなことあってはならない。そして娘の方だって、同じことを思う。母は自分より大きく、自身は母の部分集合だと、そう信じているから。そうすると、自分が気づかないことを母が気づかないはずはないとなる。互いに互いを大きく見積もって、ぐちゃぐちゃになる。
そういう期待と、失望と、傷つけあい。それが延々と連鎖して、抜けだせない泥沼になる。私の複雑は母のせいで、母の複雑は祖母のせいで、祖母の複雑は曾祖母のせい。そう考えていくときりがなくって、一つの原因なんてものはない。誰も、悪くないのだ。そうすると解決法もなくなってしまう。だから、自由になりたかった。一切合切すべて捨てて、以前のことは仕方がないと、割り切って新しく生まれ変わらせてくれる、そういう世界に引っ越したかった。その中で、自分が選んだ主人に支配して欲しかった。だってそうじゃないと、一体どうして生れて、どうして生きているのか、わからない。色々のことが生物的本能、種の保存の法則、と片づけられているけれど、じゃあどうして本能は生きようと、種を保存しようとしているのかは誰も気にならないのか? 
支配は肯定だ。誰かの計画の、命令の内で生きているならばそれは生を最大限に肯定されるということだ。これで生きやすくならないはずはない。生きやすくなるということは、救われるということだ。わがたましいよ、主をほめよ。私が褒め、慕う主は私が選ぶ。
◆◆◆
インクが、紙の上に乗ったと思ったそばからしみ込み乾いていく。ペン先が紙に触れたその瞬間は確かに黒々と光っているのに、次の一文字を書いた瞬間それは平面に沈む。安物の万年筆を蛇のように動かし続けてこれを繰り返し、しばらくするとノートには父にそっくりの、みみずの這ったような字がびっしりと並んだ。
以前のページから続くこれらは読んだ本から私が選り抜いたバラバラの言葉たちで、私の中で再構築される材料だ。聖書の中から信じたいものだけを見るように、イエスの生涯から見たいものだけを見るように、私たちは世界を、自分の人生を、見たいものだけを取り出してのこしていく。自分が生きていくに必要なもの。自分を肯定してくれるもの。かっこいいもの、変わっているもの。自分と同じ公約数を持つもの。つまり、自分の悩みを解決してくれそうなもの。
ところで思いやりは共感、だそうだが共感って一体何だろう。人は積み上げてきたもの、自分自身の性質、人それぞれの事情がある。それらすべてを他人が理解することは出来ない。この人として大事な理屈がぽーんと吹っ飛んでしまうのが家族、身内に対してで、あまりにも近いから、同じだと錯覚してしまう。特に姉妹とか、母娘とか。
けれど本当に同じ人は誰もいないし、同じ経験も、同じ苦しみも喜びも、感じるものも考えるものもすべてが違う。人と人とはこの世において永遠に分かり合えない。ただ、自分に置き換えて考えてみたり、感情を慮ったりすることはできる。これが共感ってものじゃあないのか。自分に重ねて、震えること。例えば家庭の経済状況で苦しんだが家庭内の人間関係は豊かに過ごした人と、経済的には裕福でも家庭内の不和で苦しんだ人。現実はこんなにきれいな分かれ方なんてしないけど、例えばだ。この二人は、お互いの苦しんだ状況を理解できない。それぞれが違う理由で、違う主体で苦しみを感じたから。でも自分が苦しかったことを思い出して、苦しいという感情を共に感じることはできるはずだ。けれど他人を想像して、自分に重ねるなんてとても難しい。だから、これらを補完するものが言葉や物語なのだ。違う人だけど、違う主体だけど、感じるものは限りなく近しいはずだから。同じ物語を見て、たとえその感想、着眼点は違えども、感情の高ぶりは同じはずだから。
でも、そのはじまりはこうやって皆と分かり合おうだなんてきれいなものではなかったはずだ。黙れ黙れ、私が一番つらい! という、わがままな叫びだったはずだ。私の周りも、私も、苦しいという人が多いけれど、それぞれの苦しみを分かり合うことは難しかった。みんな、自分が一番可哀想だとしか思えない。それで良い。そうでしか、ありえない。私が、一番、私の中では私が一番苦しい。そしてそれをほかの世界に生きている他人にもわかってほしい、共感してほしい。ずうずうしいけど、そうしたくなってしまうのだ。共感が重ねることならば、それはつまり自分の思いが少しはその人と共通していたということで、完全には間違っていず、独りでないということだから。分かり合おうなんて余裕のあるものなんかじゃない。
独りだと思い込んで、でも誰かに肯定してほしいとき。共感してほしいとき、上手く物語れなくって叫ぶ。自分の正しさを訴える。傷ついた他人の言葉も、きっとこの叫びだったのだろう。逆に上手く物語れたら。やがて誰かが一部を切り取ってありがたがって、心の慰めとするかもしれない。他の誰かと分かり合うために使ってくれるかもしれない。愛するみなさん。説明を要求する人には、いつでも弁明できるように。穏やかに、敬意をもって、正しい良心で……。
難しいな。左手の聖書を閉じる。
◆◆◆
霧子は、傷を確認したがる。自分の言葉によって人の心についた傷を。人を傷つけるのが怖いのだ。傷ついてないよね、大丈夫だよね、だって、私は傷つけてないもんね?
