四分小説 通学路
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嗚呼、我が憎しみの通学路よ。
殺す殺す殺す殺す殺す――。それしか考えられない。けれどもヤツを殺すことは不可能だ。決して、ヤツへ報復することはできない。
最寄り駅へと急ぐ午前七時四十分。一歩、一歩、と舗道を踏みしめる度に、僕の懐中では怒りの拳がしゅうしゅうと煙を上げつつ握り込まれ、来るべき右ストレートの瞬間を待ちわびて熟成されていく。無論、そんな暴力の届く相手ではないのだが。
ひゅおぉう。……また風が吹き上げた。
もう限界だ、と顔を伏せる。通行人と正面衝突する危険性が高まるが、伏せたまま歩くことにする。
オンボロスニーカーを睨みながら、ヤツについて考えてみる。
ヤツは僕を嘲笑っている。ヤツの前では、長時間の努力すら徒爾に終わる。ヤツは、強く、速く、とらえどころのない下賤だ。その上どこにでも湧いて出る。煩わしいことこの上なし。全国の男子の敵であろう。
ふと、戦友――青木の顔が脳裏によぎった。
あいつは昨日、新たな武器を手にしたと触れ回っていた。ウェット系のハードタイプジェル……。確かに有効な手だろう。さすがのヤツも敵うまい。
しかし僕はダメだ。僕にその武器は使えない。なぜなら、クラスの女子にワックス使ってるんだねへぇ意外―っとか思われたくないから。ウェットでハードなんてセット感丸出しだから。
もちろん毎朝、貴重な一時間を割いて髪型をセットしている。しかしその終着点はあくまで「自然」。「髪型なんて気にしてねーけど傍から見たら割とキマってるんだ」的なスタンス。
ダサい髪型は恥ずかしいけれど、それを気にして長い時間かけて整えているなんて知られるほうが耐えられない。その上、「この髪型がこいつにとっての正解なんだふーん」とか思われるのはマジ最悪。
毎朝鏡との睨めっこに一時間もかけているのは、別にアルゴリズムに沿うとそのくらいかかるからではなく、孤独な逡巡と格闘しているからである。ベタベタの手を懸命にワキワキ動かして、キューティクルの草原をかき分け、期待と妥協が堆くなったその上で掴み取ったのが、この髪型なのだ。
だから風よ、吹くことなかれ。
これ以上髪型を荒らさないでくれ。
殺すぞ。
――そんな僕のドス黒い殺意なぞどこ吹く風で、風はひゅおぉうと通り過ぎていく。わしゃわしゃわしゃーと両手で僕の髪をメチャクチャにしていく。
ヤツは僕を嘲笑っているのだ。髪の毛一本にも満たない、虚栄心を自尊心をナルシシズムを!
……わかった。もういいよ。好きにしてくれ。
これは、かっこつけてるくせにかっこつけてると思われたくない、そんな身勝手さへの罰なんだ。高校生男子思春期自意識下らなさへの、愛のこもったからかいなんだ。
教室のドアを開けると、最前列に座る青木と目があった。彼はおもむろに僕の頭を指して、言った。
「今日は髪型キマってるな」
四分小説 通学路
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