私も、傷を確認する。傷ついたよね。当たり前だよね。でも生きてはいけるわよね。霧子と逆だ。
霧子を臆病者だと、心のうちでそう馬鹿にしていた私だって、彼女と同じだった。最後の行動が違うだけで根本は同じ。霧子はいつだったか私に言った。「まりのキツい言葉は、刃物じゃなくって、鈍器みたい」と。私は鋭くない自分の斬撃を、効果があったのだと納得するために傷を確認していたのだ。思い出せ、霧子は母と似ているから。母は言葉と知識に愛されている。しかし私は、母と同じく言葉の徒だった。
そこに見えている血は私の想像で、傷はただのほくろかもしれない。それでも私たちは夢を見る。自分の発した言葉で、相手に何かを遺せたのだろうか。
私たちは、生活している。私たちは、言葉を交わしている。受け取って、放って、放って、受け取っている、つもりになっている。放った言葉は自分の手元を離れた。だからそれがどうなったかなど、気にしてはいけないのだ。向こうにはそれを勝手に切り取る権利があるから。影響を受ける権利があるから。一笑に付して捨て置いても、何かに使おうととっておいても、どちらでも良い。でもやっぱり気になる。気になってしまう。私たちは、これからも確認をやめないだろう。自分の正しさを訴えるために放ったもの。一方的であっても、やっぱりそれは伝えるために紡いだ言葉だから。傷ついた? 嬉しかった? 大丈夫? そうした確認の言葉だって、放った言葉に違いないのに。
◆◆◆
玄関の明かりを虫が旋回している。バチ、バチと二、三度音を立てて電灯に接触し、ポトリと落ちた。私は、死んだかと問うた。後ろに立っていた父は、死んでへん、と言い、顔を近づけ呟いた。
「クワガタや!」
父は大事そうにそのクワガタをつまみ、自室から引っ張り出した青汁の空き箱へそっと入れた。上にラップをかぶせ、穴をあける。そして嬉しそうに中の虫を眺め、ちゃんとした箱を買わなあかんなぁ、とつぶやく。心がざわついた。
今まで、父のことは見ないように、関わらないようにしてきた。見たら、喋ったら、仲良くしてしまうから。感傷してしまうから。必要最低限の動きで接してきた。おかえりも、言わなかったのだ。本当はいつも、うしろめたかった。だからこんな、こんな人間的なところを、まともに見たら…。
おかえり、も言えないうしろめたさ。母のことは忠犬のように出迎えるのに、父とはまともに目を合わせた記憶もない。別に、言えばよかったのに。「おかえり」と言ったくらいで、母は怒らなかっただろう。でも、私には勇気がなかった。どうでもいいような顔をして、無視してきた。仕事、嫌だっただろうなとか、帰りの電車も辛かっただろうなとか、なのに稼いだ金を使っている娘がこんなんで、家に居場所もなく、友達がいるわけでもなく、酒を飲んでしかいばれなくて、どう思って毎日を過ごしているのだろう、とか、考え始めたら、どんどん辛くなっていく。
私は父に似ていると母からさんざん言われてきたし、確かに、当たり前だけど似ているところがたくさんある。それはたとえば変なところで深く感傷して、少しの楽しい思い出を大事にしまいこむところとか。だから、クワガタなんて。彼も、絶対心に残ってしまうだろう。私も、それが痛いほどわかる。
 翌日、母は玄関に出現した虫かごと昆虫ゼリーの袋に顔をゆがめた。
◆◆◆
ひと月後、父が死んだ。あっけなかった。なんでもない、仕事帰りの道端で、突然倒れてぽっくりと死んでしまった。テレビのニュースでは交通事故や犯罪で何の予告もなしに死んでしまう人たちのことが日々報道されていて、映画や小説では病気や寿命でじわじわと死にゆく人たちが描かれている。どちらも死には変わりないけれど、やっぱり何の予兆もないまま、突然消えてしまう方が恐ろしい。夢にも思っていなかった。
ひと月ほどが慌ただしく過ぎた。でも家も土地も元々母、というか母方の祖母の持ち物で、私は生活の中でも父を無視してきた。落ち着いてみれば、何も変わったことは無い。彼の寝起きしていた一階の部屋は、しばらくそのままにすることになった。窓辺にいたクワガタは、昆虫ゼリーを一つ残して死んだ。私はやっぱり、胃の付け根が重くなった。
馬鹿らしい。父が死んだことそのものより、彼が残していったクワガタとそれを失った仮想の父に感傷してしまったのだ。母が気づいたら、この最後のゼリーはきっと捨てられるだろう。私は、捨てられない。手の内にかくして、階段を上る。
憐憫は、自分を守るための生理的反応だという。確かに私は父を可哀そうだと思い、それがまるで自分のことのように共感した。感傷した。それは一方的で、自分の内でだけ起こって、しまいこまれた。勝手に想像して、勝手に完結して、こちらから伝えようとはしなかった。放った言葉がどうとかこうとか、それ以前に放ってさえいなかった。
冬が過ぎ、春が来た。私は、四月の復活徹夜祭で洗礼を受けた。
暗闇の中、ルルドの泉の前に、静かな興奮が満ちる。司祭の持つろうそくに灯がともり、それを先頭に光を讃えながら皆で行列をつくって聖堂に入る。四旬節の四十日間、キリストの受難を思ってつつましく、特に受難の主日で自らの主を十字架につけろと叫ばされてからの一週間を暗く、沈んで過ごしてきた信徒たち。主日でも歌われなかった栄光の讃歌。これらの喪失感を埋めるかのように、華やかな復活讃歌が力強く歌われる。
「退けます、退けます、退けます」
「信じます、信じます、信じます」
「あなたの洗礼名は………」
 洗礼が終わり、ろうそくからろうそくへ、火が移されていく。照明の落とされた聖堂が各々のろうろくでぼんやりと照らされる。酸素が薄まる中、信徒はますます集中する。人々の呼吸と煙と、一点一点鋭く光る炎。各自の灯りで陰影深く照らされるどの顔も、抑えきれない興奮で濡れている。
二千年も、続いてきたのだ。典礼があり続ける、意味はある。それがこの興奮に表れていた。信じるために続いてきたのだ。ただ単に、あなたはもう信じたのだから生まれ変わった、なんて言われても納得できない。一年間のカテキズムと、四十日間の忍耐と、それを乗り越えての喜びに満ちた復活徹夜祭。これがあってこそ、体で、感情で、納得できる。
 シスター、代母、そして聖母、キリスト。新しい母と主人を、確かに得た。そう感じた。新しいこの世界、この設定の中で生きていける。おめでとう、と言われるたび、心から嬉しかった。
◆◆◆
父の死後母はとても安定している。廊下の鉢植えたちは姿を消した。
母は自分が苦しめられた親の離婚に敏感だった。だからいつも、自身の離婚に関しても振り子のように揺れていた。私も、梅雨のあの日は今度こそ本当になる気がすると思ったものの、結局何の沙汰もないまま季節が過ぎてやっぱり今回も駄目かな、と思っていた。だが、父が死んだ今その悩みは消えた。
彼女も彼も責任を負わず、健全に生きるためには死別が最善だ。これでよかったと思う。父ときちんと関係を築いていた妹は、とても沈んで、普通に暮らす私たちに憤っている。部屋を暫く残したのも、彼女がそこへよく行くからだ。可哀想だ。私より、はるかに彼に近かったから。でも母にずいぶんと妹に優しくなった。理不尽な八つ当たりはしなくなった。妹はきっと、立ち直るだろう。そう軽く考える。だって他人だから。
感じる主体が自分しかいないということは、周りの者はそれに影響を与えるしかできないということだ。妹の傷は私が考えているよりも深いのかもしれない。けれど私には、わからない。じゃあ、私は?
父の死を思い、ロザリオでも祈ろうかしらと思う。私たちは相互に加害者で、相互に被害者だった。だからそれぞれの言い分がたくさんあるはずだ。私にはあった。そして伝えなかった。父にもあったに違いない。でも永遠に聞くことができない。
父を思って祈ることは失敗する。この一環は父に捧げよう。そう決めて、私は十字架を握ったはずだった。主の祈り、アヴェ・マリア、詠唱。準備体操のように設けられた、三叉の金具の前までの祈りの文句。ここまでで、もう自分のことしか考えられなくなった。聖母と御子の物語。信徒の、特に女の理想であるマリア。彼女のようになりたいと願う。この世界ではそれが正しいから。正しいことは、生きやすいということだから。救われるという、ことだから。
「喜びの神秘、第一の黙想。マリア、受胎のお告げを受ける。」私は主のはしため、お言葉通りになりますように。主から直接仕事を与えられ、計画を明かされる。どんなにわかりやすく幸せか。
「第二の黙想。マリア、エリザベトを訪問し二人は主を讃える。」わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。でもその計画には困難がある。未婚で妊娠して、大きな計画を明かされて、そんな中で他人を訪れる余裕なんてあるだろうか?
「第三の黙想。イエス、御降誕。」主の計画に応え、与えられた仕事を成すことができますように。マリアは成し遂げた。ことになっている。それも「お恵み」なんだろうけれど……。何か大いなるものに使役され、それが計画し、統べる大きな物語の一部となる。従い、肯定される。なんて素晴らしい世界か。
「第四の黙想。マリアとヨセフ、イエスを神に奉献し、贖い戻される」しかし、ここで何を願えば良いかわからなくなった。この奉献は、ただの当時の慣習、お宮参りみたいなものだろう。このマリアの行動から何を倣えば良いというのか。中断して、古本屋で買ったロザリオの指南書を開く。
「神の子にはもしかして必要のない習慣だったかもしれません。しかし、いつでもマリアはなすべきことをしていたのです。」
それまで神の計画だとか大きなことを言っておいて、ただなすべきことをしていた? ちょっと、いきなり話が現実に戻りすぎていやしないか。半信半疑のまま、祈りの文句を再開する。アヴェ・マリア、恵に満ちた方……。
三回ほど同じ文句を繰り返し、新しい珠をつまぐった。
「なすべきことをせよ」
すると突然、この文句が沁みた。脳内をかけめぐった。なすべきことをせよ。その後第三の黙想の十粒を全部つまぐり終わるまで、その言葉はどんどん私の心に落ちていった。当たり前のことのはずなのに、雷で打たれたような衝撃があった。
そうだ。こんな言い方は不敬だけど、どうしてマリアがこんなに出しゃばるのか。それは彼女が人間で、私たちと大きなもの、神をつなぐ根拠だからだ。ここにだって、ちゃんと意味があった。典礼があり続ける、意味はある。私にはこれが合っているようだ。選択は、間違っていなかった。
それにしても、この衝撃。これが神秘的体験というやつか。ついに私も、ここまで自己洗脳が進んだか。自分で選択したとはいえ、少し恐ろしい。でも選んだのだ。一生付き合うには、幸先が良いスタートじゃないか。奇蹟から信仰が生まれるか、信仰から奇蹟が生まれるか。選んだ信仰では、後者だろう。
◆◆◆
母の雰囲気はますます柔らかくなった。妹は、よく本を読むようになった。ヒラリと、返却期限の押されたわら半紙が食卓で踊る。普通に、過ごしていると思う。彼女には彼女の治し方があるのだろう。私も選んだ信仰で心の平穏を感じていた。はずだった。
ある日、母は私の教会に行くことを知った。洗礼はやめるように言い、そのリスクを説いた。無断でそういうところに行って、失望したと言った。心がそんなに弱いのかと言った。神はいない、救ってくれないと言った。私は、すでにしたとは言えなかった。生きやすくするために、いろいろなものから、自分に合ったものを選んだまでだと説明するのが億劫だった。どうして母に言えなかったか。それを言う勇気がなかったからだ。結局、私は臆病だ。
母は私の洗礼を知らない。それがひどく心苦しい。母が穏やかになればなるほど私の良心が傷んだ。復活祭の夜は、新しい主人を得る喜びに心踊ったのに。
どうして、と自問する。疑問に、思考と資料によって一定の法則を与えるのが学問であって研究であって、科学であって。私はそのプロセスが好きだ。だから自分自身にもそれを実行していたい。論理的でありたい。
色々と、洗礼と似たものを考えた。後天的に、自分の意思で、責任を持って選択するものごとを。結婚すること、離婚すること、ペットを飼うこと、マニアックな趣味を持つこと、喫煙者になること、刺青をいれること、美容整形をすること、処女をすてること。
支配ということを考えた。私は家の宗教でもなんでもない教えに入り、自分で主人を選んだつもりだった。新しい支配に喜んだ。前の主人、母は捨てたつもりだった。でもそんなに単純にはいかなかった。前の主人が、自分の思っていたよりも優しく、好ましくなったとき。そのとき、私の心はそちらに戻ってしまう。だって元々は、こっちに認めて欲しかったのだから。母の平安は、私を母の元へ連れ戻す。このままじゃ、二君に使えている。だから苦しいのだ。どちらの主人に従うべきか、混乱しているのだ。
いや、やっぱり私は母を上位の主人としているのかもしれない。西洋史の中で教皇が皇帝を認めたように、日本史の中で天皇が将軍を認めたように、私も母に主を認めて欲しいのだ。褒めて欲しいのだ。良いヘッドハンティングをしてきたね、と。
「神の慈しみに信頼して、あなたの罪を告白してください」
「私は、母にされて嫌だったことを妹にしました。」
神父様、わかりますか。それはわざと聞き返したり、嫌な物言いをしたり、無視したり、小さな傷をたくさんつけて、苦しめているということです。心で付け足す。狭い告解室で私は、背中を丸めうつむいていた。本当は霧子にも、と言いたかった。言えなかった。
「人は、いつも完璧とはいきません。まずは、お母さんをゆるしましょう」
思わず、顔を上げた。司祭のストラ、その金の刺繍が鈍く光った。母娘の関係に悩む人は多いのかしら、だからこんなに見抜いたのかしら。そうやって、考える間も無く、涙が溢れてきた。司祭が十字を切る間、涙を抑えるのに必死だった。
告解室を出て、聖堂で司祭に言われた主の祈り三回の償いをし、そしてロザリオを取り出して、アヴェ・マリア、と唱えて泣いた。母に悩む子供に、母を許せというのはありきたりな言葉だ。でも、実際に、面と向かってそれを勧めて、言葉にしてくれた人は初めてだった。私は、ありきたりだけど、母を許したかったのだ。そして自分も許されたかった。誰に? 神にじゃない。母に。認めて欲しかったのだ。アヴェ・マリア。聖母には、理想の母を求めていた。マリアは、何も言わない。けれども優しいと皆が言う。みんなのお母様だと言う。否定しない、完璧な母。実際には触ることが出来ない、理想。私はこれを求めたのか。でもそれじゃやっぱり不完全なのか。しくしくと、涙が溢れてとまらない。風呂場以外で泣くのは、ひどく久しぶりだった。
自分で選択して、そして責任を持つ。そう思っていたけど、やっぱり私は子供だった。まだ手の内にいたかったのだ。母からの肯定を望むのは、そういうことだ。
教会からの帰り道、ショッピングモールへ出かけていた母と合流する。私は今日、大学でサークル活動をしていることになっていた。十戒を常に破っている。選んだ世界でも、結局正しく生きられない。
「さっそくで悪いんだけど、今日ばあばも来てるのよ。お母さん先に一緒に食べちゃったの。まりちゃん、ばあばとフードコートにいてもらって良い? お母さんその間に食料品買ってきちゃうわ」
入り口からすぐのところで母と別れる。まっすぐフードコートへ行き、祖母を探す。二つ折りの携帯電話を両手で構え、遠目にそれとにらめっこをしていた彼女は私に気が付くと気さくに手を挙げた。
祖母は一見、神経質な母とは真逆に見える。私は十歳くらいまで、病弱な母の代わりに祖母の家へ預けられることが多かった。その生活の中で祖母は、気にしいの私をよく「それくらいじゃ死なないわよ」と豪胆に笑った。それは例えば祖母の飼い犬にあげてしまった人間のお菓子に、もしかしたら玉ねぎの成分が入っていてそれでその犬がどうにかなってしまうんじゃないかとか、落とした食器を水洗いしてつかったけれど、本当はちゃんと洗剤で洗った方が良かったんじゃないかとか。思えば、なかなか厄介な子供だ。
祖母は叱るにしても一度言えばそれで終わり、まりちゃんのお母さんみたいにねちねちするのは良くないわ、と実の娘であるはずの母もよく非難した。私はなんだかそれがとても心強い気がして、ますます彼女が好きだった。
「でもね、ばあばだってまりちゃんのいないところでは、まりちゃんはとんでもない恥知らず、あんなヒステリーの、出来ない娘を持ってお母さんは可哀想だわって、ばあばだけじゃない、近所の人みんなそう思っていますよ。世間知らずで、都合の良い時だけ擦り寄ってくる子、って。本当ですよ」
 しかし祖母が母の誹りの中にこうして、頻繁に登場するになってからは彼女を警戒するようになってしまった。私はなんて馬鹿だったのだろう。どうして、祖母の見せる良い面だけを、何の疑いもなく信じてしまったのだろう。考えれば、あの母をつくった女なのだ。単純であるはずがない。そう思った。いや、もしかしたら母の言うことは母の愚痴に合わせて仕方なく言っていたことかもしれないし、全て母の口から出まかせかもしれない。でも一度疑えばもう駄目だった。
 あんみつが食べたい、という祖母のリクエストに応え、自分が食べるタコ焼きと一緒に買う。席に戻ると、祖母は珍しく浮かない顔をしていた。色々と、他愛のない話題を振り、会話を続けていても、ずっと表情が暗い。これはどうしたら良いのだろう。空になってしまったたこ焼きの舟。その淵を指の腹でいじっていると、祖母は一瞬だけだが顔を上げて、私の眼を見つめ、そらして言った。
「まりちゃん、ごめんね」
「どうしたのいきなり」
「お母さん、変でしょう」
「変って、何が」
 最近様子がおかしいということか、それともずっとということか。彼女そのものにた対するものなのか。
「あのね、お母さんが変なのは、お母さん…ばあばのせいなのよ。百合ちゃんは繊細だから。だからまりちゃんが今まで辛かったとしたらね、それはばあばが悪いのよ。だから、百合ちゃんに、まりちゃんに、償いのつもりで色々とお家やお金を出すのよ」
 まさか、こんな近所の、ショッピングモールのフードコートでそんな重たい告白を効くなんて。百合ちゃんとは、私の母だ。祖母が言っているのは、不健康の連鎖のことだ。そんなこと、とっくに知っているよ。そう思ったが、うまく言葉が出ない。祖母だってそんなこと、ずっと分かっていたのだろう。それをどうして今、絞り出すように言ったのか。彼女の心の裡は分からない。分からない。けれど、
「そっか…でも、仕方ないよ」
 祖母が豪気に、単純に見えるのは、彼女がそうありたいと思って生きているからだ。本当はこのうつむいた、暗い複雑さこそが彼女なのかもしれない。思えば昔から彼女は煙草を、睡眠導入剤を、いつも持ち歩いている気がする。私の複雑は母のせいで、母の複雑は祖母のせいで、祖母の複雑は曾祖母のせい。そうして私が複雑であることに関して、祖母はどうしようもできない。だから、仕方ない。
「大丈夫だよ。みんな、仕方ないんだ」
 そう答えるしかなかった。
 やがて母が買い物袋を提げてテーブルへ近づいてきた。四人掛に向かい合って座っていた私と祖母、その祖母の隣に腰かけ、荷物を私の隣へ置く。来る際に買ってきたというコーヒーのパックにストローを刺し、ふうと一息ついた。
「なあに、何の話をしていたの」
「別に、和也さんのことよ」
 祖母はしれっと答える。和也は私の父の名前だけれど、さっきまで話していたのは母のことだったはずだ。
「そう」
 祖母のとっさの嘘に、母の顔が暗くなる。先ほどの祖母の顔とそっくりだ。期せずして話題に上った父に対して単純な嫌悪だけではない、むしろ苦しみがあるのか。コーヒーのパッケージを眺めながら、母はとつとつと語りだす。
「和也さんも、悪い人ではなかったの。まりちゃん、そうなのよ。でも、変わっちゃったの。周りが悪かったのね。お母さん、本当はお父さんじゃなくてお父さんの周りの、お姉さんとかが嫌だったのよ。お父さんはお姉さんに頭が上がらないし、それに女々しいような性格でしょう。だから」
 女々しいって、繊細って意味で使っているのかしら。そうすると、私の目の前のこの母娘は、互いに違う人のことを同じ理由で、どうにかなってしまったと訴えているのだ。同じ表情で。
「だからね、別にお父さん自身を嫌っていた訳じゃないのよ」
 それは嘘だ。だって散々、父にそっくりという言葉を私たちへの攻撃に使っていたじゃないか。それにこんなの全部、自己弁護の言い訳だ。今更ひどい。私は貴女の側について彼と対していたのに。
 己の影響を詫びる祖母と、自分の無罪を主張する母。仕方ないとしか言えない私。いや、私だって母のせいで父と、と責任を転嫁している。この違いは、何だろう。単なる歳の違いなのか、それとも他の何かがあるのか。気づいたものと、気づかないものの違いか。
自分が整えた環境で、自分が良いと思う育て方をし、自分と同じ血を持った女。そして大体同じような複雑さを持っている人間。でもこんなに違う。じゃあ何が同じ? 複雑ということそのものが同じ。それってつまり、辛いってことだけは同じってことか。
二人から普段では絶対に聞かない告白をされ、頭がくらくらした。屋上に駐車している祖母を見送り、母と二人平面駐車場へ向かって歩く。今さっきの祖母の様子などを話しながら自動ドアを抜けて、ふと気づいたように母が「こういうの好きそうだと思って」と、地方のキャラクターがプリントされたウエハースを鞄から取り出した。個装で、丸く白い生地に、踊るキャラクターがよく見える。最近始めたパート先の同僚にもらったものらしい。
丸くて薄いウエハースだなんて、まるでミサの聖体拝領でもらうご聖体だな、と思った。じゃあこれは、母の体なのか。食べたら、一つになる? いや、すでに境界はあいまいだ。逆だ。バラバラにならなくていけないのだ。ちゃんと、他人だと認識しないと。まずはお母さんを許しましょう。家に帰って、自分の机に飾った。引出をあけて、しまい込んでいた昆虫ゼリーをしばらく眺めてから、ウエハースの後ろにそっと隠した。
◆◆◆
霧子からメッセージが届く。視界の端っこで、液晶画面がぼうっと光る。きっと相談事だ。
私は布団を一枚敷けばそれで終わりのロフトで寝ていて、小さな窓は寝る直前まで開けて、網戸にしている。淀んだ室内が夜の湿った空気に侵食されて、気持ちがいい。街灯や時折通る車のライトが自然な明暗を保つ。布団に仰向けになって、腕を自然な角度にひろげて手のひらは上に。足も肩幅にひろげて、目は目玉が奥へと落ちるように瞼を閉じる。呼吸はゆっくり深く。無になる。ヨガの基本、シャバーサ、くつろぎのポーズ。
昨年の秋学期、霧子の誘いでヨガを習った。大学の体育でなぜかヨガがあるのだ。私はもともと体が硬いことと要領が悪いのもあって、ポーズを取るたび苦労した。痛いし、直されるし。思えば小さい頃から、お遊戯とかダンスとか、人の動きをすぐに真似することが苦手だった。そんな苦行のヨガだったが、このポーズだけは好きだ。無理なくできるし、気持ちがいい。シュルツの自律訓練法なんかよりよっぽどリラックスできる。ただ寝転がるスペースが要るのが欠点だが。この寝る前の小休憩は、慢性的に疲れを強いている目も、ハンガーより急勾配の肩も、緩めてくれる。霧子からのメッセージは、こうして横たわってから三十分ほどが過ぎ、そろそろ窓を閉めて寝ようと思っていたところに来た。自分の時間を破られるのは好きじゃない。天井を見つめたまま、腕だけ伸ばして携帯をつまむ。
【明日のお昼、部室くる?】
【いくよ。どうしたの?】
【いや〜 明日ぼっちかと思って】
何なんだ。女子か。女子だ。たまに、イライラする。霧子はどこまでも女子だ。ぶりぶりしているとか、彼氏欲しーい! と叫んでいるとか、そういうのじゃなく。性格が根本的に女子なのだ。一人でご飯を食べるのが嫌、自分がやりたくなくても一人になりたくないから他人に合わせる。好きでもないけど相手を傷つけたくないから付き合う。少しネットで検索すればわかることを他人に確認し、自分で責任は負わない。そして逆に、ズバズバ言ったかと思うと相手を傷つけたのではないかと怯え、傷を確認する。これら女の部分は、妹と似ている。霧子は妹にも似ているのだ。
だから私は、最初の問いかけの時から分かっていた。一人にならないために聞いてきたのだなと。そしてあえて聞き返した。なんで? と。また意地悪、してしまった。
人の話を聞くときは、聞き返してはいけない。否定してもいけない。まず、相手の話を否定せず聞かなければならない。これが人をよろこばせ得る一歩だ。頭ではわかっているけれど、うまくできない。訓練が、必要だ。
翌日、キャンパスのスロープを歩きながら霧子が言う。
「本読んだって、楽しいと思えないんだよね。だって全然、映像にならないから」
「絵にもならない?」
「うん、頑張れば紙芝居くらいには、なるときもあるけど。」
小説を読んだって、再生されない。
これは私をうろたえさせた。私は字を追いかけ始めてからこのかた、小説が映像化しなかったことなど一瞬たりともなかったからだ。映像というより、それよりリアルな、拡張現実のような体験をずっと味わってきた。でも霧子のような人もいる。この衝撃。私は霧子をゆるす。霧子には私にゆるされる筋合いなどない。全ては私の自己愛、自己満足だ。でもとにかく、私は霧子に対するモヤモヤやイライラが一気に晴れたのだ。そういう人もいる。そうだ、私が感じること、できることが全てではない。訓練なんて、必要ない。理解することが、必要なのだ。当たり前のこと、わかっていた。わかっていたつもりだったけれど、わかっていなかった。本当の理解じゃなかった。だから私は霧子にモヤモヤしたりイライラしたりしていたのだ。私でないことは理解できない、でも理解しようと努めよう。他人の言葉から何か拾おう。そうやって綺麗事を並べていたけど、わかっていなかった。自分に重ねて共感する、だなんてそんなの自分と似た人しか受け付けません、と言っているのと同じだ。似ているところだけを取り出して、そうして自分が理解できるものしか受け入れようとしていないということだ。そもそも、傾聴しようと努めていたのは、理解しようと努めたいのは、嫌われたくない自分のためだ。
霧子は、母なんかじゃない。母にしてみたかったことをして甘えるなんてお門違いだ。母さえも、自分とは違うのだ。年だとか、気づく気づかないだとか、そういうものもすべて取り去って、答えは簡潔だった。他人は自分とは違う。これだけが理解なんだ。
私はただただ自分を守る理屈を連ねているだけで、結局何もかも踏み出せない。何もわかっちゃいない。こうやって、体験しないと分からない。こんな生きていく上で大事な気づきは、やっぱり奇蹟が先なのか。
「ああ。三限行きたくないな」
「さぼっちゃえ、さぼっちゃえ」
 昨夜のメッセージ通り、部室で一緒にお昼を食べた。そして午後の授業に行く気がしなくなった。呟くと、霧子もけしかける。霧子は三限に講義が無い。
「あのさ、月島行かない」
「もんじゃでも食べるの」
「うん、もんじゃ食べたいんだよね。私三限空きコマだし、四限はまだ一回しか休んでないからまだ切れる」
「はやくない?」
もんじゃは、何となく夕方からという気がする。
「四時くらいまでここにいれば良いよ」
 それじゃあ講義に行けば良い、とも思うが、一度行く気を無くしたものは仕方がない。そろそろ書き始めなければならない期末レポートだとか、アルバイトの愚痴だとかを話して過ごす。
 夕方になって、地下鉄を使って月島へ向かう。霧子は私が車内で本を読むことを快く許してくれる。霧子も携帯ゲームを始める。遠距離通学を長くこなしてきた者同士は、何を説明するでもなくこういうところが分かあえて良い。
 月島につくと、もんじゃ屋がたくさん並んでいた。値段が手ごろそうな一軒に入り、大きい鉄板を挟んで向かい合う。具材を投入すると、すさまじい勢いで蒸気があがる。熱いし暑いと笑いあって、ソーダを飲んで、店を出ると日が暮れていた。せっかくだから勝鬨橋を観に行こうと、涼しい春の隅田川を目指す。黒い水面に橋やビルの明かりが白く溶けている。静かな風が私の薄いロング丈のスカートを揺らし、まとめない霧子の髪には空気を入れる。満腹感と相まって、優しい夜の安心感に思考が溶ける。私はぽつりぽつりと、母とのことを話しだした。もちろん全てじゃない。断片的に。
「だからね、結局私は後悔しているのかもしれない」
「でもその時、やらなきゃって思ったんでしょ」
「そう、だね」
「そしたらその時の選択は最善だったんだから、正しいよ」
 霧子は賢い。
◆◆◆
​ 教会に、行かなくなった。堅信式だけは、何とか行った。受けるべきじゃない。今、こんなに苦しいのに。こんなに母への罪悪感でいっぱいなのに。でも教会の人への良い恰好もやめられず、まさか母に洗礼のことを話していないだなんて言えず、だって言ったらきっと失望される、と思い込んでいるから。想像だけで傷ついている。理由を適当にごまかして堅信は延期したいと言い出しもしたけれど、結局二重の嘘で罪悪感が増しただけだった。霧子の言うことは正しいけれど、それは今も母に言えないことの苦しさを解決するものではない。
図書館へ行く、と言って家を出て、駅のトイレでスカートを代えて、ミサに出た。皆おめでとうと言ってくれる。でも、洗礼の時みたいに嬉しくない。私がやっと見つけた母と主人。彼女たちは私に何の傷も与えていない。なのに私は勝手に嘘をついて、欺いている。
 けれど三週間が過ぎて、たまらなくミサに行きたくなった。土曜の夜、日曜の早朝、夕方の初金。あまり、知った人と会わないときに行ったら良いと思った。知っている人と会ってしまって、お母様とは最近どう? なんて聞かれたら、たまらなく苦しくなるから、それを避ければ良い。月の献金だって入れなければ。
 土曜日の夜。勇気を出して、最初のアルバイト先の先輩、倉橋さんに連絡をした。SNS上で辛そうにしていて、でも私が会ったって話しかけたって、何もできる自信がない。大事な人が本当に苦しんでいるとき、私は何もできなくなる。そうでないときだって、大事な人へは臆病になる。大事な人って一体誰か。それは私を教え導いてくれる人、尊敬する人、憧れる人、一緒にお話ししてくれる人。似ている人、手に取るように気持ちがわかる人。だから臆病になる。でも、本当はやってみなくては。なすべきことをせよ、だ。
連絡してみたらあっけなく明日の昼に会おうと決まって、じゃあ朝早くのミサに出てから行けるかな、と六時半にアラームをかけた。
翌朝、朝ミサを逃し今月の献金封筒が手元に残る。行こうと思えば間に合った。目は覚めていて、用意もできていた。でも、行かなきゃな、そう義務感に駆られた時、胃の背面がずんと沈む感覚に襲われた。洗礼を受けたことを直感的に後悔した。献金封筒を持って二階の自室に行って、本棚の隙間に押し込んだ。そうしてまたリビングに戻って、今日は何を履くか考えて、久々にサンダルでなくスニーカーを履こうと思った。だから、倉橋さんに会った後、教会に行ってもいいかなと思った。
倉橋さんとカフェに行ってご飯を食べて、本屋をぶらついて、懐かしい話をする。倉橋さんとは、一緒に働いていた時もその後もたまに二人でご飯を食べたり買い物に行ったりすることがあった。私のどこかに面白さを感じてくれたようで、構ってくれるのだ。でも二人でいても、私たちの周りにいる人、いた人たちのことを話題にするのが常だった。何々さんは最近どうしているだろうとか、ここに何々さんがいたらどうだろうとかこれは似合うだろうとか。自分と相手のことは滅多に話さない。
けれど今日の彼は顔色も黒ずんで、黒縁眼鏡の奥が寝不足でギラギラと光っている。数ミリ飛び出た無精ひげも目につく。心に余裕がなさそうだ。いつも通り今の自分のことは話さない。何に悩んでいるだとかはもちろん、寝不足だともいわない。私のことも聞かない。けれど話題にする周りの人たちが違う。私と彼が出会う以前、二十年近くも以前の、彼の大事な人のことを延々と話している。彼の美しい思い出を再生している。
倉橋さんは私と似ていて、自分の大事な人のことを、そして思い出を、言葉を、大事にして、大事にし過ぎて、動くのが難しい人だ。大事なものの管理は難しい。重くって、それを抱えて、積んで生きてゆくと燃費が悪くなる。だから大事になってしまった瞬間蓋をする。圧縮して、心の奥底にしまい込む。そうしてぎゅっと仕舞っておけば少しは動きやすいからだ。彼が十歳も年の違う私とこうしてつるんでくれるのも、そういう似た何かを感じたからではないか。そう勝手に思っている。だから分かる。その圧縮した思い出を解凍して、すがるのは異常事態だ。
もちろん楽しかったことを、嬉しかったことを反芻するのは心地よい。けれどそれはもう二度と来ないもので、今はそうではないのだ。ずっとその反芻にひたっていられれば良いけれど現実はそうじゃないし、いつかその現実に戻らなくてはいけなくなる。このデメリットを無視して思い出を広げるなんて。そしてそれを他人にしゃべるなんて、そうとう余裕がない。あとで来る副作用を無視してでも、逃げ込む先が必要だということか。彼のそんな状態が分かったのに、私は何も聞かない。感傷してしまって、喉の奥は熱く、手前は乾いて言葉も出ない。話を聞くしかできない。
倉橋さんと別れ、彼の心の平安を祈る。私は彼の苦しみに共感することは出来た。けれどそうして自分が辛くなって、何もできなかった。共感が自分に置き換えて考えることならば辛くなるのは当然だ。だって自分のことのように感じるということだから。でもどうして自分のことのように感じるのだろう。共感は思いやり、憐憫は生理的な反応。じゃあ、一緒に苦しむこととは何が違う? そこに、そばにいるだけで良いのか?
やっぱり、教会に行こうと思った。聖堂までの丘を登って、聖水盆の周りを見渡す。月定献金の回収箱は見当たらない。そうだ主日のミサの時以外は、しまわれているのだった。それでも良い。月定献金なんて、そんな理由でも無いと腰を上げない、自分への言い訳だ。本当は、行きたかったくせに。聖水で十字を切って、聖堂に入る。
西日が入り、そして影って薄暗い聖堂。誰もいない。乾かぬ汗が、湿気が、肌にまとわりつく。額を汗が伝って、まつげがそれを受け止めて、あぁ本来の役割を果たしているな、とぼんやり思う。
今日のパンフレットを開いて、頭の中でミサの次第を追う。私はやっぱりミサは好きだ。最後の晩餐、感謝の祭儀。ゆるしを乞い、信じる者を確認する。自分だけじゃないと、満ちて重なる歌声とことばで直接感じる。信仰を、生を、継続させるために必要なもの。行きましょう、主の平和のうちに。次の日曜にはきっと行こう。今は聖堂に誰もいないけれど、歌って、
「神よあなたは万物の作り主」
古のユダヤ人たちが、今までに続く兄弟姉妹たちが伝えてきた、天地の創造主、全能の父である神。父の一人子、私たちの主、イエス・キリスト。これらの設定の中に自分を置けば、安心できる。毎夜自分で頑張って創らずとも、日中必死にたくさんの物語を入れ込まずとも。だからやっぱりこれは、どうしても 私に必要な、メンテナンスなのだ。私が神を求めた意味と、報いがしっかりここにある。本当は、行きたかったくせに。祈りたかったくせに。くつくつと、笑いがこみあげる。この狭きより我は主を呼び、主は我に広き自由の中に応えたもう。
あの時、やらなきゃ生きていけないと、そう思ったのだから。その選択は正しいに決まっている。数ある方法の中で、数ある世界の中で、私はここに座り、汗を流して平安を得ている。きっと、それが私にとっては最善だからだ。
◆◆◆
洗濯物をたたむ。妹もいるのに、何でいつまでも私だけがやっているのだろうと思う。タオルを積み上げてそれが倒れそうになって、気づいた。私が、妹の手伝うことを拒んできたからだ。母の前で良い子でいたくて、だから妹が手伝うと手柄を横取りされる気がして嫌だったのだ。
そして、あぁ母もこれなのかしらと考えつく。完璧な母で居たがるのは、確かに自己満足であるけれども、その前に「認めて欲しい」があって、私はそれをずっと「世間」とか「母の理想」とか考えてきたけど、もしかしたら私たちにも肯定されたかったのかもしれない。
母だって、大人になってしまった、傷ついたままの子供なのだ。母を、他人とするのなら。きちんと別個の人間として、自分から切り離すなら。その心は計り知れないし、その言動だってムラがあって当然だ。だけどそう考えるのが、許すのが難しいのは。実母だから、仕様がない。それに許すといったって、自分の方がもともと彼女に許されてこそ存在するものだったのだ。私が許す許さないの問題じゃない。そうも考えてあわてて打ち消す。別々になるってことは、こんな半人前の思考から自立して、自分で自分を肯定していくってことだ。そのために、選んだんだろう? 自分の主を、新しい世界を。
 妹は、おかしを作る。せっせと作る。シフォンケーキ、シュークリーム、バームクーヘン、ミルフィーユ、プリン、フルーツタルト、ショートケーキ、メレンゲクッキー。妹は、ご飯も作る。カレー、オムライス、肉じゃが、味噌汁、煮つけ。台所は、母のテリトリーだ。私は決して入ろうとしなかった。台所をうろつくと、母は不機嫌になる。だから私はカウンターの反対側で様子をうかがって、指示があれば食器を出し、無ければ何をするでもなく母の愚痴を聞いた。一緒にはいるよ、手伝う意思はあるよ、というアピールだ。
 でも妹は、台所を汚すことを怒る声にもめげず、承認欲求が強いのよ、という誹りにもめげず、もくもくと台所に居続けた。そのうち母も褒めるようになって、私が何もしないことが問題になってきた。父がいなくなったという母の平安も、そろそろだれて、元の不安定な状態に戻ってきたということか。
 いや、違う。母の言うことは正しい。妹の行動は結果的に母の役に立っていて、私は何もしていない。台所にいると怒られるから、なんて言い訳は通用しない。妹だって、そうだった。同じく育ったはずのものは、果たして私よりも強く、正しく、ひねくれなかった。いくら妹も別の人間だと考えたって、そう思ってしまう。母との境界だって、引けない。どうして? わかったはずなのに。分かったと思っては沈み、それを紐解けばまた分かったと思う。堂々巡りだ。
◆◆◆
できれば湿気の少なく風通しと日当たりの良いところで読みたいと、誰もいない家で、玄関から続く廊下へ腰を下ろす。駐車場へ向けてあけられた格子窓から、夕立後の涼やかな風が入る。夏半ばの午後四時過ぎは、静かで程よい明るさだ。
たくさんのことを考えてきた。自分のぐちゃぐちゃな感情から思考を整理して、原因を探り当てた。いくつもの発見があった。これらは同じように悩んだり考えたりした、多くの先人がとっくに気づいていることだろう。でも、自分で解くことに意味があったのだと思う。知識も思考も、経験でしか得られず、納得できないから。では私は、そうやって自力で得たはずなのにどうして廊下に倒れているのか。堂々巡りだから? 分かったのならいつか抜け出せるはずなのに。心がだるい、頭も重い、首も肩も、肋骨もきしむ。
味がしなくなったご飯の代わり、と積み上げた本を読み続けた。食べる。飲み込む。どれだけ心がだるくても、ページをめくることだけはやめない。合間に水も流し込む。一つの物語を飲み込んでいるうちに、これまでの美味しかったものも思い出す。そうして、紙の中から自分が欲しい答えを拾い上げる。物語たちは、ありきたりなことを繰り返す。人の心の複雑さ、過ぎ去る時節、人に言えない秘密。ありきたりなことを繰り返すように感じるのは、私がそればかり拾っているからか。
ふと気づく。これは祈りだと。導いてくれとロザリオをつまぐって、マリアの言動から何かを見つけようと黙想するように。導いてくれ肯定してくれと物語を読んでいる。物語による祈り。なすべきことをせよ、という指針を拾い上げたあの夜も、この延長線にすぎなかった。神よりももっと強く、もっと長く、もっと多く、私は物語たちに祈ってきた。これは私の根元、奥底から来る祈りなのだ。だって、ずっとやってきたこと。苦しい時にこそ、やり続けたこと。救いを求めたもの。決して二君に使えてなどいない。最初から、一つだった。そして最初から、傷ついていた。黙れ黙れ、私が一番つらい! そうだと気づいたじゃないか。
物語から、指針を得る。癒しを得る。ずっと、やってきていたことだった。そうだ、はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は、神であった。聖書も、物語だったね。そしてこれが、人生だった。世界は言葉でできているから。手を伸ばし、鞄からロザリオの銀鎖をひっぱり出す。磔刑の十字架を握って、目をつぶる。
人生という大きな物語を、自分から見た他人という虚構、人為的な言葉の羅列による虚構、これら小さな物語たちの切り貼りで埋めていく。うん、人生も物語なのだ。私の背負った母への思いも、母の、霧子の、妹の、父の語らなかった色々の思いも、全部一つの物語だった。私が霧子に母と妹を見るのは、その分かりやすい表れだった。見たいから見て、似ていて欲しいから似ていた。情報は、経験は、歴史は、全て物語だった。その中から自分が欲しい何かを切り取って、自分の人生を作っていくのだ。
喜んで物語を切りとって、でもそれを貼り付けるのに苦しむ。切り取るのは理論で、貼り付けるのは行動で、それを感じるのが感情で、理論と行動と感情は違うから。だから苦しむ。だから傷つく。妹に、霧子に、どうして優しくできないのか。理解しても改善できず、訓練が必要だと思ってはそうではないと、人は違うという根本的な理解が必要だったと気づいた。しかしこれも理論で、そうではなくそれを経験して動かしている「私」を見落としていた。
思考し、行動し、感じるのは、いつでも私ただ一人なのに。理論だけでは机上の空論だ。行動には感情が伴うのだ。喜び、怒り、哀しみ、喜び。さまざまの感情が、複雑に伴うのだ。
私は、理論的に考え、処理していたと思っていた。家では生きやすいよう、母の期待を演じていると思っていた。苦しいのは、二君で揺れているからだと思っていた。けれど、私はやっぱり母に認められたかったのだと気づいた。だから辛かったのだ。どうやらここ最近は期待に沿うようにうまくやってきていたらしい。それが久々に期待に沿えず否定のシャワーを浴びて、傷ついたのだ。失望した、悲しかった、私に不安を与えた。お母さんにこう言われて、失望されて、悲しまない娘があるか。理論が分かっても、心が傷つかないわけはない。理論だけを、物語に求めたはずはない。私は傷を認めたくなかった? 認めちゃいけないと思っていた? 認めなきゃ、いけなかったのに。だって傷がなかったら物語なんて欲しはしない。
苦しむのは、傷つくのは、それぞれの物語のいる階層が違うから。傷ついて当たり前だと、どうして気づけなかった? 傷ついても別に、良いんだよ。和紙の隣にダンボールを貼ろうとしたら、段差ができる。滑らかにするに工夫が要る。そうして貼ったあとで後悔もする。当たり前だ。けれども求めずにいられない。隙間を埋めずにいられない。人生という、生活という物語の中で生まれた隙間を、傷を、また新しい物語で埋めようとする。癒そうとする。
物語から、拾い上げずにいられない。作りかけの自分の半生すら、物語として捉えずにいられない。そいつでもって生まれた段差さえも、傷さえも、また物語で埋めなくてはならない。蟻地獄だ。生きるって、この終わらない工作をずっと続けていくってことなのだ。死ぬまで改変され続けて、最後に残った遺作が便宜上人生という作品となる。でもいつ死ぬかなんて、いつが最後の改変かだなんて誰にもわからない。予想はできて、もしかしてそれが当たることもあるかもしれない。けれど本当の最終更新日時は、最後までわからない。
その遺作としての人生を作り上げるために切り貼りしているのか、それとも生きるためにしかたなく切り貼りして、その副産物が人生なのか。どちらかはわからない。でも私は、今この瞬間も切り貼りを続けなければ生きていけない。糧を見いださなければ生きていけない。
でもそもそも、こんなに苦労してまでどうして生きているのだろう。その答えはこれらバラバラのものを貼る大きな台紙、端っこを決める大きな額縁が決めてくれる。もっともっと大きく、たくさんの公約数を持った物語が決めてくれるはずだ。手のひらを開けば、握りこんだ磔刑の十字架が見つめてくる。私にはそれが、これだった。
彼は人々と共に、一緒に苦しんでくれる、という言い方があるけれど、じゃあそれはどうやって行ったのだろう。どうやって私たちは知るのだろう。やっぱり、言葉と、行動とで示したはずだ。そしてそれを伝える物語、言葉によって私たちはそれを知る。だからどんなに難しくても、言葉にしなければ。物語っていかなければ。交通安全教室だって、おともだちの腹話術から始まるのだ。切ったって貼ったって、溶かしたって捨てたって、なんだって良い。何かをしなければ、その影響は永遠に生まれない。
人間の表現方法というのは言葉だけではない。物語る手段だって、言葉の専売特許というわけではない。むしろ現実は言葉以外のものの方が多いだろう。しかし私は、母と同じく言葉の徒だった。言葉が、言葉による物語が私を作った。言葉を通して経験した。知って、共感して、慰められて、楽しんで、悲しんで、考えて、まとめて、何かを作ろうとした。私にはそれが最善だった。だから私はそれを信じる。ずっと一緒にいたのだから、一番使ってきたのだから、信じなくってどうしよう。言葉を、物語を使ってつらいと叫ぶし、わかってほしいと語り倒す。
鎖の部分を持ったまま、そばにあるOPACバーコードを撫でる。ラミネートされたなだらかな段差に爪を這わせて、本も手の内に抱え込む。しおり代わりに挟んだレシートは風に吹かれて床に落ちて、鉢植えの花はもう廊下にない。
するり、するりと緩慢に立ち上がって、窓をみやれば格子の奥につつじの狂い咲きが鮮やかに見える。手のひらでつかんだ本の表紙をロザリオの銀鎖がつるりと滑り、目には濃い緑葉の中、アザレアピンクが鮮烈だった。
重い全集を三つも抱えて図書館までの坂を下る。夕立後の涼しい風は過ぎ去った。太陽が見るもの全てを白く光らせ、じっとりとした熱気が全身を包む。坂道には神社のお祭り屋台がびっしりと並び、それに群がる人々が道を埋め尽くしていた。
暑さと人混みから早く抜け出そうと、人をかきわける。ゆかた、甚平、ソースのにおい。汗と、湿気と、とぎれない会話。人が途絶える向こう側を見ようとして、信州おやきの屋台が目に入った。昔、軽井沢で食べた味が蘇る。珍しく、いや初めて家族全員が平和に旅行したあの日がよみがえる。新幹線で、軽井沢の日帰り旅行。こういう平和な家族旅行ってあるのだな、と平凡に感動したあの日。屋台の食べ物はあまり好かない。けれど、この二百円は払うべきかなと思った。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は,あなたのすべての咎を赦し,あなたのすべての病をいやし,あなたのいのちを穴から贖い,あなたに,恵みとあわれみとの冠をかぶらせ,あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは,わしのように,新しくなる。」(詩篇103:1-5)

「(愛する皆さん、)心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。」(ペトロへの手紙一15-16)

「この狭きより我は主を呼び、主は我に広き自由の中に応えたもう。」(ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』池田香代子訳)

花とバーコード

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-01-29

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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